返ってきた  - ECHO -
(2000年〜2003年掲載分 バックナンバーのページ)
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2003年12月1日更新

いつまでも軽トラより強い先生で

 お久しぶりです。だんだんと寒くなってきましたが体調は崩されてはいないでしょうか? 10月の始めから最近までテストや課題などで忙しくしていたので、ECHOを送っていただいたお礼のお返事が遅れてしまい申し訳ありません。早速拝見させていただきました。先生が当日、楽しんでくださったようで何よりうれしいです。同窓会の運営に携わった他の仲間も「やってよかった」と心から喜んでいます。また何年か後に、もっと大きな規模で開催する予定ですので、先生のご参加を心からお待ちしています。たくさんのお心遣い本当にありがとうございました。いつまでも軽トラより強い先生でいてください!!     高橋 伸夫



「こんなことしたって点数上がらないよ」を読んで


 軽い気持ちで冗談めかして言うことばが人の心を痛く傷つけることはままあります。特に先生の言葉は重くのしかかってきます。時に重くのしかかってやろうとすることもありますが、そんなこととは関係なく、まったく無意識にそんな言葉を投げっけることってよくあります。その先生は恐らく生徒だけではなく、周りにいる先生達にも同じような言葉をぶっけているんじゃないかと想像します。何か、上から見下ろすような、人を見下すような、そんな言動。私はいっも劣等感に悩まされ続けてきたので逆なんですけど、優越感に浸りたがる人ってそういうところあるんじゃないでしょうか。つきあいづらい人ではあります。    Sangaku

 
 滝田さんの意見、その通り。親がおかしいから子供もおかしくなる。周囲は触らぬ神に祟りなし、我不関を決め込みトラブルを避け、黙してしまう。町内会などにおける不協和音の原因はこんな処に由来する。       志岐 寿夫


 パソコン開くと、ホームページが11月号に替わっていて、窓が”今月の一枚「里の秋」”。青空の下、沢山の熟した柿の実と枯れ葉を付けた大きな枝の、素敵な写真が飛び出してきました。今日の増尾の里がどっと浮かんできて感激。    Sugawara


 ホームページ 見甲斐があります。先生の趣味、昔からこんなにあったのですか。それとも年齢と共に増えたのでしようか。Serizawa





2003年11月1日更新


 世間は秋です

 “高山祭り”や“そばの花見会”、そしてテレビで高校生の合唱コンクール、充実した日々ですね。そのコンクールの来年のテーマが「信じる」で、高校生の課題曲は大江健三郎作詞ということを知りました。以前、大江健三郎の講演と作曲家大江光氏の作品によるコンサートが催されたことが印象に残っています。長男である光さんが円らな瞳をステージに向け、不思議な、天から降りそそいでくるような、心が洗われる曲が流れていてうっとりしたのが浮かんできます。来年はどんな課題曲を作詞されるか楽しみです。
 10月5日、8日、関東パピルス総会が伊香保グランドホテルで開かれました。根本、園部、高木、町田、斎藤の方々が亡くなられ、寂しくなりました。総会では黙祷し、懇親会は献杯をしてはじめました。現役では鈴木伸男さんがいつも参加してくれます。吉成さんも毎回参加されますが、今年は多忙で欠席でした。少人数ですが楽しく盛り上がりました。横山さんの揺れたステージが会場を沸かしていました。宿泊したホテルの直ぐ前が竹久夢二の記念館。森の中にあって、空気もよくくつろげました。本館は多才な夢二芸術のすべてが、東京にあるものよりずっと幅広く充実していました。隣接している「音のテーマ館」ではいろいろなオルゴールの生演奏が聴けてうっとり。
 それでは、世間は秋ですから、忙しくてもご自愛なさってください。      Sugawara


 Kayamaさんに共感

 Kayamaさんの「安いということ本当に良いことなのか」は同感。お金より心が大切です。人間はひとりでは生きられないのです。周りに助けられて、はじめて生きていけるのです。子育てはその代表的な例です。地域で助け合って子どもたちを育てていきたいと思います。    淳子





2003年10月22日更新


 危機というか、あせりというか、ヤバイというか…

 もう10月になってしまいました。センター試験まで100日を切りました。なんかもう、危機というか、あせりというか、ヤバイというか…。今のままでは絶対うからないよ〜、と嘆いていたら、もう指定推薦で決まった友達なんですが、「現役はこれから伸びる! だれが何を言おうと、結局信じられるのは自分だけ。目標を見据えて頑張れ!! 気合が大事なんだよ」と励ましてくれて、とてもうれしかったです。  
 「己の心を信じて己の力で生きる」と宮本武蔵は言っていたと思います。受験勉強は学力の向上だけでなく、「精神」の向上も欠かせないと思っています。やるだけやって、最後に心から「がんばった」と言えるようにしたいです。I can!!       Mayu


「進路状況報告」の記事を読んで

 進路希望調査 なぜ大学だけ 

 私の通う「進学重点校」で先日、進路希望調査書が配布されましたが、大学名を記入する欄しかありませんでした。
 進学率が90%を超えるなど、大学への進学が当たり前のように思われている学校ですが、専門学校や就職を考えている人もいるんです。そうした選択は認めないのでしょうか。
 将来を真剣に考え、夢を追いかけているのは、大学に進学する生徒に限からは、そういう人たちに気をとめようとしない学校の姿勢が伝わってきました。進学重点校の名を高めることしか頭にないとしたら、残念です。    高3・女子





2003年10月1日更新


 この夏の締めくくりは「マタイ受難曲」で

 「彼岸まで」とはよく言ったもので、急に寒くなりました。冷たい雨です。HPの窓も 朝顔から「ヒガンバナ」に替わり、波郷の「直き茎よし」に流石だなあと見惚れ、秋の訪れを感じました。先生は本当に自然の中にすっぽりハマリ、自然を愛し大切にしながらの生活ですね。先日の「熱々の焼き栗」も、拾い残した栗の実が元気よくはねるのを味わうなんて、秋の空と共に幸せが伝わってきます。そして、柿の実には「木守り」があるように、一本の栗の根元に鹿のためにも栗を置いてやるとか、自然を愛し自然に愛されている武先生です。そう言えば、隣の元パイロットの中村さんが、庭で毎年柿を沢山収獲して、私にカゴのまま渡しながら「鳥にも少しは残してやらなくちゃ」と言うので梢を見上げると、そこには格別美味しそうな柿の実が…。
 私の夏は「マタイ受難曲、J.S.Bach」の演奏会(3時間半)に浸って、感動し締めくくりました。     Sugamara


  「勝美ちゃん」

 日記の中での「栗畑」の話。先生の姿を想像し思わず笑ってしまいました。先生を子どものころから知っている人にとっては、いつまでも「チャン」なんですね。    Mayumi


 「傷つきやすい老人たち」を紹介させていただきました

 ヘルパー講座の仕事をしていますので「傷つきやすい老人たち」を受講生に紹介させていただきました。とても大切なことを伝えることができてよかったと思います。  Nishi






2003年9月1日更新


エコー189号で「家庭をオアシスに」という提案をした。それに応えて、石井さんが結婚式のスピーチで、花嫁になった後輩に次のような言葉を贈った。

結婚するあなたへ    石井 淳子

1 笑顔が一番大事。 笑顔で「いってらっしゃーい」が大事。
2 相手のことを信じよう。 お互いを信じて、相手がやりたいことはやらせてあげよう。
3 言いたいことは言い合う。 毎日生活するということは、長い時間一緒にいるということ。言いたいことを我慢していると、長続きしない。
4 ロベたはダメ。 夫婦は空気みたいな存在、何も言わなくても気持ちは伝わる、とか言いますがそれは間違い。「愛している」「あなたのことが大事」は、言わないと伝わらない。
5 相手の親も自分の親と思って。 自分の親は血がつながっている。切れることはない。柑手の親は結局は他人。「大切にしよう。仲よくしよう」と思ってやっと親子になれる。相手の親を大事にする。これが夫婦円満の秘訣。母の日、父の日は忘れずに。
6 相手の立場になって考えて、言う、行動する。 例えば、相手が疲れてるな−と思ったら、出かけたいと思っても「この次にしようか?」と言う。
7 素直で自然体に。 きどってたらダメ。悪いことしたなと思ったら素直に謝る。例えば、部屋が汚ないなと思ったら、「汚くてごめんね」と先きに謝ってしまう。
8 親しき仲にも礼儀あり。 夫婦の間でも「ありがとう」を言い合う。
9 結婚記念日、誕生日は一緒にお祝いする。 忘れていそうだったら、「もうすぐ誕生日なんだ」と言う。「〇〇がほしいな」と言ってみる。
10 パートナーを大事に。 夫婦になるということは、パートナーを得るということ。何かあったらカになってくれる人がいると思うと、強くなれる。前向きになれる。お互いが向上できる。
★ 結婚して幸せにしてもらうのではなく、幸せを感じる心を育てて、自分で幸せになるのです。

 

羽後本荘駅の駅員さん
 19日羽後本荘駅に到着して階段を上って通路を歩いていると、「○○さん、○○さん、駆け込み乗車 1名 お願いします」と放送が入る???   すると、高校生(男)が汗を流して走って来る。さすが親切な駅員さん! これまで都会では一度も聞いたことのない放送に感激し、本荘が好きになりました。
 帰り 22日 駅前の朝市によったら、もう終りの時間てしたが温かく迎えてくれるので、「あおあおとしたオクラ、黄色のみずみずしい菊の花びら、餅のから揚げ、緑色のきなこ、切干大根」を買い列車に乗りました。今夜は本荘の土と光りと空気が味わえる夕食ができる。よい土産になるなあと満足しながら、車窓をぼんやり・・・。
 田んぼの緑と色とりどりの花々、コスモスも満開、ススキも穂を出してお月見の風情。誰も泳いでいないきれいな海水浴場をいくつも通り抜け、やがて秋田に着きそこから新幹線。
 本荘は海辺の城下町で爽やかで明るく快適でした。広い土地に大きな店。ジャスコ、ジョイフルシチー、マックスバリュウ、ヤマキ、ヤマサ等々、外国に行ったような気分になりました。子吉川の自然道には花壇がきれいで、レガッタが行き交い、向こう岸には素敵な邸宅が並び、サイクリングしてもいい気分です。鶴舞城、鶴舞温泉などもあり、先生のHPで教えていただいた地名の由来なども浮かんできたりしました。    Sugawara


安いことはほんとうに良いことなのでしょうか
 先日の家族新聞作りの中での北地区のお話、楽しかったです。一緒に参加された山本さんは地元ということもありすごく喜んでいました。今、暮らしていて思うことは「安いこと お得なこと」は本当に良いことなのだろうかということです。物が豊富な分、物の価値が半減しているように思えるのです。特に子ども達は、お金が多ければ幸せ、という風潮の中にあります。そんな中だからこそ、昔からあったもの、伝えてきたものを大切にする教育が必要です。    Kayama

がんばります 家族新聞
 新聞を毎月定期的に作るということ、大変なんですね? 書く内容を探すのに???  身近なこと、報告したいことあればスラスラなのですが…。気になったことをメモしたりして、いざパソコンに向おうとすると、主婦として何か仕事が出来てしまい、その場を離れなければならなくなり、時間がかかってしまいます。ようやく出来上がった時は次の月に入ってしまう…。発行日を変えればいいのかな? でも ガンバル!  潟永






