秦野夜話  「秦野のおはなし」
~神奈川県秦野市にまつわる歴史、民俗の話~


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(大山道の道標を訪ねて歩きイラストマップを作っている会)


2017年10月15日更新

 第164話   道祖神ワンダーワールド
 
ちょんぼ道祖神で子孫繁栄・豊年満作 

    道祖神の里めぐり  新潟県長岡市上樫出             


 8月27日午前9時からと午後1時30分から音子(おんご)神社の「ちょんぼ地蔵尊」作りを見学した。午前は8人が
午後の仕上げに向けて下ごしらえをした。
 今年の神社係りの西片道夫さんと地蔵尊作りのリーダー格・中村幸さん(74)からいろいろな話を聞かせてもらった。

身の丈3㍍50㌢の土の地蔵尊・道祖神像
 一年を経た土の像はヒビが入り崩れかけている。これを修復し新しい土で化粧し直す。以前は御足洗池の池浚い
で出た黄色い泥土を使ったが、今は隣の諏訪神社の裏山から取った赤土を使う。修復に使われる土は一週間前か
らこねている。茅葺の屋根の作業も一週間前に行ったとのこと。 中村さんは言う。「今は50代から70代の20人ほど
が地蔵作りに関わる。何とか後の人に引き継げそうだ」。今年作った会のティーシャツ(ちょっとドキッとするようなイ
ラストのもの)を着て土をこねたり、塗ったり。和気藹々の雰囲気。                        
 完成すると全員で品定め「口がうまく出来た」「今年は鼻がでかい」と言うと「鼻のでかい奴は下もでかい」と相槌を
打つ。「右左の大きさが違うな」の声に、「自分のものを触ってみろ、同じじゃねえだろ」と中村さん。「昨年よりよい出
来」と今年の制作者たちは満足げ。身長が3㍍50㌢ほどの土の地蔵尊・道祖神像である。

履き下ろしの作業ズボンで地蔵作り
 中村さんは午後の作業に履き下ろしの作業ズボンで現れた。「新しい作業着ですね」と言ったら、「そんなところも見
てくれたんだ」と少し照れていた。毎年、ちょんぼ地蔵作りにはズボンの履き下ろしをするとのこと。ちょんぼ作りに懸
ける思い―それは信仰心でもあるのだが―の強さを感じた。
 ちょんぼ尊が出来上がったころ十代とも見える男女がお参りに来た。そして女の子は巨大な像をタブレットで撮って
いった。二、三日経つと、もうヒビ割れが始まるらしい。だから今日、地区の人たちはきれいに出来上がったちょんぼ
様にお参りをする。ピカピカの像に私も参拝させてもらった。

ちょんぼ地蔵作りは盂蘭盆行事
 毎年八月の最終週の日曜日が「ちょんぼ地蔵尊祭り」。この日は地区民総出(氏子は108戸)で音子神社境内に地
蔵尊を作る。地蔵作りの他に、境内の草むしり、池の掃除など手分けをして作業をする。その地蔵尊が完成すると像
の横に「道祖神」の立て札が立つ。そして会館で直会。西片さんは「ちょんぼ地蔵作りは盂蘭盆行事」と言う。神仏習
合の一つの形をここでも見ることが出来た。

子授けと安産を願う地蔵尊・道祖神
今年の旧暦の「七夕」は8月28日。七夕はお盆と同じで「祖先の霊を祭る」日ともいわれている。この時期に井戸さら
いをする地方もあるという。上樫出のちょんぼ地蔵祭り(ちょんぼ作りは)、かつては8月26日に行われていた。祭りと
言っても、露店が出るわけではない。ちょんぼ地蔵尊に三々五々、お参りをするのがこのお祭り。当地のある家が所
持する掛軸は「ちょんぼ道祖神に礼拝する婦女子」が描かれている。この地蔵尊は子授けと安産を願う道祖神でもあ
る。
 土俗の信仰は、その地の人たちが必要だからなされるもの、神が仏に、あるいは仏が神に転化することもありえる。
安産・子育て・子孫繁栄と豊穣、そうした願いを叶えてくれるのが地蔵尊であり道祖神なのである。
 音子神社の前面に広がる稲田は早くも色づいていた。境内の御足洗池の池さらいは、田んぼの用水路の浚渫もす
ることにもなる。土と水があってこその米作り。今年も上樫出地区の米は「豊年満作」だろう。
 
  稲の香をまとひてちょんぼ地蔵尊     勝 美

                           



2017年9月7日更新

 第163話   道祖神ワンダーワールド
 
  土、木、藁の道祖神 

    道祖神の里めぐり  新潟県 長野県             

  8月26日から29日まで「道祖神の里めぐり」をした。訪問地は新潟・南魚沼市 新潟・長岡市 長野・松本市 長野・安曇郡池田町  

 1 土の道祖神 
  新潟県長岡市上樫出地区の「ちょんぼ道祖神」  8月 27日はその道祖神を作りなおす日。
     
  
 2 木の道祖神
 新潟県長岡市の「ほだれ道祖神」  三月に行われる「ほだれ祭」は奇祭として知られている。
    

 3 藁の道祖神
 長野県松本市大岡の「しめ飾り道祖神」   長野オリンピックの開会式に飾られた。
   
     保存会の広田さんから話を聞くことができた。

 4 藁屋根の道祖神
 長野県安曇郡池田町の「相道寺の双体道祖神」  「オヤス」と呼ばれているしめ飾りで屋根が葺かれている。
  
 
 

2017年8月7日更新

 第162話   道祖神ワンダーワールド
 
   平塚市岡崎の文字碑道祖神              

銘は「道之神」「道分大神」  
大橋の文字碑道祖神  平塚市岡崎

紀年銘は「道之神」「文化丁卯(4)正月建立」とある。文化4年は1807年。碑高77cm 幅32 cm
後には道標も兼ねている庚申塔が立つ。
碑の立つ横の民家の主に話を聞く。道路の付け替えと改修
があってこの地に写されたらしい。ドンド焼きは近くの鈴川の河原で行われる。





2 横内の文字碑道祖神
 平塚市横内2306 静岡中央銀行横
                  「道分大神」「明治5(1872)年」の銘。 碑高48 cm 幅31cm五輪塔の崩れたもの6基も。
長野県佐久市小平に「辻立神」と刻まれた文字碑がある。「辻立神」とはニニギノミコトの降
臨の折、八衢の辻で待っていた「猿田彦大神」のこと。「道分大神」もサルタヒコ大神を指す。 

「道之神」「道分大神」の文字碑道祖神は初見。筆者が訪ねた「里」では見られなかった。 

 






2017年7月7日更新

 第161話   道祖神ワンダーワールド
 南房総市の双体道祖神

         

 民間信仰で、もっとも庶民の間に親しまれていたのは道祖神信仰である。その道祖神と言えば信州安曇野をイメージするが、
文字碑や丸石、石祠、ワラや木などの道祖神の分布は広くほぼ全国に及んでいる。その中で双体道祖神像に限って見ると、前
述の長野、静岡、神奈川。群馬、新潟、山梨など関東甲信越地方、鳥取・島根(伯耆地方)・岡山など中国地方のその造立数の
多さが認められる。千葉県は双体像の造立は少ない。それだけに他とは異なる双体像もある。その一基を6月29日に訪ねた。

男女双体道祖神  南房総市指定有形文化財  南房総市宮谷 個人宅内
                                      凝灰質砂岩に厚肉彫り 塔高85cm 幅29㎝
 像容から猿田彦命(天狗)と天鈿女命(おかめ)の双体道祖神と受け止めた。男神は振り上げた両手には幣帛。腰蓑を着け高
下駄を履く。高下駄は天狗さんの履物でもある。女神は右手に神楽鈴<左手に御幣を持ち、腰をひねらせている。天岩戸の前
に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った天鈿女命がこの像のモチーフであるこ
とは確か。二神の上部に「瑞雲の上の日月」。基壇に「道祖神」の文字が刻まれている。塔には「施主号誉貞準 六十四歳 嘉永
四亥(1851年)八月吉日」の銘。
 その家の当主ご夫妻に話に寄れば、昭和15(1940)年ころ山崩れで埋まってしまったこの塔を掘り出し現在地に遷座いた。かつ
ては集落の30数戸で10月28日に祭りが行われた。今は池貝家で護持している。「ドンド焼き」は行われているが、道祖神との結び
つきについては特に意識はないようだった。               

                           




2017年6月7日更新

 
武勝美の講演会のお知らせ  
 
演 題  「道祖神ワンダーワールドNO3  日本の道祖神編」 
         
道祖神のメッカ 長野県・群馬県・鳥取県の「道祖神見て歩き」の報告
 日 時  6月18日(日) 13:00~14:30
 会 場  秦野市立東公民館 
 その他  申込み制   資料代250円  東公民館・電話0463-82-3232 




 第160話 
   道祖神ワンダーワールド 上州・信州編
         

 4月19日~21日  信濃路の旅 花に酔ひ 酒に酔ひ
         
群馬・南牧村 長野・佐久市望月 長野・立科町 長野・伊那市高遠 長野・諏訪市  

 
千昌夫が歌う「北国の春」の一節に「白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ北国の春」がある。
この詞は長野県・南牧村出身のいではくが書いた。信濃路はコブシを街路樹として植えられている街もある。
そのコブシが可憐な白い花を咲かせていた。
 今回の「道祖神の里めぐり」は群馬・南牧村から始まり、諏訪市で終わる。三日間で32の道祖神にお会い
してきた。(長野県にも南牧村がある。長野は「ミナミマキムラ」群馬は「ナンモクムラ」と読む)。
 高遠の「花文字道祖神」は今回の訪問で期待していたものの一つ。桜花の下で私を待っていてくれた。懐古
園、高島城、そして高遠城址公園と、どの地も桜花満開。
 この三日間の「里めぐり」を4月24日の『朝日俳壇』に掲載された佳句に託して表してみる。
◇高遠城址公園は春の空が見えないほどの桜花
  咲き満つる花の静かな息づかひ   桑島 正樹
  大風に耐へて落花をせぬ花ぞ    斉木 直哉
◇人の波、花疲れ
  しばらくは花見の客に酔ひにけり  鈴木 良二
  下向きてメール上向き花疲     宮下 龍巳
  話みなうなづくばかり花疲れ    清水 重陽 
◇桜花に思う
  西行も大岡信も花の下       鈴木 清三
 ・西行の歌
  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさ
らきの もちつきのころ(山家集)
 ・大岡信が6762回にわたって連載した『折々のうた』の最後回に選んだうた
  薦着ても好きな旅なり花の雨    田上 菊舎
◇桜の苗木を求めたら家人が訝しがった。私の思い・願いは次の一句
  一村が一樹につどひ花の宴     久野 茂樹
◇咲き競う桜花の彼方に残雪の中央アルプスが望めた。
  花万朶なほ残雪の光る峰      勝美                       
◇諏訪の宿で地酒の利き酒会(呑み放題1500円)に加わる。
 信濃路の旅 花に酔ひ酒に酔ひ    勝美 
 道祖神について書けば、南牧村の双体像は丸顔で童女のような目鼻立ち。穏やかな表情に惹かれた。諏訪市に
は「こんぼった」と呼ばれる円形の穴を持った道祖神が在ることを知った。      




2017年5月10日更新

 第159話 
  ふるさとは千葉・市原と秦野
         

 千葉県市原市 源頼朝の逆さイチョウ
                         
 鎌倉幕府を開いた武将・源頼朝。その伝説が残るイチョウの木が私と夫のふるさと千葉にあります。千葉県
市原市八幡の飯香岡八幡宮に、源頼朝が植えたと言われるイチョウの木がそれです。

 1180年、石橋山の戦いに敗れた頼朝は、安房(千葉・南部)に逃げました。そこから、下総(千葉・北部)
の千葉常胤をたずねる途中、市原に立ち寄りイチョウの木を植えたのです。イチョウの苗木の根を天に向け逆
さに植え「この木活着せば大願成就せん」と源家再興を祈ったとされ、地元の人は「逆さイチョウ」と呼んで
います。

 飯香岡八幡宮の祭りは、仲秋の名月の日に行われます。(最近は、仲秋の名月の後の日曜になっていて今年
108日) 私が子どものころは、この日は学校もホームルームが1時間あるだけ。祭でお役についている子
は学校をお休みしていました。五基の大人神輿と子ども神輿。担ぎ手は、宮ごとに色の違うハッピを着ます。
私の実家の蕎麦屋がある若宮の色は水色。夫の実家、三の宮は桃色です。夕方の神輿納めのときには、名残を
惜しむ神輿がなかなか本殿に入らず暴れます。祖父の時代は、神輿が何日も本殿に入らず、逃げ回ったことも
あったそうです。

