秦野の新聞教育
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2006年12月1日更新

秦野・本町中新聞が最優秀賞   東中、鶴巻中も入賞

第56回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール     

                 
  主催 神奈川新聞社・神奈川県学校新聞コンクールの会 (2006年11月7日実施)
【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立本町中学校
優秀賞    秦野市立東中学校
優良賞    相模原市立田名中学校
佳 作    川崎市立西生田中学校
努力賞    相模原市立谷口中学校  相模原市立大野北中学校
特別賞    秦野市立本町中学校


【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞   川崎市立大師中学校3−A
優秀賞    川崎市立宮前平中学校2−1   
優良賞    川崎市立臨海中学校 3−1
佳  作   川崎市立宮内中学校 3−1  川崎市立井田中学校3−4   川崎市立平間中学校3−4  川崎市立宮前平中学校1−1
努力賞    川崎市立富士見中学校2−1 川崎市立京町中学校3−A  川崎市立西高津中学校3−5  川崎市立西高津中学校3−3  秦野市立鶴巻中学校3−3    
奨励賞    川崎市立今井中学校2−3  川崎市立平間中学校3−2  川崎市立西生田中学校3−2  三浦市立南下浦中学校3−2  相模原市立相模台中学校3−2  


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 第38回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2006.11,15実施)
                                  主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社

☆最優秀賞
  東中学校3年2組☆優秀賞

  鶴巻中学校3年3組 東中学校2年4組  南中学校2年4組  渋沢中学校1年1組   西中学校2年3組       
☆優良賞
  東中学校1年1組  西中学校3年3組 西中学校1年3組  北中学校3年1組  本町中学校1年1組  大根中学校3年5組  大根中学校2年3組  
  南が丘中学校3年4組  渋沢中学校1年3組  渋沢中学校3年3組  鶴巻中学校2年3組
☆特別賞
  本町中学校支援級      

  参加:市内9中学校 122学級・134紙 
  (注・市内各校の122学級から134紙の参加ということは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。)




 「編集会議に参加できない委員のためにこんな『広報委員会だより』を発行しています」と、I小学校のP広報委員長さんからたよりをいただきました。見た目も中味も楽しいものでした。楽しく作らなければ読んでもらえないのがP広報です。楽しい広報活動が今も進められているだろうと思っています。


 8ページでがんばってます

 春の講習会で教えていただいたことを頼りに、智恵を振り絞ってがんばっております。しかし、またくの素人が作っているものですから、自分たちの広報がどの程度のものなのか全然自信がありませんでした。ですから、全国大会のクリニックでの私達『M』への先生のお言葉は、望外のご褒美をいただいた気持ちがして、委員皆がとても喜び、更にがんばっていく気持ちを強めました。現在、80号を12月発行するため追い込み中です。
 この号では特集を組むのですが、ページ数が足りないためレイアウトや内容に苦慮していた折、先生から「8ページに挑戦を」というお言葉を頂き、思い切って会長さんにお願いし8ページ分の予算をいただきました。通常号の倍の8ページですから、始めからもう“生みの苦しみ”を味わったのでした。それでもメンバーは皆明るく、気持ちよく仕事をして下さる方ばかりなので、楽しく、心からやりがいを感じています。これから山場を迎えます。がんばります。  Miwa




2006年11月1日更新

 
第20回東京都小学校新聞教育研究大会

 懇親会で21年前の武先生を発見

 第20回東京都小学校新聞教育研究大会(10月13日)の会場になった文京区立誠之小学校です。三田線の白山駅から、散策の名所ともなってる「お七坂」(八百屋お七)や「胸突坂」を上って高台の一角にある誠之小学校の門をくぐると、そこは大都会とは思えない佇まいです。
 二階にある体育館のベランダからは校庭が見下ろせ、かなりの年代を重ねた大木が運動場の中に3本もあるのに驚きました。真ん中に大銀杏がどっしり構え、あとの2本は槐と椎なのか私には木のなまえが分かりません。その一本一本からそれぞれの物語が生まれてくるようなこんもりとした古木です。ややしばらく眺めては、すっきりした美しさと面白さ楽しさに浸ってました。校庭の周り、校舎の周りもずっと木々に取り囲まれて、まるで森の中にいるような気がしました。
 授業参観で移動する時、一階の渡りのところで用務員さんに出会ったので、「この大きな木々が誠之小を一段と素晴らしくしていますね。歴史と品格を感じますよ」と言ったら、「それは嬉しいですね。昨日は生徒のみなさんや先生方も一緒になって大量の枯れ葉集めと掃除でかなりの時間がかかりました」と返ってきました。あまりにもすっきりして綺麗なので、落ち葉のことなど全く気も付かなかったけど、こうしてみんなで歴史ある木々を守り育てているのだなあと深く心に刻まれました。近所の家、屋敷にも葉っぱが飛び込むのでしょうが、それとなくみなさん温かく気配りしているのでしょうか。
 
 夕方、懇親会場へ移動する時に、元誠之小校長の岩上薫先生が坂の途中立ち止まって、この辺りには備後福山藩の江戸屋敷があり、江戸詰藩士の子弟教育から始まったことなど話して下さいました。坂を踏みしめながら、この土地にして誠之小あり、いや由緒あるこの土地を守り育んでいるのは誠之小かなと感慨深いものがありました。
 平成4年に岩上先生が纏められた『校長室は美術館』(校長室には横山大観や湯川秀樹、その他有名人の作品が当時16点もありました。その一つ一つ、誠之小にある理由についても調べて纏められ貴重な鑑賞の手引きとなっている)を頂いたのを思い出したり、八百屋お七の墓前で楽しい写真を撮ってもらったり、素敵な夕暮れの散策となりました。

 懇親会は白山駅近くの中華料理店で竹泉稔先生の司会で始終温かい雰囲気に包まれました。授業者は若い先生方が多く、一生懸命で謙虚な姿に好感持てました。校長が元全新研常任理事の持田浩志氏で笑顔を絶やさない温かい表情で先輩の先生方とも仲良くいい感じでした。OB,OGは私が気付いたのは岩上薫、吉成勝好、松村昌俊、野手美和子、堀口和子のみなさんでした。隣のテーブルから『あっ!武先生も載ってる、まだ教員の頃だよ』と聞こえてきたので、なんだなんだとみんなが振り向いて行ってみると、『学級経営』(明治図書)21年前に発行されたものを見せられました。他に岩上、吉成、松村、堀口etcのみなさんのも掲載されています。都小新研の出発が20年前だったということで、吉成先生が探して持って来られたとのこと。驚きました。夜まで立派な「第20回東京都小学校新聞教育研究大会」となりました。  菅原 澄子




 出会いの素晴らしさを体験 お礼を言いたいのは私

 先生のHP、ECHOを拝見していますMです。
 秦野での新聞教育研究大会で徳島の杉本さんがエピソード(このページ10月更新の欄参照)を話されたようでその事を取り上げていただきましたが、人との出会いの素晴らしさを私自身が体験しお礼を言いたいと思う程です。
 たまたま街角で、ほんとうに偶然です。ものの1分も違っていればお会いすることはなかった訳ですからほんとうに何か縁のようなものさえ感じました。私は先を急ぐ用でもなかったのでお困りの様子を感じ、会場まで秦野の案内をしながら、そして武先生の新聞にかける情熱を話しながら(勿論、杉本さんは先生の事はご存知でした)車でお送りしました。後で考えた事ですが、私が新聞大会があるという事を知っていてよかった。もし知らずにいたりしたら遠方から秦野にこられた人に失礼があったのではなかったかと思いました。
 杉本さんに、秦野は水が素晴らしくいい所ですよ。と話しましたが、何と大会速報が「湧水」となっていほんとうに秦野をアピールしていて驚きました。お役に立てる事が出来、又、その事を取り上げていただき嬉しく思います。ありがとうございました。秦野大会が秦野に《経済的波及効果》があったのではとの事ですが、この様な全国大会が秦野で開催される時はもっと前宣伝があればと思います。せめて、市役所、秦野駅、渋沢駅(最寄駅)に「歓迎」の表示があってもいいのではないかと思います。これからこういう大会がある時は是非とも掲げていただきたいものです。遠方から来られた人にはなんとも嬉しいものですし、市民にも知って貰う唯一の手段ではないかと思います。それと、ホテルがなかなか取れなかったとの事ですが、我が家はもう老夫婦(?)2人ですから2〜3人位ならお泊り頂けましたのに。そのような事が事前にわかれば良かったのにと残念な思いです。
 いずれにしましても、大成功な大会であった事と、秦野で全国大会が開催される事を一番望んでいられたのは武先生ご自身であったと思います。ほんとうによかったです。御準備が何といっても大変だった思いますが、関われた方々の思いは一つになり実を結んだ結果が出た事はほんとうによかったと思います。お疲れさまでした。これからも、益々秦野の新聞教育の発展に寄与されますこと心より願うと共に、くれぐれも、御身気をつけられますようお祈り申し上げます。






2006年10月1日更新

秦野大会のエピソード


《新聞のまち秦野》ってほんとうですね

 徳島市から参加の杉本真理子さん(PTA分科会の報告者)は、秦野駅から渋沢駅行きのバスに乗った。ところが途中でこのバスは文化会館方面には行かないことを知った。それで、次の《大道》で下車し、通りかかった女性(Mさんとのこと)に文化会館への道を尋ねた。すると、Mさんは「文化会館ですか? 新聞大会ですね」と言い、杉本さんを車で文化会館まで送ってくれた。
 当の杉本さん。会場に入るとすぐ編集室に私を尋ねてきて、Mさんの好意の一部始終を話してくれた。そして「《新聞のまち秦野》ってほんとうですね。すごいですね」とにっこり。8月3日、開会式の前の出来ごとである。Mさんのお陰で、秦野大会は始まる前から、秦野らしい大会になった。


 差し入れ ありがとうございました

 「速報部を応援したい」ということで差し入れがあった。H中のPTA会長から連日落花生のお菓子。遠来のSさんからチョコレート。おにぎり、パン、麦茶などを持ってきてくれた委員もいた。お陰で3日は夜10時までがんばることができた。



 10時過ぎまで頑張った速報部
 
 大会一日目の夜、編集室は3号発行に向けて必死に頑張る花組の姿が見られた。差し入れのパンは左手、ペンを右手に時間に追われながら、先ほど8時に終わったばかりの全国交流会の記事を書く。時間は容赦なく過ぎ閉館の10時が来た。守衛さんの声「まだですか?」に、「お願いします、もう少しですから」とムリを承知で頼む。こうして印刷まで漕ぎ着けたのが第3号。



 母校の先生とお会いできるとは

 新聞実習・NIEの講座の講師は小野瀬先生。電話で取材をしていたSさんが茨城の鹿嶋出身と伝えると、先生、すかさず「海のそばの学校ですよね」。何と、Sさんが卒業した小学校に小野瀬先生は新任で赴任されたとのこと。「偶然とはいえ《鳥肌もの》」だったSさん。大会当日の出会いに、またまた感激。



 二人の先生

 二日目の第2分科会で「美術科で育てる力と新聞作りに必要とされる力はリンクしている」と提案された石田晶大先生(大阪教育大附属池田中)は、2日まで生徒のオーストラリア研修の引率出張。同じ分科会の報告者山田貴久先生(神奈川・向上高校)は、前日まで京都で開かれた高校の新聞大会で提案され、《朝一》で秦野に駆けつけてくれた。お二人の先生に代表されるように、全国の大勢の先生方によって秦野大会は充実したものになったのだ。「With youありがとう」




 新聞づくりは仲間づくり・家族版

 小澤みつ江先生(北小)は第1分科会で実践発表をされた。パワーポイントを使っての発表だったが、その傍らでなれた手つきでパソコンを動かす若い女性は、小澤先生のお嬢さん・智恵さん。発表に使ったパワーポイントの作成も親子でなされたとか。「新聞づくりは仲間づくり・家族版」だった。



秦野に《経済的波及効果?》 その1

 7月20日、鈴木会長から「8月2日、東京からのお手伝い10人が秦野に泊まりたいので10部屋とって欲しい」との依頼。すぐに手配したが、秦野の二つのホテルは満室。結局、会長以下全員、お隣の伊勢原に泊まってもらった。
 大会第1日目。千葉から来秦されたYさんが「武さん、今夜どこか泊るところとってよ」と言う。妻に連絡して市内のホテル、旅館を当たってもらう。だが3つとも満室。伊勢原のホテルもいっぱい。事務局長の谷津先生が旅行社に頼み込み、厚木のホテルが取れた。秦野が《満杯》なのは、大会の参加者のため、とは言い切れないが…。



秦野に《経済的波及効果?》 その2

 閉会式が終り、市外からの参加者は多くはバスで秦野駅に出たようだ。昼食時を少しずれていたので、駅前のトンカツ屋、そば屋さんは大会参加者でいっぱいだった、と聞かされた。渋沢駅に向かったグループは、「なんつっ亭に並ぶ」と言っていた人たちだろう。第49回秦野大会は、秦野に《経済的波及効果》もいくらかもたらしたかもしれない。



 秦野の新聞教育のDNA

 全国新聞教育研究協議会の事務局長・田村俊雄先生(荒川・諏訪台中)は、新採用が秦野の西中学校だった。そこで出会ったのが私、同じ学年で学級新聞を指導し、学年だよりを一緒に作った。「西中に行かなければ今の私はない」と田村さん。秦野の新聞づくりが田村先生の中に生きているとは嬉しい。



 新聞のまち秦野 

 『広報はだの』の9月1日号は4・5ページの見開きで「新聞のまち秦野」の特集が組まれていた。その中で「先月秦野で開かれた全国新聞教育研究大会は秦野市民の新聞への熱意を示した」ものと書いている。
 その実例として、家族9名のS家で発行されている家族新聞、学級新聞が基盤となっている北小学校6年5組の学級のようす、そして学校と地域をつなぐ大切な役割を担っている西中学校のPTA広報の活動などが紹介されている。朝、大会の速報部員だったGさんからメールが入った。「『広報はだの』素晴らしい紙面ですね。新聞大会に関わった者の一人としてとても嬉しくなりました。この紙面も『湧水』とともに大切に保存します」とあった。



 北海道新聞、十勝毎日新聞が秦野大会を取材

 北海道から北海道新聞、十勝毎日新聞の記者が秦野大会を取材してくれた。9月25日付けの北海道新聞は「教育のページ」はNIEの特集。そのページに「学校新聞づくり半世紀/神奈川県秦野市の中学/全9校が毎月発行」という見出しで秦野の新聞教育を紹介している。秦野人として光栄、そして感謝。



 ここにも大会の効果が

 9月27日に秦野市P連の『情報委員会だより』が発行された。A3判2ページ、パソコンで作られたもの。
 8月に全国新聞教育研究大会が秦野で開かれ、大会速報の発行を秦野市P連が担当した。その速報に関わった4人の情報委員が『情報委員会だより』の今号の担当になったことで、「大会速報並みのものつくろう」と他の5人を巻き込んで企画を立てた。この企画は「新聞づくりの楽しさをもう一度」と願う4人と、「楽しそうだから初体験してみたい」という5人の思惑が見事に一致していたのだ。
 その企画は夏の新聞大会の特集になっている。紙面には、秦野大会を市P連が応援したこと、講師や提案を受け持った秦野の先生やP会員の活躍ぶりの紹介、そして秦野がこの大会で学んだこと・得たものが載せられている。『湧水』第5号と称しても十分納得できる内容である。
 おおよそ3週間で作り上げた『たより』。編集者の努力は言うまでもないが、パソコンで紙面を作ってくれたKさんの献身的な協力に感謝したい。そして、これもまた「新聞のまち・秦野」という証となった。






第49回全国新聞教育研究大会・秦野大会
平成18年8月3・4日
 
秦野市文化会館


秦野大会は無事に終わりました。ご支援ありがとうございました。 2006/8/5


参加者は550名を超える



大会速報はA3判・2Pで4号まで発行された。▲


速報部員の言葉


 秦野の新聞教育の底力                 
                                笠井 麗子

 面白かったぁ! 走り続けた1ヵ月間でした。
 ある程度覚悟して臨んだけれど、これ程とは…。それを乗りきったのは、チームワーク。素晴らしいメンバーでした。初めて会った時から、皆、自分のできそうなことは進んで引き受けてくれました。きちんと仕上げてくれるので、まとめるのは楽でした。そして最終日には時間との勝負の中、星組も花組も関係なく、先生方、生徒、業者の方も含め全員で作り上げた4号でした。
 生徒の一人がタウン紙のインタビューに答えていました。「新聞作りは、各自が自分の分担をしっかりとこなすことが大切だと学びました」と。
 それにしても、すごいですね。武先生の呼びかけに、新聞作りの経験の有無に関係なく18名もの人が名乗りを上げるなんて。でも、そもそも、元々が先生方の研究会の速報版をPTAに担当させようというのが無謀ですよ。PTA広報は多くが1年任期で1回限り。何年も継続して研究していられる先生方に読んでいただくには自信がありません。(もっとも、このことが判明したのは動き出した後でした。)
 でも結局それが出来てしまったところに、秦野の新聞教育の底力を見た気がしました。正に、武先生が培ってきたものなのですね。PTA広報講習会を行って30数年とお聞きしました。秦野大会のリベンジにかけた年数と、ほぼ同じでしょうか。毎年受講者は変わっても、先生の精神はじわりじわりと広がり、滲み込んでいたのですね。伏流水として。
 そして、たまたま今年。巡り合わせに感謝しましょう。素晴らしいメンバーとのめぐり会いにも。さらに、この大会を通しての数々の出会いと、新聞の広さを教えていただいたことに。そうそう、我家も含め、忙しい母親を理解し協力してくれた家族の方たちにも感謝!



 新聞づくりのおもしろさを再確認
                                水越いち乃

 時間と勝負した「速報」の難しさに脱力でした。全力投球の1カ月に感涙。今思うと新聞大会までの1ヵ月間、嵐の真っ只中にいたような気がします。いつもなら、達成の喜びでいっぱいになるはずのところが、余りにも濃密で、凝縮された時を過ごしたためか、今は過ぎ去った嵐に《呆然》としている心境です。
 昨年、広報委員長として広報誌を作ってきましたが、今回速報に携わって、いかに今まで何も知らずに作ってきたのか、恥ずかしくなりました。例えば、割り付けは今まで、写真の位置やリードなど細かく場所を決めずに、記事を書いていく中で決めていました。時間のある広報誌なら通用しても、短時間で仕上げる速報では、プロならともかく、発行が間に合いません。
 今回、私もパズルを組み合わせるように何度もレイアウトを作成しました。でも、性格が大雑把なのでしょう。当日になって、文字が入りきらない・文字数が足らないなど、入力の小野君には大変迷惑をかけてしまいました。また、そのくせ時間のない中で原稿を起こすのは気持ちばかり焦ってしまい、普段ならなんでもない文章でも、余計に時間がかかってしまうなど、文章を作る難しさとともに、短時間で仕上げなくてはいけない速報の難しさを痛感しました。
 ただ、速報づくりを通して、『新聞づくりは仲間づくり』の合い言葉のごとく、新しい仲間達と出会えたことは、今回参加して一番よかったことだと思っています。各小中学校の本部や広報を経験している人たちは、やはり責任感もあるし頼りがいのある方々ばかりで、苦しい中でも、みんな前向きで、とても勉強になりました。
 初めて新聞大会に参加して、速報はともかく改めて、新聞づくりは面白いなと思いました。また、ある作家の方が新聞で「文章を練習する方法は新聞を写すこと。新聞は文章の基本が入っている文章のお手本。」と言っていましたが、新聞には文を書くだけでなく、多種の分野にわたる情報が載っていて、その新聞を活用するNIEはとても興味がありました。
 でも残念なのは今回、秦野で勉強できるチャンスだったのに、自分は実際に聞きに行けなかったことでした。そしてもう一つ、もっと秦野の先生に大会に参加して欲しかったです。せっかく秦野でやるのだから、気軽に足を運んでもらいたかったです。なんだか、もったいない気がしました。
 最後に、新聞の奥深さを感じたこの大会で、速報をやり遂げたことは、またひとつ自分の自信になりました。



 私にとっても素晴らしい全国大会でした
                                 山口 美紀

 「新聞づくりはすべての学力につながる」。緊張の中、はじめてインタビューした茨城の伊藤さんがおっしゃったこの言葉の意味が、今回速報記者をやらせてもらって身にしみて分かりました。
 「速報記者をやりませんか」の誘いに最後まで迷っていましたが、結局やってみることにしました。仕事を持っているので平日は休むことができず、事前の会議にはあまり参加できませんでした。そんなことで、星組のメンバーには迷惑をかけ申し訳ない気持ちでいっぱいでした。「受けなければよかった」とずっと悔やんでんている日々でした。私がなんとか分担した仕事をやり遂げることができたのは、仲間の皆さんがフォローしてくださったからです。
 インタビューでは、いろいろの方から新聞教育への熱い思いの言葉を聞くことができましたが、その言葉をきめられた文字数で表すことは難しく、悪戦苦闘しました。行き詰まり、仲間に相談するとすぐに答えがもらえたのです。「みんなキレルなあ!」と驚くばかりでした。カメラとは無縁だった私が撮影しなければいけない状況にも遭遇しました。ドキドキの状態で撮った写真が紙面に使われました。記事も活字になりました。その紙面を見ながら「速報記者、やっぱりやってよかった」と思いました。新聞を作る子供たちも私と同じような感激を得ているのだと思うと、新聞作りをもっとすすめて欲しいと思います。
 時間が迫った中、全員一丸となって4号を完成させたときのあの感激は忘れられません。速報部員の私にとっても全国大会は素晴らしい大会でした。たくさんのすてきな出会い、たくさんのよい体験をさせていただきました。ありがとうございました。



