返ってきた  - ECHO -
読者の皆さんからのおたよりを紹介しています。

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2013年12月1日更新

 子供の遊び 大切なのは遊びの質
 朝晩めっきり寒くなってまいりました。今まで露わな恰好で寝ていた我が子も、さすがの寒さに寝相がよくなりました(笑)。
 登校時ポケットに手を入れて歩く子供の姿が多くなり、「ポケットから手を出して歩こう」と、自分の両手を上にあげて伝えると、子供たちも手を挙げて返してくれます。かわいらしい手袋を見せてくれる子、ポケットからカイロを出してニコッとする子、まだ半袖Tシャツ1枚で元気に登校してくる子もいます。子供たちを見送り、家に戻るまでの道のりでついポケットに手を入れてしまいそうになる自分に、「ポケットから手を出して」と言いきかせている今日この頃です(苦笑)。
 エコーを毎号送ってくださり、ありがとうございます。なかなかお返事できず申し訳ございません。最新号の第306号を拝読いたしました。時節柄、エコーの記事も「実りの秋」といった感じでしょうか。また、広報活動はどの学校も今が一番充実しているのではとお察しします。
 「小学生の放課後」は大変興味深い内容でした。我が家では、友達とは外で遊ぶようにと伝えています。と同時に、学校にいる間にたくさんの友達と遊ぶよう伝えています。なかなか友達と遊ぶ時間が作れないのが現状ですが、やっと約束して児童館などに遊びに行っても、ゲーム機を持ち込んで遊ぶパターンが多いらしいのです。ゲーム機を持っていない我が子はいつも帰ると怒っています。そんな時は、ゲーム機がない学校で、目いっぱい遊んでおいでと話します。
 今の子供たちは、外でも室内でもゲーム機で遊ぶというのが現状のようです。だからといって、ゲーム機を与えるつもりはありませんし、ゲーム機がないからといって友達がいないわけではありません。大切なのは遊びの質であり、それにはゲーム以外の遊び方を日頃の生活の中で教え・伝える大人や環境が必要なのではと私は思います。大人がゲーム機やスマホにハマってしまう今日、遊び方を知らない子供に外遊びをと願うのは、大人として少し無責任なような気がしてなりません。  安田 奈々


 「新聞作りは民主主義の学習」という言葉に心を動かされました
 東中新聞1000号 届きました。ありがとうございます。「文化の日」の今日、隅から隅まで読ませていただきました。生徒は三年間で入れ替わるので、東中新聞の継続には、情熱と根気のある先生がいらっしゃり、指導されたからです。また、4ページの先生のお言葉から、新聞作りは民主主義の学習だったことを知り、心を動かされました。    
 来年3月『東中新聞』の展示会があるとのこと。大勢の方が見てくださると、関わった一人としても嬉しいことです。  めぐみ

 
 ご無沙汰しております。『エコー』届きました。ありがとうございます。前日、東中学から『東中新聞』千号が届きました。四年前、先生から「『東中新聞』がまもなく千号になる」と聞かされ、その到達が待ちち遠しかった千号です。『エコー』の中にも千号の文があり、とても嬉しく拝見いたしました。今、児童館に勤めており、毎月「児童館だより」を発行しています。これからも先生に教わったことを活かし、読んでもらえる、魅力的なおたよりを作っていこうと意欲が湧いてきました。何かとご相談することがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。   真弓                

 
 『東中新聞』のこと神奈川新聞で拝読。千号記念に携わった生徒皆さんの自覚が良く伝わってきました、先生の修正液をこぼされたエピソードも面白かったです。それと、千号の記念記事に先生を中心にした「はまり写真」、これを撮った記者に拍手。   健二            

 
 中学生が先生から受ける影響は大
 「ECOH」が届き、読んでみると私のことが書いてあるではありませんか!びっくりです。ありがとうございます。中学生以降の私があの文に集約されている気がして、嬉しかったです。「東中新聞」千号、中学生の時の気持ち半分…親としての気持ち半分で読みました。人とのつながり…が千号のテーマ。こればかりは、日々の積み重ねですし、千号にふさわしいテーマと思いました。中学生って、こんなにもしっかりしている! 自分はどうだったかな…と考えこんでしまいました。
 今の中学生は、情報社会であるがゆえに、たくさんの選択肢がある反面、迷いや不安も多いのではないかと感じました。自分で取捨選択できる力を身に着けて欲しいと思います。
中学で陸上を始めたのも先生に言われたからで、高校まで6年間続けました。東中学で3年間新聞づくりをしたのも、武先生と瀬戸先生がいたから。積極的ではなかったけど、自分の居場所だなぁと感じていたと思います。与えられたものでも、私はすごく楽しむことができるのです。私は周りの人にきっかけをもらい、恵まれてここまでやってきたように思っています。中学生時代に経験した事は、大人になってからの自分の基礎みたいなものになると思っています。無駄な経験って、ひとつもない。だから先生が与える影響は絶大です。この「東中新聞」千号発行は、携わった皆さんの将来のための大きな力となったはずです。今は分からないかもしれないが、大人になってそのことに気付くことでしょう。   久美子

 
 残った柿は鳥たちのパーティ用に
 今日、柿をお届けいたしました。焼酎漬けで渋抜きをしたものです。先ごろの台風で肌が少し汚れてお恥ずかしいのですが…。今年はなり年で、どこの家の柿の木もオレンジ色の実がびっしり。それなのにその風景はなかなか変わりません。少し前まではお年寄りが干し柿をいっぱいつるしていたのですが…。皮をむく人が減り、食べる人も減り(特に若い人)…、ちょっと寂しいです。私は1000個くらい収穫をしたでしょうか。残った柿は鳥たちの“パーティ”用に。     知子


  私は10月にパートをやめ自分の家の仕事をしています。結婚して20数年、家業に従事していましたが、外に出て改めて「不承不承」な生き方をしてきた自分に気が付くという…なんともかんともどうしようもない私なので、急には変われないけど、今までの自分に向き合い、少しずつ変えていければ、と思います。「人との交流はちょっと疲れるな〜」って思ったりしてきたけど、発見とかあって大切だと…ECHO読むたびに考えています。
 道祖神の記事、最近興味が出てきたので、先生のHPの記事読みだしています。色々あるのですね! 昔の方たちは行動範囲がかなり広かったのでしょうか? 私などは家に居たい派なので身近な所から視野を広げたいです。     臣子


 足の傷もようやく癒え、本来の私のペースに戻りました。11月3日は京都丹波ロードレース。小雨降る肌寒い中でしたが紅葉は見ごろ。その景色を楽しみながら走り86人中の6位入賞(10`・50分28秒)。副賞に丹波黒豆もいただきました。11月10日は滋賀・彦根シティマラソン。常にお城を見ながら走るコースでしたが土砂降りの雨でお城を眺める余裕はなかったです。12月1日は熊本・天草で10`を走ります。   典子


 
2013年11月1日更新

 すごい縁ですねぇ
 東中新聞1000号の新聞記事をたまたま読み、大変懐かしくなりました。自分が卒業した年を一生懸命数えたら、平成四年でした。(笑)間違ってないかな!? 当時は新聞委員会と言ったと記憶しているのですが>。
私は、在学中3年間新聞委員会だったかなぁ〜とぼんやりですが、思い出してみました。特に、3年の時は4週間に一度、東中新聞を書いたこと。コンクール前、清書を担当していた私は夜遅くまで残された!?こと。(これは3年の時だけではなかった・・・はず)鮮明に覚えています。あの当時は、武先生と瀬戸先生が担当されていました。中学3年間は勉強はそこそこに、とにかく新聞づくりに明け暮れたことが思い出されます。だって、学級新聞も同時に作ってましたもんね! 2年の時に作った学級新聞「いまどきの2組」は、何か賞をもらったかな?
 今は、石田先生が東中学校の校長先生になられたと、同級生から聞きました。数か月前に、Iちゃん、Nちゃん、Hちゃんと、我が家で遊んだ時に、そんな話になったのです。(多分、、Iちゃん、Nちゃんは3年の時、新聞委員だったと思う)
 石田先生は故郷・広島の島自慢をよくしていた記憶があるんですけど、校長先生になられたんですね。そりゃ、私も37歳になるわけです。どうぞよろしくお伝え下さい。
  H製作所に入社した後も、社内報を担当することになり、困り果てた私は、武先生にрして助けて頂きました。その社内報は6年間作り続けました。会社の同期だったMさんが、小学校の広報委員長で、今、武先生にお世話になっていると聞きました。びっくり・驚きました。初めて彼女が作った新聞を前に見せてもらった時、私だったらこうするよーと、武先生から教わったことをアドバイスしちゃってました(笑)
 先生の姪のTちゃんとも、子供が二人とも同級生で、同じ幼稚園ということで、仲良くさせてもらっています。今も下の子が年長さんで同じクラスです。すごい縁だなぁ と感じています。  wakkey
 

 「東中新聞」千号 おめでとうございます
 「東中新聞」の千号発行 おめでとうございます。これを機に押入れから保存してある東中新聞を引っ張り出してみました。当時の熱気のようなものが伝わってきて少し感動してしまいました。 
 今の広報委員会の志がどれ程のものか分かりませんが、私たちは部活動並みに意気込んでいる委員が多くいました。その制作の集大成と言える活版新聞も出てきました。第760号の東中新聞です。確かこの号は新聞社のコンクールで賞を頂きました。
 表彰式の当日、会場で速報をつくりました。副委員長の阿南さんとインタビューの仕事を頼まれました。全国から集まってきた私たちと同じように新聞制作に力を注ぐ小・中学生たちと話ができたことは、貴重な経験でした。地道にみんなで新聞を作り続けていたからこそ集まれた場所だと思いました。そうした努力、頑張りが続いてついに千号! すごいことです。そして私には嬉しいことです。東中学校に感謝します。誇りを持って2000号を目指してください!  mamino


 北上だより NO6   「昭和三陸大津波」のことを記した父の日記
                                                         北上市  渡辺 知子
 先生のホームページを見てびっくり。菅原様が国立歴史民俗博物館・佐原市に出かけられ復元された尾形家の展示をご覧になられたことを知りました。なんともいえぬ嬉しさ。とてもありがたかったです。
 その展示会の図録に父・尾形栄一の日記の一部が載せられています。昭和8年3月3日の地震と津波(昭和三陸大津波)の体験の部分です。私の知らない少年の頃の父の日記。手元に置きたい、すべてを読んでみたいと思いました。
 小々汐の尾形家ではキュウリを作りません。昔、疫病が大流行したとき網元は願掛けをしてキュウリを絶ったのだそうです。ですからお盆に帰るときはキュウリを持っていきます。ただ今年は足を痛めているので、お盆も秋彼岸にも気仙沼に帰れず気になっています。
 秋の味覚のサンマがなかなか南下せず、気仙沼港の水揚げは伸びていないようです。「サンマは気仙沼」。私はサンマ 大好きです。だからサンマ漁を応援しています。
  (武注 尾形家住宅は国の登録文化財の指定を目指していた。文化7(1810)年建築の気仙沼の網元の古民家。渡辺さんの実家。)



2013年10月1日更新

 来年も親子新聞づくり講座に参加したい
 この夏、公民館で開催されました「親子で作る壁新聞講座」に参加しました。二学期の初日、娘は壁新聞を意気揚々と持って行き、担任の先生にお渡しすると、「すごい! いっぱい書いたね」と、たくさんほめていただき、すぐに教室に貼ってくださったそうです。帰ってくるなり「新聞 作ってよかった」と申しました。
 新聞作りで楽しかったのは、絵を描いたり、色紙で飾ったり、色を塗ったりしたことだったそうです。娘は一年生です。平仮名しか習っていないので、片仮名にだいぶ苦戦していました。写真をたくさん使ったのでそれについて書くことも大変なようでした。でも、完成した新聞を眺め、満足していたのでこの挑戦は良かったと思いました。
 見出しが目立ちやすいように「字体を変えたり、文字の線を太くするほうがいい」という先生のアドバイスのとおりにすると、見違えるように良くなりました。来年も新聞の講座があればぜひ参加したいです。ご指導、ほんとうにありがとうございました。   N


 息子の壁新聞は一日遅れで完成 今朝学校に持っていきました
 先日は東公民館での親子壁新聞作り講座、ありがとうございました。翌日の神奈川新聞の記事を読んで娘は恥ずかしそうでした。今年思い切って参加して本当に良かったです。
一番は武先生にお会いできたことですが。それで報告ですが、息子の壁新聞もなんとか完成し1日遅れで今朝、学校へ持って行きました。東公民館祭りにお持ちしますので見てやって下さい。   伊勢由利子

2013年8月1日更新


michiko


masako


 4人の子が使った机が ついに私専用に やったぜい!
 ECHO300号のとき、お祝いの言葉を書きたがったのに…、もう303号。そして、お手紙を書こうと思ったのが新学期の4月。本気で「今でしょう」と思ったのに、もう7月。“ヤバイ、夏休みになっちゃう”、と深〜い反省をしながらやっとこさ机に向かっている今です。この机、子供たち4人がそれぞれ使っていたもの。今は4人独立して( 最後の4番目は5月にやっと)家を出たので、今はこの机は私専用になりました(やったぜい)。
 鶴巻中学校へ『新聞づくり講習会』でいかれたのですね。鶴巻中学校と言えば、長男が入学したとき武先生が校長先生として赴任さ れたのでした。その子も今は33歳、一人親方で大工をやっています。また先生が退職されたとき、鶴巻中を一緒に卒業した長女は、今は4児の母隣、私と対等? (お互い4人の子持ちなので)の会話をするようになりました。ところが、今年主人が定年退職したとたん、その娘が「子ども(孫のこと)の誕生日のお祝い金はもう要らないから」と金銭的なことに気を使われてしまう始末。ジジ、ばばの楽しみを取り上げんじゃないよ! と断固拒否しました。が、年寄りだけの我が家の食卓は実にセコい。これには笑っちゃいます。バレバレの背伸びをしているジジ、ババです。    畠 和子




 気仙沼市小々汐地区の旧家・尾形家 (エコーの読者・渡辺知子さんのお父さんの生家)
     まったくの偶然、あるいは必然、昨日7月31日に菅原澄子さん(市川市)から届いたメール(下)

            
                               尾形家の盆棚  photo 菅原澄子
 

 短時間ですが「国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)」へ寄りました。みどり豊かな佐倉城趾の一角で、心静まります。訪ねたわたしのねらいは下記の展示です。
 ≪第4展示室特集展示・人間文化研究機構連携展示≫「東日本大震災と気仙沼の生活文化」
 展示してあるものを見ると、津波との闘い、その歴史と文化、人々の生き方が迫ってきます。そしてこの博物館では震災直後から気仙沼市小々汐地区の旧家である尾形家住宅など、被災した個人の住宅を対象に被災した生活用具や民具、文書などを救う活動をしてきました。その取り組みの見事さに感動させられました。
 尾形家は、気仙沼湾の東岸の岬に位置する旧網元の家です。なるほど文化を大切にしています。尾形家住宅の一部は当館の新しい総合展示第4室「民俗」で再現展示してあり、これには嬉しくなりました。この住宅の中に「盆棚」があるのに驚き、しげしげと見ました。盆棚といえば、武先生のホームページで何回も見せていただいてるので、興味が湧きます。胡瓜と茄子はあるのかな、向きはどうかな、と探してみたがこの棚にはなさそうです。盆棚の説明に「位牌や供え物などを置き、掛け軸を下げ、盆花を飾る」とあります。武先生の画像ギャラリーを覗くと、2005年くらいに「盆棚」の写真が出てきました。懐かしい! 宗派もあるし産物の違いもあるし、比べてみると面白いです。そんなわけで昨日は武先生の盆棚と秦野の文化がしっかり浮かんできました。  菅原 澄子

 
 明るい報告もします
 6月26日 今年初めて蝉の声が聞こえました。空梅雨だろうが何だろうが、土の中で長い間このときを待っていた蝉たちにすれば「夏」。いよいよ出番がきたのです。
 先生、“後手 後手”ですみません。だいぶ前の情報をお届けします。「河北新報」によると、気仙沼市小々汐の尾形家(父の生家・以前{『エコー」で取り上げていただきました))の住宅の一部を再現した企画展が、千葉県佐倉市にある国立歴史博物館で9月23日まで開かれています。
 それを機会に東京に住む姉と見学に行くことを考えていました。ところが、今、私は動けないのです。畠や庭の堅い土と闘い腰を痛めてしまいました。一カ月半ほど前からひどい坐骨神経痛で苦しんでいます。東洋医学と西洋医学の両方に救いを求め、少しは良くなって着ましたがまだ時間はかかりそうです。
 先生に明るい報告もします。先日中学校から「昨年度の県PTA広報紙コンクールで優秀賞に選ばれた」と連絡をいただきました。『日高見』は初参加で、初受賞です。武先生のおかげです。ありがとうございました。今年はPTAの広報委員にはなっていませんが、新聞づくりの目で物事を見る目は失くさないようにしたいと思います。  渡辺 知子


 4?歳のスタートは好調(?)
 おはようございます。今日の朝刊『気流欄(読売新聞)』に、投稿文が載りましたので報告します!
 残念だったのは、年齢が1歳増えて載ったことです。昨日が誕生日で、投稿した時はまだ1歳若かったのに…。1日遅れの誕生日プレゼントとなりました。
 誕生日プレゼントといえば、昨日は峰々と貫太朗の面談があり、2人ともよく頑張っているとのこと。先生のお話は、何よりのプレゼントになりました。峰々からは、部活の帰りに少ないお小遣いでケーキを買ってきてくれました。子供たちの「ハッピーバースデー♪」の歌もあり、心もお腹もいっぱいになりました。
 ただ、もう一つ残念だったのは、ウイリアム王子とキャサリン妃のお子さんと誕生日が1日違いなこと。私も予定日を1週間過ぎて生まれたと母からよく聞いていたので、ひそかに期待していたのですが…。日本時間なら23日でしたのに…。
 4?歳のスタートは好調(?)のようです。今日はこれからパートです。行ってきます。    安田 奈々


2013.7.24

 キュウリをバリバリ  ご馳走さまでした
 今年も寺山から運んでくださいました新鮮なキュウリに筍、それにユウガオの苗。お心のこもった品々にとても感激いたしました。早速筍の皮をむき始めましたら、夫が「オレがやる」戸大鍋をだして、ゆっくり茹で味付けまで全部やってくれました。「毎年ありがたいな」戸感謝しつつ夕食に頂戴いたしました。採りたて奈までトテモおいしく、明日は竹の子ご飯にしようと大よろこびしました。キュウリは大きく切りバリバリごちそうになりました。もったいないので一本だけにして、「また明日ね」。ユウガオは大きい鉢に植え替えました。しっかり咲かせなければと思っています。本当にありがとうございました。   fujiko

  富士山を正面に見ることが多い秦野の道
 道祖神の調査をされていますが、これだけ秦野に道祖神があるのも昔から人の行き来が多くあって、それは商人の交流もあったかもしれません(東海道の裏街道として利用されていたという矢倉沢往還)が、地元の大山詣で、またここで世界の文化遺産の一つに入れられた富士山をお参りする富士講など、秦野を通過する人々が多かったことは想像できるし、それに合わせるように道祖神が道々に置かれていたのかと思われます。昔の人も眺めた、昔の人のこころを惹きつけた、旅ゆく人が思わず立ち止まって手を合わせたくなったであろう、そんな道祖神の姿は神々しいですね。前にも書いたかもしれませんが、車で走っていると、秦野の道路は正面に富士山が来るようになっていると思うのは思い過ごしでしょうか。  三嶽 雅彦






2013年7月1日更新


山形から届きました

 見て見ぬふり?
 広報委員会の企画会議で「子どもの問題にどう向き合っている?」というような特集を組んだらと提案したら、「いじめに触れないで!」 「いじめを連想するようなことをPTA広報は書くべきではない」 「早く忘れてあげて」(本校では深刻ないじめがあったのです)などと完全否定されました。PTAでも考えなければいけない「いじめ」のような問題から目をそらし、他の力(学校や地域)の力に頼ろうとしているのです。「いじめは見ても見ないことにしよう」という波動が広がっているのではないかと心配です。   fumiyo
 
 見知らぬ私にも「こんにちは」 
 先日石川の実家に帰省しました。驚いたこと二つ。散歩中に出会った小学生、中学生のどの子もにこやかに「こんにちは」と挨拶をしてくれるのです。もちろん顔見知りではありません。とても気分が良かったです。家庭のしつけ、それとも学校での指導ですかね。もう一つ、幼馴染たちが皆定年で家に居ました。私も還暦、と改めて思わされました。新宿まで出ての英語学習は2年目に入りました。若い人たちに刺激され、忘却曲線と戦っています。   kamiya



2013年6月1日更新


孔雀サボテン


 高校でも広報紙づくりに関わります
 大変ご無沙汰しております。柏中広報 松浦です。といっても3月までの話で、中学校の保護者ではなくなってしまいました。
 『ECHO』が届きましたときすぐにお礼を差し上げるはずでしたが、最後の号の仕上げや引き継ぎ作業など、目の前の作業に追われ、お礼が遅れ、大変申し訳ありません。この度はこのような機会をいただき、本当にありがとうございました。受賞式のときに先生にお話をいただきましたが、取りかかれたのは、広報紙を卒業式前日に無事発行した後でした。
 いざ書いてみると時間ばかりが過ぎてしまい、なかなか進みません。最終的に満足な文章ができたとはいえませんでしたが、『ECHO』の紙面を読んだとき、自分の思いが文字になることのうれしさ、改めて感じました。
 ご存知の通り、昨年度は我が家は義務教育の最終年度で、私自身のなかでは、これまでのPTA広報委員の総決算の年でした。おまけに広報委員長もやることになってしまい、正直初めは戸惑いもありましたが、なってしまったからには、これまでやりたかったことも取り入れてみようと、年間を通じいろいろな工夫を行ったつもりです。結果、全国コンクールで最優秀賞受賞という、思ってもみなかったごほうびをいただくことができました。またそれ以上に、活動を通じて、たくさんの方々と交流を持てたりと、目には見えない“得るもの”がたくさんあって、本当にこれまで継続してやってよかったなぁと思える年になり、ここでも広報活動のすばらしさを実感することができました。
 実は、高校でも広報紙づくりに関わることになりました。(あと3年活動が続きますよ!) 通学範囲が広範囲であるため、保護者の活動の負担が軽減するように、これまで私が歩んできた広報委員の仕事内容とはかなり異なりますが、同じ気持ちの人がいれば、少しでもこれまでの広報活動に近いことを行い、「やってよかったなぁ」と思えるような活動を行っていきたいなぁと思っております。   松浦 智子


 あのときの苦労は無駄ではなかった
 こんにちは、先日の「広報技術講習会」では、ありがとうございました。1年前に比べると今回の講習会は、武先生のお話を深く、納得しながら聞くことが出来ました。P広報紙の役割、PTAの大切さを改めて実感しました。
 ところで、先ほど西小Pの副会長さんから、「県P広報紙コンクール授賞式へ出席を」と連絡が来ました。嬉しさのあまり、改めて『西のいぶき』を読み返し、「あの時の苦労はけっして無駄ではなかった〜」と、紙面を眺めながら思ったのでした。 すると長男が、「オレ学校の委員会の第一希望を広報委員会にしたんだけど、なれなかったんだよ〜」と言いました。文章を書くのが苦手だったはずなのに・・・。昨年は私だけでなく、息子も新聞作りを経験して何かが少し変わったようでした。 
 その表彰のことですが、今年は、当日会場で何賞か発表されるということなので、ドキドキです。6月7日受賞式に行ってきます。   石井 映子


 広報のお手伝いが出来たらいいと思っています
 武勝美先生 実は武先生のことを知らないで講習会に参加しました(申し訳ありません)。先生が広報づくりでは著名な方だと知ったのは手話通訳者のおかげです。通訳の方々は先生のことを存知あげていました。
 聴覚障がい者イコール情報障がい者でもあるので、皆さんと同じ立場に立ちたくて広報ボランティアに申し込みました。実は聴覚障がい者であるコンプレックスから、今までは勇気がなく、子どもたちに迷惑かけたくなくて、出来るだけ目立たないようにしてきました。しかし、子どもたちに「そんなの関係ないよ。お母さんは他のお母さんと変わらないよ。」と言われたとき勇気が出ました。
 講習会で武先生のお話を聞いて、今まで知らなかった世界が広がりました。広報の世界はこんなにあるんだ!と。目から鱗でした。広報の目的とは? 役割は? 最後にいじめについてどう伝えるかも考えることができました。講習会を参考にし、学校の皆さんに楽しく読んでもらえる広報のお手伝いが出来たらいいと思っています。     原 佐登美

