-ECHO-  最新号(創刊1985年5月20日)
動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない

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NO371
     2018年7月10日 発行

                     七夕人形  長野県松本市 

               
                 江戸時代に松本城下で生まれた七夕人形。厄払いとして七夕の日、軒
               に飾られた。 彩色の男女双体道祖神に影響を与えたといわれている。
                         50年くらい前に入手。


              

 この秋に上梓 『道祖神の里めぐり』 
              『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』

 「道祖神の里めぐり」を再開したのは2016年8月29日、長野県の諏訪盆地と松本盆地からでした。
そして気がつけば安房、上総、駿豆、上州路、信州の佐久平や伊那谷、越後長岡、上州の安中、下
野は鹿沼にと足を運び、めぐった里は44。その足跡をこのたび『道祖神の里めぐり』としてまとめるこ
とにいたしました。
 『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』を上梓したのは二年前の6月、皆さんから励ましやご指導の
言葉をたくさんいただきました。そして〈続編〉を期待されるありがたい声も届きました。
 本書『道祖神の里めぐり』では「目一つ小僧」が預けた帳面を手にする単体坐像(伊豆市)、丸彫りの
杖持ち双体像(酒々井町)、裃を着けた双体像(長岡市)、片手拝み双体像(佐久市)、烏天狗道祖神
(町田市)など珍しい形態の道祖神も紹介いたします。
 刊行は今秋(10月)の予定です。ご期待ください。






NO370
     2018年6月20日 発行

 
『エコー』 五月二十日で創刊34周年


 65歳の教え子たちの同窓会に招かれた。その会で次のような挨拶をした。
「きょう五月二十日は私の教育個人紙『エコー』の創刊34周年の日。くしくも、その日が皆さんの同窓会
と重なったので350号を発行しようとずっと頑張ったのですが、持ってこられませんでした。瀬戸内寂聴
さんが今朝の新聞に『書くことは命を削ること』と書いていました。
 ありふれた言葉を書き連ねているだけの『エコー』が恥ずかしいです。仏教の世界では、観音菩薩は
三十三の異なった姿に変身し、衆生を救ってくれると言われています。33年を経過した『エコー』(私の
言動)が観音様のご慈悲で救済されることをただただ願つている私です」。

 《四カク》に生きる
 十年くらい前に読んだ《リタイアした者の生活心得》という投稿の内容を今も記憶している。表題は「こ
れからは三カクで生きる」。その〈三カクな生き方〉とは次のようだった。
 「三カク」の一つ目の「カク」は「汗をかく」の〈カク〉。健康維持のためにスポーツや野菜作りで汗を流す。
次の「カク」は「恥をかく」の〈カク〉。「年寄りの冷や水」と笑われようとも、なにか新しいことに挑戦しよう。
興味・関心が持てたら動こう。若い人に教えを乞おう。失敗は恥ずかしいことではない。堂々と恥をかこ
う。最後の「カク」は「義理を欠く」の〈カク〉。年金生活に入ったのだから、不祝儀などでの不義理はとき
には許してもらおう。
 この〈三カク〉に私はもう一つの「カク」を加え、「四カク」な生き方をすることを心がけている。私の四つ
目の「カク」は「字を書く」「文を書く」の〈カク〉。老齢から来る〈文字忘れ〉は日常生活のなかで如実に現
れている。文字を書くことは認知症予防になる。人は「言葉で考えて書く」。現実には文を綴るのは苦行。
だが『エコー』の発行に執着する。日記も書き続けている。「漢字ナンクロ」は好きだなあ。
 何はともあれ「△より□のほうが○に近い」から。


2018年4月25日
「道祖神の里めぐり」 
栃木県鹿沼市 ヤマビルの “熱烈歓迎

 栃木県での石造道祖神の造立はあまり多くないが、鹿沼市粕尾地区に立つ素朴で稚拙な技法で刻ま
れた双体像には独特な温かみが漂う。それはこの地の人たちおおらかな愛の讃歌とも言えるだろう。
 粕尾地区の双体道祖神は、足尾に向かう県道15号線(粕尾川沿い)沿いに8基が祀られている。
だが今回の「道祖神の里めぐり・粕尾」は3基で終わった。その理由は道祖神が道路脇ではなく山中や
崖の上など容易に近づけない所にあるということ。そして「ヤマビル」の“熱烈歓迎”に遭遇。特に半縄
の抱擁像に会いに行ったときは、カメラを持つ手、靴の中、雨合羽に10数匹取りつかれた。それで、私
らしくはないが《撤収》を決断。だが、粕尾の双体道祖神の代表的な握手像、祝儀像、抱擁像に接する
ことができたことは大きな収穫。
 過去の「里めぐり」でも道路脇の草叢の中に塔碑を見ることはあった。だが粕尾の場合は、全基が道
路からは見えない山中に祀られている。半縄の抱擁道祖神を「歓喜天」と呼ぶこの地区の人たちにとっ
て道祖神は《秘仏》なのだろう。
 「鹿沼市まちの駅」から届いた資料に添えられた手紙に「地図の道祖神すべてを巡るのは難しいそう
です。(人が踏み込めない状況のため)」とあった。

            
                半縄の抱擁道祖神


NO369
   2018年4月1日 発行

 三月十一日で東日本大震災から七年が経った

 朝日俳壇年金賞
 福島へもどれぬひとと雁供養   根岸 浩一
 【雁風呂・雁供養】俳句歳時記(春)
 青森県外ガ浜付近では、暮春のころ、海岸に落ち散らばった木片を拾って風呂を立て、人々に入浴させ
る風習がある。これは秋に渡って来る雁が、海上で翼を休めるためにくわえて来て、ここに来て捨てておき、
翌春、北方へ帰るときに再びその木片をくわえて行くのだが、人に捕らわれ、または冬の間に死ぬ雁が多
いために、木片が沢山残るので、里人が哀れんで、雁を供養する心で風呂を立てるのだという。伝説にも
とづいたもの。

カタカナの「フクシマ
                                             早川 幸雄
「フクシマ」とカタカナでその存在を知らしめたのは七年前のマグニチュード9.0  「東北地方太平洋沖地震」
です。大きな揺れと間もなく来るであろう津波に「どうしよう」とおろおろするだけの住民に、23キロ先の原発
にあろうことか次々と不具合が生じたのでした。何の手立てもなく20キロ圏内の住民は避難。次いで私の生
家(22キロ)付近も「立ち去るように」と市当局から呼びかけられました。
 地震で家は傷み、津波を怖れているのに、漏れた放射能の追い討ち。福島第一原発があるので南下は
できない、避難するのは西か北です。移動するのにはガソリン、我慢して留まるなら水と食料、いずれにせ
よ容易には手に入らず、運よく脱出できた人以外は市が仕立てたバスで、新潟、群馬、栃木、山形などへ
避難したのです。小さい子のいる家庭は、さらに悩み全国各地に散りました。
 災害住宅が完成し、いざ入居となって行政を悩ませているのは高齢化。単身もしくは老夫婦での入居が
多いので、その暮らしのありようは想像を超えています。エレベーター、集会所なども備え暮らしの安全に
は努めているようですが、満室にはならないのです。子供の教育を考える若い世代は、先を見据え大都市、
県外に居を移しています。ましてや6年も過ぎたのですから、当の子供たちは学校、友達、習い事、そして
親の仕事でもう帰るという選択はありません。除染を終了させ「どうぞ帰ってください」とアピールしても、市
の人口は《毎月減》です。行政そのものが方向転換するしかないと言えます。
 地震後、生家で仏事があり帰郷したのですが、その変りように愕然としました。私の《ふるさと》とあまりに
も似てもにつかわぬ光景なのでした。いくつかの集落は家も屋敷林も洗い浚われ、ただの《クサハラ》。そ
の先は、水平線がくっきり見える蒼い海、そして優しく砕ける波。家族を亡くされた方が、畑地に茶の花を
植え鎮魂の時をさっていることも知りました。
 今年は全国植樹祭がおこなわれます。そして何もなくなってしまった浜辺に植樹がされます。でも海が見
えなくなるくらいの防風林になるのは次の世代、いやその次かも…。