 期間限定だからこそ
                                 栗山 雅子
                                
 動いてよかった きっかけは4月の広報研修会だった。広報の経験は多少はあるものの、あまり自信はない。そんな心境で武先生の話を聴いた。講座の最後に「8月の全国新聞大会で速報記者をやってみたい方」という呼びかけ。
秦野での全国新聞大会の年に広報委員長になった。「ここは、思い切って飛び込んでみるか。きっと前向きな人が多いに違いない。鍛えてもらおう」これがスタートだった。
 出会えてよかった まず武先生。そして一緒に動いた速報部員。予想通り前向きで、たくさんのエネルギーをもらった。それから、全国から秦野にみえた人たち。事前の取材、当日のインタビューに応えてくださった先生方。直接言葉は交わせなかったが、速報を読んでくださった皆さん。黄色の腕章のお陰で、さまざまな方々とつながることができた。
 読んでもらって完成 8月4日11時半、まもなく実践報告が終わってしまう。4号は間に合うのか。たまらず速報部の数人が会場の出口に駆けていった。「最終号を渡さずして帰すものか」。間に合った。インクが手につきそうな、刷り上がりホヤホヤの第4号。手にされた皆さんが、読んでる、読んでくれている。それを眺めている私たちの顔が自然にほころんでいった。
 速報 やってよかった 4号まで読者に手渡すことができた満足感。しかし、ほんとうの達成感はその先が勝負「読者の反応いかん」と思っていた。そんな私の心に応えるかのように、閉会式のあいさつの中で、二人の方から「取材に動き回っている姿」や「夜10時半までがんばっていた」など、「速報部の動きが際立っていたことが秦野大会の印象の一つ」という言葉を聞くことができた。「やったー」心の中でそう叫び、部屋に駆け込み仲間に伝えた。4月の頃より前向きの自分がそこにいた。「速報作りに関わってよかった」。よき指導者、エネルギッシュなメンバーに恵まれ、中身の濃い日々を過ごすことができた。
 たった一つ残念なことは、このチームワーク最高のメンバーでの仕事が終わってしまったこと。《期間限定》だったからこそ、一層そう感じる、そう思う。もしかしたら、来年東京・葛飾でどなたかにお会いするかも知れません。 
 


 速報部員になれて本当に《大当たり》です
                                 那須井裕子

 大会が始まる一カ月前から何度も集り、企画をつめました。とくに中学校に出かけて広報委員長の生徒さんへのインタビューをするということは、初めてのことで驚きと不安でいっぱいでした。でも、周りの人に助けられ自分の分担の取材をこなしていくうち不安は少しずつ消え「やればてきそう」と楽しくなってきました。パソコンはダメな私ですが、「パソコンはだめだから他のことを見つけてやればいい。できることを精一杯やればいい」と前向きになっている自分に驚きました。
 そして当日。講座に出席し内容をまとめ、参加者にアンケート調査をお願いしたりと時間と戦いながら「時間内に発行」という一つの目標に向かってみんなでがんばりました。でき上がった速報を手にした時の感動は忘れることができません。
人間っていいですね。仲間って大切ですよね。くじ引きで大当たりで小学校の広報委員になった私ですが、速報部員になれて本当に《大当たり》です。武先生に感謝、背中を押してくれた友達に感謝、いろいろ助けてくれた速報の皆さんに感謝。
秦野でこんなに素晴らしい大会が開かれたこと、その大会で新聞をつくった今年の夏は、私にとって忘れられない夏になりました。



 誰もが眩しくカッコよかった
                                 沼崎みゆき 

 速報を担当したお母さんたちの意識の高さ、レベルの高さに、ただただ驚くばかりの私でした。私には絶対書くことのできない高尚な文を書く人、限られた時間の中で的確な記事を書き上げた人、てきぱきとパソコンに原稿を打ち込む姿、誰もが眩しくカッコよかったです。
 文章が書けないので、せめて写真だけでもと、思ったものの、広報の写真は難しいもので、使えるものが撮れず、申し訳なかったです。こんな私ですので、あの部屋で、お母さん方だけでなく、先生方や中学生のみなさんと同じ時間を持てたことをとても幸せに感じていました。この新聞大会が秦野に来なかったら、一生このような経験はできなかったと思っています。
 大会に携わったすべての方々、お疲れ様でした。黒子の武先生、いい大会でよかったですね。講座でお手伝いさせていただいたこと、これも貴重な体験でした。ありがとうございました。                             



 凄かったですよね! あのチームワーク
                                 相原 明美

 写真をステージで撮るなど、報道カメラマンのような貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。200枚くらい撮ったかな。
 それにしても、第4号の「西小Pの分科会での発表」の記事書き、あせりました。そばで先生は待っているし…。本当に「新聞づくりは時間との闘い」であることを知りました。凄いですよね! 違う学校の母達が集ったのに、あのチームワーク。みなさんのすばらしさに触れられ、よかったです。この経験をこれからの広報づくりに役立てたいと思っています。部員の皆さん、ありがとうございました。                                 


                                  
 4号完成 自然に湧き上がった歓声と拍手
                                 後藤 珠実

 初めての取材は、2号の『この人』コーナーの武先生。武先生が語るこれまでの人生も、秦野の新聞教育の歴史も興味が尽きず、インタビューは2時間半に及んだ。これを1000文字弱の記事にまとめるのは至難の業と思った。取材を通して、まさに秦野の新聞教育は武先生なくして語れないことを実感したのだが、有限の文字数にうまく表現しきれなかったことが悔やまれる。
 実践発表者への事前取材で、先生方と交流させていただいたこともかけがえのない思い出だ。不慣れな取材で右往左往している私に、どの先生もねぎらいの言葉をかけてくださった。その心配りを励みに最後までがんばることができた。
そして迎えた大会当日。初日終了時に配る2号は、今思えばまだ余裕があった。差し入れにいただいたドラ焼きに舌鼓をうちながら校正に臨む和気あいあいの空気があった。 
 その夜8時頃、全国交流会の取材を終えた私は、3号発行に向け頑張っている花組さんの差し入れを持って編集室に入った。すると、そこは部外者が入り込めないほどの熱気と迫力、そして緊張感があふれていた。午後10時に閉館する前に完成するべく時間と戦っていたのだ。温厚なあの人もこの人も皆、必死の形相でペンを走らせている。声をかけるのもはばかられ、私はすごすご退散するしかなかった。だが、実は自分も同じ状況の中いたのだ。4号の『東西南北』を書き終えなければ「私に明日は来ない」。自宅に帰り、夜中までパソコンと向かいあった。
 2日目の朝が来た。4号発行現場は、まさに本物の編集局さながらの修羅場と化した。9時から正午までの間になんとしても完成させなければならない。遅れは許されない。今日の参加者の声を拾って記事にする者。分科会を覗き記事にまとめる者。写真を撮り、チェックする者。何度も撮り直しに走る仲間。
 「キャプションはどうする?」「行数多い。削って」「足りない、増やして!」「ここの見出しまだ?」「地紋はどれ?」「ここの意味わかりづらいよ」「今どこまで打った?」「校正まだ?」などなど分刻みで指示や声が飛び交い、私自身も髪を振り乱してパソコンのキーを叩く。このままだと間に合わない。冷や汗が流れる。こうして大会終了とほぼ同時に刷り上がった、できたてほやほやの4号を手にしたときは涙がこぼれそうだった。
 自然に湧き上がった歓声と拍手の光景は一生忘れられないだろう。今年の夏一番の宝物。青春を髣髴とさせてくれた熱い夏。大会で得た多くのことを胸に、次の胸躍る体験を探してみたくなった。

 33年前、幻に終わった秦野大会の代替の地は三重であったと聞く。三重で生まれ育った私は、嫁ぐまで秦野のことは全く知らなかった。広報委員の経験もなく、とりえといえば、新聞を読むのが好きなことくらい。不思議な縁を感じつつ、速報記者としての日々は、辛いながらも真剣に言葉と向き合う刺激に満ちた経験となった。機会を作ってくださった武先生、編集室で適切なご指導をくださった石田先生、瀬戸先生、渋沢中広報委員の皆さん、ともに《青春》を創ってくれた、尊敬すべき頼もしい仲間に心から感謝したい。



 参加してよかった
                                 佐藤 勝江

 活動一カ月。素敵な仲間との出会い。参加してよかったです。
 思い起こせば四月の本町公民館での事。新聞の全国大会が秦野で行われ、その大会速報を情報委員はじめPTAのお母さんたちで作るという事。今まで新聞づくりには縁のなかった私。まさか、そんな私が速報を作る事になるとは思ってもいませんでした。でも、それは現実の事になったのです。
 初めての顔合わせでいきなり担当が決まり、それからは無我夢中で電話にFAX、取材やインタビュー、写真撮影など、まさに速報記者として動き回る日々でした。大会一週間前になると、その活動は更に活発になり、大会が近いことを肌で感じられました。
 大会一日目、期待と不安でいっぱいの私の心に反し大会はスムーズに流れ、私たちの速報づくりもだんだん熱が入り、1号に続き2号も無事発行。夜は交流会に参加し、事前に取材した方たちと会い直接話をする事が出来ました。多くの人と楽しいひと時を過ごせたことは、今でも良い思い出として私の心の中に残っています。
 二日目の朝、大会参加者に速報についての感想を聞くことが出来ました。多くの人たちから「すばらしい速報、タイムリーでよく出来た速報」とお褒めの言葉を頂く事ができ、とてもうれしく思いました。そんな気分に浸っていたのもつかの間、4号発行最後のどたばた劇。そのスリルと緊張感、出来上がった時の喜びの笑顔、安堵の顔それらは今となっては良い思い出となりました。
 この活動を通して素敵な楽しい仲間と出会う事ができ、日常生活では決して味わうことが出来ない大きな感動を得ることが出来ました。どれもこれも私の生涯の財産となって心の中に残ることでしょう。
 最後に武勝美先生をはじめこの大会に参加する機会を与えて下さった方々、速報記者のみなさん本当にありがとうございました。「湧水」のごとく、感謝の気持ちでいっぱいです。
       


 ここまでできたのは仲間がいたから
                                 石田 紀子

 秦野大会速報部として当日までの一カ月あまり、頭の中をフル稼動させ、大いに苦しみました。きっかけは、武先生からのお誘いでした。速報を作るなんて、楽しそうだと思い、気軽な気持ちで参加することを決めました。ところが、最初の集まりでは何を話しているのかさえわからず、急に不安が押し寄せてきました。そんな中で、私の担当は参加者に取材することでした。全く面識のない方に電話をするのには、とても緊張しました。
 いくつかの学校に電話をかけ、積極的に授業に新聞づくりを取り入れたり、NIEを行っていたりするところもあり、このような新聞の使い方もあるのだと感心しました。逆にあまり積極的ではないところもあり、新聞教育の現実を垣間見ることができたようでした。
 大会第1日は、参加者にアンケートを書いてもらえるかどうかが、とても不安でした。しかし、講座の開始直前に配ったので、かなりの回答を得ることができました。参加した講座について記事を書きましたが、予想以上に時間がかかりました。さらに他の記事もまとめなくてはならず、ただひたすら原稿用紙に向かいました。まさに「速報は時間との戦い」であること身をもって体験させていただきました。時計がどんどん過ぎ去って行く中、先生に記事の手直しや、写真の選び方を教えていただき、どれ程心強かったことだったでしょう。他のメンバーも相談相手になってくれたり、手伝ってくれたりと仲間っていいものだと実感させられました。
 二日目は自分たちの速報を評価してもらおうと、受付周辺でアンケートをとりました。「すごいね」、「よくできている」とお褒めの言葉を沢山いただき、つくづくやってよかったと思いました。
 最終号の速報は、前日味わった以上の慌しさで、メンバー全員で何とか間に合わせようと必死でした。結局、校正こそできなかったものの、予定の記事で紙面を埋めることができ、全員で喜び合うことができました。
 短い間でしたが、何度も集まり、電話で相談し励まし合いながら活動しました。とても充実した時間を持つことができました。ここまでやることができたのも仲間がいたからこそと思います。「新聞づくりは仲間づくり」です。最後に、いろんなアドバイスをしてくださった先生がた、喜怒哀楽を共にした仲間たち、ずっとパソコンに向かっていた中学生の小野裕也さん、本当にありがとうございました。この経験は私にとって生涯の宝物です。



 レンズ越しに見た速報仲間の輝く瞳
                                 高橋由紀子

 祭りの神輿は、見ているより担いだ方が楽しいと聞くが、新聞研究大会の速報づくりの一員として、携わらせていただいたことは、どれほど楽しくうれしかったことか。
 私にとって、新聞づくりは40数年間無縁。まさか私がこんな世界に足を突っ込むとは。 今年4月、市P連総会の折、武先生から、「神奈川・秦野大会の速報担当お願いできる方立候補を」というお話があった。何がなんだかよく分からないが「これは大イベントらしい。秦野では二度目はないかもしれない。武先生のお膝元、東小の私達が応援しなければ」。そう思った私は、真っ先に挙手してしまった。
だが「やはり甘かったなぁ」と気づき始めたのは、速報づくり準備会が発足した7月5日頃から。速報だから当日の活動だけと思っていた。とんでもない、《A3版両面印刷・2日間で全4号を発行》。うわぁ、さすが武先生、まいった。 
 事前取材が始まった。「直接、電話で飛び込むなんて、できるのかな」(ドキドキ)。そんな私だから、最初の先生の取材は、気持ちが集中せず言葉もシドロモドロ。失礼なインタビューになってしまった。次からは、反省をもとに、いつもの私に戻り、快活で明るい乗りでレッツゴー。受話器の声も快く対応してくださった。でも、その記事にするのはやはり大変。相手の立場になって文章を構成するのだから。
 こうして大会当日を迎えた。前日までの曇り空から一転、真夏の空。この日のために熱く燃えてきた私達を応援してくれているように思えた。記録写真を撮って下さいと頼まれ、黄色い腕章とデジカメで会場内を走り回った。
2日間、カメラのレンズを通して人々を見つめた。私を一番驚かせたのは速報仲間の顔。活き活きと輝くその顔・瞳に、私はちょっぴりジーンとくるのもさえ感じた。レンズに映る編集室での仲間の動きや表情、そして声、それらは《乙女の群像》そのもの。(だから花組、星組なのだ)。武先生も若々しく、終始ニコニコ顔。先生の人生最大の夢が実現したのたもの。《先生思い》の仲間たちと『湧水』を発行することもできたし。めでたい。しあわせですよね。「このあとガックリこなければいいけど」と速報部員は心配している。
 ひとつだけ心残りがある。湧水を生み出す源は丹沢の山々。その丹沢をたたえた歌「丹沢讃歌」を開会式で全国のみなさまにお披露目したかった。



 ふるさと秦野
                                 浦田江里子

 夕暮れどき 蜩の「カナカナカナカナ」の声を聞くと、子どもの頃、住んでいた社宅から見た風景がよみがえる。薄紫の空に見慣れた丘のシルエット、木々の間に飛んでゆくカラス、遠くまで続く電線。そして所在なさそうに外を眺める自分の姿。母は買物にでも出ているのだろうか。遊び友達と別れ、待ちわびて、ひとりごと。長い一日、いろんなことを思っていた。そんな情景が目に浮かび、私は涙が出そうになる。幼い自分がいとおしく、戻らない日々が大切に思えて、胸があつくなる。
 唱歌「ふるさと」を聞くと、同じ思いにとらわれる。山は青く、水は清らか。ふるさとはいつも、誰にでも、鷹揚であたたかい。幼い日々の懐かしさとともに、脳裏に浮かぶのは不思議なことに秦野の山川である。鼻の奥がツンとして、のどがグッとつまる。この感情は(この若さ?で)私だけだろうか、と思っていたところ、ある講演の話題で、幼稚園児のお母さんが「ふるさと」で涙した、と聞いた。
 平凡でも自分なりに道を拓き、ここまで歩いてきた。踏み固められた道に残した小さな足跡は今の私に続く成長のしるし。でこぼこでいびつながら自分で作った道にもまた、あちこちに道草してきた足跡。一歩一歩を積み上げると、それは流れた時間になる、とはどこかで聞いた言葉だが、一つ一つの思い出も然り。振り返るものが多いほど、豊かな時を心に刻んできたと思いたい。
 「わがまち秦野」。山を見ながら暮らしたい、とずっと思ってきた。山々の懐にある毎日は、私の生活に安らぎと元気を与えてくれる。緑にあふれたこの街が、子どもたちの時代も変わらず平和でありますように。温かい人との関わりが、人々の心のよりどころであり続けますように。「ふるさと」を口ずさんでは、ゆるゆるの涙線も心地よし、としみじみと感傷に浸る私である。   



 速報作りに参加し 新聞に興味が持てるようになりました
                                 中迫ゆかり

 新聞大会を機に私の中で新聞に対する考え方が変わり、とても興味が持てるようになりました。それまで広報・新聞類はさらっと目を通して終わり、しかも作る側のことなど考えたこともありませんでした。
 速報班になぜか参加することになってしまい、最初は胃が痛み、どうしようとかと悩む毎日でした。そんな時、武先生の言葉、「いやいややっても同じ時間、同じ作業。だったら気持ちを切り替え楽しくやれば効率も上がり仲間も出来る。」を思い出し、自分の中で「やってみよう!」と気持ちが変わりました。
 新聞作りはまったくの初めてでしたので、打ち合わせで決まっていくレイアウトや原稿の内容、取材を誰にするか、文字数をどのぐらいにするかなど、まるで部外者のように眺めていた私にはとても興味深いものでした。ところが、記者として活動を始めると、会ったことも話したこともない方にいきなりの電話取材。びっくりしました。とても緊張しました。でも不思議です、何回か電話取材を続けるうちに相手の方と早く大会で会いたい、と思えるほど楽しくなってきたのです。
 新聞大会は、自分が想像していたものよりも大きな大会でした。速報も2日間で4号発行。自分たちが作った号を手にしたときは何とも言えない感動があり、皆で本当に喜び合いました。
 大会の中で行われた講演や講座にもいくつか覗くことが出来ました。それで思ったことは、もっと多くの小・中学生のお母さん方に参加してもらいたかったことです。私のように「広報はちょっと…」と思っている人も、楽しく活動をしている多くの方の話を聞くことで、絶対に興味が持てると強く思いました。
 皆さんに助けてもらいながら、はらはらドキドキの熱い夏。心に残る夏でした。大会速報班に参加できてよかったです。ありがとうございました。
                   


 読んでくださった方の声に感激
                 
               青柳きみ代

 出来あがった『湧水』に感動し、読んでくださった方の声に感激しました。速報部員の一人として全国大会に参加できたことを嬉しく思っています。
 「速報」は私の知らない世界でした。広報委員として原稿は書いたことはあります。でも短時間で原稿を仕上げたことはありません。「何日もかけ、考えに考えてやっと完成するのに、速報なんてできるはずはない」と、私は思っていました。しかし大会までの何回かの編集会議で、仲間のがんばる姿を見て「私もしっかりしなければ」と気持ちが変わったのでした。
 大会当日、秦野文化会館は熱気にあふれていました。全国から秦野に来られた皆さんの顔を見ると、身が引き締まる思いでした。
その日、私は新聞記者講座の取材担当になっていました。バリバリの新聞記者の話が聴けるということでとても楽しみにしていました。
 いっぱい参考になる話でした。何を記事にするかという企画の段階は、PTA広報も同じで、「何を読者に投げかければよいか」を選ぶ企画会議の重要さを確認しました。また、「取材目的(内容)をよく知り理解していなければ、インタビュー取材はできない、だから記事も書けない」というお話は、速報づくりの中で実感できました。
 その速報づくりの中で、自分の知らないことがいっぱいあることを知り、少し落ち込みました。速報を作ることの難しさも学びました。しかし、新聞づくりの楽しさも改めて知りました。
この大会に参加できたことに感謝し、自分なりに得たものをこれからの広報活動に役立てたいと思います。これからの広報づくりが楽しみになりました。

 自分が生まれ育った秦野の魅力を、『湧水』のコラム「わがまち秦野」を読んで知ることができました。秦野を愛する心がいっそう強くなりました。豊かな自然に囲まれて育ってきたことを幸せに思います。自宅の二階から丹沢山塊をゆっくりと眺めたくなるコラム「わがまち秦野」でした。



