返ってきた  - ECHO -   
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2009年12月5日更新

 メールって、なんて便利な道具だろ

 「顔見て言葉で伝えよう」メールへの注意信号。最近、ようやくメールができるようになった私には、メールって、なんて便利な道具だろうと思われます。わざわざ電話口に呼び出して直接話をするには恥ずかしいし、かといって連絡はとりたい。相手の時間を奪うことなく、見たい時に見られるメールは、相手に迷惑をかけずにすむということから、コミュニケーションをとりやすい気がします。
『寂庵だより』で紹介された大阪の女性にメールで通信しました。その方はからだが不自由で、思い通りにからだを動かすことができない、唯一、指を使ってコンピュータを操作することはできるそうです。その方が、コンピュータを使って絵手紙をつくっていられるというので、あつかましくもメールで一枚、絵手紙を送っていただけませんかとお廠いしました。するとメールの返信があり、数日の後に二冊の本を送ってくださいました。『絵手紙だより』一・二。かわいらしい絵に心暖まるような配色がなされた絵手紙と、それにあわせた文章が載っていて、数多く出てくるお孫さんのことなど季節にあわせた話題がほんわかとしていてやさしい気持ちにさせてくれます。早速、そのような読後感をメールでお知らせしました。メールでこんな交流をもつことができました。   真佐美


「さをり織り作品展」に出かけました

 25日は素敵なひと時を有り難うございました。「ゆう庵」は自然に囲まれ、きれいで心和みます。雨も上がり、穏やかで空の青さと建物の白さが印象的です。周りは黄葉紅葉が移り行く色合いを残し、遠くの大山も清々しいく望め、最高でした。庭の花はアメジストセージ?でしょうか、これも雰囲気を醸しだしてますね。パソコンを全画面にして、この写真を一枚ずつ覗きながら掃除洗濯をやってると元気が湧きます。
 展示会場は厚子様のお人柄とそれを囲むお仲間の雰囲気がとてもよく溶け合っていました。教え子の皆様方もそれぞれ創作なさって、活き活きと明るい表情です。帰りはYさまに送っていただき有り難うございました。還暦を迎えた教え子さん、爽やかで垢抜けた方ですね。楽しく、あっという間に伊勢原駅に着いてしまいました。  菅原 澄子



2009年11月1日更新

 差しのべる手が欲しい

 午後6時半からのPTA広報講座。夕飯の仕度をして駆けつけけてこられたのでしょうか。PTA広報に苦労されている方々が救いの手をさしのべてもらいたく、集まってこられたことと思います。夕刻からの講座に足を運ぶことだけでも強い気持ちをもっていられる証し。ましてや講師の先生に、本当のところを告白して、これだけ大変な思いをしているんだけれどもどうしたらいいのでしょうか、という切羽詰まった思いが伝わってきます。広報というと、賞に入ったとか良い面ばかりが浮き上がってきますが、こうして苦労されている人達がいることもまぎれもない事実です。だからこそ武先生のような先導師が期待されるのだと思います。
 新聞教育アドバイザーの野田さんの語られていることは大事な視点です。NIEは有効な教材です。秋場所千秋楽。自鵬と朝青龍の横綱決戦。解説の北富士さんは朝青龍の横綱らしからぬふるまいに対して、はっきりとした嫌悪感を示し、自鵬はここで負けたら男がすたるとまで言っていました。結果は本割りでは自鵬が勝ち、優勝決定戦では朝青龍がすくい投げで勝利し優勝しました。北富士さんの解説を聞いていた人は、朝青龍の優勝を心から祝福することはできなかったと思います。ガッツポーズをしたり、長渕剛さんと抱き合ってみせたりと、取り組み後の姿は相撲の世界には不似合いなもので、どうしても悪く言われてしまいます。24回の優勝、満身創痍のなか、見事に優勝杯をつかんだ精神力など、称えることはたくさんあるのに残念な結果になっています。これも偏った報道のなせるわざなのでしょうか。   Masami



 新聞作りにまつわるエピソードに感動を覚えます

 10月も半ばを過ぎました。いかがお過ごしでしょうか?
人生の生き方がはっきりと見えないことに戸惑う私。「新聞作り」は先生にとって、深く心を動かし人を結ぶ術なのでしょうか? その強い思いから生まれたエピソードに深い感動を覚えます。
「40の手習い」、先月からピアノ始めました。広報委員長をされたIさん(ボランテイアで教えています)に習いだしたのです。地区が同じなので、軽く挨拶する程度の関係がこういう関係になったのも広報という繋がりからです。一つの関係から、木の幹のように枝をつけ、葉をつけ、鳥が枝に止まりに来るような、そういう広がりを実感させてくれたこの繋がりは嬉しい。奇跡のようにさえ思ってしまいます。私も先生のようにちゃんと「伝える」ことの出来る人になれるのかな? 頑張ります!!   矢田 臣子



2009年10月1日更新


 
空の巣症候群の時期だから…
 ホームページで拝見しておりますが、お忙しい毎日の先生にただただ脱帽です。PTAのお母様方も9月は広報紙作りに一段と力が入っていることでしょう。先生のお力は欠かせないですね。暇な毎日の私は、あまりの時間のありように、今までまったく関心の無かった講演会や公開講座なんかに顔を出してみようと思うようになりました。自分が何が好きで何に興味があるかっていうことを、今までゆっくり考えることさえなかった気がします。向上心というものが無く、講演会など一番遠くにあるものでした。空の巣症候群の時期ですから、自分から行動を起こさないと引きこもりになっちゃいますよね。そもそも出不精なんですから。何でも良いから外の情報を吸収してみようと思います。それが役に立つかどうかはそれから考えればいい、と思うようになりました。   藤原真由美


 人生 だれに出会えるかはとても大事なこと
 秦野大会「速報OG会」の記事に、全新研事務局長の田村さんのお名前がありました。全国コンクールのお手伝いをしていたとき、入賞作品集のことで田村先生を学校にお訪ねたことがございました。その折、田村先生が「秦野の教師のころ武先生にお世話になりました」と申されました。そして、いろいろ当時のことを話してくださいました。人生にとってどなたに出会えるかはすごく大事なことと思っております。  大澤 和子


 広報委員時代のモットーで挑戦中
 速報OG会で、ますますお元気そうな先生にお会いできとても嬉しかったです。送られてくる『エコー』を楽しみにしています。「先生 がっばっているなあ」と、いつも『エコー』から元気をもらっています。PTA広報から離れて2年になりますが、『エコー』のお陰で先生をはじめ皆さんとの深い絆を感じています。私の方は相変わらず家事と仕事、普通な生活ですが、来年はなんと歳になるのです。記憶力の衰えをかなり感じていますが、今年中に資格を3つ取得しようと“奮闘中”です。でも、さっき覚えたことを5分も経たないうちに忘れてしまっている現実にため息。でもがんばります! なにしろ毎日が楽しいのですから。両親が元気でいてくれ、子どもに手のかかる時間も激減…。自分の時間がたくさん持てるようになり、青春がよみがえった感覚です。周りの人たちへの感謝の心を忘れず、「出来る!  出来る! 必ず出来る!」(これは広報委員時代のモットー)で挑戦を続けます。  青柳きみ代


 忙しい事は良いことです
 いつもECHOしようと思っているのです。封筒の手紙にしようか、葉書にしようか、結局携帯からのメールになりました。本町中は、これからバザーに向けてPTA活動も忙しくなって来ます。夏休みの間は、学校から離れ、子供の応援ばかりでしたが、忙しいながらもPTA活動をすると、頭の回転が良くなるような気がします。活字を見ているせいでしょうか?それとも、PTA活動が好きなんでしょうか?人と話しているといろんな事考え、感じます。今、こうしてメール打ってる時間も考えてるんですよね。前向きに、日々過ごそうと思います。忙しい事はとても良いことだとつくづく感じます。   松本裕美子



2009年9月1日更新


 本町は月遅れお盆 大きなツジを発見

 午前中、マチ(本町地区)に行ってきました。本町は今がお盆なんですね。ウチの方は7月なのですっかり忘れていました。そこで、すごい「ツジ」を発見しました。梶山商店の「ツジ」、高さが1メートルぐらい、驚きました。もう一軒、ありました。宇山ガソリンスタンドの隣りだったと思います。まだ、探せばあったのかなぁ。
 美容院へ娘を迎えに行き、思わず、美容院の人と娘にそのツジの話してしまいました。美容院の人は北海道出身なので、秦野に来て「ツジ」に驚いたようです。北海道にはないそうです。それで、その大きい「ツジ」の話をしたら、高ければ高いほどいいのだそうです。
 私の記憶では、あの大きさの「ツジ」は初めてだったので、びっくりしました。先生は、ご存じでしたか。先生のホームページの『寺山の「ツジ」』の特集にあの大きさはなかったと思います。
 帰りのに娘に見せたら「どうやって作ったんだろう」と驚いていました。写真を撮ればよかった!
 ところで、 私は7月のお盆の送り火の日が誕生日、私の弟は、今日・終戦記念日(お盆)が誕生日。そして、私の息子は、東京大空襲の日が誕生日。私たち、なにかの生まれかわりかしら。        相原 明美


 真っ赤な『はなたば』
 『はなたば』103号を送らせていただきました。紙面クリニックをお願いします。近づく2学期に、子供たちが学校に行ってくれるうれしさ半分と、また始まる広報紙づくりに頭が痛いのが半分、といった心境です。たっぷり手直しされ、真っ赤になった『はなたば』が返ってくるのを楽しみ?にしております。  七美

 
 全新研横浜大会 畠修先生の「生きる力をはぐくむ新聞づくり」に感動
 畠修先生の「生きる力をはぐくむ新聞づくり」で配った瞬間、学校に風が起こるような新聞づくりをしてもらえたらという願いで情熱をこめて話されたのが浮かんできます。特に記事原稿を直すに当たって生徒と記事問答しながら考えさせ、本人によりよい原稿を書かせる過程に感心しました。生徒自らが成長していくこと、そして指導者も喜び、よりよい集団になっていく、これが新聞教育だと改めて感動させられました。  菅原 澄子
 

2009年8月1日更新

 めげません
 めげませんよ〜(笑) どうしてめげていられましょうか(笑) S小広報のカラーなのか、それとも今回のメンバーのカラーなんでしょうか。反骨精神モリモリで、普通に広報紙を作成している間でも、バトルを楽しんでいるようです…たぶん。むしろ、先生がいろいろ言ってくださったことを、少しでも活かせる方向にもっていくことは、チャンスだと思うんです。よりいいものを作る、チャンスですね! 未だ手探りで広報紙を作っているのは事実ですけど、自分たちの手で「一応納得」したものを、先生に見ていただくのは、結構楽しみだったりします(笑) そして、ひとつでもほめていただけたときは、本当にうれしかったりします。まだまだほめられたい年齢のようです(笑) そして「きっと、ここは…言われちゃうかな?」とか詰めが甘い場所は必ず指摘してくださる。「あ〜やっぱりなぁ〜」って。それもまたケッコウ快感なんです!   亜希

 
 乗りかかった船です 頑張ります
 プールに子供たちの歓声がひときわ高く響く季節になりました。先日はI小の広報紙の相談に乗っていただきありがとうございました。さっそく紙面の見直しを行ないました。「ゴチャゴチャ」という印象だった紙面が「ずいぶんすっきりした」と思えるうようになりました。アドバイスいただいたように写真も大きく扱うことにしました。懇談会の記事も作成中です。
 今回の先生からの指導でハッと気づかされたことがありました。これまでは、取材したものをどうまとめたらよいのかと記事を書くことだけに悩んでいたのですが、取材に出かける前に、なぜこの取材をするのかという目的意識をはっきり持って取材に臨むことが大事だということです。との角度から、どんな視点に立って書くのかがはっきりしている記事は、芯が通っていて読む人の心に届くと思います。
 先生は、「乗りかかった船だから頑張りなさい」とおっしゃてくださいました。そうですね、今年のメンバーで沈まないように広報作成という大海原(私たちにはほんとうに“大海原”です)を漕いで行きます。これからもわからないらないことがいっぱい出てくると思います。そのときはお力添えをお願いいたします。  杏里


2009年7月1日更新

 『エコー』264号拝読いたしました
 『エコー』264号拝読いたしました。
にっきの木NmlO4
 PTA広報の作成方法をこのように具体的に示していただくと、実際に取り組む方々には大変ありがたいことです。
中高一貫教育校の適性検査
 難しい問題です。このような問題を小学6年生が解くことができるのですから、それなりの勉強をしてこないとできないでしょう。“校長先生と語る会”という席で、「塾に通わせるべきかどうか」という質問がありました。このような問題を解けるようになるためには塾での勉強も必要でしょう。ただし、日頃の学校での勉強の復習と同じようなら、本人にやる気があるかどうかが大きな分かれ目のような気がします。
教育現場での検証を行う時期を迎えたNIE
 新聞を授業に取り入れていこうという考えはいっも持っています。なかなかそういう機会はありません。ニュースや新聞に関心をもってもらえるように、テスト問題の問1に時事問題5問を出すようにしています。政治・経済・スポーツとはば広く題材を探してきます。毎月15日に発売されている『月刊新聞ダイジェスト』がネタ本です。
新しい1年が始まりました がんばります
 1年生は小学校でも中学校でも白紙の状態で子ども達は学校に入ってきますので、この1年間の過ごし方で学校での生活スタイルが決まってきます。ある先生が、中学3年生にべテランの先生を固めるのではなく、これから育っていく中学1年生の学年にべテランを配置するべきだというお話をされていました。何事も基礎基本が大切ということでしょう。
「知りたい」に応える新聞・広報であって欲しい
『タウン・ニュース』を読みたくなるのは、身近な話題で私が知らないことを教えてくれるから、今週はどんなことが載っているのかなと期待して待ちます。PTA広報となると、《読みたくなる》それは何か、ということを考えなければいけません。簡単に答えられるものではありません。委員の方々が頭寄せ合って、何を載せれば読み手の人達に伝わるものがあるのか考えることが、広報委員としての務めなのでしょう。   Masami


「期末試験」か「期末テスト」か

 パソコン開くと先生の日記に、「昨夜からの雨に力を得て、庭の山百合が一輪咲いた。」とありました。瑞々しく快適な気分になりました。
 このところ中間テスト、期末テストとしか言ってなかったので、ずっと「中間テスト」だったはず、と古い記録を確認してみました。平成10年頃のクラス通信にはしっかり「中間試験」と書いてあります。自分で書いたのにすっかり忘れてるのですね。学校で出される月行事予定にも「中間試験」とあります。試しに昭和62年の月行事を見ると「中間テスト」とあります。「試験」か「テスト」か、生徒の皆さんに接していると面白いことに出会うものですね。感心しました。  Sugawara