 私は「福島」を忘れない
                                              早川 正子
福島県は浜通り、中通り、会津地方の三つの地域に分かれている。福島第一原子力発電所はその浜通り
の双葉町と大熊町にある。
「東日本大震災で原発事故」と世界に知られた「フクシマ」の双葉町が私の故郷だ。私の故郷にはこれとい
った産業もなく、代わり映えのしない農村だった。何もない代わりに山、海、田んぼなど豊かな自然の中で
18歳まで過ごした。
 住まいを関東に移した私が双葉町に帰省すると、町の入口で「原子力 明るい未来のエネルギー」と書か
れた看板が私を迎えてくれた。貧しい町であったため原子力発電所が建てられてしまった。発電所のお陰
で雇用は生まれ、田舎の町には不似合いな建物、道路が次々に造られ、いっとき町は繁栄しているかのよ
うに思えた。そしてあの事故が起きた。
 私の青春時代を創ってくれた故郷の自然が放射能で汚染されたのだ。90年あまりの歴史と伝統を持つ母
校・双葉高等学校は昨年三月で休校に入った。隣町・富岡町にJR常磐線「夜ノ森駅」方面に向かう道路(今
は不通)がある。この道路脇に樹齢百年を超えるといわれている桜が1キロ以上の桜並木を作っている。小
学生のころ遠足でお花見にいった。五月になると空を覆いつくす桜に見呆けたのだった。
 原発事故から三年経った夏、「ふくしま復興支援バスツアー」に参加し、「夜の森」地区を訪れた。桜並木
の手前でバスを降りると「毎時2~3シーベルト」と告げられた。あの懐かしい桜並木はバリケードで遮られ
ていた。そこより先は放射能が高く警戒区域。並木道の手前の信号機が赤だけの点滅を続けているのが
不気味だった。そんな中、青々と茂る桜樹は来春花を咲かせようとがんばっていた。涙が出た。桜を観に
来た人たちだけが笑顔で桜の花の下を行き交う、そんな日が早く戻ってくることを願わずにはいられない。
 2016年9月、姉弟4人で墓参りに行った。原発2キロ圏内の警戒区域内に入るための許可証を検問所
で示し実家に向かった。築100年を経た家屋は朽ち果て、庭は胸まで伸びた野草に覆われていた。父母
兄弟で過ごした懐かしい生活がそこには全く残っていなかった。ただ小鳥のさえずりだけが聞える。人の住
まない我が家は大自然に還って行くのだと思った。
 私のふるさとは「福島」。「フクシマ」は私のふるさとではない。離れていても「福島」が私の愛するふるさと
なのだ。だから私は忘れない、私と同じように、ふるさと・福島に住むことを願いながら、ふるさとを追われた
福島の人たちのいることを。





NO368    2018年2月7日 発行


       群馬・長野は道祖神のメッカ


申込み締め切り 2月17日



国指定重要無形民俗文化財 大磯の左義長      2018/1/13

    セエトバレエとヤンナゴッコ 

  

 大磯北浜海岸からみえる夕焼けの水平線の空は西は赤く、南はオレンジ色。その海岸に9基のサイト
(斎燈=神に捧げる火)が立っている。この9基は北浜海岸に沿った坂下、浜之町、大泊、子の神、中宿、
浅間町、大北、山王町、長者町の9つの町内が立てる。 サイトは正月飾りで組み立てられるが、最近は
紙製の正月飾りを家庭でするようになり、特に門松が少なくなったのでサイトを作るのに苦労をしている
とのこと。それでも小さいけれどダルマはたくさんサイトに飾られていた。

       
 
 セエトバレエ  砂浜に赤々と燃え立つ斎燈9基

 南の空のオリオンも待つ中、18時30分に9基のサイトは宮元や宮世話人によって「火入れ」がされた。
その年の恵方から点火されるので今年は南東からだった。やがて紅蓮の炎が立ち上り、竹がはじける
音がする。セエトバレエが始まった。気が早い観客はもうダンゴを焼いている。しばらくするとセエトはそ
の年の恵方の方向に倒される。
 観光客用に「ダンゴ焼きセット(紅白のダンゴ10個)」が売られているが、たちまち完売とか。


  地元の方が焼きにきた見事な“ダンゴの花”(↑)。こんなコナラの木を探すのは大変だったでしょうと話
しかけたら、「ウチの山から取った。このごろは薪を使わなくなったので、コナラは大きくなるばかり。役に
立つのはダンゴ焼きのときだけ」と笑う。
 秦野地方でも今は「ドンド焼き」と言う言葉が通用する「道祖神の火祭り」。だが、私と同年代の同郷の
者は「道祖神祭り」とか「ドンド焼き」という言葉は使わない。「セートバレー」である。セートバレーとは「塞
戸払い・サイトハライ」の秦野地方の方言。
 この一年、村の入口で入り込もうとする厄病神を身を挺して守ってくれた塞の神(塞ぎの神)がセーノカ
ミさん。その神を火で清めるのが「セートバレー」“塞戸払い・サイトハライ”なのである。

 ヤンナゴッコ 
 この神事は子の神・大北・長者町の3地区だけで行われている。
 町内からサイトの傍に道祖神が運びこまれる。この道祖神は、町に入る厄災を一年間守ったのでセエト
バレエの火で清められる。子の神・大北・長者町の3地区は疫病神を道祖神から木の宮に移し閉じ込め
る。仮宮は藁縄でがんじがらめに縛られるので、疫病神は外に出られない。
 サイトの火が燃え盛るころ、褌姿の6人がソリ型の台に仮宮を乗せて海に入り、海方と陸方に分かれて
綱引きを始めた。浜から町内の老若男女が「よいしょ よいしょ」と声援を送っている。
 私の隣に立っていた長老が「上がれ、上がれ。いつまでやってんだ」と叫ぶ。寒風の中、海の中での綱
引きは三回行われる。体調を気づかっての言葉だ。
 三回目目が終わり、沖から帰る仮宮のソリの曳き綱は、浜で待つ町内の女性や子供の手で曳かれる。
私もその中に加わらせてもらった。左義長音頭の歌詞にあるように、陸に引き上げるのは大漁を表す。
陸に上がった6人はセエトバレエの火の近くで豪快に回し飲みし、左義長音頭(伊勢音頭)を歌う。

 ♪♪ 金の柱に銀の網、大黒様が舵を取り、お恵比寿様が舞い遊ぶ
    舳先に船神大明神、綾と錦の帆を上げて、宝を俵に積み重ね、大磯港にはしり込む ♪♪

 そして6人はソリにのる。そのソリを曳くのは町内の人たちだったが、今は観光客も加わってよい。かつ
ては、宮帰りとして町内まで曳いたのだそうだ。今はサイトの周りで曳かれるだけ。これにも参加させても
らった。“宝の入船”だから重たい。
 その後、褌衆は新しい足袋に履き替え、仮宮を踏み潰す。「これでもか」というくらい徹底的に踏み潰さ
れた仮宮は、サイトの火の中に放りこまれた。こうして去年一年の厄払いは終わった。

            



NO367    2018年1月7日 発行


 信楽焼きの干支が届いた。贈り主の倉田幸子さんの便りに「お届けした干支が年々小さくなりつつあります。
窯元の方の話では、田舎でも床の間や玄関が狭くつくられようになり、それに対応せざるを得ないのだそうで
す。お許しください」とありました。丸い目玉のかわいらしい犬くんです。

           


 今年も「動きます 話します そして聴きます」  

 年初めの講座の予定
 1月12日 本町小学校3年生(児童130人)の「地域学習」の授業。
       ①本町地区の道祖神と道…田中嘉津明 
       ②「目一つ小僧」紙芝居の上演…関智子 
       ③秦野のドンド焼き「トッケダンゴ」…武、

 1月16日 神奈川県足柄下郡PTA連絡協議会
       ・PTA広報づくり講座「一年間の活動の評価」 湯河原町文化福祉センター

 1月20日 秦野高校の「地域公開講座」 『神奈川の道祖神を訪ねて』

 1月21日 東地区寺山自治会の文化講演会「寺山の道祖神」 

 1月25日 JAはだの「組合員講座」の閉講式
  
 1月28日 寺山自治会の健康ウオーク「寺山の野仏を訪ねて」 協力・まほら秦野みちしるべの会 

 
 二月の講座
      


NO366    2017年12月15日 発行



 2017年12月13・14日 「まほら秦野みちしるべの会」の県外研修  参加者8名

 山梨の民俗に触れる旅   

         
 第一日 研修テーマ「山梨の野仏」
 秦野駅前発8:00
 ↓ 
 北杜市小淵沢町の道祖神   ①大宮神社・石祠型道祖神  ②北野天神社・双体道祖神 ゜

                       

 ↓
 昼食 小淵沢町
 ↓
 海岸寺          
 ↓
 モンデ酒造 工場見学 
 ↓
 宿泊 石和温泉「甲斐路」(研修と懇親会)

 第二日 研修テーマ「山梨の民俗と富士山信仰」
 旅館発 8:45

 丸石道祖神(笛吹権三郎碑)
 ↓
 県立山梨博物館
 ↓
 桔梗信玄餅工場テーマパーク
 ↓
 昼飯 河口湖畔
 ↓
 富士山世界遺産センター(富士河口湖町)   ①富士山信仰  ②富士講
 ↓
 文字碑道祖神(静岡県小山町生土) 在住の長田広さんの話
 ↓
 秦野帰着 16:30
 


