-ECHO- 教育コラム『エコー』 -ECHO-
エコー教育広報相談室は「かながわ県民活動サポートセンター」に登録されています。
学校教育を考え、語り合うページ
教育コラム『エコー』 最新版 2014年 以降 はこちらへ
教育コラム『エコー』 2007~2009年 掲載分はこちらへ
教育コラム『エコー』 2004~2006年 掲載分はこちらへ
教育コラム『エコー』 2000~2003年 掲載分はこちらへ
2013年12月1日更新
授業参観では「先生の授業の工夫も見てください」
このごろ月一回の運営委員会がとても楽しみになっています。というのも校長先生がいつも良い話をしてくださるからです。先日は学級懇談会の話でした。
「授業を『うちの子はちゃんと授業に参加しているか』だけを見ているのではなく、先生はこの授業はどんな意図を持って進めているのか、どんな工夫をして授業をしているか、そういうことにも目を向けて授業を見てほしい。そしてそのことを懇談会で先生に質問してほしい。そのことで先生も子どもたちも育つ。そして皆さんも」。
幸希
支援級の介助員を10年間しています。このごろ思うことは「この子にとって生きるために何が必要か、そのために今何が必要か、何を学ばなければいけないのか」ということです。まるで空に浮かぶ雲をつかまえるような、不確かで難しいことです。でも「雲の上には確かに青空がある」と思い、私の出来ることを、少しでも多くしてあげたいと思っています。 貴子
昨日は一日順延の運動会が楽しく終わりました。鼓笛の練習をしているときに、教頭先生が「東小にいたとき、学校の隣りの武先生が『だんだん上手になっていくのが聞き取れるよ』と話してくださったけど、職員室で聞いていると、ほんとに私もそう思うわ~」とおっしゃっていました。
東中新聞1000号到達、伝統のすばらしさを感じました。こどもたちのがんばりとともに 武先生がすぐ近くにいて サポートしてくださっていることが力になったのではないかと思います。これからもずっと続くといいですね。 秀子
「仲間をつなぐ東中新聞」が引き継がれていくことを
東中学校で「新聞づくり」に携わったのは45年も前のこと。右手中指の第一関節にあるペンだこが、その頃のことを思い出させる。力を込めて鉄筆を握り、ヤスリ盤の上のロウ原紙にガリガリと字を刻んだ。謄写版印刷だから仕上がりは原紙切りによる版の出来次第。きれいに印刷された新聞を見た喜びは今でも覚えている。鉄筆が消えファックス原紙に。印刷機も輪転機となった。そしてワープロによる新聞が出現した時「肉筆の温かみがなくなった」と嘆いた私。
パソコンの普及で紙面づくりも容易になった。「新聞づくり」の技術の驚くべき進歩に改めて感じ入る。しかし「新聞づくり」の有り様がどんなに変わろうと、それに携わる者の願いは変わらない。「新聞づくりは仲間づくり」という武先生の言葉を思い出す。「一緒に新聞をつくることで、仲間意識を持つことができる」、「その新聞を読むことで、気づき考え、話し合うことで学校生活は改善される」。これからも、「東中に集う仲間をつなぐ東中新聞」が次世代に引き継がれていくことを心から願っている。 Hide
つながれ東中新聞という“たすき”
1000号発行おめでとうございます。こんなに長い間たすきがつながっていること。自分も走者のひとりであったことを大変うれしく、光栄に思います。
今にして思えば不思議なことで、東中学校の「学校・学級新聞の毎週発行」は学校生活の日常の一光景でした。やがて私は、「学級新聞」と「学校新聞」は同しものではないことを学びました。顧問の武勝美先生が「新聞部の部長に」と声をかけてくださったとき、「東中新聞」の重さに即答できなかったことを思い出します。翌日に「させてください」とお願いしたのは、「東中新聞」の目指すものに少しでも寄与できたら、と思ったからでした。
新聞づくりを通して、「自分を表現できる方法と場」を与えていただいた私の中学校生活は幸運でした。その経験はその後の人生で幾たびも役立ちました。新聞づくりを経験できたことに感謝しています。「東中新聞」というたすきがつながっていくことを願っています。
貴美子
2013年11月1日更新
PTA広報紙を読む 小学生の放課後
A小PTA広報紙は小学生78人に聞きました。「友達の家に遊びに行ったり、友達が来たりしたことはありますか」
室内でゲーム機遊びが人気
この7月に発行されたA小学校のPTA広報の特集は「放課後の過ごし方について」で、6月中旬に全校児童(78人)へのアンケート調査を行った結果を中心に記事が書かれている。
今の子供たち、とくに小学生の生活の一部を垣間見ることができ、考えさせられた内容である。その記事の一部を紹介する。
質問 4月から今日まで放課後にお友達の家に遊びに行ったり、お友達が来たりしたことはありますか。
回答 ・遊びに行った・来た 66人
・行っていない・来ていない 11人
そして「何をして遊ぶことが多いか」と聞き、その結果を「全学年が室内でのゲームWii・DS遊びが人気」と報告している。
質問 放課後習い事がありますか。
回答 ・ある 57人 ・ない 19人
五年生の授業時間数は
この広報紙は「5時間の日しか遊べない」という五年生の言葉を聞き、五年生の6月の授業時間を調べた。その結果は、
・4時間の日 1日
・5時間の日 6日
・6時間の日 14日
広報委員は次のような分析もしている。「放課後の《友達との行き来》はあってもその回数は少ないかもしれません」。
調査実施日から推測すれば、全校児童の15㌫強の児童が、おおよそ二カ月間帰宅してから近所の仲間や友たちとの交流がないことになる。子供たちが今おかれている環境の中で、《放課後友達と外あそび》ができる条件が整っているとはいえない。人とのかかわり方の学び、地域づくりなどに《子供の外あそび》の効用は大である。
2013年10月3日更新
「先生紹介欄」で5人の名前の誤植
年度初めのPTA広報のほとんどが「先生紹介の欄」を作る。《恒例・定番》だが保護者や子供たちには好評の企画である。そんなこともあり、私は講座で、先生紹介で先生の名前を間違えないようにと強く訴えてきている。「先生紹介なのだから正しく名前を紹介しましょう。振り仮名は忘れずに。名前を間違えたら礼を失する。それに、もし間違えるとこの一年間、広報委員会はその先生の信頼感を失ってしまうかもしれないから」。
7月に入ってN小学校PTAから年度第1号の広報紙が送られてきた。紙面の講評を求めてのものだが、同封されていた委員長さんの私信は、冒頭からお詫びの言葉だった。
「あれほど先生の名前を間違えないように、とご指導いただいたのに、5人の先生の名前が誤植になってしまいました」。委員会は大きなショックを受けてしまい、私の講評を立ち直りのきっかけにしたい、と綴られている。 《先生5人の名前の誤植》―「何かがある」と直感的に思った。それで委員長さんと電話で話した。
《誤植》の顛末は次のようだった。
先生の名前の確認は、何人もの委員が何度も行い、教頭先生に最後に見てもらって出稿した。だから、校正が上がって来たとき、先生の名前は「出稿の時点であれだけしっかり確認したのだから、そして先生方も校正してくださっているので」と、広報委員会の校正はさっと通過させてしまった。そして校了、発行へ。ところが5人の名前が誤植!
このミスの責任は一義的には広報委員会にある。しかし、「印刷所にも同じくらいの責任がある」と私は言いたい。その誤植は、「智」が「千」に、「江」が「枝」のような、単純な漢字の変換ミスである。この印刷所は出稿された原稿を版に組み終え、校正のゲラを依頼者に返すとき、植字をした人は自らは校正はしないのだろうか。
文字を使うことを生業とする人たちには、文化や歴史をつなぎ、育て、創るという使命感・責任感が課せられている。出版を通じて社会や文化の発展に貢献しようという出版人の心意気がほしい。それと共に「まったくの素人が一生懸命に作っている広報紙」ということにも、印刷所は思いを馳せてほしい。
2013年8月1日更新
どうにも気になる口癖 朝日新聞『 be on Saturday』掲載 2013/6/29
アンケート協力者 1651人(朝日新聞デジタルのウエブサイト会員)
「私って~という人じゃないですか」
① っていうかー 661
② ぶっちゃけ 645
③ ~みたいな 534
④ 超(チョー) 520
⑤ マジで? 472
⑥ ~っすね 413
⑦ めっちゃ 359
⑧ ~じゃん 301
⑨ えっと(えーっと) 264
⑩ 要するに(要は) 262
⑪ 逆に言うと 252
⑫ 普通に~ 247
⑬ だって 226
⑭ はあ(はあはあ) 220
⑮ ある意味 213
⑯ ~でさぁ 209
⑰ ヘンな話 183
⑱ いやっ(文頭で使う) 174
⑲ ここだけの話 166
⑳ でも(でもでも) 159
その他 ・ ですから ・ふんふん ・基本的に ・なんか ・やっぱり ・どうせ
自由記述で圧倒的に多いのが ・~じゃないですか(『私って~じゃないですか』) 私はこの言葉使いはしないように心がけています。武
2013年7月1日更新
気持ちか悪い日本語 朝日新聞『 be on Saturday』掲載2013/6/1
アンケート協力者 1301人(朝日新聞デジタルのウエブサイト会員)
①1000円からお預かりします 845
②全然似合いますよ 840
③ギターの音が耳ざわりがいい 796
④来年もよろしくお願いしておきます 726
⑤わたし的にはOKです 707
⑥受付でいただいてください 663
⑦以上でよろしかったでしょうか 658
⑧コーヒーで大丈夫ですか 658
⑨やばいよ、この味 623
⑩わからないじまいです 609
⑪役所のほうに勤めています 580
⑫それは間違ってるぼい 576
⑬普通に頭にきたんだけど 568
⑭昔そこで遊んだときがある 555
⑮おビールお持ちしました 551
⑯今日ひまだったりする? 511
⑰わけわかんないしー 505
⑱歌わさせていただきます 498
⑲明けましておめでとうございました 485
⑳二個上の先輩がいました 479
その他 ・この店の安さは半端ない ・ご負担をいただく形になっております ・患者様はこちらへどうぞ ・お土産をいただきましてすみません ・お名前をいただけますか
2013年6月1日更新
広報相談室への相談
「命」を繋ぐ食事・たべること
こんにちは、今年度、中学校の広報委員になりました。生まれて初めての新聞作り。学期に一度発行の広報誌を、学年ごとに担当ページを決めて、取り組んでいます。
今年度のテーマは「瞬時(いま)を生きる」で、B4判・12ページの冊子です。巻頭は、各学期校長先生、副校長先生、教頭先生にインタビューをして、特集するのが恒例となっています。3、4ページが、その号の特集記事になります。
1学期は、「防災意識」。生徒に震災関連のアンケートをとりました。2学期は、「いのち」リレーフォアライフという活動をしているOGの方を招いて、実際にその活動に参加した生徒と保護者との座談会の模様を掲載予定です。
そして3学期を、私たち1年部が担当することになりました。「生きる」「命のリレー」に続くもの、「性」の問題を取り上げてはどうか、と考えてみました。思春期は「性」に興味があるでしょうし、子どもたちがどう思っているか、親も知りたいのではないか、と思ったからです。テーマとしては、1学期に扱った震災の影響で、支えあって生きていこうと、結婚する人が増えてきたこと。2学期に扱う「命のリレー」には、子孫繁栄もあること。今は好奇心から「性」を捉えるかもしれないけど、「愛」を大切に「瞬時(いま)を大切にしよう」という流れになります。ちなみにテーマは「愛」です。
大枠として、以下のことを考えています。 ①生徒にアンケートをとる。 ②養護教諭あるいはカウンセリングの先生(非常勤)におはなしを聞く。ほかに何も浮かびません。
そこで質問ですが、アンケートの内容は、どのようなものが適切でしょうか?