 実家が蕎麦屋なので、年越し・お盆・祭などに家業の手伝いに市原に帰りました。
2人の子どもは秦野と市
原のおいしいものを食べて大きくなりました。毎年の市原での餅つきも、子どもたちが楽しみにしている行事
の一つです。
 おいしい物が好きな子どもたちは、私がPTAの広報委員をしているとき、武先生のご指導での「日本のお
雑煮」の特集記事を喜んで読んでいました。
その記事の後日談です。長女の高校受験のとき、社会科の問題で
「Bは、正月の食べ物と思われがちですが、本来、さまざまな祭や年中行事などに欠かせない食材です。地域
により形が異なり、西日本では丸B、東日本では角Bを食べるところが多いです」が出題され、正答は「もち」。
長女は、無事第一志望に合格。武先生、そしてPTA広報とのご縁を感じました。秦野と市原、この二つのふ
るさとに、私たち家族は育てられてきました。  
渡辺佳代子


2017年4月7日更新

 第158話 神奈川・愛川町の道祖神
   
         文字碑が多種・興味は尽きない




2017年3月7日更新

 第157話 小山町生土でのこと
   
         道祖神が取り持つご縁

2017年2月19日 
 「道祖神をお調べですか」と声をかけてきた夫妻。静岡県駿東郡小山町生土でのこと。
 雨が降りだした午後4時ころ。神奈川の秦野から来た、と話したら「秦野に知り合いがいる」と、その偶然性を喜んだ
男の人。
「《寺》なんとか、という所の人」 「寺山でしょう」 「そうそう」 「私はその寺山に住んでいます」 「」エー、その人、武と
いう人ですが」 「エー、わたし武だけど。武、なにさんですか」 「武カツ…とかいったけど」。瞬間私は 「武克之さんじ
ゃないですか」 「そう、そう、武克之さん。もう20年以上も前だけどね。入院したとき同じ部屋で。それからずっと年賀
状だけだけど付き合いが続いてます」 「克之さんは隣組の人です。小さいころからよく知っています」 「入院していると
き、神戸で大地震があって、その救援にいけないことをすごく悔やんでいました。武さんは消防士だから」
 こんな会話を交わした方は長田広さん。道祖神祭りはなくなったが、ここ生土の道祖神の守護には心を配っている長
田さん。「少し待っていてください」と早足で自宅に戻られ、この碑のことが記されている書(「富士山麓の道祖神」)のコ
ピーを下さった。
 別れ際、100㍍ほど戻ったところに道祖神があるから見ていったら、と勧められた。
 車を廻し教えられた場所に行った。そこには文字碑が三基立っていた。写真を撮っていたら、長田さんが走ってきて「よ
かった、居られて。これ、武克之さんに渡してください。入院していたときの想い出のものです」と一枚のコピーを託され
た。そこには持病に関わる克之さんの詩が書かれていた。

2017年2月1日更新

 第156話 異体字の文字碑道祖神 
                   伊勢原市池端の道祖神

 文字碑道祖神  伊勢原市池端741付近
       
 「道祖神」の三文字は異体字、
「祖」の旁の「且」は「一 口 一」。
「神」の字の旁「申」は木の葉か亀の甲に見える。
女陰の抽象化ともとれる。銘は右側面「嘉永3(1850)
庚戌年仲春供養」とある。
左側面に「池端惣邑氏子中」。65×18 

 五輪の塔の一部も。


文字碑道祖神
 「道祖神」の文字が図案化されている。「祖」の旁の「且」は「旦」。右側面「文化十五
(1818)戊寅年四月吉日他端邑氏子」 
左側面には「補助賀川安右衛門、城所治右衛門 願主大沢貴重良」の銘。70×24 。
五輪の塔の一部も。蔵福寺の右脇、駐車場の入口近く



 文字碑道祖神  池端久保公園入口
 この碑も道祖神の祖の旁「且」は「一 日 一」と報告されている
(『路傍の神様』川口謙二著・1968年)が、剥落が激しく「神」の字
体だけがかすかに見えるだけだった。右側面に「旹 文政6(1823)
年」の銘。「旹」は異体字で「時」のこと。
 新たに造立された男女双体道祖神には「施主 平成十二年四月
吉日青木武成」と刻まれている。70×65 五輪の塔10基ほど。

 ここ池端地区の三基の文字碑道祖神は「祖」の旁の「且」を「一 口 一」、「旦」、「一 日 一」とした。の造立はいずれ
も1800年代の前半である。異体字の「祖」、図案化された文字に、「オラホーのセイノカミさんは他所のより立派だべ」
という造立者(講中)のプライドを感じた。
  「一 口 一」は秦野市寺山、そして二宮町山西でも見ている。その意味を知りたいのだが…。

 男根型道祖神  伊勢原市池端  県道44号線のドラッグストアの向かい側  街中の民
家の一角に石塀で囲まれるようにして立つ。「道祖神」の銘がある。男根を思わせる堂々た
るもの。台石から測れば90cmほど。
 造立年は不明だが、上部の丸石の部分だけ載せたように思えるので昭和年代に再建され
たのではないか。奥にその先代と思われる文字碑が祀られている。






2017年1月1日更新

 第155話  JAはだの 組合員基礎講座
 
 大山と盆地の暮らし 

JAはだの組合員基礎講座   2016年12月20日


 ふるさと(秦野)を知り ふるさと(秦野)を愛し ふるさと(秦野)を育てる 

1 秦野とたばこ
 「国分タバコは天気で作り 水府タバコは肥料で作り、秦野タバコは技術で作る」
 秦野は江戸時代から葉たばこの産地として知られ、秦野発展の礎を築いた。優れた栽培技術で「秦野葉」は、
国分(鹿児島)・水府(茨城)と並んで日本三大銘葉に数えられた。たばこ耕作は昭和59(1984)年に幕を閉じた。

 昭和22(1947)年、耕作の慰労会から出発した「秦野たばこ祭」は今年で69回。

・軽便鉄道
 明治39年(1906) 湘南馬車鉄道株式会社が秦野駅(現在の本町三丁目)から、吾妻村(現在の二宮町二宮)間
の道路に、幅2尺5寸(76.2cm)の軌道を敷設し、馬車鉄道の運行が始まる。
馬車鉄道は1頭の馬が小さな貨車を引
くもので、
秦野~二宮間を片道65分~75分かけ111往復した。乗車賃は片道16銭、往復30銭。大正2(1913)に、
動力が馬から無煙炭燃料汽動車(蒸気機関)に。客車には秦野地方専売局の職員や大山への参拝者が。貨車には葉
たばこ、たばこ製品、木材、綿糸など、この地域の産品が積まれ、秦野の発展に大きな役割を果たした。昭和
12
(1937)まで営業。
 ・「今川町は「かかあ天下に馬糞っ風」
 ・「秦野煙草音頭」に見る秦野の暮らし 「煙草音頭」五番
  ♪ 干した煙草は濡らしチャならぬ 阿夫利山からえ なんとしょ雲が出る ♪

2大山と盆地の暮らし
 (校歌は東中・西中・南中・東小・本町小・秦野高校 「煙草音頭」五番) 
 ・庶民信仰の山・大山(阿夫利山)
  阿夫利の語源  (1)雨降り  (2) はふる(葬る・祖霊を祀る)  (3)荒ぶる(神) (4)アヌプリ(アイヌ語)
  阿夫利(石尊)信仰  (1) 雨乞い(雨降り山、農耕の神) (2) 漁業・航海の神 (3) 初山参り(成人お礼) 
 (4) 死霊鎮魂(茶湯寺) (5) 招福除災(太刀納め)

3秦野は僧形双体道祖神発祥の地
 ・秦野の道祖神 (石造の双体像、文字塔) 310基 
  東地区45  西53  南54  北44 本町39 大根53  上 22
  全国市町村別 石造道祖神の分布 (  )は双体像とその割合
  長野・安曇野市   583 (303・51.9%)
  群馬・高崎市    407(双体像のみ)  
  静岡・富士宮市   398 (217・54.5%)
  神奈川・秦野市   310 (174・56.1%) 
  鳥取・大山町     212 (180・84.9%) 

・道祖神の源流は石
 大山(1252㍍)の山頂には巨大な岩石があるため、1300年ほど前から「石尊」さんと呼ばれ、村人は畏敬と信頼の
念を強く抱いてきた。道祖神信仰の源流は「石」で、①石・岩崇拝 
子孫繁栄を願う石棒・陽石  ③石地蔵(六地
蔵菩薩)信仰などが挙げられている。
この①~③に「古事記」「日本書紀」の説話が取り込まれ、双体道祖神や文字
碑道祖神が出現した。

・西相模は双体道祖神の発祥地
 (1)裾めくり道祖神 永正2(1505)年 長野県辰野町沢底 わが国最古の道祖神と言われている。
 (2)初期の道祖神は僧形・合掌立像 寛永2(1625)年  群馬県高崎市倉渕町熊久保
 (3)僧形・合掌像 「寛文九(1669)年酉八月廿六日」 秦野市戸川原開戸
 (4)江戸初期(寛文から元文)の神奈川県西部の道祖神像

万能の神 道祖神のご利益
 ①厄払い(悪霊払い)  ②健康(疫病払い)  ③縁結び  ④子孫繁栄・子宝 ⑤安産  ⑥道案内(道中の安全 
交通安全) 

 秦野は道祖神の宝庫で、300を超える石造双体道祖神や文字碑道祖神を数えることができる。それらの道祖神は、集
落の境に立ち、悪霊や疫病などの侵入を防ぎ、村人の健康と平穏な生活を護ってきた。また、さまざまな民俗信仰と
習合し、道中安全の「岐の神」や「子孫繁栄(男根などが強調される)・縁結び」の神としても信仰されてきた。

 道祖神は「神」と言っても神社のように特定の祭神を持つわけではない。往時も医者や薬は存在したが、無医村や
寒村では病気やケガの治癒は信仰にすがるしかなかった。村人は、村で、ニワ(庭))で「講」を作り「石神石仏」
を祀り、すがった。村人は、病や災難の無い平安な生活、豊作への願い、縁結びや子孫繁栄などさまざまな願いなど
を聞き届けてくれる万能の神として、辻々や集落の入り口に道祖神を祀った。

・道祖神の形体 
 ①自然石  ②陰陽石  ③単体道祖神  ④丸石道祖神  ⑤双体道祖神  ⑥文字碑道祖神  ⑦石祠道祖神  
 ⑧木、ワラ、紙の道祖神

・道祖神祭り(トッケダンゴ)
   左義長 → ドンド焼き、ドンドン焼き、どんと祭(焼き)、トンド焼き 
 
ダンゴ焼き(トッケダンゴ)・セートバレー(塞戸払い)

紙芝居『目ひとつ小僧』 制作・上演  チーム「竹の子」

まとめ 山田和樹さんの言葉

 秦野で育っていなければ 指挿者になっていなかった

山田 和樹さん(36歳) 指揮者 1979年、神奈川県秦野市生まれ。★東京芸術大学指揮科に進み松尾葉子と小林研一
郎に師事。★
2009年、仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本
フィルハーモニー交響楽団正指揮者、東京混声合唱団音楽監督などの要職に招かれる。
169月、名匠ジェルメッティに
も率いられたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽・芸術監督に就任。★現在はベルリン在住。
2児の父。

朝日新聞2015年10月3日be版「フロントランナー」の記事の中のインタビューから
音楽とはどのように出会ったのですか。
 幼稚園で木下式音感教育法というのをやっていて、そこで歌うことの楽しさを知りました。少年時代は緑豊かな神奈川
の秦野で過ごしましたが、この地に育っていなければ指挿者になってなかった気がします。

どういうところだったんですか。
 丹沢山のふもとで、田舎です。小学校のとき、授業でジャガイモとかを育てるんですが、その肥料が馬糞とか牛糞なん
ですよ。手づかみでこう、まぜたりする。都会の子供には絶対させないですよね。

汚い、という先入観ができる前に触らせる。
 近所の神社に大きなイチョウの木があって、秋が来るたびあの特有のにおいに何かの終わりを感じ、切ない気持ちにな
りました。それでも冬が来ると、丹沢山に堂々たる雪がかぶって。終わるもの、始まるもの、すべての世界が美しかった。
あの自然の手触りが、今の自分の音楽の奥底に間違いなくあるはずです。


