秦野の新聞教育   
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2009年12月1日更新

第59回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール 
主催 神奈川新聞社・神奈川県学校新聞コンクールの会 (2009年11月12日実施)


 東中新聞(秦野・東中)が2年連続「最優秀」

【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立東中学校
優秀賞    相模原市立田名中学校
優良賞    該当なし
佳 作    相模原市立大野南中学校 川崎市立稲田中学校
努力賞    川崎市立橘学校 相模原市立谷口中学校
特別賞    秦野市立東中学校


学校・学級新聞の部】

最優秀賞  崎市立宮前平中学校2−10
優秀賞    川崎市立今井中学校3−2
優良賞    崎市立宮前平中学校2−1
佳  作   川崎市立橘中学校3−6 川崎市立宮崎中学校3−1 川崎市立生田中学校2−3
       川崎市立西生田中学校3−1 川崎市立今井中学校2−

努力賞    川崎市立井田中学校1−3 川崎市立西生田中学校2−4 川崎市立柿生中学校1−1
       川崎市立東高津中学校2−3 川崎市立南加瀬中学校3−4


奨励賞    横須賀市立大津中学校2−3 秦野市立東中学校2−1 相模原市立相模台中学校3−1
       伊勢原市立山王中学校3−3 横浜市立すすき野中学校2−3


 講 評
 「学校と社会つなぐ窓」          神奈川新聞社  藤塚 正人

 秦野市立東中学の「東中新聞」は中学・学校新聞の部で2年連続の栄誉となった。号数は実に「900号」を数える。記事に「新たな発想も加えて、今の私たちにしか作れない新聞を、未来の東中生の誇りとなるようつなげていきたい」と記し、伝統を受け継ぐ気概にあふれる。 若者の活字離れが指摘されるだけに、「東中新聞」の歴代におよぶ地道な取り組みは心強い指標となる。
 
 新聞発行900弓という伝統を継続。身近な話題を密着取材し、やわらかい文章で記事にしている。またレイアウトなどの編集技術が評価された。生き生きとした学校生括を伝えようとしている点は、オピニオンリーダーとして十分。     審査委員会






2009年11月1日更新


「こんなとき どうしたらいいの」 PTA広報づくりの相談

―― 年度の途中では紙面の字体を変えないほうが良いのでしょうか。
読みやすくなるのでしたら変えてかまいません。スペースがあるのなら編集後記の中で、字体を変えたことを告げ、読者からその感想を求めたらどうでしょう。

―― 1年生に「学校生活について、4月と比べて9月になったらどう変わったか」という質問をしました。その記事を載せる広報紙の発行予定日は12月1日です。発行日と取材日がだいぶズレてしまうのですが、きちんと取材した時期を記すべきでしょうか。
12月の発行号で「4月と比べて9月になったらどう変わったか」を載せるのはちょっと…。できる限り直近の記事にしましょう。「9月になったら」の記事ですから11月初旬には発行したいです。12月1日でしたら、再度インタビュー取材を強行されたらどうでしょうか。インタビューの内容は当然変わります。

―― 取材した話を記事すると、「〜だそうです」という表現が多くなってしまいますが。
「〇〇だそうです」「〇〇のようです」「Aさんは〇〇と話されました」「〇〇とのこと」「Aさんによれば〇〇らしい」「〇〇はAさんの言」などいろいろな表現を探してみてください。同じ表現にならないようにがんばりましょう。

―― インフルエンザの影響から、取材予定だった行事が次々に中止。2学期に発行する予定だった号の内容も発効日も大幅に変更することになってしまいました。それで、11月4日発行予定号は、運動会のみを扱うことになってしまいました。このような内容の号は「号外」とすべきでしょうか。通し号数で発行するか決めかねています。
《号外》とは、手書きなどで急に発行するもの、特別に急いで知らせたい号と考えてください。ですから、運動会の特集でしたら、通常のナンバー・通しナンバーで発行されたらよいでしょう。そして表紙に、「運動会特別号」とか「特集09運動会」などと表示したらよいと思います。


2009年10月1日更新
           8月24・27日『誰でもできる新聞づくり』   秦野市立東公民館

               夏休みの思い出を壁新聞に



タウンニュース 2009/9/5

2009年9月1日更新


2年生の二人、文字はていねい、そしてカラフル

 小学生11人が壁新聞づくりに挑戦

 8月24日と27日の2日間、東公民館で『誰でもできる新聞づくり講座』を持った。「夏休みの思い出を壁新聞にして残そう」と小学生が11人(1〜6年生)挑戦してくれた。付き添いのお母さんを含め9家庭18人の参加。秦野も例外でなく、新型インフルエンザのため、第1日は2家庭・3人が欠席。そして第2日は1家族2人がリタイア。
 
1日目の講座、日本で発行されている日刊紙の題字をプリントして渡した。そして毎朝発行されている新聞の部数の紹介をした。おそらく3000万部近く発行されている新聞に対して、「みんながきょう作る新聞は世界でたった一つの新聞になる。がんばろう」と話した。「記事は『5W-1H』で書く。それに自分の感じたことを付け加えよう」と教えた。そして全員に『誰でもできる新聞づくり講座』の記事を書かせ、添削をした。
 2日間といっても正味は4時間しかないので、第1日が終わった時点で宿題を二つの宿題を出した。その一つは「題字を完成してくること」。もう一つは「新聞づくりの講座の記事を紙面に書いてくること」。

 2日目の講座のはじめに、作ったきた紙面をみんなで見せ合った。完成間近のものもあった。お母さんたちも一緒に新聞を作って楽しんだようだ。妹の幼稚園児が、兄さんの新聞のために色紙でアジサイを作り、紙面に“花を添えて”いるというほほえましいものも。「むずかしかった新聞づくり」という見出しもあれば、「楽しかった新聞づくり」とつけた見出しもあった。
 講座の終わりに、夏休みの宿題の一つとして学校に提出するように伝えた。子供たちは誰もがにこにこ顔でうなづいてくれた。学校からの返却を待って展示会を開くつもりでいる。皆さんに見てもらいたい、楽しい壁新聞ができあがるはずだからである。






2009年8月1日更新
             

夏休みの宿題が気になるころです。親子で壁新聞を作りませんか。自由研究としても楽しい作品が出来ます。参加をお待ちしています。




2009年7月1日更新
       
   初歩から始めるPTA広報紙づくり講座            2009/6/6・毎日ホール


 毎日新聞社で開かれた「初歩から始めるPTA広報紙づくり」の講座。間もなく開会という時間帯になって席を増やすという盛況。担当のHさんは資料の印刷に3階に走る。終了後、Nさんから「途中まで数えていたけど、90人は超えたと思うよ」と聞かされた。
 秦野から市P連の会長さんをはじめとする13人(二人の小学5年生も)が応援に来てくれた。茨城・日立市からは思いもよらない二人が。湯河原町の社会教育指導員さんも。4日の渋谷区での講座で出会ったKさんが「先生、来ちゃいました」と笑顔で近づく。柏市のPTA広報のリーダー的存在である『ひろの』と『あかしや』の委員とも言葉を交わすことができた。最前列に私と同年配と思われる男性が席を取っていた。開講の挨拶の中で、山形からの参加も告げられた。こんな雰囲気の中での90分だった。講座の中での質問が10。終わってからの相談が4。



参加者の感想

 何度お話をうかがっても、その度に新たな発見や学ぶことのできる先生のお話を聞く機会に感謝しています。先生の講演会をはじめて聞いたのはちょうど2年前PTAの役員も広報も初めてのなか、お話をうかがい広報の大切さを知り、自分たちで出来る限りやってみようと心動かされた日を思いだしました。
 おだやかな時間の中、広報の大切さと作り方のポイント、そして生き方までもを伝えてくれる話し方に、「こうでなければいけな」「技術面だけでもない」やはり思いや行動が人の心を動かすのだと再確認しました。自分たちの作った「くず葉」が紹介され、褒めていただき「あ〜あの時、みんなでたくさん考え、話しあったな」となつかしくもあり、あの頃以上に嬉しさがわきました。
 講演会で一番心に残っているお話は「広報の目的はPTA活動を知らせること」。知らせる、それによって会員の気持ちが変わる、学校に行ってみようと思わせる。「PTAは子育て」です。また、記事を考えるなかでは、「家庭百科型」は避けて。料理レシピなんてやらない。放課後、校門に立ち子供に「今日どうだった?」と聞いてみる、そうするとたくさんの声が聞こえてきますよ。まさに広報を作るうえでの基本でもあり、あらためて心にとめておこうと思いました。
 この講座の後1冊のノートを購入しました。ただ今思春期真っ只中の中学生、どんどん自我が芽生え活動の幅もひろがってきた小学生、わが家は二人の子育て真っ只中。先生のお話のなかにも記録が何十年後かに・・・とありました。自分や子供の記録をつけてみよう。褒めてあげれるものを、たくさんのつぶやきを聞いてみよう、そして書き留めてみよう。忙しく過ごしていってしまいそうな今を、ちょっと意識をかえて過ごしてみようと思ったからです。
 いつも先生のお話から、広報だけでなく生き方も学ばさせていただいております。広報は学校をそして親もかえれる、やはり素敵ですね。これは余談ですが、講演会の次の日昨年一緒に情報委員をやった方と会う機会があり、先生の講演会の話になりました。そのなかで、皆さんの質問の話になり、「記事を直す時に」の話になりました。もちろん企画の段階での確認が大切だよね〜と、やっぱりコミニュケーションであり、話し方・言い方って大切だよね。この部分の文章はすごくいいよね。この表現いいよねと認めることもしながらだね、うまく相手に伝えられなかった自分も反省だね。これって子供にもだよね〜わかっているのについつい言ってしまうけど、伝わらないものね、と広報の話しや子育ての話しに盛り上がりました。こんな話しができる仲間に出逢えた広報っていいですね。本当に楽しく学べる時間をありがとうございました。   野上真由美


 先生の講習会は今までにも参加しましたが、毎回初心に戻ることができ新鮮な気持ちになれます。逆を言えば、何度聞いても忘れてしまう私の頭の悪さかもしれませんが、今回も多くのヒントを頂きました。
 今回強く感じたのが、年々PTA広報のレベルが上がっているということです。この毎日ホールで賞を頂いてから3年、当時私たちが作ったものが恥ずかしくなる位、素晴らしい広報を見せて頂きました。パソコンが主流になり、自前で作っているからでしょうか?技術面だけでなく、作っている人の思いが伝わる広報ばかりで感心しました。と同時に、良い広報を作るには、多様な視点や切り口が重要と改めて認識しました。自分だったら当たり前の見方しかできないのではないか?別の視点に立つことができるか?と考えさせられました。広報って難しいと不安になっていたところで、先生の言葉「広報は耕報」を聞き、ほっと力が抜けて広報の楽しさを思い出すことが出来ました。最後の先生のフォローはすごいです。
 今回、子どもは、新聞社見学が楽しかったようで、家に帰ってから父親に説明していました。特に地方版が集まっている部署が不思議だったようです。ありがとうございました。    水越いち乃


 有意義な2時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。先生のお元気なお姿と、応援団の「丹沢の風」のみなさんにお目にかかれて、熱い気持ちが甦ってきた気がしました。 東京はバスで3時間。距離以上に気持ちが遠く、よっぽどのことがなければ足が向かないところでした。2年前、毎日新聞社での表彰式には、非日常にワクワクする以上に、ドッキドキの東京お出かけ。それが、京都までの長旅になり、香川まで。『東京』が身近になりました。
 先生の講演会のお知らせを目にし、ぜひ、お目にかかりたくなり、久保田と出かけた次第です。思い切って出かけていって、本当によかったです。
 私事ですが、今年は、生涯学習機関で、その活動の広報紙を作成する部署に、お邪魔させていただいています。大ベテランのみなさんとのお仕事で、「さすが!」の企画会議に圧倒されてきました。PTA広報紙のセミナーも開いており、私自身がまだまだ勉強しなければ! ってところです。
 先生の講演会で、たくさんの広報紙を見せていただき、じっくり勉強させていただきました。また、これから広報紙を作る広報委員さんたちの熱心な姿勢にふれ、とっても気持ちよく、ぜひ、いい委員会活動をしていただきたいと願うばかりです。    藤原真由美


 五年間 武先生の講習会を聞いてきました。あっ、いつもと一緒だ。これ、この前、秦野で聞いたのと一緒だ。でも、「その一緒だ」が、私にとっては復習できるというか、思い出させられるという感じで、繰り返し繰り返し先生の話を聞き、覚える事ができ毎回よい勉強になります。初めて聞かれる方は、とっても興味深い話だと思います。そして、作成した人からの生の声を聞けること、参考になります。
 実際の広報紙を使っての説明は、わかりやすいです。あの画面が、もう少し見やすく、全体の紙面が見れたらいいのに。レイアウトなど全体的にみられるのに、と思います。「いかのおすし」を今でも使っていてくださって、うれしいかったです。ただ単に、警察から配られるものをそのまま載せないで、広報独自のイラストにしてよかったです。
 びっくりしたことは、東京の皆さん、すごいですね。あんなにいっぱい質問がでる講座に初めて出会いました。会が、終わってから、ここに質問される光景は、よく見かけられますが、質疑応答の場で、質問が飛び交うなんて。秦野も広報作りに盛んですが、東京の方も熱心なんですね。あの会場に来られた方たちは、広報委員? 委員長? 副委員長? 情報委員会みたいな委員会? 一般人?
 4年ぶりの毎日新聞社、わくわくしました。おまけに、4年前と5年前の表彰式に出席したメンバーと一緒、当時の広報づくりのことを思い出しました。武先生の「新聞づくりは、仲間づくり」まさに、その通り! おかげさまで、たくさんの方と出会えることができました。子どもは、写真を撮るのに夢中になり、とても楽しかったそうです。    相原 明美


 本町公民館で先生の講演を初めて聞いた時から魅了されています、先生のファンなんですよ♪ 土曜日は勤務している都合上お休み出来ないのですが、他の方に代わっていただき講演会へ行かせていただきました。盛況で本当に良かったですね。来ていた方の広報にかける熱い真剣な思いに、はじめて広報に携わった頃を懐かしく思い出しました。嫌な思いや辛い思いはなかったですけど、思い出すのは楽しいことばかり。
 『くず葉』時代に作成したものを楽しく活用して頂き、委員冥利に尽きます。野上さんと私の強靭ペアが覚えたての広報活動に、はまりだした頃ですね。 PTA活動を《報道》のように伝えたり、毎年誰が作っても同じ内容や形式、それなのに「一年中全員で集まって大変な委員会」というイメージや口コミ。「自分たちの感性のままつくっていいんだよ!」「広報というイメージや昨年までの活動の口コミから、委員を敬遠してるけど、仕事している人向きで分担すれば楽なんだよ!」「同じやるなら思いっきり自由に広報を楽しく、自分たちのペースでやっていいのよ!」という思いから、あの10の質問が生まれました。適当に作ったようで、裏を返せば、「考え方ひとつで広報委員になれます」的な要素が入れてあり奥が深いのです。物事の適している適していないは自分のポジティブ思考次第というのが私の考えなもので(私ずいぶん偉そうに語っていますね)。
 毎回飽きることなく内容に引き込まれ(毎回メモしたくなるんです)、広報に携わりたくなるワクワク感と今すぐ何かをしたくなる行動力をいただいています。今回も来年度に思いを馳せました。『丹沢の風』は200号を迎えるはずなんですよね。何らかの形で支援していきたいと思っています。 名波 奈々
 P.S 武先生の講演会のおかげで京都以来、私たちも藤原さんたちとお話しできました。お子さんが高校受験でバラバラになり、広報から離れ寂しいと言っていました。
                                  

 久しぶりに聞いた先生の広報講習会、楽しいお話でした。時代に合わせた内容、変わらない本質、楽しいお話でした。楽しいと感じられるだけ、余裕が持てるようになったのでしょうか。(現役じゃないから?)
今日、メモを取った箇所。
〇(これは、先生の話を聞きながら思いついたので書き留めておいたこと)「『メモを取りたくなる話』学級懇談会」で。「この内容はそれ程のことはないんですが…」とのつぶやきを聞き、記事を作るって! ― 内容は作れない(もらった内容は変えられない) But(その分) 見出しは作れる! 大したことのない内容を魅力があるように見せて、自分達の記事にする。これぞ広報の醍醐味。「こんな内容じゃ記事にならない」と嘆くなかれ。
〇金太郎あめ型とは、登場人物が毎回同じ。(そうか、そういうことだったのか)
〇蒸留水型とは、味も素っ気もない。加えて、蒸留水はイオン類を含まないため体内に吸収されにくく、お腹をこわしやすい。(「水として飲んではいけない」と学生時代に教えられた)
〇企画会議のポイントの項、「興味関心のあるものを」に、読者としての経験を活かして。
 明日(今日)は菩提の田んぼで田植えです。    笠井 麗子


