秦野の新聞教育
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2003年12月1日更新

第36回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2003.11.19実施)
                                  主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社
☆最優秀賞
  鶴巻中学校3年2組

☆優秀賞
  東中学校3年1組   南中学校3年3組   渋沢中学校1年4組   鶴巻中学校3年1組   
  南が丘中学校2年3組   南が丘中学校3年3組   

☆優良賞
  本町中学校1年2組   本町中学校2年6組   本町中学校3年4組   東中学校2年3組
  西中学校2年2組   渋沢中学校1年3組   渋沢中学校2年1組   鶴巻中学校3年5組  
  南が丘中学校3年2組   大根中学校3年3組   

☆奨励賞
  北中学校2年3組
    
☆努力賞
  東中学校3年3組   

 (参加:市内9中学校 123学級・166紙  注・市内全校の123学級から166紙の参加という
  ことは、いくつかの学級が班単位で新聞をつくり応募していることを表します。)



第53回神奈川県中学校学校新聞コンクール     
                 
  主催 神奈川県学校新聞コンクールの会・神奈川新聞社 (2003年11月10日実施)
【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立大根中学校
優秀賞   相模原市立大野北中学校
優良賞   秦野市立東中学校
佳 作    相模原市立谷口中学校
努力賞   秦野市立北中学校

【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞   川崎市立宮前平中学校2−9
優秀賞    川崎市立平間中学校3−2
優良賞    川崎市立西高津中学校 3−6
佳  作   川崎市立宮崎中学校1−4    川崎市立宮前平中学校2−6   川崎市立南加瀬中学校2―6   横浜市立みたけ台中学校3−1 
努力賞    川崎市立井田中学校2−2   川崎市立平間中学校 3−4   横浜市立上の宮中学校3−4   相模原市立大野北中学校2−1  
       秦野市立鶴巻中学校3−2
奨励賞    伊勢原市立中沢中学校1−4   平塚市立春日野中学校2−2   横須賀市立神明中学校2−1  三浦市立南下浦中学校2−4



                           

2003年11月1日更新

 ★PTA広報づくりのヒント★

 D中PTA広報部は健在 身近な情報を今の姿勢で

 D中PTA広報部 様

 『交流』をご送付いただきありがとうございました・読後感をお届けいたします。
☆134号
 1面の「コミュニティセンター」の訪問記はていねいに書かれています。それにも関わらず、インパクトが感じられないのは、より多くの人の声が紙面に反映されていないからです。利用者の声など記者自身で集めたかったです。一中の子どもたちの声も欲しかったです。
 2面の他校のPTA活動の紹介は良い企画です。こうして並べてみると、それぞれのPが、今、自分達に必要な事柄を中心に据え、独自の活動を進めていることがわかります。D中の活動も紹介されていて良かったです。
 ところで、広報とは「広く報じる」ものですが、もう一つ「広く報いる」という意味もあると思っています。たくさんの会員の声を吸い上げ、それを会員に伝えることはとても大切です。『交流』という題字の持つ意味「広く報じる」「広く報いる」そのものだと思います。教委や学校など外からの情報を得ることはもちろんですが、一中PTAの会員の声もまた大事にしなければいけないのでしょう。そして当然のことですが、子どもの声にはよりいっそう「聞き耳を立てたい」と思います。お弁当販売の記事の中で、アンケートの回収率が19.2lとあります。この数字がなにを意味するのかを、広報はぜひ考えてください。

☆135号
 図書館・図書専門員さんにスポットを当てたことは季節的にも良かったと思います。渡辺さんのおかげで子どもたちも図書室によく出入りするようになったとのこと。良い本を読む子が少しずつ増えることでしょう。読書好きの子は読書環境の整った家庭から生まれます。家に本がたくさんある環境、家の人がよく本を読むという環境、この二つが本好きにさせます。PTA活動の中に、「保護者の読書の勧め」が生まれたとき、学校図書館が本当の役割を果たすことになるのだと思います。

☆全体の感想
 情報の豊かな広報です。(でも少し硬すぎるのではないか、と気になります。)記者としての姿勢が身についています。文章がしっかりしています。見出し、レイアウトは上手ですから、読みやすい紙面になっています。より身近な情報〈親が抱えている問題や関心事など)を、今の姿勢で取り上げてくれるものと思っています。


追伸
 D中らしい広報だと感心しています。D中広報部は健在です。このごろ、「交流」のような硬派な広報をあまり手にすることができません。チヤラチヤラした、写真ばかりの、しかもその写真も「プライバシーの問題」とか言って学校からクレームが来る。だから広報はますますつくり手がいなくなる。開かれた学校と逆な方向に向かっているのではないかと、とても気になります。
 新聞の批評は(コンクールの審査も同じですが)、目の前にある紙面を読んでいろいろ言わなければなりません。記事の背後にあるもの、たとえば地域やPTAの特質など十分に把握しないで、コメントしてしまうわけです。「眼光紙背」ができないので、もしかして、一方的なことを書いてしまったかもしれません。でも、それは『交流』を信じているからです。お許しください。

   2003年10月19日        
                         エコー教育広報相談室  武 勝美



 PTA広報づくりのヒント

 広報活動から得られるすばらしいものを分かち合っています

 秋涼の候、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 お久しぶりです。お元気ですか? 今日 先生のコメントが書いてある私達の広報紙を頂き、たいへん嬉しく思いました。励まされましたし、ご指摘をうけたことを直していきたいと思いました。
 広報紙づくりに携わって早四年、新しく入ってきた十人の委員さんたちとも、広報紙づくりの楽しさ、でき上がったときの感動など、広報活動から得られる素晴らしいもの分かち合うことができました。新一年生の委員さんも自主的に取り組んでくれるようになりました。入りたてのころは「広報なんてやりたくなかった。」「今から他の委員会に移ることができますか」「こんなたいへんな委員会できません」など言っていましたが、今では笑顔のたえない活動に変わっています。こんな二十四人の仲間に支えられて、私があるのです。みんなの笑顔に何度助けられ、勇気づけられたことか。これからもよしくお願いいたします。       Sugi



2003年10月1日更新

 PTA広報づくりのヒント

 広報紙クリニックの原則は「褒める」

 9月に入って三会場で35の広報紙のクリニックをした。体協ニュースや母親クラブ新聞もあったが、中心は小・中・高校のPTA広報である。秦野市P連主催の広報クリニックの場合は、一学期発行の全紙を事前に読ませてもらう。そして発行に携わった委員に、面談方式で講評を伝える形を取っている。
 私のクリニックを受ける前に、別室で三校の広報委員が交流会を開く。その時間が45分間。その後、三校一緒に私の部屋に入り、私の話を聞く。一校あたり15分という時間だが、自校のものを含め三紙のクリニックを受けることになる。このクリニックに参加する委員たちは「辛口批評」を恐れているらしい。だが、現実には良いところを取り上げて話すことのほうが圧倒的に多い。(参加者の感想・「苦労した甲斐がありました」参照)未経験者だけで作った広報に「レイアウトが」など言えない。参加者に次の号への気力・意気込みを持ってもらうのがこのクリニックである。
 この日出席したP広報は22。9時55分からスタートした紙面指導は、4時40分終わった。昼休みは1時間。途中の休憩はなしのハードスケジュール。

 ある進路状況報告の記事
 ところで、このクリニックに出てきた数校の中学校のPTA広報に、前年度の進路状況の一覧が載っていた。記事を読んでみると、就職者についての記載紙は見つからなかった。(見落としたのかもしれないが)それが気になったので、進路先の公立高校名と私立高校名だけが書かれている広報紙の記事の担当者に「就職や専門学校に行った子はいなかったのですか」と尋ねた。担当の委員は少し口早に、次のように話してくれた。
 「先生が『就職先、各種学校・専門学校名は発表できません』とおっしゃるのです。広報にその社名や校名が出ると、その子が特定されてしまうから、と言われたのです。私はおかしいと思ったのですが、資料をいただけないのは困るので、こんな進路状況報告になりました」。

 わが子の存在の否定ではないか
 私は言った。「生きる力をつける、一人ひとりの個性の伸張を目指すのが、新しい教育だといわれている。15歳で仕事に就くことが判って、あるいは信念に従って専門学校に進むことが判って、何がいけないのだろう。何より気になるのは、今、立派に働いている子どもやその保護者にとって、この記事は『私は、わが子はこの学校に存在しなかった』と思わせてしまうこと」。
 「高校に進んだ子なら特定されてもよい。そうでない進路を選んだ子は特定されないように配慮する、と言うが、それが《配慮》というものだろうか」。諸事情で高校に進学できなかった子にとっては、挫折感のダメ押しになっていないか。PTA広報での前年度進路状況報告は、これからの進路選択の資料として必要だからなされる。だが、この扱い方では、これから専門学校を目指そうとする家庭にとっては「資料に値しない」ものになっている。(私は、中学校のPTA広報で進路状況を報告することの必要感はあまり感じない。)
 このクリニックを通して、PTA広報は「なにを載せるか、どのように記事にするか」を、改めて考えることになった。