 2016年12月1日更新

 第154話  
 
「秦野の道祖神」講座で活動再開 

2016年11月23日

 13時30分から「はだの雑学大学『道祖神ワンダーワールド・秦野の道祖神』」(主催 秦野市市民活動サポートセンター・会場秦野
市保健福祉センター)の講座を持たせてもらった。受講生は57名とか。主催者は「キャンセルは一人も無し。申込者全員出席は珍
しい」と喜んでいた。
 道祖神をテーマに、本格的の話をするのは初めて。〈行き先不明?〉になるかも知れないという不安感があり、講話のシミュレーシ
ョンを何度も重ねてきた。
 会場に入るとあちこちに知り合いの顔が見え、笑顔を送ってくれる。「みちしるべの会員」「エコーの読者」などで、後で確認したら19
名の知人が聴講に来てくれた。そして妹夫婦が入室してきたときは「エー!」と私。
 演台には豪華な花籠。付いているメッセージカードには「元気になられて良かったです。次回は聴きに行きます。R」とあった。私自
身、今日の講座を「活動再開宣言」と密かに決めていたので、こうした皆さんの支援・声援に応えなければ、という思いが一層強くな
った。それなのに、最後の「目一つ小僧」の紙芝居は時間切れで上演できなかった。ああ…。
 この日の主な質問「道祖神は誰が、なぜ祀ったのか」「道祖神という神は誰なのか」「道祖神は子供を守る神だというがその理由は」。
参加されたMさんがツイッターで私の講座のことを書いてくれた(左)。Mさんにはこの日の会場で初めてお会いした。Mさんは日本石
仏協会幹事のNさんを同道されていた。
 11/23  道祖神に導かれこの世界に入られた武勝美先生は、全国の里巡りを始め、先般「道祖神ワンダーワールド」という書を出
版された。その後、体調を崩されたが、現在は元気を取り戻し、再び里巡りを再開されたとの事。今日は道祖神に纏わる講座を拝聴
し、元気なお姿ご尊顔を拝す。



 2016年11月1日更新

 第153話  
 
《道祖神の里めぐり》
  
復活第一回は長野県茅野市      

 《里めぐり》も復活   8月31日 長野県茅野市へ
 抱擁(接吻)道祖神  茅野市米沢 北大塩 

 男女双体道祖神  銘は無い。おそらく江戸時代の造立だろう。《子宝》をイメージした男女双体(抱擁)道祖神は
群馬、長野で多く造立されている。(秦野では  見られない)絡み合っている足、片肌脱ぎの女神、男神の表情や女
神の肩にまわした両手などおおらかな造形。供えられていたのは子がいっぱい付いた根ショウ  ガだった。
90×55 
像高45


 

                                         

   

私が訪ねた抱擁道祖神  左から
 ・「落合の道祖神」浮世絵風?。群馬県高崎市倉渕町  ・通称「キッス道祖神」盗難を恐れ鉄格子に護られている。
群馬県高崎市中室田町  ・「荷付場の道祖神人気があるらしい。訪問者のための記念スタンプが置かれている。群馬
県中之条町入山  ・キワドイ「宮原の道祖神」長野県松本市入山辺  ・「エッチな道祖神で有名」と地元の人は自慢
げ。長野県富士見町
                                                         











 道祖神はセイ(性)ノカミ(神)さん
 今回の「里めぐり」で「ご縁想=道祖神盗み」に関わる五つの塔碑に出会った。その中で南大塩の子宝道祖神、北大塩の

吻道祖神は子孫繁栄を願う「性ノ神・夫婦和合の神」だった。
道祖神は「サエノカミ」または「サイノカミ」とも呼ばれる。
(秦野では「セエノカミさん」と言う) その「サエ・サイ」を文字で表すと「塞」「歳」「才」「賽」「財」「幸」「妻」
「障」、そして「性」。これらの「サイ」を刻んだ文字碑道祖神が実在する。


 Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』を手に道祖神に導かれ次の世界へ
 前回の「道祖神の里めぐり」は今年3月 31日の静岡県菊川市。それから3カ月ほど経ち今回の「めぐり」に出かけた。
の3カ月の間にいろいろなことがあった。その一つは『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』を上梓(6月1日)。そして6
月8日に心臓血管外科の手術(大動脈弁と僧帽弁を人工弁に換える)を受けた。

 この世を去った者を村はずれで待っていて、次の世界へ道案内してくれるのが村のはずれのお地蔵さん。その地蔵菩薩と
連れられていく者が僧形双体道祖神に遷化した。
手術を決めたとき、『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』の上梓を“人
生の締めくくり”としたいと思った。それで「なんとしても手術前に」と編集を急いだ。『Katsumi In 道祖神ワンダーワー
ルド』に手に次の世界に行くのは私らしいと思ったからだ。


2016年9月30日更新

 第152話  
 
まほら秦野みちしるべの会の10周年記念誌
 10月15日に発刊      




2016年8月1日更新

 第151話  
 
「Katsumi In 道祖神ワンダーワールド」の紹介            その2      




神奈川新聞 2016年6月23日

2016年6月1日更新 

 第150話  
 「Katsumi In 道祖神ワンダーワールド」の紹介      




2016年4月7日更新

 第149話  静岡県菊川市・應聲教院
 
 23基の道祖神
       三界萬霊塔を兼ねた道祖神  

                                                             3月31日

 道祖神に招かれる春の日々となり     勝美

 静岡県は石造道祖神の造立数の多さではわが国で二番目。だが同じ静岡でありながら、富士川の西岸の地域
は道祖神の姿はあまり見られなくなる。富士川が「石造道祖神造立」の境になっている。
 富士川を越え大井川を渡ると菊川市。菊川市のお寺・應聲教院の参道・境内に23基の男女双体握手道祖神が
祀られている。自然石に半浮き彫りの信州系。そのほとんどが作風からすれば昭和年代半ば以降に造立された
もののように見える。男神の「三つ輪髷(ミツワマゲ)」と女神の髪型から双体像は『子ども』と推測したもの20基。
銘は「三界萬霊」、造立者名は個人名。三界萬霊塔を兼ねる道祖神は《初見》。塔の上部に刻まれている「水」の
文字は、境内にある「水子地蔵菩提所」に関係するのかもしれない。これらについて住持に尋ねたが、先代が「集
め祀った」としか分からなかった。

              
                   

2016年3月7日更新

6月上梓の予定
 
『道祖神ワンダーワールド』   
                 武 勝美 著

   『道祖神ワンダーワールド』  六月発刊を目指して初校に入りました。500ほどの写真を添えています。とりあえず目次をご覧ください



2016年2月7日更新

    第148話
   秦野地の道祖神祭り
 
 ダンゴ焼き

 市内22小・中学校PTA情報委員会の研修会で、「秦野の民俗・ダンゴ焼き」の話をする。この会も今回で年目。一時間
の話のあと質疑。秦野市外出身の数人から、それぞれの『道祖神祭り・ドンド焼き』話を聞かせてもらった。

市内八沢に住むAさんの今年のダンゴ焼きの話
  「ちょっとしたオムスビくらいの大きさのダンゴを“取替えダンゴ”で食べた。一個でも食べきれないのに、二人と取り替
えたので、それは大変。でも、がんばって食べた。楽しかった」
◇ご主人の実家が山北町のBさん
  「道祖神祭りの日はにぎやか。花車が出る。ドンドン焼きと言っているみたい。主人はその日は必ず実家に帰る。そし
て花車の引き子をする」。
Cさん
  「私は高崎の出身。倉渕町の近く。ウチの方でも『ドンドン焼き』と言っている。大きな斉灯を立てて燃やした」。
実家が栃木県益子町のDさん
 「サヤドというところで生まれた。『道祖土』と書いて『サヤド』と読んでいる。どうしてそんなふうに読めるのでしょうか。き
ょう、話を聞いて思い出しました。実家の前に道祖神がある。たしか双体・お坊さんのだと思う。ドンド焼きもやっていると
思う。母にメールして写真を撮ってもらい送ってもらう。先生に上げます」
  私の答 「『道祖土』を「サイド」と読んでいるところがある。さいたま市緑区道祖土(サイド)。道祖神のことをサイノカミ
       と呼ぶところもある。そこから『道祖土=(サイド)』が生まれたのだろう。〈サイ〉が転訛(なまって)して〈サヤ〉
       になった」

昨夏転居した峠地区のダンゴ焼きに参加したYさんの報告
 「お団子を刺した木を三本もって、三カ所の道祖神さんに供えに行った。子供たちが神主を務めているので、お賽銭を
上げる。『〇〇円が相場』だってご近所の方が言われたのでポチ袋で用意して行った。年配の方から昔のダンゴ焼きの
話をきかせてもらった。ダンゴを刺す木は、庭にある梅・樫・柳などいろいろだった。ダンゴ焼きを知らせる太鼓のリズム
は《テコテコ松っあん テコ松っあん》。言われればそう聞えたけど、意味が分からない」。

情報委員のKさんの話
  「主人も道祖神に興味を持っています。安曇野が好きで、家族で何度か行っています。先生の道祖神の話を聞かせた
ら『俺も聞きたかったなあ』と言ってました」。

〇今年の年賀状の中に「昨年、先生から聞いた“目一つ小僧”のお話を、今年は園児にしてあげようと思います」があった。
差出人は前年度情報委員Eさん。

 やっぱり、私にとって道祖神は「ワンダーワールド」です。

2015年12月7日更新

    第147話
   秦野地方の民話
 
12月8日は「目一つ小僧」の日


   目一つ小僧     武八重子さん(M42・秦野市寺山生まれ)から取材
                                                                                                          
 大寒 小寒(おおさむ こさむ) 山から小僧が飛んできた
 寒きゃ あたれ  熱きゃ 引っぁれ  引っぁり虫が 喰いつくぞ (秦野地方の古謡)


 12月8日(事始の日)の夜  山から目一つ小僧が里に下りてくる

 子供のいる家の玄関をのぞいて回る

 玄関の中の履物の乱れを見て回る (親のしつけができていない)

 その履物の子供の名前を帳面に記す

 この帳面は天帝(北極星に居る神)に届けられ、書かれた子供は病気や交通事故に遭わされてしまう

 小僧は村中の家を回るので夜が明けそうになる

 村外れの道祖神に「1月15日(小正月)に取りに来るから」と帳面を預ける

 1月14日の夕方、道祖神が預かった帳面の中を見て驚く

 その帳面を道祖神の前で燃えている火()村人が焚く  大年神(お正月の神)を山にお送りする(送り火)に投げ込む

 1月15日の夜 帳面を取りに来た小僧に、昨夜の火事で帳面は燃えてしまったと言う

 こうして、道祖神のお陰で子供たちは病気や交通事故などから逃れられる。だから、道祖神祭りは子供が執り行うお祭り   



 ※12月8日  目一つ小僧が我が家に来ないようにメケーゴ(目籠)を長い竹さおの天辺に付け庭先に立てる。「目一つ」よ
 りメケーゴは目が多いから。履物をそろえないと「目一つ小僧が来るよ」と子供たちに注意する家もある。


2015年10月7日更新

    第146話
   たばこと秦野


第68回 秦野たばこ祭り
 「タウンニュース」紙の企画記事



2015年9月7日更新

    第145話

 道祖神の里めぐり  2015年8月 群馬・長野 
 Katsumi In 道祖神ワンダーランド


 2015年8月24日~27日 道祖神の里めぐり
                    群馬県 高崎市中室田町 高崎市倉渕町 東吾妻町 中之条町 
                           長野県 松本市 上田市 東御市 富士見町 朝日村

 
 道祖神ワンダーワールド
 今回の「里めぐり」は、今まで私が訪ね歩いてきた道祖神を再確認することが出来る―サンプルが網羅された―里めぐり
になった。「道祖神ワンダーワールド」を堪能したその概要を紹介してみる。

 双体道祖神
 1彩色型 2抱擁型 3肩組み握手型 4握手型 5合掌型 6拱手合掌型 7「帯代」を明記した像 8彫りかけ(未完成)像 
 《男神女神の持ち物》
  ①宝珠と合掌型  ②女神が横向き・男神が瓶子 ③扇を二人で持つ坐像 ④男神・由布 ⑤男神・未開蓮 ⑥男神・矛
  女神・御幣 ⑦男神・剣持ち ⑧女神・瓶子と盃 男神・御幣 ⑨祝言像 三つ重ねの杯   
 《その他の掘り込まれている物》
  ①桃の実形内に彫り込み ②菊花紋と五三の桐紋 ③鳥居に道祖神の文字の幟 ④「道祖神」の掲額
  
 単体道祖神
  1坐像(伊豆型) 2丸彫り(地蔵型) 3丸彫り(子育て地蔵型) 