 短時間でしたが充実した講座でした。あっという間に時間が過ぎ驚きました。前に座っていると会場の熱気が背中に押し寄せるようでした。
 まとめの後の「Q and A」も効果的で素晴らしいです。「的外れの記事をどうするか」から始まって、よい話をたくさん聞けました。これを、みんなに分かってもらうにはどうするかまでメモしました。初めてらしい基本的なよい質問でした。皆さん、武先生のお話をしっかり受け留めてくださったのですね。会場の子どもたちもよく聞いていました。早速、前に出てきて座席の皆さんの熱い眼差しを写していました。楽しい動きでした。
☆メモした「Q and A」
1 委員の書いた記事を校正すると気まずい雰囲気が出来てしまいそうだが、どうしたらよいか。
2 年間12回発行しているところは何人くらいで活動しているのか。
3 漢字の使用の基準は? 原稿依頼したら、かな書きが望ましいところが漢字になって
 いた。この場合どうするのか。
4 年2回の発行。他校ではどのくらい広報に予算を付けているのか。
5 レイアウトは縦書きでなければならないのか。横組みの広報紙はあるのか。縦組みの紙面に横組みを置いてもよいのか。
6 紙面は何段組みがいいか。キマリはあるのか。
7 年3回発行しているが。委員の皆さんは殆ど仕事を持っている。他校は1号につきどのくらいの時間を使っているのか。
8 新しいメンバーばかりで、どのように進めていけばよいか。
9 よいお話を聞かせていただいたが、1ページに校長と会長が出てくるのが私たちの広報紙の伝統・流れ。きょう学んだことを皆さんに理解してもらい進めていくにはどうしたらよいか。
10 委員によるパソコン製版で自校印刷の場合の経費と所要時間を知りたい。                                                                                               菅原 澄子


 参加させていただいて良かったです。PTA活動や広報紙に対する武先生の考え方や子どもへの温かい思いに、いつも共感し感動しています。6日も終わりの方で涙があふれそうになりました。(詩「制服」に込められた母親の思いとそれに応えてくれた先生の感性)
 武先生がおっしゃった「先生と保護者が子どもの幸せを考え話し合う」というPTAの姿そのものだと思いました。吉浜小と湯中の広報紙を取り上げていただいたことも嬉しかったです。
 武先生のお話を伺って、元気になりました。勇気をいただきました。日々、仕事でくじけそうになることも多いのですが、何のために誰のためにやるのかということを忘れずにやっていこうと思いました。ありがとうございました。     鈴木 裕子



 毎日新聞社こども環境・文化研究所のHP http://blog.canpan.info/csr_mainichi/に、PTA講習会の報告とアンケート結果の分析が載せられています。ご覧ください。



 写真 相原佑美さん・吉成勝好さん提供





2009年6月1日更新

 


「個人名がたくさん登場する広報は読まれる」 アミュゼ柏で

PTA広報講座の参加者から届いたたより


荒川区 区内全校のクリニックをして欲しかった

〇力強いお話をありがとうございました。すぐれた広報誌を出す学校のPTAは、学校への関心が高く、子育てに時間をかけることの価値をよく理解していると思いました。
子育てのあり方を考えたり話し合うまえに、まず関心をもってもらって学校に来てもらう、先生のことを知ってもらって、親しみを持ってもらいまずコミュニケーションを始める…そこから、まだ、その時点だなあ…と思います。
お手紙(広報誌)を子供が家に持って帰って保護者に渡してもらう…そんな基本的なことができてない中で、広報誌をどうすすめるのか悩むところです。教育・子育てより、仕事、お金の価値が優先されすぎるのかな? 保護者会に来ない親が多すぎ、先生方もせっかくの保護者会なのに魅力ある話ができない。お互いに工夫がないなあと思います。
各校の広報特集はたいへん参考になりました。地域色がかなりあるなと思いました。その地域だからできる特集、環境があります。せっかく、荒川区の広報委員が集まったのですから、区内の他の小23校、中10校の例について感想をききたかったと思います。


湯河原町 厳しい講評にもめげません

〇今日は、13:30から分庁舎で、PTA広報誌クリニックという講習会が開かれたのさ。パートの仕事を早退して、講師の先生に添削をしてもらいたいがために頑張った今年度最初の号を持って、意気込んで行きやした 。明日に控えたP総会にも間に合わせるつもりで急いで作ったんだけどさ、今日の講習会を思い出して、発行日を早めたってことなんだよね。 前半は、他地区校の広報誌のクリニック。先生の広報誌に対する熱い思いも交えながらの講習会でやんした。後半は校別の編集会議に先生が参加しアドバイスしてくれる。もうね、どっきどきでしたわ。講師の先生、いっつもあたしに厳しいんだもん 。たぶん、それでもへこたれないし、絶対に喰らいついてくるって思ってるのかもしんないね。今回出席してくれた委員さんと、こんな話をしながらクリニック開始を待ってたんだ。
cocoa「あ〜やだなぁ〜、今回もまたみんなの前でダメだしかなぁ…」
A子ちゃん「そうなの?」(←彼女は初広報委員&初講習会出席)
cocoa「うん。いっつもいじめられるんだも〜ん、先生に。きっとね、あたしがそれで奮起して頑張ると思われちゃってるんだろな」
A子ちゃん「分かる。だってcocoaちゃんだもんね、そりゃ、先生もそう思うさ」
cocoa「そ…そぉなんだ…。でもさ、あたしもさ、『そんなん言われて、逆に先生の思い通りになんてなるもんかっ』なんて思うんだけどさ、結局は悔しくって頑張っちゃうから、最終的には先生の思惑通りなんだよね〜。はははは」
 そんなんが先生に聞こえたんだろか。つかつかとあたしたちの机の所にきて、「えっとね、注文。余白が少ない、それからしゃべり過ぎ。誌面で、cocoaさんがね」だって。マジ凹みっすぅ〜〜〜〜  もちろん、あーした方がいい、こーした方がいいってアドバイスも一緒にくれたんだけどね。その後のクリニックでも、最新号のいっちばん力を入れたところを、さらっと流されちゃって、う〜〜ん、このままじゃ納得いかないぞ〜っ ってなった。講習会の終了を待って、今度はあたしから先生の所へつかつかつか!!  そしたらね、いっぱい褒めてくれたんだ(←単純)。
 今、湯河原町のPTA広報誌は、先生にずいぶんと刺激されて、どのPTAも広報誌に力を入れてるし、先生、あんましみんなの前でウチの広報誌ばっかし褒められないもんね。(Kさんのブログから)


渋谷区 今年も広報委員になりました

〇昨年の渋谷区のPTA合同研修会ではためになるお話を聞かせていただきました。先生のお陰で、広報誌づくりにも意欲がもて、今年も広報部員になりました。先生の「PTA広報誌は学校報ではない」という言葉を念頭に、部員が力をあわせ年三回を発行しました。しかし、会員の意識は「PTA広報は学校報」のようで、子供の写真をたくさん載せると喜ばれています。しっかりとした目的をもち、今年の広報誌づくりをしたいと思っています。お届けした広報誌の指導をよろしくお願い申し上げます。


柏 市
  
〇5月12日の柏市の広報紙講習会にて、当PTAの広報紙を取り上げていただき、論評していただいたそうで、大変ありがとうございました。私は出席できなかったため、せっかくの貴重なお話を伺えず、大変残念でした。講習会後には、わざわざM小PTA役員ともお話してくださったとのこと。その役員からお話の内容を簡単に教えてもらいましたが、もしよろしければ、先生から直接お気づきの点などを教えていただけませんでしょうか? 1年間一緒に頑張ってきた委員たちに詳しく伝えたいです。また、今後の広報委員会がよりよい広報紙を作っていくためにも、ぜひご意見を参考にさせていただければと思います。
  

伊勢原市
〇昨日、広報紙作り講習会に参加させて頂きました M(診断テストで会長が良いと診断された者) と申します。T小の広報部長です。先生のお話、とても素晴らしかったです。実は、広報紙は学校の機関紙と聞いていましたので、目から鱗 状態でした。 でも、先生の講習を受けたおかげで少し光と言いますか、方向が見えて来ました。 私は俄然やる気が出てきたのですが、広報メンバー皆が私と同じ温度とは限りません。メンバー皆が仕事もしていますし…でも、せっかく広報になったのですからより良い広報紙を作りたいと思っています。メンバー皆が私と同じ考えとは限らないのでどのように、引っ張って行っていいのか少し悩んでいます。よいヒントがあれば教えてください。


秦野市
 広報の『広・コウ』は『耕』

〇今年は情報委員として、昨年度は広報委員として『広報技術講習会』に参加しました。講習会後、メンバーにやる気が出て広報紙作りを頑張り始めたのを思い出します。それまでは不安ばかりで、初心者の集まりできるのか、発行にこぎつけるだけで精一杯だと尻込みしていました。しかし、もっと肩の力を抜いて、皆さんに伝えたいことを伝えれば良いのだという武先生のお話を聞き、それからは気持ちがとても楽になりました。
 広報の『広・コウ』は『耕』だということ、新聞作りは『仲間づくり』だということを、昨年の講習会でお聞きした時、半信半疑でした。でも、昨年の私たちの広報活動を振り返ると確かにそうだなぁと思います。広報紙作りを通して、今までは気にも留めなかったこと―PTA活動、子どもの表情、先生方の支援や地域の方の協力など―に気づいたり、こうしたら良いのではと思ったり、自分にできそうなことはなんだろうと考えたりしました。共に考え悩み、意見を交換し合いながら広報を作ったメンバーは大事な仲間になりました。みんなで作ることの大変さと同時に、みんなの力が集まるからこそ作り上げられる広報紙の素晴らしさも感じさせてもらいました。PTA活動では広報委員会は人気がないけど、でもやってみたら楽しいということも。そして、広報委員を経験すると、私のように感じている人が少なからずいるということも。
昨年と同じように武先生のお話は楽しく、引き込まれました。始まって少ししての武先生の質問です。「この中で広報委員に立候補した人? 成り行きで広報になったけど、なったからには頑張ろうと思ってるいる人? 今でも辞められるなら辞めたい人?」。私も含め参加者の皆さんから笑いが出ていました。使命感? 絶望感?が漂っていた会場内の緊張がほぐれたのを感じました。辞めたいという人が正直に手を挙げていました。武先生は広報委員になる人のいろいろな気持ちを判ってくれていると参加された皆さんが感じたからだと思いました。
 今回とても勉強になったのは、他校のPTA広報紙を例に、何を記事にするか、写真の撮り方、見出しのつけ方、レイアウトについてです。私の席の周りでも、「あんなふうな写真を撮りたい。」「この前、話をしたのは今のようなレイアウトだよ。」「こんな記事をとりあげるのはどうかな?」と聞こえてきていました。本来なら静かにお話を聞くべきなのでしょうが…、こっそり話をしていた人たちは、今話さなくてはいけない、私の考えを聞いてもらいたいと言わんばかりでした。話されたことが身近で共感できるものだったのだと思いました。
 先生の講評がきっかけで、発行を重ねるごとに見ごたえのある素晴らしい内容のものに変化していったPTA広報紙(活動)には、とても興味を引かれました。この広報委員会の皆さんの頑張りと努力に感心するとともに、ここまで変えさせた武先生のすごさも感じます。先生は「きついクリニックをしたので、それに奮起されたのですが」と話されていましたが、広報紙からは見えない助言やご支援もあったのだろうと思います。
「何かを変えるきっかけに広報紙はなる」と武先生は話しておられました。今年度は学校の広報紙を作成するという立場からは離れましたし、問題提起になる広報紙を作ることは私にはまだまだできそうにないですが、また広報に携わることができたら、みんなの声を集めた広報を作りたいと思いました。秦野市の広報紙はレベルが高いそうです。そんな広報紙が手に入りやすい環境にあるので、それまで勉強し、自分の引き出しにためておきたいと思います。
 先生のお話をお聞きすると、広報紙を作ることに留まらず、人としてどう生きていくとよいのか、子どもにどう向き合うとよいのか、といったことも教えていただけます。人生の先輩としても、先生のお話をお聞きできることは楽しみです。また来年の講習会も聞きに行きます。







2009年5月1日更新

 少しでも会員の心に残る紙面を

 お忙しいところ失礼致します。早速メールさせていただきました。ご相談にのって下さい。昨日 文京区シビックセンターで行われました先生の講義に我が小学校の広報委員3名で伺いました。みんな広報役員に進んで立候補した者はおらず、正直毎年最後まで決まらないのが「広報委員」と言う現状で、私達も決まった後も、いかに簡単な広報誌を作るかだけの気持ちの方が強かった気がします。
 ところが、先生のお話を聞き、先生のお話された広報誌の役割や心をつたえている素晴らしい数々の作品を拝見し、終了後には、みんなで「いいものつくりたいね」と言う気持ちでいっぱいになりました。すばらしい講義で行ってよかったと実感しております。もっと、お聞きしたかったです。
 その後、他の役員にも講義の内容を伝えました。さまざまな意見が出ました。「毎年の広報誌と同じ方がやりやすいし楽」「誰も経験者がいないのに無理」「広報誌と言えど、大きな改革をしたら、後で反応が大きすぎるから面倒」と、ごもっともな意見がでて、6名の少人数でやるにはやはり無理なのかと、やる気のあった私ですらも、何も言えなくなりました。でも、だんだん話していくうちに、「でも、楽な広報誌を作ってそれで、1年楽しかったっておもえるのかな?」「自己満足だけの広報誌でいいの?」「昨年度の広報誌は読んでるはずなのに、何書いてあったか覚えてないよね」そんな言葉が自然と出たし、そしてようやく私たちのまとめた結論。それは、大変中途半端な気がしますが『大きな改革はしない。でも、少しだけ今までより「心に残る」広報誌』です。
 いきなり先生にご質問及び相談させていただくより、私達の思いをしっかり知っていただきたく、長い行きさつをお話させて頂きました。そこで、先生のお力をお借りしたいのです。昨日、お聞きした、「いのち」や「お留守番」の議題は少し重いというか、難しい議題だと思うのです(だからこそ、みんなが読む広報誌になるのだとは思いますが)。その他に もう少し軽めの、でも親の目をひきつけるようなテーマにしやすいものはなんでしょうか?
 私達も考えてみました。「お勧めの本」「我が家の笑った、泣いた、怒ったエピソード」「穴場の遊び場」等々。でも、6人みんなで「全然 これじゃあ 駄目だ」「全然おもしろくない」「普通すぎる」と、全く知恵と思いつきのなさになげき、いきなり何も前に進めない状態です。是非、先生からのアドバイス、とりあげやすいテーマ等をお聞かせ下さい。よろしくお願いします。  niyako





2009年4月1日更新

PTA広報づくりを終えて 楽しく作ろうをモットーに    
                                             高橋 由紀

 広報未経験者の私が、広報委員長を引き継ぐことになったのはちょうど昨年の今頃でした。周囲が心配するほど不安いっぱいの《形相》だったようです。でも娘が受験を迎える年でしたので、私もこの役を受けて一緒に一年間頑張ろうと決断したのでした。
 引継ぎのとき、前委員長の笠井さんの「そんなに気負わない、気軽に」という一言で気持ちが楽になったのを覚えています。「楽しく作ろう。そうすれば読んでもらえる」と信じて活動が始まりました。基本は『見て楽しく、読んで楽しい広報紙』です。
 中学生になると学校からのお知らせ類がなかなか届かないのが現実です。どうしたらPTA広報が確実に届くようになるかを話し合いました。「身近な話題や子供も興味が持てる内容にしよう、子供も楽しめる広報紙であればきっと親にも届く」という結論を得ました。
 表紙には、季節感あふれる校舎をバックに、生き生きとした子供のカラー写真を使いました。初夏号(190号)は梅雨期で、撮影に苦労しました。水無祭号(191号)は、まるで歓声が聞こえてくるようだと、好評でした。
 190号で『お弁当事情』を探ることにしました。子供全員から取ったアンケートから、栄養バランス、カロリーを気にしていることを知りました。お弁当を作る親への感謝の言葉が返ってきたことはうれしかったです。この結果が、秋冬号 (192号)の食育特集に繋がったのです。この号では『家庭での食事事情』のアンケートを取りました。子供と一緒に食事が出来ないなど、どの家庭でも同じような悩みがあるようでした。その不安を解消するヒントとして、『手作りの料理』の例を写真で提供しました。
 毎日新聞・全国新聞教育研究協議会の「全国新聞コンクール」で、昨年に引き続き最優秀賞を頂くことになったときは信じられませんでした。
その表彰式で、審査員の方が「広報紙の完成度を評価しているのではなく、出来るまでの活動、その背景や反響まで紙面から読み取っています」という言葉を頂きとても嬉しかったです。どれだけの人に支えられ、読まれてきたかと思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 3月5日に今年度最後の『丹沢の風』を発行し、1年間を終えることが出来ました。最終号は年間行事の報告と各委員長さんからのコメントが中心でした。その号を手にした娘が、「今回の広報紙、つまらないね」と言いました。私たちの意図は、少なくともわが娘には伝わっていたのです。