アンケートの対象学年は、何年生がよいでしょうか? 私は、2年生全員(160名)と考えました。3年生は、受験前で迷惑かな? 思ったからです。ただ、3年生の保護者にしてみれば、いまさら2年生の意見がほしいかな?とも思います。全学年というのは、13歳から15歳という多感な時期をひとくくりにすると、かなり意見が分かれるのではないかと思い、考えていません。ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。
お尋ねのことにお答えいたします。
担当されるのは年度末号ですから、『性』を取り上げるとしたら、学校で行なわれている「性教育」「命の教育」をレポートしてみるのもよいと思います。アンケートを実施するなら養護の先生の助言を得てください。調査の対象は全学年・全生徒にしたいです。
「命」をテーマにされた広報委員会の姿勢に心から敬意を表します。「命」を繋ぐ「食事・たべること」は取り上げてよいテーマだと思っています。
「中学の広報が食育なんて」と思われるかもしれませんが、「命」そのものに深く関わるのが「食べる」ことです。それに取り上げやすいテーマです。アンケートも取り易い。巻頭に登場される先生にも「食べる」について書いてもらえます。
私はPTA広報講座の中で、今の中学生が抱えている「食事5つの課題」を話しています。その5つとは「孤食・一人で食べる」「子食・柔らかいものしか食べない」「個食・好きなもの、単品しか食べない」「庫食・レトルト食品が多い」「小食・少ししか食べない」です。
以下は私が朝会で子供たちに話した話です。
朝会の話 魚の正しい食べ方
お祖父さんの祖国・韓国に一年間勉強に行っていたTさんが訪ねて来ました。そして留学中のひとつの出来事を話してくれました。彼女は、学校の食堂で友人たちとおしゃべりしながら昼飯をとっていました。食事を終え、午後の授業の教室に向かう廊下を歩いていると、「あなた、日本の方でしょう」と後ろから声をかけられました。その人は、Tさんの口が食事の前に「いただきます」と動くのを偶然目にして、それで日本人だと思ったのだそうです。
毎日、校長室で三年生と会食していますが、そのときだれもが「いただきます」と言います。なぜ「いただきます」なのでしょうか。「いただきます」は辞書には「食事を始めるときのあいさつ」とあります。AETのキンバリー先生に尋ねましたところ、先生の生活では、そういう習慣や言葉はないそうです。
私たちは、だれかから、何かをいただいているのです。アイヌの人たちは「あなたの命をいただきます」という意味の言葉で食事を始めるそうです。「いただく」とは、他の生物の命をいただくことなのです。魚や動物、野菜の命をいただいて、私たちの命は永らえているのです。そのことをしっかり心に留めておき、これから読む詩を聞いてください。
正しい魚の食べ方 五味 太郎
何千、何方、何億の人々の中の、/あの人でもないこの人でもない、/たまたま、まったくのたまたま、/このぼんやりした子と、/何億、何十億、何百億の魚の中の、/あの魚でもなく、その魚でもない、/この魚となぜかここで出会ったのだ。
「な-んだ さかなか」/なんていっている場合ではない。/「あんまり うまくないね」なんていっている場合ではない。/「のこさず食べるのよ」なんていわれている場合でもない。/まして「あしたはハンバーグにしてね」/なんていっている場合ではぜったいにない。
いいたいことは魚の方にこそ、たくさんある。でも魚はだまっている。/「ああ、こいつに食われてオレは幸せだ」/と思うか思わないかが問題なのだ。
魚の食べ方が正しかったかどうか/そこで決まる。
2013年5月1日更新
思考力・判断力・表現力を養う「学校新聞づくり」に望むこと
文部科学省視学官 三好 仁司
(1)自主的で創造的な活動
このたびの学習指導要領改訂でも、学校教育は引き続き「生きる力」の育成を目指すことになりました。平成10年の改訂以来、変化の激しい社会を担う子どもたちには「自ら課題を見つけ自ら学び、自ら考える力など」が、ますます重要となっています。
学校新聞づくりは、児童会活動・生徒会活動の中でも、特に創意工夫の余地が大きく、児童生徒の自主的で創造的な活動が期待されます。学校生括における身近な問題を取り上げて、アンケート調査やインタビューで広く意見を求めたり、集団生活におけるルールやマナーについて訴えたりすることも考えられます。
そして、企画、取材、執筆、紙面構成など、学校新聞づくりのそれぞれの場面で、子どもたちの「思考力、判断力、表現力」が養われます。新学習指導要領が、「言語活動の充実」などを通じて子どもたちに育もうと重視している力です。子どもたちの発達の段階に応じて、様々な新聞づくりのバリエーションが考えられます。子どもたちが、日頃の授業で身に付けた「知識、技能」や「思考力、判断力、表現力」を学校新聞の作成に生かし、さらにそれらの力を伸ばすよう、教師の適切な指導が期待されます。
ただし、子どもたちが自分たちで考えて工夫しながら作成する体験が、最も大切だということを忘れてはならないでしょう。
(2)人間関係を築く活動
平成20年1月の中央教育審議会答申は、「子どもの心と体の状況」として「人間関係の形成が困難かつ不得手になっているとの指摘もある」と述べ、課題を示しました。
そして対策の一つとして、コミュニケーションや感性・情緒の基盤である言語の役割を、すべての教科等の授業で重視することになりました。また、特別活動の目標に「人間関係」が加わり、「‥・集団や社会の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるとともに、‥・」(中学校)などとなりました。
具体的には、児童会活動や生徒会活動、小学校のクラブ活動や中・高等学校の部活動などで、異年齢の子どもたちからなる集団で活動したり、互いに協力しあって友情を深めたりします。
地域社会で異年齢の子どもたちによる体験活動が減少していると言われる中で、学校新聞づくりは、協同的な活動を通じて人間関係を築くための貴重な機会です。
さらに、読み手の子どもたちにとっても、身近な話題が同年代の子どもの視点で取り上げられることにより、学校への所属感や相互の連帯感が高まることが期待されます。
(3)家庭や地域に向けた情報発信
子どもたちが作成する学校新聞の主な読者は、その学校の子どもたちでしょう。しかし、保護者や地域の人々が読者となることも少なくないでしょう。
前述の答申は、「子どもたちの豊かな心や健やかな体の育成」における課題の背景として、「社会全体や家庭・地域の変化」を挙げ、その対策として「学校、家庭及び地域の役割分担と連携が重要である」としています。
学校の教育活動を保護者や地域の人々に知らせることは、学校教育への理解や協力を求めるために近年ますます重要になっています。連携の前に、まず、子どもたちの実情や学校が何を目指して教育しているかを、具体的に分かりやすく伝える必要があります。そのために、ほとんどの学校で教職員やPTAが、学校だよりなどを発行しているはずです。
子どもたちの学校新聞から保護者や地域の人々が得る情報は、多いと思います。子どもたちの学校生活の様子や、作成に関わった子どもの成長はもちろん、新聞づくりを支えている教師の指導も伝わるでしょう。
子どもたちの学校新聞づくりにとっては付随的な効果でしょうが、保護者や地域の人々からの感想が子どもに伝われば、励みにもなるし、新聞制作上の改善にもつながるでしょう。家庭や地域からのフィードバックを工夫してはいかがでしょうか。
◇ ◇ ◇
小、中学校では、新学習指導要領が全面実施となり授業時数が増え、放課後などに学校新聞づくりの時間を確保するのは大変になったという声も聞きます。しかし、「言語活動の充実」という点で、各教科等の授業で培われる力が、これまで以上に学校新聞づくりと密接に関連するようになりました。
各学校で、学校新聞づくりの意義や教育上の効果が理解され、これからも子どもたちに学校新開作成の機会が与えられることを願っています。
季刊『理想』2013春号 (発行:公益財団法人 理想教育財団)より
2013年4月2日更新
エコー教育広報相談室の活動 2012年4月1日から2013年3月31日まで
エコー教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。
①新聞・広報づくりの相談 ・学校・学級新聞 9件
・PTA広報(クリニックを含む) 261件
・その他の広報・新聞(家族新聞など) 3件
②教育相談(一人で抱え込まないで、一人で悩まないで)
・進路変更・不登校・学級経営など 3件
③その他の活動 ・新聞・広報づくり講座講師 44回
・子育てなどの講演 3 回
・「ふるさと」講座・案内 15回
・全国新聞教育研究協議会関係 8回
・当相談室来訪者 241組 (541人)
2013年3月1日更新
朝日新聞 2013年2月28日
2013年2月1日更新
いじめ撲滅のために 学級で子どもたちを育てたい
昨年の12月15日、「足柄上郡PTA連絡協議会リーダー研修会」に招かれた。その後、会長さん、教頭先生など30名が参加された交流懇親会にも誘われるままに出席。お酌に来てくれた会長さん(秦野市内の中学校の卒業生)が、中学校時代の「帰りの会」の思い出を話してくれた。
「帰りの会には毎日のように歌を歌った。カセットテープを使って。曲は生徒が選ぶ。先生は、カセットテープの歌ならどれでもOKだった。先生の好きな歌は『想い出のサンフランシスコ』
♪ I left my heart in San Francisco ♪ みんな、英語なんてあまり得意じゃなかったけど英語で歌った…。先生? 数学のM先生」。
あなたの学級の「おわりの会」は
毎日小学生新聞(2012年7月29日)のコラム『風の学校』で、園田雅春先生(大阪教育大)が「あなたの学級の『おわりの会』」を書いている。
「1学期を思い出して答えてくだざい。あなたの学級では『おわりの会』が毎日ありましたか。①毎日あった ②ときどきあった ③まったくなかった。
①と答えた人はどれくらいいるのでしょう。学級会を開いて、おたがいの気持ちを、その日のうちに率直に話し合えれば『いじめ問題』は確実に減っていくと、ぼくは考えています。」
興味深い問いだったので、わが家を訪れた10数人の小・中学生に①〜③を問うてみた。全員が「毎日ある」と答えた。会の中身も聞いた。①先生からの話や伝達、②先生の話と教科係りの児童・生徒からの連絡。ほとんどがこの二つのどちらかだった。「他には」とさらに尋ねたら「一日の勉強の反省を発表している」と答えたクラスもあった。教室の座席の列毎に発表するらしい。(クラス全員ではなく列ごとの順番)「今日は○○(教科名)をがんばりました」と全員が発言するとのこと。
クラスの活動を通して存在感・連帯感・所属意識が育つ
今から40年前の私のクラスの『おわりの会(帰りの学級会)』は次のような内容だった。
「帰りの学級会」のプログラム(時間は20分)
1 一日の反省(班の反省、続いて学級の反省)
2 各係りからの連絡
3 先生から
4 週の行事※
※週の行事
月曜日 学級新聞を読む会 (学級新聞は週刊)
火曜日 班ノートから
水曜日 今週の調査(学級の世論調査)
木曜日 ソング・レクリエーション
金曜日 私からひとこと(1分間スピーチ)
土曜日 来週の目標(1週間の反省)
毎週金曜日は第7校時(放課後だが7校時と決めた)を「学級の時間」として、次の週の活動について話し合いや準備をした。
「帰りの会」などさまざまな活動を展開し、クラスに所属している生徒一人ひとりを支え・援助ができているかを常に意識していた。たとえば「新聞づくリ」では必ず企画会譲に参加する。「班ノート」・「個人ノート」を通して、生徒の生活内容に言葉かけをする、など。「誰もがクラス内での存在感を得、連帯意識・所属感を持つことができる」ことを目指していた。
放課後、先生が一緒にいないと教室は施錠され、朝もある時間まで教室は開かない学校もあると聞く。私の時代の『おわりの会』は、今の学校からすれば「昔話、おとぎ話、夢物語」と言われるかもしれない。
2012年12月1日更新
三行詩コンクール
「北上だより」を届けてくれている北上市立東稜中学校のPTA広報委員の渡辺知子さんが、岩手県PTA連合会が主催した平成24年度「三行詩コンクール」で最優秀賞を受賞した。
一般の部「最優秀賞」
おこったように見えるのは ものすごく心配Lたから
涙があふれ出るのは 心の底からうれしかったから
おまえのおか:げで 母さん、年をとるのを忘れちゃったよ
渡辺 知子
自転車通学の中学生の娘さんが車に接触されるという事故に遭った。そのときのことを含め、子を思う親の心を三行で表した作品。
小学生の部「最優秀賞」
いいにおいだなあ
包丁の音で起きるぼく
目ざまし時計いらないよ
5年 鈴木 青空
中学生の部「最優秀賞」
お父さんがお母さんのかみの毛を切ってあげた。
お母さんの楽しいかおがかわいくて
私はとてもおもしろかったよ。
2年 山下 美香
2012年11月1日更新
こんな相談が 相談室に最近持ち込まれた相談事項
1 PTA総会の出席者数を載せたら、「出席者数が会長のプレッシャーになっている。来年度の会長選出に悪影響を与えている」と管理職の先生から言われた。
2 全校生徒の1割以上が登校時刻に遅刻しているので、記事にしたいと学校側に申し出たら、「学校のイメージが悪くなるから」と却下された。
3 「授業参観のマナー」について書いたら、「これは《上から目線》でしょう!」と広報担当の先生から注意された。
4 「PTAのあり方、特に役員選出について」会員にアンケートをとりたいと提案したら、PTA担当の先生から「学校側が役員になってほしくない人の意見が出でくるから」と、アンケートは止めさせられた。
5 来年の運動会ために「オムツを替える部屋を準備したら」と提案したら、記事のチェックをして会長から「運動会の運営(学校のすること)について、口を出すのはいけない」と注意された。
2012年10月1日更新
「読売新聞」の投稿欄 『気流』 9月17日掲載
安田奈々さんは「エコー」の読者です。PTA広報作りで頑張った人でもあります。
2012年9月1日更新
第55回全国新聞教育研究大会 十勝・帯広大会の報告 武 勝美 (2012/8/3・4)
PTA広報部会の実践発表
読んでもらえる広報紙を作りたい
帯広市立啓北小学校PTA
◇実践発表のあらまし
啓北小は来年創立30周年を迎える。開校当初の「良い学校を作りたい」という教職員・保護者・地域の皆さんの熱意が、良き伝統として受け継がれてきた。現在、多くのPTAのOBや地域の皆さんが、学校支援ボランティアとして活躍している。このような環境の中で、啓北小PTA広報部は「PTAのPTAによるPTAのための広報紙作り」を目指している。
※平成22年度 日Pの全国広報紙コンクール 日本PTA全国協議会会長賞受賞
※平成23年度 全道PTA広報誌コンクール 大賞・北海道知事賞受賞
・平成24年度の発行の予定
第98号(7月25日発行) A4判12P・フルカラー
第99号(12月26日発行予定) A4判16P・フルカラー
第100号(3月25日発行予定) A4判16P・フルカラー
・啓北小学校のPTA広報紙『こんにちは。』が常に考えていること
1、PTA予算に占める広報紙発行費用の割合いは大きい一世帯数減少=予算減少
2、費用に見合った広報紙を発行できているか?