2003年8月1日更新


お盆を迎える心

 以前先生のHPでお盆の迎え方、送り方、写真入で細かに紹介していただいたのが心に焼き付いて、今年も風情あるお迎えをなさっているのではと情景をいろいろ想像していました。そこに、なんと 「たぶん、彼岸から帰ってくる私に、迎え火は見えないだろう」と現況を憂えていらっしゃる日記を拝読し、感慨を覚えました。今年も辻を作り、4時頃には迎え火を焚いて、御近所にもお線香をあげ…、本当に御先祖様を愛し、人を愛し、自然を愛して、一生懸命になさる方の「憂い」ですよね。地球上に生きる、生かされているとはどんなことか、みんなが考えなければならない原点がそこにあるようで貴重な言葉です。
 「今の子どもは忙しく…」とありますが、子どもだけでなく私自身も忘れています。母がいる頃は、家々の軒先に灯かりを点けた提灯を掲げ、迎え火を焚き、チーン!と鐘を叩く音が家の中から聞こえたり、線香の漂う中、手作りの味のお配り物を届けたり もらったり。子どもたちも忙しく、その声々も賑やかでした。母は 「禅宗(曹洞宗)は三度三度お膳を取り替えるのだ」と言いながら、汗を拭き拭き一日中台所に立っていました。子どもの楽しみは盆踊り。夜中の2時頃まで広いグランドで四重位の輪になり、男性も多く、炭坑節から始まり、フォークダンスも4曲位入り、嬉々として活気に満ちていました。精霊流しも暗い中 提灯を手に舟を抱え、線香を点しながら、近所の子どもも大人もぞろぞろ川まで歩きます。話題は新仏様の在りし日のこと等に盛り上がるのでした。    Sugawara



親子に新聞づくりをさせるなんてステキ

 先生は、親子で新聞をつくるご指導をされていますが、こちらの足柄ふれあいの村でも、親子のキャンプを開催しています。時には、不登校の子どもと親たちのキャンプもあります。いろいろな人と話していて最近感じるのは、今の家庭には親子で何かを体験する機会が減っているのではないかということです。一昔前は、周囲のいろいろな人と関わり合いながら、遊んだり冒険したり、普通にやっていたことが、最近は共働きが増え、ゲームやら塾やらで人や自然との接点がとても少なくなった気がします。そんな中で、武先生が新聞づくりをとおして親子の共同作業の場を与えてることは、とてもすてきなことだと思います。
 学校から離れると、夏休みという開放感のなさのさびしさを感じますが、世間の方たちはみなそうなんですよね。遅い梅雨があければ、また灼熱の太陽が待っています。どうかお体に気をつけてお過ごしください。    whale



軽トラ バンザイ

 トラック買われたんですね。とても素晴らしいことです。5年でも10年でもおおいに乗り回してください。たとえ1年しか乗れないとしても、私だったら欲しいです。「今が一番いい」事が大事だと思います。きっと毎日でも竹やぶや栗林に行きたくなりますよ。暑くなりますが頑張ってください。     Yasue



私を助けてくれた新聞

 「短い話 短い文」の内容のことは、私も常に思っていただけに、深く共鳴いたしました。現役時代、朝礼の講話は3分でした。2週に一回でしたからまだ救われたのですが、子どもたちの感性や好奇心を揺するにはどうしたらいいのかと、毎回数時間(あるいは次の朝礼までの毎日)その稿づくりをしました。そこで、私を助けてくれたのは『新聞』でした。「新聞校長」という呼び名が、子どもたちの間にうれしくも広がったのでした。    Ume



「エコー」から貴重なキイセンテンスを

 梅雨も、農家やわれわれの飲料水などの恵となるとしたら、ありがたいことと思わなくてはいけないようです。お元気のことと拝察いたします。「エコー」206号、ありがとうございました。いつも貴重なキイワード、キイセンテンスをいただいています。今回も「ウイルソン大統領のスピーチ」と「ミス七夕コンテスト作文」は良い資料としていただきました。   Katsumata

 

夏の思い出は「赤平川での川遊び」

 私が育ったのは埼玉の秩父地方です。秋祭りの『龍勢』と『秩父困民党』が最初に終結した『椋神社』が少し知られているくらいの所です。
 子どもの項の思い出は川遊びです。家のすぐ下を荒川の支流赤平川が流れており、春先から夏いっぱい、よく川で遊びました。まだ、水の冷たい春先、川に入り石をひっくり返しカジカの卵をとりました。黄色い粒がびっしりとついていて、焼いて食べると香ばしい香が口いっぱいに広がりました。
 夏は当然、水遊びです。就学前の夏、長兄に深みに放り込まれ、必死にもがいて泳げるようになりました。昼ご飯以外は、川で過ごしました。深みに石を投げ込み、それをみんなで潜って拾う遊び。それに飽きると魚釣りです。「あんま釣り」で、一時間で数十匹も釣れたこともありました。
 七月の初めのころの楽しみは、学校の帰り道に熟した桑の実を食べることでした。おなかを壊すと、親には止められていたのですが、熟した実の魅力には逆らえませんでした。食べると舌が赤紫色になるので、帰ると必ずバレてしまったのでした。でも止められませんでした。
 小学校三年生から中学三年まで、クラス変えがありませんでした。同じ顔ぶれで7年間過ごしたのです。2クラスあわせて男子は20名ちょっとしかいなかったので、いつも一緒に遊びました。     Tamio






2003年7月1日更新


ふたたび新聞の火を点したい

 このところ蒸し暑くて『日本の夏』がやってきたなと思っています。でも、相変わらず元気でやっています。部活は5月末で引退しました。(サミシイ!) H高校に新聞づくりの新たな歴史をつくろうと、動き出しました。T君が副で私が委員長。1〜9組の縦割りの班をつくり、班ごとに集まり企画会議を開き(定期的な委員会活動日はないので…)少しずつ新聞活動をしています。この三カ月で速報3号、『ひろはた』を2回発行できました。まあ「順調」と言えそうです。伝統を受け継いでいくことは簡単なことではありませんが、消えてしまった伝統に新たに火をつけることは、もっとたいへんなことです。みんなの力が必要、『新聞づくりは仲間づくり」ということをあらためて実感しています。       Mayumi


夏来たる

 栗畑の草刈り等、4時間もの作業をなさって根気強いし、やはり立派な生産組合員なんだと感心します。先生は健康です! そのうえ狸にも出会えて長閑なひとときですね。絵本でしか見たことがない私は丸くて楽しい姿が浮かんできます。収獲の頃には猿や小鹿にも・・・なんて ”日本昔ばなし”の世界です。
 この日(5日)は 久しぶりに富士山がきれいに見えて、爽やかな一日でした。画像ギャラリーの久里浜「花の園」を全画面表示にして、気分よく洗濯物干しながら眺めては、一人で満足。時々「グミ」にして美味しそうな瑞瑞しい粒を見ては、学校から帰ってきて木からとって食べた中学生の頃が浮かんできたりしました。外に出した洗濯物も風になびき、まさに「夏来たるらし」でしょうか。
 ECHO 205号有難うございました。連絡が遅くなり申し訳ありません。5月28日にHPのTopが、おや?なんで”ポピー”になってるのだろ、ああ6月なんだ、と思ってるうちに日が経ってしまいました。HPも一段とふくらみ有り難く拝読しています。”朝日スクラップ”の件など本当に助かりました。早速コピーして関係者に渡せます。
 また、6日に親しくしている知人の家を訪ねたら、御主人(80歳)が少し呆けてきて、故郷の長野にいるような錯覚を起こすと悩んでいました。私は話を聞きながら”傷つきやすい老人たち 〜もし私が痴呆性老人になった時〜”をぜひこの人にコピーしてあげようと思いました。数々の貴重な資料をありがとうございます。また、今回は井上先生や横山先生も登場なさって一層楽しめました。
 昨日は市川の本八幡にある「停車場」(洋食屋で時々ジャズのライブをやる)に集合。柏の神尾さん、新松戸の野田さん(理想)、菅原、部長の武藤さんの4人。夕方急に決まったことだけど、忙しい中にもいろいろなことが短時間でできてよかったです。スクラップセミナーの案内状もでき発送も決まりました。あとは、ワインを呑みながらの楽しい夜です。     Sumi



「傷つきやすい老人たち」を読んで

 すっかりご無沙汰しております。毎月のエコーありがとうございます。四季の移り変わりは早いもので紫陽花の季節。鎌倉成就院の鮮やかな花が思い出されます。今月の「傷つきやすい老人たち」 繰り返し読ませていただきました。そして介護の難しさをあらためて思いました。
 私の母もここ一、二年、声を出して話すことができませんでした。私なりに一生懸命接してきたつもりでも、母にとっては「そっとしておいて」と思ったことがあったのでしょうか。自分の表情が、母に不愉快な感じを与えるのではないかと思うあまりの作り笑い。もしかするとピエロだったのでは。自然な、がんばり過ぎない介護が母には必要だったと、今、思っています。この文にもう少し早く出会えたら、もっとたくさんの刺激を母に与えられたのに、ととても残念な気持ちです。    Yoko



心に響くたより

 一昨年の入院以来、病院となかなか縁が切れずに…、でも前向きに暮らしています。子どものためのお弁当作り、家族と他愛ない話で笑ったり、庭いじりをしたり、友達とのおしゃべり、仕事でのたくさんの人との出会いなど、こんな平凡なことがとても大切なことなんだと、気づかされて暮らしています。「大切なものは目に見えない」 高校生のころ『星の王子様』に言われたことばを思い出しています。       Michi


 六年生を涙で送りましたが、また可愛いい一年生が入会し、にぎやかになりました。子供たちの目を見て、前向き・肯定的な言葉をかけていきたいと思っています。次女は、夢だった保育士として知的障害施設で働いています。日々学ぶことが多いようで、夕食時の会話が濃密になっていきます。   Nori






2003年6月1日更新


 先生の日記に、元気が湧く、湧く!                   菅原 澄子

 「栗」を作って生産組会員! そして懇親会、カラオケ・・・。とてもお忙しくそれどころではないでしょうに、楽しそうですね。栗が育つような環境、土作りをしていらっしゃる。庭に栗の樹があるだけでも大したものです。生産とは本来それをなりわいとしてることでしょうが、「育てる」という観点から、どこか底に流れているものがあるのでしょうか。会員に呼び込まれるわけが感じ取れます。栗だけでなく新聞の種を蒔いて現在大きく成長し広がっています。”人を育てる”のも植物を育てるのも同じなんですね。
 新聞スクラップの件 お疲れのところに電話でいろいろな情報を教えて下さって、本当にありがとうございました。助かりました。お蔭様でメールで詳しく流したら、部長はじめやる気を出してくれました。朝日の見出しに「新聞スクラップの作り方など講習、秦野で教師や父母ら」とあるのが心強いです。”エコーの読者が14名も参加”というのも嬉しいです。     菅原 澄子
       



 花遍路 その2                                  
 昨年娘と行ったお遍路。その七十九番札所でお会いした方に時々手紙を書いています。一人暮らしで、俳句も作っていらっしゃるので、お手紙で教えていただくことも何度かありました。ところが、最近目の手術をされたようです。それで、書くことが苦手になってしまったからと「元気ですよ」と声の返事を下さるのです。
 母の日の二日前、私の花は届いたようでした。今、八十歳。「大昔に結婚してね、半年で一人になってしまったの。多分あなたの歳よりも長い一人暮らしよ。母の日に花をもらうなんて、思ってもみなかったこと。夢のようです」と喜んでくださいました。この春、十七回目の札所めぐりを終えられたそうです。
  それぞれの人に道標あり花遍路   
 この句を「本当にそのとおりよ」と褒めてくださいました。        栃木ヤスエ



 “雨の日も楽し”です                               
 松田町の広報講座には出席したかったのですが、紙芝居の会報編集会議(横浜)とかさなり失礼いたしました。雨の日犬の散歩にでかけると、コウガイビルという輪ゴムを切ってのばしたような色と形をした生き物に出会います。コウガイビルのコウガイは笄とかきます。頭の部分をよーくみるとまさにツゲの半月形の櫛。笄をのっそりと動かして進む様はユーモラスで見とれてしまいます。さわると納豆みたいにねばつきます。一見輪ゴムが切れているかヒモが落ちていると思われ気にもとめられない生き物でしょうが、どっこいしっかり生きている。お姿に励まされます。 事典によると扁形動物門でヒル(環形動物門)の仲間ではありません。長いのは20センチほどのもいました。 これから雨の日が多くなるでしょうが、ナメクジやカタツムリなどジトジト動物たちは喜んでいることでしょう。慈雨。雨の日の散歩はけっこう楽しいです。でも蛇には会いたくないですね。        木口まり子

 