 ★PTA広報づくりのヒント

 苦労した甲斐がありました

 「はじめまして」とは言っても、今日の広報クリニックでお目に掛かっているのですが。H小のKと申します。今日の広報クリニックでは、いろいろとお褒めいただき、ありがとうございました。少ない人数で苦心しながら作っているので、喜びも一入です。
 4月のお話からすると、もっと手厳しくやられるかと思っていました!今日も少しお話しましたが、第1号に関しては大変でした。昨年度の委員長さんからの引継ぎを受け、早く出すことを念頭に、正副委員長3名で3月中に大まかな紙面構成を決めました。初心者ばかりですので、昨年度のものの焼き直しになってしまうのは仕方ないことだったと思います。
 4月に入って、5名の方に委員をお願いし、早速、入学式だ離任式だと取材に入りました。印刷会社との打ち合わせで、5月末の発行を目指し、4月29日に入稿と決めました。2・3面の見開きでは、前年度の方から「先生紹介だけで全面使うのはダメだって」と言われ、どうにか収めてホッとしたところへ、「先生がひとり抜けてました」と連絡を受けたのです。さらに、会長さんから「捨て絵」の指摘を受け、大幅な変更をしたのでした。
 5月初めの行事の分は、初稿の時に記事を入れることにして、どうにか29日に入稿できたのでした。ここからがまた大変でした。4月30日の先生のお話を聞き「総会の記事のないPTA新聞はダメだって」「子どもよりPTAがメインだって」「数字だよ、数字」などなど、また1面はガラガラガラと変わったのでした。GWの連休を挟んで校正をし、委員と印刷会社の協力体制により、予定より2週間も早く、それも家庭訪問の前日に発行できたのは、感激でした。出来栄えに満足し自画自賛しているところに、元校長先生やいろいろな方からお褒めの言葉をいただき、次の号への意欲を燃しました。そして今日、先生にも褒めていただき、苦労した甲斐があったと思いました。



2003年9月1日更新

 PTA広報づくりのヒント

 PTA広報 見栄えより表現の自由を                 大木 薫

 PTA広報の講習会で講師を務めるようになって十数年になる。最近、気になるのは、個人情報の保護を盾に学校側が広報の表現に口をはさむ事例が増えていることだ。
 「思うように作れない」「原稿を必ず教頭に見せなくてはならない」。講習会でこんな声を聞くようになった。アンケートの各項目まで細かにチェックされたという訴えもあった。「運動会などの写真は一生懸命さが伝わるよう、児童、生徒の表情が分かるものを選ぶ方がいいです」と指導したところ、校長から顔の分からない写真を選ぶように言われたという話には、開いた口がふさがらなかった。
 私にも似た経験がある。所属する「街を美しくする会」の会報で、地元の小学6年生が道路の清掃をしている活動を紹介するため、吸い殻を拾っている姿を写真に撮ろうと小学校に許可を求めたところ、教頭に「顔が分かるなら、全PTA会員の許可を得なくてはならない」と拒否された。個人情報の保護に触れるというのが理由だった。運動会で頑張ったり、ごみを熱心に拾っている子どもの写真は、個人情報なのだろうか。本人が了解すれば、憲法がいう肖像権にも触れるはずはないのに。
 学校は表現の自由と相性が悪い。管理職の多くは役所への配慮を優先するあまり、少しでも気になる表現があれば、外に出る前にチェックするのが習い性になっている。個人情報の保護は表現を押さえ込む理由に利用されている形だ。
 最近のPTA広報はパソコンを駆使した美しい仕上がりのものが多い。毎月出しているところも少なくない。留学している先生から寄せられた手記を載せたり、日米の子どもの意識の差を調査して特集したり、といったものもある。外国から来た子どもたちが増え、英語やローマ字版を出しているPTAもある。しかし、PTA広報にとってなにより大事なのは、言論の自由を守ることだ。なにかにつけて干渉してくる学校から、どう自由な立場を保つかなのだ。
 印刷屋に頼んで見栄えのよい広報をつくったり、校長とPTA会長のどちらの文章を先に載せるかで頭を悩ませたり、というレベルでとどまっていては困る。各地で行われるPTA広報のコンクールも、いかに自由な発想から作られているかという基準で審査をしてもらいたい。   朝日新聞オピニオン欄(2003.6)



2003年8月1日更新

 平成14年度 神奈川県PTA協議会広報紙コンクール 審査結果

県教育長賞     『本町小PTA広報 』   秦野市立本町小学校父母と先生の会  
奨 励 賞      『大根中PTA広報 』   秦野市立大根中学校PTA         
             『西中PTAだより』     秦野市立西中学校PTA          
            平成15年6月6日(金) 表彰式がおこなわれました。


 家族新聞をつくろう

できたよ 我が家の新聞

 「親子で楽しく新聞づくり」(東公民館)の講座から生まれた家族新聞「たいよう」を紹介します。お母さんのレタリングが見事です。第2号は子どもの文字も入りました。第1号の編集後記に「10何年ぶりかの新聞づくり」とあります。お母さんが秦野の中学校で学んだ新聞づくりが、今もしっかり身についています。


企画会議のメモ


2号まで発行された家族新聞『たいよう』


2003年7月1日更新


 家族新聞をつくろう

 親子で楽しく新聞づくり

                                                        
 6月21日、28日に東公民館で開いた「親子で楽しく新聞づくり」の講座。28日には中学三年生から小学校四年生まで、10名の子どもたちが参加してくれました。これから夏、家庭での行事が多くなるとき、家族の記録として、家族の結びつきを強める家族新聞が継続して発行されるようにお願いして講座を終わりました。夏休みには北公民館で「家族新聞をつくろう」講座を開きます。

 子どもが紙面をつくった新聞、お母さんが編集者の新聞、親子の文字が紙面に躍っている新聞など、どの新聞も家族のぬくもりを感じさせるものばかりでした。

武先生へ
 先日は新聞つくり講習ありがとうございました。皆さんが作っていらっしゃる新聞を拝見し、ただ感心させられるばかり。何かしなければというプレッシャーがあるものの、湧き出てくるものがなくてダメです…。新聞…という形ではなく、日記のようなエッセイのような、何か自分を振り返られるものがあると、何年か先楽しいでしょうね。今書いたらグチばかりになりそうで、恐ろしいです。でもそういう時期も私の人生の中の一部なんですね。何かしてみようか模索中です。それと、娘のスクラップにご指導ありがとうございました。期末テストが終わったら、またぼちぼちやるそうです。    syuko


主催 秦野市立北公民館  講座『家族新聞を作ろう』
                                                                                           
 家族新聞をつくり、家族のふれあいを深める

日 時    7月22日(土)、30日(土)の全2回  
会 場   北公民館
対 象   小学校高学年と中学生(親も歓迎・一人でもかまいません)
内 容   家族新聞をつくる   1日日…9:00〜11:30    2日日…13:00〜15:30  
持ち物   筆記用具 
指導    武 勝美
問い合わせ 北公民館0463-75-1678

皆さんの参加をお待ちしています。


 家族新聞をつくろう

 私と新聞

 「新聞スクラップセミナー」。当日は練習試合で出かけており、参加することができませんでした。
 私のスクラップの思い出は、中学生の頃、相撲が好きで、相撲の記事を毎日スケッチブックにはっていました。写真が載らない日は寂しく思い、何か裏切られたような感じを持ちました。高見山が幕内優勝した頃でしょうか。旭国とか小兵力士が活躍していました。相撲が始まると部活動をサボって、さっさと家に帰っていました。そのついでに特集の記事をノートにはって何度も読んでいました。南京事件をあつかった「中国の旅」は新聞記事で読んでいました。日本軍が中国でどんなことをやっていたのか。それを読んで中学生ながらショックを感じました。
 そんな流れでか、本屋で‘毛沢東’の生涯を綴ったマンガを見つけ、それを何度も読ました。ところがある日突然、私の本棚からその本が消えていました。物置にありました。どうやら親が心配して処分したようです。私も中学生ですからその思想的なものは何もわかりませんでした。ただその人物像と同時代の歴史として中国でどのようなことが起きたのか、関心をもって読んでいました。
 そういえば、「サザエさん」や「フジ三太郎」のマンガも切り抜いておもしろがっていたかな。起承転結のある四コママンガはおもしろかったです。皮肉がきいていて。当時は“ナガラ勉強’で、ラジオを聴きながら勉強をする習慣があり、永六輔さんの番組はよく聴いていました。オスギとピーコなんて、当時から出ていました。愛川欽也(キンキン)さんはおもしろい話もするけれど、政治的な難しい話もしていて、社会というものを感じさせてくれました。社会科の教師になったのはなぜですか? とは生徒からよく聞かれますが、考えてみるとなるべくしてなったのかなというところもあります。新聞作らせるのは苦手ですが、記事を書いたりまとめたりすることは昔から好きでしたね。中学
3年の時の学級新聞コンクールに出品した新聞の記事のほとんどを私が書いていたことを懐かしく思い出します。上手ではないけれど、作文書くことは苦手ではなかったですね。
小さい頃から本を読むのは好きでした。廊下のすみに積んである本を端から何度も読み直しそいました。縁側で日にあたりながら本を読んでいると幸せセしたね。祖母が家に泊まりにくるとその場所はとられてしまうので、ちょっと離れたところで、祖母は新聞を読み、私は本を読むといった様子がありました。
 教師になってからは、中学生向けの記事はないかなと探しています。「こどもの日」とかの社説は文章もやさしく書かれて、子ども向けのメッセージが書かれていたりするとそれはねらいめです。最近では、弥生時代のスタートがこれまでの定説よりも
500年早いのではないかという説が出てきた記事を印刷して配りました。中学1年生に配って読んでやったのですがどれだけ理解できたか不明ですが、タイトルだけでも覚えていてくれればいいかなと思っています。
 以前も紹介したかもしれませんが、今年も中学
2年の「選択社会」の時間の入門編として映画ビデオ『日本の黒い夏〜冤罪〜』を見てもらっています。松本サリン事件で犯人扱いされた神部さんの実情を知ってもらいたく、いかに世の中人権が侵害されているかを知る一番の手掛かりになるかと思い、見させています。現在の報道のあり方を問う内容で、ちょっと難しいのですが、「選択社会」としてはぜひ見てもらいたいものです。
 「それぞれの人に道標あり花遍路」。道行く人々、その人なりの人生を歩んでいる。偶然通りかかった人ではあるけれども、“人生いろいろ”ですね。 石井淳子さんの文章からいうならば、「今の中学校の様子を知り、子育てにがんばっている仲間に励まされ、活動に気合が入っている
PTAにもたくさん出会えました。これからの私たちの活動に大きな力を得たような気がします」。
 遠く離れた人同士でも、新聞を通してお互いに感じ合うものがあり、交流が生まれる。楽しいですね。
  M Masahiko


 広報 三年目の主人です
 主人の広報委員も今年が最後の年。昨年は委員会の開催日が平日が中心で、あまり出席できなかったのでした。今年は土曜日が中心です。張り切っています。   真由美
 ※お仕事は警官の真由美さんのご主人。高校のPTA広報をつくって三年目です。がんばれ お父さん広報委員!