3、存続か廃止かも含めて、広報紙の役割を考え直したい
・挨拶など依頼原稿ばかりでよいのか―面白くない
・行事写真の切り貼りでよいのか―学校便りで間に合う
・存続するならもっと内容のある広報紙にしたい
4、PTA・学校・地域の協力関係を伝え、作って楽しい、読んで楽しい広報紙作りを目指している。
講評 広報は読まれて完成 武 勝 美
『こんにちは。』の優れていること
広報作りに伝統がある
・年間44ページの発行は驚異
・広報部会を支えるプレ部会の存在(正・副広報部長、教員代表、広報部OBで構成)
・依頼原稿なし(原則) ・署名記事
・手書き原稿のデータ化に教員が協力
・部員の時間的負担軽減を図る(集まる回数を減らす)
研究してほしいこと
・PTA活動、特に委員会の動きを報じたい
・紙面に会員がたくさん登場する広報は読まれる
・発行が学期末
・色文字の研究を ・段落を用いる
まとめ
PTA広報紙を読まない理由(全国の小・中学校のPTA会員2615人の回答)
・随分前の行事の報告ばかりだから ・小さい文字でびっしり、写真も小さい ・毎回(毎年)同じような内容 ・読みたい情報がない ・読んで楽しくない
「読まれるPTA広報は よいPTA活動の中から」
広報紙が優れているとしたら、それは優れたPTA活動の結果である。
広報委員のみなさんへ贈る言葉。 「PTA広報はPTAの顔 そして心」 「広報づくりは仲間づくり」「広報づくりっておもしろい!」 「広報は耕報」
大会の様子を報じた北海道新聞
2012年8月1日更新
平成24年度神奈川県立高等学校PTA連合会研修大会 平成24年 7月 1日(日)
◇特別参加の菅原澄子さん(市川市)の感想◇
「広報は耕報」 広報づくりで自分を耕さなければ
菅原 澄子
第九分科会、150人以上の参加で大盛会。会場も整然として明るく気持ちよい講座でした。テーマ「こうすればできるPTA広報」(PTA広報はPTAの顔、そして心)
お話は爽やかでメリハリがあり、元気を貰えました。前日のテレビ東京「アド街ック天国」(神奈川・秦野)のお話から始まったのがよかったです。「1位ほたる祭り 2位湧水群・・・30位ロマンスカー停車!」と。
広報づくりのポイントを解りやすく、問題点もしっかり押さえながら、しかも楽しく話が進められました。皆さんが真剣な目つきでメモされてる会場は熱気が籠っていました。
まとめに、気仙沼の打ち上げられたままの「第十八共徳丸」の写真も効果的でした。4月19日に三陸新報社を訪ねられ、気仙沼市内 小・中・高等学校のPTA広報誌を読まれ、それを皆さんに紹介されたことは今日の講座にとって大きな山場となりました。誓ったり、訴えたえたりしている生徒さんの声が心に沁みました。この研修会に参加された皆さんは、東日本大震災で被災した子どもたちの心をしっかり受け留め、これからの広報づくりをされることでしょう。
充実した楽しいひとときをありがとうございました。先生の結び言葉「広報は耕報・広報づくりで自分を耕そう」を、心に刻んで横浜を出ました。(全国新聞教育研究協議会参与)
神奈川の高校のPTA広報紙の企画 (平成23年度発行の各誌より拾う)
・PTA活動 「PTAがわからん」 「PTA活動報告」
・学校生活 「現在の学校生活について」 「学校での日常生活を追う」 「学校でのオフタイム」
・東日本大震災 「そのとき学校では」 「家族で話し合っていますか 防災対策」 「震災、そして未来」「震災から何を学んだか」 「だいじょうぶ!?
防災意識・対策」 「太陽光発電を考える」
・食育 「食育を考える」 「学校での昼食・お弁当」
・進路 「進路・親の思い 子の本音」 「進路・親の心構え」 「自分の人生を舵取る君たちへ」 「卒業生に聞く 夢の探し方」 「留学したいと思いますか」
2012年7月1日更新
つながりの大切さ
最近「人との出会いやつながりって本当に大切だなぁ…」としみじみ思います。
6年生の娘が家庭科の授業でナップザックを作るのに、保護者へミシンの指導の依頼があり、2回お手伝いに行きました。先週は4名、昨日は5名の保護者が参加しました。聞くといつもほとんど同じ人だとか…。実は、私はこのような学校の授業のお手伝いをするのは今回初めてで、今まで依頼がかかっても「よその子」を教えるほど自信がないのと、「学校の授業をなぜ親が?」と疑問に思うのとで、あえて関わりを持ちませんでした。娘と同じクラスの子の保護者に誘われて半分渋々気分で行ったのですが、もともと子供と関わるのは嫌いではないので行ってみると想像していた以上に楽しく、心配していた「裁縫の腕」もそこそこあればなんとかなったので(というか、基本的なことすらできない「あり得ない子」がたくさんいて(泣)、「玉どめ・玉結び」を教えただけで感動する子もいました)、たくさんの子と楽しく触れ合うことができました。私自身、いろいろな意味で勉強になりました。なにより、娘の珠々が一番喜んでくれました。
今は、せっかく出会えても、面倒なことがおきたり、それに関わるような人を簡単に切ってしまう傾向にあるように感じます。出会うことは簡単ですが、つながりを持つとなると、それぞれの価値観や思想の違いなどで難しいのでしょう。今回の授業を通して(特に男の子には)、難しくて面倒くさいと感じている課題を、人に教わりながら最後まで成し遂げたり、また、教える側も誠意を持って伝えるというような関わり方を繰り返していくことがいかに大切かということがわかりました。「人とつながりを持つということに丁寧になる」ことを、教えてくれた2日間でした。次は、5年生がエプロンを作ります。次回は自信をもってお手伝いに参加しようと思っています。 安田 奈々
2012年6月1日更新
秦野・東中学校学校『東中だより』(5月2日号)から
新聞の持つ力を再確認
武先生の講習会には今回始初めて参加しましたが、ただ新聞の書き方を教えるのではなく、様々な学校の新聞事情やその記事にまつわるエピソードなどを交えながら「なぜ、新開を作るのか」ということを中心にお辞してくださいました。中でも印象に残ったのは東日本大震災で被害を受けた地域の避難所で、7歳の子が書き始めたという「ファイト新聞」の話でした。毎日発行され、体育館に掲示し続けたこの新聞のおかげで、たくさんの人々が元気をもらったと聞き、新聞の持つ力のすばらしさを再確認することができました。(広報指導担当教諭)
今年も武先生を講師にお迎えして、新聞講習会が無事終わり、「人に物事を伝える大切さ」を改めて知ることができました。被災地で一人の少女が始めた壁新聞がいつの間にか世界へと広がっていったの′と同じように、私も広報委員長として委員の私達が一字一句全身全霊を込めてっくり上げる新聞をいろいろな方面に発信できればなと心から思いました。「新聞づくりは仲間づくり」であるということを忘れずにみんなが協力していかなければなし得ない新聞作りの伝統を守るため、これからもがんばっていきたいです。みんなの思いを絶対最後まで伝えきりたいなと思います。(生徒会広報委員長)
PTA役員20年 5月末で引退です
五月晴れが続き、本当に気持ちのよい季節がやってきました。今年度も中野区立中学校PTA連合会のために、お力を賜り誠にありがとうございます。私は先生の研修会が大好きでした。またエコーも届くのを楽しみにしていました。すごい勉強になりましたので、下の娘の高校でも役立たせていただいています。実は先生の許可なく申し訳ないのですが、《動かないと出会えない。誇らなければ広がらない。聴かなければ深まらない。》をPTAのスローガンにさせていただきました。
たった二人の子どもなのですが、年が離れているため、振り返りますと幼稚園から数えて20年以上、中野区のPTAに会長として役員として、または委員として関わってきました。それも5月末をもちまして引退です。
中P連では4年間お世話になりました。そのうち事務局は2年間でしたが、先生にはご迷惑をおかけし放題で、このままお別れするのは心苦しいです。研修会だけでも参加させていただきたいのが本音です。
PTAとはなんだ?と考える会長たちが少なくなってきた近年、委員の方々に熱意は伝わるわけもなく、でも伝えていかなくてはと、頑張りましたが、一回り以上年齢が離れた会長たちや保護者の皆様とのお付き合いは、温度差をいやでも感じた23年度でした。でもPTA活動には心から感謝しています。たくさんの方々との出会いと私自身を成長させてくれた場所ですから。先生との出会いも私の宝物です。お体に大切に、精力的に活動をされますことを期待しています。これからは、何かと先生にはお尋ねすることがあるかと存じますので、連絡させていただきますのでよろしくお願いします。よろしくおねがいします。 荒川 琴美
2012年5月1日更新
子どもの声 保護者の声を取り入れ 家庭と家庭をつなぐツールに
鎮西真裕美
秦野市立東中学校で学校新聞『東中新聞』を3年間作っていた中学生がいました。鎮西真裕美さんといいます。彼女は、子供たちと教室で新聞を作りたいと、今から5年前に教師になりました。スタートが低学年の担任だったので「学級だより」の発行を始めた彼女の実践が認められ、このたび上の本に彼女が実践報告を書きました。
2012年4月1日更新
四 月 金子みすゞ
新しい御本、新しい鞄に。 薪しい葉っぱ、新しい枝に。
新しいお日様、新しい空に。 新しい四月、うれしい四月。
入学式を迎える新一年生は、この詩にうたわれでいるように、うれしい心で校門をくぐる。子どもたちも保護者も、そして私たち教職員も、新しく始まるこの一年間の学校生活にかける期待は大きい。入学式の日に目にするもの、耳にする言葉から感じたものによってこれからの学校生活に大きな期待をする。その意味からも、入学式の学校長の式辞や学級担任の話の意義・重要性を十分認識したい。
学校での説話にまずもとめられることは ①格調 ②生徒に理解される内容、という最低条件をクリアするのは当然である。しかも、③一堂に会した人に感動を与えなくてはならない。これらは、あらゆるスピーチで教師が意識しなければならない必要条件である。子どもたちの心に何かを残す話ができたとき、教室でその話は広がり、家庭での話題に発展する。
はるか昔の話である。入学式に金子みすゞの詩(上掲)を冒頭に朗読した。式の後、ひとりの教師から「今朝の新聞のコラムに、金子みすゞのことが書いでありましたね」と聞かされた。その偶然の出会いで、職員室にみすゞの花が咲いた。その日配布した学校だよりにも『四月』を載せておいた。家庭でも「みすゞとの出会いが話題になったと」と聞いた。
入学式に合わせて、保線者にPTAの会員になってもらう保者会も開かれる。形式的な会なので短時間で終わるるのだが、ここでも「校長先生のお話」が求められた。一時間余の式後の話である。「一分」と決めて登壇。「鉛筆は学校で、お箸は家庭で」これだけをお願いした。ちょっとしたどよめき、やがて笑いと拍手が生まれた。
エコー教育広報相談室の活動 2011年4月1日から2012年3月31日まで
エコー教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。
①新聞・広報づくりの相談 ・学校・学級新聞 10件
・PTA広報(クリニックを含む) 336件
・その他の広報・新聞(家族新聞など) 12件
②教育相談(一人で抱え込まないで、一人で悩まないで)
・進路変更・不登校・学級経営など
件
③その他の活動 ・新聞・広報づくり講座講師 42回
・子育てなどの講演
回
・「ふるさと」講座・案内 18回
・全国新聞教育研究協議会関係 6回
・当相談室来訪者 246組 (539人)
2012年3月1日更新
子どもや地域に根ざした校訓・学校数青目標を
このごろしきりに思う、「学校にロマンがなくなった…」と。別な言い方をすれば「学校に顔がなくなりつつある」。教師が生き方の哲学を持たなくなった。「明日をつくるのは私だ」という信念や情熱が打々の教育活動の中から、あまり感じられないのだ。「豊かな人間性の育成」という教育の大月標は掲げられているのだが、人間性そのものの回復さえ困難な状況の中に今の学校は置かれている。
新しい一年が始まる四月一日 学校の教育目標を全職員で確認する。校訓や学校教育目標は、学校の主人公である子どもから求められたものであり、地域の願いに根ざしたものである。このことを再確認したい。手元にある雑誌や学校要覧などから、共感できる校訓や教育目標を書き抜いてみた。
『芳高』、『唯一心』、『挑む』、『師あり 友あり』、『剛、美、健』。このような校訓の下に、学園生活を送ることができる子どもや教職員をうらやましく思う。
『世界や郷土に学び 奉仕と協力を惜しまない』、『自然や文化に親しみ 郷土を愛する生徒』、『学力、創造、自治、健全、解放』、『風雪人』。文化を育んでいる地域と共生しようとする学校の思いが伝わってくる。
『場を浄め 時を守り 礼を正す』、『遠大なる理想・あふれる友情・不屈の闘志』からは、学校の歴史と意志を読み取ることができる。
『勉強は幸せの扉を開く鍵である 規則や良い生活習慣は友だちと自分の幸せを守るバリアである 奉仕の心と健康は何億のお金に勝る財産である』は、具体的で納得できる。
《画餅》といわれる学校教育目標。かつて森隆夫先生は「学校教育日榛を毎年変えよう」と問題提起された。あらためて学校教育目標の存在を考え、読み下し、実践化してほしい。
省略ということ 作家・藤本義一さんの講演から
私は妻と結婚して二十年がたった ※ゼロ円 紙そのものを売ったほうがいい!
↓ 二、三年がんばって
妻と結婚して二十年がたった ※会社ならこれでも給料はくれる
↓ 七年くらい経って
結婚して二十年がたった ※これでも売れない(面白みがない、深みがない)
↓ 何年かかかって
二十年がたった。結婚してから… ※500円くらい
↓ ここでほとんどの人が脱落する(自費出版にいく)
私と妻との二十年間の歳月 ※800円くらい
↓ 十二、三年かかる
妻との二十年間の歳月 ※3000円くらい
↓ 何年かかかる
妻との二十年間 ※5000円くらい
↓ また何年かかかって
妻との二十年 ※10000円くらい
文を綴るということは難しい。かつての“天声人語”子・辰濃和男さんは「一文を30文字くらいで書く(読点をつける)」と言っている。
2012年2月1日更新
2012年1月1日更新
2011年12月2日更新
ある相談
こんにちは、今年度、中学校の広報委員になりました。生まれて初めての新聞作り。学期に一度発行の広報誌を、学年ごとに担当ページを決めて、取り組んでいます。
今年度のテーマは「瞬時(いま)を生きる」 表裏込み12ページ・B4判の冊子です。巻頭は、各学期校長先生、副校長先生、教頭先生にインタビューをして、特集するのが恒例となっています。3、4ページが、その号の特集記事になります。
1学期は「防災意識」。生徒に震災関連のアンケートをとりました。2学期は、「いのち」リレーフォアライフという活動をしているOGの方を招いて、実際にその活動に参加した生徒と保護者との座談会の模様を掲載予定です。そして3学期を、私たち1年部が担当することになりました。「生きる」「命のリレー」に続くもの、「性」の問題を取り上げてはどうか、と考えてみました。思春期は「性」に興味があるでしょうし、子どもたちがどう思っているか、親も知りたいのではないか、と思ったからです。テーマとしては、1学期に扱った震災の影響で、支えあって生きていこうと、結婚する人が増えてきたこと。
2学期に扱う「命のリレー」には、子孫繁栄もあること。今は好奇心から「性」を捉えるかもしれないけど、「愛」を大切に「瞬時(いま)を大切にしよう」という流れになります。ちなみにテーマは「愛」です。大枠として、以下のことを考えています。
①生徒にアンケートをとる。
②養護教諭あるいはカウンセリングの先生(非常勤)におはなしを聞く。
そこで質問ですが、アンケートの内容は、どのようなものが適切でしょうか? アンケートの対象学年は、何年生がよいでしょうか?
