返ってきた  - ECHO -
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2024年4月16日更新

 地球の裏側から「先生 こんにちは

 12月14日に横浜港を出港しハワイでクリスマスを過ごしゴーギャンが愛したタヒチに着きました。
タヒチは雨季のためパラパラの雨が降る日でしたが、様々な花が満開。町歩きにはピッタリの日。
タヒチのヒナノビールで喉を潤しました。
 横浜から一月近く絶海の孤島イースター島に着きました❗ 楽しみにしていた1つ目。伝説による
と王さまが魂を抜き出し見つけた島。賢者ともども移り住んだとか。有名なモアイはご先祖さま。海
を背に村を見守っていました。蒼としか言えない海の色。おおきな沢山のモアイ像。イースター島は
スペインがつけた名前でバヌイというそうですが魅力的な島でした。
 さらに一週間。カヤオに到着。マチュピチュに行ってきました。今回の目的のひとつ。下船し二泊
三日の冒険でした。マチュピチュに登り、なんと霧で何も見えない❕ と思っていると徐々に霧が晴れ
あのテレビや本で見た通りのマチュピチュが🦙 感動でした。歩いていくと他にも沢山の素晴らしい
遺跡がありラマやアルパカもいて本当に良かった🎵 そこからアルゼンチンやチリそしてウルグアイ
に寄港して本日ブラジルリオデジャネイロに着きました。横浜をでて2ヶ月。地球の裏側に来ました❗
 明日はリオのカーニバル❕❗ 町は大変な騒ぎです。リオのカーニバルはいつか行きたいと思ってい
たのです。これがこの旅の3つ目の楽しみです。明日の夜は思い切り楽しみます。  
                                      森山太一・政子

 
たつまい(龍舞)の道祖神
 『道祖神の里 落穂拾い』の17ページの「縁結びと子宝のたつまいの道祖神」を読みました。胸
が熱くなり、道祖神さんにこのことを報告したいという思いになり、ご著書を手に「たつまい道祖神」
に手を合せに行ってきました。村上哲雄さんにはお会いできませんでしたので、 後日ご著書を見
せにお伺いしたいと思っております。
 気仙沼大島はあの大震災の影響と少子化高齢化のため、住人も2200人ほどになり小学校も全
校で50人弱になってしまいました。今年は辰年、龍(辰)が舞う年です。この小さな島の道祖神さん
が私たち地元の人や訪れる観光の人たちを護ってくださることを願っています。
 PTA広報作りでの武先生との出会いに感謝しています。頂きました御本は私の生涯の宝物で
す。大切にします。ありがとうございました。  村上典子

 道祖神は、その種類や形が数多くあること。彩色道祖神などあることを知り興味深いものでした。
先生の調査研究にはご家族と9205の下支えがあったからですね。 東京  横山直子

 
「道祖神の里 落穂拾い」を手にして
 「道祖神の里 落穂拾い」ご出版 誠におめでとうございます。お送り頂きましたご著書を早速に
拝読させていただきました。武様の道祖神への熱い思いがひしひしと感じられ、そのご努力にた
だただ敬服いたしております。たくさんの道祖神が皆様に広く紹介され、さらには保存により資料
として後世へと引き継がれることと存じます。 頂きました著書は、当館図書室蔵書として地域の
皆様に楽しんでいただき、郷土の道祖神研究資料として広く活用させていただきます。ご健康に
ご留意のうえ、さらにご指導を頂きたくお願い申し上げます。   高崎市倉渕公民館長 池田功秀

 
フィールドワークさせてもらっています
 古希を過ぎましたが、農家に生まれ育っているので、現在も〈農耕地管理作業人〉の仕事に甚大な時
間を費やす生活を送っています。周辺に迷惑をかけないよう、耕地を荒らさないようにと空しい努力かも
しれません。先祖が求め、つなげてきた土地でも生産性のない切ない作業とも言えます。
 『道祖神の里落ち穂拾い』 とても視界が広がる素晴らしい内容でした。カラーで道祖神を見たとき本
当に「すごい」と思いました。御殿場市、小山町の道祖神も取り上げられていました。いくつかは私も実
際に見たものでしたが、知らないことばかりでした。お地蔵さんとの関連もその一つでした。豊富な情
報が「なるほど」「そうだったのか」と、読めば読むほど新しい知識が生まれてきています。先生のお話
を聞きながらフィールドワークをさせてらっている気分になり、ゆっくりページをめくっています。
                                     御殿場市 勝又将雄

 
道祖神地図を作った思い出
 「道祖神の里」第三集の出版おめでとうございます。貴重な道祖神の写真や歴史やその伝統について
書かれていて秦野以外の道祖神も知ることができました。その中でも秦野の道祖神祭のことがとても興
味深く、楽しく読ませていただきました。私も小学生の時に道祖神について調べたことがありました。
 子どもながらに秦野の道の分かれ目付近に石像があるのが不思議に思えたからです。父に車を運転
してもらい、秦野の道祖神の写真を撮り、道祖神の意味を調べて一枚の模造紙に道祖神地図をつくりま
した。これを夏休みの自由研究にすると、秦野たばこ祭の際、本町小学校の作品展に出品されたことを
覚えています。 山田浩之

 先人たちの心根や暮らしに思いを馳せる
 道祖神に寄せる先生の情熱とあたたかな眼差しを感じ、それぞれの地の先人たちの精神世界やこれ
まで営まれてきた暮しに思いを馳せました。 栗原旭

 
子供たちによって道祖神が伝承されますように
 道祖神の写真に癒されてます。「チーム竹の子」の伊東さんの娘さんを幼稚園で担任させてもらいまし
た。ご活躍応援しています。秦野の子供たちが道祖神に興味を持ち、ドンド焼きが伝承されていくことを
願っています。  加藤しのぶ



2024年2月1日更新
 
人々の営みを目撃し続けてきた道祖神
 お伝えしたこともあったかと思いますが、私は奥能登出身です。能登町小木というところに生まれ、高校
卒業まで住んでいました。母が昨年10月に他界して実家が無人になったので、11月ひと月一杯を使ってひ
とまずの片づけを行い、今年3月にもまた片付けに行く予定でした。
 今回の能登半島地震では、能登町の親戚も珠洲市の親戚も被災しました。被害の程度も比較的軽かった
ところから家屋全壊したところまで、様々です。実家の方は屋根の瓦が落ちそうになっていたり玄関が一部
壊れたりしているそうですが、道路状況と断水のため、当面は自分で様子を見に行くことができません。ひと
月半ほど前は自分も能登町にいて、親戚にも久し振りに会っていた分、その時の記憶と(現地を直接見るこ
となしに)TVやネットで入って来る情報との整合性が自分の中で取れずにいるのか、ある種の時差ボケにも
似た感覚でおります。
 実家から車で10分も離れていないところに、真脇遺跡という縄文時代の遺跡があります。出土品などから
4000年もの長い間、人々が継続的に暮らしていたことがわかるそうです。子どもたちが小さいころは帰省
の折にはたびたび行っていました。何千年も昔に、(人間という意味で)自分と同じような誰かが確かにここ
にいて日々暮らしていた、と考えるといつも何とも言えない不思議な気持ちになっていました。誰かが気付い
て掘り出すまでは、まるで最初から何事もなかったみたいに跡形もなく埋もれていたのかと想像するとそれも
不思議な感じでした。
 いただいた本を、先月は道祖神にまつわるお話を読んで楽しんでおりましたが、今はただ写真を眺めてい
ます。石という、長い年月に耐えうる「もの」が、その場所で、その時々のその土地の営みを確かに目撃し続
けてきたのだろうと想像し、その「石」をただ見ていたいような気分です。人の形をしている道祖神は一層。そ
してこの「石」もやがて年月のすえに埋もれ、最初からそこには何もなかったかのように見えるだろう遠い遠
い未来を思うと、「何かが続く」ということについての重層的なイメージの捉えきれなさに、圧倒される思いで
います。   竹下恵美子

倉渕の道祖神さんに招かれて

 『道祖神の里 落ち穂拾い』は、私たちを道祖神の旅へと誘ってくださいます。高崎市倉渕へは数回足を運
びましたが、その都度道祖神さんは違った表情で迎えてくれます。 また 「道祖神祭り」では地元の小・中学
生たちの案内、地域の方々のおもてなしが素晴らしくて「また来年も」と心を動かされます。それも道祖神さ
んの招きですね。  内田恵市・るみ子

ご指導ご支援 ありがとうございます    武 勝美
「道祖神の里 落穂拾い」の上梓にたくさんの祝意を頂いた。そして《次》を促すような書籍や資料も頂戴した。
嬉しく、ありがたい。そのいくつかを紹介させていただく。
・臼井淑子さん 「道祖神」降旗勝次・榑沼光長著
・稲葉一郎さん 「安曇野 道祖の神と石神様たち」西川久寿男著
・清田 弘さん 「一陽来復」井波律子著
・池田功秀さん  高崎市倉渕町の道祖神スタンプ77
・渡邉三四一さん  「名匠(石工)」渡邉三四一著
・渡邉知子さん 「資料日本歴史図鑑」の道祖神のページのコピー
・笠井麗子さん 忍野村のどんど焼きの縁起物「ヒイチ」

・栗原 旭さんから「釈超空が道祖神を詠んでいる」との便りをいただく。それで折口信夫全集で探してみたら
二十一卷で出逢った。
 「どうらく神のまつり」 七首 (大正の初め足柄下郡の道祖神祭りを見学して)
 乾(から)風の 砂捲く道に日は洩れて、睦月八日の空 片ぐもる
 磯近き冬田に群れて 鳥鳴けり。見つゝ 聞きつゝ 道ゆく。われは
 道なかに、御幣(おんべ)の斎串(いぐし)たちそゝり、この村深く 太鼓とゞろく
 七ぐさの 今日は明くる日。里なかのわらべに問へば、道饗へ(みちあえ))に行く
 もの忘れをして 我は居にけり。夫婦神(めおとがみ)も、目を見あいつゝ 笑み居たまへき
 村の子は、女夫(めお)のくなどの 肩擁(だ)きています心 よく知りにけり
 供へ物 五厘が鹽を買ひにけり。こゝの道祖(くなど)をはやさむ。われも

これからもゆったりと〈里巡り〉を
 ライフワークとしてフィールドワークをなさっていることは『エコー』から推察しておりました。今度の出版はその
研究成果だと感じております。こんなふうに伝える人がいなければ、今ははっきりの道祖神の文字も風化し、や
がて道祖神そのものも消え去ってしまうのです。だから「集大成」と言われるこの書は貴重な記録です。これから
もあくなき好奇心で。ちょっと見たら温泉、また少し移動して美味しいものを、精力的でなく、ゆったりと、道祖神
の里巡りをお楽しみください。  谷 優子

                   
                
早川幸雄・正子さんから
                     

 

2024年1月1日更新
 
「道祖神の里 落穂拾い」を手にして

 お送り頂いた「道祖神の里 落ち穂拾い」 早速、拝読させていただき.県内外の道祖神の細かい分析はもちろん
ですが、道祖神を通じて各地域の方々とのネットワークの多さ、広さに驚いています。実際に自分の足で(クラウン
とご家族棟と共に)実地踏査されたことにより生まれた交流と思います。各地域を巡ってのエピソードをまとめた「道
祖神日記」はとても楽しく読ませていただきました。ご著書(P54のNO21)の双体道祖神は、我が家のそばの塞ノ神
(セーノカミさん) です。「はじめに」で先生がご指摘されているように地域の守り神として祀られていた道祖神も時間
の流れと共に摩滅したり欠韻したりしているのが現実で私も実憾しています。また、地域の人たちの道祖神に対す
る意識も時の流れとともに薄らいてきているのか現状です。私の親は道路の落ち葉掃きをする折に道祖神場を掃除
することを常としておりましたので、私がその後を引き継いて行っています。その道祖神のひとつが市内で二番目に
古いものであることを知り、やりがいと誇りを感じています。 道祖神が忘れ去られようとしている今、地域の守り神を
地域の遺産としてあらためて認識し直す時でもあるように思います。そうした意味からも先生が刊行された「道祖神
ワンダーワールドシリーズ」三巻は、次世代に引き継ぐ大きを使命を担った資料であり、貴重な地域文化継承の史書
と思っています。先人たちの道祖神への思いを再度心に刻みこみ、わが町の年中行事・地域文化を末永く継承して
いきたいと思っています。Masaru

 「道祖神の里 落穂拾い」が届きました。ありがとうございました。先生が18年間に出会った道祖神さんたちは、その
存在の証をここに残してもらえて幸せなことだなあと思いました。それは、道祖神の里に暮らした人々の生きた証でも
あるわけですから。私の拙い文章も、今、思えば、あの時だから書けた、対峙した神様たちから伝わったあたたかいも
の、悲しいもの、せつないものをことばに残せた、と、少し感動しています。冬のやわらかな陽ざしのなかで、会のメン
バーと語らった情景が脳裏に浮かびます。「落穂拾い」のあとはどうなるのでしょうか。自他の命を大切にしながら、ま
だ日の目を見ない道祖神さんが日の当たるところまで出てきてくれたらうれしいだろうな、と密かに思います。
 小田原に住む娘が、「家の近くに、おかあさんの好きな道祖神がいっぱいあるよ」と言ってきます。娘からみれば、私
のなかにもその存在が当たり前にあるようです。期せずして私は、道祖神の里を巡る先生の背中が見える場所にずっ
といて、私もそんな世界のはしっこで道祖神に愛着をもちながら長い時間を過ごしてきたのでした。Eriko
 
 『道祖神の里 落穂ひろい』のご挨拶文 に「道祖神は時の流れには抗うすべはなく 摩滅や……」とあります。 しかし、
私には摩滅や剥落 欠損した道祖神のお姿がこの上なく胸に迫ってきます。「村人たちが 祈りを込めて造立した」その
思いが、時の流れを経て胸に迫ってきます。あたかもミロのヴィーナスの立像が、両腕の不在のゆえに全体への想像
力をかき立てるのと同様に。 Akira

 仕事で「道祖神講座」と「壁新聞講座」を担当させていただき「学ぶことは人生を豊かにする」と実感しています。道祖
神の学びは不十分な私ですが、勝手に先生のお仲間に加わっている気分でいます。だから「もう御仕舞い」などと言わ
ないでください。 Kumiko

 民俗学は現地に足を運び取材することが基本とされています。膨大な時間と労力を費やされたので貴重な写真と濃
い内容の記録書になっています。後世に残るものと信じています。ありがとうございました。 Kiyoshi

 全国の道祖神が掲載されていることに驚きました。トレッキングや街中の散策の際道祖神を見つけると嬉しくなり、私
も写真を撮ります。とても分かりやすくてまとめていただいてありがとうございました。楽しみが増えました。 Naoko                            

 『道祖神』の第三集の発行おめでとうございます。「旅人はいつもわがままで遠慮知らず」という言葉。先生の生き方を
表している気がします。そんな先生の生き方、私は大好きです。 匿名子 



 2023年11月5日更新
 規 則 
 「小学校3年生以下の子どもだけで留守番として家に残すことは児童虐待とみなす」という条例が廃案に
なりました。よかれと思って作ろうとした規則が、一方的だと思われてしまうことを考慮する必要がある例に
なりました。
 似たようなことが「記者会見は一社一問でお願いしたい」という決まりが発言の制限につながると反発が
あったことは記憶に新しいし、NGリストが作られていたと聞いて怒りは倍増しました。記者会見を長引かせ
ないようにとの配慮かと思われますが、その姿勢に会見の意味が問われてしまいました。また日本バスケ
ットボール協会から「Bリーグ規約で日本代表に招集されたら、参加しなければならない」と発表があったこ
とに対して、拒否権はないのか、赤紙同然ではないかという反論がネット上で渦巻きました。
 規則は集団活動には欠かせないものです。しかし、よく考えて設定・発表しないと一方的だと指摘されてし
まうところが難しいところです。「学年の意向だから」とか「学校の方針」という言葉が職員室で飛び交ってい
ます。第三者的な立場にいると、大丈夫かなと思われることが多々あります。    Masahiko M

 
道祖神新聞づくり
 毎年夏休みの時期になると、小学生の娘の自由研究が楽しみで仕方がない。 なんとなく男心をくすぐる感
じが好きなのだ。もちろん親はあくまでもサポートに徹する。
 1年生、2年生と模造紙を使って色水の実験などを報告・紹介したので、今年は少し違うことをしたいな、北
海道旅行で野生動物の写真を撮って紹介したら面白そうだと思っていたら(サポートに徹するはどうした?)、
娘が今年の夏休みは公民館で開かれる新聞作り教室に行きたいと言い出した。小学校で特別授業あり、新
聞作りに興味を持ったとのこと。自由研究にもなると言う。 この新聞教室には娘、祖父母、私たち親と5人で
参加した。思っていたよりしっかりと新聞について教えてもらい、特に紙面の構成など新聞作成についてたくさ
ん学び、勉強になった。
 武先生より道祖神について調べ新聞にしてみたら、と勧められた。娘に興味があるかなと心配したが、結果
的には家族で一番熱心に道祖神を見るようになっていた。道祖神新聞を作り上げた娘は来年も道祖神を調べ
第2弾を作りたいという。よしとことん付き合おうじゃないか あくまでもサポートにして。
 今度の新聞では採り上げなかったが、沖縄の交差点には石敢當(いしがんどう)という石碑が立っている。調
べてみたら、この石碑は魔除けということでは道祖神と同じなのだが、少し違うところもあった。道祖神は村の
入り口に置かれるのだが、石敢當は交差点の丁字路の突き当りの所に置かれている。これは悪霊が一直線
にしか進めないから路の突き当りに石敢當を祀るらしい。微妙に役割が違う2つの石碑。
 新たなことを知ることはやはりおもしろい、楽しい。   Masahiko Y

 
コメの収穫は喜びのひととき
 9月に入っても暑い日が続いていますが、水田の稲も例年よりも早く実り、収穫(稲刈り)が少し早まっていま
す。高温障害で、コメの品質も気になるところですが、真田地区でもここ数年「ジャンボタニシ」の繁殖による被害
の対策に日々追われている現状もあります。そんな中、JAのコメの買い取り価格が下がっています。肥料や除
草剤、動力による農機具の燃料価格も上昇し以前よりも増して、経費が掛かっていますが、低価格での引き渡
しは農家にとってたいへん頭の痛むことです。
 また近隣の農家では、高齢化により田畑の耕作ができず雑草が生え盛り、また土地を手放したりする農家も
増えつつあります。そうした中、コメの収穫は農業従事者にとって喜びのひとときです。   Shigeru F

 地球が悲鳴をあげています
 猛暑、線状降水帯等々、地球が悲鳴をあげています。「中秋の名月」が話題になる中、庭の桜の木にメジロが
たくさん来ています。その様子を眺めていたら、なんと桜が咲いているのです。桜の狂い咲きがテレビで報じられ
ていましたがまさか我が家の……。 四季が一緒になってしまいました。  
 「うでピー」の話 落花生は私の大好物。生産者でなければ本当のおいしさは味わえません、羨ましいです。
ハクビシンに負けなくて良かったですね。「線香上げ」のこと、私の体験したことのない素敵なお盆が秦野にあるこ
とを知りました。   Midori O

 
あさみちゆきの「あさがお」  
 「今日から二学期だよ!」の『エコー』406号 ありがとうございます。あさみちゆきの「あさがお」に久しぶりに出
合え、興にのってユーチューブで彼女の唄を聴いているうちに、私の「井之頭公園」に繋がり2005年というフイル
ムを巻き戻し、懐かしんだのでした。
 【あさみちゆき】 当時住んでいた杉並の家から15分ほどの井の頭公園で起きたことはほとんど知っていた? 
 2000年の初め、井の頭公園でフォークを歌っていてテイチクにスカウトされて歌手デビュー。コンクリむき出しの
野外ステージで歌っていた彼女を見たような……
 古い山友達の一人に歌好きがいて、リタイアした後自作のCDを作り、井の頭公園の池のほとりで「買ってくださ
いませんか」と立っていた。彼とその池端で花見をしたことにもつながった「あさがお」。
 〽鼻緒が切れた夏祭りハンカチ裂いてすげ替えた
 妹は片足立ちしてじっと待っていたあの夏の日
 〽花火見つめる縁側でビール片手の父がいた
 かたわらで寄り添う母の手はそっと団扇をあおいでた                         Motoo I



2023年9月5日更新

新聞づくりはずっと身近にありました
 「エコー」400号達成おめでとうございます。新聞のお写真はまさしく懐かしい武先生でした。お元気そうで何より
です。善波峠 タバコの花 震生湖……秦野を思い出します。
 同封くださった「西中PTAだより」のコピー。あの年9月1日に赴任しました。村上校長先生、似顔絵を描いてくだ
さった高岡先生、国語科のメンバーなどなど記憶が蘇ってきます。  その後も生徒会広報委員会、PTA広報、自治
会広報など、新聞づくりはずっと身近にありました。 新聞も電子版が登場、それなりの良さはありますが、やはり手
にとって広げると文字が目に入ってくる紙の新聞は言葉が大切にされているように思います。
 リタイアしてから豆本作りを始めました。「エコー」の中に道祖神のお話があったので お地蔵様の本をお送りします。
暑さ厳しい日々ご自愛ください。  平塚市 Tanira

 
北上の今年の夏
 北上も7月25日から連続の猛暑日と熱帯夜。クーラーを設置していない家(わが家もそうですが)が多数ある岩手に
は《とんでもない》夏です。 ガソリンの値段も高騰中。仕方ないので、近場に出かけるときはエアコンを使わず、窓全開
で走っています。ある日「詩歌の森公園」のそばを通った時、ものすごい蝉の鳴き声に驚かされました。わが家の周り
でもたくさんの蝉が鳴くので慣れていますが、これはとんでもない音量、騒音と言ったら蝉には可哀そうだけど、あれは
騒音でした。それもずーっと鳴きっぱなし。おしゃべりもできないくらいの《爆音》でした。
 そういえばオニヤンマもいつもの夏より多く見られます。子供たちは誰も帰ってきません。そんな中でお盆を迎えます。
北上の今年の夏は異常です。  北上市 Watanabe

 
暑くならないうちにお送りを
 昨日、実家の母と孫と一緒に近所のつじにお線香回りをしました。明日で三歳になる孫もちゃんと〈南無南無〉ができ
ました。今日は「送り火」。暑くならないうちに送ってあげようかと思っています。  秦野市 Akemi

 
私の「一寸木さん」は「マスキ」さんでした
 一寸木さんには私も職場で出会いました。「マスキさん」と呼んでいました。同じ一寸木なのに「チョッキ」と呼ぶ姓もあ
ることをこの号で学びました。鶴巻の西光寺の住職の姓は「一(ハジメ)」さんでした。   秦野市 Ooki
 
 
さやかな郷土愛
 三月十二日朝、「天声人語」を読むと、直ぐ都会に住んでいる息子にメールを送信。「「天声人語」に三陸新報のことが
載っていると。私のささやかな郷土愛である。  気仙沼市 Sugawara

 「東地区の地名」 これからが楽しみ
 今号の「東地区の地名・春嶽」は「好字二字令」に由来するとの説明。興味が湧きました。これからどんな地名の話が
聞かれるか楽しみです。   平塚市 Hirakawa

 
「ビューティSEVENS」それぞれの方の活躍ぶりが伝わってきます。
 ◎こちらで買って登録をした車を九州まで届ける。ナンバーを見るたびにふるさとを思い出す。◎清州会議が開かれた
清州城、歴史好きなのでしょうか。◎本格的な庭師、京都のお寺の庭もそういう方が見ると違って見えるのでしょうね。
◎コンビニもいろいろな方が来店するからいろいろなサービスが次々と生まれる。ある意味、時代の最先端のポジション
かもしれません◎息子の彼女がギターを持ってきて歌のプレゼントとは、ドラマの一場面のようです。  
                                                          秦野市 Masahiko

 
煙草の花の気持ちになってしまいました
 「東公民館館報のコラムを担当」……先生の持つ知識と書き手としての暖かさは、このコラムにピッタリのような気がし
ます。先生に依頼された方はすごい。
 今号、葉たばこの花の話とても良かったです。幼ないころ友達の家に行くときタバコ畑の横をすり抜けていきましたが、
花は見たことはありませんでした。そうか、摘み取られたんですね。煙草音頭の「いじらしいぞえ煙草の花は…」全くその
通り、煙草の花の気持ちになってしまいました。
 気温も思ったより早い時期から高く、湿度も高いですね。どうぞご自愛され、無理は絶対されませんよう。武ファンにより
長く〈武節〉が届きますように。  秦野市 Moriyama

 
真鶴町の道祖神めぐり」をしました
 先日、真鶴半島へ旅した際に、道祖神めぐりの散歩コースがあるのを駅の案内所のパンフレットで知り、気ままなひとり
旅だったので2時間かけて7カ所の道祖神を訪ね歩きました。町の中で出会う道祖神は、そこだけ時間が止まっているよ
うな不思議な感覚を覚えました。   秦野市 Itoh


2023年7月5日更新

 
『ECHO』創刊400号に寄せて

 先日は思いがけず、朝日新聞「天声人語」欄に掲載された先生に関する記事を拝読いたしました。「三陸新報の購読」
という先生ならではの被災地支援を続けてこられた実践力に敬服すると同時に、「新聞を通じて人々の声が響き合い、
エコーとなれば何かが変わる」というお考えは、何事にも通じると大変共感を覚えたところです。
 今年は、東日本大震災から12年。そして、関東大震災から百年という節目の年でもあります。秦野市には、 「震生湖」
という責重な震災遺構もありますので、改めてこの機会に災害の歴史を掘り起こし、貴重な教訓として、こだまさせたいと
思います。
 季節の変わり目でもありますので、くれぐれもご自愛いただき、これからも『ECHO』を通して様々な声を響き渡らせて
ください。  T.Maxakazu
           

 「エコー」での邂逅
 思いがけない親族のたよりに邂逅し驚きました。「エコー」400号達成 心からお祝い申し上げます。また朝日新聞の「天
声人語(3/12)」に武先生の偉業が紹介され、大きな反響を呼びました。先生の打ち建てた金字塔は「エコー」の読者みん
なの喜び、真の誇りです。見上げる春の夜空に大輪の大花火がば~っと開き、天地に轟く響きと閃光の美に、私は武先生
を重ねていました。本当に長い年月、ご苦労様でした。
 武先生から思いがけないお手紙を頂き、「エコー」記念号に寄稿した拙文が縁で、思いがけない親族のたよりに邂逅し驚
きました。「摂取の心光」という仏語がありますが、偶然と思えない人のつながりの妙をしみじみと感じました。きっと武先生
の「心光」が春風に乗って関東から北上し、私の故郷、遥か彼方、残雪の陸奥・津軽まで届いたのでしょう。「エコー」のご縁
で、また一輪、春光の中にいのちの花が咲きました。武先生に深く、深く感謝申し上げます。越田清四郎

 :「エコー」を届けているMさんから電話をもらった。その話はおおよそ次のようなものだった。
 「400号の紙上で遠縁の越田清四郎さんに出逢った。津軽での祖父の葬儀のおり話をした記憶がある。その時しか会っ
ていないが名前と書かれ文からあの越田さんだと思う。『エコー』がこんな奇遇をもたらしてくれた。」 
 (越田さんは津軽出身。新聞教育のオーソリティで今は東京人。Mさんも津軽生まれで横浜在住。二人の年齢差は30数年
くらいだろう。越田さんにMさんからの電話のことを手紙で知らせた。)

 
 PTA新聞づくりで張りきっていた妻
 娘が3月12日の天声人語に西中学校時代の武先生が載ってるよと、言ってきました。急いで新聞を買って読みました。
私の家族を紹介します。息子は昭和53(1978)年西中入学、娘は昭和55年西中入学です。妻(博江)は昭和54年頃、PTAの
新聞担当で張り切っていました。その息子は今57歳、娘は55歳になり、妻は10年前亡くなりました、私は87歳になりました。
この話(天声人語に武先生が載ってるニュース)を知って一番喜ぶのは妻だと思います。京都から見知らぬ地に来て寂しい思
いをしていた中で、子供の中学時代が一番輝いていた時代だと思います。妻は私にも武先生の名前をよく言っていたのを聞
きました。この度、息子が東秦野郵便局長さん通じて武先生にたどり着くことが出来ました。これから『ECHO』の購読をよろ
しくお願いいたします。 Ueda 
 ※昭和54年10月発行の『西中PTAだより』第73号の第一面の見出しは「有害図書販売機の撤去を」。この面の責任者はU
さんの奥さんで署名記事を書いている。この年度の『西中PTAだより』は、読売新聞の「首都圏PTA広報コンクール」で最優
秀賞を受けています。


 笊で水を掬う
 60年ほど前、20歳代の私はある電鉄会社で車掌をしておりました。職場の3年先輩から「君はいつも仕事熱心でよくやって
くれているのに、時々〈笊で水を掬う〉ようなことがあるね」と言われたことがありました。〈笊で水を掬う〉は、手間をかけ苦労し
ても効果がない。無駄なことの例えです。初めて耳にしたこの言葉が今でも印象に残っています。
 その先輩は特段命じられたわけでもないのに、私たち後輩の育成に大変熱心でした 。私はその言動に共感を覚え、時々
その人の言う言葉を文章化する手伝いもしていました。そんなこともあってか 好意的な激励と理解としました。 実は私の性
格は、いわゆるうっかり屋さんで、ぽっかりさんの頓馬なところがあるのです。 同じ時刻に業務交代する場面で、上りホーム
へ行くところを下りホームに出場して、他の人の列車に乗り込んでしまったり、当時は車内で乗越し乗車券を発売していまし
たが、釣り銭を余分に渡してしまったこともありました。そんな私へのありがたい警告として受け止めたのでした。 Hirakawa

 迷ったら行動
 「エコー」400号突破 おめでとうございます。 先生との出会いは今年25歳になる息子(娘)と参加した壁新聞作りでした。
その後、市P連活動でもお世話になりました。「エコー」を送っていただくようになったのも、当時子供たちがお世話になってい
た学習塾の先生からの紹介でした。どれも《行動したこと》から生まれた出会いでした。何かに迷ったときに常に浮かぶ言葉
は『動かなければ出会えない』です。そして「迷ったら行動」を心掛けています。素敵な言葉をありがとうございました。  
                                                                     Kazumi

2023年4月5日更新
  
『ECHO』400号に寄せて

 400号 読みごたえのある内容でした。ありがとうございます。38年! 先生の熱意に敬意しかあり
ません。辞めたいと思われたことはなかったですか?今日3月12日 朝日新聞の「天声人語」に『エコ
ー』のことが記事になっていましたね。244人の読者その1人であることが誇らしい。と夫がつぶやきま
した。これからも楽しみにしています。    Masako

 こちらでは 「コロナ、コロナ」で公民館が使えず楽しみだった短歌会も解散となり、バスの中には 「会
話はおつつしみください」の札が未だに貼られたまま、人との会話はほとんどなく、未だに寂しい日々
を過ごしています。そんな時、送られてきた『ECHO』に一条の光をみたような気がしました。「これで
はいけないこんな素晴らしい世界があるではないか」と、励まされました。
 もう春です。赤城山の雪も融け福寿草の花も咲き始めました。私も何か目標を見つけて頑張っていき
たいと思います。有難うございました。    Shizuyo

 教員生活を始めたときから『ECHO』を
 記念すべき『ECHO』400号をお送りくださり誠にありがとうございます。教員生活を始めたときから
『ECHO』を読ませていただきました。文を書くことが苦手な私を新聞委員会の顧問としてもご指導いた
だいたこと、勉強になり感謝いたしております。
 先生の「動かなければ出会えない」「語らなければ広がらない」「聴かなければ深まらない」という言葉
を身を持って体験させていただいたと実感いたしております。健康にご留意くださりこれからも『ECHO』
を通して私たち後輩をご指導くださいますようお願い申し上げます。     Hiroyuki

 これからもずっと応援させてください
 『ECHO』400号 おめでとうございます。先生の暮らしぶり、見事です。《まばゆい》です。38年間こう
して継続できたのは、きっとA子先生がいつも傍らで支えてこられたからでしょう。
 400号に「私が出逢った言葉」を発表された皆さんの言葉はどれも《感動》です。言葉はたくさんあり
ますが、その中からその人の心に刻まれた・突き刺さった言葉は、日時・場所など全てがタイミングが
ぴったりとその人の気持ちにはまったのでしょう。偶然じゃなく、必然の言葉との出逢いだったのです。
 ネガティブで弱虫な私は、年老いた今も出会った言葉を大学ノートに書いたり、貼りつけたりして集め
るのが好きなんです。そのノートの表紙には黒のマジックで「生きるも日常 死ぬも日常」「苦しいとき笑
える人間の豊かさを」「自分に起こるのはすべてベストと思え」と書いてあります。自己満足のノートなん
ですけど。『ECHO』が届くたびに、人間の生きる喜びや苦しみ、嬉しさや悲しみを汲みとっています。
そして同時にいつも発見(学び)がそこにあります。だから私は今も昔も、ずっと「エコー」のファンです。
これからもずっと応援させてください。学んでいたいです。    Kazuko

2023年3月1日更新

 人は言葉で生きている
 東京新聞に15年間在席した間に聞いた「新聞紙上には解決の難しい課題が山積している」という記者
達の言葉は、教育現場しか知らない私にパンチを食らわせた。再就職した現場が新聞社だったというこ
とが現在の私を創ったのである。 
 あの15年間がいかに貴重な体験であったかを私はしみじみと思うのである。「新聞で新聞をつくる(スクラ
ップ新聞)」これが私の仕事であった。簡単に「新聞の記事をスクラップし新聞をつくる」というが、児童生徒
はまず新聞を自分のテーマに則しよく読まねばならぬ。そして考え、企画する力が要求される。関東平野の
各地の児童生徒と新聞を読み、新聞を作ることができたことは嬉しいことであった。
 新聞社は言葉で生きている。世界に呼びかけることができる。平和を叫ぶことができる。言葉の持つ意味
は広く深い。「言葉は恐ろしい」と思うときもある。最近歴史や地理に私がいかに疎いか露わになりかなり衝
撃を受けているが、人間の一生は学習の連続だとも感じ入っている。今、自分の考えを日記代わりにエッセ
イ風に書き綴っているのもこの体験によると思う。生涯学習とはこういうものだと思っている。
 「エコー」400号、日本中を探してもこんな快挙はないと思う。武さんと読者が言葉で固く結ばれたからここま
で来た。うれしいことであるし感謝の気持ちもわいてくる。武さん夫妻にもろ手を挙げて言おう。
 400号おめでとう!!   横山健次郎
               
 記念すべき「エコー」400号をお送り下さり有り難うございました。三十八年間もの長きにわたり続けていらっ
しゃるという事は大変な偉業と心から感動いたしております。  田中 芳美

 「エコー」400号発行 おめでとうございます。「継続は力」私の一番足りない部分です。 稲葉 榮次

 昨年からマンションのグリーンクラブに入り庭木の手入れをしています。剪定バサミをサックと入れた時、周り
の草をスポッと抜く瞬間が気持ちよく、ストレス解消になっています。 「エコー」400号なんて……素晴らしい!   
                                                  倉田恵里奈


 落花生の栽培は「おいしくない」
 落花生は茹でても炒り豆にしてもおいしい。小動物も好物のようだ。その対策として周囲に糸や針金を何重
にも張る。時にはネットで囲んで下の部分を地中に埋める。8月上旬、この作業は幸い。収穫して9月中は雨
を避け、天日干し。10月上旬、なんとか昨年も少量だがJAへ出荷することが出来た。体力は少しずつ低下し、
夏の気温は上昇する。ここにきて資材や肥料の価格が高騰。自然や社会、自分自身の変化に対応して、栽
培を継続することが年々厳しくなっている。
  さまざまな試練を乗り越え、その継続を達成されたエコー400号に心よりお祝い申し上げます。 安田 政敬
 
近所7軒で道祖神を守っています
 無沙汰いたしております。先生には9月に入院されたとのこと、驚きましたが「エコー」の発行は遅れることに
なく、晩酌も楽しまれているご様子で嬉しいです。小生もこの1月には後期高齢者の仲間入り。病院の診察券は
5枚、知り合いとは病気のことで話が盛り上がるこのごろです。先生が元気で活躍されていることを見習わなく
てはいけないと思っております。
 道祖神の調査で玉川を来訪されたのは、2015年6月10日でした。小生宅の近くの道祖神はさらに劣化が進
んでいますが、1月14日のだんご焼きを近所7軒で行い道祖神を守っています。 佐藤 良市

  時が駆け足で過ぎ去っていく感じです。そう思うのは「感動する心が欠けてるから」と『チコちゃんに叱られまし
た』時どき湘南平を歩いています。   井澤 堯司

 毎月の「エコー」ありがとうございます。壁新聞作りでお世話になった子供たちもそれぞれの道で頑張っていま
す。下の娘は4月から社会人です。12年間続けてきたフラメンコ。昨年末の発表会で初めて大きなミスはなく踊
ることができ、とても嬉しかっです。コロナが続く中、母の介護のため自己防衛するしかないのが辛いです。こど
もたちの声が恋しい…。                                      下村由紀江