2009年6月1日更新


 来年もこっそり聞きに行きます
 武先生、こんにちは。広報技術講習会、昨年に引き続きの参加です。昨年は広報委員として参加しました。講習会後に同じ委員会のメンバーのやる気が出て、広報紙作りを頑張り始めたのを思い出します。それまでは不安ばかりで初心者の集まりできるのか、発行にこぎつけるだけで精一杯だと尻込みしていました。しかし、もっと肩の力を抜いて、皆さんに伝えたいことを伝えれば良いのだという武先生のお話を聞き、それに気づいてからは自分の気持ちがとても楽になりました。こんな気持ちになれる講習会なのに、仕事で来られないメンバーは残念だなぁと思いました。
 広報の『こう』は『耕』だということ、新聞作りは『仲間づくり』だということ、昨年の講習会でお聞きした時、半信半疑でした。しかし、昨年の広報活動を振り返ると確かにそうだなぁと思います。広報紙作りを通して、今までは気にも留めなかったこと(PTA活動、子どもの表情、先生方の支援や地域の方の協力など)に気づいたり、こうしたら良いのではと思ったり、自分にできそうなことはなんだろうと考えたりしました。そして一緒に広報紙を作ったメンバーは共に考え悩み、意見を交換し合い、大事な仲間になりました。
 私は1つの物をみんなで作ることの大変さと同時に、みんなの力が集まるから作り上げられる広報紙の素晴らしさも感じさせてもらいました。そして、私の学校では広報委員会は人気がないけど、でもやってみたら楽しいということも。私のように思っている人は少なからずいるということも。このように広報活動に対して思えるきっかけとなった広報技術講習会です。今年もどんなお話がお聞きできるかと楽しみに参りました。
 昨年と同じく武先生のお話は楽しく、引き込まれました。始まって少ししての武先生の質問です。「この中で広報委員に立候補した人?仕方がないから頑張ろうと思ってるいる人?今でも辞められるなら辞めたい人?」私も含め参加者の皆さんから笑いが出ていました。ユーモアたっぷりの質問で場の緊張がほぐれたのを感じました。そして正直に手を挙げても大丈夫だ、武先生は広報委員になる人のいろいろな気持ちを判ってくれていると参加者の皆さんが感じられたと思います。
 今回とても勉強になったのは、PTA広報委員会の作った広報紙を例に、何を記事にするか、写真の撮り方、見出しのつけ方、レイアウトについてです。私の席の周りでも、「あんなふうな写真を撮りたい。」「この前、話をしたのは今のようなレイアウトだよ。」「こんな記事をとりあげるのはどうかな?」と聞こえてきていました。本来なら静かにお話を聞くべきなのでしょうが・・・、こっそり話をしていた人たちは、今話さなくてはいけない、私の考えを聞いてもらいたいと言わんばかりでした。それほど先生の話されたことが身近で共感できるものだったのだと思います。
 また武先生の講評をきっかけに広報活動に力が入り、発行を重ねるごとに見ごたえのある素晴らしい内容のものに変化したある学校の広報紙はとても興味をひきました。この広報委員会の皆さんの頑張りと努力に感心するとともに、ここまで変えさせた武先生のすごさも感じます。武先生は「私がひどい言い方をしたらしく奮起したのですが・・・」と話されていましたが、広報紙からは見えない武先生のご助言やご支援もあったのだろうと思います。今年度は学校の広報紙を作成するという立場からは離れましたが、講習会の間中ずっと、『こんな記事を取り上げたらおもしろいかな』、『皆さんに読んでもらえるかな』と想像していました。
 「何かを変えるきっかけに広報紙はなる」と武先生は話しておられました。問題提起になる広報紙を作ることは私にはまだまだできそうにないですが、皆さんの声が集まるものを、また広報委員会に携わることができたら・・・作りたいと思いました。秦野市の広報紙はレベルが高いそうです。そんな広報紙が手に入りやすい環境にあるので、それまで勉強し、自分の引き出しにためておきたいと思います。
 先生のお話をお聞きすると広報紙を作ることに留まらず、人としてどう生きていくと良いのか、子どもにどう向き合うと良いのか、といったことも教えていただけます。人生の先輩としても武先生のお話をお聞きできることは楽しみです。来年もこっそり聞きに行きます。   久武 祐子


2009年5月1日更新

「毎日」の講座 参加させていただきます
「毎日」の講座。先生にもお会いできるのを楽しみに参加させていただきます。

 先日の決算総会を終えて、一息という感じです。せっかく広報になって覚えたパソコンなので今、CDの作り方や新たにパワーポイントも挑戦してみようと図書館で借りた本を見ながら勉強してみようと思っているところです。
 お伺いしたとき、と思っていましたので、まだきちんとご挨拶もしていなくて申し訳ございません。『P連だより』では本当にお世話になりました。パーソナルの使い方が未熟で、皆さんご迷惑をかけしてしまいました。あの時は本当に落ち込んでしまい逃げ出してしまいたいくらいでした。でも、夏の京都での新聞大会に参加することにしたら、「大会のことを東京新聞に書いてみたら」と先生が声を掛けてくださいました。まだ私でも出来ることがあると救われる思いでした。とても嬉しかったです。京都では、すばらしい方々とお話することもできました。 もっともっとやってみたいという思いにかられ、前向きになれました。
『情報委員会だより』ができあがったとき、先生からの嬉しい言葉を聞き、なんとも言い表せないくらい感激しました。『P連だより』の失敗を少しは取り戻すことができたように思えたからです。見守ってくれる、助けてくれる、一緒に頑張れる仲間、この1年は沢山のものを皆さんからいただきました。感謝の心でいっぱいです。こんな経験ができるのはやはり「新聞づくりは仲間づくり」だからですね、先生。広報委員のときに先生と出会えたから、今の自分があると思っています。  Mayu



 40の手習いでも
 給付金の振込みが始まったとか。でも、世の中なんとなく重たい空気に支配されているようです。何か、パッと明るくなるようなニュースはないものでしょうか。ということで、最近のわが家の明るいニュースを拾い出してみました。
〇長女が自動車学校に行きだしたこと。 〇長男が受験で真剣に勉強し、高校生になってもちゃんと勉強していること。 〇義父が入院したとき子供たちがお店を手伝ってくれたこと。 〇その義父も退院できたこと。 〇五月の連休中、三日間お店を休んだ(思い切って休業した)こと。―こう上げてみるとやはり子供のことが多いようです。私も40歳になりました。何か《40の手習い》をしてみたいと思うようになりました。音楽でも、と思っています。子供も育ってホッとしたような、寂しいような、親心は複雑です。   臣子


2009年5月1日更新

 こんなブログに出会いました。武
 久しぶりのこの初々しい気持ちがこの一年の新聞づくりの原動力になる
 今日は、朝から平塚でPTA関連の講習会。面白かったのは、近隣の小学校の、同じくPTA広報担当の委員さんたちとの交流会。お互いの新聞(と言っても、昨年度の人が製作したものだけど)を交換し、あれこれ質問しあった。私たちのようにすべて自分たちで作り、印刷するところから、印刷所に任せる学校まで各種あり、いかに、これからの私たち広報委員の新聞製作が、コスト的に貢献しているのかを知った。どこの学校も、もちろん部数にもよるが、カラーで1号につき、7〜8万円くらいの印刷料を支払っているとのこと。それじゃ、ウチの学校、1年に2号しか出せない! この1年で、4〜6号を出すわけで、予算は15万円だから、10〜30万円を節約するわけだ。学校によって違うものだ。やり方も、考え方もそれぞれ、そしてPTA会費もそれぞれで、ウチの学校は、小規模ながら、節約しながらずいぶんやりくりを上手にしていることもわかった。
 また、驚いたのが秦野市の各小学校のPTA新聞作りのレベルの高さだ。テーマも、読ませ方、見せ方、どれをとっても工夫があり、全国コンクールの入賞校が秦野に集中している。これも、いまはリタイアされた武先生という方が指導なさっているからなのだが、今日の講習会の前に、先に武先生の講習会を受けた私は、そんなに武先生の存在がすごいとは思わなかった。
 でも、一回、講習を受けただけで、私はすっかりやる気になったし、今日、近隣の小学校新聞を見て、いかに武先生が、秦野市内の広報委員たちを鼓舞し、導いているかを実感した。新聞づくりのレベルがダンチなのだ。今日出会った近隣の小学校の広報委員さんたちは、みな、「去年のようにやればいいよね」と言っていた。武先生の講習を受ければ、きっと何人かは、私のように「去年と同じような面白くない新聞はいやだ」という気になったのかも知れない。もったいないなあ。いまの仲間と、武先生との出会いに感謝しなくては。
今年度は、小学校のPTAの広報委員をやっている。校内のPTA新聞を作る仕事なわけで、きまりきった事を書いてまとめる仕事だと思っていた。記事を書くとか、レイアウトを考えるとかは本来の仕事なので、まあ、周囲に合わせていけばうまくやっていけるだろうと思った。その仕事が、予想外に面白くなっている。まあ、こんな程度だろうと思っていた新聞だった.が、講習会に参加して全国の他校のPTA新聞を見たら、ワオ! みんななってのびのびと書きたいことを書いているのだろうと思った。
 私がイメージしていたPTA新聞は、学校行事の報告と、本部などの役員の委員会の報告、新年度には新役員の抱負、年度末には旧役員への感謝、そして運動会やバザー。決まりきった内容のものだと思っていたが、他校は全然違う。学校に質問したり、給食や習い事など親子にアンケートをとったり、はたまた、参観日の親の態度に苦言を呈したり……そうだ、そうだ、と読みたくなる新聞であふれていたのだ。それを知ったとたん、自分もやりたくなった。テーマや方法も、仕事よりはラクに考えられた。でも、やり方を知っているからといって、私が一人で新聞を作ったのでは意味がない。そこで、最も心配していた、広報委員用のパーソナル編集長というソフトを使い、これから作りたい新聞のこと、これまで小学校で配布されていた新聞よりもっとおもしろくしたいことなど、号外のちらしを作り、同じ広報委員に今日くばることにした。ソフトは、まだまだ使いこなせないけれど、とにかく紙面を作ることができ、一安心した。
 みんなどう思うかな、とんでもないこと言い出した! とけむたく思われるだろうかとドキドキだった。作りたい新聞の具体例を見せるために、講習会で講師だった先生のところへ行って、新聞も借り出してきた。反応は上々で、多少、拍子抜けした。「こういうの、作っていいんですね!」とにこにこしてわかってくれた。あー、緊張した。私が思うように、積極的に取材に行って、どんどん写真を撮ってというような動きは望めないかもしれないが、これまで型にはまっていた新聞に、少しでも、皆の気持ちの入った、生き生きした記事がのせられればいい。欲は出すまい。
 いま、新聞のタイトルのロゴの試作をしているのだが、あっという間に2時間経過。文字をいじったり、デザインを作り直したりというちまちました作業、私、かなり好きなんだなとあらためて思う。小学校の頃からレタリングが好きだったし、中学校ではクラス新聞をひとりで勝手に作っていたし。モノを書くという原点の気持ちを、久しぶりに思い出した。この初々しい気持ち、この一年の原動力になりますように。賛同してくれた仲間のママたち、ありがとう。


「知りたい」に応える新聞・広報であって欲しい
 拝啓『エコー』263号、拝読いたしました。今、ちょうどPTAの役員決めを行う時期で、広報委員を決める時期でもあります。「PTA広報づくりを終えて」を広く、PTA会員の皆さんに読んでいただければ、もっと躊躇なく広報委員になることを決められるのではないでしょうか。広報と聞くと二の足をふんでしまう人達の背中を押してくれる役目を果たしてくれそうです。西中PTA広報委員会は、今年は二人の副委員長さんをおいて態勢を整えているようです。どういう意味で二人にしたかは聞いていませんが、二人おくことによって広報活動がスムーズに進むことを考えてそうされたのでしょう。
 夜7時台の民放のテレビが「NHKニュース」に対抗して、報道番組で入ってきました。今回、北朝鮮がミサイルを飛ばしたということで、「NHKニュース」の視聴率が高まったことを見ても、いざニュースを見るとなるとやはりNHKなのかなということがわかります。そこに割り込むように、民放各局は報道に力を入れようとしています。ニュースを知りたいという国民の要望は高いんですね。いっも不思議に思うのは、大きな事があった時の号外を、みんなむしりとるようにしてもらっている姿を見て、何をそんなに焦る必要があるのだろうか。記念にもらっておこうというのでもあるまいし。あの場面は異様です。知らせる側の力と知りたいと思う側の力を天秤にかけてみたら、今は知りたいと思う側の力が強くなってきているのでしょうか。
 『タウン・ニュース』。広告の合間に地域の話題が載っていたのが最初の姿だったのかな。今は広告の方が隅においやられて、地域の話題を大きく取り上げています。みんな知りたがっているのでしょうか。秦野で生れたこの新聞は、今は県内のあちこちで発行されているようです。伝える側のパワーから聞きたい知りたいと思うパワーへ、流れは変わってきているようです。『タウン・ニュース』の入ってくる木曜日と土曜日が楽しみです。
 PTA広報はどうでしょうかね。見るところまだ伝える側のパワーが強くて、聞きたい知りたいと思う側のパワーが弱いように思えます。  雅彦


2009年4月1日更新

 山つゝじ
 暖冬だと騒がれてる割には寒さが身に染みます。3月4日、『第71回 謙慎書道会展』に出かけ、条幅の上から横書きにしてある一つの作品にほろりとさせられました。
 息子よお前の行くところ  どこでも付いてゆくからと  言ってた母も年老いて 
 介護を受ける山里の  そ知らぬ振りして山つゝじ
 あんたの親御は元氣かと  我が子と交わすご挨拶  真顔の問いと深い皺 
 耐える事も まゝならず  山裾にわかの通り雨
 息子と告げても名前すら  思い出せないもどかしさ  それでも氣にはなるらしく
 懐かしなどと繰り返す  命の限りに 山つゝじ
 繰り返し読みながら涙が滲みました。介護する目線と介護される目線とやさしさが交錯しあって引き込まれます。ECHO 205号(2003.6.1)に掲載して下さったデンマークの著者の詩のようなお言葉『傷つきやすい老人たち〜もし私が痴呆性老人になった時〜』と重なってこれと一緒にぐるぐる回って心に染み渡って、暫し立ち止まりました。
 この作品を書かれたのは 小古田英治様ですが、このお言葉(詩)はどなたの作か分かりません。もしかしたら小古田様ご自信の作かなと思うと一層胸を打たれます。かな書きだから縦にさらさらと流したくなるのですが、わざわざ横書きに拘って訥々と書いてあるのも、一つひとつの言葉に目を奪われます。  菅原 澄子


 エエィ 来年度も広報 やっちゃおう 今号の担当は全員三年生の親ということもあり、受験でバタバタした中での活動となりました。そのため例年通りの形式的なものになってしまい、少し後悔しています。その点を指摘されると辛いのですが、またクリニックをお願いします。
 ところで、わたしは平成19年度に小学校、20年度は中学校の広報委員をやってきました。来年は「休もう」と思ったのですが、小学校のPTAでは、「子ども一人につき一役」を六年間の間にやればいいのですが、今度6年になる子については一度も役をやっていないことに気づきました。それで、係りの人に選出のようすを聞きましたら、やはり広報委員だけが残っている、まだ決まってないとのことでした。それなら「二年やるのも三年やるのも同じ。エエィ、広報をやってしまえ」と思い、広報委員に立候補しました。
 来年度は、広報活動はもちろん、PTA活動に対するイメージを変えられたらなあ、と思っています。「役員は大変そう」とか「面倒くさい」などと思わせない、引き受けたくなるような、楽しく活動する広報活動を目指してみようと思っています。    井上 香織



2009年3月1日更新

第28回柏市小中学校新聞展を見学して
   新聞作りの伝統が脈々と息づいている
 新聞作りに伝統のある柏市、それが今回の新聞展にも脈々と息づいているのに感心しました。新聞作りに取り組む時間が無くなった今日の学校生活の中で当然のことですが、以前より学校新聞や学級新聞の数が減っているのが気になりました。しかし、市内全小中学校の作品が展示されているのには心温まります。学校新聞や学級新聞でなくても熱心に取り組まれた学習新聞、林間学校や修学旅行等々、それらが班新聞であったり個人新聞であったりいろいろですが、紙面づくりが巧みで引き付けられる作品もいっぱいありました。どの学校も温かく迎え入れ、みんなみんないらっしゃいといった雰囲気の新聞展になっています。環境きれい新聞、人のための新聞、ゴミ拾い新聞、ごみ新聞、お米新聞、いね新聞、田んぼ新聞、終末処理場新聞、うちわ新聞、お笑い掲示板、その他もろもろありましたがそこから学習状況も見えてきて楽しめます。
 PTA広報がデスク上に並べてあるのもいいです。内容も益々充実しています。子ども広報「まなざし」が16年前あたりからでしょうか、今日までずっと続いているのも素晴らしいです。今回も子ども記者21名で作られたことに驚きます。それも各学校から集まるのですから大変なご努力でしょう。
 柏市小・中学校の教育の様子が見えてくる新聞展でした。柏市の新聞教育は熱意ある先生方と教育委員会の皆さんの大きな支えがありここまで発展してきたのでしょう。沢山の先生方が見てくだされば今後の実践の広がり深まりに繋がっていきます。今後の発展を祈ります。     菅原 澄子

2009年2月1日更新


 
ふるさとのどんど焼き「マラセの神」の写真を送ります
 昨日は初不動。小田原の板橋のお地蔵さんへ行きました。私たちは、九時半ごろにはお参りをすませ帰りました。姪っ子に似た人は見当たりませんでしたが、私の母方のおばあちゃんに似てる人を発見しました。
 帰りに、実家の父から「ひとつめ小僧」話を聞いてみました。
 12月8日に、ひとつめ小僧が家にきて、家のまわりを見回して散らかっている草履に、はんこを押して帰っていき、その草履をはくと病気になっちゃう。と話してくれ、やはり「メケーゴ(ざる?かご?)」を飾ってたそうです。それをみて目がいっぱいあるから、びっくりして帰っていってしまう、と聞かされました。そんな話を子どものころ聞き、それで、玄関の靴を揃えたような気がします。
 それと、どんど焼きの日に、父に頼んで、「マセラの神」の写真を撮ってきてもらいました。この日しか、ビニールシートを取り外さないというので。私たちが、子どものころは、シートなど掛かっていませんでした。小屋さえありませんでした。
 添付した写真が、その写真です。写真だけ撮るのは気がひけたので、御さい銭を上げたら、この子どもたちから「ふるまい酒」をふるまってもらったそうです。この地区(中町)の子供会でやってるそうです。    明美