私は、2年生全員(160名)と考えました。3年生は、受験前で迷惑かな? 思ったからです。ただ、3年生の保護者にしてみれば、いまさら2年生の意見がほしいかな?とも思います。全学年というのは、13歳から15歳という多感な時期をひとくくりにすると、かなり意見が分かれるのではないかと思い、考えていません。ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。
お尋ねのことについて 私が考えたこと
「命」をテーマにされた広報委員会の姿勢に心から敬意を表します担当されるのは年度末号ですから、『性』を取り上げるとしたら、学校で行なわれている「性教育」「命の教育」をレポートしてみるのもよいと思います。少し視点をずらして 「命」を繋ぐ「食事・たべること」も取り上げてよいテーマだと思っています。
「中学の広報が食育なんて」と思われるかもしれませんが、「命」そのものに深く関わるのが「食べる」ことです。それに取り上げやすいテーマです。アンケートも取り易い。巻頭に登場される先生にも「食べる」について書いてもらえますし。
たぶん後藤様は私の講座に出席された方だと思います。私は広報講座の中で、今の中学生が抱えている「食事5つの課題」を話しています。その5つとは「孤食・一人で食べる」「子食・柔らかいものしか食べない」「個食・好きなもの、単品しか食べない」「庫食・レトルト食品が多い」「小食・少ししか食べない」です。
参考までに 次は私が朝会で子供たちに話した話です。
魚の正しい食べ方
お祖父さんの祖国・韓国に一年間勉強に行っていたTさんが訪ねて来ました。そして留学中のひとつの出来事を話してくれました。彼女は、学校の食堂で友人たちとおしゃべりしながら昼飯をとっていました。食事を終え、午後の授業の教室に向かう廊下を歩いていると、「あなた、日本の方でしょう」と後ろから声をかけられました。その人は、Tさんの口が食事の前に「いただきます」と動くのを偶然目にして、それで日本人だと思ったのだそうです。
毎日、校長室で三年生と会食していますが、そのときだれもが「いただきます」と言います。なぜ「いただきます」なのでしょうか。「いただきます」は辞書には「食事を始めるときのあいさつ」とあります。AETのキンバリー先生に尋ねましたところ、先生の生活では、そういう習慣や言葉はないそうです。私たちは、だれかから、何かをいただいているのです。アイヌの人たちは「あなたの命をいただきます」という意味の言葉で食事を始めるそうです。「いただく」とは、他の生物の命をいただくことなのです。魚や動物、野菜の命をいただいて、私たちの命は永らえているのです。そのことをしっかり心に留めておき、これから読む詩を聞いてください。
正しい魚の食べ方 五味太郎
何千、何方、何億の人々の中の、/あの人でもないこの人でもない、/たまたま、まったくのたまたま、/このぼんやりした子と、/何億、何十億、何百億の魚の中の、/あの魚でもなく、その魚でもない、/この魚となぜかここで出会ったのだ。
「な-んだ さかなか」/なんていっている場合ではない。/「あんまり うまくないね」なんていっている場合ではない。/「のこさず食べるのよ」なんていわれている場合でもない。/まして「あしたはハンバーグにしてね」/なんていっている場合ではぜったいにない。
いいたいことは魚の方にこそ、たくさんある。でも魚はだまっている。/「ああ、こいつに食われてオレは幸せだ」/と思うか思わないかが問題なのだ。
魚の食べ方が正しかったかどうか/そこで決まる。
委員の皆さんで十分時間をかけて話し合ってください。いずれにしても生徒が取材の主な対象者ですから、先生方のご意見・考え方には十分に配慮しましょう。よい企画が生まれると思います。ご健闘をお祈りいたします。 エコー教育広報相談室 武 勝美
2011年11月1日更新
元気づけるために在学中の写真を複製 持っていきました
震災後7カ月、その間に私も少しは動きました。大船渡市三陸町での教え子のうち5人は家を流されましたが、命は無事でした。そのうちのN君は、経営している美容院3店舗全部が浸水してしまいました。しかし、彼はこのままでは従業員が暮らしていけないと考え、まず被害の軽かった気仙沼店を20日間ほどで復旧させました。次に本店であった大船渡店は、海岸にも近く、地盤も沈下したので、そこでの営業はあきらめ、同じ市内の浸水しなかった土地の空店舗を借り、6月1日に営業を始めました。残る1店舗は大槌町だったので、現地での再開は土地の復旧を待つ外はないと判断し、内陸部の奥州市水沢に空店舗を借り、8月に営業を始めました。大船渡市で寿司屋をしていたM君は、土台のみとなった前の店の所に、早速店を建築していました。年末までには再開できそうです。
連絡の取れた彼等を元気づけようと訪ね、私の方がパワーをもらってきました。彼等を担任したころのアルバムをさがし、元気づけるために在学中の写真の複製し持っていきました。「これだけはお金を出しても買えない」と喜んでもらえました。 震災を振り返ってみると、簾災後停電になり、電話も携帯も通じなくなり、ラジオと新聞が情報源でした。その新聞も、ガソリンがなくなって配達不能となった期間がありました。その頃の新聞情報は本当に貴重でした。しかし、多くの新聞を読みたくて買いにいってもコンビにも閉っており、新聞店にも配送が遅れたりで、普通の日常のありがたみをひしひしと感じました。
被災した人たちの生活の立て直しは、今後どうなるか分かりません。とくに住居・仕事の問題はたいへんです。おまけに放射能です。除染課題はこれからまだまだ続きそうです。 菊池 徳夫
2011年10月1日更新
世界は一冊の本 長田 弘
本を読もう。もっと本を読もう。もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけがほんではない。日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも、ハナミズキの白い花々も、おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。
本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、地図のうえの一点でしかない遥かな国々の遥かな街々も、本だ。
そこに住む人びとの本が、街だ。自由な雑踏が、本だ。夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
シカゴの先物市場の数字も、本だ。ネブド砂漠の砂あらしも、本だ。マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
人生という本を、人は胸に抱いている。一個の人間は一冊の本なのだ。記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。権威をもたない尊厳が、すべてだ。
200億光年のなかの小さな星。どんなことでもない。生きるとは、考えることができるということだ。
本を読もう。もっと本を読もう。もっともっと本を読もう。
( 「世界は一冊の本」昌文社)
2011年9月1日更新
“ボツ”になったPTA広報の記事
「次年度のために」という思いで書いた運動会の記事(下)を学校側に目を通してもらった。結果は「訂正」や「書き直し」ではなく“ボツ”。
PTA広報という腕章を着けているいるためか、年配の方から「ゴミ箱はどこにある?」とか 「足が悪いので洋式トイレ使いたいんだけど、どこ?」などと声をかけられました。また、警備上、「許可者以外立ち入り禁止」となっている校内に入っている方も見かけました。保護者用トイレの案内や校内立ち入り禁止の表示は大きくした方がよいのではないかと思います。
校庭内でベビーカーの方が苦労されていたので、通路についても改善が必要ではないでしょうか。眠ってしまった小さな赤ちゃんを抱いたお父さんが疲れた様子で下駄箱によりかかっている姿も、とても印象に残りました。乳幼児連れの方のためにオムツ替えや休憩ができるのスペースがあったら、と思いました。
途方に暮れる広報委員は「せめてPTA運営委員会で要望として報告させてほしい」と会長に申し出た。会長の回答は「PTAは学校のことに口出ししてはいけない」。
2011年8月1日更新
平成22年度プリントコミュニケーションひろば
鎮西さんの学級通信『きらきら2』に『子どもも先生もキラキラ輝いているで賞』
昨年の8月のこのページで、理想教育財団が主催している第6回「プリントコミュニケーションひろば」(平成21年度に先生の手により発行された学校・学年・学級通信や教科・部活新聞などのコンクール)で、『エコー』の読者である鎮西真裕美さんが書いた学級だより『きらきら』)が『新人賞』を受けたことを報じました。その鎮西さんから「今年はワンランク上がった賞を授賞されたとのたよりが届きました。(下・参照)
学校での様子をリアルタイムに伝えたい
平塚市立金目小学校
鎮西真裕美
「子どもも先生もキラキラ輝いている」これほどまでに、私の努力を称えてくださった言葉はありません。このような素晴らしい賞をいただき、大変嬉しく思います。本当にありがとうございました。
1年生から引き続き、2年生でも同じクラスを受け持つこととなりました。2年生になっても、子どもたちのキラキラと輝く姿がたくさん見られますようにと願いをこめ、学級だより「きらきら」を「きらきら2」にレベルアップさせて引き続き発行しました。2年生になつたからだけでなく、通信自体の質も上げようという思いもこめました。
特に意識したのは、「保護者の声」を登場させ、家庭と家庭をつなぐツールにすることです。運動会や音楽会などの行事、学習参観・懇談会などの感想や、夏休みの過ごし方、子どもの生活(起床時間や家での過ごし方など)について決められた話題を投げかけ、返ってきた声を通信に載せました。今までは、子どもの学校での様子をリアルタイムに伝えることを意識してきました。そのことによって、保護者との信頼関係を築くことができました。今度は、保護者のリアルな声を多く登場させることによって、各家庭での話題や、悩みを共有し、コミュニケーションの幅を広くしたのです。
そして、「子どもたちの声」もなるべく多く登場させようと努力しました。各教科でどのような学習をしたか、今どんな活動をしているのかを、写真だけでなく、子どもたちの作文・詩・感想文・つぶやきなどを載せることを心がけました。道徳の授業に関しても、授業の意図や内容、子どもたちの反応をできるだけ多く載せました。このような子どもたちのリアルな声を載せることによって、通信に温かみが出たように私自身感じました。通信が生き生きしてきたのです。それは、「きらきら2」 を作っているのは私だけでなく、学級の子どもたち、そしてその保護者だからです。担任の学級経営の方針や日々の子どもたちの活躍を伝えたいという熱意と、それに応える熱心な子どもたちの姿、そしてそれを温かく見守ってくださる保護者の皆さまの声で成り立っていたということを改めて感じました。
子どもたちを学校と家庭とで共に育てているということを実感した2年間でした。子どもたちとの2年間はキラキラと輝いていた最高のものでした。本当に楽しくて幸せでした。私の日々の頑張りと、生き生きと輝く子どもたちの様子を紙面から読みとり、評価してくださったことに感謝します。
●制作データ
・紙面のサイズ‥A4
・毎号のページ数‥1ページ
・モノクロ印刷
・発行部数‥35部
・発行間隔‥週1~3回
・配布対象‥学級の児童とその保護者
教師生活3年目。そのハードな毎日の生活の中で学級だよりを週1~3回発行してきました。鎮西さんは、このホームページ『エコー最新号』NO280にも登場していますが、秦野東中の「東中新聞」の広報委員長を務めた“新聞
大好き!”さんです。彼女の願いは「子どもと教室で新聞をつくること」だそうです。
2011年7月2日更新
2011年3月11日、多くの子供たちは学校で東北地方太平洋沖地震に遭遇した。そのときのことをPTA広報が記事にしている。多くの子供たちが犠牲になったこの大震災を私たちは教訓にしなければいけない。いくつかのPTA広報紙は、この大震災について記事にしている。
K小学校PTA広報 143号( 2011/6/3)
その時あなたはどうした?
東日本大震災ではK地区でも大きな揺れを感じ、相次ぐ余震や連日の緊急地震速報、計画停電など不安を感じることも多かったと思います。今回は保護者が実際にどんなことを感じ、思ったかを聞いてみました。
連絡がとれない
・電話も携帯もメールも使えず不安だった。
・防災無線で親して欲しかった。
・緊急対応で電話が欲しい。
・子どもがいつどのように帰ってくるか分からず不安だった。
お迎えどうする?