 

 PTA広報づくりを終えて 喜・努(怒ではない)・愛・楽・楽
                                            ななみなな

 広報に携わって多くの事を経験し、充実した日々を過ごしました。これから広報に携わる方に、広報活動で得たことをエールに代えて送ります。
《喜》 なんと言っても、形になる喜びはひとしおです。更に反響をいただいた時は、真剣に読んでもらえた証しで「これぞ広報づくりの醍醐味」という感じです。全国コンクール一位の講評で、「細かなニュースや活動が掲載されていて、学校全体の盛り上がっている様子が一目で分かる。楽しさにあふれ、生きがイイ。群を抜く手作りの秀作」とプロの新聞記者さんに褒められました。まさに喜びです。
《努》 作る過程で、意見・考え方の違いですれ違うこともたびたびありました。そんな時は、一つひとつ話し合い、お互いを認め合って記事にするという努力が必要でした。掲載するたった一枚の写真でも数十枚の中から選び抜きました。レイアウト・見出し・記事、どれも努力の結晶といえます。「努力は人を裏切らない」ことを再確認できました。
《愛》 ある講演で「愛の反対は無関心」という言葉を知りました。我が子を愛しているから引き受けた広報委員です。活動するに従って、子供たちや先生、そして地域へと、その関心が広がっていきました。すると取材に入っても優しく接してもらえます。先生や子供たちとも親しくなれました。
《楽》 これは楽しい方の〈楽〉です。お茶を飲みおしゃべりしながら楽しく活動できたら、それだけで「広く耕す」広報活動は成功です。もちろん、うわべだけのおしゃべりではありません。けんかにならない程度に意見をぶつけ合いました。情報を交換し合うことはとても大事です。井戸端会議には、貴重なネタ(読者が知りたいと思っていること)が多く、記事にしてしまいました。その井戸端の楽しさが紙面に表れ、読者まで楽しくさせられたら最高です。
《楽》 こちらは《ラクチン》の〈楽〉です。それぞれ企画ごとに分担して仕上げる、仕事ごとに分担するなど、やり方は様々です。一人では絶対できないものなので分担するのは当然、自宅に持ち帰って仕上げるのも《今流》です。それぞれの得意分野を活かせば楽に作り上げられます。そのためにも柱と
なるテーマは、最初の段階で全員でしっかり話し合っておきました。
 読者あっての広報です。会員や子供たち、そして学校などの協力がなければ広報は出来ません。PTA活動に変化をもたらすような、そんな広報を目指して活動してください。ご健闘をお祈りいたします。



2009年3月1日更新

 
 第58回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果  (09/2/20発表)
                                    主催 毎日新聞・全国新聞教育研究協議会など

                                                   応募総数 28,892

 『丹沢の風』(本町中P)が二年連続「最優秀賞

 東中は三部門で入賞の快挙 
 
東中学校は、学校・学級・学習の三部門で入賞。秦野市はP広報の部を含め、全部門で入賞しました。

◇学校新聞の部
 優秀賞・DNP賞 『東中新聞』 東中学校
 新友会パピルス賞 『東中新聞』 東中学校
  『東中新聞』はダブル受賞。「新友会パピルス賞」は全応募紙の中で一紙にだけ与えられる賞です。

◇学級新聞の部
 佳 作  東中学校2年2組  南が丘中学校3年2組 
 奨励賞  東中学校1年3組  東中学校2年4組

◇学習新聞の部  
 全国新聞教育研究協議会賞  東中学校1学年
 奨励賞           東中学校2学年

◇PTA広報の部
 最優秀賞  本町中学校PTA
 佳 作   渋沢中学校PTA
  ※本町中学校PTA『丹沢の風』は二年連続の最優秀賞です。「PTA広報の部」で二年連続はこのコンクールの歴史上初めてです。
  
 コンクールの全入賞紙名は全国新聞教育研究協議会のホームページでもご覧になれます。この 『エコー』の『リンク集』にから、「全国新聞教育研究協議会」のホームページアクセスしてください。




表彰式   その新聞が君たちの新聞だったらバンザイだ       2009年2月28日  毎日新聞東京本社

 全国新聞教育研究協議会会長・鈴木伸男校長先生は、主催者としての挨拶の中で、サトーハチローの詩「新聞をつくる少年たちへ」の次の一節を取り上げ話した。
   君たちは 君たちの新聞をつくりたまえ
   中学生らしい ピチピチした新聞をつくりたまえ
   新鮮なクダモノ 若葉のかがやき それがあふれている新聞 ボクのねがいはこれだ
   その新聞が君たちの新聞だったらバンザイだ (1967年)

よい新聞はよい学園生活の力になる。 
よい学園生活はさらによい新聞を生み出す
     毎日新聞「教育と新聞」本部長 梁瀬誠一氏
 二年連続「日本一」という偉業の『丹沢の風』 
 校長先生も連続出席、喜びを共にした
南は沖縄、北は北海道から集った40紙の新聞づくりの仲間
新聞づくりの苦労もこの日大きな喜びになった
秦野からは『東中新聞』と『一学年学習新聞』(東中学校)、『丹沢の風」(本町中PTA)が招かれた




2009年2月1日更新
 

   学校からの新聞・お知らせ文書 5種類すべて大きさが異なる

 お元気で新年をお迎えのご様子何より嬉しく存じます。大寒を迎え寒さも一段と厳しくなってインフルエンザ流行のニュースが気になります。にもかかわらず先生はお元気で新聞への情熱失せる事なく動かれているご様子に只々敬服いたします。
 今日メールさせて頂きましたのはちょっと気になりました事がありましたのでお聞きいただければと思います。
 わが家にも届きます学校からのお知らせ類、P連情報委員会だより、PTAだより、学校新聞などについて、特に気がついたのですが、何とそれぞれ紙の大きさが全部違います。サイズは決まったものではないのでしょうが。保管に困ります(保管している人なんていませんよ。なんて声が聞こえてきそうですが)
 今回たまたま5種類のお知らせ類が一度に届いたので、全部大きさが違うことに気づいたのです。教育長の新年のあいさつ文がA4、広報委員会のアンケートがB5。その判の大きさは見事なまでに異なっていました。重ねてみてもそれぞれがわかります。どの判が標準となるのか判断がつきません。
 先生がご指導される中で新聞の判について特に触れるられることはないのでしょうか? 「統一してほしい」という思いが特にあるわけではありません。たまたま今回こういう状況に出合いましたので、失礼と思いながら書かせて頂きました。まだまだ先生のお力必要とされています。呉々もご無理なきようお身体には充分お気をつけられますように。  Mano



 「読ませちゃう」には 判の統一も考えたい

 新聞・広報への声、有難うございます。嬉しいです。学校からのお知らせ類、Mano様のおっしゃること、現実にあるかもしれません。わたしが手にするPTA広報はA4判がほとんどです。学校新聞はA3が主流、学級新聞はB4です。秦野の学校・学級は大半がB4です。(公文書はA4です)
 新聞・広報作りの講座でお願いしていることの一つは「用紙の大きさ(判のこと)はいつも同じにしてください」です。判の大きさが変わると、読者は安心して読めないからです。まさに、M様が今回感じられたことそのものです。学校で発行される連絡文書などにも言えることだと思っています。コンクールでは、判がバラバラな新聞・広報には良い評価は付かないようです。審査員が記事を読むことに集中できないからかもしれません。
 私見を付け加えれば、発行する側・編集者の都合(記事の量)で、その都度紙の大きさを変えているように思えることもあります。「我がことだけが伝わればよい」という姿勢がうかがえます。
 講座でわたしはこう言っています。「“読んでもらう”のではなく、“読ませちゃおう”」。読ませちゃおう、とは「無理やりと」ではありません。紙面に引き込まれる、読んでみたいという心になる、それは見出しや写真、そして記事であるのは当然ですが、紙の大きさ(判)も“読ませちゃう”条件の一つだと思います。保管、ということからすれば判が定まることは最も重要なことです。
 M様のような感想・あるいは感じていらっしゃる読者も多いことでしょう。でも、現実には印刷機や用紙代という条件もありますが。
 これからの講座で、Mさまのこの感想を活かしたいと思っています。  武 勝美



2009年1月1日更新


家庭を「オアシス」  私の思いに共感してくれたPTA広報







 第41回秦野市中学校学級新聞コンクール(2008.11,10 実施)
                             
主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社
 
 最優秀は東中2年2組の『NINJA』

 ☆最優秀賞
  東中学校2年2組
 ☆優秀賞
  南が丘中学校3年2組  鶴巻中学校2年3組  東中学校3年2組  南中学校1年3組  鶴巻中学校3年4組  鶴巻中学校2年4組
 ☆優良賞
  本町中学校1年4組  大根中学校2年1組  東中学校3年1組  南が丘中学校2年1組  南中学校1年1組 本町中学校2年5組  本町中学校3年1組  南が丘中学校3年1組  西中学校3年1組  北中学校2年3組  
 ☆奨励賞  
  渋沢中学校2年2組       

 応募数  市内9中学校 116学級・126紙 
  (注・市内各校の116学級から122紙の参加ということは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。)







2008年12月2日更新

第58回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール     
                 
  主催 神奈川新聞社・神奈川県学校新聞コンクールの会 (2008年11月7日実施)


 東中新聞(秦野・東中)が最優秀

【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立東中学校
優秀賞    相模原市立田名中学校
優良賞    該当なし
佳 作    相模原市立矢口中学校
努力賞    相模原市立相原中学校  川崎市立稲田中学校
特別賞   秦野市立東中学校


学校・学級新聞の部】

最優秀賞  川崎市立橘中学校2−6
優秀賞   川崎市立宮前平中学校1−1    
優良賞    川崎市立宮崎中学校3−1
佳  作   川崎市立大師中学校3−B 川崎市立今井中学校3−1 川崎市立今井中学校2−4
      川崎市立平間中学校3−1 川崎市立宮前平中学校2−

努力賞   川崎市立西生田中学校2−1 川崎市立西生田中学校2−5 川崎市立東高津中学校2−3
      川崎市立宮崎中学校2−2 川崎市立菅中学校3−2
 
    

奨励賞   川崎市立井田中学校3−3 川崎市立西高津中学校3−1 秦野市立東中学校2−1 横須賀市立大津中学校1−4
      相模原市立大野南中学校3−2  伊勢原市立山王中学校2−5 横浜市立岡野中学校1年(学年新聞)  




 
県中学・高校新聞コンクール
 「束中新聞」が県の頂点に 最優秀賞と特別賞をW受賞

 東中学校(宮川義晴校長)の生徒会広報委員会(21人・千秋鈴香委員長・3年)が作成した「東中新聞第872号」が「第58回県中学校・高等学校新聞コンクール」・中学校新聞の部で最優秀賞と特別賞を獲得した。
 このコンクールは神奈川新聞社、神奈川県中学校・高等学校新聞コンクールの会が主催し、毎年行われているもの。 同委員会は、同校で長年間続けてきた「資源回収」をトップ記事として紹介。さらに今年度エネルギー教育実践校と省エネルギー教育実施校に選ばれたことから、その取り組みとして生徒が独自に進めている活動にスポットを当てた記事をまとめた。その丁寧な取材とインタビュー能力、地域やPTAとの交流を読みやすくまとめたことが高評佃に繋がった。
 3年間、同委員会に所属している千秋委員長は「記事のイメージが伝わるように、特にタイトルの字体や背景にこだわった。一昨年、昨年も受賞していたので、嬉しいというよりもほっとした」とふり返った。 また、委員長の右腕として支えてきた副委員長の北條千秋さん(3年)は「後輩にはのびのびと、中学生らしい新聞を作って欲しい」と下級生にエールを送った。(タウンニュース・秦野版/NO2468・平成20年11月27日)






2008年11月5日更新


武 勝美特別講演会 きのう、きょう、そして明日 ―新聞づくりは仲間づくり― (2008年11月1日) 

講演のレジュメ
 28代大統領ウィルソンのこと。ある日、知人に「10分でいいから講演をしてくれないか」と頼まれた。それに対して彼はこう答えたという。
「2時間の講演ならすぐにできる。1時間の講演なら、準備に2時間かかる。15分のスピーチなら、準備に半日が必要だ」
 きょうの私は3時間をいただいている。2カ月準備をしてきたのだが…。

1 ある日 突然山を越えて(1960年・昭和35年)
『新しい青年』記者・武勝美  中曽根康弘 早稲田合宿所 山中毅
『玉中新聞』の創刊 

2 学級新聞が無い、より在るほうがいい
 1968年・昭和43年  市中学校新聞研究部会を創設
 1969年・昭和44年 高橋一郎(写真情報部)さんのこと 先生に手を入れられた記事
 週刊『エコー』 特選
 1970年・昭和45年 『3Cタイムス』 特選
 1971年・昭和46年 この年から『東中新聞』から週刊
 ・毎日新聞創業100周年記念全国コンクールで特選 「川はゴミ捨て場か」編集会議の声から 

3 学級・学校づくりのための新聞づくり
 「武先生より稲葉先生の方がいい」
 第11回全国大会・熱海大会(1968年)での藤井宗夫先生の「新聞教育の評価」についての提言に触発される
 学級経営に週刊学級新聞活動を取り入れる「学級新聞活動による生徒の変容」を追う(『酒井寅吉賞』を受賞)
 西中新聞と相原雅徳さん 田村俊雄さん 中野敏治さん

  鎮西真裕美さんとの出会い
 「知らないおそろしさ 知ろうとしないおそろしさ 知らせられないおそろしさ」『風が吹くとき』レイモンド・ブリックス(ジムとヒルダ)
 卒論「学級新聞づくりの可能性」 ―秦野市の新聞教育の現状とこれから―  鎮西真裕美

4 秦野のPTA広報づくり
 ・『秦野P連だより』創刊(昭和47・1972年)
 ・石井美知枝さんの家族新聞『であい』は2008年7月で258号
 ・第49回全国新聞教育研究大会・秦野大会の大会の速報部
   速報部員 秦野市P連会員18 中学生6 教師2
 大会速報『湧水』をA3判2Pで4号発行 (笠井、相原)
 ・「〇月×日で書き出すことはしない」 提案者鈴木真澄
 ・今年の情報委員会だよりは『行きたい学校 帰りたいお家』がテーマ

5 新聞っておもしろい 「誰でもできる新聞づくり講座」 
 ・新聞の値段はどこに書いてあるか ニュースの新鮮度 広告の値段など
 ・講座から生まれた新聞の紹介
  相原幸子・美彩さん母子、箕輪さん、石井さん、水越さん、本間さん、相原さん 

6 きょう、そして明日
 (学校に三つの声を響かせたい―新聞づくりへの思い)
  @講習会テキスト(学校・学級新聞)の紹介
  APTA広報講座テキストの紹介
 ・PTAが存在しないと もっとも損をするのは子どもたち
 「広報は耕報」「PTA広報に携わるお母さんは素敵です(荒川九中)」

7 『エコー』と私
 ・動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない
 ・声が大きければ返るこだまも大きい (遅れて来る小さなこだまも、耳を済ませて)

8 新聞づくりは仲間づくり
 NHK・教育TV中学時代『ある日 みんなが集って』(昭和57年・1982年放映)
 「武だ、新聞だ、絶望だ」

9 まとめ
 ・NIEと新聞づくり
  朝日新聞「NIE特集」のページの見出し「自分で取材 自分で発信」
 ・六花亭の社内報『六輪』






2008年10月1日更新


頑張れ 広報委員
















2008年9月1日更新


 「誰でもできる新聞づくり」講座の第2日(8/9)の冒頭に話した三つのこと

 1、昨日まで京都で開かれていた全国新聞教育研究大会に参加してきた。PTAのお母さんたちが、日本のあちこちで「子供たちのために」とPTA広報づくりに頑張っていることを知り、勇気づけられた。その大会への参加者数が日刊紙・2紙で報じられていた。1紙は220、他の1紙は300だった。
 2、北京オリンピックが始まった。今から16年前のバルセロナオリンピックの男子マラソンのことを書いたスポーツ紙(1面)を見てもらう。3紙の見出しは「森下 銀 手に汗!列島3000万人が見た!!」「谷口 金より凄い 転倒も激走8位」「谷口転倒 あっ靴が… 未明の列島悲鳴…」。ところが1紙は「原 超特大20号」。
 3、きょうは「長崎原爆の日」。6年前この講座に参加したAさん親子は、その年の廣島の平和記念式典に参加した。その感想を『Love and Peace』という家族新聞に書いた。「この貴重な体験をどうにかして伝えたい、と強く思い、その手段の一つとして新聞を作った」(母)、「今まで“平和”という言葉を簡単に考えていました。勉強になりました」(小6)と編集後記に書いてある。(11時2分、講座の参加者全員で黙祷しました)