 広報に無縁だった私の嬉しい体験
                                  佐々木朗江

 広報には無縁だった私ができた体験を、今とても感謝しています。
 速報記者を引き受けたものの、時間が経つにつれ分かってきたその重責に、不安は募るばかりでした。
『この人』の担当をすることになり、山形の出嶋睦子先生に何度か取材の電話をしました。お話をメモしているときは、先生の人柄や新聞にかける思いを正しく聞き取れているかが心配。記事にしているときは、正しく表現できているだろうかと不安。それだけに、できあがった原稿にOKが出たときは言い知れぬ喜びが湧き上がってきました。その出島先生と何度もお話をしているうちに、秦野と山形という距離感はまったくなくなったようで、お会いできたときは、懐かしささえおぼえ、感激しました。
 この大会に全国から参加された皆さんの新聞に対する情熱を、取材を通じて感じることもできました。全国交流会では、大勢の人にインタビューをしました。でも、それがとても楽しいオシャベリになってしまい、そのあとの原稿作りが大変でした。
この大会は、私にとって「時間との戦い」でした。2日目は、わが西中PTAの提案があったからです。3か月前からこの提案のための準備を仲間と共にしてきました。速報の取材と並行しての動きでしたので、大会が近づくにつれ本当に時間に追われたのです。最後は「体力だけが頼り」という状態でした。こうして準備したのだから、西中の提案は《満点》だと思っています。
 このように、この3カ月はとても濃密なものになりました。速報という新聞作りに参加させていただき、一つのものを作り上げるには連帯感・責任感が本当に必要なのだと、速報記者の仲間の動きから学びました。できあがったときの喜びと満足感は他のPTA活動では絶対味わえないものでした。
 出会えた速報部員の皆さん、渋中の生徒さん、先生方、本当にありがとうございました。そして、この機会を与えてくださった武先生に感謝いたします。


 いかに新しい情報を載せるかが速報の命
                                  丸山 照美

 速報を担当するということは、文章を書くことが好きではない私にとって、また、それが多くの人が目にする新聞という形になることを考えると、苦痛でしかなかった。ましてや、今見聞きしたことをすぐに文章に表現するなど、私にとっては、至難の業。ただ、「皆で楽しんでやりましょう」というリーダーの一言に、後ろを向いていては、何も始まらない、と心を入れ替えたことが、今では遠い昔のことのように思われる。
 実際、発表者に電話取材する際、どういう展開になるのか、聞きたいことがきちんと聞けるのか、と不安と緊張でいっぱいだった。しかし、電話で話す中で、その方たちとの距離感が無くなり「この人たちの思いをどうにかして伝えなければ」という使命感に変わっていったのも事実で、ふと「、これが新聞づくりの楽しさの一つなのかもしれない」と感じた。
 玉木さんの講演内容を、電話で事前にお聞きすることができなければ、当日に話されたことをまとめ、すぐに速報に載せることになるかも、という事態になったときは、正直かなりの覚悟が必要だった。最悪の事態は免れたが、これも貴重な体験となった。
 開会式の壇上で、川野大会副会長さんが速報を高々と掲げ「この大会の関係者の熱意を感じる」といって、会を締めくくられた瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げ、涙が頬を伝った。速報作りを引き受けたことをずっと後悔していた私にとって、引き受けてよかった、と実感した瞬間だった。この感動と、速報の評価をどこかに載せたいという思いにかられ、4号編集後記のリードにしてしまった。武先生から即OKを頂き、「よく取材がされている」とコメントを頂いた瞬間、文章の良し悪しというより、いかに新しい情報を載せるかが速報の命なのだと理解した。最終日、速報の実際の評価を、伝え聞いたとき、事前記事の評価というより、いかに大会当日のことを記事にしているかにポイントが置かれていたことでもよく分かった。  
 「4号発行が間に合わない」と皆が慌しく動き回ったとき、このときは、まさに速報班の皆が一丸となった瞬間だったように思う。あの状況を皆で乗り切った達成感、充実感は今までにないものであった。
 いろいろなことを学び、一生忘れることのできない思い出となった新聞大会が無事終わり、やっと平穏な日々が戻ってきた。家族を含む多くの方々、本当にありがとうございました。



 新聞は言葉の力を育む
                                千坂 佳子

 新聞作りの楽しさ、そして仲間づくりを楽しむことができた充実した速報部の活動でした。
 全国新聞教育研究大会には、市P連の情報委員という立場でメンバーに加わったのでした。ですから、自分に何かお手伝いできるだろうか? 足でまといにならないだろうか、など不安がいっぱいでした。と言うのも、新聞をしっかり読むということがなく、文を書くこともほとんどない毎日の生活だったからです。
 活動が始まると、お仕事は緊張の連続でした。周りの方たちに助けられながら記事を書いていく中で、文を書くことの難しさ、取材したことを正しく伝えることの難しさ、それが新聞の奥深さであり、「言葉の力を育む新聞教育」であることを学びました。
少しずつ出来上がっていく速報の紙面を眺めながら、その出来映えに一人感動している私。仲間の皆さんの新聞作りへの情熱や才能にただただ感激した数週間でした。
 つい一カ月前までは、文字としてしか見られかった新聞記事のそれぞれに、さまざまな取材の苦労があり、記者が伝えたいことがあることを知りました。武先生はじめご指導いただいた先生方、一緒に活動してくれた渋沢中学校の生徒さん、そして大会中《大車輪》だった速報部員の皆さん、すべての方たちにとても感謝しています。ありがとうございました。



 今、晴れ晴れと東京・葛飾大会にエールを送る
                                関野 恵子

 「全国新聞教育研究大会神奈川・秦野大会速報部員の募集」という、降ってわいたような話に、私はいつの間にか身を投じていた。
 大会までの一カ月間、18名の速報部員は、それぞれの分担を、それぞれの想いを抱いて『速報』のために動いてきた。大会で提案される先生方、市内外の見ず知らずの方への取材が始まった。だが最初は電話とにらめっこ。それなのにいざ電話がつながると長電話。その電話取材で感激したこと。NIEの講師小野瀬容子先生とお話していたら、なんと先生は私の母校の小学校で後輩たちを教えていらっしゃったのだ。人のつながりの摩訶不思議、世の中狭い! どなたからも「がんばって下さいね」の励ましの言葉。それがご褒美のようにうれしかった。だからつながらないときでも何度もかけつづけた。その“しつこさ”は我ながら辛かったけれど…。
 活動しながらも不安だらけ。大会自体がよく分からず、自分たちの立場も十分把握できていない、《不満》が少し顔をのぞかせたが、いまさらナンダカンダと並べ、秦野のボロを出すようなことになってはいけないのだ。大会を成功させるためには「やるっきゃないじゃん!!」、ただその意気込みだけで大会に突入。
 速報部員は、二日間の大会の内容を網羅したように見えたかも知れない。でも、現実には講座も分科会も顔を出しただけ。ほとんど勉強できず残念だった。速報全4号を完成させ、参加者全員に大会のすべての内容を知らせる、そのことだけに集中した。そして、確かに私たちはよく努力した、自画自賛だけど。
 33年かけて実現した秦野大会、と聞いた。この秦野大会のコーディネーターである?武先生の新聞教育に対する想い、生徒やPTA会員への指導、先生方へのアドバイスなと、長年にわたるその姿勢が、私たちを速報部員に立候補させた。他の大会で速報をPTAが作ったことはないらしい。
 大会の準備に東奔西走して下さった方々、運営に汗を流された実行委員さん、私たちの取材に協力して下さった先生・PTA会員、そして全国からの参加者のみなさん、こうした皆さんの力で秦野大会は開催できた。その中に私たちの速報『湧水』も入っていることを心から喜んでいる。
 秦野から東京・葛飾へ大会旗は渡された。今、晴れ晴れと東京大会にエールを送ることができる。「第50回東京・葛飾大会の成功を祈る」。






『湧水』をつくった皆さんへ

「一期一会」一緒に新聞づくりができてよかったです

 大会速報で熱くなった二日間。今もその余熱に悩まされて(?)いらっしゃるのでしょうか。忙しい中での1カ月余の活動、ほんとうにありがとうございました。大会をつくり、動かした一人として心からお礼の言葉を申し上げます。
 皆さんの思いと力、それをさらに高めたチームワークによって、大会速報の歴史の中で、圧倒的な輝きを見せた『湧水』ができました。『湧水』は、これからの大会の清らかな伏流水となることでしょう。そのことは、開会式、閉会式の中で速報が取り上げられたことが証明しています。
皆さんが速報づくりで見せた力が、秦野の新聞教育の実践の裏付けになりました。東京大会の関係者は「秦野を超えることを目指す」と言っていました。
 第4号発行の最後の“スリル”は、もう懐かしい思い出となっていますが、私の生涯の中では忘れることのできないものになりました。その思い出は、速報部の皆さんの緊張した顔と、間に合った瞬間のはじけるような笑顔と共にあります。「一期一会」一緒に新聞づくりができたことを心から喜んでいます。ありがとうございました。    武 勝美





 2006/8/2    

  この夏 秦野は新聞で熱くなる

 あと2日で秦野大会の開幕です。「大会紀要」も出来上がり、速報の第1号は明日印刷に入ります。準備は順調に進んでいます。天候もどうやら夏になりそうです。どうぞ秦野へ。心からお待ちいたしております。







全国交流会(8月3日18時より)は丹沢山塊を眺めながら「丹沢アルプホーン」を楽しんでいただきます。





2006年6月5日更新



“自画自賛”の第1号です

 今年度第1号号ができました。今日発送しましたから、明日着くでしょうか。この時期でこの内容は大したものと、自画自賛。当初の予定通りの発行でした。本当は、予定を早めて先週中に発行できないかと密かに目論んでたんですが…。印刷所の日程が塞がっていたのと、委員からの「もっと良くしよう」とのアイデアがどんどん出てきて、なかなか校了にいたらなかったのです。3人寄れば文殊の知恵、冗談のような話から、楽しいアイデアがたくさん生まれました。これとこれをやりたい、は私の案ですが、中味は皆の案が詰まっています。
 新聞の常識がわからず、多少悩んだところもあります。結局、分かりやすければいい、ということになりました。    Reika





参加者の感想
・今回初めて広報づくり研修会に参加させていただきました。「広報」とはとても大切なことだと改めて感じさせられました。うまく広報づくりができるか不安ですが、今回の研修会を参考にして、広報委員の方とがんばっていきたいです。ありがとうございました。
・広報委員を任されたときは、正直、前年のものを使ってなどと思っていたが、新しいものを作るのも面白いなと思い始めた。1年間がんばろうと思いました。ありがとうございました。
・初めて広報委員となり、初めて参加して素直に楽しかったです。広報=耕報…自分を耕すということばで今年1年自分たちなりにがんばって作っていこうと思っています。
・文章についてまったくの素人ですが、いろいろなヒントを教えていただき参考にしたいと思います。
・とても参考になりました。時間が経つのもとても早く感じました。6月始めの第1回発行に向けてがんばってみます。去年の方々が「1年間楽しかつた。」「広報最高。」と言っていたのが、ちょっと分かった気がしました。ありがとうございました。
・とてもためになりました。いろんな例を出していただきありがとうございました。
・個人情報や写真の取り扱いの難しさを考えさせられました。もう少し積極的に紙面づくりに取り組んでみようと思います。
・大変分かりやすいお話でした。私たちの広報はまさに悪い例(年2回発行、文集形式)です。予算の関係もありますが、新しい何かをやってみたいと思います。
・広報というものはもっと苦痛なものだと思っていましたが、お話を聞いていると楽しみながら自分が成長していくものだと感じました。広軌にこ対しての考え方が変わりました。
・参考になることが多く、勉強になりました。最後にお話された「自分を耕すこと」ができれば良いなと思いました。
・すでに広報を発行されている学校があると聞いてびっくりしました。なかなか広報のメンバーが集まることが難しいので、そこの調整が大変ですが、何とかがんばりたいと思います。
・どう作ればよいかと不安に思っていましたが、全国のいろいろな広報のお話を聞き、とても小さかった意欲がふつふつと大きくなるのを感じました。
年1回の発行は変わらないと思いますが、自分なりに記事を読んでもらうような内容に挑戦してみようと思っています。この研修に参加し、とてもよかったと思います。ありがとうございました。
・PTA広報紙にはいろいろな種類があり、特徴があることを知りました。今まで何気なく読んでいた広報紙ですが、今回は作る立場になりました。話を聞く前は去年と同じでよいと思っていましたが、今はいろいろ工夫してがんばって作ってみたいという気持ちに変わりました。
・小地域の広報委員の方にも研修会の案内を出してほしかったです。内容がとてもよかったので、ぜひ次回は案内を出してください。
・1号目は写真中心(発行済み)、2号目は文章中心の広報を作成していますが、1号目はパソコンやデジカメの撮り方など知りたかったので、そのことを中心の研修会もあったらいいと思いました。また今、2号目の校正が1度できているのですが、いろいろと見直しをしていかなくてはと思っています。もう少し早く知りたいと思いました。カラーコピー機が学校で1台が無理なら、赤黒コピー機が町で使用できればうれしいです。
・とても参考になりました。もう少し早い時期の開催ならよかったです。今後の広報づくりが少し変わりそうです。考えさせられることが多くありました。
・託児があってよかった。講義だけではなく、実際に作ってみるといった実技研修があるともっとよかった気がする。
 

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 湯河原町教育委員会「A広報紙づくり講座」 参加者アンケート

★ 今日の研修について ★
・昨年に引き続き、楽しい会をありがとうございました。昨年度の広報紙にかかわっている分、一層批評を重く受け止めたいと思います。
・思いもかけず、引き受けることになってしまった“広報”でしたが、同じ学校の広報の人たちと、
これまでと違った広報紙づくりに意欲が湧いてまいりました。ありがとうございました。PTA会員同士をつなぐ広報紙づくりをしていきたいと思います。
・研修を終えて、これから一年間の広報の役割について知ることができた。
・見てもらえる、読んでもらえる、広報紙づくりへの具体的目標が見えたようです。皆で楽しく活動できそうです。
・メールを打つとき以外、文章を考えることもない生活をしていたので、今日は久しぶりに頭に刺激を受けました。せっかく広報委員になったので、皆で力を合わせて私たちの気持ち、意気込みを言葉にのせて伝えていけたらと思います。充実した研修でした。
・広報は学校便りとは違う・・・ほとんど違わない広報しか見たことがなく、がんばって作っていかなくてはと思いました。
・広報紙は毎年決まった形で出せばよいと思っていたので、少しとまどっていますが、一人でも多くの人に訴えていけるものが作れればよいと思いました。
・広報紙の勉強だけでなく、教育・学校のことについても、より一層深く考えるきっかけになりました。
・午後からの出席でしたが、記事を書く上での注意点がよくわかりました。ありがとうございました。
・わかりやすいお話し方で、実物の新聞を使って、よい例・悪い例等をお話いただき、とても勉強になりました。第1回目の編集もスムースに進んで、とても楽しかったです。次回の講習会も楽しみです。
・普段あまり気にせず広報を見ていましたが、作り方がよくわかる説明でこれから見方が変わりそうです。
・広報紙の研修会に初めて参加させていただきました。内容が濃くて今後の広報紙づくりについて、考えさせられました。わかりやすい説明で出席してよかったです。
・とても助かりました。全く何もわからない状態で手つかずでしたので、どのように組み立てて取り組んでいけばいいのか、具体的にわかり動いていけそうです。次回のクリニックで合格点をもらえるように皆で頑張ろうと思います。


★ これからPTA広報紙を作成する上で知りたいこと、勉強したいこと、その他 ★
・昨年度は講習会を受ける前に年間の企画があがってしまっていたので、今年度どれだけ変わったか、成長を見せられればと思いました。また、9月にお会いするのを楽しみにしています。
・何もかもわからないことずくめでしたので、今日はいろいろと参考になりました。










2006年5月1日更新

新しく広報委員になった方へ  三つのお願い
                 
 私たちのPTA広報紙が賞をいただいたことを、ご報告にお宅にお伺いしました。その時に、先生から「次の広報委員の人たちにあなたが遣り残したことを《遺言》として残したらどうですか」と言われました。〈告白〉しますと、私はこの1年間記事(文)を書いたことはありませんでした。広報委員として、私のしたことは写真撮影や、みんなが書いてくれた記事をパソコンに入力することでした。唯一、書いたものは編集後記。それなのに1000字を書くなんて…、それも《遺言》だなんて、とんでもないことです!(笑)
 この1年間、会員の皆さんに、興味を持って、しかも楽しく読んでもらえるように努力しました。ある友達から「前は折ったままの状態で広報紙を渡されたが、このごろ、最初に子どもが見てから私に手渡されるようになった。広報のお陰で子どもとの会話が増えた」と話をしてくれました。とても嬉しく思いました。新しく広報委員に就かれた方にも、その嬉しい気持ちを体験していただきたいと思い、一年間を振り返り《遺言》を残したいと思います。
 第1のお願い、子どもたちの生き生きとした写真を載せてください。子どもの写真の掲載についていろいろ言われていますが、会員の皆さんに理解していただき、たくさん写真を撮って欲しいです。デジカメの時代です。委員は全員カメラマンになってください。レンズを通して、子どもたちの新鮮な表情を見てください。
 次に、パソコンで広報紙を作ってみてください。自分たちで編集・印刷することで、印刷所にお願いするより時間と経費が節約できます。それによって新しい情報や多くの記事を載せることができるからです。私たちも、最初はパソコンに不慣れでしたが、後半になったら楽しく使えるようになりました。
 最後に、子どもたちの学校行事のことや、地域で行われる子どもたちの行事なども載せたかったです。
以上の三点は、会員一人ひとりがPTA活動を身近に感じてもらうために、広報委員が是非心がけたいことだと思います。付け加えてもう一言、広報作りを楽しんじゃいましょう。そうすれば、必ず読んでもらえる紙面ができます。
 また、広報を作るチャンスに巡り合えたら、私自身の《遺言》を実際に実行に移し、会員に楽しんで読んでもらえる(ファイルに綴っておいてもらえる)ような広報を、皆さんと一緒に作りたいと思っています。     Akemi    



4月27日の総会に間に合うよう第1号を発行しました

 先日は突然お電話差し上げたのにもかかわらず、アドバイスをいただきましてありがとうございます。おかげさまで『先生、役員一覧』は無事に27日のPTA総会に間に合いました。会員のみなさんからは「一人一人がわかりやすくてすごくいい!」と言われました! こんなに早く反応がくるなんて、防犯マップもそうでしたがすごくうれしくて…!
 広報委員を引き受けてくれた人にお話したんです「自分でつくったものが形で残る、唯一の委員会です。せっかくなら子どもたちに見せたときに、自慢できるようなものを形にしましょうね」と。今、自分自身がそれをかみしめてます。3年目にしてやっと、委員長として「みんなで作る広報」が出来る気がします。
 運動会の練習風景は去年同様撮りに行くので、「先日見せていただいた小冊子を作るのはどうだろう?」と委員のみなさんになげかけてみました。思ったとおり賛成の意見が多く聞けましたので、コピーでの冊子を作ろうかと思っています。…臨時第2号です…
 郡の代表の2校に選ばれたのですが、「それは偶然」と言われないよう、昨年度よりレベルをあげ入賞できるように(そう言ったら先生から「賞をとるまでやめられないね」と言われましたが)、みんなが読んでくれる広報をみんなで作ることを目指して頑張っていきます!(^-^)     野村 美樹






2006年4月1 日更新



     平成17年度秦野市広報紙コンクール   主 催  秦野市PTA連絡協議会
                          実施日  平成18年3月14日

 優秀賞   秦野市立堀川小学校PTA  「ほりかわ」
             西中学校PTA  「西中PTAだより」
             西小学校PTA  「西のいぶき」


 優良賞    秦野市立本町小学校PTA   「本町小PTA広報」
             南小学校PTA   「さくら木」
             東中学校PTA   「ぎんなん」
            渋沢中学校PTA   「ふれあいの丘だより」
            南が丘中学校PTA 「南が丘」  


 奨励賞   秦野市立広畑小学校PTA   「PTAひろはた」
           本町中学校PTA   「丹沢の風」


 今年度一年間の発行回数を調べてみると、7回が2校、2回が3校。平均4.5回の発行回数になる。全国平均では、年3回を切るという状況の中で、秦野のPTAはよくがんばっている。 時代の趨勢(時間と経費削減)か、パソコンを使っての自校製版(自校印刷、コピー印刷)に15校も取り組んでいる。初めてパソコンに挑戦し、新聞ソフトやワード、パワーポイントなどで広報を作るまでに至っている。インターネット、メール時代のお母さんたちの面目躍如というところか。以下は秦野のP広報委員の言葉。 


 「PTA広報作り」1年をふりかえって

 大切なことを伝えるために広報はある                          
       
 4月の新旧委員長の引継ぎの時、旧委員長さん達が、「楽しかった、やってよかった。」と感想を述べているのを聞きながら、「終わったから何でも言えるんだ。」と思いました。それと同時に、私も1年後にはそういうことを言えるように頑張りたいと思い、そのことを励みに1年間取り組んできました。
 当初は、分からないことだらけでしたので、記事の内容も親子で読んで楽しめる「学校での子ども達の様子や行事」を中心に年間計画を立てていました。しかし学校に通うにつれ、子ども達自身や子ども達の学校生活をサポートするために、大人達が頑張る姿を見て、私達も考えが変わってきました。そこで取り上げたのが、危険な道路を安全に通学できるよう働きかけていた地区委員会の活動です。
 このことを広報で出した後、地区委員さんから「涙が出るほど嬉しかった。」と言われました。その時、興味のあることだけでなく、大切なことをみんなに伝えるために広報はあるのだと実感したのでした。
 よく広報は大変だから、と言われます。たしかに毎号苦労は多いですが、大変だからと回避するのではなく、やってみると「人との出会い」や「新聞作りの面白さ」など、楽しいことをたくさん見つけることができました。そして、発行後はその苦労が喜びにかわり、仲間と共に大きな達成感と充実感を得ることができました。このように、私にとってこの1年は貴重な体験をさせていただき、今、心から「やってよかった。」と思っています。 
今回「毎日新聞社賞」という大きな賞をいただきましたが、多くの失敗や試行錯誤を繰り返しながらも前向きに取り組み、成長してきた過程に対しての賞だと自負し、今後の心の糧にしたいと思っています。  M.I