2003年6月1日更新

 5月17日  秦野市立大根中学校が会場で

    新聞スクラップ講習セミナーが開かれました

 誰もが一度は経験しただろう新聞の切り抜き。その「切抜き」が、今学校の中でまた注目され始めました。 そんな教育環境の中、秦野市中学校教育研究会の新聞部会はこのセミナーを開くことにしました。この日の参加者は、中学生から50代のお父さんまでと幅広い世代の30名。。幼稚園・小・中学校の先生、教育研究所の指導主事、PTAの広報委員なとこちらもバラエティに富んでいました。今朝の新聞から、選んだ記事を切り抜きそれにコメントをつけるなどの実習も行いました。


講師・本庄伸子先生の講義から

   
スクラップ・ノートで楽しもう       

 「新聞」や「新聞記事」になかなか親しむことのできにくい今年度の1年生に対する「カンフル剤」はないか考え続けました。夏休みの宿題には誰もが取り組めるように「新聞マンガ」に焦点を当てた課題を出しました。しかし、日常的に新聞を開くとき、いつまでも「マンガ」にしか注目しないのでは発展性がありません。そこで、読みやすく易しい表現で書かれている「投書記事」・「意見記事」や「相談記事」に着目したのです。
 「投書」や「相談」のなかには、生徒の身近な小・中学生や高校生が投稿したものも載っています。文章のプロである記者の書いた記事を読みこなすのに比べて、中学生にも抵抗が少なく取り組みやすいと考えました。また、記事の長さや内容も、興味・関心に支えられて読み終えることのできるものが多いのです。
「社会を映す鏡」である新聞をスクラップしながら、同時に「その時の自分」の記録や日記になるようなワーク・シートを用意しました。「投書」や「相談」記事には、今この同時代を共に生きている「ふつうの人々」のつぶやきや本音、時には叫びが刻まれています。この記事に対して手紙(返事)や助言・意見を書くことを課題としました。「単なる感想」ではなく、「自分の思い・考え」をきちんと相手の目を見ながら伝えるようなつもりで書くことを指導しました。
 「スクラップ・ダイアリーノート」は、「投書」した多くの人々に対して自分の意見を述べているように見えながら、実のところは、その記事を読んだときの自分自身の「心の有り様」・「心の軌跡」の記録となるのです。青春時代の社会の様子を記録することにもなり、人生の「宝物」となるにちがいありません。
 教育活動には「評価」は欠かせません。スクラップノートには正解も誤答もありません。しかし、そこには評価が必要です。ではどのような評価が適切なのでしよう。ここでは、公平・公正なものの見方・考え方がきちんとできているかが大切です。後は楽しく生き生きと継続することです。


◇参加者の声

 娘に話しましたら ヤル気十分です

 武先生へ 娘はスクラップをヤル気です17日の講習会お誘いありがとうございました。その日、中一の子を連れて行くつもりだったのですが、躊躇していたので私だけでした。
 帰宅後、講習の内容を話したら興味がわいたらしく、早速その日の記事を切り抜き、マーカーペンで線引き。娘の国語の先生がスクラップのことをご存知だったようで、授業に取り入れようとしたそうです。「提出するとコメント書いてくれるよね、きっと」「ぜったいコンクールに応募するから」と言い始め、私は少し困惑。
 「とにかく、テーマを決めて、週一枚でもいいからていねいに続けてごらん」とだけ言ったのですが、これで良かったのでしょうか。
 部活から帰ってくるのが夜七時ころ。朝練習があるので家を出るのは朝七時、続けられるのか? とにかく、切抜きとハサミとのりとペンをセットにし
て空き箱に入れてはあるのですが…。       Shyuko



 総合的な学習を充実させる新聞スクラップ      全国新聞教育研究協議会会長 井上 英昭  

 「総合的な学習の時間」の試行で、多くの学校が何らかの形でNIE活動を取り入れた学習活動を展開してきました。NIE活動とはNewspaper In Educationのことで「教育に新聞を」といいます。
 一般紙の新聞記事を教材として活用する授業は、古い時代から社会科などで実践されていました。しかしその学習形態は、教える例の教師による判断で教材として使われてきました。
 NIE活動では、新聞を児童・生徒に丸ごと与えることから出発します。例えば、教科指導では学習内容のねらいや目標にあった記事を自分で探し、読み取り、切り抜き、スクラップし、自分のコメントを書き加えたりします。また、そこで得た情報をもとに関連する他社の新聞記事を収集することで、児童・生徒の興味や関心を高めることになります。さらには、そうして収集した資料をもとに、自分の意見や考えを他者に伝えることも容易になります。
 こうしたNIE活動が、平成14年度から全面実施された学習指導要領に導入されている「総合的な学習の時間」では、きわめて有効な学習活動であるという認識が急速に高まってきました。それは、「総合的な学習の時間」に示された「自ら課題を見つけ・‥」、「学び方や考え方を身につけ・・」という二つのねらいを、NIE活動が十分に達成しうる内容を含んでいたからに他なりません。
 NIE活動は一般紙を学習材として活用するのが基本となっていますので、小・中学生には無理な面があるという声もあります。しかし、だからこそNIE活動は「読み方」を学び、「学び方、考え方」を学ぶ原動力ともなるのです。児童・生徒の興味・関心に応じたテーマであれば、子ビもたちは確実に教師に支援を求めてくるはずです。その求めにどう支援していったらよいのかが、教師自身にも要求されてきます。
 新聞は「情報の百科事典」とも言われていますが、それだけではインターネットの方が豊富な時代です。新聞が有利な点は「情報が良質」であるということです。適正な倫理要綱に基づき、厳しい校閲を経て伝えられる新聞情報は、「情報教育の基礎・基本」を身につける格好の学習材だといえるでしょう。その導入となるのが「新聞スクラップ」です。「新聞スクラップ」は、様々な分野の指導者が積極的に取り入れている情報収集の手投でもあります。児童・生徒が自らの興味・関心に応じて情報を収集する手段を身につけることで、「総合的な学習の時間」をより充実させた教育活動として推進することができます。   



お知らせ  参加をお待ちしています(武)

主催 東公民館  講座『親子で楽しく新聞づくり』

 家族新聞をつくり、家族のふれあいを深める

日時   6月21日(土)、28日(土)の全2回  9時30分〜11時30分
会場  東公民館会議室
定員  親子20組(一人でもかまいません)
内容  1日日…楽しく新聞を読もう    2日日…家族新聞をつくろう
持ち物 ・筆記用具 ・当日の朝刊(初日のみ)
指導  武 勝美氏
     元中学校長で、学枚新聞新冊・学級新聞・PTA広報の搬面づくりのエキスパート。
     現在、全国小・中学枚PTA新聞コンクール審査員.
問い合わせ  東公民館0463-82-3232




2003年5月1日更新

PTA広報づくりのヒント

100号記念号発行に取り組んで

 すてきなカルチャーショック

「ええっ、100号記念号?」広報委員のだれもが、初めはそう思ったことでしょう。
 「個々の都合に合わせ、無理のないように‥・」という今年度の広報委員会の方針で、当初「12回発行」の計画でした。98号は年度初めの内容で、例年どおり7月に発行しました。委員一同、ほっと一息。
 ところが、100号記念号を今年度出すためには、その前に99号を出さなければならないのです。間穎は、99号作りの縞集会議と人集め。みなさんに諮ったところ、幸いなことに手伝いの申し出がありました。特に、パソコンでの作業を引き受けてくださるとのの申し出があったことが感激でした。その方には大変なご負担をかけてしまいましたが、お陰で思いがけず立派な99号を出すことができました。
 「100号記念号ってどんなもの?」…99号作りと平行しての頭の中で常にうずまいていたあまりにも素朴なこの疑問。「作りましょう」とはりきりつつも、いったい何から手をつけていいのやら。でも悩んでいるばかりではしかたがない。広報クリニックでお世話になった武先生にアドヴァイスを受けることにしました。
 夏休み中の暑い日の午後でした。いろいろ話してくださった中に @題字が大事…新発見でした。広報紙の「顔」ですから。「大きすぎる顔も困る」とか。紙面がもったいないそうです。もっともなことでした。 A百周年記念誌を活用…「大根小は立派な百周年記念誌を発行したばかりだから、そのこの中からいろいろ拾えますよ。」 B他校の記念号の良いところはどんどん取り入れる…100号記念号の載っている本がありました。さっそくお借りしました。話を聞いているうちに何となくイメージがわいてきました。帰りの車の中で、わいわい許し合い、編集のアウトラインは夏休み中にできてしまいました。
 いよいよ編集会議です。アウトラインを見ながら、「もっと調べたい」「校内に資料があるかも知れない」という思いがわきあがってきます。コメントをいただきたい人の名前も挙がってきました。何度も学校に足を運び、古い資料とにらめっこ。先生方にもお世話になりました。目指す資料が見つかった時の「やった!」という気持ちよさ。ラフ・レイアウトの紙面が、どんどん埋まっていきました。でもまだまだ載せたいことがいっぱいです。「どうしよう…何を載せよう…」と悩んでいたのがうそのよう。

 lOO号記念号作りを通して、大根小の貴重な歴史にふれた思いです。大根小(大根小PTA)が身近な愛すべきものに思えてきました。発行後まもなく、「がんばって作ったんですね」「読み応えがありました」「自分たちのこと(他の委員会の活動)がアピールされていてうれしかった」等々のことばを頂きました。