・災害があった時子どもだけで下校させるのは危ないと思った。
・迎えに行くまで子どもを返さないで欲しい。
・いつ、どうやって迎えに行くかわからなかった。
・働いている人はどうなるのか。
・学区外からの通学なので、道路状況や車が使えない等が心配。
集団下校は安全か
・せめて集団下校させて欲しかった。
・集団下校の場合、山崩れ等通学路が安全か心配。
・集団下校でも結局最後は一人で歩くので心配。
・家に誰もいない場合はどうなるのか。
具体的なマニュアルを 見直しが必要
・子どもが一人のときどこに避難するか決めておく必要があると思った。
・今のままの引き取り訓練ではだめだと思った。
・具体的なマニュアルが必要ではないか。
・学校が避難壕所になっているので、安全だと思った。
今回は2~6年生が在校中に地震に遭いました。災害時の混乱か、今までになかったことなので、これまでの避難訓練や引取り訓練とは違う対応がとられました。 校長先生によると、今後同様の地震が起こった場合には、連絡の手段がないので防災無線を通して市内一斉に幼・小・中学校の対応を流すということを市に要望しているとのこと。会員の皆様から寄せられた声をもとに、細かい対応を学校で検討していただきます。それぞれの家庭でも、子どもたちと一緒に災害について話し合ってみてください。
N中学校PTA広報116号(2011/6/20)
校庭避難 集団下校へ
東日本大震災当日の学校の様子を防災担当の先生に伺いました。
3月11日14時46分・大きな揺れ発生 14時55分・教室で待機指示 15時5分・校庭へ避難開始 15時10分・点呼、人数確認
その後、地区ごとに分かれて集団下校へ向けて待機していたところ、近隣でガス漏れが発生したとの情報が入りました。周囲はサイレン音が鳴り響き、物々しい状況でした。学校が地域避難場所でもあったため、幼稚園や住民の方、迎えの保護者の車などで、一時校門付近が混乱しました。ガス漏れが収まったことを確認した後、地区ごとに2名の先生が引率して集団下校となりました。地区担当の先生は、最後の一人が帰宅するまで見届けて下さったそうです。
今回の大地震では、訓練時の移動時間の約半分、3分で避難することができました。緊迫感もあったのでしょうが、冷静に行動できたのは日頃の訓練の賜物だと感じました。
地震の後、何カ所かの補修が必要な所が見つかりました現在は市による安全確保のための工事が進みつつあり、先生方も毎日巡回しながら二次災害が発生しないよう点検をされています。
編集後記 新しいメンバーで始動し、掲載する記事が決まった矢先に東日本大震災が起きました。親として、まず子供の身を案じたことでしょう。そこで、急遽予定を変更して、地震当日や、後に行われた防災訓練の様子を載せることにいたしました。今年一年、新しい情報が入りましたら、お伝えしていきたいと思います。
N小PTA広報233号(2011/5/31) T小PTA広報115号(2011/6/20)
2011年6月1日更新
願いは「全会員に読んでもらいたい」 磯崎美千代
PTA活動には消極的だったのに、「一緒に広報をやらない?」と誘われ引き受けたのが2年前。子供の頃から文を書くのは苦手でしたが、学級新聞を作るのは嫌いではありませんでした。職場でもおたよりなど書いていたので、何とか広報委員が2年間務まったのでしょう。
パソコンは電源を入れることは出来ても、人差し指一本で文字を打つような状態ですから、私の原稿はすべて手書き文字です。辞書と首っ引きで消しては書く、そうして出来上がる原稿は、涙と汗の迷文です。でも、それは多くの人に読んでもらいたいという思いが結晶した文だと思っています。何度も集り、意見を交換しました。そして分りやすい文を書くことを心がけたつもりです。
パソコンの出来る人、レイアウトが得意な人、「写真ならお任せ」と言う人など、それぞれが力を出し合って「全会員に読んでもらいたい」という思いで作った広報でした。
「今度の広報、良かったよ」などの声を聞かせてもらうと、とても嬉しかったです。その上コンクールでも入賞出来ました。とても満足のいった、私の二年間の広報委員活動でした。
広報は考報 近藤真由美
PTA広報を2年間やらせていただき、三つの観点で感じた事をまとめてみました。
一つは、情報を発信する責任です。広報誌は内容に興味や学びがなければ、ゴミ箱に捨てられてしまいます。「心を動かす何かが無ければ読まれない」ということへのプレッシャーとの闘いでした。「ペンは剣よりも強し」と言いますが、内容によっては学校を良くも悪くも変えられる重みもあるようにも感じました。おかげで白髪もだいぶ増え、時事問題から教育、環境など幅広い分野へ関心を持ち、思索し続ける大きな学びの2年間でした。
もう一つは仲間です。ボランティアとはいえ、チームとして同じベクトルが必要だと感じました。それがどちらに向いているのかによって「記録紙・写真集」となるか「広報」になるかの違いが出てくると感じます。また、仲間同士の議論や価値観のぶつかり合いがあって、より良いものが出来上がると思いました。
最後に指導者です。幸いにも武先生が近くにおられたことはとても大きなメリットでした。紙面の内容やレイアウトはもちろん、仕事以外にも考え方、広報委員としての在り方を教えていただいたことは保護者として大きな収穫でした。また学校の広報担当の先生には守っていただき、共に悩んでもらえたことが、広報を続ける支えとなりました。苦しみと充実感の混在した2年間でしたが「後に残るもの」を作らせていただいた感謝で終わることができ本当に良かったと思います。
広報は耕報 そして幸報 宮崎 敬依
三年前「ちょっと手伝ってくれない? 出来る時に、パパッとパソコン打ち込むだけでいいから?」と言う甘い言葉と甘い考えで「広報」という、とてつもない世界に足を踏み入れてしまった私。
一年目は、腰掛けOL気分。しかし、二年目からは、そんな気分は見事に吹っ飛んだ。「同じ親の立場で、今の子供達の現状を発信し、みんなに考えてもらいたい」という委員長の熱意を、形にしようと試行錯誤の日々が始まった。自分達の考えの押し付けだけではない、読んで興味を持って共感してもらえ
る紙面作り。その為には、足を使っての取材、魅力ある写真の撮影、会員の声の収集、資料集め…やることは山積した。
仕事が休みの日は学校に通い詰め、暗くなった廊下をダッシュで帰る日々。「あ?、もう楽になりたい」と何度、思ったことか。しかし、完成した紙面を目の前にすると「次、行ってみよう」と思ってしまう。
紙面作りは、出産にも通じるものがある。苦しければ苦しいほど、産み終えた後の爽快感や喜びは大きい。そんなこんなで、二年が経っていた。
「来年度こそ一読者に」と思っていたのに、産みの苦しみを味わった仲間に誘われ、三年目に突入。やはり人間、欲が出てしまう。「昨年よりも良いものを作りたい」という思いが…。何度も記事を書き直したり、写真を入れ替えたりした。なかなか納得できず、ファミレスで日付変更線を越してしまったこともあった。
完成の喜びもさることながら、同じ目標に向かう仲間がいたからこそ頑張ることができた。そして、なにより子供達の笑顔を間近で見ることができたこと、読者の方からの声や反響、武先生の講評など楽しみもいっぱいだった。
広報紙作りに携わった三年間は、色々な経験や出会いがあり、私を耕す為の貴重な三年間だった。
2011年5月1日更新
福島からのたより 『エコー』の読者・上原 由起先生から
全力でこの子達と関わっていきたい
今年度は新1年生の担任をしております。震災で卒業式も入学式も簡素なものでした。本来なら多くの在校生や色とりどりの春の花に囲まれ、希望に満ちあふれて迎える始業式なのでしょう。でも生徒達もしっかりと心得ており、新しい制服を着て入学式ができるだけで嬉しいという思いを素直に言葉に表してくれています。
始業式、教室の後ろに立つ保建者の方にどんな言葉を伝えよう、担任としてのどんな思いを伝えるべきだろうかと一生懸命考えました。
「この旅の地震で多くので犠牲となられた方、そしてこの中にもご親戚、お知り合いの方が被災されたという方もいらっしゃると思います。私自身、何ができるだろう、何かできることはないかという思いがありました。募金をしたり、物資を避難所に持って行ったりもしました。それでもまだこれくらいしかできないのかというやるせなさが残ります。でも私の目の前にはこれからを生きる子供達がいます。今私にできることは、この子供達に生きる力を身につけてあげること、人とのつながりの大切さを教えてあげること、優しい気持ち、支えあう気持ちを教えてあげること。この子達がこの先の日本を救う大きな力となっていくのだから、しっかりとした学力と考える力をつけてあげること。これが今の私に科せられたもっとも大きな仕事であると思っています。子供達の心のケアをし、全力でこの子達と関わっていきたいと思っています」。子供たちの表情を見ながら、私の思いを懸命に伝えました。
お母さんたちが書いたラブレター
年度第一号の企画「先生へのお願い」が、思いがけない暗誦に乗り上げたS小学校P広報委員会。その打開策の相談を受けた私は「先生方にラブレターを書いたら」と勧めた。その結末がメールで次のように報告された。
第1信
先日は「原稿依頼」の件で教えていただきまして有難うございました。『こどもたちに伝えたいこと』という題は、なぜか先生方から書きにくいと言われ、初めの一歩でこんなつまずき、と落ち込みました。武先生からの「先生方にラブレターを書きなさい」というアドバイスを元に、部員と気持ちを確かめあい、それぞれが心からの思いを文にし、それを合体させました。つたない文ですが気持ちを込め、次のような先生方へのラブレター(依頼状)を書きました。
小田和正さんの歌の「あなたに会えて本当によかった 嬉しくて嬉しくて言葉にできない」というフレーズが心を打つように、心の中が暖かくなったり、勇気が出たりするのは、やはり気持ちのこもった言葉だと思います。本年度S小学校は135周年を迎えました。その伝統を受け継ぎ、次代を担う子どもたちに向けて、《君たちに伝えておきたい、残しておきたいあなたの言葉》として、先生方の心の中にある言葉をいただきたいと思い、このテーマを選びました。本当に大切なものは心だと思います。大事にしてほしいこと、守ってほしいこと、日常の些細な気持ちでも構いません。先生方の心をいただけたら幸いです。―この文をつけてお願いしようと思います。
第2信
連休前にお願いしたのに、先生方に届いたのが連休明けだったことが分かりました。それで、気持ちよく書いていただきたいので、その行き違いを詫びた文章を回収の袋に貼らせてもらいました。校長先生も原稿が書きにくいとのことで、過去の校長先生方の文と記念誌をご参考までにお渡しまでしました。気持ちよく書いていただきたく、いまその出来上がりを待っているところです。
総会で先生方の写真撮影お願いしていたにもかかわらず、担当の先生が伝達を忘れたりと、怒るどころかなんだか笑ってしまいました。そんなこともあり先生方へのお願いや念押しなども勉強し、なんとか早く行動してもらうよう動けるようになってきました。
そんな中嬉しいこともありました。期日通り書いて下さった先生方の文章の温かい言葉です。受け取ってきて誰よりも先に読んだとき涙ぐんでしまいました。私達がいただきたかった優しい気持ちの文章がそこにありました。まるで宝物のように感じました。
本年度は135周年ということで先日航空写真の撮影があり、それを取材いたしました。普通なら見ることのできない学校の姿を見ることができ、生で取材することの素晴らしさを感じました。広報をやっていて良かったと思える瞬間でした。
第3信
おかげさまで本日一学期の広報紙を発行いたしました。毎日のように手をかけたものが終わり、ぽっかり心に穴があいてしまったような気持ちです。紙面はやりたかったことが形になりとても満足しております。この数ページを仕上げるのに、気持ちを込め、言葉を選び、ミスないようにチェックしました。一つ一つに毎日通った学校のたくさんの思い出が詰まっています。終わったらこんな気持ちになるとは思いませんでした。困ったときにお導きくださいまして有り難うございました。
第4信
武 勝美先生
本日、今年度の広報担当者に引き継ぎを終えました。一年やり遂げたこの気持ちはなんともいえないもので、
やらせていただいたことでこちらが得たものの大きさに感謝の気持ちでいっぱいです。本気で話し合い沢山の人としっかりした関係を作り上げることもできました。
大地震の日、その日の直後がPTA総会の予定でした。本当ならその日にきちんと終えてお礼を申し上げたいと思っていましたが、その総会も開かれず、その後放射能が危険なとき、少ない人数で行われました。そんな時でも、学校でこどもたちはニコニコ笑っていて、先生方も大変な状態のなか導いてくださっていました。普通に通える学校の有り難さをみて涙がでました。
新年度なんとか無事にスタートできました。去年広報にたずさわれたこと、そこから感じることを胸に今年からも学校のことに心を寄せていきたいと思っております。もうすぐ武先生の講義がありますが、去年の内容で心に火がついたことを思い出し、今日、
引き継ぎでもその話をさせていただきました。参加した人は何かを感じてきてくれると信じております。
「学校に三つの声を響かせよう 三つの声が校内に響き合うとき、子供たちは幸せになる」という先生のお気持ちのように、これからも保護者として見守っていきたいと思っております。一年間お導きいただきまして有難うございました。 大石 佳子
2011年4月1日更新
「ひろはた」に咲いた六輪
「広報紙なんていらない」と言った一年前
「広報紙なんていらないと思ってます」。一年前、初めての会合できっぱりそう言った私。広畑小には先生が発行している「広小だより」があるし、それとの区別も必要性も全く分からなかった。それに、見出しだけサラッと読んだら新聞の束行き~という広報紙は我が家だけではないはずで、「やっぱりいらない」という気持ちが根底にあった。そんな私を試すかのように、あみだくじで委員長に決まってしまい、「広報紙の役割とは何か」「PTAとは何か」と考え続ける一年がスタートした。
取材はなかなか面白く、子どもたちの様子を間近で見るたびに、みんながかわいく思えた。ある先生が、「こうやって取材されると、こちらも頑張ろうって気が引き締まりますよ」と話してくれた。その時初めて、広報委員会の存在する価値を感じた。保護者の目がいつも学校に向けられていることが大切で、学校は「見られている」という良い緊張感が必要なんだと思った。
ひたすら「読んでもらえる広報紙」目指してみんなで努力したことが「賞」という形で評価されたのは嬉しいが、何よりも嬉しかったのは、「全部読んだよ」「良かったよ」の声。でも、一番の喜びは、みんなで作り上げたという達成感だった。自己満足だが、それでいいのかもしれないと思う。良い仲間を得た、いい一年だった。「動かなければ出会えない」武先生の言葉の意味の深さを感じている。 柿内 幸希
PTA役員の中で、広報が一番向いていると思い、自薦しました。そう思った理由は、あまり前向きなものではなく、女性が多いのは苦手だから人数が少ないこと、個人で仕事をしているのでその合間に活動できそうなことです。それでいて、やるならやりがいのある委員がよいとも思っていました。
いざ、なってみると、初対面の人ばかりだし、どんなことを記事にしたらよいか全く浮かばず、あまりにも学校に関して人任せにしていることを痛感しました。子供の小学校入学を機に秦野へ越してきて、地域性の強さに少し気後れもしていたのです。
活動を始めると、少人数で発言も相談もしやすく、やる気溢れるメンバーに恵まれ、刺激され、だんだん楽しく感じるようになったのです。協調性の足りない私でも、このメンバーだから協調性をもてるようになった気がします。嬉しい誤算です。メンバーには、どこまでも貪欲な人、寛大な人などいて、己を省みることもしばしば、一人で仕事をしていると自分の考えが全て正解のようになりがちです。広報の活動は、少人数でも共同作業であり、共同作業の楽しさも実感しました。そのおかげで、相談することの大切さも解りました。
一年前より前向きで、人にもまれて成長できた自分がいます。一年間がんばって本当に良かったと感じています。そして、全てのこと、人に感謝しています。 宮本 裕美
出会いに感謝。まさにこの1年は広報メンバーとの出会いに感謝した1年でした。
初めての小学校生活。地元出身でもない、職場も秦野ではない私。地域のネットワークがほとんどありませんでした。PTA役員をすれば、地域の情報も得られるかなと考え、手を上げました。そして、このメンバーに出会えたのです。それぞれのメンバーが得意分野、動ける時間を活かし、活動をすることができました。何より、子どもが広報の活動日を楽しみにしてくれて、「今度はいつ?」と聞くほどでした。広報の活動以外でも、多くの助けを頂き、私たち家族にとっては、とても嬉しい出会いとなりました。活動しなければ得られない情報も、得ることができました。このメンバーだからこそ、楽しく活動ができたのです。
