-ECHO-  教育コラム『エコー』  -ECHO- 
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2003年11月1日更新

教室の四季  NO4

 鼓笛リード隊賛歌
                        小澤 みつ江
                  
 秦野市の小学校には『鼓笛隊』があります。大抵は六年生がその担当をしています。最大のイベントである運動会が終わると、六年生は五年生に引継ぎをします。五年生は一ヵ月ほど六年生に自分の受け持つパートの伝達講習を受け、その後、自力で練習に励みます。卒業式には鼓笛の演奏で六年生を送り出し、新年度には新しい曲を取り入れて、ひたすら練習に励みます。休み時間はほとんど練習でつぶれるほどです。そして、運動会には今までの、全ての練習の成果を発揮してダイナミックな鼓笛隊パレードを繰り広げるのです。
 五年生は、自分が希望するパートに合格するための鼓笛オーディションがあります。審査に専門の講師と音楽専科、学年のクラス担任が当たります。合格する子と合格しない子の差はほとんどありません。たまたまその日にステップがうまく踏めなかったとか、恥ずかしくて声が出せなかったとか、同じパートに精鋭がそろっていたとか、ほんの少ししか変わるものはないのです。
 十月三日(金)帰りの会。いよいよ鼓笛オーディションの結果の発表です。一組から順番にパートごとの合格者名を読み上げていきます。教室は静まりかえり、担任の声だけがやけに大きく響くのです。三組の子の名前が初めて呼ばれた時、ウオーという歓声とともに割れんばかりの拍手が鳴りました。合格した子への心からの祝福でした。三組の子の名前が呼ばれるたび拍手と歓声は惜しみなく送られ、教室は合格した子達の歓喜の渦に包まれました。

 優子ちゃんの背中
 さようならの挨拶が済んで子ども達が帰りはじめた時、うつ伏せのまま動かない子がいました。「優子ちゃん(仮名)帰ろう」と、友だちが誘っても動けませんでした。さっきの惜しみない拍手の影で泣きたかった子が何人いたことでしょう。涙をこらえて友だちに拍手をおくっていた子たちの本当の心が、優子ちゃんの背中に重なっていました。希望したパートに合格出来なかった落胆は大きいです。しかし、合格しなかったことがより強い精神力となって次の歩みを堅実にする例が多々あります。長い人生の中では強い原動力となることもあるのです。心配は要りません。
 北小学校の鼓笛リード隊(鍵盤ハーモニカのパートを担当するグループ)は、はじめからリード隊を希望する子もいますが、希望する楽器に合格出来なかった子もたくさんいます。初めは自分の楽器に誇りを持つ子は少ないようです。しかし、練習を重ねていくうちに、鼓笛の教育的なねらいである「集中力・体力・気力を発揮し、それぞれのパートが担当した楽器で力を発揮し、一つの大きな花を咲かせること」を自ら証明して見せてくれるようになります。
 きびきびとした動作、難しい隊形の展開、マスゲームのような乱れぬ動き。一つの演奏に打ち込み、団体としてのプライドを持ち、自信に満ちてリード隊として活躍するようになります。そして一年後の運動会の日、晴れやかな輝く笑顔での演奏に、それまでの精神的な成長が表れます。そのために教師たちも努力をします。




モノローグ10月

10月 3日 (金)

 学ぶ教師のみが教える権利がある

 秦野市の教育委員会が設置した「児童生徒緊急サポートチーム」に加わっている。このチームは、新しく法整備がされた「出席停止の児童生徒」を助けることを目指している。構成員は児童相談所、保護監察官、臨床心理士、青少年相談員、それに退職教員である。きのうはその連絡会が西中学校でもたれた。西中が抱えている生徒指導の課題、特に授業放棄をしている子どもたちヘの対応を話し合った。授業もみせてもらった。私もこの西中に勤務したことがあったが、そのころと、今の子どもたちの家庭環境がかなり違っていることに少しとまどった。「教室に入らない子」ではなく、教室に「入れない」子という認識が、周囲の人たちに必要だと思った。
 望月校長の「学ぶ教師のみが教える権利がある」という教育理念を知り、教育へのロマンを感じた。公教育がかなり苦しくなっている今だからこそ、この言葉に真剣さを感じる。かつて訪問した長野県下のS中学は「太陽は教師の規範」であり「教師は、なお教育の中心である。児童生徒は教師という太陽を巡る諸惑星である。あるいはかれらは太陽の恩恵に浴する地球上の万物である」という教師の規範を持っていた。「教師は、今なお教育の中心である」という信念を、先生たちは持ってほしい。


10月 6日 (月)
     
 
がんばるKさん おめでとう


 うれしいたよりが届いた。鶴巻中学校で一緒に仕事をしたKさんからである。
 「ご無沙汰しています。お元気ですか。こちらも何とか息をしております。ところがここでドキッとすることに出会いました。沖縄の小説文芸賞で佳作に入りました。佳作ですからたいしたことはないのですが、大賞一編、佳作二編だそうです。(以下略)」公表は十月末とのこと。現役のころから、エッセイや童話を書いていたKさん。「いつかは大賞を」と思っているらしい。その心意気やよし! である。お祝いの電話を入れた。「余命との戦いが先き」とも言っているが、今上り調子、期待したい。「エッセイを『エコー』に」とお願いしたらOKをもらえた。次号で皆さんに読んでもらえそうだ。


10月13日 (月)

 来年は大江健三郎作詞のNHK合唱コンクール
 
 午後、テレビで高校生の合唱の全国コンクールを聞いた。野球やサッカー、ラグビーなどスポーツ系ばかりが映像やニュースになるが、この日ステージに立った高校生の何とすがすがしかったことか。歌っている表情になぜか涙がこぼれそうになった。司会をしていた錦織健さんが自分のことを「体育系くずれ」と言っていたが、その彼がこのコンクールへの参加がきっかけで、オペラ歌手になったのだ。どこかの学校紹介の映像の中で、男子生徒が「だれか“まともな人”入ってくれないかな」と言っていたが、みんなマトモ。
 コンクールの終わりに、来年の課題曲の作詞・作曲者が発表された。小学校はたしか「ドリカム」だったと思うが…。中学は「谷川俊太郎」。そして高校は「大江健三郎」とアナウンスされたとき、会場は大きくざわめいた。「来年、大江健三郎の詩で歌える」との期待、そして喜び。わたしだってこの顔ぶれの課題曲が楽しみだ。NHKはきばった! 今年の参加校は300校だった。来年はもっと増えてくれたらいい。高校の先生もがんばって欲しいな。来年のこのコンクールのテーマは「信じる」だって。






2003年10月1日更新

 自分だけで子育てはできないのに
              

 子どもを育てる母として、このごろ実感していること。ファミコンやり放題、スナック菓子、ジュースで育てられた子どもたちが多いこと。 我が家でいくら「ファミコンは時間を決めて」と言っても、お友達の家ではやり放題。うちの子どもの足は、友達の家へと向かってしまう。スナック菓子、ジュースが嫌いな私は、おやつは手作り。でも我が家に来たお友達には、飴、ガム、チョコレート、スナック菓子しか食べない子のために、それらを準備する。そうしなければ、子どもは遊んでもらえない。 
 最近こんなことがあった。遊びに来た子が我が家の窓ガラスを割った。それで事実を問えば「忘れた」。そして逃げ帰っていった。私が怒っていのは、割ったことではなくて「割れちゃった」のひとことが聞けなかったこと。そして逃げ帰ったこと。あとで、本人と母親が謝罪に。次の日、父親がガラス代を置いていかれた。子どものやったことだから、と返しに行くと、両親揃って「子どもは『割っていない』といっているから、子どもの言葉を信じたい」とのこと。「そうかなー」と考えてしまう。すべてが、こんな調子で回ってしまう環境。でも同級生の子どもの親として、何事もなかった様に平然と日常を付き合って生きている。「この地域では」という、親が作り上げた自分に都合の良い子育ての場が、子どもだけでなく、親へのいじめ仲間外れを生み出している、そんな気がする。一人の思いでは、子育てはできないのに。  Giffty



 こんなことしたって 点数上がらないよ
 
9月1日のことです。勤めから帰った私に、中三の娘がその日のことを涙ながらに話しました。それは私にとっても耐えられないような酷い出来ごとでした。
 始業式のその日、習字の宿題を持っていくのを忘れたので、帰ってから急いで提出しにいった娘に、S先生が「マタ マタ、いいカッコしちゃって、こんなふうに届けたって点数上がらないよ」と言われたそうです。娘は「顔から火が出るようだった」と、そのときの自分の心の状態を話しました。習字が好きで、ずっと習っています。宿題が自由選択でも、必ず習字を選んできました。この夏の作品もよく練習して書いたのです。それなのに、この言葉はひどいです。
 子どもたちに「思いやりの心が」とか、「イジメはいけない」などと話をされる先生方の中に、このような先生がいらっしゃることが信じられません。このことがあってから、娘はS先生の言動がすべて嫌悪感につながるようになってしまいました。中三の二学期、娘がかわいそうです。    Saint



 A君の瞳
                 
 気になる男の子がいます。かわいい少年です。PTAのことで学校に行くたびに、なぜか彼は私の前に姿を現すのです。「こんにちは」「こんにちは、元気?」「あ、はい」授業中のはずなのに、その子は廊下や職員室などあらぬところにいます。会えばきちんと挨拶をしてくれます。「気になる」というのは、いつも彼の目がさみしそうだからです。
 息子が中学に入学したころ、用事で学校に行ったとき「どこかで見た子だわ」という子に廊下で出会いました。私を見て、その子は近づいてきて「Aです」と声をかけてきました。そうでした、保育園のときいっしょだったA君でした。小学校は別だったのに、私を覚えていてくれたのです。「まあ、A君、大きくなって。Tの母だけど覚えていてくれたの」「はい」「お母さんお元気?」「はい、元気です」。はきはきとして、目が輝いていたA君でした。A君は今一人です。周りのみんなが彼のことを分かってあげてほしい、と思います。三年前の、彼の笑顔の瞳に今も会いたい。A君に何かしてあげたい、でも声をかけるのが精一杯の私です。   Atsuko



 諭すと威嚇

 わが子が幼稚園にお世話になっていたときの話です。
 年少組のとき、元気の良過ぎる子どもを叱る先生の声に怯え、息子は次の一歩が踏み出せずにいました。年長になって出会った先生は、良い行動は誉め、悪い行動はゆっくりと諭されました。息子はその先生から「諭す」と「威嚇」の違いを学んだのでしょう。それからは、自分の行動に自信が持てるようになり、楽しんで生活できました。  
Tomoyo






2003年9月1日更新

 動いて 出会って 心をふくらませてください

 8月9日 平成8年度卒業生の同窓会に招かれました。その折、何人かの子どもたちが話題にしてくれた卒業式での私の話(式辞)です。今月の『Monthly essay』のページと一緒に読んでください。



平成8年度卒業式式辞

 239名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。保護者の皆様、ご卒業おめでとうございます。今日までのご苦労を思い、心からお祝いとおよろこびを申しあげます。秦野市教育委員会教育長栗田日出之輔先生を始めとする来賓の方々をお迎えし、ここに本校・第11回卒業式ができますことを、卒業生そして保護者はもちろん、私たち鶴巻中学校の教職員もたいへん嬉しく光栄に思っております。ありがとうございます。
 卒業生のみなさん、ただ今お渡ししました卒業証書を広げてください。そして私の言葉にしたがって黙読をしてください。証書の右上に数字が書いてあります。その数字はこの鶴巻中学校を卒業した人数を表しています。さきほど、最後に卒業証書を受けた和田奈津子さんは3077番でした。卒業証書という文字の下に、あなたの氏名が書かれています。続いてあなたの生年月日が記入されています。そして本文が『上記の者は中学校の課程を卒業したことを証する』とあり、今日の日・平成9年3月10日が記されています。その平成9年3月10日からあなたの生年月日を引き算してください。15年と何カ月何日かの歳月がその答えとして出てきます。14歳と11カ月の人もいると思います。あなたたちはその14年、あるいは15年余りの一日一日を、力いっぱい生きて今日という日を迎えたのです。よく頑張りました。けれどもその頑張りは、あなた一人の力でできたのではありません。お父さん、お母さんや家族のあなたへの愛情、友達、地域の皆さん、幼稚園・小学校そして鶴巻中学校の先生方の支えがあったということにも思いがいかなくてはいけません。たくさんの人に支えられ、導かれ今日を迎えることができたのです。
 さきほど、担任の先生から呼びあげられたあなたの氏名について考えてみましょう。氏名の氏・名字は、あなたの家の歴史と誇りがこもっています。そしてあなたの名前には、ご両親や家族があなたの誕生を喜び、あなたへの願いがこめられていることを知ってください。あなたの名前に恥じない、あなたらしい、あなただけの生き方をしてください。そして地球上でたった一人のあなたを表す、あなたの名前を大切にしてください。名前に誇りをもって欲しいのです。
 ところで、3月3日の生徒会総会で3年生の皆さんが中心になって、福井県三国町と兵庫県に災害義援金を送ることを決議してくれました。すばらしいことでした。感激しました。
 2月9日、私も福井県三国町に行きました。私がそこを訪れたわけは二つあります。一つは、全国からたくさんの人がボランティアとして、タンカーから流失した重油を汲みに来ている、その仲間に加わりたいと思ったからです。でも、皆さんも知っているように、私は足を痛めていますので、その作業に参加することはできません。ですから地元の人達やボランティアの人達の頑張る姿をこの目で見たい、応援したいと思ったのです。心のボランティア、それが私にできることだと考えました。その日の日本海は波も静かで真っ青な海でした。でも入り江の海岸近くには、まだあの重油の黒い帯が漂っていました。その入江のあちこちで20名くらいのグループの人たちが、海岸の石や岩にしがみつくようにして油を取り除いていました。遠くから見るとその光景は、空しいもののように見えました。でも、その作業を黙々と続けている人達の意志と行動が、今、青い海を取り戻しつつあると知ったとき、私は人間の心と行動力を信じることができました。
 三国町を訪れたもう一つの理由は、松葉杖を頼りにして生活をしている自分が、どれだけその杖で生活できるかを試したかったからです。本当なら、杖を捨てて生活をしなければいけないのに、杖に頼り切っている自分を変えたいと思ったからです。この三国町に行くことについて、周りの人からは「むちゃだ」と止められました。本当にむちゃだったのかもしれません。病気が再発したら、この軽はずみな行動は非難・軽蔑されたことでしょう。でも、あえて自分への挑戦をしました。今も杖を手元に置いた生活ですが、松葉杖で三国町を訪ねることができたことは、私のこれからの生活の自信につながると思っています。
 私の生活のモットーは「動かなければ出会えない」です。行動しなければ、動かなければ、何にも、誰にも出会えないのです。動いて、いろいろなことに出会ってください。そして心をふくらませてください。これが、私が巣立っていく皆さんにお願いすることです。
 お別れの時がきました。私の好きな言葉は『一期一会』だとお話したことがありました。みなさんとの《出会い》と《別れ》へ思いを込めて、私の詩「春の朝」を読みます。 (詩は省略)