「広報紙作りは楽しいですよ」と経験者の方から開いてはいましたが、今心からそう思います。苦労を共にする喜び・、取材を進める中での人との出会い、発見の喜び、努力したことが形になって見える喜びなど等、ぜひ皆さんも体験してみてください。とでもすてきなカルチャーショックがあること間違いなしです。    陶山・浅田・高橋(大根小PTA

     


新聞スクラップ講習セミナーのご案内 
         平成15年5月17日(土)午後1時から 会場は秦野市立大根中学校
 

   ―総合的な学育と新聞スクラップ―


 教科の枠を超えた発想を土台にし、「生きる力」を養うことを目的に掲げた「総合的な学習の時間」が本格的に始まりました。「教育に新聞を(Newspaper In Education)」をテーマにしたME活動は、生きた社会の動きの中から株穎をみつけ追究する点でまさに「総合的な学習」そのものと言えるでしょう。 世界で今起きている出来事などを掲載し、世界の変枇や時の流れについて情報を伝えるのが新聞です。一方、現代は情報のあふれている時代だと言われています。従って、新聞を「総合的な学習の時間」にいかすためには、まず情報を車確に把握することが必要です。
 今回のセミナーを通して、切り抜いた新朋記事を基に学んだことをまとめる新聞スクラップ作りとその指導法について研究していただき、「総合的な学習の時間」実践上のヒントにしていただけたらと思います。 ぜひ、ご参加をお待ちしております。
 
 主催  全国新聞教育研究協議会、秦野市中学校教育研究会新聞部会、朝日新聞社、朝日学生新聞社
 後援  文部科学省

 
 日時  平成15年5月17日(土)午後1時〜午後4時30分〈予定)
 会場  秦野市立大根中学校  
      神奈川県秦野市南矢名4−28−1  0463−77−0446(小田急・東海大前駅下車7分)
 内容  (午後1時から受付)
     ◇午後1時30分より講義
        講師 鈴木 伸男先生(東京・町田市立町田第二中学校校長)
            本庄 信子先生(東京・渋谷区立本町中学校教輸)
        イ.基礎理論としての新聞活用
        ロ.スクラップ作りと総合学習
   
 問い合わせ   秦野市立大根中学蚊  谷津 裕先生( 0463−77−0446)
           朝日新聞社宣伝PR部  藤田さん(03-5540-7723)

           ECHO (武勝美)にお問い合わせ下さってもけっこうです。(私も参加いたしますので)

 先生方だけでなく、中学生・小学生、お父さん、お母さん、そして新聞に興味のある方など、どなたでもご遠慮なくご参加ください。お待ちいたしております。





2003年4月1日更新


「一人新聞づくりを終えて」 ----東小学校6年1組の児童の感想----一人新聞を4号まで出した子どもたちからたよりをいただきました。

 新聞づくり おもしろかったです

 「新聞作りをやる」と聞いたとき「めんどくさい」と思った。春の遠足のことを新聞にまとめてみると、すごく下手だったけど楽しかった。それから運動会、修学旅行、自分新聞といろんなテーマで書いてみて、一番楽しかったのは自分新聞です。あらためて自分を見てみたり、小さいころの自分をふり返ってみたりする機会はめったにない。できあがった新聞が今までにくらべてカラフルで、見出しも目立つようにできた。自分新聞の中で一番よくできたところは『将来の夢』のところかな。ときどき文になっていない感じのところもあるけど、ありのままの気持ちを書いたんだもん。新聞作り、とても楽しかったです。機会があったらまた新聞を作りたいです。     misaki
 
武先生のアドバイスがほとんどかつようできなくてすいません。とくに見出しなんかよくいみがわからなくなっちゃって、どうでもいいのを上にかいてしまいました。この一年間見守ってくださりありがとうございました。   kenta

 登呂遺跡新聞、修学旅行新聞、運動会新聞はよいのですが、四枚目の自分新聞は、大きな太字や絵、友だちの文や親の手紙などばかりで、自分で書いた文が編集後記ぐらいしかないので、もっと書けばよかったなあと思っています。中学校でも新聞を書くみたいなので、もっといい新聞が書けるようにしたいです。   hayato

 私は新聞を書くのはニガテでした。でも遠足の新聞を書くとき、武先生が新聞の書き方を教えてくれたので、少しはとくいになりました。私達のクラスは運動会のこと、修学旅行に行く前に日光について調べたこと、修学旅行に行ったことの新聞もつくりました。新聞を書くことを重ねていくと、新聞の書き方が分かってきました。武先生のおかげです。私は広報委員をやっています。委員会でも武先生にならったことを生かし、新聞の書き方を工夫しています。   misaki

 「遠足の時の新聞」「運動会の新聞」「修学旅行の新聞」そして『自分新聞』を書いてきました。私の新聞はいつも時間ギリギリでできあがります。集中して取り組まないからだと思いました。新聞をいつも作っている人は大変だなと思いました。私の新聞を読んでくださってありがとうございました。    megumi
 
武先生の話をきいて、今まで知らなかった新聞作りの約束をしりました。5W1Hを聞いたときは、何が何だかわからなかったけど、説明と実際にやってみることで理解できました。私は絵や字を書くことが好きだったので、新聞を発行することができるのがとても楽しみでした。中学のお姉ちゃんが新聞を書いているのを見ていて、早く私も新聞を書きたいと思っていました。自分ひとりで書くのは少し大変だったけど、中学に行く前によい勉強になりました。これからも新聞作りをがんばってみようと思いました。   miki

 字をかくところが小さくて、とがったえんぴつかシャーペンを使わないと、字がつぶれたりはみ出たりしてたいへんだった。記事でうまらないときはしゃしんをはったりした。題名を思いつかなかったので6年1組を使って「6+1=ラッキー7」にした。新聞を中学でつくるときもがんばろうと思う。   syunsuke
  
 自分の性格の表現のし方が難しいかったけど、自分新聞を書いていたら、けっこう自分の性格が分かってきた。この新聞を書いてよかったと思う。自分のことを書くのはおもしろいから。4回書いた新聞の中で一番、自分新聞がよかった。   masahiro

 一年間四つの新聞を作り、新聞作りがとても好きになりました。最初は新聞を作るのがめんどくさくて、いやだったけど、作っていくうちに楽しくなってきて、三つ目が作り終えたとき、次はいつ新聞を作るのか楽しみになりました。中学校に行っても新聞を作りたいです。   daisuke

 最初はどんなことを書けばいいのかわからなくて大変だった。でも2枚目3枚目になると、ここにはこういう記事を書こうとか、考えられるようになった。かざり文字なんかも書けるようになった。うまくは書けないけど新聞作りは楽しかった。   yuri

 最初はめんどうだな、と思っていたけど、やっているとけっこう楽しかった。手がどんどん動く。書き終わったあとにたっせいかんがあった。新聞記者さんの気持ちがよくわかった。   yuu
 5年まで新聞なんか書いたことがなかった。6年になって新聞の書き方をおしえてもらった。まとめたりするのがきらいだから、新聞は簡単に書けるというか、おもしろく書けそうな気がした。こまかい事、字を書くのが好きだから、新聞を書くのが好きになった。記事を考えるのがめんどうだけど、これからもたまに新聞を書いてみたい。   sanae
 
 新聞づくり、それはこの世で一番いやなもの。だって書くことないんだもん プンプン。まあいいけどさ。たのしいといえばたのしかったからさ。   ayaka
 
 新聞は、始めは『めんどくせー』と思っていたけど、だんだんなれてきて、おもしろくなってきた。新聞をあんなに本かくてきにやるのは、そんなにチャンスはないので、今ではやってよかったと思います。   jun

 自分新聞の見出しを何にしようかまよった。三日くらい考えた。で、けっきょく『十二年間の思いで』にした。新聞を作るには、二つのようそをもっていないといけないと思った。一つは字のていねいさ。二つ目は作文の力。ぼくはこの二つのようそをもっていないけど、これからも新聞をかいていきたいです。   fumiya

 一年間で新聞四枚はなかなかつらかったです。人より完成がおそい私は家でも夜までがんばりました。が、いつも期限切れ。その代わり、完成の嬉しさは人一倍ですぞ! 毎回飛び上がってよろこんでいました。一番気に入ったのは最後につくった自分新聞です。自分新聞は初のカラー新聞でした。私は白黒主義なのですが、たまには色ぬりも良いものだと思いました。これからは、新聞づくりを授業でではなく、日記の感覚でヒマな時に書きたいと思います。   yuko

 新聞づくりをやる、と聞いたとき少しワクワクしました。登呂遺跡の新聞のときはすごくなやんだ。私は歴史系がきらいなのです。すごく下手な新聞になってしまいました。最後につくった自分新聞は今までの中でのけっさくです。自分新聞によって私の過去のことをふりかえることができたし、母からのメッセージなどもらえてすごくうれしかったです。中学生になっても新聞を書きたいです。   hitomi