ナイル川クルーズとエジプト周遊13日間                       横山健次郎

 私の旅はほとんど衝動的に決まるといってよい。今回は妻の還暦に合わせたことになっているけれども。従ってエジプトについての知識は全くなく、弟夫妻がカイロにいたこと、親父がそのお陰でエジプト観光をしているという事実はあったが、ビラミツド、スヒンクスという名前くらいの知識である。もっとも今思い出したが、上野でツタンカーメンを見るために行列に並んだことはある。
 3人の子供たちが妻の還暦祝いにスーツケースを買ってくれたので、新しいスーツケースで出発となった.16日のことである.(変な話だが、1月ならイラク攻撃はないだろうという思惑はあった。私は戦争は大嫌いである。)
 アムステルダム経由でカイロに到着するが、日本語の堪能なガイドが最後まで案内してくれることになる。食事のことになるが、私はパンは苦手な人間であるが、エジプトでは心配はない。ハト料理などはなかなか美味である。(もっとも私のような古風な男にとっては日本の和食にかなうものはないというのが実感である。)とにかく、食事の心配はない。また天候は日本、東京の6、7月である。(シナイ山は除く)
 エジプトの華はビラミツザであろう。実際に目の前で見てみると、その巨大さ(140メートル)には驚くほかはない。古代エジプト人はどのような思想かは諸説あるが、とにかく大きなビラミッドをいくつもつくった。内部にも入れたが、その作りは精密を極めている。人間が、たとえば、5000年の間に、進化したとか進歩したとかいわれるけれど、神殿に描かれた壁画を眺めていると、いつの時代にも芸術は変わらず在るのではないかと思われるのである。多くの神殿を観光したが、修学旅行で京都・奈良の神社仏閣を観光しているような錯覚におそわれた。
 エジプト考古学博物館は印象に残る。大変な世界である。遺品が金色に輝いている。誰かが、沢山の観光旅行のあ之に、もう一度行きたいところはエジプトだというが、4大文明に恥じない豪華さであり、いろいろな疑問が深まるばかりである。
 最後に、ナイル川4泊に触れよう。ナイルのお陰でエジプト文明があるのだ。隅田川はナイルに比べたら、小川のせせらぎである.船が停まる。そこから観光にでかけるのだ.すこし強行軍であったが、シナイ山に登り、私は騎舵に乗って、ご来光を眺めたことを付記しよう。







2003年4月30日更新

ミモザの花
                  
 庭のミモザの花が満開になっています。このミモザは、十年前にある少年から苗木としていただいたものです。そのいただいた二本の苗木は鉛筆のように細く、たよりないものに見えました。ですから同じ場所に二メートルの間隔で植えたのでした。今では背丈が五メートルほどに伸び、幹も三十センチくらい太りました。この二本は、ほんの少しずらして開花しますので、一ヶ月くらい花を楽しむことができます。このミモザの花を見にいらっしゃって、庭でお茶を飲んでいって下さる方が年々増えています。
 私はおおよそ十年間、非行少年と言われている少年たちと付き合ってきました。その子たちは、今では社会人として、あるいは父親として立派な生活をしているようです。そのころ、その少年たちの中の一人が植物に関心をもっていることを知りました。その子に、何かの折に私はミモザが好きだと話したようです。やがて彼は植木屋さんに就職しました。その彼が、ミモザの苗を私が留守をしている間に、玄関に置いていってくれたのです。
 今、彼がどこで働いているのか知りません。きっと彼は、このミモザのように立派に成長してくれたでしょう。いつか彼が訪ねてくるときまで、その日がくるのを楽しみに、二本のミモザを大切にしていきます。
 今年もミモザの花を楽しみながら、彼らとのことをちょっぴり思い出しています。  Yoshiko



網走で勉強しています

 昨年から北海道の網走で大学に通っています。初めての一人暮らしでなれないことがたくさんありましたが、学校の友だちや先輩、そして市民バンドで知り合った網走の人々に助けてもらいながら、たのしい毎日を送っています。最近気温も暖かくなり、雪もだんだん溶けてきました。流氷はまだ残っていますが、もうすぐ行ってしまうのかな。今年度もまた、学校・バイト・遊びにといろいろがんばりたいと思います。先生もお体に気をつけて。 4月5日  麻耶



楽しく取り組めばワクワクすることに出会える

「あれもやりたい」「これもやりたい」と考えるより先に走り出す委員長のせいで、他のメンバーもつられて走りながら、毎回「読んで楽しい記事」を目標に発行してきました。ドキドキしながら「意見記事」を書いた春・ダッシュで作った「号外」。秋の文化活動には銀粘土を作りながら取材もこなしました。そして作業中の世間話の中から生まれた記事のアイディア。運動会のお弁当のこと・声援のこと・保護者会のこと・子どもの学枚での行事のこと…一人では出てこないアイディアがいっぱいでした。色々な事に楽しく取り組むと、こんなにワクワクする出来事が生まれるのだと実感した一年でした。代々の校長先生方に広報誌をお送りしているのですが、お手紙と共に「郵送代に」とたくさんの切手を送ってくださった元校長先生もいらっしやいました。私たちの活動を見守ってくださった先生方・PTA事務局の役員さん、またアンケートや取材にご協力いただきたくさんの感想をくださった会員のみなさんi
心より一年間のありがとうを言いたいと思います。
武先生の励ましもとてもうれしく思いました。ありがとうございました。
 Ishida




2003年4月6日更新

さくら

 こんばんは。桜が震えるような寒さでしたね。
 先ほど 夜桜めがけて どしゃ降りの中、長靴はいて出かけました。だれもいない真間川沿いを花明かりに引かれてワクワクしながら歩きました。吹く風に提灯もゆれ、花枝もゆれ、飛び跳ねる水滴と共にライトに照らされた満開の桜を見上げると、その美しさに、こんな世界があるのかと吸い込まれてしまいます。雨の夜桜の不思議な輝きでした。水面に向かって大きく枝を伸ばしたのや対岸まで届くような大きな満開の古木も沢山あり、雪洞に照り映えてうっとりします。
 31日、市川駅からの帰りに真間山弘法寺に寄りました。境内に 「伏姫桜」という枝垂桜が八分咲き位で春風にやさしく揺れ、立ち寄った人たちが「わあ〜!」と歓声をあげて行きます。ベストショットをねらってるカメラマン??も10人ほど。樹齢400年、幹の根元は1メートル以上に見える。江戸東京400、この3月24日は江戸開府の日でしたが、この大木は400年の歴史をじっと見つめてきたと思うと感慨深いもので、一見の価値があります。    sugawara



2003年3月31日更新

いのち

 201号の『教室の四季 いのちにふれて』を読んでいて涙がでてしまいました。子どもたちが命の重さ、もろさ、生きていくことの大変さを自分の眼で見、感じとる。その子どもたちを見守る大人たち。こうして、今、忘れられがちな大切な感性が、教室でこのようにしっかりと育っているんですね。この今、イラクでの戦争で犠牲になる人たちがどれだけいるのでしょう。どれだけの尊い命が失われるのか、誰が人の命を奪う権利があるのか、怒りがこみ上げてきます。戦争は絶対してはいけないことなのです。   michiko


鶴巻のこと いろいろ学びました

3/6の社会の選択授業有り難うございました。小学校の頃「鶴巻」の名前に不思議を持ちました。なぜ「鶴」という字が入っているのかです。昔、鶴がいたからなどいろいろ考えて調べたけど答えが出ませんでした。だけど武先生の話を聞いて分かりました。あて字だと。何だと思う反面やっと分かったとうれしい気持ちになりました。他にも秦野のいろいろな地名の名の由来が聞けてすごく興味を持ちました。本当に有り難うございました。   turu

この前、鶴巻中学校で武さんの話しを聞いてとても良い勉強になりました。今まで知らなかった落幡や鶴巻の由来のこととこの辺りのことについて全然興味がなかったのに自分でもインターネットで調べたり名前について考えてみたりおもしろい話しばかりでした。また機会があったら話しを聞かせてくださいありがとうございました。    S.AOKI
 
こんにちは。この前は鶴巻の地名について授業していただいて、ありがとうございました。とても興味深かいお話でした。鶴巻に住んでいるのに由来など全く知らなくて、「鶴巻」ってどういう意味なんだろう?鶴が何かを巻いているのかな?と思っていました。いろんな地域に「鶴」があるのがなんか凄いなーと思いました。  北山

武先生へ
こんにちは、こないだは、鶴中に来ていただきありがとうございます。私の知らないことをたくさん教えてくれました。一番印象に残ったのは、善波太郎という人が、弓を引けない場所が、弓不引という場所になったり旗が落ちた所が「落幡」になったという話がおもしろかったです。また来ててください。  T

こないだお話してくださった中で鶴巻の名前の由来、秦野の名前の由来についてなどがとても印象的でした。私が住んでる所なのに知らなかった事が分かりました。丁寧に分かりやすく説明してくださったのでとても分かりやすかったです。私たちの生まれるずーっと前から鶴巻や落幡などと呼ばれていたことが分かりました。特に興味が持てたのは鶴巻についてです。鶴巻や落幡が、ある侍が行動したことや出来事で地名になっているなんてすごいと思いました。   M.O



2003年3月21日更新


おしん

「おしん」をご覧になったんですね。
1983.8.4  酒田駅に列車が入った時、 横書きで大きな看板 「ようこそ、”おしん”の町へ」が目に飛び込みました。ああ、朝の連続ドラマのことかと・・・(当時全く観ていない)。当日は小林綾子のパレードがあったり町中が盛り上がってました。そして翌朝、ホテルで初めて「おしん」を観て、なんだかドラマとは思えない”おしん”の表情に驚き、不思議な世界に引き込まれました。まるでタイムマシーンでその時代からやって来たのかと・・・。酒田大会は「おしん」と共に、心に残る発表が多かったようで懐かしいです。

19日夕方、自転車で豆腐屋の前を走ってたら、二人のお年寄りが「おしん」の話をしている。「その時代と田舎の生活を知ってる人が観ると、ひとしお身に染むものがあり、感じ方も深いものがあるでしょうね」と話しかけてみたら、「あのくらいの仕事は奉公に行かされて、おいらもやったんだよ。だから、今の仕事は一日中やってるけど楽だよ、ちっとも苦にならない」と、豆腐屋のおばさん。彼女は福島県三春の近くの出身。横に座ってる近所のお年寄りも「女はじょろやに売られてね・・・」と、その状況をしばし話してくれた。「おしん」の時代を思いつつ、世界中を不安に落し入れるイラク攻撃、複雑な心境の日々です。

ところで、お礼が遅くなって申し訳ありません。202号8日に届いていまして、一気に読ませていただきました。有難うございました。作品集の先生の講評も楽しくて引き付けられました。為になることを思い切りズバズバ書いて下さって、嬉しくなりました。3月は雑用をこなせないで慌ただしく過ぎてしまいましたが、武先生から見ると、たいしたことはやってないので言い訳をしてはいけないと反省はしています。「今朝はあずき飯だった」とか、流石お彼岸の迎えかたにも格段の風格があるのですね。  sugawara

2003年3月3日更新


おめでとうございます

 みごとに新聞の花開く! ”秦野市から七紙が入賞” 嬉しいですよ。おめでとうございます。今朝は我が家からも真っ白で大きな富士山がくっきり。ライブカメラ映像「富士山」を覗くと、爽やかに晴れ渡って、河口湖、自然生活館、ラベンダー畑も春めいてきました。まるで入賞を祝ってるようですね。     sugawara


2003年3月1日更新


好き!この学校が

 こんにちは。まだまだ寒いですが、節分、立春も過ぎたのですからもう春ですね。久ぶりの「エコー」ありがとうございます。先生のおかげで東小学校の後輩たちも新聞づくりを学ぶ機会がもててよかったと思いました。しっかりと基礎を身につけて東中学校に行き、東中の新聞活動をさらに発展させてくれるでしょう。 1月中旬から県選手権が始まり、勝ってます! 11日の4回戦に勝てば春の関東大会予選のシードがもらえます。今チームは盛り上がっているのでこの勢いでがんばりま〜す!! 今日は秦高第57回の校内マラソン大会でした。途中ダメかと思っていましたが、力を出し切って9位になりました。仲間と励ましあって走りました。「みんなががんばるから私もがんばれる」と思いました。57回という歴史がすごいですね。校舎は古びてボロいけど、みんな何事にも一生懸命になって盛り上がるこの学校が大好きです。    mayu