道祖神祭りの小屋 マラセの神には「道祖神守護」のお札がはってある。
右は庚申搭・左は岐神(道祖神のこと)碑     秦野市今泉

マラセの神様  ご開帳は1月14日だけ 「トッケダン トッケダン」  道祖神祭りの太鼓のリズム




 私にも「先生は永遠に先生です」
 「生徒がいるうちは先生」と教え子の方が言われました。私も卒業後ずっと先生方に年賀状を出しています。でも、私の年齢になりますと亡くなられる先生も多く、小・中・高校でお一人ずつになってしまいました。
 小学校二年まで分校でした。そのときの担任の先生は、ある日職員室に私を呼ばれ、集合写真を一枚ずつ見せ「どれも目をつぶっているけど、恵津はどれがいいかな。選びなさい」と言って、私か選んだものをくださいました。
 中学は4年ごとに同窓会があります。いつも4、5名の先生が参加されるのですが、今回は私たちのクラスの先生だけでした。「他の用事があったど、この会はどれよりも優先する。これからも、何をおいても出席するから」と挨拶され、会場から拍手がわきあがりました。「ヨオ、恵津。元気だったか」と大勢の中、私を探しに来てくださった先生でした。
 高校は3年間同じ先生でした。80歳を超えられ、「みんなにもう一度会いたい」書かれた年賀状をくださいました。
 教え子にとって、先生は永遠に先生なのです。先生の年賀状、大勢の生徒さんが心待ちにしていらっしゃったと思っています。教え子ではない私も同じ心でした。お寒くなりました。お大切に。   金子 恵津


 
先生の日記は元気が、湧く、わく
 さあ、今日は11時半から地区のパトロールだと、出掛ける直前、HPの「今日の日記」をクリックすると「千昌夫とナガヌキ」が目に飛び込んできました。一読後、気分爽快で愉しくなりました。
 千昌夫と云えば、コロッケがおでこにペタット黒子を貼り付けて笑わせてくれたその姿とダブって笑ってしまいました。先日テレビで「千昌夫ショー」を見ながら、彼はだいぶ垢抜けしたなあと感じました。そして東北独特の味わい深さに浸ってました。
 「東北」を『ナガヌキ』に置き換え秦野の皆さんの心をバッチリ引き付けてしまった千昌夫は素晴らしいですね。観客の皆さんの歓喜と熱気が伝わってきます。「名古木」を『ナガヌキ』とは私には全く思いつきません。難読地名を取り入れたことに感心しながら家を出ました。
 コロッケと千昌夫と武先生を思い浮かべながら、なんか一緒に歩いてるような気がしました。家々の庭から黄梅がこぼれ落ちたり、ピンクの山茶花が咲き誇ってたり、紅梅、白梅もチラホラ、木瓜の赤い花も目に鮮やかでした。どしゃ降りの中のパトロールもお陰様で明るく楽しいひとときになりました。やはり武先生の日記は元気が、湧く、わく!
 豆撒きが近付いて春の訪れを感じてますが、寒中厳しき折、どうかご自愛なさってください。   菅原 澄子

稲吉純子さんからの賀状


新聞教育の実践(今年いただいた年賀状)




2009年1月1日更新


『ECHO』259 号の「郷愁の秦野煙草音頭」を岩手の人たちへ送りました

 『ECHO』259 号の7・8ページ「郷愁の秦野煙草音頭」を岩手の人たちへ送りました。岩手は同じような体験をしているので喜びます。今朝、夫が「タバコのし」はもう大変な仕事なんだよ、と言うので先生にいただいたのを見せたら、岩手もそっくり同じだよと感心してました。毎夜タバコのしで大変な中にも、おふくろが昔話をしてくれるのが楽しみで、同じ話が繰り返されるがそれでも面白かったとのことです。
 納付の日の土産はやはり衣料品と食料品。毎度みんなに足袋と下駄、つまかわと滑り止めの付いた雪下駄も多かった。家族だけでも10人以上は居たので、その数を想像しただけでも大変なんですね。葉を伸ばしながら「婚ふ」なんてゆとりもなく自分の家だけで精一杯だったそうです。食べ物では 殻付き落花生を沢山買ってきてくれ、なかなか美味かったとのこと。家族の絆はこうしてしっかりと結びついて受け継がれていくのかなあと考えさせられました。よい家庭を作るには先ず「婚ふ」ことからはじめ、一生懸命に働き、その姿を子どもにも見せ、手伝った子どもたちにもその収穫の喜びを分け与えることです。
 家族の絆が薄れてきて、家族崩壊も多々聞こえてくる現在、もう一度家庭のあり方を考えて改善していく何かが「葉タバコ作り」の話の中に潜んでいるような気がします。    菅原 澄子




 私が出会った言葉NO3「今朝はお迎えがあった よかった」を読んで

 『エコー』259号拝読いたしました。
 毎朝、学級担任の先生達が朝の打ち合わせをしている間、私は2棟の2階にある教室を一回りして、階段のところで登校してくる生徒に、朝の挨拶をしています。自分のその日の調子によって、よく声が出る日もあればヽ声がのどから出ていかず、「先生、今日、元気ないね」と生徒に指摘されてしまうこともあります。朝の挨拶運動は、なかなか思うようにいかず、毎日明るく生徒を迎えてあげるというわけにはいきません。
 同じことは生徒にも言えて、日々、生徒の反応は様々です。声をかけても返してくれない生徒もいます。それにもめげず、毎日同じように声かけをします。なかなか声を出すまでにいたらず、目はこちらに向けているけれども、口元でゴニョゴニョとしゃべるくらいで「おはようございます」という声にはならない生徒もいます。それでも彼にとっては精一杯の返事なんだろうなと思い、少しずつでもいいから声を出してねと廠いっっ声かけをしています。元気な生徒は、階段を上がってくる時に、私より先に挨拶をしてきます。心も晴れ晴れとして、今日もがんばろうという気持ちがみなぎっている、そんな感じを受けます。元気がなくて、下を向いたまま階段を上がってくる生徒に声をかけると、中には気をとりなおしたように、顔を上げて、挨拶をしてきてくれる生徒がいます。私の挨拶で、少しは元気な気持ちが取り戻してくれたならありがたいなと思います。
 挨拶は大切だとは言いますが、挨拶一つに、その人の今日の調子がうかがえて、できれば元気づけられるように、こちらも体調を整えて臨みたいです。

 「我が家と家族付き合いをしている先生です」
 この生徒さんの気丈さというのか、ふつう、ここまでいったら不登校になって、学校から離れようとするものでしょうけれど、自分からクラス全員にいじめのことを話した、自分で解決の道を探って行動に起こしたという。皆の前では元気にしている。家族関係の中でも何か悩みを抱えていたようです。元の校長先生にその救いを求めた。武先生も手紙をもらって驚かれたことでしょう。そこから一挙に結婚式という華々しい場に話がとんでしまうので、不明なところはありますが、結果オーライということでしょうか。実際に直面したら、どのようにしてあげることができるのか…、考えさせられます。  三嶽雅彦




 
なんて頼りない新人なんだと思いつつ

 お元気ですか? お久しぶりです。昨日は県の初任研校外研修の最後の日で善行に行きました。今日は日直&仕事納めでした。あっと言う間に今年も終わろうとしています。毎年バイトバイトだった年末年始は今年ぽっかり空いています… どうしましょー

 12月7日は、はだの丹沢水無川マラソン走ってきました! ハーフにチャレンジしましたよ♪ おおね公園での練習では10キロしか走っていませんでしたが… なんとか2時間5分で完走することができました。辛い坂で抜かし際に励ましてくれる人がいたり、風のつり橋から秦野のまちを見渡したり、人のよさと景色のよさに、秦野に生まれてよかったね、と仲間たちと共感し合いました。来年は2時間を切れるようにがんばります! こんなふうに休みの日は運動をしてリフレッシュ! 最近は「静」の趣味も始めようかと、カメラや書道にもチャレンジしてみようかと思っています。
 
 今日までなんとか体調も崩さず、仕事をすることができました。
 最初はわからないことすらわからなかった4月… あれからあっと言う間に残り3ヶ月となりました。情けないですが、まだまだわからないことだらけです… 今までの人生、がんばればなんでも乗り越えてこれたのに、がんばってもうまくいかないことばかりで、社会人の壁を感じている今日この頃です。
なんて頼りない新人なんだと思いつつ、みなさんにたくさんめんどうをみてもらっている分、来年はもっとがんばらなくてはいけないと思います。久しぶりにゆっくりお話がしたいです。今度遊びに行かせてくださいね。

 今年の字「楽」とは東中らしい!  私は1年生と同じで「初」かな? 来年は「進」!!  一歩一歩前へ。   真裕美






2008年12月2日更新


 先生の中の「私」も「生徒」でいたい

 ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか? エコー送って頂き、ありがとうございました。
 一面の、「教えた生徒がこの世に生きている限り先生なのだから」を読ませて頂き、立場は逆なのですが少し思うところあり、お返事を書かせて頂きました。夏休みになると、私は里帰りで地元の北海道に帰ります。昨年の夏には、中学のクラス会をひらくことになり、当時の担任の先生にも連絡して出席して頂くこともかないました。私としては、当時は大人と子供。(実際は大人と自分は大人だと勘違いしている子供でしたが…)今は、社会人を経て、大人対大人の会話も出来るだろうと、私は結構楽しみに出かけたのですが。 ん〜。でもやっぱり、先生は先生でした(笑) 決して悪い意味ではなく、今でも教え子なんですね。中学生当時の事を話をしているうちに、こちらがどんどん中学生に戻ってしまいました(笑) もしかしたら私だけかもしれませんが…。 先生には、いつまでも先生でいて欲しいですし、先生の中の「私」も「生徒」でいたいと思います。あ、そのままの内容ですね(笑)
 話は変わりますが、最近仕事を見つける事ができ、働きはじめました。11月からなので、まだ始めたばかりです。そうすると下の娘は週末に急に熱を出してしまいました。そして今日も…。 精神的なものなのか、それとも気温差による風邪なのか。なんだか仕事を始めたことを悩んでしまったりします。子供は敏感なので、フォローが大切ですよね。気をつけているつもりなんですけれど、まだ足りないんでしょうね。急に寒い日もあります。先生もお体に気をつけてください。    亜希子






2008年11月5日更新

 
 充実した5時間 

 お話、感動しました。しかも、貴重な御著書まで全員にご恵贈下さり、出席した皆さんも全員、大感激だったと思います。懇親会も、和やかな雰囲気で、楽しかったです。秦野のお母さん方、素晴らしい人たちですね。武さんの、努力の積み重ね、影響力、そしてお人柄に、改めて感服した5時間でした。この日を迎えるまでいろいろありましたが、企画してよかった、実現できてよかったと、密かに自己満足しています。     新聞教育支援センター  吉成 勝好

 雰囲気も明るくほのぼのとして、とても素敵な講演会でした。武先生に支援センターを見守ってあたたかく育てていただいてるようなを気持ちになりました。吉成さんも心から喜んでおられます。お陰様で今回も秦野のPの方々が最高に盛り上げてくださり、感謝、感謝です。秦野大会、東京大会、京都大会とみなさんのお姿がずっと輝き続けています。   市川 



 源氏物語 JYOEN GENJI TANGO

 慌しい中にも10月10日は思いがけなくいい日となりました。
 五反田のゆうぽうとホールで「情炎」(源氏物語 JYOEN GENJI TANGO )を観たのです。日本・アルゼンチン修好110周年記念の公演で招待券を一枚貰ったので駆けつけました。
 丹阿彌谷津子の重みのある「語り」で始まり、バンドネオンの激しい心の揺さぶりに、すっかり引き込まれてしまいました。さすが“情炎”。タンゴと能と新内が織り成す源氏物語に心躍ります。舞台に魅了されながら、これまで、「六条御息所」を単純に不気味な存在としてしか読んでなかったので、いろんなことが見えてきました。タンゴ、能楽、新内節、語りで六条御息所をここまで深くほりさげて演出され、現代を見せてくれ目を開かされたことに感激しました。この日は私の誕生日。貴重な、忘れられない日となりました。   菅原 澄子





2008年10月1日更新


 人生を輝かせるということに目を向けさせられた一日

 昨日午後から国立新美術館へ出かけようとポストを覗いたら先生からの封書があり、そのまま持って出ました。もみじの美しい化野念仏寺の切手が貼ってあり、しばし夏の京都大会のことを思い浮かべていました。ECHO第258号誠にありがとうございます。車中、引き付けられて一気に拝読。赤坂で次は乃木坂駅、国立新美術館だと気づきバックにしまいました。
 トップ記事が“日刊学級通信『やまびこ』の山田暁生さん 逝く”で、心に熱く喰い込んできました。武先生の「自分の思いを、自分の言葉で、誰の制約も受けず、広く伝えていきたい(「ECHO」創刊)」に尊敬の念をもたれて、日夜励まれた山田暁生先生。お二人の結び付きが一本の大きな道となって未来へ広がって行く感を覚えます。
 “断腸の思い「やまびこ」の幕”から、47年も続けてきて、せめて「50年続けたかったなあ」というお気持ちが痛いほど分かり、一つのことをやり抜こうとする人ならではの無念さを感じます。この思いの奥深いところを理解できるのは、やはり武先生のような気がします。
 病床にありながら沢山の方々からの温かい心が伝わってきて、ご自分も思いのたけを発信され、健常ではあり得ないような輝きの積み重ねも多かったことでしょう。そして感謝のお気持ちもいっぱいあったでしょう。しかし、50年いやそれ以上やり抜いてみればもっと輝くのかもしれません。本当に自分のやりたいこと、やるべきことをやって自己を輝かせるのが最高の幸せだよと伝えてくださってるような気がします。武先生にその思いを托されて去られたのでしょう。
 「故郷の地に散骨せよ」から、やはり山田先生はその辺に居て下さって、人を愛し、コミュニケーションと相互理解に心配りする雰囲気を醸しだされると思います。

 冒頭の「死者の魂は、生き残されたものが如何に、彼らのことを思い出すかによって輝くのではないか。死者を忘れないということは、自分の原点を忘れないということである」(瀬戸内寂聴)のお言葉がいっそう心に深まって染み渡りました。

 そんな思いで新国立美術館(第93回二科展)へ向いました。今回は彫刻を出してるYさん(女性)から招待券をもらい、忙しいけど一先ず行くことにしました。会場を見回し魅力ある作品に近づいてみたらそれがYさんの作品だったので驚き、その斬新さに惚れ惚れしました。これはいい、現職の教員でよくここまでやり抜いたなあ。作品が輝き作者も輝いています。
 もう一人は知り合いのSさん、年齢は69歳。二科会では47年ほど活躍していますが、やはり作品に出会うと素晴らしい才能と積み上げと若さに圧倒されました。作品に輝きが出せる人は、年齢に関係なく若いのですね。改めて感心させられます。 国立新美術館、土曜日で客も多く二科展会場も盛会でした。
 お陰様でECHOから始まって人生を輝かせるということに目を向けさせられた一日となりました。

  2008.09.07                                     菅原 澄子



 幸と辛

 主人が「久々に武先生にあったけど、ちょっと小ちゃくなった感じがしなかったか?」と少々心配しておりました。精力的に諸事をこなされているご様子。がんばって欲しいと願うと同時に、決してご無理の無いように、日々心身とよくご相談をされて欲しいとも思っております。
 私は「相変わらず」で過ごしております。平凡な私でさえ、人生いろいろありすぎて、辛くもあり、幸せでもあり。「幸」という文字から横の棒を一本取ると「辛」なのですから、まさに紙一重ということなのでしょうね。自分にはもっとあれこれやることがあるのでは、とも思うし、自分の健康も守りながら過ごすのだから、今は今のままでいいんだ、とも思ったりするのでず。  Ai



 私も先日、親しい方を亡くしました。「生きる」「死ぬ」、この間にはたくさんの出来事があって、一言でくくることのできないくらいの「思い」があるのだと考えさせられました。一人で生きていけないのが人間です。私の行動の一つが他の人に影響を及ぼしていると知ったとき、「生きているんだ」と感じます。そして「それならもう少しがんばろうか」と思ったのでした。   臣子