 ご無沙汰いたし申し訳ありません。5月で定年となります。ストレスもありますが、外で仕事をしていると元気で
いられると思い、もう少し介護の仕事を続けたいと思っています。先生ご夫妻がますますお元気でお過ごしくださ
いますように。   見留 清子

 戦争がない世に
 一人暮らしの生活にやっと慣れました。自作の米一合五勺に玄米と古代米(友人より譲渡されたもの)を少々
混ぜ炊いています。汁物はだしの素・つゆの素を活用しています。戦争が終わり、戦争が起こらない世の中にな
ってほしいと願っています。ミサイルを理由に不安を煽って、防衛費を増強しているような気がします。  大木 伸男

 
 このおばちゃん あなたが怖いんだって
 まだ暗いうちにゴミ出しに行った。車から投げ捨てられたような袋があったので、しゃがみこんで片付けをして
いた。すると突然、私の脇で黒いものが動いた。「わっ」と悲鳴に近い声をあげた私。犬だった。2㍍ほどのリー
ドの先に一人の女性が立っていた。
 その人は私に向かって「大丈夫です。慣れてますから」と明るい声で言う。冗談じゃない、と思った。それで「あ
なたは慣れているから大丈夫でしょうが、私はあなたの犬に慣れていない。それに、私は犬 苦手なんです」
「大丈夫ですから」そう言いながら、彼女はロープを引くが、思うように犬を手練り寄せられない。ようやく手元に
引き寄せた犬に向かって、その人はこう言った。「××ちゃん、(犬の名前だが忘れた)、このおばちゃん、あな
たが怖いんだって。変な人ね。さあ、行きましょ」
 〈犬好き〉には「犬が苦手」という人は奇異に見えるだろう。人は〈さまざま〉なのに。   
厚子

2023年1月5日更新
                                           2023(令和5)年元旦

                               
 
                          


 十八年のつながりに感謝
 『エコー』 毎号楽しみに拝読いたしております。
 先生が紡がれてきた人と人とのつながり、そしてそれに関わる先生の言葉に感銘を受けております。
振り返れば、私も平成十六年から三年間教育委員会生涯学習課に勤務していたときから十八年のつながりをいただ
いております。さてその私ですが、退職後のY町教育委員会での勤務も五年目になりました。今年度から、町は「0歳か
ら15歳までの一貫教育・保育」に取り組んでいます。昨年度は小学校での訪問指導・助言、「0~15」の基本方針の策
定や四年生の社会科副読本の全面改訂など、形に残る仕事に携わることができました。
 わずか三年間の生涯学習課の勤務ではありましたが、この間先生からいただいたご指導を、今も生かすことが出来
ることを感謝いたしております。年五回発行の「教育委員会だより」も引き続き担当いたします。目下12月号の発行に
取り組んでいます。これからもご指導をよろしくお願いいたします。  恵美子



2022年5月5日更新

              
                             「気仙沼市復興祈念碑」 
                      返ってきたエコー・小野寺孝之さんより届いた絵葉書


  語り継ぎたい「津波が起きたら命てんでんこ」
                                                        村上 典子

 私は昨年朝ドラの「おかえりモネ」の舞台にった気仙沼の《亀島》と呼ばれた大島に住んでいます。平成23年3月に発
生した東日本大震災から11年を迎えましたが、今もあの日の光景がいろいろな場面で浮かんでくるのです。一人ひとり
の心の中には言葉にできない様々な思いがあり、お互いに震災を語ることはありませんでした。
 今、当たり前に暮らせる幸せの中で3月11日を思うとき、たくさんの方々が被災地に寄せてくださった温かいご支援や
励ましに感謝の気持ちを忘れることはありません。ライフラインの全てを失った50日余り、電気、水道が復旧して、初め
て生かされていることに気づいたのてした。
 陸の孤島であった大島も平成31年4月7日に、島民の50年来の悲願であった本土と結ぶ気仙沼大橋が開通。通勤、
通学、通院など全ての生活の足となっていた大島航路は閉じられましたが、玄関から15分で市内に買い物に行けるよ
うになりました。高齢者多い大島も救急車で市内の病院に搬送されるという安心も得られました。時間に束縛されず車
で自由に行き来できるようになったのはメリットですが、30年余り地元民に愛されていた小さなスーパーは閉店、島の人
たちのコミュニケーションの場でもあった定期航路の廃止で地域の人々の関わりが薄れてしまったのは寂しいことです。
震災前の島の人口は3500人ほどでしたが今は2200人台まで減っています。この10年間で大島大橋の架橋、三陸沿岸
道の全線開通などがありましたが、車社会にどのように対応出来るかが私自身の課題になりそうです。
 大津波を体験した年代の人たちがいなくなり、震災の怖さ、苦しさ、悲しさを知らない子供たちに語り継いでいかなけれ
ばいけないこと「津波が起きたら命てんでんこ」。そして大島で尊い命を落とされた方が31名もいらっしゃったことを。
                                                               

 8年間お世話になつたお礼に広報委員を
 子どもたちが8年間お世話になつた中学校。先生方・子ども達・地域の方など皆さんのご指導ご協力に感謝したいと思
い広報委員に立候補。そして武先生の力をお借りして広報紙を発行することができました。最終号では、子ども達の青
葉から日々頑張っている先生方の素晴らしさを皆さまにお伝えでき大満足です。
 広報づくりが楽しかつたという想いと、委員長としては国語力がなく表現方法・言葉の使い方など間違ってしまったこと
もあり、私より博織の方が委員長をなされたらもっと良いものが出来たのでは、と申し訳ないという想いが入り混じってい
ます。 武先生、先生が元気でいらつしやつて本当に良かつたです!  美穂子


 得た情報を自分の立場で考える
 コロナは衰える様子もなく、毎日発表される新感染者の数字にも麻痺しています。何千人と新しく感染しているのに、数
字が少なくなつていることで満足しているように見えます。秦野市も一桁になつたり数十人という数字が出たり、保健所の
混迷を表す数字が出たり、大変なところは大変なはずなのに、世間的には落ち着いてきてしまっています。
 同じことはウクライナ・ロシア戦争でも言えます。大変なことが起きているのに、それを実感できない。遠いよその出来
事としか感じられていません。停電騒動も同じで、このままでは停電せざるをえなくなる、ぜひ節電を進めてほしい、と大臣
が呼びかけてもどこ吹く風。学校でさえ節電しましょうという声掛けがなされていません。テレビ局や大企業は対策をしてい
ますという姿勢を見せていましたが……。情報をただ見開きするのではなく、自分の立場で考えること、これが大事だと思
います。   雅彦


  「三種の神器」は肥後守
 三種の神器と言えば「やたのかがみ・くさなぎのつるぎ・やさかにのまがたま」。それにあやかって色々の三種の神器が
登場してきた日本。「テレビ・冷蔵庫・洗濯機」から「カラーテレビ・クーラー・カー」。このごろの女子高生は「ライン・ゲーム
・ツイッター」が〈三種〉とか。孫によると、今どきの子供の三種の神器は「ケイタイ・スイッチ・タブレット」らしい。 
 私の子供のころは「肥後守(ナイフ)・ベーゴマ・メンコ」。遊びやイタズラの数々は肥後守から生まれた。武先生の竹やぶ
から竹を切り出し、釣り竿にして金目川で釣りをした。蓑毛のマス釣り場から逃げだしたマスを釣り上げようものなら、まる
で鬼の首を取ったかのような大騒ぎ。蛙やザリガニを解体したのも肥後守。教室ではエンピツを削り、机の蓋の裏側に自
分の名前を彫り込んで、先生にひどく叱られた。
 学校で肥後守を持つことを許されたのは小学校二年生くらいからだったように思う。露木商店や中村屋でも売っていた。
肥後守を一丁手にすると、子供から少年に昇格したような誇らしさを感じた。
「ナイフは危ない」と教室から遠ざけられた今、小学生はおろか中・高校生もナイフでエンピツを〈まとも〉に削れない。指は
第二の頭脳と言われるように、手を使うことは考えること。肥後守を使ってものを作ることは、創造すること。ものを作ること
は人間だけが持てる〈楽しみ〉であり〈喜び〉である。  成富


 頑張ります 三年目の広報 
 今年度も広報委員長をすることになりました。三年目です。副の植草さんも三年連続です。頑張ります。
 コロナ禍二年目の昨年度は、一年目より活動がむずかしかったです。〈まん延防止〉で学校行事などが直前に中止にな
ったり、急遽新しい行事が入ったりで、企画を変えるのは大変でした。今年でコロナ禍は三年目です。全校児童の半分(P
TAも同じ)は、恒例の学校行事を体験していないし、体験していても、そのことをかなり忘れてしまっているという現実があ
ります。それで、先生方から「P広報でいろいろ記事にして保護者・児童に伝えてほしい」と頼まれ、今担当の先生方と広報
が取り上げる記事の相談をしています。広報が学校から頼りにされていることは嬉しいですが、責任を感じています。武先
生にお会いできる環境になることを願っています。その時はご指導よろしくお願いします。  有美
                 

  「日本農業新聞」紙上で見つけた言葉
 『エコー』390号に教え子のこと(朝日新聞に登場された記事のこと)が書いてありました。日本農業新聞の4月15日号の『
トップに聞く』欄に「JAはだの」の宮永組合長のインタピー記事が掲載されていました。
  「JAのかじ取りで大切なことは」の問いに、「結集と総合力の発揮を常に考え、中学校の恩師の言葉〈動かなければ出
会えない。語らなければ広がらない。聞かなければ深まらない。〉を実践している」とありました。直観で武先生の教えだと
思いました。先生の教えが何十年も生き続け、実践されていることは本当に素晴らしいことだと思います。 伸男


2022年1月1日更新
 

 短歌 「フクシマは福島に戻らず」
 武先生の短歌や俳句が神奈川新聞の歌檀・俳壇に掲載されます。東北地方の詠み込んだものが多いような気がしました。
それだけ調査やPTA活動を支援されてきたことだと思いました。
   「フクシマの今」を十年詠む人の言う「フクシマは福島に戻らず」
 この歌が掲載された時、福島県双葉郡の富岡高校のことが頭に浮かびました。放射能汚染で高校の存在地周辺は避難
地域に指定され、何年も入場が許されませんでした。一時復帰が許された時、先生方は校舎を見回り、校庭で校歌を歌い
だしたそうです。
 神奈川県の県立高校の同窓会で青春校歌祭と称し校歌を歌うつどいを開催しておりました。その準備会議で富岡高校と
一緒に歌うことはできないかと提案があり、招待することになりました。その時富岡高校の先生が「一日も早い復帰・再開を」
と話されました。しかし、現実は避難先での授業や新入生の受け入れ中止が続き、閉校になってしまいました。「フクシマは
福島に戻らず」の歌と富岡高校のことが重なりました。     伸男

  道祖神の講座 楽しみました
 先日は「道祖神ワンダーワールド」に連れて行ってくださりありがとうございました。始まる前、眠くなったら? と思いました
が、出だしの「道祖神」の『道』の話ですっかり引き込まれ、講座を楽しませていただきました。秦野は道祖神が多いことも初
めて知りました。さっそく戸川の県下最古の道祖神を見てきました。今から三百五十年も昔の人たちが、地域の幸せを願って
造立した像と思うと、何かロマンのようなものを感じました。   晶子



2021年11月3日更新

 台湾の授業をオンラインで
 お元気ですか? コロナ禍で不安な世の中ですが、エコー新聞が届く度に毎回先生と笑いあったことが思い浮かびます。
娘の近況報告です。長女の桜子は昨年度秦野高校を卒業し、台湾の大学に進学することになりました。四月月から3ヶ月間、
茨城県にいき、中国語の勉強をしてきて、今週からオンラインで授業を受けています。ビザがストップしていたのですが、よう
やく動きだし、今月15日に渡航が決定しました。行き先は高雄です。  
 台湾に行っても2週間の待機、そのうちの1週間は寮で、監禁生活?みたいです。授業は全て英語ですが、いろいろな国
の子がいるので、ラインや通話をして毎日だれかと話していて楽しそうです。今は台湾の授業がオンラインできけたり、気楽
に会話できたりするのでビックリしています。
 秦野市はワクチン接種が遅く、秦野市はもちろん、文科省、自衛隊と問い合わせましたが、どこもだめで、結局間に合いま
せんでした。他の県や市の子たちは打てているのに。もっと必要のある人から打たせてもらいたかったと思います。まぁ、これ
からの4年間無事に楽しく過ごしてもらいたいと思っています。
 次女は高校三年生で受験です。小学生のころのまま、なにも変わらず… 大学はAIをつかって目の不自由な人や高齢者の
手助けになるロボットをつくったりしたいそうです。なんだか色々考えているようですが、気弱なので(笑)、早く大学決まるといい
のですけど。早くコロナも終息し、またお会いできることを楽しみにしています。
 お身体に気をつけて、ずっと元気でいてくださいね。奥様もお元気でしょうか? よろしくお伝えください。  香


 花巻東高出身の大谷選手と菊池選手
 花巻東高校は今年は甲子園に行けませんでしたが、大リーグで活躍している大谷翔平選手のニュースが嬉しいです。菊池
雄星選手は投手専門なので大谷選手ほど話題になりませんが、彼は岩手県の小中高に本を寄贈し「読書感想文コンクール」
を開催しています。うちのそばの小学校にも今年も本が届きました。「考える力は読書から」という菊池選手の言葉は印象深い
ものがあります。  渡辺 知子


 煙草煎餅
  「秦野のおはなし」、亀本の煙草煎餅のこと。全く知らないことを教えていただきました。わが子三人の結婚式の引き出物
にこの煎餅を添えました。我が家にとっては掛け替えのない品物でした。亀本さんのお店がまだ駅前にあったころ、先代のお
ばあちゃんが着物姿でお店番をしていらっしゃって、煎餅を買いに行くと《訳あり》の煎餅をおまけにくださった嬉しさを今も覚
えています。「エコー」の記事が、その嬉しさをよみがえらせてくれました。ありがとうございます。   畠 和子

 秦野に嫁いで27年になりますが、「煙草煎餅」を知りませんでした。「ECHO」を読みとても興味を持ちました。煎餅に短歌が
焼きこまれている、材料にもこだわって蜂蜜も地元産。さっそく「ショッピングセンター」に買いにいこうと思いました。教えていた
だいてありがとうございました。   浜野すみ江


 平川さん武さんの文から昔の秦野を懐かしく回想しました。また「煙草煎餅」に短歌が書かれていることを初めて知りました。
武さんの調査の緻密さに感動いたしました。  志村 良江



2021年9月25日更新
    
秋ですね
  
        
 
 秋ですね。急に涼しくなりました。四月から千葉で過ごしています。お姑さんの支援をしながら、実家の手伝いもしています。壁新聞展示会 
千晴の新聞も展示してくださりありがとうございました。「緊急事態宣言」で県境を越えられず残念でした。先生にお会いできる日を楽しみ
に、もうしばらくがんばります。我が家の味を写真でお送りします    佳代子
  

 8年勤務した会社を退職

                     
 オリンピック開催まであとひと月ほど。偶然にも、オリンピック開会式の7月23日は私の52回目の誕生日。今年の誕生日はどんな一日になる
のか・・・。自分の誕生日にこれほど世界中の平和や安全を願う年は後にも先にもきっとないでしょうね。
 さて私事ですが、6月4日で8年勤務した会社を退職しました。「会社と家の往復」の生活となってしまったことにふと気付いたのです。その違
和感が日ごとに増し「このままの生活で本当に良いのか?」という疑問と向き合った結果の退職です。
 退職したらやりたいことがあったので時間を持て余すことはありませんでした。まず「フードバンク」のお手伝いを始めました。以前からお手伝
いをしたかったのですが時間が合わずやれず終いでした。ようやく時間と手が空いたので、手始めに毎週火曜日に食材を受け取りに来られる
病院の患者さんの対応をさせていただいています。また「箱根・小田原ファーム」の畑作業も手伝っています。先日は自然薯の畑の草取りを行
いました。
 6月11日から新しい仕事も始めました。大学での清掃業務です。週4日、朝8時~12時、教室、担当階の男女トイレ、廊下や共用フロアを主に
掃除します。定期的に食堂や風呂場も。あと「金トレ」といって、月1回ですが金曜日に外トイレの清掃を順番に行います。初め「筋トレ」だと思い
「掃除をするのに筋力つけるのか!」と思ったのですが、「金曜日のトイレ」と聞かされ思わず苦笑い・・・。4時半起床。ひと通りの家事をこなし家
族それぞれが出かけた後に家を出ます。出社して朝一番にラジオ体操をして作業開始。まだ要領がつかめず、ほぼノンストップで4時間動いてい
ます。終わる頃には汗びっしょり。職場で2番目に若いらしく、なのに周りの方々はシャキシャキ・テキパキと、若い私が後から走ってついていく始
末です(大汗)。 そんな私ですが、自在ほうき、モップの使い方はOK!と合格。モップのかけ方一つで時間を有効に使えるんだいうことを実感。
掃除もなかなか奥が深いです。
 少しずつ学生さんが登校し始めていますが、リモート授業がまだ主流のようで、今の掃除業務は「まだまだ序の口」だとか。学校が通常の生活
に戻ったら毎日ヘトヘトになるみたいです。でも、学生さんと挨拶を交わしたり、陸上部やラグビー部などの朝練のようすを見ることができたり、
という新しい生活環境を喜んでいます。人肌を感じることができる処で仕事ができるのは幸せなことです。     安田 奈々 
  
 
 
沖縄の不発弾処理                 
 7月4日の「目撃にっぼん」は不発弾処理にかかわる話だった。76年後の現在でも沖縄には不発弾が埋まっているのだ。不発弾を処理している
人物が戦争は決してあってはならないと何度も語っている。昔は一人ひとりであったが、科学の進歩とともに武器は不気味なものへと変わって
いった。これから戦争が起こるとすれば、常に人類滅亡の危機を伴う。21世紀とはそんな世紀なのである。確かに沖縄は日本に復帰した。それで
佐藤総理は平和ノーベル賞を受賞した。だが本当の沖縄が帰ってくるのはいつの日であろうか。この不発弾の処理にこれから何十年もかかると
言う現実に戦争の悲惨さを感じないではおれぬ。
 私が沖縄を訪問したのはまだパスポートが必要な時代・昭和41年のことである。昭和が終わり、平成が終わり、令和の時代に入っているが、沖
縄の基地は依然として沖縄県民を圧迫している。辺野古の基地はいつできるか想像もできない工事である。いつまで沖縄に基地を押し付けるつ
もりなのか。そして思うのは、沖縄の基地は日米同盟のもとにあると思うが本当に必要なのか。日本を守るという点に絞るならば、沖縄だけで守
るというのはおかしいのではないか。不発弾に象徴される沖縄の現状は政治の貧困であり、本土にいる我々の責任でもある。日本を守るという
事は日本人すべてに責任があると考える。     横山健次郎


 
もう三歳児ですって
 私 二歳児になってしまいました。三歳児ならもう少し動けるのに。家の中で車椅子の高さの範囲でしか物事ができなくなりました。95回目の誕
生日も祝う気持ちにはなれません。人間の体ってこんなに情けないものだったのでしょうか。八十代の元気な体はどこにいってしまったのでしょう
か。 でも二歳児は二歳児なりに生きなければと思うのです。その二歳児にできることは何でしょう。
 ・ヨチヨチ歩きをする  ・食べる  ・鉛筆で落書きする この三つを目標としましょう。
 四か月の入院生活を終えて家に帰ってきたのですがこんな気持ちです。武先生に私の今の心境を聞いていただき明日から元気を出して生きま
す。追伸 「私 二歳児になっちゃった」と長男に訴えたら、「二歳児はそんなにしゃべれないよ」と言うのです。そうです、私 もう三歳児になってい
たのです。    杉山 妙子


 兄の逝去をうけて 
春疾風 
 伝へたきことは遺して花万朶      
 哀しみの充ちて満開溢れて落花
 春惜しむ兄愛用の蔵書印
 渾身の力で黄泉へ春疾風   
 通夜・告別式の前後に詠んだ句です。人様に披露できるようなものでないお恥ずかしいものばかりですが、これも一つの供養として亡き最愛の
兄に捧げたいと思います。なお、自らの手術と兄の急逝とが重なって、呆然自失。コロナ禍で仕事や会合がほとんど無くなったことの心理的影響
もあるのでしょう、己が人生からの退場も視野に、これからの余生をどう過ごしたらよいかなどつい考えてしまいます。
 世の中の動きを眇めに眺めやるだけでなく、例えわずかでも社会貢献ができる余生を送っていきたいと念じているところです。    吉成 勝好

                
 宿 題
 小学校五年生頃のことだった。夏休みの宿題の図画が返された。裏側の名前の下に最低点〝D″が赤鉛筆であり、「最後までしあげて」と流れる
ような字がそえてあつた。
 まもなく夏休みが終わるというのに、まだ図画の宿題ができていない。なんでも姉と相談しているので、これも姉に頼ろうと思っていたが、しそび
れていた。
 母親がわりの伯母に話すと、ズイキの束を買ってきた。スイカやマクワウリを考えていた私達はがっかりしたが、伯母は、とても機嫌がよい。仕方な
く描き始めた。絵の得意な伯母は、時々のぞいてはあれこれ教えた。友人は勝手に筆をすすめているが、私は伯母の言うとおりにした。ズイキは描
き上がった。バックを何色にしようかと友人に話していると、伯母は「そんなとこに色つけてどないしまんねん」と、びっくりしたように言う。「ぬった
方がええと思うわ」と言うと、友人がうなずいた。「てんご言いなはんな」と伯母は笑って諭す。自信のある顔つきなのだ。それもそうだ。伯母が若
い頃に描いたという絵を思い出すと周りが白い地のままだ。
 「良うでけてる」という伯母のことばを信じて四つ切りの白い画用紙に、根元が黒みがかった赤紫色のズイキだけを描いて提出した。その評価が

れ。先生に未完成品と思われたのだ。伯母に何か言いたかったがやめた。バックをぬって出すのもよした。日本画を描いたことのある伯母がこれで
良いと言ったのだから。 プールの土手に咲く鮮やかな紅色のカンナが目についた。何日か前の台風で右左にのしかかるように倒れている。あれを
描こうと放課後運動場に出た。日ざしの強さに思わず手をかざして見上げると、空いっばいに鰯雲が広がっている。バックはこれだ、と思った。 
                                                                                                         大島 睦子

 
感動のパラリンピック
 パラリンピックを観て、パラ競技の競技性の高さ、練習を重ねた結果のメダルを取られた選手のすばらしさに感じ入っています。
 視力がないのに、サポーターが付いているとはいえ全力で走り切る力、義足や車椅子をからだの一部とし、よりすばらしいパフォーマンスを見せら
れた力、どうして座ったままで3ポイントシュートが打てるのか。 ましてやからだとからだがぶつかることを恐れずに取り組むバスケット、ラグビー。ど
の競技も障がいという壁を超えたスポーツ競技の一つになりました。    三嶽 雅彦


 
 「おやじのたまり場」で楽しんでいます
 8月29日の神奈川新聞の「俳壇」に先生のお名前を発見し、とてもうれしく思いました。「エコー」にしても俳句にしても、先生がお元気で活躍され
ていることを知り、私もがんばらなければと思っております。
 今、私は館長時代に立ち上げた地域のサークル「おやじのたまり場」の一員としてボランテイアやサークル活動(高齢者の部活動のようなもの)を
しております。地区内の自治会館や小・中学校の環境整備のボランティアは、このコロナ禍で活動は休止していますが、「郷土史」と「川柳の会」で
仲間と楽しく過ごしております。 「郷土史」の方は、月一回リモートで私がプレゼンをしています。11月にもミニ講座を担当する予定で、「『鎌倉殿』が
活躍していた頃の愛甲郡は」というテーマでパワーポイント作りをしています。川柳の会は、私が編集長となり、句集を月一度のペースでメンバーに
配信しています。
 最後に「おやじのたまり場」のPRをさせてください。それは、我々の会でHPを立ち上げています。「ここが良いよ、森の里」で検索していただけると
見られると思います。その中の森の里や周辺の歴史については私が書いたものをアップしています。「人生百年時代」といいます。先生もまだまだ
これからです。先生の後ろ姿を追いながらがんばっていこうと思っています。     三橋 敬司


 8月29日の神奈川新聞「俳壇」   汗の首捻じ曲げ蛇口噛む如し  
 「次点」おめでとうございます。情景がうかびます。かつてはそうやって水をのんだものです。ベッドボトルなど無い時代。今や水道はレバー式。学
校ぐらいでしょうか、ひねる栓は。    木口まり子

 今週もあるかなぁって探していたら、なんと上の段で発見しました。 おめでとうございます。 小学校の校庭にあった水道の蛇口が浮かんできま
した。     相原 明美




2021年7月25日更新

 コロナ禍 会員に応えるPTA広報を目指しました
 私のPTA活動はほぼ広報で、下の子の義務教育最後の年に広報委員長になったのも何かの
縁かもしれません。
 コロナの影響で新年度から長期休校を余儀なくされ、PTA活動も軒並みストップする中、
広報委員会だけは普段通り活動できたことは誇りに思います。学校も生徒も保護者もみんな不
安な中、PTA広報紙にはどのような役割があるのか、もし学級懇談会があったら保護者は何
を知りたくてどんな悩みを吐露するのか。そんなことを考えながら少数精鋭の仲間たちと企画
を立て、役割分担で作業を進めました。
 トップページに青空と校舎の写真を載せ、上を向いて進もうというメッセージを込めたこと。
慣れない「リモート朝の会」や授業動画の配信など、試行錯誤しながらも生徒たちをサポート
したいと奮闘する先生たちの様子を保護者にも伝えなければと思ったこと。新しい生活様式の
下、体育祭や音楽祭など工夫しながら実行していった生徒たちの想いをどうにか伝えたいと考
えたこと。現場で取材ができない分、インタビューやアンケートを通じて、よりリアルな姿を、
などと思い、編集に取り組みました。
 メンバーはみんな積極的で、仕事が忙しくても土・日に公民館に集まりました。SNSで頻
繁にやり取りをし最後まで頑張りました。全国コンクールでの入賞はそのご褒美かもしれません。
                                       Rie

 
優しい言葉
 ECHO ありがとうございます。自分から「動かなければ出会えない」ことを実感してい
ます。「椿」の話で思ったこと。人はだれかと話したいし、 優しくされたいです。ほんの少
しの
優しい言葉で人は幸せに生きていけると思います。私も大勢の優しい言葉にささえられ毎日を
幸せに暮らしています。他の人の幸せを感じ 一緒に生きていきたいと思います。 人との出
会いは運命とも思っています。先生との出会いに感謝します。これから父の書き綴ったノート
をじっくり読みたいと思います。  Fumie

 初心を忘れずに進んでいきます
 「成人の日」先生と一緒に写真を撮っていたとき、先生の指導で壁新聞を作ったことを懐か
く思い出していました。新聞づくりは楽しかったし、特に新聞が完成した時の喜びは今も忘れ
られません。四月から一社会人として、新しい生活をスタートさせます。環境は大きく変わり
ますが、初心を忘れずに進んでいきます。また家族や今までに出会った皆さんとの繋がりも大
切にする生活をしていきたいと思っています。これからもご指導をお願いいたします。  Mimi
        
 
わが子にも届いた応援の言葉
 もうすぐ桜が咲きそうです。エコー377号の「日本中の受験生をみんなで応援しましょう」
との武先生の応援の言葉 わが子にも届きました。ありがとうございます。先生の壁新聞づく
りに参加した次女が四月から大学生です。  Kayoko

 きょう卒業式 「この日が迎えられてよかった」
 今日、娘が大学の卒業式を迎えることができました。
 朝が早いので、昨夜ホテルに泊まり、ホテルで着付けをして、会場の武道館に向かいました。
 私は、ここで「じゃ、ねー」と、バイバイでした。そしてライブ配信を見て卒業式に参列しま
した。
 あっという間に卒業、コロナでどうなるかと思いましたが、無事にこの日が迎えられてよかっ
たです。  Akemi    ※卒業の佑美さんも小学生のころ壁新聞づくりに参加

 
もう十年? まだ十年!
 東日本大震災から「もう十年? まだ十年!」 これから何十年先、孫たちの時代になっても
汚染水、核燃料の処理が行われているのでしょう。双葉町、大熊町、浪江町の人たちは古里に帰
ることができるのでしょうか。
 昨年の秋、国道6号から114号を車で通ったことがありました。浪江町の鹿島辺りは、各家
の敷地の出入り口にバリケードが張り巡らされていました。
 私の地域のモニタリングポストの数値は0.11~0.13と言っても、あまり関心がないか
もしれません。2月13日 3月20日の地震は東日本大震災の余震で大きく揺れました。これからも
このような余震がおこるようです。  SAyuri

 明日は3月11日。あの頃を振り返り、今も続くコロナのことを考えると、今のささやかな暮らし
がかけがえのない大切なものと気付くのです。何も出来ません私ですが、せめて祈りたいです。
                                        Masako

 秦野の風景点描
 友人から頂いた大根と葉ニンニク、食べきれない分は畑に埋けおきましたが、鹿に掘り返され大
根は食べ散らかされていました。今年も野菜は期待できそうもありません。昨年、鹿対策で金柑と
イチジクを住まいの近くに植えました。今朝起きてみると五、六個実をつけていた金柑の一つが鳥
に食べられたようです。やはり今年も《生存競争》は続きそうです。
 昨年に引き続きコロナの異変種も心配です。ところが、土日ともなると道路はお出かけの車で渋
滞が当たり前になり、国の自粛要請は掛け声だけの現実となっています。そんな中で秦野でもワク
チン接種の情
報が流れていますが、実際に私たちに接種が始まるのは当分先のことになりそうです。
 例年よりも早めに桜の開花予想が出ています。しかし、「今年の花見は自粛する」との声も多く
聞かれます。私も庭の枝垂桜のつぼみを見ながら「ここで〈ひとり花見〉をしようか?」と思った
りしているのです。
 ずいぶん前、その枝垂桜の下に小さな池を作りましたが、ここ数年ヒキガエルの産卵場所として
占拠されています。三月十三日ころから細長いゼラチン状のなかに・・・・と黒い粒が並んでいまし
た。春が来たことをこんな風景の中に感じているところです。  Shigehiro

 げに有り難きは女房殿
 手術後3週間が過ぎ、当初後遺症かもと思われた足のふらつきや頭深部の疼きもおおかた去り、
何とか日常生活を営めております。それでも日課にしている徘徊(ウオーキング)には、女房が付
いてきて、何やかやと注意(叱り)をしてきます。武さんの農作業でのご様子も同様でしょうか。
「げに有り難きは女房殿」です。   Katsuyoshi

 
主婦見習い中ですが
 働き者の〈主夫?!〉が脚立を踏み外してアキレス腱断絶。そんなわけで〈主婦見習い中?〉がいき
なり実習になり、語るも涙? (聞けば笑い!)の毎日です。そんな私でも、動けない主人には必要な
ようで「有り難う」など感謝の言葉をもらっています。「役立たない妻」で一生が終わらなくて良か
った、怪我をしてくれて良かった? と思ったりしている今日この頃です。    Kayoko           

 北上だより
「ばさま まめでだが」
 早いものでカレンダーはもう二月。明日は節分。一月は大雪・低温の日が続き雪掻きばかりしてい
たような気がします。少ない日で二時間、多い日は六時間以上も掻いて。わが家の敷地は広いうえ、入
る道が坂なので除雪機を使っても、そのあとは手作業で仕上げなければなりません。作業の後は汗ダ
ラダラ、体はクタクタ。「いい運動」なんて言われるとムカつきます。
 そんな中、岩手のラジオが紹介した中学生の話に思わず頬が緩みました。北上市の隣で秋田と県境の
西和賀町は豪雪地帯です。その町の中学生たちが「スノーバスターズ」を結成し雪掻きボランティアを
しているのです。一人暮らしのお年寄りの家を訪ねるとき、何と挨拶をしたらいいのか先生に相談した
ら「ばさま まめでだが」と声を掛けろとアドバイスされたのです。生徒たちは「ばさま まめでだが」
を一所懸命練習し、一人暮らしのお年寄り家を訪ね雪掻きをしているとのこと。この話にホッコリしま
した。   Tomoko

 
幸せというやつに片思いを
 テレビドラマ「姉ちゃんの片思い」最終回の一シーンの言葉「生きるってことはずっと幸せというや
つに片思いすることかもしれないね。片思いは切ないけど楽しいよね。確かに今僕らが住むこの星は傷
ついて弱っているかもしれない。でも今を生きる僕らみんなが幸せにちゃんと片思いできていれば大丈
夫!! この星は壊れない、そうだねお姉ちゃん。」 私も幸せに片思いして日々頑張ります。
 長男が濃厚接触者になってしまい家族は狂乱状態。検査の結果は陰性、ホッとしました。コロナ禍の
中、慎重により慎重に行動しなければいけないことと身を持って体験しました。そんな中「エコー」と
共にアマビエの御朱印が家族四人分入っていました。胸が熱くなりました。嬉しかったです。  Mika

 「明けない夜はない」
コロナ禍に大寒波、「何とかしてー」と思いますが、人間は自然をどうすることもできません。そんなと
き「じっと耐える」。そして過ぎ去るのを待つしかないのでしょうか。「明けない夜はない」という言葉
を信
じ、かすかな光を待ち焦がれています。主人共々現役で働いています。  Reiko 

 
蕗味噌
 377号ありがとうございます。このコロナ禍の中、楽しさいっぱいのECHOです。「この一年 ①短歌」
の中で蕗味噌の歌・食卓の二人の黙は常なれど今宵蕗味噌で話ぽつぽつ「話ぽつぽつ」で深みと広がりが
一段と増しています。春の喜びです。ふきのとうを枯れ葉の下などから見つけると心が躍ります。一関市
の夫の実家に行くと「おい、『ばっきゃ』が採れたぞ!」と外から甥の声。『ふきのとう』より『ばっき
ゃ』といった方がより土の匂いがします。方言が持つ温かさです。
 寒いこの時季の法事でしばしば一関に出かけます。その折り香りと甘・ほろ苦い蕗味噌をいただけるの
が楽しみなのです。  Sumiko

 
母は少し長い旅に出ました
 1月12日夜半、母は少し長い旅に出かけました。いい歳をして苦労ばかりかける私のことを父に相談し
に行ったようです。月日が経ち、こちらから出かけて行かない限り会えない遠方ですが、どうやら安らぎ
と平和がある場所のようです。
 三年前からゆっくりと準備をし、旅立ちは穏やかなものでした。植物のようになって余生を過ごすこと
を嫌っていた母らしく、そうと決まったその時を出発の日と定めたようです。
 足掛け三年を母とともに過ごしました。これまで生きてきた中で、これほど母と一緒に過ごしたことは
ありませんでしたし、話しあったこともありませんでしたが濃密な時の流れる三年を過ごしたように感じ
ています。
 この歳で今さら勉強をしたと言うのも変ですが、改めて「老いること」や「生きること」、「人と人と
の関わり」等を考えさせられた年月でした。
 自分勝手な解釈かも知れませんが、世間的な常識からはかけ離れ、母の見送りは私一人が立ち会いまし
た。母を送るにあたって、なんの儀式も必要ないと思ったからです。私自身、まだ気持ちの整理がついて
いないのかも知れませんが、今感じるのは、悲しみというより奇妙な充実感です。互いの信頼があれば、
介護はそれほどたいへんなものではないというのが実感です。
 昔風に言えば、私の人生もすでに黄昏の時に入っていますが、そんな中で過ごしたこの三年間はこれか
らの私の生き方に強い力を与えてくれるのではないかと思っています。母は最後まで私の面倒を見ずには
気がすまなかったようです。貴重な体験を遺産として私の中に残してくれた母に改めて感謝をしています。
                                           Hidemi
 
道祖神の里めぐりで豊かな時間を
 休日に二時間ほどで市内の街や田園地帯を歩いて五年くらいになりますが、「道祖神の里めぐり」のご
著書に出逢い、新しい世界に入り込むことができました。手を握り合ったり、肩を組んだりする道祖神さ
んの姿に、その地の暮らしや歴史とのつながりなどを想像して豊かな時間を持っています。  Shizue