2003年8月1日更新

先生はその思いを語るべきです

 1997年に神戸で起きた中学生の事件のとき、ある中学校のPTA広報が号外(7月1日付け)を出した。見出しは「学校へ足を運びましょう」。そしてリードにはこう書いてある。
 「心の教育が叫ばれている中、14歳の少年による凶悪犯罪は、社会全体にたいへんなショックを与えています。特に同じ年代の子どもを持つ親としては、『なぜ?』『どうして!!』のことばしかでません」。そして「お父さん、お母さん、忙しがってばかりいないで、ことあるごとに学校へ足を運びましょう」「子どもの様子を知り、先生を知り、友達を知り、よそのお父さん、お母さんと知り合いになりましょう」「学校に行けば子どもとの共通の話題がふえます。親同士、子育ての喜びや悩みが語り合えます。先生への信頼が生まれます」と呼びかけている。
 この号外が発行された理由は、記事の書かれたとおり「子どもがわからない」という親の不安からではあったのだが、もう一つの心配もあった。それは、わが子の学校や先生方のこの事件への対応ぶりだった。子どもに尋ねると「先生から事件について特別の話はなかった」ということだ。だから、親として何かを書かなくてはいけないと思った。だが、一方では「先生方が何も話せないほど難しい事件なのだ」と考えたら、何を書くかが定まらなくなった。そしてこの事件の号外を出すこと自体が不安になった。広報委員会は時間をかけて話し合い、上のような内容で号外を発行することに踏み切った。

先生が口を開くとき 子どもも親も心を開く
 長崎で発生した事件でも「事件の背景や深い部分が見えない。ありきたりの通知を出しても学校は困るだろう」と教育行政の関係者の発言があった。「『心の教育』だけでは限界」「命の大切さを話したくらいで、このような事件の再発が防げるわけではない」という言葉も聞かれた。
 今回の事件を通して、学校・家庭・地域の教育力が改めて問われることになった。まもなく、さまざまな具体的対応や方策が講じられるだろう。親も子どもも孤立している今の社会に、このPTA広報が提案した「学校に足を運びましよう」は、現実的な対応策として取り上げられて良いと思う。まず「学校に行けば先生への信頼が生まれる」という親の思いを、先生はしっかりと受け止めて欲しい。学校教育への信頼は先生の発言によって生まれでる。先生は『命の大切さ』について、今こそ子どもたちに語りかけて欲しい。




教室の四季  NO3

「ウェルカム」 ヒルズ
            小澤みつ江
            
 ジーパンの上から厚手の靴下を履き、その上からひざ下ストッキングをはいて、その足に『ヤマビルファイター』というスプレーをかけて、さあ、森林の下草刈りに出発です。
 北小学校から菜の花台までの一時間半ほどの道のりを「疲れたー。」「もう歩けなあい。」「はらへったー。」などと口々に言いながら、子どもたちは登っていきました。時折、ひんやりする涼風が山道をさーっと駆け抜けてきて応援してはくれるのですが、なんとも心もとないよたよた歩きです。
 菜の花台に着くと、すでに二十人ほどの方が待っていられました。湘南地区森林保全課、秦野市農林土木課、北地区財産区、秦野市森林組合等々各方面からの下草刈り応援隊の皆さんでした。初めて下草刈りに参加して、この行事の伝統なるものをちらりと垣間見たように思いました。
 子どもたちの待ち焦がれていた弁当を食べてから、草の刈り方を教えていただいて、いよいよ山に入ります。カヤが生い茂っている草むらを目指して一歩一歩足元を確かめながら斜面を降りていきます。噂のヤマビルがどこでどんなふうに登場するのか、こわいもの見たさの気分でした。カマがぶつからないように友達との間隔を空けるよう指示し、刈り始めようとした時、「あ、ヒルだ。」という声があがりました。何人もの子が集まっている輪の中に踏み込んでいくと、そこには「おいで、おいで。」と手招きして呼び込むように五、六匹のヒルたちがうごめいていました。
 「キャー、靴にいる。取って。」という声。「つまめ!手でつぶして。」という男先生の声。子どもたちの必死なヒルつぶし。「そうだ。『ヤマビルファイター』を取りに行かなくちゃあ。」と足元を見た途端、ミミズのような縞模様のヒルが尺取虫のようにストッキングを登ってくるのを発見。「あー、イヤ、イヤー。」声に出してもヒルは登ってきます。靴の踵を押し付けて強くこすると地面に落ちました。そして、また一匹、踵のゴムのすき間に潜ろうとしています。あわててもう一方の踵で踏みつけました。胸騒ぎがして、泣きそうな自分と出会いました。急いで見晴台まで戻って薬を持ってくると、子供たちは通路のところでかたまっています。もう一度、一人ひとりの足に『ヤマビルファイター』を吹き付けました。すると、不思議とヒルは寄り付かなくなりました。
 一時間ほどの作業を終えて、見晴台に戻ってきました。梅雨の晴れ間の日差しとさわやかな山風が汗にぬれた体を優しく吹き抜けていきました。しかし、初体験のヤマビルとの出会いは、しばらく頭から離れそうにありません。
※ ちなみに、今年の春に雨が多かったため、たくさんのヒルの発生につながったようです。また、ヒルにかまれても、害はないそうです。むしろ、血行をよくするとか…。でも、効果のほどは未確認です。





2003年7月1日更新



学校に時間をください

 学校週五日制のもと、新学習指導要領の趣旨をふまえた教育課程の編成を中心に、さまざまな取り組みをしています。中でも学習評価において、相対評価から絶対評価へ、その基軸を移したことは、学校としてかなりのエネルギーを注がざるを得ず、いくつかの課題を与えられています。またT・T授業、少人数授業、選択授業の拡大などの導入については、授業改善の一環として、学校の実態に即した研究実践を積み重ねているところです。
 しかし、こうした教育改革は、各種の教育審議会から矢継ぎ早に答申が出され、トップダウン形式で学校現場に下ろされているという感は否めないのです。さらに人事評価制の導入なども行われた今、学校が本来の役割・機能を十分果たせるだろうかと不安です。
 いつの時代においても、改革に伴う問題や課題は出てくるものですが、あまりにも教師にゆとりがないのが現在の学校です。子どもと向き合う時間さえ奪われています。課題を整理し、子どもの実態を把握し、確かな学力や生きる力の育成を目指す教育活動を進めるとき、学校は家庭や地域に信頼される―そんな学校づくりを目指しています。そのためには、もう少し時間が必要です。    Y.T




 ★☆★☆ 小泉信冶さんは、30年ほど前、私が勤めていた学校のPTA会長さんでした。そのとき以来、お付き合いがあります。下の文は、私の紹介で小泉さんがロータリークラブでスピーチされたものです。

里山と生きる
                       秦野市  小泉 信冶(農業 80歳)

 「里山」は造語のようで、広辞苑を引いても出てきません。“里山に暮らしている人達の暮らしのあった山”という意味だと思います。秦野の里山の歴史を振り返ってみますと、たばこ作りに行き着きます。秦野の山は山林原野なのでした。私が住む名古木地区は、明治になって地区の二ヵ所の山の入会権を得ました。それを連名登記・いわゆる「割り山」として地域で共有しました。誰もが、たばこの苗床用の落ち葉や生活用の薪が必要ですから、自分の山にはクヌギやコナラなどの落葉樹を一生懸命植えました。一反のたばこ作りには三反の山の落葉が必要なのです。
 連名登記なので、15年に一回「割り山変え」をします。これは持ち山の公平性を保つためです。この割り返しをするために、生えていた木は全部伐採します。クヌギやコナラという木は15年位で切るのがちょうど良いのです。ヒコバエがよく生えるからです。ところがたばこの耕作はなくなり、薪もいらなくなりました。落葉樹の山がいらなくなったのです。
 名古木の割り山は30町歩ありました。「割り返し」のために山の雑木を切り払ってしまうと、その年、名古木の田んぼは田植えができなくなるのです。山が水を蓄えてくれていたのです。
 これから里山をどうしたら良いのでしょう。私が里山に期待するものは、豊かな線、きれいな水です。これは私達みんなが望んでいるものなのではないでしょうか。皆さんから「山が荒れていますね」と言われ、心が痛んでいます。でも今、里山は自らの力で次の山を作る努力をしているのだ、と私は信じています。人間が余計な手を出さないのが良いと考えています。あるがままの里山、今のままを静かに見守ってあげることが大事だと思っています。弘法山は公園です。公園は景観も大切です。手入れがされなくてはいけません。だからきれいに整備されているのです。山は違います。自然の山とは「山・川・草・木・鳥・獣・虫・魚」を育てる山です。
 名古木には《ふくろう》が住んでいます。巣立ちまでを観察し、食べる物が無ければ生きていけないことを知りました。生物にとって、まわりの全ての物が大切なのだということに気が付きました。あるがままも必要なのです。
 ある画家は「森に入り、森から出てきた時には、だれも詩人になっている」といっています。自然はただの一時も同じ姿でいないからです。花粉症が問題になっています。匡の方針で杉を植え、切る頃になったら外材の方が安くなり、杉やヒノキの山の手入れがされなくなってしまいました。私たちがやってきたことは欲望が中心ではなかったのでしょうか。山里に鹿・猪などが下りてきています。被害がでていますが、これも人間の勝手で起きていることです。   






2003年6月1日更新


新聞スクラップセミナーに参加

 だれもが一度は経験しただろう新聞の切り抜き。その「切抜き」が、今、学校の中でまた注目され始めました。そんな教育環境の中、5月17日に秦野市立大根中学校を会場に『新聞スクラップセミナー』が開催されました。秦野市中学校教育研究会の新聞部会がセットしたセミナーです。この日の参加者は、中学生から50代のお父さんまで幅広い世代の30名。肩書きも幼稚園・小・中学校の先生、教育研究所の指導主事、PTAの広報委員、会社員などバラエティに富んでいました。校長先生が二人参加してくださったこともうれしいことでした。
 
私のスクラップの実習 
 踊る小泉首相の写真につけた感想

 もう一人の講師・鈴木伸男先生の講座では、その日の朝日新聞に掲載された写真を一枚切り抜き、コメントをつける実習をしました。私は島サミットの晩餐会で、楽しそうに「カチャーシー」を踊っている小泉首相のスナップを選びました。その仕切り抜きに、私は次のような感想を書きました。


 沖縄で開かれている『島サミット』。ホスト国の首相としてのサービス精神がよく表れている? そして意気込みも! だが朝鮮半島、台湾、インドネシアなどの島々が抱えているたいへんな問題のことを思えば…。こんなに浮かれていいのかなあ。一面では「R銀行に二兆円の公的資金の導入か」(14版のみ)が大きく報じられているのに。私は「見る〇〇〇」にさえなれない気分。新聞が載せた一枚のこの写真の、私に与えた印象は強烈。この報道に対する小泉さんの感想が聞きたいものだ。

 朝日新聞の渡辺記者が講演の中で、「新聞に載ろう!」という提言。ニュアンスが少し違うかもしれないが「わが意を得たり」。「声が大きければ返る木霊も大きい」のです。



セミナー参加者の感想
学んだことを自分なりに実践してみたい

 先日はセミナーのご案内、ありがとうございました。今後の授業研究に大変参考になりました。本庄先生の実践も参考にさせていただきながら、私も努力したいと思います。観点別評価を中心に授業研究がすすめられていますが、すべてで評価が優先される傾向がある中で、生徒の意欲・関心を中心に置いて指導実践をすることの重要性を再認識させられたセミナーでした。今年は一年生を担当しています。新聞記事を使った問題を、毎回20%くらいの割合で出題していますが、生徒たちは楽しみにしています。
                             Tadashi   (武注:今学期の中間試験の問題が添えられていました。)