 広報が会員の行動をうながすきっかけになれば
                  
 広報委員は敬遠されがちな委員会です。その訳は、集まりが多くて大変というイメージからでしょうか。仕方なく委員になった方は、いかに委員の負担を軽くして、一年を乗り切るのか考えていると思います。私も最初はそう考えていました。この考えを私が変えたきっかけは、他の学校の広報紙です。どれも工夫して作ってありました。レイアウトがきれいで「読んでみようかな」という気持ちにさせる広報紙ばかりです。はたして、私たちの作る広報紙は読まれるのだろうか? せっかく作るのだから読まれる広報紙を作ろうと思ったのです。
 そこで、広報のテーマを会員の関心事である「児童の安全を守る・下校パトロールの実施」としました。私たちは、パトロールの企画会議から、実践されるまでをレポートし、始まったパトロールには、委員が参加しながら記事を書きました。だから、現場をしっかりと目にして記事が書けたと思っています。下校パトロールについてアンケートを取り、会員の意識調査をしました。その後、《ボランティア募集》を掲載したところ、たくさんの方から申し込みがありました。広報紙が皆さんの動機付けになったのでは、と少し自信をつけました。     
 昨今、広報は紙面に載せる写真のことでゆれています。私たちは、掲載については、顔がはっきり写っている方には、一人ずつ了承を頂きました。声をかけたほとんどの方は快諾してくださいました。「次号に載りたい」という声も聞きました。ある保護者の方は、お子さんやお友達が写っていたことで、それ以降、広報紙を「親子で楽しく読んでいます」と話してくださったのです。これからも、皆さんに読んでいただける、そして会員の行動を促すような広報紙作りをしていきたいと思います。  M.S  


 
『絶体絶命』から『感慨無量』で終わった一年

 今年度の広報委員会は十名、仕事を持つ委員が多く、限られた時間での活動となりました。子どもたちのことは、タイムリーに学校・学年・クラスのたより等で報じられますので、PTA活動、防犯などを取り上げました。
 レイアウトもそうですが、記事を書くことはとても難しく、句読点まで皆で文章の修正をしたことが一番大変でした。判の大きさを変え、パソコンでの入力印刷をお願いしたり、公民館の赤黒コピー機も使い、4号発行しました。取材を通して、学校やPTAの活動、地域の取り組みなど様々なことを知る機会を得ることができました。広報クリニックでご指導いただいたことで、私自身の新聞の見方も大きく変わりました。2月発行の号の編集後記の四字熟語が、この委員会の一年です。  T.M

 その編集後記は「この一年間を四字熟語にしてみました。絶体絶命・試行錯誤・東奔西走・悪戦苦闘・一心不乱・猪突猛進・以心伝心・切磋琢磨・感慨無量」とあります。(武・注)



 


2006年3月1日更新

  
『市民が作る広報はだの』の反響

編集者冥利に尽きる
 1月15日の午後3時半過ぎ、編集委員のMさんが「広報の反応、何かあった?」と訪ねてきた。何もないと答えたら「今、そこで広報を持った人に会ったよ」とニコニコのMさん。
 いつもの散歩コースの鹿嶋神社の境内を通っていったら、一人の男性が「今朝の広報に出ていた学校水道の水源地はどこか」と近所の人に尋ねていたという。それで、Mさんは案内をしてあげたらしい。現地で、その男性は「広報の地図、これでは分からない。もう少していねいな地図が欲しい。案内の立て札を作ったらいい」と言ったとのこと。秦野に来て十数年、大根地区在住のNさんとか。
広報を読んだ人が、直ちに行動を起こしてくれる、これは編集者として企画したことが読者に受け入れられたということ。まして、その日のうちに行動してくれたということは《編集者冥利に尽きる》というもの。以下、届いた反響のいくつかを紹介してみる。


「広報はだの」から勇気をもらいました
 突然のこのような手紙をお許しください。今回発行された『市民が作る広報はだの』、とても印象深く、うれしく読みました。
 私は71歳になりますが、20数年前主人に先立たれ、今は長男家族の4人と暮らしています。家族には高校生、中学生の女の子がいます。二、三年前までは、二人とも私とよく言葉を交わしていたのですが、このごろ私にほとんど口を利いて聞いてくれなくなりました。同じ食卓に着いていながら、私はまったく一人です。
 今度の広報で「人をまちをつなぐ言葉 オアシス」を読み、ほんとうにその通りだと思っています。「おはよう」「おやすみ」がどれほど私にとって大事な言葉か。この広報に書かれていること、「その通りだ」思いました。だから、これかも私は、二人の孫に「おはよう」「お帰り」「おやすみ」と言葉をかけようと思います。広報で「勇気をもってあいさつしよう」と小林校長先生がいっておられます。私は『市民が作る広報はだの』から勇気をもいました。秦野が「あいさつのまち」になればいいなあと思います。
 よい広報、ありがとうございました。長男家族に読んでもらえるように、見える場所においておきます。 K.I


作る人の心が伝わる紙面
 紙面の隅々まで作る人の心が感じられる手作り的な要素がいっぱいの紙面。自分のまちを「確かめに歩かなくちゃあ」という気持ちにさせられます。     T.Y


新しい年にふさわしい広報
『広報はだの』本当にすばらしい出来映えです。1ページ1ページ、しっかり読ませていただきました。森下先生の写真に、私も一度訪ねてみたくなりました。普段は「読んでしまったら終わり」の広報ですが、この号は明るさいっぱいの新しい年を迎える、すがすがしい広報です。とてもうれしくなりました。  M.K


編集委員の初野さんに届いたメール
 「市民が作る広報はだの」、冒頭の「人をまちをつなぐ言葉―オアシス(おはよう、ありがとう、信じてる、すてき)」は面白いと思います。皆様で考え出されたのでしょうか。また、秦野の歴史を訪ねる「歩いてはだの再発見」は、写真入で興味深く、健康のため私もこれから訪ねてみたいと思います。「おいしい安い秦野の水」は、改めて天然の水に恵まれた環境に生活できることを感謝せねばと感じました。
 出来上がるまでには大変な時間を要されたと伺いましたが、折に触れこのような広報を作っていただければありがたいと思います。本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。


50本のバラ
 1月16日10時半、『市民が作る広報はだの』が発行できたことの報告とお礼をいうため、編集委員4人で市長室に二宮忠夫市長を訪ねました。その際、菅原さんから届いた読後感(2月1日更新ページ参照)を市長に読んでもらいました。市長は「嬉しいですね。こんなふうに読んでくれて。この人どんな人なの。専門家だね。市民もこんな読み方をしてくれたらいいね」。そして「これを契機に60、70周年と発行できたらいいね」と笑顔。
 1月30日で勇退する二宮市長は、秦野市が誕生してから50年間、秦野市と共に歩いた人。それで、50本の深紅のバラをお礼とお別れの思いを込めて贈りました。
 

読んでくださったからこそ
 一生懸命調べ、正確を期して送り出したつもりでした。でも、次のような間違いの指摘やご注意をいただきました。
 @「名水百選」が「湧水百選」となっている校正ミス。
 A「波多野義通は平治の乱に加わらなかった」と記述したが『秦野市史』には「参戦した」とある。
 B「聖ルカ教会」についての説明が不十分である。
 C「秦野を流れる川」で、なぜ善波川を紹介しないのか。
 D「歩いてはだの再発見」のイラスト地図に、鶴巻温泉駅が描いてないではないか。等々。
 恥じ入るばかりのミスもありました。でも、これ等の指摘を本当に嬉しく思ったのでした。《読んでくださったからこそ》です。ありがとうございました。





 

2006年2月4日更新



1月15日

 『市民が作る広報はだの』第2号を発行



▲神奈川新聞・1月4日



読者からの声

 
春風が舞い込んだよう「市民が作る広報はだの」の 第2弾


 春風が舞い込んだような
市民が作る広報はだの第2弾 誠に有難うございます。全紙面しあわせ感が漂うあたたかい色合いで、しぜんに文字が目に留まるように工夫してあり感心しました。内容も全国各地のまちづくりの御手本となっていて嬉しいです。まさにオピニオンリーダー的存在の広報ですね。
 先ず、一面に魅了されました。人、まち、言葉、おはよう、ありがとう、辛抱、信頼、家庭をオアシスに・・・・等々のことばが目に飛び込んできて、秦野市の皆さんの息づかいと生きる姿勢が伝わってきます。そして紙面の腹の部分に川名富士子さんの「子どものころから国際交流を」と横尾直美さんの「With you ありがとう」がしっかりと結びつき 世界へも羽ばたく秦野市が浮かび上がってきます。これでは秦野に住みたくなるし、市長さんはどんなかたかな、 紙面から市長さんのお人柄も見えてくるようです。「市民が作る広報」を企画された「広報広聴室」の皆さんの心豊かさにも引かれます。他地域を見てもお知らせに終始するような広報が多い中、この度の企画は市民の皆さん自ら立ち上がり、秦野市に活気が漲った紙面になっています。こういう広報には初めてお目にかかりました。他県のどこかにもあるのでしょうか。
 なぜ、ここまで魅力的な広報が出来たのだろうかと考えてみました。第一に秦野市は全国的にも優秀な学校・学級・PTA新聞つくりの歴史があるからです。編集委員12名のうち10名が学校で新聞をつくったり、PTA広報の編集を経験した人たちというのが驚きです。これまで新聞の種を蒔き、たゆまぬ努力をされてきてみごとな秦野の新聞の花が咲いたのでしょう。
 第二に、秦野を知り、秦野を愛し、秦野を育てたいと思う編集委員の方々の心意気です。
四面<「湧水百選」のまち・秦野>では、水への感謝、守り、はぐくむ努力という熱情が溢れています。「金目川の源流」取材では、大切にしたい場所は身近にあることをしっかり教えられました。「歴史ろまん」では波多野氏をとおして文武両道の流れを土台に生きてきた秦野の人々に興味と探求心を持たせるような書き方に感心しました。
 二・三面<歩いて秦野 再発見>は、豊かなみどりの中に吸い込まれ、そこに浸りながら歴史、文化に思いを馳せ、市民の声が聞こえて来るような紙面になっています。「数百年の時を経た今、大山道からどんな秦野が見えるだろうか。」と読者に主体性をもたせ考えさせていくリードの書き方に感心します。
 「風の通い路 そぞろ歩き」から道標や見どころを確認して読み進めていくと、すっかり旅をした気分になれました。歴史的建物も訪れてみたくなります。この地図を見ながらサイクリング車で走ったり、歩いたりしたいです。もっと詳しく知りたいとインターネットで地図を検索したいです。
 編集後記も際立っています。そして編集委員の表情をよく捉えた似顔絵が魅力的で実に面白い、何回もよくよく見たくなる、大成功の編集後記ですね。この貴重な広報を購入できましたら、御手本として何人かに贈呈したいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。         菅原澄子



 秦野を歩きたい


 「市民が作る広報はだの」ほのぼのと温かく、秦野をお伺いしたくなります。「オアシス」の各記事、引き込まれるように読みました。、「十三年ぶりの全校登山」 「すごいですね」と西中学校に声を掛けたくなります。「歩いてはだの発見」、秦野をねたくなります。市民の皆様が親子連れで、お友達とお歩きになっていらっしゃることでしょう。そう想像するだけで楽しくなります。四面の「秦野の水」「波多野氏物語」を読み、私のふるさとである里見氏の南房総を思い出したのでした。ふるさとは大切にしたいですね。  K.O





 秦野の貴重な文献

  昨日配布の広報特別号、感動ものです。まさに頭と足の誠実な作業の成果、見事に結実していると感じました。企画の確かさは言うに及ばぬことですが、広報としての訴えも親しみやすく、そして深く企図され、記念誌としての主力の記事も文字通りの労作で、要を得た資料として価値の高いものと思いました。秦野の貴重な文献として後世まで尊重されるものです。     Y.T




 第2弾もいいですね

「市民が作る広報はだの」ありがとうございます。昨年の「第1弾」も素晴らしかったですが、今度の「第2弾」も、いいですね。記事の内容はもちろんですが、見開きのページのレイアウト、編集後記の似顔絵(千田肇さん)、横山信子さんのイラスト、森下政司さんの写真、A.Iwsiさんの波多野義通像、など、紙面に華を添える、というか、より豊かな紙面づくりに貢献大ですね。市民に歓迎されたでしょうし、市長さんや議員さん方も(他の市に対して?) 鼻が高いことでしょう。     KAMINARI






2006年1月1日更新



出張校正(12月19日) 私たちは1月15日号、広報広聴室は1月1日号を。


 1月15日 『市民が作る広報はだの』第2号発行

 昨年1月、「50年後もこのメンバーで広報を作ろう」と笑って解散した私たちでした。ところが「一年後にもう一度」と、思いがけない展開になりました。前号は『好きです 秦野』、そしてこの号は『歩いて秦野 再発見』をコンセプトの一つとしました。秦野を知り、秦野をいっそう好きになり、秦野をふるさととして育てていきたいと思うからです。「広報」は「広く報じ」ながら、オピニオンリーダーの役割を果たすことも課せられています。1面の『ひとを まちをつなぐ言葉』は、市民編集委員の私たちが願う「ふるさと秦野」の原風景です。編集委員12名の内10名が学校で新聞を作ったり、PTA広報の編集を経験した人たちです。
 この号の特長は、足で書いた記事が多いことです。私の取材命令を編集委員の皆さんが忠実に実行してくれました。矢倉沢往還の秦野の西の入口に「沓掛の不動明王」、東の出口の旧善波、、そして北は蓑毛の髭僧の滝も訪ねました。50周年記念のマラソン大会の5キロの部に二人の編集委員が挑戦しました。秦野に移り住んで初めて丹沢山塊の1370bの「花立」に立った編集委員は、中学生の校外学習に同行したのでした。最終の編集会議の時、編集委員全員が「秦野を更に知ることができた。良い経験ができた」とこの体験を喜んでいました。私も秦野を再発見できたと思っています。

 市制50周年の記念事業に「『市民が作る広報はだの』の発行を」、と提案した私でした。その提案を受け止めてくださった秦野市と市広報広聴室に心からお礼を申し上げます。同時に、編集委員に立候補してくれた16名の皆さんにも「ありがとう」の言葉を心を込めて贈ります。この二つのことは、秦野市の学校新聞活動やPTA広報作りが地に着いたものであることを証明するものと思っています。

◎編集委員の言葉◎
 今年は『全力疾走』で、いつも頭もからだもフル回転していたような、近年にない充実感を味わえた年でした。まわりの人に支えられ、出会いのすばらしさを嬉しく思い返す年末です。    浦田江里子


 
この号を発行するまでの私の行動

2005年
4/28 広報広聴室長から「第2弾を」の依頼電話
5/13 担当の磯崎主査と打ち合わせ「前回のメンバーで。新規に募集はしない」と決める。
5/16 企画の私案を作る。
5/18 第1回編集委員会(編集委員は11名)
6/13 第2回編集委員会 森下さん、写真担当として編集委員に。これで12名。
6/27 第3回編集委員会 今号のコンセプト「歩いて秦野再発見」「ひとをまちをつなぐ言葉」。
7/11 取材『坂本道を歩く』(横山・浦田・初野・森下・武)
7/15 磯崎主査と打ち合わせ
7/20 レイアウトの検討(4面担当者と)
7/29 第4回編集委員会
8/ 3 取材『本町地区の歴史的建物』を見て回る(相原幸・相原未・高橋・横山・初野・岩井・武)
8/ 6 取材 横尾直美さん(50周年記念「子どもの歌・作詞者」)にインタビュー(相原・岩井・森下・武)
8/22 各面チーフと記事の検討会
8/26 第5回編集委員会
9/ 1 レイアウトの検討(1面担当者と)
9/12 取材『矢倉沢往還・大山道を歩く』(横山・浦田・初野・森下・武)
9/26 第6回編集委員会
9/28 編集協力の依頼(千田先生に似顔絵の作成を)
9/30 取材 川名富士子さんにインタビュー(相原・森下・武)
   4面のレイアウト確定
10/7 1面のレイアウト確定
10/10 4面編集会議
10/14 4面編集会議
10/26 第7回編集委員会
10/30 取材『本町地区の歴史的建物』の写真取材(森下・横山・高橋・相原幸・相原未・武)
11/1 取材『髭僧の滝』の写真取材(森下・初野・横山・浦田・武)
(11/4 取材「西中学校の校外授業・登山」に千田同行取材)
11/12 4面編集会議
11/13 4面編集会議
11/19 取材(シンポ『波多野氏物語』)
11/20 4面編集会議
11/21 各面チーフと記事の検討会 
11/22 似顔絵受領 4面の原稿整理(鎮西)
11/23 取材『実朝祭り』(流鏑馬の撮影)
11/24 磯崎主査と打ち合わせ 4面のレイアウト最終確定
11/28 第8回編集委員会
11/30 取材終了分の全原稿完成・出稿
12/ 4 取材『はだの丹沢水無川マラソン』(相原・鎮西編集委員も走る)
12/ 7 初校
12/12 第9回編集委員会(校正の整理)
12/14 第10回編集委員会(市長出席)
12/19 出張校正(横山・相原幸・初野・武)
12/21 色校正
2006年/1/15 発行

編集委員 相原幸子 千田恵美 野中麻未 横山信子 浦田江里子 相原未彩 高橋美帆 初野正博 岩井厚子 鎮西真裕美 森下政司 武勝美




2005年12月1日更新

東中新聞 5年ぶりに最優秀賞   鶴巻中、本町中、渋沢中も入賞

第55回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール     

                 
  主催 神奈川新聞社・神奈川県学校新聞コンクールの会 (2005年11月7日実施)
【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立東中学校
優秀賞    相模原市立田名中学校
優良賞    秦野市立鶴巻中学校
佳 作    秦野市立本町中学校
努力賞    川崎市立西生田中学校  相模原市立相原中学校

【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞   川崎市立宮前平中学校1−1
優秀賞    川崎市立宮前平中学校1−9   
優良賞    川崎市立平間中学校 3−2
佳  作   川崎市立平間中学校 3−3  秦野市立渋沢中学校3−1  川崎市立井田中学校2−4   川崎市立西高津中学校3−2  
努力賞    川崎市立今井中学校3−1  川崎市立今井中学校2−2  川崎市立西高津中学校3−5  横須賀市立大津中学校1−4    
       秦野市立東中学校3−2
奨励賞    川崎市立西生田中学校2−1  伊勢原市立中沢中学校3−6・7・8  三浦市立南下浦中学校3−3  横浜市立みたけ台中学校2−1  


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 第38回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2005.11,15実施)
                                  主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社

☆最優秀賞
  東中学校3年2組☆優秀賞

  北中学校3年2組   北中学校2年2組   渋沢中学校3年1組   東中学校3年1組   南中学校1年3組
☆優良賞
  大根中学校1年2組   北中学校3年4組   渋沢中学校3年2組   西中学校3年5組   西中学校2年2組
  
東中学校3年2組   本町中学校3年1組   南中学校2年3組   南が丘中学校3年2組   鶴巻中学校2年3組
  
鶴巻中学校2年4組   鶴巻中学校3年3組   

  参加:市内9中学校 125学級・159紙 
  (注・市内各校の125学級から159紙の参加ということは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。)




2005年11月1日更新



 作文がきらい、書くのは苦手というあなたへ

 作文がきらい、書くのは苦手という子どもたちに、楽しく文が書ける方法を教えてほしい」とS市のPTA広報から原稿の依頼。しかも「480字で」と。
 第28代アメリカ大統領、ウイルソンは「15分の講演には半日、12時間の準備がほしい。2時間のスピーチなら今からでも良い」と言っています。短く話しをするのは難しいということ。まして私の文章で『楽しく文を書く方法』を説くのはとても無理なこと。でも、断ったらお困りだろうと思い、苦しみながら書き上げたのが次の文。


 作文が苦手なあなたへ
 あなたの中には、いろいろのものが詰まっています。他の人にはない、あなただけのものが詰め込まれているのです。あなた自身のことやあなたの考え、感じたことを他の人に伝えることは、あなたにしかできないのです。
 「私みたいなものが書いたって、だれも感心してくれない。」と思っている人は、自分を価値のない人間だと思っている人です。    
 あなた自身のことを、あなたが見たり、聞いたり、考えたりしたことを、そのまま書いていいのです。あなたが書いたことは、あなたはもちろん、他の人にとっても、とても価値のあることなのです。

 ◇あなただけの文(作文)の書き方
 1 短冊(小さな紙)を数枚用意する。
 2 その紙の一枚ずつに、与えられた題について思い浮かんだこと、書きたいことを単語で一つだけ書く。
 3 書きたい事柄が全部書けたと思ったら、その紙を机の上に広げる。
 4 上から眺め、この単語から書き始めよう、これは終わりに使おうなどと、書く順番を考えてみる。
 5 順番が決まったら、その短冊にある単語を書き出しに使って作文する。
 さあ、原稿用紙に向かいましょう。