 
 広報委員長のつもりで
 今、M小学校は色とりどりの緑に包まれています。その緑が湖に映えて、思わず見入ってしまう美しさです。4月早々にお電話をいただきありがとうございました。勇気づけられました。その日からの一カ月は、あっという間に過ぎてしまいました。その間、学校だよりわよ3号まで発行させていただきました。
 学級担任として23年間書き続けてきた学級通信も、その後書かない(書けない)期間が8年間…。第1号、2号とと書き始めて、ようやく自分の言葉が戻ってきたように感じています。
 M小学校の広報委員長として、楽しんで書いていこうと思っています。これからもご指導・ご助言をよろしくお願いいたします。   山ア恵美子

 
 3個の弁当の中身をマンネリ化させないようがんばっています
 4月15日〜始まった『北上展勝地のさくらまつり」には全国から、また外国からもたくさんの観光客が訪れています。29日は天候にも恵まれ4キロの渋滞だったそうです。今、桜は八分咲き。暖かい日もありますが寒暖差が激しく暖房はまだ欠かせません。今日も最高気温は八℃、明朝の最低気温は四℃とか。
 低温のせいだけではなく、花芽を食ってしまう鷽の被害なのか、今年の花はバラつきが多く、色も白っぽいような気がします。 いつもなら馬鈴薯の植え付けを済ませ、そろそろ田植えが始まろうかというのに、今年はなかなか進みません。雪が多かったので土の硬いこと硬いこと。雪の重さに耐えた土たちに空気をいっぱい吸わせてあげたい、ふかふかにしてあげたいと思っているのに、また雨模様。北上がすっかり春色に染まるにはまだまだ時間がかかりそうです。
 子どもたちは、と言えば末娘も次女と同じ高校に合格しました。私が今がんばっていることは主人と子どもたちの3個の弁当の中身をマンネリ化させないようにする、ということです。うちのお弁当箱はけっして小さくはありません。バランスの良い食事になるよう毎朝がんばっています。    渡辺 知子



2013年5月1日更新

 
 子どもたちに負けないように 頑張り過ぎないように 頑張ります                                                      
 ご無沙汰しております。エコー300号、301号を送っていただきありがとうございます。
 年明け、長女の高校受験から始まり、合格後は入学準備や、次女の中学校の入学準備…など、なにかと慌ただしく過ごしていたので、なかなかゆっくりとお返事を書くことができず申し訳ありませんでした。我が家初の高校受験生とあって、親になってからいちばん神経を遣った気がします。特に今年は入試制度改正初年度とあってピリピリ状態でしたが、受験当日の朝、見送った峰々の背中を見て思ったのは、「心身共に健康でこの日を迎えられたことが、なによりの喜び」ということでした。
 受験に必要なのは、学力だけでなく、充実した3年間の学校生活、そして家庭生活なのだと強く感じました。長女は面接で「学習教科以外で3年間の学校生活で頑張ったことはなにか」という質問に、「掃除を一生懸命頑張った」と答えたそうです。生徒会や部活動など、自分をアピールできることがたくさんある中で「掃除」を選んだ我が子…。親バカですがすごいなあと感心しました。娘の性格と、先生から聞く学校生活の様子を振り返ると「そうだね」と頷けます。3年間よく頑張ったと親の私も褒めたほどでした。
 次女はサッカーのクラブチームに入りました。勉強との両立を目指し毎日コツコツ取り組んでいます。長男は中学生になったらジュニアユースに入りたいと進んで勉強するようになりました(勉強もある程度できないと合格できないそうで)。子供たちの意気込みに圧倒されます。今の気持ちを持続できるように見守りたいと思っています。
 そして私ですが、中学校のP学級委員を受けました。初の単P広報紙を作成します。他の委員さんと一緒に初心にかえって勉強したいと思います。5月15日の広報技術講習会、よろしくお願いいたします!
 エコー300号「正しい話し方・言葉づかいができなければ文は書けない」はまさにその通りだと思います。入学祝に二人の娘に携帯を贈りました。長女には中学生では持たせなかったのですが、下の娘にはサッカー遠征などで必要とのことで、「サッカー以外の利用はダメ」という約束で持たせることにしました。まずは先輩やコーチなど目上の人への言葉遣いの指導から始めました。併せて、相手への思いやりと心遣いの気持ちを忘れないようにと伝えました。難しいことですが、声を文にして書くということの楽しさを味わってほしいと思っています。私も子どもたちに負けないように頑張りましょう(頑張り過ぎないように!?)。    安田 奈々


 新しいライフステージに合わせ、社会参加を
 清清しい日々が多くなり、こいのぼりの空を泳ぐ姿を見るのも楽しい季節になりました。(最近は少なくなりましたが)
 『エコー』ありがとうございます。PTA新聞づくりを楽しんでいらっしゃるような文を読むと「がんばってね お母さん」と応援したくなります。
 さて、私のほうは、二人の子供は大学生になり、やっと子育ても終了、これからは自分自身のために何かを、と思ってた矢先、義父が急に亡くなり義母と同居。そして介護生活が始まりました。昨年の夏のことでした。
 仕事(教育指導助手)をしながらの介護、体力には自信のあった私でも少々きつく、膝を痛めるは、体調を崩すはで、年末には気力体力ともに疲れ果ててしまいました。義母の体調は良くなりましたが、これからのことを考えると仕事を続けることが負担になりそうなのでこの3月で辞めました。とてもやり甲斐を持って続けてきただけに随分悩みました。新しいライフステージに合わせ、違った形で社会参加もできるはずと考え決断をしました。「おはなしころりん」の活動をしながら義母の世話をさせてもらっています。
 先生にはくれぐれもお体には気をつけてくださいますよう、そして活動をなされますようお祈り申し上げます。   福岡 尚夏


 宣言しようかどうか悩んだのですが…。 私 ことし心に決めたことがあります。それは『エコー』を読んだらすぐに先生に手紙を書くということです。今回で3度目。ちょっと楽しくなってきたので続けられそうです。他愛もない私の近況報告に先生を付き合わせてしまいますが(笑) お許しください。手紙を書くという習慣がすっかりなくなってしまったので辞書を片手にがんばりたいです。  yukikaki


 創刊300号 おめでとう。『エコー』の創刊日は5月20日。実は私の誕生日も5月20日。今度の誕生日で77歳になります。『エコー』はまだ29歳、若い、未来がある。元気な『エコー』を待っています。  nobuo
 

 貴重な経験ができた一年間
  お花見はもう済まされましたか。この季節花粉症の私はブルーな気分になりますが、満開の桜を見るといっときは心も晴れやかになります。4月を迎え、私の市P連広報紙委員長の活動も終わりました。一緒に活動してきた委員の方から「一年間楽しかったです」と言ってもらえたことが何より嬉しかったです。
 広報委員を受けていなければ委員の皆さんと知り合えなかった、武先生とも出会うことができなかったのです。「動かなければ出会えない」  私にはこの言葉通りの貴重な経験のできた一年間でした。 
 先日、市の広報紙コンクールが行われました。24年度のPTA広報紙はどれも内容が濃く、一年間よく努力をしているとの感想を多くの審査員からいただきました。先生の講座が活かされた、と主催者にとっても嬉しい言葉でした。特に「広報紙が行政を動かした」という具体例は広報委員のやる気の起爆剤になったようです。 
 
最後になってしまいましたが300号 おめでとうございます。28年の積み重ね、ただただ 凄い! 新参者の読者ですが、これからも『エコー』を楽しみにしています。よろしくお願いいちします。   御園 春美


 不安な気持ちでスタートした私たちでしたが広報紙作りは面白く、楽しい一年を過ごすことができました。広報紙作りを通して学んだことやたくさんの人との出会いなど、この年齢になってもまだまだ学べる機会があるのだなあと嬉しく思った一年でした。  nonaka


 広報委員会の活動はたしかに大変なことも多くありました。でもやりがいのある仕事でした。委員の中から、いつしか同じ目標に向かう仲間も出てきて、その仲間たちと「ああしたら」「こうしようよ」と意見を交換しました。時にはぶつかり合うこともありましたが、それでもそこから生まれてくる充実感・達成感は格別なものでした。  shigehara


 302号届きました。ありがとうございます。今年度は広報委員をやらないことになってしまいました。2年間一緒に広報をやってきた人とどうしても同じ方向に向けない、私がブレている、と反省し、今年一年は広報には関わらないことにしたのです。でも、広報をやらないことでこんなに落ち込むとは思いませんでした。302号の「広報委員になったあなたへ」を読み、来年度に向けて前向きになろうと思っています。  koizumi


 4月は新しい出会いがあり、心がワクワクするので好きです。特集「PTA広報委員になったあなたへ」を感心しながら読ませていただきました。みなさん、本当に意識の高い方々です。このような方々に支えられている学校は心強いことと思います。
PTAの改革についてはさまざまな意見がありますが、PTAは保護者のためでも教師のためのものでもなく、子どものための組織で、子供のためにどのように改革することが最善なのかを忘れないでほしいと思います。  依光 玉恵


 人に学ぶ
                                                     中野 敏治
 学びの場は、様々な場面にあります。毎日教室に行き、目の前にいる生徒から学ぼうとする姿勢がなければなりません。教師の教師は生徒なのです。その生徒から学ぼうという姿勢がなければ、教師としての成長が出来ないと言っても過言ではありません。生徒にとって、何が良いことなのか、どうすることが生徒にとって良いことなのか、常に考え、行動を起こすことです。 目の前の生徒をどう育てていきたいのか、そのためにどうしたらよいのか、様々な場面から考え、行動することです。生徒のことを常に考えること、考えることで様々なこを生徒から学べるのです。生徒に学ぶ教師でありたいです。 
 人に学ぶことも大切です。教育は人を育てることが重要です。人を相手にしているのです。ですから、人に学ぶ姿勢がなければ、人を育てることができないのです。 人に学ぶ。その人とは、自分の周りにいるすべての人です。職場の人間から、様々なことを学ぶでしょう。保護者からもたくさんのことを学ぶでしょう。しかし、学校から離れて、自分の家族からも、隣に住んでいる方からも、お手紙をいただく方からも、お手紙を届けてくれる方からも、かかわりのある方すべてに学ぶのです。
 人として、人とのかかわり方、人を大切にすることの大切さなどを、たくさんの方から学ばせてもらうのです。人はそれぞれです。ですから、学び方もそれぞれです。丁寧に、謙虚に学ぼうという姿勢を大切にして、学ばせていただくことが大切なのです。自分で考えたことを、常に、他の人だったらどう考えるか、他には考え方がないだろうかなど、人に学ばせていただくことで、様々な考え方もできるのです。謙虚に、謙虚に、たくさんの方に学ばせていただくこと、それが教師として、人として成長につながるのです。
 まだまだ、学び足りない私自身。これからもたくさんの方に刺激を頂き、学びの場を頂き、勉強をさせていただこうと思っています。

  学びの場は、どこにでもある   学びは、一生かけての大きな作業である  
  人として人に学び 本に学ぶ そして、自分に学ぶ   人生は学び続ける道




2013年4月2日更新

 「捕れなくてゴメン 一生懸命練習するから」
                            
                    柿内 幸希
  武先生は野球はお好きですか。私は、特別好きというわけではなかったのですが、息子が少年野球を始めたのがきっかけでルールが分かるようになり「面白いな」と思えるようになりました。息子は現在5年生です。2年生のとき入団しました。今3年生の娘も同じチームに入ったので週末は〈野球三昧〉?のわが家です。(主人はチームの責任者です)
 2月11日に親子トスボール(スポンジバットとスポンジボールの野球)大会の低学年の部に参加しました。子供7人とお母さん3人のチーム編成で対戦します。毎回、開会式の中でされる注意は「お母さん方、張り切りすぎてケガをしないように」です。 バッターボックスに入ると、次に控えるバッターの子供が「絶対空振りすんなよ」。すごいプレッシャーです。
 苦しい試合の連続でしたが決勝戦まで勝ち上がりました。互いに点を取り合い1点差の最終回。相手にホームランが出たら逆転負けというシーン。
 センターに守りに入っていた私はもうドキドキ。と、隣のレフとを守っている娘がものすごく大きな声で「こーい」。「お母さん、声出して!」。
 「カキーン」。ホントはこんな音ではないけど、その瞬間はそんな音に聞こえました。バッターが私のところに打ってくれたのです。高く上がったボールを追いかける私。落下地点を見定めながら出したミット(グローブじゃない・ミットでよかった!)に、見事にボールが入りました。 チームのみんなが飛び跳ねて喜んでいるのが見えました。私の感激、興奮はしばらく冷めやりませんでした。
 練習のときファーストに入ったときのことです。子供たちが投げてくるボールが取れないでいる私を見て、コーチが「お母さんが捕れるボールを投げろ」と言われた子が、思い切り投げたいのに、と悔し涙を流したのです。それでその子のところに行き「捕れなくてゴメン、一生懸命練習して捕れるようになるから」と謝りました。その泣いた子がこの試合のキャプテンでした。彼のこのチームでの最後の大会でした。子供たちと一緒に、一つの目標に向けて真剣に努力し、幸せを勝ち取った充実した、そしてすてきなひと時でした。

 

  忙しい今だからこそ 頑張ってみよう 
 一年間大変お世話になりありがとうございました。送ってくださる『エコー』に感謝の気持ちでいっぱいです。『エコー』が届くとき、私は忙しさのあまり亡くしていく心を取り戻せるような気がしています。
 私事ですが、1月には義父が亡くなり、同じときに実父が病で倒れ、非常に忙しくつらい日々でした。適切な対応をしている自負はあるものの、次々に起こる思わぬ難事に余裕のない日々をあわただしく過ごしてきました。そんな折、市内P広報紙コンクールで優秀賞をいただけたとの朗報。本当に救われた気持ちでした。
 来年度は仕事のこともいろいろあり、PTAは受けないつもりでおりました。が、一緒にレイアウトをしていた仲間が広報委員長になり、「手伝って」のお願いを断れず、忙しい今だからこそ肩の力を入れずに頑張ってみようと広報委員に残ることにいたしました。来年度も先生と縁できることに感謝しながら、頑張りたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。    近藤真由美


 「一緒に頑張りましょう」って素敵な言葉ですね
  おはようございます。桜やレンギョウ・雪柳・菜の花本当に春爛漫。出会い・別れ・再出発・復帰、人生の色々が逞しく廻るのが春なんだね‥な〜んて浸っている今日この頃です。
 『ECHO』300号・301号ととどきました。28年という長い歳月、その時間の中にどれほどの「エコー」の響き合いがあったのでしょうか。「動かなければ出会えない」こそ始まりではないかと感じます。
 去年の11月からパン屋さんに働きに行っています。今の環境から飛び出て「自分」を試したいのとそれを見た子供たちがどう成長してくれるか…。そんな色々な思いから挑戦しています。 初めは自分でも信じられない位のミスをしてお店の人に迷惑ばかり…辞めようと伝えた時、お店の方に温かく「ミスは誰でもするしまだ日も浅いので 一緒に頑張りましょう」と言われました。 このお店での人との触れ合いは本当に人生観に幅を持たせてくれます。毎日が「新たな日々」と感じドキドキ・ワクワク。
 「一緒に頑張りましょう」って素敵な言葉ですね。人は孤独でないと感じた時 素直に笑える気がしました。
私も後から入ってきた人たちにそう接したいと思います。    矢部 臣子

 「乗らないのですか」
 用事があり、午後御殿場線で裾野まで出かけました。途中の駅「駿河小山」での出来事です。ワンマン電車でしたので、運転手がドアを閉めるために電車の周りやホーム上を確認しているときです。向かい側のホームの階段を急いで駆け上り始めた男子中学生3人が見えました。
 ところが階段の途中であきらめてしまったように動きがにぶくなりました。その時です。電車の車外放送で「乗らないのですか」と大きな声で呼びかけました。すると、中学生たちは、また一斉に駆け出し電車に飛び込んできました。その間1分は経ったと思います。都会では秒単位で運転している電車ですが、ここでは1、2分はあまり気にならないのだと思いました。これがローカル線の良いところ。運転手さんの心づかいに暖かさを感じたシーンでした。     中川 孝男





2013年3月1日更新



 特集 返ってきたエコー

 Ohki

 
 生きている証『エコー』 万歳
                    内藤 美彦
 三百号記念号、二四ぺージにわたる労作、読み応えがありました。一九八五年五月の創刊から二八年間『エコー』の果たした功績を心から讃えます。目には見えませんが、これに触れた人たちの心の中には、『エコー』から得たものが宝物として蓄積されています。
 二八年も前に、紙名を『エコー』と名付けられました。発信したことが、谺のように返ってくるという、一方通行でない双方向をねらわれたものです。この発想は、単に情報を提供するだけでなく、読者の参加を得てお互いに考えを広げ、深めていこうということで、たいへん先見性に富んだものだと思いました。
 「にっきの木」の題名のいわれは一四三号 (一九九八年一月一日発行)に述べられています。子供の頃は「にっき」は駄菓子屋で売っており、縁日には必ずこれを売る店が出ていました。独特の香りで渋くて辛いのですが、何故か手放せず、よくかじっていたものです。この「にっきの木」は「日記」とかけたわけで、貴兄の生活の様子が書かれているわけですが、「にっき」と同様に、魅カを感じ、羨ましく思います。それは「動かなければ出会えない」の言葉通り、貴兄の生活行動が広く、充実しておられるからです。
 民俗・伝統行事を大切にされ、その他にもいろいろのことに興味と関心を寄せられる姿勢が、日本の各地へ足を運ばせるのでしょう。そこで多くの土産を身につけられると同時に、その地との繋がりも作っておられます。自分の世界がどんどん広がり、人間としての成長もとどまることを知りません。新聞教育活動を通してだけでなく、そういった意味でも全国区の人であります。
『エコー』は、多くの人に生きる勇気や希望を与えているのです。それは「返ってきたエコー」での情報に対する共感と自分の思いを、充実感と喜びで満たしている内容が如実に語っています。このように多くの人の心を揺り動かすのは、貴君の優れた感性のなせる業であり、常に人間への愛が底流にあるから人の心に響くのです。
 また読者だけでなく、多くの新聞社や貴君が関わった団体や機関からの感謝と高い評価がなされていることは、たいへん素晴らしいことであります。とにかく密度の濃い人生を創り出されました。 生きている証『エコー』  万歳。
  

 400号に向け歩んでいただけるとうれしいです       小島 仁子
 日差しが日に日に春らしくなってまいりました。『ECHO』300号発行 おめでとうございます。「継続は力なり」と話されていたことを思いだします。
 広報づくりのときに教えていただいた数々のこと、「余白の美」 「見出しは内容の凝縮」 「多くの子供の声が載るように」などを心に留め、月1回でB4判4ページの「教室だより」を出しています。お母さん方との話し合いの中で、見出しを言っただけで内容を思い出して下さることがあり、うれしく思っています。
  「やる気は自然に生えてこない」 「のんびりとのびのびは違う」 「自分でやれば間違って板も○」など。教室だよりは私自身のものとなりました。先生に感謝しています。400号に向け歩んでいただけるとうれしいです。どうぞお身体をご自愛くださいますよう。  


 「ライフストーリー」を書き続けてください             望月 國男
 『ECHO』300号達成の快挙に心からお祝いを申し上げます。
「継続は力なり」を座右の銘に、永遠にロマンを追い求める先生の姿勢に改めて感服いたしております。先生は出会いを大切にされ、出会った人たちを暖かくはぐくみ、その人たちの心を豊かにしています。『ECHO』の発行に象徴される先生の生き方に多くの人が共感を覚えるのです。
 「心に夢がある限り、いつまでも青春である」(サミュエル・ウルマン)。健康に留意され、いつまでも「ライフストーリー」を書き続けてくださるようお願い申し上げます。
 

 時に賛同 時に反発                           三嶽 雅彦
『エコー』300号、おめでとうございます。一つの一里塚、また新たに歩み出されるその意気込みに乾杯です。「生涯一捕手」と言ったのは野村監督。「生涯一記者」でしょうか。常に新聞を作る視点で世の中を見る。そんな提案が私の歩みを続けさせてくれました。
 過去のFエコー』の文章を見ると、その時々の視点で教育界に物申すという形の内容に、時に賛同し、時に反発しながら、勝手な返事を送らせてもらってきました。 
 武先生の視点が鋭いから思わず何か言いたくなってしまう、失礼なことが多かった返信だったと思います。適当にあしらっていただきながら、それでもうまく乗せられて、これまでお付き合いさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。    


 ピアノ曲『Echo』は 「さらに新しい発見を」と呼びかけている曲です         金子 弥生
 父の葬儀の後、初めて弾いた曲が『Echo』でした。第一印象は“さわやか”。朝、今日はだんだん天気がよくなっていく、というような前向き、チャレンジしようとする気持ちになる曲です。8分の6拍子の旋律は流れるようです。悲しいことがあった後だけに、元気づけられました。武先生に「さらに新しい発見を」と呼びかけている曲です。


 “チョコッと”                                 TOWA
 先生、きょう『ECHO』300号 届きました。ありがとうございます。すばらしいですね、300回も続けてこられるなんて! 『ECHO』を読んだ人が300回も心が暖かくなったのですね。私もご一緒させていただいてとても幸せです。
 きょうはバレンタインデーです。武先生にチョコを贈ればよかったと、今頃悔やんでいます。すみません、代わりにFAXを“チョコッと”送ります。(主人には内緒ですが、中学生の頃あこがれていた男の子、名前は佐々木勝美君でした。)どうかお元気で、一層ご活躍くださいますように。
                

 『エコー』は同窓会であり、出会いの場             伊東 祐子
 『エコー』300号 おめでとうございます!  武先生の行動力、持続力にはただただ頭が下がります。去年のカウントダウンからそわそわと楽しみに待っていました。届いた重い封筒を急いで開け何度も読みました。私にとっての『エコー』はPTA情報委員会の同窓会でもあり、新しい出会いの場でもあります。「チーム竹の子」の活動を読売新聞に取り上げて下さったのも『エコー』のおかげです。(私は大した活動をしていませんが…)大きな人の輪の中にいるようで、嬉しいです。           


 「継続は力なり」                              横森美佐子
 『エコー』300号、「継続は力なり」。大変なことです。本当におめでとうございます。  
 『エコー』の中で道祖神の記事、北杜市には主人の実家があり、道祖神のことはよく聞いておりました。年に数回帰っていますので、あらためて聞いてみたいと思っています。 参加した東公民館の「大山道を歩く」の時も、秦野に生活していても知らないことがいっぱいで知識を深めることができました。 今後もますますご健康に留意されましてご活躍されるよう祈念いたしております。
   

  居場所を見つけられるよう努力します             小泉  俊
 寒さの中にも木の芽も膨らみ、春の兆しが感じられる頃となりました。
 『ECHO』300号発行おめでとうございます。特に、「にっきの木」の地域の民俗行事のこと、「返ってきたエコー」を楽しみにしております。多数の方が「返ってきたエコー」に返事をされているのにビックリしております。私が所属している協議会でも時々、話題にさせていただいております。私も返事をと思いますが、文才のないのでなかなか書けませんでした。
 300号に「まほら秦野みちしるべの会」の記事が沢山掲載されておりました。それで私の「まほら秦野みちしるべの会」に対する気持ちを書きます。
 報告会での報告者の一人として褒めて頂き感謝する反面、恐縮もしております。完成した地図は、皆さんが絶賛されているように立派な物で、誇りにも思えます。地図が出来上がるまでは、私なりの居場所もありましたが、横山会長の「今日を契機に次のステップを踏み出しました。がんばりましょう。この活動には終わりはない」の言葉にたじろいでいます。
「ワンランク アップ」となると、年齢、能力、気力からも私の居場所があるのかと悩んでおります。とにかく居場所が見つかるよう努力します。   


 「皆さんのご支援が全てでした」というお言葉ですが、拝読させていただいておる読者こそが「エコー」に支えられていると私は感じています。    真野 清子 

 300号おめでとうございます。秦野は日馬富士とのご縁の深い地なのですね。餅まきや豆まきで日馬富士さんや安美錦さんに対面できるとはうらやましい限りです。紅白のお餅をゲットできてラッキーでしたね。ますますご活躍をお祈りいたしております。    宮崎優香・友歌