 全国のPTA広報紙を読めました  これも役得かな               

 先日は講習会 ありがとうございました。その折、全国のPTA広報の優秀紙をお借りし、今日まで読ませていただきました。読ませていただいて本当によかったと思いました。全紙 目を通したわけではありませんが、これらの広報から私は宝物をたくさん見つけ、頂きました。
 今の中学校の様子を知り、子育てにがんばっている仲間に励まされ、活動に気合が入っているPTAにもたくさん出会えました。これからの私たちの活動に大きな力を得たような気がします。これも役得の一つかなと思い、喜んでいます。本当に長い間お借りしてありがとうございました。       Junko       





2003年5月1日更新

PTA広報づくりを終えて

 私の一年間の子どもたちをご覧ください

 桜の便りが待ち遠しい季節になってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。昨年は二回にわたり研修会で貴重なご指導をいただき、ほんとうにありがとうございました。一年間、何かにつけて先生のお言葉を心のよりどころにさせていただきました。
 一回目の研修会で、自分の広報に対する考えがまちがっていなかったことを確信することができ、信念をもって活動することができました。おかげさまで、広報の仕事もあとわずか。今はただすがすがしい気持ちです。
 私は望んで広報委員を受けました。どうしても広報づくりがしてみたかったのです。昨年の四月は、その『未知の扉』に手をかけた喜びが不安に勝っていました。ところが扉を開けた瞬間、現実に打ちのめされる日々が待っていました。仕事の内容ではなく、自分の知識の無さ、イニシアチブの無さ、そして意識の違いから生じる人間関係のこじれなど。一時は“リコール”されるのではないか、などと妄想にとりつかれたりしたのでした。そんな中、先生方からのねぎらいの言葉、また常に理想を高く掲げていらっしゃる校長先生が私の話をよく聞いてくださったこと、そして武先生の存在などが私の支えとなっていました。目標(意識)をかかげ、それを追い続けることの難しさを実感しました。無償だからこそできると思っても、それを他人に強要することはできないことも学びました。私にとってこの一年は、忘れられない一年になったことだけは確かです。私の一年間の“大事な子どもたち”をどうぞご覧ください。
 今年度の広報をお送りするついでに、書かせていただきました。    CHIAKI




 「楽しかった広報!」と答えられる嬉しさ

 三月十八日、ついに今年度最後のPTAだよりが発行されて、二年間携わってきた私の広報活動は幕を閉じました。二年前、武先生の『よりよい広報紙を作るために』を受講したときから、先生がおっしゃった「三つの声が響きあう広報紙」に共感し、私たちの広報紙『いわつばめ』が学校・地域・家庭の架け橋になることを願いながら活動に励んできました。そして今日を迎えることができた今、感謝したいことが三つあります。
 まずは、仲間に恵まれたことです。みんなで一つのものを作り上げる喜びは、久しく忘れていた感情で、学生時代に戻ったようでした。おかげで『いわつばめ』を愛しく思えるようになりました。二つ目は『いわつばめ』のために親身になって、時には勉強会まで開いてくださった教頭先生をはじめ、取材時にはいつも快く対応してくださった先生方、本部役員の方々、そして地域の皆さんが支えてくださったことです。おかげて私たちはていねいな記事づくりをすることができました。
 そして三つ目、それは発行を楽しみにしてくださった会員の皆様があったことです。励ましの言葉やお褒めの言葉は、私たちに何よりのパワーになりました。この三つのことに恵まれた私は、この二年間を振り返り「私にとってのPTA広報って?」と自問したとき、「楽しかった!」と即答できます。そう答えられる自分が嬉しいです。   SAYURI





2003年4月1日更新


 PTA広報づくりへのヒント 新しい年度の始まり、PTA広報づくりもスタート。そこでPTA広報の企画のヒントを差し上げます。これは「毎日中学生新聞」に掲載されたものです。

全国コンクールの入賞は惜しくも逸したけど 

  私たちはこんな紙面をつくりました

 毎日新聞と全国新聞教育協議会が主催する第52回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの表彰式が、3月8日に東京の毎日ホールで行われました。今回のコンクールに応募したPTA新聞は1323でした。この中から最優秀賞に輝いた『豊小PTA』(愛知・豊根村立豊根小学校PTA)など41紙が入賞しました。結果的には30倍強という激戦でした。惜しくも入賞ラインに達しなかったのですが、魅力あるPTA広報がたくさんありました。それらの中の幾つかをここで紹介します。

『みどりの風』(沖縄・那覇市立識名小学校PTA)  B4判で月刊、校長先生のコラム「心をはぐくむ」、先生方のリレーエッセイ「ちゃんぷるートーク」、「こども五七五」が連載になっていて、地域の人たちにも好評のようです。PTAの新聞ですから、会員の声をもっと拾いましょう。

『みつさだ』(福岡・北九州市立光貞小学校PTA) 第56号に「運動会狂騒曲−場所とり合戦−たいへんです」という記事がありました。午前2時から並んでいるとのこと。かわいいわが子のために涙ぐましい努力、あるいは風物詩なのかもしれませんが、この記事をきっかけに改善策が考えられたらいいと思います。こんな問題提起をするのもP広報の役目です。

『東中PTA広報』(神奈川・秦野市立東中PTA) B4判2ページを年間4回発行。絶対評価とそれに関係する高校受験についての特集などかなり硬派な紙面づくりをしています。今年は次年度の委員のために『広報の手引き』も作成したようです。この10年間に7回入賞している実力あるPTA広報です。

『ほたる』(神奈川・横須賀市立坂本中学校PTA) 中学生の親にとって性教育は難しいのですが、実際に教室で行われている授業(『命のHR』とこの学校では呼んでいる)のようすをコンパクトに知らせています。他の号では、薬物乱用、国際交流、土曜日の過ごし方など、親として考えたいテーマが意欲的に取り上げられています。

『さくらそう』(東京・杉並区立荻窪小学校PTA) 11月26日に開かれた「子育て心育てトーク」の内容を図など使ってていねいに報じているのが本年度第9号です。「過去のニュースにならないように、なるべく早く」を意識している広報委員会です。

『いずみ』(東京・練馬区立大泉第二小学校PTA) 164号で「どうして勉強しなくちゃいけないの」と児童に聞いています。小学校のP広報が勉強を取り上げたのは意義があります。「五日制、ゆとり、総合学習、生きる力」など、PTAも本気で考えなくてはいけないからです。表紙の閉まっている校門の写真はいただけません。

『ねこやなぎ』(宮城県・仙台市立柳生中学校PTA) 「2002年春 学校が変わる」「言葉の魔術 中学生のこころ」「学校は変わったみたい」−これが16、17号で組まれた特集の見出しです。17号の表紙は「PTA広報のできるまで」のイラストです。「楽しかった広報委員会」を目指した一年間、その思いは達成できたようでした。

『賜光』(山形・鶴岡市立朝賜第四小学校PTA) 広報の年間のテーマを「児童の自立・共生・創造」と決めました。178号では「HOUSEからHOMEへ」というアンケート調査を載せているように、どの号でも三つのキイワードの特集を組んでいます。生き生きとした写真がたくさん使われていて、読みやすい紙面ができています。

『うぐいす』(秋田・峰浜村立峰浜中学校PTA) 新聞編集のソフトを使ってパソコンでつくっています。37号の「五日制」のアンケート調査はしっかりまとめてあります。見出しがとても上手です。発行回数を増やすことが課題です。

 PTA広報とはいえませんが、世田谷区立瀬田小の『おやじ通信』はバイタリティあふれる内容でした。それは会の活動の充実ぶりも表していました。
 表彰式の後の懇親パーティーで、審査員の一人である大内文一(新聞教育研究所長)さんは「楽しんで作らなければ読んでもらえない」と話されました。ここに紹介した広報はどれも大内先生の言葉が当てはまるものでした。(全国新聞教育研究協議会・武勝美)


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エコーー教育広報相談室の活動  2002年4月1日から2003年3月31日まで

 
教育広報相談   学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。

@新聞づくりの相談  学校・学級新聞  34件   PTA広報 59件   その他の広報・新聞  12件

A教育相談 「一人で抱え込まないで、一人で悩まないで」   進路変更 不登校 教師不適応 学級経営など 7件

Bその他の活動  新聞・広報づくり講座講師 23回   子育てなどの講演 4回

C当相談室来訪者   133個人・組 (255人)


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2003年3月1日更新
神奈川新聞 社説(2月13日)

地域の教育力よみがえれ 増える短絡思考少年

 小正月、秦野市内では昔から道祖神祭りや団子焼きなど、地域の子供が中心になって行われる伝統行事が盛んだ。ところが最近、祭りの内容が様変わりしているという。主人公であるはずの子供が脇役に押しやられ、大人がほとんどを取り仕切るようになった。火が燃え上がり祭りが最高潮になっても、子供たちは招かれた客のようにしていて目立たず、おとなしい。甘酒や菓子を振る舞われても、ありがとうの言葉も言わずに引き揚げて行く。
 「遊ぶ相手はクラスの仲間だけで、年齢の違う近所の子供たちが集団で遊ぶことがなくなった。これでは考え方や発想が似通い、どの子も同じような顛つきと個性の持ち主になってしまう」。同市内で教育個人紙を発行し青少年問題に取り組んでいる元中学校長・武勝美さんは指摘する。
 子供は遊びの中から自然に善悪の判断を身につけ、生きる意味を学び取っていく。間違った方向に行きかけたら、地域の大人たちが適切なアドバイスをして軌道修正してやる。
 武さんは、地域社会にもともとあった教育システムが崩れてしまっていると言う。家庭をはじめ学校、地域がそれぞれに持つ本来の教育力が衰えたり変質してしまった結果、子供たちは多面的な生き方を教わることなく育ち、自分たちの世界に閉じこもりがちな視野の狭い人間になってしまう。
 グループ本能は残るから、自分と同じ考えを持つ仲間だけと深く付き合い、意見の違うグループとは口をきかず存在さえも認めようとしない。最近、短絡思考で衝動的な行動を取る青少年が増えているのはそのためだという。
 秦野市内で起きた東海大生殺害事件がおよそ三カ月ぶりに解決したが、犯行にかかわったのは地元の公立中学校を卒業した二人の少年だった。
 動機は、交差点で後ろから車のクラクションを鳴らされたこと。学生の車を執拗(しつよう)に追い回した未、車を降り謝罪する学生に向かって鉄パイプを容赦なく振り下ろした。
 事件から十五日後、少年の一人は、大学近くの路上で再び東海大生を相手にした傷害と強盗傷害事件を連続して引き起こした。このうち一件は学生を後ろから突き倒し、髪をつかんで瀕を路上に何度もたたきつける残忍な手口だ。
 学生を狙った三件の事件の関連性は解明されていないが、動機はいずれも単純でささい。手口は凶暴で有無を言わせない。同じ世代の学生に対する憎悪のような屈折した反感意識さえ感じられる。
 少年たちだけの特殊なケースとして看過せず、身近に起こりうる問題としてとらえ、周囲の大人は地域社会の教育システム再構築に取り組まなはればならない。



最後までみんな受験生

 今日は公立高校の受検日でした。クラスの三分の二は既に進路先をきめている中で、今日を迎えました。今日まで、だれ一人として気を抜かず授業を受けてきました。「最後までみんな受験生」という言葉は保護者にも伝わり、「みんな最後までがんばれるといいですね」と応援してくれました。クラスの受験生が乗る電車にあわせて、駅に既に進路が決まっている子が何人も集まってきました。その中の一人は40分も走って来ました。汗びっしょりで「間に合ってよかった!」と言った言葉に、この日の受験生は大いに励まされたのでした。卒業まで後15日、一日一日を大切にしていこうという気持ちは生徒たちと同じです。    yumin



大好き!この学校が

 こんにちは。まだまだ寒いですが、節分、立春も過ぎたのですからもう春ですね。久ぶりの「エコー」ありがとうございます。先生のおかげで東小学校の後輩たちも新聞づくりを学ぶ機会がもててよかったと思いました。しっかりと基礎を身につけて東中学校に行き、東中の新聞活動をさらに発展させてくれるでしょう。 1月中旬から県選手権が始まり、勝ってます! 11日の4回戦に勝てば春の関東大会予選のシードがもらえます。今チームは盛り上がっているのでこの勢いでがんばりま〜す!! 今日は秦高第57回の校内マラソン大会でした。途中ダメかと思っていましたが、力を出し切って9位になりました。仲間と励ましあって走りました。「みんなががんばるから私もがんばれる」と思いました。57回という歴史がすごいですね。校舎は古びてボロいけど、みんな何事にも一生懸命になって盛り上がるこの学校が大好きです。    mayu

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2003年2月6日更新



秦野の中学生の投書を朝日新聞夕刊「jeans」のページ(2002年12月27日)で読みました。こんな学校が秦野にあることをうれしく思いました。
 

 「外見だけ見てる先生でいいの?」の匿名さんへ

 確かにそんな先生は私の周りにもいます。でも、すべての先生がそうではありません。私の担任の先生は、友だちがふざけて「おまえ身障じゃん」と言った時、泣きながらしかってくれました。以来、私の学年で「身障」や「死ね」と言った言葉は消えつつあります。私は今、学校が好きでたまりません。それに卒業三カ月前になって気づいたことに後悔しています。
 あなたの学校にも、あなたたちのために泣いてくれる先生がいるはず。早くそんな先生に出会ってください。最近の学校はなかなかいいもんですよ。     「侍の生徒」中3男子 (秦野市)