NO366    2017年11月5日 発行



先生方に新聞づくりの話を聞いてもらいます






NO365    2017年10月15日 発行


「退職公務員新聞」 日本退職公務員連盟機関紙 2017年9月25日号

NO364    2017年9月7日 発行

  
   


NO363    2017年8月7日 発行

 故郷の道祖神に会ってきました
 先日、故郷・根府川の寺山神社のお祭りに行ってきました。先生から聞いた「ねじり鉢巻をした道祖神」さんに会えました。その姿
を見て、とても楽しく嬉しくなりました。子どもたちもとても喜びました。先生に出会えなければ、生まれ故郷に、こんなステキな道祖
神さんがいらっしゃることを知らないままだったのです。ありがとうございました。お盆に帰ったとき、また会いに行きます。   
                                                                    大森 聖子


NO362    2017年7月10日 発行


タウンニュース  2017年6月23日号

 6月14日  講座・講演会1000回の日、茅ヶ崎市教育委員会主催の「PTA指導者(広報部)研修会」に出かける。きょうのこの講座で私の講
師歴は1000回に到達。
 開会の挨拶で教委の高橋さんが「一千回という記念すべき講座を茅ヶ崎が持たせていただいたことは光栄」と披露してくださった。期せずして
会場から拍手。それだけに、この講座は充実させなければと改めて思った。
 第一回は昭和47年で、地元の東婦人会の会報作りの指導だった。それから45年間、帯広市でPTA広報紙づくり講座、大分市で学級新聞づ
くりの話をさせてもらった。尾花沢市宮沢中学校での講座も忘れられない想い出の講座。花笠踊りパレードに加わっていた宮沢中学校の生徒
が「あっ武先生だ」と声をかけてくれたこと、それと校長室で名物のスイカ二分の一個でもてなされたこと、などなど。こうした数々の思い出を持
っている私は《幸せ者》。
 1001回は「道祖神ワンダーワールド・日本の道祖神見て歩き」と題して6月18日に講演。7月の後半には三カ所で「夏休の思い出を壁新聞
に」の親子壁新聞作りの講座を持つ。



NO361    2017年6月10日 発行

              998回目の講座  湯河原・真鶴・箱根町PTA広報紙づくり講座

                                        湯河原町教育委員会からの報告





NO360    2017年5月10日 発行
 
                   
           2017年4月19日~21日
                          道祖神の里めぐり そして
                                  群馬・南牧村 長野・佐久市望月 長野・伊那市高遠 長野・諏訪市


丸顔で童女のような目鼻立ち。穏やかな表情に惹かれた。


         
             高遠の里           桜の向こうは残雪が光る中央アルプス     高遠城址公園 (樹下は私)
                                  花万朶なほ残雪の光る峰                     

        
        高島城の桜          小諸・懐古園の夜桜       諏訪の地酒の利き酒会に
                                      
信濃路の旅 花に酔ひ酒に酔ひ 
  
 
千昌夫が歌う「北国の春」の一節に「白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ北国の春」がある。この
詞は長野県・南牧村出身のいではくが書いた。信濃路はコブシを街路樹として植えられている街まちもある。そのコブ
シが可憐な白い花を咲かせていた。
 今回の「道祖神の里めぐり」は群馬・南牧村から始まり、諏訪市で終わる。三日間で32の道祖神にお会いしてきた。
(群馬県にも南牧村がある。長野は「ミナミマキムラ」群馬は「ナンモクムラ」)と読む。
 高遠の「花文字道祖神」(下)は今回の訪問で期待していたもの一つ。桜花の下で私を待っていてくれた。懐古園、高
島城、そして高遠城址公園とどの地も桜は満開だった。


                       

NO359    2017年4月7日 発行

続私のふるさと NO31
  
 津軽平野はどこまでも白一色
                                                              山口 静子

 私の故郷は青森県つがる市。合併する前の西津軽郡柏村です。その柏村での子供の頃の思い出。
 夏は地区ごとでの「ねぶた」作り。作ったねぶたをリヤカーに乗せ、みんなで引っ張り各家を回るのです。「ヤーレヤレヤーレヨ 
ろうそく一本ちょうだいな」と。今はこの地域ごとの「ねぶた」は姿を消しました。 
たくさんの観光客が集まる青森のねぶた、弘前のねぷた、五所川原の立佞武多をテレビなどで見ます。それぞれ囃子や掛け声
は違うのですが、胸にジーンと来るものがあります。
 冬は竹スキー(私たちはタケベンジャと言っていました) やソリで遊びました。屋根から降ろした雪は軒先まで届いてしまうので、
屋根の上からすべり下りられます。我が家の前には大きな川があり、氷が張るのでそこにも雪が積もります。屋根から庭、そして
川の上まで一気に滑り下りるのです。
 冬が長いので雪と遊んだ記憶が多くあります。庭に続く畑が雪に覆われると、踏み固めて家の間取りのような形を作りました。大
きなカマクラを掘ったりしました。(津軽では「カマクラ」は掘って作るのです) 秦野から連れて行った息子が雪の原を見て言いまし
た。「図画の時間、白い画用紙の裏に名前だけ書いて出せそう」と。津軽平野はどこまでも白一色の世界。そして寒い!岩木川を
はさんで向こうは鶴田町、そして憧れの五所川原市。太宰の生家・斜陽館がある金木町も合併して五所川原市になりました。高校
はその五所川原に通い、学生時代は弘前で過ごしました。津軽弁といわれる方言で屈託ない生活をしていました。津軽の人は話
好きなのです。
 雪どけと共に一斉に芽吹く春。りんご畑の白い花、短い夏、津軽富士と呼ばれる優美な岩木山、八甲田の紅葉、「リゾートしらか
み」が走る五能線など。私にとって「ふるさとは遠くにありて思うもの そして悲しく」ではなく、「そしてなつかしくうたうもの」です。毎
年帰ってはいますが年々遠くなっていきます。もう四十年も住んでいる秦野は私のふるさとです。ふるさとが二つもあるのは〈ちょっ
と得〉という気分はしますが…。



NO358    2017年3月7日 発行

                   

  弥生3月 春の到来

 梅の里・越生町からフキノトウが送られてきた。2015年2月、越生の道祖神に会いに行った折、知己を得た仲紀子さんからである。
その時も仲さんから採ったばかりのフキノトウを両の手のひらからこぼれるほどいただいた。
 小包の包み紙には「岩激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」と「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出立つ少女」
の版画があった。

 仲さんへのお礼状に自作四句を添えた。
  小包は越生の女のふきのたう
  陽光を香に変へてふきのたう
  蕗味噌の一椀があり夜の膳
  口中にさみどりの広がりふきのとう


NO357    2017年2月1日 発行


  「新聞づくりは仲間づくり」も再開  湯河原・真鶴・箱根町合同のPTA広報講座




NO356    2017年1月1日 発行

                             安田虚心
                                

 大動脈弁と僧帽弁の置換手術を受けることが決まったのは去年の2月中旬だった。「いつか往く、だがそのいつかは明日
じゃない」と思っていた〈モラトリアムな私〉はふっ飛んだ。私なりの「人生のまとめ」をしたいと強く思い、10数年間続けてきた
「道祖神の里めぐり」を本にすることにした。「なんとしても手術の前に」と思い、手術を4月から6月に変えてもらい編集を急い
だ。
 そして6月1日、手にした『道祖神ワンダーワールド』は期待・想像を遥かに超えていた。私は「ああこれでいい」という心境
になった。だから6月8日、平常心で手術台に上ることができた。
 手術を受けるまでの4カ月間の心の動きを今振り返ってみると、不思議なことだが恐怖感はなかったと思う。それは、上梓と
いう目標・「明日」があったからだと思う。 「わが人生に悔い無し」は最期の言葉として知られている。上梓から手術の日まで
の数日間の私は、これからなすべきこと、やりたいことがない、新たに何かを求める気力が失われていた。「人生に悔い無し」
に近い心理状態で自分を納得させていたのかもしれない。「明日」という言葉は生きていく上で大切なキーワードと知った。
 医師団、家族、周りの多くの人の力・支えによって今、私は存在している。そうした皆さんへの感謝の念を抱きながら「道祖
神の里めり」を3月から再開する。      武 勝美                       

                            

NO355    2016年12月1日 発行


 全国新聞教育研究大会・秦野大会のレガシー
  速報部同窓会が10周年記念紙を発行

 「新聞で学ぶ 新聞を学ぶ」― これを基本理念とする全国新聞教育研究協議会は、その研究や実践を深めるために毎年
「全国新聞教育研究大会」を開いている。
 2006年8月3・4日に、第49回大会は秦野市文化会館で開催された。参加者は550名ほど。南は福岡、徳島、北は北海道、
秋田など文字通りの全国大会となった。
  この秦野大会でとりわけ注目されたのが大会速報「湧水」。二日間で4回の発行。速報部員20名の内17名はPTAのお母さん。 
《身びいき》かもしれないが、過去59回の「大会速報」の中でも「出色の作」と思っている。
 このときの速報部は、07年から毎年「速報部同窓会」を開き旧交を温めている。今年は11月26日に12名で会が持てた。幹事
が「今回が10回目なので記念の新聞を作りました」とA3判の2ページ・オールカラー版を会場で配った。
 「武先生に見せるといろいろ注文が出るので」と笑う。「久しぶりの新聞づくりで燃えた。楽しかった」とも。
 