 いろいろなことを調べたりして新聞に書いたのが少し面白かった。一番面白かったのは自分新聞で、自分がどんな性格か、どんな物を大切にしているか、そんなことを考えたのがよかった。新聞づくりはおもしろかった。    kenta

 新聞なんてめんどくさくていやだなーと思った。ただでさえ文を書いたり、考えたりするのができないのに何で新聞なんかだよ、とか思った。でも書き終えたらなんか達せいかんがあった。だけど新聞づくりはいやだな〜。    takashi

 はじめはちゃんと書けるかと心配でした。でも考えながらやっていったらイイ感じに出来上がったのです。私はこれをバネに次の新聞もがんばるぞ、と思いました。次の新聞は、はじめのよりもっといいものができました。こんな調子で全部の新聞を終わらせることができました。なんか、私は新聞を作って、自分の力で最後までやりとげることができる自信がつきました。自分にとって、とてもプラスになりました。   hiromi

 とても楽しかったです。新聞を書くのは大変だけど、書くと楽しいからいい。中学にいっても、新聞を書きたいです。   shingo

 新聞の書き方、字の数の決まりなど、いろいろ教えてくれてありがとうございました。一番好きなの(うまくできたの)は自分新聞で、自分のことを書くことはムリかなと思っていたけど、でもおそわったことを思い出しながら書いていくと、昔のことにたどり着くことができて、「こんな子だったんだ」と思ったりして、新聞作りが楽しく思えました。中学に行っても役立つことを武さんにおそわりました。ありがとうございました。    shiori
 
 最初は「新聞なんで、めんどくさくてやだなあー」と思ってたけど、書きはじめるとけっこうおもしろくて、記事を書きすぎて編集後記が小さくなっちゃたりして…。今は、はじめとちがって、新聞を作ってよかったなあーと思っています。だから、家で一カ月に一枚新聞を作っています。これからも続けていきたいと思います。    aiko
 
 私は新聞づくりがけっこう好きなので、作るのが楽しかったです。とくに自分新聞は楽しかった。カラーにしてもいいと聞いて、色をつけまくった。全部で十色以上使って作った。新聞を作り始める前はいつも「そんなに書くことあるのかなあ」とか、いろいろ心配だけど、書き始めると楽しくて、全部うまっている。新聞づくりは楽しかったです。   yuki
   
一人新聞を4号まで出した子どもたちからたよりをいただきました。

☆新聞をつくったクラスの母からのたより☆     わが子のつくった自分新聞
 
 いつかまた読ませてもらうときが

 いよいよあと三日で長男は小学校を卒業する。今年は何をするにも小学校最後とのタイトルをつけられての活動だった。
 その中の一つに『一人新聞づくり』があった。遠足や修学旅行の新聞、そして最後は自分新聞だった。この自分新聞づくりを通して、わが子は初めて自分自身を客観的に見つめることになったようだ。あらためて自分を分析し、文に表すのは難しいことのようだった。普段はいい加減に済ませてしまうのに「オレの性格ってどんな?」と真剣に家族に聞いて回ったりしていた。この新聞には、親からのメッセージも載せることになっていた。『この子すばらしいところはなんだろう』と考えているうち、今までの子育ての反省をしてしまい、文にするのに苦労した。欠点やお説教が書いてあると思っていたのが、励ましの内容になっていたので意外だったようだ。
 最近は注意しても聞き流し、たまに誉めても「あたりまえだし」と軽くあしらわれてしまう。でもこの新聞に寄せた私からのメッセージは嬉しかったようで、素直に受け止めてくれた。まもなく思春期 そして親離れ。長男のことが分からなくなったら、小学校が終わる今作った自分新聞を読ませてもらおう。その紙面に表れているのは、彼の本来の姿だし、姿勢である。そして、そこに書いてある私のメッセージは私自身の誓いだから。  M.akemi



   平成14年度秦野市PTA広報コンクールの結果           2003年3月12日

優秀賞 「大根中PTA」大根中学校PTA  「西中PTAだより」西中学校PTA
    「本町小PTA広報」本町小学校PTA  「稜線」北小学校PTA
優良賞 「せんだん」東小学校PTA  「東中PTA広報」東中学校PTA  
    「みなみPTA」南中学校PTA  「おおね」大根小学校PTA 
    「ひろはた」広畑小学校PTA
奨励賞 「ほりかわPTA」堀川小学校PTA  「南が丘」南が丘中学校PTA

                           





2003年3月9日更新


第52回全国小・中学校・PTA新聞コンクール表彰式       2003年3月8日  毎日ホール

   
左・「新聞と教育賞」を大内文一新聞教育研究所長から受けた東中新聞  右・「毎日中学生新聞賞」とダブル受賞の東中学校の皆さん







2003年3月1日更新

第52回全国小・中学校・PTA新聞コンクール 今年の秦野は7新聞が入賞

 東中新聞に「新聞と教育賞」

 二月下旬、第52回全国小・中学校・PTA新聞コンクール(毎日新聞・全国新聞教育研究協議会主催)の結果が発表になった。今年も地元秦野市から7新聞が入賞した。
 今年の入賞の中で特にうれしかったのは“新聞と教育賞”を『東中新聞』が受けたことだ。この賞は新聞教育研究所から与えられるものだが、賞の選考にあたっては次のようなことが考えられている。「日常的に自分たちの手で新聞を発行していて、これからもその活動が期待できる。」
 新聞と教育賞は、このコンクールの応募全紙(賞・中・P)でただ一紙に与えられる賞である。東中新聞の発行号数は既に700号を超えている。紙面には子どもたちの素直な声があふれている。平成3年 『東中PTA広報』にもこの賞は贈られているから親子二代の受賞である。

 市内小学校で初入選の東小 

 東小6年の学習新聞もう一つ特筆したいのは東小学校の6年1・2・3組が学習新聞で入賞したこと。市内の小学校では東小学校がこのコンクールの初入賞である。市内の中学校の新聞活動は全国的にも知られているが、その裾野の小学校の活動があまり見えなかった。それがようやく一つの形になって表れてきたことはとてもうれしいことだ。東小の6年は春の遠足号、秋の修学旅行号、そして卒業に合わせた自分史新聞をつくっている。いずれも一人新聞だった。 学習新聞とは「教科や総合学習で学んだことや運動会や遠足などの行事をまとめた新聞」で、市内の中学校ではかなり前から取り組みが行われている。これをきっかけに小学校で新聞づくりが広がってくれればいいと願っている。
 

第52回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果

◇中学校 学校新聞の部
 ・毎日中学生新聞賞 「東中新聞」    秦野市立東中学校
 ・新聞と教育賞    「東中新聞」          東中学校
 ・佳 作   「大中新聞」              大根中学校

◇中学校 学級新聞の部
 ・佳 作   「林王国」            東中学校2年4組
 ・奨励賞   「3―2Star」          北中学校3年2組

◇ PTA新聞の部
 ・佳 作  「大根中PTA広報」         大根中学校PTA
 ・奨励賞   「稜線」                北小学校PTA

◇ 小学校 学習新聞の部
 ・奨励賞   「宝の山」         東小学校6年1・2・3組




 秦野の新聞教育                            

 毎日新聞と全国新聞教育研究協議会が主催する『全国小・中学校・PTA新聞コンクール』は、平成13年3月に第50回コンクールをおこなった。この年度は50回という節目ということで、特に「50回記念賞」が設けられた。この賞は「当コンクールに恒常的に参加し、しかも高いレベルの内容(入賞回数の多さ)を維持し続けている学校」に与えるという、50年にわたるこの新聞コンクールの最高の賞といえるものであった。
「中学校新聞の部」で最終審査に残ったのは10数紙、その中に秦野東、秦野西、秦野本町の3中学校があった。そして審査の末、秦野東中の『東中新聞』が「50回記念賞」を受賞することになった。(「小学校新聞の部」は鶴岡市朝陽第三小学校)
 この50回コンクールには全国から9998紙の応募があった。秦野市からは、東中をはじめ大根中・南が丘中の3学校新聞、東中・鶴巻中・本町中・渋沢中の4学級新聞、鶴巻中のPTA新聞の計8紙が入賞。秦野市の中学校の新聞の入賞数は「日本一」であった。秦野市は鶴岡市と並び"日本の学校新聞づくりのメッカ"と言われる所以である。(ちなみに鶴岡市は小・中合わせて9紙が入賞)

秦野市 人口16万 
    安居院庄七 前田夕暮 宮永岳彦 石井隆士 河村隆一 吉田栄作 
    水道敷設日本で3番目
    日本三大葉たばこの産地
鶴岡市 人口10万 酒井14万石の城下町 
    高山樗牛 丸谷才一 藤沢周平 渡部昇一 阿部武雄 加藤紘一
    学校給食発祥の地 
    「雪のふるまちを」の街 

 新聞づくりは「総合的な学習」そのものである。新聞づくりの持つ「創造性、情報を伝える力」は"生きる力"を養うという観点からも重要視されている。「次代の秦野を創るのは私たち」という意識を新聞づくりを通して子どもたちに持たせたい。『五日制』という厳しい時間的制約の中ではあるが、市内9中学校の新聞づくりは今年度も着実に進められている。秦野市の伝統ある教育実践としての新聞づくりをいっそう進展させたい。



 