202年1月1日更新


                      
                            「エコー」の読者 畠さんの年賀状




 新春 皆様のご健康をお祈りいたします   令和3年元旦
近況報告(85歳)
 年相応に足腰が大分弱ってる。毎朝、尻を叩かれて、弘法山の麓まで往復2~3キロをゆっくり、転ばないように
杖を突いてご苦労さん。午後は自分史の整理かTV観戦。気が向けば庭掃除。夜9時前就寝。好物の甘い物は糖
尿で我慢。
(‟ヤッター”を2つ)
①1万本に1本の「お年玉年賀はがき」2等賞が当たった。新年早々“ヤッター”。北海道の友よ、ありがとう。
②大相撲‟正代”。農大出身の大関誕生。‟ヤッター”。
(‟マイッター”を3つ)
③秋の夜長に寝」の2~3メートルのところに、‟洗い熊”が現れ“マイッター”。それまで犯人不明のいたずらが続い
ていた。一旦逮捕したが、詰責後釈放。
④昨年は「自分史」に挑戦したが、資料を集め過ぎてまとまらず、‟マイッター”。今も悪戦苦闘中。 主な項目は、
趣味・文通・さつきの品種収集・乗り物の旅など。交流で・あきだる会・秦野市歩こう会・弘法山をきれいにする会な
どなど。
⑤脳梗塞、糖尿、COPDの病名で服用している薬の副作用で‟便秘”が酷く、“マイッター”。
 みなさん! 薬害注意 転倒注意 コロナ注意!    俊彦 


◆2020年は、新型コロナウイルスの世界的な蔓延…日本にお掛ヽてもコロナ禍の行くえは、まさに神のみぞ知る…
の不透明な一年となりました。そんななかで自らの暮らしを見直し、新たな生き方をつくり出そうという若者たちの一
条の光も見え始めました。2021年はま夢と希望の年でありますように!!◆地域深耕をかかげた地域出版・夢工房
33年のあゆみ、里地・里山の米づくり・自然再生・生物多様性の保全の実践活動30年、地域の宝物を発掘・活用し
たまちづくりの「スローなあゆみ」がそれぞれの果実を結ぶ季節としたいもの。もうひと踏ん張りを経て最終章へ・・・
と思いを巡らします。本年もよろしくお顔い申し上げます。    務


 あけましておめでとうござIlます
 2019年から2020年をふり返ると2019年8月、国際交流基金の日本語パートナーズの一員としてベトナムのフエにて
中学枚・高校の日本語教育のお手伝い。を始める。昨年は、年賀状を出せず失礼いlたしました。
 2020年 春3月未、新型コロナウイルスの感染拡大に伴ない、6月の予定を早め帰国。2週間のホテル滞在、2週間
の自宅待機をする。夏 大磯近辺の散策を楽しむ。7月、みんなの食堂<おおいそテーブル>を月2回にして再開。 
秋、ベトナムでの経験を書き始める。 冬 辻宏氏建造のパイプオルガンでの演奏を聴く。サラマンカホールではスペ
イン様式の、岐阜県美術館ではイタリア様式のパイプオルガンで。
 来る年の皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。   有理子



 2020年10月10日更新

  娘はリモートワーク
  ホームページの日記が更新されないので気になっていました。371号が届いてホッとしたと共に、内容が濃いものでした
ので感心したり、うれしく思ったりしています。実は私も7月にギックリ腰を発症、腰痛・坐骨神経痛に苦しんでおりました。で
すから先生の短歌日記にずいぶん元気づけられました。先生の病院での日々がおもしろかったです。(失礼ですが)奥様の
ご様子も目に浮かぶようでした。とにかく《無事帰還》おめでとうございます。本当によかったです。
  コロナの影響で赴任地に赴任できない次女も、六月末にようやく北上を離れることが出来ました。四月は茨城で研修。五
月の連休後に帰省して、ここでリモートワーク。襖一枚隔てた隣の部屋で、朝八時から夕方五時半まで研修の毎日。時々突
然催される先輩とのランチ・ミーティングや夜十人ほどのオンライン飲み会。更に研究発表やレポートの提出もあるので「残
業代も出ないのに」と言いながらも、夜半まで頑張っていました。(上半身だけスーツ姿で)
 彼女のタイムテーブルに合わせる私の方も疲れました。それでも何年かぶりで、次女と暮らせた生活は貴重な時間でした。
 当地では八月七日は「なぬか日」と言って、お盆を迎えるお墓を「掃除をする日」です。腰ベルトを巻いてお墓の草取りを
しました。十三日に墓参りに行きました。コロナのためどこのお宅も帰省客がないので(我が家でも長女・三女は帰省しません)
お墓参りの人影はあまり見られませんでした。  Tomoko Kitakami

 新型コロナウィルスに出会ったからこその経験
 新型コロナウィルスの影響で当たり前の生活が一変しました。しかし、振り返ってみると悪いことばかりではなかったなぁと。
病院勤務の長女のリクエストで手作りマスクにはまり、自宅でオンライン授業をする次女と長男の勉強の様子を知ることがで
きました。時々、後ろを通るふりをして画面に参入し怒られました(笑)。
 所属しているフットサルチームのZoomミーティングといものを体験しました。また「県高P連」の会議もZoomで行っています。
「ここまでパソコンやスマホを使いこなすようになるとは」と自分に驚いています。これらは新型コロナウィルスに出会ったから
こそ経験することができました。今も猛威を振るっていますが恐れているばかりではなく、考え方一つで前向きに明るくなれる
ということを改めて学びました。とはいえ、1日も早い終息を願わずにはいられません。   Nana

 職場にもコロナ禍が
  371号ありがとうございます。いつものように読んでいたら「武先生、入院してらしたのだ」と思わず言ってしまい、そばにいた
主人が「先生 どうかされたのか」と声をかけてきました。読み進めていくうちに、少し安心。その矢先、前原さんからSNSで「エ
コー読んだ? 入院されてたけど、電話したら元気な声が聞けたよ」と知らせてくれました。「入院中も『動かなければ出会えな
い』を実行するとは」と、元広報委員のグループのトークの中で盛り上がりました。
 私の職場もコロナの影響が出ています。休業保障を使っているので、私の勤務は月に八日程度です。おかげで家の中はキ
レイに片付いています。(笑) 貸切りバスは、県・市・学校からの仕事は全く来なくなりました。結婚式や葬儀の送迎もほとんど
ありません。タクシーの方も落ち込んでいますが、病院や買い物に使ってくださるお客様もいらっしゃいますので、どうにか持ち
堪えています。とにかく皆で知恵を出し合い、出来ることをしてコロナ禍を乗り越えようと前向きに頑張っています。   Mikako

 テレビは今 
 若者のテレビ離れが際立っている。決まった時間にテレビの前に集まるという習慣が成り立たなくなってきたのか、その分テ
レビはいろいろと工夫していて、おもしろい番組が秘かに生まれてきている。
 BS日テレで月曜9時に、仮想鉄道旅行を1時間かけてつくる番組、マニア好みかもしれないがおもしろい。Eテレも探せばおも
しろい番組がある。語学番組も出演者で楽しませてくれる。又吉さんをうまく使った番組がそこここにある。視聴者が主体的に
番組を選べる時代、その分楽しい番組が増えていることは確か。    Masahiko

 ご無理をされてないでしょうか
 郵便受けに届いた「エコー」をいつものように開いて読むと、なにか変、いつもと違う。1ページを三度見て、え? 唖然! やっ
とこさ、その内容を理解。
 頑張り過ぎの腰椎圧迫骨折。その後はご無理をされてないでしょうか。371号が届いたこと、いつもの温かい文が先生の健在
を知らせてくれていてホッとしています。A子先生、今回も本当にご心配でしたでしょう。お察しいたします。お疲れさまでした。本
当によかったですね。     Kazuko




 2020年8月5日更新

 日本の〈緑〉を楽しんでいます
 隣町の相原さんからの電話。 脚の筋力の衰えを痛く感じ、ウオーキングに励んでいるとのこと。
 「この季節、散歩の道連れは《木々の緑》です。370号に『日本の緑色は81色』と書いてありました。〈我が意を得たり〉の思
いです。「田舎だし外出自粛だから行き交う人はほとんどいません。樹々の様々な緑が目に染み入るようです。その緑色と
言葉を交わしながら歩いています。若葉の緑色の違いを楽しんでいます」。

 道祖神さんコロナを追い払って
 道祖神は疫病を防いでくれる神様。コロナから私たちを護ってくださるはず。でも道祖神さんに会いに行けませんので先生
の道祖神の本を開き全国の道祖神さんにお願いしています。日本では今、道祖神が見直されているのではないでしょうか。
 草取り 頑張り過ぎないでください。 能子

 「ECHO」創刊36周年・第370号発行を 心よりお祝い申し上げます
 「ECHO」第370号ありがとうございます。また、創刊36周年おめでとうございます。小生は、いつも「ECHO」題字下の三訓を
目視し、不甲斐ない自分を黙思し、毎号自分勝手ですが、生き方を反省しています。 そこで、遠い山に向かって「ヤッホー」と
爽やかに叫びたいところですが、最近のコロナ禍でますますタコつぼ人間になってしまいました。タコといっても72歳の年金タコ
です。タコは自分の足を二,三本失っても(食べても?)また生えてきますが、も今はタコとほとんど同じ気持ちで老いを生きてい
ます。愚痴になって失礼。
 先言の三訓は、そんな小生を叱畦激励し、尻をドーンと蹴とばしてくれる有難い言葉で、黙識心通! 武先生には、感謝、感
謝でいっぱいです。改めて「ECHO」創刊36周年、第370号発行に心より敬服申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。
                                                                    越田清四郎

 「エコー」創刊36周年、とてつもない快挙です。たくさんの読者がいるわけですので継続をお願いします。さて、酒井大岳という
名前、懐かしい。昔 友達がら酒井大岳著の『野に語る・般若心経』をいただいたことを思い出し書棚から出してきました。そのな
かで、金子みすゞに触れた文章があります。私は彼女が大好きなのです。仙崎にも行っております。また、酒井、金子を読まねば
と思います。    横山健次郎          

2020年5月17日更新

 「エコー」には 祈り・願い・使命感が  
 いつも読んで感じるのは、先生の祈りとか、願いとか、使命感とか。今回自分が感じているせいか、いっそう深くそう思い
ました。さまざまな人がいて、立場があって、単純ではない世の中を引っ掻き回すウイルスがあって、不安がどんどん大き
くなりますが、なんとか平らな気持ちでいたいと思います。   政子

 パワフルな生き方に感服
 368号の「トッケダンゴ」の記事。先生のパワフルな生き方に感服。また先生の写真は懐かしかったです。
今年の展勝地の桜ですが、コロナのため駐車場はすべて閉鎖されているので「ドライブスルーの花見」。それで我が家の
前の県道は大渋滞。ナンバーをみると「札幌」「名古屋」「堺」「多摩」等々。岩手県は「感染者ゼロ」だから来られたのでしょ
うか。   知子

 心を揺さぶられた美原さんの短歌
 368号の先生の短歌で学校の大変さを感じました。「ふくしま」を詠んだ美原凍子さんの短歌に心を揺さぶられました。広
報委員さん達の楽しく充実した一年間を知り、私も広報委員だったときの活動を懐かしみました。70歳を過ぎだ今も、その
時の委員さんとは幼馴染のようにお付き合いしています。   香代子

 子どもたちの心も推し量らなければ
 入学式後、2日ほどは子どもたちの楽しそうな登下校の姿を見かけましたが、今は自宅学習なので屋外で子どもたちの
姿を見ることは稀です。マスコミは〈保護者の負担増〉について報じていますが、公園や児童館、公民館や図書館、そして
塾までも。子どもたちの行き場がほとんど無くなってしまっている今、「子どもたちはどんな思いで一日を過ごしているのだ
ろう」「居心地が悪い子はいないだろうか」など思うのです。《余計なお世話》であることを祈るばかりです。   奈々

 孫の成長をみた卒園式の夜
 孫が小学校に入学しましたが登校したのはたったの二日だけ。楽しみにしていた卒園式も時間短縮で残念でしたが、夕
食のとき、その日のために練習してきた「きらきらがいっぱい」を大きな声で歌ってくれました。コロナで不安な家族の気持
ちを吹き飛ばしてくれた孫の姿に成長を見ました。同時に毎日の送り迎えの任務が終わったことも実感しました。 
                                                       しのぶ

 孫のランチ担当を《解雇》されました
 洋裁はすっかりマスクづくりに変わり100枚以上作り親戚、友達、ご近所の方々に使っていただいたおります。孫の「ラン
チ担当」は、接触感染・「三密」にあたるとということで解雇。塀越しにマスクして家族と話す。距離感を強く感じます。
 車のナンバーが相模なので県外からの来訪者といじめられる怖さがあり、急いで変更の手続きをしたのですが、連休も
あり、20日以降とのこと。それで大きな紅葉マークを付けて走っています。     能子



2020年3月25日更新

 「未知の月日」をお楽しみください
 「ECHO」367号、ご送付有り難うございます。今号も、大いに楽しませていただきました。
◇武家や秦野で「お棚納め」「どんど焼き」「トッケダンゴ」などの伝統行事・習俗がいまなお活きて継承されている
ことに、改めて感動。東京から見ると奇跡とさえ思えます。子どもたちに伝わり、末永く伝承されるといいですね。
◇「信濃てくてく会」下平武さんとの交流も、素晴らしいの一言。凄い人が各地にいるのですね。日本もまだまだ棄
てたものではありませんね。
◇雑誌『新しい青年』記者時代の逸話。武さんの多能多彩多様性の原点の一つがここにも?感心しました。
 (私も、在学中を含め五年間、とある外国研究組織で雑誌編集の仕事をしていましたので、一層親近感を覚えま
した)
◇「豊年の貢の雪の降り積めば永正二年の夫婦神笑む」 実にいい歌ですね。道祖神探求者の面目躍如。神奈川
歌壇初挑戦での準特選、お目出度うございます。佳句「初山河老いにも未知の月日あり」と双璧。◇紙芝居『トッケ
ダンゴ』の完成、そして公演。「いい仕事してますね」。いつか鑑賞したいと思いました。
   人生の今最前線老いの春       吉成 勝好


 神奈川新聞 拝読いたしました
 ご無沙汰しております。「エコー」ありがとうございます。2月25日付け神奈川新聞、拝読いたしました。子どもの館で
お話いただいたあの話の紙芝居だ!と。
 どんど焼きの行事は、静岡育ちの私は、松田でそれを体験した時は感動ものでした。火と団子という組み合わせは
味わい深いです。お焚き上げは火です。お盆の迎え火・送り火、クリスマスのキャンドルも火。ペルシャの拝火教の流
れでしょうか。そうだとすると、はるか昔ペルシャと繋がっていたのでは? などと妄想しています。メソポタミアも火を
祭るというのをどこかで読んだような。
 一つ目小僧と道祖神の関連。松田に伝わる話の中にも「一つ目小僧」が登場しますが単独で登場なのです。
 秦野の風習「トッケ団子」も興味深い習わしだと思います。団子は、お葬式にもお彼岸にも、七日ごとの供養にも、そ
してお月見にもまあるい団子。団子には呪術がこめられているのでしょうか。     木口まり子


 教科書に取り入れられた「新聞づくり」は
 今、三年生に社会見学新聞を作らせているま只中です。
子どもたちはよく話し合って記事を分担し、楽しそうにそれぞれの力量で新聞作りをしています。新聞で仲間づくりを進
めています。「新聞作り」が単なる新聞形式として教科書に取り入れられ、《新聞本来の持つ意義》が伝わらない現在の
教育現場。若い人へ伝えていかなければいけないものがここにもあると、思いを新たにしています。   淑子


 「PTA広報と歩んだ50年」有難うございました。10数年前の自分に再会し、こんなことを思っていたんだと、当時の広
報づくりへの情熱を懐かしみました 。雅子

 




2020年1月1日更新

                

            

 「21&35展」
 とっても楽しくて暖かくて幸せでした。本当にありがとうございました。
 今「つる女房」の朗読の練習をしています。タテの糸はあなた ヨコの糸は私。逢うべき糸に出逢えることを
「仕合せ」と表します。「仕合せ」は「幸せ」に重なり「めぐり合わせ・運命」という意味も持っています。
糸をどのような布に紡ぐのか、出逢いをどう成熟させていくかが大切です。12月13日には「幸せの王子」を子
どもたちに読んであげます。   大関

出展させて頂き光栄でした
「ECHO」届きました。トップに展示会が載っていて、ウキウキした感情が再度甦って来ました。300名もの来
場者だったとは‼ 先生のお人柄ですね。勝美先生と厚子先生 お二人の作家さんに見守られて出展させて頂き、
光栄でした。 
                 
                 茶の花の白あたたかく母に似て       
 今日は強風なので空が高く綺麗でした。毎日トイプードルの散歩道、空と茶畑コース、天国へ散歩しに行く気
分です。白い丸花が咲き甘い香りがしますね。人生最大な夢になる場所を見ながらの散歩は最高の贅沢。
 小学校の時にお茶の実を学校に提出させられた事がありました。どのように使われていたのでしょうか? 今
ごろになって不思議? 油にしていたのかしら? 椿の実ならわかりますが。なにもわからなくても卒業出来ち
ゃう、そしてぼぉーっと大人をしている私です。   クマ子

 2019年11月30日更新
 
 
いいなあ ご夫婦そろって仲良く「21&35展」 
 武先生 厚子先生 おめでとうございます。お二人の足元にも及ばないことは十分自覚していますが、ドン(夫)と
カバ(私)もお二人を追いかけ、わたしたちの生活を磨いていきますネッ。無駄な抵抗?なんのその、お二人のように 
人生 ちと楽しみたいと思っています。
 現状を少し。またグチっちゃうかな?
 私は、宇宙人(母フジ子)への夢があって「ピンピンころりん100まで(現在92歳)」。福井県のドンの母も92歳。こ
の二人の母を、「死ぬときは同じ日 お手手つないで大往生させたい」。言霊を信じて、このありえない夢の実現の
ために、あちこちでしゃべっています。(今も先生に…) 「語らなければ叶わない」…ん、どっかで聞いた? 先生
のをパクちゃった!
 バリバリの宇宙人は目の前に自分が産んだ娘がいるのに私を探し、ガチの喧嘩を仕掛けてくる。あと8年の介護、
とりあえず100まで…。とにかく 苦しくても、辛くても、悲しくても。くたばるわけにはいかない、今は。
母が笑顔が見せてくれると、私も笑顔になれる、わずかな時間かもしれないが私も笑顔になれる。先生、どうぞご無
理だけはなさらないでください。  WAKO

 里の秋
暦の上では冬なのに暖かい。近くの里山が赤・黄・褐色と、その色合を深めている。田んぼから野焼きの白い煙がのぼ
っています。小春日和です。童謡の「里の秋」「静かな 静かな里の秋」です。 AWA  
 
 長男の進路が決まりました
 県高P連の役員として月に最低2回は横浜まで通っています。高校のPTAは小中学校PTAとはまた違った世界なので、まだま
だ私の中では開拓しきれていませんが、たくさんの人と出会い、たくさんの言葉を交わしたいという思いで関わらせていただいて
います。
 「エコー」のお返事を、といつも思ってはいるのですがなかなかパソコンに向き合う時間が取れず「PTA広報と歩んだ50年」のお
礼も申し上げず、申し訳ございません。後日、高校の広報紙事情も含めて改めてさせていただきます。
  追伸 おかげさまで長男の進路が決まりました。指定校推薦をいただき、本人の強い希望で工学専門学校建築学科(4年制)
への入学が決まりました。   NANA
 
 インフルエンザ 
 日々秋らしく、そして冬に向けて肌寒くなってまいりました。今年はインフルエンザ感染者が早い時期から増え出しているそうです。
インフルエンザといえば、今年1月の武先生を思い出されますが、どうぞご自愛くださいませ。  ASU

2019年10月20日更新
 新聞との《出会い》は大相撲の記事のスクラップから
 拝啓『エコー』362号拝読いたしました。「タウンニュース」の記事、この女の子の写真で、この講習会の雰囲気を感じられ、参加し
た人たちがみんな楽しんだだろうなということがわかります。ベストショット賞です。壁新聞を「夏休みの自由研究」にすると時代に
沿ったテーマが見られます。百科事典を写しただけのものではなく、現地に足を運んで取材することがよいことです。 「新聞って
おもしろい」中に、同じニュースを他の新聞と読み比べてみよう、は私も実践していることです。視野が広がります。
 私と新聞の出会いは大相撲の記事の切り抜きからでした。高見山とか貴ノ花とか、写真入りの大きな記事を集めスケッチブック
に貼りました。その延長線上にあったのが朝日新聞の特集「中国の旅」の記事でした。南京事件を扱った取材記事です。日本兵
が中国人にどのようなことをしたのか事細かに書かれていた記事を、大学ノートに貼って、何度も読み直していました。(たぶん私
が中学生の頃)
 紙ベースの広報は全体像をまず〈直〉に知ることができます。ウエブ版だと一ページ一ページめくっていかないと全体が見えませ
ん。全体が見えるとどこから読もうかと選ぶことができます。そうでないと、興味あるなしに関わらず順番に見ていかなければなら
ないので、興味も半減するのではないでしょうか。「市P連だより」の紙ベースの復活を待ち望みます。いったん変わると元に戻す
のは大変でしょうが。     三嶽 雅彦

2019年9月1日更新
               
              
                             やまゆり この夏はよくさきました

 会員がP連の活動を知ることができる広報活動を
『エコー』359号の「『市P連だより』の印字版の終了」は、それに関わってきた私にはショックでした。少し前、ウエブ版になる
とは聞いていましたが、印字版が終わるとは思いませんでした。並立と思っていたのです。
 柏市立中原小学校PTA広報委員会(「PTA広報と歩んだ50年」の文)の方がおっしゃるように、P連は会員から会費を頂い
ているのですから、会の活動を伝える責務があります。
 市販の新聞は読みたい人が読むのですが「P連だより」は会員に届けなければ行けないのです。会費を払っているのに、
市P連の活動について知らない人、関心がない人がかなり多いのが現実です。その活動を会員に知らせるには、子どもを通
して全会員に配られる印字版が良いと思います。ウエブ版は会員がアクセスしなければ読めません。
 情報委員として「P連だより」の発行に携わったときは、会の活動を会員に知ってもらえる記事、そして読みたくなるような深
みのある広報紙を作ろうとみんなで努力しました。(なかなか思うようなものは出来ませんでしたが…)
 会員がP連の活動の情報を得て、子どもたちの幸せのために活動する、そんな「P連だより」にしていただきたいと思います。  
                                       大庭麻由美 平成22年度秦野市P連情報委員
   
5月1日更新
 大震災は忘れない
 「返ってきたエコー」の中の福島県の方のお便りも読ませていただきました。武先生がずっと震災のことを気にかけ,福島
の方や気仙沼のかたを応援されて続けてらっしゃるので,私もずっと忘れないでいようと思います。8年前、情報委員会で活
動した一年は震災のことを考え続けた一年でした。  上條 有紀

 本を送ります
 昨年12月、友人の長田さんから『道祖神の里めぐり』を見せてもらいました。小山町の道祖神を採り上げてくださり、わが
家の近くの道祖神も見てくださったようで、喜んでおります。私は道祖神や野仏が好きなので『道祖神の里めぐり』に見入り、
幾つものことを学び、喜びを得ました。武先生が国内広域に足を運び道祖神と対面なされたご努力に心から敬意を表しま
す。少しでも先生のご研究のお役に立てばと思い、手元にある『富士山麓の道祖神』という書籍をお送りいたします。ありが
とうございました。  小野寺秀典

  児童の写真の掲載は控えて」と言われ
 本校は児童の写真をPTA広報紙に掲載を控えるように言われております。保護者に期待されている子どもの「写真なし」
の広報紙を読んでもらえるにはどうしたらよいのか模索し、たどり着いたのが子どもたちのリアルな声を集めた「子供の言
い分・ボイス」です。また、先生方や会長さんなど役員の固い挨拶文より、読みやすくなるインタビュー形式の記事を多くし
たことも好評でした。連載・特集・コラムなどページの割り振りを固定することで企画が立てやすくなりました。
 お仕事で昼間の広報活動に参加できない方には、ご自分の都合の良い日時の行事に参加してもらい記事を書いていた
だきました。こんなふうにして委員全員が達成感を感じることができた一年間でした。    谷 瑞穂

わたしのふるさと  神奈川県愛甲郡愛川町
 
あの坂を越えて 古希に
                                                  小関香代子
 私は神奈川県愛甲郡高峰村(現・愛川町)で生まれた。「蟹沢」という集落の一番奥で「背戸」と呼ばれているのが私の
家。四人姉妹の“年寄りっ子”で“末っ子”なので、みんなに可愛がられて育った。父は私が生まれたとき、ぺちゃんこの
鼻を見て「谷間の桜」と言ったそうだ。母も、私がいろいろ失敗しても怒らないでニコニコと優しかった。
 私はいつも母と一緒にいた。家の裏に沢があり、沢蟹がたくさん取れた。母はそれをお正月のオセチにした。山でワラ
ビとり、畑で桑の葉摘みも一緒だった。冬の麦踏みも強い記憶の中にある一つで、母は麦踏を縦にするけど、私は足が
小さいので横向きで踏んでいく。ドンドン進んで行く母に追いつけない私。すると母は足を止めて私を待っていてくれた。
ご飯を炊く竈の傍で鉄道唱歌を歌ってくれた。だから私はあの長い歌を歌える。縫い物をしている母の傍で私は塗り絵
や着せ替え人形遊びをしていた。 
 四歳のとき盲腸炎が手遅れになり、誰もが最悪の事態を思い泣いたそうだ。近所の人が「生きていてよかったね」と言
ってくれたことで、その時の私の状態を知った。それが元で私は甘やかされて育ってしまった。
 小学校の入学式の写真を見ると、私は普段着で、小さいのに最後列の端に立っている。入学式のその朝、ぐずってい
た私を母はどこか具合が悪いと勘違いして、私を背負い小学校の隣の診療所に駆けつけた。結局なんでもなかったので
私はそのまま入学式に出た。大人になって同級生のお母さんから「入学式にねんねこで、負ぶさって来たよね」と言われ
ビックリした。
  「蟹沢」は田んぼに囲まれた集落なので、どこに行くにも急な坂道を登らなければならなかった。小学校に行くのには
曲がりくねった「学校坂(おきの坂)」を登る。先生が後から「おはよう」と声を掛け自転車を押して坂を登っていく。私は先
生の自転車を押してあげながら ― ほんとうはつかまって引っ張ってもらっていたのだが ― 先生と一緒に坂を登った。
坂が終わると先生は「ありがとう」と言ってくれた。
 中学校にはまっすぐに通る「水道みち」から「水道坂」を重いカバンを持ってひたすら歩いた。この坂の上から眺める「箕
輪耕地」の四季の景色は美しく、ふるさと・高峰村で一番好きな風景だった。そして高校へは「小坂城の落城のときお姫
様が花嫁姿で相模川に身を投げた。そのたたりがある」という「さす(刺す)坂」は怖いので、一気に駆け上がりバスに飛び
乗った。この「さす坂」は、今「桜坂」と呼ばれている。
 目を閉じれば、消えてしまったふるさとの暮らしが次々に浮かんでくる。私のふるさと《高峰村蟹沢》は私の心の中にあ
る。♪この坂を越えたなら幸せが待っている♪ という演歌の一節があるが、私は今「桜坂」を登って5分ほどのところで
幸せに暮らしている。

2019年1月1日更新

                           


2011年(平成23年)3月11日午後2時46分

 道祖神の本 ありがとうございました。なかなか秦野に帰省することがないので、本の中の秦野の道祖神を眺め秦野のあ
ちこちの景色を思い浮かべています。
 福島県ではまだ5万人近くの人が県外に避難しているそうです。「帰還困難区域」が解除されても、年配の人は帰るけど、
若い人たちで帰る人は少ないようです。県産米も「全袋検査」の継続を希望する消費者が46%いるそうです。モニタリングポ
ストも配置見直しが出て、継続希望は44%です。私の住む地区にある松田住民センターや農村広場にあった仮設住宅はな
くなり、二月からようやく以前のグラウンドにもどりました。
 今年四月に元号が変り、来年はオリンピック。東日本大震災や原発のことが皆さんに忘れられてしまいそうです。福島には
まだ汚染土や汚染水の処理の問題があります。原発の燃料の処理が終わるのは何年先なのか、それまでは安心して生活
はできません。これが福島の今です。     及川小百合

3月3日の朝日歌壇
池の端、病院の隣、公園で百袋こす汚染土積む八年後               福島市  澤 正宏
規制値を緩めただけで安全な汚染土になる数字の魔力           福島県伊達市  佐藤 茂

道祖神に寄せる熱い思いが伝わる書
 このたびは貴重なご著書をいただきありがとうございました。前書と同様に各地方・地域の道祖神に関わる記述内容や資
料の多さ、武先生のエネルギーに驚かされました。自分の足で、目で、そして肌で一つひとつの道祖神と語り合われたことに
より、その文や写真の背景にある歴史や丈化、地域のすばらしさが伝わってきます。また道祖神にまつわるお話も興味深い
ものですが、道祖神を通して地元の方々とのふれあいの様子は心が温まるものでした。編集に多くの方が関わっておられま
すが、これも武先生のお人柄、そして道祖神に向けた熱い思いによるものと思いました。前著に掲載きれた道祖神(通称、せ
いのかみさん)が我が家のそばにあり、庭の掃除をする折にその道祖神の掃除をしています。      勝

渡辺様の対応で加藤先生に素敵な思い出が
 秦野市立本町幼稚園の「園だより」12月号に加藤しのぶ園長先生が書かれた文章に感動しました。全国幼稚園教育研究
会経営研修会で盛岡に行かれ「園経営」について提案発表なさいました。立派だなあと感心します。
その時、なんと渡辺知子様が赤い紙袋に艶の良い立派な柿を入れ、届けられたとは驚きました。北上から盛岡まで新幹線で! 
さぞかし時間を気にされたことでしょう。渡辺様の対応が加藤先生の素敵な思い出となったのですね。将に「動かなければ出
会えない・語らなければ広がらない・聞かなければ深まらない」です。      澄子

どこかで誰かに出会いたい
「エコー」356号の記事は、どこかに出かけ、人と出会いたくなるような気持ちになるものばかりでした。特に本町幼稚園の加藤
園長先生が思いがけないご縁に驚かれた話が印象に残りました。綺麗な赤い、丸い柿が目に浮かびます。    有紀               

2019年1月1日更新

 次の時代はどのようなことが待ち受けているのでしょうか   
 平成31年をもって平成は終わります。明治・大正・昭和と日本鎖国から急展開して、国際舞台に登場した
挙げ句に、英米を相手に世界の冠たる国にならんと戦争を始めました。戦後はマッカーサーの登場から始
まり、高度経済成長を通して経済の世界でトップに並ぶ国となり、石油危機、バブル経済、リーマンショック
を通過して、混迷の時代を迎えました。昭和は一時代を形成しました。
 変わって平成とは、どのような時代だったのでしょうか。世界的には冷戦の終結が新しい戦乱を引き起こし
ました。日本は? 戦乱に巻き込まれなかったことは幸せだったかも知れませんが、今年の漢字「災」は平
成を象徴する漢字でもあります。天災、人災。天皇陛下が被災地を慰問することが多かった時代です。 次
の時代はどのようなことが待ち受けているのでしょうか。   Masahiko


上梓へのお祝いの言葉  

 私の「ワンダーワールド」も広がります
 『続道祖神ワンダーワールド 道祖神の里めぐり』。本を開くとたくさんのカラー写真,日本中の道祖神
と故郷秦野の道祖神がたくさん載っています。何気なく見過ごしてしまうような小さな石碑に、先人たちの
生活の中での願いや祈りが込められていることを知りました。 様々な方と出会いながら、ある種の冒険
をされる先生のお姿が目に浮かびました。
 こんなにたくさんの道祖神に出会い、道祖神にまつわる伝承を収集されるのはとても大変そうですが、
道祖神めぐり必携の「七つ道具」と「秦野銘菓・煙草煎餅」。その名称だけでも身分証明になりますし、そ
の場の空気が和んでいろいろなお話も弾んだことでしょう。こんな風に私の「ワンダーワールド」も広がっ
ています。
 「エコー」の中の感想にもありますが、私も先生の文にユーモアが感じられました。取材の苦労を苦労と
感じさせない爽やかさが伝わりました。
 先生のいつも変らぬ後活躍を見聞きしていると清々しさを感じ、「私も頑張ろう」という気持ちになります。
これで「まとめ」とはおっしゃらず,これからもご活躍ください!
 「タウンニュース」で先生と奥様のお姿をお見かけしました。お変わりないお元気な姿と笑顔が嬉しかっ
たのです。今、先生の本を戴いてさらに感激しお会いしたい気持ちになりました。一月の講座で先生のお
姿を拝見できる日を楽しみにしています。お体にお気をつけてよいお年をお迎えください。  Kamijoh


 路傍の仏像や道祖神に目が行くようになり里歩きの楽しさが増す
 平成30年もわずかとなりました。2016年に続いての出版おめでとうございます。 私の東御市での「剣持
道祖神」の部分に付箋まで入れていただきましたこと、先生の細かな心遣いを感じました。
 先生の著書に触れて、今まで気付かなかった路傍の仏像や道祖神に目が行くようになり、里歩きに楽し
さが増して来ました。ご著書の中に、山梨県北杜市の上津金の道祖神の記事がありますが、先年、増富
温泉の「津金楼」という旅館に宿泊した際、途中の路傍に何体かの彩色道祖神があったことを思い出しま
した。津金地区(武田の武将・津金氏)には、明治・大正・昭和の校舎が保存されており、地方の方のおら
が町j「おらが村」「おらが里jの遺産存続の意欲の強さを感じました。
 先生には、これからも、続々「道祖神ワンダーランド」の上梓をご期待申し上げお礼の挨拶とさせていた
だきます。
 向寒の折、健康にご留意され新しい年をお迎えください。   窪嶋 義文


 二茅芳郎様のご祝辞「石像は日本の心」 に心打たれました
  ECHO354号と「続道祖神 ワンダーワールド」出版記念祝賀会の祝辞集、素晴らしいですね。祝辞集の
トップ記事の「石像は日本の心」 二茅芳郎様のお言葉に心打たれます。
 12月21日 長い間会ってなかった奥田怜子さんと本八幡で楽しい時を過ごしました。はじめに、これお
土産ですと『道祖神の里めぐり』をお渡ししましたら、目が光りました。しばらく見入って、「これは贅沢で勿
体ない本です。写真も素晴らしく、大きくして見たいです。そのうち写真の展覧会なさるといいですね」と言
われました。絵本作家で版画家でもある奥田怜子さんです。武先生の「道祖神の里めぐり」への感想・言
葉は流石だなあと思いました。
 ご家族で素敵な年をお迎えください。  Sugawara 
 


2018年11月10日更新


                  

 上梓 おめでとうございます

 『道祖神の里めぐり』の出版おめでとうございます。武先生は道祖神めぐりの「七ツ道具」の一つ、秦野
銘菓「煙草せんべい」をたくさんお持ちになられ、上樫出のちょんぼ道祖神・地蔵尊作りを見学に来てくだ
さいました。道祖神作りのリーダー中村幸さんにいろいろ質問され、途中からはニコニコ顔でちょんぼ作
りの仲間に加わられました。
 栃尾祭りの花火大会でのサプライズ―そのことを『栃尾タイムス』のコラム「街の片々」で読み、感動い
たしました。これからもお身体を大切にされ、お元気でご活躍ください。(58P参照)  
                                  長岡市上樫出・ちょんぼの里  西片道夫

 『続Katsui In 道祖神ワンダーワールド』のご出版おめでとうございます。この辺では見られない男女双
体道祖神を初めて拝見いたしました。ほほえましくて穏やかな気持ちになれました。また近隣のものも載
せていただきいろいろと知ることができました。人々の願いを叶えてくださる私たちの道祖神を、ご近所
のみなさんと大事に護っていきます                          伊豆市  高橋弘子


読後感
 たくさんのカラー写真と添えられた文で、楽しく拝読いたしました。道祖神さんの様子を語られる先生の
言葉、時折ほろんと、何かこぼれ出ているかのような印象を持ちました。道祖神さんがいらっしゃるまわり
の草を踏んだ匂いが漂ってくるような。
 何人かの方が書かれたところを読むと、また違った感がします。「時」や「ところ」によって違った物語が
あるだけでなく、その時そこに居合わせた人ごとに違う物語はあるんだなあ、と改めて感じたことでした。
                                              秦野市  竹下恵美子

武 勝美 先生
 この度は、『続・道祖神ワンダーワールド』ご出版、誠におめでとうございます。このような素晴らしい書物
に触れる機会を与えてくださったこと、大変感謝いたしております。
 以前より武先生には、並々ならぬ知識とご教養の深さを会話の端々からも窺い知ることがあり、その素
晴らしいお力が、こうして一冊の形となったことに敬意を表すると共に、改めましてお慶び申し上げます。
どうぞ、今後も一層ご精励下さいまして、さらに至高の目標を目指され、ますます御健康でご活躍のほどを
お祈りいたします。
  平成30年11月17日                                 秦野市  古谷 義幸