 このところ、マスコミなどで「東京オリンピックのレガシー(遺産)」の本質について論議されている。この日に発行された『湧水』
は秦野大会のレガシーになった。一面のトップ記事は「あれから10年 秦野大会が与えたものは」で、「秦野の新聞・最新情報」を
特集している。
この企画は正に秦野大会のレガシーである。(下の表)速報部員の多くは、大会後単Pの広報づくりにまい進した。その活動ぶり
を「全国小・中学校・PTA新聞コンクール」の結果で検証(06年以降のPTA新聞の部・優秀賞以上)してみる。

 ◇最優秀賞 本町中2 西中2(数字は受賞回数)
 ◇毎日新聞社賞 西小3  渋沢小1  堀川小1  渋沢中1 西中1 
 ◇優秀賞 本町小3  西小2  西中1 
  参考・「佳作」入賞のPTA  3回  西小  本町小  渋沢中  本町中
                   2回  渋沢小  西中
                   1回  南小  北小  末広小  大根小  広畑小  東中  南中




NO354    2016年11月1日 発行

「Katsumi In 道祖神ワンダーワールド」の姉妹版ともいえる「まほら秦野みちしるべ」を11月1日に上梓できた。
両書の出版を祝う会を11月6日に開く。これも大きな喜び。



記念誌なので書店には並びません。ご購読を希望される方は武まで。




NO353    2016年9月30日 発行

朝日新聞が紹介 「Katsumi In 道祖神ワンダーワールド」








 大井町のIさんが「『道祖神ワンダーワールド』を読みたい」と来訪された。私と同世代のIさんが話す子供のころのドンド焼きの思い出は、私のものと完全に重なるも
のだった。今、iさんは自分の生まれ育った地から消えてしまったもの、きえる恐れがあるものを再生させる活動をしている。消えてしまった文字碑道祖神を自らの手で
刻み造立した。矢倉沢往還の道標も設置。更に「神の椎ノ木守」と称して氏神様の森の保護に力も注いでいる人だ。
 そのIさんが「石造道祖神」についての蔵書を私に預けると言う。いずれも本格的な道祖神研究の書で、昭和38年に刊行された「信州の道神面と戯謡」宮田嵐村著か
ら平成1亜3年に上梓された「双体道祖神めぐり」三橋光子・佐藤藤正までの7冊(下)。53年前から発刊された貴重な書である。たくさんのことを学び、楽しむことができ
る時間ができた。同時に、また私を「道祖神の里めぐり」に駆り立てる強烈な刺激になっている。

 「信州の道神面と戯謡」宮田嵐村 昭和38(1963)年
 「路傍の神様」川口謙二 昭和43(1968)年
 「道の神」山田宗睦・井上青龍 昭和47(1972)年
 「道祖神は招く」山崎省三 平成7(1995)年
 「道祖神散歩」野中昭夫 平成8(1996)年
 「道祖神」森田拾史郎 平成10(1998)年
 「双体道祖神めぐり」三橋光子・佐藤藤正 平成13(2001)年


NO352    2016年8月1日 発行

「本のファースト」さんのご好意でブック フェアを開催




NO351    2016年6月1日 発行


6月1日発売   定価2160円(本体2000円)+郵送料

お申し込みは電話・メールなどで  武まで






「足柄下郡PTA広報紙づくり講座」のあらましを湯河原町教育委員会がまとめてくれた。 2016年5月9日

子育てご一緒に
                                      武 勝美 




NO350    2016年5月7日 発行
 ご挨拶 

 “道祖神・ワンダーワールド“へのお誘い 
   石造道祖神の造立数は都道府県別で次のようになります。
  ①長野3900 ②群馬3500 ③神奈川2800 ④山梨2200 ⑤静岡1800 ⑥鳥取600 ⑦新潟500 ⑧埼玉300 (数値は百の位まで)。
   私はこれら8県の《道祖神の里》に焦点を合わせ訪れました。その訪問先を数えてみたら秦野市を除き、60余市町村になりました。
  「なぜ道祖神なの」「道祖神の魅力は」「好きな道祖神を教えて」などとよく尋ねられます。でも、どの問いにもしっかりとした答えは返せ
  ないのです。ただ、出会った道祖神がその地の風土によってさまざまな信仰対象になっていること、その双体像の姿態や刻まれてい
  る文字もまた“千変万化”・多種多様であることが、次の里への訪問の強い誘引となっていることだけは確かです。
   石造道祖神とは言え、時の流れは塔碑にかなりの変化(摩滅や剥落)をもたらしています。このことを含め、かつて里人の「心のより
  どころ」だった道祖神は、今その存在さえ忘れられようとしています。そうした現実の中、『里めぐり』で地域の人から道祖神にまつわる
  話を聞かせてもらい「道祖神はその地域の文化財。できれば記録を」という思いに至りました。それがこの上梓のきっかけの一つにな
  っています。
   出会った道祖神を通して、道祖神は私の“ワンダーワールド“になりました。ここに収めた道祖神さんは、北は北海道から西は鳥取県
  までの550余点。収録できなかった塔碑を含め、出会ったすべての道祖神さんとこの本を編むことで再会できたこと喜び、懐かしんだの
  でした。
   粗雑な小書ですが、皆様の「道祖神に出会う旅」のきっかけになれば幸いです。

  2016年5月 
                                                                    武 勝美




五月の武者幟をりをりメイクした法被。読者のSさんからのプレゼント。喜んで着ているが、このポーズではまるで〇〇〇。
描かれているのは「宇治川の先陣争い」の梶原源太景季。


NO349    2016年4月7日 発行

今年の桜


昨年の12月 7年ぶりに枝を整えてもらった。


2015年の桜

   「こんにちは。今日は一気に桜が咲き始めたました。先生のお庭の桜も楽しみですね」。こんなメールが入ったのは3月29日。

 4月6日 朝から青空が広がった。
  桜万朶今朝は真青な天なりき       勝美
  朝桜見上げパソコン立ち上げり   
 
 天気予報では、どうやら今日が今年の「最後の桜」らしい。それで妻を乗せ観桜に。
 
 回ったコース
 国内どこでもそうなのだが、この季節になると桜の薄ピンク色が風景の中にに浮かび上がってくる。
 
 ①東小学校の校門脇の二本の桜は、私が小学生だった頃から咲いていた。
  老桜の黒糸縅の如き幹     中村芳文
 ②東田原の金剛寺の左手から登る東電の変電所の取り付け道路は桜並木。これは遠景として眺めるしかない。
 ③西田原から北地区に向かう農面道路から見えるのは秦野カントリークラブのコースの周りのソメイヨシノ。
 ④日立の正門前の通りはトンネル状の桜並木。通りの寿司店、割烹料理の店はこのシーズンにぎわう。そこを
  左折するとコベルコの敷地、ここの桜並木は背の高い。
 ⑤文化会館前の水無川岸を東に下れば1kmのソメイヨシノの並木。上流に歩を進めればこれからの枝垂桜の土手が続く。秦
 野市民が自慢する桜並木。近くの駐車場はどこも満車。
 ⑥昨年、市制60周年記念として命名された「はだの桜みち」。命名者は知人。県道62号・西大竹交差点から県道706号・新橋
  交差点(堀山下)までの区間・約6.2kmに750本の桜並木。この道は工業団地に繋がる産業道路なので、日常的に混む。桜
 のシーズンはり込みかなりの渋滞。駐車する場所は無いに等しい。
 ⑦南が丘中・小学校、公民館の周辺もソメイヨシノの満開。
 ⑧そして最後に神奈川病院の構内の桜の下を通って帰宅。
 カメラを持っていったが一度もシャッターを押さなかった。

 昼食後「やっぱり見たいです。ちょっと行ってきます」と妻。リュックを背負い、帽子を被り、完全装備。毎年、 家から見える東京
カントリークラブの取り付け道路が《桜道》になると登る。海抜でいえば我が家から200mは高くなる急坂を歩く。「送ろうか。それと
も迎えに行こうか」と言う私に「桜を見るんだから」と“お断り”なさる。 3時間掛けてもどってきた。