2013年2月1日更新


 『ECHO』讃 
                                            新聞教育支援センター代表 吉成 勝好

 『ECHO』まもなく300号、おめでとうございます。ただただ「スゴイ!」の一言です。読者の中には、「我こそ一番の愛読者」と思っておられる人が多いと思いますが、もちろん私もその一人。毎号待ち遠しく、楽しませていただいております。「にっきの木」のエッセー、旅行記、ふるさと秦野・寺山の民俗への造詣、新聞教育・PTA広報作りにかける情熱と理論と実践の高さ深さ広さ・・は勿論ですが、「返ってきたエコー」がまた素晴らしいですね。先生の熱烈なフアンの方々の言葉に毎回深くうなずいています。
 実は私、勝手に武先生の「隠れ弟子」を自認しているのです。心の中で密かに「師匠」とお呼びし、目標にしています。まず、現職時代の学級・学年・学校経営、新聞づくり指導の素晴らしさ。名著『新聞教育の研究と実践』(駿台書房)は、今も私のバイブルです。そして特に『ECHO』創刊以来、退職以降の先生の生き方は、私にとって正に「こうありたい生き方」のモデル、仰ぎ見る憧憬の姿そのものです。もちろん私など足下にも及ばないことは分かっていますが、それでも少しでも近づきたい、あやかりたいと願いつつ私なりに努力しているつもりです。
 「新聞づくりは仲間づくり」「学校には、三つの新聞(子どもの新聞、先生の通信、PTAの広報)が必要。三つの声が校内に響き合うとき学校生活はいっそう豊かになる」の指針を胸に、私も「動き、語り、聴く」ことを通して、多くの人との出会いを広げ深めていきたいと思います。
 4年ほど前になりますか、新宿で武勝美特別講演会「きのう、きょう、そして明日―新聞づくりは仲間づくり」(新聞教育支援センター主催)を開き、約3時間、新聞教育との関わりと「思いのたけ」を存分に語っていただきました。現職の先生、校長、新採用の先生、企業人、フリージャーナリスト、元教員、卒論のテーマの勉強にと大学生までも参加。秦野のPTAのお母さんたちも応援に駆けつけビデオ撮影。会場には、何と秦野東中の教え子たちの50歳記念同窓会から心温まる祝電まで届いていました。和気藹藹の懇親会の後、6名の親衛隊? のお母さんとロマンスカーで帰秦された先生。「今日は生前葬だった」と述懐されていましたが、とんでもない、これから益々お元気で、後に続く者をお導きくださいますよう心より願っています。



 『ECHO』は生活の活力源です
                                                             白井 越仁  

 28年間書き続けられた『ECHO 』が300号、おめでとうございます。無精な私はほとんどお便りすることなく、ただただ拝読し、先生のご無事(気力も衰えていない)を確認し喜び、満足している一人でございます。(もちろん記事も楽しみにしております。) その昔? お便りさせていただいた頃は、長女が中学生の頃だったと思います。その長女も大学に入学し、成人を迎えております。その間、毎号『ECHO』を発行するために、どれだけの労力を費やされたであろうかと思うと、まったく頭が上がらない思いでおります。
 人生には限りがあるとは思いますが、私の中では、先生は”不老不死”、私が先に力尽きるのではないかと《確信》しております。これからも、『ECHO』を楽しみにしている読者の皆さんへ、先生の”生きざま”を配信していただきたいと思います。そのことが、多くの読者が『生きててよかったなぁ』と自分を振り返る時間と生活への活力を作るきっかけになる|それが『ECHO』であろうと思います。私も待たせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。
  (武注・白井さんは吉成さんが紹介した祝電の子たちの一人です)



  『エコー』の読者に仲間入りしてまだ三年の私が300号のカウントダウンに参加できる… 「出会い」って不思議です。PTA広報とのご縁のお陰です。      安田 奈々         


  記事には人がいて気持ちがある
                                                              相原 幸子                                

 『ECHO』300号発行おめでとうございます。創刊から28年の継続に敬意をこめ、拝謝しております。200号では「心と体が動くエコー」、250号では「エコーで出会った一文《教育とは学校で教わったことを全部忘れたあとに残るもの》」を寄稿させていただきました。
 『ECHO』の紙面は、記事各々の個別性がありながら、武先生と読者、読者同士の反響でつながっていることが魅力です。私は、限られたスペースにこめられたもの(行間までも)を読む ― 自分の感性の危うさを感じつつ、筆者の真意を読み取ろうとするのです。
 かつて武先生から、記事は5W1Hの要素の他、そこには「人」がいて「気持ち」があることを学びました。私は現在、子ども健全育成に関わる仕事に携わっています。所属は福祉ながら、医療、教育など部局横断的な職域です。子どもや保護者の発する言葉、声のトーン、視線、態度、ジェスチャーなど、すべてが情報であり気持ちの表れです。目に見え聴こえることの他に、その後ろにあろう感情に寄り添うことがポイントになっているのです。読者の一人として、筆者の皆様にも敬意を表しつつ、気持ちのこもった記事を楽しみにしております。
 今後も健康に留意され、ご活躍なされますよう祈念いたしております。毎号、『ECHO』を読んだ後に、私自身の気持ちがどう動かされ、どう動くのか、自分自身と向き合う作業は続きます。

                  
 
 毎号 返信させていただいてきました
                                                             三嶽 雅彦

 100、200と号数を重ねながら、一貫して訴えられていることは、「新聞づくりは仲間づくり」。新聞を通して人の輪を広げていきましょう、というスタンスは変わらず、『エコー』を通して多くの方々との出会いがありました。面と向かって会うことはなくても、紙面を通して多くの方々の考えや活動を知ることが私にとっての大きな刺激になってきました。
 私の投書を取り上げていただくことも何回かありました。それを自分で読み直してみることで、自分の意見をしっかりもって日頃の生活、日頃の教師としての行動をとることの大切さを痛感します。
 新聞の文章を考えることは楽しいことだと思います。武先生の心の動きがよく見えます。ただし、その原稿を印刷所に持って行ったり、折り畳んで封筒に入れ切手を貼ってポストに投函したりと、多くの手間がかかっています。そのご苦労を重ねてこれまでやってこられたことは、なかなかできるものではありません。
 300号まで数を重ねてこられた裏側に、そういう作業があったことと思います。それは武先生にとっての生涯の足跡です。私もそこに関わってみようと、毎回『エコー』をいただくたびに返信を出させていただいています。『エコー』にちょっとは私の足跡も残せたでしょうか。そんな楽しみも味わわせていただきました。
これからもご健康に留意されて号数を重ねていかれますようお祈り申し上げます。



 「ふるさとは秦野」と自慢したくなるような『ECHO』
                                                             菅原 澄子 

 「私の“ふるさと”は秦野です。」と自慢したくなるような『ECHO』との出会いです。秦野の自然と人と文化に対して、武先生が注がれる愛のお心が力強く伝わってきます。これが日本のふるさとなんだと、すっぽり嵌まり込んでしまいました。お正月の行事に始まって、節分の「鬼の宿」、お盆の話等々、寺山の里の年中行事を心の籠ったお話を交えてしっかり伝えていただきました。そのつど、私の出身地福岡や夫の岩手はどうかと、考えさせられ将に先生のお言葉「ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる」が深く心に沁みました。
『ECHO』に登場される皆さんにも親近感を覚えます。私の“ふるさと”感の根はこれが一番大きいです。 
 『ECHO』と私の出会いは181号(2001/3/1)からです。「ご一読いただければ幸いです」と小さく先生の鉛筆のメモがあり、それ以来ずっと298号まで大切に綴じてあります。
HP訪問は2001年3月3日からです。HPの「返ってきたエコー」から、私の一端が見えてきたりして、恥ずかしくもあり、有難くもあり、大切にしています。命を輝かせながら生きていらっしゃる先生から、12年近く沢山のことを学び楽しませていただいています。
 第300号発行、心よりお祝い申し上げます。



 時の流れが堆積させるものは「人との出会い」
                                                            笠井 麗子
  《寺山日記》10月10日の「13年の時間の中で堆積したもの」(武注・「このホームページも13年目に入った。時間の経過、時の流れが、私の中に何かを堆積させてくれたならいいのだが…」と書いたこと)は、一言でいえば「人との出会い」でしょう。どれほどの人と出会い、どれほどの人に影響を与えられたのでしょうか。その数、力は計り知れません。出入りは逆のようですが、他人に影響を与えたことこそ、先生の中に堆積されている大きなものだと思います。(生意気ですね!)当然その中の1粒に私も入っていますから。  



 「エコー」はなつかしい母のふところ
                                                             梅川 順子

 「エコー」三百号おめでとうございます。毎号楽しみに拝読しております。「老いてなお、さかん」とは先生のような人のことを言うのではないかと思います。楽しみながらすごく行動的
で、疲れを知らないのかしらと、いつも感心しております。毎日を生き生きと生活していらっしゃる様子に、励まされる一方、自身に言い訳をしながら日々を送っている自分を反省いたします。反省はするのですが、なかなか実行が伴わないのです。先生のバイタリティには本当に驚かされます。
 昨年の七月末に、自分が火葬される夢を見ました。棺桶の中の自分が、覗き込む人々に「ありがとう」「ありがとう」とお礼を言って、孫に一生懸命「死」ということを説明していました。いよいよ火葬場のかまの扉が閉まる時、「ごめんなさい」と大きな声で言って、その声で目が覚めました。健康診断の結果の書類を見直したり、なんでこんな夢を見たんだろうと、正直あまり良い気持ちはしませんでした。
 昨今、近所で赤ちゃんが生まれたことも、子供さんが結婚したことも、そしてどなたかが亡くなったことさえも、さっぱりわからない世の中になってしまいました。 
自分が小さい頃、「人は生まれた時と、結婚する時と、死ぬ時は他人に見てもらうものだ」と聞かされてきました。他人と全く係わりを持たず、家族だけでこっそり生きてきたわけでもないのに「家族葬で」など、とてもおかしいと思います。迷惑をかけたり、かけられたり。助けてもらったり、助けてあげたり。いろいろな人と係わって、それぞれいただいた命をそれなりにまっとうしてきたのに、なぜ 「ありがとう」「お世話になりました」「ごめんね」と言ってあげないのか。また言わせてあげないのか。人の一生を軽んじているように思えてなりません。私が見た夢では、私は棺桶の中で「ありがとう」「お世話になりました」「ごめんね」と、ちゃんと言っていました。なぜいつのまに、こんな世の中になってしまったのでしょうか……。
 「エコー」は、いろいろな人との出会いや係わりあいをとても大切にされているように思います。「エコー」の読者はきっとあたたかい気持ちに触れ、なつかしい母のふところに抱かれたかのような感じがするのではないかと思います。そんな「エコー」を、いつまでも続けてくださるようお願いいたします。お体に気を付けてください。





2013年1月1日更新


干支・巳(信楽焼)   倉田幸子さんより

 300号が届くその日を待っています
                                                      市川市  大澤 和子

 先生に初めてお目にかかりましたのは昭和46年12月27日。毎日新聞創刊百年を記念して行われました全国学校新聞コンクールの表彰式、毎日新聞東京本社でございました。
翌47年2月、ご褒美として子どもと共に招かれた札幌オリンピックの開会式の取材。そのご縁で先生の学校の生徒さんと私の学校の子どもとの学級新聞での交流など、ずっと新聞教育のご指導をいただき四十数年の歳月が経ちました。
 先生、『エコー』 毎号送っていただき有難うございます。拝読させていただき、毎回思うことは、先生にご指導いただいたPTA広報の皆様が力を込めてその活動をされている様子が目に浮かび、その学校の子どもたち、先生方は《幸せ》なことと思っています。
 先生が指導されたある学校のPTA広報を読ませていただきました。そして強く感じたものありました。年度初めの写真での先生方の紹介、子どもたちや保護者が何度も眺めたくなるような素敵な表情の写真、給食を作ってくださる調理員さん、学校への協力を惜しまない地域の皆さんの笑顔の写真など、カメラを向ける広報委員さんと被写体の皆さんとが、その場で作り出している良い雰囲気が伝わってくるのです。こんな広報が発行されている学校は《良い学校》だと思うのです。先生の指導されている広報づくりは、いつも温かく学校を見守る広報委員の目を育てていらっしゃるのです。そして、広報委員は武先生との出会いを何より喜んでいらっしゃることでしょう。
 創刊号から『エコー』の読者ですが、教育に関する文だけでなく、旅行記、地域文化のこと、時には農家の話(ハクビシンは市川の梨も被害を受けています)など興味深く拝読させていただいております。新しい年に300号。「おめでとうございます。有難うございます」の心で300号が届くその日を待っております。


稲吉 純子 

 『エコー』で若いお母さんたちが懸命に新聞作りに取り組んでいらっしゃる様子を知り、私も同じように頑張ったときがあったんだなあと懐かしんでいます。今の私、知力、記憶力、体力、気力、全てが一直線に下降しています。持病の腰痛に暮れの掃除も思うに任せません。
 300号までのカウントダウンもまさに大詰め。長い歳月の努力の積み重ね。読ませていただいていることを誇りに思います。寒くなります。目標達成に向け十分なご自愛を。  稲吉 純子(稲吉さんは創刊号からの読者です)

2012年12月1日更新
 
 初冬の銀ブラ
 今朝は真っ白な半分の富士山とスカイツリーがくっきりと望めました。久しぶりの快晴。夕暮れもシルエットで初冬の雰囲気を出しています。
 昼間は夫の関係で銀座の画廊に顔を出しました。会場は銀座8丁目の金春(こんぱる)どおりの「金春ビル」4階です。金春とは能に関係あるのかと調べてみるとやはりそうでした。通りに面して「金春通り煉瓦遺構の碑」「金春屋敷跡」などあり江戸以降の歴史を考えさせられました。
 中央通りは巨人の日本一パレード(銀座に約38万人)が終わって3時間くらいたっていたので、ホコ天もそれなりに歩けました。お店は何処もお客がいっぱい。8丁目からまっすぐ有楽町までぶらぶらして電車に乗りました。天気がよくて皆さんご機嫌のようでした。  Sugawara
  

 子どもの作った壁新聞が「東北大震災」に関する記事を入れたことから、たばこ祭りの「学習総合展」の社会科の部に出展されました。講座の帰りの車の中で、「もう来年は作らない」と言っていたのですが、今度の結果を喜び「来年も作るから」と言ってくれました。 Keiko


2012年11月1日更新

 「気流」に再び挑戦
 読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・。学校行事が盛りだくさんのこの時期は、広報委員さんにとって「取材活動の秋」でしょうか。
 エコー第297号ありがとうございます。「広報クリニック」記事を読み、「今年の広報活動も、折り返し地点に来たのだなぁ」と時の流れの速さを実感すると同時に、懐かしさをも感
じています。北小・北中の、今年度2号目の広報紙発行が待ち遠しい今日この頃です。
 読売新聞の「気流」欄に投稿し、掲載されてしばらくすると、新聞社からお手紙と3千円分の図書カードが送られてきました。まさかこんなご褒美が待っているとは知らない私は、まるで懸賞が当たったかのように飛び上がって喜んでしまいました。子供たちからは、「いいなぁ。お母さんだけズルイ!」の声。せっかくなので、今回は自分のために使わせてもらおうと思い、使い道を考えていた矢先に、「北小博覧会で、僕のクラスが実験をすることになって、一人1つ実験を考えるから、実験の本が欲しいなぁ」と貫太朗。すると続けて峰々(中3)が「私も読みたい本があるから買って」と・・・。普段全く本に縁がない2人からの思いもよらぬ「おねだり」に顔がほころび、新聞社から届いた封筒を片手に本屋へ。結局、私のご褒美は2人の本となって消えていきました(泣笑)。
 それを見ていた、3人きょうだいの中でいちばんの本好きの珠々が「次の時は私ね」と言うので、先日2度目の投稿にチャレンジしました。投稿して1週間が経っても新聞社からの連絡がなく、「前回の掲載から1か月しか経っていないし、そうそう簡単には載らないのだ」と思い、また「欲は出すものではない」と反省しました。ところが、先ほど新聞社から「掲載決定」の連絡があったのです!!掲載されることはもちろん、2人と同じように珠々の喜ぶ顔を見られるのがとても嬉しいです。きっと、それが私へのご褒美なのでしょうね。  


2012/10/25 読売新聞 投書ページ


金木犀
 「寺山日記」10月24日の金木犀の下りを読みました。
 今年は金木犀の咲いたのも分からなかったほど忙殺されていたのか・・・と思っていた10月中旬、ふとあの華やかな香りに振り返りました。心が浮き立った次の瞬間、あれ、今は何月?と思いました。金木犀の季節って・・・。
 以前先生に「金木犀の香りを感じながら『もう八幡様のお祭りの時期なのか』と季節を思い出しました。」とメールしたことを思い出し、今年の夏が長かったことを改めて感じました。
自然の生き物は気候に合わせて己を育て、暦に合わせてアクセクしている私たちに「慌てないで」とメッセージしているように感じます。とはいえ、期日の迫った仕事はこなさなければなりません。今日は休館日ですが、これからちょっと仕事に行ってきます。
 11月4日(日)に大ホールホワイエで、無料のコンサートがあります。今年は歌による《世界旅行のご案内》で、声楽の公演では国内トップの二期会のソプラノ3人が出演します。午後3時の開演、入場自由ですので、ご都合が付きましたら是非おいでください。次また、「ご無沙汰」した頃にメールすると思います。      Reiko

実りの秋
 里山の「実りの秋」 その土地に手を差し伸べてご苦労なさって生産してる人にしか解らないですよね。大きくて綺麗なのだけ買って食べる都会の暮らし。動物愛護、エコ、エコと騒ぎはするけど現場のご苦労の様子を見ていない。岩手の親戚も、クマが出たり、鹿に芽を食べられたり、温室のメロンをハクビシンに食われたり、害がおおくなりました。
 大阪の友達が丹波にログハウスを持っていて、畑を広く耕し、丹波の黒豆等々沢山作っています。何年か前からイノシシが多く、それを避けるための柵を広範囲に作って、さぞかし大変だろうと思いました。   Sumiko



 私も虹を見ました。よく見ると二重の虹!! なんかいいことありそう! と虹をみて朝から写真を撮ってしまいました。先生と同じ虹を見ていたのですね。パート先が、昨日引っ越しをしました。今日は2トントラックを運転してしまいました。 色々な経験ができて楽しいのですが、引っ越しで筋肉痛です。虹の写真をお送りします!!   Akemi


 「編集後記」のこと、面白いですね。本音と建て前がにじみ出ていて、広報づくりへの思い伝わってきます。先週は上海に出張。一見、沈静化していましたが予断は許せない情況と感じました。   広明



2012年10月1日更新

 お元気ですか。「エコー」をありがとうございました。
 女の子と一緒に武先生が力士達のサインを集める様子がなんとも微笑ましく、読みながらクスリと笑ってしまいました。まさに、動かなければ出会えない!ですね。
 夏休みも終わり、私たちも広報紙「しいの木」12月の発行に向けて活動を再開しました。今度の広報紙の特集記事では、「いじめ問題」を取り上げるのですが、広報紙としてどのような記事に仕上げるか取り扱いが難しいようにも感じると同時にやりがいのあるテーマでもあります。広報紙ができあがりましたら、武先生にもぜひ見ていただきたいと思っています。  Misono


 広報紙クリニックではご指導ありがとうございました。昨年に続き2回目の開催、昨年よりも多くの学校が参加しました。開催前からドキドキでして・・・ちゃんと準備できてるかなぁ、時間は大丈夫かなぁ、等々。クリニックがスタート! 実際に発行した広報紙を使って一校ずつ丁寧に指導して頂け、また各校の広報紙の指導も聞く事ができ、とても勉強になりました。
 本来なら休憩して頂く時間も広報委員さん達にアドバイスを頂き、申し訳なく思う気持ちと、ありがたい気持ちでいっぱいでした。クリニックが終わってからは普段、何気なく見ていた新聞ですが見出しのつけ方やレイアウト等、気にして見るようにしています。お話のあった『いじめ』について、どこまでできるか、また紙面に載せられるかわかりませんがチャレンジしようと思います。我が家の娘は受験生。娘は勉強! 私は広報紙の勉強! 頑張ります。  Takada


 明日は秋季大運動会です。先生から「広報委員はオレンジのベストを必ず着て撮影に入ってください」と言われたので、固定撮影以外も皆、着用となりました。観客の保護者の方のジャマに、なるべくならないよう頑張って撮影してきます! それから今日、思いついた案なのですが、12月発行の広報紙に運動会を載せても今更のような気がしてしまい、どうせなら10月中に運動会号として発行したらどうかなと考えています。内容は、時系列(競技)・練習風景・制作・PTAの活躍50人に聞きましたお弁当インタビュー・5年生がやってみたい鼓笛の楽器は? などを考えています。 4ページを運動会だけというは多すぎでしょうか?
 12月発行の広報紙にいじめ問題・その他をとりあげようと思っています。先日、校長先生に話をした所、載せる了解を頂きました。校長先生がいじめの定義などがのっている先生向けの資料を貸してくださり、いま皆で勉強中です。運動会が終わったら具体的な話を進めていく予定です。  Ishii


  エコー296号は、思わずおなかを抱えて笑ってしまいました。「にっきの木」の相撲ファンの方々とのやり取りの軽快さは最高! 「動かなければ出会えない」 「動かなければ『もらえない』」ですね! 先生ご自慢(?)のサイン色紙、機会がありましたらぜひ見せてください!
 296号が送られた封筒に、星座(こと座)の切手が貼られてあり、それを見つけた貫太朗が興奮気味に喜んでいました。今、カブトムシのほかに、星座や太陽にハマっていて、「太陽の本が欲しい」としょっちゅうねだられています。好きなものは、どこで覚えるのか不思議なくらいによく知っていて、私が教えられるほどです。勉強も同じくらい、興味を持って自ら進んで学んで欲しいのですが…(泣笑)。 296号は、私にも貫太朗にも刺激的でした。
 300号まであと4号…。300号達成がとても楽しみです。同時に、「祝300号」を御膳立てしてくれる297、298、299号も楽しみです。きっと、エコー読者みんなも待ち望んでいることでしょう! 北の山から東に向かって応援しています。  Yasuda



2012年9月1日更新

 国新聞教育研究大会・北上大会の思い出       北上市  渡辺 知子

 国新聞教育研究大会がここ北上で開かれたのは2年前の猛暑の8月4,5日でした。その年広報委員になった私は「PTA広報の作り方が学べる」と思いさくらホールに出かけたのでした。ところが会場には「新聞教育研究…」「新聞指導者…」という文字が書かれた立て看板が。これは先生方のための大会だったんだ。ただのおばさんの居る場所はあるのだろうかと、後悔したのでした。
 でもPTA広報講座の会場に行き、武先生のお話を聞いているうち「ああ来てよかった」と思ったのでした。とても分かりやすいお話で、なぜか「はやく次の広報を作りたい!」とワクワクした気持ちになりました。ただウチの広報紙が、「こんな広報になっていませんか」という先生の指摘にいくつも当てはまるので、ため息が出てしまいましたが…。
 二日目、黒沢尻東小学校で行われた分科会。エアコンなどあるはずない教室で、白いTシャツ姿でウチワを使っていらっしゃる先生の姿にとても親しみを感じたのでした。『強行軍』と紹介された秦野の本町小と渋沢小の広報委員の皆さんが、なんと生き生きとしていらっしゃったことか、今でもよく覚えています。暑い、暑い日に、熱い、熱い時間、あっという間でした。
 今年また広報委員に復活したわたしですが、北上の小さな中学校の広報紙、型を破るのはなかなか難しいですが少しずつトライしています。
 
小さいけれど希望の灯りが

 同封いたしましたJR東日本の雑誌『トランヴェール』に気仙沼の父の実家(父は次男坊でした)が載っているのを、たまたま主人が見つけ数冊持ち帰ってきた一冊です。希望の灯りが私の心の中にも小さいけれど点りました。 (武注・下がその雑誌の中の記事)