 文字碑 
  1「道祖神」 2「道録神」 3「祖道神」 4「道祖神」に線刻の男女双体像 5「道祖神」と男女双体像

 石 祠
  1三方・水瓶・御幣 男神拱手女神合掌像(線刻)
  2三方・水瓶・御幣 梁に卐(右マンジ)の文字 双体合掌像 

 男根女陰


 
           
         足踏み道祖神              道録神 (「禄」ではない)          端正な握手像
      女神が男神の足を踏んでいる


2015年8月7日更新

    第144話

 秦野の地名考  その1  
      
東田原象ケ谷戸


 象ケ谷戸 

 秦野市東田原に象ケ谷戸(地元では「ゾウゲート」)と呼ばれる地区があります。地名に「象」という文字をとりれいれている地名
は全国でもあまり無いようです。松尾芭蕉の「奥の細道」に登場する名句「象潟や雨に西施がねぶの花」の象潟(キサガタ)は秋
田県にかほ市の地名です。奈良・吉野町に「象谷」という地名がありますが、読み方は「キサタニ」。いずれも「象」を「キサ」と読ん
でいます。
 「象」を「キサ」と読むのは、象牙にギザギザの模様があるから、ギザギザのようすを「象」という文字で表したようです。階段を「キ
ザハシ」とも言いますが、地形用語の「キザ・キサ」は、段丘・侵食地・削り取られたところを示す言葉です。象ケ谷戸地区の地形は
「段丘・侵食地」と言えます。ずっと昔、象ケ谷戸は「キサ(キザ)ガヤト」と呼ばれていたのではないでしょうか。やがて識字率が上
がり「象」が「ゾウ」と読まれるようになったと推測できそうです。

 ところで、新編相模國風土記稿では現象ケ谷戸は「蔵ケ谷戸」と記されています。地名用語の「蔵」は「クマ」の好字・瑞祥語で、地
名用語としての「クマ」は「隅」を表す場合が多いようです。「隈」は「山の側稜と側稜の間の沢(方言・神奈川県津久井郡若柳)」「奥
まったところ・隅」と地名用語語源辞典にあります。象ケ谷戸地区はこの説明に符号すると思います。
 「象ケ谷戸」は初めは「隈ケ谷戸」と呼ばれていたのですが、その「隈・クマ」が「蔵・クラ」に転訛して「蔵ケ谷戸」。その「蔵」は音で
「ゾウ」と読むので「ゾウゲート」。そしてその音「ゾウ」に「象」が当てられたと考えることができます。

 地名に現れる「ゾウ=象、蔵、雑、造」は「ソウ」の濁音化。「ソウ」は「荘」で中世の荘園に関係するか。「惣」で中世の農民の自治
組織「惣」に関わる地名か。「沢・サワ」の転訛か。「象」のような意味不明とされてきはた地名の多くは「沢・サワ」の転訛と思われる。
                                                                (地名用語語源辞典)



2015年7月7日更新

    第143話

 東中学校1学年の公開授業
  まほら秦野 
その1「古道・大山道と東地区」


 6月25日
  東中学校1学年(3学級)の「地域学習」の授業。年間3回シリーズの第1回。一般公開の授業ということで地域からの十数名の
 出席も。

 授業の主題 「古道・大山道(坂本通り・蓑毛通り)を歩く・東中学校周辺」 (以下の事について紹介)

 1 大山道道標 3基
  ①寺山・藤棚バス停 大山道道標「(左)ミの毛道(右)さ可本道」と記されている。
  ②蓑毛・才戸バス停 大山道道標 動明王像を戴く市内最古の道標で享保20年(1735年)「右ハふし 左ハおた原」と記され
   ている。
  ③東田原・東公民館前バス停 道祖神(自然石・文字碑)1806(文化8)年で「(正)道祖神 文化三年 いせ原口(左)丙寅正月
   大山道」の銘。
 2 清水湧水池跡記念碑 東小・中学校の校歌に歌われている湧水池の記念碑。

 3 東中学校の校庭の大イチョウ。

 4 東秦野国民学校の水道水源地 昭和17(1942)年11月3日竣工。

 5 波多野城址。

 6 寺山遺跡と金目原遺跡。

 7 西の久保湧水。




2015年6月1日更新

    第142話

    秋田の人形道祖神


道祖神の里めぐりNO22  秋田の道祖神    2015年4月30日/5月1日

 藁や木の人形道祖神
  道祖神・塞の神といえば石造の双体像や文字碑を思い浮かべるが、秋田県では藁や木などで作られた人形道祖神が今も人々の
信仰の対象になっている。いずれも、全国各地のものと同様、に集落の境に立ち悪霊や疫病などの侵入を防いだり清めたりすると
考えられてきた。またさまざまな民俗信仰と混合し、道中安全の「岐の神」や「子孫繁栄(男根などが強調される)・縁結び」の神とし
ても信仰されてきている。

                
             ①                        ②                      ③
 
 ①仙北郡美郷町  鍾馗様(しょうきさま)   顔は木のお面、体は藁で作られていた。身の丈は3㍍ほどの巨大な人形道祖神。
                            欅の古木の根元に鎮座し、集落を見守っている。

 ②大仙市横堀日吉  鍾馗様(しょうきさま)  この「しょうきさま」は全身藁・顔も藁で作られている珍しいもの。身の丈2㍍50㌢
                            ほど。髪と髭は杉の葉。この像の裏に住む佐藤隆昭さんの話。「毎年4月と10月にお
                            祭りをする。10月は衣変えで、昨年は10月24日に行った。人形は新藁で作る。髪とヒ
                            ゲは杉の葉を使う。葉が変色し始めると取り替える」その役は佐藤さん。

 ③大仙市太田町斉内長者森  仁王様(おにょさま)  
  5月1日、大仙市太田町斉内長者森の「おにょさま」を訪ねた。木の面、体はワラのこの道祖神は市文化財で身の丈3㍍。目の前
に田んぼが開けた処に立っていらっしゃった。その田んぼで作業をしていた小松新一さん(77)、小松洋さん(61)に「おにょさま」に会い
に来たのだがと声をかけた。二人は畦の軽トラのところに戻ってきて「今日じゃ早すぎたな。5日に来ればよかったのに。5日に《着替
え》をするよ」と私の話に乗ってくれた。  
 回り番(以前は宿と言った)の家が新藁でコモを編み、衣装を準備する。そして5月5 日に地区総出(9戸)で《着替え》をする。着替えた
「おにょさま」の前でお祭りをするとのこと。「写真を撮って送ってやるよ」と洋さん。新一さんは「今年十数年ぶりに地区に小学生が出
た」と喜びの話。米作りの現状は厳しいことや山菜採りに山に入り熊に噛まれたことなど話は尽きなかった。
 そして5月8日、洋さんから写真が届いた(右上)。お礼の電話をした。今年の《着替え》は、「武さんが見に来たので」がんばって骨組
みもやり直したので時間がかかったとのこと。「酒盛りは盛大でしたか」と聞くと「ほんのチョットだよ」と含み笑いの洋さん。「9戸のうち
女性の参加が2戸。これが地域の現実」とも話してくれた。
 「もう早いところは田植えが始まった」という言葉に、「おにょさん」の前で開かれた祝宴の光景を想像した。



2015年4月1日更新

    第141話

 古道・大山道を歩く
  東地区寺山の「路傍の神仏を訪ねて
  

 古道・大山道を歩く  「路傍の神仏を訪ねて」  第1回 東地区寺山の大山道蓑毛通り・坂本通りを歩く   2015/4/3
 
 東公民館 
 ↓ (マタド道)
 波多野城址
 (蓑毛通り)
 ↓
 双体道祖神    (二ツ沢庭・竹ノ内庭)            ・寺山711
  「奉造立道祖神」 宝暦11(1761)年
 ↓
 道祖神(文字碑)  双体道祖神    (久保庭)          ・寺山667
 地神塔 市内最古で安永10(1781)年               
 ↓
 才戸石碑群(馬返し つたや)                  ・蓑毛141
 ・大山道道標 不動明王像を戴く市内最古の道標で享保20(1735)年
  「右ハふし 左ハおた原」と記されているが判読は困難。
 ・ 道祖神(男女双体像・市内初出) 元文6(1741)年 
 ・ 地神塔(五角柱型 市内唯一) 
 ・ 浅間大神塔              
 ↓
 (蓑毛通りから坂本通りへ)  途中に双体道祖神・馬頭観音
 ↓
 双体道祖神    (横畑地区)                ・小蓑毛233
  小川直之氏は「この双体像は、像容(僧形の合掌像)からすれば寛文(1661年)から元禄(1703年)時代のもの」と推察。横畑地区では安産
  の神でもある。
 ↓
 (坂本通り)
 ↓
 大山道道標 不動明王(祠)(正)大山道 文政3(1820)年   ・小蓑毛235
  平成2(1990)年に建てられた祠は平成22(2011)年3月4日に建て替え。
 ↓
 昼食とミニ講座 松下家(古民家)
 ・講座「寺山の地名」
  波多野氏の居住地(波多野城)を示す古語。その他「地獄ゲーリ」「テフ塚・ちょうづか」「タカフチ・タコウチ・高取山」。
 ↓
  (坂本通り)
 ↓
 道祖神(文字碑)(角ケ谷戸庭)                ・寺山1029
 ↓
 武邸の屋敷神 
  庚申塔、巳待塔、稲荷祠、陽石の4体が祀られている。
 東中学校の宮永岳彦画伯のレリーフ
  昭和60年(1985年)、新校舎の完成記念に、東地区にゆかりのある宮永画伯にレリーフの壁画制作を依頼。
 1棟東面は「集団における協調精神と慈愛」、正面玄関の横・上には「 人生の指針と未来への希望」が主題の大レリーフが飾られている。
 ↓
 道祖神(文字碑「久奈斗大神」)(清水庭)           ・寺山495
 清水湧水池跡記念碑                      
  東小・中学校の校歌に歌われている湧水池の記念碑。平成16年・2004年に清水自治会が建立。湧水は開発により平成16(2004)に消滅。
 ↓
 道祖神(文字碑)(宝ケ谷戸庭)               ・寺山485
 天社神                      
  県道脇に立つ。市内で二番目に古い造立で寛政11(1799)年。台石に「右十日市場」「左坂本」と記されている。
  市内三番目に古いのは寺山の鹿島神社境内の天社神で享和2(   1802)年。市内最古、二番目、三番目のいずれもが寺山(村)地区に
  立つのは興味深い。
 ↓
 道祖神(文字碑) (宝作庭) 道祖神の表記に注目   ・寺山419
 三界萬霊・庚申搭
 宝作庭に入口に立つ寺山最古(延宝元年・1673年)の石碑。三界萬霊塔の下部に庚申搭の印である三猿の上半身がわずかに見える。
 ↓
 大山道道標
 「(左)ミの毛道(右)さ可本道」と記されている。今の大山・子易は、当時「坂本村」だった。そこに通じたのが「さ可本道」。
 ↓
 西の久保湧水
  「風土記稿」によれば、ここは天水場(溜め池)。大正8(1919)年、旱害対策の横穴井戸が村の有志によって掘られた。その記念碑がある。
 ↓
 馬頭観音群とマタドの渡し
  金目川橋下流50mほどの川中に、大山道・坂本通りと蓑毛通りを結ぶ川中の道(踏み石)が残っていた。「マタド」に「馬渡戸」「馬渡」の字を
  与える研究家もいる。地形用語では「又と」で「二つの川か合流するところ」。この地はかつて金目川と中丸川が合流していたところ。
  金目川橋の東のたもとに95体の馬頭観音が祀られている。この馬頭観音群の中で最古のものは安政5(1858)年に寺山村の角ケ谷戸西、 
  二ツ澤、清水、竹之内、久保の各庭が合同で奉じた観音菩薩像。建立年代は、明治12、大正が26、昭和が30基。もっとも新しいものは昭和 
  53(1978)年の建立。
 ↓
 庚申塔 (東公民館前) 上原 金山 関口 天保2( 1831)年 ・東田原1525 

 東公民館 ・まとめの講座「金目川は加奈比可波」


 