エコーの復刊 うれしかったです

 200号で「これからはインターネットで」と書いてあっとき、もう読むことはできないとあきらめたのでした。新にエコーをポストに発見したとき、うれしかったです。こうして、家に閉じこもったり新潟に行ったりしていると、何か取り残されたように感じています。一緒に仕事をさせていただいた方々が、いろいろと活躍されているのをエコーで知ることができ、励まされています。この手紙一通書くのにも大変なのに、読者のためにエコーをつくられることの大変さは、私には想像がつきません。ありがとうございます。              akie


動かなければ

 小澤先生の『教室の四季』に心をとらえられました。同時に先生っていいなァと思いました。感動という心の反応からも遠ざかってしまっている今のくらし、年齢、すべて環境のせいにしてきたけれどそうじゃないんですよね。動かなければ、語らなければ、聴かなければなあと思いました。 日矢



2003年2月15日更新


花つぼみの春の息吹

 京都からのエコーです。まだ寒い風の中、桜のつぼみの息吹を感じます。若葉の季節に子どもたちと“上洛”します。歴史と伝統をどう受け止めてくれるかと、今から期待しています。講評は昨日発送済み。明日は「八つ橋」づくりの実技、型染めの体験の予定です。    yoko



碧空にあそび雲なし梅光る

やはり、湯河原文学賞に相応しい御作でしたね。明るくて若々しいですよ。まどか先生の目に留まって「あそび雲なし、が早春の命の躍動感を感じさせる」と評されて、エコーの読者としても嬉しいです。今年は碧空に心躍る日に何回か出会ったけど、俳句オンチの私には、こんな情景を捉えることはできません。「碧空」から、晴れ上がってどこまでも青く澄んだ美しい空が広がり、「光る」で梅の花のつややかな色合いが輝いて目に飛び込みます。「あそび雲」で雲がいかにも春の風物を楽しんでいるような明るさと動きが感じられ、そこに「なし」ときっぱりと言い切って、引き締まった冷たい空気と季節感が伝わってきます。
「独歩の湯」の手前でまどか先生とのお写真、皆さんの表情が明るく、とっても素敵ですね。何回も見たくなります。また、入賞、入選の作品をすべてHPに載せて下さって拝読でき楽しいです。ありがとうございました。     sugawara





2003年2月4日更新

おめでとうございます

「湯河原文学賞授賞式」に参加され、武先生の御作が表彰されるなんて、とっても嬉しいです。どんな俳句が選ばれたのか楽しみです。次に、黛 まどかさんの選であるということにワクワクしました。やはり武 先生はお若いのですよ。美人で感性豊かで、ねらいを高くおもちの「まどか」さん、お写真を見るとただの美人でない深さが伝わってきます。
私はまどかさんについて、あちこちでチラチラ見てたくらいであまり知りませんが、「パリの恋人たち」にはパリの空気を少し分かるだけに魅了させられます。
     ”秋風を追ひ君を追ひパリに降る”
     ”セーヌ行く愁思の肩を寄せ合ひて”
等々、全ての句に引き付けられます。
2月11日にはぜひ一緒に御写真を撮られて、HPに載せてください。期待してます。  sugawara



チャンスを逃さないで

湯河原文学賞おめでとうございます。俳句については、恥ずかしながら全くわかりません。余韻を楽しむもの…ということを以前のエコーで読んだ記憶があります。
黛まどかさんとお会いできるチャンスを絶対逃さないでください!
我が家も今晩豆をまきました。主人が年男、次女が年女。袋入りのもの…。玄関先だけは、大胆に大豆そのまま。明日の朝掃除が大変。
子どものころ実家でまいた時は、父が「鬼は外、福は内、天に花咲け地に○○(忘れました)鬼のめん玉ぶっつぶせー!」と言いながら各部屋にまきました。次の日の朝、早く起きてそれを拾うのが慣習でした。…きょうだい3人とも、母に耳打ちしていました。「私を一番早く起こしてくれ」と。
来宮さんといえば、あの低音の声優さんですね。今、女性の中ではギャラが一番高いときいたことがあります。   syuko



きょうは節分

立春を迎えるに相応しい「春の朝」という題名の御本、心温まります。初めに”鬼の宿”を開いてみると、やはり2月3日は節分、「豆まきの日」とあり、嬉しくなりました。オスイゼンサマに小豆ご飯、お神酒、お明かりを供えて鬼を迎える。そして、「丑三つどきに鬼たちのお土産をもって送り出す」。いいお話で今日の日が楽しくなります。人間社会の表裏を考えさせられ、心に深く刻まれました。
我が家には銚子の「千葉の味、豆まきセット」が届きました。珍しいなあと、開けてみると、「柊、いわしの生干し、お福豆、鬼の面、いわしの角煮、ピーナツみそ」が入っていて、楽しめるし美味しいですね。大声で「オニワ〜 ソ ト!!」なんて恥ずかしいから、毎年豆は神棚に上げてお下がりをポリポリ・・・。鬼が居ようが居まいが関係ない慌ただしい生活をしてたのでしょう。 sumiko




2003年1月24日更新


わたしも激励しました

おはようございます。武先生も受験生との触れ合いがあったのですね。何だかぱっと明るくなりますよ。推薦入試に出かける受験生の子に「試験官の先生の目をしっかり見て答えること。私を合格させないとこの高校は損するよ、と思わせるようにしっかり話をしてきなさい」と励まされた。「行ってきま〜す!」と心弾ませて出かける中三の純真な姿が見えるようです。
ぐうぜんです、私も昨日、受験生の携帯に次のメールを入れたのでした。
「今日は冷たい雨だね。センター試験が終わり、少し落ち着いてますか。26日は元気で明るく臨んで下さい。近頃の私、相変わらずあれこれ。昨日はパリのセラおばさんからチョコレートが送られてきて、着いたら電話下さいと仏語の手紙の中にあったので、かけてみたら留守電でした。一瞬どうしようと思ったけど、『ホニャラ〜ホニャラ〜』と仏語らしくして入れておいたら、1時間後に『ボンジュール、マダムスミコ、テレフォーネ・・・』と喜んでかけてくれ、なんとか事足りたようです。これは疲れる〜う! 」

直ぐに返信が・・・
「先生!!ホニャララって面白い〜!よくかけられますね!あたしは度胸が足りなそう・・・。今度セラおばさんの写真があれば見せて下さい!やさしそうな人ですよね。 あと三日で試験、なんとかあたしらしく頑張ろうと思います!先生の言う通り、前向きに明るく試験を受けます。今日センターの結果が代ゼミの判定で出るので緊張しますが、英語と政経は今までで一番良い点が取れました!しかし、奢らず。今の時期の心境は揺れやすいですが、ドンと腰を据えて努力しなきゃですよね。先生のメールは気持ちが和みます。インフルエンザに気をつけて下さいね!!」

それで返信
「英語と政経がよかったなんて素晴らしい、さすが国際人!セラおばさんの写真は小さいけど、写真のページの後ろから4ページ目にあります。明日台東区の教育会館で会議。インフルエンザを寄せ付けない?お任せ下さい。ではこれで・・・受験に向けて集中して下さい。」                  
  sugawara




2003年1月20日更新


すてきな日記 ありがとうございます

 「”パリ10年”に感動しました。素晴らしいですよ。ぜひ沖縄の姉妹たちにも読ませたいので10冊売って下さい」と、面識のない根本豆腐屋の奥さんから電話が入った。
翌日、快晴の下、真間川沿いを自転車で2km程走って、住所確認しながら11時の約束の2分前に着いた。 通りに面した明るい店で、製造の様子が一目でわかる。
 大豆を水に浸した大きな桶、豆がこんなに大きくなるのかと驚く。真っ白な豆乳の瓶、小分けしたオカラの袋、水の中の豆腐、美味しそうな厚揚げ、薄揚げ等々並べてあり、瑞瑞しく清潔感が漂っている。 大忙しの時間帯だけど、喜んで迎えてくれた。沖縄の出身で17年生まれですと、いきなり歳も・・・そしてグラスに豆乳を並々と注いでくれる。毎朝 3:00 に起きて仕事始め、早いうちに学校の給食室(市内の学校給食8校に配送)に届ける。今の時間は次の準備をしながら、店に来る人への応対。二代に渡って七十年続く豆腐屋だと。
なぜ、続いているのかと聞いたら、「豆がいいんですよ!いい品使わなくっちゃね・・・」と、入り口に置いてある水に浸した大きな豆を指差して言われた。現在の大変な時期に七十年間も続いているというのは、真心込めて作った豆腐を愛し、その豆腐を通して人を愛し続け受け継がれてきたのかと、心に響いた。
 ほんの5〜6分だけど、いい”ひととき”であった。豆乳、おから、豆腐、揚げ等 たくさん頂いて、帰りも爽やかに・・・。武先生も、新聞を愛し、それを通して人を愛し、輪が広がっているのだなあと、秦野の自然と先ほどの豆腐屋を思い浮かべながら、青空の下ペダルをゆっくり踏んだ。
 家で先生の「ダンゴ焼きの火を見つめながら」を拝読し、「ダンゴを焼くと、さっと引き上げていく。”ありがとう”というような挨拶をしていく人は少ない。来年はどこかで話をさせてもらおうと思った」の一節に しばし考えさせられた。
 いつも素敵な日記をありがとうございます。奥様のギャラリーも、いい日でお客さんが和んでいることでしょう。                                SUGAWARA




2003年1月18日更新

一月になって広報の相談が増え始めました。これが最後という思い入れや、広報づくりが楽しくなったということもありそうです。次年度の委員さんのためにもがんばってください。

いいなー 来年の広報委員さんは!

今日の日記を見て、嬉しくってメールします。4月15日!来年度はずいぶん早い講習会ですね。PTAの役員を決めてすぐですよね。昨年は、5月10日でしたので、それまでの間どのように活動を進めるのか、とっても不安で手探り状態でした。来年の広報委員さんたちは、いいな〜。続投できない仕組みになっているので、来年度は、新聞から離れますが、再来年は、返り咲きたい!!        Miyako


「エコー」によって自立を

既刊197号、「校長が書き換えたPTA広報紙」に、今も強い憤りを持っている。インタビューでの事前質問提出は、かつて大企業や官庁などが求めたもの。いまは宮内庁ですらわずかながらではあるが改革している。緊張、真剣に取り組むインタビューは、両者のその日までの人生のすべてが楽しく開花するひととき。取材者の原稿を勝手に手を入れる校長の、教育への自信のなさ。そこに存在する環境の裾野の広さを思うとき、新『エコー』に寄る読者一人ひとりの自立を熱望します。              Seita



エェ! ドロボーに原稿を持っていかれた? 