2008年9月1日更新


 美味しい京都の《ついで旅》
 
 今年の全国新聞教育研究大会の開催地が京都だと聞いたとき、大好きな京都に滞在しながら学び、ついでに美味しい物を食べ歴史ある地を訪れる計画が、瞬時に私の中で決定しました。
 そんな不純な動機なので、本当の目的である大会について、あまり深く考えず当日を迎えました。深夜高速バスを使い当日の早朝に到着、もちろん時間までの間に京都見学と美味しい食事はかかせません。哲学の道を散策しながら、今日はどんな大会になるだろうかとワクワクしながら会場入りしました。
 嬉しかったのは、武先生による「PTA広報づくり」講座で、昨年作りあげた広報紙『くず葉』が紹介されたこと。毎年メンバーが入れ代わりながらも、パソコンを駆使し印刷まで行う手作り広報紙なのですが、昨年度は立候補者が多かった異例の年でした。「子供のために」という目的意識を持った者の集りです。年度第1号からアンケート特集を組み、それを一年間かけて追いかけたこと、子どもの目線で見つけた問題点の改善に努めたことなど、まさに足で書いた広報紙でした。明るさで作った『くず葉』が大会の講座で紹介されたことは、コンクールで評価された以上に感激でした。
 また翌日の実践発表では、「我ら広報オタク」と胸をはった茨城・多賀中をはじめ、全国で頑張っている方々の思いや取り組み姿勢を聞き、改めて全国に同士がたくさんいることを知りました。共通項として言えることは、どの学校も楽しんで活動しているということ。作っていく中で問題もあったと思いますが、それを乗り越えた者にしか言えない言葉がいくつもあり共感しました。特に「このよい経験を、たくさんの人に味わってもらうため、確実に世代交代し、引継ぎをしています」という京都・明徳小の言葉は、常に新しい風を呼び起こし、多くの人が活性化に携わることに意義があると思いださせてくれました。今後の広報活動を考えさせられる深い言葉です。
 夜の全国交流会で出会った新聞を作る先生方は、この大会を通じて強い繋がりを持っていらっしゃることを知りました。その繋がりがとてもうらやましく思いました。来年は横浜大会ですので、また参加させていただき、多くの方と交流を持ち自分を高めたいと思います。
 瞬く間に過ぎた二日間でしたが、目的の一つだった美味しい食事と京都の風情も十分に堪能できました。特に奮発した食事は、美味しく色彩も豊かで大満足でした。友人と語り合いながら楽しく過ごした京都大会は、最初に思い描いた以上の収穫となり、いつもの旅とは一味違った、とても《オイシイ》旅となりました。  ななみなな



『新聞づくり講座』のプログラム とても分かりやすいです

 暑い日が続いてますが、いかがお過ごしでしょうか? お元気そうな様子に安心しておりますが、畑仕事も体調と相談しながらほどほどに。全て天からの恵と思って。
 全国大会が暑いのは例年通りのことでしょうが、今年の京都はことの他暑いようです。くれぐれもお気をつけ下さい。その京都から、一昨日の夜、娘が帰ってきました。予定通り、レポート4本を仕上げることができたようです。
 明後日から山形に帰省します。とは言っても、まずは主人と長女、三女の三人のみ。私と次女は、11日の次女の試合が終わり次第、新幹線に飛び乗る予定です。中・高・大学生を抱えて、揃って動こうという方が無理があるのでしょう。加えて、ここ数年は私の用事が重なっていましたから…。5人揃っての帰省は久しぶりです。両親が揃っているうちに、と思っての強行です。この3月にも皆で会いましたが、やはり「あの家で」というのが私のこだわりです。そんなこんなで、全国大会には参加できません。2日目の分科会、多賀中さんの発表も聞きたかったのですが。吉成先生を始め、楽しい先生方にお会いできないのが残念です。よろしくお伝え下さい。
                        
PS アップされた「秦野の新聞教育」で、『新聞づくり講座』のプログラムを拝見しました。とても分かりやすい構成で、基本から勉強しなおしてみたくなりました。たしか例年は「親子」がタイトルに付いていて、子供の方が忙しい我家では参加できませんでしたが、今回は私自身の勉強になる内容だと感じました。特に、「新聞の作り方」の4、5新聞作りの進め方の項は、「PTA広報紙講習会」では資料の配布のみでなかなか実際のお話を聞くことにできない項目です。そのわりには参加者からの要望の強い部分でもあります。来年の講習会では、今回のプログラムを配布されたらいかがでしょうか。(来年も同様の講座を持たれるとしたら、ですが)   Kasai



『新聞づくりの旅』 またお聞かせください

 257号、拝読。あちらこちらから講演の依頼があり、新聞活動の輪はますます広がっていくようです。講演のレジュメを読んでいると、嬉嬉として、新聞の話をされている武先生の姿が思い浮かびます。
 私が担当している中学1年生は、校外学習のまとめとして壁新聞づくりをしています。学活や道徳の時間だけで製作しているので、完成にはど遠い新聞もあり、一月たとうとしているのに下書き段階のグループが多いです。要領のいい班は完成して廊下にはりだしてあります。できたら来週から始まる面談の日までには全新聞が廊下にはりだされていてほしいという廠いのもと製作を進めています。
 記事が書けなくて困っている生徒に、「いきなり作文を書こうとしても無理だよ。その日あったことを箇条書きにしてみて、それをつなげて文章にしてみたらどうだ」と、軽いアドバイスをしましたが、いっこうに筆は進みませんでした。なかなか記事をまとめることは難しいようです。おそらくそんな様子が大半なので、製作の進行のスピードが遅いのでしょう。
 このところ疲れやすく、授業をやり終えるとフーツとため息をついてしまいます。4時間連続の授業となると、どうしても4時間目の授業はこちらに余裕がなくなり、焦りが先んじてしまって、授業の中の説明も、生徒に対する返答も、早口になってしまいます。それを生徒に見破られることもあって、「今日、先生、怒っている?」などと聞かれてしまいます。《初々しさと情熱》をもった人達に助けられながら、またそういう人達から力を授かりながら仕事をしています。若い先生は必要なんです。《初々しさと情熱》若い先生が期待される由縁です。
 「500回目の講習会」を東中で行ったというのは凱旋パレードのようなもので、また原点に立ち返られて、501回目を迎えられたのではないでしょうか。東中に新聞活動が根づいているのも、毎年行われている武先生の講習会のお陰といってまちがいありません。新聞を書くということが自然、伝授されていて、学級担任の先生の苦労はそれほどしなくても、いつの間にか生徒の間で新聞を書く習慣が作られていきます。その中で特に熱心に活動しようと思う生徒が出てきて、生徒会の広報委員長が生まれます。『新聞づくりの旅』、またお聞かせください。
 笠井さんの「私たちPTA広報が、協力したい、応援したいと思うような学校づくり、教職員の態勢づくりをお願いします」という言葉は重いです。前の話を続けて言うならば《初々しさと情熱》もった先生方が元気よく働いている職場ということになるのでしょうか。
 瀬戸内寂聴現代語訳『源氏物語』を、一応読破しました。まだ読んだという段階で、読み味わったというところまではいっていないと思います。これから何度か読み直しながら、この物語を深く読み味わうようになるのでしょう。そう思うと、シェイクスピア全集を大学時代、2巻まで買ったのに、それでやめてしまったのが心残りです。シェイクスピアを全作品読むことができたら、また楽しいかなと思いました。そういった、何か一つやり通すものがあるというのは楽しいものです。心が豊かになります。
 今年は、図書委員会担当ということで、図書室を開放する昼休みには、顔を出すのですが、本当に本を好きな生徒は、毎日のように本を借り出していて、あっという間に図書カードがいっぱいになって、何枚も個人のカードを重ねています。読書を通して身についている力はどのようなものかわかりませんが、人としての成長に大きく関与していることは確かな気がします。
 本校は朝読書の時間というのを設けているので、各自そのための本を用意しています。授業の内容が早く終わってチャイムを待つだけになったような時には、そこここで本を出して読み始める姿が見られます。授業やっているよりも、こっちの方が為になるかなと思ったりもします。
 どうぞお元気お過ごしください。  
真佐美




 この四月から小学校に教育指導助手として勤務しています。わが子の子育ても終盤ということで、少し時間か生まれました。それで他所のお子さんに関わりながら、距離を置いてわが子を眺めたいと思ったのです。三年生を担当していますが、幼さがまだ残っていて、とてもかわいらしく思えます。でも、支援が必要ないろいろなろな事柄を抱えている子もたくさんいて心が痛みます。できる限り子供たちに目を向け、耳を傾け、心に寄り添えるよう頑張らなければ、と自分に言い聞かせています。   尚 夏






2008年8月1日更新

 広報づくりのおもしろさ                                中嶋喜美子

私が広報の面白さに目覚めたのは、五年前、今は一八歳の長男が、中学三年のときです。まだ一番下の子が四歳で、PTA会議室でお絵かきさせて遊ばせながらの参加でした。それまで、PTA広報誌なんて長々と役員さんの挨拶が載っているようなものしか見たことがなかったので、「やれやれ、適当にやればいいや」思っていました。前年の紙面もペラリと一枚の両面に簡単に部活紹介お知らせが載っているようなものでした。
 一回目の企画会議で、同じ紙面にしようと決めた後、突然PTA会長が次の会議にやってきて、「紙面は見開き8ページで特集記事を」といわれるのです。その変更にとまどいながらも写真を選んだり、レイアウトを考えたり、見出しをつけたりするのが楽しくなり、写真の善し悪しがいかに大切かを感じました。写真は一枚で多くのことを語ってしまいます。一枚のショットに命をかける報道カメラマンの気持ちに少しなって(?)子供たちの今だけの輝きをとらえたいと撮影にのぞみました。
 また、特集記事では「進路」「ITツール」「こども
110番の家」を取り上げ、警察署や地域の方々にお話を伺ったり、保護者へのアンケートをパソコンでグラフにしたり、読みやすい紙面にまとめようと、色彩に気を配ったり文章を工夫したりひとりひとりが協力しあっていいものを作ろうとしていたと思います。
 その年の全国PTA広報誌コンクール奨励賞をいただけたのも、会長の指導、啓蒙もさることながら、委員長さん以下皆さん一人ひとりのおかげだったと思います。
 
PTA広報誌は、子供の育つ環境である地域や学校でおこる問題や意見をすくいあげて記事にして知らせ、会員に考えてもらう、今ここでしかできないこと、また、子育てをしてきた保護者だからこそできる、という性格をもったものだと思います。とりあえず今年はまず、スタッフ同士仲良くやっていくことからの始まりでしょうか。


 新聞講座500回 おめでとうございます

「ECHO」7月号、本日到着、早速一気読みしました。まずは、講演500回達成、おめでとうございます。まさに、驚嘆!です。回数もさることながら、その中身の濃さ、深さ。毎回、全力投球であることが、「ECHO」誌上での今までの報告記事からもよく伺えておりましたが、特に、今回の号。玉川中、寒川、柏、尾花沢、札掛、東中…での研修の様子、武さんの心意気。500回にのぼる講演の集大成のようにさえ感じられ、感動しました。そして、「もう少しこの歩みを続けたいと思う」のお言葉を、頼もしく、有り難く、聞きました。いつまでもお元気で、貢献を持続していただきたいと切望しております。 笠井麗子さんの文章も、スゴイと思いました。全新研京都大会でお会いできるのを楽しみにしております。   新聞教育支援センター  吉成 勝好


講演会500回、おめでとうございます。先生の写真、私が広報でお会いした4年前寄りだいぶスマートになられたよ丹見えますが、体調は大丈夫でしょうか。「ECHO」の文を読みますと、少なからず私の感性も動きます。まるで私の体験のように思えることもあります。だから《エコー》なのです、すごいです。お体に気をつけてください。   矢部 臣子


 毎日うだるような暑さが続いています。お元気でお過ごしのここと存じます。この度は500回目の講座、おめでとうございます。驚きで、ヘェーとしか言葉が出ませんでした。素晴らしいことです。数年前に講師をお願いしたときの先生のお姿・お話の内容が浮かんできました。お元気で、日本中に「ECHO」の心を響かせてください。応援いたしております。  占部 祥子


 学校現場の多忙化はますます加速され、「先生方はよく対応されているなあ、でも張り詰めた糸みたいだなあ」と感じ、心配してしまいます。私も学校のある日は、どんなことにでも対応できるよう土・日に職場の仕事はするようにして、出勤日はフリーハンドでいられるよう努力しています。でも、それさえも困難な状況に置かれているのが教頭職なんだと少し分ってきました。でも、元気です。『ECHO』に励まされています。
 今年の広報委員のお母さんたちも楽しみながら活動してくださっています。うらやましさ感じながら側面支援にまわっています。   恵美子








2008年7月1日更新



「新聞活用実践教室」の会場に岩手・宮城地震の号外が

 6月13日の夜、椿山荘に出掛けました。都小新研会長・長田秀樹先生の退職を祝う会が蛍を見ながら行なわれました。蛍が静かに飛び交いいい風情でした。長田先生は花束を腕に明るく輝いていて、都小新研の皆さんの温かさをしみじみと感じました。
昨年9月、毎日の「新聞活用実践教室」で管理職の立場から、ありのままに実践報告なさったのが生き生きと力強く甦ってきました。
 14日、毎日新聞社の「新聞活用実践教室」に出掛けました。はじめに記者の取材報告(編集記者編)で、編成総センター室長成田淳記者です。やはりその朝の地震騒ぎの様子を話してくれ臨場感溢れていました。作りたての号外が配られ、一面に“岩手・宮城震度6強”“2人死亡68人負傷M7.0”“がけ崩れ多発、孤立地区も”と大見出しが飛び出し、酒類などが凄まじく飛び散ったスーパーの店舗内の大きな写真が強烈に訴えています。(地震が起きたら直ぐコンビニやスーパーに取材に行けという申し合わせがあるとのこと。)2面は上段に「地震により倒れた中尊寺参道入り口の灯ろう」の生々しい大きな写真。下段はJR東京駅での「乗客の対応に追われる駅員」で乗客の不安な表情が実に印象的な写真です。この度、号外の新鮮さに初めて出合い新聞は生きものであることを実感ました。
 成田記者は≪「新聞紙面のデザイン」〜紙面の割り付け、見出しのつけ方など〜≫の報告です。新聞のトップ記事は誰が決めるのか。記事の選択に当たって価値判断はどうやっていくのか大事な話をしてくれ感心しました。ワクワクする話が続き参加して本当によかったと思えました。
 実践報告@≪「新聞の特徴を知る」一緒に学んでバッチグー≫は武藤和彦先生。新聞にかかわりながら転勤した学校での奮闘振りと前進の様子が見えてきて楽しさいっぱいでした。武藤さんと新聞とのかかわりで本人が『これ限り通信』を発行しているので、それをみんなに配ってくれました。人柄と活動が分かり楽しく引き付けられます。
 実践報告A≪「新聞スクラップ」〜児童・生徒へのわかりやすい指導〜≫は田村俊雄先生。新聞スクラップの指導はまだ普及しない面もある。その現状をよく掴んでいてありのままに話してくれ生き生きと伝わってきました。メディアに明るく敏捷性のある田村先生のお話も愉快でした。
 きょう、水無月最後の日の夕方は爽やかな風が静かにながれています。   菅原 澄子




 学校に残紙の無料提供を

 ある地方の教育研究会で、新聞教育について話をする機会を得た。
 出席している教師に、日々新聞を読んでいるか、挙手をお願いしたところ、一割にも満たなかった。放課後や休日にしかできない教材研究、授業に遅れを生じている子どもや自己の権利を主張する保護者との対応に追われ、ゆっくり新聞を読む時間がない、とのことだ。 新聞を購読していない家庭も、文明社会の発展や技術の進歩により一割や二割ではない、とか。大勢の教師が新聞活用を望んでいる。多くの学校が、新聞づくりやNIEによる学習効果を認識している。しかしながら、教育の場や家庭に肝心の新聞がない。これは新聞学習を進めるうえで、重大な問題である。
 主要五−六社の新聞を一紙ずつ購入するだけで、毎月二万円前後の出費を強いられる。授業が成立するには、数組の新聞が必要だ。多くの学校が、プリント用紙や教材費にも事欠くような、乏しい文教予算でやりくりをしている。せっかく新聞活用学習(NIE)の実践校に選ばれても、研究期間が終了した後、継続できない理由はそこにある。身近な存在である新聞販売店には、配達されない余った新聞(残紙)がたくさんある、という。この新聞を地域の学校に、無償で提供することは難しいのだろうか。 学習材として教室で活用する新聞は、少しぐらい日付が古くとも、全くさしつかえがない。古紙として再生する前に、教育現場で再利用するための研究を進めるべきだ。これはわが国の未来にとってとても有意義で、地球環境にやさしい取り組みである。
 学級崩壊に端を発した教育問題は、教室不在の教育再生論にまで到達した。二十一世紀を担う子どもたちにふさわしい学校経営は、授業時間や教育内容を増やすだけでは成しえない。 新聞を活用することにより今を見つめ、子どもらの夢を語る授業がこの国に再び美しい花を咲かせることを願っている。    新聞教育アドバイザー  野田 広明



 考え方を改めた理論編のお話

 今年度、初めて「広報」という役員につき、引継ぎを受けたものの実際に紙面を企画、構成する知識がないため、「何かちがうんだよな」と思いつつもどうすればよいか分からず、迫る締切日を前に「昨年通りにやっていけばいいや」と流れてしまっていました。今日の武先生のお話を伺って「読ませる、読まれる」広報とはどういったものなのか、そのためにはどのような技術が必要なのか、よく分かりました。次号を作る際には、今日教えていただいたことを参考に、新しい紙面を構成したいと思います。特に理論編で考え方を改めることができました。最後の「自分の心を耕す」との言葉をきいて少し気が楽になりました。ありがとうございました。  Y.M


 小も中も 伝えることは同じ

 昨年は小学校、今年は中学校の広報委員となりました。武先生の研修内容は同じ様で同じではないですね。前回も話していをこともあるけど、さら  につけくわえられていて広報をつくる上でとても参考になりました。小学校と中学校で差があるのかと思いましたが、伝えることは同じですね。今年1年、またがんばろうと思いました。  H.T

 
 現状の見直しが必要となりました
 読んでもらうための広報紙づくりのあり方等、広報紙はおおむねか過去のお知らせが多かった。→現状の見直し、未来への夢を記事にしたい。タラタラ文、禁止が必要。読んでもらうための文字数は大いに参考となった。なにげなく使っている写真の取り扱いにも注意が必要。久しぶりに眠くなりませんでした。  C.A



 今号も充実した内容、大いに楽しみました

 「丹沢の風」の笠井さん。昨年の全新研東京大会での発表を彷彿、さらにパワーアップした熱気を感じました。委員長を中心に広報委員全員が、それぞれの人生の中で得難い体験をし、一生の思い出、宝になることでしょうね。多田さん、藤原さん、野上さんの体験記にも、感動しました。具体的に動いたからこそ出会い、広がり、深まった体験の重みを感じました。
 相原さんの「ありがとう、明治小学校」には、「地域の学校」の良さが改めてしみじみと感じられ、心に沁みました。学校はなくなっても、多くの人たちの心の中に生き続けていくのでしょう。読者の私も「感慨無量」でした。
 今号の「にっきの木」からも、いろいろ示唆をいただきました。「和田中PTA問題」については、多くの識者がマスコミ上で言及していますが、「PTA広報紙」の存在意義から問題視したのは絶無、思いがけぬ新鮮な視点で、唸りました。一言ずつの感想で失礼します。    新聞教育支援センター  吉成 勝好






2008年6月1日更新


 
お待たせ! 庄助人形です!!