 校内学級新聞コンクールの審査法

 秦野の中学校は今新聞づくりのシーズン。S中学の新聞指導担当のI先生から「校内学級新聞コンクール」の審査法について相談があった。
 
  私の考えている《学級新聞の審査基準》
1 審査は四部門=企画・構成・記事・印刷で、各部門5点満点
2 全審査員が4つのグループに分かれ、一部門だけの審査を行う。
  審査員はできる限り全新聞に批評、感想を書く(まとめてコンクールの展示の際に公表される)。
3 審査にあたっての目やす。
 ・企画=新聞全体の内容
   新聞に明るさ、学級をよくしようとする姿勢があるか。特集の扱い方・トップ記事の価値判断は。学級の協力性があるか。発行号数を十分考慮する。
 ・構成=全体のバランス 
   カットや見出しなどの美しさ。割付けの独創性。
 ・記事=文の書き方
   見出しのつけ方は適当か。記事の書き方に建設性が見られるか。
 ・印刷=読みやすさ
   文字の美しさ。誤字脱字はないか。印刷の良さ。
4 最終的な審査は新聞教育担当の教師と新聞委員との合議。
5 入賞数は4割程度、学校長名で表彰する。号数を賞状に記入する。





2005年10月1日更新



 学級新聞「4組タイムズ」は元気です

   プロローグは5月25日の新聞作りの授業


 北小学校の5年4組で国語の授業を2時間担当。と言っても「新聞作りの指導」。生活班を中心にした学級新聞が既に2号発行されているクラス。トイレ休憩の時間に男の子が近づいて「先生、U・Nって知っている?」と女性の名前を口にする。するともう一人が「A・Jは?」と聞く。こちらも女性の名前。二人とも西中時代に担任をした女生徒の名だった。顔もちろん浮かんだ。二人とも「へー知ってるんだ!」。そして一人が「お母さん、20キロやせたって言っているよ」。
 授業が終わり教室を去る私に、子どもたちが花束をくれた。担任の小澤先生が言った。「子どもたちのお家の庭に咲いている花です。お家の人に訳を言って、もらってきたお花です」。いろんな花が咲いていた。「どの花見ても…」そんな童謡があったっけ。(日記から)

 9月14日 二回目は新聞クリニック 
 5月に学級新聞づくりの指導をした秦野・北小学校5年4組に二回目の「新聞」の授業をしに出かけた。9時からということで「朝の学級指導」の時間から教室に入れてもらった。4カ月経ただけだが、子どもたちの顔にその成長ぶりが表れている。だからクラスの雰囲気も落ち着いていて、先生の話をシッカリ聞いている。このクラスが1学期間に発行した学級新聞は11回。どの号もクラスの様子を生き生きと報じている。それはクラスの仲間たちの声をていねいに拾っているからだ。

 『4組タイムズ』2号から11号までの主な見出し
2号 ・きんちょうぎみ 授業参観
   ・キャンプかえ歌は「マツケンサンバU」に決定
3号 ・みんなの好きな教科は体育
   ・父の日 クッキー作りはいかが
4号 ・めざせ 読書1200冊
   ・先生におこられた 給食ちゃんと食べよう
5号 ・キャンプアンケート 
     キャンドルファイャーが第一位 
6号 ・秦野市陸上競技大会
     女子5年・400mリレーで優勝
7号 ・5の4 全員が歯肉炎
   ・新聞作り 全班一周終了
8号 ・保健の熊沢先生に聞く 
     気をつけようリンゴ病とプール熱
   ・梅雨まっさいちゅう ろうかを走るな
9号 ・プールはきたない
   ・きらいな給食 第一位は野菜
10号 ・先生がいなくても静か
11号 ・プールそうじ やりました
    ・読書目標 400冊達成

 45分で全部の新聞の感想(新聞クリニック)を述べた。ほとんどの号にアンケート調査とインタビューが採り入れられている。《掛け値なし》、ほめるだけの私。その後、事前に届いていた子どもたちからの質問に答えた。


子どもたちの質問事項(Q)と私の回答(A)

  記事を見つけるポイントは
Q1 記事を見つけるポイントは何ですか。
A (1)教室の中を見回そう。班の、クラスの誰かの一言に耳を傾けよう。それが記事の元になる。
  (2)前号の記事の続きを書く必要はないか。  
  (3)「〇〇週間」や「××の日」などの行事も記事になる。
  (4)新聞のことを英語でNEWSPAPERという。NEWSとは「新しい」こと。新しいこと、みんなの知らないことを集めて知らせるのが新聞。
Q2 みんなにわかりやすい文を書くにはどうしたらよいですか。
A (1)パンフレットや本、インターネットからの丸写しの記事はつまらない。自分で考え、自分の言葉で書こう。
  (2)他の人の意見や声を入れた記事はみんなが関心をもってくれる。
  (3)記事ができあがったら声を出して読んでみて、他の人に聞いてもらう。聞いた人が「わかった」といったら、読んでもわかる文。
Q3 おもしろくわかりやすい見出しを書くにはどうしたらよいですか。
A (1)記事の中から「オヤ」とか「へー」と感じたところを見つけよう。
  (2)見出しを二本つけると記事の中身がわかりやすくなる。

 短冊方式で記事は書ける
Q4 記事を書いているとき、その先何を書くかわからなくなったらどうしますか。
A (1)記事を書き始める前に、書きたい内容、書かなければいけない事柄を小さな紙(短冊)に書き出し、それを机の上に広げる。そしていろいろ並べ替えて書く順番をきめる。それから原稿用紙に向かうとちゃんと記事(文)は書ける。
 (2)新聞では最初に大事なことを書いてしまうとよい。
Q5「今週がんばった人」は、どんながんばっている人をのせたらいいのですか。
A (1)班の人で、私に比べて「スゴイナ ヤルナア オモシロイ人だなあ」と感じた人を見つけよう。
  (2)クラスの全員がこの欄に登場するように「がんばった人」を選んで欲しい。

 材料が多ければよい味の料理が
 インタビューをたくさんとろう
Q6 どうしたら下書きがすぐにかけるんですか。
A (1)お料理は、材料がたくさんあるとおいしい味になる。下書きをすらすら書くために取材をたくさんしよう。(大勢の人にインタビューをしよう)。
Q7 みんなが「おもしろそー」と思うようなイラストの描き方を教えてください。
Q8 どうしたらうまくイラストを描くことができるんですか。
A (1)学級新聞では写真が使えないからイラストはとても大きな働きをする。だから記事に合ったイラストを描くようにしよう。
  (2)紙面と記事の大きさにあった大きさのイラストを。
  (3)記事の最後にイラストを置くのは「記事がたりなかった」という証拠。
   ※イラストの見本集を持ってきました。教室に置いていきますから使ってください。
Q9 武先生が新聞を作ってうれしかったことは何ですか。
A (1)読んだ人から感想をもらったとき。
  (2)読んだ人がその記事について考え、話し合い、何かを始めてくれたとき。(5の4の新聞でいえば『プールそうじ、やりました!!』の記事)
Q10 武先生が新聞を書くときこまっていることは何ですか。
 A (1)今『エコー』という新聞を一人で作っているが、一人ではときどき苦しくなる。
   (2)ある人を記事にしたいのだが、もしかしたらその記事のためにその人がいやなことに巻き込まれてしまうのではないか、
と思ったとき。

 新聞づくりで学級に力が
 きょうの私のコメントは次号に載せられることになっている。授業が終わって「新聞に協力しない子がいるけど、どうしたらいいのか」と、そっと相談をしにきた子がいた。新聞づくりで学級が力をつけていると感じだ。この日のお土産は「メダカの子ども」。そして5月と同じように、子どもたちが持ち寄った花だった。





2005年9月1日更新

 
 秦野のPTA広報に新しい流れ 
    自分たちでパソコン製版 カラー印刷

 9月に入ると3会場で「PTA広報クリニック」を行う。その中でメインは秦野市P連の行うもの。22校を7グループに分け、1グループ45分、1校15分ずつ対面方式で今年度になって発行された全号の診断をする。3校が同室するので、自校の広報だけでなく、他の2校の広報のクリニックも聞くことができる。私には9時15分から16時30分までのロングラン。その準備を8月の終わりから始めた。今年度の広報活動の特長的なことを書いてみる。

 1 発行回数  3回…1校  2回…6校  1回…15校
 前年度は2回が2校だった。今年度はかつてないほど活発な広報活動が行われている。

 2 編集・発行形態
 新聞編集のソフトを使ったパソコンによる編集が、今年度初めて登場した。しかも、その数が9校(小学校7、中学校2)である。PTA広報作りに新しい時代の到来を思った。初めてのソフトに悪戦苦闘しながら、それでも明るい紙面を作るお母さんたちに拍手を送りたい。
 3 カラー印刷
  パソコンで製版しカラー印刷という形態が6紙あった。「自分たちの力でパソコン製版」という流れから、カラー印刷を願うのは自然なことだろう。経費をどのようにするのかがこれからの課題。カラー印刷が必要かどうかの論議も十分して欲しい。

 4 個人写真のプライバシーについて
 ある広報委員会は次のような「お断り」を掲載している。「今年度も広報に掲載する写真につきまして、顔写真のアップの場合は、ご本人、保護者のご了承をいただきますが、複数で写っている行事風景などは、広報委員会の判断で使用させていただきます。不都合があると思われる方はお知らせ下さい。」 この種の編集姿勢を紙面に明示した委員会が8あった。

 


 広報クリニック
  7月15日発行 夏休みを意識したよい企画

 H小学校PTA 広報委員会様
 『きぼう』93号を読ませていただきました。ありがとうございました。次号のために、私の感じたことを書いてみます。
 ・7月15日発行ということで、夏休みを意識した企画(公園・遊び場マップ)が良かったです。
 1、表紙はクイズ形式の公園紹介です。読者をひきつけたと思います。使われている公園の写真に人影が少ないのは残念でした。(寂しそうな公園に思えて、子どもたちは敬遠するかもしれませんね。)広報の写真は人物が写っているものを使います。
 2、先生紹介のページは上手に構成されています。「みんなに読んで欲しい本」が紹介されました。お父さんやお母さんもこれ等の本を読まれたらいいなあ、と思います。子どもを『本好き』にするには先ず大人が、家族が本を読むことが第一条件です。
 3、7ページのPTA総会の記事ですが、出席者77名に戸惑いました。本部役員の感想も聞きたいと思いました。この数値を見出しにして、次回の出席を呼びかける記事を書きたいです。同じページに各委員会の委員の写真が載っています。これだけ委員会に集まることができるPTAです。総会を魅力的にしてください。
 4、『学区公園・遊び場マップ』紹介されたそれぞれの公園・遊び場にその特長がコメントされているのが良かったです。多分、広報委員さんが取材して回られたのでしょう。「記事は足で書く」ことです。写真はもう少し大きく使えました。また、このスペースなら、交通安全に気をつける場所も書き込むことができたかもしれません。
 5、10ページ、マンガも使われて、変化にとんだ紙面ができました。「子どもたちの安全を守る」という視点から、あちこちのPTA広報で防犯の特集が広報で組まれています。それはそれでとても必要で、欠かせない大事なことだと思います。その上に立って、あえて次のような提案をします。
お母さんたちが中心で作る広報だから、子どもたちに「人間の素晴らしさ、人を信じることの嬉しさ」を教える記事も書いて欲しいのです。「人を見たら…」のような社会では子どもたちがかわいそう過ぎませんか。
 次号は「実りの秋」のころに発行されるのでしょうか。93号に負けない充実した企画が出来ることを信じています。
                              武 勝美
  



 家族新聞『らんどせる』で新聞づくりの効用を確認

 M家の家族新聞『らんどせる』第52号が届いた。毎号、お母さんが届けにくる。そして子育ての難しさを少し愚痴り、笑って帰っていく。
 4年前から月刊で発行されている『らんどせる』。毎号お母さんが「編集後記」を書いている。今月号は「なかなか手ごわい中学生チーム。毎日振り回されて、私の堪忍袋もはち切れそうだ。特にAの急成長にはお手上げ。打つ手が無いのは私の度量が狭いからか。Butめげてはいけない!!。しっかり向き合わなくちゃ」。「中学生チーム」とは3年の男の子と1年の女の子のこと。他に小5の男の子もいる。
  『らんどせる』は「お手上げ!」と言っているお母さんと三人の子どもたちの手書きの新聞である。
 52号では、中3の男の子が中体連の野球大会で負けた悔しさを、中1のAさんは「木は私たちの命の源」という論説を、そして小5の男の子が「初めて優勝 ドッジボール大会」のトップ記事を書いている。お父さんは「お父さんにインタビュー」という連載もので「子どもの頃の夏の遊び」を得意げに話している。
 「新聞づくりは仲間づくり」の効用を、M家の『らんどせる』で確認する。




 5年4組の学級新聞づくり

 5月、学級新聞づくりの指導にO先生のクラス・5年4組に行った。それから5‐4は班の輪番制で学級新聞の発行を始めた。そして7月20日に発行された号が11号、だから週刊である。すごいことだ。
 
 新聞作りの感想 「できたときはとてもいい」     今井 大貴
 新聞ができたときは、とてもいい。なぜなら新聞を作っているときは休み時間も遊べないままで三日間ぐらい遊べない。でも新聞作りは、とてもいい。家族に学校のできごとをしらせられるし、新聞作りがおわったらとてもいい気分になり、外でおもいっきり遊べるからである。
 O先生からのメッセージ(学級通信から)
 実は、みんなを支えているはずの先生はもう、初めての新聞作りにふーふーいっていました。グループの編集会議の持ち方や取材の仕方、記事作成やレイアウト等々、なにもかも様子が分からずドタバタ、いやジタバタしていたからです。毎日、編集会議につきあっていたような気がします。一学期が終了したときはほっとしました。
みんなの感想を読んでびっくり、様々な感想を出してくれました。苦しかったこと・がんばったことや、チームワークのこと等々。でも、みんな2学期の新聞のことを考えて意見を書いてくれています。そこがすごいね。先生のマイナスな姿勢とは大違い。えらいなあ。







2005年8月1日更新

 広告の裏が記事面 これもNIE

 公立ハイスクールに通う長男(16)が「学校新聞」の授業を修了した。選択科目のひとつで、新米のカメラマン役だつた。コンピューター編集で、この年間に14回、1600部ずつ発行した。大統領選から校内ダンスパーティーまで多彩な内容だった。
 編集への干渉を避けるという理由で、学校当局やPTAから製作費用の援助を受けない伝統を誇っていた。代わりに、受講生50人に各400ドル分以上の広告集めがノルマとなった。上級生が地元商店などの従来の得意先を担当し、新米記者は新規広告主を開拓する。
 隣町の商店街まで出かけ、片っ端から断られ、途方に暮れる日々が続いた。教師は「我が校の新聞に広告を出すのは、正しいおカネの使わせ方です」とゲキを飛ばした。
 意外にも、長男自身が常連のゲーム店で、鼻にピアスの若い店主が大口の広告主になつてくれに。「食って、寝て、遊べ」。学校新聞には異例のコピーが躍った。
 「自分たちの紙面を確保するには、資金繰りをしっかりしなくては。広告の裏が記事面になるという心構えなんだつてさ」。広告の重要さと、独立した編集の関係を、実地体験でたたき込む授業に、メディア大国の片りんを見た。   (宮川政明






2005年7月1日更新

 武勝美の通信簿  柏市での私の講座の評価

 柏市で行った私の講座の評価が、柏市PTA連絡協議会のホームページに載った。私の通信簿の公開である。

◇5月23日実施の『PTA広報作り講座』のアンケート集計結果◇
 ・アンケート回収数 159枚(小学校・幼稚園101枚、中学校43枚)

◎今回の講座について
 @よい・144  Aふつう・15  Bわるい・0

1、よい、もしくはふつうと答えた理由
@講座の内容がよかったという意見
 ・わかりやすかった
 ・各学校の広報誌の現物が見られてよくわかった
 ・実践的な内容でよかった
 ・写真の取り扱いや個人情報の事など注意点がよくわかった
 ・広報のPTA新聞が持つ本来の役割(知らせよう、広めよう)がわかり意義を理解できた
 ・持ち帰りの資料もあり役だった
A講座により活動意欲が湧いたという意見
 ・いやいやなった広報委員だったが、とても楽しみに思えてきた
 ・新聞を発行するなどはした事がないので何もかも新鮮な驚きだった
 ・お話しの楽しさにがんばってみようと思った
 ・楽な方に流れてしまう広報活動、広報の大切さを考え直した
 ・実際の活動のやり方がわかった
 
2、今後どのような企画を希望しますか
 ・出来上がった広報誌の個別指導
 ・パソコン、デジカメなどの上手な活用方法やレイアウトのコツ
 ・全国の優秀作品の展示
 ・印刷のコストを抑える方法、印刷所との上手な関わり方など
 ・広報委員同士の交流の機会、優秀作品を作った方のお話が聞きたい
 ・個人情報の扱いなど注意すべき点の詳しいお話が聞きたい
 ・年に1.2回ではなく何回か行って突っ込んだ内容に触れて欲しい

3、御意見・ご感想をお書き下さい
 ・広報紙を通して子ども達に「人の良さ、大切さ、優しさ」を伝えていけるなんて素晴らしいと思いました。がんばりたいと思います。
 ・今まで何気なく読んでゴミ箱行きだった広報誌にこれだけの思いが詰まっていた事がわかりました、原稿作りも苦手ですが頑張りたいと思います。
 ・もっと多くの広報委員を誘えばよかったです。次回からはできるだけ参加を呼びかけます。
 ・こんな広報誌を作りたいという夢が広がりました。
 ・とても参考になりましたが、プレッシャーも感じています。
 ・現実は例年と同じ物を作るパターンが多く、一人ではなかなか難しいことも多いです。





2005年6月1日更新


                                                          005/05/23 アミュゼ柏
柏市PTA連絡協議会主催 PTA 広報づくり講座 

 子どもたちの心を温かくする広報をつくろう (要旨) 
                                        講師  武 勝美
 
 5月14日に「アドマチック天国」で柏市が取り上げられた。その番組を観て評判の「そごう」「高島屋」の食品売り場・デパ地下を見て回り、この会場に乗り込む予定だったが、小田急の事故で残念。柏は新聞づくりが盛んな街、全国コンクールで、ここ四年間に何校か最優秀賞をとっている。柏は新聞のまち。「アドマチック」の30に入れて欲しかった。
 タレントの永六輔さんは「素敵な女性を見つけるにはPTAの会場に行きなさい。子育てに一生懸命な人たちだから、自分自身のことも一生懸命になれる。だから素敵な女性なのだ。」と話している。 私も同感、さらに言えばその中でも広報委員は最も素敵な人だと思う。その理由は
1、5月初旬にもう今年度第1号を発行するという意気込みや使命感を持つ、素敵な人たち。
実例の紹介
 「相和」 真黄色の菜の花の中の新入生。色鮮やか名写真。コンビニのカラーコピーで。
 「おおい」 4月25日に発行。「入学おめでとう」に6年生の言葉が載っている。「1年生が固く手を握るので暑くて手に汗がいっぱい。緊張してるんだと思った。面倒見てやらなければ」
 「いわつばめ」3P仕立て・カラーコピーで。これも4月下旬に出ている。
2、荒川区のPTA広報講習会でのこと
 昼間の参加120名 夜70名 、 委員全員が夜昼どちらかの講座に参加された。この講座で出た質問は、 
Q、PTA広報に広告を載せたいが? A、公立の学校で広告を取るのは難しい。
「なぜ広告までとってやるのですか」との私の問いに次のように答えた委員長さん。
印刷費が欲しい入学予定の生徒数が半分ぐらいになった。私の子どもが行っている学校が悪く言われるのはたまらない。「ウチはいい学校なんだ」と区内の全6年生に知ってもらいたい。そのためのPR広報をつくりたい。発行されたものは、たしかに「PTAの記事が少ない」。だが、これはこれでPTA広報の一つの役割は果たしたのではないか。
 この思いで一年間活動した広報委員会から手紙が届いた。「新一年生は昨年の倍になるということを学校から聞いた。もう一年広報委員を務めるつもり」
1、2に挙げた例のように、こんなに頑張っているお母さんたち。多分会場の皆さんも、これから同じように活動をしていくだろうと思う。だから広報委員は素敵な女性なのだ。