  《エコー》に登場される方々の名前と文でいろいろ想像しています
 横山さんの記事、興味深く読ませていただきました。お名前は「信子」と書いて「みちこ」と読まれるのですね。今まで「のぶこさん」と思っていました。「みちこさん」だと少し印象が変わりますね。《エコー》に登場される方々の多くは面識の無い方ばかりですが、名前と文でその方の人柄や容姿を想像し楽しんでいます。そういう私は皆さんからどのような印象をもたれているのでしょうか(汗!)。  
 296号は、思わずおなかを抱えて笑ってしまいました。「にっきの木」の相撲ファンの方々とのやり取りの軽快さは最高!「動かなければ出会えない」「動かなければ『もらえない』」ですね!先生ご自慢(?)のサイン色紙、機会がありましたらぜひ見せてください! 296号が送られた封筒に、星座(こと座)の切手が貼られてあり、それを見つけた貫太朗が興奮気味に喜んでいました。今、カブトムシのほかに、星座や太陽にハマっていて、「太陽の本が欲しい」としょっちゅうねだられています。好きなものは、どこで覚えるのか不思議なくらいによく知っていて、私が教えられるほどです。勉強も同じくらい、興味を持って自ら進んで学んで欲しいのですが…(泣笑)。 296号は、私にも貫太朗にも刺激的でした。 300号まであと4号…。300号達成がとても楽しみです。同時に、「祝300号」を御膳立てしてくれる297,298,299号も楽しみです。きっと、エコー読者みんなも待ち望んでいることでしょう!北の山から東に向かって応援しています。  奈々


 最後のPTA役員 悔いのないように頑張っています

 エコー届きました。いつもありがとうございます。末娘も高校三年、最後のPTA役員を悔いのないように頑張っています。『動かなければ出会えない』と思い立候補した役員です。広範囲の地域の方と出会えかけがえのない経験ができました。先生から教わったことは職場の『児童館だより』として活用させていただいてます。   真弓


 まさに“動かなければ出会えない!”ですね
 暑い中、眼科、銀行、シャポーへ。戻ってきたら18時半。ポストに「ECHO」が届いてました。296号ありがとうございます。「白鵬 稀勢の里にサインをもらう」。まさに“動かなければ出会えない!”記事ですよね。大相撲十勝場所の楽しい取材から始まり、そのあとの帯広大会の様子を読ませていただきました。
 ところで、昨夜テレビにを消そうとしたら、秦野の人が出てきたのでしばらく観ていました。秦野市堀西に住む佐々木茂良(72歳)さん。定年退職後64歳から富士山に登りはじめ、8月11日は1000回目。山頂で仲間に祝福された。元中学校国語教諭、支援学校の校長。『まいにち富士山』の本を出している。「特集 にっぽん百名山」“まいにち富士山に登る男”として登場してました。武先生は御存じの方でしょうか。  澄子

 (佐々木さんのことー武)
 「富士登山の佐々木さん。彼とは同じ職場(秦野西中)で仕事をしました。彼が中心になって同人誌が生まれました。その創刊号に私も名前を連ねています。彼のツテで作家・三浦哲郎さん、三好京三さんをPTAの講演会に呼んだこともありました。その後、彼は養護学校に転出し現在に至っています。富士山1000回登頂はまさに偉業 」
 

 広報紙の役割を再認識
 先生の実践的な広報作りのお話は、参加した各校の広報委員にとって貴重なアドバイスでした。そして大きな励みになりました。参加した各単Pの委員さんから「広報委員としてのモチベーションがあがった」「PTA広報の存在する意味が分かった」「次号は楽しく作ります」など、主催者にとってうれしい言葉をたくさん頂きました。私自身も広報紙の役割を再認識いたしました。これからもご指導賜りますようよろしくお願い申し上げます。  春美


 『エコー』いつも楽しく読ませていただいております。貼られている切手も楽しみの一つです。まとめてブラジルの友達に送って喜ばれています。先生のご自愛の程を祈っております。  幸雄




2012年8月1日更新

 この夏の活動の成果の報告をお待ちしています
 『エコー』295号、拝読いたしました。 「にっきの木 NO129」の「新聞活用実践講座」。ちょっと興味がわく講座名です。生徒に作文の練習の意味で、新聞の1面のコラムを写すことをさせてみましたが、1時間かかっても写しきれませんでした。
 高校のPTA広報が中学校にも届いていて回覧されます。高校の様子がわかったり、高校の先生を知る機会になっています。高校生の活動の活発さが伝わってきます。
 学校の授業を保護者が手伝うというのはおもしろい取り組みだと思います。まさしく安田さんが感じられたことを広めたいという学校のねらいが確かにあります。
 篠本先生、お元気そうで何よりです。まだまだ走り続けていられるんですね。また紙面でお目にかかれることを期待してやみません。
 山崎さんの学校のPTA広報の副委員長さん、東中出身ということは私が在任していた頃の生徒さんでしょうか。誰かな? 思いをめぐらせています。
 「就活」のこと。高橋さんのお話を読む限り、もう雲をつかむような話で、何を頼りに仕事先を見つけることができるのか、今の若い人達の苦労の一端を知りました。
 横山信子さん。PTA活動だけではなく、地域の諸活動にも積極的に関わっていられて、その視野の広さに驚かされもしました。また読売新聞のリポーターも務めていられていることを知り、さもありなん、いろいろなところで活動されているので、記事にするネタはどんどん見つけられているのではないでしょうか。今回はその取材内容に対する賞も受けられたようで、確かな視点をもって何事にも取り組んでいられる日頃の姿勢が評価されたのだと思います。横山さんの笑顔が目に浮かびます。
 今年も東公民館の企画「親子で壁新聞」と全国新聞教育研究大会のPTA広報の分科会の講師、幅広い活動をされている様子、元気の証しです。それぞれの活動の成果の報告をお待ちしています。
 夏休みに入りました。男子バスケ部はまだまだです。高校とのつながりを作って部活動の意識を高めていきたいと考えています。
 熱中症にはお気をっけください。それでは。   雅彦 


 暑中お見舞い申し上げます。夏本番の熱き日々いかがお過ごしですか。ECHO295号届きました。先生の活躍や広報委員さんたちの熱き思いが伝わり セミの鳴き声とともに
なにか 懐かしく感じました。
 「車椅子のシェパード」を読み、最近は情報が瞬時に流れていくけれど真実なのか解らない事もあります。そういう世情の中このような素敵な情報は読んで心が温かくなるものだと
つくづく感じました。横山さんの今後の活躍にも期待したいです。 これからも暑い日々が続くと思いますがお体ご自愛ください。   臣子 


 先生もお母さんたちに負けないように
 暑い日が続いていますがお元気でおすごしでしょうか? 『エコー》いただきました。ありがとうございました。講演やご指導で東奔西走の忙しさですね。お母さんたちのパワーは夏バテしらずのような力強さ。頼もしい限りです。女性は子供を産み育てるために頑丈に神様が作ってくださったらしいです。昨今は10代から50代まで産めるようになりました。ということはパワフル時代が長く続くということです。すごいぞ女性。武先生もお母さんたちに負けないように。お体ご自愛ください。   秀子


 『エコー』ありがとうございます。広報活動をとおして、沢山の方が充実した楽しい時・人との出会いやつながりを感じているんですね。自分も、皆さんと同じ思いでいる事を嬉しく思います。「にっきの木」に、私たち西小広報委員が載っていて、嬉しいやら恥ずかしいやら・・・。あの頃の「楽しい」気持が今では、「沢山の方に読んでもらいたい」とだんだん欲が出てくるものですね。
「ほのぼの@タウン」 横山さんの、車いすのシェパードの記事を、子どもと一緒に読みました。うちにも犬(トイプードルのレオ君 2才)がいるのですが、足の不自由なアカリちゃんを迎え入れた飼い主さんの優しさや覚悟は凄いなと、目頭が熱くなりました。子どもも、何かを感じとってくれたようでした。
 「私、この夏 子どものバスケの応援に燃えます!」    映子


 今年も沢山の講座でご活躍なさったのですね。そして各校のやる気ある広報委員の方々とのやりとりがとても生き生きとしていて読んでいるこちらが楽しくなるような気がしました。ピーナッツ入りコロッケを、武先生に差し入れたなんて! ほのぼの笑いが目に浮かぶようです。 安田さんや相原さんたちのお元気な様子が知れたのも嬉しかったです。
 昨年度は夢中で駆け抜けるように活動し、今はのんびりと内職と庭のゴーヤの世話などしていますが、『エコー』の読者でいると、皆さんが前向きに日々を過ごしている様子が分かりとても嬉しいです。上の子ども、吹奏楽の部員として1年と3ヶ月、毎朝5時起きで朝練、帰宅は8時過ぎまで頑張っていたので少しでも応援してあげたいと思いました。 結果は金賞、県大会出場でした! 部活の保護者会の方と喜び合いました。   有紀


2012年7月1日更新
 
 先生の言葉に後押しされました
 研修会の中で、先生はたくさんのお話をしてくださいました。その中で一番印象に残ったのは「子育てに一所懸命、自分の生き方に一所懸命、そんなお父さん、お母さんは素敵です」とという言葉でした。
 私事ですが、小学三年生のとき発達障害の自閉症と診断されてから今中学三年生の一人息子との七年間、それはいろいろなことがありました。でも、その息子がいてくれたから、もっと学校を知ろう、もっともっとみんなのことを知ろう、そしてPTAを知ろうとたくさんの経験をさせていただきました。そして、今は楽しく子育てをしています。素直に笑い、素直に怒り、素直に涙を流せる今です。先生の言葉が私の生き方を後押ししてくださったように思います。本当に有意義な時間をくださりありがとうございました。あと二回ある研修会で先生にお会いするのが楽しみです。  市川


 学んだ二つのこと
広報5年目の私ですが、ここにきて分かったことが二つあります。一つは「強引に読ませて→ 納得ではなく、読んで→ 考えて→ 納得」。もう一つは「発行するのはせかち広報委員会ではなくPTA」。今年の総会で「皆様は発行人の一人です。ご意見をいただけたらありがたいです」と発言しました。二つとも先生の講座に出席して気がついたことです。   ふみ代

 
 “満を持して”の再登板
 今年度の本校の広報委員長さんは、一昨年副委員長をされ、一年休んで“満を持して”の再登板です。「広報づくりの楽しさにはまっちゃいました」との素敵な笑顔に感銘を受けました。その委員長さんをバックアップする5人の委員さんも意欲的で、今度の広報講習会には全員で参加されるとのとのことです。副委員長さんは秦野東中のご出身だそうです。先生の現役のころのお取り組みが今もつながっていると思いました。今年度もご指導をよろしくお願いいたします。  恵美子
 

 くじ引きで広報委員に、そして委員長に。何にからしていいのか全くわからず、おろおろ。でも先生の講演を聞かせていただき一年間頑張ろうと心に決めました。一緒に講演会に行った委員も全員その気になりました。先生の話をもっと聞かせていただきたいと思います。お伺いしてもよろしいでしょうか。  大久保


 がんばれ気校生
 『気高PTA広報』、拝読しました。心から応援したいと思います。友人の一人が一関に在住。レクレーション指導員として大船渡や陸前高田などで親子体力アップ講座を行っています。彼女にも頑張ってほしいです。5月27日、岩手・西和賀町の錦秋湖マラソンに行ってきました。東北6件から大勢のランナーが集いました。にぎやかでした。10`を走りました。   篠本 


 就 活
 就職活動の娘の様子をお知らせします。
 昨年の12月より24年度の就活がスタート。まず会社の説明会に行く。次にエントリーシートと言われている履歴書を提出。このエントリーシートの段階で落ちることが多い。残れば次は集団面接。8人くらいで自己アピールをし合う。そこを通過すると「○月○日〜○日までのどの時間帯でもよい」という条件の下、パソコンで、20分で50問くらいのSPI(適性検査・数学、言語など)を受ける。さらにそこをパスするとグループディスカッション。娘の場合は8人のグループで話し合った後、自分の考えを発表したとのこと。ここを通過すると2回の面接試験。そしてようやく内定。 どのような基準で合否がなされるのか知りたいです。   貴子




2012年6月1日更新

 広報委員活動の集大成の年?
 いよいよ年度が新しくなりましたね。昨年度は、メンバーのほとんどが未経験者でしたので、PTA広報紙として伝えるべきことを経験するために、まず広報経験者の私が中心となり「震災特集号」を組むことから始まった一年でした。委員長はじめ委員のメンバーみなさん協力的で、号外発行、アンケートの実施そのときいただいた声のフィードバックなど、年間通して私自身が思うことをかなりやらせていただきました。そしてみんなで一生懸命に取り組んだ結果、全国小・中学校・PTA新聞コンクールでの受賞、県のPTA広報紙コンクールでも賞をいただけたようです。仕事の多忙期と重なり、パソコン編集もかなり大変でしたが、充実した1年間でした。
 そして今年度。残念ながら、わがクラスの広報委員のなり手はなく……「お世話になった学校もいよいよ卒業。我が家の義務教育もついに終了です。ですので、なり手がいなかったら引き受けるつもりではいましたが」 …ついに8年目に突入(笑)。そして、なんと広報委員長になってしまいました。(汗) なって初めてわかる大変さですね。
 大変だと思った昨年でしたが、勝手なことを言えていた立場の楽さを感じます。でも、メンバーは昨年同様、とても活気があり、やる気いっぱいのメンバーなんですよ! 何かの縁で巡り合ったこのメンバーと一緒に、自分たちの心を耕せる「耕報活動」を行い、メンバー全員が、少しでもやってよかったと思えるような1年にしたいと思います。
 6月の講習会に参加したいと考えています。これから家族調整です(笑)  今年度もよろしくお願いいたします。   松浦

 学校だよりとの違いを理解できました

 小学校の教員をしていますが、今は育休中です。学校側が出す文集やおたよりと、PTAの広報紙の内容が重なることを原稿依頼をされるたびに感じ、書くことに負担を感じていました。PTA広報に何の意味があるのかずっと疑問に思っていました。今日のお話で学校が出すおたよりとPTA広報の違い・その役割がすっきりしました。ありがとうございました。
 湯河原町の講座の参加者 

 私も広隆寺が好きです
 いつも「エコー」を読ませていただき、元気や指針をいただいております。今号の冬の京都その2を読ませていただき、よく回る地名が出てきて嬉しくなり、メールをさせていただきました。銀閣を慈照寺、金閣を鹿苑寺を記されていて、通称に媚びず、正式名で記されていて何となくニンマリしてしまいました。広隆寺を訪ねられたこと、うれしかったです。ぼくも京都でここが一番好きです。国宝や重要文化財の宝庫のわりに静寂で観光地化してないからです。
 追伸 関西でノンビリ車で走ろうと思うのはアウトです。大体、割り込みはさせてくれませんから。   武藤 和彦

 ゴールデンウイークに入り、やっと清々しい春の陽気になってきました。いつもECHOを送って頂き、ありがとうございます。すぐに返信をと思うのですが、3月末からの異動準備と4月からの職場での仕事に忙殺され、御礼さえお伝えしなかった無礼をお許しください。新しい職場と仕事は新鮮でよいのですが、歳をとってからの異動もあり、仕事がはかどらず毎日9時半近くまで残業、土日は休まず出勤という有り様でした。気持ちが張っているせいか、疲れはあるもののダウンすることなく今日まできました。ダイエットした訳ではありませんが、おなか周りもすっきりし、体重が3キロ近く落とすことに成功しました!?  竹泉 稔



2012年5月1日更新

「今日も1日がんばろう」
 こんにちは。櫻川さんから、武先生は今気仙沼に行かれているとお聞きしました。4月に被災地を訪ねるとおっしゃっていたのを思い出しました。有言実行する先生の行動力やパワーは、一体どこから溢れ出てくるのでしょうか。
 私は、今年度は小学校で登校班指導員、中学校で会計監査員を受けましたが、ほぼ「プー太郎」に近い状態です(笑)。三年ぶりに「三食&おやつ昼寝付き」の主婦に戻りました。でも、三年前と違うのは「友達が増えたこと」。お昼にランチをする機会が多くなり、体型とお財布がちょっと心配ですが、毎日楽しく主婦をしています。今年も朝の見守りはしています。大きなランドセルを背負ったかわいいかわいい1年生。例年、交通安全協会からいただいている1年生向けの黄色いランドセルカバーに、今年は「がんばろう日本」と書かれています。毎朝子供たちの背中を見送ると目に入るメッセージに、「今日も1日がんばろう」と元気づけられています。  安田 奈々


 武さん、講演会後、「気仙沼に何回か行きました」と“巨震激流”の話をした者です。「気仙沼」の話になってからもうさらに私はぐいぐい引き込まれ、生徒たちの写真がのった3月のPTA広報紙にはもう泣けてしまって…。
 震災後、今までになく東北と濃いつながりができた私ですが、5月にまた夫と小6の息子とで気仙沼・陸前高田方面へ行く予定です。
 本日は貴重なお話をありがとうございました。目からうろこ、「あ、こんなに枠(と勝手に思っていたもの)がはずれていいんだ」と思いました。近々ある第1回ミーティングで、ぜひ伝えたいと思います。
 武さんのホームページ、華ざかりで驚きました。積み重ねた業績、広い趣味(私は20歳のころ各地の石仏を訪ね歩いたので道祖神の記事を見て頬がゆるんでしまいました)、アクセス数の多さ、ファンが多いんだあ、と感じ入りました。お体に気をつけて、ますます楽しいホームページになりますように。またここに遊びに来ます。  赤岩 雪江


 校庭の桜も散り始め、桜の花びらのじゅうたんが敷き詰められています。なんとも風情があり、同時に妙な虚しさを感じます。(歳かしら?) エコーが届きました。私の原稿が載っているのが、すごく照れくさく恥ずかしくなりました。でも他校の委員長さんの原稿を読んで、共感できるとところがたくさんあり、安堵感を感じました。
 さて先週末の広報委員選考をもちまして、私の広報委員長の業務が完全に終了しました。やり尽くした感があり、なんだか気が抜けてボケーっとしています。ですが、昨年度かなり子供たちにさみしい思いをさせたり、我慢させることが多かったので、今年は子供の遊びにとことんつきあって、昨年の償いをしたいと思います。
 小四に進級した娘は、クラスで「新聞係」を作ることを提案し、私の見よう見まねで編集長気取りです。三年生の時に学級新聞とはいえないオリジナル新聞を10回発行し、最初は一人だったのが、次第に仲間が増え、最終号はなんとか新聞らしくなってきました。四年生になっても懲りずに新聞係を買って出て、お友達といろいろアイデアを出し合っているようです。年長になったチビはますますやんちゃになり、今日のお迎えでもガツンとやってやりました(笑)甘ったれな息子ですが、今年はたくさんあそんでやろうと思います。
 しばらく充電してまた何か委員を任される時がくると思うので、その時に「広報またやろうかな〜」と思えたら、今度は立候補してみようと思います。とてもたくさんの経験ができました。武先生に出会えてよかったです。  椎野 有美

 
 コバルトブルーの海は、被災地の純粋な心や希望と悲しみを象徴しているようで私の脳裏に焼き付けられました。心に沁みる透明感のある風情ですね。
 3月に猊鼻渓近くの親戚の葬儀に出かけましたが、知ってる人も道行く知らない人も、皆さんのやさしさが心に響きました。改めて「絆」と言われなくとも昔からしっかり繋がり、やさしさがありました。しかし、震災以来はいっそう無言のうちにやさしさが漂い伝わってきます。そういう中で、こちらは何をすればいいのだろうと、いつも考えさせられます。
 武先生は気仙沼市の三陸新報社を訪ね、たくさんのことを学び取って、それをまた伝え広げてくださる。新聞社をはじめ、地元の方々も喜ばれることでしょう。こうして訪ねてくださる人がいるというのは何より嬉しいことです。被災地に向けて何をなすべきかお手本を示していただいたような気がします。
 6月9日の毎日の講座で、「新聞が地域で果たすべき役割」や「気仙沼市のPTA広報」のお話が伺えることを楽しみにしています。
 『故郷永遠(ふるさと とわ)』の序にある「たとえがれきと化しても、波が洗っても、心の中の故郷まで消すことはできない。麗しの我が故郷、愛しき人々は、私たちと共にこの地に生き続ける。」のお言葉に心打たれ考えさせられます。被災地の此処彼処にこんな思いの方々がたくさんいらっしゃることでしょう。私たちは今何をすべきか、何ができるのか心が痛みます。  菅原 澄子


 今年度もお世話になります。いつもエコーありがとうございます。拝見するたびに、先生の意欲的な生き方に感動しています。
 我が子も中学生になりました。「可愛い子には旅をさせよ・試練が人を大きくする」という親のエゴでS中学に入学しました。親の心配なとどこ吹く風? あっという間に友人を作り、部活を頑張る姿に、私は「負けてはいられない(?)」と、広報委員会に舞い戻ってまいりました。全く知らない仲間と、手順の違う委員会。どうなる事かと思いますが、新しい出会いが作て、協調しながらやってみようと思います。明日は広報技術講習会でお世話になります。  近藤真由美


 エコー293号 届きました。ありがとうございました。今回の切手は岩手の石割桜。震災の辛さと 花のはなやぎや強さを感じます。昨日は花散らしの風雨の予報でしたが桜 がんばりました。散らずにがんばった花弁が多かったです。寺山の桜も残っていますでしょうか? 私自身は 毎日平穏な日々を送っていますが 最近 親の介護など周辺があわただしくなってきました。 そういう年回りなんだなあと思っていましたが 広報でがんばっているお母さんたち。この方たちも 悩みや多忙をかかえつつ新聞を作っていらっしゃるんだなあと 思いました。頭がさがります。また それが私に大きな励みになります。  大塚 秀子



2012年4月1日更新

 雪の京都
  「冬の京都・近江」を拝読しながら、共に冬の京都を旅してる感じです。行程と状況が手に取るように分かり、私が歩いた雪の京都とも重なりあって素晴らしく迫ってきます。観光京都のオフシーズンならではの面白さにも引かれます。将に充実した修学旅行。時間を有意義に使いながら、よくこれほど多くの寺社を回られたものだと感心します。
 雪が舞ってたのも京の冬ならではですね。私の「雪の京都」は、現役の教師のときに有志8人と子ども5人で2泊の旅。降りしきる雪の中、南禅寺の湯豆腐で温まり、雪景色の美しさに引かれて哲学の道を散策。足元に気を付けながら道沿いにある喫茶店や白沙村荘(日本画家・橋本関雪の画廊)に入ったのも忘れられません。
 夜は京都洛北の山里八瀬、名物「かまぶろ」のある民宿。二階の障子のある部屋で、七輪を囲む円いテーブルでしっとり楽しめました。子供たちは隣りの部屋で美味しそうなメニュー。大人は湯豆腐と自家製の新鮮な「しば漬け」で一晩中飲んでました。
 翌日は晴れて鞍馬山へ登り…と、こんな具合に先生の冬の京都からどんどん重なって浮かんできます。早く続きが読みたいです。次号が楽しみです。こんな気持ちにさせてくれるのも『ECHO』の素晴らしさです。間もなく300号ですが、そのあともお元気でずっと続けてくださることを願っています。  Sumiko

 「エコー」 今号も面白かったです
 「エコー」読ませていただきました。今回も面白かったです。今回は各学校の広報紙に関する記事が多くて楽しかったです。西中の栄誉をたたえる一言。そして「ぎんなん」のことも書いてくださって嬉しいです。1号から200号までを見届ける、ということはどんなお気持ちなのでしょうか。私も何か一つのことに関わったら、ずっと関心を持ち続け、区切りが付いた後もきちんと関わっていく、そんな態度をとりたいと思いました。
 「返ってきたエコー」 箕輪佐和子さんの投稿が元気で楽しそうでよかったです。そして「エコーひとケタのカウントダウン」には、そうそう、私も!と思いました。私もドキドキしながら楽しみにしています。エコーでPTA広報についての勉強をし、秦野の歴史を知り、武先生のご様子を知ることは生活の一部となりました。今回は「借金」の短文でクスリ、とさせていただきました。奥様が凛として言い放つご様子が浮かぶようです。    Yuki


 楽しかった見出しづくり
 初めての広報づくり。取材、写真撮影、記事の作成、そしてレイアウト。そんな作業の中で楽しかったのは「見出し」を考えることでした。
 ありきたりの見出しだとみんなに「ダメ出し」をされました。それで行き詰ると私は歌詞の世界に入り込みます。発行の季節や記事の内容をに合う歌詞を思い浮かべ、考え始めると楽しくなります。たまには《超ミラクル》な見出しもできます。でも「なに これ?」と笑われ、採用されないことが多かったのですが、みんなの反応が私にはうれしいのです。
 コーヒーを飲み、笑い合っていろいろな話をする、これは広報委員でなければできない経験でした。学校のことなどいろいろ知ることもできました。広報をやって一番得したことは、時間を共有したステキな仲間に出合えたことです。広報の仕事したこの一年で自分としては成長したと思っています。   Mikako