 1年半お待たせしました。全国大会の速報部の打ち上げのとき、お話した小原庄助人形のこと。ずっと気になっていましたが、ここで中学生になった娘が机の中を整理していたら、「こんな人形が出てきた」と私に見せました。「武先生に上げるために出てきたんだ!」と私は大喜びしたのです。福島のサービスエリアで買ったものでした。「福島限定』って付いています。小原庄助さんが福島の人とは知りませんでした。キティちゃんの小原庄助さんは珍しいでしょう。
 さて、『エコー』毎号楽しみに読ませていただいております。先日、娘が『ECHO』というタイトルを見て「これって“いい広報”っていう新聞なの」と言うのです。「どうして?」と尋ねると、「だってE(イー)、C(コー)、HO(ホー)と読めるじゃない!」。  丸山 照美





 昨年できなかったことを今年やり遂げる

 突然のお便りで申し訳ありません。私は相模原市にあります小学校で広報委員長をさせていただいていますEと申します。昨年7月、橋本公民館で行われました先生の講演会に出席させていただきました。
 広報委員は2度目で広報紙のことを少しはわかっているつもりでしたが先生の講演を拝聴し、まさに『目からうろこ』状態でした。一緒に参加していた広報委員7名も同じく感銘を受け、心をひとつにして広報紙を変えていこう! と一年間がんばってきました。講演を聞いたときは、すでに一学期号がほぼ出来上がった状態でしたので、2学期からは『親の視点・子どもの目線』から『PTA役員・委員の目を通しての切り口』にして変えてきたつもりです。また、今年度も引き続き広報委員になり昨年できなかったことを今年やり遂げようと思っています。
 そこでお忙しいとは存じますが、昨年発行しました広報紙を見ていただきたくお送りいたしました。〈ここはこうしたほうがいい〉 〈この表現は違う言い方のほうが良い〉などありましたら是非ご指導いただきたいと思います。それから今年の2学期号に100号になる予定です。100号にふさわしい内容、100号にかかわらずお勧めの特集記事などありましたらあわせてお教えいただきたいと思います。
 今年も橋本で講演会が開かれると聞き、たのしみにしていたのですが、各校7名しか参加できないそうです。残念ですが、新しい広報委員の方にすばらしい話を聞いてきてもらおうと思っています。



 明治小学校の校訓

 拝啓 青葉茂れる候となりました。台風が接近中とか。地球の温暖化は季節はずれの台風を日本に呼んでしまいそうです。
 『エコー』256号、拝読いたしました。「新聞づくりは仲間づくり」の根本精神の宿る投稿は、もっと広くPTA広報に関わる人達に読んでもらいたいものです。
 「にっきの木」NO98の「3月28日」。広報委員長の阿南さんは、私が担任した阿南さんの妹さんではないでしょうか。お姉さんは、学級新聞コンクールで市内で最優秀をとり、神奈川新聞で紹介され、その賞状は彼女が持っています。姉の新聞に向ける気持ちを妹が引き継いで、広報委員長として活躍されたのでしょうか。脈々と東中の新聞づくりの流れは続いています。一つの伝統として残っていくことは喜ばしいことです。
 和田中の藤原校長は退職されて、すでに次の校長さんが引き継いでいられるようで、「夜スペ」も成績上位者だけではなく、希望者全員に参加してもらい、一斉授業では成果のみられない生徒には個人指導をしてもらえるように、家庭教師を派遣する会社と連携を新しくとったという話でした。「地域本部」が補習授業を請け負っていた時期もあったようです。学校教育の本筋から逸脱すると指摘されている事業です。
 「ありがとう 明治小学校」
 <学校の校訓は五カ条でした。…> 「人間性」ということが強調され、子ども達を教え導かれた学校。簡潔明瞭で、心に染み透る、すばらしい教育の実践があったんだろうなと想像できます。日頃の忙しい毎日の中で、私達教師が子ども達に何を伝え何を育てているか、反省させられることばかりです。時折感じる教師の指導が入っていない子ども達の集団。それは子ども達のせいではなく、そうさせてしまった指導者側の責任重大だと考えさせられます。逆に、いい指導が入っているなという場面も見受けられ、心の底から取り組んでいかないと教育は成立しないことを実感します。  真佐美
 


 明治小学校の閉校式での船越先生のお話は、含蓄多く高邁で、しかも分りやすく、久しぶりに良い刺激をいただきました。もう一度、私達は原点に立ち返り、世の中を見つめなければなりません。   理想科学 野田 広明



 動かなければ出会えない
 

 256号を拝読。ECHO語録―動かなければ出会えない―、広報委員の方々は身をもってこの言葉を味あわれたのでした。笠井麗子さんは、武先生の三つの思いを、仲間と支えあい、力を出し合うことで、見事に我が物にされたのです。目を見開き、心を開き、伸びていかれた多くの広報委員の皆さんの姿をしるとき、「新聞づくりは仲間づくり」そのもので、それぞれの方が輝いています。   野手美和子






2008年5月1日更新
 

 ふだらく

 私の育った地域では、故人の弔いのため、荼毘にふされた日から二十一日目まで「ふだらく」をする。西国三十三ヶ所巡礼のご詠歌を唱えるのだ。
 補陀洛(ふだらく)とは古代インドのサンスクリット語で、観音浄土の極楽、理想郷、ユートピアを意味する。観音菩薩が住まう浄土のことだ。世界遺産の熊野古道として、紀伊周辺を知る人も多いと思う。
 人ひとりが亡くなると、その家の関係者が一冊ご詠歌を書き上げる。表紙には故人の戒名が書かれてあり、家に仏が十人いれば、十冊あることになる。
昨年秋、伯母が亡くなり実家の仏となった。納骨の供養に行けなかったので、遅くなってしまったが、ご詠歌を書くことにした。半紙を半分に折り、十枚ほどを筆書きする。
 ふだらくは、夜の七時半頃になると、家族や親戚、近所の人で行う。近所からは家主である男性が来ることのほうが多い。遺骨を前に、家長が木魚と数珠を持ち、番号とお寺の名前を唱え、その後に続いて皆でご詠歌を唱える。「一番 那智の山…」からはじめ「三十三番… …身はここに 心は信濃の善光寺」で終わる。棒読みではなく、独特の節回しと音階がある。正式にはご詠歌の楽譜があるらしいが、ここでは使わないのだ。それぞれの家で代々受け継がれてきた詠い方だ。二十一日目が仏おくりとなり、納骨をする。
 二十歳の頃、実家の両親は祖父を自宅で看取り、葬儀も自宅で行った。遺体の手入れも装束も、すべて親族でしていた。今は葬儀社にお願いするのがごく当たり前になってきている。最近は、ご詠歌を手書きではなく、パソコンできれいに仕上げる家も出てきたそうだ。確かにきれいに整ったものができそうだ。私は達筆ではないが、今回は供養のつもりで、あえて手書きにした。この“ふだらく”の慣わしは、いつまで引き継がれていくのだろうか。   相原 幸子  (武注:相原さんは秋田・羽後町の出身)




 気持ちよくなる本に出会うと幸せです

 瀬戸内寂聴・現代語訳『源氏物語』、現在、巻六まできました。後半に入りました。人間関係が複雑で一度読んだだけでは理解しにくいものの、本の最後に解説文がついているので、それぞれの章の内容を理解することができます。鎌田實さんの『それでも やっぱり がんばらない』(集英社文庫)も読んでいます。これが読み終えたら、また『がんばらない』『あきらめない』とすでに読み終えたもの
を再読しようと思っています。
 こういう読んでいて気持ちよくなる本に出会うことって、すごく幸せに感じます。本があったおかげで今こうしていられるんだなと思います。自分にとって、読書は生きている証しです。自分が小さい頃、どんなふうに過ごしていたかなと思い起こしてみると、陽のあたる縁側で、模型の汽車を走らせてみたり、廊下の隅に置かれていた童話を広げて読んでみたり、一人でそうしていた姿が目に浮かびます。一人遊びというのか、自分の世界の中にドップリつかって楽しんでいた自分を思い出します。本を読む習慣は親に身につけられたものです。これはありがたかった。重宝しています。おそらく、これからも本を読む習慣は続いていくだろうし、それを楽しみに生活していくんじゃないかなと、老後の姿が思い浮かびます。
 次は5月号ですか。楽しみにお待ちしています。おからだをご自愛ください。   真佐美                       




 来期のための資料作りをしています

 武先生へ 連絡が遅くなってしまいました。全国コンクール、「かすりもしない」と思っていたので。しかも、表彰状がたまたま副校長先生の不在の時に届いたらしく、他のPTAの書類とまぎれていて‥・という具合で。すごくうれしかったです。苦労したかいがありました。
 今、来期の委員のための資料作りで忙しくしています。昨年の全国大会でお会いした大島第三小学校の広報委員長さんから送ってもらった資料を使わせてもらって、作成しています。先生の資糾は、先生の講習会に実際に行って欲しので、あえて使わないで作っています。
 高校でも広報委員をやりたかったのですが、介護があるので断念しまた。会社の野球部や親父の会など、関われるところで新聞作りをします。
 広報紙2号を送ります。来期の資料として残したいので、お手数ですが、また見ていただけたらうれしいです。46号、《学校宣伝モノ》から抜けられなかったです。反省してます。47号は、全部開いた時のレイアウトにもこだわりたかったのですが、折ったときに読みやすいようにというレイアウトになっています。3年間のご指導、本当にありがとうございました,資料作りが落ち着いたら、またおたよりします。  真貴




 桜の花からあっという間に若葉が美しい季節になりました。ごぶさたしています。
 さて、今年は広報活動のない年になるとのかと思いきや、高校の広報委員を引き受けてしまいました。なんと、3年間、務まるのかなあ、と思っていますが…。将来、親の介護もありそうなので、出来るときに、好きな広報作りにかかわっていたいと思ったのです。というわけで、これからもよろしくお願いします。   Kazue






2008年4月1日更新
 

 思い出を心に刻み 私たちも卒業

 日立でも、やっと暖かさを感じる季節となりました。
 全国小・中学校・PTA新聞コンクールでは、大変嬉しいお褒めの言葉をいただき、ありがとうございました。あのような『すごい』場所に参加できることは、ただのおばさんである私達には特異なもので、大変緊張しておりました。また、子どもたちの立派な作品に感服しました。問題意識を持ってものを見るということは、新聞を作る時には大人も子どもも関係なく、むしろ子どもたちの方が素直に感じ取り解決しようと頑張っているのだと感じ、圧倒されていました。そんなときに、真っ先に声をかけていただきましたおかげで、一気に緊張がほぐれ会場の雰囲気を楽しむ事が出来ました。お褒めの言葉に舞い上がってしまい、ただただ嬉しく楽しく時間が過ぎてしまいました。
 他の学校の広報委員さんともお話しをして、それぞれの学校の工夫点や苦労話を聞かせてもらうことができました。あの場におよばれするには、大変なご苦労があると思いますが、みなさん楽しんで作ってこられた『広報オタク』さんばかりです。
 家に戻りましてからも、何度も講評を読ませていただき、その度に嬉しく、感激しています。それぞれに記事を作るときに『これが伝わったらいいな』と思っていたものを、全て読み取って下さいました。未熟な私たちが表現するのですから、なかなか伝わりきれないだろうと気がかりでした。本当に嬉しかったです。『すごい』経験をさせていただきましたこと、ありがとうございました。
 先日、07茨城県教育広報・NIEコンクール(茨城県教育委員会・茨城新聞社主催)教育広報部門(応募98作品)において、最高位である『県知事寅』もいただきました。
 さて、今年度最後の『たが』が出来上がりました。自分たちに出来る全てをつぎ込んできました。どの号にもこれ以上はもうないと思うところまで手をかけたので、かわいい広報紙になりました。4ページでちょっと物足りないところです。メンバー6人中、4名が卒業します。その思いを込めて作りました。ぜひ読んでみてください。
 明日は卒業式です。わが子の成長を感じながら、私たちも多賀中学校での思い出を心に刻もうと思います。  藤原真由美(多賀中・PTA広報委員)



 活動したことが形になる喜び

 3月10日、無事最終号を発行することができました。広報に携わったことでたくさんの方と出会えました。子どもたちの笑顔に出会えました。そして広報委員になったからこそ得られた素晴らしい仲間。活動したことが形になることの喜びを仲間から教えていただきました。大変なこともありましたが、仲間と一緒にたくさんの想い出ができたことが、なにより嬉しいことでした。昨年の5月、先生のパワーあふれる講義を聴き、「今年の色でがんばろう」という気持ちになったのでした。一年間のご指導、本当にありがとうございました。   Ryo



 同級生の合唱に送られ天国学園へ
 
 弟の子供、まだ15歳の中学3年生の女の子が亡くなってしまいました。2006年の11月に倒れ脳死状態になりました。
 私は2007年度に、西小PTAの情報委員になりました。情報委員になったのは「今中学3年生の女の子が、病院でがんばっています」ということを、何かを通して伝えなければいけないと思ったからです。
 校長先生は、毎週のように病院へ足を運んでくださっていたようです。卒業式も、当日学校と同じようにしてくださいました。PTA本部や情報委員の方も出席してくださったようです。でもその数日後、亡くなってしまいました。「卒業式を済ませ、天国学園という進路が決まり、そこに留学してしまったんだよ」と私は母に話しました。お通夜に卒業生全員が弔問に訪れ、最後に卒業式に歌った合唱してくださいました。遺影の顔がとっても嬉しそうに見えました。  相原 明美



 『エコー』205号

 エコー255号拝受、ありがとうございます。「傷つきやすい老人たち」の『エコー』205号 お手洗いの壁に貼ってあります。到底、神のような大きな心になれず…ですが。気持ちがささくれ立って、気づき、思い直し、毎日その繰り返しです。幸い周りの協力と理解が大きくなってきた今は、数年前よりは心身とも楽になっている気がします。  Yuki



 さすが 秦野市立東中学校

「今日は春風に乗って楽しいことでもありましたか」、などと思いながらHPの日記を覗くと、≪送辞の中に「新聞づくり」が≫とあり驚きました。東中学校の卒業式に出席されたのですね。43年前の卒業式と今日の式が重なって武先生のお心が浮かび上がり、その上、送辞に「東中新聞、学級新聞づくりの伝統を守り、後輩たちに引き継ぐことを約束します」、こちらまで感激しました。私も送辞、答辞にはかなりの回数係わってきましたが、こんな言葉には一度も出会えません。さすが伝統を守り、今年もキャノン賞に輝いた秦野市立東中学校です。   菅原 澄子