理論編
1 PTA広報の役割
@記録する ・PTA総会は毎年記事にする。
A知らせる これから先のことを知らせる姿勢があるといい。
 ・実例 運動会を知らせる広報 見出し「運動会を十倍楽しむ」で運動会のみどころを紹介。
B高める 会員にアクションを起こしてもらう。
 ・実例 1面に荒れている学校の現状を報告。 2、3面で特集を組み、会員に広報委員会から提案「 ”自由を履き違えていませんか” 学校生活に共通理解をもとう」 その提案は (1) 生徒手帳を読もう( ピアス、茶髪…) (2) 守ろうルール(授業参観に来たらおしゃべりしないでちゃんと見よう) (3) 子どもたちに教えよう、「決まり」則は変えることが出来るいうこと (4) この広報を資料に学級懇談会を開こう(今の学校の状況・子どものことを考えてみよう
 今この中学校は変った。市内で一番穏やといわれる学校になった。もしかしたらPTA広報が、少しは貢献したのかもしれない。
2 発行回数のこと
 ・1学期「先生紹介」 2学期「運動会、文化祭の写真特集」 3学期「卒業記念号」を報じるだけではPTAに展望は開けない。 学期1回の発行なら、特集を組み、みんなで読んで考えるものにしたい。
 ・年3回の例 「せきだい」 (文京区・小学校)特集のテーマ 学ぶ(一学期) 遊ぶ(二学期) 食べる(三学期)
 ※PTA広報にレシピなど載せるスペースはあるのだろうか。
 ・ 運動会特集号の企画
 S小学校 練習風景と当日の写真を掲載し、子どもたちの本番に向けてのガンバリを伝えている。
 M小学校 アンケートで「運動会は好きか」
 H小学校 「運動会は授業参観だよ 座席とり、 飲酒、喫煙も考えよう」と問題提起。
3 取材のポイント
 @インタビューを記事にする時は固有名詞と数字は再度確認する。
 A依頼記事は依頼状を付ける。(発信人は会長と広報委員長)
 ・依頼主旨をはっきり書く(その必要性を) ・テーマは具体的に ・文字数も(上限〜下限) ・〆切日 ・誰が受け取るか(広報委員が受け取るのが原則・先生と交流できるではないか。)
 Bアンケート調査
 ・答え易いアンケートをつくる。
 ・紙面に載せる場合は広報委員が分析してのせる。結果→分析
 ・アンケート調査の掲載で下記は必ず載せる。 実施日 対象者(誰に配ったか) 対象者数(何人に配ったか) 回収率 (回収率が低率だったら、アンケートが調査対象者に受け入れられなかったと考えたい。あるいは実施者の趣旨が伝わらなかったと考えたい)
 C 座談会 司会者はシナリオを持つ。記事に起こす場合、テープを回しそれ頼ると後でテープ起こしの作業が大変なことにな。メモ書きで記録をする。困ったらテープを聞く。
 D投書を紙面に載せて問題が起こったら広報委員会は精一杯の対応をする。
4 記事の書き方
 ・ニュース記事 5W−1H−1B(背景)で書き、インタビューを加えるとよい。
 ・意見記事 昨日、今日、明日という視点で記事を書く。
 ・古い記事を古くしない方法
  具体例 8月実施の「除草作業」→12月発行号に載せる場合、「前年と比べてどうか」「来年行なうとしたら」
 ・文の書き方商業紙のコラム(「天声人語」など)は、30〜35字くらいで○(句点)がくることが多い。短い文を繋いでいくと読みやすい。
 ・10行くらいで段落をつける。
 ★緒方竹虎(朝日新聞編集局長)氏の短冊式作文術
 ・短冊を用意する
 ・与えられたテーマについて思い付いたことばを短冊に書き、机上に置き、鳥瞰する。そして、文の組み立てをする。。
 実例「編集後記」を書く
  ・思いついたままに
  出来た、うれしい!       1
  次もやれそう          4 
  みんなの協力があったから    2
  寄稿のお礼           3
  次号の予告 乞う御期待     5
  新聞づくりは仲間づくり     4
  書かれた短冊(言葉)を1〜5のように並べ替え、その言葉をキイに文を作る。分量の調節は自在にできる。
 5 見出しの作り方
 スポーツ紙は見出しで売る。その記事の中の一番大事な部分を探す。それが見出しになる。7〜13文字程度で現在形。
  ※思い出の「見出し」 『京みやげは食中毒』(私が現職だったころ、修学旅行の最終日、生徒たちがお弁当で食中毒にかかった。そのことを報じた京都新聞の見出し。)
6 写真掲載とプライバシー
 ・個人情報保護法は意識したい。
 4月13日「朝日」夕刊の記事 PTA広報の記事が訴訟の対象(敗訴)
 「先生紹介」で星座、血液型、出身地を載せるが、これからは取材が困難になるだろう。たとえ取材できたとしても、先生の血液型を聞いて何の意味があ るのか。
 ・子どもたちの写真はPTA広報には欠かせない。写真掲載は出来る限り本人の了解を得る。小学生の場合は保護者の許可もとりたい。
 ・写真のレイアウト 人物の視線が紙面の中心に向くようにおく。(人物写真は、正面、左、右、と3方向から撮っておくとよい。)
7 印刷する前にチェック
 ・先ず、外まわり、題字下、依頼原稿の氏名が間違ってないか、
 ・「PTA」という文字が見出しに何回も登場しないように工夫しよう。
 ・誤字、脱字、
 ・敬体(です、ます)と常体(だ、である)どちらかに統一する。
 ・数字の書き方を統一する。
  ※「新聞用語辞典」(共同通信社)は役立つ。
8 まとめに代えて・PTA広報のめざすもの
 ・福岡県飯塚市立二瀬中「むぎ」は、「PTA活動を通じて『「子育てを一緒にやりましょう」を広報の継続テーマにしている。
 ・大阪のH小PTA広報は、佐世保の事件を考える学級懇談会の内容を克明に記事にしている。
 ・PTA会費の使い道を取材している広報もあった。この種の記事はこのごろほとんど目にしていない。
9 まとめ
 目にした広報の中で、多くの広報が「子どもたちを守ろう」という意識に立って作られている。今の世相からすれば、これは欠かせない記事。だが、母親がつくるPTA広報だったら、 子どもたちが「人は信じていいんだ、人間てイイナ」と感じられるような記事を書いて欲しい。子どもたちの心を温かくするために広報の力を使おう。
                                          (文責・菅原)





 N中学校PTA広報委員会だより(部内報)

 5月18日の区教育委員会主催「PTA広報づくり講座」の講師・武勝美先生のお話の一部をお伝えします。

 広報は「記録する→ 伝える→ 高める→ 行動する」
1 出来事が新鮮なうち記事にし知らせる
・すでに5月13日付けで広報誌を出した小学校(生徒数113名)では、手作りでコンビニでカラーコピ−している。すぐできるし、安く、1万円くらいで出来る。このように広報委員会が活尭なとこるの総会出席者は、70%だ。
・ある広報誌で「転任する先生の言葉」を入れた内容も良い。
・また、入学式のすぐ後に出した広報誌では、「子どもの感想」などを載せている。
2 広報誌は広報という役目だけでなく、親の熟い思いを表現する「道具」にも成りえる
・九中では、入学者が激減したので、広報誌を通じて、九中の姿を地域や入学予定者に伝えたいということだった。学校のことを中心に会員の意識を高めたい、入学者を増やしたいと広報誌を作って、尭実した内容となった。広報誌は、時にそういう役割を担ってもいいのではないか、と思う。その良い見本が出来た。
3 会員みんなの思いを書くべきだろう
・親の思いをきちっと形に出せるのが広報誌だ。文字に表すことは、書いた内容に責任を持つということでもある。それだけ、「きっちり」「ずっしり」した事が表現できる。
4 PTAに広報誌はなてもいい?
・広報誌をなくしたPTAは、学校が見えなくなってしまい、有志がボランティアで出すようになり、復刊になった。
5 それでは何を伝えるか
・会費がどう使われるかは、どういう活動をしているかということと密接な関係にある。(例)その決算や予算を決める総会になぜ出席者が少ないのか。「なぜ、総会に出ないの か」と書いてもいいのではないか。(例)「これでいいの総会」「もっと出ようよ総会」という記事。
6 提案型の記事にしよう
・事業や活動の記事は、昨年と比べての総括とし、今後の展望を出そう。「明日につなぐ今年の活動」という見出しがある。やり残したことや来年やってほしいことなどの記事。
7 広報委員会はPTAをひっぱる役割がある
・PTAとは、先生と親が子どもたちのことを話し合う会。広報は学級懇談会を盛り上げる役割をしよう。話し合うきっかけ・材料を提供しよう。
8 会員を動かそう。
・ある荒れていた学校で、次のような広報誌の特集が組まれた。「親、私たちが間違っているのではないか」。学校の現状について「共通理解を持とう」、そのために「生徒手帳を読もう」。「操業参観に来たら廊下でのおしゃべりはやめよう。授業を見よう」(これは 社会のルール、親がルールを守る見本に)。「学校の決まりは変えられる。気に入らないから破るのではなく、生徒会などを通して変える努力をしよう―親は子どもをそう仕向けよう」「この広報誌を使って懇談会を開こう」と提案した。
9 ある「先生紹介」記事
(例)「この学校で一番好きな所はどこか」「なぜ好きなのですか」を質問し、そのところで写真を撮る。・先生の氏名にはルビをふる。
10 PTAで子育ての仲間を見つけませんか
〈例〉「子育てをごいっしょに」
11 運動会の演技写真ばかりではなく
(例)本番と練習との比較写真を載せている。
12 広報と写真の使用について
・なるべく本人の了承を得たい。小学生の場合は保護者にも。
・「掲載を望まない場合には事前に委員会に言ってください」と伝えている広報委員会も出現し始めた。
                                      (文責・市村)







2005年5月1日更新


「秦野の新聞教育の57年間の歩み」 秦野市教育研究所が発行

 秦野市教育研究所がこの3月に研究紀要第71集を発行した。その紀要は『秦野の教育と新聞』(A4判・142ページ)で、第1章「新聞でたどる秦野の教育」、第2章「座談会・秦野の新聞教育」、第3章「学習の的と目としての新聞づくり」、資料編「新聞の作り方」「新聞コンクールの結果一覧」からなっている。第1章は、昭和25年から平成16年までに秦野市内の小・中学校で発行された学校新聞、学級新聞、そしてPTA広報の縮刷版や記事の切抜きが100ページあまりにわたって掲載されている。これは、戦後の秦野の教育の歴史を子どもや保護者の目から記録したものとして、貴重な資料。学校での授業のかたわら、この研究に2年間取り組まれた先生方のご苦労に心からお礼を言いたい。
 小澤みつ江(秦野市立北小学校) 森戸恵美子(秦野市立上小学校) 上村貴和子(秦野市立南中学校) 守屋 忠(秦野市立東中学校) 谷津 裕(秦野市立大根中学校) 小島 秀子(秦野市立渋沢中学校) 鈴木 健次(教育研究所指導主事)



次号のこのページで内容の一部を紹介します。







 なぜPTAに広報誌が必要なのでしょう
                                 西畑けい子

 南が丘小学校のPTA活動は、学級・広報・ふれあい・地区の4つの委員会から成り立っています。毎年四月の懇談会で委員決めをするのですが、学級、ふれあい委員会はほとんどが立候補で決まるのに、広報委員は「大変」といううわさが先行し、なかなか決まらないという状況が続いていました。
16年度も例外ではなく、19名の広報委員の中で進んで委員になった方はわずかで、しかたなく引き受けた方がほとんどでした。仕事を持っている方が多く、委員会活動に時間をとられたくないという気持ちから、広報誌の発行は年2回と決めました。しかし、五月の広報技術講習会で武先生のお話を伺い、少し考えが変わってきました。
 学校便り、学年便りがあるのに、なぜPTAの広報誌が必要なのでしょう。私たちはそこから考えました。今までの広報委員のイメージは、行事のたびに腕章を着けてカメラを持って走り回っている姿です。でもPTA広報なのだから、PTA活動を中心に皆さんにお知らせすることが本当の姿ではないかと考えました。運動会、音楽会、総合学習発表会などの報告は学校にお任せすると勝手に決め、私たちはPTA活動を中心にお伝えすると決めたのです。
 第1回委員会は、しかたなく引き受けたという気持ちから、重苦しい雰囲気でした。しかし実際に広報誌の編集に取り掛かると、皆、隠れた才能を発揮し、楽しく作業をすることができました。やれば楽しい委員会なのに、四月当初どうして積極的に委員を引き受けられないのだろう。どうして広報委員のイメージって悪いのだろう。もっと気持ちよく委員を引き受けていれば…との気持ちから、1号目はこのことを特集記事にすることに決めました。本部さんに相談したところ、本部さんも現状が良いとは思わず、委員の選出法を改革したい。十二月頃には臨時総会を開きたい。広報委員会のアンケートに協力したい。という力強い言葉を頂きました。こうして本部と連携し、PTA活動のあり方をテーマに1年間活動していくことになったのです。
2号目は、総会前までに会員の関心を高めるため、大規模なアンケートを行い、PTA活動の問題点を取り上げました。そして3号目では、臨時総会の結果報告と、総会で承認された「二月に変更された委員選出」がスムーズに行われるよう、委員会活動の楽しさをアピールしました。その二月の委員選出は、混乱もなく、立候補で決まり、私たちの広報誌《南の風》が会の意識向上に少しは貢献できたかなとホッと一息つきました。
 広報委員会は確かに大変かも知れません。でも、うわさほどではありません。パソコン、デジカメ、メール、FAXの普及で、以前に比べとても楽になりました。私たちは担当する記事を分担し、自宅で書いた原稿や写真をメールで送り合い編集作業をしました。仕事を持っている方たちも、時間に拘束されることなく委員会活動に参加することができました。そして何よりも素敵な仲間たちと出会い、協力し、一つのものを作り上げる楽しさを味わうことができました。印刷の上がった広報誌を手にしたときの喜びは格別です。貴重な体験ができたこの1年。感謝の気持ちでいっぱいです。(平成16年度・小学校PTA広報委員)




今年の広報委員さんへ

 広報作って 幸せに気分になって
                                  岡 妙子

 年度第1号の広報紙を作り始めたときは、委員長になった不安とプレッシャー、そして時間に追われてパニック状態でした。でき上がったものは内容も薄く、1号目からこんな調子でよいのかと思ってしまいました。ましてや、「200号という記念号を出す年度」と聞いたときは、正直、「誰か、替わって!」とさえ思ったのでした。そんな時、「子供が興味をもって読んでいたよ」「家族で読んだよ」との声をいただき、救われた気がしました。私達らしいものを作って、たくさんの親子に見てもらい、読んでもらえたらいい、と思いました。学校の資料として残るのもPTA広報ですが、家庭でも保存してもらえるような広報紙を作りたいと思いました。
 ところが、年度2号目の発行が年末ぎりぎりになってしまったので、200号への取り組みが遅くなり「200号までの足取り」の取材や、地域の方からの情報を受けることがほとんどできませんでした。もっと早くから、余裕をもって活動しておけばよかったな、と思いました。
私は委員長として、委員さんたちに協力のお願いを遠慮していました。仕事をされている方が多く、その合間に広報の活動時間を入れなくてはいけないことを思うと、私は、自分でできるところはやってしまおうと、少しワンマンで動いていました。今思えば、その方が自分にとって《楽》だったからだと思います。本当は、全員で分担して、うまく作業してもらうということが委員長の務めだったと思います。気持ちばかりが焦り、周りが見えていなかった、と反省しています。
 記念の200号の発行に関わって、改めて広報紙作りは、人と人とのつながりを強めるものだということを教えられました。記事を書く人、原稿依頼に行く人、編集する人、それを印刷する人、配る人と、たくさんの人に支えられて広報活動は進められることを知りました。そして、その努力や苦労は、読んでくれる人により報われるのです。たくさんの人が読んでくれることが何よりのご褒美なのでした。
 これから広報作りをされる方、思い悩む日もあると思います。でも、めげずに、頑張ってください。広報紙を手にしたわが子に「お母さん、すごいね」などと褒められると、とっても幸せな気分になれますから。(平成16年度・小学校PTA広報委員)






2005年4月1日更新



平成16年度秦野市PTA広報コンクールの結果    2005年3月15日

優秀賞 「西中PTAだより」西中学校PTA  「南の風」南が丘小学校PTA  「鶴中PTAだより」鶴巻中学校PTA
優良賞 「本町小PTA広報」本町小学校PTA  「丹沢の風」本町中学校PTA  「せんだん」東小学校PTA
      「南の風」南が丘中学校PTA
奨励賞 「大根中PTA」大根中学校PTA  「西のいぶき」西小学校PTA 
   



 東中学校の新聞づくり

 東中新聞の平成16年度の最終号です。下段の「これを受け継いで」は、卒業していく3年生が「1、2年生よろしく」と東中学校の伝統を引き継ごうとする思いの記事です。その引き継いで欲しいトップが「しんぶん」です。「新聞の東中」の面目躍如たるところです。この号は773号、全国の中学校でもっとも多い発行号数を数える学校新聞かもしれません。今年もまた東中学校の教室で新聞づくりが営々と続けられることでしょう。「新聞づくりは仲間づくり」ですから。

                            











2005年3月1日更新



 54回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果(秦野市関係) 2005年2月25日発表
                               主催 毎日新聞社・全国新聞教育研究協議会
                   
☆学校新聞の部
 入選・毎日中学生新聞賞 大根中学校 
 佳 作         東 中学校

☆学級新聞の部 東中3年は全クラスが入賞
 入選・鹿島賞    東 中学校3−3
 奨励賞       東 中学校3−1
           東 中学校3−2
           鶴巻中学校1−4
           西 中学校2−3

☆PTA新聞の部
 奨励賞       堀川小学校PTA
           南 中学校PTA     
                                      表彰式は3月5日 毎日新聞東京本社

  コンクールの結果は全新研のHPで。「エコー」のリンクのページからアクセスしてください。


 広報委員長やって本当に良かった

 学校・学級とで賞をもらって、うれしく思っています! 広報委員長の務めも、もうすぐ終わってしまいます。去年の4月は「賞取れるかなぁ?」なんてことを考えてましたが、この1年のうちにたーくさんの事を経験してそういう心配もなくなってしまいました! 一生懸命にやっている事には、それなりに結果がついてくるようです。今回の賞は、東中広報委員会はもちろん、各学級の努力の結果がはっきりとあらわれたと思います。校内では、とくに3年生の新聞づくりは活発です。それに、2年生も次を引き継ぐ人たちがさっそくガンバリを見せてくれて感心、感心です。
 なんか本当にうれしいんです! 「この1年もまた東中生は伝統をしっかり引き継いだな!」って。私が新聞づくりが好きなように、東中生みんなが楽しく、協力して新聞づくりをしていると最近感じています。広報委員長をやって本当に良かったです。   野中 麻未



 よいPTA活動から よいPTA広報は生まれる  1年間の広報活動を振り返って

 過日は当委員会広報62号に対し、過分なお褒めのお言葉と励ましをいただきありがとうございました.委員一同、たいへん喜んで拝読させていただきました。すぐにでもお礼のお返事をすべきところを、忙しさにかまけて今頃の返事になってしまったことをお詫びいたします。
 昨年5月に本町公民館で行われた広報技術研修会において、印象的な事柄が幾つかありました.一つは、武先生のおっしやられた「広報は<学校だより>ではない。<PTA活動の記録>である。」ということです。今年一年間、3回の広報を発行するにあたって、このことを肝に銘じて作成したつもりです。また、これは私一人の勘違いかもしれませんが、広報といえどもジャーナリズムの側面を持ち、ジャーナリズムの基本としての批判精神を持つことが必要であると、お話を伺いながら感じました。しかし、学校というデリケートな場で、批判精神をあからさまに出すことは必ずしも良い方法とも思えず、批判精神を持ち続けながら、どのように先生やPTA役員と協調してゆくのかが、最も苦心したところです。
 研修会が終わってしばらくして、各学校の広報委員長の参加の感想が記載された紙が届きましたが、その中に、「良い広報を作っている学校が、良いPTA活動をしているとは限らないのではないか」というものがあり、その通りだなあと同感しました。広報が優れているとしたら、それは優れたPTA活動の結果としてあるべきで、広報だけが立派でもしょうがないと思ったのです。ですから今年一年、PTAの全体方針を決定する運営委員会のメンバーでもある広報委員長としては、運営委員会で積極的に発言や提案をしたり、他のメンバーが自由に意見交換できる雰囲気を作り出すことに、大きな力を振り分けたつもりです。それはともかく、今週中には本年度3号目の広報が発行になります。お目を通していだだければ幸いです。
 最後に、武先生が委員長として発行された<市民が作る「広報はだの」>について、僭越ですが一言だけ感想を述べさせていただきます。2ページ目に鶴巻地区の特集があり、<延命地蔵>が取り上げられていましたが、その記事の中に「一方、駅から延命地蔵尊までの遭を参道と見立てると、坂道にあった並木はすでになく残念な思いがします。」という記述があり、これを読んだときは本当に嬉しく思いました。近頃、さかんに<街おこし>などという言葉が使われますが、その<街おこし>のための開発によって、肝心の街の景観がいとも簡単に失われて行くことを日頃から悲しく思っていたからです。
 長い手紙になってしまいました。武先生の今後も引き続いてのご活躍をお祈りいたしております。 ありがとうございました。
 
  2005年2月14日
                       鶴巻中学校PTA広報委員長  櫻井 健雄






2005年2月1日更新

秦野の新聞教育の実践  

市制50周年記念「市民が作る『広報はだの』」 新聞づくりは仲間づくり
  
 2005年1月1日に市制50周年を迎えた秦野市は、いくつかの記念事業を行う。その事業のトップバッターとして「市民が作る『広報はだの』」が1月15日に発行された。
新聞教育に40数年かかわっている私だが、地方自治体が周年記念事業に市民による「広報づくり」が企画されたという例は寡分にして知らない。
秦野市が「市民が作る『広報はだの』」を企画した理由は、今回発行された特別号の4面に中学生が書いている次の記事によって説明できる。