NO348    2016年3月7日 発行



ご褒美をいただきました。




NO347    2016年2月3日 発行


河津桜 伊豆高原駅  Sugawara


 鬼の宿 「福は内 鬼も内」 豆まきの話

 二月三日は節分、『豆まき』の日。この日、私たちは「福は内、鬼は外!」と鬼を追い出します。その追い出された鬼は、
いったいどこに行くのでしょうか。ところが、その追い出された鬼に、宿を貸している家があることを知りました。なんだか
嬉しくなりました。

 東京・小平市の青梅街道沿いにある小川町の小山家では、昔から節分の日に《鬼の宿》という行事がおこなわれていま
す。 《鬼の宿》とは、節分の日に他家から追い出された鬼を泊めてやるしきたりのある家のこと。今から一三〇年ほど前の、
安政年間から始められたようです。

 この家では、お正月のお飾りにオスイゼンサマ(竹を細かく割いてスダレのように編んだもの)を作り、かまどの横に飾りま
す。これが節分の日の《鬼の宿》です。その日、他家で豆まきが始まる前の夕方五時ごろ、小豆ご飯を炊きサンダワラ(俵の
上下に付ける蓋のようなもの)に半紙を十文字に敷き、その小豆ご飯を盛り、オスイゼンサマに供えます。そして、お神酒と
お明かりも上げ、鬼を迎える準備は終わります。お明かりは夜中まで絶やすことなく灯してあるのです。やがて方々で追い出
された鬼たちがこの宿に逃げ込んできます。そしてオスイゼンサマで休息します。この家では豆まきはしません。

 その夜の丑三つどき(午前二時過ぎ)この宿の年男は、絶対だれにも見られないように用心しながら、鬼を四つ辻まで送っ
て行きます。この時、サンダワラの小豆ご飯にお神酒をかけて持っていき、四つ辻に置いてくるのです。鬼たちのお土産です。
帰りは決して振り返ってはいけないのだそうです。

  「寒い夜の真夜中、たった一人で真っ暗な夜道を帰ってくるのは不気味だ。もっとも、近ごろは真夜中でも車が通るので、
鬼を送り出すのにはたいへん気を使う。警官に尋問されたり、犬にほえられたりするので、昔とは違う四つ辻に送り出すよう
に変えた」と、小山家のご主人は話しています。「親からの言い伝えで『宿』をやっています。私で四代目です。他家で嫌われ
追い出された鬼でも、助けてやらなければと思い、宿を続けている。お陰で、代々幸せに暮らさせてもらっています」とも話さ
れるのです。

 「今晩は豆で打たれて、なんぼかひどかったべす」と、鬼を家に招き入れ暖かくもてなす家が山形市にもあるそうです。
 奈良・吉野山の釈迦堂では「福は内、鬼も内」と豆をまきます。日本人のやさしい心に、私の心は安らぎます。

 




1月14日 清水・東ノ原子供会の道祖神祭り


△ 「タウンニュース」紙

NO346    2016年1月1日 発行





今年の応援(猿)10人衆
昇り猿(宮崎・延岡)  木の葉猿(長崎・古賀人形)  瓢猿(群馬・猿ヶ京)  弾き猿・御幣猿・三猿(柴又・帝釈天)  木でこ二体(大分・別府)  土ひねり(青森・弘前)  猿のり馬(京都・伏見)
 
 


NO345    2015年12月7日 発行


                           
                                          冬の朝・大山遠望
 この一年
             
 皺がよる ほくろができる 腰まがる 頭がぼける 髪白くなる 手はふるふ 足はよろめき 歯はぬける 耳は聞えず 目はうすくなる  口よだれる 
 聞きたがる 死にともながる 淋しがる 出しやばりたがる 世話やきたがる くどくなる 気短くなる 愚痴になる 心がひがむ 欲ぶかくなる 
 又しても同じ話に子をほむる 達者自慢に人は嫌がる    臨済宗妙心寺派の仙崖和尚(寛政年代)の言葉(「老人六歌仙」)。 


 と、言われても        日野 修 

  ささやかながら 
   地域活性化の為
   地元産の純米酒
   富士山の絵のあるグラス
   妻の分も二つ準備
   小さい氷入れ、それでも
   毎日お酒飲むの休んだら
   と、言われても
   冥土まで、もう少しと

 この一年のご厚情・ご指導に深謝。よいお年を。      武 勝美

NO344    2015年11月7日 発行





菊日和

10月20日 湯河原町でPTA広報づくり講座。湯河原・真鶴・箱根の三町の小・中学校のP広報委員会12校と町の外郭団体が参加。箱根の
       二校から三人のお父さん委員か来てくれた。
10月22日  「市P連だより」の編集会議で助言。このグループは《乗りがイイ》。読まれる広報が作られるだろう。
10月27日  秦野市南が丘さつき東自治会・長寿会共催の「ふるさと歴史講座」を担当。演題は『大山と盆地の暮らし』。新しく作られた街な
       ので新鮮な内容だったようで好評。「続きを」と担当の人から申し出が。  
10月28日 かわじ荘デイサービスの講座。「まほら秦野・秦野の道祖神」を映像で見てもらう。紙芝居「目一つ小僧」は喜んでもらえた。今日も
       帰りに道祖神の写真を撮りに回った。
10月31日 東公民館祭りの前日準備。午前8時から午後1時まで。
11月 1日  東公民館祭り 今年も三分野に参加。 ①「まほら秦野みちしるべの会」はイラストマップ展  ②「夏休みの思い出を壁新聞に」の
       新聞を展示。作品は25紙  ③秦野ゆとりの会の「菊花展」に今年は3鉢並べる。。自分としては過去最高、重厚な花が咲いた。
       「まほらの会」の展示会場でミニ講座「道祖神ワンダーワールド」を開く。
       祭りへの参加団体、そしてその団体の人数が毎年減っていくように思える。


NO343    2015年10月7日 発行

  
「戦後70年 戦争を学ぶ新聞」 田中 咲希(小6)         「8・15新聞」 前原 優貴(小6)

  完成は夏休み最終週になったけど「壁新聞をつくってよかった!」

 一昨年参加させていただいたので2回目の参加です。今年は、子どもたちから「壁新聞を作りたい!」と私に参加を頼んできました。前回の壁新聞で何か感じたのでしょうか? ただ、夏休みに入っても、本人たちは「何を書きたい」ということがきちんと決まっておらず、一回目の壁新聞づくり講座の後、娘たちと話し合い、テーマを決めました。
 3年生の次女については、小田原の国立印刷局に見学する予定もありましたので、1回目の講座までにはそのことを書くと決めることができました。が問題は6年生の長女でした。
2回目の壁新聞作り講座の直前になって、テレビなどで戦争のことを取り上げているのをみて、「戦後70年なので戦争のことでも書いてみようあかな」といった感じでした。それで、祖父が戦争の体験を本にしていることを長女に話しました。
 元々、本好きの長女でしたので、そのことにとても興味を持ってくれ、「原爆や戦争」のことを新聞にすることにしました。ただ、祖父も十数年前に他界しており直接話を聞くこともできない、知り合いに戦争体験者もいない、ということで、どのようにまとめようかと話し合いました。 さいわい、この夏秦野市では原爆のパネルや戦時中のものの展示がされたので、会場に足を運び、「原爆と太平洋戦争」について取材しました。
 今まで「戦争」などにはほとんど興味のなかった長女です。新聞としてまとめることに苦労していました。でも、今回の壁新聞づくりを通して、長女が「戦争」について学び、この時代に生まれてきたことの幸せを感じたようで、「戦争」についての新聞を作ったことはよかったと実感しました。完成は夏休み最終週でしたが、娘たち二人は、「壁新聞をつくってよかった!」と感想を述べています。ありがとうございました。        田中小百合(母)

NO342    2015年9月7日 発行

行 脚 再 開


         神奈川県伊勢原市 9月4 日              神奈川県大井町  9月3日

NO341    2015年8月7日 発行

 『新聞教育』第78号 (全国新聞教育研究協議会・2015年8月3日発行)
 
 ブロックニュース 北から南から

 [神奈川・秦野]  幼稚園の年長組から新聞づくり

 市立東公民館が夏休みに「親子で壁新聞を作ろう!」と呼びかける新聞づくりの講座は今年で14回目を数えます。この
講座は好評で、毎年多くの参加があります。今年も小学生35名・24家族が壁聞づくりに挑戦しています。講師は全新研参
与でエコー教育広報相談室の武勝美さん。市PTA連情報委員会も指導助手として協力します。第1日は7月30日、「毎日
小学生新聞」を親子で読むことからスタートします。第二日の8月20日にはカラフルな力作がそろいます。
 市立本町幼稚園は、「夏休みの思い出を親子で壁新聞に」と、この夏休み中に壁新聞づくりをしています。中学生の頃、
学級新聞づくりに〈燃えた〉加藤しのぶ園長先生の指導です。
 市内9中学校では、年度当初に生徒を対象に新聞講習会が開催されています。講師は学校新聞の指導に携わったOB
の先生にお願いしています。1950年の創刊で発行号数が千号を超える東中学校の『東中新聞』は、今年は月三回のペ
ースで手書き新聞を発行しています。
 PTA広報紙づくりも盛んなのが秦野市。全新研の「全国コンクール」では最近五年間で「最優秀」二校、「優秀」三校とい
う好成績です。
 秦野は、園児から中学生、そしてPTAへと、新聞づくりのつながりの環境は整っています。