高橋元治さんからのいただいた投書(アメリカに住む娘さんとのメール交換)です

 お父さんの心の癒しの場はどこ

 お父さん元気ですか。たぶんいろいろと忙しいんだろうと思うけど、ほんと一年なんて経つのは早い。こっちに来てうまくいくときとそうでないときがあって、楽しいときがずっと続けば楽なんだけど、そうはいかないのが人生。アメリカの人を見てると、悩みやストレスなどあまり他人に言わないように思えます。そのぶん、お医者さんに行く人がけっこう多いようです。お医者さんは悩み相談の相手になっています。その点、日本人は割と他人の相談や悩みを聞いててくれたりするな、とこちらに来て感じています。
お父さんも患者さんの体を治すだけでなく、悩みやストレスなどを聞かされて大変だろうなと思っています。
 お父さんのように、いつも他人の大切な部分にかかわっている人たちの精神の癒しの場はどこなのですか。子どものころから思っていました、いつも、ずーっと働いているのに「疲れた」という言葉を聞いたことがない。お父さんてすごいなーと思っていました。でもお父さん、人生って一回しかないんだから、少しリラックスしたら。アメリカの人は歳をとっても人生を楽しんでいる人がいっぱいいます。日本人のすごいことは分かりますが、この辺はアメリカの人を真似た方がいい。私がこっちにいる間、遊びに来たりして欲しいです。           美乃


 心を鍛える旅を続けています

 メールありがとう。私が癒されるところはどこでしょう。ゴルフ場のコース? テニスで汗を流している瞬間?
 私は悩み事から逃げないことにしています。ほとんど他の人に尋ねたりしません。自分自身で答えを見つけます。探す努力をします。これまで生きてきた中から、本の中から、あるいは自らの思考の末に、新しい考え方を導き出すように努力しています。悩み事から逃げていては、いかなることをしても心は癒されません。勇気をもって立ち向かう、その努力の過程が知らぬ間に癒しの作用となっていると思っています。
 帰宅して疲れたとか、職場の愚痴をこぼさないのは、子どもたちやお母さんを、寂しい暗い気持ちにさせてはいけないと思っているからです。家ではきちんと父親の役割を果たさなくてはいけません。職場では医師としての仕事をきっちりとしています。病院で家庭のことを考えたりしたらどうなるでしょう。手術をした患者さんが快方に向かっていないとき、私は眠っている間だけが平穏で、覚めるのが怖いと思うこともあります。でも、立場や役目に忠実に生きたいと思います。
 美乃のところに行きたいのですが、いましばらくは無理です。今、私は旅をしています。山や川、史跡などを見るのてはなく、人の心がみられる旅です。悲しい心の人に出会ったら どうしたのと尋ねてあげる、寂しそうな人に出会ったら 励ましてあげる、苦しそうな人に出会ったら 助けてあげる、優しい心の人に出会えたら 私もそのような人になりたい、そんな心を鍛える旅をしているつもりです。
 美乃  風邪をひかないでください。        父      


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2003年1月1日更新


 
新聞をつくる少年たちへ

  東小学校六年生の皆さんへ


 皆さんの二号目の新聞を読ませていただきました。(一組は三回目のようですね。)ありがとうございました。こんなにしっかりとした新聞づくりをしている小学生は日本でもそれほどいないと思います。とても驚き、感心しています。今回も、どの新聞もよくできていました。楽しかった、勉強もした修学旅行のようすが私にも伝わってきました。記事、レイアウトとも進歩しました。特に見出しをつけるのがじょうずになりました。
 さて「今回の新聞づくりは、遠足のときより苦労した」という人がいたようです。なぜでしょうか。それは「取材すること、見学場所がたくさんあったから」です。それを1ページにまとめなければいけないという苦しさでした。こんなときはテーマをしぼって記事を書くこともよいと思います。特集にするのです。例えば山下広幸さんの「三猿新聞」のように。「今回の方が楽だった」という感想をもてた人の新聞は楽しく読めます。新聞をつくる人が楽しくなければ、読む人は当然楽しく読めません。イラストを描いたり、自分たちの写真を載せたりしている新聞は、私も楽しく読むことができました。次回の新聞づくりの参考になる新聞を挙げてみます。もう一度読んでみてください。

1組 稲川友紀子さん 井上美紀さん WAKUさん 堀木祐里さん   2組 本間友佳子さん 黒田梨奈さん 関口佳奈恵さん 上原かや乃さん   3組 高田沙季さん 小泉大輔さん 森山由衣さん  山下広幸さん 根倉芽衣さん

 「新聞づくりは仲間づくりです」と皆さんに話しました。皆さんが、遠足と修学旅行のまとめとしてつくった新聞は『一人新聞で学習新聞』です。新聞を一人でつくるのは楽しいけれど、大変なこともたしかです。本来、新聞は仲間と一緒につくるものです。そのわけは、新聞はたくさんの声を集めてつくられるものだからです。いろいろ取材するからら記事が書けるのです。こうして、みんなの声が反映されている新聞はよく読まれます。まもなく中学生、この一年で得た新聞づくりのノウハウを、中学校での新聞づくりにいかしてください。
 下は、詩人のサトーハチローさんが新聞をつくる子どもたちを励ますために書いた詩です。少し古いですが声にしてみてください。 皆さんと一緒に新聞づくりができたことが、今年の私の最大のうれしいできごとでした。よい年をお迎えください。

    
   新聞をつくる少年たちへ
                           サトー ハチロー

   君たちは 君たちの新聞をつくりたまえ
   中学生らしい ピチピチした新聞をつくりたまえ

   形やていさいも 君たちであみだしたまえ
   誰がみても 君たちの新聞だというものにしたまえ

   おとなの新聞をまねたり 気どったり とりすましたり
   かみついたり 肩をいからせたり そういうことはやめたまえ

   新鮮なクダモノ 若葉のかがやき それがあふれている新聞
   ボクのねがいはこれだ

   君たちは 新聞をつくるようになって
   たしかに字はうんとおぼえた 文章をかけるようになった

   人ともらくに話せるし 人からものを聞きだすことも どんどん上達した

   君たちは それを大事にしなければいけない
   君たちは それをフルに活用しなければいけない

   正しい報道! 君たちの仕事は
   すばらしい仕事なんだ ほこりをもってその仕事に取り組みたまえ

   つくりあげた新聞 新聞から立ちのぼるインクの匂い
   君たちはその中に よろこびの顔をうずめたまえ

   その新聞が君たちの新聞だったらバンザイだ
   君たちはそこで 声をはりあげて合唱と行きたまえ
                                      (1967年作)



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2002年12月1日更新


月に一度の連絡電話

 先日はありがとうございました。子育ての難しさ、子ばなれの大切さをいっしょうけんめい考えた一年間でした。まだ糸口さえ見つからないでいますが…。でも、先生をはじめ何人かの方たちの励ましには本当に感謝しています。今は何事も受け入れられるように努力しています。
 息子のことですが、朝から学校に行き始めて5日目になりました。自分で納得できる努力をして欲しいと思っています。ただ、本人も承知していることなのですが、欠席日数が三分の一を超した場合は、原則的には進級できないのだそうです。11月11日に担任の先生から電話をいただきました。担任の先生は月に一度連絡の電話を下さいます。その電話で「8日現在の欠席日数が67日です」ということでしたので、全日数をうかがいましたところ「本年度は五日制になったのでまだ数えていないが、昨年度でいくと222日です」とのこと。とても悲しい気持ちになりました。高校の先生ってこんななのでしょうか。 自分のことを棚に上げて言えることではありませんが、もう少し余裕のあるうちに教えていただけなかったのでしょうか。たしかに「このままでは進級できませんよ」と何度か言われましたが、せめて、10月にお電話いただいたときに教えていただけたのなら…。親の身勝手なのでしょうか。
 今は、あの子がどこまで頑張り、そして納得し、どんな道を歩きだすのか見守りたいと思います。先生、よろしくお願いします。また相談にのってください。お願いいたします。感情が先走りして文になりません。ごめんなさい。         kashiwa



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2002年11月22日更新

第35回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2002.11.19実施)

                                 主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社



☆ 最優秀賞
  北中学校3年2組

☆ 優秀賞
  東中学校2年4組   南中学校2年4組   南中学校3年2組  渋沢中学校3年2組   南が丘中学校1年3組
  鶴巻中学校2年4組   鶴巻中学校2年3組  

☆ 優良賞
  東中学校3年3組   西中学校3年7組   西中学校3年6組   本町中学校2年3組   大根中学校1年5組
  大根中学校2年3組   渋沢中学校3年3組   南が丘中学校2年4組   鶴巻中学校1年3組 

                                        (参加 : 市内9中学校 130学級・184新聞)



タウン紙に載った一枚の写真

 山へドライブにいったとき、撮った写真がタウンニュースに載りました。ちょうどゆきちゃんの八歳の誕生日が間近の日でした。お父さんは、その新聞を見て「やったぞー」と喜んでいました。上のお兄ちゃんは「こんなの載せて恥ずかしくないの」と怒っていました。雄兄ちゃんは「次はぜったいぼくも載りたい」言いました。また雄兄ちゃんの友達は「お前の母さん、親ばかじゃないの」と言っていたそうです。ヤマツタのおばあちゃんは「お誕生日の記念になったね」と喜んでくれました。意外なところでは、幼稚園の久保寺先生に「幸江ちゃん 載っていたね。顔つきがずいぶん変わって成長したね」と声をかけられ、驚きました。当の幸江ちゃんは「赤ちゃんがたくさん載っているのにおかしいよ。なんで二年生なのに載っているんだよ!」とプライバシーを主張したのです。小さいけれど自我が育っている、と感じました。タウン紙に載った一枚の小さな写真でも、いろいろな反応があることを知りました。(今年六月に開いた『親子で新聞を作ろう』の講座に参加した加山家の家族新聞・創刊号の記事です。)    加山 かずえ



2002年11月20日更新



第52回神奈川県中学校学校新聞コンクール     

                   主催 神奈川県学校新聞コンクールの会・神奈川新聞社 (2002年11月11日実施)


【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞   秦野市立大根中学校

優秀賞    秦野市立東中学校

優良賞    相模原市立大野北中学校

佳 作    相模原市立谷口中学校   秦野市立北中学校

努力賞   相模原市立相原中学校    秦野市立鶴巻中学校



【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞   川崎市立西高津中学校3−5

優秀賞    川崎市立南加瀬中学校3−4

優良賞    川崎市立臨港中学校 3−1

佳  作    川崎市立京町中学校3−C    川崎市立平間中学校3−2   川崎市立大師中学校3−C

努力賞    横浜市立みたけ台中学校2−1   横須賀市立神明中学校1−1   相模原市立大野北中学校3-4    
      川崎市立生田中学校3−5      川崎市立御幸中学校3−4


奨励賞   秦野市立鶴巻中学校2−3    伊勢原市立山王中学校2−1

                            (応募点数  中学・学校新聞15 中学・ 学級新聞58)




2002年10月26日更新

PTA広報相談室


アンケート回収率52%をどう読むか

 先日はありがとうございました。今回はアンケートの回収率について質問させてください。生徒91%、保護者80%は高回収率だと思うのですが、もっと回収されているだろうと思っていた先生の回収率が23人中12人、52%と今日わかったのです。担当の先生にお願いしてもうワンプッシュしてもらいますが、同僚としてあまり強くはお願いできないと思います。あまり低い回収率を掲載してもいいのでしょうか? 低回収率の数字を出すことで、先生方の関心の低さのようなものを読者に与えてしまわないか心配です。はたして52%が低回収率なのかどうか、私としては80%ぐらいいくと思っていたのです。油断?していました。感覚としてずれているのかもよくわからないのです。先生方の協力度はこんなものなのでしょうか?