現在47号編集中。編集を担当していた委員のお店に置いておいた原稿や写真をドロボーに持っていかれ、みんな、頭の中は真っ白。でもフロッピーに原稿が残っていて何とか出来そうです。目手づくりの広報は、失敗しても成功しても自分たちの力ですから、自分の中のプロジェクトXです。これは家庭にいる私にはあじわえない貴重な体験! 出来たら送ります。ぜひ見てください!!     Kazu



来年度は中学で広報をつくります

中学校の次年度のPTAの委員を決める会がありました。心配していたとおり広報委員だけなり手がないのです。それで、いつか委員をしなければいけないのなら、どうせやるなら広報、と立候補しました。というわけで来年度は中学校の広報委員です。よろしくお願いします。    Kayama



2002年12月22日更新


Merry  Christmas

 
コベントリーからのクリスマスカード感慨深いものですね。17年も続いているなんて大切な家族みたいなものです。コベントリーの町のカレンダーでイングランドの空気がそのまま伝わってきて、ニューカッスル、・・・・湖水地方の旅が昨日のことのようで素敵です。私もパリ、ブルターニュ、スペイン、アメリカ等の出会いを大切に出来たらいいなあと思っています。
私のクラスだった19歳の卒業生が 綿のテーブルセンター「WELSH  BORDER  CANALS」をホームステーで土産に買って来てくれました。壁に貼っていつも城や水の流れや緑の綺麗な絵を眺めながら、イギリスを思ったりしている時に先生からのメールでした。
 平成12年12月15日成田発で、パリのクリスマスを味わったのですが、みんなこの日を大切にしていることが伝わってくる街中の佇まいでした。センスあるプレゼント類、店頭に並ぶ見事なクリスマス料理、色合いのトーンがいいクリスマスツリー、そして24,25日は静かに過ごします。イギリスはもっと静かで品格があることでしょう。その点アメリカは多民族でシアトルなどは、メリー、クリスマスではなく、 Happy  Holidays ! てなもんです。飾り付けも聖なるというより、「お祭りだーい!」 といった感がおおいですね。純粋なキリスト教徒は静かに聖夜を大切にしているのでしょう。                                      SUGAWARA



常泉寺のかっぱ

 近況を伝えます。過日大和の常泉寺にひょんなことから河童の焼物(自作のもの)を出すことになりました。
常泉寺のホームページもあります。花の寺でもあり河童の寺でもあるのです。40点ほどの河童作品が集まり10点が入賞です。その中に選ばれました。副賞として中国のお酒2本をもらいました。今年は、陶芸のかじりをしました。次年度は、深めたいと思っています。パソコンの技術も深めなくては。    michiko




2002年12月17日


 大村はま先生の迫力と美しさ

 富士山が真っ白に望め、鳥の声も賑やかで、今日も暖かくなりそうです。先生は今日も庭木の手入れでしょうか。4,5本頑張れるというのがお若い!いや、新聞と同じでその面の実力と情熱をおもちなんですよ。昨日は車庫証明書の件で、江戸川沿いの車の整備工場に行ったついでに、堤防を歩きました。青空とゆっくり流れる川、冬枯れの広い原っぱも、暖かい陽射しの下快適でした。八中勤務の頃マラソンコースで、富士を眺めたり、対岸の東京も堤防を走っているなと、お互いに声は届かないけど、親近感を覚えた感が蘇えって満たされました。

 200号付録、4枚一気に読んでしまいました。やあ、感動しました。これは宝ですよ。大切にECHOのファイルに綴じました。先生の日記も毎日どんなに忙しくても拝読してます。
元気が湧いてくるし、メールしたいことがどんどん湧いてきます。しかし「パリ10年」出版以来その後始末がいまだに続いて落ち着かず、失礼してました。

 7日は千葉県新聞教育研究会で築地の朝日新聞社に行き、「朝日NIE講座」で感動しました。「大村はま」さん96歳の迫力と美しさに驚き、
敬服させられました。
  ・戦後の問題は教師が教えることを遠慮するようになった。
  ・グループ指導は広がったけど内容は寂しい。
  ・話し合いをさせるが、本当に教えてる人がいない。
 この3点について1時間45分、大きな若々しい声で語られ会場は熱気に漲ってました。       SUGAWARA
                                                  


「拝啓 お釈迦様」                                      まり子

 この夏紙芝居の仲間たちとあなたの故郷ネパールへ行ってきました。総勢十一名「アイウエオ・サークル」〔本部・秦野市〕のスタディツアーの一員としてでした。正直なところ目的もよくわからないまま「アイウエオ・サークル」(以下ACAという)代表の杉本さんに乗せられた格好で「識字教育」や「衛生教育」に紙芝居という手段は有効であるから紙芝居をやってみないかとか、ネパールのこどもがこどものうちから労働しなければならないとか、ギョウチュウがいるから虫下しをもっていけとか,何がなんだか飲み込めないうちに貯金をはたき出発したのです。
 ネパールに行ってみて気がついたことの一つ。その疑問はふつふつと発酵しております。そう、お釈迦様あなたのことです。お釈迦様はネパール生れ、釈迦族の王子さま。しかし、あの顔だちは……。
 ネパールの首都カトマンドウを歩いて気がついたのですが、インド・アーリア系の人、チベット系の人、ドラヴィダ系の人らしい明らかに民族が異なる、いろんな顔をした人に出会います。私なりに分けてみますと、インド・アーリヤ系の人は、大きな瞳、彫りの深い顔、高い鼻。チベット系の人は日本人そっくり、ドラヴィダ系の人は背が低く、顔はアフリカ人ほどではないが黒く、鼻は低いとなります。高校の世界史の教科書や中央公論の「世界の歴史」を読んでみますと、ネパールはカースト制度があるから、征服民族のインド・アーリア(インド・ヨーロッパ語族)は支配階級となり、被征服民族のチベット系やドラヴィダ系は、支配される側となってます。います。
 お釈迦様のお顔、と言ってもあなた様がご存命の時にお眼にかかったことはないのですが、鎌倉の大仏、奈良や京都の仏像を思い出すと、腑に落ちないのであります。天然パーマのように渦巻いているあのヘアスタイル。「螺髪(らほつ)」あの時代、紀元前にパーマなどはないでしょう。ということは天然パーマですか。螺髪の持つ意味を調べる必要がありそうです。それからあなた様のたくましく分厚い唇と低めの鼻。とっぴなことを言いますが、お釈迦はあなたはアフリカ系の人ではないのでしょうか。。もしくは被征服民族のドラヴィダ系でしょうか。しかしお釈迦は釈迦族の王子さまです。ならばカーストでは王侯貴族のクシャトリアで支配階級のはず。支配階級ならば征服民族なのだから、インド・アーリア系の顔ではないのでしょうか。眼ぱっちり、鼻がスーと高いお顔ということになります。しかしそんなお釈迦様なんてお目にかかったことがありません。いやどこかで見ました。世界史の教科書に載っているガンダーラ美術と呼ばれるクシャーナ朝時代のあなた様のお顔は掘りが深い。ギリシャの影響なのか、お釈迦様を写実的に表現しているのか、私にはわかりません。
 お釈迦様、大変失礼なことと知りながら申上げますが、あなたはいったい何人なのでしょうか。インドの歴史も調べなくてはいけないようです。
という訳で、何かわかったら読者のみなさま教えてください。



2002年11月15日


寺山に疎開していた原です

拝啓 秋冷の候となりました。お元気でお過ごしのご様子何よりと存じます。10月13日の新聞で「教育現場の問題を直視『エコー響かせ7年半』」の記事を拝読いたしました。私は寺山に疎開し、武さんと一緒に国民小学校1年の2学期から勉強し、秦野高校で再びご一緒させていただきました。高校卒業と同時に小田急電鉄に入社し41年間勤めあげ、平成8年に定年退職しました。今は山歩きを趣味として元気に日々を送っています。武さんの教育個人紙の存在は、数年前やはり新聞で知りました。父が教員だったこともあり、武さんの教育に対する情熱に感じるものが多くあったのでした。200号 さぞお疲れでしたでしょう。来年二月から復刊とのこと、ぜひ購読させてください。パソコンは苦手なので、どうぞよろしくお願いします。向寒のみぎり御身お大切に。       尚夫:
 


さらに号を重ねられますように


ECHO 200号発行、おめでとうございます。17年かかったのですね。その間、社会的な立場も変わりながら、編集・発行の姿勢も変わらずに継続してこられたことがすごいことだと思います。初志が曲がってしまっては継続は力になりませんから。「生き方の原点としての『エコー』」だからこそ、初志とともに継続できたのだと思うと、その継続は先生の人徳ゆえになしえたことなのだと合点がゆきます。ご健康に留意され、さらに号を重ねらていかれますようお祈りいたします。    孝


「言葉の窓」 いいですね

エコー200号付録 有難く拝受いたしました。全稿珠玉の思い出ですね。「言葉の窓」いいですね。何度も声を出し、読み上げながら味わっています。創造学園新聞にエコーの三原則を紹介させていただきました。寒気の中で冬支度にかかっています。ご来札のおりには是非是非お知らせ下さい。      寿夫



2002年10月26日

毎日書くのですか

先生へ
 ちょっとご無沙汰いたしました。今朝は少し肌寒くて、いよいよ秋が深まってきたという感じです。お元気でお過ごしでしょうか?今日(23日)久しぶりにHPにアクセスしてみたら、今日からのNEWコーナーを発見しました。毎日書かれるのですか?先生の毎日の生活ぶりを少し覗けるというわけですね。(失礼しました)
 先日のタウンニュース拝見しました。娘達も「あっ!武先生だ。」と言って興味深そうに記事を読んでいました。中学2年の娘が、先週班新聞の記事を持ち帰り、せっせと清書していました。「何で私が全部書かなきゃいけないの。班長でも広報委員でもないのに、自分の担当の記事はちゃんと書いたのに…。」などとブツブツ言いながら。気持ちはわかるので、おだてながら様子をうかがっていました。見たことのあるレイアウト用紙でした。多分、武先生が中学に指導してくださった時のだと思いました。どれどれ…覗いてみると本心丸出しの記事で結構面白いのです。ちょっと知ったかぶりしてアドバイスしました。(聞き入れられず)私が武先生からいただいたレイアウト用紙に娘が書き直しはしたのですが、内容や表現は「お笑い」のような感じで、性格が出ていました。昨日、各班の出来上がった新聞をみましたが、面白くて可愛かったです。 ところで、一時休刊の件気になっていました。8月に先生のお宅に伺った時もとてもお忙しいご様子。お母様のこともいろいろ大変なのかしらと勝手に思っていました。先生自身のお体の具合は大丈夫なのでしょうか?少し心配しています。  
  Yukiko


聴き・語り・より深め・広めて行けるように動いていこう

 エコー200号!おめでとうございます!ホームページの定期更新だけでも、すごい!と思っていたのに、200号の発行!  
 今年の春のPTA広報研修会で、武先生お会いしてから私自身の世界が広くなったと感じます。以前の私だったら、こんなにも広報委員の仕事を楽しめなかっただろうとも思います。 ECHOは、本当にありのままの『声』が、あふれ出てくる様な紙面で、いつか、いつか、私も1つの記事でもいいから、こんな風にオーラの出る記事を広報に載せたい!
  武先生の言葉には、パワーがあって、読んでるほうもパワーを充電しています。ECHOの言葉に 動かなければ出会えない とありますが、まさにその通り。 次号の企画もほぼ出揃いました。まだまだ、迷いやつまずきがありますが、聴き・語り・より深め・広めて行けるように動いていこうと思っています。相談事をお願いする事になると思います。その時はまた、よろしくお願いします。    都


この頃 考えていること
               
 この頃 考えていることを聞いてください。
 《癒し》という言葉をこの何年か聞いたり 目にします。音楽もその一つですが その曲を聴いたからといって 自分が癒されたと思うのは少し単純すぎるのでは…。バイオリンのCDをいろいろ聴いてみても ヒラリー・ハーンは心地よいけど 川畠成道は好きになれなかったり、自分が心地良いかどうか 心の声を聞いてみます。外で食べたかぼちゃの煮付けが 自分のとは違う味付けを知り だからいろいろ食べてみなくてはと再認識したり 宮部みゆき の名前しか知りませんでしたが 実際 読んでみると 夢中になってしまった自分がいました。
 五感を使って知ることや 体験して感じることが 身近にたくさんあります。そんな自分の想いを 身近な人に聞いてもらえることや 聞くことがうれしいことだと 近頃 思っている私です。    小樹林

  

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2002年10月1日更新



かなり スゴイ!
お元気ですか。久しぶりにフッと手紙を書こうかなと
思ったので。今回のエコーの中に創刊のころのこと
が書いてあったじゃないですか。で、私も読んだら、
創刊が1985年5月20日で、びっくりしました。私は
1984年生まれなんですよ。だから歳が近いなあー
って。ちゃんと続けてるのがすごいなと思った。飽き
性で面倒くさがりの私から見たら、かなりスゴイ!  