 紺碧の空が広がり、爽やかな風が流れる、心和む季節となりました。この度は先生の思いが詰まった素
晴らしいご著書をお送りいただきまして本当にありがとうございました。 
 十月のはじめ、これまでの喧騒のせいか帯状癌疹になり、左半身の水泡の痛みに苦しんでおりましたが
回復にむかい元気になっています。そんな折に先生のこの書を拝受いたしました。ページを捲る毎に諸所
の道祖神の穏やかな表情が胸に染みいります。一体一体と写真を見つめると、先生が訪ねられた地の諸
々の歴史や生活が浮かんでくるようです。
 「五大稲荷」の一社・津和野の皷谷稲成神社ゆかりのお菓子をお届けいたします。ゆっくりとお茶でもお召
し上がりなされ「里めぐり」のお疲れを癒してくださいませ。
 寒さに向かいます。どうぞお身体ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。
   平成30年11月7日                             島根県益田市  片山 洋子

2018年10月10日更新
 郷愁の念しきり
 武さん ようやく秋風を感じるころとなりましたね。本日351号を拝見し、いつもメールですが今回ははがき
にします。箱根大会も終わり全新研は秋の陣です。新聞敦育の面白さ、楽しさ、苦しさが広く広がることを切
に願います。
 「エコーは響き」とは、すばらしい見出しですが『継続は力』です。何事も長く続かなければ、人々は認めて
くれない。強い信念がなければこんなには続かないわけで、改めて敬意を表します。
 ところで、今日の東京新聞の旅凍記事は「山寺」です。東京での暮らしが長くなっても、私は山形県人なの
です。 『奥の細道』で芭蕉が一番長く滞在したのは山形。芭蕉は山形で秀句をたくさん詠みました。「閑かさ
や」の名句もここで誕生しました。あの石段をまた昇りたい、郷愁の念しきり。最近、宮沢賢治や啄木の童話・
歌が蘇ってきて、声を出しています。   横山健次郎

 縄文時代の祭祀と道祖神
 先日、戸川地区の水無川左岸の段丘の上で見つかった稲荷木遺跡(新東名高速道建設ための発掘現場)
を見学してきました。縄文中期から後期にかけての集落住居跡と列石、土器、石器、土偶や石棒など祭祀に
関わる出土品も見ました。担当の方に「縄文時代から道祖神のような祭祀(石棒)は行われていたのですか」
と尋ねました。 「それはむずかしい質問」が答えでした。   相原 昭枝

 三百五十という数字の重み
 空の青さにほんの少し秋を感じる頃になりました。いつも『エコー』を送っていただきありがとうございます。
先日の新聞記事で『エコー』が創刊三百五十号と改めて知りました。心よりお祝い申し上げます。
 創刊の頃は自分の経験と重ねながら、子供たちが中学生なると親として「返ってきたエコー」の声を参考に
させていただき、今は先生のご活躍ぶりを楽しみに拝読いたしております。このような『エコー』と関わり方の
変化に三百五十という数字の重みを感じております。
 先生がますますお元気で活躍されますことを心よりお祈り申し上げます。   横山 直子

 「四カクに生きる」に押されて
昨年六月に一千回目の講演。今年は「ECHO」創刊34周年と350号到達。おめでとうございます。ほんとうに
素晴らしいことです。観音様のご慈悲で、先生がご健康で「ECHO」の発行が続きますよう心からお祈り申し上
げます。
 文を書くのが苦手で礼を欠いておりましたが「四カクに生きる」を読み、このお便りで挑戦しました。『動かなけ
れば出会えない』は私の座右の銘です。    賀川 操子




2018年8月10日更新

                      
                           Kamiya


 350号の「朧月夜」と「四カクで生きる」のこと
 「朧月夜」のこと。
 部活帰りの男子生徒が大きな声で「朧月夜」を歌ている、一方は晩酌のビールのコップを手にしている。
こんな情景なら、今の世は「ウルサイ!」なんて声が聞えそうですが……。歌の続きを武先生は歌う! そ
の情景が私には浮かんできました。ビールと「朧月夜」の歌で、先生は「朧月」だったことでしょう。
「四カクで生きる」のこと。
 「△より□のほうが○に近いから」と言うことことで、その四カクは「字を書く」。
私は「字」を書いてみました。漢字「字」は六画でした。六角は〇に更に近くなるのでした。「エコー」の読者
で《得》をしました。   Oyamada

嬉しかった図書館員の対応 
 市の図書館で菊川市周辺の道祖神の本・資料があるか調べてもらいました。後日いただいた回答は「無
い」とのこと。でも館員の一人の方が「数年前亡くなった父が道祖神に興味があったらしくアチコチ歩いてい
たので」と、写真や資料が残っているかもしれないと言われ、遺品などを調べてくださったのです。結果とし
ては、残念ながら何も見つからなかったのですが、私の個人的な質問に一生懸命対応していただいたこと
に、とても感銘を受けました。先生の道祖神がきっかけで、このような出会いが私に訪れたことはとても嬉し
いことでした。「動かなければ出会えない 語らなければ広がらない」ですね。   SHimojima

祝『ECHO』350号
 おめでとうございます。「継続は力」では無く「宝タカラ」です。ご自愛下さい。  草栁 茂
※草栁茂先生は『ECHO』を創刊したときの上司・校長先生です。

 「エコー」350号の発行おめでとうございます。神奈川新聞でも大きく取り上げられ、教え子の一人としてた
いへんうれしく思います。先生の強い信念に基づいた教育紙の発行は、私にとっても大きな励みであり、見
本です。少しでも先生の足元に近づけるよう努力したいと思います。暑さ厳しい中ですが、お体をご自愛を
いただき400号、500号と続けてください。   三橋 敬司

 神奈川新聞で拝見いたしました。朝から素晴らしいニュースに心がすっきりしました。家のスタッフも新聞
を読み、皆ニコヤカでございました。かわりなく、こつこつとなされることに感服いたしておりましたが、なお一
層その思いは深まってまいりました。おからだ お気をつけくださいましてずっと続けていただきますよう 楽
しみに致しております。   亀崎 里子

 安曇野で道祖神に出会えました
  「エコー」有難うございました。七月の初め、長野県の安曇野みさと温泉に出かけました。800㍍の丘の上
に立つホテルからは見渡す限り青々とした水田。目の下にはうっすら色づいてきたりんご畑。「スケッチロー
ド」は右も左も《絵》でした。その道をしばらく行く程に、畑の一角に立つ立派な道祖神に出会えました。
 ずっと昔、T先生に誘われて茅ヶ崎市小和田の道祖神を見に行ったことを思いだしました。茅ヶ崎に住んで
いるのに知らなかったのです。気がつけは、家の近くにも小さな道祖神が祀られていました。その道祖神に絶
えることなくお花やお水が供えられていました。「道祖神の里めぐり」をこの秋出版されるとのこと、楽しみです。        
                                                      柴田智八郎

 大井川鉄道・新金谷駅の黒いポスト
 「わたしのふるさと」を書いた次の日、娘と大井川鉄道に乗りに行く予定だったので、「そうだ SLの切手が
あるかも!」と思い原稿の入った手紙を持って出かけた。でも残念ながらその切手はありませんでしたが、
新金谷駅の黒いポストに投函すれば、SL乗車記念スタンプを押します、とあったのでそうしました。知ってい
たら自分宛にも出せたのには時間がなかったので、これはちょっと悔しい…。   大場麻由美           
 ※今号の「わたしのふるさと」は大場麻由美さんにお願いした。秦野→大井川鉄道新金谷→秦野市寺山、
という経路で届いた封書には「煙を吐くSL・富士山・お茶を摘む娘」のイラストのスタンプが鮮やかに押され
ていた。 


2018年7月10日更新

わたしのふるさと

 雄大な日本海 緑の山並み そして母の笑顔
                                                 片山 洋子
 山陰のそれも最も西側に位置する島根県益田市に、急遽転居せざるを得なくなったのは三月の未、まさ
に引っ越しシーズンの真っただ中のことだった。
 一人暮らしであれほど気丈だった母が、お正月休みに帰ってみればまるで別人のように顔つきが変わり、
夜になると幻影に怯え「床下に誰かが住んでいる」とさえ言い出す始末、一人の孤独と不安に苛まれている
のがよくわかったからだ。
 故郷を離れ大学に学び、そのまま約40数年余り他県に暮らしていた私にとって、子供や孫たち、そして友
人たちとも離れることは、全く異郷の地に住むことと同じで、激しい寂寥感と喪失感に日々葛藤したのだが、
子供たちとの話し合いの未、このままではいけないと意を決し退職届を出し、引っ越し難民の溢れる中を一
気呵成のごとく戻ってきた。
 あれから三か月、たくさんの荷物や元々あった荷物との格闘で、あっという間に六月も末。やっと落ちつき
かけたこの頃、車を走らせれば美しく雄大な日本海、緑の山々が心を和ませる日々。母の異変に気付き急
遽同居を決意し転居したのが三月末。今ようやく身辺が落ち着けてきた。 
 様々な葛藤もあったが、走る車の助手席の母の満面の笑みが選択の正しさを教える。
 「子や孫は何人できても親はひとりだけ。そして故郷はここなんだ。」と。ここ山陰・益田が「わたしの故郷」と
、しみじみ想う日々である。

 各地で講習会を開かれている先生の姿を思い浮かべ「どうぞご無理をされないでお続けください」と願って
います。そして今年度頑張って活動していらっしゃる広報委員皆さんに、影ながらエールを送っています。去
年の今頃はせっせと原稿を書いたのに、今年は小6の息子とナンプレやクロスワードを解く時間に変ってい
ます。                                                  中島 悦子

 「エコー」を読んで、いつものように思うのです。私もちゃんと「書くこと」をしようと。    山口 静子

{「四カクに生きる」}
 「汗をかく」 ・ジムに通よおうか、と密かに思っています。「恥をかく」は野菜作りかな。苦手なことこそ克服
する楽しみがある、と簡単には言うものの…。「義理をかく」は「ここは行かなくてもいいかな」とすでに行こな
っています。「字(文)をかく」・これはやっています。足元を確認する意味でも続けていきたいです。
                                                     三嶽 雅彦



2018年6月10日更新
                                            私のふるさと・静岡県清水市
 子どもの頃の思い出
                                                    木口まり子
 その一 木のプール
 故郷は清水市(現静岡市清水区)。清水港へ徒歩五分程の所で駿河湾に注ぐ巴川の河口辺り。生家は河
口で小さな造船所を営み、私達家族は造船所の一画で暮らしていた。昭和三〇年代まで木造船の伝馬船・だ
るま船などを作っていた。  
 船の舳先や側面は緩くカーブしている。このカーブを出す為に、木材を蒸して軟らかくして曲げる。木材を蒸
す時には、まず水を張った「木のプール」に木材を浸しておく。「木のプール」は小学生だった私が一人なら余
裕、でも二人は並べない程の幅。長さは結構長く、深さは膝上まであった。それが木材を浸していない時に遊
びの「木のプール」となる。従兄や近所の子らとバシャバシャやって遊んだ。

その二 係留の飛び移り
清水港の巴川河口付近の岸壁には、釣り船、巡視艇が係留されていた。そこは通学路で格好の道草場所。
船の横隣に次の船が、またその隣に三艘目の船がという具合に係留されていた。それらを、次々にみんなで
競うように飛び移っていくのである。鞄は岸壁に置いて。
 船と船の間からは波打つ水面がのぞく。小学生の長男に進めてみたが、水面を見て怖気づいた模様。私達
には、水面が見える怖さよりも飛び移るスリルの方が優っていたのだ。一番海側の船は、船が往来する度に
波が立ち大揺れが来る。大海へ出たような高揚感に包まれ「波ちょうだーい」と往来する船に向かって叫ぶ。
『十五少年漂流記』を夢中になって読んでいた頃。

その三 石炭山の銀石探し
三保の松原へ続く道を「三保街道」という。今エスパルスドリームプラザが面しているあの道。そこら辺りから清
水港巴川河口までの三保街道には倉庫や石炭山(港で下した石炭を積んである所)が並んでいた。
 日曜日やおじさんたちのいない夕方に鉄条網の穴から石炭山に行く。「銀石」を探すのだ。石炭の中に混じっ
ている銀色に輝く石。石炭をほじ繰り返して探し出すのだから服は汚れる。だが親には小言をくうも、やめられ
なかった。
 ある日事件が起きた。家の造船所に泥棒が入り、金庫の中の木箱がその石炭山で見つかったのである。以
後何だか恐ろしくなって石炭山から足が遠のいていった。「銀石」の本当の名前は未だわからずじまい。
 子ども時代は、あちらの世界へ行く道草の糧でしょうか。そういうお年頃となった今日この頃です。  握手


 今年は意識して東海道を歩こうと思ってます
 いつも「エコー」ありがとうございます。読まさせていただいて「エコー」の愛読者の多さを常に感じています。「エ
コー」の返信をなさった方々は、武先生とどんなきっかけで…、また、今は何をなさっているのか…などを思いな
がら読んでいます。私は4月から新しい環境での生活が始まりました。約1ケ月が経ちようやく生活に慣れてきた
かなと思うのですが、少し疲れを感じています。
 この連休に、「東海道ガイドツアー」で藤沢を案内して歩きます。5月は平塚です。今年は、意識して東海道を歩
こうと思っています。、 佐藤 栄


  さくら
 40代のころ「はんなり通信」という個人新聞を書いていました。武先生の庭の夜桜の写真を見て思いだしたこ
とがありました。それでを書棚の隅に保存していた通信を久しぶりに引っ張り出しました。その中に桜の詩を載
せていたことを思い出したからです。

 樹の心
            高田敏子

 花の季節を愛でられて   花を散らしたあとは
 忘れられている さくら   忘れられて
 静かに過ごす樹の心を  学ばなければならない

 忘れられているときが  自分を見つめ 充実させるときであることを
 樹は知っている


  さくら
                       まど みちお
 さくらの つぼみが   ふくらんできた
 と おもっているうちに  もう まんかいに なっている

 きれいだなあ  きれいだなあ
 と おもっているうちに  もう ちりつくしてしまう

 まいねんの ことだけれど  また おもう
 いちどでも いい  ほめてあげられたらなあ…と

 さくらの ことばで  さくらに そのまんかいを…
                                                Koseki Kayoko

2018年4月1日更新

  
     ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (西行・山家集)

                 
                              3月31日は満月でした。 ウチのサクラ

   

          返ってきたエコー   返ってきたエコー   返ってきたエコー

 ポストに「エコー」が入っていると嬉しくなります。読むと元気が出ます。私も先生のように頑張らなければと
思います。「エコー」は私の活力剤です。今年最初の「エコー」からよいものをたくさん頂きました。感謝です。

 北上だより   雪かき 飽きました
 “冷え冷え”の 日本列島。あちこちから大雪の被害が伝えられていますが、秦野はいかがですか。
 雪には慣れているとはいえ、こちらは連日の大雪と真冬日で参っています。こんなに厳しい冬は今まで経験
したことがありません。毎朝五時から一日五時間くらいの雪かきです。もう飽きました。近所の人たちと「もうた
くさん」と言い合っています。除けた雪の山はとうに2メートルを超え、捨てる場所に苦労しています。除雪の合
間に家事をするような生活です。
 そんな中、先日ちょっとした失敗をしました。小屋に貯蔵しておく自家製の白菜とキャベツの外葉はガリガリ
に凍りつきました。翌日の調理に使おうと台所の流し台に白菜を置きましたが、いつまでたっても解凍しない
のです。気がつきました。「そうか、気温が低すぎるんだ。冷蔵庫に入れないと溶けないんだ!」。それでも節
分には「豆撒き」をしました。(撒く豆はこちらは落花生です。秦野はもちろん落花生ですね) もう少しの辛抱、
今が頑張りどころです。
 その節分の前日、小学校で絵本の「読み聞かせ」をしました。選んだ本は『酒呑童子』。節分にちなんで鬼退
治のものを、と思ったからです。実は『酒呑童子』は私の大好きなお話です。英語やフランス語にも翻訳され海
外でもよく知られている話なのです。恐ろしい鬼である酒呑童子の生い立ちを知ると話に迫力が加わります。
この日の「読み聞かせ」は6年生の教室、6年生はこれが最後の「読み聞かせ」の時間でした。よく聴いてくれま
した。卒業式は3月17日です。
 雪かきであちこち痛いですが、たくましく?生活しています。もうすぐ春が来ます。先生も奥様もお元気でお過
ごしください。                                  北上市  渡辺 知子


6冊を併詠
今読んでいる本は、次の6冊です。
・日野原垂明君『いのちの使い方』
・中野ジェームズ修一著『かしこい体の鍛え方』
・古川哲史著『血圧と心臓が気になる人のための本』
・開裕二著『古代史 不都合な真実』
・瀬戸内寂聴著『死に支度』
・日野原重明著『人生の百年 私の工夫』
 それから骨休めに『漫画 君たちはどう生きるか』。
全部読み切れるかどうかわかりませんが。読み切れないままブックオフに行く場合もぁります。気になる本は買っ
ておくというスタンスでやっています。後であの本員ってぉけばよかった、と後悔することが多いので。
乱読です、熟読では飽きてしまいます。そういう点から本屋さんは必要なんです。実際にその本を見て読みたい
かどうか判断するので、インターネットなら簡単に手に入るということもありますが、本との出会いがなければ楽し
くないでしょう。  雅彦 

『森のくまさん』の最優秀賞
 おめでとうございます
 早朝の雷鳴と稲妻、激しい豪雨に気合を入れられました。弥生の初日には珍しいことです。やがて晴れ渡りポ
カポカ陽気で富士山も微かに見え快適です。先生は道祖神でご活躍の充実した日々ですね。そのうち落ち着き
ましたら伺えることを楽しみにしています。
 秦野東中の2年2組の学級新聞『森のくまさん』が最優秀賞に輝きおめでとうございます。25回の発行とは驚き
ました。これぞ!学級新聞ですよね。東中が『森のくまさん』で4回目の「学級新聞日本一」の獲得とは! 秦野の
新聞教育が花開き発展していること喜びます。  菅原 澄子



2017年2月7日更新

          返ってきたエコー   返ってきたエコー   返ってきたエコー
 「ボンド理論」
 連日、厳しい寒さが続いておりますが、陽ざしにふっと春の光を感ずるこの頃です。
「ECHO」345号をいただきまして、有難うございます。毎号の「返ってきたエコー」を読み、武先生の人間模様
と人間磁力に、いつも感動しています。
 アメリカの社会学者T・ハーシーの「ボンド理論=社会的絆(きずな)理論」によれば、人と人を接着させる要因
(ソーシャル・ボンド)は、アタッチメント(attachment 他者への愛着)、コミットメント(commitment 目標達成の
ために個人が積み重ねてきた投資)、インボルブメント(involvement 慣習的活動に巻き込まれていること)、
そしてビリーフ(belief 規範や道徳への信念)の四つがあるのだそうです。
 先生の取り組みは、その理論を完結していると思いました。生意気なことを言ってスミマセン!  ありがとう
ございました。    清  四郎
   

去年今年

              
                                                    畠 和子


2017年1月7日更新   
              返ってきたエコー   返ってきたエコー   返ってきたエコー   

 「続道祖神巡り」 待ってました!
 第343号、拝読しました。有り難うございます。今号も、素晴らしい内容、感動しました。節目の「さをり織り展」の大
成功、おめでとうございます。伺いたかったです。3年C組のクラス会も、その様子が彷彿、「いいなあ」と感嘆しました。
「道祖神巡り」の続報も、「待ってました!」の心境、大いに楽しませていただきました。
 親子三代にわたる亀崎医院とのお付き合いも、スゴイことですね。地域にこういう仁医が存在し、地域医療を支えて
いること(=地域の人がそういうお医者さんを支えていること)は素晴らしいことだと思います。
 そして栃尾タイムスのコラム「街の片々」。武さんの足跡が長岡市にまでしっかりと印された記念すべき出逢い、読む
者にも深い感動を呼び起こします。ご家族からの花火のサプライズプレゼントは、一生の宝物になるでしょうね。
 たくさんの読者、たくさんの武ファンが、毎月の『ECHO』を心待ちにしています。お身体を労り、いつまでもお元気で
お過ごしくださいますよう! 奥様によろしく。ご一家で良いお年をお迎えください。   勝好

 ご自愛なされながら『エコー』を
 『エコー』ありがとうございます。丸林柚凛ちゃんの記事を読ませていただきました。すてきな記事をありがとうございま
した。柚凛ちゃんも、かべ新聞をまとめて本にしたんですね。渡辺柚美ちゃんの「かいこ大すき新聞」も、まとめた物を自
由研究として学校代表になりました。その新聞は、今、横浜の「シルク博物館」の「たのしいかいこの発表会」で展示中で
す。写真を送りますので見てください。夏休みの壁新聞を作り、来年度が楽しみです。
 『エコー』が届くたびに、「先生は元気だなぁ」と感心しています。お身体をご自愛なされ、『エコー』を続けてください。良
いお年をお迎えください。   克予

 「教育功労賞」の受賞おめでとうございます。秦野市での全新研全国大会は、私にとっても、はがき新聞の大きな飛躍
のきっかけになりました。先生のご指導の素晴らしさ、新聞教育のみならず、地域文化の発掘調査等々、息の長いお仕
事に、遠くにいて励まされ、また大きな拍手を送らせていただいています。  ブルガリア 野手美和子

 第二のふるさとでの生活は「動かなければ出会えない」でスタート
 菊川に移住して一カ月が経ちました。第二のふるさとでの生活の始まり。先ず感じたことは「動かなければ出会えない」
でした。夏のクルージングで知り会った人は掛川にお住みの方でした。そのとき「静岡に移られたら会いましょう」と言っ
てくださったので、思い切って連絡をし、楽しいお酒を酌み交わすことができました。知らない地で歓待された喜び、そし
て幸せ感。それは「動かなければ出会えない」から生まれたものです。
 主人は「吹き矢協会」に入っていたので、島田市のサークルに入会しました。私はまだフラフラ。やっぱりチクチク針を
動かしている時が心が落ち着くような気がします。  能子

 先ごろ友人に誘われ、寺山の東京カントリーでにゴルフをしに行きました。車から見る景色は初めて訪れるようでした。
チラッと見えた東中学校の校舎に「エッ ここが私の中学校?」。半世紀も前、先生の家に遊びに伺ったことを懐かしく思
い出したのでした。  堀口 陽子

 東日本大震災の学校支援として本を送って7年目に入ります。被災地ではまだ支援を必要としています。本年もよろしくお
願いします。  徳博

 新聞コンクール 「東中新聞」 最優秀賞に輝きおめでとうございます。相変わらず中身の濃い記事に感服です。それに
しても広報委員は女子が圧倒的に多いですね。向上高校さんもそう。将来この経験を活かせる仕事に就いてほしいです。 
                                                                  清子
 みなさん! くれぐれも急がず  ゆっくりと!
近況報告
○一日の生活
 朝6時前起床。午前中は、杖を片手に3キロ前後の歩行訓練か狭い庭の草むしり。雑草はとってもとっても出てくる。
 そして汚れた衣服の洗濯は自分で。午後は、TV(スポーツ全般、政治屋や評論家の話、旅番 組や笑点など)を横にな
って。時間潰しには、数独やちっとも進まない身辺整理など。夜、9時過ぎ就寝。
○台日友好!
 文通開始60年 秋に、台湾から今は亡き文通の友Yさんの娘さんと孫さんが秦野まで来てくださった。Yさんとの思い出
話など楽しい 一時を過ごすことができた。頂いた土産の中に数独の難しい問題集が2冊入っていた。ボケない為の先方
の気遣い。感謝。
○お岩さん出現
  平成29年10月25日、山行き回数18年間で3332 回を迎えた。途中から降り出した雨に濡れながらの帰路、我が家の
玄関が見えた下り坂で足がもつれて転倒。顔面強打と 全身打撲で散々な日となった。前科3犯、4回目。
みなさん! くれぐれも急がず ゆっくりと!
 皆様のご健康をお祈りいたします。  平成30年元旦  俊彦(82歳) 




2017年12月15日更新   
 返ってきたエコー   返ってきたエコー   返ってきたエコー   返ってきたエコー   
 
 342号のトップ記事「栃尾の夜空に“祝一千回講演”」は嬉しくて涙が滲みます。ご子息のご配慮、ご家族のサプライ
ズ! 「五号玉胸にも咲かせ仰ぎたり 勝美」。何度拝読しても心躍ります。「祝一千回講演」なんですよね。本当に
㊗おめでとうございます。私が武先生の映画を作るとしたら、この感動的な場面の撮影に力を入れます。それから第
20回さをり織り展が盛況で4日間で800人とは驚きました。流石ですね。厚子さま共々おめでとうございます。  澄子

 「エコー」 毎号楽しみに待っています。342号の「秋日好天」の俳句がとても素敵です。秋の蒼い空は四季の中で一
番好きな景色です。   冨美

 先生の同窓会での話「春はやってくるのではない 。自分から春になるのです」。いいですね。私も次の同窓会に出
ようかなと言う気持ちになりました。 また、中学生のとき新聞づくりに出会い、教室で子どもたちと新聞づくりをしたい
と先生になったCさん。武先生とCさんの絆の太さに心を打たれました。  裕子
 
 地域の人々と繋がり新聞づくりを伝えていらっしゃることに、いつも敬服いたしております。   淑子

 「エコー」を読ませていただいてますが、、いつも“気づき”があります。今回インタビューをとるために何度も学校や児
童館に通いました。「動かなければ出会えない」です。そのつど暖かい出会いがありました。その出会いで暖かい紙面
が出来たと思っています。次号の発行にもどんな出会いがあるのか楽しみに活動していていきます。   尚美

 12月に入って一気に寒くなりましたが、季節の花々はそれぞれ花を開く準備をしているようです。大島から買ってき
た椿はずっと二つしか花を咲かせなかったのですが、今年は十二も。水仙の蕾もふくれてきています。シンビジュウ
ムの鉢に思いがけないほどの蕾を見ることができました。これからがとても楽しみです。マラソンのほうは相変わらず
です。10日に茨城・筑西市の5キロに参加します。  典子

2017年11月5日更新   
 わが娘の成長を感じた子供会のキャンプ
 ご無沙汰しております。その後体調おかわりないですか。『エコー』が届きました。なかなかお返事が出来てませんが毎回
楽しみにしております。花火のサプライズ(^^)素敵ですね。私も今度試してみたいです!
 『エコー』今号で「子育てご一緒に」の文字を久しぶりに見ました。私は、今PTAからだいぶ離れてしまい、なかなか学校行
事にも参加できずにいます。それでも秦野市子供会育成連絡協議会(秦子連)の役員をして、子どもたちと一緒に活動をして
います。「また大きな役員を受けてしまった」と思いましたが、人と出会う一期一会を大切にしたいと思い活動することに決め
ました。
 夏に丹沢野外活動センターで6年生限定キャンプがありました。各小学校から6年生があつまり、中学生や高校生がお手
伝いをしながら自分たちでキャンプを楽しむとゆう企画です。うちの娘も参加しましたが、私はわが子はほったらかし。役員
の仕事に集中しなければなりませんでした。でも6年生くらいになるとお手伝いもしてくれるし、向こうから声をかけてくれる。
そんなわが子に成長を感じた嬉しく充実したキャンプになりました。来週末には5年生キャンプがあり、どんな出会いがある
のか、とても楽しみです!
 あっとゆう間にもう11月です。寒くなりますお体大切になさってください。     高橋由香利

 341号拝読いたしました。サプライズ、嬉しかったでしょう。わざわざFMラジオを持っていく配慮。有りがたいことです。ご子息
共々ご家族に幸あれと願います。
 中秋の名月。うちでもかっては年中行事を欠かさず行ってきました。ススキの穂をどこかから持ってきて、おまんじゅうを山の
ようにして飾る。この時のおまんじゅうは他所の家の物を食べても泥棒にはならない、と教えられても、それを実践したことはあ
りません。満月の夜を思い浮かべます。
 ウチの広報委員さんは熱心です。いい新聞を作ろうというのと、より多くの人に親しみをもって読んでもらえる広報にしようとし
ています。すでに最終号への取り組みもされていて、職員向けにこのような内容にしたいのですが取材は可能かなどと相談を
受けました。広報クリニックを受けられた方々の顔が思い浮かびます。
 但馬と聞くと、宮本武蔵を思い出します。小説を読むだけではその風景は思い浮かばず、武蔵が吊された木はどんなものか
なと想像の羽を広げています。どんな町なのかな。
「夏休み親子でつくる壁新聞」の取り組みは何箇所で行なっていらしゃるのですか。楽しみにしている子もいるようですので、そ
の子のためだけにでも毎年行ってあげたくなるでしょう。
「ちょんぼ地蔵尊」の一ちょんぼ一って、どういう意味ですか。今や死語になっているかもしれないこの言葉は、失敗したとかしく
じったという意味で使っていましたが、その‘ちょんぼ’でしょうか。  Masaiko

2017年10月5日更新
    道祖神は《ワンダーワールド》
 先日は楽しいお話をありがとうございました。どんど焼きというのは全国にあったんですね。私は秦野にきて初めてその
名前を聞いたので、この辺りだけのものかとずっと思っていました。でも宮中行事との関連を話されていたので、京都から
ここまでずっとあるのかな?と思って調べてみたら、全国にあることを知りました。私の生まれ育った奥能登にもありました。
お隣の輪島に…。初めて知りました!
 道祖神そのものの変遷や多様性についても面白く感じました。人々の願いを込めて祀られたのかもしれませんが、「まあ
いいいか、ご利益がありそうなものをくっつけちゃえ!」などと、色んな理由やきっかけで造立されたものもあったんだろうな
…と想像すると、“歴史の中にいた人々”を、今の自分と変わらない人間として身近に感じます。    恵美子

 10/6 神奈川の道祖神についての公開講座を拝聴。講師の武勝美先生は教職を退いた後、道祖神の世界に魅せられ60
を越える道祖神の里を訪ね、書籍を出版された。出版記念二回目は、神奈川県内各地の道祖神を訪ね歩きその魅力に付
いて熱く語られた。そこで一句。道祖神招きにあいて旅立つ武先生。   Matsumoto

わが子のように愛おしい広報紙
 四月に活動を始めて、みんな必死に走り続けた一学期でした。今こうして完成した広報紙をわが子のように愛おしく見つ
めています。
 広報委員になるまでは、何気なく受け取っていた広報紙。それを作る側に回った今、広報紙が持つ存在の重要さを、素
直な心で受け止めています。それにしても、会員の皆さんに読んでいただく紙面を何もないところから作ることのなんと大変
なことか。そしてそれだから実感できた広報紙発行のときの充実感。「今、伝えたいことは何か。伝えなればいけないことは
何か」を委員会で確認し合い二学期もがんばります。   さくら木委員会               

からからせんべい
 夫が筑波山出身(?)なので「故郷は茨城 子供のころの遊び」を読み久しぶりに夫婦間の会話(カエルでザリガニを釣っ
たこと)が成立しました。ありがとうございます。三陸新報の『萬有流転』で紹介された四冊の本にとても引かれました。読書
会で皆さんに勧めようと思います。「鶴の舞い橋」という文字から、山形県鶴岡市の「からからせんべい」を思い浮かべました。
中にかわいいオモチャが入っているお菓子です。   香代子                         

2017年9月7日更新
 第60回金国新聞数育研究大会・東京大会(2017年7月31日・8月1日)の 大会資料
 「北から南から・全国ブロックニュース」より
 秦野の新聞教育
 平成18年8月3日・4日 第49回金国新聞数育研究大会が秦野で開かれました。今でも、全新研の尭生方から「秦野大
会はよかった」と言われることがあり嬉しく思っています。
 秦野大会は、新聞づくりやNIEを積極的に取り組む多くの講師を迎え、充実した研修ができた二日間でした。その中で、
特に「秦野のよさ」が出た温かな大会と評価されたことの一つは、お母さんたちと中学生が大会速報や裏方で活躍したこ
とです。
 大会の速報『湧水』の発行に携わったお母さんたちは、大会の翌年から毎年8月に同窓会を開き「新聞づくりは仲間づく
り」を実感しています。そして10年目を迎えた昨年、その同窓会が『湊永』10周年記念号(A3判2ぺージ・カラー印刷)を発
行しました。「あれから10年 秦野大会が私たちに与えたもの」がトップ記事で、速報係り全員の声が掲載されています。
他にA3判2ページ速報を二日間で4号まて発行した激闘を振り返り懐かしんでいます。
 今も秦野の学校での新聞づくりは脈々と行われているのは、秦野で大会を開いてもらったこと、そしてこのお母さんたち
のように大会の成功に向けてがんばってくれた方々のおかげだと感じます。
 市内の中学校では、長い間受け継ぎ取り組んできた活動の一つとして、毎年「秦野市中学校学級新聞コンクール」が開
催されています。昨年度49回目となったコンクールに市内9中学校から117学級中115学級が参加しました。
 「学ぶ」は「真似る」からきていると言われています。秦野の新聞教育に携わった下さった諸先輩に学び、真似て、秦野
の新聞づくりの火を絶やさないようにしていきたいと思っています。
                                          秦野市中学校新聞教育研究会  谷津 裕
                                                (市立大根中学校教諭・全新研理事)

2017年8月7日更新

 ウチのPTA広報はレベル高い
 『エコー』339号、拝読いたしました。 白鵬の「1048勝、単独首位」は通過点であって、今後も勝ち星を増やしてい
くでしょう。先生の1000回も通過点、ますますその記録を伸ばしてください。10種類の缶ビールからなぜオリオン? 
 「平和の礎」に父の実家の人の名が刻まれているとか。叔父にあたる人? 確かめてみたいです。
 広報づくりのこと。PTA広報担当なので、記事を添削するようなことをさせられています。それで気がついたことを
連絡しています。すると、その指示を受け留め、紙面が変わっていくのです。「職員紹介」の欄、左右のページ入れ替
わったのには驚きました。校長先生・教頭先生の配置から考ぇて左側から始めるのがいい、とまで考えついたのはス
ゴイ。「学校弁当の紹介」の欄が少し見づらいと言ったら、綺麗に整備され見やすく、立派になりました。こんなにコン
ピュータを操作できるのには真に誰かアドバイザーがいるのではないか、と疑いたくなるほどです。ウチのPTA広報は
レベル高い、と思います。
 長期休暇(夏休み)は読書の期間。この夏は何冊読めるかな。おもしろい本に出会えるかな。 それではお体 お大
事に。  Masahiko

 風呂で溺れそう
 当地は連日《真夏日》。日中は野良仕事はほとんどできません。そのため朝5時に起き畑仕事をしています。ですか
ら昼中はウトウト。夕方涼しくなるとまた外へ。今度はやぶ蚊に襲われます。夕食の片付けを終えて洗濯物を畳んでい
ると《舟を漕ぎ》、お風呂に入れば溺れそう。夏の野良仕事は本当に疲れます。でも東北の夏はあっという間です。
 講座・講演一千回到達、おめでとうございます。スゴイです! 講座の主な一覧表で、平成22年8月「PTA広報づくり
講座・全国新聞教育研究大会北上大会」を見つけました。武先生の講座に参加して、もう7年になるのですね。先日、
偶然歯医者さんで当時一緒に広報委員をやった方と出会いました。当時の広報づくりの思い出が次から次と湧きでて
きて話はつきませんでした。「広報づくりは仲間づくり」という先生の言葉を、本当に実感しました。  Tomoko

 広報づくり 一生懸命取り組みます
 今年度は新しく広報紙用ソフトを購入。印刷以外は自分たちで作ることにしました。仕事をもっている方が多く、みん
なで集まることがなかなかできないのでラインやメールで連絡を取り合い、それぞれが作業を進めました。でも、十分
伝えたと思っていることも相手に正しく伝わらないこともあり、文字でのコミュニケーションのむずかしさを感じました。
 今まで広報に関わったことはなかったので、先生の五月の講座で学んだことがたくさんありました。とくに「文は短く
書く・30字くらいで句点を」「写真ばかりや文字ばかりの広報は読んでもらえない」「防災・防犯の記事は毎年取り上げ
よう」は強く心に残っています。 広報委員一同一生懸命取り組みます。一年間ご指導をお願いいたします。  HIromi
 
 千という数字
 一千回の講座・講演 おめでとうございます。「千手観音」「千日回峰行」。千という数字に重みを感じます。私もここ
数年、お話を聞いてもらえる機会をいただいてますが、すべての方に感謝しながらお話しています。  Nakano

 「一千回のご講演」 それは参加者の心に響く・応えるお話をされるからこそ、講演のお願いがあるのだと思います。
これからもお元気でお話されますように。
 四月に移動し、久しぶりに「新聞委員会」を担当しています。伝統と歴史のある題字を持つ学校新聞の指導に今、燃
えています。  Yoshiko