西中のPTA広報日本一 おめでとうございます
 今日 エコー292号 いただきました。ありがとうございました。今日の封筒には桜満開の奈良公園の切手。春が届いたようでうれしかったです。西中のPTA広報日本一 すばらしいですね。昨年の2位もすごいけれど 数ある新聞の中からなのででしょう。信じられないくらいすごいことです。驚きました。お母さんたちの苦労も吹っ飛びますね。おめでとうございました。明日はぽかぽか陽気らしいです、いいかげん暖かくなってくれないと困ります。春爛漫が待ち遠しいです。    Hideko

 先日はお忙しいところ、早々に私どものPTA広報誌を添削していただき、ありがとうございました。ちょうど、先生から返信が届いたその日が、今年度の広報委員の最後の集まりだったため、みんなで添削いただいた広報誌を見ることができました。先生にアドバイスいただいた内容を来年度に活かしていければと思います。本当にありがとうございました。   Fukushima



2012年3月1日更新

 北上だより NO4     渡辺 知子

 「心のケアを」  言うは易く 行うは難し
 立春を過ぎても北上は厳しい寒さが続いています。1月中旬から最高気温はプラスを記録せず、連日真冬日です。我が家の物置小屋の北側の屋根にも、氷の層になった根雪が重くのしかかり入り口の戸の開閉は困難を極めています。自転車通学が止められ手いる二人の娘たち。中学生は徒歩通学でがんばっています。高校生は遠いので朝夕車で送迎です。登校時の運転は、除雪をしている人とアイスバーンでかなり神経を使わなくてはなりません。
 さて、きょう先生に干し柿とあのサイカチの実、そして本をお送りしました。この本『巨震激流』は、気仙沼市と南三陸町をエリアにする地方新聞社「三陸新報社」がまとめた、あの地震の写真と証言集です。わが故郷気仙沼の「3月11日」を知りたい、そして先生にも知ってもらいたいと買い求めました。
 話を干し柿に戻します。この冬は初雪も、根雪も早かったため、十分に干しあがりませんでした。我が家の子供たちは干し柿はほとんど食べません。それなのにたくさん出来て。それで先生に少々《お手伝い》をお願いした次第です。
 年が明けてからまだ気仙沼には行っていません。それで先日妹と電話で話しました。二月になって妹が勤務する学校にランドセルやお習字の道具がどんどん届くのだそうです。でも妹の学校は、新しく校地が確保できないこと、子供の数が減っていくことで閉校になるようです。同じ学校でも、ほとんど以前と変わらない生活が出来ている高台に住んでいた子と。家族や家をなくした子たちの間にある種の《温度差》が生じているのに、まったく知らない転校先で出会うだろう困難なことに子供たちは苦しむのではないかと先生たちは心配しています。「心のケアを」 言うは易く、行うは難し、のようです。内陸部、沿岸部の先生方それぞれに大変なようです。
  

 ECHO290号「去年今年」 を読みました。先生がお元気なので安心しました。柏原選手の最後の一時間は福島への思いが交錯した一時間だったでしょうね。これからの彼の活躍を見守りたいと思います。人生の中で「〜をやった時間」は誰にでも必ずあって、それがたとえ記憶の中に埋もれてしまっても、かけがえのないその経験が今の自分を作ってくれているのだと思います。まだ寒さがぶり返す日が来ます。くれぐれもお体に気をつけてください。  矢部 臣子


 武先生 お元気ですか  昨日、PTA総会があり、今年度の広報委員のおつとめが終わりました。広報の愉快な仲間たちと楽しい1年間でした。お母さん目線で知りたいことを取材して、そのまま記事にしたので、雑談の延長といった感じでした。賞を狙っているわけではなかったのですが、全国新聞コンクールで「奨励賞」というご褒美付き。いいのかな?でも、小さくガッツポーズしてしまいました。優しいK委員長、しっかりしたS副委員長、そして個性的なメンバーたち。 体調を崩してお休みすることがあっても、「ごめんね」「いいよ」と笑って許してもらえて、「人っていいな。またお友だちができて、うれしいな。」そんな1年間でした。先生、「新聞づくりは仲間づくり」って本当ですね。ご指導いただき、ありがとうございました。  箕輪佐和子


 「ECHO」 291号の中に ★高齢者とって大切なものは「キョウヨウ」。ここで言う「キョウヨウ」とは「教養」ではなく「今日(出かける)用がある」こと。★ ←←←これ おいしくて、しっかり 戴きました。今 毎日 高齢者さんと 交流があり「エコー」の中から見つけた《これ》を読んで、感動しました。 (他でも紹介させて貰います)。毎号「 エコー」は私の教科書になってます。(そのつど お手紙かけばいいのに、 嫌いだったはずのメールで こうして 済ませちゃう自分! ダメですね!) 今年は 閏年で一日 儲かったはずなのに…。
 ●動かなければ出会えない ●語らなければ広がらない ●聴かなければ深まらない このキャッチコピーも 色んな人にお伝えしています。先生〜いつもいつも×1000 本当に有り 難うございます!   畠 和子


 武さんと同じ学校(秦野・東中学校)を出てから60年、今まで毎日、採算、リスク、効率、見通し そんなことばかり考えて生活してきました。年賀状がきっかけで『エコー』を拝読させていただくことになりました。そこに見える皆様の日々の生活や活動、エピソードなど、私とはまったく違う生活があるのです。
それらを読み終えると、いつしか麦畑に囲まれた、渡り廊下のある木造校舎。アイウエオ順に座る教室の一番後ろに座っている私が見えてきます。  小澤 信夫



2012年2月1日更新

 大掃除のたびに「29号室だより」を眺め、西中時代のことを昨日のことのように思い出すのです。  岡田 啓子

 「エコー」届きました。いつもありがとうございます。毎号楽しみにしています。今回は大好きな箱根駅伝やだんご焼きのお話もあり、あっと言う間に読み終えてしまいました。安田さんは今も通学路に立っているんですね。頭が下がります。自分のお子さんだけでなく、地域の子どもたちを見守っているんですね。見習いたいと思います。また、道祖神の紙芝居も是非、機会がありましたら拝見させていただきたいです。今月の14日は仕事だったのですが、鶴巻公民館の児童室で、日本の民話を伝えられたらなと思っています。
 いよいよ学級閉鎖も増えてきました。先生もどうぞお身体に気をつけて下さい。ありがとうございました。  鈴木 真弓

 ECHO290号、一気に拝読し爽快感を覚えました。どの記事も引きつけられます。先ず、「日記抄 去年今年」にはお姿が目に見えるようで笑ってしまいました。大掃除の様子や注連飾り、お墓参り、灯明上げ、初詣、年越しそば、何れも懐かしくいい風景が浮かんできます。修業が足りない私は、「出会ったすべての皆さんに感謝。森羅万象にも。」の御言葉、甚く感心させられました。しっかり心に留めておきます。7Pの神奈川新聞「紙面拝見」(学校に三つの新聞を)の記事も見事ですね。新聞教育のお手本として広がっていくことを期待します。  菅原 澄子

 昨日、母から今泉神社の話(武注:1月22日の南公民館での私の「今泉神社の富士講碑について」の講座)についての感想を聞きました。「おばあちゃんが生きてたら、先生の話を聞きたかった、いや一緒に話したかっただろうに」と母が言っていました。とても楽しかった、よい話が聞けたと喜んでました。父も一緒だったそうです。
 それで、道了尊に初詣でに行った帰りに、話の中にあった開成町の円通寺にも寄ってきたそうです。写真も撮ってきたので、今度私がお伺いするときにお持ちします。また、先生の講演会がありましたら教えてください。  相原 明美

2012年1月1日更新



干支(信楽焼)   倉田幸子さんより


北上だより NO2.3     渡辺 知子

 11月21日 北上は突然の積雪          
 北上はこのところ暖かい日が続いていましたが11月21日、突然の積雪に道路、ガソリンスタンドは大混乱。冬タイヤに履き替えていない車が多かったためです。
 雪が降っていちばんショックをあけるのが中学生の三女です。学校まで12分ほどの自転車通学をしていますが、雪が積もると春休みまで「自転車禁止」になるのです。10キロを超えるスクールバッグを背負い、運動着や部活の用具が入ったセカンドバッグを持ち、ごっついスノトレを履いて35分歩いての通学は「キツイ!」と娘は言います。
 今、ラジオから「気仙沼港が今年もカツオの水揚げ日本一」とのニュースが流れました。「今シーズンの漁が終り、水揚げ量は昨年の四分の一にとどまったが、15年連続の日本一」とニュースは続きました。思わず「やった!」と私。サンマもカツオも水揚げ日本一! フカヒレの生産も日本一! イカの塩辛の味も最高! わが故郷気仙沼はそうでなくちゃあ。大震災に遭っても気仙沼はそうでなくちゃあ。いつもそうであって欲しい。

 サイカチの木
 わが家の敷地の隅に「樹齢は200年くらい」といわれているサイカチの木が立っています。この季節、葉はすべて散り、枝先にこげ茶色の曲がった莢(サヤ)がぶら下がっていて、風が吹くたびカシャカシャと音を立てます。
 20aほどのこの莢は2月ごろまで次々に落ちてきます。かつては洗剤の代わりにと重宝されていたサイカチの実も、今では「合成洗剤だと手が荒れて」という人が少し拾っていくだけで“無用の長物。雪の舗装道路に落ちた莢は、車に轢かれブクブクと泡立ち、不気味な黒い模様を描き出します。
 先日、その莢をはき集めたとき、ふと気になり、市役所から簡易放射能測定器を借りてきました。それは空間放射線量率(マイクロシーベルト/時)が測定できるもので、家の周りや田んぼなど気になる所を測ってみました。どこも問題ない数値でした。ただ軒下や雨樋からの水が集るところは局所的ですが値は高めでした。
 市役所に出かけた折、震災支援情報コーナーに『8/5 秦野市から自転車寄贈』と掲示してあるのを見つけました。今まで気付かずにいてすみません。ありがとうございました。
 私の故郷・気仙沼市鹿折(ししおり)地区も、少しずつ復旧が進んでいます。JR大船渡線は一関駅から気仙沼駅までの内部は復旧。その先の鹿折・陸前高田・大船渡方面はまだ手付かずのまま。残念です。それでも鹿折は市街の瓦礫が片付いたので、ようやく宮城交通の路線バスが運転を再開していました。辺りにまったく何もないところにポツンと立つ新しいバス停ポール。そのポールには「鹿折郵便局前」や「鹿折駅前」など震災前と同じ名称が記されていました。



真鶴からの想いが届きましたでしょうか
 武 先生へ
 特集「交通安全・防災のすごろくマップ」を組み込んだ広報、ようやく発行することができました。これも、広報紙講座で先生からいただいたアドバイスとお借りした資料のお蔭です。本当にありがとうございました。
 子どもの安全について考えるきっかけになるものを作りたい、と話し合い、考えついたのが「すごろくマップ」でした。動きだすとたくさんの方々が共感・協力してくださいました。それで、苦労しながらも楽しい活動をすることができました。学校からも「こういうこともやってもらえるのがPTAなんですよね」と言っていただきうれしかったです。携わった私たちにもたくさんの学びがあり、とてもよい体験をさせてもらいました。
 今日はその広報紙を同封させていただきました。全国のPTAの広報委員さんが、あの大震災を自分たちのものとし、「子どもたちのためにできることはないか」と考えていると思います。その想いはだれも同じです。私たち真鶴からの想いが先生に届きましたでしょうか。もう一度、ありがとうございました。またいつか先生にお会いできる日を楽しみにしています。    古川 昌子


 この一年 『エコー』 ありがとうございました
  この一年 『エコー』 をお届けくださりありがとうございました。 『エコー』287号の「誰かに見られている」は、出会いの不思議というか、豊かというか、何か人ってやはり繋がっているのだと思いました。離れていく縁もあれば、新しく出会う縁もちゃんとある、と安心しました。同じ号の「私にとっての最大のニュース」は、先生のご縁のある二十二日が二つのミスが楽しいプレゼント。読んでいて私も嬉しくなりました。
 先生は折に触れ暦の行事を伝えていますね。288号の「にっきの木」の「豆名月」こと。あー、昔の人ってこうやって月を観たり収穫を祝っていたんだ、人々の生活の中で月は大切なものなのだと思いました。先日の月蝕は昔の人にとってどうだったのだろうと考えたりしました。
 大震災から九ヶ月が過ぎました。渡辺さん、菊池さんのお話、日常がすっぽり切り取られてしまった被災地の皆さんの生活を思うと「どうか、どうか、生きてください」と願うばかりです。    矢部 臣子


 どんど焼き
 「どんど焼き」の紙芝居、伊東さんたちが作られたのですね。観て見たいです。今年は息子が小6なので、どんど焼きに直接関わることになります。もう準備が始まっていて、先日も地域の大人たちに子供たちで挨拶に行ってきました。「どんど焼きも今年が最後だなあ」としみじみ思いました。年が明けたらいよいよ忙しくなる子どもたち。私も楽しませてもらおうと思います。  大庭麻由美


よいお仕事で今年の締めくくりをされました
 真間川沿いの桜並木を自転車で急ぎながら、耳から入る冷え込みに驚いています。クリスマス寒波!
 冷え込む中に先生の日記「紙芝居チーム・竹の子」を拝読しほのぼのと心温まってました。『あずま荘デイサービス』で「だんご焼き」のお話と紙芝居「目一つ小僧」も上演。皆さんどんなにか懐かしく楽しまれたことでしょう。私が「目一つ小僧」の初めの絵を拝見したときに、味わいのあるいい絵で、これは素晴らしい、続きを見たいなあ、どんなお話かなあと感心してました。ふる里の文化が次代へ引き継いで行かれる、よいお仕事で今年の締めくくりをなさったのですね。さすが武先生です。   菅原 澄子


 お元気ですか? 『エコー』 いつも楽しみに読ませていただいています。広報委員をやっていたのが遥か昔の様な感覚ですが、『エコー』が届くたび「中学でもやってみようかな・・・」などと自分の首を絞めるような事を考えたりもします。そんな想いになるなんて、ずいぶんと自分は先生に「おだてられてた」んだなぁ、なんて。とても充実した楽しい思い出になっています。   近藤真由美






2011年12月2日更新

昨日のアドバイスを基に 明日次号の仕上げを
 昨日の講習会では、実際に発行された広報紙を用いてのアドバイスでしたので、よりわかりやすいものでした。表紙のキャプション、記事の見出し。見出しは本当に難しく思います。記事から、いかにキーワードを探すか!! ですね。
 昨日の早川さんの記事、昼休みに探したらありましたので、載せておきます。 ↓↓↓
 http://mainichi.jp/area/chiba/news/20111202ddlk12100235000c.html
 次々号に構想していた、親子のコミュニケーションですが、H中が同様の企画をいち早く取り組ませていましたね。同じ内容で(切り口は変え)行くか、企画内容を変えるか、明日が次々号の打ち合わせ日なので、今夜構想を練ります。
 また、昨日いただいたアドバイスを基に、明日次号の仕上げを行う予定です。表紙は、もっとダメだしかなぁ…と予想しておりましたが、今のものをベースにしていけそうなので、よかったです。本当にありがとうございました。  松浦

 カレンダーも残り1枚
 今年のカレンダーも、残り1枚となりました。師走の声を聞いた途端に寒さも訪れ、我が家ではとうとう暖房器のお世話になり始めました。子供たちが「節電」に心がけているので(夏場は、エアコンどころか扇風機も使いませんでした)、今年の冬は、ホットカーペットを炬燵に変えました。石油ファンヒーターは、今のところ18度設定にしています。
 朝の登校風景にも季節を感じます。今年の夏はうちわを1本持って、汗びっしょりになりながら登校する子供たちをあおぎました。毎朝「今日はどんな話をしようかな?」と、給食のメニューや学校行事などをチェックしたり、子供たちの様子をみながら話を投げかけていますが、ちょうどお互い慣れ始めたころのうちわの威力は最強でした。たった1本のうちわが子供たちの笑顔を増やし、私との会話も弾みました。さらに、うちわを「貸して」と言われ渡すと、私をあおいでくれる子が・・・。
 あれから時が経ち、季節は冬にかわりました。今度はどんなことで子供たちを温めてあげようかと考えています。昨日は、ホカロンを持っていた子が私に貸してくれました。今朝は、信号待ちの子どもが私に傘をさしのべてくれました。(雨の日は歩道が狭いので、私は傘を閉じて合羽姿で立っています)
 信号待ちの、ほんの数十秒の子供たちとのふれあいは、私に元気と幸せを与えてくれます。「今日は何を話そうかな?」と考えているのは、どうやら私だけではないようです。毎朝必ず声をかけてくれる子、毎日私に同じことを注意されてもニコニコする子(反対に言われたくて何かする子も・・・)、子供たちもなにかしら接してくれようとしているのを感じます。こんな幸せなことはありません。  安田




2011年11月1日更新

 お母さんたちが書いたラブレターに拍手
 285号。「お母さんたちが書いたラブレター」。広報づくりのために、何とか先生達に原稿を書いてもらおうとあの手この手を考え、こんな添え書きをつけたというご努力に拍手を送りたいです。机の上に依頼文と原稿用紙を置いておいただけでは提出してもらえない。提出しない教師側の姿勢も気になります。‘協力’ということがわかっていない。そんな先生達でも「頼もしく、うれしく」思ってくださる広報委員の方々の度量の大きさ。そういう方々に作っていただける広報には、学校の輝く場面がいっぱい掲載されていることでしょう。   三嶽 雅

 16万円の予算で頑張っています
 広報講習会は大変勉強になりました。わたくしどもの広報委員会は児童数約580名に対して9名の委員会です。1年生の保護者から3名、3年生から3名、5年生3名を選出しておりますので毎年毎年新しいメンバー構成になります。広報を1学期に2号発行した年度はありませんでしたが、今年は頑張り二回発行できました。第一号は昨年とほとんど同じような内容でしたが、第2号は今年のメンバーならでは記事で作成してみました。中学校の広報で活躍されている方が現在メンバーとしていらっしゃいます。そして手取り足取り教えてくださるのですが、「コンクールに出すわけではない。そこまで熱心に‥」と思う委員がいらっしやることも事実でときどき紛糾?します。委員長として皆が楽しく活動できるようにあと半年間頑張りたいと思います。カラー版の広報誌が多い時代ですが、私どもは16万円の予算でやりくりしています。白黒輪転機では画質もいいものとはいえません。このように課題が山積みですが、少しでも魅力のある広報雑誌を目指してがんばっています。11月の講座では、講評をよろしくお願い申し上げます。   杉山




2011年10月1日更新

 誰かに見られている
 はじめてお手紙を差し上げます。実は先ごろ「返ってきたエコー」7〜9年掲載分に、菅原澄子様の「山つゝじ」という文を見つけ、びっくりいたしました。私の詩に感動いただいたご様子で本当に嬉しいことでした。「山つゝじ」は94歳で亡くなった母との面会風景です。書道歴は30年、今春から会社勤め傍ら中学校書道部の外部指導員をしております。どなたかが私の書や詩・詞を見てくださっていると思うと何事も疎かには出来ません。武先生のホームページに心から感謝申しあげます。  小古田英治


 エコー286号いただきました。ありがとうございました。記事の中に「切手」の話題がありましたが 私がいただた封筒にも美しい秋の摩周湖の切手がありました。こんな小さな写真を見ただけでも いろいろな思い出や風景がよみがえってきます。そんなプレゼントもエコーのひとつなんですね。うれしかったです。秋らしくなり 良い季節になりました。どうぞ お元気でお過ごしくださいませ。   Hideko

 林家たい平さんへの手紙のこと
 285号の「林家たい平様」への手紙、感銘いたしました。たい平さんは「人を幸せな気持ちにする仕事をしたい」と教師になろうとされたのだそうです。それが、学生のとき落語を聞き「これこ そそうだ」と確信され、]落語家を目指したという話を知りました。先生の依頼で花火を打ち上げられたとのこと、その光景が目に浮かびます。先生だけでなく秦野市民みんなが感動したことでしょう。その場にいなかった小生も感動したのですから。嬉しいお話、有難うございました。   内藤 美彦


2011年9月1日更新

      


達成感を得るお手伝いをしたい
 昨年度は自分の学びのため、そして何より楽しむために情報委員をお受けいたしました。そのためか、委員の方と交わることが少なかったように思い、反省も込めて今年度は副会長を務めています。 この一年は、各委員会の皆さん、生徒さん、先生方とたくさんお話をして、皆さんが成し遂げたいもののお手伝いを力いっぱいするつもりです。広報委員長のSさんは本当に誠実に心を込めて記事を考え、時間を惜しまず、一つひとつ紙面を形にしてくださっています。書きたい記事についてもときに私に相談されます。その内容は、PTA役員として、一人の母として、愉快な仲間として、展開する瀬尾さんの想いの深さに驚き、喜びです。とても贅沢な時間をいただいている感じがします。支えてくださる広報委員の皆さんも、それぞれも形にしたい想いをたくさん持っていらっしゃるようです。
 「どれをどのようにして記事にしていくかが大変なの」と言っているSさんのうれしそうな顔。本当はほとんど何の役にも立っていないかもしれません。でも少しでも役に立ちたい、成し遂げた達成感を得るお手伝いをしたい、そこに私の喜びがあることは間違いないようです。    千津


第54回全国新聞教育研究大会 (会場:東京・荒川区立諏訪台中学校)の報告
 武先生 8月1日の全国新聞教育研究大会での発表が無事終わりました。当日、先生にお会いできず残念でしたが、市川の先生が、武先生からのメッセージを伝えてくださって、非常に心強かったです。
 『あかしや』は、全国のコンクールで受賞したわけでもなく、すごく活動がさかんなわけでもなく… 私は何を話せばよいのだろう…今回の発表は、そんな『悩み』から始まりました。
これまで、先生には、広報委員会の活動の在り方(理想)と現状の活動内容の乖離について、悩みを聞いていただきました。であれば、現状の悩み、今年度の取り組みとして、どのように動こうとしているか…それを聞いていただこうと思い、構成を決めました。
 ただ、仕事やPTA・部活動支援と忙しく、資料つくりで手一杯。当日まで話す内容を吟味することもなく、本番を迎えてしまいました。うまくはしゃべれませんでしたが、高部屋小学校の理想ともいえる取り組みを知ることができたり、たくさんの方々と交流することができ、とても貴重な体験をすることができました。このような機会を下さり、本当にありがとうございました。   智子

 武先生が急遽お越しになれなかったのは体調を崩されたからでしょうか。心配しております。
 1日、PTA広報分科会に参加できず、後ろ髪を引かれながら帰宅。武先生のお言葉をお伝えくださった菅原様と神尾様(に御礼をお伝えしようと、メールを差し上げました。すると2日、早速菅原様からご返信を頂戴しました。
 表彰式後の実践発表がすばらしい内容であったとご教示くださいました。昨年度編集を優先して犠牲? にしていた娘の孤食を避けようと帰宅を決断。しかし、千載一遇のチャンスを生かしきれなかったこともまた残念だったという思いも新たにしております。
 牧嶋校長が、武先生の教え子だと名乗られことに菅原様たいへん驚かれたようでした。「この方が武先生の教え子さんかと思うと、またまた武先生の篤いお心が伝わってきます」とおっしゃっておいでです。
 表彰会場で武先生にお目にかかれなかったことは残念でしたが、こうして菅原様にご挨拶できるご縁を頂戴しました。帰り道、授賞された秦野内の他校広報委員長ともお話ができ、輪が広がりました。こうした機会を下さった武先生に改めて心から感謝申し上げます。人とのご縁を大切に、また今日から気持ちを引き締めて自らを耕したいと思います。    智子
 

 昨夜見ました、タヌキ。それも、うちの近所です。歩いて50歩ぐらいのお宅の前に夜だったので、車のライトで目が光ってました。ゆっくり近づいたのですが、そのお宅の庭に入ってしまいました。娘の習い事を迎えに行った帰りで九時ごろだったと思います。こんなに早い時間から、それも住宅街にタヌキが出没するなんてビックリしました。娘は「かわいい!!」と言ってました。もしかしたら、ハクビシン?どちらにしてもビックリです。
 タヌキも夏休みの宿題で「人間観察」に山から下りてきたのですかね。ちゃんと山に帰ったかなぁ。ちなみに、娘は・・・困ったものです。いつ宿題終わるのでしょう。    明美

 残暑厳しい日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか? 今年の夏休みは、少し自分の時間を……と考えていたのですが、夏休みの方が、勝手に、慌ただしく過ぎ去っ行こうとしています。
 陸上部の合宿が例年通りに行われ、酷暑の中、走る子どもたちを見て元気をもらってきました。お手伝いをしたり、大会を観たり、関われる今が、幸せだと……。息子は今野君の全国大会の応援に先輩と2人で奈良へ行くことになりました。あれこれ指示する私に「わかってる!! しつこいなー」と息子。新幹線・旅館の手配・荷造りまで? 私任せのくせに!!! これがまさに中学生。きっといい経験・いい旅になると信じて送り出します。   美由紀