2015年3月1日更新

    第140話

    埼玉の双体道祖神


だんご飾り 2015 武家

埼玉の双体道祖神めぐり 2015/2/25

熊谷市             深谷市                 寄居町            滑川町




2015年4月3日 桜を見ながら「寺山地区の道祖神めぐり」  案内は「まほらの会」  ・問い合わせは東公民館 0463-82-3232




2015年2月1日更新

    第139話

   ダンゴ焼きの「トッケダンゴ

 ダンゴ焼きに持っていくダンゴは三個。三つ叉のコナラの枝に刺してある。

 村はずれの空き地・道祖神の前・そこは「道祖神場」と呼ばれている。この日、村人は道祖神場に集まりダンゴを焼く。
 焼いたダンゴの行く先は、一個は道祖神に供える。一個はその場で食べる。残った一個は持ち帰り、馬や牛にたべさせる。家畜は大切な家族の一員だから。
ところで、どの家も焼いたダンゴを一個供えるのだから道祖神さんは食べきれない。神前はダンゴの山になってしまう。だが、供えられているダンゴは一個だけ。
その訳は、 この日の道祖神の前には道祖神小屋が建つ。その小屋の中にはダンゴを供える人を迎えるために、男の子が控えている。その子どもたちの中心
になる子を「神主」とか「大将」と呼ぶ。「神主」「大将」になった子は自分の家から、お赤飯(蕎麦の場合もある)かお神酒を持ってきて、真っ先に道祖神に供える。
 焼いたダンゴを最初に供えた人は神主が供えたものを貰う。次の人は最初の人が供えたダンゴを貰う。三番目の人は二番目に供えられたダンゴを頂く。供え
られたダンゴは、こうして順繰りに後の人に下げられていく。これが「トッケダンゴ」。
 秦野言葉では「取り替える」は「トッケエル」。「トッケダンゴ」とは「取替えダンゴ」のこと。このように焼いたダンゴを取り替えるのは、我が家の幸せ・良いことが他
の家にも訪れるようにという願いからである。だから供えるダンゴは大きい。
 この日、子どもたちは太鼓を叩く。そのリズムは「トッケダン トッケダン トッケダンゴ ダンゴ ダン」。


今年も子どもたちに「トッケダンゴ」の話をした

2015年1月1日更新

    第138話
  まほら秦野みちしるべの会の富士宮の道祖神めぐり余話
  案内は〈道女・ドウジョ〉の志村和恵さん

 平成25年3月29日、富士宮の道祖神めぐりをしたとき、人里離れた深い山中(坂林地区)に祀られている双体道祖神に出会った。その道祖神の傍らに題目塔も。
二塔が立つ場所が気になったので、帰ってから富士宮市教育委員会に尋ねた。だがその時点では「不明」という回答だった。
 ところが、5月28日に富士宮市教育委員会から「坂林集落石造物調査報告」が届いた。この報告によれば調査日は平成25年4月16日とある。私の問合せを受け
調査をしたようだ。報告書はA4判2ページで写真も組み込まれた正式なもの。かつてその地に住んでいた人の話も採ってある。「50年くらい前までは二十三、四軒
の家がありにぎやかだったが、今は居住者はいない。道祖神や題目塔、馬頭観音、水神などがある。水神を祀ったところはスイジンボリと呼ばれていて水が湧いて
いる。」
 通りすがりの人(私)の個人的興味に、このような形で応えてくれたのは、教育委員会富士山文化課・学術文化財係の志村和恵さん。
 その志村さんが今回の研修で案内をしてくれた。初めての〈ご対面〉なので心が躍っていた私。この日の説明は昨年の私への対応と同じように力強く、しかも丁寧
だった。
 富士宮で生まれ育った志村さんは、小さいころからどんど焼きを楽しみ、道祖神さんの可愛さに引かれ、大学で民俗学を学んだ。そして地元で道祖神を守る仕事
に就いた。「一月に大磯の左義長の斉灯を見にいきました。帰りに秦野の道祖神も少し訪ねました」と話す志村さんに、道祖神への思い入れの強さを知った。
 二十代半ばの志村さん、今風に言えば〈道女・ドウジョ〉、そして〈童女〉。「ミチジョ」と読めば、我が会「みちしるべ」につながる。
 志村さんが働いているところは「富士宮市教育委員会富士山文化課」。そのネーミングも含め富士宮市のファンになった。


    第137話
 市制施行60周年記念市民企画事業      
  
まほら秦野みちしるべイラストマップ展示会
            平成27年1月10日~18日
 



会員によるミニ講座は地区毎ののマップの解説
ご来場をお待ちいたしております。




2014年12月1日更新

    第136話
  道祖神の里めぐり       2014年10月27~30日
 
サイノカミさんの宝庫 鳥取県大山町・米子市淀江町 

 西日本での道祖神はなぜか鳥取県に集中する。それで今回は鳥取県大山町と米子市淀江町を中心に歩いた。4日間で巡った道
祖神場38・道祖神は128塔。
 1 伯耆の道祖神の特徴 ( )内は甲信越・相模の道祖神の特徴)
 ①呼び方 サイノカミさん (道祖神 塞の神 道陸神 岐神)  
 ②ご利益 「縁結びの神」「幸福の神」。実際に「幸神」の文字碑が12塔、「妻神」が2塔。 
 (厄払い 健康 子孫繁栄 安産 豊作 縁結び道案内 旅の安全)
 ③形体 線刻が多い。男女双体像はとサルタヒコノミコトとアメノウズメミコトの両神。天狗鼻とお多福を彫りこんでいるものもある。
 イザ ナギノミコトとイザナミノミコトの二神。※僧形は見当たらなかった。
 (舟形半浮き彫り。僧形、神官、衣冠束帯・十二単の宮廷人などで肩組み握手像、酒器像、拱手像、合掌像など。坐像は少ない)
 ④文字碑は少ない。「道祖神」と書かれた文字碑は3塔。「二柱神」は1塔。(道祖神と刻まれた文字碑が多い)
 ⑤ 造立の時代 伯耆地方最古の道祖神は安永五年・1776年 (寛永から元禄時代がピーク・最古は安永2年・1505年・長野県辰
 野町)
 ⑥祭りの日 12月15日だが衰退気味。 (1月14日、ドンド焼きに結びついている)

 ・大山町 集落ごとに墓地をもっているらしく、少し車を進めると集落のはずれに墓地を見ることができる。寺院は少ないようだ。
 鈑戸 (タタラド)の「両墓制」の河原の風景は心に染みた。風力発電の風車がよく目に入る。
 ・淀江町 町の裏に入ると昔からの生活の道が今もその役目を果たしている(軽自動車が必要)。サイノカミさんが公民館の敷地や
  神社
 などに集められている。地域の人にとってサイノカミさんは遠い存在になっているかも知れない。

 今年の「道祖神の里めぐり」は山梨県中央市(4月)、長野県山形村(8月)、山梨県甲府市と身延町(8月)。そして鳥取県大山町と米子
 市(10月)、そして、そして11月には長野県安曇野市を4回目の訪問。12月3・4日は富士宮市の道祖神を「まほらの会」で見て歩く。


だいせん高原 豪円山のろし台から





『JAはだの』 856号(2014年11月26日)




2014年11月1日更新

    第135話
  道祖神の里めぐり       2014年8月28日
  山梨県身延町(旧下部町) 


 地名「久那土」と子育て双体道祖神
 道祖神の別称に「久那斗神(くなどのかみ)」「岐神(ふなとのかみ)」がある。「久那斗神・岐神」とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が
黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時,投げ捨てた杖から生じたという神。集落の入り口や道路の分岐点などにまつられ,
種々の邪霊・禍災の侵入を防ぐ神で、道祖神、岐・衢(ちまたのかみ)と同じ。この「久那斗」と同じ読み方をする地名「久那土」が身延
町(旧下部町)に存在する。JR身延線の駅名にもなっている。

 この日の順路:車使用
 「なかとみ和紙の里」前に 道祖神① ⇒富士川を渡る(峡南橋) → 「つむぎの湯」→ 久那土駅→ 身延線の鉄橋をくぐり左折→ 道祖
神②  ⇒県道9号に戻る→ 久那土中学校前の河原駐車場 → 道路を横断 大草ふれあいプラザ前に 道祖神③ ⇒久那土小学校前
右折→ 久那土郵便局前を通過→ 県道404号 川側に 道祖神④ ⇒橋を渡って民家前に 道祖神⑤ ⇒県道404号に戻る→ 龍泉寺
参道入り口に 道祖神⑥  ⇒道路山側に馬頭観音・石仏群→ 切房木 岩船地蔵尊前を通過→ 道地区の始まり→ 道路山側に馬頭観
音→ 道路山側に 道祖神⑦ ⇒慈観寺前を通過→ 自動車工場横の小道に入る→ 道祖神⑧ ⇒県道404号に戻り蛇行した坂を登る→
坂の途中・道路谷側の下に 道祖神⑨がある石仏置き場 ⇒大磯小磯方面or古関方面(照坂トンネル方面)の分かれ道→ 三叉路を大
磯小磯方面に進みすぐ 道路下に 道祖神⑩ ⇒大磯小磯方面に進み 分かれ道を上小磯方面へ→ 山道を登り集落入口に 道祖神⑪
 ⇒元の道に戻り大磯小磯方面へ→ 道路山側に八王子諏訪神社・斜面に道祖神⑫  ⇒大磯小磯公民館の北側へ伸びる山道 小橋
を渡る 道祖神⑬(破損) ⇒大磯小磯公民館前の三叉路に 道祖神⑭(石祠2基) ⇒来た道を戻り芝草の三叉路を古関方面へ →照坂
トンネル→ 寺(方外院)前を通過→ 山側 農道の入り口に 道祖神⑮ ⇒本栖みちに合流→ 古関集落公民館の横に 道祖神⑯


 道祖神寸見 


         
② (身延町三澤)
 双体道祖神一つの石に二神を浮き彫りにしたものが多い。しかしこの双体は丸彫り。地蔵でなく道祖神として認められるのは握手をし
ているから。道祖大神の文字碑も並立している。傍らに地元三澤第二組が立てた解説板によれば「この双体道祖神は室町時代のもの
ともいわれている」とある。「明治40年の水害で頭部が流失し丸石が乗せられた」とも。
 集落に今も伝わる道祖神祭りは毎年1月14日に行われ「25才と42歳の厄年の男性と新婚者がお神酒を上げる。かつては夜明かしで
踊った」らしい。そして結びは「男女双神は夫婦和合、子孫繁栄。道を教える神が人の道を教えるとして民間信仰として定着した思われる」。
流失した頭部は優しい眼差しで人々の祈りにこたえていたのだろう。 

③(大草ふれあいプラザ前)
 丸石の道祖神(寛政2年)。傍の石灯篭に「石尊大権現」の文字が。この地でも石尊(大山)信仰はあったことを知る。この灯篭には金比羅
大権現、秋葉大権現の文字も刻まれていた。子育て地蔵、庚申塔、二十三夜塔も祀られている。

④(下部第二分団詰所の横)
 駒形の双体で男神は笏、女神は宝珠。文字碑は明治23年造立。

⑤(身延町切房木)
 磨耗が著しく像の特徴(両神の上に御幣?)が見られない。お稲荷さんの狐(陶製)がたくさん納められていた。

⑥(龍泉寺の参道入り口)
 赤っぽい色の男女双体像で明和元年の造立。由布と大きな手が特徴。道祖神場もある。地域がしっかり護持している様子が分かる。

⑦(身延町切房木)
 岩船地蔵尊の先。赤い屋根の祠に二体祀られている。一体は男女双体像。宝剣を手にしているのは女神か。祠の軒が低いので十分に
拝観できない。ここに御幣が添えられた双体神がいらっしゃるはずだが。


         
⑧ (身延町道)
 慈観寺の近く。「子育て道祖神」で女神が子どもを抱えている。男神は笏。石祠は大正4年。 

⑨(身延町水船)
 集落から離れた夏草の繁る中に立つ男女双体神。だが世俗から離れているためだろうか表情は穏やか。惹かれる像。
⑩(身延町芝草)
 かなり埃に覆われていた。女神は体の前で子どもを抱えている。⑧の子どもと比べこちらの子は女神のあごくらいの背の高さ。大きな子で
ある。男神は笏を手にしている。

⑪(身延町大磯小磯)
 八王子諏訪神社の法面に男女双体が二体。一体は由布、他の一体は太い紐のような由布を手にしている。庚申塔や地蔵も並列。

⑫(上小磯)
 小屋の棟札には「小磯・中小磯 平成24年1月28日」とあった。カメラの角度にこだわっていたら、木祠の天井に足長蜂の大きな巣、蜂がい
っぱい。被害には遭わなくてよかった。
 
⑬(大磯小磯公民館北側)
 長さ3㍍ほどの橋を渡ると道は山中へ。雑木林を透かしてみると人家が一つ望めた。この橋のたもとに4坪ほどのモルタル塗りの小屋があっ
た。取水小屋らしいが全く使われていないようだ。その脇に上部が欠けた双体道祖神が祀られていた。菊紋の石祠道祖神も。陶製の恵比寿、
大黒、布袋像が納められている。注連縄が張り巡らされているので道祖神祭りは行われたのだろう。
 この日回った集落で家財の整理をしている(運び出している)光景に二度出遭った。過疎化は進んでいることを知った。だがどの集落でも、今
年も道祖神祭りか行われたことを示す竹と注連縄が見られた。そこに道祖神信仰の原風景を見たような気がする。