 大イチョウと共に鮮明な過去が

 テニスコートの横にある大イチョウが伐採されるかもしれないのですか? テニス部の顧問だった私には、あのイチョウと共に子供たちの想い出がいっぱいあります。心の中にあるものは、時の流れに逆流するように、遠のくにしたがって鮮明になっていきます。その鮮明さをより鮮やかにするためにも、大イチョウは残ってほしいと思います。   中野






2008年3月1日更新


 家に居るだけでは誰にも出会えませんもの

 立春を過ぎても『春は名のみの風の冷たさ』です。景気と一緒に日本列島は冷え込んだのかと思う寒さです。こ無沙汰いたしております。送られてくる『エコー』で先生のお元気を拝察させていただいております。
 夫を亡くしてから丸五年が経ち、この間に母、父と相次いで失ってしまいました。考えても見なかった速さで別れが続き、さすがの私も無常を強く感じる日々を送ってきました。そんな中、一年前に待望の初孫に恵まれたのです。そして今は文字通りの《婆バカ》に変身いたしました。孫がこんなにかわいいのは共有する時間が短いからなのでしょう。その愛おしさでメロメロです。
 手話、食事作りのボランティア、絵手紙、なんとか続けています。覚えが悪いからうまく通じない手話、喜んでもらえるのが喜びの食事作りのボランティア、下手の横好きとしかいえない絵手紙。いずれもが、今の私の生活の張り合いになっています。当分は続けていくつもりです。家に居るだけでは誰にも出会えませんもの。これからもエコー』を楽しみに待ちます。どうぞお大切に。  稲吉 純子





2008年2月1日更新


 明日はもう如月です

 今朝方、有明の月に目覚め爽やかな空の美しさにしばし惹かれました。明日はもう如月。慌しい中に1月は去りつつあるのですが、先生は新年も「ふるさとを愛し、ふるさとを育てる」豊かなお心でお過ごしなんですね。25日の日記「初天神、ツジの天神さん」を拝読し篤いお心がいっそう伝わってきます。
 ≪ご開帳だったので棟札を読ませてもらった。享保、安政と読めるものがあった。享保は1700年代の前半だから、300年は経ている。ご神体は木彫で彩色されているが、いかんせん風化がかなり進んでいる。もったいない気がした。 ツジの天神さんの向こうに、雪の富士山が輝いていた≫には、貴重なご神体と富士山の輝きが響きあって読者の心に焼きつきます。風化が進んでいる木彫りのご神体にハイライトが当たってるようで印象的です。
 福岡出身の私は小学生時代毎年二月の遠足は大宰府天満宮でした。低学年から片道8キロ以上の距離を歩かされチラホラ咲いた梅の木の下で弁当を開きます。中味は綺麗な色合いだが、小雪が舞って来ることもあり、美しさより寒さの方が気になり幸せ感が起きないことが多かったようです。境内に集まり御本殿の右前の御神木『飛梅』(紅梅)の前で「東風ふかば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と何度も聞かされたので、いまだにすらすら出てきます。 菅原道真は学問の神様として叩き込まれ、≪「天神」とは、天の神だから天変地異を支配する神様、雷がその神だとされていた。≫とは考えてもみなかったです。先生の日記で、そうなんだあと改めて道真と天神のことを思ったりしました。  菅原 澄子



2008年1月1日更新


 言葉は“諸刃の刃”

 日ごとに冬の気配が深まるこのごろですが、先生にはいかがお過ごしでしょうか。253号が届きましたありがとうございます。
 隔月になってから数号を経ましたが、私は今も方がゆったりとした感じで(内容も)読めますので、読んでいて気持ちがより深く伝わってくるような気がします。先生の生活の一端のホッとすることや、過去のことへの思いなどが綴られていて、とても心を動かされています。毎月のときは、「先生、大変だろうな」とちょっと心配していました。隔月のほうが良いとよろこんでます。
 先日、退職されている校長先生とお話をする機会がありました。先生は、中学生のとき父親を亡くされたのだそうですが、そのときの担任から片親であることで差別されたのだそうです。それがすごく悔しくて、見返してやるとがんばって今があると話されました。言葉は“諸刃の刃”ですね。“悔しくて”などと人を傷つけると同時に「なにくそ」という気概を抱かせることもできる…。
 11月、バスケの大会に応援に行ったとき、顧問の先生の選手への悪口雑言を聞いているのが辛くて、とうとう「先生、選手もがんばっているじゃないですか」と言ってしまったら、「勝たなければ意味は無い。あなたのような考えでは子供に成長は無い」と言われてしました。他校チームの先生を見ても、あんなにひどい言葉「裏切り者」「恥さらし」の連発をされるようなことはされていません。「勝ち負けは練習の結果」だと私は思っています。試合で奇跡が起こるなんてありえないと思うのです。すごく抵抗感があったのですが、世の中は理想ばかりでなく、時にはまったく理不尽のことも通るのだから、わが子もこの世界から逃げてはいけないのかな、と思ったりしました。「子供は褒めて育てる 毅然と叱る」これが私のモットーですが、ある現実を見た気がしました
 学校は閉鎖的な社会とも言われています。あの大会は県大会に次ぐ地区大会です。会場には役員や顧問など大勢の先生がいらっしゃいました。でも、あの先生に対する注意などが全く無かったことは少し悲しかったです。
 「お母さんだって他人のことなんて言えないじゃないの」とわが子に見られてしまうこともあると思っています。他人は自然に眼に入る、でも自分は鏡の前に立とうとしなければ、自分の心をのぞき込もうとする気持ち、反省の心が無ければ、自分は見えないのですね。「人の振り見て我が振り直せ」でありたいと願っています。  yatabe




2007年12月1日更新


 自分の事として読んだ「私が出会った言葉」

 武 勝美様
 「実朝祭り」でのご活躍ぶりが目に浮かびます。JAの黄緑のハッピを着て「秦野ラーメン」販売の呼び込み係りとは、とっても明るく武先生ならではのお役目で千客万来ですね。
ECHO253号ありがとうございました。
「私が出会った言葉」No1を拝読し世界がパッと開けた感を覚えました。言葉から見えたもの、見えてくることのありがたさが、しみじみと心の中から波紋の如く広がっていくのです。
 『先生の気持ちになって一生懸命動こうとしている足のことを思ったことがありますか?』は自分の事として心に滲みました。今日ここに生きていることのありがたさが深く刻み込まれました。何回も手術をした内臓の一つ一つがそれぞれ一生懸命に機能を果たし私の命を支えてくれてるのだと思うと涙が出てきます。疲れた眼も手も足も私の心に適おうと日々励んでくれてるのですね。初めて自分の体に深く感謝し、まわりの人も大切に思えてくる感動的なお言葉でした。
 文字から見えてくるものにも大いに心動かされました。
 23日午後から鶯谷駅北口から5分の「台東区立書道博物館」に行ってみました。あまりにも事務的な処理に追いかけられてるので、息抜きしなければと思ったのです。≪肉筆の美≫中村不折コレクション「隋・唐の書を中心に」です。唐の顔真卿の肉筆をしっかり見てきました。「白書告身帖」なんですね。柔らかで力強く温かい、学生の頃なぜ書道の先生が私に勧めたのかわかるような気がしました。奥深い品性と反骨精神が入り混じったような線質に心引かれていたのが懐かしく思い出されます。確か「建中告身帖」だったか、しばらく臨書が続いたのです。他の書家の写経も見事でうっとりさせられました。漢字の造形の美しさが唐時代には確立されたと通説になっていますが、それよりずっと前から存在する文字の美しさが土台にあって積みあげられてきたのだと感心させられ、文字文化の伝承の素晴らしさを改めて思い知らされました。そして平成14年5月に奈良国立博物館「大仏開眼1250年・東大寺のすべて」特別展で聖武天皇の真筆である賢愚経に出会った感激が甦りました。奈良時代にここまで完成された美しい文字があったのか、聖武天皇の書が毅然として力強く温かく品格が滲み出ているのに驚きました。
 夕暮れに書道博物館前の「子規庵」に寄り、臨終の間に座り署名をし、糸瓜の揺れる風情をぼんやり眺めました。
・糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
・痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず 
・をとゝひの へちまの水も 取らざりき 
 自己の死も客観視し、写生できるところが大したものだと感心しました。何だか妙に言葉と文字に思いを馳せた一日になりました。 菅原 澄子



 教育は肉体労働だ

 拝啓 『エコー』253号、拝読いたしました。
『にっきの木』の「PTA広報クリニック」、教育委員会主催ということで、広報に対する評価がこの二つの町では高いんでしょうね。「背広ではなく背狭」、寅さんを思い浮かべてしまいました。Cさん、西中の合唱コンクールに釆ていました。家庭教師をやっている子が出るとかで。
学校からの「お知らせ」が届かないの記事。『学年だより』に拝借させていただきました。私が作っている学年だよりは、生徒のみんなと共に家族の人達にも読んでもらいたいものだという注釈つきで。ラオスに親子で出かけられた高橋さん。高尚な考えを持って行動されているなと思います。教育とは様々な形で行われもの。その成果はきっと現れるでしょう。
「教育は肉体労働だね」と、口にされながら職員室を出て行く先生がいましたが、体力がないと生徒の前に立った時、そのパワーに負けてしまいます。いいにしろ悪いにしろ10代前半の子ども達が持っているパワーはすごいです。それをドンと受け止められるだけの体力がないとはじき飛ばされてしまいます。自分の調子のよい時と悪い時で、授業の出来不出来がでてきてしまうのはそこらあたりが原因でしょう。武先生の声が二つ三つ離れた教室から聞こえてきたことを思い出してみると、武先生の体力の強さを感じ入るばかりです。
 ちょっと今、鼻風邪にかかっています。寒さは例年通りの冬になるそうです。お体十分ご自愛ください。次号を楽しみにお待ちしています。  真佐美





2007年11月1日更新


 今朝は爽やかな秋

 早朝、冷え込む中ポストへ向いました。道路の右手に黄色い粉が半円状に散らばっているので、自転車を止めて塀の上を見ると、なるほどこれが金木犀だと懐かしくいろいろなことが浮かんできました。地面をみると、橙黄色で四つの花弁の可愛らしい花が広がって独特の香りを漂わせています。少し進むと桜の木に赤く熟したカラスウリがあちこちぶら下がっています。家々の庭から見える朝の気配はなんともいえません。宮久保村といった感じです。撓った枝に色づいた柿が活気づいていたり、鈴なりの柚子が少し黄色味を帯びたり、世間はすっかり秋なんだなあと驚きました。このところ書類と連絡、会議に追われていたので、今朝は爽やかなひとときとなりました。  菅原 澄子



 ECHO252号 ありがとうございました。「ダブルピース」先生の喜び、満足感のにこやかな笑顔を思い浮かべました。ご子息の優しいお心遣いに、家庭から地域へとしっかり根を張る生き方を見ることができました。大内文一氏の、武先生の紹介記事、しかりですね。  野手



2007年10月1日更新


 ドラマチックな「この夏 ダブルピース

 日記「自然との共生」を拝読すると、こんな日に栗拾いなんて、やはり生産業は時期を逸してはいけない厳しさがあるのですね。近ければ栗拾いくらい手伝えるのにと思うけど、ヤマヒルが目に浮かぶだけでも不安になる私は役立ちそうにありません。絵本で見る秋のよき日の「栗拾い」といった遊び感覚ではやれないのだと反省したり、武先生の≪「自然との共生」なんてありえない。人間は自然に従うしかない。≫から、しみじみ考えさせられました。
 「今年の夏 ダブルピース」、大相撲新潟場所の正面・枡席、《八海山》を焼き鳥で味わう、北桜関との写真、袋田温泉での思い出等々、ワクワクしてくる展開になって楽しめます。何といっても御子息のご配慮には驚き感銘を受けました。ドラマチックで映画にでもなりそうですね。先生と奥様と北桜関の若さ漲る明るい笑顔のお写真に引き付けられ、文章にも感動させられました。
 「車窓に流れていた緑濃い公園の一角を曲がると、突然目の前に色鮮やかな大相撲の幟が現れた。」で始まり、結びは「はるかに広がる緑の田んぼの先に、青いビニールシートに覆われた家々が点在していた。」となっているのが印象的です。明るさの中にも中越沖地震被災者への思い遣りが、読後にいつまでも波紋のように残っています。
 私の方は1日の夜、息子から「千葉に仕事が入ってたので帰りに寄るから」と電話が来たので、「食べるものを買って来なさい」と言いました。本八幡のシャポーでステーキの肉、刺身の盛り合わせ、シシャモ、おはぎのセットなど買ってきたので、あとはあるもので何かしら整いました。そして機嫌よく一泊して2日の夕方帰りました。2日は新宿(書の展覧会でパリでお世話になった人の奥さんと会う約束して楽しみにしていました。彼女は例の佐賀北高校出身だから、その話もしたかったのに)へ行く予定にしてましたが、断りました。親というのは弱いものですね。在職中、子供をほっといたので、せめてもの罪滅ぼし?。   菅原 澄子



 それが今、問題なのです

 『エコー』届きました。いつも有難うございます。今回はレイアウトも色々あり中身同様楽しませていただきました。
 「ダブルピース」家族のその時の光景が目に映るようで、とても素敵ですね。長男さんの「気配り」感心しました。このお話は子育て奮闘中の私に「未来への希望」話です(笑い)。
 娘は高校3年、受験生(指定校希望ですが)です。親のハラハラを余所にノンビリと構えています。それこそ毎日でも「学校は決めたの」と聞きまくりたいのにじっと我慢、我慢…。高校受験のときもそうでしたが、本人はギリギリまで結論を出さないので、あれこれ言いたくなります。14日が期限なのに!!
 親って、子供が岐路に立つとき、どう接すれば良いのかと悩みます。大人の考えを押し付けるつもりは無いけど、子供が思うほど社会は簡単ではないような。子供へのアドバイスに「就職率の良いところの方が良いんじゃない」なんて言ってみたりして。親ってちょっと悲しいものですね。あと数日、息を潜めながら「子供の決断を待つ」べきなのか、もう「親の意見を言うべき時」なのか、それが今、問題なのです(ハムレットみたい)   臣子


 
「ダブルピース」には、思わず微笑み

 本日、「ECHO」252号、受領いたしました。有り難うございます。今号も、読み応えのある充実した内容、嬉しく、楽しく、そして考えさせられながら、じっくりと読ませていただきました。特に、「視点論点」の「今、学校で」素晴らしいですね。感動しました。このお母さん方にも、武さんの文章にも。歴史を重ねて、秦野の今日の姿があるのだと、つくづく思いました。東京にも、それなりの歴史も実践もあるはずですが、それが全く掘り起こされたり、汲み上げらられたり、光を当てたりされていません。私も少しは貢献を、と思ってはいるのですが、非力で…。「ニュースソース」には、全く共感。「ダブルピース」には、思わず微笑みました。    吉成



 私は白鵬

 『エコー』が今日届きました。息子さんはとても親孝行をなされますね。ほほえましく読ませていただきました。同時に私は両親に孝行らしい事は出来たかしらと思ってもしまいました。先生が北桜関なら私は白鵬です。まだ横綱になる前の昨秋、近くのゴルフ練習場に白鵬がやってまいりました。ゴルフの腕は散々なものでしたが写真を撮らせてくださいという注文には快く応じてくれました。髷は結っておりましたがTシャツでした。横綱になった時ひそかに写真を見て喜びました。    栃木


2007年9月1日更新


 戦後62年の広島を訪問して 平和を願う心を持ち続け、努力しなければ
                                            浦田江里子