 
 2回目の講座の参加は20人。欠席者は事前に「体調不良」と連絡が入ったそうだ。宿題だった(1)題字を決めて書いてくる (2)作る新聞の資料を集めてくる、は子供たち全員が守ってくれた。きょうの時間内に完成した新聞は2紙。13人全員の記事の内容とレイアウトを指導。8月31日までにがんばるように話して講座は終了。改めて思ったこと「教室の生徒が少ないと目が届く」「生徒一人に一人の助手(きょうの場合は母親)が付くことで子供の力は伸びる」。





2008年8月1日更新


 誰でもできる新聞づくり・世界でたった一つの新聞を作ろう

 7月26日9:30〜11:30
 東公民館で『誰にでもできる新聞づくり・世界でたった一つの新聞を作ろう』の講座を開いた。2001年から始めた東公民館での『新聞づくり』の講座は今年で8年目になる。今年の参加者は小・中学生15人、大人10人。年齢で言えば10歳の男の子から60代後半の熟女まで。例年に比べ、今年は特に対象者がバラエティに富んでいるので、講座の進め方には工夫が必要である。それで、まず「新聞について知る」ということで、「新聞の値段はどこに書いてあるか」を探してもらうことから始めた。
以下はこの講座のために準備した資料・レジュメである。

新聞っておもしろい(新聞の読み方)                  
1 新聞のことを知ろう
(1) 新聞の種類
@一般紙 Aスポーツ紙 B専門紙・業界紙 C外国紙 Dその他の新聞
(2) 各紙の発行部数 
2 新聞を読もう
(1) 欄外を読もう(最古は毎日新聞・その前身の東京日日新聞で1872年創刊)
(2) 新聞の読み比べ 「あらたにす」朝日・読売・日経のウエブサイト
(3) 見出しの大きさで
(4) 新聞は三度読まれる 
(5) 誤報
3 まとめ(受信から発信 そして交信へ)
(1) 新聞の特性 @読み直しができる(記録性) A何が書いてあるか一目で分る(一覧性) B持ち運びができるからどこででも読める(可搬性)
 (2) 新聞週間の標語
    第 1回(1948年度) あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る
第56回(2003年度) 広げれば 時代にアクセス 暮らしにプラス
第59回(2006年度) あの記事が わたしを変えた 未来を決めた
  第60回 (2007年度) 新聞で見つめる社会 見つけるあした

新聞っておもしろい(新聞の作り方)
4 世界でたった一つの新聞を作ろう 
@ 家族新聞 
A 夏休みの宿題新聞(ふるさと新聞 旅行新聞 教科新聞 《新聞》の新聞など)

新聞の作り方の資料
1 家族新聞は
 世界でたった一枚の新聞です  家族の結びつきを強めます  家族の歴史を書き残します  配った人に喜ばれます  新聞に興味をもつようになります

2 家族新聞に何を書くの
1)書き残しておきたいことを載せる
2)みんなが知りたいことを載せる (得た情報を伝える)
3)みんなに知らせたいことを書く(自分の考えたことを伝える) 
・家の行事のこと ・家の出来事 ・近所や地域のこと ・家族一人ひとりのこと(ペットのことも) ・詩や俳句などの作品 ・世の中のこと

3 新聞を作る準備
1)題字・新聞の名前を決める(創刊号で題字の説明をする)
2)新聞を書く人を決める ・子どもが書く ・親子で書く ・親が書く
3)発行回数を決める(月刊とか行事刊とか)
4)発行部数も決める(だれに読んでもらうか)

4 新聞を作るのに必要なもの
1)レイアウト用紙
2)原稿用紙 
3)筆記用具 蛍光ペンや色鉛筆 のりやはさみ
4)辞書・事典(カットなど集めるとよい)

5 新聞づくりの進め方
1)企画・編集会議を開く(どんな記事を載せるか考える・企画用紙を使う)
2)ラフ・レイアウトをする 
3)取材をする 見て書く 聞いて書く 調べて書く  
4)記事を書く 5W−1H 
5)見出しをつける 
6)レイアウトの決定
7)清書する
8)校正をする  
9)発行する
10)反省会を開く(次の号の準備をする)

 過去の講座で作られた新聞をたくさん掲示し、見本として見てもらった。そして、用意した5種類の新聞罫の用紙(小学校低学年用A4判、中学年用B4判、高学年用B4判、中学生用B4判、壁新聞用)から、好きなものを選ばせた。宿題は「新聞の名前を決め、それを用紙に書いてくること」。それと、新聞づくりに必要な資料を集めてくる(取材をしてくる)こと。次回は8月9日。
 この講座の参加の子供たちに『秦野ゆとりの会』からスズムシがプレゼントされた。『秦野ゆとりの会』とは、私も所属している教員OBの会で、会員数29名。





2008年7月1日更新


 平成19年度神奈川県PTA広報紙コンクール審査結果 2008/6/6発表


 優秀賞  県P連会長賞  丹沢の風     秦野市立本町中学枚PTA
        県教育長賞  広報いいやま   厚木市立飯山小学校PTA
     神奈川新聞社賞   あゆみ      二宮町立二宮小学校PTA

 優良賞          若 樹      大和市立下福田小学校PTA
             西のいぶき    秦野市立西小学校PTA
             西中PTAだより    秦野市立西中学校PTA

 奨励賞          PTA広報うらが   横須賀市立浦賀小学校PTA
             深中だより    鎌倉市立深沢中学校PTA
             PTAのひろば     鎌倉市立腰越中学校PTA
             はまゆう     藤沢鵠南小学校PTA
             広報秋小だより  藤沢市立秋葉台小学校PTA
             まつなみ       茅ヶ崎市立松浪小学校PTA
             つきやま     寒川町立寒川小学校PTA
             PTAだより「旭」   相模原市立旭中学校PTA
             そうやぎ     大和市立草柳小学校PTA
             あるか        海老名市立有鹿小学校PTA
              ひばり        座間市立ひばりが丘小学校PTA
             おおすぎ     松田町立寄小・中学校PTA
             三の丸PTAだより   小田原市立三の丸小学校PTA
             みずも      小田原市立富水小学校PTA
             はやかわ     小田原市立早川小学校PTA
             みどりがおか   厚木市立緑ヶ丘小学校PTA
             栄 光      厚木市立厚木中学校PTA
             あいちゅう    愛川町立愛川中学校PTA



PTA広報委員の思い

 先生方 広報をうまく使ってください
                   
 武先生 先日、県P総会の場で行われた19年度広報紙コンクールの表彰式に行ってきました。今回は〈県P会長賞〉だったので、受賞の挨拶を頼まれました。それで、次のようなことを話してきました。

 「広報づくりの苦労話などを」ということですが、一番苦労したのは、年度第一号の会長の挨拶の記事でした。初め、インタビューを申し込んだのですが、時間が取れないということで、依頼原稿になりました。ところが、頂いた原稿が、とても読みにくく分かりずらい文でした。会長の署名記事なので、してはいけないことなのでしょうが、会長はよく存じ上げている方だったこともあり、分かりにくい部分を説明して、書き直しをお願いしました。会長も「ちょっと考えてみる」と受け取ってくれたのですが、数日後「やっぱり元のままの文で」と返事が返ってきました。
 私は“落胆”し、(ある広報委員に言わせると「激怒していた」のだそうですが…)、「こんな分かりにくい、誤解を招くような文を載せて、分かる人だけ分かればいいというような姿勢、全会員に理解してもらおうという気持ちのない会長の下では、広報はできません。委員長を降りさせていただきます」と伝えました。その後、原稿を書き換えていただき、私も無事1年間委員長を務めさせていただきました。
 先ほどの県P会長さんのお話の中に「教育を支えるPTA」とのお言葉がありました。「教育を支えるPTA活動」というと、会長さんや本部の方たちの視線は、とかく学校に向きがちです。ぜひ一般会員の方を向いて活動を進めていただきたいと思います。「会員と一緒に活動する本部」という姿勢は重要だと思います。この会場には会長さん方が大勢お集まりなので…、PTAを支えているのは一般会員です。会員の理解を得ずして活動は行えません。
 (中略)
 会長さん方にお願いをしましたので、校長先生にもお願いがあります。PTA広報をうまく使ってください。他校の広報委員会との情報交換会などで、ときどき「学校に断わられた」、「先生が何もしてくれない」などの声を聞くことがあります。確かに先生方は忙しいです。学校に行ってみるとよく分かります。また、広報は何かと面倒な企画を持ち込んだり、時には「対処中の問題だからの触れて欲しくない」ような微妙なところに、広報が突っ込んで行くようなこともあるかもしれません。さいわい、私たちはいろいろな情報を学校からもらうことができました。これは、取材の時の話し合いや、それまでに発行されてきた広報紙を通して信頼関係ができているからだと思っています。
 「モンスターペアレンツ」などという嫌な言葉が、先生方の間で使われているそうです。そのような保護者に対して、学校側からは言えないようなことでも、同じ保護者の立場からなら呼びかけられることもあります。私たちPTA広報が、協力したい、応援したいと思うような学校づくり、教職員の態勢づくりをお願いします。(終わり)

 みなさん、思い当たることがあるような面持ちで聞いてくださったようです。うちのO会長さんには、賞状、楯と一緒にスピーチの原稿もお見せし、報告しました。予想通り、こんなこと
で怒るようなOさんじゃありません。後日、Oさんから、「県P総会に参加した市Pの関係者から『Oさんはボロボロだったんだね』と言われたよ」、と笑いながら報告がありました。でもこの文からだと、私とOさんの信頼関係を読み取ることは無理?! 伝えることは本当に難しい、と思います。       Reika






2008年6月1日更新

 『はだのP連だより』が創刊35周年

 『はだのP連だより』が創刊されて35年になった今年度。その記念号の座談会に出席した。過去に編集に携わった者が私を含め7名。それに今年度のP連の本部3名が加わっての座談会。皆さんが、新聞づくりのエピソードで往時を懐かしんだ。創刊号は手書きだったが、そのときの筆耕者の榎本さんは、創刊に漕ぎつけるまでの記録を持っていらっしゃった。
 35年前、編集顧問として創刊に携わった私、それからずっとこのP連だよりに関わってきたので、この日出席された過去の編集者6名全員存じ上げている。そのことをちょっぴり誇りに感じた。 『はだのP連だより』、そして秦野市P連がこれから目すべき方向について提言がたくさんなされた。





 寒川町PTA指導者研修会 広報部会から寄せられた質問


@ 児童に就いての情報と保護者にまつわる記事の紙面での割合・加減がわからなくなります。数年前まで児童の事だけを扱っていて学校新聞の様でした。しかし、ある広報講習を聞いてからは児童の事を一切扱わなくなつてしまったんです。バランスのアドバイスをお願いします。
A PTAの目線、立場から広報紙を作るといいますが具体的に初めての方にどのように説明すると理解してもらえるのか。
B 毎年、PTAの活動を追っているが、内容がマンネリ化してしまう。(年間を通してテーマを決めて焦点をしぼるととで変化をだすようにはしていますが)
C そもそも広報誌は何のために発行するのか。個人的には広報を通して、保護者同士の交流を深めて学校に関心を持ってもらうことかと思うのですが、「PTAのことなんか載せても読まない。子どもの事じゃなきや読まないよ」と言われ、今年度どう作っていくか悩んでいます。
D PTA行事中心の紙面作りにしているので学校行事(遠足、修学旅行、キャンプ等)の記事は載せていませんが、良いのでしょうか?
E 先生(学校)からの依頼で特別な授業の取材をして写真と記事を用意してたところ、先に校長先生発行の『学校便り』に紹介されてしまいました。記事の丙容を別の視点がらのものに変えて対応することを検討しましたが、写真がほぼ同じようなものであったことから、記事全体が同じ印象になってしまい残念ながらボツにしました。このような場合の対処方法をお聞かせください。
F 紙面のレイアウトで悩んでしまいます。読み手が見やすいレイアウト、レイアウトの基本が知りたいです。
G 原稿を書くのが苦手で苦労するので、上手く書くコツを教えて欲しいです。
H 読み手の興味を引く見出しと写真をテーマからどう引き出すか。
I 写真は全体を撮るかポイントを絞るか。
J 広報紙の砕け度はいかほどまで良いか。
K 毎年メンバーが総入れ替えの学校でも、毎年完成度が高いのはなぜでしょうか?反対になぜレベルが薄らないのでしょうか?
L 広報スタッフ以外の方から写真を提供していただいた場合は、必ず撮影協力者の名前を掲載した方が良いのでしょうか?
M 出来ることであれば前年度の各校の広報紙を見ていただき、改善点のアドバイスをお聞かせ願いたいです。






2008年5月1日更新


東京新聞 『いきいき教室』 2008/4/23掲載

 総合的な学習のまとめを個人新聞で
                                       花田 伸和

 向かう正面には大山、心細い道の左右にはのどかな畑や田んぼ。私が赴任する学校への第一印象でした。
「総合的な学習」の担当になり、生徒に尋ねました。「大山ってどんな歴史があるの」。ほとんどの生徒は答えられませんでした。通学の途中にある歴史、史跡、目の前に広がる大山について知る子はほとんどいませんでした。
 一学期 各自のテーマ設定のために地域の人による講演で、地域の伝承などについて学びました。
 二学期 この地区を語るうえで欠かすことのできない大山に登りました。下山後、登山のつらさとともに、地域の歴史を肌で感じることのできた喜びの表情を見ることができました。
 三学期 「総合的な学習」のまとめは「これだ」と感じ“新聞形式”にまとめようと思いました。昭和25年に創刊された本校の学校新聞や学級新聞は、昭和44年の全国コンクールでの特選以来、数々の賞をいただき、現在860号に達しています。しかし、正式な新聞作りはほとんどの生徒が初体験でした。 それで、より効果的な新聞作成について地域の指導者の方に教えていただき「見た・聞いた・書いた」という感性に基づく作業に、生徒たちは夢中になりました。
 仕上げの締め切りである一月中旬の「だんご焼き」の当日も取材に走った生徒がいました。一学年全員が作成した「ふるさと新聞」は、地区の公民館にも掲示され、地域の方々に閲覧していただき、近所の人々の話題にもなりました。
 こうした活動は、生徒に新聞を作る楽しさ、新聞を通してのコミュニケーションの楽しさ、新聞作りを通しての「広い世界を見る目」を養ったことでしょう。これからも手と足と想像力を働かせる新聞作りの有効性を教育の場に生かしていきたいと思います。(秦野市立東中学校・総合的な学習担当)







2008年4月1日更新


平成19年度秦野市広報紙コンクール   主 催 秦野市PTA連絡協議会
                        実施日 平成20年3月16日

 最優秀賞  秦野市立本町中学校PTA  「丹沢の風」
 優秀賞       西 小学校PTA  「西のいぶき」
           西 中学校PTA  「西中PTAだより」
 優良賞         渋沢小学校PTA  「しぶしょう
            末広小学校PTA  「くず葉」
           本町小学校PTA  「本町小PTA広報



 

新聞づくりは仲間づくり 広報委員をやって本当に良かった、楽しかったと、いま心からその思いに浸っています。Ryo

 
 「しぶしょう」一年間でもっとも進歩した広報

 全国PTA新聞コンクールの入賞、おめでとうございます。
 3月1日に100号記念号を届けに来てくれた広報委員さんたちが笑いながら言いました。「広報クリニックの時の“キツイ言葉”を今でも覚えています」「その一言一句 メモしました」。クリニックの対象紙は95、96号でした。そして『しぶしょう』は、97号からパソコン・手づくりの広報(印刷は渋沢中学校)に変わりました。以降100号(この号は新聞の形で作りました。)まで、発行を重ねるごとに内容もレイアウト共に驚くべき“変身”です。
 『しぶしょう』の基本テーマは「保護者と学校の間にある壁を取り除きたい」で、具体的には「不登校を考える」「いじめ」「学級懇談会の充実」などを精力的に追いました。
 12月発行の99号は、「今から楽しみ中学生」「期待と不安を胸に」の見出しで、中学校特集を4ページにわたって組みました。この特集はジャスコで開かれた『秦野市PRA広報展示会』でも、一般見学者から高い評価がされました。
 97号から題字の左に1枚の写真を置くようになりました。この写真が硬い記事になりがちな一面を読ませるきっかけになっています。
 100号の編集後記を読み、なぜこんなに頑張ることができたのかが分かりました。  武 勝美