お尋ねの件
1 アンケート調査をしたことは周知されているわけですから、その方向性を曲げることはできないのではないかと思います。
2 アンケートへ関心の低さもまた、回答の一つだと思います。一般的なアンケート調査では52%は低いほうではないと思います。ただ、学校の職員室となるとどうでしょうか。
3 忘れている先生もあるかもしれませんので、再度の「協力のお願い」をし、そのあとは事実を掲載されるとよいでしょう。
4 アンケートの結果について先生にコメントを求めることで、先生方の本当の声を聞き出すという手段もあります。
5 協力された先生へのお礼を兼ねて、しっかり(先生方の回収率が低ければそれも意識して)分析をしてください。ただし、答えが書けない先生もいらっしゃることも心に留めてくだい。
6 でも、最終的には委員長さんの判断に依ると思います。
 



 プロジェクトX
  エコー200号おめでとうございます。でも来年二月までお休みだそうで寂しい限りです、広報委員になったとき、私の脳みそはPTAや教育については空白状態。ですからエコーと先生の手紙にとても力づけられました。印刷所とのトラブルのときは特にそうでした。本当にありがとうございました。といっても、今年度あと3回発行の予定です。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
 現在44号を作成中です。ある委員のお店においてあった原稿と運動会の写真がドロボウにもっていかれ、目の前真っ白になりましたが、幸いにも原稿がフロッピーに入っていたこともあって、なんとかいいものができそうです。印刷屋さんに頼まないでつくる広報は、成功しても、失敗しても、全て自分たちの責任なので、自分の中の「プロジェクトX」です。これは広報委員以外では味わえないものですね。     kazu



 
タウン紙に載った一枚の写真
 
山へドライブにいったとき撮った写真がタウンニュースに載りました。ちょうどゆきちゃんの八歳の誕生日が間近の日でした。お父さんは、その新聞を見て「やったぞー」と喜んでいました。上のお兄ちゃんは「こんなの載せて恥ずかしくないの」と怒っていました。雄兄ちゃんは「次はぜったいぼくも載りたい」言いました。また雄兄ちゃんの友達は「お前の母さん、親ばかじゃないの」と言っていたそうです。ヤマツタのおばあちゃんは「お誕生日の記念になったね」と喜んでくれました。意外なところでは、幼稚園の久保寺先生に「幸江ちゃん 載っていたね。顔つきがずいぶん変わって成長したね」と声をかけられ、驚きました。当の幸江ちゃんは「赤ちゃんがたくさん載っているのにおかしいよ。なんで二年生なのに載っているんだよ!」とプライバシーを主張したのです。小さいけれど自我が育っている、と感じました。タウン紙に載った一枚の小さな写真でも、いろいろな反応があることを知りました。       kazu   



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2002年10月1日更新


 あなたの家庭で行う年中行事

 ことしの7月に発行された、ある幼稚園のPTA広報に興味深いアンケート調査が載っていました。幼稚園児のいる家庭が七夕などの年中行事を行っているか、という調査です。この幼稚園は神奈川県の田園地帯にある人口17,000人のA町の公営の幼稚園です。アンケートに答えた会員は102名でした。

『あなたの家庭ではどんな年中行事を行いますか』

 1位  節分      75 家庭          2位  クリスマス    62
 3位  七夕      54             4位  ひな祭り     36
 5位  五月の節句   30             6位  お正月      23
 7位  お月見     11             8位  どんど焼き     9
 9位  お盆       6             10位  お彼岸        5
 11位  冬至        4               11位    お花見         4

 1位の「節分」と3位の「七夕」は、幼稚園の行事として行われているから、そのまま家庭に持ち込まれているのでしょう。「クリスマス」は国民的イベントとして年中行事になっています。6割は予想外に少ないと思われます。お正月が25パーセントほどの家庭でしか行われないのは、若い家庭だからでしょうか。元日の朝をお雑煮で祝うなどということもあまり行われないようです。初参りをすませファーストフードのお店で朝ご飯、というようです。「お盆」と「お彼岸」は先祖やふるさとを思い出す行事ともいえます。盆棚など飾るのはともかく、墓参りや帰郷はこの数字―1割に満たない―ではないと思います。
 ここに挙げられたような年中行事は、それぞれ行われる意味や理由もあるわけです。例えば、ひな祭りと桃の花との関係やダンゴヤキの起原などには、ある種の文化ともいうべきものがあります。こうしたことを子どもたちに伝えていくことは大切なことだと思うのですが。
 10月18日は『十三夜』です。わが家では『十五夜』をしましたので、片祭りにならないように『十三夜』に13個の…お饅頭を飾ります。


 年中行事の思い出

 消えた十五夜の饅頭

 「今日はお月見をしますので、お饅頭をつくりました」 私が勤務していた中学校と地続きの幼稚園から、15個のかわいらしいお饅頭をもらったことがあった。
 母がつくる十五夜の饅頭は、私たち家族にとって一年中で最も期待されている食べ物だった。自家製の小豆とわずかばかりの砂糖で練り上げたアン。そのアンを包む皮は、重曹をつかって膨らませるのだが、母にはそれがうまくできなかったようだ。ふかしあがった饅頭は、アンが皮からはじきこぼれてしまうような、豪快な形の物になっていた。だが、私たちにとってはアンがこぼれてしまうほどの饅頭がうれしかった。
 すすきと一緒に供えられた十五の饅頭は一個だけ失敬しても、すぐにわかってしまうような端正な盛り方で白磁の皿の上にあった。それで私は、皮からはみ出ているアンを家族に気づかれないようにそっと口に運ぶのだった。だがその夜の十五個の饅頭は、私たち家族の目をかすめ一瞬のうちに縁側から消えた。「十五夜の饅頭は、子どもは盗っていい」という言い伝えが子どもたちの間にあった。釣り竿と釣り針で吊り上げるとか―そんなにうまくいくはずはない!―細い竹竿の先で突き刺して盗るなどが行われていたようだ。(私にはこの経験はない)
 消えてしまった饅頭を探しに出た母は、門口に置かれていた皿を抱え、まるで亡霊のように土間にすーっと入ってきた。そして「子どもが盗ったんじゃない」と一言だけ言った。
 食生活はまずしく、甘いものの不足した時代だった。庭続きの畠からかぼちゃが盗られ、懸け干しの水稲までが持ち去られた。十五夜の饅頭もまた…そんな時代だった。今『十五夜』をするたびにあの頃の生活を思い出す。



PTA広報相談室



“週休2日”“総合学習”“絶対評価”
  
アンケートのテーマに悩んでいます

  初めは手探り状態だったので、どういうアンケートになるのか不安でした。『週休2日』が最初のテーマだったのですが、考えていくうちに“もう時代遅れ”という意見もありました。どこの広報でも同じようなアンケートをすでにとっているし同じような回答しか得られない、と。そこで、興味のある『絶対評価』についてもアンケートをとることになったのです。
 委員長の私としては『週休2日』については、確かにありきたりのアンケートは出ているけれど、それに対しての問題提起、解決策は出ていなかったので「どうしたらいいかを出したいなぁ」と思ってました。例えば、過ごし方のわからない人には、こんな過ごし方(@フリーマーケットに行く。A無料でインターネットのできる秦野IT館に行くなど)もあるとか、B学校では月に1回自由参加のふれあい講座があるので積極的に出て体験してみよう。部活があって出られないなら、その日だけはノー部活ディにしてみたらどうか。C地域の公民館や青少年会館の行事も、高学年になると出なくなるので、中学生向けのイベントを働きかけるとか、それらを校内に掲示するとか。D家族とのふれあいがどうしたらとれるか。どこかに出かける他に、もっと基本的なこと、一緒に食事をする、その時は勉強したかどうか聞かない日にするとか。
 先に、こういう結論を予測できるのも既存のアンケートのおかげだと思っています。もちろん予測以外の問題提起、解決も話し合うつもりですが。まずは、それを誘導するようなアンケートを考えていきたいと思っていました。たとえば、おすすめの過ごし方を聞くとか。その質問の仕方がなかなか思うように出てこなかったので、先生に相談したりアンケート以外の担当の午前班に相談を持ち込んだのです。
 ところが、昨日、午前班の議論が爆裂(?)し「休日にどう過ごすかは個人の自由。それよりゆとり教育をテーマにして、何をやっているかわからない総合学習にスポットをあてたらどうか」に話の花が咲いてしまいました。「週2時間に増えて有意義に過ごしているのか。その時間にボランティア活動をして、何をしていいかわからない休みの日のきっかけ作りにならないか」となったのです。午前班の何人かが残ってくれて午後班と合流して話し合いをしたのですが、何せおとなしい(笑)午後班なので、あっけにとられ冷静な判断できない状態だったかと思います。明日、午後班だけで編集会議する予定ですが、どちらのテーマに重きをおくか迷っています。確かに、総合学習の不透明性は知りたいことなのですが、問題提起はできても解決に至ることができるかどうか。単なる学校批判になってしまはないか。
 「両方のアンケートをとって結論で勝負しないか」には「労力が無駄。先にテーマをはっきりさせた方が良い」との意見もありました。昨日は先生も助言して下さいました。「読んで得する方が良いので、休みの過ごし方のほうが良いかなぁ」と思い始めています。最終的には、アンケート担当の午後班の選択にまかせるつもりですが、自分自身も押しとおせるほど自信なく「『週休2日』のアンケートは時代遅れなのか」というあせりもあるのが本音です。テーマ選択についてアドバイスがあればお聞きしたいのです。    KARINA

              

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2002年9月1日更新


〈限界への挑戦〉 きょうも義足で走る山田選手

 8月15日、『ECHO』の読者から次のファックスが届きました。

 8月17日のテレビ番組『24時間テレビ』の「奇跡のアスリート・限界への挑戦」というコーナーに息子が出ることになりました。100メートルの世界記録保持者と日本記録保持者に挑戦をするということです。無謀なことと当惑していますが、一方では二度とないであろうチャンスに、自分を試してみたいと思う息子の気持ちも理解できないわけではなく複雑な気持ちです。実力の差を思い知ることになるのでしょうが、この体験をきっと将来につなげてくれることと思っています。お時間がありましたらご覧ください。 山田 雅子

 戦慄にも似た感動をおぼえたその走り

 8月17日の夜、国立競技場の義足100メートルのスタートラインに4人の選手が立っていた。この競技に参加するのは、義足100メートル走・世界記録保持者マーロン・シャーリー選手(24歳)、日本記録保持者金子順治選手(36)、学生記録の保持者鈴木徹選手、そして桐蔭高校陸上部の山田和雅選手(15)の4選手。シャーリー選手の記録は11.08秒、金子選手12.81、鈴木選手12.92、そして山田選手のベストタイムも12.92秒である。
 スタートライン上の4選手をテレビカメラがとらえた。上半身にまだ十分な筋力がついていない山田選手が印象的だった。4選手の走りに、戦慄にも似た感動が私の背中を走った。レースはシャーリー選手の圧勝だったが、高校生の山田選手も健闘した。この山田和雅選手は『ECHO』177号で紹介したY君である(下参照)。
 中学時代は体操部で鍛え、横浜市の大会で入賞している彼。 この四月高校生になってから陸上競技に挑戦を始めた。「今、Y君はひそかにアテネを目指している」と私は三年前に書いた。十七日、テレビカメラに向かって山田君は「アテネを目指す」と言った。


 ECHO 177号 (2000年11月発行)
  
 Y君は小学校一年のとき、校門を出たところで右足膝下を切断するという交通事故に遭ってしまった。長い苦しいリハビリの末、義足をつけての生活が始まった。 そんな生活に入ってももともと身体を動かすことが大好きなY君だから運動会でクラス対抗リレーを走った。少年野球のチームに加わって試合でも活躍した。いちばん難しいといわれる水泳も、スイミングスクールで挑戦した。はらはらする家族の心配をよそに、Y君はもっとも少年らしい毎日を送っている。自分の置かれている状況について、たった一度だけ「もう一度、お母さんからもらった足で走りたい」と言ったことがあった。
 今、彼は毎朝六時十分に家を出て、A市の私立中学校に通っている。入学と同時に大好きな野球部に入った。高校野球の名門校の中等部だから部員は百名を超えている。しばらくして「悔しいけどここでは僕の出番はない」と思い、体操部に移った。 肢体の不自由な彼にとって、機械体操というスポーツは野球よりきびしい。だが彼は朝練も欠かさず出ているし、午後練は夜まで励んでいる。彼の住まいは駅から車で20分の所。それで、夜だけは迎えの車を家族に頼む。それをとても申し訳なく思う彼。だが「体操のほうが一人ひとり指導してもらえるからいい」というようなわが子の言葉が聞ける車中は、母にはとても貴重な時間だった。なにしろ帰っても布団の上での練習を怠らない彼だから。
 昨年二月、Y君はT市で開かれた下肢を失った人達のための『ランニング・クリニック』に参加した。彼はソウルパラリンピックの金メダリスト、デニス・オエラー選手に指導を受け、一緒に走ることができた。全力疾走している彼と、併走するオエラー選手の写真がA新聞の紙面を飾った。記者から「写真を掲載をしていいですか」と聞かれたY君は、「いいですよ、あんなに立派な選手と走れて幸せだったから」と笑顔で答えた。その言葉を側で聞いていた母は思った。「息子には過去も未来も関係ない。今を力いっぱい生きているのだ」と。
 今年二月、ソルトレークシテイで冬季パラリンピックが開かれた。わが子と並んで競技をテレビ観戦していた母は、選手達の明るいまなざしがわが子のものと同じであることに気づいた。やがてやって来るだろう幾つもの試練、だがそれをこの子はきっと乗り越えてくれる、そんな思いが突然浮かんできて胸が熱くなる母だった。
 今、Y君はひそかにアテネを目差し、今日も大地を踏み、けり、汗いっぱいで生きている。 




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  PTA広報づくり講習会

第45回全国新聞教育研究大会・大阪大会 新聞講座のレジュメ (2002.7.29)


  
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2002年8月1日更新

私たちの広報活動

学校と共感し合い 時には反発し

 197号の最初の記事と同じようなことが、私の広報活動にもありました。
 昨年度最後の(年二回ですが)広報誌で、校長先生のインタビュー記事を載せました。中学の広報活動の経験を生かして、前準備から録音したテープおこし、原稿作成と、みんなで力を合わせて書き上げた原稿を広報担当の先生に提出しました。ところが、先生からは「意味が通じない、これでは載せられない、校長に原稿を依頼してやり直しなさい」の一言で却下。私たちの努力の結晶は没になりました。結局、校長の原稿に私たちがサブタイトル等つけ"雰囲気作り"のみの作業で発行になりました。
結果的には、校長の原稿になりましたが、内容は私たちが伝えたいことは書かれていましたので、それは「エコー」の方たちとは、違うところかもしれません。でも、私たち親子は、校長先生が好きで、学校を希望しました。校長の記事は立派なものでしたが、校長の思いが現場の先生に届いていないことが多々あり、やはり、広告紙の広報であったことと、現実はきれい事ではないことを、実感しました。小中と広報委員会で活動した時は、思い切り自由に手作りや回数多く発行して、本当に楽しい広報活動と仲間作りができました。その思いを持って、高校も引き受けましたが、全然勝手が違いました。私立なので、広報誌は学校の広告紙の役割が大きく、学校の意向が重要視されるものになります。学校と共感したり、時には抵抗を試みながら、私たちの思いが載っている、私たちらしい広報紙を目指して、楽しく活動しています。もちろん、仲間との交流を楽しみ、友人の輪を広げる気持ちはとても大切にしている委員会です。「所変われば品変わる」ではありませんが、学校では懇談会をとくに設定していない方針で、先生や保護者の希望でクラスに任された形で持たれていました。昨年は様子がわからなかったので、懇談会があることすら知らないで過ぎてしまいました。が、広報に携わって、懇談会が開けることを知り、今学期は担任の先生に働きかけて、開くことになりました。当たり前のように懇談会がある環境から、働きかけから始めなければならないことも、楽しんでしまいました。子どもの教育の現場で、先生と保護者のコミュニケーションは不可欠です。高校生だからもういいというものではないと思います。仲間とともに、広報活動を通して子どもの環境作り、過程教育のありかたを考えるなど、豊かな学校生活のための手伝いを微力ながら続けていきたいと思います。     神奈川 Hatsumi 