 前述の武さんの発行する教育個人紙『ECHO』がこの5月で31年目(321号)に入りました。その武さんは、4月末にPTA
広報紙づくり講座(主催・三陸新報社)を宮城県気仙沼市で開きました。講座では、秦野市22校のPTA広報紙が「広報紙
づくりの参考になれば」と配られました。その各校の広報紙には、「気仙沼の皆さんへ」という応援メッセージも添えられて
いました。『新聞づくりは仲間づくり』の実践です。
                                          全國新聞教育研究協議会理事  谷津 裕
                                                           (秦野市立大根中学校)
 

NO340    2015年7月7日 発行

   平成26年度 神奈川県PTA広報紙コンクールの結果
   
   最優秀賞 (会長賞)       茅ヶ崎市立緑が浜小学校P.G.T.「緑の風」

   優秀賞 (県教育長賞)      綾瀬市立綾西小学校PTA「ふれあい」
   優秀賞 (神奈川新聞社賞)  秦野市立渋沢中学校PTA「ふれあいの丘」

   優良賞  茅ヶ崎市立浜須賀小学校PTA「はまゆう」
          綾瀬市立寺尾小学校PTA「てんま」
          伊勢原市立中沢中学校PTA「ききょう」

   奨励賞  横須賀市立衣笠中学校PTA「あすなろ」
           横須賀市立鷹取中学校PTA「たかとり」
          三浦市立名向小学校PTA「道芝」
           鎌倉市立御成小学校御成会「御成」
           藤沢市立高浜中学校PTA「浜風」
          寒川町立寒川小学校PTA「百年ざくら」
          相模原市立藤野南小学校PTA「みなみ風」
           相模原市立富士見小学校PTA「「Smile」
           相模原市立陽光台小学校PTA「PTA陽光台」
           秦野市立西小学校PTA「西のいぶき」
           伊勢原市立竹園小学校PTA「わかたけ」
           大磯町立大磯小学校PTA「いそかぜ」
           大井町立上大井小学校PTA「上大井」
           松田町立松田小学校PTA「いわつばめ」
           厚木市立清水小学校PTA「清水」
           厚木市立睦合東中学校PTA「清流」
           小田原市立新玉小学校保護者と教師の会「広報あらたま」
           小田原市立富士見小学校PTA「富士見小学校PTA会報」




    NO339    2015年6月1日 発行
 

                                 三陸新報 2015年4月30日 ↑ 



 気仙沼への旅  (同行2名)   
               2015年4月28日~5月1日  (最高気温は29℃)

 4月28日
 秦野→ 秋田空港→ 北上展勝地→ 農家レストラン「さん食亭」で北上市在住の『エコー』の読者・渡辺知子さんと会食(コシアブラのてんぷら)→ 一
関・金烏神社(道祖神を発見出来ず)→ 気仙沼・三陸新報社へ(朝倉眞理社長、渡邉眞紀専務の出迎え)→ 市内が一望できる安波山展望台(渡邉専
務さんの案内)→ フカヒレの加工場→ 朝倉社長・渡邉専務さんによる「ウエルカムパーティー」(『大政寿司』 フカヒレ三昧、地酒『蒼天伝』)

 4月29日
 道祖神社、羽黒神社で道祖神に会う→ 「みちびき地蔵」参拝→ リアス・アーク美術館(東日本大震災の記録と津波の
災害史展)→ 三陸新報社で講座(午後1時30分~4時) →
焼き魚の『福よし』で「打ち上げ」と「フェアウェルパーティー」(朝倉社長、渡邉専務、渡辺知子さん、武家3名・キンキの焼物、ホヤ、地酒『水鳥記』。こ
れまでの人生を披瀝し合うような酒席)

 4月30日
 魚市場(血まみれの大型魚が大量に並んでいた。フカヒレの原材料になるネズミザメ)→ 寶鏡寺→ 大仙市の「人形道祖神めぐり(4基)」→ 角館・武家
屋敷と檜木内川堤の桜を求め散策→ 角館町広久内の道祖神(2基)→ たざわこ芸術村泊(「ばっきゃ」で夕食。「武市様ご一行」が隣席。「武で繋がる縁」
で、こちらからアプローチ。地元の方なので秋田の言葉をたくさん聞かせてもらう。キャンピングカーで東北を旅行中の秦野市東田原の夫妻と交歓)。こ
れぞ旅の醍醐味。
 
 5月1日
 田沢湖→「続・大仙市の道祖神めぐり(6基)」→ 錦秋湖→ 秋田空港→ 秦野
    ※北上展勝地、角館の桜は〈葉桜〉。でも市街を抜けると、まだ十分に桜花は見られました。


 気仙沼再訪の記  あれから四年「復興未だし」 

 岩手県北上市の『エコー』の読者・渡辺知子さんは宮城・気仙沼生まれ。その渡辺さんから2011年12月初旬、エコーが届いた。
 今、ラジオから「気仙沼港が今年もカツオの水揚げ日本一」とのニュースが流れました。「今シーズンの漁が終り、水揚げ量は昨年の四分の一にとどま
ったが、15年連続の日本一」。思わず「やった!」と私。サンマもカツオも水揚げ日本一! フカヒレの生産も日本一! イカの塩辛の味も最高! わが
故郷気仙沼はそうでなくちゃあ。大震災に遭っても気仙沼はそうでなくちゃあ。 

 そして翌年2月11日、渡邉さんから一冊の本が送られてきた。この本『巨震激流』は、気仙沼市と南三陸町をエリアにする地方新聞社「三陸新報社」が
まとめた、あの地震の写真と証言集です。わが故郷気仙沼の《3月11日》を知りたい、先生にも知ってもらいたいと買い求めました。

 2012年4月19日、南三陸町から気仙沼市に向かっているとき、曇っていた空が急に晴れ渡った。建物も人影もない大地の向こうに三陸の海がコバル
トブルーに輝いた。
だが、左手に連なる里山は、一年前の災禍の跡をまだはっきりと残していた。
 木の芽山残し津波の去りにけり   渡辺 徹
 南三陸町の防災庁舎の前に立った。赤錆びた鉄骨の向こうに白い志津川病院が見える。気仙沼線は完全に〈洗い流されて〉いた。南気仙沼駅はその
姿をコンクリートの残骸に残しているだけだった。鹿折唐桑駅の駅前には第十八共徳丸(330t)が、海岸から500m離れたこの地に打ち上げられたままで
いた。同行した妻は、被災地の現状を目の当たりにし、車外に出られなかった。長男は一言「まだ重油の臭いがする」。
 魚市場のあった辺りを走る。海岸線の道路をまたいたところに教室一つ分くらいの水溜りができ、かもめが20羽ほど羽を休めていた。カラスは飛んでい
なかった。
『巨震激流』を発行した三陸新報社を訪ねた。おおよそ1時間、朝倉社長、渡邉専務が応対してくださった。発行部数2万の『三陸新報』が、大震災を受け
た地域で果たしたこと、そしてこれから果たすべき役割・決意を聞くことができた。

 それから3年が経ち、「三陸新報」のご配慮で気仙沼を再訪することになった。
 鹿折に打ち上げられた第十八共徳丸の姿は無かった。そのあたりに「嵩あげ」の様子が一望できる展望台が作られていた。再開した魚市場も見学した。
ネズミザメとマグロがかなりの量、水揚げされていた。カラスが場内を乱舞している。
 街中の道路は「嵩あげ」工事の車両が連なり走っている。
 渡邉専務の案内で「街が一望できる」安波山の展望台に登った。そこで目に入った「嵩あげ」が進められている面積の広さ。「この工事が終わるのは何
年先になるのだろうか」と思わざるを得なかった。只越地区も訪れた。海に近いところは被災当時と変わらないように思えた。
12年の来訪と同じホテルから内湾を見下ろした。湖よりも静かな水面だった。3年前に眺めたこの内湾の風景の印象は「何もない風景」。朝7時過ぎ湾内
に気仙沼大島空のフェリーが入ってくる。乗船者の多くはビジネススーツ。大島の人口は2700人ほど。交通手段はフェリーで所要時間は25分。島内の事
業所は壊滅的な被害を被った。そのため多くの人は対岸で働く。だから両岸の発着所に車を置かないと通勤が出来ない。通勤用の車が二台必要なのだ。