 いつかまたこのメンバーで

 武先生へ 冬の寒さも和らぎ、暖かい日が多くなって来ました。昨年の春、広報委員長を引き受けたものの、「PTA広報」というものの「作り方」や「意味」など、何もかもわからない状態で始まったことを思い出します。
 そんな私にとって頼りになるのは、昨年度から引き継がれた資料。「とりあえず」の感覚で、締切日を決め、諸先生方に原稿を依頼し、19年度1号目を発行する手はずを組みました。その後、武先生の広報講習会に参加させていただきましたが、講習会では、自分が考えていた「PTA広報」というものを根底からひっくり返された気持ちでした。考え方、伝える内容、広報紙の役割、「違うんだ…」とかなりの衝撃がありました。そう思ったのは私だけではなかったらしく、一緒に講習を受けた面々も、同じように感じたようです。今思えばこの講習会を受けて、みんなのモチベーションが上がったのだと思います。 一年間、私のような頼りない委員長を引っ張ってくれたのは、委員会のメンバーです。バソコンを動かすのは好きでしたが、他の人を引っ張っていくほどのリーダーシップは持ち合わせていません。そんな私でも、一枚の広報紙を作るのに、みんなの意見を聞き、特集したいものがあれば、それをお願いしました。誰でもそうでしょうが、自分でやりたい、やってみたいと意見を出したことには俄然力が入るものだと思います。全員のやりたいことを聞きだすことは出来ませんでしたが、みんなが出してくれたアイディアを生かすことは少しは出来たと思っています。
 PTA会議室に集まると、子どもの話題、学校の話題、家庭の話題と、本当に話題が豊富でした。集まったのに何も決まらず「また今度」ということも何度かありましたが、みんな時間の空いたときに集まり、記事を書き、原稿をチェックし、写真を撮り。それぞれの活動で頑張っいたと思います。また、その無駄かと思われる時間を一緒に過ごすことで、委員会のメンバーが打ち解け、団結する力になったのだと思っています。
 昨年の4月には、その存在さえ知らなかった「毎日新聞社新聞コンクール」に入賞できたのは、諸先生方の協力、本部委員の方々の助言、委員会メンバーが一丸となれたことの成果だと思っています。メンバーにも恵まれた私は、愚痴をこぼすことは一度も無かった、と記憶しています。いつかまたこのメンバーで広報を作ることが出来たなら、楽しいかもしれないなと思ってしまうほど、充実した一年でした。  秦野市立渋沢小学校PTA・多田亜希子





 「丹沢の風」読者の声を聞き、それに応える広報

 広報の《報》という文字は「知らせる・伝える」ということを表しています。この《報》には、もう一つ「報いる・お返しする」という意味もあります。広報は、広報委員が取材したことを「広く伝える」ことを目指しますが、読者に「お返しをする」という心を忘れてはいけないと思います。お返しをする広報とは、読者の声を聞き、それに応える広報です。『丹沢の風』の素晴らしさは、月刊でA4判8ページというその活動に象徴されますが、読者の声を拾い上げようとする編集の姿勢もまた特筆されてよいでしょう。発行された号には必ず「モニターのお願い」という用紙が挟み込まれます。そして返ってきた声・意見は「モニターズボイス」欄に掲載されます。
 年度第1号である177号の表紙の詩にこんな声が返ってきました。「表紙の詩は、保護者の気持ちがよく現れている。教師として、子供を預からせていただくという謙虚な姿勢で、子供たち、保護者の皆さんと研鑽し合っていこうという思いを強くした」(178号に掲載)。178号の「PTA総会」の記事に、「総会に出席できなかったので参考になった」という声が返ってきました。それに応え、184号でPTA予算の半分を占める教育活動振興費について2ページの特集を組みました。
 パソコンを駆使しての手作りですから、情報も発行直前のものまで取り入れることができます。5月下旬に実施された修学旅行の様子が6月21日に発行された179号で記事になっています。行き先が長野方面に変わって2年目ということで、広報委員はその旅行に同行取材をしたのです。その内容は「修学旅行 2年目の進化」という見出しで3ページにわたる特集になっています。子供たちの笑顔は当然ですが、次年度のための課題も書きました。まさに、記事を“足で書いた”広報委員会です。
 3月に発行される号は、卒業生の写真や先生方の祝いの言葉などで紙面が埋められるのが一般的です。『丹沢の風』は3月に立て続けに2号が発行されたのです。卒業式に合わせての187号は、「それぞれの思いを胸にわたしたち(保護者)も卒業」と、親子そろって本町中を卒業する特集を組みました。そして188号は年度のPTA活動をまとめ、「2008年度の指標として」とタイトルを付け、「もっと学校へ行こう」と訴えています。最後までPTA広報の役目を果たそうとしました。こうした姿勢が、『丹沢の風』に“PTA広報日本一”という称号をもたらしたのです。  武 勝美


 今はただ 成就感のみ

 3月17日、今年度最後の『丹沢の風』の配布準備を終えた。やりきった感でいっぱいだ。
 昨年度に引き続いての広報委員長。今回の全国新聞コンクールPTA部門「最優秀賞」は、2年間の活動に対しての受賞だと思っている。昨年度トヨタ賞をいただき表彰式に招かれた。その会場で見た他校の広報紙はどれも素晴らしく、「もう少し頑張ってみよう」という気にさせられた。自分達の具体的な課題も見えた。
 ありがたいことに、昨年度の委員が4人残ってくれた。私の性格もやり方も分かってくれている。だが、さすがに「月刊にしたい」と言ったときには、昨年からのメンバーも少なからず驚いたようだ。委員の負担を増やすことになってしまうこの案を、どう言い出そうかと私も悩んだが、「無理なようだったら、いつでも変更する」ということで受け入れてもらった。それでも始めてみると、みんな忙しい中時間を作ってくれて、毎号印刷間際までバタバタしながらも年間
12(8月を除き、3月に2号)+号外1を出し切った。
 思い切ったことは、「やる」と言い出す者がいなければ始まらないが、協力する人がいなければ続かないし、発行したとしても単調でな薄っぺらなものになっていただろう。本当に仲間に恵まれ、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 また、秦野市内各校のPTA広報紙を見ても、今年度発行回数のなんと多いことか!! 6月の委員研修会の席で「月一の予定」と言ったときは、みんな驚いた様子だったが、どうしてどうして、みんな頑張っていた。各校から届く広報紙からは、良いものを作ろうともがいているところ、堅実に進めているところ、楽しみながら跳びはねているところ・・それぞれの頑張る様子が見えてきた。前年1年間の広報の経験から、他紙を見る余裕もでき、色々な視点から見られるようになった。そして「私達も私達なりに頑張ろう」と思った。やはり、近くに頑張っている人がいるということは、最大の刺激だ。このことはPTA活動全てにおいて言えるだろう。広報の頑張っている姿が、他の委員会の刺激になれば嬉しい。さらに、生徒や先生方に、応援している気持ちが伝わったとしたらなお嬉しい。
 最終号には子供たちの卒業式の写真を載せることができ、私にとっても締め括りとなった。
    秦野市立本町中学校PTA・笠井 麗子




 「たが」明るい“広報オタク”

 広報には、@知らせる、A書き残す、という役目があります。でも、より重要ことは、広報を読んで、B考えさせる、C行動させる、という働きを読者に起こさせることです。
『たが』179号は見開き2ページで「大切だから メールではなく 直接伝えたい」と、メールに依存する今の社会、とくに親に、「文字の向こうの相手」と向き合おうと訴えています。応募紙の中に、メールについての特集を組んでいる応募紙もいくつかありました。でも、ほとんどがメールから生まれる犯罪への対応についてでした。そんな中、『たが』のこの特集の切り口は新鮮で、書かれた内容が心に響きました。
『たが』の良さは、作る人・広報委員が楽しんでいることです。180号の特集は「モンスターペアレンツにならないように」ですが、見出しに《お国言葉》を使い、読者の心を和らげながら、「学校にいこうよ」と呼びかけています。『我ら広報オタク』と宣言していますが、このような明るい広報オタクがたくさん生まれたらいいなあ、と思います。
 学校のニュースとPTA活動の情報、それに加えて興味深い特集と、記事量のバランスも十分とられています。見出し、躍動的なレイアウトの中心となっている写真など、他紙の見本になります。  武 勝美


 一文字にまでこだわった記事

 広報委員は6人で活動してきました。3名が3年目。残る3名は今年初めてです。『少数精鋭』と自分達で褒め合い、広報紙作りの合間には、世間話・子どもの悩み・人生相談・家族の愚痴・プチ自慢などを、笑いと感動の涙の中で語り合いました。それも大事な息抜きと人生勉強になりました。
 そんな6人の活動の基本は「自分達が見て聞いて感じたものをそのまま伝えよう」「全員が全部の仕事を」でした。取材も基本6人で。後々記事を作るときには、全員が同じ空気を共有しているので、取材についての雑談をしていると、何となく記事が出来上がってきます。この雑談には時間をかけました。行事の写真撮影も6台のカメラで。映した写真の枚数は2万枚にも及びます。全く同じシーンでも反対の方向から撮ると、光や影、背景、表情、全てが違って写りました。そこからピカイチをチョイスです。この記事と写真を一つの紙面にして、6人でパソコンを覗きます。一通り出来上がった紙面に対して、全てのレイアウトをチェンジしてみる? 縦書き横書き両方を作ってみる? 写真を入れ替えてみる?と、手を入れていない部分は皆無です。
 文章は一文字にまでこだわり、何度も読み直しをしました。見出しやタイトル付けには、数え切れない候補の中から、『見出しからでも内容がわかるように』と話し合い「これだ!」と決める頃には辺りは真っ暗、子どもは帰っちゃった?でした。全てのページに6人の意見とセンスと感覚が染みこみました。
そうやって作りあげた広報紙。表紙には子どもの写真を全面に使いました。「一番大切なものは子どもたち」、これは何を言われても譲れませんでした。見開きページでは、紙面の半分を写真で埋めるという大きな冒険をしました。この広報紙には欠かせないページです。特集“記事では、広報紙を読むことで、生徒・先生・保護者にも、もう一度自分自身のことを考えてもらおうと、問題提起を試みました。『直接伝えたい』では、顔は見えないけど「文字の向こうの相手と向き合おう」。ストレス社会の中で満たされない子どもの心を感じ、「子どもの声に耳を傾けよう」と、語りかけてみました。
『どうにかすっぺよぉ』では、授業参観で保護者の良くない態度を、お互いが注意し合えなくなっている中、「ダメなものはダメ、これは良くない」と言い、次の波が起こるのを期待しました。そして、学校に行くことは無駄な時間なのではなく、その先に多くの発見があるんだということをメッセージしてみました。
 広報紙には、多くの励ましと応援をいただき、それをパワーとしてきました。だから愛着いっぱいの『たが』が出来たのです。  日立市立多賀中学校PTA・藤原真由美




 「くず葉」
本部を後押し

 全国PTA新聞コンクールの入賞、おめでとうございます。90号は年度反省号になっています。各委員会は、 レーダーチャート(くもの巣グラフ)で自己評価を発表し、来年度の委員にお願いとアドバイスを送っています。この号で会長さんは、次年度から変わる委員の選出方法について「選出方法の変更は、広報委員会が1学期に実施したアンケート調査で浮かび上がった課題を少しでも克服するためにとりくんできた結果からです」と述べています。実際、86、87、89号と連続で、「本部の『選出方法』についての対応」を追っています。PTA活動の後押しをしたり、牽引車となるのがPTA広報です。『くず葉』は、その務め果たしたのです。
 89号の『すえひろ防犯はマップ』は、広報委員が登・下校時に子供たちと一に歩き、目で確かめ、カメラに収めた光景を取り入れて作ったものです。取材中に、通学路にある反射ミラーの位置があまり役立たないことが分かりました。そのことを記事にしたことで新たにミラーが一枚取り付けられました。行動するPTA広報の好例でした。
 最後まで“全力投球”、しかも“楽しんで”活動した広報委員会の様子は、90号の最終ページの「あなたに合う委員会はこれだ!!」という、広報委員会作成の『診断テスト』を受けてみると分かります。  武 勝美


 声は届く
             
 4月、ほとんどの人が広報紙作りは始めてという22名でスタート。小さい子がいる、仕事をしている等それぞれの事情もあり、当初は年2、3回の発行ということで、2つのグループに分れ活動が始まりました。しかし、始めてみると速報や運動会号などタイムリーに伝えたいということから、最終的には5回の発行となりました。
 とにかく「みんなに読んでもらいたい」と思いました。それで、年間を通してのテーマを決め、解かりやく興味を持ってもらえる特集を組むことを心掛けました。『くず葉』の役割は、末広小のPTA活動を知らせること、時には問題提起もしながら学校、PTA会員のパイプ役になることではないか、と考え「もっと知ろうよ末広小PTA]をテーマに決めました。
 さまざまな話題やうわさだけが飛び交う委員選出について第1号で特集しました。アンケートを取り、現状把握や改善点など問題提起しました。このアンケート調査号は本部役員により検討され、改正の動きとなりました。「声は届く」のだとうれしく感じました。さらに、委員選出がスムーズいくように毎号委員会PRのページを設けました。そして最終号では、各委員会の1年間の活動日数、各委員の活動の反省や思いを記事にし、来年度自分が委員を選ぶときの参考にしてもらいました。
 子ども達の姿や声を毎号載せました。子ども達からの反響もありました。「若いお母さんが作ってるの? 色とかがかわいい新聞」という地域の人の声もありました。
 全力投球で作ったのが防犯マップ。通学路を子どもと一緒に歩き取材していきました。実際に自分達の目と足で様々なものを見聞きしました。新聞作りにはこういう積み重ねが大切なんだと感じました。
 記事は出来る限りインタビューや密着取材を原則とし「見たまま聞いたままを伝える」ようにしました。難しかったのが写真です。記事をフォローする写真を求めて、撮れるものは何でもも撮りました。しかし、動きの写真は特に難しかったです。状況の分る場面や、きらり光る表情をなるべくアップで撮るよう心掛けました。
 「作るならいいものを」という思いは第一にありましたが、毎年不人気な広報委員会のイメージを少しでも変えられたらと、メールやファックスをフルに使い、時間の拘束(多くても10回位の日数)を減らしました。出来ることを出来る人がやればいい、そして「広報って楽しい」と感じてもらうようにしました。委員間のコミュニケーションを取ることも心掛けました。「負担なく活動できたよ」という声が次年度に伝わると幸いです。
 本部や学校側が近い存在だったことも、活動しやすい環境になっていました。たくさんの人たちの協力があったから、一年間『くず葉』を作ってこられたのだと感謝しています。広報作りを通してたくさんの人と出会えました。この出会いを通して、私は大きく成長させていただきました。ありがとうございました。   秦野市立末広小学校PTA・野上真由美 






2008年3月1日更新

 市内12校から15紙の入賞

 本町中PTA広報『丹沢の風』が日本一に


 第57回全国小・中学校・PTA新聞コンクール (2008年2月23日発表)
                      主催 毎日新聞・全国新聞教育研究協議会 

☆学校新聞の部
 入選・キャノン賞   東 中学校
 佳 作        渋沢中学校

☆学級新聞の部    
 佳 作        東 中学校3年4組
 奨励賞        北 小学校4年4組
            南が丘中学校3年3組 
            南が丘中学校3年2組

☆学習新聞の部
 優良賞        東 中学校1学年

☆PTA新聞の部
 最優秀賞       本町中学校PTA
 佳 作        渋沢小学校PTA
            西 小学校PTA
            末広小学校PTA 
 奨励賞        南が丘小学校PTA
            南 中学校PTA
            広畑小学校PTA
            鶴巻小学校PTA
                             ・応募総数 28790
入賞校一覧は、このホームページのリンク集の「全国新聞教育研究協議会」でご覧になれます。





2008年2月1日更新


 PTA広報や学校新聞、ときには学校だよりも届けてくださいます。それで、こんなお礼状を書いています。

『どんな子供に育てたいか』を書いている学校だより

 Y校長先生
 学校だよりをお届けいただきありがとうございました。過日お邪魔した折に、校長先生から聞かされた話の中で共感させていただいたことがありました。毎号巻頭に学校長として「学校づくりの理念、教育観・平たく言えば『どんな子供に育てたいか』を書いている」と話されたことです。
 PTAの広報講座で、私は冒頭に「学校には三つの声が響かなければいけない」と訴えています。その“三つの声”とは、一つは子供の声。二つ目は保護者の声。そしてもう一つ、たぶんこれが一番大切だと思っていますが、それは教師の声)。この三つの声が校内に響きあう・響くとは雑音ではなくハーモニーなのですから・子供は育つ、教師も保護者も成長できると話すのです。そして、だから「子供の声があふれる」学校・学級新聞は欠かせないし、保護者が「学校や子供達にかける願い」を実現するためにPTA広報は必要だし、教師は「個人の教育観・人生観」を子供達や保護者に表明するために学校だよりや学級通信を発行しなくてはいけない―自分の姿勢(どんなクラスをつくりたいか、どんな子供を育てたいか)を明らかにしないで、保護者に理解や協力は求めるのは“虫が良すぎる”―そう私は説いています。
 いただいた各号の校長先生のお話は具体的です。新聞作りで言えば「取材が出来ている」と思いました。校長室の机上で書いた作文は、どんなに理論的にしっかり書けていても、保護者の大半にとっては“身に染みる”話にはならないでしょう。いつも記事を探す姿勢が、常に良い話・ニュースに出会わせてくれます。月2回の発行が継続できるのは、校長先生に子供を思う教師の姿勢があること、そして校長先生が「今を生きている」という確かな実感・自覚があるからだと思いました。
 ご自愛の上、これからも子供達のために、一層良い学校づくりをなされますようお願い申し上げます。失礼なことを申しあげたかもしれません。お許しください。ありがとうございました。   武 勝美