 「東中から連想するもの」は"自然"と"新聞"です

 毎日新聞創刊100年を記念した全国学校新聞コンクール(昭和46年)で『東中新聞』の100号は『特選』を受賞できた。 「生徒総会終わる 質問者は一名のみ」(「」内は見出し・以下同じ)という現実から、「生徒会への関心」をアンケートで探ったのが1、2面だった。3面では「オピニオンリーダーを目指し」、「九月から週刊へ努力」と100号を数えた学校新聞の新たな決意を表した。
 4面は「ふるさとの自然を愛そう」「川はゴミ捨て場か」というレポートを中心に、愛鳥活動の記事など関連記事で構成された。このレポートは、企画会議のおり「父がたんぼに流れ込む汚物で困っている」と言った一人の新聞委員の言葉から始まったものだった。この号以来、地域や自然環境の記事が紙面にたびたび表れるようになった。そして地域に目を向ける子どもたちの姿勢は、今も脈々と『東中新聞』の中に流れている。その幾つかを挙げて見ると、昭和48年度に発行された141号では「西に東にゴルフ場」「うなりをあげるブルドーサー」という見出しを掲げ、新聞部長は「開発の現実を見つめよう」と呼びかけている。時代は田中角栄氏の"日本列島改造論"に浮かれ、"土地神話"が生まれつつあるときだった。165号(昭和49年度)は、学区にたくさんある「ふるさとの文化財を訪れる」案内を1ページで特集している。
 時は流れ、平成2年10月発行の381号、丹沢・大山を校舎の窓近く見る子どもたちは「地球は今も青いですか」、「考えよう自然との共生」と訴えている。そして435号(平成4年)−本コンクールで『最優秀賞』を受賞−は、学区をさまざまな角度で学ぶシリーズ"東学"を紙面に位置付け、全国名水100選の地・秦野の湧水についてその現況を報告した。
 ところで、東中学校の学級新聞は昭和44〜46年の三年間、本コンクールで『特選』を得ているが、それ以降も11クラスが入賞している。今年度も全校12クラスが班の輪番制で学級新聞の発行を行っている。週刊の『東中新聞』は平成12年6月22日現在、657号の発行を数えている。
 今年3月発行の649号の卒業特集号は「東中と聞いて連想するもの」を卒業生に聞いている。その第一位は「自然・緑」という環境であり、二位は「新聞」となっている。 地域の教育力の導入が提唱されて久しい。だが、学校もまた地域に働きかけをしなければならない。学校新聞を通して、子どもたちが地域を眺め、地域から学ぶとき、ふるさとを愛する心が育つ。それは取りも直さず"地域の教育力"の伸長につながる。
 今年度から「総合的な学習」を通して新しい学力観を見いだそうとするさまざまな試みがなされている。「新聞をつくって、新聞を読んで」の問題解決学習もまた、子どもたちに確かな生きる力をつけるものと信じている。

 武 勝美(昭和38〜49年度、昭和60〜平成4年度、秦野・東中学校勤務



これからのPTA新聞づくり  −『エコー教育広報相談室』に寄せられた実例から考える−    (1999年記)

  
1 校内に三つの声を響かせよう
「学校には三つの声が響かなくてはならない」。これは40年余り新聞教育にかかわってきた中から育った私の一つの教育観である。(1)子どもの声 (2)保護者の願い そして(3)教 師の思い この三つの声が子どもたちがつくる学校・学級新聞、保護者の発行するPTA広報、教師が書く学校・学級通信で響き合うとき、学校は変わるからである。

 広報活動の実際−4例
1999年度、私は280余りのPTA広報を読んだ。また発行・編集などの相談も80余件受けた。それらの体験から「これからのPTA新聞」を考えてみたい。

@ PTA活動の原点を追い続ける広報
A中学校のPTA広報は1999年度、年間17回の発行を数えた。その総ページ数は86になる。この精力的な活動の源を年度最終号の次のコラムに中から見つけることができた。「前年度一  月の事件は、前途多難を予感させた。『A中生だ』と胸をはって卒業させてやりたい。母校はいつだって輝いていて欲しい。▼親として広報委員会としてできることは何なのか。手探りの中で出会ったのがB先生。▼そのB先生は語る『PTAとは、子どもの幸せを考えて、親と教師が話し合う会です。だから学級懇談会はPTAの原点であり、出発点なのです』▼この言葉に力づけられ、当委員会では『学懇』に焦点をしぼり活動を展開してきた。今ゆっくりだが確かに学懇は動き出している」「学校に行こう」というキャッチフレーズがどの号にも付けられ、"ざ懇談会"というタイトルの冊子が2回発行された。「もう一年頑張ってみたい」と委員長と副委員長は留任した。二人とも仕事をもつ母親である。PTA広報の使命感をしっかりととらえた一年間の活動だった。

A 楽しく作らなければ読んでもらえない
C小学校PTA広報は年間三回発行という"標準的"なもの。年度第1号の編集後記を読むと「出産以来の大事業、悪戦苦闘の末やっと第一号を発行できました。二号、三号はきっと安産でしょう。乞うご期待!」とある。そして年度最終号は「思えば、初回で先生方に川柳の宿題を出すという、怖さ知らずの大それた行動に出た私達は、その後、かの先生方や皆様の協力を得てここまでこられたのでした。その懐の深さに感謝の念を表し、罪滅ぼしの意味も込めて、ここに委員全員の川柳をお目にふれさせて頂きます」と記している。「紹介してあげるから川柳を」と言う広報委員会に、快く(?)応えた40余名の全教職員。にこやかな顔の並ぶ紙面は、PTAが正しく機能している、何よりP広報とTの間に信頼感があることを物語っていた。楽しく作っている広報だから読者も引き付けられる。「読めば納得!PTA−あなたもやってみませんか−」は、年度のまとめと反省を特集した見出しである。形式的なあいさつで終わる反省号ではない。例えば広報委員長は「委員一人ひとりが持つ能力が号を重ねる毎に開花してゆきました。『広報=耕報、自分を耕し会員の心を耕す広報紙づくり』をしませんか」と次年度の広 報への参加を呼びかけている。校正のゲラをもらった段階で、自分の原稿が活字になったことに有頂天になり、校正ミスが出ても納得! 初々しさとやる気に満ちた母親たちの明るい広報づくりである。

B 広報は"金食い虫"か
こんな相談があった。「年度第一号は全ページ先生紹介で埋まってしまった。出稿の 段階で、会長さんからPTA本部の紹介がないのはおかしい、と言われた。どうしたらよいのか」。次号で登場してもらう企画を勧めた。ところが「年二回の発行しかできない。予算がない」との答え。予算は三回分計上されているが、一回分は開校記念誌の費 用に流用するので、委員会は手をつけられない。先生紹介の企画は、学校からの強いお願いだった。未だに、いや今だからこそ、このようなPTAへの認識不足が校内にある。「広報は金食い虫」と言われている。東京のD小学校は開校以来125年という歴史をもっている。この学校も生活圏の変化と少子化から児童数は70余名の小規模校になってしまった。PTA活動の基本になる委員会も改編に迫られ、広報と成人教育だけとした。そんな中で15万円を広報委員会に計上している。極論だが、PTAには学級委員会と広報委員会、この二委員会があればよい。学級懇談会を学級委員が企画し、広報がそれを押し上げる。PTAの目指すものはこの二つの活動に集約されてもいい。

C 広報委員会から部活動へ
「委員になり手がない」から「活動を減らす」、すると「質と量の低下」→「読ま れない広報」→「広報不要論」が起こり、「委員会廃止」になる。現実には、広報委員会が消えたPTAが幾つかある。当該のあるPTA会長はこう言った。「広報は消えない、消さない。私なりに広報の大切さは理解しているつもりだ」。よい広報、読まれる 広報は、よいPTA活動の中から生まれる、と彼は信じている。それで有志による広報部を発足させた。「もし部員が集まらなければ本部が広報を出せばよい」と言う彼は、会長を引いた後も広報部員となっている。

 "ひん死のPTA"からの生還を広報で
「曲がり角のPTA」という見出しが、PTA広報に登場したのは30年も前のことだった。そして今「ひん死のPTA」とささやかれている。その現実からか、無理せず「パッ(P)と楽しく(T)明るく(A)やりましょう」と、いう見出し(E小学校)が一面に躍っていた。若い親たちの姿を眺めればこの言葉にも一理あるように思えた。だが、なぜか空虚感が漂っている紙面だった。そんなとき「親や教師が楽をすることだけ考えてしまったらと"それだけ"の子どもしか育たないように思えてなりません」と書いている広報(F中学校)に出会った。小さいが火種はまだ残っている。
 1947年(昭和22年)に文部省が『父母と先生の会=民主化の手引き』を出した。その一部に「それまでは(戦前・戦中の父母会や後援会などは)、学校整備や催しの寄付や後援をすることが主な仕事であって、本当の子供たちのための仕事をしていくことがなかった」「先生方からいろいろ説明をきき、注意を受け、依頼を受けるという具合で、父母は常に受け身になっていて、積極的な活動をすることに欠けていたと思われるのは、まことに残念」「これからは、今までの父兄会などのやり方を十分に反省し、先生が中心となった会ではなく、父母と先生が平等な立場に立った新しい組織をつくるのがよい」と書かれている。これらの指摘はPTAが抱える永遠の命題である。そして、この課題解決に迫ることがPTA広報の基本姿勢であり、その役割を果たすことである。
 2002年から『学校五日制』が完全実施される。子どもと地域との結び付きがますます重要視されるが、そのベースになるのはPTAである。PTAの存在しない学校は今、地域との接点が見つからず苦慮している。PTAはその再生に向けて好機を迎えたとも言える。その再生の原動力を広報に求めたい。                     