    NO338    2015年4月1日 発行 


「子育てご一緒に」 気仙沼でPTA広報づくり講座



三陸新報社さんのご協力でこの講座を開くことになりました。


    NO337    2015年3月1日 発行 

「新聞の秦野」は健在

  手書きの紙面を9名全員で    『西のいぶき』 秦野市立西小学校PTA 

 今年度の西小PTA広報委員は全員で9名、誰も広報の経験がなく、不安のある中でスタートしました。年間で5回の発行を予定し、活動の目標を決
めました。①楽しんで作ること②PTA新聞であること③子どもにも読んでもらえることを大切に、取材に取り組みました。
 初めての取材の時は「邪魔になるのでは」と隅で写真を撮っていましたが、日を追うごとに、人の話を聞く・書く・自信をもって撮影することが、自然と
出来るようになっていきました。また、多くのイベントに参加し、たくさんの方から話しを聞くことができ、今まで知らなかった様々なことを学びました。
 たくさんの紙面を作った中でも、挑戦したと思う記事は「夏こそ文字にふれよう」です。文字にふれることをすすめるのに、パソコンで作っても伝わらな
いと思い、手書きで紙面を作りました。保護者の方からは「一番目を引いた」「味があって読みやすい」「温かみがあるね」といった声を頂き、思い切って
手書きにして良かったなと思いました。 
 一つの紙面に全員が関わることは稀で、この手書きの紙面を9名全員で作ったことは、仲間としてかけがえのない絆となりました。  高橋由香利

 

 
              「談笑」 川越・喜多院の五百羅漢




    NO336    2015年1月1日 発行 



   2014年の「道祖神の里めぐり」
   4月 山梨県中央市
   8月 長野県・山形村
   8月 山梨県甲府市、身延町
  10月 鳥取県・大山町、米子市淀江町
  11月 長野県安曇野市
  12月 神奈川県小田原市・真鶴町・湯河原町、静岡県熱海市・富士宮市

  2015年1月10日より25日まで
      秦野市制施行60周年事業の一つとして「まほら秦野みちしるべ・イラストマップ展」を秦野市立本町公民館で開く。会員によるミニ講座も開催。







    NO335    2014年12月1日 発行 
 

 北上だより
  平成29年5月の完成 気仙沼駅前の災害公営住宅
                                                        渡辺 知子
 
 柿の実の橙色が、今年はずい分早く濃くなっていくような気がします。紅葉も始まりました。今年の春はなかなか暖かくならず5月に入って急に暑くな
りましたが、そのせいか稲や果実の収穫時期が例年より早まっています。いつもはこの時期田んぼにはコンバインを使わず天日干しにしてある木杭
に掛けた稲(この辺りでは「穂仁王」と呼んでいます)が見られるのに、今年はすでに脱穀も終わっていて田んぼはひっそりとしています。柿もぎも始ま
りました。もうすぐ出来ましたらお送り致します。
 10月3日に東京の姉夫婦が気仙沼のお墓参りにやってきました。JRの気仙沼方面への乗り換え駅である一関駅を通り越して北上駅まで来てもらい、
そこから車で気仙沼に向かいました。1時間程走っ大東町の「産直ふるさと大東」で小休止。そこからまた1時間余り走って鹿折のお墓に着きました。
 鹿折の道路の周囲にはあちらこちらに台形の形に盛土がしてありその先の視界をさえぎっています。弟が話していた3mのかさ上げ工事なのでしょう。
この盛土が全面に行き渡り区画整理され、新しい道路が出来、それからようやく家が建てられるのは一体いつになるのだろうかと改めて思いました。
 さらに南気仙沼の方に向かうと大きな災害公営住宅の建設現場に出ました。本当に大きな建物でした。まだ一番上に建設機械が乗っている状態でし
た。6階建てが2棟、10階建てが1棟。来年1月末完成予定との事でした。
 この南郷地区の災害公営住宅が今一番工事が進んでいる所で、市内の現場は28ヶ所あるそうです。その中でまだ用地も確保できないでいるのが最
大規模の気仙沼駅前災害公営住宅。平成29年5月の完成予定と聞いて本当に驚きました。妹が「気仙沼から北上市に移り住んだ人たちも少なくない。」
と話していましたが、そんなに長いこと待っていられないという気持ちも分かるような気がします。
 そのあと、震災後3年ぶりに再開したという「海の市」に行ってみました。気仙沼に住む弟夫婦が「都会風におしゃれに生まれ変わったよ。ただね、あま
り地元っぽくなくて何となく落ち着かないんだよね。」と話していた所です。新鮮な魚介類を販売したり、鮫の博物館シャークミュージアムも併設する「海の
市」は魚市場のすぐ近くにあります。行ってみて私も妹も弟と同じような印象を持ちました。「ここはどこ?」うれしいような残念なような気がしました。もちろ
ん全部が全部変わった訳ではありませんが…
 その日鳴子温泉のジャズフェスティバルを楽しんだ妹たちは翌10月4日土曜日には平泉を見てから帰ると言うので、朝、平泉駅で待ち合わせをし、私
も夫と4人でまず毛越寺を訪ねました。そこでとてもうれいし事がありました。
 平泉町立平泉中学校の生徒さんたちが各所で史跡説明をしてくれたのです。何でも3年生が総合学習の一環として町内の史跡を勉強し、その発表を兼
ねてこの日の午前中親子レクとして案内や説明を行っているとの事。まずは観光客の承諾を受けてから説明を始め、質問も受け付けてくれます。自分で
案内板を読むよりずっと分かりやすく、何より一生懸命に取り組む3年生の姿がほほえましく、この日この時間にここに来て本当に良かったと思いました。
 数年前から3年生の親子行事として続けているとの事で、先生や親御さんたちが遠巻きに子供たちを見守り、質問に答えられない時には助け船を出し
ていました。さすが世界遺産の平泉です。
 先日、都会でもハクビシンの被害が増えているというニュースを見ましたが、うちの辺りはなおさらひどい状態です。立花の正蔵寺では屋根裏に住みつ
いたハクビシンを業者に退治してもらったという話です。いくら鳥獣保護区になっているとはいえ、"仏の顔も三度"?まで待つ訳にはいかない迷惑な話で
す。近所のブドウやブルーベリーも皆食べられてしまいました。わが家の半甘柿も同様です。カラスとハクビシンにあっという間にすっかり食べられてしま
いました。渋柿にまでいたずらの手や口ばしが伸びてきています。  



    NO334    2014年11月2日 発行 

10月27日~30日
 「道祖神の里めぐり」鳥取県大山町と米子市淀江町を中心に。
  石造道祖神は長野・神奈川・静岡・山梨・新潟などが多い。 西日本では、なぜか鳥取県に集中する。それで鳥取を歩いた。
4日間で巡った道祖神は31場でおおよそ100塔。
 道祖神像と直接結びつくものではないが、大山町鈑戸 (タタラド)の両墓制の河原は心に染み入る光景。


10月31日
 東公民館祭りの前日準備 

11月1日
 東公民館祭りに三つの分野で参加 
 ①「夏休みの思い出をかべ新聞に」の作品展示
 ②「まほら秦野みちしるべの会」のイラストマップ展
   『道祖神の嫁入り』の講演
 ③「秦野ゆとりの会」の菊花展


かべ新聞展


まほら秦野みちしるべの会 イラストマップ展 


秦野ゆとりの会 菊花展 
 


    NO333    2014年10月3日 発行 


 本町幼稚園  夏休みに親子新聞づくり

 秋風に祭り提灯が揺れています。河川敷では松明の組み立ても進んでいます。「煙草まつり」を身近に感じます。この4月から本町幼稚園に勤務しています。
『エコー』を送っていただきありがとうございます。 お届けした写真は年長組(5歳児)が夏休みの課題として親子新聞づくりをしたものです。74名、どの家庭も
楽しい新聞が出来ました。先日の祖父母参観でも見ていただき好評でした。    加藤しのぶ  
  



 
 「新聞のまち秦野」を支えてくれる確かな、若い力がここにあるのです。
                              


NO332  2014年9月6発行 

 2014年の夏  

   
 お母さん ガンバって! 茅ヶ崎会場  お父さんも真剣   秦野会場
   
  にいだて ゆめ (小1)  藤井 美帆 (6年)
   
  柏井 優太 (小5)  八木橋華弥子 (小6)
   
 加藤 志歩 (小3)  譜久村瑚子 (小3)
   
大瀧ミチル (小 6) 大瀧 睦 (小2) 
   
      これがまあ終の栖か雪五尺  一茶 (8/26)  Myoko happiness illmination (8/26)





NO331  2014年8月19発行 

                                                 2014年の夏  

   
 秦野のお盆は七月  「ツジ」でご先祖様を迎える  盆  棚  
   
 庭の山百合 今年はよく咲く   八月に入りアサガオも元気
   
 8月1・2日 第57回全国新聞教育研究大会 千葉・市川大会
 秦野西小PTA広報委員会から5名が参加
ビデオデッキまで持ち込み自作の映像で発表
P広報委員に見てもらいたい内容
   