 毎月の『エコー』、「記事」と貼ってくださる「切手」の二つが楽しみです。最近のお気に入りは「沖縄のジンベイザメ」と「北海道のひまわり畑」のもの。あんな小さなスペースに大きな世界が広がっていて、夢があるというか、ワクワクしました。
 先日、国際切手展に行ってきました。角度を変えて見ると絵が変化したり、バラやチョコレートの香がするもの、3D型やレコード型など珍しい切手。明治・大正時代の古い切手。世界のコレクターの自慢の切手など、世界中を旅しているような気分になりました。
 使っていただこうと思ってお届けした新潟の弥彦の切手は、主人の実家がある新潟の郵便局で見つけました。その実家で納戸を片付けていた主人が何十年ぶりに切手収集帳を見つけ大喜びでした。それなのに「これ高く売れるんじゃない」と言ったものですから怒られました。
 切手展で日本の小・中学生のコレクションも展示されていました。何でもメールで済ませてしまう今、昔と同じように切手(手紙を書くこと)に価値観を持っている子がいると思い嬉しくなりました。   恵理奈

 三月の大震災、そして原発事故にどのように向き合ったらいいのか子供たちと考えよう思っているのですが、学校行事、そして日々の雑務に流されています。九月には逃げないで子供たちと話し合う決意です。   淑子

 河野多恵子さんの「臍の緒は妙薬」を読み不思議な本だなと思い「逆事」を読みました。すごい構成力のある作家です。既に発表されている彼女の作品に片っ端から手を出そうと思っています。カヅオ・イシグロの「日の名残り」も最近読みました。これも一気に読み終えました。こんなふうに“手当たり次第” でも、「マア、イイカ」と思っています。   仁子



2011年8月1日更新

今号の『情報委員会だより』のテーマは「震災」です
 昨日、『情報委員会だより』の編集を終わらせました。全体の読み合わせや、写真濃度などの細かな作業が残っていますが、「震災(武注・「秦野の新聞教育」のページ参照)」をテーマにしたので、テーマが決まっている分、スムーズに編集できると思っていましたが、思った以上に難しかったです。どのメディアも取り上げている記事なので、秦野の『情報委員会だより』としてどのように扱ったらいいのか、どのように伝えたらいいのか、皆で試行錯誤しながら考えました。
 また、『P連だより』と同時期の発行ということで、紙面にメリハリをつけたいと思いました。しっかりとした紙面の『P連だより』に対して、私たちの『情報委員会だより(特に2面)』は、柔らかくわかりやすい記事に仕上げたつもりです。武先生の目にどう映るのか・・・ちよっとドキドキします。
 今回新たに二色刷に挑戦しますが、いざ、試してみると、「どこに青色を使えばいいのか」と悩んでしまいました。逆を言えば「白黒でも十分」な紙面に仕上がっているからだと思います。ですので、青色は両面ともに「ここだけ」という部分で使いたいと考えています。青色にした部分を含めてご指導いただきたいと思います。B班での活動は、皆さんの様子がだいたいわかり始めてきたので、無理のない範囲で楽しくできています。    Nana     



《学ぶことの楽しさ》を発見
 受講者のアンケート結果をお届けします。「もっとお話を聞きたかった」、という声が多く、私たち役員も時間を忘れて聞き入っていました。余白に先生宛のメッセージもいくつかありました。どれも同じような内容で「生徒の頃、先生にお会いしていれば、先生の授業を楽しみに待っていたと思います」。広報づくりのノウハウを得ることにとどまらず、母親のあり方、それにも増して《学ぶことの楽しさ》を多くの参加者が発見出来たこと、を主催者としてたいへん嬉しく、改めてお礼申し上げます。    Yumiko



今年も広報 走り過ぎずに頑張ろう!
 今年も広報 走り過ぎずに頑張ろう! 息子、ついこの間中学生になったばかり、と思っていたらもう夏休みです。四カ月が経ったのです。そして、ようやく今年度第1号ができました。今年も楽しく広報活動をしています。 クリニックをお願いします。講座で「発行はPTA・編集は広報委員会」と教えられたことが、今たいへん役に立っています。初めての中学校PTAで戸惑うことが多いですが、これまで先生から教えられたことを少しずつ口に出し始めています。《PTA広報》という筋が通った紙面を作りたいと思います。   Fumiyo



ピンポパン体操
 『ECHO』で息子さんとの旅行の話を読み、ほほえましく、うらやましく、暖かな気持ちになりました。中学生のとき、先生が「テレビのピンポパンの体操、覚えてこいよ。みんなで踊ろう。子供が好きなんだよ」という命令を出されました 。それで、テレビの前で一生懸命覚えたことを思い出しました。そうしたら同級生の顔が次々に浮かんできて「あ〜東中はよかったなあ〜」と懐かしさに日多々野でした。  Sinobu 



「ナス ゲット!」
 ECHO 285号ありがとうございます。ゆっくり楽しませていただきます。先生の日記「ナス ゲット!」にほっとさせられます。「行灯仕立ての朝顔展」に出展された花の色は紺なのかな? 黄色のスイカはきっと爽やかな味わいでしょう。 「ナス、ゲット!」と大ハシャギの女の子の声も楽しさいっぱい。夏ならではの豊かな風物が目に浮かびます。さすが秦野の夏ですね。第49回全国新聞教育研究大会・秦野大会で訪れた折の清らかな空気と緑の風景が浮かんできます。そして、大会速報づくりの皆さんの熱情が何より強烈に蘇ります。明日の諏訪台中での54回全国大会にも秦野のお母さん方がお出でになることでしょう。楽しみにしています。 (7月31日)    澄子



2011年7月2日更新

 人は自然とともに生きている
 3月11日を境に、私の考え方にも状況も変わってきている気がします。父の死と震災で姉はキリスト教の洗礼をうけました。姉は「宗教で気持ちが救われる」感じがしたのかもしれません。「本当にそうなのだろうか」と思い、最澄・空海・日蓮・親鸞・歎異抄・法華経、とにかく読んでいます。今は何かを掴めずにいるのですが、時代背景を考察したり調べて思うのは「日本には大天災」が多い!!ということでした。日本人は自然を「神」として祭ってきたのもそういう背景があるのではと思いました。
 また、今回の震災で新聞に「防潮堤」の記事がありました。ギネスにも載った世界一の防潮堤は見るも無残な姿になり その町の被害も甚大でした。違うところの防潮堤は「ハの字型」で被害は少なかったそうです。自然に対し真っ向から遮るのではなくその力を逃がすこと。…自然をコントロールできているという自信が悲劇につながり、自然に対して「謙虚におそれ」を感じている方が被害が少ない…。人は自然とともに生きているとはっきりと感じました。
 今、高3の学生も震災の影響を受けています。先日高校の進路説明会に行ってきました。先生曰く「高校生の就職は壊滅的」ということです。不況+震災者優先、それに大学生が高校生の就職に入り込んできているという状況らしいのです。なので、進学できるようなら進学した方が良いと。大学の進学率は有名校以外40%台とか。お金がかかるうえに就職できるかどうか。これも「時勢」ということでしょうか?
 我が家の長女も就職活動に失敗し、今はバイトをしています。彼女はのんびり屋さんなので、好いのでしょうが私は頭が痛いです…。本当に「今の時代を生きてるなぁ〜」と思います。梅雨に入り寒暖の差も大きいのですが、お体には気を付けてください。   矢部 臣子



《TOS》新聞は まさに《表彰状》
 「TOS・武さんに贈る新聞」は感動でした‥ 武先生が、なんと51年の間 新聞づくりに携わって来られたのにも驚きました。きっとその功績が讃えられ、ご褒美をいただいたかのように、 東中学校の生徒さんからの高感度&好感度! 若いって素敵! 素 直で純粋って この上なく羨ましい! 大拍手です。 打てば響いた地元の生徒さん‥やっぱり武先生の長年のご苦労を 《TOS》と言う紙面で 贈られた、まさに《表彰状》だと思います。   畠 和子



2011年6月1日更新

 広報づくりのエネルギーは仲間
 今日はありがとうございました。広報技術講習会参加も3回目。講話は3年間ほぼ同じ内容ですが(毎年変わる広報委員さんのためですよね)、私にとっては毎回心に留まるものが違った講習会でした。
 1年目は、「広報」というものがまったくわからない、未知の世界の中での講習会とあって、どの話も新鮮だったこと、武先生の情熱に圧倒されて、広報紙づくりに対しての意気込みをふるい立たされた思いは今も忘れません。
 1年間もまれ、広報がなんとなくわかってきた2年目は、先生のお話にもついていけるくらいの知識が備わり、少しレベルアップされている自分に気づかされた講習会でした。
 そして今日、私の中で「来年はない」という思いがあるからか、今までの講習会を思い出しながら先生の講話に聴き入っていました。今年度、私が学ぶものは、委員さんへ「広報のあり方」の伝え方だと思っています。
 今年度、K中の情報委員となり、K中の広報紙づくりにさまざまな難題があることを目の当たりにしました。「題字の統一化」、「年間の発行形態の統一化」。そして、最大の課題は「委員さんのヤル気を喚起すること」です。昨年度の委員さんから引継ぎ事項の中に「活動が苦痛」「楽しくない」と言う言葉もあり、今年度の委員さんが不安を感じてしまったようでした。まずは、この不安を取り除くことからのスタートです。
 K中PTAは広報委員会がなく、クラス委員が学年ごとに広報の発行に携わります。1号発行すればそれで広報づくりの仕事は終りです。ですから各号の内容に継続性はあまり見られません。そこで、今年度は年間テーマを決めました。内容だけでなく、広報の形も「3号とも同じスタイル」にすることにしました。精神的な負担を少しでも軽くできたらと思い提案しました。
 現在、6月20日発行に向けて活動していますが、委員会の雰囲気は和やかで、楽しそうにがんばってくださっています。私は紙面づくりのアドバイスもしますが、なるべくたくさんコミュニケーションをとるように心がけています。いろいろな会話もできるので、一緒に楽しませていただいています。「携わったからこそ分かる広報紙づくりの魅力」があるからでしょう。
 広報紙づくりを語るには未熟な私ではありますが、今年度の委員さんが「やってよかった」と思い、引き継いでもらえるように努力したいと思います。 「広報紙づくりは仲間づくり」。「まずは仲間づくりから」という考えは、昨年編集リーダーを受けたときと変わりません。活動をするうえで、仲間は何よりのエネルギー源です。 仲間を大切に、今年度もがんばります。     Nana



 社内報を作りました
 西中学校で武先生が担任だった時から35年の歳月が流れてしまいました。奥様にも高校で大変お世話になりました。覚えていらっしゃらないと思いますが、メールしてみることにしました。
 なぜこのHPにたどり着いたかですが・・・会社の活動の中でコミュニケーションツールとしてなにかアイディアはないかと模索中、学級新聞を思い出し学級新聞で検索し先生の名前を発見しました。このHPを見つけた時にはテンションあがりましたよ〜。会社の新聞も完成し発行しました。2か月に1回発行することを目標に一年間続けることになりました。目新しいことで読んでくれる人も作る人もみんな喜んでくれています。   松尾 文子

 さっそくメールで返信しました。でも戻ってきてしまいました。それで、ここでブンコさんに読んでもらうことにしました。以下は私の返信です。
  お早うございます。メール 嬉しかったです。片野文子さん、忘れません、髪の毛が少しカールしていて、運動が大好き、「ブンコ、ブンコ」と皆にかわいがられていて、“バスケ・命”の一人、木村、吉川、栗原さんなども一緒――こう記憶しています。元気の良いクラスでした。学級新聞を作っていたのでNHKのテレビにも出たり、いろいろありました。片野さんとはもめたこともありました。そんなことを思い出しながら何歳になるのか計算したりしています。失礼ですね! まもなく誕生日ですね、おめでとうございます。社内報を作っていらっしゃるのでしょうか。頑張ってください。よろしかったら見せてください。きょうは10時から秦野市文化会館の小ホールで講演をします。PTAの新聞づくりの話です。齢ですがもう少しがんばれそうです。それでは、また。   武 勝美



 
武完さんとのお別れ(5月12日)のお話。樹齢二百数十年の木。生きとし生けるものを見守り育ててくれた聖なる木なんでしょうね。邪魔だからと切り倒すなんてこの木の持ち主である武完さまの篤いお心を踏みにじることになります。その上、これまで育まれた秦野の文化でも穢されるような気がします。
 その大銀杏は伐採を免れ、いま校庭の隅に背丈を三分の一に縮められて新緑を見せている姿が目に鮮やかに残ります。心に響くお話で清められました。本当によかったです。武完さまも透き通る新緑に目を細め心穏やかに昇天なさったことでしょう。先生の言葉「私が後世に残した唯一の仕事と自負しています」がいつまでも波紋のごとく広がります。   菅原 澄子



 薫風緑樹を渡る候、先生にはますますご清栄のことと存じます。市P連の母親委員会の活動を通して初めて先生にお会いしてから、何年もの月日が経ったことをこのごろつくづく感じて降ります。 先日、街を歩いていましたら、青年から「こんにちは。ご無沙汰しています」と爽やかに声をかけられ、一体誰かしらと不思議に思ったのでしたが、委員をしていたころに出会った小学生の男の子でした。こんなおばさんを忘れずに挨拶をしてくれた青年に、その日一日とてもよい気分で過せました。そのとき限りの出会いでも、そのとき限りだから一層大切にしたいと思いました。   福岡 尚夏



 お元気ですか? いつも『エコー』をありがとうございます。神奈川新聞のコラムは楽しそうですね! 私は文才が無いので書くのは無理ですが、読むのは大好きです〜♪
 それにしても、あっと言う間に6月ですね。寒い寒いと思っていたら、汗ばむ日もあったりして、、、一年が過ぎるのは本当に早い!  先日、昨年度の広報委員長さんからメールがありました。一年間の苦労と達成感の思いがこもったメールでした。私なんかは、楽観的というかあまり物事を深く考えないタチなので、こんなメールをいただくと自分として反省するのです。「委員長って、終わった〜出来た〜賞が取れた〜と単純に喜べないですね」というような意味合いのことを書かれていたのです。委員長さんは本当にまじめに広報の活動と向き合われたんだなぁと感激してしまいました。きっと充実した一年間を過ごされたことだと思います。今年の広報委員も、やる気のある方らしい、と情報を頂きましたので、どうぞよろしくお願いいたします。   多田亜希子



 283号のPTA広報委員の方の声、とても興味深く読みました。どなたも真剣に意見を出し合い「会員の皆さんに興味を持ってもらえる広報紙」をめざして頑張っていらっしゃることを実感しました。私も広報委員のときのことを懐かしく思い出しました。
 神奈川新聞の『紙面拝見』欄で、小学生新聞が発行部数をのばしているとのこと。ウチの子はゲームをする時間はあっても本は読まないし、文字を書くことも面倒狩り、活字に触れることを嫌がります。先日の中学の中間社会のテストで時事問題が出るというので、新聞を読むように勧めましたがなかなか新聞を開こうとはしません。何か良いアドバイスをいただけませんでしょうか。   飯塚 和美




2011年5月1日更新

 「謙虚でいなさい」
 282号の中の言葉から。
 「がんばれ東北」だから、「どんな場面でも児童が新聞を作ることが出来る大澤小学校の教育は本物」「きょうから四月。天を恨まず運命に耐え、助け合って生きていくことが使命です」この言葉に〈後押し〉される。「どうぞカゼなどひかれませんように。今夜こそゆっくりお休みになれると良いのですが」。『北国の春』の歌詞も耳では知っていましたが、活字で、目で読んで、涙が滲んできました。
 あの大地震の後、私は何をしたらいいのだろ、何が出来るのだろう、と考えました。翌日、出勤できなくなった主人と自治会の花壇、そして防災倉庫の前の草取りをしました。草取りをしながら、人間も、草も地上に生かされている、それなのに草の命を絶っている自分、ゴメンね、という気持ちになっていました。この町がこんなに静かなこと、それはとてももったいないことなんだ、とあらためて感じました。こうして、きょうも生かされている私が、これから起こるであろうすべてのことを、「ハイ わかりました」と素直に受け入れられるかどうかは自信がありません。ただ、「謙虚でいなさい」ということだけは、教えられた、学んだ。そして少しは身に着いたような気がしています。紙面にもありました「これからは良くなるだけ」と、私も信じています。   畠 和子


 『エコー』282号拝見いたしました。災害についての文章は、とても重たい問題なのですが、すぐにホームページとエコーの両方でご自分の意見を語られたのは先生らしい、と感じました。
 3月25日の文章で、4行で書かれた「知人Yさんの息子さん」のお話が心を打ちました。派遣された全員がカウンセラーと面談している、その事実が、どんなにか被災地がつらい状態であるのかをどんな言葉よりも伝える、と思いました。
 18日、19日の記事もうなづいて読みました。不安をあおる言葉を、不安に満ちている今このときに使ってどうするのでしょうか。18日の記事と関連するのですが「勇気を与える」という言葉は使わないようにしよう、という一文を先日読売新聞で読みました。与える、という言葉は引っかかる、と私も思っていましたが、誰かが文章にしてくれたものを読むと、そうそう、と腑に落ちます。逆に「勇気づけられる」という言葉なら使いたいです。言葉には、人の気持ちを動かす、という大きな力があります。文章を書く時には自分が大きな力を使っていることを意識して書きたいと思います。
 返ってきたエコーの、矢部さんという方の、子どもたちが節電しているのに気付いての「行為そのものが大切」ということに気付く、という一文が良かったです。私も子どもたちや周りの人の「行為」そのものをもっと見つめたい、そこからいろいろなことに気付きたい、と思いました。
 昨年の情報委員さんの城所さんの、「神奈川新聞に載ったよ」という文章もとても微笑ましくてよかったです。家族みんながはしゃいだ喜びの気持ちが、素直な文章から暖かく伝わってきました。     上條 有紀



  広報委員の活動を終えた私に『ECHO』282号をお届けくださり、読者の1人にとどめてくださったこと、ありがとうございます。うれしいです。
 その282号の記事にあった、岩手大沢小の学校新聞を今夜の『ニュース7』の締めくくりで拝見。「あ、これがみんなを元気にしている新聞なのだ」と紙面、見出し、レイアウトのアップに見入りました。新聞作りをした児童に芯の通っている姿を見ました。
 大震災直後から、震災を、社会を見つめて発信くださる先生のECHOに、考える新聞作りのお手本を拝見させていただいています。
 今夜は取り急ぎ、大沢小新聞のことをご報告したく失礼ながらメールをさせていただきました。
 今夕、新広報委員長からメール。“誰もpcできる人がいないから、協力して”と。新委員長さんには、「1年間無料サポートつき」と申し上げていたので、これからご要望を伺う所存です。私がどう、新広報委員会に関わっていけば邪魔にならず、メンバーのプレッシャーにならず本当に役に立てるのか考えたいと思います。   石田 智子



 新聞教育への関心は、各家庭にも広がっているのですね。 それなのに、社会人たちの新聞離れはさみしく思います。 ネットは確かに早くて便利ですが、私は限りある紙面の中で
伝えるための工夫を凝らして進化してきた新聞の奥の深さから、離れがたいです。 震災で、見慣れていた紙面の様子がガラッと変わり、連日、非常事態を痛いほど感じていました。武先生の記事が掲載されているのを見て、少し日常が戻ってきたように思えて嬉しかったです。     増田美奈子


湯河原町の講座の参加者の声

  「広報はいらない」と思いながらも、流れで広報委員になった一人です。武先生の講話を聞きながら紙面を埋め尽くすほどにべンをとる私に驚きました。まずは「子育てご一緒 に!」大きく書き込みました。たくさんの事例を紹介してくださるうち、今すぐにでも新聞を作りたい気持ちになりました。知らせるだけでなく、高める、行動させる、広報紙には大きな力があることを感じました。みんなが次回号を楽しみにしてくれるような広報紙にしたいです。

 今まで「通信簿型」だったので、帰ったら今日の内容を来れなかった方たちにも伝え、考えていきたいと思いました。広報紙がみんなに読んでもらえるよう努力していきたいと思います。自分も広報紙作りが楽しみになってきました。

 年3回発行を計画していました。まさに「通信簿型」。過去の行事の報告的な記事が中心であるので、今日の講座を聞き考え直す必要性があると思いました。今週の金曜日に広報委員会があるので、今後の記事の内容について検討したいと思います。たいへん参考になりました。

  「寄せ集め文集型」「だった広報型」の広報紙を作ればいいのかと思っていました。書き残す⇒知らせる⇒高める⇒行動させる、PTAに関心を持ってもらい、保護者を引張り出し、行動してもらえるような広報紙を作らないといけないと思いました。たいへんそうだけど、がんばっていい記事を考えたいです。武先生のお話、楽しかったです。



2011年4月1日更新
 
こんなときだから笑顔で
 春の彼岸も明け、そろそろ桜の季節になるころです。281号 ありがとうございました。先生の青森、札幌の旅日記楽しく読ませていただきました。3月10日発行のこの号の翌日に、今でもときどき 「これは日本ではない」と思いたくなるような大惨事が起こりました。被災された方々のことを思うと胸が苦しく、とくに子供たちのけなげな姿を映像で観るたび切なくなります。この危機を何とか乗り越えて欲しいと心から願うばかりです。私自身もなにかをしなくてはと思い、わが子に募金をしようといいました。二人の子の募金額はそれぞれ100円くらいでした。もっと出せるのでは、と内心では思ったのでした。でも、二人はあの日以来、私以上に節電をしています。金額の多い少ないではなく、行為そのものが大切だと気がつきましたす。
 イライラは人にうつると聞きました。いま日本はすべての人がイライラしているようです。笑顔を心がけて生活していきたいと思います。きょう3月23日は亡き父の誕生日です。桜の花が好きたった父に「今年の桜はもう少し先になりそう」と伝えました。    矢部 民子
 

「できることを、できる人が」の精神で
 この時期はちょうど公演のチケット発売日が続くこともあり、忙しい日々です。そんな中、未曾有の大惨事に見舞われました。その後、公演中止の段取り、施設利用のキャンセルの連絡等々。先生に訪ねていただいた時には、普通に「忙しいですね」と言っていられたのとはケタ違いの忙しさです。地震があった日から連続11日、仕事に行っています。私はアルバイトで、特にシフトは入っていないのですが、仕事の状況を考えると休んでいてはとても追いつきません。PTAで培われた「できることを、できる人が」というボランティア精神(?)で、ついつい出勤してしまいます。誰かがやらなきゃしょうがないでしょう、って。   笠井 麗子

 届いた年賀状に「今年はなにを?」という先生のメッセージ。ずっと考えていました。先生の道祖神祭りの話、市P大会での金子教育長の講話、280号の「ゆとりの会」、それらから私のテーマが決まりました。「温故知新」。   Yasuda


安田さんから届きました

素晴らしい一年でした
 「神奈川新聞に載ったよ」というお電話をいただいたあの日、我が家はまるで、身内が紅白出場を決めた家族、さながらの盛り上がりでした。主人に電話をし、両家の実家に電話をし、新聞を買いに走る…、娘はとても嬉しそうで、それを上回るほどジジババは誇らしげで…、ほんとうに温かな時間を頂きました。ご褒美を頂けるほどの頑張りではなかったかも…ですが、勝手にわ〜い、ご褒美、ご褒美、、と喜んでしまいました。新聞の力を受け取る側で感じたひとときでもありました。
 さて次年度、中学校の副会長をお受けいたしました。まだ年度は始まっていませんが、各委員長の選出にかかわりました。そしてつい先日、広報委員長を受けて下さる方が決まりました。この1年広報紙づくりの楽しさ、素晴らしさに浸ってしまいました。広報委員がなかなか決まりませんが、この気持ちを保護者の皆さんへ伝えていけたら、広報委員に対する思いが変わってくるかもしれません。本当に素晴らしい1年を過ごさせていただきました。ありがとうございました。またお会いできますこと心待ちにしています。   城所 千津