2017年7月7日更新

私のふるさと 兵庫・豊岡市
 「赤石の者だぞ」 
                                                        田中嘉津明
 私のふるさとは昔、但馬と呼ばれていた兵庫県の日本海側にある豊岡市です。秦野市に住んでいる現在でも、テレビ
の天気予報を見ると、いつも兵庫県北部が気になり、無意識に見ています。この地方は昔から、雨が多く、年間の日照
時間が少ないことで知られています。地元では「弁当忘れても、傘忘れるな」とよく聞かされたものです。
 子供の頃の思い出は雨にまつわるものが多いような気がします。昭和16年生まれの私は、2㌔離れた小学校迄通った
のですが、当時は終戦直後で、靴など無く、藁草履で通学するのですが、道路は舗装がされていないので、穴ぼこだらけ。
雨の日などは、背中まで泥を跳ねあげてしまうので、素足で歩いて通いました。学校の下足箱の前には、浅い足洗い場
があったのを覚えています。
 子供の頃の思い出は、広場で行われる「盆踊り」が二重、三重の踊りの輪ができるほどの盛大なもので、集落独特の「べ
ろべろ節」で踊りました。今でも瞼に焼き付いています。秋祭りの「だんじり」も印象に残っています。狭い石段を担いで登り、
玄関前で、ひとしきり騒いでから又次の家に向かいました。18歳で郷里を離れた私には「だんじり」を担いだ思い出が無い
のが残念です。
 小学生の頃に、毎年夏になると当番の家に集落の男の子が泊り込みます。夜になると、上級生が取り仕切って、「きもだ
めし」などがあり、村外れの墓地まで行って、そこに置かれた物を持って帰ってくるというものでしたが、私は怖くて、途中で
親戚の家に逃げ込んでしまい、笑いものになった記憶があります。寝る前にその家の御主人が、子供たちを集めて、村に
伝わる、「昔話」や「怪談」などをしてくれました。今でも思い出すのは「カッパの恩返し」です。赤石集落の下手の玄武洞の
前の入り江で子供達が泳ぐのですが、「昔、村の万太郎爺さんが入り江のそばの畑で草取りをしていると、なでぼん(カッ
パの頭)のかわいい子供が出てきて、水遊びをしようとしきりに誘ったのですが、爺さんはカッパの化けた者だと悟っていた
ので、畑のそばのカズラを引いてきていきなりくくり上げました。おまえはこの川で大勢の子供を引きこんで殺したうえ、俺
までだまそうとした。殺してやる。というと、カッパはわしが悪かった、どうかか赦してくれ。許してくれたら今後水浴びをする
時に「赤石の者だぞ」といってくれたら、決してその者に手出しはしない、お礼に毎日魚を取って家に届けてやるといったそ
うです。子供の頃、夏に水に入る時には「赤石の者だぞ」と叫んで入った記憶があります。

2017年6月7日更新

                            
                                     及川 扇翠 
  「明るく日々邁進される先生にプレゼントしたいと、及川扇翠先生にお願しましたら、喜んで書いてくださいました。 及川先生
は5月21日NewYork Queens美術館でパホーマンスをなさいます。お琴の演奏と書の大字揮毫を実演されます」と菅原澄子さんか
ら頂いた書画です。
 この5月で創刊33周年を迎えた『ECHO』にまたとない励ましをいただきました。感激です。菅原さん、及川先生、本当にありがと
うございました。


わたしのふるさと 
 
校歌でなぞるふるさと・気仙沼

                                                               渡辺 知子
  私の実家は気仙沼湾の一番奥に河口を持つ鹿折(シシオリ)川の上流、上鹿折という地区にあります。
 二年前の平成27年三月、私の母校である気仙沼市立白山(ハクサン)小学校が鹿折小学校と統合される、と弟が知らせてきま
した。それで私は閉校式に参加し、懐かしい体育館で校歌をしっかり歌ってきました。歌詞もメロディもちゃんと憶えていました。
一 高判形(タカハンギョウ)の峰は わたくしたちと歌う 谷を渡る朝風 遠くひびく山びこ いつも明るくのびのびと
  みんなすなおにすくすくと 白山小学校よ 百合の咲く道よ 
二 太平洋の雲は わたくしたちを招く  窓に光る青空 人に尽くすまごころ
  (以下略)
三 鹿折川の水に わたくしたちは育つ  金の脈よ輝け 源氏滝(ゲンジタキ)よあふれよ 
  (以下略)
 リアス式海岸の地です。山も海も川も歌詞に出てくるのです。
 一番   山のこと
 春は山菜や竹の子。秋にはキノコ、マツタケも何度か。白山地区は山間の集落なので山の恵みをいただきました。白山小学校
ではキノコ狩りという行事がありました。学校の近くの山でアミタケを採り、その場で調理して食べるのです。みんなで食べるキノコ
鍋は最高に美味しかったのです。その山は教室の薪ストーブのための学校林でした。
 薪と言えば我が家にもカマド小屋があり、ご飯はカマドで炊いていました。焚きつけ用の杉の葉や小枝を山から拾ってくるのは子
どもの仕事でした。小屋では父が七輪で魚を焼いたりしました。母は山の方、父は海の方の出なので、魚を焼くのは父が上手だっ
たからです。
 二番  海のこと
 春の連休にはよく潮干狩りに出かけました。砂浜ではアサリ、岩場ではツブ貝やカラス貝も取れました。夏は海水浴、JRで南下し
て大谷海岸か、北上して陸前高田の高田松原へ。大谷海岸は駅のまん前だし、高田松原も駅からすぐです。泳いでいる私の傍ら
にイワシの子(メダカより小さい)が群れていることもありました。一緒に波乗りをしていると、サッとどこかに消えてしまうのです。そし
て、気がつくともっと大きな群れになって私の横に現われる、海はほんとうに楽しいところです。
 気仙沼は水産業のまちですから、我が家の冷蔵庫にはいつも魚介類が入っていました。海の幸に恵まれた生活でした。でも、子
供のころ、牛肉の代わりにメカジキがはいっているカレーライスに出会うと、がっかりしたのでした。
 三番  川のこと
 鹿折川の上流には金山跡があります。平泉の中尊寺金色堂にはここの砂金が使われたといわれています。明治時代、含有率
83%という2㎏の鉱石が採掘されました。セントルイス万国博覧会に出展されたその鉱石は「モンスターゴールド」と賞賛されたそう
です。昭和46年に閉山しましたが、今もバスの終点・始発駅名は「鹿折金山」となっています。金山の裾野には「源氏の沢」が流れ、
三段滝「源氏の滝」があります。母に連れられその滝に行き、岩に残る義経の愛馬「太夫黒(タユウグロ)」の蹄の跡を見ました。こ
の辺りは岩魚やヤマメがいるので弟はよく釣りに行きました。私は父とカジカや沢ガニを捕りました。
 この川に送り盆の朝、盆舟を流しました。長さ四、五十㌢ほどの舟に、仏様に供えた小塔婆、花、供物などが乗せられます。家族
みんなで舟が海まで届くように、と手を合わせ送りました。
 山と海と川 美しく豊かな自然。これが私の故郷・気仙沼です。

 鶴の舞い橋
 桜が満開です。うす紅色は春の女神の微笑みの色でしょうか。
 336号の「鶴の舞い橋」の記事、大変興味深く読ませていただきました。ネットで見ましたが、本当に鶴の舞う姿のような美しい橋で
すね。いつか行ってみたいです。そして企画課の方のお名前、とても偶然とは思えない、何か不思議な結びつきがあるように感じま
した。  恵美子

 トラクターデビュー
 農作業が始まり、私はこの春トラクターデビューしました。畑を耕耘機より深く掘り返したいのでチャレンジをしたのです。でも運転
席に座るたびにビビっています。切り替えの操作がいっぱいあってよくわからないのです。緊張しっぱなし。車庫入れが終わるとフラ
フラになります。上手に運転できるように頑張っています。  知子

 道祖神の研究がさらにに深まりますように
 お彼岸のお墓参りで偶然お会いしたとき、お元気そうで安心しました。「エコー」の発行、体調など留意なされ末永くお続けください。
定退後の私は動物病院で働いています。大好きな動物に関われる仕事に就けてしあわせです。先生の道祖神の研究も更に深まる
ことを願っています。  説子
            
 講演を参考に がんばります 
 先日の広報技術講習会で先生の元気なお顔を見ることができ安心しました。二時間立ちっぱなしでのお話、すごいです。今年一番
下の子が中三になり、もうPTAは来ないだろうと思っていたら、来たのです! 一学期担当班なので講演会で聞いたことを参考に、が
んばります。  すみ江            

 新聞教育の基本を学ぶ
 337号、そしてホームページ更新、ありがとうございます。東中学校の新聞講習会の内容、素晴らしいですね。新聞教育の基本を学
ばせていただきました。  澄子     

 ありました! 道祖神が
 『道祖神ワンダーワールド』を読み、近くの道祖神を探しました。ありました、17ページの44が。ハイカーは足を止めませんが、私は通
るたびに手を合わせて拝みます。この道祖神の前を通ると必ずお祈りしていたという祖母の思い出が長男にはあるそうです。  幾子


2017年5月7日更新 


五月の庭

  「エコー」の読者の新参者てず
 先日は「道祖神ワンダーワールドNO2・神奈川の道祖神」に参加させていただき、ありがとうございました。私が見て歩いた愛川町
の道祖神も紹介され、嬉しかったです。他所にはさまざまな形のステキな道祖神さんがいらっしゃること知り、羨ましくも思いました。 
 家の近くのほんとうに素朴な道祖神さんは、私のひいおじいちゃんたちが建てたと聞いています。この地域の人の願いや想いがこ
められているこの道祖神、大切にしたいと思いました。
 「エコー」の読者の新参者の私は、235号の「マキシマくーん がんばって〜」の記事で二宮の道祖神と一緒に駅伝を応援する勝美
先生と厚子先生の姿を思い浮かべることができました。内藤美彦先生の「『エコー』よ響きわたれ」に、とても感激し、共感いたしまし
た。内藤先生のお人柄、そして武先生の内藤先生への思いが心にしみ入りました。
 236号でマキシマくんと内藤先生の奥様からのお手紙に接することができ、胸がいっぱいになりました。
広報委員さんのおたよりもたくさん! 30年ほど前(昭和63年度)の広報づくりを懐かしく思い出したのでした。それで保存してある当時
の広報紙を取り出して眺めました。アドバイスや忠告など全くない中での広報づくり、分かりやすい、親しみの持てる紙面づくりを心が
けがんばったことは確かです。お陰で当時の広報の仲間とは幼馴染のように仲良くお付き合いしています。その広報紙をお送りしま
す読んでいただき感想などお聞かせください。(再度広報委員になったときに参考にしたい?)
 新車のこと、いろいろな装置がついているとか。お気をつけて運転なさってください。私も免許をとって50年です。買い替えたいです。 
                                                                     小関香代子



神奈川県愛川町

2017年4月7日更新 

 全国コンクールの入賞は活動のご褒美 
              
 学校から広報委員決定の手紙をいただいたときには、落胆しました。前年に小学校の広報副委員長の任務を終えたばかりだった
のです。でも、子供が中学生になってから、参観、懇談会と欠席することが多くなり、学校生活をほとんど知らない!と思ったのです。
今しかない中学生活を覗いて、もっと子どもと会話したいと思いました。そんな気持ちになり委員長に立候補しました。前年度やった
ことを活かそうと思ったのです。 3月から広報活動が始まりました。他の委員の方も積極的に協力してくださり、案も興味があるもの
が沢山ありました。有難い事に、パソコンに長けている方が居られ非常に助けられました。
 東中の広報誌『ぎんなん』には長い歴史があります。昭和44年12月に『PTA会報』という形で発行され、2号からはガリ版印刷で『PT
A広報』に、平成17年に現在の『ぎんなん』へとタイトルが変わりました。古い広報紙を見てみると、現校長先生が教員だった頃の写真
などあり、内容も引き込まれるものばかりでした。私もこんな広報誌が作りたいと思いました。
 年度第1号の1面に入学式ではなく、食の写真を載せたのも、新入生の保護者の方に愛情たっぷりのお弁当を嬉しそうに食べている
姿を見せたい。という思いからでした。アンケートも保護者と生徒に同じテーマで協力をお願いしました。そうする事で、保護者の皆さん
が結果はどうだったかしら?と気にして貰えるのではないか、親子の会話に役立てればと思ったからです。
 私が広報活動をするに当たり意欲を掻き立ててくれたのは、広報クリニックや研修会でした。他校の広報委員の方が工夫されている
ところ、ピンポイントで指摘を下さる武先生の指導が非常に参考になりました。
 今回、毎日新聞社のPTA新聞コンクールで『優秀賞 全国新聞教育研究協議会賞』をいただきました。私たち広報委員はご褒美だと
喜びました。それと共に一年間の活動が意味があるものだったと確信しました。   長谷川こずえ
  

 和で育った「わかたけ」       
 一年間を振り返り、自分なりのこだわりを考えてみましたがなかなか思い浮かばず、ただ一つ思いついたのは「和」でした。これは武先
生にも大丈夫とおっしゃっていただいていた言葉でした。一人ひとりができることを精一杯頑張り、協力してくれたので私は活動を円滑に
進められるよう気を配るだけで、みんなとの「和」がなければ今年度の「わかたけ」はできなかったと思います。
 紙面を作成するにあたり意識したことは、「広報紙はPTA活動を知ってもらう大事な役割がある」ということです。活動内容が読みやすく、
わかりやすいレイアウトになるよう気をつけました。
 反省点や試行錯誤点などは配布作業時にみんなで共有し、次号を作成する時にいかせるようにしました。心強いことに経験者が2名と
本部役員の広報付きの方も経験者で紙面の作り方やレイアウトの仕方などたくさん教えていただきました。一年間楽しく活動できて本当に
よかったです。これからも「和」を大切にしていきたいと思います。  苅籠 倫子


 無理なく楽しく委員活動
 広報委員長になつたきっかけは、知り合いの本部役員の方から誘いを受けたことでした。私は子どもの頃から人前で発表することや、文
章を書いたりすることが大の苦手だったので、広報紙を作るということ、しかも「委員長」としてなどはとても出来そうになく、不安でいっぱい
でした。しかしこれも貴重な経験になると考え引き受けることにしました。
 そんな中で始まった委員活動。5月に行われた「広報技術講習会」で、武先生が実際の記事を取り上げて、記事に込められた思いや、そ
こから読み解けることなど、広報紙作りのノウハウを詳しく話してくださりました。そこで広報紙作りが少し分かったような気がして、不安だら
けの気持ちから、どんな広報紙を作ろうかと期待が膨らむようになっていきました。
 委員会の活動や学校行事を取材していく中で、PTA活動は子ども達が学校生活を安心して健やかに過ごせるために大きな役割を果たし
ていることに改めて気づかされました。そのことをもつと紙面で伝えたいという気持ちから、PTA最大行事であるバザーの特集記事を組み、
最終号では、委員会の活動内容紹介をトップ記事にしました。
 また、学校へ行く機会が増え、普段の子ども達の学校での様子を見ることができました。先生とのやりとりで見せる真剣な表情や、家では
見たことがない顔で話す友達との会話の様子。それらを紙面に載せたいとの思いでカメラを構えるのですが、自然な表情を捉えるのは思っ
たよりも難しく、たくさん撮っても使えるのは数枚程度。カメラマンさんの凄さを知りました。
 毎号載せる記事についてアイディアを出し合ったり、レイアウトを考える作業は大変でした。委員の中には働いている人や小さなお子さん
がいる人もおり、全員で集まることはあまりできませんでしたが、それでも「できる人がその時にできることをしよう」をモットーに無理せずに
活動してきました。そして最後にみんなで「楽しかつたね」と言い合える活動ができたことは、委員長として役目を果たせた気持ちで胸が熱く
なりました。
 広報紙として形に残り、達成感、充実感を味わえるのは広報委員ならではだと思います。この経験を活かし、これからも私のできる形で子
ども達の成長を見守っていきたいと思います。  綿引まり子 


 十年間のPTA広報委員活動もゴール
 ついに私のPTA広報紙づくりもゴールです。本当に長い間ご指導いただきありがとうございました。おかげさまで良いPTAが送れたと思い
ます。私は「広報」を「宣伝」と思い込んでいたので、なんでPTAが宣伝をするのかわからなかったのです。それを「発行はPTA、それを編集
するのが広報委員会」と武先生から教えられ、「会員の顔が見えない」と指摘されました。
それから会員の声を必死に集めました。アンケートというスタイルでの「声」集めも取り入れました。ところが私の考えは、なかなか委員さんの
賛同が得られず辛く苦しいときもありました。でも十年間、武先生のいつも変らぬ応援は力強い味方でした。
 武先生に出会えてよかったです。初めて先生の名前を知ったときから運命を感じました。私が生まれ育った地は福井市の「勝見」、祖父の
名前は「武治(たけじ)」…。 そう、勝手に運命を感じていました。又どこかで先生にお会いできる運命を信じ、その日を楽しみに待ちます。
子供たちも新しい生活へスタートを切りました。それを眺め、私の心も弾んでいます。武先生のますますのご健勝とご多幸をお祈り申し上げま
す。  小泉ふみ代             
 ※小泉さんたちががんばった広報紙『笹生』は「東京都小・中学校新聞コンクール」のpta新聞の部で27、28年度と二年連続で『最優秀賞』を
 受賞しました。


 広報紙づくりに大切な話し合い   
  広報紙づくりに関わり、話し合いはとても大切だと感じました。 ほぼ全員が広報紙づくりは初心者という中で、お互い「小学生を育てている
親」としての共通点から、他愛ない会話から親睦を深めることができました。そこから疑問が生まれ、題材を決めたりもできました。話し合うこと
で信頼関係ができ、忌憚のない意見を言い合える環境が整ったように思います。また不安な点や疑問点を共有できました。これらが、より良い
紙面づくりに生かせたと思います。
 広報紙づくりは大変ですが、仲間と作るということで、できあがった時の喜びも共有することができました。   田渕 香織    
             

 なるべくPTA活動を伝えよう  
 「今年度はなるべくPTA活動を伝える内容にする」そのことに注意しながら、1年間みんなで知恵を出し合い、悩み、協力しながら広報づくりの
活動をしました。
 学校行事を中心に子供の写真を多くのせた広報紙の方が読み手に好まれるのは承知でしたが、今年度は限られたページの中でPTA活動へ
の関心を深める内容に仕上がったと思います。子どもたちのために先生、父母、地域が繋がり理解し合う。その手段の一つとして広報紙の役割
は重要だとあらためて感じることができました。    相川 朋美


 学校を支えているPTAの委員会活動
 取材に行くと普段は目にすることのないことを見ることが出来、とても良い経験ができました。
 PTAの委員会活動は会員の協力や地域の方の力をいただき、学校を支えているということを知りました。広報誌が出来あがり手にした瞬間は
何とも言えない感動を味わい、楽しい一年間でした。  古野 里美



2017年3月7日更新   

 美彦の大きな声が聞えてきたように思えます
 咲き誇る梅花を震え上がらせた昨日の厳しいさむさ。でもきょうは明るい日差しの暖かい日です。過日は「エコー」をお送り下さり
ありがとうございました。旅立ちの日からまもなく3カ月になります。その間仏事や諸手続きに追われる日々でしたが、ようやく一段
落、ホッと一息というところです。この間、何度も夢の中には来てくれるのですが何も話をしてくれません。一人で黄泉に行ってしまっ
たのですから仕方がないのですが。先生の「エコー」の文で、美彦らしい姿を見ることができ、美彦の大きな声が聞えてきたように思
えます。
「お世話になりました。ありがとう。明るく元気で生きてください」と友人や家族に別れの言葉を述べ、次の日荷静かに旅立ちました。
たくさんの方に守られ、愛され、大好きな秦野で生きた幸せな人生だったと思います。武先生には永いあいたのお付き合いありがと
うございました。  内藤 公子


 私の故郷 船生村
 好天が続き白雪の富士、丹沢山塊が目を楽しませてくれます。335号ありがとうございます。4頁の「寺山今昔」、生まれ故郷(栃木
県塩谷郡塩谷町)の変転に重ね合わせしみじみと読ませていただきました。
 町村合併前は「船生村」と言いまして、昨年文化勲章を受けた作曲家の船村徹氏は近所(親戚)です。船村さんのお母さんに私の
母は可愛がられた(隣の息女ということで)ようです。「忘れな草をあなたに」を作詞した木下龍太郎氏は私の姉の同級生で、妙に歌
謡曲に縁ありです。
 文中の商店のご紹介、私の故郷でも「油屋」「麹屋」「小松屋(旅館)」 酒店、豆腐屋、床屋などが軒を並べていましたが、今は昔の
面影は全くなくなりコンビニが一店あるだけです。買物は車で一時間かかる矢板市や今市市(現日光市)、宇都宮市まで出ねばなりま
せん。そんなわけで当時は7000人だった人口は4000人くらいに減り、まさに《限界集落》です。  河原 昭夫

 越生の春をどうぞ
 その後、お体の回復具合はよろしいのでしょうか。フキノトウを取っいたら、先生、奥様、ご子息との出会いのことを思いだしました。
冬眠から覚めた熊が一番初めに食べるのがフキノトウと言うことを聞いています。ほろ苦さが目覚めに良いのでしょうか。老犬と一緒
にしゃがみこんで春の喜びを探すことは楽しいことです。埼玉の田舎・越生の春をどうぞ。  仲 紀子
   
 拝啓 立春の候  ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 幼少の頃より温かい眼差しを浴び、愛でていただきました千春もおかげさまにて成人の儀を迎えることができました。ここに厚く御
礼申し上げます。20歳を節目として社会に役立つ人材へと精進、努力を積み重ねていくことと思います。どうぞ今後もご指導賜わり
ますよう御願い申し上げます。  敬具
     2017.2.22                                                     高橋喜久雄


 続紙媒体ってイイ
 例年1月1日にはコンビニに行って、全国紙三紙を買いそろえて今年を占う的なことをするのですが、今年は神奈川新聞だけ買って
きて済ませました。家では朝日新聞。この二紙を読みました。どう考えても今年は米大統領トランプ氏にふりまわされることは明白。第
2週に入ると加えて東京都知事小池さんが話題を振りまいています。サイコロの目のように何が出るかわからない年になりそうです。
 さて、今年から年賀状は1月2日には配送しないことになりました。人件費節約。年賀状が少なくなったという事情もあるようです。新
聞も休刊日。で済ませられず、コンビニに行って前日の売れ残ったスポーツ紙を買いました。紅白の話題を追うことと、箱根駅伝の情
報を求めて購入しました。
 日頃、神奈川新聞を買って小テストの時事問題探しを常の業務にしている私には、一日たりとも活字から離れることはできなくなっ
ています。一種の依存症です。読まずにはいられない、というか、読むと安心するというのでしょうか。毎月の休刊日は駅・コンビニで
売られるスポーツ紙を買っていますので、年中無休状態です。出費も知らぬ間にかさんでいきます。
 でも紙媒体っていいですよね。雑誌の売れ行きが下がっていると言います。スマホで読み放題になっているから。本も電子書籍でデ
ジタルになっています。寂しいです……。将来はこんな感覚も消えていくのでしょう。データー化された文字に慣れてしまう未来人。どう
なのかな。生徒が板書を写すのを嫌がります。面倒だといって。そのうちに電子黒板ができれば、先生が黒板に書いたものがデータ
ー化されて生徒のもとに届く。ノートなんて必要なくなる時代がくる、というのはいかがなものでしょう。書いて覚えると言われてきた昭和
世代としてはついて行けません。   三嶽 雅彦



2017年2月1日更新   
                                   
                               私も参加した女性交流会のダンゴ飾り 
                                          1月14日・西公民館で


  北上だより
  

 雪の無いお正月の後寒波が来て、北上は1ヵ月ぶりの雪景色です。 積雪はそれほど多くなく、厳寒の真冬日が4日ばかり続きました。 小正月に
餅をついて赤い水木の枝に飾る「みずき団子」(写真左) 。北上展勝地の桜並木には思ったより車が往来していました。(写真中) 県道沿いの岩に出
来た氷柱はまだ溶けません。(写真右)  渡辺 知子

  
 秦野市八沢地区の道祖神祭り・トッケダンゴ           写真 田中嘉津明

     
   拳大の大きなダンゴ      三叉のコナラの木にダンゴを刺し 焼く          枝ごとトッケダンゴ
  ※ 「トッケダンゴ」とは「トッケえる(秦野言葉)」=「取り替える」でダンゴを取り替えること。「幸せはもちろん、悲しいこともみんなで分かち合おう」と
   いう地域の連帯感を表す行為


 紙媒体ってイイ
 例年1月1日にはコンビニに行って、全国紙三紙を買いそろえて今年を占う的なことをするのですが、今年は神奈川新聞だけ買ってきて済ませまし
た。家では朝日新聞。この二紙を読みました。どう考えても今年は米大統領トランプ氏にふりまわされることは明白。第2週に入ると加えて東京都知
事小池さんが話題を振りまいています。サイコロの目のように何が出るかわからない年になりそうです。
 さて、今年から年賀状は1月2日には配送しないことになりました。人件費節約。年賀状が少なくなったという事情もあるようです。新聞も休刊日、で
済ませられず、コンビニに行って前日の売れ残ったスポーツ紙(スポーツ報知)を買いました。紅白の話題を追うことと、箱根駅伝の情報を求めて購入
しました。
 日頃、神奈川新聞を買って小テストの時事問題探しを常の業務にしている私には、一日たりとも活字から離れることはできなくなっています。一種の
依存症です。読まずにはいられない、というか、読むと安心するというのでしょうか。毎月の休刊日は駅・コンビニで売られるスポーツ紙を買っています
ので、年中無休状態です。出費も知らぬ間にかさんでいきます。
 でも紙媒体っていいですよね。雑誌の売れ行きが下がっていると言います。スマホで読み放題になっているから。本も電子書籍でデジタルになってい
ます。寂しいです……。将来はこんな感覚も消えていくのでしょう。データー化された文字に慣れてしまう未来人。どうなのかな。生徒が板書を写すのを
嫌がります。面倒だといって。そのうちに電子黒板ができれば、先生が黒板に書いたものがデーター化されて生徒のもとに届く。ノートなんて必要なくな
る時代がくる、というのはいかがなものでしょう。書いて覚えると言われてきた昭和世代としてはついて行けません。  三嶽 雅彦

 毎日7000歩が目標
 山行き回数が下降気味だったので、昨年の正月から飛ばし過ぎ。四月半ばから歩行困難となった。加えて慢性閉塞性肺疾患で山行きにはドクタース
トップ。秋口から足に装具をセットし、杖を突いて歩行練習を始めた。この間、クラス会や会社のOB会などのお誘いはすべて欠席。だが11月に「あきだ
る会」(醸造クラス会)には、どうにか名古屋まで行ってきた。これで連続20回の参加。仲間の半分近くは体調不良で欠席。小生の場合、糖尿、便秘、靭
帯断裂などで外出はつらいが、友との再会はそれ以上に楽しかった。今は毎日7000歩を目標に頑張っている。   三橋 俊彦

 「ふるさとを知る」ため 歩き始めました
 念願叶って武先生の講座(JAはだのの組合員講座)に参加させて頂きました。大山、秦野、葉タバコ、道祖神のことなど、興味が湧いてくる話を分かり
やすい言葉で話され、楽しかったです。頂いた先生の資料の冒頭に「ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる」と書いてありました。その「ふるさ
と」を「秦野」に置き換え「秦野を知り、秦野を愛し、秦野を育てる」という思いで話をされた先生。そのとき私は、私のふるさと愛川を思いました。「ふるさとを
知る」、まずは地域の道祖神を調べてみようと歩き始めました。   古関香代子

 子供達が成長し、手がかからなくなってきました。それでもまだそれぞれの行動に口を挟んでしまいます。見守ること、子離れの難しさを感じるこの頃
です。「子供達中心の生活」から卒業すると考えたとき、自分は何をしたいという希望・目標がないことに気づきました。今年は自分自身を見つめる一年
にしようと思います。   竹内 美紀

 久しぶりの広報づくりに ドキドキ、ワクワク
 昨年の速報部同窓会とても楽しかったです。久しぶりに広報づくりに関わりドキドキ、ワクワク。みんなはすごいと再認識しました。これも先生のおかげ
です。お体お大切に。   栗山 雅子 

 私も参加した秦野での全国新聞研究大会。あれから10年が経ったのですね。今なお新聞づくりをされる速報部の皆さんは素晴らしい。  鈴木 裕子

 昨年は偶然に先生とお会いし、お話ができて嬉しかったです。奥様の作品展も観ることができました。広報づくりを通して教えていただいたことを大切に
し、子育て、ボランティア、バレーボールをがんばっていきます。   堀之内美保

 加齢に乾杯
 今年もこの上なく幸せなお正月。もったいない元旦。ファミリー集合19人。座布団が足りん! 
 老いてからでも学び続ける知的余生 加齢に乾杯
  卒寿の母と欲張って 歳を酉(とり)ます また一年   畠  和子


2017年1月1日更新

                            
                                   倉田 幸子さんからいただいた干支  信楽焼「酉」 

 伊吹山に初雪が降りました。信楽も氷が張り、木枯らしが吹きすさぶ季節です。タイヤを冬装備にしました。 
先生方と信楽に旅された折り、一緒ににお目にかかった中学生の娘も、大学三年生の娘と来年大学受験する息子を持つ母親です。そして今、児童
福祉施設で「この子らを世の光に」とがんばっております。寒い季節、忙しい年末年始です。先生には十分お体をおいたわりくださいますようお願い申
し上げます。干支の「とり」をお届けいたします。  倉田 幸子(信楽焼きの干支の「とり」 は今年で三回り目です。)

 11月23日の「秦野の道祖神」講座では、久しぶりにお元気な先生にお会いすることができました。お話も興味深いものでした。
 今年度はPTA広報に関わっていないのですが、他のところで日本語の面白さを味わっています。一つは、以前からお手伝いさせていただいている
ランティア団体で年2回のニュースレターを作成する際のことです。それまでは他の皆さんに少し遠慮して、頂いた原稿の誤字・脱字の修正くらいしか
していませんでした。ですが、今年新たに参加された方が句読点にも気を配られるので(校正関係の仕事をされていたようです)、私も遠慮をかなぐり
捨てて二人で深夜2時過ぎまで電話とパソコン画面を通して校正作業に没頭しました。とても楽しい時間でした。
 もう一つは、知人(英語圏の方)の日本語学習のお手伝いをしていることです。「これは日本語ではどう言うのか」と訊かれた時に、それまで意識せ
ずに自分が場合に応じて言葉を選び取っていたことに気付きます。それが自分で興味深く楽しいです。「は」と「が」の違いなど、本やネットで調べてみ
ても自分で納得した説明ができる気がしないものについては、新聞から様々な文例を探して取り出し、その説明にちゃんと当てはまるか確認したりし
ています。これも楽しいことで、「こんなところにまた新聞活用方法!」と自分で喜んでいます。  恵美子

「動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない」を実感・再確認
 24年間の仕事を終え時間に追われないのんびりとした生活をしています。
 先週、長い間思っていた東北の被災地にいってきました。“物見遊山”的ではと、かなり迷ったのですが、自分の目で見て、自分の耳で聞かなければ
知りえなかった現実にたくさん出合え、訪ねてよかった、来た甲斐があったとの思いを強くしました。 伝えつなぐ大津波の石碑に刻まれていた釜石中
学三年生の言葉「悲しくて前を向くことができないときは無理せず横を向いてみてください。いつでも仲間や家族が一緒にいます」は胸にずしりときまし
た。 ECHOの「動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない」を実感・再確認しました。これからも支援を、ささやかで
も長く続けていけそうな道筋が見え、本当に有意義な訪問となりました。  典子

 武さん、「エコー」333号を拝見し、うれしくなりました。武さんの後をしっかりついてまいります。いま記念誌の仕事で緊張していますが、私は全新研
で育ってきたのです。54年前を思い、不思議な人生を、しかも1回きりの人生を噛みしめています。   健


 2016年12月1日更新

 祝 出版 『道祖神ワンダーワールド』 『まほら秦野みちしるべ』
 一歩一歩近づいてくる冬の足音が聞えてきます。お元気のことと思います。エコー332号ありがとうございました。活動も再開とのこと嬉しく思いま
す。それにしても先生の回復の早さに驚いています。とにかくご無理はなさいませんように。三平さんと電話で話したのですが、あせらず、少しのん
びりと養生なさることをお願いします。
 「道祖神ワンダーワールド」のご出版おめでとうございます。私の故郷七沢では「セイノカミサン」と言って親しみ、ドンド焼きの日には母とお団子を
作り、焼きに行ったことを思い出し、温かい心になりました。  湯川

 本日は素晴らしい本をありがとうございました。ページをめくるごとに心の和む道祖神様の写真。しかもすべてがカラー、見応えがあります。引き
込まれます。いつも精力的に執筆や講演をなされている先生のパワーには感嘆いたすのですが、厚子先生やご子息のご理解とご協力があってこ
そ、と思っております。仲むつまじい道祖神様に先生ご夫妻の姿が重なります。どうぞ、これからもお元気で人生を充実されますようお祈り申し上げ
ます。  平本  

 素晴らしい書籍をありがとうございます。まだ全てを読んでおりませんが、故郷を見直す機会にもなりました。気仙沼は大きく変わりましたが、変
わらない場所もあります。どういう形かで“故郷再発見”をすることが考えられそうです。
 賛同する仲間がたくさんいらっしゃる事に感激でした。歩いて調べて、根気がなければつづけられないことですね。貴重な資料をありがとうござい
ました。  渡邉

 予報が当たって やはり雪 ☃ 
 11月24日(木) 夕方4時半頃、雪まじりの雨も止みバス通りに出ました。果物や野菜が綺麗に並んでる八百屋さんの脇のお稲荷さん。赤い屋根
に白い雪を乗せてきらりと輝いています。小さなお稲荷さんですが、 200年程の歴史があり、代々受け継がれ大切に祭られています。  いつもお稲
荷さんに温かく見守って頂いているようです。  菅原 

 2016年11月1日更新


子守唄の村  原田泰治 

 5月20日から5か月! 輝く ECHO 332号
 いつもより大きな封書を手にし、不思議に思ったり、期待したりしました。331号(5月20日)から5か月経っての332号。それだけでも喜びと驚き
でいっぱいになります。輝く ECHO 332号! 先生のこれまでの歩みがどっさり載った宝船です。生きることの素晴らしさに胸打たれ、感激してお
ります。
 にっきの木を拝読しながら、皆さんの温かいお心や朝日新聞の「Katsumi In 道祖神ワンダーワールド」が紹介されたり、ご活躍の様子が見えて
きて、すっかりお元気になられたようで嬉しくなりました。
 「活動を再開いたします」に11月23日(祝)講演会のご案内があります。十周年記念誌『古道・大山道を歩く・まほら秦野みちしるべ』発行された
のも心躍ります。秦野の歴史や民俗に触れ、秦野に生まれ秦野に育てられた先生のお心溢れる貴重な記念誌です。29日は東公民館まで行けま
せんので、お裾分けしていただければありがたいです。
 秦野高校創立90周記念事業「東日本大震災被災地交流ツアー」へのお心配りにも驚きました。これまで何回も現地へ向かわれ、「三陸新報社」
様との交流やご支援を基に秦野高校へのご配慮です。単なる交流ツアーでなく、その重さに感心させられました。
 なんといっても先生の手術譚です。≪『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』を手に道祖神に導かれ次の世界へ ≫に慌てました。次の世界が浮
かびあがり、「わが人生に悔い無し」と覚悟されてるお姿が迫ってきました。しかし、優れた手術力でお人柄もよい主治医のお二人の先生に出会わ
れたことは何より嬉しいです。医療現場の温かさと奥深さが心に沁みました。心をつかむ医療コミュニケーションと言われますが、患者さんである武
先生のお人柄も格別ですからね。
 「返ってきたエコー」は『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』のお礼と報告や喜びのことばが多いです。皆さん、その地区の道祖神が掲載された
ことを大変喜ばれてることに共感を覚えました。わが市川も載せて頂きありがとうございます。当時は道祖神の前に大木があり、後には光が照り映
える家屋があって、奥田さんに手伝って頂きながらも撮影には厳しい状況でした。
 朝日新聞「道祖神訪ね 全国行脚」の記事に、七つ道具は ①汚れを落とすブラシと布 ②手袋 ③周囲の草木を刈るハサミ ④文字の判読の際に
塗る片栗粉と洗い流す水 ⑤メジャー ⑥お神酒 ⑦身元を示す名刺と秦野の銘菓とあります。これだけでも取材へのお心配りとご苦労がわかり、貴
重な道祖神に見えてきます。私も同じものを持って行きましたが、最も肝心な文字の判読に片栗粉とは、初めて知り大変勉強になりました。市川は
庚申塔はあちこちありますが、道祖神はあまりありません。千葉県はなぜ道祖神が少ないのか興味が湧きます。
 ふるさとを愛し ふるさとが輝く ECHO第332号!ありがとうございました。だいぶ寒くなりました。 ☂ 外は雨です。ご健康を祈念致します。
     2016.10.28.                                                              菅原 澄子 

 土曜日の「タウンニュース」紙で「まほら秦野みちしるべの会」の10周年記念誌の記事を読みました。同じ日、分厚い『ECHO』もいただきました。手
に取り、武先生の“完全復活”を感じました。でも、今週から寒くなるそうで、特に朝晩は冷え込みますのでお身体ご自愛ください。  大瀧 美和
  