私の役割はパソコン。レイアウトでは、本当に悩みました。夢に出てくることもあって、うなされたな~。(笑)何度も何度も考えて、作って、レイアウトがしっくりいった瞬間。なんとも言えない感覚がありました。
広報は、目に見えて自分達のやってきた事が形になります。号を重ねる毎に、成果が現れて嬉しく思いました。出会いと達成感、充実した1年。感謝、感謝の1年です。 石井 宏子
「失敗したかも…」と思った
娘が幼稚園の頃に広報紙を担当したこともあり、「やってみようかな」という軽い気持ちで引き受けてしまったこの委員。第1号の作成が始まり、幼稚園の広報紙とのあまりの差にとまどうことばかりでした。写真の撮り方、記事のまとめ方、どれにしてもわたしには苦労の連続でした。「失敗したかも…」、そのときの正直な気持ちです。
でも第2号作成からは、レイアウトや記事に関しても何を伝えたいかなど考える余裕ができ、写真の撮り方も「新聞の写真」というものがなんとなくわかってきました。メンバーもよかったです。みんなが「いい新聞を作ろう」という気持ちでいたから、いいアイデアも生まれ、意見も言い合えたからこそ自分たちが納得できる新聞ができました。
この1年間、実際いいことばかりではありませんでしたが、得るものはとても大きかったと思います。なんといっても学校のことをよく知ることができたことはよかったです。子どもたちの学校生活、先生方のご苦労、地域の方々との繋がり。委員をしていなければわからなかったことがたくさんありました。それを実感できたのは、広報を通して、学校のことをみんなに伝えようとした結果だったのかなと思います。わたしが広報委員になったのは「失敗じゃなかった。」になるのかもしれません。 田辺 玲佳
一年前の役員決めの日、なかなか広報委員を引き受ける人が居なく、結局あみだくじで決める事になり、私は見事《大当たり》になりました。自分には一番向いていない役員を引き受ける事になり、「本当にヤダ(本音!)」としか思いませんでした。
新聞を作るなんて何? から始まり、取材や写真撮影はとても大変でした。しかし、全く興味のない事を取材するのではなく、自分達の子供の事で、興味深く、感心を持って取り組めました。写真撮影も、子供達のイキイキとした姿を間近で撮れるのはとても楽しかったです。おかげで、カメラは趣味となりました。仕事をしながらの委員は、結構大変でしたが、広報の仲間は、皆さん良い方ばかりでした。たくさん迷惑をお掛けし、たくさん助けて頂きました。各学年のお母さん達なので、情報交換や考え方など、とても新鮮で大変勉強になり、楽しくやる事が出来ました。
大変でしたが、良い経験をさせて頂きました。これからも、色々と苦手分野から目を背けずに挑戦して行きたいと思っています。
佐々木裕子
広報「ひろはた」では、「委員会紹介」「愛校清掃」「バザー」「6年間を振り返って」を担当させていただきました。最初、広報委員になった時は、とても大変そうで戸惑いました。今までPTA活動や役員には興味がなかったし、広報も目を通すくらいで作り方なんてさっぱりわからないし、仕事と家庭の両立だけで精一杯の毎日を送っていたので、「困った!」というのが正直な気持ちでした。
実際、仕事でいけない事やできない事がたくさんあって、他のメンバーに負担をかけてばかりでした。迷惑をかけている分、自分の担当はできる限りきちんとやろうと、ただ必死に、みんなについていった1年間でした。たまにしか顔を出さない私が意見を言っても、文句も言わず意見を聞いてくれたメンバーに感謝しています。
広報の仕事は、形になって残るので、読み返すたびに自分たちの頑張りが鮮明に思い浮かびます。家族のアルバムみたいに「宝物」を手にすることができる、素敵な仕事だと思います。子供も私も小学校は卒業ですが、最後の1年に貴重な体験ができて、本当に良かったと思います。
渡辺あゆみ
エコー教育広報相談室の活動 2010年4月1日から2011年3月31日まで
エコー教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。
①新聞・広報づくりの相談 ・学校・学級新聞
47件
・PTA広報(クリニックを含む) 352件
・その他の広報・新聞(家族新聞など)
5件
②教育相談(一人で抱え込まないで、一人で悩まないで)
・進路変更・不登校・学級経営など
件
③その他の活動 ・新聞・広報づくり講座講師 49回
・子育てなどの講演
回
・「ふるさと」講座・案内 16回
・全国新聞教育研究協議会関係 6回
・当相談室来訪者 228組 (447人)
2011年3月1日更新
柏市小中学校新聞展 市内の全小中学校61校(小41、中20)の参加は何より素晴らしいこと
全国新聞教育研究協議会 参与 菅原 澄子
2月5日、「柏の葉さわやかちば県民プラザ」で開かれた第31回・柏市小中学校新聞展を見学しました。慌ただしい学校生活で新聞作りが難しくなってる状況の中、柏市もやはり学校新聞、学級新聞発行が減りました。しかし、市内の全小中学校61校(小41、中20)が参加しているのは、何より素晴らしいと思います。教育委員会の方々の新聞に対する熱意とご配慮、それを今日まで守り育ててこられた神尾先生のお力がひしひしと伝わってきました。
◎NIEの特別展示
充実して迫力あり、学べることが多いのは嬉しいです。「柏市におけるNIE実践校の実践事例」の表が効果的。「22年度使用・小学校の教科書に取り上げられた「新聞一覧」も、なるほどと参考になり大切な資料です。4年生・社会の学習にあわせて千葉県のニュースを地図にまとめたのは引き付けられます。6年生の「自分の関心にあわせて新聞記事を集めました」は迫力があります。
スクラップ作品の左側の「新型ウィルス」右側の「追って追って目標達成」はねらいがはっきりし、的を得て見事にまとめてあります。紙面の中の「はじめに」には、目当て、集める理由などが明記してあります。「感想」のところには、わかったことや反省、課題などの含みもあります。これから新聞スクラップに取り組む人にはポイントになる記事です。掲示板の前の机上に「気になる記事を集めます」と参考になる資料を置いてくださっているのもためになります。思ったこと考えたことを、素朴に記録してあり成長が見られます。学習の段階が目に見えて大変ありがたいです。新指導要領により広がるNIE。やはり大人も子どもも自分の視点がもてるように励み成長したいものです。
◎PTA 広報
掲示板の前の机上にたくさん並べてあり、内容も充実しています。秦野から毎年お出でいただく武勝美先生の講座のありがたさが身に沁みました。そして、ここまで盛り上げて下さった市P連の方々のお力、各学校の広報担当のみなさんの熱意が感じられます。受付の係の方が「PTA広報だけを目当てに見に来て下さる人たちもいて盛り上がっています。熱心ですね。」とのことで嬉しいです。
◎ 中学校の新聞作り
年々個人新聞が増えています。20校のうち、学級新聞が3校、班や壁新聞が5校、個人新聞は12校です。学級新聞は皆さん協力して作ってる姿がありのままに見えます。発行日や号数がないものもありますから、教育委員会から今回の反省の一つとして、新聞作りの基本を全体にながされるといいのではないのでしょうか。
班新聞や壁新聞は修学旅行や校外学習などテーマを決めてまとめてあります。個人新聞は職場体験、林間学校、社会科歴史新聞、修学旅行など、それぞれの学校でテーマを決めて作成していました。
個人新聞の中で特に、高柳中2-C石毛記奈さんの「林間学校」の素晴らしさに惹かれました。レイアウト、イラスト、編集後記が素晴らしく、新聞作りに一生懸命に取り組んでいる姿が伝わってきます。こんな気持ちが皆さんに広がっていくといいと思いました。生徒も教師も学べるものがいっぱいあります。個人新聞を作ることによって、その熱意や力が本来のあるべき学校新聞作りや学級新聞作りに広がっていくことを期待します。
◎ 小学校の新聞作り
小学校も個人新聞が多くなりましたが、以前から新聞作りに励んで継続されてる学校や先生方は学校新聞や学級新聞に取り組んおられます。大変な状況の中に先生方も児童の皆さんも頑張っておられることがわかります。紙面を拝見しながら、子供さんの声々や先生の言葉が聞こえてくるようで楽しめました。
エコー教育広報相談室の活動 2010年4月1日から2011年2月28日まで
エコー教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。
2011年2月1日更新
35年前の私の学級だより『29号室・秦野・西中』です。ガリ版でした。
2011年1月1日更新
潮騒のうた 森繁 久彌
潮騒を聞きながら わたしは/踏み込む砂の中に 桜貝の小さな片割れを見つけた
手に取れば 虹の美しさを失わず/それは掌の中を ころころところげた
ひびく ひびく
何のひびきだ
はるか はるか 太古の昔/この海の中に 不思畿ないのちが誕生した
それは この地球という星の新しい世紀の始まりたった/不思議ないのちは 核わかれを重ね
やがて 酸素のあふれる陸地を目指した/そのいのちの中に わたしたちの遠い祖先もいた
生命が誕生してから 三十六億年/愛も生まれ またはげしい 嫉妬もおこり
平和のため 自由のため と/数えきれぬあまたの戦争があった
動物たちの種を滅ぼし/緑を砂漠に変え/森や林をまる裸にし
大気を汚し
あろうことか/いのちのふるさとの海に毒を注いだ
地球は今泣いている/その泣き声の高まる二十世紀を
わたしたちは後ろめたい罪人の目で/見送ろうとしている
悲しいことだ
ごらん
光のしぶきが水平線の上にこぼれ散る
日の出だ
朝の来ない夜はないと 明るさの訪れない闇はないと
蘇った空と海は 互いの青を 水平線の上で分かち合っている/ニンゲン同士分かち合うものがあるはずだ
ふるさとを同じくする生物たちと 分かち合う責めがあるはずだ/三十六億年のいのちは 子どもから孫へと伝わっていく
わたしたち一代のものではないのだ
新しい世紀に足を踏み入れようとする今
次の世代にいのちを託そうとする今/地球を泣いたまま 泥にまみれ/引き継がせたくはない
わたしたちが去って間もない頃
この地球は
音もなく こなごなに こわれる日がくるのだろう
なあ 桜貝 桜貝よ
2010年12月1日更新
「広報なんでも相談」 写真撮影で悩んでます
広報誌を編集するに当たって悩んでいることがあります。学校行事の写真撮影を行いますが、その時に広報部に対しての苦情が入ります。例えば運動会で「広報部だけが前に出ている。観客の写真撮影の邪魔だ」「図々しい」など。人数を絞り「邪魔にならないように」と心がけているのに、です。苦情を受けた校長先生はプロの写真屋さんが撮っている写真から記事を書けばいいとおっしゃるのですが、それでは広報部の存在する意味がないのではないかと思い、広報部の写真撮影禁止は考え直していただきました。どういう点に配慮して写真撮影をすれば、あるいは一般のPTAの方にどのように説明して理解を得ていけばよいでしょうか。 Arisa
回 答
質問の「広報と写真(撮影)の関係」について、こんなふうに思っています。
今まさに話題になっているビデオ流失の件、映像・写真は広報誌・広く言えば活動・に絶対欠かせないものです。そのことを会員に理解してもらうためには、「良い写真」を紙面に載せることです。ですから広報委員会として何を撮るのか(どんな紙面を作りたいか)を確認することが必要です。
具体的にいえば、子供たちに焦点を合わせるのは当然ですが、保護者にもカメラを向けることも考えたいです。運動会であれば、応援する保護者を撮ることもあってよいと思います。運動会当日の写真だけでなく、練習の様子を載せている広報紙もあります。(「子供たちも先生方も、こんなにがんばって練習したから運動会は大成功なのです」という紙面ができます)。運動会当日の裏方、例えば駐輪場の整理をしているPTAの役員、用具係りの子供たちの活躍なども報じている広報紙もあります。
広報誌が作る運動会の紙面は、学校が作る卒業アルバムのページと同じようなものになる必要はありません。写真を並べるだけの紙面はアルバムです。その写真に付けるキャプションでアルバムを超えることができます。
「広報のカメラは2台にして欲しい」と学校から言われた広報委員会は、2台以外のカメラは観覧席からの定点撮影、それぞれ持ち場を決めその位置で撮影することにしました。屋上の人は午前中ずっとそこにいたのです。
学校行事の記事を載せるとき、こんな一言を紙面のどこかに書いてください。「ときどきは、両目、両手で(カメラを置いて)子供たちを応援しましょう」「ウチの子も、お隣の子も応援しましょう」。
「邪魔」「迷惑」と言われたら、「それなら広報委員になったら! わが子の写真をジャンジャン撮れるから。なりての無い広報委員になったのだから、これくらい特典がなけりゃ」と笑って言ってください。ホントは、こんなこと言ったらたいへんなことになるけど。 武 勝美
早速のお返事ありがとうございます。学校側から再三、「業者の撮る写真から記事を起こしたらどうか」と言われ続けており、「次からは気をつけますから」とかわしながらも、だんだんと広報部の意義にむなしさを感じてしまっていました。学校側は武先生のおっしゃる「ときどきは、両目、両手で(カメラを置いて)子供たちを応援しましょう」を、広報部にも求めているようです。 広報部の意義が理解されていない(学校側からも、PTAの会員からも)ために起こる事態なのかと、これからは「広報部」を広報していかなくてはと考えました。手始めに、明日の実行委員会で先生方やのPTA役員の皆さんに理解していただけるよう少し意見を述べようかと思っています。ありがとうございました。 Arisa
2010年11月1日更新
6年4組の皆さんへ 最後まで新聞づくりを続けてください
K小学校6年4組の学級新聞が届いた。4月16日に第1号が発行され、9月24日発行号が第14号だから週刊。第1号のトップ記事は『真剣勝負6年4組』で、「新聞づくりで仲間づくりをする」と書かれている。私の思いを実践してくれる子供たちに声援をおくりたい。
6年4組の皆さんへ
学級新聞『チームワーク』読ませていただきました。その感想を少しだけ書きます。班で発行されたものの中の1紙を取り上げています。参考になれば嬉しいです。
第1号 4月16日に発行できたのはすごいこと。5年生の経験が生きています。見出しの『真剣勝負6年4組』は、後に書かれた記事を踏まえた良い見出しです。「新聞づくりで仲間づくり」という記事、嬉しく読みました。文字もていねいに書かれています。
第4号(1P) 「なりたい職業」のアンケート調査。その「夢をかなえるために」は「勉強が大切」という紙面づくり。「自主学習のすすめ」を提案したところがよかった。もう一度、このようなアンケートをして「勉強」についての追跡調査をしませんか。
第4号(2P) 『いろいろなありがとう』とてもよい企画です。アンケートの分析がよく出来ています。感心しました。親からの「いつもいてくれるだけでうれしい」という言葉、これは子どもをもったすべての親の心です。親のためにも命を大切にしましょう。
第7号 5月24日に起こった交通事故。そのことを自分たちの問題としてすぐに記事にしました。新聞記者のセンスです。「本が大漁(大量)」と学級文庫は充実しました。「読書の秋」です。たくさん本を読んでください。
第8号 新聞の役目は大勢の人の声(考え)を伝えることです。この号は初プールの感想、それから国語の時間のディベートのことについてしっかり声を集めています。「ひぇー初プール」「盛り上がった討論会」、うまい見出しです。
第11号 「収穫したジャガイモ」の写真を見ました。すごい量ですね。新聞づくりもがんばっているけど、ジャガイモづくりもがんばっている6‐4の皆さんに大きな拍手を送ります。12号でその売れ行きを知りました。またまた《拍手》です。最後まで新聞づくりを続けてください。「新聞づくりは仲間づくり」ですから。 武 勝美
2010年10月1日更新
2010 もう一つの全国新聞教育研究大会・北上大会
旅を満喫すべし
秦野・本町小PTA広報委員 近藤真由美
7月はじめ、前委員長の横溝さんから、「全国学校新聞教育研究大会北上大会に日帰りだけど、一緒に行かない?」と声をかけられた。仕事を休んで友達と東北に行ける機会をいただいたのにお断りする理由がない。二つ返事で行くことに。
8月5日、秦野駅発6時半のロマンスカーで出発。電車に乗るのも久しぶり。しかし現地への妄想でいっぱいだった私は、ルートをシュミレーションするのを怠った。新宿駅の改札で捉まる。切符の通し方って複雑になってる!後ろの列を気にして焦る。次は何線?何番ホーム?