  200号なんですね

 なんと! 次は 「ECHO」 200号!なんですね。おめでとうございます。HPと並行して発行なさるなんて、普通の人はなかなか出来ないことだし、続きません。
 私の出会いは181号(2001.3.1)です。”ご一読いただければ幸いです” と角に小さく先生の鉛筆のメモがあります。それ以来ずっと 199号まで綴じてあり、雑な私にしては珍しく大切にしてあります。 同時にHPとの出会い。これは何よりの楽しみで、お気に入りに入れておいて、時々開いてライブカメラやBBSまで覗いています。奥様のさをり織も素敵で、そのうち拝見できるといいなあと思っています。 でも、毎月一番に見るのは、やはり不定期更新日記、次に秦野のおはなしで、本当に心豊かな先生のお姿が伝わってきて嬉しいです。

 今日は朝から秋雨。昨日は国府台女子学園の学園祭でした。天気もよく朝9時に出かけ、11:00には帰ってきました。小学部部長の立野明男先生(元冨貴島小校長)から招待を受け、小学部は初めてで、心に染み入るものがいっぱいあり、嬉しく思いました。先ず中庭の「虹」には心躍りました。若々しく夢がいっぱいで、何処までも広がっていきそうです。みんなで集めた7200個のアルミ缶も、流石ですね。教室での展示、発表も、それぞれ取り組み、ねらいが、しっかりしていて落ち着いた雰囲気で爽やかでした。「思永寮」での茶室の雰囲気も久しぶりでなかなかでした。庭の佇まいと共に茶の道が受け継がれていくことを願ったりして、美味しい茶菓をいただきました。
 15:30頃、我が家の近くの昭和学院の運動場から、「君が代」が流れてきて、体育祭の閉会式なのでしょう。公立では、閉会式に「君が代」はなかったような気がしますが・・・。昔は国旗を下ろす時にも・・・まあ、それはともかく、何処も秋のよき日でした。

 9月27日は、南行徳小に授業を見に行きました。元読売の政治記者、現在イベンターの廣瀬重夫(曽谷2丁目在住)氏が授業者です。「五年一組の自慢」がテーマで、どうしたら人を引き付けることができるか。記者として鋭い目で生徒の実態をよく捉え、温かく巧く展開させ、集団の質を高めるよい授業でした。授業とは「これだ」と感心させられました。                         Sugawara
                                  

                              
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2002年9月1日更新

 姫島の夏はキツネ踊り


 8月15・16日には、姫島最大のイベントである盆踊りが行われました。今年の観光客は1万人を超えたと言う報道があり、人口3000人余りの小さな島は、人口の3倍もの人の熱気で膨れ上がりました。
 姫島の盆踊りと言えば「キツネ踊り」が有名ですが,実は姫島には「キツネ踊り」だけでなく、「タヌキ踊り」「あや踊り」・・・通称「あばれ」と呼ばれる仮装した踊りなど実に30種近くの盆踊りがあります。姫島にある6地区がそれぞれ伝統の盆踊りを持っており、その中で「キツネ踊り」は2区に住む中学生ぐらいまでの子ども達が伝統的に踊るものです。白塗りをした顔に赤い口紅でキツネの表情を描き、唐傘を手に持ってユーモラスに踊るしぐさは,何と言っても一番人気。このキツネ踊りを目当てに島にやって来る人がほとんどです。でも、島でも過疎化が進み、伝統あるキツネ踊りの後継者が年々少なくなっているのも悲しい現状です。
 姫島中学校でも毎年、中学校3年生を中心に、夏休み1週間の特訓を受けて踊りを披露します。社会教育の一環として、島の伝統を受け継いでいこうという趣旨で実施されているものです。今年も中学3年生38名と中学2年生女子12名、そして学校の先生達で一団を組み、大勢の観客の前で「花笠」「もちつき」「どうじょうすくい」「そろばん踊り」を掛け声も勇ましく披露しました。
 大分県の北、豊後水道の中にポッカリ浮かぶ姫島の夏は、踊りに興じる人と、見て熱狂する人で一層暑くなりました。 

大分県・姫島村 Uehara

職場復帰を前に

 二学期からの職場復帰を控え、先日校長先生と話する機会がありました。「先生、おもしろくて楽しい授業をやってください。中学校はピアノの音、子どもの歌声、英語の音読がいつも聞こえてくる所のはずなのに、最近はちっとも子どもの声が聞こえてきません。いつも明るい声があふれる英語の授業をお願いします」と校長先生が話されたのです。育休からの復帰を前に、うれしい気分半分、かったるさ半分でしたが、この言葉を聞いて勇気とやる気がむくむくとわいてきたのでした。
                                                     

須賀川市  Yuki


 本土復帰30周年の大環境展示フェア

 今日は沖縄のお盆の最終日。沖縄は旧盆です。いつもは渋滞している国道58号線も、今朝はすいすい。嘘みたいでした。40分以上もかかるのに、今朝は10数分。
 24,25日は、沖縄県主催の沖縄本土復帰30周年記念で大環境展示フェア。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターの展示館に、70ブースが思い思いの展示を展開。沖縄県自然保護課や、わが環境省沖縄奄美地区自然保護事務所などの行政環境汚染を解決、改善に挑戦する企業の展示。私の一押しは火力発電所の廃棄物の灰を廃物利用で汚染した水質を、魔法みたいに浄化するゼオライトです。自然保護団体の展示も見逃せません。ジュゴン保護基金、泡瀬の干潟を守る会などパワーあふれる展示群です。私と、環境省に去年新採用の超フレッシュな可愛い女性レンジャーとの二人で、環境省の魅力的なパンフレットを気前よく配るのです。私は土日返上で、丸二日間、張り付きます。情報こそサービスと思います。明日は本当に楽しみ。どんな人と会い、配れるかなと。近ければ来てもらいたいですね。土曜、午後2時からは、柳生博の講演「森と暮らす、森に学ぶ」もあります。
 なお、珍しいことなのですが、わが愛妻めが、22日より単身の私の慰問に参っております。22日は沖縄は映画館が、夫婦の日と決めて、鑑賞代が割引きで1600円が1100円。夫婦をいかに証明するのかなと思ってドキドキしてたら、なんと自己申告のみでオッケー、拍子抜けでした。宮崎駿「猫の恩返し」を楽しみました。

沖縄  水野隆夫

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2002年8月1日更新

家族新聞 興味はあるのですが

 家族新聞 興味があります。でも今の私では、家族のグチ新聞になってしまいます。そうです、日記も暗くなっています。自分にとって辛いときでも、私の人生、歴史であることはまちがいないのですが…。家族のよいところだけをつまんで書くもの母親として、妻として、嫁としての腕のみせどころなのかもしれませんね。  shuko
 

明るい母子家庭続行中

 エコーをいつもありがたく読ませていただいています。ご存知の通り明るい?母子家庭の私は多忙(ホントに貧乏暇なし)で、お便りをようと思いながらつい眠ってしまう毎日です。 平成4年、主人の会社は倒産。私名義の借入金9000万。主人は家出、離婚…。いろいろあって子ども二人と母と私の生活がスタートしました。多感期であった上の娘は、精神的に追い詰められて登校拒否、ほとんど家にいる生活でした。高校に進学するのに、幼から大学まで一貫教育に学校でしたので、何とか高校にいけたのですが、そのコースを選ばず、昼間働ける定時制高校を選びました。そして現在3年生になりました。昼間はラーメン店と電話会社、学校では大好きな野球部のマネージャーをしています。
 今、とても多いと言われている学校に行けない子について、我家ではまったく他人事だったのですが、経験して一つだけ分かったことがあります。学校に行かないことを責めたりせず、少し遠回りかもむしれませんが、その子が学校に行くことに納得できる、あるいは決心がつくまで時間をあげる、その時間を一緒に考えてあげることが大切なようです。彼女が三年間悩んだことは、経済的なこと、私(母がいなくなったら)どうしよう、妹がかわいそう過ぎる、借金の取り立てのこと、学校にいって同情されるのがイヤ、などいろいろあったようです。 下の子も四月から小学校に入りました。今は『明るい母子家庭続行中』と思っています。 40歳を過ぎ、からだのあちこちが痛んだり病んだりしています。それともうまく付き合っていきたいと思っています。       Koide



2002年7月1日更新


まもなく第一号発行

PTA広報『掛け橋』、きょうニ回目の校正をしました。ほとんどミスなし。まもなく発行です。毎日のように学校に通いました。子どもの教室の前を通らなければ会議室にいけません。「お前のかあちゃんよく学校に来るな」なんて言われるようで、子どもは嫌がっています。でも、子どもたちの明るい様子が見えるので、めげずにこれからも通うつもりです。次号もがんばります、ハイ。  sawame

来年は広報委員長 今からガンバル!        

今年度広報委員会の副委員長に選ばれました。うちの高校はPTAの委員になると三年間続けなければなりません。昨年一年間「広報づくりの基礎を三年間一緒に勉強しましょう。生涯学習のつもりで学んでいきましょう」と呼びかけてきました。それに乗ってくれる友達も増え、この四月に『広報誌づくり講習会』開きました。講師は、何と私! 七月にはレイアウトと見出し作りの研修会も開く予定です。委員長も「広報づくりにプラスになることはどんどんやっていこう」と言っています。来年創立二十周年を迎えるO高校、その年私は委員長になります。ますますパワーアップして広報誌づくりにがんばりたいと思います。どんなことでも同じですが、何かを変えたり、何かをおこなうことは一人ではできないのです。良い仲間とともに広報誌づくりができることに感謝しています。   杉崎 康江



2002年6月1日更新


米粒をたくさん食え でないと いい仕事はできん

 あのどうしようもなかった三番目の息子、初めての給料日の前に社長さんから「安い米と炊飯ジャーを親に買ってもらえ」と言われ、出て行ってから初めての電話をかけてよこしました。今、毎日自分でご飯を炊き、現場に持っていって仕事をしているようです。あの子が…と信じられません。「米粒をたくさん食え。でないと、いい仕事はできん」と現場の親方にも言われたそうです。この言葉は私にもドカーンと響きました。息子はいい会社に勤められた、と涙。今までのあの苦労(中学、高校時代の“悪”)はぶっとびました。  sheep


家族新聞を復活させようかな

 買い物以外ほとんど外出しない今の私には、新聞が唯一情報源です。先日は神奈川新聞に先生の活動が載っていましたね。今一番忙しい時ですね。主人も6月はワールドカップのため、仕事が忙しく広報委員の参加が難しい状況です。春美は今ダンス同好会のメンバー集め、顧問さがしで頭を抱えています。我が家も家族が増えたので、また家族新聞作ってみようかしら..。.今までは、最近の報告として知人に新聞作ってファクスしていましたが、メールのやり取りを始めてから、忘れてしまっていました。書きたいこと書いてみようかな? m.gata



2002年5月1日更新


「エコー」194号を読んで 

○で全人格が評価されるわけではないが

 新学期、上の娘は中学2年、下の娘は6年になりました。通信票についてはいろいろな考え方あって当然です。わが子の通信票の「行動欄」にはビックリします。親の目と先生の観察とは全く“逆”です。家では、だらだらゴロゴロ「だらしない」としか思えないのに、学校では《勤労》に○。家では、ほめても、気合を入れてもやらないのに、学校では「やっている・できている」ということなのです。その○は、たまたまそういう場面に“遭遇”した先生の印象に残ったからなのではないでしょうか。他人の目に入らなくても、目立たなくても、しっかりと身についた生活ができる子に育って欲しいと思います。《思いやり》という項目があります。でも、思いやりって、本来目に見えないものだと思うのです。○は無いよりあったほうがいい、親も安心します。でも、それで全人格が評価されているわけではない、と思っています。でも、でも、受験のとき、内申書の○がどのように扱われているのか。
一人の先生がつけた〇の数で合格・不合格が決まるとしたら悲しいです。   A.Y



2002年4月1日更新

出 発(旅立ち)  わが子へ       K.K

君は美しい緑をどこに かくしていたのだろう 一雨ごとに たくましく伸びて 今日を迎えた

今あふれる若さ 君に強さがあれば やさしさを望もう 身体を動かすのが好きなら 本を読み考えて欲しい

君の美しい緑を大切に 挫折など怖れないで やがて来る夏に 大きな木陰を作って欲しい

君のこれからは君が拓く よき師があり友がいて 旅立ちの今



2002年3月1日更新

間もなく春


年賀状も出さずにすみません。自宅から5分のところにアパートを借り、一人暮らしを始めた未来。せっせと働いて(夕食は時々家に食べて)貯金し、スペインへの短期留学とヨーロッパ旅行を計画。1月6日にさっさと行ってしまいました。

5月中旬には帰ってくるのですが、言葉の通じない国での飛行機の乗り換えはできるのだろうか、ホームステイ先に無事にたどり着くだろうかなどと「着いた」という電話が来るでは一睡もできませんでした。「こんなとき親でも何もしてやれないものだな」とつくづく思ったのでした。これまで北海道など一人旅を何度も経験してきた娘だったので、スペイン行きの話が出たときも、そんなに深刻に考えなかったのです。でも、いざそうなったら情けないくらい心配ばかりが募り、ほんとに何も手につきませんでした。

間もなく春。 息子は中3に、次女は中学生になります。子どもたちに負けないよう、仕事とPTAにがんばらなきゃ、とやっと、私もエンジンがかかり始めたようです。         koga



折りしも春!