 広島に行ってきました。秦野市親子広島訪問団として二度目の訪問です。
 平和記念式典は早朝の大雨の後だったので、例年の炎天下を思うととても楽でした。今回の訪問は、見るもの聞くもの親の心でいろいろ感じることが多く、胸がつまり涙があふれて仕方ありませんでした。
 62年前のこの日、爆心地付近には建物疎開の瓦礫運びをするため、市外からもたくさんの中学生が動員されていました。一年生が外での作業、二・三年生は工場での勤労奉仕。朝礼が済み、それぞれ持ち場につこうかという瞬間、まばゆい閃光とそれに続く真っ暗闇に街は包まれました。一年生はほぼ全滅だったそうです。
 平和資料館で私の心を引きつけたのは、中・高生の遺品の数々でした。それらは、新型爆弾爆撃の報を聞き、駆けつけた親が、焼け跡から必死で探し出したものです。目を覆いたくなる惨状の中、遺体を一つ一つ確認しながら、わが子を求め歩き回る心持ちはどれほどのものでしょう。変わり果てた姿から遺品や遺髪を持ち帰ることしかできなかった悔しさは、子を持つ親として想像に難くないその心情です。そして、その逆も。
 体験談を語ってくれた方が六年生の息子に向かって一生懸命言ってくださるのです。「お母さんを大事にしなさいよ。私は勤労奉仕からやっとの思いで家に辿り着いた。母はどこにも見つからなかった。ああ、今朝、畑の収穫に一緒に行こうといわれたのに、嫌だと言ってしまった。もっとお母さんに優しくしたかった。お母さんを助けてあげるんだよ」と。
 焼け野原から家へと戻る道すがら聞いた二つの言葉が耳に残るそうです。一つは「みず… みず…」、そしてもう一つは「おかあさん…」。なんとつらいことでしょう。子を亡くした親、母を亡くした子、兄弟や大事な身内を亡くした人々も同じ思いでしょう。そして、こんなふうに被爆者の方はお話を締めくくりました。「責任を取れ、とか、誰が悪いとか、言い合っても仕方ないこと。なくしたものは戻らないし、死んだ人はかえってこない。三たび原爆を絶対に許してはいけない。核を無くそう、平和を守ろう、と言うのも必要だが、何より一人一人が幸せになろう。そしてまわりの人も幸せになれるように、思いやりの心を持とう。争わず、やさしい心を持ち続けよう」。
 悲しみや憎しみの連鎖を断ち切る勇気を持とう、と式典の「平和の誓い」なかで、子どもたちは訴えました。あたたかい人間関係がやさしい心を育むこと、暗く荒んだ関係が胸を締め付ける悲しい思いを生むこと、ただそれだけを心に、皆が小さな幸せをたくさん集めて、大きな幸せにつなげられたら、と思います。
 平和であることの幸せ、平和を願う心を持ち続け、努力しなければならないと、子どもたちに話していきたいと思います。流される日常の中で、身が引き締まる思いでした。子どもたちの時代が、平和な世の中でありますように…。

 1945年8月に亡くなった人は14万人以上。秦野市の人口にも近い人数です。そして現在まで被爆者名簿に記載された人の数は25万人を超えています。



 富士登山 40年来の夢の実現

 残暑お見舞い申し上げます。元気にがんばっています。『マンスリーエッセイ』の「夏の思い出」を懐かしく読みました。この夏、初めて富士山に登頂しました。中学生のときは祖父の葬儀で富士登山は急遽欠席になってしまいました。それ以来40年も夢にしていた富士事登山。56歳で初めて富士山頂に立ちました。家の裏の畑から、毎年お盆に見る富士登山者の懐中電灯の灯り、今年は自分がその灯りの一つになったのでした。一人での登山でしたが、多くの登山者と一緒でした。感激でした。  匡



 箱根板橋の地蔵祭り

 私もお地蔵様のお参りに行きました。10時にはお参りをすませて帰ったので先生にお逢いできなかったですね。私のおばあちゃんは、3月10日(何で私の息子の誕生日に亡くなってしまったのでしょう)に亡くなりました。小さい頃は、おばあちゃんに連れられてよく行ってましたが、最近は行ってなく、おばあちゃんが亡くなってしまい、久しぶりに行きました。そうですよね、よくばあちゃんが言ってました。「亡くなった人に似ている人に会えるって」。でもそんなことすっかり忘れてとういうか、あの人ごみだから「早くお参りしないと」という感じでした。娘には、おばあちゃんがえん魔様の話をしてくれたことを、えん魔様が並んでる前で話してあげました。おばあちゃんが、いつも行くと買ってきてくれたお地蔵様の近くのパン屋さんでカステラを買って、親戚の人とおばあちゃんの話をしながら帰りました。  相原 明美



2007年8月1日更新


 コンクール入賞を喜んでくれた父

 今度のコンクールの入賞、ほんとうに嬉しかったです。毎日新聞社さんから、学校に賞状と作品集が届いたと教務の先生から連絡をいただき、急いで職員室に伺いましたら、教頭先生が賞状を額に入れて下さっていました。PTAの本部会で拍手をいただきました。さらに「新年度の総会で表彰の伝達をしますから」と言われ、すごい大事になっているみたいで…。でも皆さんが一緒に喜んでくださっているのがとても嬉しいです。
 内容、レイアウト共に、こうすればよかった、などと反省するばかりです。入賞作品集を見ましたが、上位入賞の広報は、問題提起などがしっかりされているし、写真の使い方も効果的だなあ、やっぱりすごいなあ、と思いました。そのような中で、また687という応募校の中から『いいやま』が佳作に入賞したのは「すごい!」としか言いようがありません。広報委員のみんなと共に頑張ったこの一年間の、この上ない良い結果です。
 最後の『いいやま』を無事に発行し、委員会は解散になりました。委員会で知り合えた仲間は、子どもさんの卒業、フルタイムの仕事に復帰、ご主人の転勤で関西へなど、もう小学校では会えなくなる方もいて、寂しいのですが、今度の受賞を含め良い経験、素敵な思い出ができました。「広報のお陰でいろいろな人に会え、話ができ、学校のことも少しはわかって、よかった」と思っています。私も新しい委員長さんにバトンタッチしました。余った予算で先生お奨めの新聞用ソフトを買い、次年度への贈り物にしました。
 新年度は本部の書記として、月1回の『PTAだより』の発行に打ち込んで(?)います。広報で経験したことが活かせるわけですからやりがいがあります!! とは言え、「日本語って難しい!」と改めて実感しています。
 ところで、このたびの受賞をとても喜んでくれた人の一人に、実家の父(78歳でとても頑固!?)がいます。「お父さん、専門学校に行かせてもらって良かった。お金には結びつかないけど、PTAで役立っているよ」と、冗談交じりに報告したら「それでいいんだ。人様の役に立ち、しかもそれが認めらるなんて、幸せなことだ。よかったな!」と、褒められました。
 先生には、温かいご指導をいただきました。ほんとうに感謝しております。飯山の観音さんにいらっしゃったときは、『いいやま』のこともちょっぴり思い出してください。大きな喜びをありがとうございました。   久美



 NIEのページを賑わす秦野の新聞教育

 秦野市の新聞教育は、このところ東京新聞のNIEのページを賑わしてますね。11日は<私とNIE>で、「集団成長させる新聞教育」の鈴木健次先生。25日は<いきいき教室>で、「毎年テーマ広報紙編集 秦野PTA連絡協議会」。
 鈴木健次先生は新聞教育本来のNIEを語られ感心しました。PTA連絡協議会の、オピニオンリーダーを意識しての『P連だより』のテーマによる編集の見事さに驚きました。昨年の全新研秦野大会での速報発行の素晴らしさが甦ってきます。
 さらに、神奈川新聞23日の〈照明灯〉での、先生の『エコー』の紹介というように、秦野の新聞教育が次々に掲載されると、8月3日、4日は第50回東京大会でも、その実績が浮かび上がることでしょう。  菅原 澄子



「《伝える》技術を身につける前に」を読んで

 巷では、数多くの広報誌やタウン誌が発行されていますが、何を伝えたいのか分からない、一貫した紙面構成になっていないものがたくさんあります。こんな時だからこそ、理論編に時間を割くことは大切であり、理解が進めば、実務は自然についてくるものだと思います。しかしながら、見せる技術は知識と経験が必要なので、両者を満足させるためには、講習時間の30分延長が必要なのかもしれませんね。7/11の東京新聞、鈴木健次先生の「私とNIE」は秀逸でした。   野田 広明

 
 
 思いっきり 広報紙作りを楽しみます

 いつも『ECHO』、ありがとうございます。とても楽しみにしています。そして、250号、おめでとうございます。
 武先生との出会いがなかったら、きっと私は広報に深くかかわることはなかったと思っています。ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。思えば、市P連の広報紙のご相談で、武先生のお宅に数人でお邪魔した日に、市制50周年の広報はだのを一緒に作りませんか?とのお電話をいただいたあの日が先生との出会いの日でした。そのおかげで、とても貴重な経験をすることができ、ラッキーだったなと振り返ります。その時出会った人たち、経験、すべてが私の宝物となっています。
 そして今年、とうとうN中PTAの広報委員になってしまいました。新学期が始まってから、何度も取材、インタビューを繰り返し、写真も何度も何枚も取り直しして、見出しの位置、レイアウト、すべてにこだわった広報誌が完成しました。皆さんに早く見せたい、読んでもらいたい、力作です。
 この1年間は、思いっきり、広報紙作りを楽しもうと思っています。    千田 恵美



2007年7月1日更新


 やっぱり「新聞っておもしろい!」です

 鳥の聲もけたたましく、真夏が一気に押し寄せたような日々でしたが、やっと朝から梅雨入りのようでしきりに雨が降っています。なんと今日はもう夏至なんですね。
 夏至には何を食べるのでしょうか? 無花果(イチジク)の田楽(でんがく)を食べる地方もあるとのこと。秦野では如何ですか? 無花果田楽とは無花果の実を蒸して、それに田楽味噌を絡めて食べる料理のようですが、健康に効くレシピてな感じですね。季節限定でなんだか流行らせたい料理。今夜の一品に添えたい気分です。ワインとも相性がよさそうです。 夏至の夜には電灯を一斉に消して キャンドルナイトっていうのもあるらしくこれも「ゆめ」がありますね。
 ところで、先生の日記≪16日、9時半から東公民館で「誰にもできる新聞づくり」の講座。全2回で行なうが、1回目のきょうは『新聞っておもしろい!』がテーマ。≫から皆さんが生き生きと意欲的に取り組んでいる様子が目に見えるようで楽しめます。参加者は持参した新聞を広げ、@新聞の種類(全国紙からタウン紙まで)、A日刊紙の発行部数、B新聞の欄外を読む(新聞の値段の表示、新聞の版)、C新聞広告の値段を確認。D新聞は主張する(新聞は違う)、E誤報、等々教われるのですから、有り難いし新聞に対する目が広がったことでしょう。また、この講座は今年で7年目、公民館の事業としては珍しく“秦野”だから成立する講座だと感心しました。流石ですよ。
 私の方も16日は「新聞っておもしろい!」と感じ大いに楽しめました。この日は朝から市川の文化会館で朝日の「新聞活用・スクラップ講習セミナー」でした。講師の小野瀬容子先生が≪「夢」発信 in 市川≫で、みんなの「夢」をスクラップしよう。「夢」に向って努力している人を探そう。そして、見つけた夢でスクラップ新聞をつくろう。と皆さんを沸き立たせ大いに盛り上がりました。私は室外で受付をやってたのですが、小野瀬先生の明るさに引き込まれ、朝日新聞を広げて「ああ、これにしよう」と早速切り抜きました。それは20面のトップ記事『スパーズ4連勝 要所で突進 得点王 パーカーMVP』(NBAプロバスケット)です。毎日新聞にもスポーツのトップ記事『4連勝スパーズ戴冠 全員が「チームのために」 パーカーMVP』(NBAファイナル)にあり、喜び溢れる紙面になっています。
 これに興味をもったのは、サンアントニオ・スパーズの「パーカー」の活躍ぶりをファイナル4回戦まで観て、すっかり引き込まれていました。バスケットの神様といわれたマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズやレーカーズで華々しく活躍してた頃が浮かんできて重なり、「パーカー」に期待してました。なんか前日ワクワクしたばかりにこの記事に出会ったので心躍りました。なぜNBAバスケに引かれるのかと思ったのですが、そこから妙にアメリカの社会を感じることでしょうか。それと私の好きなジャズ。ジャズは生きる喜び、燃えるような情熱、魂の叫びみたいなものが飛び込んできます。人種、民族を超えたエネルギーがNBAとどこか共通してるよな気がします。
 小野瀬先生の明るい講座から新聞記事に引き込まれ、武先生の「新聞っておもしろい!」から、いろいろ考えさせられ、やはり「新聞っておもしろい!」ですね。   菅原 澄子



 250号は今の私へのメッセージ
 
 ECHO250号、“生存証明書”か…なるほど、この表現、気に入りました。好きです。先生と奥様の朝の挨拶「おはよう、きょうも生きてるよ」、これも気に入りりました。私の場合は、朝目が覚めたら「」一日をいただきます」で、寝る前は「」ご馳走様でした」かな。食い気ばかり、とも思えますが。これからは「きょうも生きてるよ」にしようかな。
 「あなたのまわりの出来事は、あなたの心が呼ぶのです。あなたは今、何を呼んでますか」 福井に一人で住んでいる義母を秦野に呼びました。一緒に暮らすことにしました。義母は初期のアルツハイマー型認知症です。薬で遅らせることができるらしいので、今しかないと、決めました。お医者様からもね「そろそろ一人暮らしは止められたらいかがですか」と言われ、しぶしぶ納得した義母でした。私の方の母は以前から同居していますので、これで二人の母を合わせると160歳。私も婆ちゃんですから、三人合わせると213歳のプチ老人ホームです。義母が「福井に帰る!」言いはしないかと、ひやひや、ドキドキしながら、私には似合わない“手厚いもてなし”をしている毎日です。夫を生んでくださった、というご恩を忘れなきゃあ、頑張れそうです。『ハチドリのひとしずく』にあるよあに「私にしかできないこと、私だからできること」「生きているうちに、今だからこそ」、と思っています。ECHOにもありますが、義母や母にも《持ち時間》があります。今から、親孝行をします。認知症には会話が一番だそうです。
 先生の「言葉とは顔と顔を向かい合わせて交わすもの。だから其のときの言葉は生きている。いきているものには体温があります」。その通りだと思います。250号のECHOは、今の私へのメッセージだぞぉって うれしくで、うれしくて。    和子



『ECHO』250号なんですね! おめでとうございます

 私の出会いは181号(2001.3.1)です。先生が鉛筆で「ご一読いただければ幸いです」と書いてくださった文字が印象的です。それ以来ずっと249号まで綴じてあり、もう二冊目も分厚くなりました。同時にHP(The On-Line Organ ECHO)との出会い。これは《お気に入り》に入れ、デスクトップに出してあるので直ぐ開け、心豊かな先生のお姿が伝わってきます。そして先生のハードスケジュールに驚きながら、お体は大丈夫かな?と気になりますが、どんなに忙しくても心が満たされると、体内によい気が巡り、幸せなんだということも生き方のお手本となっています。
 これまでECHOを拝読して、私の「ふるさと」は、まるで秦野のような気がしてきました。四季折々の行事が細やかに紹介され、すっぽりその中に吸い込まれます。年越し、新年、どんど焼き、豆撒き、お節句、お盆の迎え方、送り方、お彼岸等々、秦野の今昔が伝わってきます。そして春夏秋冬の情緒ある風情も折にふれ楽しめました。なんといっても最高なのは「記念碑の除幕式」(2004.8.22)です。四国産の青い石に『清水湧水池跡』と彫られて、清らかで格調高い石碑の写真が見られました。「生涯で最高のできごと」、とHPの日記にあり、「私たちの自治会は、今回の記念碑の建立を通して、自分たちの生活している場の価値を再認識し、地域のまとまりを強めることができたと思っています」という一文に感銘を受けました。お母様をはじめご家族の皆様、お付き合いなさってる方々とも親しくなれたようなECHOでした。
 秦野の里では、これまで育ててこられた新聞活動が各所に花開き活気が漲っていますね。それがECHOを通して生き生きと伝わってきます。そして全新研・秦野大会の活力溢れる速報『湧水』に出会えたり、『市民が作る広報はだの』(市制50周年特別記念号)に出会え、いっそう感銘を深めたのでした。
秦野を愛し秦野を育てる武先生のECHOに出会えたことが私の宝となりました。 菅原 澄子



伝え合うことは

 伝え合うことは知り合うこと 知り合うことは分かり合うこと  分かり合うことは前向きに生きること
 『エコー』250号 あふれ出るコミュニケーションパワーを紙面から感じました。継続に偉大な力があることを教えられました。『エコー』が届くと「伝え合うこと」のすばらしさを知ります。「伝え合うってこういうことなんだ」と確信します。そして、私のこれからの仕事―「伝え合うこと」への思いが大いに刺激されます。  美和子



 250号、拝見させて頂きました。教職を離れ長いとはいえ、子供達に関わる事が多い先生は、いつまでも先生です。ダ−先生も未だに島では先生! 日々感動しているようです。いつまでも、感動を子供達からもらってください。これからも、ホームページで拝見させて頂きます。今後も、若い人と関わり、若いエネルギーをもらって下さい。私も娘を通し、いろんな子から若いエネルギーをもらっています。これからも、新聞を通しておつき合いよろしくお願い致します。  真由美