 新聞づくりのまち 秦野
昨年の第37回秦野市中学校学級新聞コンクールに、市内全学級から152の学級新聞が応募しました。秦野市の中学校の新聞作りは盛んで、全国コンクールで学校・学級新聞が「日本一」に輝いたのは12もあります。(中略)市制50周年記念に『広報はだの』を市民が作るということは「新聞の秦野」という特長をよく表していると思います。これからも、いろいろなところで良い新聞作りが行われたらいいなあ、と思います。「新聞がたくさん発行されると、いろんな人の考え方がわかる。これはとても大切なこと」と新聞作りが好きな阿南陽子さん(東中生)は言っています。一枚の新聞にたくさんの声が集められるからです。「新聞作りは仲間作り」。私たち子どもは、これからも楽しく新聞作りをしていきます。大人もそれに刺激されてがんばってください。

 コンセプトは「好きです 秦野」
 編集委員の公募に応じてきた17名は男性6名、女性11名。年齢は12歳から71歳まで、各年代からバランスよく集まってきた。17名の生活基盤は看護師、会社員、自営業、教員、主婦、学生などさまざまだが、13名が学校新聞やPTA新聞、家族新聞などで新聞作りを経験、あるいは活動中の人たちだった。
第1回編集会議で17名のそれぞれが取り上げたい企画を発表し、記念号の企画のポイントを次のように確認した。
@「50」「未来」という視点で市民50の声を集める。
A市制50年を振り返り、祝い、未来への展望が目的なので、明るい紙面を作る。
B秦野の名刺代わりになるような広報を作る。
C市勢要覧や、各種刊行物とダブらないようにする。あくまで私たちの視点で紙面を作る。
D魅力ある広報・わかりやすい広報・読んだら行動したくなるような広報を作る。
この記念号のコンセプトは「好きです はだの」とした。

 取材活動の中で得たもの
 中学生たちが「森が生み出す名水」の取材で丹沢ホームに中村道也さんを訪れた。インタビューの中で「森のことを勉強することが秦野の名水を守ること」という中村さんの言葉が印象に残った。この中村さんの話から4こまマンガが生まれた。
 魅力ある、分かりやすい記事にするために、記事の推敲は厳しく、繰り返し行った。担当が書いた記事→面の責任者が推敲→面担当者全員で推敲→担当が書き直す→面責任者が推敲→面担当者全員で推敲→全編集委員で推敲→面責任者→編集長→出稿、という流れで記事でもテーマ「すきです はだの」への一貫性を求めた。 
 
 編集委員の感想100周年記念紙も作りたい
・『新聞づくりは仲間づくり』と言うように、多くの人と出会うことが出来た。100周年の時にも同じ企画があったらもちろんまた参加したい。(中学生委員)
・市制100周年までがんばって編集顧問で参加したい。(30代委員)
・貴重な体験でした。人生の鮮やかな1ページです。(30代委員)

 まとめ
 15日 夜10時の電話
 元日に届いた年賀状に、『広報はだの』を楽しみにしている、という内容のものが20数通あった。うれしさと、その期待に応えられるかどうかという不安が入り混じった心境だった。そして15日広報を手にしたとき、私たちが願っていたものができたと、喜びがこみ上げてきた。その朝、市民の皆さんも一生懸命読んでくれただろう。
 「新聞づくり」は「仲間づくり」だと私は思っている。委員はそれぞれの思いや願いを持ってこの「広報はだの」を作りたいと立候補してきた。その思い・願いが、まちづくりへの共通理解に立って紙面になった。この広報は委員の仲間意識の結晶だが、取材に協力してくれた100名もの人たちも広報づくりの仲間に加わってくれたのだ。
市長が年頭の挨拶で「50周年を100年に向けての第一歩にしたい」と話された。『好きです はだの』をテーマに「まちづくり」に一層積極的に参加したい。そして叶うことなら、市制100周年記念の『広報はだの』も今回の仲間で作りたい。
 1月15日の夜10時ごろ、電話が鳴った。
 「武さん、広報見たよ。いいものが出来たね。今ドイツから帰ってきたところ、武さんの前触れがあったので、早速目を通した。改めて秦野っていいまちだと思うよ」。電話の主はかつて秦野市民だった60代の女性。今は、市外に住んでいるが「広報はだの」の郵送での読者である。
 そして1月の終わりころ、全国新聞教育研究協議会の菅原さんと学校教育新聞社の岩上さんから次のような読後感が届いた。
 
 広報はだの(市制50周年記念特別号)」 拝読。テーマが一貫した編集で心打たれます。温かい紙面で、幸せ感いっぱいになりました。夢があります。秦野を守り育てるオピニオンリーダー性を発揮した貴重な記念号です。
 一面 「好きです はだの」の見出しで、笑顔が素敵な50人の写真を入れて、みんながよくよく見たくなるような楽しめるレイアウトで引き付けられます。リードにある「秦野が“優しい、温かいまち”と言われるのは豊かな自然の中に暮らすことができるからです。豊かな自然からいただいた豊かな心で『名水と丹沢』を守り育てましょう」が心にやさしく深く響きます。
 二面、三面 の「元気です はだの」では、地域おこしや伝承行事が各地区ごとに紹介してあり、生き生きとしたまち「はだの」が息づいています。色彩も綺麗であたたかく何度見ても飽きません。
 四面 「明日の秦野のために」は、中学生の皆さんが作られた紙面でしょうが、秦野のまちづくりの素晴らしいオピニオンリーダー的存在になっています。森を守り、水を守り、平和を願い、そんなやさしい、あたたかいまちをつくり育てていこうと、さすが”新聞づくりのまち、秦野”です。「平和を願う〜ひろしま訪問団 10周年〜」も秦野と広島と世界がつながり輪になっていく貴重な記事でした。どの記事も手書きで心のこもったレタリングや絵が、読者にやさしく訴えかけてくれます。「葉たばこ」や「ハダノ」「基準点・水準点」「落花生の起源」等々、紙面にちりばめてある”秦野豆知識”もどれも大切な項目だと思いました。17名の編集委員の方々が、片寄りなくいろいろな所から出てこられたのも、秦野の皆さんが新聞作りに親しまれているからでしょう。編集委員の皆さんの心が響いている記念号でした。29日の式典、ご盛会を祈念します。     菅原 澄子

 「広報はだの」特別号 “武色”が濃厚な楽しい紙面です。郷土を愛する市民参加の企画が素晴らしいです。内容も充実していて読む人を感動させます。ミニコミ紙っていいものだと感じました。武先生の専門性が秦野市民のために生きているという思いがしました。   岩上 薫


市制50周年記念・市民が作る『広報はだの』 第4面「中学生による手書き新聞」







2005年1月1日更新



朝日新聞 12月24日


「タウンニュ−ス」 12月25日号



『広報はだの』はとうとう私たちの手を離れた

 2月22日、出張校正。朝10時から5時間かけて校了。『広報はだの』はとうとう私たちの手を離れた。
 7月6日の第一回編集会議、そして21日、28日と三回を使ってどのような紙面を作るのかを話し合った。17人は、それぞれの思いを抱いてこの広報作りに立候補してきた。だから企画については「意見百出」。そしてようやく次のような編集の指針のようなものを確認することができたのだった。
およそ6か月かけての編集。この間、全員が参加しての編集会議は9回、各面ごとの担当者による取材や編集会議が延十数回。そして、秦野市制50周年記念「市民が作る広報はだの」特別号は、平成17年1月15日、4ページ立てのカラー印刷で発行される。

◇秦野市制50周年記念「市民が作る広報はだの」の編集指針◇
1、市制50年を祝い、振り返り、未来展望が目的なので、明るい感じの紙面を作りたい。
2、市民にとって、魅力的な広報、わかりやすい広報、読んだら行動したくなるような広報を作ろう。
3、「50」「未来」というコンセプトを大切にしよう。
4、市勢要覧や市の各種刊行物と異なった、私たちの視点で紙面を作る。
5、秦野の名刺代わりになるような広報(秦野の売りはコレというものを示す)を作ろう。


秦野市制50周年記念「市民が作る広報はだの」特別号の紹介

キイワード「好きですはだの 50」

1面 ・メインテーマ《好きです はだの》
市内在住または在勤で平成17年に50歳になる人、市内の園児、小学校児童、中学生、
高校生50人に、秦野の好きなところや場所をインタビュー
 (インタビューした50人の笑顔の顔写真で数字『50』をレイアウトしている)                                                  
2・3面(見開きページ) ・メインテーマ《元気です はだの》
市内10地区の元気な取り組みを紹介
・大根地区  大学との懸け橋地域交流センター
・鶴巻地区  まちを見守る延命地蔵
・南が丘地区 異世代交流でふるさとづくり
・東地区   地域に根ざした実朝まつり
・本町地区  楽しさいろいろ「まほろば館」
・北地区   受け継がれる夏の獅子舞
・渋沢地区  江戸時代から続く桜漬け
・上地区   ふるさとを学ぶ上自由学校
・西地区   四つの思いが響くPTSCA活動
・南地区   名水と桜をちりばめた公園

4面(この面は中学生による手書き新聞) ・メインテーマ《明日の秦野のために》
明日の秦野のために守りたいこと・育てたいこと
・豊かな水は緑濃い山から  
・新聞づくりのまち秦野
・平和を願うひろしま訪問団 10周年
・4こまマンガ
秦野を読もう(秦野のことが分かる本の紹介)

その他各面に◆秦野豆知識(知ってる? 秦野のこんなこと)
・地名「秦野」 ・秦野の葉たばこ ・秦野の落花生 など







2004年12月1日更新

第37回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2004.11.18実施)
                                  主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社

☆最優秀賞
  東中学校3年1組
☆優秀賞
  本町中学校3年2組   西中学校1年3組   南中学校3年3組   鶴巻中学校1年4組
☆優良賞
  本町中学校2年1組   本町中学校2年4組   東中学校3年2組   東中学校3年3組
  西中学校2年3組   南中学校2年2組   北中学校3年2組   南が丘中学校3年1組   南が丘中学校3年2組
  
渋沢中学校2年4組   大根中学校1年5組   

☆奨励賞
  渋沢中学校1年1組   鶴巻中学校1年2組   大根中学校1年1組
    
☆特別賞
  大根中学校3組・障害児学級   

 参加:市内9中学校 121学級・152紙 
(注・市内全校の121学級から152紙の参加ということは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。今回、大根中学校の障害児学級が新聞づくりに取り組んでくれたことは特筆すべき嬉しいことです。「エコー最新号」のページに、このコンクールについての関連の記事があります。





大根中が4年連続で最優秀賞   東中 北中 鶴巻中も入賞

第54回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール

                 
  主催 神奈川新聞社・神奈川県学校新聞コンクールの会 (2004年11月8日実施)
【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立大根中学校
優秀賞    相模原市立大野北中学校
優良賞    秦野市立東中学校
佳 作    秦野市立北中学校
努力賞    秦野市立鶴巻中学校

【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞   川崎市立宮崎中学校2−2
優秀賞    川崎市立宮前平中学校3−8
優良賞    川崎市立西高津中学校 1−3
佳  作   川崎市立京町中学校3−C  川崎市立井田中学校2−3   川崎市立井田中学校1−4  川崎市立宮前平中学校3−1
努力賞    川崎市立臨港中学校1−2  川崎市立柿生中学校3−3  川崎市立平間中学校3−1  秦野市立鶴巻中学校1−4
       相模原市立大野北中学校3−5
奨励賞    横須賀市立浦賀中学校1−1  平塚市立春日野中学校3−3  三浦市立南下浦中学校1−1伊勢原市立中沢中学校2−3
       伊勢原市立中沢中学校2−6・7



継続は力なり
                            審査委員長・神奈川新聞社縞集局整理部長  鎌田 良一

 百三十年以上の歴史を持つ日本の新聞。見出しと記事の区別もなかったような初期の段階から、幾多の変遷を経て現在のようなスタイルになった。そこにームは、多くの新聞人の知恵が込められてきたはずだ。そんな新聞の歴史の中で、現代の中学生・高校生は、どんな新聞をつくっているのか。 高校の部で、三年連続最優秀に輝いた「こゆるぎ」。多角的に調べ、特集満載のボリューム感たっぷりの紙面は、やはり読ませる。
 優秀の「大船高新聞」は個人情報、優良の「英和時報」は五日制緊急調査などを特集。異色だったのはハエ特集を一面に持ってきた「湘風」(優良)。一面トップ記事は「最大多数の最大関心事」。ハエという一面らしくない特集が、逆に関心を呼ぶ。中学校では最優秀の「大中新聞」は地域の防犯などを特集。学級新聞の最優秀「2にこサラダ」はコミュニケーション度のアンケート。 
特集の多くは、世の中の動きを的確にとらえながら、自分たちの所に引きつける視点がよかった。よく記事は「足で書け」といわれる。取材がしっかりしている特集は読み応えがある。
 パソコンで新聞が編集できる時代。新聞づくりも変わってきた。その中で大事にしたいのが号数。今回、「和高新聞」は100号の記念号。「東中新聞」は760号とある。部員が交代していく中で、紙齢を重ねるのは容易ならざる努力がいる。継続は力なり、という。伝統を受け継ぎ、伝統をつくるんだという心構えで新しい新聞づくりに絶えず挑戦していってほしい。







2004年11月1日更新

がんばってます 広報づくり

市制50周年記念の『広報はだの』の編集委員に立候補した中学生たち
の丹沢での取材活動を、本物の記者さんが取材してくださいました。





 

 「タウンニュース」(2004年10月2日号)の記事

  市制50周年記念事業  記念広報ただいま編集中!

   公募市民の編集による広報 発行は来年1月15日


 秦野市は来年1月1日に迎える市制50周年に向け、様々な記念事業を予定している。市民が作る「広報はだの」もその1つ。50年の歴史を振り返り、未来のまちづくりにつながるようにと、公募で集まった市民が現在、来年1月15日の発行にむけ、月に1〜2度のペースで編集作業を進めている。
 50周年記念となる広報は、今年の6月に市民から編集委員を募集。応募のあった17人が、市民編集委員となり7月から編集作業を進めている。編集委員は中学生4人を含め大学生、主婦、会社員、中学校教諭、自営業者など様々。17人のうち女性が11人を占めており、年齢も14歳から70歳代と幅広いメンバー構成となっている。相原幸子さん・美彩さん(本町中2年)、浦田江里子さん・友里さん(東中1年)は親子での参加となった。
 編集委員長には鶴巻中学校の校長などを歴任、市内の中学校の学級・学校新聞づくりの指導で信頼の厚い武勝美氏が就任している。武氏は最初の編集会議で「市民約17万人に対し17人の編集委員。およそ1万人に1人なので、1人が1万人分の思いを込めて取材しよう」と発行の意義を話し、紙面の内容については「次の世代に残るようなものを」と抱負を語ったという。
 紙面は4ページ立て。内容は、ページごとにテーマと担当者を決め、秦野の好きなところ、元気に活動しているところ、名水などをテーマにし取材、紙面構成をする。1面トップ記事は「こうご期待」(市広報広聴室)ということで詳細はまだ伏せられているが、50周年に絡め、市民50人のインタビューなどが掲載される予定。また4面には、中学生4人と大学生1人の女性5人が中心となって「秦野に残しておきたいもの」などをテーマに取材。写植を使わず手書きのレイアウトにしていくことになっている。
 編集会議は9月までに5回を数え、すでに1面の取材も終了。今後は原稿書き、原稿の入稿、ゲラ刷りの校正など詰めの段階に入っていく。出稿自体は11月中に完了する予定。






2004年10月1日更新



 「新聞作りの裏話」(菅原澄子さんからの資料提供です)


 先日「組体操に燃えてます!」 なんてT小のAさん(男性教師)からメールが入り、二学期が始まり活気に満ち溢れる学校独得の空気が伝わってきました。 秋なんですね。
 毎日新聞社での「新聞活用実践教室」に参加してきました。
・講演は板垣雅夫氏(元毎日新聞社編集局長)で楽しくすっきりしてました。社会部でロッキード事件に関わったり活躍された方だそうです。「民主主義と新聞の役割」をしっかり考えて欲しいという強い思いが伝わってきました。
・記者の取材現場報告は、学芸部・岸俊充副部長と 地方部・塚本泉副部長で、裏話いろいろで楽しかったです。
 学芸部で神経を使うのは有名人の死亡に関すること。90歳以上の有名人は予定稿を作っている、予定外の人が亡くなると大変だ。先日の水上勉氏は事前に用意してあった。夕刊は2版、3版、4版とあるが、3版(埼玉、神奈川、千葉)には毎日新聞だけ載せられた。4版の時には他の新聞社も載せてあったとか。こんなところにも競争があるとは大変ですね。さて、追悼文を誰にするかを考えるのも大変で、今回は瀬戸内寂聴さんに頼んだところ、読売が先に頼んであったようです。でも瀬戸内さんは書いてくれ、掲載当日2紙をを比べたら、別の文章になっていて感激。短時間で書かなければならないのに、さすが偉大な作家、とのこと。映画では「今夜、ベネティアの受賞作が発表になるが、どの作品が選ばれてもいいように前もって原稿を作ってある。もし、どれも選ばれない場合は全て原稿は没になる」などと聞き、もったいない、その原稿を別のとこに廻したら面白いだろうにと思ったりしました。 こんな裏話を聞きくと、新聞に一層親しみが湧きます。





 PTA広報づくり・PTA広報づくり・PTA広報づくり・PTA広報づくり・PTA広報づくり・PTA広報づくり・PTA広報づくり


 広報クリニックに参加して 9月10日に大井町で行った「広報クリニック」のアンケートのまとめが届きました

 これからも楽しくがんばります
○前回に引き続き参加させていただきました。広報委員として有益なお話が伺えたと思いますし、また広報づくりに向けてアイデアなどが浮かんできたのも事実です。けれども、これまでの形式やスタイルがあるものを思い切ってつくり変えるには、勇気と覚悟が必要です。その努力はしてみたいという気持ちです。
○自分たちの作った新聞を評価していただくと、今度はこういうふうにやればいいんだという気もちになりました。これからの新聞づくりに役立てたいと思います。ありがとうございました。

○第1回は、4月前半に行なって欲しい。広報づくりは4月から始まり、どのように作ったらよいかわからないなかでスタートする。研修で学んだことをふまえて、広報づくりができるとよい広報ができると思う。
「?」の後は1文字空ける、囲った中に罫線は入れない、など参考になった。できればこうした作成の基礎を教えていただきたい。
○第1回目の講義に引き続き大変参考になった。広報づくりに役立てられたと思う。武先生のお詰も分かりやすかった。
○広報クリニックは大変よかったです。見出しの重要さに気づきました。今後の広報づくりに活かしていきたいです。
○とにかく発行することに流されてしまいそうになる広報活動について、改めて考えてみようと思いました。ありがとうございました。
○初めて広報委員になって、何もわからない状態からのスタートより講義を受けてからの方が取り組みやすいと思います。
○今日のクリニックでは、何を言われるのかどう評価されるのかドキドキしましたが、見出しやレイアウトについてなど、これから参考になるお話が聞けてよかったです。今後も楽しくがんばりたいと思います。
○自分たちで作った広報を評価していただいて、今後の参考になりました。
○先生のお話ユーモアがあり、楽しく聞くことができ、とても分かりやすく参考になりました。残る2回の広報づくり、頑張りたいと思います。
○毎回先生のお話は参考になります。あと2回の広報づくりに役立てたいです。
○私達メンバーは7名です。フルタイムの方が2名、残り5名は平日都合のつく人です。4月と7月に広報を出して、まだ1度しか参加できない人、フレックスタイムを使って参加してくれる人いろいろです。大変だけど楽しい雰囲気で取り組めたらと思っています。写真を撮るのに私なりにこだわりを持って撮るように心がけています。今日先生に「よい写真が撮れています」と言っていただき、励みになりました。ありがとうございました。 

 家族新聞に挑戦します
○広報誌のよい点、注意点はとても分かりやすかった。家族新聞の作品やいきさつ、その後などを聞いていると、自分でも作ってみようかなと思わせる説得力がある。家族で話し合うことは大切だが、やはり言葉では限界がある。思いのたけ、ちょっとした心の襲も文章にすることでまた違った見方を相手に与え、家族の結びつきにもつながると思った。
○各広報誌への先生のご意見は大変参考になりました。ほんの少しのことでも注意するだけでずいぶん違うなと思いました。これからに生かしていきたいと思います。家族新聞ですが、書いてみようとは思うのですが、なかなかきっかけがありませんでした。夏休みから家族の中でいろいろな事件?などもあり、この機会に書いてみようかなと思います。

○今回の研修は、前半はこれまでの他の広報も含め評価・コメント を伺え、大変参考になった。後半の家族新聞づくりについては作成の手順の参考になり、自分もやってみたいという思いになった。子どもの夏休みに宿 題に大変よいと思った。
○家族新聞の話はおもしろかった。自分の作ってみたいと思いました。ありがとうございました。

家族新聞の件は大変興味があります。前回も同じ気持ちになりながら、何も行動にうつせませんでした。今度こそという気持ちです。この話は、仕事とは別の機会に個人的に講習があれば是非参加したい気持ちになりました。ありがとうございました。
○非常に興味深く聴講できました。ありがとうございます。(「人生観が変わった」というと少々オーバーか?)受身で始めた活動でしたが、広報終了後、次は家族新聞に挑戦していくつもりです。


 とても楽しい2時間でした
 今日は有り難うございました。久々に広報のことを思い出して、とても楽しい2時間を過ごさせて頂きました。また今回は2年前と違って、余裕をもって他校の作品を見ることが出来、また違った観点を発見することが出来ました。それにしても、先生の飽くなき広報への情熱は、素晴らしいものですね。人との出会い、文章に込められた人の思い、たくさんの家族のエピソード、声、そしてたくさんの人たちの広報に対する思い・情熱が、先生のパワーの源なのだなと強く感じました。私も今日の経験を今後の広報活動に生かせるよう頑張っていきたいと思います。   hashimoto






2004年9月1日更新


 
学級新聞づくり はじめの一歩
                                小澤みつ江

 今年の四月から学級新聞をはじめることにしました。子どもたちから名前を募集し、『報道部6・3』に決まりました。学習新聞を学級新聞に切り替えた大きな理由は次の通りです。              
・学級や学校の課題を自分たちで考える
・自分たちの考えを、新聞を通して仲間や保護者に伝える
・課題解決に向けてみんなで努力する
・話題を共有し、ともに励ましあう  
 かっこよすぎる題目を並べてみましたが、早い話が「もっと自分たちで考えて行動してみようよ」ということです。いつも先生からの指示待ちのままの状態ではなく、進んで考え、行動してほしいということです。
 さて、八つのグループでそれぞれが一斉に第一号を作ってみることにしました。 武先生にいただいた「学級新聞作りの実際」(『学級経営』NO230 1985/・5 明治図書)を参考にして、新聞の書き方を伝えました。その記事の中にこんなものがありました。

 
おかしなお菓子な大問題
 今、職員室のそうじを6年3組がしています。あるとき、いつものようにほうきではいているときでした。見つけてしまったのです。ゴミ箱の中に先生方が食べたと思われるお菓子の袋を!さらに先生方が食べた決定的しょうこが! なんと机の上におせんべいの袋が!みんなはこれを許すことができるでしょうか! 以上、びっくり報告でした!