おはようございます。

 相変わらずお忙しそうですが、「天童よしみショー」など入れて楽しく豊かにお過ごしですね。 公民館から「親子新聞づくり」の講座のお話、素晴らしいです。先生が秦野に蒔かれた種が芽を出し緑が広がって、しっかり根を張ろうとしていて嬉しいです。

折しも春!
「The On−Line Organ」 春は名のみの風の・・・・と、流れに乗って大きな五弁の梅の花とつぼみ、そこに繊細なネズミが止まって向き合っている、まるで武先生の幸せそうな姿に見えてきます。まさに「梅ほころぶ」です。

 俳句も、漂う空気、色合い、香り、こころが伝わってきます。 日本の自然とこころにすっぽりハマリますよ。もし、人気投票があるとしたら、私は次の三句を選びます。
・ 秋深し宿の心を尽くす膳
・ 考えること止めし紅葉の一樹あり
・ 梅が香や峡里はまふ暮れてゐて

 「葉タバコの納付日は“クリスマス・イブ”」 「タバコ伸しで“婚ふ(よばふ)”」 この二つのお話も、しんみりと感動的な物語になっていて何回も読んでみたくなります。幼い日のできごとでしょうに、よくここまで鮮明に描写されていることにも驚きます。 そう言えば、岩手出身の夫が、10年ほど前に兄弟姉妹一同で本を作った時に、最初の小見出しで「葉煙草作り」があり、その様子が書かれています。武先生ほど細かく書けてませんが、共通点はそこに流れている母の愛でしょうか・・・。

 奥様のお部屋も、センスのいいマフラーが並んでいて自然の香りが幽かにするような肌触りと色合いとあたたかさで、豊かな気持になります。
 元気が湧いてくる H・P 有難うございました、それでは。 SUGAWARA



2002年2月1日更新


秦野のおはなし 楽しみです


 お正月、アアラギ派の土屋文明の祖先が、このあたりの土屋の出身ということを阿川弘之さんのエッセイで読み、尋ねることに
しました。「土屋一族の墓」という案内板が立っているというので、それを頼りに捜して行ってみたのです。なかなか見つからず、
息子がようやく見つけ出してくれました。そのあたりは人影もなくのどかで、まるで万葉の世界へ迷い込んだようでした。大乗院
というお寺の菩薩の美しさに見とれていましたら、住職様が出てみえて「良かったら、この辺の歴史のことをお話しましょうか」と
言ってくださり、一時間ほどその地の歴史をのことを聞かせてくださいました。歴史の好きな私には幸運でしたが、息子は足に
しとびれを切らせ、退屈のようでした。娘が一緒だったら、喜んだだろうと、それが少し残念でした。秦野のお話楽しみにしています。

                                                     SAWAME



 2002年1月1日更新


ふるさと寺山


 寺山の円通寺から流れるメロディーは「お彼岸の和讃」という曲なのですね。寺山の実家でよく聞きました。(近いのでかなり
のボリュームで…。) この曲を口ずさむと寺山の景色が浮かんできます。円通寺の裏山、中学の校庭から見える富士、実家の
周りの田畑…幼い頃、近所の友達や姉妹と遊んだ思い出の場所ばかりが。同じ秦野に住んでいるのに、私のふるさとはやっぱ
り寺山なのです。                                  しのぶ





小江戸・川越と伊勢原


暮に友達と小江戸・川越を“超速”で歩いてきました。道を尋ねたおじいさんは、川越城は太田道灌父子によって築城された
ことを一生懸命教えてくれました。私は「伊勢原に太田道灌の墓があります」と思わず言ってしまいました。成田山別院でお
会いしたご婦人は「喜多院をぜひ見ていくように」とすすめてくれました。菓子屋横丁のおばあさんもていねいに道を説明し
てくれましたし、『時の鐘』のところで「どのように写真を撮ろうか」と話をしていたら、魚屋のご主人が「あそこがいいですよ」
と、鐘と人物が収まる場所を教えてくれました。そして、結局その人にシャッターを押してもらったのでした。町の皆さんは
親切で、自分の町に誇りを持っていらっしゃることを感じました。

市立博物館には大きく『大山信仰』と書かれた部屋がありました。そこには大山に奉納した太刀や灯篭や大山の写真などが展
示されていました。「伊勢にや参りするように神奈川の大山にお参りをしたのです」との説明に「わたし、伊勢原の出身よ」と
はしゃいでしまいました。大山と太田道灌と町の人たちの親切さがうれしくて、たくさんお土産を買って帰りました。
会津の酒蔵に阿夫利神社のお札があった、と先生が書いていらっしゃったので、私も書いてしまいました。
                                         眞理子




2001年12月4日更新



心の若さが健康な体を約束する



HP「不定期更新日記」にあった『心の若さが健康な体を保つ6つの条件』ありがとうございました。私流に確認しました。肝に銘じて自分に鞭打ち?…ます。 



1 周りに感謝
  出かけるとき、自転車で走りながら「まあ、いろいろあってもこうして移動できることはありがたいこっちゃ…」とつぶやく。

2 外出する
  今月はやたらと文化に追いかけれらたようで、出かけることが多かった。出費も多すぎた。

3  活字・文字に親しむ
  本はなかなか読まないけど、「田中宇」のメルマガやHP、「佐藤学」のHPは好んで読む。もう少し勉強しなければと反省する。

4 お洒落を心がける
   これは全くだめ。「顔を洗ってない!」と気づく日もときにある。
   90歳過ぎてても、入院するときに化粧セットだけは忘れないという女性がいたが、やはり常に生きようという活力があるからだろう。
   私にはその意欲がないらしい。

5 異性に関心を持つ  同姓・異性にかかわらず、仕事のできる人、何かやる人には関心を抱く。尊敬している。

6 お酒の席を楽しむ

教員採用の二次試験のとき「アルコールは?」との質問。「一応、引けを取らないくらいは…」と答えて三人の試験官に笑われてしま
う。今日もこれから宴会だが、それなりに過ごす。
                                             SUGAWARA



三人の娘たちが大好きだった谷津先生、橋本先生、それに昨年お世話になった原先生のお顔がホームページにあり、みんなで覗き込みました。
不定期交換日記も好きです。お母様もお元気な様子、先生の料理の腕前もさぞ上がったことでしょう。
毎月の「エコー」の発行、ホームページの更新、講演会などとご多忙なので、あっという間の一か月ではないですか。 健康にご留意を。
                                                   SERI



2001年11月1日更新


チャイムの復活

その中学校は、もう十年近く授業にチャイムは使っていませんでした。そして今年度もチャイムなしでスタートしたのですが、四月中旬に急にチャイムが鳴り始めました。「授業を始められない」という先生たちの危機感からです。「自主・自律・自学の心、時間の観念を身につけさせる」ために、何人かの先生は、その時限が始まってから教室に来られるのだそうです。そして、教室に現われて、席に着いていない生徒を見て嘆き、「授業が成立しない」と怒るのだそうです。昨年の3学期、とうとう一部の生徒たちが鐘を持ち出し、“自主的に”始業の鐘を鳴らし始めました。そんな動きもあって、チャイムは簡単に復活しました。今、ほとんどの先生たちは「少しはよくなった」と喜んでいらるそうです。 
 四月一日にスタートことが、二週間もたたないうちにいとも簡単に変更されました。「朝令暮改」ではないのでしょうか。前年度の反省は十分されたのでしょう。その反省に基づいて今年の計画は立案されたのでしょうに。それでもなお、変更しなければならないような緊急事態になってしまったのでしょうか。そうだとしたら、保護者にそのことをきちんと伝えてください。

                                                         Q.T

学校の『ノーチャイム』は、時間の大切さや自学自習や自律、自主などを身につけさせることを第一義的にします。でも、もっと大切なことは「ノーチャイムにふさわしい授業をする」という先生の意識の変革ではないでしょうか。先生たちの新しい教育に対する理念、そのための綿密な計画、そして何より力量が問われるのです。今までと同じ意識で教室に向かい、授業をするとしたら、チャイムがなければ授業時間は確保できません。近所に迷惑だからチャイムを止めた、という小学校の話も聞きました。「生徒が“自主的に”鐘を鳴らすようになった」と、この自主性を評価するというのでは「チャイムあり」も「チャイムなし」も論ずる必要はないでしょう。中学生は小学校の卒業生です。その連続性、関連も十分意識して欲しいと思います。     
                                                                                 (武)



あまりに移ろいやすいわが国の教育理念

お便りのように、教師が持たねばならない教育理念が希薄すぎるのではないかと懸念しております。教育問題が多すぎるため、右往左往しているのは、対処療法にすぎず、真の解決には結びつきません。学校教育のあり方を追究するためにも、教育理念が明確でなければなりません。知育偏重」「偏差値教育」はだめだ、「心の教育」をしっかりやらなければ、ということで「ゆとりある教育」が提唱され、今回の新指導要領に発展したのだと思います。それが今度は「学力低下になる」とか、「『ゆとり』でなく『ゆるみ』になっている」という声が高くなっています。文科省は「指導要領は最低基準」と弁解しながら、教科書検定では「指導要領にないから」と、せっかく盛り込まれた内容を削除しています。あまりにも移ろいやすいのわが国の教育論議です。「不易流行」をもう一度考えてみたいです。              Ina



2001年10月1日更新


この一週間は新聞が一つの記事で埋め尽くされましたね。デカデカと載っている写真は、どこかハリウ
ッド映画のような演出効果を狙ったものでもありました。こんなときこそ新聞の真価が問われるのに、も
う一つ深みまで掘り下げられない記事も目立ちました。宿命とは言え、表面的な情報の垂れ流しをする新
聞に、危機感を覚えます。                                               E-jin



Con brio 元気をだして


 誘われて『地球交響曲第一番 ガイヤシンフォニー』を見ました。映画というよりはヒュウマンドキュメンタリー
という感じのものでした。象牙のために乱獲されつづけている象たちが、それでもなお人間を信じようとしている姿
や、エベレスト単独登頂を果した人などが紹介されました。「科学は過ちを排除し、自然は過ちを許容する」という
言葉があって、それがとても心に残りました。

エコーに届く 家族新聞『オーソレミオ』より




今はただ抱きしめて


大井小学校で先生でお話を聴かせていただきました。私には二人の子供がいます。下が保育園、
上は小学校に入りました。フルタイムで働いているので、私が迎えに行くときはほとんど最後です。
さいわい主人が協力的で、時間も融通がきくので助かっています。
子供たちが起こす悲しい事件を見るたび、幼いころの純真さがどこに行ってしまったのか、どこ
で、どう間違って成長してしまったのかと、考えてしまいます。やはり親、環境が起因していると
しか思えません。だから、わが家はこれでいいのだろうか、今はすくいすくと育ってくれています
が、これから先はどう成長していくのだろうかと不安です。

私は、わが子は他人に迷惑をかけることなく、健全に育ってくれれば、他に望むことなどありま
せん。ただ、今の育て方でよいのか、働いていることで子供たちに寂しい思いをさせているのでは
ないかということがいつも頭の片隅にあります。今はただ抱きしめて、愛情を注ぎ、大きくなって
何かあったとき心の拠りどころになってあげられる母親になりたいと思っています。
                              Goo



2001年9月1日更新


「8月6日、9日 そして15日」を読んで


『将兵万葉集』を読みました。日中戦争から太平洋戦争までに召集された方が詠まれた歌を
集めたものです。万葉集の兵士たちの歌より歴史的に近いせいか心に深く突き刺さり、涙が
止まらず、五分の一ほどで挫折してしまいました。ここに集められた歌の作者のほとんどの
方は、戦争で亡くなられています。
その中で宮柊二さんの歌を見つけました。