 広報委員会の思いがいっぱいつまった32号

 東小学校PTA広報委員会 様
 第32号をお届けいただきありがとうございました。お礼(?)に感想を述べさせていただきます。
 編集後記に「盛りだくさんの内容」とありますが、本当にその通りです。たくさん取材した結果がきちんと紙面に表れています。
 2、3面見開きの『お散歩マップ』は良い出来です。単に、その場所や建造物を示すだけでなく、それに説明を加えたことが良かったです。「こわーい あぶない」場所を!のマークで知らせ、説明の文の地に色をつけ、目立たせ、読ませる工夫などの発想は、「さすが今年の広報委員会!」と感心しました。(数字をもう少し大きくしたら、一層その価値が上がったでしょう。少し残念!)
 この冬休み、このマップを手に『ふるさと東地区』を歩く親子連れの姿が見られることでしょう。どなたかに歩いた感想を書いてもらい、次号に載せるのも面白いです。広報(記事)が実際に役立っている、生きているという証明になります。
 1面、レイアウトがじょうずにできました。二つの横組みの囲みが生きています。でも「ふれあい祭り」の写真が多すぎました。訴える力が弱くなってしまいました。
 4面、子供たちの活動のようすがコンパクトにまとめられています。スペースがあれば、子供たちの生の声を載せたいです。
 会員にたくさんのことを知らせたい、という広報委員会の思いがいっぱいつまった32号でした。あと4ページあったら、子供たちから聞いた「どこで遊ぶ、何して遊ぶ」が、もっと詳しく載せられたのに。「もったいない」と思いました。
 年度最終号はどのような企画をお持ちですか。役員の挨拶特集、卒業特集などが考えられますが、「昨年とは違うものを」ということだけはしっかり確認して、皆さんのアイディアを出し合ってください。どんなものができるか楽しみにしています。(プレッシャーでしょうか?)    武 勝美



 
 説得力がある「教育懇談会」の記事

 鶴巻中学校PTA広報委員会 様
 71号をお送りいただき、ありがとうございました。読ませていただいた感想をお届けいたします。
・全体の感想
 4ページという少ない紙面にたくさんの情報が入りました。書かれている記事もコンパクトで良いと思います。
・考えたこと・感じたことを具体的に述べてみます。
 1 短い記事でも、広報委員会が伝えたい事実や訴えたいことはきちんと書きたい。
 2 1枚の写真が100行の記事に勝ることもある。だがその逆もある。その写真で何を伝えたいのかが読者に伝わらなければいけない。
 3 PTA広報の写真特集はアルバムとは明らかに違う。写真にキャプションを付けることによって、更に訴える力が増す。
 4 運動でがんばる子は素晴らしい。作文や絵画でがんばる子も素晴らしい。
 5 古い記事(情報)を使うなら、次年度(次回)への発展を意識したい。(昨年度との比較、次年度はこうしたいなど)
 6 個人名が紙面にたくさん登場する広報は読まれる。新聞や広報は、「人間を(人間のしたこと)知らせる」ためにある。小学校のK先生の言葉が載った「教育懇談会」の記事はとても説得力がある。
 7 個人名がたくさん登場する広報は、取材をたくさんしたことの表れ。個人名が登場しない広報は、「広報委員の机上の作文」と思われてしまう。
 次号の企画や記事書きに参考になれば幸いです。   武 勝美






2008年1月1日更新


秦野の新聞教育小史

40回を迎えた秦野市中学校学級新聞コンクール
  
 第40回秦野市中学校学級新聞コンクールの結果が神奈川新聞紙上で発表された(11/27)。「市内122学級から144紙が応募」とある。40回を数えたことを知り、このコンクールを創設した一人として感慨深いものがある。
 1968(昭和43)年4月、武勝美は佐藤貞二東中学校長と共に、秦野市中学校教育研究会の一部門に新聞研究部を創部し、初代の部長となった。そして、部の事業の一つとして「秦野市中学校学級新聞コンクール」を誕生させた。
 この年、『東中新聞』が県学校新聞コンクールで最優秀賞を受賞した縁で、神奈川新聞の田中菊夫氏と知己になった武は、神奈川新聞社に「秦野市学級新聞コンクール」の後援をお願いした。後援の内容は、賞状と盾を6基。
盾が6という数は、市内6中学校の各校の最も優れた学級新聞に盾を贈るという考え方に立っていた。コンクールのねらいは市内全校・全学級での新聞づくり、底辺の拡充を目指したからである。
 秦野市中学校の学級新聞活動を支えたもう一つの力は、1973(昭和43)年に新聞研究部が発刊した『クラスの広場 学級新聞を作ろう』(浅田みち、尾形健三、加藤正美、寺崎俊雄、高田研史、古木文一、望月国男、山口英雄、武勝美共著)である。B5判30ページ・ガリ版で作られた同書は次のようなページ建てになっている。1なぜ学級新聞を作るのか 2組織・発行形態 3企画 4取材 5記事の書き方(学級新聞倫理規定) 6編集 7割り付け 8見出し 9印刷 10新聞の活用。 「9印刷」のページでは、ガリ版による印字技術が細かく説明されている。春休みに印刷・製本し、新年度4月に市内の全ての学級に配布される。各校でこの手引き書をもとに新聞講習会が開かれる。そして、学級での新聞づくりの際に実用的な参考書として役立てたのである。初版以降毎年部会により加筆・訂正を重ね、今年で33版を数えている。11版からワープロ仕様になり、多くの見本紙を折り込むようになった。『みんなの広場学級新聞をつくろう』と書名は変わったが、「学級新聞を作り、読むことで学級生活を高めよう」の理念は変わらない。
 1969年、武の指導した学級新聞『エコー』が全国コンクールで特選。さらに翌70年には『3Cタイムス』で、連続特選を得た。ガリ版の時代、両紙とも週刊でがんばった子供たちだった。そして翌71年、小室明彦指導の『ニューセコイア』も特選を獲得。東中は3年連続、学級新聞日本一に輝いた。またこの年『東中新聞』も特選となり、新聞委員長は毎日新聞記者として札幌オリンピックの開会式の取材し、その感動を毎日中学生新聞の紙面に綴った。
 78年の全国コンクールで最優秀賞の『西中新聞』を指導したのが青野初江と相原雅徳(本町小)。『西中新聞』は76年から7年連続全国コンクールで入賞。相原は70年に学級新聞日本一になった『3Cタイムス』の編集長であった。青野は学級新聞『不死鳥』でも全国3位に。
 92年『東中新聞』は、瀬戸享子(北中)によって再び日本一に。瀬戸は『西中新聞』で朝日新聞社賞も獲得。
 84(昭和54)年、関野直子(南が丘中)は、第27回全国新聞教育研究大会・箱根大会で、秦野・本町中学校3年3組の学級指導の時間の『学級新聞を読む会』を授業公開し、参観者に感銘を与えた。  
 97年の朝日学生新聞社のコンクールで、『桜中新聞(大中新聞)』を日本一に導いたのは谷優子(南中)と石田崇男(渋沢中)。1992(平成4)年から2006年までの15年間、県学校新聞コンクールの最優秀校は秦野市の中学校だった。この間の受賞校は東中、渋沢中、鶴巻中、大根中、本町中と、秦野市の新聞活動の裾野の広さを示した。特に、大根中は97〜99、01〜04年の7年「最優秀」を受賞する偉業を達成した。指導者は谷、石田、谷津裕(本町中)。その谷津は2006年に秦野市で開かれた第49回全国新聞教育研究大会・秦野大会の大会事務局長、石田は事務局次長、谷は研究部長を務めた。谷津は現在、全国新聞教育研究協議会の常任理事。谷は今年、市新聞研究部を率いている。石田は新聞ソフトを使い、学校新聞を子供たちと新聞づくりを楽しんでいる。
 2000年に第50回を迎えた毎日新聞・全新研全国コンクールで、原幸恵(北中)が指導した『東中新聞』は、「全国でもっとも日常的に新聞を発行し、しかも質が高い学校新聞」として50回記念賞を受けた。その『東中新聞』を昨年まで指導した田中真由美(南が丘中)は、全国コンクールの学級新聞の部で、04年と06年に鹿島賞を受賞した。『鶴中新聞』を育てた小島秀子(東中)は、学級新聞『たよりにしてまっせ』で「朝日」のコンクールの第1位に輝いている。小泉やよい(渋沢中)の学級は、学級新聞づくりに精力的に取り組み、全国コンクールで4度の入賞を喜んだ。
 秦野の中学校での新聞づくりに大きく貢献したのが、『本町中学新聞』を3度日本一に導いた山口英雄。『西中PTAだより』で最優秀を獲た望月国男(東海大学)は、今もその指導に熱が入っている。「生徒と共に徹夜したこともある」と語るのは、現在の『東中新聞』の基礎を築いた井澤尭司。既に退職したが、飛永篤子、澤田和枝、佐々木富子、小泉知子、平出南らも新聞づくりに熱心だった。
 武が『東中新聞』の部員だったのは1952(昭和27)年。当時『東中新聞』を指導していた教師は新倉壽造、大原信男、山田弘三、相原市兵。井上静男(秦野中学校新聞)、目黒和夫(南秦野中学校新聞)は、学校新聞教育的価値を熱く説いていた。
 秦野西中に新採用で来た田村俊雄(葛飾・諏訪台中)は「秦野で新採用になってよかった」と述懐する。初めて所属した学年で田村は武と共に学年だよりを書いた。西中で新聞づくりを体験したことが「教師としての原点になっている」とも語る。ふるさと葛飾・堀切に帰った田村は、今、全国新聞教育研究協議会事務局長として困難期の新聞教育の舵取りに懸命である。
 2001年の第44回全国新聞教育研究大会・箱根大会の学校新聞分科会は、提案・原幸恵、司会・谷津裕、進行・橋本ゆかり(本町中)、他新聞部会のメンバー全員参加で運営をした。2006年の秦野大会が、「新聞のまち秦野」として参会者に強い印象を与えたのは、運営に中心的に携った新聞研究部会の力があったからに他ならない。金子信夫教育長、地崎利和、久保田忍、児玉正彦ら歴代市中学校長会長や、市内各小・中学校の新聞教育への理解と強力なバックアップが秦野大会を成功させた。経理を担当した山口貞冶(東中)の支えも大きかった。実行委員だった 津田美穂、那賀恵美子、橋本などが、石田、谷、谷津などと共にこれからの秦野の新聞教育を育てていく。
 最後にPTA広報の活動について触れる。今年の第50回全国新聞教育研究大会・東京大会のPTA分科会で、笠井麗子(本町中P)が実践報告をした。笠井の他に過去の大会のPTA分科会に登壇したのは、26、27回・小島仁子(西中P)、37回・脇本京子(東中P)、39回・横山信子(東中P)、40回・大津喜美子(東中P)、49回鈴木真澄(西小P)、吉村えみ子(西中P)。東中Pが3大会という根拠は、『東中PTAだより』が全国コンクールで、1990年から最優秀賞、優秀賞、新聞と教育賞など8年連続入賞という実績による。 (敬称略・教員の( )内校名は現任校)






2007年12月1日更新



40回秦野市中学校学級新聞コンクール
   (2007.11,15実施)
                                  主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社
 最優秀は鶴巻中1年4組

☆最優秀賞
  鶴巻中学校1年4組
☆優秀賞
  東中学校3年4組  南中学校3年1組  大根中学校3年1組  東中学校3年3組  南が丘中学校3年3組  鶴巻中学校3年2組
☆優良賞
  東中学校2年3組  南が丘中学校3年2組  南が丘中学校2年1組  鶴巻中学校3年4組  西中学校3年5組 
  南中学校1年2組  西中学校3年3組  南中学校3年4組  本町中学校2年1組   北中学校3年4組   西中学校2年6組
    
☆奨励賞  
  渋沢中学校3年1組  本町中学校支援級      

 応募数  市内9中学校 122学級・144紙 
  (注・市内各校の122学級から144紙の参加ということは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。)




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第57回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール     
                 
  主催 神奈川新聞社・神奈川県学校新聞コンクールの会 (2007年11月8日実施)

 東中、渋沢中、鶴巻中、大根中が入賞


【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   相模原市立田名中学校
優秀賞    秦野市立東中学校
優良賞    該当なし
佳 作    横浜市立小田中学校
努力賞    相模原市立大野南中学校  秦野市立渋沢中学校
特別賞   相模原市立田名中学校


【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞   川崎市立宮前平中学校3−1
優秀賞    川崎市立宮前平中学校3−2   
優良賞    秦野市立鶴巻中学校3−2
佳  作   川崎市立橘中学校 3−6  川崎市立富士見中学校3−1  川崎市立西高津中学校3−4
      
川崎市立西生田中学校3−5 川崎市立南加瀬中学校3−2

努力賞    川崎市立平間中学校3−3 川崎市立今井中学校3−4 川崎市立大師中学校3−B
      川崎市立西生田中学校1−1 川崎市立井田中学校3−1  
    
奨励賞   秦野市立大根中学校3−1 三浦市立南下浦中学校3−1 相模原市立大野南中学校3−4
      伊勢原市立山王中学校2−3 川崎市立南加瀬中学校3−6  






2007年11月1日更新


 
 「過去との比較、未来への期待・願い」 これをキーワードに卒論を

 昨日は突然おじゃましてしまいました。東中に行くと帰りに寄りたくなるのは、中学生の時から変わっていないようです。いつも快く迎えてくださってありがとうございます。
 資料ありがとうございます。昔『エコー』に載せてくださった私の作文、なんだか懐かしくて嬉しくて涙が出てきちゃいました。中学生の自分はこんなに一生懸命だったんだなと思いました。やっぱりこうして文章に残っているということは嬉しいことです。
 先生は『エコー』247号で、教育実習を終えた私の手紙「夢を実現させる年です」を載せてくださいました。私はその『エコー』を読んで、この気持ちを絶対に忘れてはいけないと思い、その紙面を机の前に貼りました。勉強が行き詰ったとき、そのエコーを読んで気を引き締めました。夢は実現しましたが(正式には4月かな)、ここが出発点だと思います。また新たな目標を立てないと!
 卒論ですが、中学校にアンケートの交渉をしていく中で少し不安を感じました。学級新聞を一番多く出しているクラスでも10号ちょっとが現実、総合学習の一環として新聞を作っている学校もありました。果たしてこのアンケートの内容でいいのだろうかと心配です。私のころと新聞を作る実態が変わってしまったと改めて実感しました。中学校と学級新聞の現状を徹底的に調査して、学級新聞はどうあるべきか考えられたらいいと思います。私が学級新聞づくりから得たものを、今の秦野の中学校の先生や生徒に伝えたいと思います。「過去との比較、未来への期待・願い」これをキーワードにします。時間がなくなってきて焦っていますが、思いついたことはできるだけやるよう頑張ってみます。   真 裕
 


新聞で見つめる社会 見つけるあした

 第60回(2007年度)新聞週間で募集した「新聞週間標語」の入選作

「代表標語」
◇新聞で見つめる社会見つけるあした

「佳作」
◇あらたなるあすへの指針けさの記事  ◇思い出の記事は心にスクラップ  ◇記事はさみ親子が向き合い語り合い  ◇今日の記事いつか歴史の一ページ  ◇知る権利伝える責任書く勇気   ◇新聞で自分の考え磨く朝   ◇地方紙に人のぬくもり郷土の鼓動  ◇匿名のネットにはない信頼感  ◇母は言う新聞だけは読みなさい  ◇“ほっと”するね。いつもの時間にいつもの新聞   ◇回し読み新聞囲む家族の輪  ◇読む、学ぶ、くらしに生かす“新聞力”



2007年10月1日更新

湯河原町・真鶴町教育委員会主催







2007年9月1日更新


 第50回全国新聞教育研究大会は、8/3・4に、東京の「かつしかシンフォニーヒルズ」で開かれた。大会ではPTA広報の活動が盛んな秦野の小・中学校を代表し、本町中の笠井麗子さんが次のような実践発表をし、注目された。