⑭(大磯小磯公民館北側)
 林道大磯小磯線の入り口に菊紋の石祠2基。

⑮(身延町古関) 
 男神は笏、女神は扇。顔の形などに男女の違いが表れている。敗戦後の混乱期の昭和25年1月14日に松葉組と馬場組による造立。村人は
何をこの双神に祈ったのだろうか。


          
⑯(身延町古関公民館横) 
 男神は笏、女神は合掌の像。家紋が付いているが判別は難しい。丸石道祖神も。
柵の外に長い歳月を経た双体道祖神が立つ。この塔は柵内の塔の祖先かもしれない。小さな賽銭箱が設けられている。道祖神場があり、そこ
にヤナギが置かれていた。ここで下部の道祖神めぐりは終りなので秦野の地酒をすべて飲んでもらった。


私たち「まほら秦野みちしるべの会」がガイドを務めます。
問い合わせは東公民館へ 82(3232)


     武勝美の「まほら秦野」を紹介する活動予定

     11月1日 
       〇東公民館祭り「まほら秦野みちしるべの会」のイラストマップ展示会
         ・ミニ講座『道祖神の嫁入り』
     11月15日
       〇南公民館事業「南地区の道祖神めぐり」
         ・ミニ講座『道祖神の婿入り』
     11月15日
       〇寺山自治会文化講演会
         ・講演『道祖神ワンダーワールド』
     12月1日
        〇東小学校PTA成人教育講座
         ・講演『地名は語る 東地区の歴史と文化』
     12月12日
       〇JAはだの組合員基礎講座
          ・講演『大山道と里人の暮らし』
     12月16日
        〇東中学校「総合の時間」の公開授業
         ・講演『秦野の民俗 ダンゴ焼きと目一つ小僧』








2014年10月3日更新

    第134話
  道祖神の里めぐり    2014年8月27日
  
長野県山形村の「山口の丸髷」の御縁想

     
     長野県・山形村の道祖神
    「山口の丸髷」
正徳
5(1715)

 道祖神の嫁入り 
   「山口の丸髷」の御縁想

 朝日村(山形村の隣り)は石材の産地で、村内に立派な道祖神がたくさんあったためだとか、豊かな良い村だったので、それにあやかるた
めに朝日村の道祖神はよく盗られたらしい。
 現在、朝日村古見芦之久保に立つ道祖神の裏面の銘文は次のように書かれている。
 ①正徳五乙未年十月卯日建立 ②寛政七卯八月六日夜 小坂村山口御縁想 ③同歳十一月十三日再建立 ④天保十三壬寅年二月七
日夜 本洗馬村上町御縁想 ⑤天保十四葵卯年四月十五日 ⑥古見村蘆野窪講中

 この碑文を読んでみると次のようになる。
 ①正徳5年10月卯の日 
 ②建立寛政7年8月6日夜 小坂村山口(現山形村)に盗られた
 ③その年11月13日に再建
 ④天保13年2月7日夜 本洗馬村上町(現塩尻市洗馬)に盗られる
 ⑤天保14年4月15日建立 古見村蘆野窪講中

 上で紹介した「山口の丸髷」の銘は「正徳5年」とあるから、「丸髷」が古見村蘆野窪のものであることが分かる。さらにその「丸髷」が盗まれ
たことが記録されている。

 古見村蘆野窪(芦之久保)の旧庄屋上條家に伝わる「永代日記書留帳」には、寛政7年の小坂村山口へ盗まれたときの様子が次のように書
かれている。祝儀の為、「卯八月六日夜、芦野久保道祖神、小坂村山口と申す処へ盗み取られ申し候。祝儀の為、酒三升ばかり石之跡に置
き申し候。」 

 十分な接待を受け 帯代が2朱
 「結納品として酒が三升道祖神跡に置かれていた」ということ。それで 「七月十九日酒を調え道祖神を祭り神明山に隠し置き候へ共、道祖
神御縁付きなど申し、山口村へ八日に三ツ目として行器一、酒二樽、肴、扇子箱、袴持参にて悦びに参り申し候。都合二十二人参り、吸物、
酒、めん類など出て、馳走これ有りその上祝儀金帯代として二朱取り申し候。」(後略)
 芦之久保の村人たちが大勢で山口村へ押しかけて行き、盛大に飲み食いし、帯代2朱を取ったのである。

 「三ツ目」とは、嫁入りの3日後に嫁の実家へ新夫婦そろって里帰りすることで、秦野地方でもかつてはあった習俗。道祖神盗みの習俗は、婚
姻と深い関係があることを示し、婚礼と全く同じことを行っていることはおもしろい。
                                       (資料:「長野県民俗の会会報」第24号「松本平の道祖神盗み」吉江真美)

 松本市 栗田製菓 モナカ『道祖神の郷(さと)』も訪ねる
 2013年1月、長野・辰野町に「日本最古」の道祖神を訪ねた折、塩尻の宿で『道祖神のさと』というモナカに出会った。
モナカの皮は男女双体道祖神の姿(肩組み握手像)。
 そして店主のご挨拶は「信濃路の古い遺の辻々にある道祖神は、昔から人々の平安な生活、豊作の願い、旅の道中安全、また縁結びや、子
孫繁栄の願いなど、さまざまな思いがこめられています。仲むつまじく寄り添う男女の神様の姿からは、人々の素朴な信仰がほのぼのと伝わっ
てきます。ふっくらとしたつぶあんの中に白いお餅を配し、祈願の実りをこめました。」とある。 
 その出会い以来、道祖神の話を聞いてもらうときにはこのモナカを紹介(賞味してもらった)してきた。
 今回の『道祖神の里めぐり』は松本市の隣りの山形村。それで松本市内の栗田製菓所にモナカ『道祖神のさと』を訪ねた。社員の皆さんとても
驚き、喜んでくださった。ちなみに、手土産は『秦野煙草せんべい』。

                            
                             モナカ『道祖神のさと』



2014年9月6日更新

    第133話
 道祖神の里めぐり    2014年8月26日
 
  甲府市古関町→ 甲府市右左口町→ 甲府市上向山町長野・信濃町


 1 文字碑・双体・石祠・丸石道祖神  (甲府市古関町)
 国道358号線の道路脇に立つ文字碑道祖神。堂々とした新しい台座に乗る文字碑。なぜがその足下にネギが一畝。隣に立つ電柱に
は甲府市役所上九一色出張所の案内板が。そう、ここは旧上九一色村だ。
 この碑の横の坂道を20メートルほど登ったら双体、石祠、丸石の三基の道祖神に出会えた。双体は僧形合掌像。ふくよかな造りでや
さしい表情がうかがえた。大乗妙典一字一石供養塔、不動明王、庚申塔、地蔵菩薩と共に祀られている。それらの神仏のすべてに「福
まんじゅう」が供えられている。通りかかった青年に話を聞くと、24日に道祖神祭りが行われ、祭りに参加した人にこの福まんじゅうが配
られたとか。秦野と違い、山梨や長野では6月から8月にかけて道祖神祭りを行うところもある。豊作祈願や暑気払いの祭りらしい。

                           


 2 丸石道祖神  (甲府市右左口町・旧中道町)
難読地名でも知られている「右左口」。「うばぐち」と読むのは難しい。山梨県甲府市と静岡県吉原宿を結んだのが中道(なかみち)往還。訪
ねた集落は右左口宿と呼ばれ、古い宿場の風情を残す間口4間の家が今も点在する。歌人山崎方代の故郷である。
 ① 下宿の道祖神 自然石の丸石一個の道祖神。左下の甲子塔に「左 市川」の文字があるが、道祖神と灯籠との間にある四角い石が元
の道標で「右 甲府 左 市川」と刻まれている。
 ② 中宿の道祖神 7個の丸石(自然石)円形に積み重ねられている。
 ③ 上宿の道祖神 円楽寺の山門の左。自然石の丸石10個。
 
      
 

 3 右左口は山崎方代の故郷
 大正3年、右左口村(現右左口町→)で8人兄弟の末っ子として生まれた。「方代」という名前は五人の子どもを亡くした両親が「生き放題、死
に放題」にちなんで名付けたといわれている。
太平洋戦争で右眼を失明、左眼の視力もわずかに。街頭で靴の修理などをしながら各地を旅したことから、「漂泊の歌人」と呼ばれるようにな
る。亡くなって20年以上経ってから高校の国語の教科書や映画で取り上げられるなどして注目を集め、今も多くのファン(私もその一人)を持っ
ている。菩提寺は円楽寺(右左口町)。寺の隣が生誕の地。
      
                       生誕の地に立つ「方代」自筆の歌碑

                    
         ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村   方代


4 丸石道祖神  (甲府市上向山町)
 常光寺への道の入り口は中道公民館向山分館の横。その公民館の横にまだ新しい丸石(加工)道祖神があった。傍らに青面金剛の庚申塔、秋
葉大権現の石と灯篭。  
 道祖神の注連縄が比較的新しいし、カップ酒が供えられている。それで「道祖神祭りが行われたのか」と道祖神の真横の家の人(若いお母さんだ
った)に聞いた。すると「夏祭りは行っていない。お酒は近所の人が供えているらしい。絶えることはない」と笑顔。
 ドンド焼きはそこの道祖神場で行われ、お坊さんがお経を上げ、主役は大人で、子供たちにお菓子が配られるとのこと。
注連縄が新しくなっていることは、かつては夏に道祖神祭りが行われたことを表しているのではないか。「いつも誰かがお神酒を供えている」と聞き、
この地に住む人たちの暮らしの中に道祖神信仰は息づいていると思った。

                     


5 男女双体道祖神 (長野県・信濃町) 

                               
             着物、ぞうり履きからすれば農家の若い夫婦か。女性は胸に赤ちゃんを抱いている。


6 小林一茶旧宅 
 (長野県・信濃町柏原)
 一茶記念館に着いたのは3時を過ぎてから。俳諧寺、一茶の墓、そして小林一茶旧宅(国史跡・終焉の地)を回る。
時おり小雨にみまわれたこの日だったが、記念館を出ると黒姫山と妙高山が姿を見せてくれた。「あの左に飯縄山があるのですが残念ですね」と地
元の人が言った。
 一茶はこの地柏原に1763(宝暦13)年に生まれた。5歳で江戸に出て50歳で帰郷し、52歳で結婚。4人の子供に恵まれたが次々に亡くなり妻にも先
立たれた。宿場の大火により家は類焼し、焼け残った土蔵(下)で65歳の生涯を閉じた。
                           


2014年8月9日更新

    第132話

  秦野のお盆の「ツジ」は
 下伊那地方では「砂山」呼ばれている


  「まほら秦野みちしるべの会」会員・関裕子さんのお父さんの実家は長野県下伊那郡。その裕子さんが「小さいころ父の実家にお盆
で行ったとき、庭に砂の山が造られていたのを見た記憶がある」と話してくれた。「秦野のお盆の風習『ツジ』とつながりがあるのでしょう
か」と、関心を示したので調べてみた。 ブログに次のような事例が報告されている(ブログ名:Cosmos Factory)

 長野県上伊那郡中川村(武注:中川村は「日本で最も美しい村連合」に加盟)
 「新盆の家では百八束のたいまつをこしらえ、十三日の晩に縁者が集まり、墓地の所で火をつけてふる。近頃は庭に新砂を盛り、
線香を立てこれに代える」。(『上伊那誌民俗篇上』) (ブログ:Cosmos Factory)

 「近頃は庭に新砂を盛り、線香を立てこれに代える」。上伊那地方では、たいまつでお精霊さんを迎えるのだが、その代わ
りに砂山を作り線香を手向けご先祖様を迎えるように変わったようだ。(武
)


 長野県上伊那郡飯島町(武注:飯島町は「二つのアルプスが見えるまち」と町を誇っている)
 上伊那南部あたりの新盆見舞いについて『飯島町誌』には次のような記述がある。
  「門口へは、長方形に砂を盛り上げて、来た人々に線香を立ててもらう。朝起きてみると、この砂の上に仏様の足跡があると言われ
た」。 新盆に限らず仏迎えの作法として砂山に線香を立てて迎えるということをした。新盆も同様であり、見舞いに来られた方たちにも
仏迎えをしてもらうという考えなのだろう。

 