「西小の発表は圧巻」は参加者のYさんの言葉 今回の市川大会への参加で私の大会出席回数(年)は34






NO330  2014年7月1日発行 


 袖ヶ浦市でPTA広報紙づくり講座を開きます

  日 時  平成26年7月25日 午後2時より4時
  会 場  袖ヶ浦市市民会館 



 30周年おめでとうございます。1985年 私が10歳の年、それを今私が読ませていただいていることをとても嬉しく思います。駅伝の「たすき」を私も渡されているような、そんな重みを感じながらこれからも読みたいと思います。  岩田 香 


 タウンニュース 2014・6・14

 
 私は『エコー』とほぼ同い年

 お久しぶりです。「タウンニュース」で武先生のこと読みました。私は『エコー』とほぼ同い年です。312号で中学1年生の作った新聞を読んで、あぁ、中学を卒業してから何年も経ったのだなぁと感じました。
 私は武先生が校長先生だった時の最後の中学1年生でした。覚えていらっしゃるかわかりませんが、先生から、私には考える力があると言っていただきました。それまでは、そういうこと(色々なことについて考える事)を他人から肯定された事は殆どなかったので嬉しかったです。
 武先生は本当にアクティブですね。人生、いつ終わるか分からない。出来る環境と状態だったら行きたい場所に行きたいし、会いたい人には会いたい…そう思います。なかなか難しいですが…。 ヤマビル、気をつけてください!!!  気温の差が激しいので体調を崩したりしないように気をつけてください。  SHANE



NO329  2014年6月1日発行 


 元気に乗り越えました 4、5月の新聞・広報づくりの指導  

 4、5月に受け持った新聞・広報講座

 4月17日・神奈川県大井町P  4月23日・秦野市P連情報委員会  4月25日・秦野東中学校   
 5月2日・神奈川県中井町P  5月7日・伊勢原市P  5月13日・神奈川県松田町P  5月14日・秦野市P  5月15日・茅ヶ崎市P   
 5月20日・神奈川県湯河原 箱根町 真鶴町P  5月22日・神奈川県寒川町P  5月24日・東京都中野区P
 





NO328  2014年5月1日発行 
  「エコー」印刷版は5月20日で創刊30年になります。


  4月17日に開かれた大井町の広報づくり研修会を担当された教育委員会から「講座のまとめ」が送られてきた。


 エコー教育広報相談室代表  武 勝美様

 木々もすっかり芽吹き、新緑の葉が茂る季節、先生におかれましてはますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
 さて、過日開催いたしました「広報づくり研修会(第1回)」には、公私とも御多用の折、御指導いただきありがとうございました。
 「三陸新報Jのお話を拝聴したときに、改めて新聞や広報の存在意義を実感するとともに、読み手の心に響くような広報紙をめざすことの大切さを再確認いたしました。PTA広報においても「子育てを一緒に考えるため」という大きな目的をもち、今伝えたいこと、一緒に考えていきたいことが盛り込まれた広報紙がきっと作成きれていくことと思います。同封きせていただきました参加者の感想にも、この研修会をとおして、委員としての広報づくりへの取り組みの姿勢や考え方、次の活動への意欲が向上したという感想が多く寄せられ、私自身も嬉しく思います。これを機に広報づくりはもちろん、多くの人とのふれあいにまで広がることを切に願っています。ありがとうございました。

<参加者の感想>
○ 初めてのことで、広報とは何ぞや? と思いながら参加させていただきました…が、先生の話のとりこになったとでも言いましょうか、自分の知らなかった自分の特性を発見したような気になりました。文章を書くことが好きなのかなと…下手の横好きでしょうか。これからの活動が楽しみになりました。が、他のメンバーとの温度差がないといいな、と願うばかりです。もしできましたら、今後、ご相談等お話しできるチャンスがあればと思いました。
○ とても感動いたしました。参加する前は、義務感でいっぱいでしたが、武先生の話がとても魅力的で引き込まれました。気仙沼の話もあわせてキャッチコピーの話などとても興味深く、職場のみんなに話してあげたいと思いました。ありがとうございました。
○ PTA広報3回目の挑戦です。武先生の話に毎回、やる気をいただいています。ありがとうございます。
○ 初めて広報委員になりました。広報は主に報告を載せるものだと思っていたので、そうではないことを知り、とても参考になりました。
○ 広報づくりは初めてなので、参考になりました。広報の役割を考えながら、1年間がんばりたいと思います。
○ 大変なイメージしかない広報を初めてやるのですが、少しやってみたいと思えるようになりました。
○広報のわかりやすい記事の書き方などが学べて楽しかった。
○ 色々例をあげて説明され、わかりやすかった。今後、非常に役立ちます。広く情報を集め、できる限り良い会報を発行したい。
○ 広報の役割がわかりやすく鋭明されてよかった。未来のことがわかる広報誌をめざしたいと思います。
○ とてもわかりやすく今後に生かせそうです。どうゆう広報を作ったらいいのか、というイメージがわきました。ありがとうございました。
○ 終わったことだけでなく、これからのことを書くと良い記事になるということが分かりました。ありがとうございました。



NO327  2014年4月5日発行 

道祖神めぐり 次号に詳報の予定


猿田彦の面が彫ってある道祖神に献杯  山梨県中央市関原 2014年4月4日






NO326  2014年3月1日発行 


第63回全国小・中学校・PTA新聞コンクール表彰式     2014年2月24日



 審査委員会の言葉                                    全国新聞教育研究協議会参事  武 勝美

 祝「東中新聞」一千号到達  六十四年発行続け千号に達せし新聞の高し麗し       

 『東中新聞』の「文部科学大臣賞」受賞おめでとうございます。そして一千号の到達はすごいことです。快挙です。
 『東中新聞』の創刊は1950年、それから64 年という歳月をかけ昨年(2013年)10月25日に一千号を発行しました。このコンクールは今年で63回を数えますが、発行1000号という特別賞を出したのは今回が初めてです。このことは『東中新聞』は全国の小・中学校の学校新聞の中で、最速で1000号に到達したということを意味しています。全国で最も発行号数の多い学校新聞が『東中新聞』です。 
 学校新聞の役割は、①その時々の学校生活を書き残すこと、②学校生活に欠かせない大事なこと(時にはいやなことでも)を知らせることです。64年間『東中新聞』は読まれ、学校生活をもっと楽しいものに、より充実した中学校生活を送れるようにしよう、という話し合いのきっかけになってきました。
 東中で学んだ私は、『東中新聞』の創刊に関わりました。でも正直に言えば、私には『東中新聞』づくりについての記憶はほとんどありません。ただ印刷する前の原紙にヨードチンキ色の修正液をこぼしてしまい、真っ赤になった原紙に呆然としたことだけは覚えています。そのときから私の新聞作りは始まり、今もこうして皆さんに新聞の話をしています。今の私があるのは『東中新聞』との出会いがあったからです。そして新聞作りを指導してくださった先生方、支えてくれた東中生のみなさんによって今の私があると思っています。
 千号を作った広報委員の頑張りは言うまでもありません。でも『東中新聞』は全校の皆さんの協力、先生方の指導や支えによって発行が続けられてきたのです。生徒会の活動がなければ記事は書けません。アンケート調査に協力してくれるから紙面にグラフが載るのです。ですから、今日の『東中新聞』の表彰は、東中学校の生徒・先生の全員に対して行われたものです。
 千号を超えた『東中新聞』が新らたな心で確実に歩を進めてくれることを同窓生の一人として願っています。受賞 おめでとうございました。 



NO325  2014年2月1日発行 

  VERAさん こちらこそ素敵な時を持たせていただきました ありがとうございました

2014年1月17日
 イギリスのCoventry 市に住むVera and Eric夫妻とのお付き合いは今年で28年になる。そのVeraさんが亡くなったとご主人から訃報が届いた。
 1987年、その夫妻の家に長男は下宿させてもらった。それがご縁で1990年春、夫妻を秦野に招いた。東京、秦野、箱根、ディズニーランドを一緒に楽しんだ。翌1991年の夏、私たちはCoventryを訪ねた。そして夫妻の案内でエディンバラまで足を伸ばした。それ以降、会うことはできなかったがクリスマスカードの交換は続いて27年になる。プレゼンはお互いの街(市)のカレンダー。
 ご主人Ericさんが書いてきた手紙に「私たちはFantastic timeをあなたたちともてたことに感謝します」とあった。共に旅した思い出がいっぱいの私たちだから、「こちらこそ」という思いを込めてお悔やみの言葉を20日に届けた。



NO324  2014年1月1日発行





郷土玩具「馬」




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~ 武勝美の教育個人紙 ECHO ~