第50回全国新聞教育研究大会・東京大会  実践発表「PTA広報の部」

「伝えたいことを分かりやすく」を基本に
                           神奈川県秦野市立本町中学校PTA  笠井 麗子

1 はじめに
 秦野市は、神奈川県西部の丹沢山麓に位置し、都心から適度な距離にありながら、自然に恵まれた土地です。昨年は全国新聞教育研究大会の会場にもなったので、おいでくださった方もあるかと思います。
 本校は市内中心部にあり、3世代同居の家庭や両親ともが本校の卒業生である生徒も多くいる一方、他府県出身の保護者の中には地域性の違いを感じている人も少なくありません。
 現在、生徒数は731人で、毎年2つの小学校から約半数ずつの生徒が入学してきます。2つの小学校はPTA活動の取り組み方が異なり、中学校においても会員の意識は様々です。紙面作りをする上でも、このことを考慮に入れて行いました。

2 取り組みの概要
(1)発行回数
 年6号発行(5月・7月・10月・11月・・12月・3月)
 当初は4号+号外1国の予定だったが、各種行事の取材を進めるうちに号外を通常号とし、更に、PTA臨時総会の開催に伴い1号多く発行することになった。
(2)企画
 @修学旅行特集
 18年度、3年生の修学旅行の行先が変更になった。旅行前の年度第1号に変更になった経緯を載せ、次号で旅行の様子を紹介した。旅行に同行したPTA役員の話から、様子を保護者に伝えると共に課題も見出せた。
 Aバザー案内
 PTA本部スローガン「学校へ行こう」に合わせ、より多くの方に参加してもらうために、イラストマップやバザーの新企画を載せた。当初は号外の予定だったが、他の記事も多かったため通常号とし、切り離せるような形にした。
 BPTA臨時総会
 6委員の選出方法の変更に関する規約細則改正のための総会だったが、運営委員会での話を受けて、このことを分かりやすく会員に伝えるのは正に広報の役目だと感じた。
 C先生方のやります宣言・チャレンジ報告
 年度第1号の教職員紹介で1年間の目標を立ててもらい、最終号ではその達成度を報告してもらった。特に生徒たちに好評だったようだ。
(3)編集方針
 @多くの人の声を A動きのある写真 B分かりやすい文章 委員1人の「?」は、会員100人の「?」 取材記事には感想を入れる C見出し・キャプションを皆で考える
(4)パソコン編集による機動性と経費削減
(5)配布方法の工夫 ・個人面談の廊下に掲示 ・合唱祭で配布など

3 成果と課題
 「楽しい」「分かりやすい」との声をもらい、また、発行回数を増やしたことで、PTAそのものの存在を会員にアピールできたと思います。
 委員同士のコミュニケーションはもちろん、取材を通して先生方や生徒とも知り合えたことは私達にとって大きな収穫でした。
 課題として、企画テーマの継続があります。昨年度の委員が数名、今年度も広報委員会に残ってくれました。そのため、昨年度の修学旅行の課悪を追うことができました。臨時総会で決まった委員の選出についても継続して取り組むことができます。反面、基本の説明を省いてしまい新入生の保護者に分かりにくかったり、新しい視点が必要になると思われます。
 広報委員選出の問題は相変わらずありますし、パソコン編集を続けることで、業者対応の引継ぎがなくなってしまうなど、課題は多岐にわたります。

  


2007年8月1日更新


 ニュースソース

 地区予選も終わり、甲子園へとその大舞台が移る高校野球。今年も全国各地で高校球児たちのはじける喜びと悔し涙で幕を下ろすさまざまなドラマが生まれた。そんなドラマのシーンを新聞で読みながら、ときにそのドラマの中の一人になることがある。記者が伝えてくれる「敗者へのエール」、「勝者への拍手」、さらには「両チームのエピソード」は、私の高校野球への魅力をいっそう増してくれる。 ところが、今年のある日のK紙の『観戦記』は、私に「あれ?」と思わせ内容だった。
 その観戦記は、「H高校がI高校を4安打完封」したヒーローの紹介だった。その記事にこんな一節がある。「開会式でナインは陰口を聞いた。『Hに負けたら終わりだよな』(以下略)」。その言葉に発奮して、ピッチャーは4安打完封した、と記事は続く。
 読み終え、この記事に引っかかるものを感じた。『Hに負けたら終わりだよな』という、この部分に引っかかったのだ。
 開会式の入場行進に加わったことのある高校球児のOBによれば、このような陰口は「よくあること」だそうだ。開会式の入場行進は対戦校順に並んで行なうとか。だから、陰口をしたのはI高の選手なのだろう。たとえI高以外の選手の言葉としても、この記事では、陰口の主はI高の選手、そう思うしかない。陰口を言ったのはI高校の選手とは書いていない。陰口を聞いたのも「ナイン」とし、特定していない。記者が、直接陰口を聞いたわけでもないようだ。
 この「陰口」の一文は、I高校の野球部だけでなく、I校そのもののイメージを悪くしたと思う。「そんな学校だから負けたんだよ」と言われかねない。 また、その陰口の中身を記者に話したH高のナインにも、後味の悪い記事になっているはずだ。この記事に、陰口の中味、いや、陰口の事実を書くことが絶対必要だったのだろうか。
 ある現実を知らせようとするとき、その対極にあるものを引き合いに出すことがある。その両者はしっかりとした根拠に立ち対比され、論じられるべきだろう。





東京新聞 2007/7/25 NIEのページ「いきいき教室」{






2007年7月1日更新

 平成18年度神奈川県PTA広報紙コンクール

 優秀(会長賞)    「西のいぶき」(秦野市立西小学校PTA)
   (県教育長賞)  「つきやま」(寒川町立寒川小学校PTA)
   (神奈川新聞社賞)「丹沢の風」(秦野市立本町中学校PTA)   
 

 講評 PTA広報紙は活動そのもの
                        審査委員長 神奈川新聞社 岡 部 伸 康

 県内各地で選ばれた70校の広報紙を、今年も審査させていただきました。号外や臨時号を含めると各校平均年4号の発行で、約280部もの力作が集まりました。それぞれに個性豊かで、意気込みに圧倒されながらの審査になりました。
 目を通してみて、学校現場で今、保護者の方々がどんなことに開J山を寄せているかがあらためて分かり、広報委員の皆さんがどんな切り口で紹介するかにご苦労された様子が伝わってきました。防犯や安全に関する地道な活動、アンケートを通じた生活意識調査、足で拾った会員や地域の声を原稿にまとめる作業は並大抵ではありません。膨大な枚数の中から生き生きとした写真を選ぶのも簡単ではなかったはずです。その素材が生きるか否かは、的確な見出しとバランスいいレイアウトによる仕上げが大切になります。手作り感あふれる温かい紙面のなか、プロ顔負けのものもあり、さまざまな工夫が感じられました。
 審査委員会では今年も@全体のレイアウトや見出しが見やすいか APTA活動が生き生きと分かり役立っ記事が盛り込まれているか B家庭・学校・地域との連携がうかがえるか C現状を認識し問題を提起しているか D会員の声を取り入れ積極的な企画性・アイデアが見られるかの5点に沿って各委員が採点しました。「学校便りではなく、PTAの広報紙。学校や行事の紹介だけでは点数が低くなった」という声は審査員全点から聞かれ、「PTA会員の生の声、役員の活動の姿をたくさん取り上げたところが印象に残った」「独自の投げ掛けをしたり、地域に発信しているところは点が高くなった」と評価の声が上がりました。PTA広報紙の果たすべき役割が見えてくるかと思われます。広報紙はすなわち、活動内容そのものを表しているのですね。

 優秀賞3賞のうち、会長賞は「西のいぶき」(秦野市立西小学校PTA)に決まりました,審査員から「ザ・PTA広報」という声が出たように、盛りだくさんで内容が濃く、年8回も発行しています。特に評価が高かったのは、地域の調査に基づいた市への要望行動を紹介した「子どもたちの安全を守るため」の記事です。危険個所3地点でそれぞれ横断歩道、啓発看板、信号機設置を要望し、看板はすぐに設置され、横断歩道も実現されるそうです。子を思う親の気持ちが強く伝わってきました。また、地域の皆さんを交えた座談会「子どもは地域の宝です」も地域に根ざした学校の姿が感じられ、高く評価されました。レイアウトも手作り感があって好感が持てました。
 県教育長賞の「つきやま」(寒川町立寒川小学校PTA)はB4判表裏のカラー2ページで、親しみやすい紙面が特徴です。PTA所有のパソコンで編集、印刷を行っているそうですが.年間6万円の低予算が驚異的。6回発行と機動力もあります。「会長のつぶやき」コラムがPTAと会員の距離を縮める役割を果たし、「守ろう命一安Jい安全は家庭から」と題した連載を続けてキャンペーンを展開しました。号数を重ねるにつれてレイアウトや色使いも洗練されてきました。
 神奈川新聞社賞の「丹沢の風」(秦野市立本町中学校PTA)は「中学校ならではの内容」と高い評価を受けました。体験学習型を重視し、京都から信州へ行き先が変わった修学旅行を変更の経緯、実際の様子と2号にわたって紹介した特集は興味深く、保護者の関心に応える内容でした。「学校へ行こう」を合言葉に、PTA活動を身近なものにする努力もうかがえました。そして春に教職員がそれぞれ目標に掲げた事項の達成度を年度末に自己採点した特集を10ページで大特集したのも独自な企画でした。(以下略)



2007年6月1日更新


 ECHO250号に寄せて

 動いたから見ることができる 感じることがある
                   
 「動かなければ出会えない」は『エコー』のモットー。動いたから見ることができる、感じることができる。30年以上も中学校で過ごし、縁があって小学校に勤務することになり、児童との生活が1年終わった。話す、読む、書く、歩く、走る―中学生とは体の大きさも体力も違う! ―驚きの日々、そして、それは発見と感動の毎日であった。
 朝、横断中の旗をふる私の横を集団登校する一年生から、「きょう、一緒に帰ろうね」と声をかけられ、そして、ホントにその児童と手をつないで帰った私。動いたからこそ得られた感動。広げたい思いや感動は自分の言葉で伝えたい。強い願いや思いは相手の心を揺さぶる、伝わる。

 武先生のこと
 母校の裏に連なる山々を眺めると思い出すことがあります。 愛鳥モデル校として知られていた私の母校の中学校では、夏休みを前に学校林の下草刈りの作業がありました。
三年生とき、その作業中に私は大怪我をし、夏休みの大半を病院で過ごしました。救急車も入らない山道を背負ってくれたのか武勝美先生でした。
「恩師」とは、教えを受け、世話になった先生のことです。その恩師は誰かと聞かれれば、教師の私に、新聞の実践を指導してくださった「新聞の武先生」ではなく、暗くなるまでグランドでノックをしていた、厳しくもあり、やさしかった武先生です。     匡




 出会いの大切さ

武先生へ   『エコー』250号の発行おめでとうございます。200号のお祝いに『シーサー』を描いたのハガキを送ったのは高校2年生の時でしたか。あれから4年が経ったのですね。早いものです。私も大学4年生です。
 最近、人との出会いの大切さを改めて感じています。家族はもちろん友達、先輩、先生、多くの人との出会いによって私はここまで成長することができました。子どもは、成長するにつれて、物事を自分で判断し、選択して生きていかなくてはなりません。そのため、思考力や判断力を身に付けることは、子どもたちの自己実現へとつながっていくものであり、今の教育に必要なことであると思います。その成長の過程で出会う人々によって子どもは影響を受け、学び、考え、自分を高めていきます。
 私はたくさんの良い先生との出会いによって成長してきたからです。武先生もその一人です。「縦見出しと横見出しの違いを教えてください。」中学生の時、新聞づくりに熱中していた私が一番初めに武先生にFAXで質問したことです。先生はわざわざ家に電話をしてくれて丁寧に教えてくれました。「横見出しは記事に対する感情を、縦見出しはその事実を表すのです。」今でもよく覚えています。 私は本当に嬉しくて、縦見出しと横見出しを紙面に大胆にT型にレイアウトする新聞をたくさん書きました。見栄えもよくて、相手に伝えたいことをわかりやすく表せます。
 クラスでは学級新聞に、広報委員会では学校新聞に力を入れ、新聞づくりは中学校生活の私の生きがいでした。 私が充実した学校生活を送れ、夢と生きがいを持つことができたのも、素晴らしい学校の環境と私を見守ってくださった多くの先生のおかげです。
私も子どもにそのような影響を与えられる先生になりたいです。「先生に出会えてよかった」と思われたいです。もうすぐ自分の夢を叶えられるところまできた今、その夢を叶えて元気に頑張る姿を先生たちに知ってもらうことが何よりの恩返しだと思っています。
人は本当に一人じゃ生きていけないのだということを強く思います。数多くの出会いに感謝します。武先生は、私の成長を見守っていてくださる父のような存在だと思っています。これからも頑張りますので、どうか見守っていてください。     真裕美




2007年5月1日更新



 湯河原町教育委員会から届いた講座の評価

 PTA広報紙づくり講座 参加者アンケート  湯河原・真鶴町教育委員会共催 4月24日実施
  
 今までと違う広報ができそう

≪今日のの研修はいかがでしたか≫

・初めは講座と聞くだけで肩苦しく感じて参加させていただきましたが、とても楽しくずーっと聞いていたいお話ばかりでした。広報活動を楽しんででそうです。今までとは違った広報紙ができあがるのが楽しみになりました。
・大変だなと思って憂鬱でしたが、何となくおもしろそうでやる気が出てきました。
・何となくなってしまった広報委員ですが、お話を聞いてたいへん参考になりました。広報紙活動をがんばろうと思いました。
・とても役に立ちました・参考にしていきたいと思いました。
・いろいろな学校の広報紙を見ることができてとてもよかったです。それぞれの個性とか思いがとてもよく伝わってきました。
・とても勉強こなりました。新たな気持ちで広報活動を盛り上げていこうと思います。
・幼稚園では広報の仕事にかかわったことがありましたが、小学校では全く初めてなので今日お話を聴くことができてよかったです。写真でこんなに記事の印象が変わってくるとは思いませんでした。
・他校の広報紙を見て反省する点が多くありました。興味を持って読んでもらえるような紙面つくりをしていきたいです。
・大変、参考になりました。他の学校のもおもしろかった。
・広報という役割の大切さがよくわかりました。先生のお話で少しでもいい広報紙ができればいいなと思います。
・本当にとてもいいお話が聞けてとてもよかったです。『やる気』が出ました。広報の重要性を感じるとともに作るのが楽しみになりました・また、広報委員になれたことを嬉しく思いました。
・大変、参考になり乱た。30文字で○をつける歯切れの良い文章を書いていきたいです。
・考えていた以上におもしろかったです。広報紙つくりだけでなく、いろいろなお話を聞くことができてよかったです。いろいろな思いがありますが、一人でできることではないので、メンバーと話し合いながら一年やっていきたいと思います。
・いろいろな広報紙を見ながらわかりやすかったです。私は本部役員としての参加だったので広報をとおしていろいろなアピールができると思いました。
・私は、広報委員としてではなく、事務局としての参加でしたが、学校の広報紙にとどまらず、事務局の仕事を伝えるのにとても勉強になりました。詰も分かり易く、なる程と思える事ばかりでした。
・広報紙の注意点や関心を引く内容作りが大切だと思いました。
・広報について、再度皆で考える機芸になってよかった。写真(個人情掛のことについて、保護者に伝える文を載せること。過去のことだけでなく、未来のことも知らせる広報であることが大切だと思いました。
・基本的なこと、記事の書き方など知らないことばかりだったので役立らました。ただ、駆け足釣な説明になってしまったので、もう一度資料をよく読もうと思います。読んでもらえる努力、工夫が大切と思いました。
・短い時間の中で、自分たちと違う広報紙づくりがたくさんあることを改めて知り、色々な情報でつくる楽しさを知りました。初めての広報委員として芸員が見てくれる広報紙をつくりたいと思いました。
・はり広報紙をつくりたい、広報委員になりたいと思う方を増やしたい。そういう広報紙をつくることが大切だと思いました。自分の意思とは違う形で広報委員に選ばれた方にも参加してもらえる広報にしたい。それは広報紙を作成するより難しいことではないかと思います。それは全委員にも共通することではないかと思います。まず、自分を耕したいです。
・おもしろかったです。パソコン編集用のソフトも教えていただけたので、たぶん、購入することになりそうです。
・とても勉強になりました。(3名)
・いろいろな学校の広報紙を見ることができてとても参考になりました。(2名)


≪今後、PTA広報紙を作成する上で知っておきたいことなどがありましたらお書きください≫

・やってみたい事はたくさんあるのですが、何をどうするぺきか、何がわからないのかが、今の時点では、まだ、分りません。
・広報紙のタブー集(やってはいけない事)
・地域的な広報紙や各学校の広報紙を参考にしたいのでデータを集めてほしい。



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 秦野市PTA広報紙展示会を参観して(会場・ジャスコ)