       
2002年7月1日更新


ご案内 第45回全国新聞教育研究大会・大阪大会

研究主題  生きる力を培い 未来をひらく新聞教育

日 時   平成14(2002)年 7月29日(月)30日(火)13:00より

会 場   大阪市教育センター(JR環状線・地下鉄 弁天町駅すぐ)

日 程   記念講演   「愛があるなら叱りなさい」 井村 雅代氏(日本水泳連盟・シンクロナショナルチームヘッドコーチ) 

   第1日  小学校新聞づくり実践発表  中学校新聞づくり実践発表  パソコン新聞づくり実習 PTA広報講座(15:40〜17:10) 講師 武 勝美                                 
  第2日  小学校総合学習とNIE  中学校総合学習とNIE PTA広報づくり実践発表

        

親子で楽しく家族新聞づくり

6月22・29日、東公民館でおこなった“親子で楽しく新聞づくり”『家族新聞をつくろう』の講座には21名の親子が参加してくれました。最年長は婦人会の広報委員長さん、もっとも若い受講生は小学1年生。お父さんの参加は予想外のことで嬉しかったです。                    

 当日使った資料を紹介します。あなたのご家庭でも家族新聞を作ってみてください。たのしいですよ。



1 レジュメ

家族新聞をつくる意味とつくり方を説明します。

家族新聞は世界でたった一枚の新聞です  家族の結びつきを強めます  家族の歴史を書き残します  配った人に喜ばれます


家族新聞に何を書くのか

1 書き残しておきたいことを載せる

2 みんなが知りたいことを載せる (得た情報を伝える)

3 みんなに知らせたいことを書く (自分の考えたことを伝える)

・ 家の行事のこと ・家の出来事 ・近所や地域のこと ・家族ひとり一人のこと(ペットのことも) ・詩や俳句などの作品 ・世の中のこと



新聞を作る準備

1 題字・新聞の名前を決める(創刊号で題字の説明をする)

2 新聞を書く人を決める ・子どもが書く ・親子で書く ・親が書く

3 発行回数を決める(月刊とかか行事刊とか)

4 発行部数も決める(だれに読んでもらうか)



新聞を作るのに必要なもの

1 レイアウト用紙

2 原稿用紙 

3 筆記用具 蛍光ペンや色鉛筆 のりやはさみ

4 辞典・辞書(カットなど集めると良い)



新聞づくりの進め方

1 企画・編集会議を開く(企画用紙を使う)

2 ラフ・レイアウトをする 

3 取材をする  見て書く 聞いて書く 調べて書く  

4 記事を書く  5W−1H 

5 見出しをつける 

6 レイアウトの決定

7 清書をする

8 校正をする  

9 発行する

10 反省会を開く (次の号の準備をする)



家族新聞が長持ちするヒント

・ 企画会議は親子がそろって(全員が記者・編集者)

・ 子どものアイディアを大事にする

・ シリーズものをつくる(両親の 仕事・子どものころのあそび・最近読んだ本の紹介・ふるさとのこと・家族のこと等)

・ 写真をたくさん使うのも良い

・ 発行日を守る 

・ 必ず反省会を開く

・ プライバシーの問題もあるけど、家族新聞の交換ができたら良いと思います。





2 企画会議用紙

家族新聞をつくるときには企画会議をひらきます。その会議で決まったことをこの用紙に書きます。



家族新聞第  号 企画会議



発行日        年  月  日



編集長         (     )

ライター(清書する人)           (     )

レタリング(飾り文字を書く人)       (     )

カットを描く人               (     )



記事の内容と分担

記   事             担 当

1 (                             ) (    )

2 (                             ) (    )

3 (                             ) (    )

4 (                             ) (    )

5 (                             ) (    )

6 (                             ) (    )



記事締め切り               月   日

レタリングカット締め切り         月   日

清書締め切り               月   日

校正                   月   日

発行                   月   日

反省会                  月   日





3 企画会議のためのアンケート用紙

企画会議がスムーズに進むように、新聞に載せたいニュースや話題を一人ひとりが提出します。

新聞にのせる記事をきめるアンケート

ぜんぶ書かなくてもいいです


 名前



1 最近のわが家の楽しいニュースは

(                           )

2 学校や会社などでの「私のニュース」は

(                           )

3 最近、おどろいたり、感動したり、ハッとしたことは 

    (                           ) 

4 家の中や家族のようすを見て、変だな、オヤと思うことは

  (                           )

5 家族の中で、今がんばっている人はだれ? どんなこと?

(                           )

6 家族は知らないけど、私は知っていること

(                           )

7 最近の家族の話題は

(                           )

8 近所のニュースは

(                           )

9 テレビや新聞などで見たり聞いたりしたことで、考えたことは

(                           )

10 今の季節や、このごろ目にした動物・植物についての思うこと

(                           )

11 その他 なんでもニュース

(                           )



ご協力ありがとうございました 編集長





◇「親子で楽しい新聞づくり」のスナップ◇ 

この日発行された新聞は10紙。子どもがライターだったもの5紙、親子共同(ほんの一
部だけ親が書いたもの)で完成したもの1紙、親の手によるもの4紙でした。後日、東公民館
で公開される予定です。




東小6年生の学習新聞116紙も完成

先月この欄で紹介した東小6年生の学習新聞が完成しました。6年生全員、116名の「一人新聞」です。6月21日に見せていただきました。
立派な内容の新聞ばかりです。皆さんに見ていただきたいです。



2002年6月1日更新

6年生と新聞づくりの授業をしました



5月17日、東小学校の6年生3クラスで授業を手伝った。遠足のまとめの一人新聞づくりの指導である。5月1日に3クラス合同で、新聞づくり話を一時間聞いてもらった。そのとき遠足新聞に必ずのせることを二つ指示した。(下のレジュメ参照)

@ 遠足で勉強した内容(登呂遺跡のこと)を正しく伝える 

A 勉強したことについての感想や考えを書く

こんな準備をしてもらった上での2回目の授業で、新聞の下書きを完成させる時間になる。それぞれ担任の先生とのティームティーチングだが、3時間連続は少し不安だった。

最初は3組、クラスは40名に近い人数。先ず全員の机に行き、進み具合にあわせてアドバイス。そのあとは質問に答えることにした。二人で指導するということは目が届くということ。授業の終りのころには質問者の列ができた。

2組も新聞づくりを楽しんだようで、担任の先生が「終り」を告げたら「先生、続けようよ」と声があがり、そのまま続行。こんなことができるのが小学校のよいところ。さらにいいことに、東小はノーチャイムなのだ。

1組もしっかり授業に乗っかってきた。「登呂遺跡は棚田だった」という見出しがついた新聞が作られていた。もちろん10パーセントも紙面が埋まらなかった子もいるのも現実である。しかし「ここにこのパンフレットを貼ってみるといいよ」と助言すると、彼の紙面はたちまち8割まで完成するのだ。初めての新聞づくりなのだから全く手がつかない子だっている。そんな子には割り付けをしてやる。

取材ノートにたくさんのメモがあり、どれを取り上げるのかで迷っている子もいた。記事が多すぎ、予定のスペースに入りきらず相談にきた子。お隣と全く同じ見出しの新聞もあった。「記事は同じじゃないよね」と笑いあっていた二人。クイズを載せている新聞もあったが、それとても登呂遺跡に関するもの。

どの机にもパンフレットなどたくさんの資料が出ていた。教卓には百科事典や国語辞典も数冊用意されていた。「新聞を作るための遠足」になったかもしれないが、今こうして、再度遠足で学んだことを整理し、限られた紙面に納めようとすることで、学習した登呂遺跡は子どもたちに定着したと思った。

初めての挑戦だった学習新聞づくりが子どもたちにとって楽しいものになればと願っている。まもなく新聞は完成する。




授業のレジュメ
楽しい学習新聞づくり 2002.5



新聞に何を書くのか

1 みんなが知りたいことを載せる (得た情報を伝える)   2 みんなに知らせたいことを書く(自分の考えたことを伝える)

新聞を作る準備

    1 レイアウト用紙  2 原稿用紙   3 筆記用具

新聞づくりの進め方

1 企画・編集会議

2 題字・新聞の名前を決める 

3 ラフ・レイアウト 

4 取材をする  見て書く 聞いて書く 調べて書く 考えて書く 

5 記事を書く  5W−1H 

6 見出しをつける 

7 レイアウトの決定

8 清書をする

9 校正をする  

10 発行する 

11反省会を開く (次の号の準備をする)



2002年5月1日更新

今年のPTA総会に出席して

時間は作り出すものではありませんか

「できることをやり、無理せず、楽しいPTA」は今の時代の風潮に合って楽であり、みんなに歓迎されるようです。しかし、親、教師が楽をすることばかり考えていれば、ただ“それだけの子ども”しか育たないような気がします。親も教師も「忙しい、時間がない」ことを前面に出し、口にし、それからPTAの事業計画が作られていることがわかりました。時間は「有る 無い」ではなく「作り出す」のだと思います。みんながそのことを忘れています。いや、忘れているふりをしています。子どもを、ただやさしく見守って、良い親をしているだけで、子どもは本当に成長し幸せになれるのでしょうか。親が努力して、勉強して、教師も同じです、互いに切磋琢磨しあって、親も教師も成長してこそ、初めて『子どものためのPTA』になるのです。    SUGANUMA



ますます難しくなったPTA活動

総会に出席して感じたことですが、土曜日が休日になりPTA活動がますます難しくなりました。「学校・家庭・地域の連携 結びつきを強める」と校長先生はおっしゃるのですが、どのようにそれを具体的にされようとしているのかわかりません。忙しい学校行事、先生方の都合? 今まで土曜日にできたPTAの委員会は平日の午前中におこなわれているのです。先生方は土曜日は無理、夜間も駄目。「お父さんもPTAに参加を」と呼びかけられるのですが、これでは無理です。  MITSUHASHI



「五日制になってどうですか」とA先生に聞いたら「私は運動部を持っていないから、土日は全部休みになりました。とても楽です」とニッコリ。ヤッパリそうなんだ、先生の勤務のための五日制なんだ、と思いました。  AKANE



平成13年度 秦野市PTA広報コンクール (2002.3.13実施)

主催 秦野市PTA連絡協議会

優秀賞 

『西中PTAだより』 西中学校PTA   『東中PTA広報』 東中PTA   『せんだん』 東小学校PTA

優良賞

 『丹沢の風』 本町中学校PTA   『鶴中PTAだより』 鶴巻中学校PTA   『カリヨン』 上小学校PTA    『くず葉』 末広小学校PTA

佳 作

『みなみPTAだより』 南中学校PTA   『大根中PTA』 大根中学校PTA   『北中PTAだより』 北中学校PTA  『さくら木』 南小学校PTA  『本町小PTA広報』 本町小学校PTA



2002年4月1日更新

四月 学校は始まりました

文部科学省の指導のもと、この春から学校は大きく様変わりします。でも実際は、その内容を学校自体が十分に理解していないから、どれだけ実践できるかどうか不安です。4月を迎えるに当たり、慌てて対応しようとしました。そして「準備はできた」と言っています。総合学習の評価、『絶対評価』…どうなるのでしょう。今の状態では、自信を持って評点をつけられません。「なぜこの点数なのですか」と子どもに聞かれたら、答えられないでしょう。教育用語がちりばめられた解説書は配りました。でも読んで理解できるような、まして納得できるようなものではない…。職員室に「テストで点をつけるのが一番説明しやすい」という声があるのは事実です。月2の「学校五日制」が始まったのはもう15年くらい前(?)。あの時も学校は心配しながら突入したのでしたが、「入ってみたらどうということはなかったでしょ。今回も大丈夫!」と“太っ腹”の管理職。あなたは来年退職だからいいですよ。  Gone




五日制について考える
はだのP連だより」第57号(2002年3月4日発行)





Goneさんの言う学校の現実と、保護者が心配していることが全く違う次元のもののように思えます。





〜 新聞づくりの相談、教育相談は無料です。お困りのときは気軽にどうぞ。 〜

エコー教育広報相談室の活動                2001年4月1日から2002年3月31日まで

教育広報相談   学校新聞,学級新聞,PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画,編集などのアドバイスと

お手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策を一緒に考えています。

@学校・学級新聞 31件   APTA広報 37件  Bその他の広報・新聞 12件

教育相談     一人で抱え込まないで、一人で悩まないで、

進路変更 不登校 教師不適応 学級経営など 14件

その他の活動  新聞・広報づくり講座講師18 回

子育てなどの講演 11回

当相談室来訪者  112個人・組 (192人)