 秋冷の候 先生にはお変わりなくご活躍のこととお喜び申し上げます。私、以前に先生に電話を掛けたり、お手紙を差し上げましたKと申します。
先生のご尊顔は地元(秦野市)や伊勢原市における講演等で拝しているところでございます。
 さて、先生の労作「道祖神ワンダーワールド」を拝読させていただきました。道祖神を訪ねて(先生流には《まねきにあひで》ですが)関東一円は及
ばず北は北海道から、西は広島・鳥取に至るまで調査されました。畏敬の念を禁じ得ません。まだ中身をすべて見終わっておりません。今後少しず
つ見させていただくつもりです。また、
 厚木市の玉川地区にもスポットを当てていただきましてありがとうございます。こちらは先生の教え子たちが郷土の歴史に関心を従前から持って
いたこともあり、更に石工たちの歴史的経過もあることから取り上げていただいたことになりましょうか。
 第3章の訪問地におけるエピソードも興味深く拝読させていただきました。その中では新手のオレオレ詐欺師の記事は〈笑うに笑えぬ〉事件でござ
いました。末筆になりますが、先生のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
 (追伸) 昨日(10/23)先生の後輩になるお方、東中学校の教員であられます佐藤栄先生のご案内で平塚市の土屋城址界隈を歴史散策いたし
ました。佐藤先生は、武先生をよくご存知でした。   加藤 慎一

 先日届きました「エコー」を読ませていただきました。先生が元気でPCに向かわれている姿を想像し、素直に「嬉しい」という気持ちになれました。
これからも元気でご活躍ください。
 私は23日(日)に「土屋」地区のガイドを今年も実施させていただきました。このツアーが始まって以来、毎年のようにこの地区はガイドしています。
でも、今年はより緊張いたしました。これはいったい、なぜだろうと考えていました。たぶん勉強すればするほど、自分の無知さや力のなさが分かる
からだろうと思います。これからも、自分で考えたこと、疑問に思ったこと等を大切にし学んでいこうと思っています。
 武先生もご存じでしょう、厚木市お住まいのKさん。23日に私のツアーに参加して下さったのです。その方と武先生のことが話題になりました。
                                                                               佐藤 栄

 2016年9月30日更新

実りの秋


 山下 清

 二茅芳郎朝日村教育長先生からのお礼状
 2015年8月27日 長野県東諏訪郡朝日村の道祖神に会いに行った。その折お世話になった朝日村教育委員会に
『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』をお礼と報告を兼ねて届けた。すると、教育長の二茅芳郎先生からお礼状を
いただいた。(平成28年7月26日)

 武 勝美 様
拝啓
 梅雨明けも間近な信州です。教育委員会所在地の標高は800㍍を超えているので、市街地に比べて多少暑さはし
のげますが、最近では猛暑の感は否めなくなってきています。
 きて、突然の封書に驚き、開封しましたところ、貴重な文化遺産でもある道祖神の冊子。わが村や近隣のものも掲
載されていてさらに驚いた次第です。古見地区の化粧道祖神は、以前住んでいた地区にあり、妻が嫁いだ頃でしたが、
嫁さんが化粧する慣わしがあると言われ、地区の長老ヒ共に妻がお化粧したことを思い出しました。教育委員会でも
石像群は文化財として登録し、村独自でも冊子を作っているのですが、県外の方から改めて貴重な石造文化である
ことを教えていただいた思いであります。冊子は、早速村の図書館に置かせていただきました。
 ところで、今住んでいる塩尻市の原新田地区にも様々な石造丈化があるのですが、その中のほんの一部、二基の
道祖神の写真を同封いたしました。幕末期の弘化年間のものと、こちらも珍しいと思うのですが、大正初期に造られ
た道祖神です。弘化年間のものは「帯代五両」と記載があり、「道祖神の嫁入り」には五両が必婁だと見られます。大
正期のものは、子孫繁栄を祈念して造られたものと聞いています。一見すると何のことはないのですが、女性は男性
器を、男性は女性器を持っているように造られているとのことです。そう言われてみればそのように見える道祖神です。
 ますます暑くなる時期に入ります。くれぐれもご自愛いただき、ご健勝でご活躍なされることをご祈念いたします。
                                                                敬白
  

 ほほえましい双体道祖神さんがいっぱいの「Katsumi 1n道祖神ワールド」素晴らしい本、ありがとうございます。道祖
神さんと向き合い、先生が嬉しそうに話しかけていらっしゃる姿が目に浮かんでまいります。また、その地で出会われた
人たちとの交流の話も先生らしく、興味深く、楽しく読ませていただきました。
 私のふる里は厚木市小野。家の近くの畑地を通る道にセイノカミサンがあり、そこで毎年1月14日ドンド焼きが行わ
れました。父は世話役として楽しそうに動き回っている姿を思い浮かべています。書初めを火にくべ、燃えながら高く
昇っていくと「字がうまくなる」と言われ、このドンド焼きは子供には楽しい行事でした。小野では今もドンド焼きはおこ
なわれているのでしょうか。また先生が俳句や短歌に寄せられる情熱を本の中で知りました。 
                                                       横須賀市 栃木ヤスエ

 
 先生の本で、玉川地区にこんなにたくさんの道祖神があることを初めてしりました。私が住んでいたところは日向川。
子供のころは道祖神の前で毎年ダンゴ焼きをしていました。道祖神のことをセイノカミサンと呼ぶ、と本にありますが、
母はたしかにそう呼んでいました。民話「目一つ小僧」の話、これも母から聞かされたことがあります。母は「一つ目小
僧」と言っていました。12月8日に一つ目小僧が来るから、と私たち子供に「下駄を家の中に入れなさい」と注意し、私
はそのようにしました。
 私の今住んでいる町田市金井地区も1月14日にダンゴ焼きをしています。場所は地区のスポーツ広場。地元のお
年寄りが組み立てた三つの斉灯に一斉に火が点けられます。けっこう迫力があります。ダンゴを持ってこない人(とく子
のために)、婦人部の人たちダンゴを準備しています。(100円で売ります) それでみんながダンゴ焼きを楽しむことが
できます。金井地区ではあちこちでこの日ダンゴ焼きが行われているようです。      東京・町田市  原 律子



2016年8月1日更新
 『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド



 ふるさと・旧中富町を取り上げてくださり 感謝

 この度の『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』の上梓、誠におめでとうございます。また、御恵贈にあずかり、ありがとうございました。
 先生は新聞教育はいうに及ばず趣味の面にでも、五感と足を使って、長年調査研究され、まとめ上げました。一冊にまとめ上げること
は相当の労力を伴うものです。先生の意欲的な姿勢、飽くなき探求、真筆なご努力にはただただ敬服するのみです。直接調べ上げた内
容だけに非常に興味深く、また文面にも説得力を感じます。
 私のふるさと・旧中富町も取り上げられており、驚くとともに感謝しております。久那土は帰省する折通ります。本栖湖から古関、久那土、
富士川の峡南橋を渡ったところの「和紙の里」が、私の生れた故郷です。あの地で生まれ育ち、18年間生活してきました。手すきの和紙が
製造され、大人たちはひたすら働いておりました。父親から「風邪をひいても働きながら、治すものだよ」とよく言われ勤勉性を学びました。
当時はプールがなかったので、峡南橋の富士川でよく泳ぎました。
 「和紙の里」にある「現代工芸美術館」は、兄が町長(旧中富町)を務めていたとき建てられました。秦野市が宮永岳彦美術館を建てると
き教育委員会の職員や市議会議員が視察されました。天皇・皇后妃両殿下がご訪問された折、兄がご案内させていただいたことを誇りに
していました。私を教化・感化してくれたその長兄も今年1月に他界いたしました。
 旧下部町の土橋金六町長さんは久那土でご健在です。今夏お盆休みに帰省しますので、御著書を謹呈してまいります。治男先生の生
家、樋澤坊は私の実家から車で25分くらいですので、帰省した折にお墓参りをしています。
 本格的に暑くなりました。どうぞ、健康には一層留意され、さらに研き究められまして、至高の目標を目指されますことをお祈り申し上げ
ます。                                            秦野市   望月 國男                    

 『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』いただきました。ありがとうございます。
 読んでみたら米子市淀江町の道祖神がたくさん載っていて、驚き、感激しました。淀江町は母の生地です。高校生の頃まではよく淀江町
に行きした。その頃のこといろいろ思い出させてくれる本でもあります。     秦野市   宮川 義晴

 『Katsumi In 道祖神ワンダーワールド』を御恵贈くださりありがとうございます。日本各地の550余の道祖神という膨大なデータを見たとき、
先生のご熱意にただただ敬服と感嘆致すのみです。道祖神の由来、その道祖神を守り続けている人々の姿なども記録され、大変価値の
あるものとして拝読させていただいております。これからもご自愛なされながら「道祖神の里めぐり」をお続けくださるようお願い申し上げます。 
                                                秦野市   久保田 忍

 『道祖神ワンダーワールド』いただきました。長年の調査結果をまとめられたこと、とても貴重な資料と思います。私の実家歯平塚市上吉
沢字山ノ神で、そういえば子供のころ道祖神のところで遊んだな、などと思いながらページをめくっていったら、なんと113~114ページに「イ
リ」と「ムカイ」道祖神が収録されているではありませんか。懐かしく、うれしく眺めさせていただきました。実家の敷地内には「山ノ神」が祀っ
てあり、毎年2:月17日に今も祭事が行われています。                秦野市   久永 幸男

 先生、奥様、そしてご子息様とでこんなにすばらしい本をおつくりなされたこと、誠におめでとうございます。そのご本を私にまでお届けいた
だき、心から感謝申し上げます。当地の梅干をお送りいたしました。小梅です。「道祖神めぐり」に持ち歩き、熱さに負けないように食べて下
さい。先生ご一家と出会えたご縁をあらためて喜んでおります。          埼玉・越生町   仲 紀子

 武さんの本が届きました。ありがとうございました。ウチの「おにょさま」、よく写っています。大事にします。秋田に来る機会がありましたら、
もう一度斉内にお寄りください。お体に気をつけて長生きしてください。      秋田・大仙市   小松 洋



2016年6月1日更新

 北上だより  気仙沼の今

 「エコー」329号 有難うございました。気仙沼のことを取り上げてくださった文に、ポロリと目から…。3月11日前後、テレビで津波の映
像がずいぶん流されました。私たちは停電していたため見られなかった映像がほとんどでした。
 震災復興は着実にすすんでいるところと、まだまだの歩みおそいところと極端なようです。気仙沼の弟家族はまだみなし仮説で暮らし
ています。その弟の子・姪が今年大学を出て気仙沼の中学校に勤務しています。ところが住むところがない。弟の住宅は狭い二部屋で
高三の女の子がいます。家族三人ぎりぎりの状態です。アパートを借りたくでも借りられない。「ドンドン建てられているというのに」とは
義妹の言葉。その訳は、復興道路をつくるために、その計画に引っかかるところに済んでいる方たちの立ち退かざるをえず、その方た
ちのために急いでアパートが建てられているのだそうです。姪は、何とか仮設住宅の空き経部屋を斡旋されたとかで、安心しました。
 ところで「元気を貰う」「勇気を与える」などの言葉に違和感を感じるというお話に私もうなずいています。あの震災後急に使われだした
「元気」や「勇気」という言葉、ずいぶん軽いものになってしまったように感じています。   北上市  渡辺 知子


 情報を、確実に、公平に提供できるのは「紙」
 誰のための広報か。『なかはら』は「PTA会報」なので、PTA会員が対象で、子供達向けの特集も大人目線で作成しています。子供だ
け納得するようでは目的を果たせません。親から子に伝え、話し合い、共有するツールにして欲しいと思っています。学校の全世帯に、
確実に、公平に提供するのが目的ならば、PCではなく「紙」を媒体とするのが適切です。
 私達のPTAは、クラスから出す役員のノルマ人数は他校よりも少なく、PTAの仕事を「ボランティア形式」で募集され活動する「ボランテ
ィア制度」だからで、広報誌もボランティアで「役員」や「委員会」ではありません。この制度は「やる気のある人がやりたい仕事」をするの
が目的で、理想的と思われますが、それを成り立たせるのは簡単ではありません。
 そもそも日本中のほとんどの保護者は、PTAの仕事には及び腰でしょ? どんなに形式が変わろうと、やりたくないものはやりたくない。
実際、中原小PTAも存続や活動の難しいボランティアばかりで、原因は人手不足です。この状況では、負担を減らせばボランティア人数
が増えると錯覚されがち。まして、PTAのこの状況を会員の皆が何も気づかないまま消滅するようでは、PTA会報『なかはら』の存在意義
もなくなります。「PTA会報」は、PTAの経緯や現況をPTA会員に伝え、共有でき、共に議論できてこそ本分と信じています。
 最後に、PTA会費で発行費用が賄われているので、準備や調査もないような、単なる報告だけの《やっつけ》記事だけの構成はしないの
がお金をだしてくれたPTA会員へのマナーですね。    柏市・中原小学校PTA広報ボランティア


 広報を通してできたつながりを大切に
運動会取材時、校務整備員さんが毎朝学校の周りや生垣を清掃してくれていることを知りました。
先日、広報活動で感じたお礼を校務員さんに伝えたところ「花壇がさみしいので是非PTAで何とかしてほしい」という声をいただきました。
新年度より花壇ボランティアの代表になったこともあり本部へ伝えたところ、花壇ボランティアの予算が少ないことがわかり早速見直しさ
れることになりました。また行政からも、緑の財団が公道沿いの花壇に寄付活動をおこなっていることを教えていただきました。
 広報を通してできたつながりの大切さに改めて気付かされました。新年度は花壇ボランティア代表として花いっぱいの学校を目指して頑
張ります。    堀之内美保


 「東北風土マラソン」に参加
 四月二十四日に宮城県登米市で行われた「東北風土(フード)マラソン」というちょっとユニークな大会に参加してきました。長沼を一周する
という「ハーフの部」は距離のコース上に東北の美味しい食べ物(ソバ ホタテ 笹かまぼこなど)や日本酒の仕込み水が置かれてあり、それ
を飲食しながら制限時間内にゴールするというものです。「フルマラソンの部」は二周目に入ると、ステーキやイチゴとさらに美味しいものが並
びました。私はハーフでしたので仕込み水とフカヒレのスープを。楽しかったです。    篠本 典子
     (登米市の隣は気仙沼市と南三陸町)



 国道134号線         栃木ヤスエ

 海展く三浦大根畑かな
 御用邸の松亭亭と秋晴るる
 春潮や不如帰の碑古りてをり
 鎌倉は海より夏のはじまりぬ
 夕凪やサーファー波を待ちてをり
 江ノ電やカンナに触るるやうに過ぐ
 烏帽子岩海鵜は沖を見てをりぬ
 駅伝の歩の乱れなし三日かな
 平塚や紅谷横町星祭
 鴫立庵もロングビーチも時雨けり

 二十歳で運転免許を取った。当時まだ女性のドライバーは少なくて、珍らしがられたが、私は運転が楽しくて車でどこまでも行けるような気が
した。日本中、いろいろな道を走ったが直線の続く北海道や、日本海沿いの新潟親不知の道は特に印象深い。若い頃、平塚から江ノ島、鎌倉
へはいつものドライブコースだった。友人と笑いながら、はしゃぎながら海辺の道を走った。青く広がる海と爽やかな車窓の風は、いやが上にも
気分を高揚させ、何も怖いものもない、明るい日々があった。
 国道134号線は横須賀を起点とし、三浦、葉山、逗子、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、平塚を通って一号線と合流する大磯町までの約60キロ。この道は
昭和四十年の春に誕生した。神奈川県南部の相模湾沿いに、いわゆる湘南地区を結んでいる。正月には駅伝選手が走り、夏には多くの海水
浴客でにぎわう。グルメ雑誌に登場する洒落たレストランや江ノ電は、歴史ある鎌倉の名所と共に修学旅行生にも人気のスポットだ。江ノ島、富
士山、白い波頭、稲村ヶ崎のあたりはいくつものドラマの舞台にもなった。
 すっかり大人しくなってしまった私は今、主人の運転する助手席に座って、ぼんやりと海を眺めている。過ぎ去りし日、カーラジオから流れてき
たサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでゆく」。あの切ない歌声が、遠く浪間から聞こえてくるような、そんな気のする気だるい春の日の
午後。  (俳誌『日矢』より)     栃木さんは、私が初めて教壇に立った年の教え子の一人。当時はソフトボール、今は俳句に燃えている。



2016年4月7日更新
 
 広報委員を終えた今 思うこと

 一緒に頑張ってくれる仲間がいたから
  「ママ、今日も学校に来るでしょ?PTA室に行くから一緒に帰ろうね」と嬉しそうに言う子どもたち。
 入稿前は、ほぼ毎日お弁当を持って朝から子どもたちの下校時刻まで活動していました。でも、それが苦ではありませんでした。メンバーの
皆と お菓子を持ちより、雑談を交えながらの企画・編集作業が楽しく、雑談に花が咲いて手が止まってしまうことも。PTA室で活動している他の
委員会の方に「広報さんは本当にいつも楽しそうだね」と言われるほどでした。
 もちろん、表紙の写真をどうするか悩んだり、レイアウトに行き詰まったり、大変な時もありました。とくに、いじめや親子のコミュニケーション
の企画では、学校側からNGが出ることが多く苦労しました。委員長である私がパソコンが苦手なことや、2年連続全国コンクールで上位入賞と
いうことにプレッシャーを感じたこともあります。そんな時、友人に「自分の色を出して自分なりのやり方でやればいいじゃん」と背中を叩かれ、
押され、かなり気持ちが楽になりました。
 【楽しく活動】をモットーに、今年らしい広報紙を4回発行することができたのは、1年間一緒に頑張ろうと広報委員をこころよく引き受けてくれ
た仲間がいたからこそです。広報委員にしか味わえない、作ることの楽しさや発行できた時の喜びを、二度も経験できた私が言えることは「広
報紙作りって大変だけど楽しい!」です。大変だ。できるならやりたくない。と敬遠されがちな広報委員ですが、一人でも多くの方にこの楽しさと
喜びを味わってほしいと思います。   Sayaka


 楽しんで作ればきっと伝わる
 「いったい何を載せたらいいのだろう」と不安を抱きながら活動は始まりました。
 初号は、まず時間がありませんでした。武先生の広報づくり教室に参加させていただき、PTA広報としての役割を勘違いしていた事に気付か
されました。写真でごまかすのではなく、文章を増やして、PTAの活動スケジュールを載せ、もっと活動に参加してもらえるようにしたい。思うとこ
ろがたくさんありましたが、間に合いませんでした。
 次号は、企画記事「先生たちの学生時代の夏休みの過ごし方」を掲載し、PTA活動の紹介も盛り込みました。
 武先生からのよい企画ですというコメントが嬉しかったです。三号目は、部活動紹介等で写真、生徒名を入れたコメントを掲載するようにした
ため、保護者の方々に承諾をいただくのが大変でした。
 最終号は、企画記事「お小遣いアンケート」が、学校生活に関係ないプライベートな内容の調査のため、学校側の説得に時間がかかりました
が、最終的には協力が得られ、嬉しいと同時にほっとしました。
 1年間の活動を通して「PTA活動をしっかり紹介し、そのうえで読者の方々に興味を持っていただけそうな記事や題材を考え、誌面を通じてお
届けする」ということができて、本当に良かったです。
 「記事を書くって難しい」「伝えるのって難しい」と痛感させられることもあれば、「自分たちが楽しんで作ればきっと伝わる」と思えることもありま
した。   MIho


 『エコー」に刺激され、励まされ頑張りました           
 少しは学校のお役に立ちたいと思い引き受けた広報委員でした。この一年間の広報活動は自分にとってもかけがえのないものになりました。
 講習会で武先生から広報活動の大切さ・楽しさ教えていただき、やるならとことん関わっていきたいと思い委員長をやらせていただきました。
 学校へ足を運ぶ回数が増え、学校や子どもの様子をより近くで見ることができました。授業や運動会などに児童みんなが一生懸命に取り組む
光景、家では見せない少し大人びた我が子の姿などに子どもたちの成長を感じました。そんな時は「広報をやってよかった」と思ったのでした。
『エコー』に寄せられた他校の広報委員さんの言葉に刺激され励まされ、もっとPTAのよさを会員の皆さんに感じてもらえる紙面をつくりたい、頑
張ろうという気持ちになりました。
 活動を通して、地域の方々やボランティアさんとの出会い、つながりができたことが一番の収穫ではないかと思っています。子育ては家庭だけ
でなく、地域のみんなに支えてもらっていることを強く感じたのでした。私は、これからはボランティアとして地域とのつながりをさらに深め活動を
続けていきたいです。   Mihori


 一年間の活動が報われたような気がします       
 今年度、広報委員長でありながら、広報づくり教室に一度も参加できず、本当に失礼しました。仕事もPTA委員会活動も子どもの受験も一段
落し、ようやく日常的な生活が戻ってきました。我にかえると、あまりにも不義理をしていることが多すぎて、あたふたしています。
 発行した広報紙の一号一号に暖かく厳しいコメントをありがとうございました。武先生からいただいたコメントを励みに、改善点は、次の広報
紙に活かすよう活動してきました。最終号のチェックを終えて返ってきた封書の宛て名が、フルネームに書き直されているのを見た時、人との
繋がりを大切にされている武先生を思い出して、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。とにかく、やるべきことを精査し、事務的にこなさな
いと、どうにもならない状況であったのは確かですが、人としてどうかと問われたような気がしました。本当に申し訳ありませんでした。
 「年度最終号として十分な内容です。しっかりとした広報活動をした皆さんに拍手を送ります。」一年間のPTA活動をまとめた最終号に対する
武先生のコメントに、メンバーは全員感激しました。この言葉で、この一年間の活動が報われたような気がいたしました。ありがとうございました。
                                                                               Yoshiko



2016年3月7日更新

 広報紙作りに携わって、感じたことは今年度の我が校の年間テーマでもある『連携』です。この連携にこんなにも助けられたことはありません。
 広報委員会のない我が校にはとっては3年、2年、1年の各委員の連携が重要になりました。年間テーマに沿って各学年が内容を決め記事に
する。学校行事に関してはどこからどこまでは、といった線引きがはっきりしてないと次は進めないわけです。そして私が一番良かったと感じた
ことは、前号の担当者の話や記事内容をいち早く知ることが出来たことでした。
広報委員会のない我が校にとって致命的なのは、そこです。今回諸事情もあり縦の連携をさせてもらえたからここまで出来た。これを来年度以
降にも是非続けてしてもらいたい。横の繋がりだけではなく、縦の繋がり、もっと言うと先生との繋がりも大切だと感じました。今後は、単独会議
ではなく、他の学年をも巻き込んだ会議を開いて欲しいと願います。そうすることで、より良いアイディアと知恵が湧き、お互いが切磋琢磨し、さ
らにより良いものとなると感じました。それが『連携』であり、広報紙のあるべき姿なのかもしれません。  Miura 



2016年2月7日更新


 柴田智八郎

 動けることは幸せ

 介護付き有料老人ホームに入って三回目の正月を迎えました。昨年十一月心臓発作に襲われ「覚悟」しましたが、幸
せにも再び「こちら」に戻ることができ新年を迎えました。正月と言っても正月料理や催しがあるわけで葉ありません。
 殺風景な独房の中で動物園の猿の如くうろうろして一日が過ぎて行きます。九十三年は夢のよう、アツという間でした。
 視力が落ち細かい文字は読めず、耳は左だけが補聴器の力でかすかに聞える程度。本を読んでもすぐに放り出し、
テレビの画面も絵が動いて判断するだけ。
 物事が頭の中から抜け出すのが早くなりました。これでは《呆ける》と、時には格子無き牢獄を脱走。杖を引きながら
H駅にたどりつき、電車でO駅やF駅へ。街はにぎやかで生き返る気がします。一年に数回、宿泊外出します。群馬や伊
豆の山中の温泉に長男が連れていってくれます。幸せです。動けることは幸せですね。どうぞお元気でご活躍ください。 
                                                             柴田智八郎

 ひらつかガイドボランティア」の岡崎地区でのガイドは、11月22日で一応終了しました。ホッとした反面「こういうように説
明すればよかった」など、後悔することが多いガイドでした。勉強不足も感じました。さらに今後一歩ずつ勉強したいです。
 そのガイドをするにあたり、各寺院・施設にお願いを兼ねて挨拶まわりをしたのですが、あるお寺の住職さんに叱られま
した。「うちの敷地内や門前では一切ガイドをしてくれるな。以前来たグループがハンドマイクでがんがん説明をしていた。
お寺は檀家さんが祖先を敬う神聖な領域だ」等…かなりの剣幕でした。
 そのため、私たちは気をつかいながら説明をしていると、住職の奥様が「いいですよ。中に入ってください」とお声をかけ
てくださいました。ボランティアとはいえ、周りの事も考えたガイドをしなければと改めて思いました。    佐藤  榮

 
 あっという間に立春を迎えることになりました。大変ご無沙汰しております。その説はいろいろお助けいただき有難うござ
いました。未だに気持ちの整理ができないまま半年を過ごしてしまいました。
 衣食住、そこにまつわる喜怒哀楽を共有してきた者がいなくなることは大変なことだと実感しております。時を待ちながら、
自分を失わないように日々を送ろうと思っておりります。
 今年は申年。日光の「見ざる・聴かざる・言わざるJを思い出します。でも、今年の申年は「見よう・聴こう・言おう」と前向
きにすすみたいです。ということで、ECHOのモサトーは大好きです。「見よう・聴こう・言おう」に似たところがたくさんありま
すので。
 暖かくなりましたら河童堂にぜひお寄りください。「関山河童堂だより」29号をお届けいたします。読んでいただけたら嬉し
いです。 寒さは続くようです。くれぐれもご自愛の程を。   関山河童堂・堂守  美智子


 「生きている」ことが分かり合えるだけでも価値がある
 『ECHO』328号、有り難うございます。今回もたくさん学ばせていただきました。
 年賀状についての暮れの新聞投書、私も読んで、武さんと同じような感想を持ちました。どんな年賀状も、「生きている」
ことが分かり合えるだけでも価値があると思っています。
 どうも最近の年寄りって(いや、昔からそうかもしれませんが)、短気で、頑なで、意固地で、自己中な人が少なくないよう
で、自分自身すでに充分年寄りですが、「ああはなりたくないな」と思わずにいられない場面によく遭遇します。電車の中で
も、年寄りにはあまり近づかないようにしていますが、女房からは、「アンタ、最近怒りっぽくなったわね。昔はそんなじゃな
かった」なんて言われます。「人の振り見て我が振り直せ」自戒の日々です。
 秦野の民俗行事・ダンゴ焼き・道祖神・民話等の授業の様子と子供たちの感想、いいですね。地域文化の後継者が育ち
ますね。スゴイことだと思います。   吉成 勝好


 ポストに自分宛の手紙が入っていると嬉しい
エコー328号ありがとうございました。「1月2日 年賀状は嬉しい」を読ませて頂いて、実家の母にも読んでもらおうかと思い
ました。いつも、「もう今年は出すのをやめようかしら…」といいながら、毎年同じ人から来る年賀状に、ほとんど返事を出す
母です。今年は、年賀状を早めに書くように、勧めてみようと思っています。
 それから、頂いたエコーの封筒に張ってあった切手が、記念切手だったので特に切手に興味がある子どもたちではない
のですが、「すごいね」と感激していました。
 そういえば、手紙なんてほとんど書かないなぁ…と。これをきっかけに、少し手紙を出すのを進めてみようかと思っています。
ポストに自分宛の手紙が入っていると、やはり嬉しいです。ありがとうございました。
 時々、剣道を習っている娘の付き添いで、早朝、夜の寒さに震えています。寒さ厳しくなっておりますので、どうぞお体にお
気をつけ下さい。    YUmi


 明けましておめでとうございます。新しい年を迎え先生はいかがお過ごしでしょうか。
 昨年の広報クリニックでは、私たちの第三号についてアドバイスをたくさん下さり、とても感謝しております。
 クリニックでの「新聞・広報とは」という事をいつも頭におき、各学校の広報なども参考にし、なおかつ今年の年間テーマ
『連携』をどう広げ、何を伝えなくてはいけないのかと、あれこれ考え編集作業を進めています。
 私たち広報が言う『連携』とは、子どものために保護者(家庭)がいろいろな行事を通して学校や地域と繋がることです。そ
れをどのように伝えたらよいのかを考えました。その一つとして、懇談会の出席率の低さを改善できないか? どうしたら一
人でも多<の方に参加してもらえるか? 都合が悪く参加できなかった方にも、この懇談会の内容を伝えられないか? そ
んなことを考え、毎週のように企画会議を開いてきました。
 今、進んでいる編集中の紙面をお届けします。できましたらご意見、ご指導をお願いいたします。    Miura


 いつも『エコー』をお送り頂きありがとうございます。PTA広報の全国コンクールで「優秀賞」をいただいて15年が経ちました。
その時の経験を、高校のP広報委員、自治会報の編集、高校の同窓会事務局で会報作りにと活かすことができました。先
生、今年もお元気で新聞作りの仲間をサポートしてあげて下さい。   Nakayama


 新しい年迎え、新たな気持ちで活動してまいりたいと思います。本年もどうぞご指導をよろしくお願い致します。さて、本年
度第3号になります『M』72号をお届けいたします。
 この号のメインは「学校再発見」です。広報委員になって校内を取材しているうちに、今まで気づかなかった「ステキ」をたく
さん発見できたことがきっかけです。子どもたちにも、自分の学校のすばらしいところを改めて発見し楽しい学校生活を送っ
てくれたら、そんな願いがこの企画になりました。 
 この号の作成にはパソコンの得意な委員が都合で参加できなくなり、一時は業者にお願いしようと言う話も出ました。でも、
「できるところまでは自分たちで」とみんなで少しずつ作業をし、思った以上の仕上がりになりました。委員会のチームワーク
の見事さを実感でき、嬉しかったです。    Daishi




2016年1月1日更新











2015年12月7日更新

「三陸新報」 『萬有流転』欄(2015年10月11日)  サンマ  (マンスリーエッセイ・11月7日更新のページ参照)
 9日、10日と気仙沼港にサンマの水揚げはなかった。例年なら毎日揚がっていても不思議ではない時期である▼昼食
に「サンマづくし定食」を頂いた。サンマの出汁で煮た野菜、サンマの煮物にサンマサラダ、サンマのなめろうに吸い物、
焼サンマ井などのメニューである。神奈川からの客人白く「東京なら夜のコースメニュー、気軽な店でも7千円ぐらいはす
る」と▼サンマを送った知人からお礼の手紙が届いた「『脂が尭っていておいしい』月並みですが、お礼の言葉はこの言
葉に尽きる」と善かれていた。その夜、丸ごと、ハラワタは抜かないまま焼いてもらったという。「厳しい環境の中で食卓に
魚を届けてくれる漁師さんに感謝」とも▼「今年は小型ばかりで煮物をパックするのにシールに記載されたグラム数に合わ
せるのが大変。例年は計らなくてもオーバーする大きさだった」とは、鮮魚店での会話。さまざまな苦労があるのだと教えら
れる▼長く水産業を生業にしてきた気仙沼港。豊富な魚があることを、当たり前のように思ってきたが、自然界も変化して
いる。五味太郎さんの詩「正しい魚の食べ方」を読むと、食する方も心して味わわなければと思う。


袋の耐用年数は3年
 汚染水漏れや放射性廃棄物の浜通りへの運び入れのことなど、新聞に載らない日は無いのですが、県民でさえあの
事故への意識は少しずつ薄らいできています。私が住んでいるところは今でも0.17マイクロシーベルトです。 今年も近
くのJAでは米の全袋検査をしています。自家用でも検査をしないと食べることができません。林や森は除染していない
ので、山菜やきのこは線量が高くて店にはんでいません。
 娘の住む市内安達町では10月に庭に埋めておいた汚染物を掘り出し別の場所に持って入ったようです。我が家はま
だですが、袋の耐用年数は3年と聞いています、いつ掘り出してくれるのかわかりません。
 二本松の菊人形展を訪れる観光客は相変わらず少ないようです。   二本松市 Sayuri
 
    (Sayuriさんは東中次代の教え子です。「きぼうの種ひまわり」が同封されていました)


 「なぜ?」が次の「なぜ?」につながるおもしろさ
 「エコー」ありがとうございます。中学生の感想や壁新聞作りのことなど読ませていただいて、いろいろなことに「なぜだ
ろう」と興味・関心をもつことは大切なことだなあ、とあらためて思いました。
 学生時代、授業中に、先生から「なぜだろう?」と問いかけられても、「指されないように」と思うくらいで、「なぜ」につい
て本気で考えようとはしませんでした。でも、あるとき、ある事を「なぜだろう?」と不思議に思い、いろいろ調べていくうち
に、一つの「なぜ?」の答えが、次の「なぜ」に繋がっていき、調べることがおもしろくなったのでした。
 子どもたちは武先生の話からいろいろな事を身近に感じ、そして興味を持ち、もっと知ろうと努力したたのではないでし
ょうか。そしてそれは楽しい事だったでしょう。私も気になることについて、調べることを怠らない生活をしたいと思います。  
                                                                 Aya

 お互いの考えを尊重し より良い紙面づくりを
 今、「PTAの改革」が行われています。今号ではその改革についての特集を載せるつもりでした。「改革が進行中」と言
っても、実際にはいろいろな意見を集め、まとめている段階なので、「PTAについて考えてみよう」という内容です。
 ところが、その記事について本部と学校のOKがなかなかもらえませんでした。それて、記事の一つ一つを本部の意見
を入れながら書くという形で進めてきましたが、最終段階で「やはり今の時点でのこの特集は止めてほしい」と告げられた
のです。それでやむを得ず、そのスペースを運動会の記事に変えました。
 今号の発行では、人が集まれば、そこにははさまざまな考え・意見がある、だから一つの結論を導き出すことは容易で
はないと思いました。「伝えることの難しさ」も学びました。広報委員のメンバーは意見を積極的に出してくれます。お互い
の考えを尊重し、より良い紙面づくりをこれからも目指していきます。  石堂

 SODATERU
 勤務する学校にはOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)という研修があります。先輩が後輩(若手)に仕事のテクニックや
コツを教えるというシステムで、定期的に校内で行われます。
 私が駆け出しの頃は、先輩から自然に学ぶようになっていたと思いますが、今は、時間を設定して《会しない》と学べない
という、なんとも〈貧しい〉時代になっています。講師側の一人として「進路指導」を担当し、二十代の五名の先生方に「進路」
「キャリア教育」「進学指導」について話しました。
 新採用の頃、武先生から聞いた「《育てる》をローマ字で表記し、最初の〈S〉をはずすと《ODATERU》になる」という話を
しました。 
改めて二十代の頃の自分を振り返ってみたとき、先輩の先生方の「ODATERU」指導で、育てられ(SODATERARE)た
のだなあと思ったのです。   俊雄


2015年11月7日更新

 壁新聞づくり 親子で活動できた喜びが満ちていますね
 『エコー』324号拝読。 毎年恒例の壁新聞づくり。今年は戦後70年目、とりあげる題材もその年を象復するものになって
いるようですね。その壁新聞づくりの感想。好評ですね。親子で一緒に活動できた喜びが満ちています。今では親子一緒
に何かをするという機会も減っていることでしょう。新聞づくりがそういう場になるなら、もっともっと“拡散”(最近知った言葉
です)した方がいいですね。調べたものを新聞形式にまとめることの創造力を導き出してくれます。
 「凹凸館」=久保田館。テレビの‘珍百景’に投稿されてはいかがかと。
 「返ってきたエコー」の仲さん。75歳を超えられた方が、180㌢舵の脚立に乗って作業される時点でお若い。私は高所恐
怖症なので、はしごを上るとかいう作業は遠慮しています。
 7年間もPTA広報の担当に手をあげられた小泉ふみ代さんに乾杯。  Masmi


 学んだことを職場のお便り作りに活かしています
 いつもエコー、ありがとうございます。楽しみにしています。相変わらず広報紙づくり講座でお忙しいですね。今、同じ職
場の人が、小学校の広報委員をしていまして、「稲刈りの取材をしてきた」とか「運動会の写真撮りで筋肉痛」などと、話を
聞くたび懐かしく(私も運動会の記事を担当したこともあったので)“役得”はあったものの{大変だった}と思いかえしてお
ります。今は、職場のお便り作りに、先生に教えていただいたことをいかし、精一杯の力?を出しています。   Mayu 