“ちょっとお休み” 充電して二三年後
平成22年度もたいへんお世話になり、ありがとうございました。大地震は大丈夫でしたでしょうか。被災された方々のことを思うと、複雑な気持ちになるのですが、あれから人々は絆が深まり、みんなが一つになれたように思います。毎日のテレビ、新聞を見てジーンとして涙が出てしかたがありません。そんな中で今年度最後のPTA広報紙の発行、わが子の卒業式を迎えました。それだけに感動はひとしおでした。それで、私たち広報部は「ありがとう」をテーマに発行に踏み切りました。(発行費を義捐金にしたほうがいいんじゃない? というう声もありましたが)
 今年度も多くのことを得ることができました。「新聞づくりは仲間づくり」で、何よりもいい仲間づくりができ幸せです。“ちょっとお休み” 充電して二三年後、PTA広報に戻ってきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。   小泉ふみ代


小泉さんから届いたメッセージカード






2011年3月1日更新

『エコー』と同じ年、昭和60年から始まった家族新聞『であい』です。二年ぶりの復刊を心から喜んでいる私です。


 全国コンクール、昨年に引き続き「佳作」をいただきました。先生の励ましに背中を押されるように回を重ねて来た結果と、メンバー共々喜んでいます。今年度も最終号を残すのみとなり、編集作業に追われているところですが、とても励みになる朗報でした。またクリニックをお願いいたします。感謝とともにご報告をさせていただきました。   藤田


 武先生 エコー280号届きました、ありがとうございました!
 お正月の季節感を感じる日記の記事や、情報委員の方々の「エコー」など、親近感を感じる記事が多く、楽しかったです。今年の情報委員さんの文章を読むと、皆さんの笑顔が頭に浮かんできました。この一年間、情報委員としての思い出は大切な宝物になりました。
 東中学校の広報紙についての記事も嬉しかったです。私の文章に「野生動物がなぜ人里に」という見出しをつけていただきました。丹沢の山々と触れ合える場所で暮らしているのに、野生動物含めた自然に対して無関心なのはつまらないと思います。自然のちょっとした変化に気付き、「なぜだろう」と思う感性を磨きたいです。
 三年前、東中学の広報委員だった時、イチョウの木が切られるかもしれない、という話を聞いたとき、秋のイチョウの木の写真を撮りました。残念ながら記事にすることはできませんでしたが、イチョウの木は無事植え替えられ、東中広報紙『ぎんなん』に少しずつ根付いていく写真が載るようになりました。写真をみるたびに、良かった、と思います。
 いま子どもがインフルエンザにかかり、自宅待機中です。ただ熱は出ず、今の薬は本当によく効く、と感心しています。先生もどうぞお体にお気をつけてお過ごしください。   Yuki




2011年2月1日更新

 一年ってなんて早いのでしょう。この地に住んで43年、ほったらかしの庭は「いつかなんとかする」と思い続けていたのでした。体が動くうち、70歳までの5年計画でと、やっとエンジンがかかりました。こんな大きなことを言ってはいるものの、私のできる範囲でのこと。先を思えば、木はなるべく小さくして、本数も減らしました。抱えられない重い石は転がし、花壇らしいものに少しずつ…。やがて、動けなくなったとき部屋の中から、「これも私の作品なんだ」と思えるようにしたいなあって。いつか先生にも見てもらえるようなものになったらと思っています。   恵津
 
 書くこと・話すことを通して人の輪を広げていきたい
 先生が書かれる「にっきの木」は、とてもわかりやすく、そのときの情景が思い浮かびます。面白い紀行文か短編小説を読んでいるようで、心が和みます。
 今年度情報委員をやらせていただいて、あらためて「文章」「ことば」というものに思いをはせる機会に恵まれました。私は昔から、理屈っぽい硬い文章を書いてしまう傾向にありました。この一年間の活動を通して、文章にとって読みやすく伝わりやすいことがいかに大切かがよくわかりました。整然として簡潔で読みやすい文は、読み手の気持ちを豊かにします。そこにユーモアの要素が盛り込まれている文は、さらに素晴らしいと思います。
 「伝える」という意味では、「ことば」も同様です。日ごろ、何気なく使っていることばですが、中学時代の国語の先生に、「ことばには『力』があり、希望や喜びを与えることも出来るが、配慮を欠くと『刀』にもなって相手を傷つけてしまうこともある」と教えられたことを改めて思い出しました。
 この一年間の経験は、とても思い出深い宝物になりました。これからも、書くこと・話すことを通して、想いを伝え、人の輪を広げて行きたいです。  国師 恵理子


2011年1月1日更新


干支(信楽焼)   倉田幸子さんより


2010年 この一年

  「エコー」 昨日届きました。ありがとうございました。その日の仕事帰りに尾尻で見た「庚申塔」。「誰のお墓だろう・・」と思ってかえってきただけに、あまりのタイムリーな記事に鳥肌が立ってしまいました。良い勉強になりました。それにしても昔の人は目に見えないものへの畏怖が強かったのですね。現代は文明が進んでいるからか、見えないものをないがしろにしているようにおもいました。私も山ガール?で、蓑毛から大山、塔の岳等良く登りますが忘れている見えないものを取り戻したいからかもしれません。
 広報紙の辛口講評ありがとうございました。今回はどうも読者のニーズ(楽しいもの・遊べるもの)に偏っている感じがしていただけに、「やっぱりなぁ」という感じです。楽しく読んでほしいけど、きちんと伝える。このバランスがまだまだ難しいと感じました。最後号のテーマは「笑顔」です。妥協しない紙面ができるか? 頑張りたいと思います。寒い日が続くようなので、くれぐれもご自愛ください。年末年始の飲み過ぎに注意! です。今年一年、大変にお世話になりました。来年度もよろしくお願いいたします。    近藤真由美

 今回は印刷する期間が短かったうえ、途中でプリンターが壊れてしまい、どうなることかと思いましたが、先生がものすごく頑張ってくださったり、予定通り発行が出来ました。「広報さんが頑張っているから、何とかしてあげないと」と思って下さったのです。その心に 私たち 胸を打たれました。1号を発行するのに、多くの人たちの関わりがあるということを改めて感じ、その重みを噛みしめました。また、「一生懸命やっていることって、必ず誰かに伝わるんだ」ということをメンバー一同で確認できて良かったです。   柿内 幸希

 秦野に引っ越してきて10年、石碑の多いところだと思っていました。庚申塔には江戸時代からの歴史やいわれがあることを『エコー』で知りました。子供たちに教えます。
 最近、広報がカラー版であることに怖さを感じています。(私たちも今回はカラーですが)カラー写真や色文字、レイアウトにばかり気を取られて、かんじんの記事が読み手に伝わっているのか?って。折込の広告みたいになってはいないかって。次号は今年度最後の広報紙、がんばります。   大澤ひとみ

 エコー278号 いただきました。ありがとうございました。返ってきたエコーの名前の多さにあらためて驚いています。この長い期間 先生の新聞を読んで 共感したり 教えられたり フフッと笑ったり 考えたり たくさんの人たちが いろんな表情をしているのでしょうね。今年もまもなく終わります。来年はウサギ年 軽快に楽しく過ごせるといいですね。先生の足元にも及びませんが ここ3年ほどは 誘ってもらって山を歩くようになりました。昔の友人は笑って信じてくれませんけど。先週も大山に登ってきました。紅葉は終わりかけですが のんびりすてきな散歩でした。良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。   大塚 秀子

 前号からECHOをお送りいただき、ありがとうございます。初めて届いたときには「これが噂のECHO!!」と嬉しいような、開封するのが怖いような、一瞬の緊張感がありました。開封後はとても楽しく読ませていただき、日常のご様子などから、武先生をより身近に感じさせていただいています。今年度、情報委員をさせていただき、秦野市の広報活動には武先生の熱意とパワーの強力なバックアップがあることを実感できました。自校の広報委員さんたちが、武先生にお会いするたびに、パワーアップしていくのを感じています。筆に自信がなく、こちらから初めてのエコーをさせていただくこと、お許しください。紙面クリニック、どうぞお手柔らかにお願いいたします!   岩崎ますみ

  JAの講座に参加した母が、東公民館祭りに行って、大根地区の地図を3枚もらってきました。実家が大根なので、叔父たちに見せてあげようと考えたようです。「秦野ゆとりの会」とはどのような方々が集まっていられるのでしょうか。楽しそうな旅行記を読ませていただくと、気の許せる仲間たちといった感じですか。「庚申塔」、社会科資料集を作るときに親戚に聞いて回って調べたことがあります。今でもこの行事を引き継いでいるようで、年1回とか、何年かに1回と決めて一つの家に集まっておまつりをしているようです。   三嶽 雅彦

 エコー278号届きましたm(_ _)m いつも楽しみに拝見させて頂いてます。特に地元東地区の記事は、大変興味深く勉強になりました。私は東に住んで、まだ15年ほどですが、庚申塔の事も知りませんでした。子どもたちにも教えていきたいと思います。今年も一年大変お世話になりました。どうぞよいお年をお迎え下さい。ありがとうございました。   鈴木 真弓

 家々の屋根、そして畑、道路と、あたり一面は真っ白な霜。その風景は朝日を受けで更に輝きを増します。そんな風景を見て私は登校する子供たちと一緒にはしゃいでいるのです。毎朝300人ほどの子供たちの登校姿を見届けるために通学路に立って三年。時間にすれば30分ほどですが、まさに「早起きは三文の得」です。朝の田園風景と子供たちの姿を眺めることから始まる一日に喜びを感じています。   安田 奈々

 出会いって大切ですね。こんなに気の合う方達に出会えるとは…。編集会議の一日が終わる頃にはいつも、「私達って素晴らしいよね〜」、と自画自賛の会になり終了。変に自信を付けて、少しぐらいの困難なら私達なら乗り越えられる、と暗示にかけられ今にいたります。自分の思いを「P連だより」や「情報委員会だより」という形にでき、皆さんに届けることができたこと、なんて贅沢なんでしょう。先生とお話しできたこと、仲間の皆さんに対する感謝、そんな温かな気持ちに溢れた一年でした。   城所 千津



2010年12月1日更新

 
この号でしばらく冬眠?
 この号でしばらく冬眠? などと周りから期待を込めた眼で見られているようです。こんな委員立つの気持ち、読者からの声を落ち着いて整理し、年度内残り1号でよいのかを考えてみたいと思います。取材する難しさに何回も直面しました。“ペンを持つ者のおごり”が出て、取材を受けてくださる側の皆さんの気分を害してしまうようなことをしてはいないか、と自らに問いかけています。   石田 智子

 当家の家紋も『巴』です
 初めまして。私は浅草在住のFと申します。先日鶴岡八幡宮へ観光で参り、倒れた銀杏の木を拝見し、詳しく調べている内にこちらのHPへおじゃましました。『寺山ものがたり』を数ページ、父へプリントアウトして見せてあげると「ああ、トッケダンゴか!」とか、専売公社のお話等、それはとても喜びました。
 父は、やはり浅草に在住しておりますが、生まれは寺山です。私も幼い頃の記憶で、叔母と一緒にトッケダンゴを作った記憶が蘇ったりして、胸の奥がほんわか温かくなる思いがしました。父の小さい頃の様子がうかがえました。ありがとうございます。
 父も”武勝美さんはよくここまで調べたね〜”と関心しております。退職後、少し退屈をしていた父の目を輝かせてくださいましてありがとうございます。
 長文乱文失礼致しました。ちなみに当家の家紋も『巴』で《神様》です。    F.Y

 いただいた銀杏を茶封筒に入れレンジにかけました。パチパチパチと弾ける音が快く、楽しみながらいただきました。新鮮で柔らかく美味しいです。秦野の香り、味わいでしょうか。   菅原 澄子




2010年11月1日更新
 


M中学校広報委員会からいただきました



 ホームページ開設10年 本当におめでとうございます

 10月8日でホームページ開設10年とは、本当におめでとうございます。2000年10月8日にHPの完成でご子息と握手されたなんて素敵です。
 私は先生のHPのお陰で楽しみながら沢山のことを学ばせていただきました。秦野がふる里だと思えるように、すっぽりはまった感じです。このHPに初めて訪問したのは、2001年3月3日です。
 ECHO 181号(2001年3月1日発行)をお送りいただき、一面の右上に鉛筆で「ご一読いただければ幸いです」と添えて下さったのが心に響きました。それ以来、毎月届けて下さECHOとホームページ(ECHO)は楽しく拝読しました。
 特にHPはデスクトップに置いて、元気をもらってました。以前は、トップページに「今月の一枚」と題して魅せられる画面がでてきました。、目が覚めるような写真とことば(575)に引き付けられ、音楽に乗せられてしばらく見つめていました。今も思い出されるのは、単旋律バージョンで「大きな古時計」のオルゴールの音色が流れて、耳に快く爽やかな気分になれたことです。感覚が揺さぶられ、心に沁み渡り、元気が湧く「今月の一枚」だったのです。ふり返ると私にとって、本当にありがたい場面が散らばっている貴重なHPです。どうか、ご自愛なさって、これからもずっと続きますように。楽しみにしています。ヽ(^。^)ノ     2010.10.23   菅原 澄子


 ホームページを開設してから10年ですか、すごいです。おめでとうございます。いつも先生からすごいパワーを感じます。武先生は広報のパワースポットですね。それで、秦野市の広報は良いものができるのですね。   相原 明美


 ECHO ありがとうございます。隔月刊なのにこのところ毎月届きます。先生の元気の表れ、と喜びながら読んでいます。
 ECHOをいただくようになって5年になります。そしてこのごろ気づいたことがあります。それは『意図する』ということの大切さです。先生の日記を読んで「なんで今まで気づかなかったのだろう」と思うのです。ホームページ開設10年の日記、息子さんとのエピソードに感じるものがありました。“伝えたいことの伝え方”その方法です。「文の後に何かが隠れている、行間、いや文字の間にさえ先生の気持ちが隠れていて、それが伝わってくる」そんなことを勝手に感じています。   矢部 臣子


 校長先生にも目を通してもらい 学校が抱えている問題を書きます
 先日のクリニックではお世話になりました。また『ECHO』をお送りいただきまして、ありがとうございました。結婚して秦野市に来て以来文章を書くことがなかったので、中学生並みの文章しか書けず本当に恥かしいかぎりです。
 現在、11月中頃発行を目標にみんなで原稿を仕上げている最中です。今回も広報経験者はいないので、簑島さんから借りたパソコン用ソフトに悪戦苦闘しながら、各担当者が頑張っています。私も現在学校が抱えている問題を書かせてもらい、アドバイスいただいたとおり校長先生、教頭先生にも目を通してもらい、了解をいただきました。みなさんに少しでも現状を知っていただいき、より多くの保護者の方に学校に来てもらえればと願っております。
 きょうは冬の寒さを感じるような一日、御身体には十分お気をつけくださいますように。   相原みゆき


 例年より少ない台風が昨夜通り過ぎていきました。学級新聞コンクールに向けて先週までドタドタの毎日てしたが、わが2年1組もなんとか〆切に間に合わせることができました。出来不出来は別として、広報委員を中心に一つのものを完成すべく、一生懸命取り組んでいる姿にはいつも感心させられます。いろいろと段取りが大変なこととそれをひとつ一つやり遂げて紙面ができたときの達成感は、それはそれで他のことではあまり体験できない新聞づくり特有のものがあるように感じます。早くも今年あと二ヶ月となりました。武先生も無理をなさらず、ご活躍ください。    安藤美千代





2010年10月1日更新
 
次号に向けてがんばります 
 添削していただいた広報紙が届きました。早速読んでくださったことに感激いたしました。そして添削の具体的な言葉を読ませていただき興奮? してしまいました。広報のメンバーに電話をし、更に興奮が高まりました。本当にありがとうございました。次号に向けてがんばります。  渡辺 知子

 武先生、暖かいお言葉ありがとうございます! 講習会に参加したり、クリニックを受けたりする過程で、どうせ作るなら良い物を作ろう、と思う一方、やっぱりただの自己満足じゃなかろうか、とか、どうせ読む人はわずかだ、と思ったり、広報紙なんかいらない、と思う気持ちがいまだにあります。今、自分の中にある最大の目的は、メンバーとの良い関係作りです。自分のための。絆は、共に苦労を乗り越えないとうまれないので、やりがいはあります。レイアウトへのこだわりは、みんなの努力がむくわれるために必要なんだ、と、武先生のメールで気づきました。今日、トップページもできあがり、これから学校へとどけます。来週頭には印刷依頼をするので、直して形にしたものを本当はみていただきたかったけど、うちには、ミニ武先生の岩崎Iさんがいるので、アドバイスうけながら、仕上げたいと思います。長くなりましたが、つい、思いつくままに書いてしまいました。武先生のことは、主人の母もよくしっていました。昔、広報委員でお世話になったそうですよ!  K.S

 鎮西八郎為朝
 ようやく風が秋らしくなりました。今年はこのまま一気に冬になってしまうのでしょうか…。学校は10月8日が前期の終業式です。通信表作りに土日も所見・所見…な私です。
 エコー276号の「名字は祖先からのメッセージ」を読みました。私も自分の名字には特別な思い入れがあります。
 「鎮西」は九州の昔の呼ばれ方です。鎮西探題は西からの勢力を鎮めるためにおかれた大宰府のことです。源為朝は平安時代の九州の武士でした。2メートルを超える大男。左手が右手より20センチも長く、弓矢の名手。八男だった為朝は「鎮西八郎」と呼ばれていたそうです。(このネタは中学の教育実習でよく使いました!) そんな由緒正しそうな私の名字、最初は気が引けましたが、今では誇りにしています。    鎮西真裕美

 旧姓は「生駒」です
 名字の話、トンチ比べのヨウでもあり、楽しく読ませて頂きました。私の旧姓は「生駒」で、九州の鹿児島に実家があります。鍛冶屋を生業としていた祖先が、作った刃物で彫った馬がまるで生きているかのようだったところから「生駒」の姓をいただいたようです。母は「人を殺める道具を作っていた罪深い家系」と言っておりましたが、この謂れとともに「生駒」姓は気に入っています。  城所 千津

 名字の話、興味深く拝読。「野田」は152位、約3万1千世帯と記録されています。   野田 広明


2010年9月1日更新
 
 クリニックを次号に繋げたい
 猛暑の中、北上からもどられた頃と存じます。東北の夏は、こちらより過ごしやすいのでしょうか? きっと会場の雰囲気は熱気に包まれていたことと思いますが。
 先日は『ひがし』68号の紙面クリニγクをご返送いただきまして、ありがとうございました。◎と評価して頂いた箇所はスタッフみんなで喜び、アドバイスしていただいた、特にレイアウトの部分に関しては、もう一度学習します。先生のお青葉どおり次号に繋げていきたいと思います。
 クリニックの返送ごとに同封されてくる『ECHO』は毎回楽しみにしています。274号の「夏来る」の中で「先生方が『ご苦労さまです』と言ってくださるのが嬉しい」に対し、「願わくば具体的な感憩を…」との武先生の思いに、「そのとおり!」と思わず言葉が口をついて出てしまいました。
 今回の68号で特集した「進路を見据えて」で各学年主任の先生方にコメントを頂きましたが、3年生の学年だよりに「PTA広報の『進路を見据えて』というコーナーでインタビューを受けた」と書いてありました。68号の具体的な感想ではありませんが、学校発信のたよりとPTA広報紙が呼応できたとの一つと受け止めて、ひとり喜んでいます。   藤田みどり


「ちょっと、ペースは大丈夫ですか」
 残暑お見舞い申し上げます。『エコー』274号、拝読いたしました。
 『夏来る』 ちょっと気になるのは「ビール大瓶1ケース」 一晩で大瓶1本開けられるのですか? 私は350mlの缶ビール1本で十分、大瓶までは開けられません。「早く飲んで買いに来るから」という言葉、「ちょっと、ペースは大丈夫ですか」と尋ねたくなりました。
 『子ども時代をしつかり楽しんで』
 今の自分があるのは、子ども時代に楽しんだことを今でも楽しいと思えるからだと思います。本を読む習慣。日当たりのいい縁側で本を広げてのんびりと本を読む。その本も何度も読み返していて筋もわかっているけれど、その筋を追いかけることを楽しんでいました。シヤーロック・ホームズなんてドキドキしながら読んでいて、陽が傾くのも忘れるほどでした。下校する時たまたま見かけた先輩たちの部活動の姿にひかれ中学校のバスケットボール部に入部し、高校に入ってからもバスケットを続けることができました。そしてそれが今でも部活の指導に生きていて、バスケットに関わる楽しみを味わうことができます。子供の頃の体験がその人の人生を決めてしまうとも言えます。   三嶽 雅彦
 

 楽しい旅行になりました。とてもいい機会を与えてくださったこと、感謝します。
 夜行バス、行きはよいよい、帰りは怖い。帰りはドロドロでした(笑)。眠れたのか、眠れなかったのか。30分おきに目覚めていた感覚ですね。本厚木から家にたどり着くまてがとてもつらかったです。
 発表、ちゃんと出来たかなぁ〜と不安です。自分で何を話していたのかわかんなくなってしまってました。あんなにセリフもノートに書いていたのに、結局は半分くらい思いついたままを話してしまって。今度機会があったら、しゃべるコツを教えていただきたいです。   多田亜希子

2010年8月1日更新
 

 読者の心に寄り添う『エコー』
 暑中お見舞い申しあげます。梅雨が明け、毎日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしですか。
 「エコー」を送っていただきまして、ありがとうございました。旭ブロックの諌習会のことも掲載されていて、嬉しく読ませていただきました。発行26周年のお祝いに寄せられた記事を読んで、歴史の重みを感じたのと同時に、『紙面から先生の人生そのものが伝わってくる』とか、『講習会に参加した時、心が軽くなって帰宅した』とか、『記事に登場した大イチョウが芽を出しているというニュースを見たので、出張の行き帰りに見に行く』など、読者の心に寄り添った「教育個人紙」が根付いていることに感銘を受けました。
 ところで、11月18日に予定している第2回講習会について、どのような形で開催するかの意見交換をしたところ、第1回同様、先生のお話と添削指導の両方とも設定してほしいということで一致しました。
 今年度の活動テーマである「学校と家庭をつなぐ広報紙」〜親子で楽しむ広報紙〜の更なる充実を目指して勉強していきたいと思います。今後ともご指導のほどよろしくお顔い申しあをヂます。    平本 年子


 わが家は、夏休みに入ると毎朝子供たちとラジオ体操を行なっています。長女と二人で始めて今年で7年目です。この夏はわが子三人と近所の子五人で爽やかな朝を迎えています。25年の『エコー』にはとてもおよびませんが「続けることの喜び」も味わっています。   安田 奈々


 「ビール代を支払うお財布がない」 先生らしくない、イヤ先生らしい、笑えました。そちらのゲリラ豪雨、どうでしたか。専業農家なので、暑すぎたり、多雨だったりの今夏、米の収穫が心配です。   岩手・畠山  


 秦野のお盆の送り火を読んで  遠賀川での「送り火」

 7年前にお盆の前日、福岡県遠賀郡芦屋町のW先生宅を訪ねました。教師としての最初の赴任先が芦屋中学校で、それ以来お世話になり親しくして頂いているのがW先生です。
 その年は奥様の初盆で、大広間に大きな船が堂々と構えてありました。船大工が精魂こめて1年がかりで造るのだそうで、本物そっくり、船そのものでした。6人くらい乗れそうな精霊船『○○丸』のその大きさと出来映えにいたく感動いたしました。ご家族様と共に「お迎え」に参加させていただいたような有難い気持ちになりました。
 この遠賀川での「送り火」はどのようになされるのか、後日聞いたことをまとめてみました。
 遠賀川沿いのW邸宅、川までは近いとはいうものの運ぶのはたいへんなことのようです。専門の人たちで運ばれ、岸を離れた精霊船に、家族や親しい人たちのが乗った船が沖合いまで付いて行くのだそうです。やがてW家の精霊船は玄界灘方面に進んで行き、皆さんの心に深く残る「送り火」になったとのことでした。    菅原 澄子



2010年7月1日更新
 

 ECHO有難うございます。今日は蒸し暑く季節は「梅雨」なのですね・・。沖縄には行った事が無いのですがTVで「ひめゆりの塔」などは観た事があるので 戦争の被害が大きかったところという イメージがあります。普天間問題を話し合う予定の全国知事会の欠席率40%というのには正直呆れました。軍用地はとても高値がつき売買されるというニュースも見ました。物事は一片のみでは解決が難しいのでしょうか・・。
「生きることのまばゆさ」は「日々の惰性の中に落ちていて 何かのきっかけで光が当たり「きらっ!」と光るのでは…。」
 同じ文を読んでも 経験して読むのとそうでないものと感じ方は違うものではないでしょうか。なので先生は「惰性」と思われるのでしょうが読み返したり 同じような状態の文を読んだ時心が動きます。私は先生のECHOまだまだ読ませてもらいたいと思っています!! これからも宜しくお願いいたします。(体調に無理の無いようにして下さい)   臣子