 長野県下伊那郡松川町
 下伊那郡境にあたる松川町の『松川町の年中行事』に次のような記述がある。
 「庭先に砂を盛ったり、浅い、たて30cm横50cm位の木の箱に砂を山に盛って線香を立てを作る。線香を立てるかわりにローソクを百本
(または百八本)立てるようにする家もある」。砂山に線香を立てて迎える家もあれば百八の蝋燭を立てる家もあるということで、このあたり
には両者が混在しているようだ。


 長野県佐久市
 『長野県史民俗編総説Ⅰ』には、「東信の南佐久の中部では門口でわら束を燃し土盛りをして線香をたくさん立てる所がある。佐久市
大地堂では、盆棚へ迎えられない子供の霊に供えるためにするのだと説明している。このとき、門口と同じように便所の入り口にも土盛
りをして線香をたくさん立てる」とある。砂山ではないが、土盛りをする事例が佐久地域にはある。

 上に挙げた地方での「砂山」の姿は残念ながらネットでは確認できない。「砂山」の趣旨と同じと考えられる秦野の『ツジ』
や神奈川で広く行われている「砂盛り」は、ネット上にかなりアップされているが。(武)



 長野県下伊那郡根羽村のお盆  (関裕子さんの思い出と裕子さんが聞き出した94歳のおばさんの話)
 お盆にふるさとに帰ってきたご先祖(お精霊様)は16日に帰られる。根羽村では16日午前0時に家族全員がそろって近所を流れる川に
行き、灯明を点け、お線香を焚き、お盆に飾ったものをすべて「川に流す」。橋の上から「投げ込む」。これは今も行われている。  
 近所の人もそこに集まってお精霊さんを送るのでにぎやか。お盆に実家に帰ってきた村の人たちが一年間無事であったことを互いに喜
び合う、そんな光景が見られて、眠い中を起こされ連れて行かれたこのこのお精霊送りには強い印象がある。
「松明」についてはこんなことも行われている。
13日の夕方、家族がお墓に行き、松明をつけ、その灯りで家までご先祖様を連れてくる。縄松明なので、子供がその火のついた縄を振り
廻しながら家に向かう。16日の夕方、お墓に行き松明を灯し、ご先祖様が無事に帰り着かれたかを確かめる。


 秦野の「瓜生野百八松明」も松明を振り回す
  秦野の大根・瓜生野地区にも瓜生野百八松明(うりゅうのひゃくはったい)というお盆の民俗がある。
 五穀豊穣・悪疫退散を祈願して、毎年8月14日、弘法山の麓の瓜生野地区で数百年も行われていると伝えられている行事。長
さ2m~3mの松明約50本が、権現山山頂から龍法寺門前まで地元の人々に担いで運ばれ、門前で松明を振り回す。
(武)





2014年7月1日更新

    第131話

  近世の主要道・平塚道を歩く



 近世の主要道・平塚道を歩く                                                 2014/6/8
    秦野市曽屋「誂」から「中野」 そして「斉ケ分」へ

 6月8日は「まほらの会」の月例の学習会。懇意にしている地元「誂」の関口康彦さんに案内を頼み古道の実地踏査。参加した会員は10
名。 この日は、波多野庄の主要道路であった「平塚道(波多野道とも)」が集落内を通っている中野地区を歩いた。
 平塚道のコースは、波多野庄(十日市場・曽屋)― 宝来橋(今は「蓬莱橋」) ― 中野 ―斉ケ分の尾根 ― どう坂(うとう坂)― 鳥居松 ―
宿矢名 ― 五味坂 ― 北金目 ― 南金目 ― 平塚である。

 金目観音詣での道
 蓬莱橋を渡り、左を流れる金目川に沿って50㍍ほど歩くと中野自治会館。そこで大きく右に曲がる坂道を200㍍ほど進むと左手に大谷
石の塀に囲まれた背の高い石碑が目に入る。碑の立つ敷地は2坪くらいか。その敷地を回り込むようにして左に進む道は日蓮宗・法光山
長源寺につながる。
 碑は長源寺への案内板のようで、「南無妙法蓮華経」七字の題目塔。ひげ文字で書かれていて宝暦12(1762)年造立。ちなみに、日蓮宗
は日蓮が佐渡で書いた「ひげ文字」の「南無妙法蓮華経」を本尊としている、とされる。
 並んで立つのは三界萬霊塔。正面には「○三界萬霊等 宝永7年寅十一月」とある。平塚道の道標も兼ねていて「やなむらかんおんミち」
の文字も読み取ることができる。「萬霊等」の「等」は誤字ではないかと思ったが、「萬霊等」も「萬霊塔」も存在しているようだ。造立は1710
年。
 「○」も気になるので調べてみた。日蓮宗には「日の丸曼荼羅」といわれるものがあり、その曼荼羅を簡略化したものとして「○」が用いら
れているようだ。
 この辻には「関東ふれあいの道」の道標(木製)も立っていて「弘法山1,7km」とある。名古木で矢倉沢往還から分かれた道は、弘法山と
権現山の中腹を通り金目観音(金目山光明寺)に続く通称「かない道(金目道)」で、この先の斉ケ分の丘陵部で平塚道に合流する。

 道祖神さんのご利益
 二つの塔を背にし、身の丈30㌢ほどの小さな文字道祖神が祀られていた。正面中央に「道祖神」と記され、右は「十四日」、左は「中町」
と読めた。「ここは中野だから中町の『町』は『野』ではないか」と文字の解読でかまびすしい私たちに、近くで庭木を手入れしていた瀧川さ
んが「中町でいいんだよ」と断。そしてこの道祖神にまつわる興味深い話をしてくれた。
 それに拠れば、昭和37,8年のころ、この地区では大掛かりな道路拡張の工事が行われた。その時この地に在った道祖神が基礎の石と
して埋められてしまった。身の丈は現在の塔の3倍ほどのものだったらしい。ところが、消えた道祖神の近くの家々に病気や怪我が絶え間
なく起こるようになった。それで「ある家のおばあさんが、20年くらい前にこの道祖神を元の所に建てられたんだ。それ以降この地区では災
難や病気は減った」と瀧川さん。
 瀧川さんにお礼を言い、さらに300メールほど東に進むと馬頭観音が祀られていた。五輪の塔の「空」と「風」も置かれていた。そこから斉
ケ分の熊野神社に降りてこの日のウオークは終わる。


中野ウオーク余話  地名「誂」の語源

 今回歩いた中野地区の東隣りは小字名「斉ケ分」、そして南側で接しているのは「誂・アツラエ」。この「誂」地区は、室川橋から斉ケ分ま
で金目川沿いの左岸にうなぎの寝床のように細長く広がっている。「誂」は珍しい地名なのでその由来を少し探ってみた。

1 「誂・アツラエ」は地名用語「アテラ」の転訛か
 山形市と大江町左沢をつなぐJR東日本の『フルーツライン左沢線』。この「左沢」は「アテラザワ」と読まれている。「こちら」が右で、「あち
ら」が左。「あちら」が地元の人の発音で「アテラ」。秦野のこの地区も、初めは「あてら」と呼ばれていたが、発音が秦野人には馴染まない。
また「あてら」の意味も不明だったのだろう。それで瑞祥名として「あつらえ」に転訛し、漢字「誂」を与えた。
 なぜ「こちら=右側」で、「あちら=左側」なのか
 江戸時代の「出羽国風土略記(でわのくにふうどりゃっき)」には最上川を基準にして「あちらの沢」「こちらの沢」と言ったことから「あちら
の沢」=「あてらざわ」になったという説があります。それではなぜ「こちら=右側」で、「あちら=左側」で定着したのでしょうか。寒河江荘
の領主大江氏が長岡山に登って西の方を見たときに平野山の左方に見える山谷を指して「あちの沢」と呼んだことが起こりだとする説や、
大江町富沢の西にある山岳信仰の山である日光山で、東から昇る太陽を礼拝した時に左に見える沢を「あてらざわ」呼んだとする説があ
ります。(大江町観光物産協会のHPより)
 秦野の「誂」と大江町の「左沢」
 なぜ私が秦野の地名「誂」を山形・大江町の「左沢」に結びつけたのかを問われれば―
 同僚にTさんがいた。彼は左沢線が通る寒河江市の出身だった。その彼が金目川を挟んで広がる中野・斉ケ分・「誂」地区の景色が「左
沢に似ている」と言ったことを思い出したからである。Tさんが現役の教員でこの世を去ってから20数年が経つ。彼がくれた「肘折こけし」を
見るたび、彼との教員生活の苦楽を思い出す。

2 地名用語辞典に拠ると「あてら」は
 ① 山の北または西に当たるところ。日の当たらないところ。
 秦野の「誂」地区は、十日市場(現在の本町地区)から見れば金目川の左に広がる地。今は開けて日は当たるが、昔は弘法山、権現山
 など 北側に山並みを背負った地。
 ② 「あてら」の語源は「あちら」
 十日市場から見れば「誂」地区は離れているから「あちら」。

3 民俗学の柳田國男先生の説
 先生は、「地名用語『誂』は開墾予定地だが比較的遅く開かれた地」と説く。

4 地名付会説
 地元に伝わる地名「誂」の起源は。北条氏直は、親族で内輪もめしたときの張本人二人を斉ケ分の熊野神社の奥の院に幽閉した。その
見張り役の家臣たちが食料など生活用品を誂え(アツラエ)たところ(注文したところ)が才かケ分にあり、そこが「誂」という地名になった。





2014年6月1日更新

    第130話

   上大槻村今昔

        2014年4月21日・上大槻会館で監物さん、上村さん、上村さん、佐藤さん、安田さんから採録

上大槻地区(村)の屋号
 職業 飛脚屋(飛脚人夫を雇っていた) 車屋(水車) 油屋 畳屋 下駄屋 お師匠はん(裁縫の先生) 酢屋(醸造酒屋) 豆腐屋 鍛冶屋 
鳥屋(卵屋・闘鶏も) 中居(名主の家) カジヤ(村の舵取り・旧家) 松葉(お茶の先生・お茶会のお礼の包みには「松葉」と書く) 
建物 新家 町家(都会風の家・二階家で瓦葺きの屋根) 長屋 
 地形・位置 ケードー(街道・海道・開戸) 新道(シンミチ) 新道(シンドウ)  辻 北 東 下 入り 川端 薮 カンダ(乾いた田・麦畑)  

戦前の菅原神社の天神祭り
 1月24日は裸参り。1月25日は曽屋小学校と高等科、大秦野女学校の生徒が先ず参拝し、それから一般の人たちの参拝になった。

上大槻自治会の再スタート
 50年ほど前、ある選挙で上大槻地区は真っ二つ割れてしまった。地区に二つの自治会が生まれ、昨日までの隣組は解散になり、回覧
板を廻すのに車を使わなければいけないような変則な事態も発生。
 2011年の東日本大震災から得た教訓により、2012年に二つの自治会はそれぞれ話し合いを深め、統合を決めた。
2013年、統合された上大槻自治会は、新しい隣組を編成するなど一年間の“慣らし運転”に入った。そして2014年4月から新しい組織で自
治会の活動が始まった。
50年という長い歳月の中で自治会の役員はもとより、会員の努力が新しいまちづくりを始めたことは喜ばしいことだ。


武勝美の地名考

地名「上大槻」
 「古村内天神社地に槻の大樹二株あり、これより郷村の名起これり」と『風土記稿』にある。
その『風土記稿』に収められている地図(正保年代1688年~1648年)には、オオツキは「上大月」「下大月」と記されている。
そして元禄年間(1688~1704)の地図は「上大月村」「下大月村」と表記している。さらに下って『風土記稿』が編まれた時代(1830年代)の
「今考定図」で、「上大槻村」「下大槻村」が出現する。
 
上大槻の読み方
 地元の人を含め、秦野に住む年配者は「上大槻」を「カミオオヅキ」と発音している。
苗字の「山田」は「ヤマタ」より「ヤマダ」、「小川」姓が「オカワ」よりも「オガワ」と名乗る人が圧倒的に多い。これは発音しやすさに起因し
ている。「カミオオツキ」よりも「カミオオヅキ」のほうが柔らかで滑らかな音声になる。
 弘法山の洪鐘は享和元年(1801年)に鋳造されたが、その鐘に「上大ツキ村」「下大ツキムラ」からの寄進者名がある。上下槻村、上大
月村の文字も見える。(『はだの弘法洪鐘』石井俊雄著)

「大月」は「大築」
 地元の人がオオヅキと称しているオオツキは「大築」で、水防工事・堤防を築いた記念の地名と『中郡勢誌』は書いている。山梨県の地
名「大月」は笛吹川の築堤を表していると言われている。
 上大槻は室川、水無川、金目川の三川が合流するところで水害に見舞われたようだ。その対策に上大槻の人たちは「百間堤」と呼ば
れる高さ五尺の長い堤を築いた。このことは『風土記稿』にも書かれている。地名「大槻」は「大築」に依るのではないか。