 私 噴火しそう !
 きょう、学校と本部から「データの持ち帰りは駄目」と連絡がありました。これで自宅制作ができないことになり、従来通り
印刷業者に制作から印刷まで発注することになりました。 何だか「私は田植え機を持っているから自分が休みの日にぜ
んぶ植えておくよ」と言っているのに、それは駄目、会社を休んで平日に皆で手で植えて下さいと言われているような、や
るせない気持ちです。
 PTA広報誌は本来PTA活動について知らせたり問題意識を持ってもらうためのものだから、学校行事や部活紹介ばか
りでなくPTAについての記事も載せたい」と提案しても、手間がかかるのと、PTA批判みたいになる恐れから、と広報委員
の理解を得られず、PTA活動の記事は一切ありません。会費の約1/3という莫大な金額を費やして発行するPTA広報誌に、
載るべき記事は書けず、自分で制作して制作費を抑えようとしても駄目と言われ…、そんなものを会社を休んでまで作る
かと思うと虚しくなってきます。これはPTA活動・降雨委員会の正常な姿なのでしょうか? こんなことを思っている私は、い
ったいどのように納得すればよいのでしょうか。阿蘇山が噴火しましたが、私も噴火しそうです。何だか愚痴になりましたが、
その後の報告をさせて頂きました。  Megu


 顔と割烹着は“ツルツル”の“ガビガビ”
 11月 晩秋の色が濃くなってきた北上です。今年の柿をお届けいました。ご試食ください。今年は10月後半が低温続きの
ため赤くなり始めは早かったのに、渋抜きを始めたらなかなか抜けず時間がかかってしまいました。そのためちょっとやわ
らかになり過ぎかもしれません。
 こちらは毎週末どこかで収穫祭が行われています。10月31日・11月1日、北上の隣りの金崎町にある県立農業大学校で
文化祭があり、餅つきお手伝いに二日間行ってきました。一日中立ち仕事で疲れました。飛び散る餅つきの手合わせで顔
と白い割烹着は糊付けされたようにツルツルのガビガビでした。でも元気な若者たちからパワーを頂き、よかったです。今
年で三年目のお手伝いでした。
 これから寒くなります。柿でビタミンCを摂り、風邪など召されませぬように。今日はこの辺で。   Tomoko



2015年10月7日更新
 中学生の感想文に感銘
 『EHO』 毎号楽しく拝読いたしております。
 6月25日に開催された東中学校1学年の「総合の時間」が一般公開授業ということで、武先生の講義「古道・大山道(坂本
通・蓑毛通)を歩く」を聴かせていただきました。私も以前「古道・大山道」を歩いたことがあったので、復習のつもりで参加し
ました。
 当日は地域の十数人を含め、130人ほどが話を聞きました。ふざけたり、私語をしたりと、授業態度はあまりよくない生徒も
いて、残念に思っておりました。ところが『ECHO』323号の「生徒の感想」を読み、驚きました。
 校歌の歌詞の意味を知り、歌い方が変わった、樹齢200年のイチョウの話がよかった、今日学んだことを次の世代に引き
継ぎたい、自分の住む東地区はすごい、など、大勢の生徒が、地域ついてさまざまな頼もしい感想を寄せていました。私はそ
れらを読み、生徒たちを見直し、授業態度がよくないと思ったこと反省しました。
 武先生がいつも言われている「ふるさとを知り」「ふるさとを愛し」「ふるさとを育てる」ことがいかに大事であるかを私自身強
く感じ、感銘を受けた授業でした。次回の「地名について」の授業も楽しみです。   Koizumi

 Echo 323号 ありがとうございました。祖の中の東中学校の生徒さんの「地域学習」の授業はとても興味深く感じました。『ふ
るさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる』素敵です。私も授業を受けてみたいと思いました。私のように他所から嫁いて
きたり、移り住んだ人たちには、子どもと一緒に地域について学べるなんて羨ましいです。又生徒さんたちの感想の中で齋藤
さんのコメントがすばらしく、思わず苦笑しました。   Tomoko 

 反省しきり
 「梅の実が欲しい」という方に上げようと、6尺の脚立で作業をしていました。すると、突然脚立が倒れそうになり飛び降りま
した。足は大丈夫だったのですが、その後、脚立が私に倒れかかり左肩から背中を打撲。腕が痛くて車の運転はできず、通
院は息子に頼み、コンビニ弁当、もちろん字は書けない。手が動かないのはこんなにも不便なことかと身にしみて感じました。
 後期高齢者なのだから、そのことをしっかり受け止めなけりゃ、と家族や妹に散々言われてしまいました。反省しきり、ただ
「気をつけます」と言うだけです。ようやく先生にお手紙を書けるようになり、嬉しいです。   Naka          

 我が家の楽しみ ユウガオの開花
 秋の気配があまり感じられない日々にまいっています。そんな中で毎日の楽しみは、先生から頂いたユウガオの開花です。
午後三時ごろから白い長い蕾が首を伸ばし始め、夕方までに蕾の先を少し開いて「みなさん 私をご覧ください」と話しかけて
くるようです。今日の四つの蕾が誇らしげに首をもたげています。 毎年わが家に《楽しみ》を運んできてくださりありがとうござ
います。   Kawana

 

2015年9月7日更新


夕 顔
夕顔の花を残して暮れにけり     北井 古石


 「エコー」323号の、「つじ」のお話、感動いたしました。私の周りの家にはそのような風習はなく、同居の祖母(80代)が、
ダムになる前の丹沢地区に居たときのことを聞いてみましたが、やはり各家庭でしか行わないとのこと。人と人の繋が
りが感じられる、すてきな風習ですね。  佐藤 浩身

 昨年「砂糖新聞」を作った娘は、今年小学生最後の夏休みでした。もう中学生になりますし、思うように過ごさせよう!
親があれこれ言わず、宿題など本人のペースにまかせよう!の結果…やはり思った通り夏休み最終日の今日、ポスタ
ーを書いています。はずかしながら、私も同じだったのでなつかしかったりもするのですが…。
その他に、自由研究も宿題としてでていました。娘は、剣道をしており、毎年、東田原の実朝まつりの少年剣道に参加し
ています。その繋がりで、鎌倉の八幡宮など見学に行きました。娘と、わりと歴史に詳しい主人がいきましたが、何とな
く観光気分で帰ってきました。私も、パソコンで、実朝まつりについて検索していましたら、あるHPに「武先生の『エコー』の
『秦野のおはなし』を参考にした」として武先生のお名前がのっていて驚きました。本当にご活躍されているんですね。私も
がんばります!!  季節の変わり目、気温差が激しくなりますのでどうぞお体にお気をつけください。   齋藤 由美

 「カベ新聞つくりの講座」で聞いた お盆のお話 
 いつもは何気なくお参りしていた実家のお盆も「これって先生が話してくれた、馬と牛だね。」とおじいちゃんおばあちゃん
に、聞いた話を得意げに話をしていました。ありがとうございました。来年も参加したいと次男が言っています。楽しみにし
ています。  相田志津枝


2015年8月7日更新
           

                    
                            アサガオ  2015年夏

   今年もラジオ体操を

  毎日うだるような暑さが続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。長い夏休みが始まり、ようやく8月に入りました。
 今年も恒例の? 朝のラジオ体操をしています。毎年一緒に行っている近所の子から、「今年もラジオ体操やりたい!」
と夏休み前から言われていましたが、ラジオ体操を一番やりたがっていたのはどうやらウチの子だったようです(笑)。
 「お母さん、今年もラジオ体操やりたいみたいだけど、本当にくるのかなあ?」「明日から夏休みだけど、どうするのかな
あ?」と長男。「心配なら聞いておいで」の私の言葉を待っていたかのようにすぐに聞きに行き、「お母さん、やるって!」
と嬉しそうな顔で帰ってきました。その割には、毎朝眠い目をこすりながらやっと起きての参加。しかし、体操後の「遊び」
にはスイッチが入り、小1と小2の子を相手に鬼ごっこやらプロレスごっこやらで大興奮!!。その子たちに、小さい頃か
らなぜか好かれている長男。楽しみにしていたのはラジオ体操ではなく、体操後の「お楽しみ」のようです(汗)。なにはと
もあれ、毎日元気な朝を迎過ごしています(ご近所迷惑になっていないか心配ですが…)。
暑くてついついビールに手が伸びることが増えてしまいそうですが、なんでもほどほどに…。自愛ください。  
                                                           安田 奈々

 
 暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。また夏休みがやってきました。今年も夏休み直前に第2号を発
行できました。「夏休み」という言葉が頭をかすめるだけでもよいと思い、生徒たちにアンケートをお願いしました。生徒た
ちは「夏休みを楽しもう!」と、夏休みに期待している回答。「どうぞ事故だけは無いように」と祈るような私たちです。
 前年度の『笹生』が都中学校PTA協議会の広報紙コンクールで「最優秀賞」を受賞! 七年にわたって武先生にご指
導頂いたお陰です。本当に感謝いたしております。
 これからも、「みんなで話し合って、たくさんの声を集めた広報紙」に徹しようと思っています。PTAにいられるのもあと1
年半。最後まで広報? かどうかは不明ですが、広報づくりの今を楽しみます。          小泉ふみ代
 
 武注:小泉さんは毎日新聞社で開かれた私の講座に参加され、以降7年間、ずっと小・中学校のPTA広報づくりに関
     わっています。



2015年7月7日更新

 広報委員をやってよかった
  「ECHO} 320号 ありがとうございます。26年度の広報委員だったから「祝320号」とお祝いを述べる
ことが出来たのかなあと、今はもう広報づくりを懐かしく思っています。
 ウチの学校では「一子一回委員をする」となっていてます。委員決めのときは、広報委員はなり手が
無いのが現実です。楽しく活動をしている姿を見せていないからですね。私達の活動は、他の人にどの
ように見えたのでしょうか。
 最後の号に載せた「広報委員を終えた今思うこと」を読み、誰もが最後には広報委員をやってよかっ
たという思いになっていること―私自身も同じ思いです。               久美
 

 企画がもう私の頭の中を駆け巡っている
 私たちと同じ「お母さんたち」が作った広報紙を教科書に教えていただき、理解しやすかったです。こ
れからの広報紙づくりに活用したいと思うヒントをたくさんいただきました。それを活かした企画がもう私
の頭の中を駆け巡っています。                             千穂

 
 楽しく活動することが 読んでもらえる広報紙につながる
 5月15日の広報技術講習会に参加させていただきました。その時には、今年度一号めの第159号の編
集作業中だったのですが、お話にあったような昨年度のコピー型や、だった広報紙とならないよう、みん
なでレイアウトを再度考えたりしてみました。そして6月5日無事に発行することができました。お忙しいと
ころ恐縮ですが、目を通していただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
<1面>
・会長のあいさつ文は、読みやすいように見出しをつけ、見やすいように余白をつくりました。
・本部写真は、例年校舎前が多いので、上小ならではの土俵と、上地区から見える山や自然をバックに
 上小らしさのあるものにしました。
<2面、3面>
・1年生の写真も校舎前でなく、クラスイメージのある場所でとりました。
・先生の紹介は“もっと先生の事が知りたい”ということで、全先生方に座右の銘と小学校の時に流行っ
た遊びを聞きました。遊びのことでは、ドッジボールを小学校のときにやっていた先生が多く、うちの子ど
もたちも「先生たちもドッジボール好きだったんだね」と話したり、「この遊びは何だろう」など興味を持って
みていました。
<4面>
・涙いっぱいの離任式でしたが、子どもたちや先生の笑顔も印象的でしたので、次に向けて笑顔で送り出
す写真を選びました。
 全体を通し、上小らしいアットホームなものをイメージし、背景の色も写真や字を引きたてるようなものを
何度も選びなおしました。プリンターが壊れてしまったり、容量の問題なのかパソコン画面が消えてしまっ
たりしましたが、ドキドキハラハラしながら無事に完成させることができました。みなさんに見てもらえる「か
け橋」となれるような広報紙を目指して、頑張っていきたいと思います。委員が楽しく活動することが、読ん
でもらえる楽しい広報紙につながると思いますので、 みんなで楽しく1年間活動していきます。次号第160
号は、相撲大会や夏休みの過ごし方などを取り上げ、夏休み前に発行する予定です。 
                                                    



2015年6月1日更新

「echo」 創刊 満30年・321号 
 5月で『echo』は31年目に入りました。今までのご支援、本当にありがとうございました。

「エコー」の読者・北海道の美香さんから応援の葉書がとどきました。

 「ポンノ シニアン ロ 」 (アイヌ語) で  Let's take a break
お嬢さんの友歌さん(小6)の葉書には  「エイワンケ ヤ?」  How are you? と書かれています。


 こんなメッセージも頂きました。

                Kazuko

「動かなければ出会えない」

 『三陸新報』社長   朝倉 眞理 様
        専務   渡邉 眞紀 様
 本当にお世話になりました。「人生の総仕上げ」と言えるほどの感慨深い気仙沼行になりました。朝倉社長様、渡邉専務様のお心遣いに
心からお礼を申し上げます。『大政』の「ふかひれのにぎり」を味わってしまったため、あれ以降寿司を食するのが怖くなりました。
 本日、秦野のお母さんたちのメッセージが掲載されている『新報』が届きました。15日にお渡しいたします。驚き、感激することでしょう。貴
社刊行の気仙沼の「魚」など4冊、特に「漁船」の本は私をますます気仙沼ファンにさせました。
 送っていただいた安波山での記念写真を見ながら、進められている「嵩上げ」に、これから要する歳月を思い、そこに暮らしていらっしゃる
皆さんに思いを馳せらずにはいられませんでした。
 30日は朝一番で宝鏡寺を訪ねました。我が家の檀那寺・円通寺の住職は宝鏡寺の住職とお付き合いがあるのだそうで、「気仙沼に行く」
と言ったら「お参りしなさい」と言われたからです。茅葺の楼門は「県下随一」。副住職さんに寺内を案内していただきました。菊地住職さんか
ら、私の訪問について電話があったと円通寺から連絡がありました。
 その日の宿は「たざわこ芸術村・ゆぽぽ」。駐車場で湘南ナンバーのキャンピングカーを発見。懐かしくて? 思わず「平塚ですか」と声を
かけたのです。なんと秦野市東田原にお住まいのご夫妻でした。話していくうちに、我が家から200㍍ほどのところで日曜農園を楽しんでいる、
真っ赤な外車の方と判明。《世の中 狭い》とつくづく思いました。
 予約しておいた夕食の席を探すと、掲げられていた名札は「武市様御席」。「エッ間違えられた」と思いました。すると「武市様」の隣りに「武
様」の札。アルコールが入ると元気になる私、「武で繋がるのもご縁」と話かけました。武市様一行は、仙北市に住む75歳の同級生で、男性4
人は、埼玉・入間市から参加の武市さん・元企業人、歌人、陶芸家、民謡の先生と多士済々。3人の女性陣からは「いぶりがっこ」の講義を受
けました。 私は昨夜いただいた気仙沼の「ふかひれ」の話をしたのですが、うまく説明は出来ませんでした。武市、藤原姓の由緒も聞かされ
ました。それでこちらは、実朝公御首と武常晴の話をしました。
 キャンピングカーのご夫妻が私たちの席に挨拶にみえ、しばらく旅の話(竜飛岬から弘前、きょうは角館)を聞かせてもらいました。新潟経由
で秦野に帰るのは数日後のようでした。

 宮城・秋田でも〈道祖神の里めぐり〉を敢行
 講演が終わってからは「道祖神の里めぐり」をしました。一関市の金烏神社では、あるはずの道祖神は見つかりませんでした。気仙沼市で
2基(金精様)、仙北市の2基と大仙市の11基は人形道祖神でした。道祖神の在り処を尋ね歩く中で地元の方と楽しい語らいもできました。
 秋田空港を15時45分に離陸、秦野には18時過ぎに着きました。帰って夕食の支度は大変ということで、『万葉の湯』で風呂と食事を済ませ
たのですが、湯船に浸かっていた私に「秦野にはこんな温泉がいくつかあるんですか」と話かけてきた人がいました。その人は、連休なので
息子が呼んでくれたから、とうれしそうでした。山形・天童の人でした。4回ほど尾花沢に友人を訪ねているし、学校新聞の盛んな庄内地方に
も数度足を運んでいるので、話は盛り上がりました。
 お休み処で食事をしていたら、65歳の教え子がコーヒーカップを手に近づいてきました。庭師で今も現役。仕事の勲章である切り傷の跡な
どを見せるのでした。この旅ほど「動かなければ出会えない」を実感したことはありませんでした。


 武先生のいらっしゃるところ、人あり、人生ありですね。確かに外に出れば出会いがあり、繋がりが生まれます。
 今回の気仙沼での先生ご一家との出会いは、私たちにも、新たな楽しい出会いをもたらしてくれました。気仙沼出身でも、お会いしたことの
ない渡辺知子さんとの素敵な出会いの場ともなりました。今後もお付き合いを深めていきたいと思っています。
 震災は多くの人たちの生活はもちろん、人生観を変えさせる出来事でした。しかし、あの日がなければ、先生との出会いはありませんでした。
被災地の多くの人たちは、たくさんの新たな出会いに感謝しているとおもいます。中には、立ち上がれない方々もたくさんおりますし、街が再
生した時の怖さも思いますが、人と人の出会いにこれほど感謝したこともありませんし、嬉しい出来事もありませんでした。一生のお付き合い
するだろう友人が 、数多く誕生したのも震災があったことからでした。
 震災後、特に「やりたいことはしよう、会える時には会おう、頼まれたらできるだけのことをしよう」という気持ちになりました。周りに迷惑をか
けることもありますが、人生は短いです。       渡邉 眞紀


 『ECHO』第321号、拝受いたしました。30年!!! スゴいことですね。心より「お目出度うございます」とお祝いを申し上げます。
 毎月、封書が届くたび、「今度の号では、どんな情報、どんな話を聞かせていただけるだろうか」と、期待感で一杯になります。そして、その期
待が裏切られることはありません。321号も、三陸新報社でのPTA広報紙づくり講座についての諸々、そして秦野の広報委員のお母さん方の
メッセージ、感動しました。
 次号、「気仙沼への旅」のエピソード、大いに期待しています。猛暑の予報、お身体くれぐれもご自愛の上、お過ごしくださいますよう!
   2015.5.27    吉成 勝好

                         
                          高橋雅子(絵)・湯川すえ子・三平道子

 PTA広報を携われた方々の熱いメッセージにも圧倒されました
  風薫る五月という言葉がピッタリな月の入りとなりました。こいのぼりが元気に泳ぐ姿が多く見られるようになりました。武先生もこのこいのぼり
のように、PTA広報委員さんの熱い風を求めて泳いで(?)いられることとお察しします。
 エコー第320号をありがとうございました。新年度に向けて、それぞれの熱い熱い思いが伝わるような内容ばかりで、読んでいた私までもが熱く
なってしまうほどでした。 PTA広報を携われた方々の熱いメッセージにも圧倒されました。私も「武マジック」にかかった一人ですが(笑)、あの頃
以上の熱気が伝わります。
 広報の在り方は今も変わりはありませんが、掲載の紙面の工夫は年々少しずつ変わっているように感じます。引き継がれたものをただまねるだ
けでなく、進歩発展できていることに感心させられます。今年の広報委員さんには、どんな武マジックをかけられるのでしょうか?
 今年も、朝の見守りを続けています。貫太朗が今年中2なので8年目になります。民生委員の活動や仕事の都合などで毎朝立つことが難しくなり
ましたが、できる範囲でやっております。毎日同じ時間での子供たちとのふれあいとはいえ、日々成長する子供たちとの付き合い方を常に模索して
います。毎日ハイタッチをしてくれる子、毎朝決まって「今何時?」と時間を聞く子、「歯がグラグラだから学校で取れちゃうかも」なんて話してくれる子
もいます。
 ついこの前までなついていた子が急によそよそしくなったり、声をかけても知らぬふりをする子もいます。成長の仕方はそれぞれなので、声掛けも
一人一人になるべく合わせるように心がけています。ただ、いけないことをしたときはどの子も同じような態度で接していますが。
 今年は、長女と次女のW受験も控えています。一緒にがんばっていきたいと思います。    安 奈


 2015年4月1日更新

 どうぞご自愛を
こんにちは。4年程前、先生にご指導いただきましたS市M小広報のKと申します。いよいよ明日、子どもが卒業式です。
いやいや引き受けた広報委員でしたが、あの時武先生にお会いできたことは本当にラッキーなことでした。心より感謝申し上げます。  
本部と闘って(?)広報づくりを少しでもやりやすくしようと動いた私達の代でしたが、どうやらその後も、本部の人が変わっても、変わ
らないことも多いようです。
 新年度から、広報委員を廃止し、本部が広報誌を作るそうです。残念ではありますが、せっかく書いた原稿が何の連絡もなく、全く
別の原稿に変わって紙面に載るなんてこともあったようで、嫌な思いをする人が減るのは良いことかとも思います。
「諸行無常」変わらないものなんてないと思いつつ、思い出は大切に、進んで行かねばならないなと思いました。
 中学で広報をやるかはわかりませんが、もし引き受けたとしても、少しはスムースに進められるかもしれないと希望も持っています。
大変な思いをしながら広報づくりをしているお母さん方には、なくてはならない存在の武先生です。どうぞご自愛ください。感謝をこめて。  
                                                                          K.M

 もう一度広報づくりに携わりたいと思ったりして
 今年度最終号をお届けします。この号は六年生の卒業のお祝いだけでなく、在校生の進級についても取り上げようと全児童に「どん
なことが楽しかったか」を聞いてみました。この記事が親子の楽しい会話のきっかけになればと思ったからです。もう一つこだわった記
事は「決算総会」です。2月入稿の予定でしたが、広報紙の役割を考えたとき、総会のことは載せたいと強く思いました。「出席者を増
やす」記事までにはなりませんでしたが、現状だけは伝えようと写真を載せ、出席率を見出しにしました。そして総会の翌日「入稿」とい
う《離れ業》をやってのけました。
 全4号を通じて一枚の写真にこだわりました。それは、181号の入学式の写真を褒めていただことがきっかけです。とても嬉しく、みん
なにヤル気が出たのでした。
 PTA広報紙の役割や作り方が少しわかってきた今、年度当初号を見ると恥ずかしく、作り直したい気持ちです。忙しかった広報委員
会の活動でしたが、今は終わってしまった寂しさでいっぱいです。いつか、近いうちに、もう一度広報づくりに携わりたいと思ったりしてい
ます。  E.Nakashima

                                                                         
 学び、発見し、感じた事を伝えた『はまゆう』                                 
 今年度の浜須賀小広報委員会活動方針は、『FUN・SEE・広報』①PTA活動を楽しく、わかりやすく見せ、会員の意識向上を図る。
②親の目線から教育現場を取材することで、学校教育への理解を深める。③会員の方に楽しんで読んでいただける、質の高い広報
誌を目指す。この三点を目標に掲げました。
 まずは、運動会前に先生の顔と名前が一致するよう、一号「PTA・教職員紹介特集」を五月に発行。二号「運動会特集」においては、
感動が色褪せないうちにと七月に発行し、情報の『旬』を意識した広報誌作りに努めました。また、運動会の舞台裏で活躍するPTAを
クローズアップ。九月に発行された号外「誰もが関わりやすく進化するPTA」では、現役員の座談会を掲載。十二月の三号、三月の四
号においても、子ども達の記事だけでなく、PTA活動を大きく取り上げ、『見える化』を図る事で、次年度役員の推薦活動に大きく貢献す
る事が出来ました。
 実は昨年度、「はまゆう」の制作方針が変わり、更なる一歩としての今年度は、すべてが手探り状態からのスタートでした。そのような
状況で、私達自身が、親として学び、発見し、感じた事を伝えたいという素直な気持ちが、今年度の「はまゆう」を作り上げたのだと思い
ます。嵐のような一年でしたが、大きな達成感と何より楽しんだというのが、正直な気持ちです。最後になりましたが、一緒に頑張ってき
た仲間達、先生方、ご指導頂いた武勝美先生、先輩方に心より感謝致します。  K.A


 広報委員が「やってみたい!」と思える企画を
 昨年2月、私は広報委員長となりました。その重責に押しつぶされそうでしたが、前に進まなければなりませんでした。進め方がわから
ず、不安に駆られていたのは他の16名の広報委員も同じでした。過去の「南の風」や、他校の広報紙を読み込み、今年度の方向性を探
っていきました。
 まず、広報委員自身が「やってみたい!」と思える記事を企画し、担当していくことにしました。そのため、保護者が日頃から知りたいと
思っている情報や、知っておいてほしい情報を、日頃から意識して会話やニュースの中から得るよう心がけました。
 例えば「○○委員会はどのくらい仕事を休んで参加しなくてはならないのか」という不安を持つ保護者が多かったので、各委員会に協力
をしてもらい、実際に集まる回数や負担軽減のための分担についてなど、詳しくお知らせすることにしました。
 広報委員も仕事を持っている委員が多いので、平日の企画・編集会議に参加できなければ、自宅のPCでできるレイアウトを担当しても
らい、全員参加で「南の風」を作り上げてきました。
 私自身、ぜひ知っておいてほしいAEDの記事を担当し、運動会では土埃の中写真撮影をし、と思い返せば最も子供達と共に過ごせた
一年でした。  岩﨑智恵子

 2015年3月1日更新


 元禄雛形道祖神(元禄5・1692年)がこの川の上流に立つ 高崎市権田
野田広明さんが送ってくれた絵葉書

 
 会員に広く呼びかけるのが広報の役割だから
 183号が発行できましたので、先生にもお届けいたします。 
 この号は広報クリニックで学んだことを心に留め、字体は全ページ同じにそろえました。色使いも抑えたものにしました。
 表紙の写真は、運動会の中の『静』を表したものにしました。動きのあるものを、と思ったのですが、数千枚もあるのに「動」のイメージに合うものを選ぶことができませんでした。そして選んだのが「演技を見つめる子どもたちと保護者の姿」でした。私たち委員は皆「良い写真を選べた」と思っています。
 PTAの委員会活動の企画は本部の方の発言がきっかけでした。会員に広く呼びかけるのが広報の役割だから、委員に立候補することを促す記事を書きました。、読んだ人が真剣に考えてくれるように真正面からぶっかって書いたつもりです。でも難しかったです
 次号は最終号てす。なにを伝えなければいけないのかをよく考え、全員で取り組みます。  Etsuko

 
 午前中、小田原の橘地区の実家に行き道祖神を見て歩きました。その写真を送ります。「いや、これはお地蔵様だよ!」というのがあるかもしれません。違っていたらすみません。
下中小学校付近は、今は住宅がふえ、私の時代とだいぶ変わっていましたが、久しぶりに子どもと地元を歩いてまわり、楽しい時間が過ごせました。下中小学校付近を訪れてみてください。いくつか道祖神はあります。ちなみに、橘地区には古墳もあります。ぜひ私の生まれたところを見てください☆   Yukari


 暦の上では春ですがまだ寒い日が続いていますね。318号 読ませていただきました。我が家の地区の「どんど焼き」は小学6年生が大人たちのお手伝いをすることになっています。ウチの子もお手伝いに行きいろいろな話を聞いたと言っていました。貴重な体験が出来たと思っています。  Sumie



 2015年2月1日更新


 2015年 それぞれがそれぞれの一年を
  1年間のメンテナンスで復調し“やる気モード”になっています。
 4月からシカゴ日本人学校に勤務することになりました。現役に戻って頑張ります。  柏木 正巳



いただいた年賀状から
    
   
       
    


 「新聞のおじいちゃん先生」気に入りました 
 気に入った三つのこと。新聞のおじいちゃん先生、これは勲章です。オピニオンリーダー「東中新聞」。関野作次郎の書。とにかく内容が素晴らしい。このような『エコー』をいただけるしあわせ。  Kenjiro

 「にっきの木」NO145。東中の広報委員の訪問は続いていますか。定期テスト前、勉強をそっちのけで新聞づくりに取り組んでいた当時の東中生を思い出します。もう日が暮れて真っ暗になった頃、職員室の窓をコンコンと叩く女生徒。「教室に本番用の新聞用紙を忘れたので取らせてください」。「ちょっと、それはいいけど! 今はテスト前で部活動も停止になっているんだぞ」と職員室にいた先生たちから言われていました。《新聞のおじいちゃん先生》の力は偉大です。そんな光景は今でも続いているのでしょう。  Masahiko

 316号拝読。いつも貴重な情報 ありがとうございます。「東中新聞」のオピニオンリーダーとしての意志を強く感じました。一般紙の記事を裏面に貼り付けいろいろな情報を提示するというのは興味ある取り組みです。過日、下野新聞スクラップコンクールに出席しました。新聞を読む子はイキイキしています。  Hiroaki

 今号もいいお話、素敵な方々の言葉がたくさん載っていました。何だか暖かい気持ちになりました。
 茨木のり子さんの詩集を持っている教育委員会のUさんのお話。親子壁新聞の記事では、車椅子で東京まで通勤しているお父さんの仕事のことを書いた『パパ新聞』や、「東日本大震災のことがこのごろあまり新聞に 出ていないので」と『地震新聞』を作ったお子さん。他にも素晴らしい方々の記事がありました。皆さんの真剣な気持ちが伝わります。
12月の3度目の講座、仕事の都合をつけてぜひ参加したいです。その講座では『道祖神新聞』を使われるのでしょうか。地元東地区の道祖神について書かれた、すっきりと仕上がった壁新聞を拝見できるのかもと思い、楽しみにしています。急に寒くなりましたのでどうぞお体にお気をつけてお過ごしください。  Yuki

 元日や晴れて人生無一物             市川 光一
 春の雪人待ち顔の道祖神

 先生の行動力・若々しさは私たちの誇りです。信じられない思いですが、今年68歳になります。何かにチャレンジします。  Sueko

 『エコー』楽しく読みながら、考えさせられることもありました。個人的には「にっきの木」がホッこり暖かい文で好きです。それにしても先生はお幾つになられたのでしょう? すごいバイタリティですね! 私は今年58歳になりますが「まだまだ」という気持ちを強く持ちました。  Masako

 道祖神の宿がウチの組に回ってきました。息子が〈大将〉を務めるので、いろいろと我が家がやらなければいけないようです。〈前途多難〉ですが、組の皆さんと話し合い伝統は守っていきたいです。   Kakiuchi

 読むたびに元気をいただいています。道祖神めぐり128塔にはびっくりしました。今年もお元気で。  Mayumi

 米子に帰省しています。淀江の道祖神に詳しい人を見つけました。詳細は後日メールで。  Akira

 昨年は健康この大切さを痛感した一年でした。茨木のり子さんの詩、目に着きやすい所に掲げました。「骨」を鍛えて道祖神めぐりを続けていただきたいです。  Yasue      
 権利へ立ち上がろうとマララさん 子どもたちへの勇気あることば。
 武器を売ります トバクもしよう 景気をよくするためなら原発OK イクサの準備を―ではない世の中を願いつつ。皆様のご健勝をおいのり申し上げます。  Takashi
                  
 親が子に教えることより、親は子どもから教わることが多い。今年は何を教えてくれるのかな。新たな発見、驚き、そして喜びがたくさんの一年間。2015年も子どもの背中を見て親は育つ。  Fumie                  

 昨年は先生からたくさんのお話をお聞きしました。充実した楽しい一年でした。今年も先生にお会いしいろいろなことを吸収したいと思います。お話をうかがうのが楽しみです。  Yumi

 2015年はどんな年になるのでしょう。どんな人と出会える1年になるのでしょう。新しく出合うだろう出来事に今からワクワクしています。相変わらずの忙しい毎日になるのでしょうが、健康で充実した1年が過ごせたらいいと思っています。  Kyoko

 一日の生活は相変わらずです。弘法山公園までの道のゴミ拾いの往復(5~6㌔)この山行きも15年続き、3000回の大台直前になりました。雨ならテレビか独数。そして通院(糖尿など数多)で過ごすことも。この7月で傘寿。  Toshihiko

 「伝えたい思いを自分の言葉で」、日々苦闘しています。もっと自分を磨かなければ。  Emiko




2015年1月1日更新


干支・未(信楽焼)   倉田幸子さんより


 拝啓 『エコー』316号、拝読いたしました。
 「にっきの木」NO145。東中の広報委員の訪問は続いていますか。定期テスト前、勉強をそっちのけで新聞づくりに取り組んでいた当時の東中生を思い出します。もう日が暮れて真っ暗になった頃、職員室の窓をコンコンと叩く女子中学生、「教室に新聞の本番用の新聞用紙を忘れたので取らせてください」。「ちょっと、それはいいけど、今はテスト前で部活動も停止になっているんだぞ」と職員室にいた先生たちから言われていました。《新聞のおじいちゃん先生》の力は偉大です。そんな風景は今でも続いているのでしょう。  三嶽 雅彦   

 316号 拝読。いつも貴重な情報 ありがとうございます。「東中新聞」のオピニオンリーダーとしての意志を強く感じました。一般紙の記事を裏面に貼り付けいろいろな情報を提示する言うのは興味ある取り組みです。過日、下野新聞スクラップコンクールに出席しました。新聞を読む子はイキイキしています。  野田  広明
 

 気に入りました3つ。新聞のおじいちゃん先生、これは勲章です。オピニオンリーダー「東中新聞」。関野作次郎の書。とにかく内容が素晴らしい。このようなエコーをいただけるしあわせ。   健次郎
 


 エコーありがとうございました。そして今回もいいお話、素敵な方々の言葉がたくさん載っていました。何だか暖かい気持ちになりました。
 茨木のりこさんの詩集を持っている教育委員会のUさんのお話。親子壁新聞の記事では、車椅子で東京まで通勤しているお父さんの仕事のことを書いた「パパ新聞」や、「東日本大震災のことがこのごろあまり新聞に 出ていないので」と「地震新聞」を作ったお子さん。他にも素晴らしい方々の記事がありました。皆さんの真剣なお気持ちが伝わります。
 先生のご講演の感想文も載せていただきました。稚拙な文章で本当に「わああ」と声が出るほど恥ずかしかったです。でもこれからも頑張っていろ いろ書いていこうと思います。そして、12月の3度目の講座のお知らせ、わざわざ自筆で書き添えてくださった先生のお心遣いがとても嬉しかったで す!  仕事の都合をつけてぜひ参加したいです。その講座では「道祖神新聞」を使われるのでしょうか。地元東地区の道祖神について書かれた、すっきりと仕上がった壁新聞を拝見 できるのかもと思い、楽しみにしています。急に寒くなりましたのでどうぞお体にお気をつけてお過ごしください。    有紀


 淀江町(現・米子市)と大山町の道祖神めぐりの記事がありました。わたくしの妻の実家は、大山町に隣接する伯耆町(旧・岸本町)です。「西日本の道祖神は鳥取県に集中する」について、暮に家族で妻の実家に帰省しますので、義母に「なぜなのか」聞いてみます。   晃



 2014年12月1日更新


安来節 2014.10.30

 試練が私をきたえています。(笑)
 
武先生
 気温の高低差も有り、暖かい日の次は寒くなったりと体調をくずしやすいこの頃ですが、いかがおすごしでしょうか。
 ECHO ありがとうございます。本当に先生の活力のすごさを毎号読みながら、びっくりしています。40才台の私の方が「あ~今日も何か
疲れた~」なんて思っている感じがします。
 今日は我が家の店へ小学3年生の子が5~6人来て質問をするという事がありました。質問の内容はあらかじめ学校の先生が届けに
来ていて、その答えを今日伝えるというものです。そのやりとりをみていて私は「質問云々というより子供達と地域というつながりがこの場
には大切な気がする」と思いました。子供達が知らない所に行き、そこで人とふれあうたとえ数分としてもその子達の1コマとなる、そういう
積み重ねが"何か"をもたらすのでは…な~んて思いました。
 私の家は飲食店で、来る方たちはもう顔なじみの方ばかり。新しい人も居ますが、毎日ここで会う(というか食べに来てくれる)人たちの
顔を思いながらつくっているものです。
 毎日毎日 来てくれる人達がどう思ってくれるかと少しハラハラしながら、自分の技術の未熟さを痛感しながら魚を下処理し肉に手を加え、
技術の向上に日々努めていますが、時間と体力と気力と・・・。時々気が抜けて、少し手を抜くと心の声が・・・私を責めてる感じがして、また、
しゃっきりとします(笑)
 先日は、七五三のお祝いの料理をほめてもらい、うれしいな~って素直に思い、今日はすごく下処理に時間をついやしたブリの煮付けを
「簡単な料理」と言われてがっかりしたりと、そんな毎日の色々が楽しいです。(あ~でも本当は苦しみもありますが)
 消費税が上がって経営は大変ですがピンチはチャンスと前向きに考えています。来てくれる方々に少しでも体に良いものを提供するため
に日々精進したいと考えています。試練が私をきたえています。(笑)
 これから忘年会のシーズンですね。お体ご自愛下さい。     矢部 臣子


 11月に入り、寒さが身にしみる季節となり、暖房が心地よく感じられます。ECHO第315号読ませていただきました。最近女性が興味の
ある事に積極的に動いていて「歴女」「山ガール」「聞女」と呼ばれている記事を読みました。私は走る事が趣味なので「runガール」「ラン
女」? とでも言うのでしょうか? 今年初の「フルマラソン」を走り、完走できました。継続は力なりと言いますが、何事も続けていく事が
大事だとあらためて思いました。次のECHOも楽しみにしています。寒くなってきたので先生も体調に気をつけて下さい。  浜野すみ江