2002年3月1日更新


三月三日の午後、春香が竹下先生を学校に訪ねてきた。高校での三年間の勉強が終り、今日が卒業式だった栄子。いまどきの女子高生としてはほとんど見かけられなくなったお下げ髪。そして赤いほほは三年前と同じだった。

「卒業の報告とお礼にきました。大畑高校での生活はとても楽しかった。ありがとうございました」

そう言って春香は卒業証書を竹下先生の前に広げた。

「もう卒業か、おめでとう」 竹下先生は手にした卒業証書の一部が汚れているのに気づいた。

「これ、涙の跡か」

「ええ、恥ずかしい…涙の跡がこんなになっちゃって」 彼女は今日学級の代表で卒業証書を受け取ったのだが、そのとき思いがけず涙があふれてきた。

「今でも卒業式に涙を流す人がいるんだね」と竹下先生。

「なぜ泣いたのか分からない。一つのことが終わったということかな」

「そうだね、何かをやり遂げた充実感と、そのあとに生まれる空虚な心の状態、それが入り混じって涙になったんだよ」

「三年間、一日も休みませんでした。とても珍しがられて“化石”扱い…。二年の終りに休まないことを目標にしました。やっぱり私、化石、それとも前世紀の遺物かな」 そう言って明るい春香は、四月から教員を目ざして大学で学ぶ。



春香が大好きだった大畑高校は、開校以来卒業式は三月三日である。この日は桃の節句、前身が女学校だった大畑高校の応接室には60余年という歴史をもつ雛人形が飾られる。卒業生の前途を祝う雛祭りの日でもある。卒業生が巣立っていった夕、大畑高校の先生たちは、その雛人形の前でささやかな祝宴を開く。そう『うれしい雛祭り』を歌ったりして。



灯りをつけましょ ぼんぼりに  お花をあげましょ 桃の花





卒業式と大地讃頌

今月のindexのメロディーは「大地讃頌」にした。かなりの人がなつかしく、思い出深く聴いて下さっていると思う。今年もあちこちの中学校の卒業式で、この歌声が響くのだろう。男子生徒の圧倒的な歌声に“鳥肌立つ”感動を、毎年経験させてもらった。私は、卒業式当日より、予行練習のときにこの歌に出会う方が好きだった。その年の卒業生が初めて歌う『大地讃頌』に、この子達との別れを実感し始めることができるから。

今朝の雨は畑の黒土に染み込み、春を蘇らせた。『大地讃頌』 私は今このメロディーを口ずさむ。



大地讃頌《カンタータ「土の歌」より》

作詞:大木惇夫 作曲:佐藤 眞



母なる大地の ふところに

われら人の子の 喜びはある

大地を愛せよ

大地に生きる人の子ら

その立つ土に感謝せよ

平和な大地を

静かな大地を

大地をほめよ たたえよ土を

恩寵の豊かな 豊かな大地

われら人の子の

大地をほめよ

たたえよ 土を



母なる大地を

たたえよ ほめよ

たたえよ 土を

母なる大地を ああ

たたえよ大地を ああ






教育相談 「ウチはもう駄目です」

電話が鳴った。聞き覚えのある声だった。「先生、結局退学しました。今日、手続きをしてきました。」ある高校生の母親からだった。夏休み明け、始業式の日。その日のTの髪の色は少し赤かった。式の後十数名がその場に残され、生徒指導の教師から指導を受けた。「月曜日までに直して来い」という内容の指導だった。Tは自分で黒く染め直した。そして月曜日の朝、生徒指導室にその髪を見せに行った。直し具合が不十分だったのだそうだ。当の教師は、いきなり彼の髪にバリカンを入れた。再度の指導を受けた者は他にも数名いたのに、彼だけへの仕打ちだった。電車通学のTは、その惨めな姿を人目に曝しながら帰宅しなければならなかった。電車に飛び込んじゃいたい、とさえ思った彼。



わが子の姿とその心の中を知った母親は、震えながら担任に電話をした。担任の言葉は「自分は知らなかった」 悲しく、苦しい戦いが始まった。Tは欠席が多いひ弱な子だった。母親は幾たびも学校に足を運んだ。生徒指導担当は『見せしめ』だったことを認める言葉を口にした。校長先生から謝罪の言葉はあったが、言葉の端はしにあったのは「本校の教育方針に合わない子どもは辞めてもらっていい」というニュアンスのものだった。

私には匿名での電話相談だった。

『学校への対応』で始まったこの相談は、訴訟にまでいきそうになった。「親が子どもを護るのは義務、権利。だけど、その当然なことをやり遂げることの困難さは想像を超えるものになるかもしれない。家族が心を一つにすること。息子さんの心を十分確かめて」と母親に伝えた。 

相談を持ちかけられた父親が、家族に言った言葉は「世の中、約束で成り立っている。学校も同じだ。学校の決まりを守らなかったのだから、バリカンを入れられても文句は言えない。社会はそんなに甘くない!」

子と母は“撤退”を余儀なくされた。そして退学を決めた。「今までありがとうございました。ウチはもう駄目です…」母親の消え入るような最後の言葉だった。

学校とは 家族とは 父親とは…わからない…。





51回全国学校PTA・学校新聞コンクール      (2002年2月1日実施)

主催 毎日新聞 全国新聞教育研究協議会

 秦野市の入賞紙 今年も秦野市はがんばりました。



<学校新聞>   佳 作  秦野市立大根中学校 秦野市立北中学校    奨励賞  秦野市立鶴巻中学校



<学級新聞>   佳 作  秦野市立東中学校1年4組          奨励賞  秦野市立鶴巻中学校1年4組



<PTA新聞>  佳 作  秦野市立東中学校PTA



全体の結果は、このリンク集にある全国新聞教育研究協議会にアクセスしてください。







2002年2月1日更新

人を救うとは

 子どもたちに救いの手をさしだす仕事をしている女性からたよりをもらった。「自分の立場を間違えるところでした。この一文に出会えて本当に良かったです。自戒する覚悟ができました。」という言葉の後に、村上龍の『最後の家族』の一節(下の文)が書き添えられていた。

「あなたが半ば力づくでその女性を逃がしても彼女は100l加害者のところへ帰る。なぜなら、彼女に家を出ると

いう意志がなく、孤独に耐える力がないから。あなたが彼女を救って一緒に住んだら、あなたはかなりの確率で彼女に

暴力をふるうようになるはず。人を救いたいというのはDVの第一歩なのです。救いたいという思いは案外簡単に暴力

に繋がる。 それは、相手を対等な人間として見ていないからです。対等な人間関係には、救いたいという欲求はない。

ぼくがいなければ彼女は生きていけないと思うのは支配したいという欲求。他人を救いたいという欲求と、支配したい

という欲求は実は同じなのです。そういう人は、自分自身が傷ついていることが多く、相手を救うことで自分を救おうと

している。自分自身が自立する、ひとりで生きていけるようになること。それだけが、だれか親しい人を結果的に救うの

です。」

この小説は、救う・救われるという人間関係を疑うところから出発している。 誰かを救うことで自分も救われる、というようなことがこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。 そういった考え方は自立を阻害する場合がある ────村上龍

              
今年は家族新聞を応援します。




2002年1月1日更新


勉強観を変えた情報化社会と高齢者社会の到来

 地域の青少年育成懇談会に招かれ話をした折、一人のお母さんから質問された。「なぜ勉強するの、と中2の娘に聞かれた。いろいろ話したけれど納得してもらえなかった。昔なら『子どもの仕事は勉強でしょ』で済んだのだけど…」 私は次のように答えた。「勉強はお金持ちになるためにするのではありません。他人から認められたい・尊敬されようとするために勉強するものでもないと思います。他の人(人間として)のすばらしさを知り、その人(人間)を尊敬するために勉強をするのです」

 作家の竹西寛子さんは、エッセイ『大宰府の秋』に《学ぶ》ということを次のように書いている。「教える側にも教わる側にも忍耐を伴うのが学習だと思っている。既に何かを得ている人が未だ得ていない者を見守り、異質の才能や性格とつき合っていくための忍耐。学びの浅い者が学びの深い者との距離を自覚し続けるための忍耐。努力や忍耐は、感情を大ざっぱに快・不快に分ければ、不快に入る例の方が多いかも知れない。よい成長のために必要な不快もある。どうしても我慢しなければならない、耐えなければならない不快もあることを年少のうちに教えるのは教育の大事なつとめである。」

 子どもたちが《勉強(学び)》をするということは、「一定の知識や教科内容を習得すること」と今までは考えられてきた。だから、子どもたちはひたすら受け入れなければならなかったし、そこにつらい経験が付きまとうことは仕方のないことと思われてきた。《勉強》の定義づけは @そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる意 A現在ストレートにありがたいとは言えないが、将来の大成・飛躍のためにはプラスとなる経験(新明解国語辞典・三省堂) となっている。勉強についてのこの考え方は、今も学校に欠かせないものの一つであることは言うまでもない。

 ところが、こうした《勉強観》が、上の例のように子どもたちに受け入れられなくなってきている。その背景を考えてみると、次のようなことが浮かび上がってくる。 @やってきた高度情報化社会では、知識の蓄積より情報の収集能力がより重要視され、さらにその情報をどのように活用するかという能力が求められている。 A高齢化社会の到来は生涯学習社会の到来。《学び》は学校だけで終わるのではなく、学校での《学び》は、そのスタートであると考えられるようになった。

こうしたさまざまな勉強観を踏まえながら、まもなく始まる『総合的な学習』は、子どもたちの自己教育力を高め、「生きる力」を育むことを目差す。このところ私のところに届くPTA広報のいくつかが『総合学習』と『学力低下』への不安と疑問を抱いている特集を組んでいる。それらに対する回答は不親切、不十分のように思える。2002年の学校教育はまさに正念場を迎える。





2001年12月5日更新

鳥のように空高く飛びたい

武先生お元気ですか。私は学校のみんなの前では元気よくしているけど、私なりに心の中はすごい不安でいっぱいです。私はイジメられています。“バカ者人間”“弱い者人間”と思われているらしく、誰かと目が合うと「うわー眼がくさる!」などと言われ、家で一人でおお泣きをしてしまうときもあって、毎日学校に行くとき“今日はみんなにどういうことを言われたりするのだろう”って心配ばかりです。

先生に相談しても、私の気持ちを本当にわかっているのかっていう顔つき。結局自分で決めて、クラスの全員にイジメのことを言ったのですが、みんな心の狭い人間なのか、何もわかってもらえませんでした。家の中でもイヤなことばかり、精神的に疲れ果ててきた私。“本当の私はこんなんじゃない!”って思うけれど、もう生きるのに疲れてしまう時があります。

私はみんなにイジメられるために、この世に生まれてきたんじゃない、ってことをみんなは知ってほしい。みんなにイジメられて『私なんて生きていたって…』と思う。もう卒業まで少し、でも私は卒業の日までの毎日が恐い。

先生、強く生きるということを教えてください。



何の悩みのない鳥のように空高く飛びたい

    K june


彼女から届いたこの手紙の便箋と封筒は、少女がブランコを大きく漕いでいる絵柄のものだった。そしてその便箋と封筒には次の英文が記されていた。

The birds fly high up in the so blue sky. You shall have a very happy future because we wish you will be so happy.





各種新聞コンクールの結果

第34回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2001.11.14実施)

主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社



☆ 最優秀賞  渋沢中学校2年5組



☆ 優秀賞

東中学校3年4組3班   東中学校3年4組6班   南中学校2年4組  大根中学校3年4組   南が丘中学校1年3組

鶴巻中学校2年5組   鶴巻中学校1年4組   鶴巻中学校2年2組



☆ 優良賞

東中学校3年1組   西中学校2年8組   南中学校2年1組   北中学校3年3組   北中学校3年4組  

本町中学校2年7組  本町中学校3年8組 大根中学校1年2組   渋沢中学校2年1組  渋沢中学校3年3組

渋沢中学校2年2    鶴巻中学校2年3組 

( 参加 : 市内9中学校 117学級)







51回神奈川県中学校学校新聞コンクール      (2001年11月8日実施)

主催 神奈川県学校新聞コンクールの会・神奈川新聞社



【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞    秦野市立大根中学校

優秀賞     秦野市立東中学校

優良賞     相模原市立大野北中学校

佳 作      相模原市立谷口中学校

努力賞     相模原市立相原中学校  秦野市立北中学校  相模原市立田名中学校

奨励賞     川崎市立西高津中学校  平塚市立金旭中学校



【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞 川崎市立南加瀬中3-7

優秀賞 川崎市立臨港中2-2

優良賞 川崎市立有馬中3-5

佳  作 川崎市立井田中3-1 相模原市立大野北中3-5 川崎市立西高津中3-6 川崎市立御幸中2-3

努力賞     川崎市立京町中3-A  横須賀市立田浦中2-4 川崎市立南加瀬中2-8 川崎市立平間中3-4

. 秦野市立鶴巻中1-4  川崎市立西生田中3-5

奨励賞     平塚市立春日野中3-5 伊勢原市立山王中1-6 横浜市立みたけ台中 1-1

                              (応募点数  中学・学校新聞15 中学・ 学級新聞63)



2001年11月1日更新

作文を読んでください。

「僕はここにいてもいいんだ」   S.S


僕は中学校生活はとてもひさんだった気が高く思う。

人間関係なんかもうまくいかなかったし勉強もさんざんな成績だった。だから仲良しグループなんてないしとうぜん友達もいなくって孤独の毎日でつまんなくってそんな気を和らげようと夕方から家を出て遠くまで散歩しながら今自分はどうすべきなのかというテーマにそって考えて自分に勇気を作って学校に行くように脳裏にやきつくして少しでもと思うがその大半が悩乱をおかしている。