2014年4月3日更新

    第129話

 大山道道標の不動明王像の復元


 90年を経て復元 大山道道標の不動明王像  堀山下地区の有志の手で

 市内堀山下(文化会館の向かい・バス停「日立南」)に立つ大山道の道標は、かつては堀山下15番地付近の三叉路に在った。この道標の造立者は堀山下村で寛延4(1751)年で塔上には不動明王像が祀られていた。だが大正12(1923)年の関東大震災で倒壊。その後明王像は行方不明になった。
その不動明王像を復元しようという活動が堀山下自治会と「一味ちがう郷づくりの会」で進められてきた。そして、3月29日午後1時半から現地でその不動明王像復元落慶式が行われた。この像復元には、私も少しだが関わってきた。
 2011年堀山下自治会の文化講演会に招かれ「大山道と里人の暮らし」を話した。それがきっかけとなり、この度の復元になった。式の後、記念講演として「富士道を歩く」と題し富士道の道標の紹介をした。

 大山道道標碑文
 (正面)大山道  施主 堀山下村
 (左)ふしみち (右)そんふつみち 
 (裏)相之秦堀山下邑者大孫富之三路分於斯之地矣嗟行人錯歩而受農夫欺多也里人憂是而建碑以便旅客為是南針北斗者呼
 所在地(交通案内)  バス 渋沢駅発 桜土手経由秦野行(秦野発 桜土手経由渋沢行もある) 「日立南」下車

                      




 

2014年2月1日更新


 道祖神の嫁入り
                               
 安曇野市の穂高神社の北参道脇に「塩の道道祖神」が十塔祀られている。「塩の道」と呼ばれている千国街道沿いの村里は過疎化が進み、
道祖神祭りも出来なくなった。それで、村の各地の道祖神は集められ、由緒あるこの地に再度祀られたのだった。その十塔の中でもっとも神社
寄りに立つ男女双体道祖神。造立年は不明だが背面に「帯代三十圓」と刻まれている。                                
 安曇野の本郷地区に立つ彩色の道祖神は、冠雪した常念岳を背にしていた。その道祖神の隣に祀られている恵比寿天は慶応四年(1868年)
の造立で、背面に「帯代拾五両」の大きな文字を読み取ることができた。長野・辰野町沢底の男女双体像にも「帯代拾両」と記されているものが
ある。 
 江戸時代には「道祖神盗み」が、村の若者によって行われたそうである。「帯代」とは「この道祖神を盗っていく者はご祝儀として記してある金額
を置いていけ」という意味で「帯代」とは結納金である。そして「帯代」は盗難防止的な意味で、高額を記載したらしい。
道祖神を盗るわけは、繁栄している村の道祖神を自分の村に招く(勧請)ことで、その繁栄にあやかるために行われた。また、「オラホーより立派な
物だから」という美意識のなせる業であったかもしれない。
 本郷地区の郷倉跡地に祀られている彩色の道祖神(天保4・1833年)も、一度は盗られたとのこと。高さ150㌢はあろうかという自然石のこの道
祖神を運ぶことは大変なこと。ガイドの川崎さんの説明では「運ぶのは雪の季節。そりを使って盗っていった」らしい。倉渕を案内してもらった市川
先生は「倉渕では、盗った道祖神の跡に結納品一式を置いていった、という話もある」と話された。
 盗った道祖神を自分の集落に立ててしまうと、公認される。それで「道祖神の嫁入り」になる。裏で両村の長老たちが話し合い、うまく収めたよう
だ。「帯代」を積まない村が天罰を食らうのは必然だからである。いずれにしても、道祖神の持つ力が必要、という願いがなせる「いたずら」(?)であ
る。
 ところで、倉渕では平成三年に盗難に遭った男女双体像は未だ発見されていない。帯代も届かないらしい。富士宮市の精進川で出会った道祖神
には傍らに記念碑があり「昭和36年(1961)年に盗難に遭い 昭和47(1972)年、清水市某所で発見。買い戻した」と書かれていた。安曇野の道
祖神は「嫁入り」を嫌って木の祠と柵で護られている。 

 

2014年1月1日更新

「道祖神と湧水めぐり」のご案内
 秦野市南地区 道祖神と湧水めぐり (ウオークとミニ講座)
            主催・秦野市立南公民館  協力・まほら秦野みちしるべの会

      日 時  平成26年1月8日(水)9時30分~15時
          ミニ講座「道祖神ワンダーワールド」 講 師  武 勝美
            内容 ・道祖神像の形体  双体道祖神だけでなくさまざまな形体の道祖神を紹介します。
               ・紙芝居上演「目ひとつ小僧」  秦野地方に伝わる道祖神と目ひとつ小僧の話。

          問合せは南公民館へ(0463-81-3001)


 武勝美の道祖神めぐり NO6
                   山梨県 北杜市小淵沢・須玉・高根地区    2013年12月8・9日

 道祖神の分布図(道祖神信仰)を見ると、長野、群馬、静岡、山梨、神奈川など本州中央の山岳地帯周辺に集中している。これらの県
の中で、山梨の道祖神は原始的信仰を思わせる丸石、石棒・陽石を道祖神としているところに特徴がある。そして石祠道祖神も山梨特
有の道祖神である。今回の「道祖神めぐり」は山梨県の北部、長野に隣接する北杜市を選んだ。北杜市には長野の道祖神の影響を受け
たと思われる男女双体道祖神が比較的多く見られるからである。
  
1諏訪神社境内 (北杜市小淵沢町岩窪)
 石祠道祖神 二基いずれも祠内に男女双体像が祀られている。一つは二神で甕を抱えている。もう一方は握手像。
  

     


2大宮神社境内 (北杜市小淵沢町本町)
 石祠道祖神 神社裏にある二基は入母屋風。側面は唐様破風造りで彫刻がすばらしい。祠内には双体らしき像が見えた。この日は地域
の清掃作業の日だった。境内を掃いている地元の年配の方と言葉を交わしたが道祖神についての反応ははかばかしくなかった。

     
 下津金の石祠(この稿の6参照)と並び賞
せられる
 側面には三方、瓶子、御幣の彫り物 ほとんど同じ形 彫刻の完成度などを含め甲乙付けがたい 


3皇大神宮 (北杜市小淵沢町宮久保)  
 石祠道祖神 台石正面に珍しい「魚の口づけ」の彫り物がある。私には初見である。石祠の中に祀られているのは瓶子と盃の丸彫りの祝言像。
         


4八幡神社 (北杜市小淵沢町高野)  
 文字碑道祖神 神社右裏手に縦80㌢ 横67㌢ の道祖神の文字碑がある。篆書体で刻まれているが「道祖神」の文字は男女の性器を表している。
「神」の文字の下に穴があるので覗いてみると下部は空洞。女性の体内を意味しているらしい。傍に双体と単体の道祖神もある。                               

 
 

5北野天神社 (北杜市小淵沢町久保) 
 双体道祖神 神社裏手に露座の双体道祖神や石祠など十数基が祭られている。たぶん町内から集められたのだろう。その中の6塔の双体道祖
神はその形がそれぞれ異なっていて、双体道祖神像の変遷・進展を見ることができる。特に興味深いのは、①膝下を見せている男女双体像で今ま
でに 対面したことがない。②の像は摩滅が激しいので読解は難しかったが元禄三年(1690年)と読めるようだ。少し幼稚だがその作風は年代的に当
てはまる像である。駒形の衣冠束帯の神官像が2塔。その1塔はレリーフのようで鮮明に見ることができる。羽織を羽織った商家の夫婦のような双体
に道祖神信仰の身近さを感じた。瓶子を手にする像と笏(しゃく)を持つ像がすべてで、長野や群馬の道祖神のような姿態は見られない。足が見える
のも特徴。 

 
 ①裾をはしょったような姿  ②男神は笏 女神は宝珠か 駒形神官像
   
  駒形神官像     女神は合掌だろうか   祝言(酒器)像


 石祠道祖神 祠の両の扉に、三方に御幣を三本挿した瓶子を乗せた彫り物の石祠があった。石祠の正面上部に日本の大根が交叉している「違い大
根」が彫られている、「違い大根」は男女交合のシンボル。その歓喜の姿を表しているのが歓喜自在天。日本では聖天さんがこれにあたる。祈れば病気
は退散し、夫婦は和合し、子宝に恵まれる、という。道祖神が子宝の神であることを示している。祠の中の男女双体像は線刻のように見える。歓喜像で
はないが笑である。   

 


6石祠道祖神 (北杜市須玉町下津金の路傍)
 石祠道祖神「これほど立派な石祠道祖神は他にはない」(山梨の道祖神全体を調査された中沢厚さんの言葉)。高さ1,5㍍ 台石から測れば2㍍を越える。
正面は二重の破風の流れ造りで双鶴が舞う。懸魚、妻飾りなどすべて見事な彫り物。祠内には丸石と石棒。祠の前に丸石道祖神も祀られている。正面に
『道祖神』が掲額。
 近所の年配の方に話しかけたが、この石祠が道祖神の研究者や好事家にとって「価値のあるもの」であることに興味を示されなかった。「正月に注連縄を
張り神主さんが祝詞をあげる」、「ドンド焼きは行わなくなった」とのこと。手前には丸石道祖神も 。 祠の中には丸石や石棒が。

     


 海岸寺(北杜市須玉町上津金)
 西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音の合計100体の石造観音を見ることができる。100体観音は信州高遠の石工・守屋貞治の作。
  高遠の石工が道祖神を彫ることになったことに守屋は影響を与えていると説く人もいる。大宮神社の石祠道祖神は守屋の作と言われている。

7丸石・文字碑道祖神 (北杜市高根町箕輪・海道集会所横)
 丸石道祖神の台石に「衜祖神」と刻まれている。嘉永2(1849)年造立。「衜」は音読みで「ドウ」「トウ」で訓読みは「みち」。農蚕大神の碑が背後に立つ。
 北杜市でも行く先々で「動かなければ出会えない」と、出会った人や道祖神の近所の家人に道祖神祭りのことを聞いた。海道では道祖神の道向かい
にお住まいの小林敬民さんに道祖神祭りの話を聞くことができた。以下は小林さんのお話。

◇高根町海道の道祖神祭りについて
 この海道地区は40軒ほどの集落。1月14日の午後6時、セーネン(青年)4人がオオカリヤ(御仮屋)を担ぎ結婚・新築・出産・入学など祝い事あった家と厄
年の人のいる家庭を回る。オオカリヤが訪ねてきた家では酒を振舞い祝儀を出す。接待を受けだセーネンたちは、庭でオオカリヤをひねりながら三回
廻し最後に「オイワイモース」と高く差し上げる。午後8時に御田でオオカリヤを焼く。これを「ドンドン焼き」と言っている。今は若者がいないので消防団が
担いで地区を回る。
 藁で作るオオカリヤは円錐形、高さは2㍍を超える。オオカリヤは以前はセーネンが作ったのだが今は自治会で作る。オオカリヤに付けられる角(ツノ)
も藁製だが、伝統的なものなので長老が作っている。一年に二組作るので来年のものは今年のものは作ってある。
 昔は若い衆が13日に当家(その年の当番の家)に集まり夜明かし。酒を飲み、花札で遊んだりした。新人が若い衆の仲間入りをするための行事。当家
で朝6時に食事。この食事に地区内の小学生は全部招かれ、若い衆と一緒に食べる。食事か終わると若い衆は藁でオオカリヤを作る。

◇「道祖神の火事見舞い」という行事について
 オオカリヤを燃やすドンドン焼きは「道祖神さんの家が火事になる」ということ。道祖神さんが自分の家を燃やし、海道地区にはこの一年火事が出ないよ
うにしてくれる。だから、そのお礼に2月8日(この日は「事終い」の日)に、海道の家々は藁馬に餅や米を背負わせ道祖神さんに持っていく、これが「道祖神
の火事見舞い」という行事。でも今はやっていない。30 年くらい前からやらなくなった。
 地区の「お日待ち(今は月に一度の自治会の集会日)」は毎月18日だが、2月だけは「道祖神の火事見舞い」にあわせ8日に行う。地区の人が集まってお
神酒を飲むだけになってしまったけど。海道のオオカリヤは山梨県立博物館に展示されているはず。私が責任者で作ったオオカリヤ。ぜひ見てほしい。

 偶然だが、私は今年1月山梨県立博物館で小林さんたちが作った海道地区のオオカリヤを見ている。今回の道祖神めぐりも「動かなければ出会えない」
であった。

 

                                    



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