完全に《お上りさん》。
大宮に着いたのは乗車予定の時刻の3分前。走ったが、ここでも改札に捉まる! 横溝さんのご主人が言っていた「オバさん二人でちゃんと行けるのか~?」が見事的中! 無情にも目の前でドアが閉まる。頑張って走ったのに…。しかし次の列車でオバさんパワーを発揮。乗車率120%の車内で席を二つゲット。
北上に着く「ここは沖縄か?」。 3週間前に行った久米島の日差しを感じながら黒沢尻東小学校へ。図書室に案内されると、武先生が笑って迎えてくださる。この安心感はなんだろう。先生は「昨日の講座で、7月に発行した166号を褒めておいたから」と話してくださった。これからの発表を前に、すでに達成感いっぱい。それだけに15分の発表時間では物足りなかったな。
旅を満喫すべし! 北上滞在は2時間。さようなら岩手。大会のスタッフは皆さんとてもいい人でした。そんな方々に挨拶もそこそこに新幹線で仙台へ。
降り立った仙台は七夕祭り前日、まずは昼下がりの朝市で地元特産の食材を目当てにウロウロ。次はずんだもち。期待していたほとのものではなかった。テンション下がり気味の二人はガイドブックに載っていた「七夕企画室の和紙」屋さんへ。探し当てたそこはビルの5階。「ここまで来たからには」と、「お邪魔しまーす」。マックス忙しいさなかに図々しくも押し入った二人。気さくなおじさんがあれこれと説明してくれ、「特別だよ」と言って、明日発表となる七夕飾りの部屋へ案内してくれた。天井からたくさんの飾りが下りていてすごい迫力。興奮気味の私たちは勢い余って「おいしい牛タンの店」を聞いてしまった。
おじさんの目がキラリとひかり、「しょうがない! 案内してやろう!」と行きつけの牛タン屋へ。「明日は朝3時から飾り付けなんだよなぁ」とおじさん。「七夕企画室の〇〇の紹介と言えばおまけしてくれるかもよ」と言い残し帰っていった。忙しいのにすみませんでした。「牛タンなんてどこで食べても同じでしょ」と思っていた私。仙台の皆さん、申し訳ありませんでした。おいしい牛タンをたくさんいただきました。牛たんをお土産に頼むと、スモークとソーセージをおまけで付けてくれた。太助さん(お店の名前)ありがとう! これで思い残すことなし。一路秦野へ。午前0時過ぎ着。こうして長い1日が終わった。
ガイドブック片手に
秦野・渋沢小PTA前広報委員 米谷 知子
広報紙『しぶしょう』づくりについて発表をする、というより観光がメイン? のような今回の大会のへ参加…。私たちは往復高速バス、現地での移動は在来線の貧乏旅行でした。
8月3日、午後9時25分、小田急線本厚木駅前を出発。振動と狭さで何度も目を覚ました。翌朝6時、花巻駅に到着。釜石線の6時57分に乗り遠野に着いたのが8時過ぎ。じりじりと照りつける中、駅前からレンタサイクルで片道5キロメートルの『かっぱ淵』へ。今、思えば「スゴーイ!私たち」。残念ながらかっぱには会えませんでした。
戻って遠野伝承園へ。ここには蚕が飼育されています。その繭玉を使い糸繰り機で1本の糸にしていく体験をしました。右手で糸繰り機を回し、左手で糸を撚ります。スピードとバランスが難しかったですが、きらきらとした光沢のある糸が次々にできていくともう少し、もう少しと右手が勝手に動いていました。オシラ堂の「オシラサマ」では、家内安全を祈願しました。そして平泉の中尊寺へ、もちろん在来線で。金色堂の阿弥陀如来像を拝んできました。
それから大会会場へ。午後4時からの武先生のPTA広報講座に出席。1年半ぶりに先生の話を聞きました。会場の雰囲気にもあおられ、二人とも「また広報やりたくなっちゃった!」。午後6時から参加者による全国交流・懇親会に出席。PTAで出席したのは私たちぐらい? でも収穫はありました。翌日の夕食の予定地盛岡で、前沢牛と盛岡冷麺が食べられる、安くて美味しいお店を地元の先生に教えていただきました。
二日目は、いよいよ発表です。午前中レジュメ作り。「あれも話したい、これも言いたい」とやっとのことで準備が終わり、いざ会場へ。なかなかの出来だったと思っています。地元のPTAの方たちにいくつか質問を受けました。「どうしたら楽しい新聞を作れるか?」「特集はどうして生まれるのか?」などです。『新聞作りは仲間づくり』、が私たちの答えです。持参していた資料以外の号もプレゼントし、会場を後に一ノ関の『厳美渓』へダッシュ。名物の「空飛ぶ団子」は売り切れ、味わうことはもちろん見ることも出来ませんでした。
そして最終目的地の盛岡へ。この旅ではじめてゆっくりと食事をしました。銀河高原ビールで乾杯! 疲れが飛んで行きました。前沢牛のステーキ、白金豚をおなかいっぱい食べ、冷麺も美味しくいただきました。
午後10時過ぎ、名残惜しい思いで盛岡駅を後にしました。ニ日間慌ただしく動き回りヘトヘト、でも発表も含め充実した二日間でした。この旅に快く行かせてくれた家族に感謝します。 ありがとう、今度はみんなで行こうね。
2010年9月1日更新
「はだのP連だより」(第74号2010年7月5日発行)より
学級懇談会こそPTA活動
26年前、渋沢中学校PTAの広報紙創刊号に当時の学級懇談会の様子が取り上げられています。参加者数は527名で、全体の半数にあたる人数でした。現在、市内各学校の懇談会の参加者数はクラス平均8名で、学級委員だけや、2~3名のクラスもあるのが実情です。
ある小学校の学級懇談会では、クラス内で起きている問題を先生から提起され、早期解決を願う保護者が、さまざまな視点から真剣に意見を出し合いました。参加した保護者からは「クラス全体の様子がよく分かつた」「先生や保護者たちと話し合い、分かり合える学級懇談会は貴重な時間だ」「改めて学級懇談会の必要性を実感した」などの感想が聞かれました。
PTA活動は、親と教師が同じ目線で、子どもの教育について共に語り合うことから始まります。今年度の市P連情報委員会は、PTA活動の原動力となる学級懇談会に着目し、意見交換しました。
学級懇談会の開催回数は、市内小学校は平均年4回、中学校は平均年2回でした。開催月は4月と2月もしくは3月が最も多く、続いて7月と12月でした。多くの学校では、保護者が参加しやすいようにPTA行事や学校行事と同じ日に懇談会を実施していますが、「面倒」「特に話すことがない」などの不参加の理由が聞かれることから、関心の低さがうかがえます。
近年、共働きや核家族世帯の増加により時間の余裕がなくなつたこともあり、心にゆとりがなくなりつつあることが気になります。親と教師のコミュニケーヨンの向上を図り、学懇談会を有意義な活動するために、各学校でさまざま取り組みや工夫がなされています。
ある小学校では、一昨年実施したアンケートをもとに、昨年度は学級懇談会開催回数を年2回から年3回に増やしました。クラスごとにテーマを決め、話し合った内容を学級委員がまとめて「懇談会便り」を作成し、全会員に配布しました。
また、ある中学校では、懇談会を保護者との大切な意見交換の場ととらえ、昨年度は賛否両論あつた二学期制を全クラスのテーマとして取り上げました。事前に行ったアンケートの結果と懇談会の内容を全会員へ配布するとともに、教育委員会へ提出することができ、懇談会本来の姿と力を確認する取り組みとなつたそうです。
これら2校の校長先生は「子どもたちのことについて、保護者と教師が話し合う大切な場なので、できるだけ参加してほしい」 「家庭訪問を廃止したので、懇談会をおおいに活用したい。中学生は心身ともに変化がある時期なので、保護者同士が話し合える懇談会の場を大切にしたい」と、学級懇談会の大切さを話してくださいました。
子育てに関する情報があふれるなか、大切なのは自分の目と言葉で確かめることです。学級懇談会は、子育てのヒントを発掘することができる宝の山です。
親と子、教師と子どもたちの健全な信樹関係のもとで、子どもたちの笑顔のために話し合える場が学級懇談会です。気ぜわしい日々の生活だからこそ、時間を工夫し、学級懇談会に積極的に参加する意識を持ちたいものです。親も子も笑顔で生活するためにPTA活動の始発点として懇談会に出かけましょう。
2010年8月1日更新
鎮西真裕美さんに『新人賞』 学級通信『きらきら』で 圧巻! 年間73号の発行
理想教育財団が主催している第6回「プリントコミュニケーションひろば」(平成21年度に先生の手により発行された学校・学年・学級通信や教科・部活新聞などのコンクール)で、『エコー』の読者である鎮西真裕美さんが書いた学級だより『きらきら』(下・参照)が『新人賞(教職について5年未満という条件)』に輝きました。
教師2年目にして1年生の担任。そのハードな毎日の生活の中で、年間73号発行は驚嘆です。今年は2年生の教室で学級だよりの発行を続けています。
鎮西さんは、このホームページ『エコー最新号』NO280にも登場していますが、秦野東中の「東中新聞」の広報委員長を務めた“新聞
大好き!”さんです。とりあえず今は通信ですが、彼女の願いは「子どもと教室で新聞をつくること」だそうです。
2010年7月1日更新
広報委員会が書いた先生方へのラブレター
年度第一号で企画がお願いが思いがけない暗誦に乗り上げたS小学校P広報委員会。その打開策の相談を受けた私は「先生方にラブレターを書いたら」と勧めた。その結末がメールで次のように報告された。
第1信
先日は「原稿依頼」の件で教えていただきまして有難うございました。『こどもたちに伝えたいこと』という題は、なぜか先生方から書きにくいといわれ、初めの一歩でこんなつまずき、落ち込みました。武先生からの「先生方にラブレターを書きなさい」というアドバイスを元に、部員と気持ちを確かめあい、それぞれが心からの思いを文にし、それを合体させました。つたない文ですが気持ちを込め、次のような先生方へのラブレター(依頼状)を書きました。
小田和正さんの歌の「あなたに会えて本当によかった…嬉しくて嬉しくて言葉にできない」というフレーズが心を打つように、心の中が暖かくなったり、勇気が出たりするのは、やはり気持ちのこもった言葉だと思います。本年度、S小学校は135周年を迎えました。その伝統を受け継ぎ、次代を担う子どもたちに向けて、”君たちに伝えておきたい、残しておきたいあなたの言葉”として、先生方の心の中にある言葉をいただきたいと思い、このテーマを選びました。本当に大切なものは心だと思います。大事にしてほしいこと、守ってほしいこと、日常の些細な気持ちでも構いません。先生方の心をいただけたら幸いです。―― この文をつけてお願いしようと思います。
第2信
連休前にお願いしたのに、先生方に届いたのが連休明けだったことが分かりました。それで、気持ちよく書いていただきたいので、その行き違いを詫びた文章を回収の袋に貼らせてもらいました。校長先生も原稿が書きにくいとのことで、過去の校長先生方の文と記念誌をご参考までにお渡しまでしました。気持ちよく書いていただきたく、いまその出来上がりを待っているところです。総会で先生方の写真撮影お願いしていたにもかかわらず、担当の先生が伝達を忘れたりと、怒るどころかなんだか笑ってしまいました。そんなこともあり先生方へのお願いや念押しなども勉強し、なんとか早く行動してもらうよう動けるようになってきました。
そんななか嬉しいこともありました。期日通り書いて下さった先生方の文章の温かい言葉です。受け取ってきて誰よりも先に読んだとき
涙ぐんでしまいました。私達がいただきたかった優しい気持ちの文章がそこにありました。まるで宝物のように感じました。
本年度は135周年ということで先日航空写真の撮影があり、それを取材いたしました。普通なら見ることのできない学校の姿を見ることができ、生で取材することの素晴らしさを感じました。広報をやっていて良かったと思える瞬間でした。 Keiko
2010年6月1日更新
2010年5月5日更新
尾崎左永子先生の演題 「“うたう”ということ」
菅原澄子さんからのたよりです。
4月8日は2010NHK学園生涯学習フェスティバルの一環として市川市短歌大会が開かれました。清水シズヨ先生とご一緒させて頂きました。
下記の2首は市川市短歌大会“入選作品集”に掲載された清水先生の作品です。
秀作 くるくるとまわる手作り木の実独楽朝青龍も白鵬もいて
入選 鶏卵の一個を家族で分けあいて贅としたる日昭和は遠し
当日の講演の講師は尾崎左永子先生でした。演題は「うたうということ」
「短歌を書くという人がいるがこのところ“うたう”ということを忘れていることがある。定型(57577)が、なんで1300年も受け継がれたのか。それは声で聞いて耳から入ってわかるからである。自分のうたを覚えて鏡の前でうたってみる。本当の短歌は音感をちゃんと捉えて作っていく。“うたう”ということは音楽性が大事である。心にひびいてきて、ふっと出てきた“うた”がよかったりする。“うた”を作るときに律と音韻を大切にしていただきたい。」と、力強く語られ“うたう”を中心に明快なお話でした。
文を校正するとき、朗読しながらやってみると文章のリズム、呼吸の乱れが見えてきてすっきりさせたくなります。文章にもリズムと音のひびきが関係してくることがわかります。“うたう”のは聴覚で受けとめ、書いたものには視覚に訴えるものがあると思います。これは文を校正するとき、私はやっています
清水先生の当日受付の作品は、しだれ桜を“うたう”のに天蓋という語が使われていました。しだれ桜の姿を捉えた素晴らしい語だと思いました。表記の文字にも気をつけて、“うた”を味わうのも大切なことでなないかと思いました。 (武注 菅原さん、清水さんはとは新聞教育を通じて20年来の知己です。)