 「ECHO」を拝読していましたら、広報紙クリニックの様子が書かれており、"道女"とは私のことではないかと頬を赤らめながらも楽しま
せていただきました。そして、手作りの大山道の地図は、道標やエピソードなどの情報が満載で、拝見しているだけでワクワクし、今すぐ
にでも秦野へ行き、散策したくなりました。 しかし、今は、「わかたけ」の発行に向け、皆一丸となり編集作業をすすめている所なので、
暫しお預けです。今回の広報紙は、クリニックで学んだ事を意識し学校・PTA・地域を結ぶ架け橋となるものを目指しておりますのでご期
待ください。  門倉裕美子




 2014年11月3日更新



赤富士   森下政司

 道祖神の思い出
 道祖神のお話を読んで、ちょうど今の娘くらい(小3)ぐらいの時の話です。私の住んでいる地区の道祖神さんは、大きな公園のすぐそばにいらっしゃ
り、いつも
手入れがされていて、花も供えられ、親しまれていました。だれが花をそえていたのかはわかりませんが、公園に遊びに行くたびに、「通らせてください。」
と手を合わせ、帰る時は「ありがとうございました。」と家路についたのを思い出しました。
 今では素通りしてしまう道祖神ですが、公園の近くにあったため、いつも見守ってもらってるような気がしていたのかもしれません。今、住んでいる辺り
には道祖神さんは見当たりませんが、いつか子どもが見つけて帰ってきたときは、当時のことを話してあげようと思いました。    高橋由香利


 「地名は語る東地区の歴史・文化」の講演で勉強しました
 今日の東中学校での先生の講演会、自治会の回覧板で知りました。カレンダーに印をつけて仕事を休み、聞かせていただきました。久しぶりの東中学
校。もう子供は二人とも卒業して縁のない身なので気後れし、ドキドキしていましたが、武先生のお元気なお姿が見られ、深い内容の講演を拝聴できとても
嬉しかったです。
 今回の東地区の地名の由来のお話。地名にはその土地の持つ記憶(先人たちの生活)が深く刻まれている、というお言葉にうなずきました。住んでいる
「井の城」という小字名について勉強できたのがよかったです。井の城には地下から取水する取水場があり「井」は井戸に関係するものかな、とは思ってい
ました。「城」はわからなかったので納得できました。
 東地区の地名は、稲を植え、畑を耕した人々の生活から生まれたものが多いことも知りました。ウチの子どもたちにも聞かせたいです。ありがとうござい
ました。    上條 有紀



 2014年10月3日更新


ムラサキシキブ
源氏物語の紫式部には関係ないらしい。江戸時代は「実むらさき」「玉むらさき」「山むらさき」と呼ばれていた。


 「新聞づくりは仲間づくり、心の交流」であることを再確認

 エコー314号ありがとうございます。はじめの7/22~8/15の日記は、スピード感と充実感があり楽しく一気に拝読しました。3日間庭の草取りして翌23日
は炎天下で枯草を燃やす!外に出ただけでも焼け付くようなあの猛烈な暑さの最中。思い浮かべただけでもクラクラ。
 新聞づくりのことも考えさせられます。秦野はじめ各地区に新聞の花が咲いたのは、土を大切にし耕し育てる、これが根本にあるのでしょうか。24日か
ら始まる“新聞夏の陣”にも、それぞれに創意工夫があり興味が湧きます。どの会場へ行っても貴重な体験ができ学ぶことも多く楽しめそうです。
 なんといっても圧巻は、第57回全国新聞教育研究大会 千葉県市川大会です。≪秦野西小P『西のいぶき』の報告は“パーフェクト”≫の記事に感激しま
した。提案は広報づくりで磨いた企画・編集の力が見事に発揮されていることです。そして西小Pは、よき伝統を引き継ぎながら、さらに新たな地平を切り
開いていることもわかり感服します。
 大会報告に向かっての①~⑥の動きにもすっかり魅せられました。 「⑤この日西小の参加者5人は午前5時半に秦野を出発。もしやと思いビデオデッキ
を持参。 ⑥大会参加の感想文を8月6日までに全員が書いた。」とあります。仕事はこのようにやるんだと強烈に迫ってきます。今何をやるべきか先の見
通しが効き、仕事のできる集団であることがわかります。
 それに見合った皆さんの感想文も見事です。各学校の当日の提案のあり方についてしっかり述べられています。「委員長になった経緯などよりは、お互
い、自分の学校に持ち帰ることができる内容の発表の方が、発展、勉強になると思いました。発表内容をきちんと整理し、聞く側にわかりやすくする、発表
時間を守るなどの基本的なことをした方が、もっと活発な大会になるのではないかと思いました。」と適格に指摘されてます。より良いものをつくろうと最後ま
で手抜きをしない西小Pのみなさんの心意気が伺えました。
 旧交を温めた「全国交流会」市川大会のよさを引き立てていただき、ありがとうございます。大澤和子先生ご指導の宮久保小と武勝美先生ご指導の秦野
東中が毎日の全国学校新聞コンクールで特選に選ばれ、両校の新聞委員長と共に札幌オリンピックの開会式に招かれたお話に皆さん驚かれました。大
澤先生の長男・明洋さんやお孫さんの増子彩音さんのお話も全新研の温かなつながりが一層深まりました。29年前の市川大会以来各地の全国大会を振り
返ってみると、毎年温かく迎えられてました。新聞づくりは仲間づくり、心の交流でもあることを今回も武先生に再確認させていただきました。
                                                                       2014.9.8    菅原 澄子




 2014年9月6日更新


妙高のイルミネーション

 ただ今「子育て第3章」
 毎日暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。
  「良い夏休みを」------。1学期最終日の朝、見守りをしながら子供たちに伝えました。「はい!」と元気よく返事をしてくれた子供たち。時々出かけ先で会いま
すが、どの子も私に気づいてくれるようで、あいさつをしてくれる子やにっこり笑顔を見せてくれる子、恥ずかしがり屋の子には私から声をかけると笑顔が返ってき
ます。
 また、「今年もラジオ体操と花火しようね」と、毎年一緒にラジオ体操をしている近所の子に言われ、中学生の2人の我が子も一緒に毎朝行っています。長女が
小学1年生の時に2人で始めてから11年。まさか近所の子に楽しみにされるとは思いもしませんでした。近所の子は、一番上の子が中2で、下に小1と幼稚園年
長が…。あと6年は続けるようでしょうか(苦笑)。 
 我が家の今年の夏休みは、昨年までとは少し違う日々を送っております。一言で言ってしまうならば「小学生のいない夏休みはつまらない!」と言ったところでし
ょうか。高2の娘は部活と友達優先の生活、中2の娘、中1の息子はサッカーに明け暮れ…。一緒に宿題を考えたり、遊びに行った昨年までの夏休みが懐かしく
もあり、子供たちの成長に喜びをを感じています。すっかり一人前になったと勘違いしている子供たち。体も大きくなり、口でも敵わなくなってきました。ただ今「子
育て第3章」に入った我が家。有り余るエネルギーをどう受け止め、促せば良いのか模索中です。    安田 奈々

 
 PTAの二学期は多忙 大いに活動します 
  息子たちの壁新聞 お褒めいただき感激です。二人とも喜んでおります。3日より「夏休み作品展」として、クラスごとに廊下に作品が展示されるので、早速見
てこようと思っております。
 HPに載せてもらえるのですか?恐縮です。茅ヶ崎の作品も楽しみです。茅ヶ崎の公民館の方には、鶴を折っていただきありがとうございました。その鶴は武先生
の折ってくださった金の鶴と一緒に『ヒロシマ新聞』に貼らせていただきました。
  「EOHO」第314号をいただきました。ありがとうございます。拝読しました。西小学校さんの発表の様子、準備や姿勢に改めて感心させられました。先生の精力的
な活動を知り、自分の自堕落さを反省しています。PTAの二学期は校内外の行事も多く、忙しくなりますが、先生を見習い、大いに活動していきたいと思います。あ
りがとうございました。  大瀧 美和


 夏の壁新聞作りは、今、高校1年の息子が小学校5年生の時に、市の広報を見て参加したのが初めてでした。文章を書くのが苦手な息子でしたが、何を載せるか
親子で考え、写真を撮りに行ったりしたのもいい思い出です。 娘も、夏休み明けに学級新聞を発行する順番とのことです。どんな新聞が出来上がるのか、ドキドキ
しながら発行を待ってみます。   飯塚 和美






2014年8月9日更新


桔梗の花咲時ぽんと言ひそうな    千代女

 
 目の前に広がる景色の中にある史実を知る楽しみを教えていきたい
 
東中1年の「総合の時間」の取り組みは今でも続いているのですね。幼小中の一貫教育の一つとしての郷土学習。まずは先生が地域のことを知ることは大切です。中学1年の歴史で縄文弥生時代を勉強しています。小中一貫の社会科資料集を見ながら、秦野に住んでいた人が旧石器・縄文・弥生時代にはどこにいたかを確認しました。弥生時代に入って米づくりをするために平塚方面に出ていった人々が再び川をのぼりながら秦野に戻ってきた。‘ひかりの丘’のマンション建設の時に発掘された遺跡は弥生時代のもの。鶴巻あたりに弥生時代には人々が住んでいたんだということがわかっています、という説明をしました。「根丸島遺跡」という石碑が建っている写真を見たことがあったので「見にいっておいで」と生徒には話しました。
 川の名前も水無川・金目川・花水川と変わっていく。どれだけこの川がこの地域の人達にとって大切なものだったのか。報徳運動や自由民権運動などを調べるとこの地域の人達がどのような歴史を歩んできたか、教科書と並ぶぐらいのものを持っていることがわかります。
 秦河勝を祖先に持つ渡来人系の人々によって開拓されたとされる秦野(京都の「太秦」につながる)。目の前に広がっている景色の中にある史実を知る楽しみを教えていきたいです。   三嶽 雅彦


 私も印刷のインクのにおいが好き!
 娘が通う高校の校長先生は月2、3回のペースで学校報を発行なさいます。A4判で2ページ(裏表)にモノクロでびっしり。ご自分のエッセイや生徒の活動の様子、校内のニュースなど細かい文字で写真もたくさん使って、とにかくびっしりです。
 以前、学校に対する評価のアンケート用紙が配られたので「校長先生の校報はてんこ盛りで読み応えがあります。ただ、読みづらいので両面印刷ではなくページを増やすとか、文字を大きく下に余白を作ったりして読みやすくしてもらえませんか。せっかくの内容、もったいないです」というような趣旨を書いて提出しました。
 その後、開かれたPTAの集まりで、校長先生は「学校報はホームページでも読めます。そちらもご覧ください。カラーだし、とてもきれいですよ」とおっしゃいました。確かにおっしゃる通りです。でも、以前『エコー』に寄せられた声を私は忘れません。「(印刷の)インクのにおいが好きです}。同感です。私のような肉体労働者は印刷してもらえると、どこか都合の良いときに読めます。確かにパソコンで印刷して読むという手もありますが、ちょっと違うような気がします。主役は書き手に在るのか読み手にあるのか、難しいですね。ともかく「先生の『エコー』印刷仕様は私にはとてもありがたいのです。   渡辺 知子


 残念ながら、準優勝でした。春も準優勝、関東大会も準優勝。甲子園って遠いですね。 娘が在学中に甲子園に行って貰いたいです。まだまだ楽しみがあります。 娘は野球部に入れないので野球部応援団員です。いい思い出が出来たと思います。そして、良い年に入学出来たと喜んでいます。 夢と感動をありがとう〓ですね。  Akemi
 

 次号は納得できるものを
  『森』182号ができあがりました。今号は夏休み直前の発行ということで、「親子で取り組む夏休みの過ごし方―学習から遊びまで」を会員に提案しました。読みやすいようにと、短い文で、簡潔に、できれば箇条書きのように、を 心がけました。学習についての内容がやや深みがないのでは…と反省しています。編集会議を重ね重ねて完成した紙面ですが、入稿を終えて時間が経つと反省すべき点ばかりが目に付き、まだまだ努力不足と感じています。次号もあちこちに取材に出かけ、委員のみんなが納得できるものを作りたいと思います。お読み頂きご指導をお願いいたします。   中島 悦子


 学習参観の日、広報委員さんはたちはお弁当持ちで、参観までの時間を編集会議の時間に充てられたようす。委員長さんが早々と来られていましたので少しお話をしました。
 本部の皆さんから「型にはまらず、広報委員さんの自由な発想で広報を」とのことのようですが、委員長さんは「何もわからないのに自由でと言われても…」と困惑されているようでした。「関わる」って難しいです。でも「関わる」ことをやめてしまえば…。
 委員長さんのお話の中から「広報って大変だけどちゃんとしたものを作りたい」という思いが私には伝わってきました。その思いは大切にしてあげなくてはいけないと思いました。でも私にはどのようなことが、何ができるのでしょうか。   西谷 安奈
。        
 
 復興はまだまだ                                               
 私の住んでいる地区の公民館だより(左)と市さすが意対策本部情報を読んでください。        福島・二本松市  及川小百合

   

 
 7月27日 岩手県大船渡ポートサイドマラソンに行ってきました。一関から2時間半ほどのバスの車窓から、気仙沼、陸前高田、大船渡の復興の様子を見ました。心からエール送りました。    篠本 典子
 

  『ECHO』313号 ありがとうございます。「若いんだから階段使おう」という思いも、「みえないものをみる力」も、私たちの日常の生活の中でよく見る光景です。自分の体調はわかっても他人の体調は目ではわかりません。それは家族間でも同じ。心にしっかり刻みながら読みました。このお手紙が届く頃は「立秋」になっていますが、秋の気配などまったく感じられない今年の夏です。くれぐれもご自愛ください。  矢部 臣子





2014年7月1日更新



カワラナデシコ
撫子とは花の形ちひさかにて其愛すべきを以って名く  「大和本草

 
下の記事は先月6月1日に更新した「日記」のページのものである


 気仙沼に行きます

 今年の新聞・広報紙づくりの講座の導入には2014年3月6日の『三陸新報』の切り抜きを使っている。次がその記事である。
 12校で三年生 校庭使えぬまま卒業 気仙沼・本吉地方 
 今春、学び舎(や)を巣立つ中学生は震災直後の23年4月に入学した。ほとんどの中学校の校庭に仮設住宅が建つ気仙沼・本吉地方では、3年生がグラウンドを自由に使うことなく卒業を迎えることになった。同地方の中学校16校のうち、敷地内に仮設住宅が建つのは14校。その中の12校は校庭の大半が仮設住宅に充てられている。「卒業までには校庭が本来の姿に戻ると期待していました。仕方ないとは思うが、校舎を出てすぐに部活動ができる学校がうらやましかった」とはある中学の卒業生。野球部の練習のため、放課後に1キロほど離れた小学校の校庭に移動する日々を送った。(『三陸新報』2014年3月6日の「復興へ」の記事の一部)

 どの会場の参加者も被災地・気仙沼の子供たちが置かれているこの現実に耳を傾けてくれた。そしてある会場でのこと。講座が終わると一人のお母さんが相談があると私のところに来た。「今日の話を聞いて、今まで行こうと思ってもなかなか踏み出せなかった被災地でのボランティア活動に出かけることに決めました。気仙沼に行こうと思います」。彼女は子供たちとクイズで遊びたいと言った。それで「三陸新報社」の知人を紹介した。

 このお母さん・佐々木知亜紀さんから「7月7~9日、気仙沼を訪ねる」と連絡が来た。そして下のような二通の投書欄の切り抜きも届いた。


毎日新聞「みんなの広場」6月24日掲載

  毎日新聞「みんなの広場」6月4日掲載
     若いんだから階段使おう
                               中学生 馬路ひなの (14)

    私は電車で通学しています。先日、下車駅で出合った光景に考えさせられました。
    ホームから階段を上ると、エレベーターから1人の女子高生が出てきました。彼女は
  階段を上ってきた人と一緒に改札に向かって歩いていきました。 
  私はその人が当たり前のようにエレベーターを使って出てきたことが気になりました。
  重い荷物を持っているわけでも、けがをしている様子でもないのにエレベーターを使う
  のはどうかなと思いました。
    もちろん、エレベエターはだれが使ってもかまわないでしょう。しかし、エレベーター
  は階段を上り下りすることが難しい人のためにあるのではと思います。
   エレベーターは階段を上り下りすることとが困難な人がいつでも使えるように空けて
  おく、そんな思いやりを持って、若い人は自分も含めて階段を利用するようにしたいと
  思いました。

「ECHO 創刊30周年」

 真紅のバラ30本をいただく     

  「ECHO」を読んでもらっている山口恭弘さんtが真紅のバラ30本を持って訪ねてきてくれた。
 
 お祝いの言葉を次の皆さんから頂きました (敬称略)
  田村俊雄 菅原澄子 渡邉眞紀 渡辺知子 青野初江 上鵜瀬みち子 古木文一 古谷智 高橋秀明 北村悠 水越いち乃 相原明美 浅田恵美子 野田広明 横山健次郎
 岩田香 江原広美 


これも祝30年  母屋の玄関に掛けてあります。
PTA広報委員OG(林史枝 前原景子 田中小百合 羽生美保 井添三香子 飯塚貴子 飯田えり 中野さやか 東亜矢子)さんからのプレゼント。

宮沢賢治は「下ノ畑ニ居リマス」の札を掛けていた。私は…

 広報の仕事とは『子育てご一緒に! をバックアップすること』 とても心に響きました。私は個人的に奉仕活動を行っていますが、それに通じるお話でした。また先生のお話をお聞きしたいと思いました。 
 初めての参加でしたが、とても楽しく聞け、しかも勉強になりました。これからの一年間の活動にとても力にひなり、広報を造ることにワクワクしてきました。 
 PTAの活動の中で「一番やりたくない」「大変」と言うのが今のPTA会員の多くの声です。その現状を変えるには、きょうの先生の話を広報委員だけでなくもっと多くの人に聞いてもらえると良いのですが。 
 子供も自分も作文では苦労しています。今日教えていただいた「ポストイット」を使う作文の書き方をやってみます。 
 「進路指導とは生き方を考えること」「メールは必要だけど大切なことは言葉で」という先生のお話。もう一度考えなくてはいけないと思いました。 
 広報づくりで、今までは学校側の声、先生の顔色ばかり気にして作ってきました。わが子のために、保護者みんなのために作るのが広報という姿勢・気持ちを忘れていました。ありがとうございました。 
 現在は学年委員です。広報さんから原稿を依頼されましたが、今日先生が話されたとおりの依頼状をいただきました。今までいろいろな役印をやってきましたが、このような依頼状は初めてでした。原稿は書きやすかったし、締め切りも守れました。先生の話されたことがこのように生かされる広報講習会はせったい必要です。 
  3年ぶりに武先生の広報紙づくり講座に参加させていただきました。改めてP TAとは・広報紙の役割を確認でき、初心に帰ることが出来ました。今の時代先生のように語尾を言いきって教えて下さる先生が少な<なっているように感じるので、先生のお言葉一言ひとことが心に響きました。今日はありがとうございました。 U






2014年6月1日更新



梅の実や風よく通る古座敷      田中 祥子




 紙面から〈立ちのぼってくる何か〉

 例年のように、4月30日から5月5日まで夫の故郷である鹿児島に帰省しました。ですから、毎年5月の連休は読む新聞が「南日本新聞」になります。今年は、この時期だからでしょうか憲法に関する記事が多かったようです。そして、それらの記事を読んでいると紙面から〈立ちのぼってくる何か〉を感じたのです。
 義母は86歳でこのごろ繰り返しが多くなっています。滞在中「忘れもしない6月17日の鹿児島の空襲」の体験を、つぶやくように何度も話してくれました。淡々と、繰り返し語られる義母の空襲の体験を聞きながら、いつの間にか民話を聞いているような私になっていたのです。本来なら身を硬くして聞くはずの悲惨な話が、何の抵抗もなく、雪が降りつむように私の心の中にゆっくりと堆積しているようでした。たた事実として、静かに。
 こういう語る力がこの鹿児島にはある、それが新聞の記事の行間から〈立ちのぼってくる何か〉なのだと思いました。記者は、その地の空気を吸い、その地を歩き、生活者の一人として記事を書いているのですね。     竹下恵美子


 先生方のお花見会
 北上は晴天続きなので農作業に力を入れていました。展勝地のさくらまつりのため県道は連日渋滞、地元の人は日中は車を出せません。高温のためその桜はあっという間に散ってしまったのですが、観光バスは後から後から。この時期、小・中学校は家庭訪問が行われます。全家庭の訪問が済むと、先生方のお花見会が開かれます。     渡辺 知子


 広報の仕事とは「子育てご一緒に」をバックアップすること。とても心に響きました。私たちの広報紙にぜひ反映させたいと思いました。個人的に社会奉仕活動をしていますが、その活動にも通じるものでした。  N

 今回で3めの参加になります。私は広報委員ではありません。毎回ちがった内容、いろいろな話が聞けていつも楽しみにしています。講習で学んだ「文の書き方」など、生かせるときがきたら、忘れないで「活かし」ます。  

 8年前、小学校で息子と共に武先生の話を聞く機会がありました。きょうも先生の話が聞けてよかったです。広報委員になったからには、この一年間は頑張ります。  


2014年5月1日更新


4月の終わり頃から咲き始めた藤 ノダフジという種らしい

 311号 新聞の花が咲きそろいましたね
                                                         Sumiko
 「ECHO」311号ありがとうございます。一気に拝読しました。大阪のご旅行の充実ぶりと楽しさに圧倒されます。昨年、全新研大阪大会の前日、友達と一緒に落語家と行く「なにわ探検クルーズ」に乗船する心算でしたが、時間が合わず残念に思ってまいました。次の機会にはぜひ乗ってみます。大阪の道祖神は平たい丸石が二つというのも素朴で面白いですね。さをり織りの創始者・城みさを先生と奥様の出会いも感激しました。ゆう庵での作品の美しさと「さをりの森」の百一歳の先生のお姿と重なって自然の中にとけ込めたような気分になりました。
 4月3日 「寺山花見」もいいですね。パソコンでお庭の満開の桜を眺めながら、行ってみたいなあと思っていました。サクラの語源も新鮮で、改めて桜咲くありがたさを考えさせられます。≪桜は田の神が宿るところ。田の神が美しい花となって姿をあらわす。それがサクラ・桜。満開の桜は豊作の稲穂のイメージでもある。≫ですね。しっかり覚えておきます。
 我が家の親戚が長野県佐久にありますが、20日は法事でした。満開の桜の写真と共にお座敷のお参りの様子がメールで送ってきました。そのことを話したら、タクシーの運転手さんが、桜のころに亡くなられる人は、それなりの徳がある人ですね、と話してくれました。桜の木を大切にされてる武先生ご一家も立派な方々です。
 特集・この一年を振り返る・「広報づくり 喜怒哀楽」これも感激しました。広報づくりが土台となり、先生、児童、生徒、保護者が活気づいてることが伝わってきます。よい学校づくりにも大きな役割を果たしている広報。みんな仕事を持ちながら何とか突き進んで今日あるところに、これまでの武先生のお導きが強く感じられ、みなさん深く感謝されてますね。またコンクールでいろいろ受賞されてることも大きな励みになってることがわかります。武先生のたゆまぬ新聞づくりの講座の積み上げが、秦野市はじめ各地区にしっかり根を下ろし広がり、新聞の花が咲きそろいました。    
 
 〈眠り姫〉も幼稚園の年長さんです
 お元気でいらっしゃいますか。4年前にH小の広報でお世話になった「眠り姫」の母です。いつもECHOを送っていただいてありがとうございます。眠り姫も今年、幼稚園の年長さんになります。毎日元気いっぱい幼稚園生活を満喫しています。少し前に幼稚園で縄跳びの課題がでました。活発だと思っていた娘がまさかの運動音痴で大苦戦。途中、何度もやる気をなくし「縄跳びきらい…」と縄に触らないという日も過ごしましたが、本人なりにコツコツ頑張って練習した結果今では体力が続く限り跳べるようにようになりました。(長かったぁ…)久々に努力すれば結果が出るということを実感し、涙もろい母はウルッときてしまった出した。(笑)お姉ちゃんも4月から6年生です。学校生活、良いことばかりでない毎日に苦悩することも多いのですが、最後の歳は楽しく過ごして欲しいと思う今日この頃です。
 先日、広報仲間と集まりました。毎年恒例の「卒業祝う会」です。今までは小学校の卒業だけでしたが来年からは中学校の卒業も加わり、冗談で「いつまでやろうか~」という話で盛り上がり、子どもたちの結婚式? それとも誰かのお葬式? と笑いながら話しました。私たちの後に広報をしたお友だちから、武先生が私たちのことを「あの人たちは一生の仲間になるよ」とおっしゃってくださったことを聞きましたが、まさにその通りになりそうです。本当に素敵な出会いができたと思っています。
 さて今年、幼稚園のPTA本部役員を務めることになりました。大変だとは思いますが、広報のときのように頑張った後にはかけがえのないものが得られると思って頑張りたいと思います。また先生とお会いできることを楽しみにしています。どうぞお体に気を付けて。奥様にもくれぐれもよろしくお伝えください。   Reika

 先生も新しい出会いに期待されていることでしょう
 色とりどりの花が咲く春、新しい生活が始まる季節、先生の広報の生徒さんたちも、数々の新しい出会いに期待していることでしょう。
 東日本大震災から三年が経ち、私の生活は日々同じように過ぎています。しかし、「エコー」に載っている当事者の言葉を知るとき「ああ同じではないんだ」と改めて思ったのでした。被災地の皆さんにどんな言葉を掛けたらいいのかまったく分からない私です。防災についての心構えも、〈他人事〉ではないのに非常袋はホコリをかぶったまま、中の食料品もそのまま。被災地の人たちがいることを忘れずにいる、それが防災意識を高めることにつながることを願っています。   Tamiko

  「広報づくり喜怒哀楽」は現在の広報委員の方々に読んでいただきたいです。学校生活に直に関わってくる活動ですから、外からは見えない学校の姿を目の当たりにできます。現在の学校が抱えている問題に、広報活動を進めていくことで直面します。そのために嫌な思いをされている方もいられるでしょうが、それも今の学校です。   Masahiko

 新生活が始まり、もう少しで1カ月。3月のある日、中学のPの役員の引き継ぎの日。終わって自宅に戻ると、次の指令が。先日、市役所で委嘱式がありました。今度は学校から地域へ、青少年相談員になりました。こんな私が…。これも経験・体験になると思います。とりあえず、娘に「何か相談ある?」と毎日相談にのっている日々です。    Akemi

 新潟の「道祖神めぐり」の中に、紙のヒトガタが道祖神で、それを燃やすことが書いてありました。それを読み、年末に義父がヒトガタを人数分つくっていたことを思い出しました。今は作っていませんが。そのヒトガタはダンゴ焼きのときにお焚き上げされたのでしょうか。自分の住む地域の中にもこのようなことが行われていたのに、今まで気がつきませんでした。先生の道祖神祭りの話を懐かしく思い出しています。   Mayumi

 3月30日に都城さくらマラソン・ハーフの部を走りました。宮崎はもう田植えが始まり、サクラは満開でした。コースには桜並木があり、満開のサクラを眺め、時には桜吹雪を浴びながら、暑さ、アップダウン、向かい風にもめげず楽しく走りました。60歳以上の部で第一位でした。   Noriko
 


2014年4月3日更新



おらがの桜  2014.4.5


 娘が義務教育・ 私はPTAを卒業
 長いようであっという間の義務教育。その間PTAの役員をさせていただき色々経験できました。親子で成長させてもらった、感じがします。もし、あのとき広報委員をしていなかったら、今の私は何してたのだろう!?とよく思います。広報づくりを経験したお陰で、パソコンが使えるようになり、今、仕事で大いに役立ってます。娘も高校の新聞部に入れば勉強になるのに、と思ってますが、野球部の〈追っかけ」になりそうです。落ち着いたら、娘を連れていきます。高校の制服を見てあげてください。   明美


 東日本大震災から三年 でも復旧はほど遠い
 東日本大震災から三年が過ぎましたが、まだまだ復旧にはほど遠いという思いがあります。風評被害で苦しんでいる農家を少しでも手助けできたらと思い、シーもとの野菜や果物を食べています。ここ二本松でも少しですが果物を作っていますので送ります。モシいやでしたら廃棄してください。
 三ヶ月も経って住宅除染の結果が来たので、先生にもお知らせします。(武注・下の表) 除染はしてもらったものの側溝、道路、裏の草地、山からの枯葉などは今も手付かずなので心配です。    及川小百合



2014年3月1日更新


榛名山  筑井孝子

  東中学校、西中P、西小P すごいですね
 道祖神めぐり、研修旅行に行かれたのですね! 道祖神に強く興味を持たれ、自ら各所に出かけられる先生の前向きな生活に、少しエネルギーを分けていただいた気持になりました。山梨にも行かれたのですね! 主人の実家は山梨ですが、今雪で大変だそうです。
 市P連の研修のこと。今年度も皆さんが頑張ってらっしゃることがわかり嬉しかったです。私も道祖神やお団子のお話をお聞きしましたが。そのときお札配りやどんど焼きに参加していたうちの子も今は高校生です。秦野で生まれ育ったという誇りと地元への愛着を持ってくれているといいな、と思います。
 今朝の「タウンニュース」読みました! 東中学校の栄誉あるダブル受賞! そして西中PTAの最優秀賞、西小の毎日新聞社賞、秦野ってすごいです。どちらの学校もずっと継続して努力を続けてきた、その成果なのだと思いました。
 昭和24年の文部省の文書で取り上げられた「学校新聞の意義」を興味深く読みました。なんて高いところを目指していたんだ、と驚きました。今はど うなっているのでしょうか。新聞教育を通して自分の意見をはっきり言える人を学校は育ててほしいです。  有紀


 先週降った大雪がまだたくさん残っています。子供たちの安全を考慮し、現在小学校では先生が付き添い、集団登下校という形をとっています。また小学校では、雪が溶けるまでの間、校庭での遊びを禁止しています。昨日の懇談会で、「固くなった雪を投げたりしたら流血しますから」と先生。雪国の方が聞いたらきっと笑われてしまうでしょうね。校庭の真っ白な雪がさみしげに見えました。
 昨日登校時の見守りをしていたら、道向かいの畑に一羽のキジがこちらに近づいてきました。真っ白な雪に深く鮮やかな緑色のキジ。すっかり見入っていると、子供たちが歩いてきたので、「見て!キジがいるよ!」とキジを指差すと「わあ~」と声が上がり、目を輝かせてキジを見つめていました。キジと雪に感謝です。  奈々


 横須賀も思いがけないほどの積雪で、雪かきに追われました。秦野はいかがでしたでしょう。 309号ありがとうございました。「沢蟹」のお話は目に浮かぶようで。筆不精の私も今日はお便りさせていただきます。
 実は私の家の前にも沢蟹がよく姿を見せます。ところが雨水を溜める30㌢ほどの縦坑に沢蟹が落ちるのです。そこから這い出ることができない蟹を何度も助けています。そして山の水が湧き出ている所に戻してあげると嬉しそうに帰っていきます。先生のお宅に滞在した沢蟹さんは、今頃武家での「おもてなし」のことを仲間たちに話していることでしょう。  淑子



2014年2月1日更新

  
    畠 和子                           佐藤茂子

 届いた年賀状の中から

 お元気ですか。何十年経っても、あの中学のあの教室で、友達と新聞づくりをした情景が温かく心に浮かぶのは本当に幸せなこと、先生に出会えたことに感謝しています。      okada

 あと少しで広報委員も終わり! というところで、会社の壁新聞作りの話をいただきました。行き詰ったら相談させてください。   kurihara

 先生のライフワークである『エコー』を拝読しながら、精力的に活動していらっしゃる先生の姿を想像しています。『エコー』がある限り、一番の読者でいたいと思います。   tochigi

 息子が東中に在学していますので『東中新聞』の1000号、嬉しく読ませていただきました。『東中新聞』が全国コンクールで総理大臣賞を受賞したとき、私のクラスの学級新聞も三位になり、武先生、S先生ご夫妻、そして私で反省会?をしたとき、トイレから出られないほど飲んでしまったことを鮮明に記憶しています。   yamada

 ECHO 307、308号 ありがとうございます。「沢蟹」、なんとも心の温まる話でした。福島の除染のこと、現実のもどかしさを感じました。今月から新しい仕事に就きます。   yabe

 沢蟹のこと とても温かい話でした。残余の時間についての文 意味深いものを感じました。寂しさも感じました。   kamijyo

 住み慣れた地、家、人と離れ、人生の第三ステージに立ちました。私の時間が増えたことを喜んでいます。   naoka

 ECHO 300号、東中新聞の1000号発行 おめでとうございます。「三日坊主」の私は、特に日記はなかなか続きませんでした。そんな私に10年前、主人が「10年日記」をプレゼントしてくれたのです。それで何とか毎日書き続けることができました。その日記で10年前を振り返ると、今と同じことを悩んでいて、進歩が無い自分に少々がっかりしています。でもこの日記帳は大切な宝です。先生『ECHO』を続けてください。私の日記付けの支えです。毎月、待っています。   kurata

 昨年は休耕田を利用して仲間四人で米作りに挑戦。収穫期に台風や長雨が重なり、倒れたりぬれたりの連続『嵐も吹けば雨も降る。男の道よ、なぜ険し』、自然への無力を知りました。でも脱穀が終わって、米袋を見て、『ここの幸あり、実りあり』でした。     yasuda

 昨年十二月、ついに七十歳の大台に突入しました。世の中高齢者だらけで、もはや「古来稀なる」存在ではありませんが、それでもよくぞここまで馬齢を重ねてきたかという感慨はあります。昔、ある先輩が「年寄りっていうのはな、腐った古釘みたいなもんだ。役には立たないけど、バカにして踏んづけたりしたらエライ目に遭うぞ」と言っていました。あまり役には立てませんが、好奇心と向上心はまだありますので、彷徨錯誤しつつこの国の行く末に少しは関わっていきたいと思っています。    yoshinari

 昨秋のデモや集会は、通行人に道を譲るほど冷静で、整然としていました。安保闘争のころと比べたら行儀のよいこと。それをテロという雑な政治家がいる。雑な法案に、雑な採決、雑な参拝と、これほどの危うさはかつてないでしょう。息を殺して暮らす社会にしないよう、戦争世代と、戦争世代を親にもつ私たちが声をあげないと。「《老いてとんがる》です」 shirai




014年1月1日更新


干支・午(信楽焼)   倉田幸子さんより

 三陸新報 2013年12月20日 「萬有流転」欄
 何度か小欄でも取り上げた「教育個人紙ECHO」は、月に1度発行される。制作は元中学校長の武勝美さん(神奈川県秦野市在住)。岩手県北上市に住む渡辺知子さんの紹介で知った▼11月号に渡辺さんが北上便りを掲載しているが、その中で干葉県佐倉市の国立民俗博物館での尾形家の展示について記述。昭和三陸大津波の少年の日記の一部を、
私の父のものと書いていた。尾形家が渡辺さんの実家だったのである▼現在の当主、尾形健さん(市議会議員)夫妻と付き合いがありながら、渡辺さんの実家とも知らずに手紙などをやり取りしていた。遠くに住む人から教えられたことになり、人と人との縁をあらためて感じた▼12月号発行のECHOに武さんは、「人生80年残余の時間」と題してつづっている。「今は『人生80年』の時代~略~老いと病の時間は長い。その長い時間をかけ『死』に向かい合うのが現代」とあった。そして、「『生』を全うできたかどうかは残余の過ごし方次第」と続ける▼何歳になっても「天寿を全うした」などとは言えないのかもしれないが、それぞれが天から授かった寿命である。残余をいかに生きるか、長寿時代の課題である。


 海を渡った『東中新聞』1000号
《新聞教育》の仲間Sさんが『東中新聞』1000号をコピーしてブルガリア在住のNさんに送ってくださいました。そのお礼のメール(Sさん宛て)が私に転送されて来ました。
 S様
 お送りいただいた箱を開けるなり、秦野東中学校の『東中新聞』。海を渡って来た1000号に深い感銘を覚えました。武先生の新聞教育の奥深さに心を打たれました。継続するに当っての、先生方の長期にわたる新聞教育への理解、指導、生徒の実践を継続するための指導力と励まし、近隣区域の協力を頂けるまでの根気強い呼びかけ、新聞配信など、それはすごい根気とエネルギーが必要だったと思います。武先生が近くにお住まいで、常に先生ご自身のたゆまざる実践がもの言わぬ指導力となって働いていることは間違いないことです。教育者として地域に生きることの素晴らしさ、地域を生かすことの素晴らしさを実感します。1000号の東中新聞、大切にします。そして、折りにふれ、読んでみます。ありがとうございます。
 秦野東中学校のホームページなど見ました。学区域の地図と武先生のお作りになった地図と比べても見ました。秦野市といえば、第49回全国新聞教育大会で燃えた日が懐かしいです。北海道の学校との「はがき新聞交流」は秦野大会での出会いで始まったのでした。私にとっても貴重な秦野大会でした。   



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~ 武勝美の教育個人紙 ECHO ~