 さっそく、職員の朝の打ち合わせで報告し、お菓子を机の上に置かないことやゴミ箱に蓋をしていただくように伝えると、その対策をきちんとしていただけました。この記事は大ヒットでした。
 しかし、問題はここからでした。第二号を発行する段階になると、編集会議に参加できない子がいたり、分担された内容について何を書いたらいいのかわからないまま時がたってしまっている子がいたり、誤字、脱字、文章表記の間違いなどが多く、構成しなおしたりして、発行日に間に合わなくなってしまったのです。最大の課題は時間の確保が難しいことでした。子どもたちに任せたままの担任の姿勢も問われることになりました。せっかくはじめたので、あせらず気長にやっていこうと思いつつ、武先生にご指導を仰ぎたいと切に思う今日この頃です。




ひとり新聞ができました




6月の「親子新聞づくり講座」に参加した浦田さん(小4)のひとり新聞です。この号が第2号。夏休みのまとめの新聞も発行されます。





2004年8月5日更新


 市制50周年記念事業は「市民が作る『広報はだの』」


 秦野市は2005(平成17)年1月1日に市制50周年を迎える。その記念事業の一つに「市制50周年記念・市民が作る『広報はだの』」がある。
 「新聞教育の秦野」ということで、この事業は企画の段階で相談を持ち込まれた。公募された編集委員に女性11名、男性が7名立候補してきた。編集委員の委嘱式を兼ねて、第1回編集委員会が7月6日の夜、本町公民館で開かれた。中学生が4名集まってきてくれた。その中の3人は公民館の「家族新聞講座」の参加者。もう一人は学校新聞の現役の委員長。大学生も一人、彼女は停滞気味の高校新聞を再生させた。他の女性−いずれもお母さん−は全員PTA広報づくりを楽しんだ人たち。秦野市民ではないが、市内の中学校に勤務する先生も加わつてくれた。彼は戦力になるだろう。異色は街の景観に関心を持っている50代の建築家。編集委員長には私が推された。
 来年の1月15日にその記念号は発行される。市長も市の広報広聴室も「企画・編集について特別な条件はありません。市民の発想で自由に作って欲しい」とのこと。ほとんどの人が 「おもしろそうだから」を応募の理由に挙げている。「楽しんで作らなければ、読んでもらえない」ということを確認し合った。
 散会後、中学生が「務まるかなあ」と心配げに話し合っていた。私と同じ心境だった。


 第2回編集委員会で話し合われたこと(平成16年7月21日(水)午後6時〜9時)
 
 企画の提案
A  ・市民ができるだけ登場する紙面にしたい
   ・地域別に「秦野の光」のような題名で人物を登場させる
   ・今の秦野の満足度、不満、市民アンケートをとってグラフ化する
B  ・「秦野市の温故知新」 1面 自然環境 2面 教育文化 3面 歴史遺産 4面 秦野市の未来の姿 
   ・「ふれあいの道・遊歩道」の建設の提案をしたい
C  ・水について調査したものをマンガやイラストであらわしたい
D  ・人物、今を生きる人を焦点にしたい(地道な活動をしている人を
E  ・次世代に残したいもの(水、緑)
F  ・アンケート(秦野のいいところ、好きなところ、場所など)  
G  ・50年を振り返ってのまちづくりと産業 ・「たばこ産業」がどう変わってきたのか
H  ・写真で歴史を振り返る ・水とたばこ祭り ・ふれあい…地域との交流を深めている学校の取材 
   ・名水百選…きれいな水を残すには今どうしたら良いか ・秦野出身の有名人にインタビュー
I  ・1955年1月1日について。今までの歴史。
J  ・幅広く、特に子どもに読んでもらえる紙面 ・今の子どもたちは教育をどう受けとめているか  
K  ・1955年はどんな年だったか(例えばわかりやすく身近な物価の比較とか)
   ・50年で大きく変わったこと、変わっていないこと、変えようと頑張ったこと、変えずに守ってきたこと 
   ・子どもたちの夢、宝物(タイムカプセル風に)
L  ・秦野の動植物(50年前と今)
M  ・素敵な大人になるために(中学生に聞く)
   ・子どもたちへアンケート(未来に残したいもの)
   ・秦野に住んでいる有名人に秦野の良いところを聞く(オリンピック選手とか)
N  ・秦野の謎、素朴な疑問(ハダノかハタノかなど) ・たばこ作りはどうして終わったのか 
   ・名水マップ作り ・旧街道を載せる
O  ・「50」という数字を使う(50人にインタビュー) ・「元気な秦野」 
   ・「水」について 市内の川の源流を探る
   ・地域の視点(本町・南・北・東・大根・上・鶴巻・西・南が丘地区でのまちづくりのレポート)


 以上の提案についての意見交換
   ・秦野の名刺代わりになるような広報(秦野の売りはコレというものを示す)をつくりたい
   ・秦野を作ってきた人 50人選ぶ ⇒ 選定が難しい
   ・市勢要覧や、各種刊行物とだぶらないようにする。あくまで私たちの視点で紙面を作る。
   ・ 読む人に@魅力ある広報 Aわかりやすい広報 B読んだら行動したくなるような広報
   ・市外の人の受け止め方はどうか ⇒ そのことを考える必要はないのではないか
   ・読んだらやってみようという視点の紙面づくりをしたい
   ・「好きです秦野」を見出しに
   ・地名の由来を紹介する
   ・「50」「未来」という視点で
市民50の意見を載せる
   ・顔写真50人 ⇒ 写真と50にこだわっても良いと思う(顔が載ると興味をひく)
   ・この広報、市制50年を祝い、振り返り、未来展望が目的なので明るい感じにしたい






2004年7月5日更新

主催・東公民館

親子で楽しく新聞づくり 「家族新聞をつくろう」

                                                2004年6月19・26日







2004年6月1日更新

 今年も家族新聞づくりの講座を秦野市立東公民館で開きます。1日だけでもかまいません。お一人でもOK。お友達と一緒、大歓迎。
 0463−82−3232 東公民館にお申し込みください。 不明な点は武まで。




 「親子で見て、読んで、会話をしてもらえる広報紙」を


 私たちの広報委員会は「親子で見て、読んで、会話をしてもらえる広報紙」を目指し一年間活動してきました。一人の保護者として子どもたちの「こんな事が知りたい」「こうなってほしい」。PTA活動の「ここが分からないのでは」「ここは考えてほしい」。そんな思いを紙面に載せていきました。
 年間を通して企画したものがいくつかあります。その一つの『子どもたちに生きる力を・もっと外であそぼう!』では、色々な事を取材していくうちに、どんどん興味が湧いてきました。町内を流れる川を紹介する号では、川の源流までも知りたくなり町外へと源流をたどっていったり、最終地点の海まで行ったりと自分たちにとっても新しい発見がありました。また『給食センター訪問』では食に対しての関心を深めていきました。
 年3回発行の本紙は、取材から印刷まで時間をかけて内容のあるものをと心掛けて編集。また、タイムリーな広報にするために、手描きイラストを盛り込んだ楽しいレイアウトで増刊号を4回発行しました。さらに、臨時総会前日や運動会前の見どころ、防犯活動と会員に早くお知らせしたい内容を一つに絞った号外は3回発行。こうして雰囲気の違う紙面で読んでもらえるように工夫しました。
 委員会メンバーは母親が8名です。フルタイムで働く人、パートで働く人、親の介護をしている人、農家で忙しい人、親が入院、子供が病気。などなど。いろいろな事情がそれぞれ皆にあります。PTA活動は、やれる人がやれる時に、やれる事をすればいいのではないかと思います。ただ、もう一歩踏み出して活動をしていく事も必要ではないでしょうか。同じ時間を使って活動するのならば、例年と同じ右へならえではなく、何のための活動なのか根本に戻り、必要でない事は簡素化しエネルギーを注ぐ所には少し頑張ってみる。いつも「これはなんのための活動なの?」と考えてみる必要性を感じます。
 広報活動の最後に新聞コンクール入賞の知らせを聞き、少し頑張って活動した結果として頂いた事を嬉しく思うと同時に、多くの方々の協力に感謝の気持ちでいっぱいです。何より子どもの姿を見る機会が多い広報委員になれた事に感謝でします。
                                     島田 順子






2004年5月1日更新

 

広報紙に込めた思い
                             笠井 麗子

 一年間広報を作ってきて、私が一番読んで欲しかったのは、PTA活動は面倒で避けるべきものだと思っている人たち。
 学級委員をどうやって断ろうか、なるべく楽な委員会に低学年のうちに入って済ませよう。「広報委員なんて論外、もっての外」資源回収やトイレ掃除なんて、自分の利益にならない事には参加しない。仕事に行って、子供の塾や習い事の月謝を稼いだ方がいい。そもそも、PTAなんて無くてもいいと思ってる。でも、我が子はかわいいから授業参観には行く。けど学級懇談会は時間の無駄。個人面談で我が子の様子だけ聞けば充分。そして、運動会や音楽発表会では最前列でビデオを構える。こういった人たちに、一方では子供たちみんなのために骨を折ってくれている人たちのいる事を伝えたかった。「みんな忙しくってやり手がいないんだから、無理してやることないよ」とPTA縮小説を唱える人に「みんなが忙しいからこそ広めなきゃいけないんだ」と、ちょっとずつの協力を呼びかけた。
 緊縮財政・予算減の状況にあって、また先生たちに授業や子供のことに集中してもらうためには、ここはPTAの出番なのだろう。先生にすべてを押し付け、注文ばかりつけているのでは、先生も気力が萎え、いい加減な教育をされたら「本末転倒」。何が子供のためになるのかを考えれば、やるべきことは自ずと見えてくる。
 実情を伝えることで、各自の役割に気付いてくれたり、意見、提案を寄せてくれれば嬉しい。批判は関心を持ってくれている証しだから大歓迎。「書いてあることは分かるけど、でもねえ、私はいいや」と言う人たちへのもう一押しはどうするか、それが難しい。
 私はアンケートは好きではない。返してくれるのは、PTAに関心を持っている人たちが多く、全体の意見とは食い違っていると思われるからだ。本当に聞きたいのは、アンケートなんか返さない無関心層の意見。関心のない人たちに如何にして読んでもらうか。だから1面には子供の写真を使う。紙面の構成が悪くなっても各学年1枚ずつ入れた。まずは手に取って、紙面に目を落としてもらうことから。
 私が更に読んで欲しいのは、父親、そして祖父母の方たち。母親の就業も増え、子育てが母親だけのものではない今、子供みんなを皆で育てていかなければならない時代だということを理解し、認識してもらいたい。先生と子供の1対1の関係は良くないし、三角形よりは四角形、頂点の数が増えるほど丸に近くなるのだから。(秦野・本町小PTA)







2004年4月1日更新

平成15年度秦野市PTA広報コンクールの結果    2004年3月23日


優秀賞 「南の風」南が丘小学校PTA  「本町小PTA広報」本町小学校PTA  「丹沢の風」本町中学校PTA
優良賞 「西中PTAだより」西中学校PTA  「東中PTA広報」東中学校PTA  「カリヨン」上小学校PTA
    「くず葉」末広小学校PTA  
奨励賞 「大根中PTA」大根中学校PTA  「稜線」北小学校PTA  「鶴中PTAだより」鶴巻中学校PTA
    「みなみPTA」南中学校PTA



秦野市PTA広報紙展示会(2004.3.24〜3.28 ジャスコ)





人との出会いに感謝
                                        奥田 弥生

 本部の方から広報委員長の依頼があった時、一度はお断りしました。と言うのは、歴代の広報委員がPTA会議室に連日詰めて活動しているのを目にして「とても大変そう」という思いがあったのと、いきなり委員長という大役が重荷に感じたからです。なにせ、一度も広報の仕事をした事がなかったのですから。
 しかし、再三の依頼に根負けして受ける事になりました。受けたのはいいのですが、前年度からの引継ぎは一日だけ。しかも2時間程、話を聞いただけなので目の前は真っ暗。「こんな状態で、一年間広報紙を作る事が出来るのかしら?」と不安が募るばかり。でも、時はどんどん進んで行きます。 4月に入って、いよいよ本格的に活動開始。「今年度の最初の号は家庭訪問前に出そう」と目標を立て、取材・原稿書き・校正・入稿と進めていきました。幸いな事にメンバーに恵まれ、イラストが得意な人・取材が苦にならない人・パソコンを駆使している人等と広報紙作りに大いに役立ちました。その結果、目標だった家庭訪問前に第137号を発行することが出来ました。
 ひとつの物を共に作り上げ、達成感を味わった者同士ということで結束が強くなった感じで、お互いにより親密になりました。周りからも「今年初めて会ったという感じが全然ないわね。楽しそう」と言われるようになりました。1号、2号と作っていく内に当初抱いていた心配や不安はなくなり、楽しみさえ感じてきました。
 学校にいる間に出来なかった原稿を家に持ち帰る事もしばしばありました。それを見ていた子供(小5)も「自分の新聞」なる物を作っていました。そんな姿を目にすると、子供にも良い刺激を与えられたかな、と嬉しく思いました。
こうして終わりを迎えている今だからこそ、1年間があっと言う間に感じられますが、慌しい1年であり、充実感のある1年だったと思います。なにより、すてきな人たちに巡り会えた事に感謝しています。(秦野・本町小PTA広報委員長)





(本町小PTA広報は第53回全国新聞コンクールで入賞しました  2004年3月6日・毎日新聞東京本社)






2004年3月1日更新

主催 毎日新聞社・全国新聞教育研究協議会

  53回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果(秦野市関係)
                                     2004年2月27日発表

☆学校新聞の部
 入選・審査委員会賞 大根中学校
 佳 作       東中学校
☆学級新聞の部
 佳 作       東中学校3−3
 奨励賞       東中学校2−3
           鶴巻中学校3−2
☆学習新聞の部
 奨励賞       北小学校5−3
☆PTA新聞の部
 入選・トヨタ賞   本町小学校PTA
 奨励賞       西中学校PTA

 表彰式は3月6日 毎日新聞本社で


2004年2月1日更新
 



新聞教育研究所の『季刊・新聞と教育』が復刊

大内文一所長の年賀状による復刊の挨拶
 ★昨年8月、305号で終刊していた『新聞と教育』を復刊させました。5年振りです。払の内なるマグマを噴出させたのは鳥取県立由良育英高校新聞部が発行した都大路駅伝大会特集号が配布禁止にされたからです。こんな暴挙は断じて許し難い.私は即刻、日本陸連と京都府教委に抗議文をたたきつけました。同時に少誌を復刊させ、関係者に訴えました。私のこんな抗議行動は、さながら一匹の蛾が巨象に挑む図です。されど正義はかならず勝つ。関係者の御尽力によって高文連が高体連を動かし、一定の解決が図られました。
★「おかしい、と思ったら直ぐ、声を上げよ。これはジャーナリストの責務である」と私はペンを持つ高校生連に35年間数え続けてきました。愚直なこの新聞爺にとって最近はうれしい展開になってきているのです。高校新聞の年間発行回数の全国平均が32年振りに右肩上がり(4.25回)に好転したのです。パソコンの普及によって校内自家印刷が急増したからです。最近、一般的には「すでにして、心朽ちたり」と見受けられる若者が多い中で、ここにきてペンを持つ者たちに生きる力の輝きが出てきたのです。『志、定まって気盛んり』(松陰)。高校新聞部も私も今、こんな気分です。目下、私は本年8月、徳島市で開催される第53回・全国高等学校
文化祭にむけて次の306号を編集中です。この号の特集テーマは『受信から発信へ/発信から交信へ/学校を創る』です。関心のある方ご一報下さい。


第4号 
1968(昭和43)年発行

 雑誌「新聞と教育」と私

 私が『新聞と教育』誌に出会ったのは1968(昭和43)年の全国新聞教育研究大会(熱海市)の会場でだった。
 そのとき手にしたのは第4号。復刊を期に、あらためてその号を紐解いてみると、全新研の初代会長斉藤義一先生の「新聞教育とは」という一文があった。
 そこでは次のようなことが論じられている。
1「新開教育は現代社会に処していく上に、最も重要な量的、理性的判断のなし得る人間の育成にある」(武注:これは最近耳にする「メディアリテラシー」の能力を身につける新聞教育と同じこと)
2 新聞教育とは「一般新聞そのものを教育素材として利用する」(武注:今で言うNIEのこと)であり、「新聞の機能や社会性を学び、マス・コミュニケーショソに対する受手としての批判精神を養成する」こと。そして「なすことによって新聞そのものを学ぷ新開づくり」を目指さなければならない。「新聞教育は新聞づくりに始まり新聞づくりに終るといっても過言でない」(武注:この三領域での新聞教育は、現在新聞教育に関わっている教師が確認しているもので、斉藤論を引き継ぎ発展させている)

 30数年前出会ったこの『新聞と教育』誌は、私の新聞教育の出発点であり、教育論の原点ともいえる。創刊30号、50号、100号、10周年、150号の記念論文を同誌に書かせていただいた。1982(昭和57)年には『新聞と教育』を発行する総合ジャーナリズム研究所から「酒井寅吉賞」を授賞された。この誌により私の新聞教育の考え方を確かめることができた。
 そして300号で終刊するという記念シンポジュウムでパネラーをさせてもらった。その日は平成9年3月30日、翌日が私の教師生活を終わる辞令をもらう日だった。
 私は『新聞と教育』と共に教員生活の締めくくりをにした。その『新聞と教育』誌が復刊した。うれしい限りだ。 




 新聞教育の締めくくりを公開授業で
                             練馬区大泉第二小学校・吉成 勝好校長先生

『定年退職まであと三か月』という見出しがついた、新聞形式の年賀状が届きました。全国新聞教育研究協議会の会長さんの吉成先生からです。発行号数が「3096号」となっています。 「新任のとき『かみなり通信』という学級通信を出して以来、ずっと通信を発行し続けてきました。このハガキ新聞で通算3096号」とコメントがついていまいた。先生はこの三月退職をされます。その締めくくりをご自身の公開授業でなさるようです。関心のある方、どうぞこの研究会にご参加ください。(問い合わせは武まで)








2004年1月1日更新


世界でたった一枚の家族新聞をつくりませんか

 昨年は二つの公民館で「家族新聞づくりの講座」をもった。今の子どもたちは「書く」ということに少しばかり抵抗があるようだ。その子どもたち、そして親たちに「新聞づくりをしよう」と呼びかけているのだから、講座への参加者は多いはずはない。だが、実際に家族新聞は始めるとけっこう楽しいんでくれた。
 水野家の『らんどせる』(下参照)は三年前の講座から生まれた。最初から子どもたち3人の文字が登場していた新聞。今もそれはきちんと続けれらている。月刊のペースで下の11月号は32号になっている。編集後記によれば、中学生の男の子がそろそろ“抵抗”し始めたようだ。お母さんは「どこまでがんばれるか」と苦笑しているが、お父さんが毎号インタビューで登場して協力しているのは心強い。明るいお母さんだから大丈夫だろう。
 渡辺家は昨年の6月の講座に親子で参加してくれた。そして家族新聞『たいよう』は6月に創刊(8月1日更新のこのページ参照)され、確実に発行は続けられている。下に紹介しているのは11月発行で第7号。見出しのレタリングはお母さんだが、記事は6年生の男の子が書いている。第1号のライターはお母さんだったことからすれば、見事な成長だ。お母さんが、けっこうハマっている。今年も又家族新聞作りの応援をしたい。
 新しい年の始まりです。あなたも親子で新聞をつくりませんか。世界でたった一枚だけの新聞、それが家族新聞です。
 

   
水野家の家族新聞「らんどせる」                      渡辺家の家族新聞「たいよう」


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