2010年4月1日更新
平成21年度湯河原町家庭教育学級
私が出会った言葉 ~言葉が心を育む~ (講演の一部)
すべては大人の姿勢にかかっている。家庭の習慣や親の態度こそが、家庭教育そのものなのである。必要なのは家庭生活なのだ。
『家庭教育』という言葉がよく使われる。たとえば、PTAの『家庭教育学級』のように。だが、よく考えてみると、この『家庭教育』なる言葉の中身は、分かったようで分からない。しつけや生活習慣を子どもに教えることが、その意味かもしれない。しかし、しっけや生活習慣を正しく身につけさせるということが『教育』か、と問われると首を傾げたくなる。それほど大上段に振りかぶらなくては、しつけはできないのか、と思ってしまうからだ。
戦前の日本の教育システムには、『家庭教育』という言葉が存在していたそうだ。子どもを学校に入れないで、家で学校と同じことを学ばせることを例外的に認める、という文部省の規定がそれである。
この『家でも学校と同じことを学ばせる』ことば、日本の学校教育の質を高め、日本が経済立国となることに大きく貢献してきた。それと同時に、この『だれもが同じことを』という考え方が、しつけや生活習慣にまでも求められるようになった。学校が、歯磨きを教え、あいさつ運動を展開しなければならなくなった。
日本良寛の会の会長小島寅雄(故人)先生は、「家庭教育などという教育は存在しないし、いらない。必要なのは家庭生活である」という趣旨のことを述べておられる。
礼儀だ、あいさつだなどと、親がとりたてて教え込むこれを家庭教育というようなことなどする必要はない。親が親らしく、夫婦らしく、大人らしく普通の生活をする―これこそが家庭教育―ことで十分なのだ。ある新聞社が行なった読書調査の結果から、小島先生の《家庭生活=家庭教育》という図式を読みとることができる。「本を読むことがたいへん好き」と答えた子どもたちは、『小さい時、父母等に本を読んでもらった』経験があり、『家に本がたくさんあった』というようにその理由を述べている。〝幼児体験″と 〝家庭環境″が、子どもを本好きにさせているのだ。
二十年ほど前、全国的に中学校が荒れた頃の話である。夏休みが終わり、新学期が始まった朝、クラスのTが金髪のアフロ・ヘアで登校して来た。懸命に説得し、翌日までにその髪型を変える約束を取り付けた。それで、直ぐ美容院に行かせるため、一万円を渡した。
次の日、彼の金髪は確かに消えていたのだが、代わりに黒々としたパンチ・パーマで装われていた。「してやられた」と思った。
「先生、変えてきたぜ。それから、これオバサンがよこしたから」と言いながら、Tは真っ白な半紙の包みを差し出した。開けてみると、中には一万円のピン札が入っていた。前日、私が持たせたお金を返してよこしたのだ。ピン札が嬉しかった。Tのお母さんの心が読み取れたような気がした。このお母さんとなら、私もがんばれる、と思った。
喫煙、シンナー、暴力事件、そして不登校と、後からあとから彼の周りに問題が起こった。その度にお母さんとその対応に追われた。正直なところ私も疲れた。それもあって、ある日私は絶対口にしてはいけないことを言ってしまった。
「お母さん、もうあきらめましょう。どこかにお願いしようよ」お母さんはうなだれながらも、しつかりとした口調でこう言った。
「いいえあきらめません。私の子ですから、あきらめません」
それからも悪戦苦闘の連続だった。
十二月のある朝、登校してこない彼を迎えに家庭訪問をした。私を見た彼は「先生、紅茶飲む?今一人で朝飯食うところだ。先生、あがんなよ」私が、紅茶が好きになったのはこの時からかもしれない。
一月に入って、小さな鉄工所をTと職場訪問した。彼はそこで働く気になった。帰りに二人でラーメンを食べることにした。
「どこかうまい店しらないか」
「あまりきれいじゃねえけど、うまい店しってるよ」
その店は、国道沿いのチェーン店だった。Tと続いて入って行った私に「いらっしゃーい」とカウンターの向こうから、明るい声が響いてきた。どこかで聞いた声だった。Tのお母さんの驚いた顔がそこにあった。Tは母と視線を一瞬合わせ、そして少しテレながら私に白い歯を見せ、ウインクした。
講演の感想( )内は子どもの年齢・学年
鬼嫁、鬼母になっていた私に言葉のシャワーをいただきました
・武先生が生徒に育てられたと感じているように、私も子育てをしながら母親にさせてもらっているなと感じています。先生の大切にされているオ・ア・シ・スの言葉を私も教訓にし、今日、子どもが学校から帰って来たら「おかえり」と言葉がけを実践したいと思います。(中2・中3・高2)
・日頃、鬼嫁、鬼母になっていた私に言葉のシャワーをいただきました。私が鬼になっている時、傷つける言葉をいっぱい浴びせていたなと気づかせていただき<反省させられました。ありがとうございました。(年中)
・子どもたちを大きく心豊かに育てるのに言葉は大切ですね。親でさえ、毎日子どもの言葉で心を育てられています。「ママ大好き」の一言で、無償の愛をささげられる言葉はとても大切ですね。(幼稚園)
・自分の言葉に心があると再確認できました。心が震えました。毎日、追われているなか、今日、心が成長した気がします。(保育園)
・先生の正直な体験話が心に響きました。言葉や言い方がとても大切だとは思っているものの、特に家族に対してはなかなかうまく使えていないように感じます。自分の心に正直に、また、大切だよという気持ちを伝えられるようになっていきたいと感じました。(小1・小3)
・親子なんだから言わなくてもわかるだろうと思わずに、伝えなければいけないことはきちんと言葉にしていかなければと思いました。ありがとうございました。(小学生・中1・中2)
・「オ・ア・シ・ス」ステキな言葉ですね。大切にしたいと思いました。先生の素晴らしい生徒さんとの出会い、言葉のかけ方で人間関係を作り出すということ、私も子どもにたくさん言葉をかけ、成長していきたいです。本当にありがとうございました。(2歳・年長)
・「母親こそ最後のとりで」「私はあきらめない」…言葉の心が伝わってきました。言葉の重み、やさしさ…言葉ってむずかしい。でも、心があれば相手に伝わるということがわかった気がします。(小5・中2)
・娘は小5の1月頃からいじめにあっていて、中1の夏頃まで辛いから自殺したい、生きていたくないと言い続けていました。私は娘以上に心が痛み、今に至っています。今は交換日記で娘に対して、心が安心する、明るく元気になれる言葉をたくさん伝えています。言葉は人を元気にできると思います。今日のお話とても勉強になりました。ありがとうございました。(中1・中2)
我が子に言おう「ステキだね」「えらいね」「大好きよ!」
・私は人と話をすることがあまりできなく、言葉ってむずかしいと思います。でも、我が子には「ステキだね。ありがとう!えらいね!大好きよ!」と短い言葉をかける努力をこれからもしていきます。(小4・小5)
・最近、読んだ本に「言霊」という言葉が載っていました。気をつけなければと思いつつ、つい忙しく余裕がない時に、子どもにひどい事を言ってしまいます。今日のお話を聞いて、言葉の怖さ、素晴らしさを感じ、心にズシンときました。どんなに余裕がない時でも、言葉を考えて使わなければと思いました。(小1・小3・小5)
・子どもを保育園に預け、ついつい子どもと向き合う時間をおろそかにしてしまって、反省を繰り返していましたが、「子どもの心を豊かにするため」、「自分自身とその周囲の人を豊かにするため」に言葉のシャワーを浴びせていこうと思います。(年中)
・3年前、広報委員の時にお世話になった武先生のお話と知って、この日を待ち遠しく参加させていただきました。ニ人の息子たちは、年々無口になる一方ですが、頑張って声をかけて家庭をオ・ア・シ・スにしたいと思いました。子どもをダメにするも伸ばすも言葉なんですね。難しいですが頑張ります。(小6・高1)
・「家庭をオアシスに」というお話が心に残りました。日本人はシャイなので、なかなか言葉にするのが難しいけれど、心掛けたいと思います。「子供たちに教えられたと」いう謙虚な武先生だから、いろいろな子が心を開いたのだと思います。(年中・小3)
・武先生は、素直で正直。素敵だなあと思いました。良い悪いすべての出来事から素直に感じ、学びとっていく姿勢、すべての出会いを「つなげていく」力に感動しました。心の奥からの言葉を心がけて子どもや家族の心を豊かにしていこうと思いました。(主婦)
・言葉は人を苦しめたり、傷つけたり、死にまでも追いやってしまう。私も知らないうちに、ひどい言葉で人を傷つけていると思う。言葉はすごく大事、子どもにかける言葉に気をつけるように心がけたい。私も悪い自分の感謝したい「いつもありがとう」と。(中3)
謝 辞
人間だから“言葉で伝えるという行動が大事”
深澤里奈子
素直な心を言葉で伝え合う大切さに気づかせていただきました。人は、心の波動で感じあい、話さなくても相手が自分のことをどう思っているか敏感に感じあう動物なのだ思っていました。だから、いつも素直な自分でいれば、周りの人たちとおだやかな状態でいられると思っていました。きょうの先生のお話を聞き、人間だから“言葉で伝えるという行動が大事”ということが分りました。
嬉しいこと、辛いこと、感謝も、疑問も、他人を信じる心があるなら、言葉を交わすことで心を受け取りあい、信頼が深まっていくのです。「イヤだなあ・たいへんだ」と思うことに出遭っても、自分から一歩踏み出したいと思います。出遭えたすべての人から学べることに感謝し、自分を成長させたいと思います。先ずは、子供たちが帰ってきたとき、ホッとする、帰ってきて良かったと感じられる家庭を心がけます。
エコー教育広報相談室の活動 2009年4月1日から2010年3月31日まで
教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。 編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。
①新聞新聞づくりの相談 ・学校・学級新聞 135件 ・PTA広報(クリニックを含む) 318
件 ・その他の広報・新聞(家族新聞など) 9
件
②教育相談「一人で抱え込まないで、一人で悩まないで」 ・進路変更・不登校・教師不適応・学級経営など 2件
③その他の活動 ・新聞・広報づくり講座講師
38回
・子育てなどの講演
4回
・「ふるさと」講座・案内 16
回
・全国新聞教育研究協議会関係 7 回
④当相談室来訪者 222組 (535人)
2010年2月1日更新
東中学校の校庭の大イチョウの話
東中新聞 第905号(2009/12/24)
ふたたび見事な黄葉を
『エコー』号270号を読み、東中学校に勤務した私としては、どうしても気持ちを書かなければと思いました。
校庭の工事にともなってのイチョウの木について、いろいろな噂を聞き、どうなってしまうのかと、とても心配していました。東中にいたころ、その樹齢、イチョウの木への卒業生の思い、さらには元の地主の方や武先生からもイチョウにまつわるいろいろなことをお聞きし、何とかならないものかとの思いが強かったのです。それだけに、『エコー』で無事移植されたこと知りたいへん嬉しく思いました。しっかりと根付き、あの見事な黄葉をふたたび見せてくれるものと信じています。 田中 淑生
20010年1月1日更新
干支 張子の虎
左から 金沢 姫路 出雲 清水(私のコレクションです)
『エコー』が作る人の輪、人のつながりの不思議さ
『エコー』で紹介した新聞記事「脳卒中 自立へのリハビリ(谷津清美さん)」を読んだ神谷典子さんからお便りをいただきました。谷津さんが治療を受けた相澤病院の相澤先生は、神谷夫妻の仲人の波田野先生の女婿とのことです。
「『エコー』で相澤先生に出会ったとき、夫だけでなく私も可愛がってくださった波田野先生ことや、お世話になった金沢時代の日々が懐かしく思い出されたのでした。『エコー』が作る人の輪、人のつながりの不思議さを感じました」と書かれていました。
その神谷さんから届いたエコーです。
「“さー”はいらない」
読売新聞の若江雅子記者の「顔見て言葉で伝えよう」を読みました。記事の中に「中高年が日々味わうコミュニケーションギャップ」とありました。記事とは違った角度ですが、日々私が子どもたちと交わしている会話を書いてみます。
子ども「この問題だけどさー」
私「“さー”はいらない」
子ども「この計算バツになってるじゃん」
私「“じゃん”はいらない」
子ども「この問題 意味わかんねー」
私「“ねー”はいらない」
話す相手との距離感をまだ身につけていない子どもは、友達同士の言葉遣いを大人に対しても使います。そんな子にはその都度言い直しをさせています。
教材を渡すとき黙って受け取ろうとする子には「なんて言うの?」。「消しゴム」と単語しか言わない子には「消しゴムがどうしたの?」。子どもが言わんとしていることは分っていますが、あえて子どもの発する言葉を待ちます。
「メンドクセーナー・面倒なこと言わせるな」と思われていることを承知で、発する言葉と発しない言葉に敏感に反応し、対応するのが子どもに関わっている大人の責任かなと思っています。(神谷さんは学習教室を開いています)
2009年12月18日・神奈川新聞
教育コラム『エコー』 最新版 2014年 以降 はこちらへ
教育コラム『エコー』 2007~2009年 掲載分はこちらへ
教育コラム『エコー』 2004~2006年 掲載分はこちらへ
教育コラム『エコー』 2000~2003年 掲載分はこちらへ