 新年度が始まったと思ったらもう6月になってしまいました。ご挨拶が遅れました。昨年度もご指導をいただきありがとうございました。おかげさまで1号毎に成長していると思っています。私は今年度も広報委員をやらせていただくことになりました。なんと3年目です。
 今年はなんと半数弱の先生方の移動がありました。学校に行っても「あの人(先生?)だれ?」という状態、これは早く教職員紹介号を出さなければ、ということになりました。メンバーが十分に知り合わないまま、「ちょっと走りすぎかな」と思いながらも、とにかく第1号が発行できました。5月14日です!。今年は15日が運動会なのです。(はやーい!) 運動会の前と後度で、その発行の価値は大きく違う! それでがんばりました。  ふみ代

 本日は本校の新聞講習会をありがとうございました。ザワついていた生徒たちが、お話を聴いているうち真剣な雰囲気に変わっていく様子が伝わってきてました。新聞づくりは、中学では時間の設定が難しくなっていますが、今年度広報委員会にカムバックしましたので、子供たちの活動を支えていきたいと思っています。先生の新聞への変わらぬ情熱が嬉しく、とても勇気づけられました。  幸恵


 

2010年6月1日更新
 
『ECHO』発行26周年に寄せて

 「惰性」とは「力の作用を受けない物体はその速度を変えず運動状態を持続する」
 ECHO 26年目第1号、ありがとうございます。心新たに、また1年を刻んでください。全新研秦野大会で『丹沢の風』が100号表彰を受けたことを伝える記事の見出しは、「継続を力にして」でした。毎年委員が代わる私たちにとって、「継続は力なり」とは、おこがましくて言えません。でも、先輩たちが続けてきたことを自分たちの力にして頑張ろうという感謝と意欲を現した言葉として、結構気に入っている見出しの一つです。
 これまで続けてきた力でこれからも動いていく。これって、物理的には「惰性」? 「力の作用を受けない物体はその速度を変えず運動状態を持続する」ん〜、素晴らしい。いやいや、続けてきたということを新たな力として、力の作用を加え加速してください。いや、そんなに加速する必要はないので……角度でも変えてみたらどうですか。寄り道したり、遊んだり…。これも続けないことにはできないことですから。  K.R



 1号でも多く『ECHO』が発行されますよう
 いつも『ECHO』ありがとうございます。
  花の下友だちといふたからもの  私の拙句です。決して多くはいない友達が今となっては宝物のように思えて、桜の下で笑い合える幸せを詠んでみました。俳句の先生から「『たからもの』と気づかないか、それほどでもないか、あるいは気恥ずかしいかで、この言葉は使えそうで使えない」と評されました。
 いつだったか姉が「桜はいいね、大勢の人が待っていてくれて」と言ったことがありました。満開の時の美しさもそうですが、咲くまでを指折り数えるようにして待つ気持ちは、春を待ち望んでいた心の昇華でしょう。先生のお庭の桜は枝を下ろされたとか。大樹だったので、枝下ろし後の空の広がりに、何か新しい発見をなされたことでしょう。花吹雪のころ伺わせて頂いておいてよかったです。良い思い出です。私は今年姫路城の桜を見てきました。お城と桜、日本人で良かったーと思えたのでした。桜にはみんな特別の思いがあるようです。
 沖縄の旅日記、楽しく拝読いたしました。これで日本列島全都道府県宿泊ということ、驚きました。“動き”“語り”“聴き”ながらの先生の旅は、すべて心に残るものだったことでしょう。これからもお元気で旅日記をお書きください。
 26年目に突入の『ECHO』 おめでとうございます。《惰性》などとんでもないです。紙面から伝わってくるものは先生の人生そのものです。井上ひさしさんの言葉にも強く感銘を受けました。私も「しっかり生きなければ」と思いました。1号でも多く『ECHO』が発行されますよう、私も横須賀から応援します。
 この季節、若葉と青い海、観音崎の白い灯台がまぶしいです。
  灯台の夏立つ陽射しあつめけり    ヤスエ




 300号で祝杯をあげましょう
 25年の歴史ある『ECHO』を毎回、拝読させていただくことを嬉しく思います。以前「返ってきたECHO」の錚々たる方々の中に私の名前を見つけた時、「私がここに連ねていただいていいのでしょうか」と恐縮してしまう思いと同時に、喜びを感じました。私がお世話になった先生方のお名前も見つけ、随分ご無沙汰しているのに急に身近に感じることができました。それにしても隔月刊でもすごいのに、22年間も月刊だったなんて……改めて先生の新聞に対する熱い思いを感じました。
 先日の広報講習会のアンケートにも、皆さんが「わかりやすく楽しい講習会で今後の活動を頑張ります」という感想でした。私が初めて講習会に参加させていただいた時、心が軽くなって、清々しい気持ちで帰宅したことを今も覚えています。(それから、5年間聴講させていただくことになるとは、想像もしていなかったことですが)300号は4年後くらいでしょうか? 今号でも素敵に年を重ねていられる方が登場されていて、刺激をいただきましたが私の4年後って?  まずは先生と300号発行の祝杯をあげることを目標にさせていただきたいと思います。(お酒を嗜めるように訓練しておきます)  S.M



 鎌倉の大イチョウの芽吹きを見てきます
 エコー273号 届きました。ありがとうございます。26年目に入りました〜の記事 心にしみました。1985年5月は私にはじめての子どもが生まれたときと同じです。子育ては楽しくもありしんどくもありましたが すっかりオトナになったわが子は頼もしいかぎりの雄雄しさ(?=娘ですけど)です。そう思うとエコーを読むたびに子どもの成長の軌跡を思い出し 重ねて感慨深くなります。来月出張で鎌倉に行きます。記事に登場した大イチョウが芽を出しているとニュースで見ました。行き帰りに見てきます。 O.H



 たくさんの広報委員が先生の話を聞いて、一年の間にたくましくなっていく(272号の『しぶしょう委員会だより』を読んで)、その人が回りの人に刺激を与える、こうして輪がどんどん広がっていく どうぞこれからも『エコー』を続けてください。  Y.T

 

 『エコー』の創刊記念日にアクセス160,000突破、おめでとうございます。今日のアクセス数すごいですね。『エコー』、まだまだ読ませてください。毎回楽しみに待ってます。 A.A



 先生も「生きてるよ!」って、いつまでも
 『ECHO』発行26周年 とはすごいです。先生らしさが紙面のあちこちにさりげなく、意味ありげに(何て言えばいいのか…) これからも楽しみに待たせていただきます。
 少し近況報告をさせていただくと、鶴中でお世話になった3人の子どもは皆結婚し、今のところ4人の孫の“バーバ”になりました。83歳の母と4番目の高2の息子との4人暮らし。以前は主人の母も一緒の9人でしたから静かになっちゃいました。
 「くそババア!」などと呼ばれて腹を立て、本気で子どもとケンカしていたのに、今、私は56歳。「くそババア」がピタッと納まる自分が怖ろしい。孫から「カバちゃん(和子バアちゃんの略ですゾ」)と呼ばれてもニコニコの《ババア街道まっしぐら》。 最近は母と一緒に「シニア元気塾」のお手伝いをさせてもらって我が身の老いも楽しんでいます。
 そろそろ見事に死んでみせる準備をせにゃあーと思っています。両陛下が秦野に植樹祭にお見えになられた日、5月23日を記念して? 《樹木葬》を契約しました。これでひとまずは安心して死ねるかな。
 『ECHO』からいただく「生きることのまばゆさ」をどなたかにおすそ分けしたいと思っています。それもあるので、母と二人でゆっくり生きてみます。先生も「生きてるよ!」って、いつまでも。  H.K



 『エコー』273号、拝読しました。これからも『エコー』、受け取らせてください。楽しみにしています。「継続は惰性、成り行き任せ」とはあまりにも痛烈な言葉。そんなことありませんよと声をかけさせていただきます。大相撲の魁皇、おそらく実力的には横綱をはってもおかしくないものを持っていながら、どうしても精神的な弱さからか、ここぞという時に力が出ません。それでも長年相撲をとり続けてきたおかげで、通算千勝というところまできました。からだはもうあちらこちらにガタがきていて、痛みをこらえながらの毎日の土俵だと思います。「継続は力なり」。いろいろと苦労を重ねながらここまで到達することができました。‘惰性’や‘成り行き任せ’ではない、日々の姿を見ます。武先生にも無理のないところで継続をお廟いします。  M.M

 本日、「ECHO」273号、受け取りました。有り難うございます。26年目に入った『ECHO 』、ますます円熟。小生のささやかな活動の「指針」であり「道しるべ」です。いつまでもお元気で、刊行が続いていくことを心より期待しております。   Y.K



 『エコー』は武さんがキーを打てるうちは刊行するのです、という読者あり。  KEN

 

 『ECHO』26年目おめでとうございます。これからも書き続けてくださる“生きていることのまばゆさ”を、とても期待しています。   S.S

  





2010年5月1日更新

 
新聞づくりは学校生活の一部でした                                   佐賀市  谷口 貴美子

 2月28日の座談会には、会場の隅にでも参加させていただきたい気持ちで一杯でしたが、時間の余裕がなく残念でした。
 思い出してみると、東中学校で『東中新聞』や学級新聞を作ることは、毎日登校するのと同じくらい当然のこととして、学校生活の一部になっていました。とりわけ『東中新聞』は、私にとっては自分の意見や主張を発表させてもらえる重要な場でした。新聞作りを通して話し合うことや調整すること、役割分担の大切さなどたくさんのことを身につけることができました。その『東中新聞』が60年間もずっと続いている、そしてその一時期に関わることができたことをとても嬉しく、誇りに思っています。
 私は今、「地域包括支援ンター」で仕事をしています。高齢者の総合相談窓口の役割を持つところです。いろいろな相談を受けています。時には叱られたりしながら、自分なりにがんばっているつもりですが、足りない知識がたくさんあって、この春から通信教育ですが学生になりました。50歳を過ぎてからの勉強ですから、ほとんど〈脳トレ状態〉ですが、「それでもいいかな」と思っています。
 49歳で亡くなった母が経験できなかったことを私が経験し、母に報告できるように生きていきたいと思っています。今度帰省した折にはお伺いします。(昭和48年度新聞委員会委員長)



沖縄旅行記」息子と楽しく拝読

 いつもECHOを送っていただきましてありがとうございます。お礼のメールを、と思いつつPTA活動に追われる日々で、大変失礼しております。時には家族を犠牲(好きな言葉ではありませんが)にしてまでも、PTA活動をしていることに自問自答することもありますが、この経験が自分自身を向上し、やがてそれが家族や息子のために…と信じて一年間、頑張っていこうと思います。  
 沖縄旅行記:息子と一緒に楽しく拝読させていただきました。私は沖縄の空と海とゆっくりとした時間の流れが好きで、「老後は沖縄に住みたい」と考えていた時があります。(爬虫類が異常なほど苦手なので、そこがクリアできないと実現は絶対に無理なのですが)。次男も夏に旅して聞きなれた地名や場所、そして熱狂的?な野球ファンなので、「金本と城島を背番号で確認しただけなんてもったいないな〜」と言いながら、旅行記に次々と登場するキャンプ情報に興味津津で読み入っておりました。  柴田 美由紀



 手話を学ぼうとする子供たちの姿勢に感動
 
 今はすっかり落ち着いたようですが、昨年来のインフルエンザ騒動はたいへんでした。所属している手話サークルは、市内の小・中学校の福祉教室に協力させてもらっていますが、延期や中止を余儀なくされた学校もあり、先生方のご心労はいかばかりと察していたのでした。
数年前から講師として子供たちの前に立っています。見慣れない手話というものを目にした子供たちの瞳の輝き、そして砂に水がしみこむように覚えてくれる姿を目にし、いつも子供たちから感動のようなものを頂いています。そして、「手話の裾野を広げる」という目標の一つに、少しは近づけたかなと思うのです。
 どの講座でも、締めくくりに「他者に対する思いやりの心」について、自戒を込めて話しています。ささやかな奉仕ですが、先生の心「動かなければ、語らなければ、聴かなければ」の実践だと思い、がんばっています。
 東中学校のイチョウ、心配していました。移植されてよかったです。まもなく柔らかな芽吹きが見られることを信じています。「春は名のみ」の寒さの日々。お体をお労りください。  稲吉 純子
 


 ぜいたくな 花の三日間
                                      
 今年のさくらは、長い間咲いてくれて、とても満足しています。4月3日は「お花見ランニング」と称して、秦野駅〜運動公園〜日立〜南小の桜のコースを走りました。4日には、初めて主人と小田急線沿いの柿生〜新百合ヶ丘の桜並木を歩きました。5日には山梨市の旧友を訪ねたのですが、中央線で桜花と桃花の両方を眺めることができました。退職してできた、ぜいたくな花の三日間でした。来年も、元気でさくらを愛でることができたらいいなあ、と願っています。4月18日は隠岐の島へ、マラニックマラソンに行ってきます。  篠本 典子  (「マラニック」とは、マラソンとピクニックを併せてできた語)



 久しぶりの青空で、正に家事日和?でした。それにしても先生の行動力にはいつも驚いております。講座等でご多忙な日々の合間にヘリコプターで箱根一周や沖縄レンタカーの旅、そして四季を問わずに楽しめる≪さくらさん≫見物、今度ぜひお話を聞かせてください。  芝




2010年4月1日更新


 広報委員ならではの貴重な体験
        
 作った広報紙がたくさんの人に読んでもらえることは、広報委員として最高の喜びです。中学生になると、親になかなか配布物が届かないのが現実。だから、子供たちがPTA広報に興味をもち読んでくれる紙面を作るのは間違いではない(誤解されそうですが)と思っています。子供が興味を持つ記事があれば、親に広報紙は届き、親子の話題になるからです。
この一年さまざまな方に取材し、私自身とても刺激を受けました。部活動の取材をしているとき、「中学生って意外と素直かも」と感じ、どの子もわが子のように応援したくなりました。こんなふうに学ぶことも多かったです。これは「広報委員ならでは」の貴重な体験でした。   葉 子

 最終号をお届けします。最終号がこれでいいのか、もっとよい記事、写真、キャプションにしたかったなど、悔いが少し残ったような気がします。先生からいただく講評、みんな毎回ワクワク、ワイワイでした。    彩 子
            
 広報講座で、「PTA広報づくりで自分を耕そう」と、先生は話されました。PTA一年生で不安一杯だった私には、大きなエールとして心に強く響きました。実際、広報づくりを始めると、知り合いが増えました。先生方と話をすることによって学校を身近に感じるようになりました。新聞記者の書く記事を読み「さすがプロ」と感心したり、ささいな記事が私の心の中を波立たせたり、と私の内面の世界が広がったのです。確かに私は広報に関わることになって《耕され》ました。   伊 勢

 《一から作り出す》という大変さはありましたが、そのことから多くのことを学びました。久しぶりに学ぶ楽しさ、協力して作り上げる喜びを実感できました。   竹 園
    






2010年3月1日更新


 常識の向こう側に何かあるのかもしれない

 14日に無農薬・無肥料でリンゴを作っている木村秋則氏の講演会を聞きに東京に行ってきました。氏はNHK「プロフェッショナル」で見た通り素朴な農家人でしたが、真剣な時の表情に真摯な強さを感じました。
 講演会の内容で印象に残ったこと
 最近の青少年犯罪が残酷になってきていて、それに関し警視庁の方が「食生活に問題があるのではないか?」とラジオで話していたこと。日本は世界で一番農薬・肥料・除草剤を使用している。中国は日本の半分くらい、韓国に至っては国を挙げて無農薬農業に転換しようと国費で氏の元に研修に来ていること。ドイツは80年も前から無農薬に転換している、雑草というものは無く(昭和天皇もおっしゃっていたらしい)、害虫が発生するのは土の状態が悪いから。ハエの幼虫はアブラムシを食べてくれる。テントウムシはせいぜいアブラムシを5匹くらいしか食べない。常識の中には意味の無いものがある。人は「生かされている」だけでなく、周りと「生かして生きる」ことが大切。木だって、声を掛けるとちゃんと応えてくれる。声を掛けなかった木は嵐のとき被害が大きかった。周囲から散々馬鹿にされ、リンゴが出来ない間(9年くらい)極貧状態であった。それでも頑張れたのは家族の協力があったから。「作物は実をつけることが出来る唯一のもの、人間は利益のみ考えるのではなく、それで生活しているのだから感謝しないといけない。その日、その日を一生懸命生きてください」、そう何度も言っていた。
 会場は老若男女様々な人たちがいました。若い人の多さにビックリし、日本の未来も悪くないな〜って思いました。
 常識の向こう側に何かあるのかもしれない、と今年はベランダ菜園に挑戦します!! 
 寒い日が続きますがお体に気をつけてください。   矢部 臣子




2010年2月1日更新


 たくさんの出会いを求めて私も動きたい

 寒中お見舞い申し上げます。
 『エコー』270号、拝読いたしました。「にっきの木 NO109」のイチョウのことは知りませんでした。結局、引っ越すことになったんですね。そのままの位置で放置されるのかと思っていました。以前、銀杏を拾って、それを農協で売って、そのお金でユニフォームを買った部がありました。近所の人もよく銀杏拾いに来られていました。あのイチョウは東中の象徴ではあります。
「<さ−>はいらない」話す相手との距離感をまだ身につけていない、のは中学生も同じです。先生を呼び捨てにすることを、一つのコミュニケーションと考えています。「A先生」と呼ぶことに恥じらいを感じているのです。全員がそうだというわけではありません。15%ぐらいですかね。だから、それが目立っんです。<さ−>とか<じゃん>とか<ね−>なんていうのは日常茶飯事。先生と生徒の距離感って、昔はありました。職員室なんて近づくところではないと思っていました。今は逆です。先生と生徒の距離感は限りなくゼロに近いです。教師側としても、そういう対応をしてあげないと生徒達は負の反応を示してしまうので、いたしかたなく生徒に合わせているところがあります。
「l億2千万分の2の遭遇」世の中のできごとは偶然の連続です。こうして武先生に手紙を出すようになったのも偶然の産物以外にありません。そういうことの中に、人生を左右する大きなきっかけになることがあることは私のこれまでの生活の中でも幾つもありました。そういう予期せぬ遭遇があるからこそ、人生は楽しいのでしょう。もっとたくさんの出会いを求めて動くことにします。    雅美


 伐採でなくてよかったです

 こんにちは。いつも子ども共々お世話になっております。ECHOありがとうございました。イチョウの移植はあっという間で気づいたら移植されていた感じでした。伐採でなくてよかったです。新体育館建設は建設後のグラウンド整備が遅れているようで、生徒の部活動もままならない状態と聞いています。ミステリーツアーいい企画ですね。子育ても自分の人生もミステリーツアーです。どこに連れて行ってもらえるか、どこに行きつくか。
 毎朝、家事が一段落してからの朝刊と、仕事帰りの夕刊が楽しみです。新聞というより、活字が好きなのだと思います。本も相変わらずハイペースで読んでますし、インターネットで様々な情報も得てるので活字がないと生きていけなかったりして。
 5年前小学校のPTA広報委員会の一員として広報紙を作っていたとき、パソコンや携帯のネチケットについて1面を任され、作成したことがありました。先生から「短い期間でアンケートをとり、よくまとめられていた」みたいなお誉め?の言葉を頂いたのを今でも覚えております。今では母子家庭の世帯向けの情報紙を年に1回発行し、民生委員さんに配布してもらっています。伝えたいことを活字にするのは難しいですね。でも反響があると励みになります。
4月からの新天地?に向け、引き継ぎ資料の作成に追われています。作成したデータベースのマニュアル作りが大変です。
 長女は後期の試験、2女は高校受験に向けて頑張っています。先生も奥様も風邪などひかれませんように。  祐子


 昨日、帰宅しましたら「ECHO」270号が届いていました。早速、拝読。今号も充実した内容で、しばし心温まる時間を過ごしました。
まず、「東中大イチョウの移植」そこまでの過程も感動的ですが、「春三月に《新》たな芽吹きが見られることを信じて疑わない」と言い切る武さんの強い思いを感じました。続報が楽しみです。それから、「1億2千万分の2の遭遇」 こんなことが実際にあるんですね。臨場感たっぷりの描写に、読む方もドキドキし、感動しました。「ヘリで箱根の景色堪能」も素晴らしいエピソード。2010年もどんな「武勝美○大ニュース」を伺うことが出来るか、今から楽しみにしています。   吉成 勝好


 年末から年始にかけて、一年の疲れが出たのか体調不良が続いていましたが、仕事が始まりましたらすっかり回復、サラリーマンの習性に我ながら感心しています。「イチョウの木」、生あり、歴史あるものは大切にしたいですね。  野田 広明


 少し暖かい陽射しを受けると、春が近づいているのだな、とうれしくなります。イチョウの木の移植やミステリーツアーの話、先生は《動いている》《活きている》と思いました。  大庭麻由美

2010年1月1日更新



干支(信楽焼)  倉田幸子さんより



 まさに45年前のホームルームの光景

武 勝美 様
 前略、先日は大変お忙しい中クラス会へ出席いただき有難うございました。お陰さまで、大変楽しく且つ温かいほのぼのとした会にすることが出来ました。参加された皆様も十分に楽しまれたことと思います。思えば卒業以来、45年の長大な歳月が過ぎました。しかし、そんな時空間は微塵も感じることなく、会した直後から即和し、会話が弾み、まさに45年前のホームルームの光景でした。当然かも知れません。少年・少女期、小中学校を通して少なくとも9年以上同じ学び舎で勉学、スポーツに勤しんだ仲間ですから。皆さんのたたずまい、顔付き、会話の端々に自信と爽快感を感じました。45年間、社会の最前線で悩み、苦しみながらも自分の責務を全うした、そんな達成感、満足感が、自信に満ちた表情、仕草に表われていたと思います。
 2次会の帰り際「また企画してね!」と皆さんから声を掛けられました。お約束しましたように、皆さんの気持ちが盛り上がったところで、また企画します。ご期待下さい。武先生におかれましては益々のご活躍を祈念致します。「動かなければ出会えない」、これを規範に私も動きます。心身への適度な刺激を求めて。インフルエンザも気になります。くれぐれもご自愛下さい。奥様にも宜しくお伝え下さい。   幹事代表 N.T


 冷たい風が木の葉を舞い散らせています。陽射しがとてもありがたいと感じています。次男は大学院d進学を未だ迷っているようですが、今は見守るしかありません。長男はなんとかやっているようです。1月の異動は無いとのことでこちらは一安心です。長女は4月から廣島に就職して一人ぐらしを始めました。社会人一年生ですからいろいろ大変なようですが何とかがんばっているようです。それぞれが成人してもハラハラ、ドキドキの私です。
 クリスマスが間もなく来ます。家族でワイワイ騒いで生活を楽しんだのは、ほんとうに“短い時間”だったとしみじみ感じています。  Tokiko


 その朝6時半過ぎ、「新型インフルエンザのため5日間休校」という記事が新聞に出ている、と職員から電話で知らされました。誤報です、学校にただちに駆けつけました。「ウチには連絡がなかった」「子供を置いて仕事にはいけない」「急には休めない」、そんな苦情が続々届きました。当の新聞の購読者だけではありませんでした。お母さんたちのメールのネットワークの《力』を知りました。そして怖さも感じました。8時02分、支局の記者からお詫びの電話がありましたが、来校しての謝罪はありませんでした。                     Tadashi


 携帯がなくても生活していけるのではないかな

 お借りした『学校裏サイトから我が子を守る』を読みました。読み進むうちに携帯をもつ子どもたちの現状を知り、携帯のもつ怖さを感じ、やはり子どもにはできるだけ持たせたくないと改めて感じました。
 私も携帯を持ち、主人との連絡、友だちとの約束などに使用しています。でも、携帯がなくても生活していけるのではないかと思います(連絡がとれず困ることも多いかもしれませんが)。ない方が時間の流れをゆっくり感じのんびりと生活できるのでは、と思っています。。以前のように連絡を取りたいときは手紙を書いたり、家に電話をしたりしていた方が、相手のことを想像し、思いやり、人どうしの関係が深かったように感じます。何より相手の思いを感じる言葉のキャッチボールがあると。
 本の中に『ひきこもりからの生還記』がありました。家の中で温かい会話があるそんな家庭にしたいものだと思いました。
 でも現実はなかなかそんなふうにはできず、子どもに「あの時にあんな言い方をしてしまって良くなかったなぁ。傷ついたろうなぁ。後で謝ろう。」と反省することばかりです。    Yuko




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