咲きそめし百日紅のくれなゐを庭に見返り出征たむとす


暑さが戻りました。ご自愛ください。
                                岩井 厚子





8月4日に広島に行って来ました。日本軍が毒ガスを作っていた大久野島にも行きました。
多くの人が広島を訪れ戦争、原爆、核兵器、平和のことを考えて欲しいと思います。
8月12日、ナゴヤドームに初めて行きました。結果は阪神に0−1、2安打の完封負け。
今年のドラゴンズを象徴するような試合、がっかりしました。でも本拠地でドラゴンズを応
援するのは楽しかったです。 残暑に負けずお元気で。

上田 弘



箱根の夏が終わりました。先生が蒔かれた新聞の種が、多くの子どもたちや先生方の心の
中に花開いていることを知りました。

小野瀬容子




2001年8月1日更新


こんにちは 今日は少し凌ぎよい暑さでしょうか


 ECHO18号とHP 有り難うございました。大変返事が遅くなり申し訳ありません。HPは7月4日に更新され、ECHOが送られて来たのが5日で、いつもに比べると遅いので、先生のお体は・・・?と、気になっていました。でも拝見し、そのお仕事の量の多さに驚きながらも、お元気だったので安心しました。

「新聞っておもしろい!講座」の感想からもその感動が伺えて引き付けられますが、特にHPの秦野夜話7月15日更新の「お盆のお話」は何度も見ました。ご先祖様との深い愛に胸を打たれ涙が滲み出てきます。盆棚、辻、ナスの牛、キュウリの馬、等々何気なくやってたことにこんなに深い訳があったのかと感慨深いものがあります。いろいろ教えて頂いて誠に有り難うございました。

私の方は個展の後始末に追われていますが元気です。この3ヶ月休んだ日がなかったようですが、先生に比べたら、たいした事はやってないですね。 個展の期間(7月8日ー14日)は朝早く家を出て有楽町の交通会館で一日中お客さんと接し、少しばかり緊張しながら生活していました。世界を仕事で飛び歩いた人や何かを求めて旅をした人、その土地で生活した人、いろいろな人たちが訪れてくれて、明るく爽やかになれます。酷暑の中の個展でしたが、朝は自転車で本八幡駅へ、そして有楽町駅前の吉野家で牛丼、いや特朝定食を食べて、仕事始めといったところでした。お蔭で元気もりもり・・・。現役に言わせると「若者はスターバックスで、ラテでも飲みながら、モーニングブレークして出勤」だと。なあーるほど、笑ってしまいました。

24日の夜は大田区の矢口中に全新研大会の手伝いに行きました。今度は31日です。先生のPTA講座楽しみにしています。

                               SUGAWARA



                                2001年7月4日更新

PTA新聞のコンクールについて思うこと


平成11、12年度と幸いにも賞をいただき、委員ともども嬉しく思っております。しかし、コンクール
の審査のありかたについて気になることがありますので記してみます。


1 文字の力より写真の重視。文字は写真の説明程度のものなのか。
  もちろん文章力にもよるがこんな評価がされるから、ますます重要なテーマが紙面に取り上げられなくなるのです。


2 PTA新聞とはなんなのでしょうか。その学校にかかわることを記事にするのがPTAの新聞ではないのでしょうか。しかしコンクールの審査員はその学校とはかかわりのない人たちです。入賞した新聞を見て思ったことは、その学校が抱えている問題よりも、部外者にもわかる、最大公約数的全国レベルの話題の方が賞を取りやすいということです。そうすると、最も良いテーマは、校内の問題=最大公約数=全国区の話題、ということを考えなくはいけなくなります。身近な、自分たちの問題を、個のものとせず、公の、全国のPTAの課題にすることは建設的であり、前向きであると考えるのでしょうが、そこに“落とし穴”があるのではないでしょうか。


3 あるコンクールでは年一度発行のもが最優秀賞でした。コンクールにだけ照準を合わせ広報本来の役割をなくしても、たった一回の新聞で評価をされるなら、私自身がもっているPTA新聞の意味をもう一度問い直さなければならないでしょう。数多く発行すればいい、と言っているのではありません。武先生が言われるように「PTAとは、親と教師が子どもの幸せについて話し合う会」です。そのための学校と家庭をつなぐ役割をするのがPTA新聞です。多くの広報委員は「知ることが動くことにつながる」と信じて、自分の学校のことを書き、発行し続けているのです。
                                        木口まり子




2001年6月3日

 まだ梅雨にも入らないというのに、蒸し暑い日があるかと思えば、肌寒い日があったり
して、運動会の天候も気になりました。さて今年のPTA活動が各校で始まりました。わ
がT中でも5月8日に総会を終え、今日が第一回目の運営委員会です。昨年度は年4
回の運営委員会を、今年は7回にする予定です。「負担のない活動」を掲げた昨年度
の方針に、今年度の役員は疑問を持っていたので、今年度は大幅に活動方針を変え、
「負担のない」ではなく、「一部の人だけの負担にならない」活動をこころがけます。

                                     Setsuko




2001年5月3日


娘が高校に入学し、なんとまた広報委員になってしまいました。学級委員と思って言った
のが、なり手の少ない広報に成り行きで決まりました。1年交代のシステムなので、引き
受けました。年2回印刷の発行です。様子がわからないので、まずは学校を知ろうと思い
ます。先日顔合わせがありましたが、個性豊かなステキな方達でまた楽しい1年になりそ
うです。
 子ども達は学生として沢山の先生方と出会いますが、この年になると、個人的に習い事の
先生との出会いはありますが、学校での恩師と言える出会いはなかなかありません。
1年終わって、武先生とは学生時代の感覚で、恩師のような気がしています。私の郷里は
山梨ですが、秦野にも恩師ができ嬉しい。と勝手に決めてしまっています。すみません。
 これからも「エコー」楽しみにしています。先生、奥様もお体を大切になさってご活躍をお
祈り致します。                    はつみ




2001年4月1日 更新


礼を尽くすのは子どもに対してでしょう


  3月27日の職員会議でも新年度の学級担任の発表はなかった。校務分担さえ聞かせてもらえない。23日の納め会で、お酒の勢いを借りてそのわけを校長先生に尋ねた。そうしたら「新しく赴任してみえる先生に礼を尽くすためだ。この地域の学校は全部この方法だ」とおっしゃった。

昨年の4月、他地区からこの学校に来た。4月1日の職員会議で、担任と校務分担などが発表された。だが「これで願いします」という一方的なもの。着任者に礼を尽くすとおっしゃるのなら、事前に私の意向を少しでも聞いてくださればよかったのに。

ほんとうに校内人事は4月まで秘密にしておく必要があるのか。着任したその朝、私に「同じ学年らしいですよ、よろしくね」と囁いた同僚がいた。そして、その通りだった。人事は厳正に、と言うことらしいが、新聞だって31日に教員の移動を書いている。

一年生の担任だけは早く発表される。子どもたちを迎える準備が必要だという理由で。他の学年は全て四月になってからでいいとでも思っていらっしゃるのか。いい授業をしたい、そのためには教材研究をしなければ。新しく出会う子どもたちに、保護者に学級通信だって書きたい。教師が先ず“礼を尽くす”のは子ども達に対してではないか。今年は、4月2日が担任の発表。始業式まで3日しかない。


校長先生 「早い時期に校内の人事を発表するとゴネられるので、新年度のもうどうにもならない状況になった時に、否応なしに一方的な人事を行う」と、私は勘ぐってしまいます。
校長先生 新しい教育課程が始まろうとしても“相変わらず”の学校経営案しか読ませてくださいませんね。とても残念です。

2001年3月29日     小学校教諭  やよい




2001年3月3日 更新


高1の長男が「バス・プロ」になると言う。高校も釣り部があるところを選んだ。
週に二日は湖に行っている。フィッシィング・デモンストレーターなんて職業、
あるのだろうか。父親とはいつももめている。それで「二年後には家を出る」と
騒いでいる。親としての敗北感のようなものを感じてしまっている。
先生が紹介された歌

「誰もいないから そこを歩く ふり返らずにお前らしいよ
誰もいないからそこを歩く それがお前の生き方なんだよ」

と歌えたらいいのですが。

神奈川  I・K



2001年2月1日 更新


始まりました新世紀、本年もどうぞよろしくお願いいたします。何もわからず活動をスタート
したときと比べ,二学期は記事を書くこと、そして伝えられることの楽しさがわかり、少し余
裕をもって広報誌をつくることができました。

今回のテーマは、校内の子どもたちの様子です。お昼休みの、また放課後の遊びについて。
そして保護者参観日ではない授業風景(着衣水泳、ほんの読み聞かせ、お料理など)。
児童会の三宅島救援募金活動も取材しました。

先生方の協力もあり、よい紙面ができたとちょっぴりうぬぼれています。
今学期もご指導をお願いします。

神奈川・寒川町  岡田 礼子



2001年1月1日 更新


『雪咲』といふ酒のあり北の街         勝美

酔ひて今『雪咲』くことを知りにけり

『雪咲』を飲みてアダモの『雪が降る』



ガールフレンドから頂いたお酒、その名は『雪咲』、すぐに“いただき”酔眼になる。その勢いで俳句らしきものをつくった。
(このごろ俳句を始めた。)そしてラベルにあったお客様相談室にその“らしき”ものを送った。お客様相談室というのは、た
いてい苦情受けたまわり所である。「酔ひて…」も「アダモの…」も醒めて読むと情ばかり走っていて、意味不明である。た
ぶん驚かれたのだろ、営業課のMさんから下のような返事が届いた。 はがきに鉛筆で十数本の罫線を引き、丁寧な直筆
だった。

“外交辞令”とは言え、広告に使ってやる、とは何という言葉! かくして、私はこのような行動(こうして、ここに臆面もなく
書いている!)に出たのだ。


札幌はときならぬ記録的な大雪が降りました。街は今一面銀世界となり、イルミネーションが
一段と美しく輝いています。武様の秦野はいかがでしょうか。

さて本日は情緒あふれる、また北国で私たちが醸し出した酒を見事に表された俳句をお送り
くださり感謝申し上げます。お便りを製造部長、杜氏にも回させていただきました。とても喜んで
いました。機会がありましたら『雪咲』の広告に使用させていただければと思います。

今年の初しぼりは12月15日です。蔵人たちは、武様からのお言葉を糧に、一滴一滴に自然
が感じられる麗しい酒を目指して、酒作りに励みができたと話しています。今後ともご愛飲くださ
いますようお願い申し上げます。

寒くなります。おからだに十分お気をつけください。





 私は999人目の訪問者Sです。同窓会にご出席いただきありがとうございました。
紅顔の美少年、可憐な乙女も、立派なオジサン、オバサンになり、あの人は誰?
〇〇ちゃんじゃないの、いや違うかな?なんて声が会場のあちこちで囁かれていま
した。しかし10分もしないうちに30年前にタイムスリップ。中学生にもどっていまし
た。やっぱ、同級生っていいですね。

二次会は20名ほどでカラオケへ。女性陣のエネルギッシュなこと、カラオケの上
手ことには驚きました。再会を約束し午前一時に解散。愛する妻、夫のもとへ無事
帰宅しました。



さて本題に移ります。ホームページを見た感想。予想以上の出来栄えに驚きまし
た。継続は力だと強く感じました。奥様と仲良くてうらやましい。中学生の時、気が付
かなかった先生のこと、このホームページから垣間見たようでちょっと嬉しいな。

追伸 アクセス1000達成おめでとうございます。画像は軽めにお願いします。

寒さ厳しくなる折、くれぐれもご自愛くださいませ。またお便りいたします。

2000年11月27日




きょうはご講演ありがとうございました。いつも子どもたちを信じて、肯定的な見
方ができる先生の姿勢、返ってきた5000円のピン札を手にして「このお母さんな
ら大丈夫だ」と思われた心、どうしてこんなに温かい眼がもてるのだろう、と思いま
した。

自分の子どものころの話や家族の失敗談など、見栄っ張りの私にはなかなかで
きません。これからは、意識して子ども達に話そうと思います。皆さんも喜んで帰っ
ていかれました。

お近くにお出かけの折には、ぜひお立ち寄りください。ありがとうございました。

霜田 文子

 《2000.11.1》






     朝日新聞・教育のページからの「返ってきたエコー」でした。(1998.12.21)


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