 ごぶさたしています。ECHO 毎月ありがとうございます。月初めに届くたび、お元気なんだ、と勝手に安心しています。ECHO、ついに250号とのこと、ただただ「素晴らしい!」としか言いようがありません。ほんとうに、おめでとうございます。
 研修で山梨、長野に行ってきました。桜の高遠にも寄りました。桜も天候も最高で、混雑覚悟だったのですが、平日だったので、「高遠としてはガラガラ」(添乗員の言葉)でした。桜色に染まって、久しぶりに心が満たされた感じがしました。きれいな切手があったので、思わず買ってしまいました。最近はメールばかりで、切手を使うことがほとんどなくなりました。よろしかったら使ってください。   久美子



 ECHOを隔月発行にされるとのこと。昨日お会いした限り、まだまだお元気と拝察しましたが、広報活動の指導も市内外で数多くされているのですから、それこそマイペースで続けられたら…と願っています。   幸子




2007年5月1日更新


ECHOはいつも素晴らしい人に出会わせてくれる

 先ず山田繁代様の詩集『おやと子』にぐっと引き込まれました。「コーラス」「面接」「定休日の夜」「詩」と読み進め、「制服」には「・・・てれくさそうなまさると 嬉しそうな私の視線が合って 二人は なんとなく 鏡の中で笑ってしまった」とあり、微笑ましくてほっと和み、いろいろなことが思い巡らされワクワクしてきます。さてどのように展開していくのかなと、続きを早く読みたくて裏をひっくり返してもどこにもない。二枚目を広げてもない。この山田様の作品を全部読んでみたい、お会いしたいと強く思いました。改めて武先生のお言葉「今、私たちの世界は何かが足りないように思えてなりません。四月、出発のときです。山田繁代さんの詞に耳を傾け、新しい詞を紡ぎましょう。」がしっかり飛び込んできます。
 上原加代子先生の朝日新聞掲載記事も魅力的だし、神谷典子さんのイギリス体験から得られたことも心躍ります。こんなふうに、ECHOはいつも素晴らしい人に出会わせてくれます。
 また、武先生ならではの「PTA広報作り講座1・2」も流石です。毎日新聞社賞を受賞した「西のいぶき」を中心に、編集長・鈴木真澄様の「編集の進め方」と武先生の「講評」を合わせて読むと、まさにPTA広報作りの真髄に触れたような気がします。これまでもECHOでは沢山のことを学ばせていただき、夢や希望が漲るような思いをしたことがたくさんありました。   菅原 澄子



 これがNIE(教育に新聞)です
 《これがNIE(教育に新聞)です》、この文とこの記事はNIEを知らない人に伝える最高のコピーです。上原先生の実践されていることは、新聞を使って生徒の心に生きて働いています。これぞ、まさにNIEです。山田繁代さんの詩集『おやと子』には、失ってしまった親子関係・家族のぬくもりがあります。私のこどもの頃もこの通りでした。   野手美和子



 今年も立候補しました PTA広報三年目です

 ご無沙汰しています。昨年度もありがとうございました。秦野での全国大会にも参加でき、とても充実した広報活動の一年でした。今年も広報委員に立候補しました。最後の年です。何を企画するか、いまからワクワクしています。最大の課題は、H中PTAの広報活動をを次につなげることです。がんばります。今年もどうぞキツイお言葉をお願いいたします。   真貴



 新聞作りにはまってしまったかなぁ
 先生、私、実は副会長兼情報委員になってしまいました。私に、こんな大役務まるか不安でしたが、今日、先生の「日記」を読ませていただいて、そっか、そういうことなんだ!と自分なりに考え、少し安心しました。情報委員になって、他の学校の委員さんの新聞作りをみて勉強しようと思います。それで、出来たらまた鈴木さんと一緒に広報紙作りをしたいと思います。(新聞作りにはまってしまったかなぁ) 先生、今年度もご指導のほど、宜しくお願い致します。    Akemi


2007年4月1日更新


247号へのエコーです 真佐美

「寺山の冬」
 里山が消えつつある昨今、古の思い出も消えてなくなりそうで、このような話を読ませていただくと、昭和のはじめの頃の秦野の里の風景が忍ばれます。恐らくこの頃の西地区は畑や雑木林が広がっていて、人家は数えるほどの地域だったのではないでしょうか。そしてそこに住む少年たちの社会が繰り広げられ、大人への階段を一つずつのぼっていったのでしょう。今のような情報があふれ、人と人のコミュニケーションが薄れてしまった社会とは違う姿が見られます。

「242号の・・・を読んで」
 送り手と受け手の共通感覚。キャッチボールのミットにすっぽり入った時の音と感触、とでも言うのでしょうか。敏感にそれを受け止められている筆者。
大会がワンポイントのものではなく、流れの中の一点であって、そこには過大も過小もない。昨日の続きが今日であり、そして明日がくる。今日という日だけが大きく持ち上げられるのではなく、時間の流れの中にある今日。そしてそれが全国大会。「これが好きだ」と胸をはって言う必要はない。それは人に見せるためのものではなく、自分の内側のことだから、外にさらけ出すことだけがいいとは思えない。内側にじっと大事に育てられるものってある気がします。 
 今日の授業の後半、テストのための自習にしました。その時に、目の前に座っていた男子生徒としばらく話をしました。
 その生徒がこれからやってみたいこと。格闘技をやってみたい。ボクシングやってみたい。海もいいなあ。素もぐりして海の中の魚をとってみたり。水産高校へ行きたい気持ちもある。日本に生まれないで、アメリカに生まれたらよかったと思う。アメリカなら小さいころからいろんなことができそうだから。野球にはこだわりはない。とりあえずやってみようってぐらいだったので、もうやらないと思う。……などなど、いろいろな話をしました。
 彼の中にある夢があっちでふくらみ、こっちでふくらみしている様子がうかがえました。将来何になるかは決めてないけど、と彼は言ったけど、彼の描いている夢の先に将来があるように思えました。「これが好きだ」と人前に出さなくてもいい気がします。
 投稿された悠さんへ
 『エコー』を書くことで自分を見出だせるということです。前もって、自分というものを確認して自信をもてたから『エコー』を書くのではなく、今の自分の言葉を書き出してみて、『エコー』に送ってみて、それを紙面で目にした時、自分を見直すことができるんだと思います。武先生という胸の広い受け手がいらっしゃるのですから、思い切り自分の言葉を投げてみられてはいかがでしょうか。今回のように。少しぐらいはずれたボールでも元野球部顧問の腕でキャッチしてくれます。

「夢を実現させる年です」
 まゆさんはいい教育実習を終えられたようですね。こういう夢をもった先生こそ、子ども達の前に立ってほしいです。団塊の世代の退職にあわせて、ようやく採用数が増えると聞いています。こんなに年齢層のバランスの悪い職場もないなと思います。私が採用された昭和58年頃は大量採用でグッと平均年齢が下がりました。若さの勢いで学校が回っていたところもあります。今はベテランが多くなってしまって、訳知り顔で物を言う人ばかりで、子ども達からすればおもしろみに欠けるんじゃないでしょうか。本校には臨時採用の先生がいるので、その分助かっています。若さにまかせてハメをはずす、そういうエネルギーを生徒達は待っているように思います。

「わがまち秦野 四季つれづれ」
 浦田さんの秦野紹介は微に入り細に入り、よく調べられたなと感心します。研究所の仕事で、「庚申塔」を探していた時、蓑毛でおそらく昔、御師の家(宿)をやっていられたであろう二階堂さんというお宅を見つけました。昔ながらの屋根の低い二階家です。小学生の郷土読本に載っていたんじゃないかなと思いながら、お断りもせずに写真を撮らせてもらってきました。
 探れば秦野には古い歴史を語るものがあちこちに散在していて、それをまとめるだけでも大きな仕事です。浦田さんのように紹介していただくと思わず現地に足を運びたくなります。      



 塩ジャケの話

 本日ECHO247号、248号拝受。誠にありがとうございました。そしてHPも更新され、そのお仕事の多さと内容の充実ぶりに感嘆しております。短期間でこんなに多くの事がこなせるなんて流石です。
 どの文章も心惹かれますが、中でもきらりと光り、心の中に温かいものが広がっていくのを覚えたのは、マンスリーエッセー「塩ジャケの弁当」です。その中の≪「毎日おじいちゃんが山から帰ってくるのを、私は楽しみに待っていてね。おじいちゃんは大きな弁当箱をあたしたちに渡す。弁当箱の中にはほんのひと口のお米のご飯と、ちいさい赤いシャケが残されててね、それを食べられることがうれしくてさあ、おじいちゃんは私のために、毎日弁当を残してきてくれたんだってわかったのは、ずっと大きくなってからでねえ」 話し終わった母は恥かしそうにもう一度つぶやいた。「貧乏だったんだよ、ほんとに…」≫には、涙が滲むほど嬉しいお話で感激しました。一口のご飯とちいさい赤いシャケが印象的でいつまでも心に残ります。おじいちゃんの大きな大きな愛を受けて育ったお母さん、そして、お母さんからまたその愛を引き継がれた武先生はじめ、ご兄弟ご家族の皆さんは本当にお幸せです。  菅原 澄子



2007年3月1日更新


 心を病んでいる子が増えています

 心を病んでいる子が増えています。教室に入っていくと、朝から荒れている子がいます。休み時間になると、私に体を擦り寄せて来る子、膝に上がってくる子。それができない子は、暴力を振るったり、いじけたりして「ボクを見て」「ワタシをかまって」と訴えてくるのです。「お願いです、朝ごはんは食べさせてください」と、言ってあげたい子もいます。
 もっと甘えたいのに、塾や習い事などで大事な遊ぶ時間を取り上げられても、仮面をかぶっていい子を演じる子。この子たちはみんな無理やり成長させられてしまっているように思われてなりません。
 先生の中にも、どうしてそのことに気づかないの、なぜそんなに乱暴な言い方をするの、など配慮が足りなさすぎる先生もいます。子供たちの心の安らぐ場所、心の安定が得られる場を作ってあげることが、ほんとうに緊急の課題です。今いちばん必要なことです。ボクのこと、ワタシのことを分かってくれる人がいて欲しい、それが子供たちが今、いちばん求めていることです。   貴子



 病上手の死に下手

 昨日は親しくしている85歳の女性の家に半年ぶりに訪ねました。ご主人(85歳)がデイサービスの日だからと喜んで迎えてくれ、いろいろこれまでの経過を話してくれました。入退院を繰り返し4年前に見舞いに行った時には、もう2〜3日でお別れのような状態でした。医者も驚いているのですが、間もなく退院しそれ以後室内では歩けるようになり食事やトイレも一人でできるようになりました。家で介護しながら現在に至ってますが、よい食事と思い遣りが命の火を燃やし続けるのだなあと頭が下がりました。
 「何回も死線をさまよいながら、こうして生きているのだから、うちのお父さんは《病上手の死に下手》なんだよ」とさらりと言っては笑わしてくれます。「お父さんも私もまだ神様に修行しなさいと言われてるのですよ」と、これまた驚き感心しました。いろいろ介護の体験談がテレビや本にあるけど、みんなそれぞれ、そこでは人には言えないことがたくさんあるということも話してくれました。
 85歳とは思えない彼女の若さと美しさだから、素晴らしいと褒めたら、「女は男より5分でも早く起きて身支度するように、嫁に行く前に祖母に言われたことを実行しているだけ」とのこと。なるほど、私と180°違うのだと反省したり昔の日本のよさを思ったりしました。  sugawara



 まもなくうれしい春です

 いつも「エコー」をありがとうございます。二月も半ばを過ぎると一日一日と、陽の輝きが変わっていくことが感じられます。まもなくうれしい春です。これからの季節、私が一番好きなのはコナラの新芽です。淡いピンクやうす緑、クリーム色などの、ビロードのようなかわいらしい葉。そんな葉に今年もまもなく出会えるのです。
 最近、児童文学文学を読み返しています。この年齢になって読み返してみますと、その奥深さビックリしてしまいます。人が、自然の中の一つの生き物として、どう生ていくかということが書かれているのです。そして、どの物語も、主人公が自然の事象を通じ、また人とのふれあいによって、自分のあり方や生き方を学んでいるのです。自然の描写も、ほんとうにしっかりと見つめて描かれています。子供たちにとって、自然を感じ取ることがとても大切だと、つくづく思うのです。
 今月はまだ届かないので、心配でこんな手紙を書いてしまいました。お許し下さい。   知子



2007年2月1日更新


 早春の東御苑

 皇居の早春はどうかなあとデジカメ持って東御苑にいそぎました。堂々とした平川門の歴史をしみじみと味わい、進んでいくと正面に大きな紅色の椿の花があり、横に白い椿も咲いて見事です。中へ進むと五分咲きの紅梅と三分咲きの白梅が並んでいのにカメラを向けている人が何人もいました。
 二の丸庭園を回ってみると花盛りの水仙と寒椿の赤が互いに引き立てあっています。滝とせせらぎの音が清らかで、広々とした池に映る木々の影や空の雲が鮮明です。広々と見渡せるのは、落葉樹と常緑樹の兼ね合いいいのでしょうか。辺りは静寂そのものでした。天守台に登ると観光客が多く、外国語が飛び交っています。日本人に見える人々も私には分からない言葉で楽しそうに語り合っています。
 一人の女性が、向こう側に見える「桃華楽堂」(香淳皇后のご還暦を記念し、音楽や舞楽の演奏などを行うことを目的として、昭和41年(1966年)に完成)の屋根近くを指差して、あそこに一対の小さなお雛様があるのを見なさい、と教えてくれました。外国語だったのでよくわからないけど、一人歩きの私を気遣ってくれたようです。   Sumi


  今年もがんばります

 本を読んでいたら、キレずに話すコツが書いてあった。「怒りを抑えようとは考えないことです。感じるものはどうすることもできません。」とある。では、怒りを抑えず上手に話すにはどうすればよいか。感情で話さず、感情を話すのだそうだ。そうすれば、相手への敬意を失はずに口調はすいぶん柔らかくなる。さて、自分の感情を描写するには、自分の心を冷静に把握する必要があるが、これはなかなかできることではない。そこで「私は…」で会話を始めるようにするとよいのだそうだ。「決して『あなたは…』と始めてはいけない。そうすると、どうしても相手を非難してしまう。」とのこと。  Zonmai


 笑顔、元気、愛情で可愛い子ども達に向かい合う日々です。私自身が試されることもありますが、チャンスと受け止めるようにしています。   典子


 一昨年は学芸員の資格取得のため母校の大学で一年。昨年はバードマップ野鳥図鑑づくり。今年は市文化資料館の鳥展に協力します。   明彦


 体の衰えを実感するようになりました。今が踏ん張り時とは思うのですが…。「思っているだけで事が成るなら苦労はいらない。動くことが大事でしょ!」 子供たちを叱る時には言えるのですが。今年は中3、高3と、二人の受験生(プラス小6)を抱え、又もバタバタしそうです。   Reiko


 中学校の広報委員会にドッポリつかって2年。昨年はパソコンと委員長さんのお陰で、短期間で集中的に作って発行する経験をしました。出会う仲間や状況で、いいときもしんどいときもあるけれど、いい記事が書けたり、見出しが浮かんだ時の喜びなどで、広報が病みつきになりそうです。   Chiaki


 新聞を作るというか、文章を書くというか、記事をまとめ、印刷し配布するということが私の生活の一部になってしまっています。学年便り担当は喜んで引き受けさせてもらいました。新聞が自己実現への道につながることを確信しました。   真佐



2007年1月1日更新


 ご無沙汰しております。もう3ヶ月も経とうとしてるのに、「今頃かい?」って言われそうなんですが「全国新聞教育研究大会の大・大・大成功おめでとうございます」。
 ☆星組の沼崎さん(今、中学で役員でご一緒)から、エコ―242号を見た時に、すぐに無理やり『湧水』を全部頂いちゃいました。そして、その時に沼崎さん曰く「当日、大会が終わった時の武先生のお顔を、あなたにも見せてあげたかったわ‥とてもいいお顔だったんだから」とお聞きしました。鶴巻中学校へ校長先生として赴任された時から、私は先生の素敵なお顔は何回となく見させて頂いてますが、きっと、きっと、それ以上だったのだろうなぁーと、私もうれしくなりました。寒くなりました。ご家族皆さん、風邪などひかないようにご自愛ください。   和子

 クリスマス・イブに街をほっつき歩いたなんて、とても懐かしい過ごし方で楽しいですよね。“アド街ック”に先月登場し、排煙設備が不十分なのが名物?とはこれまた痛快!体の芯まで匂いが染み付いて家までお持ち帰りというのもなかなか。毛皮の襟巻きのコートでカウンターにいた女性たちも笑えますよ。何も気にせず大いに盛り上げて楽しむ、商売繁盛で明るい聖夜でしょうか。  澄子  

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