「新聞の秦野 ここにあり」です

・毎年、この催しを楽しみにしています。どの広報紙も素晴らしく秦野のレベルの高さが見えます。かつて私も広報作りに参加しましたが、想像出来ない程の現在の広報紙です。「新聞の秦野 ここにあり」です。エネルギーを感じます。益々のレベルアップを期待します。
・秦野のPTAA新聞はレベルが高いですね。どれも素晴らしいと思いました。
・昨年も見せて頂きました。今年の作品は、すべて一段とレベルアップですね。委員の皆さんの頑張りに拍手を送ります。
・我が家の孫が写っていました。楽しく読ませて頂きました。

・皆さんの頑張りが素晴しく、しばし足を止めて読ませて頂きました。「言葉」や「生活習慣」「安心・安全」といった見出しが並び、親としての役割が綿密に取材されていると思います。
・毎年毎年、レベルアップしていく新聞だ! と思って読ませてもらっています。これからも頑張ってください。
・子供が学校に行っていないと見る機会がまったく無く、私も広報委員長をしたことあるのでなつかしく拝見させて頂きました。子供が小・中に通っていない人たちもこのような素晴しい新聞を見ることが出来るよう、自治会の回覧にして見ることが出来るようにして頂けたら大変嬉しく思います。
・楽しく読ませて頂きました。自分の子供の学校の物しか知りませんでしたが、他校のものと読み比べると、同じテーマでも扱いが随分色々あるのだと感心しました。P連だより、暖かさの感じられる紙面ですね。ただ、もう少しP連の活動(会長さん達の動き)なども紹介してもらえたらいいと思います。
・みんないい作品でした。親子共々感動しました。
・優秀賞…カラーの物が多いですね! 見た目だけですか? もっと内容で選んでください。




 広報づくりで得た心のエネルギーを子ども達や地域に

                              竹内 美和
 昨年、PTA広報紙の編集をしていたときのことです。その号の特集は「親子の心と生活」でした。この特集のために行なった子ども達へのアンケート調査で、多くの子どもが、親に「優しくしてほしい。起こらないで」と望んでいることを知りました。
 子どもに、怒らず優しく接する、というのは現代の子育ての常識になっています。しかし、現実にはそうできる人は、私たち委員の中にはいませんでした。このままでは、「子どもに優しくしようよ」という記事は書けない、とみんな頭を抱えたのでした。
 そんな中、「じゃあ、みんなで子どもを怒らずに一週間過ごしてみない?」という提案がありました。この実験の結果は、15名のうち5人が目標を達成できたのです。思いもよらない(?)快挙でした。また、途中で怒ってしまった人も、できるだけ優しく接すること心がけたところ、「子どもが優しくなった、素直になった」と、たくさんの良い変化を報告できたのでした。
 この実験から、子どもにやさしく接することの意義を実感をもって記事にすることができました。また、今までムリだと思っていた子育ての課題も「仲間と一緒に取り組めば乗り越えられる」という手ごたえを感じ、何か目が覚める思いでした。人の輪が持つ力をこの実験を通して強く感じることができ、感激でした。
 人の輪の素晴らしさ―それは意図したわけではないけれど―私たちの一年間の広報作りの底辺に、いつも流れていた温かなテーマだったような気がします。人の輪に包まれたときの感謝や感動は、仲間と編集作業をしたり、取材でさまざまな方と出会うたびに、私の心にわきあがりました。その、感動、感激を読者に伝えたいとがんばった一年でした。今は、やり遂げた達成感と、素晴らしい出会いへの感謝の気持ちで心が満たされています。 この広報作りで得た心のエネルギーをもと、子ども達や地域のために今できることを一つずつやっていきたい、そう思うこの4月です。



2007年4月1日更新

 平成18年度秦野市広報紙コンクール   主 催 秦野市PTA連絡協議会
                        実施日 平成19年3月14日

 優秀賞   秦野市立西小学校PTA  「西のいぶき」
          本町中学校PTA  「丹沢の風」
            東中学校PTA  「ぎんなん」 
 優良賞         西中学校PTA  「西中PTAだより」
            北小学校PTA  「稜線」
         南が丘小学校PTA  「南の風」
          南が丘中学校PTA  「南が丘」   
          堀川小学校PTA  「ほりかわ」
 奨励賞      渋沢中学校PTA  「ふれあいの丘だより」
           東小学校PTA  「せんだん」
          渋沢小学校PTA  「しぶしょう」  


年間8回の発行 取材は全員で PTA活動はすべて掲載
                            『西のいぶき』編集長 鈴木 真澄

 今年度は8回、広報紙を発行しました。先生紹介号・運動会特集号・PTAまつりマップ・PTAまつり特集号・年度末号は毎年決まった企画です。その他、今年度のテーマに関するアンケートや座談会などを実施し特集してきました。PTAの活動はすべて掲載し、スペースに余裕があれば学校行事も掲載しました。
 本来PTA広報紙は、PTAの活動や思いを会員に広く報じるための新聞ですが、会員の知りたい情報の提供もして良いのではと考え、学校行事も掲載しました。その際、学校新聞にならないように、保護者の感想や意見をインタビューし、掲載しました。
 私たちの広報紙作りは、まず発行日を決めることから始まります。次に発行日までにどんな行事があるのかを年間予定表からピックアップします。各委員会からも講習会参加者募集の掲載依頼・アルミ缶回収のお願いや、結果報告・臨時総会開催の告知依頼などがあり、記事がたりなくて困ることはありませんでした。むしろ、出しても出しても、追いつかないくらいでした。ただ、発行するときには過去の行事になっているので、古い記事をいかに今の記事にするかは、難しかったです。武先生から「次の行事に繋がる記事、また問題提議をする記事にしなさい」と教えていただきましたが、そういう記事になっていたかどうかは疑問です。
 次にレイアウトでは、プロの作った新聞のレイアウトも参考にしました。編集会議では机に新聞を広げて、見出しを入れる位置やリードの位置について、皆で「こんなふうに出来たらねー」と話し合いました。
 写真は、レイアウトで使う位置を確認して撮りました。プロの新聞を参考に、構成を思い描いて撮影に臨みましたが、下校パトロールなど、動いている人の撮影には苦労しました。掲載する写真は、たくさんの人が写っているように心がけましたが、時にはクローズアップの写真も撮りました。運動会やPTAのお祭りでは全委員で写真を撮りました。そのため300枚も写真を撮ってしまい、どれを使うのか選ぶのに苦労しました。
 記事は、全委員の17人に振り分け書いてもらいました。1号に10〜13ぐらいの記事を掲載するので一つの記事を1〜2人で担当しました。インタビューでは、参加者の声を聞き、感想や、期待することなどを掲載しました。皆さん、具体的な質問には答えやすいようでした。次に記事を書くうえで書き出しが、〇月〇日などと日記のようならないよう心がけました。またインタビューの声は、話し言葉で載せました。
 原稿は携帯電話やパソコンのメール、またはFAXで送られてきます。送られて来た原稿をパソコンで入力して、紙面を埋めていきます。見出しを付けることには、とても時間がかりました。記事の中の言葉にとらわれず、内容の分かるものにしました。キャプションも、全員で10ぐらい作り、その中から1つ選ぶといった感じです。皆めげずに良いフレーズをどんどん出してくれました。
 最後に印刷では、今年度、レーザープリンターを使っての印刷が出来たので、写真がきれいに仕上がりました。きれいな写真が入ると、会員から「良かったよ」との声が多いです。目を引き、読んでいただける広報紙には良い写真が必要と実感しました。以上が私たちの広報紙の作り方です。
 「講評」と併せて読んでください。



全国コンクールの入賞紙に学ぶ

 毎日新聞社と全国新聞教育研究協議会が主催する第56回(平成18年度)全国小・中学校・PTA新聞コンクールで、秦野市から13紙の入賞がありました。その中のPTA新聞部門では、西小学校PTAが毎日新聞社賞、本町中学校PTAがトヨタ賞を受けました。この2紙について、私は次のような講評を書きました。別項の『西のいぶき』の編集の進め方と併せ読んでください。



楽しみながら作る雰囲気伝わる  秦野・西小P『西のいぶき』

 『西のいぶき』は昨年に引き続き入賞です。1年間の発行は5月と11月がそれぞれ2回、7、10、12、3月に各1回の計8回で、総ページ数は20という活動です。新聞形式の広報紙の特長は「記事が一目で見渡せ、記事の重要度が分かる《一覧性》」という読みやすさです。でも「レイアウトが難しい」という特徴があります。
 新聞型(タブロイド判)の『西のいぶき』は、どの号もしっかりとしたレイアウト、的確な見出し、読者を引きつける魅力的な写真(213号2・3面など)で、新聞形式の良さを出しています。とくにレイアウトは変化に富み、紙面に躍動感を与えています。こうした紙面は広報活動を楽しんでいるから生まれるのではないかと思いました。
 8回発行のうち手作りが5回、また210、211号のレイアウト(とくに裏面)からも、広報づくりを楽しんでいることが感じられます。7月19日に発行された209号の4面は《ぬり絵》になっています。明日からの夏休みを、安全に、楽しく過ごせるようにと、防犯意識をたかめる合言葉『イカのおすし』のぬり絵を広報委員が作ったのです。たぶん、親子でこのぬり絵を楽しみながら、「知らない人にはついてイカかない」「知らない人の車にはのらない」と確認しあったことでしょう。
 広報の年間テーマは前年度を受け、子どもの安全のための『下校パトロール』になっています。そのことがきっかけで、横断歩道の設置を市に要望し、その回答も得ています。地域の人たちの協力も得ているパトロールから、『子どもは地域の宝です』(212号の座談会)という言葉をもらっている保護者や学校は、この言葉をしっかり受け止め地域の願いに応えて欲しいと思います。そのために『西のいぶき』も、もうひと働きしなくてはいけないようです。(年間予算26万円 発行回数8回)



 委員選出の問題点を積極報道  秦野・本町中P『丹沢の風』

 PTA広報は、PTA活動の後押しをしたり、牽引車にならなくてはなりません。
 『丹沢の風』はその役割を十分果たしています。PTAの委員選出がおこなわれる4月は「憂うつな季節」です。その悩みを克服しようと、さまざまな試みや取り組みが、それぞれのPTAでおこなわれています。本町中PTAもその一つで、「指名委員を増やすこと」にその活路を見出そうとしました。『丹沢の風』174号の2、3面を使い、「指名委員の増加」に至った経過や改正のポイント、疑問点などを細かく報じられています。そして、その承認を求める臨時総会への出席を強く呼びかけたのでした。
 その臨時総会の内容は175号で取り上げられています。見出しで「新しい試みの第一歩」「出席97、委任状504、 他人任せでいいの?」と苦言を呈しています。広報は、ときにはこのような視点も必要です。もちろん、第三者的な姿勢の発言になってはいけません。「指名委員の新たな顔ぶれに期待」とコラムで書いています。
 「PTA広報もジャーナリズム」という姿勢で『いじめ』にも取り組みました。校長先生から、「生徒、学校・教師、保護者それぞれの力で」と、広い視野で話を聞き出しています。PTA広報の立つ位置をしっかり押さえていると思いました。
 どの記事も取材がていねいにされているので、そこから課題も見えてきます。例えば172号の「修学旅行の特集」では、見学地でも子供たちの様子を伝えるだけでなく、保護者からの「今後の課題」を提起したのです。4回はパソコンを駆使しての手作りです。三色印刷という手法も取り入れたので、学校印刷の広報が持っていた弱点は克服されています。
 委員のがんばりが、記事の詰め込みすぎになっています。余白もレイアウトでは大切なことです。(年間予算37万円 発行回数6回)




2007年3月1日更新


 市内から13紙が入賞(2007年2月24日発表)
 


 第56回全国小・中学校・PTA新聞コンクール  主催 毎日新聞社・全国新聞教育研究協議会
 
 ☆学校新聞の部
   佳 作   東中学校 本町中学校  渋沢中学校

 ☆学級新聞の部    
   入選・鹿島賞   東中学校 1年1組
   佳 作      北小学校 6年5組
   奨励賞      東中学校 2年3組 
            南中学校 2年4組 
            渋沢中学校1年3組

 ☆PTA新聞の部
   入選・毎日新聞社賞  西小学校PTA
   入選・トヨタ賞    本町中学校PTA
    佳 作        北小学校PTA      
   奨励賞        西中学校PTA
              東中学校PTA

                             ・応募総数 25118

 東中は学校・学級・PTAの3部門で、本町中、渋沢中、北小は2部門で入賞している。西小PTA広報は昨年は6位だったが、今年は第2位に躍進。入選の3紙は、3月3日に毎日新聞東京本社でおこなわれる表彰式に招かれている。






2007年1月1日更新

 2006年を振り返る
 第49回全新研・秦野大会 33年の歳月を経て秦野で

 今回の秦野大会開催については、少しばかり思い入れがあったのでした。少し聞いてください。実は33年前、秦野東中で16回大会を開くことが内定していたのです。当時、東中は全クラスが週刊で学級新聞を発行していて少なからぬ脚光を浴びていました。結局、市内の中学校の応援が得られなくて、東中大会は幻となったのでした。
 3年前、全新研の鈴木会長が50回の東京大会の前の開催地がないと悩んでいたので、秦野にお願いしてみたらと話しました。
 当時の秦野市中学校の校長会長は児玉正彦先生でした。児玉先生とは東中で新聞作りを一緒にしましたので、理解していただき、中学校長会は大会受諾を決めてくれました。その流れを大きくしてくれたのは、その翌年の校長会長の久保田忍先生でした。久保田先生は私の鶴巻中時代の教頭先生でした。私が入院したとき、学校を切り回ししてくれました。そして、そのときの教務主任が、今大会の実行委員長地崎利和先生だったのです。
 共催を引き受けて下さった秦野市教育委員会の教育長は金子信夫先生で、西中時代、同じ学年で仕事をしました。秦野大会の事務局長・谷津裕先生とは『この人』でご存知の通りの間柄です。速報の編集長石田崇男先生とは西中時代から新聞づくりでずっと交流があります。瀬戸享子先生は、東中新聞が日本一になったとき、一緒に新聞を作りました。こんな人たちに支えられてきたから、秦野大会が開催できたのです。
 「念願かなって」ではありません。「リベンジ」だなんてとんでもないことです。秦野大会が開催できたことをどのように表現していいのか今も分かりません。8月3日の朝、文化会館の広場で秦野の夏らしい空を見上げ、秦野大会が始まると思ったのでした。このことが、大会を開けた私の素直な心の表れのように思えます。余計な話を聞いていただきありがとうございました。     

 全国交流会での挨拶 
 1972(S47)年5月の連休中だったと思います。全国新聞教育研究協議会の鈴木英男会長と山田義光事務局長が、私の勤務校である秦野・東中学校の藤間新作校長を訪ねてみえました。訪問の趣旨は「第16回全国新聞教育研究大会を秦野東中で」というお願いでした。 当時、東中学校は全学級が週刊で学級新聞を発行していました。職員会議で論議の結果、「その活動をベースにする研究会ならやってみよう」ということになったのでした。
 その年の全国大会は大分・別府大会。中村、永山先生、そして私の3名が参加しました。私は全体会で「全校による週刊学級新聞活動」を報告しています。閉会式で中村先生が次年度開催を受諾するあいさつをしたのでした。しかし、16回秦野大会は幻の大会になりました。準備を進めて行くうちにさまざま問題が浮かびあがってきたのです。例えば宿泊施設もその一つでしたが、開催をもっとも困難にしたのは大会を運営する組織力でした。
 1973(S48)年から33年経った2006年、実に33年という歳月を経て、全国新聞教育研究大会が秦野で開催されることになりました。地崎実行委員長を始めとする市小学校・中学校教育研究会の実行委員の先生方、共催して下さった教育委員会のお陰です。秦野市P連の大きなご支援もいただきました。鈴木会長以下全新研の先生方のご指導、講座・実習・実践発表をお願いした優れた実践家の皆さん、そして全国からはる
ばるこの地まで来てくださった皆さん、こうした全国の皆さんのご支援で秦野大会は開催できました。ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 今、この会場にも100名を超える新聞人が集っています。二日間を通じて「新聞づくりは仲間づくり」であることが確認できる大会にしましょう。




 第39回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2006.11,15実施)
                                  主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社

☆最優秀賞
  東中学校3年2組
☆優秀賞
  鶴巻中学校3年3組 東中学校2年4組  南中学校2年4組  渋沢中学校1年1組   西中学校2年3組
☆優良賞
  東中学校1年1組  西中学校3年3組 西中学校1年3組  北中学校3年1組  本町中学校1年1組
  
大根中学校3年5組  大根中学校2年3組   南が丘中学校3年4組  
  渋沢中学校1年3組  渋沢中学校3年3組  鶴巻中学校2年3組
☆特別賞
  本町中学校支援級      

  参加:市内9中学校 122学級・134紙 
  (注・市内各校の122学級から134紙の参加ということは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。)


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