秦野市中学校の新聞教育活動


秦野市中学校教育研究会に新聞研究部ができたのは昭和43年でした。その年から神 奈川新聞社に後援をお願いして、市内中学校
学級新聞コンクールが始まりました。この 二つのことが、現在の秦野の新聞教育の源の一つになっていると思っています。

全国小・中学校・PTA新聞コンクールの成績   (主催/ 毎日新聞 全国新聞教育研究協議会)

 昭和43年度(第18回)までは、市内の中学校からの入賞はありません。昭和46年度までの表彰名は「特選」「入選」「佳作」でした。
47年度より「最優秀」「優秀」「入選」「佳作」「奨励賞」の各賞と なりました。下の一覧では後援・協賛の方の副賞名は省きました。

〔 年度 〕 〔賞〕 〔部門〕 〔新聞名〕 〔発行者〕

昭和44年度
特選 学級新聞 『エコー』 秦野東中学校

昭和45年度
特選 学級新聞 『3Cタイムス』     東中学校

昭和46年度
特選 学校新聞 『東中新聞』     東中学校
佳作 〃 『西中新聞』 秦野西中学校
特選 学級新聞 『ニューセコイア』 秦野東中学校
佳作 〃 『アスナロ』    東中学校

昭和47年度
優秀 学校新聞 『西中新聞』 秦野西中学校
佳作 〃 『東中新聞』 秦野東中学校
佳作 学級新聞 『ムサシ』 秦野西中学校

昭和48年度
入選 学校新聞 『東中新聞』 秦野東中学校
入選 学級新聞 『赤トンボ』 秦野西中学校
佳作 学級新聞 『親竹子竹』 秦野東中学校
〃 『えんぴつ』 東中学校
〃 『カンパニアン』 秦野西中学校
〃 『やまゆり』 西中学校
佳作 PTA新聞 『西中PTAだより』 秦野西中学校PTA

昭和49年度
最優秀 学校新聞 『本町中新聞』 秦野本町中学校
佳作 〃 『東中新聞』   秦野東中学校
入選 学級新聞 『パンダッ子』 秦野本町中学校
佳作 学級新聞 『こだち』   秦野西中学校
〃 『竹の子』 秦野東中学校
入選 PTA新聞 『西中PTAだより 秦野西中学校PTA

昭和50年度
入選 学校新聞 『本町中新聞』 秦野本町中学校
佳作 学級新聞 『晴れのち曇り』ほか16点 秦野西中学校
最優秀 PTA新聞 『西中PTAだより』 秦野西中学校PTA

昭和51年度
佳作 学校新聞 『西中新聞』 秦野西中学校
〃 『本町中新聞』    秦野本町中学校
〃 『東中新聞』   秦野東中学校
優秀 学級新聞 『快晴』 秦野本町中学校
佳作 〃 『ジャーナル』 秦野西中学校

昭和52年度 入選 学校新聞 『西中新聞』 西中学校
入選 学級新聞 『不死鳥』 西中学校
佳作 〃 『秋桜』 秦野本町中学校
佳作 PTA新聞 『西中PTAだより』 秦野西中学校PTA

昭和53年度
最優秀 学校新聞 『西中新聞』 西中学校
優秀 学級新聞 『つくしんぼ』 西中学校
佳作 〃 『きしゃポッポ』 秦野本町中学校
佳作 PTA新聞 『本町中PTA広報』 本町中学校PTA

昭和54年度
入選一席 学校新聞 『西中新聞』 秦野西中学校
佳作 PTA新聞 『本町中PTA広報』 秦野本町中学校PTA

昭和55年度 優秀 学校新聞 『西中新聞』 秦野西中学校
佳作 〃 『本町中新聞』 秦野本町中学校
優秀 学級新聞 『すずめ』 本町中学校
入選一席 PTA新聞 『本町中PTA広報』 本町中学校PTA

昭和56年度
佳作 学校新聞 『本町中新聞』 本町中学校
佳作 学級新聞 『84の瞳』 秦野西中学校
〃 『貯庫冷凍』 秦野本町中学校
〃 『タンポポ』 秦野南中学校

昭和57年度
佳作 学校新聞 『西中新聞』 秦野西中学校
〃 『本町中新聞』 秦野本町中学校
最優秀 PTA新聞 『本町中PTA広報』 本町中学校PTA

昭和58年度 入選三席 学校新聞 『秦野南中新聞』 秦野南中学校
佳作 〃 『本町中新聞』 秦野本町中学校
佳作 学級新聞 『INFOMATION』 本町中学校

昭和59年度 最優秀 学校新聞 『本町中新聞』 本町中学校
入選二席 PTA新聞 『渋中PTAだより』 秦野渋沢中学校PTA

昭和60年度
優秀 学校新聞 『本町中新聞』 秦野本町中学校
佳作 〃 『東中新聞』 秦野東中学校
佳作 学級新聞 (題字不明) 秦野北中学校
佳作 PTA新聞 『東中PTA広報』 秦野東中学校PTA

昭和61年度
入選 学校新聞 『秦野南中学校新聞』 秦野南中学校
〃 『渋中新聞』 秦野渋沢中学校
佳作 学級新聞 『中一時代』 渋沢中学校

昭和62年度 入選 学校新聞 『渋中新聞』 渋沢中学校
佳作 〃 『本町中新聞』 秦野本町中学校

《昭和63年度、平成元年度 入賞なし》

平成2年度
佳作 学級新聞 『今どきの2組』 秦野東中学校
最優秀 PTA新聞 『東中PTA広報』 東中学校PTA

平成3年度
入選 学校新聞 『渋中新聞』 秦野渋沢中学校
佳作 PTA新聞 『鶴中PTAだより』 秦野鶴巻中学校PTA
〃 『東中PTA広報』 秦野東中学校PTA

平成4年度
最優秀 学校新聞 『東中新聞』 東中学校
入選 学級新聞 『レーサー100』 東中学校
奨励賞 〃 『青空』ほか 秦野本町中学校
入選 PTA新聞 『東中PTA広報』 秦野東中学校PTA

平成5年度
入選 学校新聞 『鶴中新聞』 秦野鶴巻中学校
奨励賞 〃 『桜中新聞』 秦野大根中学校
入選 PTA新聞 『東中PTA広報』 秦野東中学校PTA

平成6年度
入選 学校新聞 『渋中新聞』 秦野渋沢中学校
佳作 学級新聞 『あらいちゅう』 秦野東中学校
入選 PTA新聞 『東中PTA広報』 東中学校PTA

平成7年度
入選 学校新聞 『鶴中新聞』 秦野鶴巻中学校
〃 『渋中新聞』 秦野渋沢中学校
佳作 学級新聞 『TOMORROW』 秦野鶴巻中学校
〃 『タイトル未定』 秦野東中学校
優秀 PTA新聞 『東中PTA広報』 東中学校PTA
佳作 〃 『大根中PTA広報』 秦野大根中学校PTA

平成8年度
入選 学校新聞 『渋中新聞』 秦野渋沢中学校
佳作 〃 『鶴中新聞』 秦野鶴巻中学校
奨励賞 〃 『南が丘中新聞』 秦野南が丘中学校
佳作 学級新聞 『ZERO』 秦野東中学校
入選 PTA新聞 『東中PTA広報』 秦野東中学校PTA

平成9年度
佳作 学校新聞 『桜中新聞』 秦野大根中学校
〃 『南が丘中新聞』 秦野南が丘中学校
佳作 学級新聞 『NON STROP FOEVER』秦野東中学校
奨励賞 〃 『やっつあん』 東中学校
佳作 PTA新聞 『東中PTA広報』 東中学校PTA

平成10年度
佳作 学校新聞 『西中新聞』 秦野西中学校
〃 『東中新聞』 秦野東中学校

平成11年度
佳作 学校新聞 『東中新聞』 東中学校
〃 『大中新聞』 秦野大根中学校
佳作 学級新聞 『ひまわり』 秦野鶴巻中学校

平成12年度
50回記念賞 学校新聞 『東中新聞』 秦野東中学校
佳作 〃 『大中新聞』 秦野大根中学校
奨励賞 〃『南が丘新聞』 秦野南が丘中学校
入選 学級新聞 『圭吾でGO』 秦野東中学校
佳作 〃 『さくら』 秦野鶴巻中学校
奨励賞 〃『たいよう』 秦野渋沢中学校
〃  『すすめ黒髪防衛隊』 秦野本町中学校
優秀賞 PTA新聞 『鶴中PTAだより』 秦野鶴巻中学校

平成13年度
佳作 学校新聞 『大中新聞』 秦野大根中学校
〃  『北中新聞』 秦野北中学校
奨励賞 〃 『鶴中新聞』 秦野鶴巻中学校
佳作 学級新聞 『モリモリ』 秦野東中学校
奨励賞〃 『TSUBASA』 秦野鶴巻中学校
佳作 PTA新聞 『東中PTA広報』 秦野東中学校

平成14年度
毎日中学生新聞賞 学校新聞 『東中新聞』 秦野東中学校
新聞と教育賞 学校新聞 『東中新聞』 秦野東中学校
佳作 〃 『大中新聞』 秦野大根中学校
佳作 学級新聞 『林王国(キングダム)』 秦野東中学校
佳作 PTA新聞 『大根中PTA』 秦野大根中学校
奨励賞 学級新聞『3−2star』 秦野北中学校
〃  学習新聞『自分新聞』 秦野東小学校6年1、2、3組
 PTA新聞 『稜線』 秦野北小学校

平成15年度
入選・審査委員会賞 学校新聞 『大中新聞』 秦野大根中学校
佳作〃  『東中新聞』 秦野東中学校
佳作 学級新聞 『get's』 秦野東中学校
奨励賞〃 『鶴ピカリン』 秦野鶴巻中学校
〃    『ドミノ倒し』 秦野東中学校
入選  PTA新聞 『本町小PTA広報』 秦野本町小学校
奨励賞 〃 『西中PTAだより』 秦野立西中学校

奨励賞 学習新聞『個人新聞』 秦野北小学校5年3組平成16年度
入選・毎日中学生新聞賞 学校新聞 『大中新聞』 秦野大根中学校
佳作 〃 『東中新聞』 秦野東中学校
入選・鹿島賞 学級新聞 『41個のコロッケ』 秦野東中学校
奨励賞〃  『みっこの豪邸』 秦野東中学校
奨励賞〃 『MITAKEX』 秦野東中学校
奨励賞〃 『青空』 秦野鶴巻中学校
奨励賞〃 『Take it easy』
秦野西中学校
奨励賞 PTA新聞 『ほりかわA』 秦野堀川小学校


奨励賞  『みなみPTA』 秦野南中学校

平成17年度
佳作 学校新聞 『本町中新聞』 秦野本町中学校
佳作〃  『東中新聞』 秦野東中学校
奨励賞〃 『大中新聞』 秦野大根中学校
奨励賞〃 『鶴中新聞』 秦野鶴巻中学校
入選学級新聞 『4組タイムス』 秦野北小学校
佳作 学級新聞 『41曲のメロディーs』 秦野東中学校
佳作 学級新聞 『かばん』 秦野東中学校
奨励賞〃 『つばさ』 秦野渋沢中学校
入選・毎日新聞社賞  PTA新聞 『ほりかわ』 秦野堀川小学校
入選・審査委員会賞〃『西のいぶき』秦野西小学校
佳作 〃 『西中PTAだより』 秦野立西中学校


平成18年度
佳作 学校新聞 『東中新聞』 秦野東中学校
佳作 〃 『本町中新聞』 秦野本町中学校
佳作 〃 『渋中新聞』 秦野渋沢中学校
入選・鹿島賞 学級新聞 『たいよう』 秦野東中学校
佳作 学級新聞 『渋中新聞』 秦野北小学校
奨励賞〃  『みっこの豪邸』 秦野東中学校
奨励賞〃 『MITAKEX』 秦野東中学校
奨励賞〃 『青空』 秦野渋沢中学校
入選・毎日新聞社賞 PTA新聞 『西のいぶき』 秦野西小学校
入選・トヨタ賞 PTA新聞 『丹沢の風』 秦野本町中学校

佳作 〃 『陵線』 秦野北小学校
奨励賞〃 『西中PTAだより』 秦野西中学校
奨励賞〃 『ぎんなん』 秦野東中学校








全国学校新聞コンクール(秦野市関係の)入賞記録
                    (朝日学生新聞社・昭和57年度スタート)

昭和57年度 『優秀賞』 秦野西中新聞
       『佳作』  秦野西中3−8(学級新聞)
   58年度 『文部大臣奨励賞』 秦野本町中新聞
   63年度 『佳作』      秦野東中新聞 
平成 4年度 『朝日新聞社賞』  秦野鶴中新聞
    7年度 『朝日中学生ウイークリー賞』(学級新聞の部 第一位)  秦野鶴巻中3−5
    8年度 『入選』      秦野鶴中新聞
平成 9年度 『文部大臣奨励賞』 秦野桜中新聞(大根中)
   10年度 『朝日新聞社賞』  秦野西中新聞








 神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール(秦野市関係の)入賞記録
                 (主催 神奈川新聞社・県中学校新聞教育協議会など)

                          (昭和35年 県中学校新聞教育協議会設立)

昭和36年度
  『優秀賞』秦野大根中学校  『佳作』秦野本町中学校 

昭和39年度
  『佳作』秦野秦野東中学校

昭和40年度
  『努力賞』秦野東中学校

昭和41年度
  『佳作』秦野東中学校

昭和42年度
  『佳作』秦野東中学校
 
昭和43年度
 『最優秀賞』秦野東中学校

昭和44年度
 『十周年記念賞』秦野東中学校  『優秀賞』秦野大根中学校 
 ※学級新聞の部『第一位』東中学校 

昭和45年度
 『最優秀賞』秦野大根中学校  『優良賞』秦野東中学校 
 ※学級新聞の部『第一位』秦野東中学校

昭和46年度
 『最優秀賞』秦野秦野西中学校  『優良賞』秦野東中学校   
 ※学級新聞の部『第一位』秦野東中学校  『第三位』秦野西中学校

昭和47年度
  『優秀賞』秦野東中学校  『努力賞』秦野西中学校   
 ※学級新聞の部『第一位』秦野東中学校  『第三位』秦野秦野南中学校 秦野西中学校

昭和48年度
 『最優秀賞』秦野西中学校  『優良賞』秦野東中学校  『佳作』秦野南中学校 
   ※学級新聞の部 『優良賞』秦野東中学校  『努力賞』秦野南中学校   『佳作』秦野西中学校
(この年度より学級新聞の部の表彰は『優良賞』『努力賞』『佳作』となる)

昭和49年度
  『最優秀賞』秦野本町中学校  『優秀賞』秦野東中学校   『努力賞』秦野西中学校
   ※学級新聞の部 『努力賞』秦野東中学校 秦野西中学校  『佳作』秦野本町中学校
 
昭和50年度
  『最優秀賞』秦野本町中学校  『優秀賞』秦野西中学校  『努力』秦野東中学校
   ※学級新聞の部 『佳作』秦野西中学校 秦野本町中学校 

昭和51年度
  『努力賞』秦野西中学校 
   ※学級新聞の部 『佳作』秦野西中学校

昭和52年度
  『最優秀賞』秦野西中学校

昭和53年度
  『最優秀賞』秦野西中学校

昭和54年度
  『優秀賞』秦野西中学校

昭和55年度
  『優秀賞』秦野西中学校
 ※学級新聞の部 『佳作』秦野西中学校

昭和56年度
  『優秀賞』秦野西中学校

昭和57年度
  『最優秀賞』秦野西中学校

昭和58年度
  『優秀賞』秦野秦野南中学校

昭和59年度
  『努力賞』秦野西中学校   『奨励賞』秦野渋沢中学校 

昭和60年度
  『佳作』秦野渋沢中学校

昭和63年度
  『佳作』秦野渋沢中学校

平成元年度
  『努力賞』秦野渋沢中学校  『佳作』秦野東中学校

平成2年度
  『優秀賞』秦野東中学校   『佳作』秦野渋沢中学校

平成3年度
  『努力賞』秦野渋沢中学校  『佳作』秦野東中学校

平成4年度
  『最優秀賞』秦野東中学校  『努力賞』秦野渋沢中学校
   ※学級新聞の部 『佳作』秦野東中学校

平成5年度
  『最優秀賞』秦野渋沢中学校  『優秀賞』秦野鶴巻中学校  『佳作』秦野大根中学校
   ※学級新聞の部 『優良賞』秦野東中学校  『佳作』秦野鶴巻中学校

平成6年度
  『最優秀賞』秦野鶴巻中学校  『優秀賞』秦野渋沢中学校
  
平成7年度
  『最優秀賞』秦野大根中学校  『優秀賞』秦野鶴巻中学校  『佳作』秦野東中学校

平成8年度
  『最優秀賞』秦野東中学校  『優秀賞』秦野大根中学校  『優良賞』秦野西中学校 
  『佳作』秦野鶴巻中学校 秦野南が丘中学校

平成9年度
  『最優秀賞』秦野大根中学校  『優秀賞』秦野西中学校  『優良賞』秦野南が丘中学校 
  『佳作』秦野東中学校

   ※学級新聞の部 『優秀賞』秦野東中学校  『佳作』秦野東中学校

平成10年度
  『最優秀賞』秦野大根中学校  『優良賞』秦野西中学校  『佳作』秦野東中学校
  『努力賞』南が丘中学校
   ※学級新聞の部 『優良賞』秦野東中学校  『努力賞』秦野東中学校

平成11年度
  『最優秀賞』秦野大根中学校  『優秀賞』秦野南が丘中学校  『優良賞』秦野東中学校
   ※学級新聞の部 『佳作』秦野東中学校 秦野鶴巻中学校  『努力賞』秦野東中学校
  
平成12年度
  『最優秀賞』秦野東中学校  『優秀賞』秦野大根中学校  『努力賞』秦野鶴巻中学校
   ※学級新聞の部 『努力賞』秦野東中学校 秦野鶴巻中学校
           
平成13年度
  『最優秀賞』 秦野大根中学校  『優秀賞』秦野東中学校  『努力賞』秦野北中学校
   ※学級新聞の部 『努力賞』秦野鶴巻中学校

平成14年度
  『最優秀賞』秦野大根中学校  『優秀賞』秦野東中学校  『佳作』秦野北中学校
  『奨励賞』秦野鶴巻中学校   
   ※学級新聞の部 『奨励賞』 秦野鶴巻中学校

平成15年度
 
『最優秀賞』秦野大根中学校  『優良賞』秦野東中学校  『努力賞』秦野北中学校 
  ※学級新聞の部 『奨励賞』 秦野鶴巻中学校


平成16年度
 『最優秀賞』秦野大根中学校  『優良賞』秦野東中学校  『佳作』秦野北中学校 『努力賞』鶴巻中学校
  ※学級新聞の部 『努力』 秦野鶴巻中学校


                                                  平成16年12月現在


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