そして最後に学校に入って校庭にすわって 本当はここの学校で多く勉強したり、多くの人とふれあったり多くのたのしみがこの学校でおぼえていくのだろうと思いますが、もう遅すぎたことだ思います。

でも自分にとっての浮浪が思い出でしょう。毎日が孤独だ自分にもう少し勇気があればきらいな部分を戦えたかもしれないがそれはそれでいいと思いたい。(原文のまま)   



S.S君が手書きの卒業文集に寄せた作文です。_の部分に句読点がないのは、一気にその思いを吐き出したからなのでしょう。「学校なんてなんぼのものや」と言う大人がいます。でも、S.S君にとって学校はとても行きたいところでした。暗くなって散歩に出て、そっと校庭に入り込み「僕は本当にここにいたいのだ」と思っている、その気持ちを私は卒業式の日に知ったのでした。

「何もしてやれなかった」という無力感と悔悟の念に襲われました。そして、この作文を書いてくれたことに、ただただ感謝するしかありませんでした。

こうしてここでも彼の作文を紹介していますが、子育ての話をさせてもらうときには、この作文を読ませてもらいます。彼に対して私ができる償いの一つだと思っています。



先ごろ行われた文部科学省の「不登校の中学生の追跡調査」では、《不登校のきっかけ》は「友人関係」を半数の人が挙げ、5人に1人が「教師との関係」に起因していると答えています。ある新聞は「大半は学校に起因」と見出しをつけました。

この調査の対象になった人たちが中学3年生だったとき、文部省がおこなった調査では《不登校のきっかけ》は「友人関係」が19%、「教師との関係」は2%でした。この調査は学校から報告された数の統計です。本人と学校との認識のズレがこんなにもあるのです。

小中学生の不登校は昨年度13万4千人を超えています。中学校では1クラスに一人の割合で学校に来られない子がいることになっています。



PTA広報相談室


先日はありがとうございました。正直に言いますと、全くお付き合いのなかった人たちと新聞をどうやって作っていくのか不安でたまりませんでした。先生をお訪ねしたとき、皆さんが思いを素直に口にされたのでほっとしました。先生の不思議な力に感心しました。

その後二回集まりました。座談会を提案してみましたが、皆さんは、学校五日制にむけて子どもの居場所と生活の変化について問題提起をしたいということで、保護者、子どもを対象にアンケート調査を実施することになりました。きょうは企画会議が開かれます。だんだん楽しみになってきました。思ったこと、言いたいことを遠慮なくいえる雰囲気になってきて、みなさんが話し合える喜びを感じているのが伝わってくるので一層うれしいです。

アフガンの難民のことが気になります。PTAのバザーで救済の募金活動をさせてもらうことにしました。

WADATSUMI                         




2001年10月1日更新

PTA広報相談室

アンケートの作成についてアドバイスを

一昨日ご指導いただきましたY高校のIと申します。3年目の広報委員で、仕事との時間的なこともあり少し息切れ状態です。でも、先生のお話を伺いまた広報誌づくりに情熱が戻りつつあります。そんなこともあり、次号の企画で特集『高校生とその親』を組むことになりました。今回は高校生の生活の実態調査とわが子とわが家に実際に起こったちょっと困った場面にどう対応してきたか、あるいはどう対応したらいいのかを調査してみようと思っています。それで文化祭の場を借りてアンケートを取ることにしました。アンケート作成に関して、これだけは落としてはいけないというようなことなどお教えください。

お答えします

広報とアンケート 「鑑で決まる回収率」

1アンケートを行う意味

@全会員の声を紙面に反映できる。 A匿名なので立場の弱い人の声も引き出すことができる。 B会員の声を数的につかむことは記事の信頼性を増し、価値がある。 C回答者が身近な人なので、自分の子が《例外》かどうかが判る。



2アンケートの実施について

@対象者(アンケート用紙を配布する数)はできれば全会員に、最低でも3分の1の会員にはお願いしたい。 A質問方法は選択方式・極端に言えば「〇×式」、集計が楽です。 Bただし全問「選択方式」はいけません。3分の1程度は「短文記入式」にします。短文記入方式の中から貴重な意見や問題提起がなされることがありますから。 C「○×方式」でも「その他」の欄と、そのことについての記入欄を設けてください。 D設問はできるだけ具体的で分かりやすいものに。複雑な問いには『次のように記入してください』というようなモデルを示しましょう

3アンケートを記事にするとき

@リードをしっかり書く。 A実施日、対象者、対象者数、回収率は必ず明記する。 B結果はグラフ化する。C委員会としての分析を書く(問題提起くらいでもよい)。難しい場合は専門家にお願いする(先生にお願いするのは良い方法。)

4最後に 

アンケートの価値は回収率で決まります。どれだけ返ってくるかは、アンケートに付けられる文にかかっています。「鑑で決まる回収率」と言われています。この言葉を十分意識してアンケートを作ってください。




2001年9月1日更新



PTA広報相談室

先生の名前の訂正を口頭で済ました広報

「先生、名前が違ってるじゃない!」 「ああ…」 「ああ…って、どうしました?」 「どうしたって、何を?」「このこと 係りに言ったんでしょ」 「いや… いいよ」 「だって不愉快でしょ」 「ひどいよね」

今朝配られたPTA広報をめくっていたS先生が、隣の席のY先生に驚いたように問い掛けた。この号のメインである『先生紹介』のページは、集合写真で、学年や教科、それに子どもたちへの一言も付けられている。その写真のY先生の姓が、隣に立っているK先生の姓と一文字入れ替わっている。「先生、これはひどいよ。誰だか判らない、まったく別人になっちゃてるじゃない」「うん、おれも驚いたよ…」

そんな話をしているところに、授業帰りのO先生が立ち寄る。そして「Yさん、悪い 悪い! 隣のKさんと入れ違っちゃって。私が校正したんだけど、見落としちゃった。ごめん、許して」 その言葉、態度の余りの軽さに少しムッとしたS先生 「O先生、これ、刷り直しをするんでしょ」 「それはできないよ、お金がないし…」 「お金の問題じゃないと思うな」 「だから、こうしてY先生に謝っているんです。ね、Y先生、先生と私と間柄だから…」 Y先生は黙ったままだ。

「刷り直しができなければ、回収して正しい氏名を上に貼るなどしたらどうですか」 「もう配っちゃったからねえ、子どもが持っているかどうか」 「それも難しいのなら訂正表を出すべきです」 「忙しいからねえ…」 「先生が忙しくても、広報委員がいるでしょう。そのくらいの責任は果たしてもらっていいと思うけど」 「そんなことで連絡などしたら叱られちゃいますよ。明日、朝の打ち合わせで皆さんにお願いします。子どもに訂正の個所を知らせてもらうようにします。それで許してよ、ね」 .そう言ってその場を逃げていくO先生。 「Y先生、なぜ再印刷をお願いしないんですか。広報委員長から電話もないんでしょ。普通なら昨日のうちにお詫びに来る、それが礼儀、常識ですよ」とS先生は興奮気味。

Y先生が言う「いいんですよ。ウチのPTA広報なんてこの程度なんだから。誰も読みはしないですよ」

翌朝の打ち合わせで、O先生からPTA広報の訂正のお願いが口頭でなされた。先生たちから特に反応はなかった。



私ならこうします

誤りが見つかっていたら、そのままでは配布しません。不幸にして、配った後にミスを発見という場合は、委員長は、先ずなにを置いてもY先生とK先生にお詫びします。そして訂正版の発行を考えます。できるだけ早く、正しい氏名を会員に知らせなければいけません。PTA広報のようなミニ・コミ紙は、氏名の校正には最も注意をはらわなければいけません。名前をおろそかにすることは人権にかかわることだと思います。口頭での訂正で済ませたようですが、生徒は会員ではありません。広報が訂正されなければいけないのですから、最低限、訂正の印刷物は作らなければいけないと思います。最後に一言 広報担当のO先生が、広報の使命や役割を十分理解していらっしゃらないことが残念でした。




2001年8月5日更新

第44回全国新聞教育研究大会・箱根大会(2001.8.2・3)の私的速報


研究主題 「生きる力を培う新聞づくり」

「生きる力を培う新聞教育」を主題にした第44回全国新聞教育研究大会は、8月2.3日と神奈川・箱根で開かれた。南は沖縄、北は北海道からと、文字通り全国からの参加があった。その数は160人余り、秦野からは3人のPTA会員を含め13名が参加した。

大会初日、『旧石器発掘ねつ造事件と報道の責任』と題して、毎日新聞編集局次長の朝比奈豊氏の記念講演を聴くことができた。報道される側の人権の問題など、新聞のあるべき姿や姿勢を考えさせる内容で、学校新聞とはいえ“報道・新聞づくり”に携わっている私たちにとって、真剣にまた興味深く聴くことができた。講演内容の紹介は機会があればしたい。ここでは、朝比奈氏が語ったご本人のエピソードを紹介する。



1947年に静岡で生まれた朝比奈さんは、小学校4年生でガリ版の新聞を発行していた。冬が来るのに、体育館のガラスが台風で割れたままなので、社説で「体育館の窓ガラスが割れている。何とかしろ」書いた。するとまもなくガラスが入った。ある日、校長先生に呼ばれて「よく書いてくれた。あの新聞で窓ガラスが入った」とほめられた。叱られると思ったのに,ほめられた。それで病みつきになり、同級生と『子ども新聞社』をつくり、5、6年は日刊で新聞を出した。男子の新聞は「ゴールデンタイムス」といい、女子が発行したのは「白バラ新聞」だった。新聞の費用は、町に出て行き大人に新聞を1部5円で買ってもらった。「大人と子どもが力を合わせれば何かができる」−そんなことを朝比奈さんは子ども心にも感じたそうだ。

そして今、新聞をつくっている朝比奈さんである。新聞づくりもまた『生きる力を培う』ことができるという好例だ。



報告

研究分科会U 『新聞で成長する生徒たち』   講師  原 幸恵(秦野・北中学校)



原先生の『新聞で成長する生徒たち』を聞いた東京の梅津通郎先生が、感想を次のように述べられた。

「先生のお話から新聞づくりを通して確かに子どもたちは成長したと思った。だがそれ以上に感銘したことは、原先生ご自身が新聞づくりで子どもたちと一緒に成長されことだ。先生の言葉の端々にそれがうかがえた」。

 新聞を発行する過程の中で、子どもたちはたくさんのことを学ぶ。だとしたら、指導者である教師は彼らから何かを学び取らなければいけない。原先生は最後にこう結んだ。「数年後に,今の学校の子どもたちが新聞を通してこう成長したとお話できたらよいと思います。」

朝日奈さんの言葉「大人と子どもが力を合わせれば何かができる」−そのことの実現を新聞づくりで目指して欲しい。



注目  新聞講座「PTA広報・模擬編集会議」 講師 武 勝美

(講座のレジュメを9月更新時に掲載します。)




2001年7月5日更新

PTA広報相談室

期待感を満たすための『先生紹介』を

 数年前でした。あるPTA広報が、先生に「自分を動物にたとえたら何ですか」という質問をし、答えさせていました。さまざまな動物が登場していました。そんな中で一人の先生が「私は人間です」と答えているのが印象的でした。昨年は「今はやっている動物占いで先生方を占ってみました」という広報をいくつか目にしました。そして今年また「動物にたとえると」という広報に出会いました。この広報は「その理由」も聞いています。


 年度初めに発行されるPTA広報のほとんどが、その形式はともかく『先生紹介』欄を設けています。

それは「今年の担任はどんな先生か」と、全ての家庭が思って広報を読むからです。でも、その“どんな先生か”というのは“興味”ではなく“期待感”なのです。担任の先生の血液型や星座、出身地などの身元調査を読者が期待しているわけではありません。どのような子ども観をもって、どのような教室づくりをしてくれるのか、どんな教育をしようとしているのか、そのことへの期待を『先生紹介欄』を通して読み取りたいのです。そして安心したいのです。



五月に発行されたH市の5中学校のPTA広報の『先生紹介』メインは「マイブーム」でした。「マイブーム」は今はやりの言葉なのだそうですから、偶然の一致ということなのでしょう。でも、このページを読み、“偶然の一致”にとても考えさせられたのです。保護者は教師を少しでも知ろうとし、教師は自分をできるだけ見せないようにする―そのせめぎ合いを感じたのです。


 「子どものころ好きだった本の名前」を先生に挙げてもらった小学校の広報がありました。ひとりの先生が「ほとんど本は読まなかった」と答えています。この答えも印象的でした。


「四字熟語」を書かせた先生紹介号も読ませてもらいました。職員が70名を超える学校ですから、仕方ないのかもしれませんが、2割l強の人が回答していません。企画会議での論議不足でしょうか、それとも広報委員の取材のガンバリが足らなかったのでしょうか。もしかしたらPとTの信頼関係の欠如? カラー写真をふんだんに使い16ページの広報、他のページがかなりの出来だったのに、最も重要なページが軽くなっていました。




2001年6月3日更新

母親からのお願い

皆様のご好意をください

道を迷っているわが子のために

 

私は三年男子の母です。息子は男らしく弟の面倒もみて、家の手伝いもします。夜中までいろいろなことを話したりとすばらしい息子ですが、学校や世間様からすると問題行動のある子として見られています。親としてほんとうに悲しく、迷惑をかけていることを申し訳なく思っています。

息子が道を迷い始めた原因を知り、本来の中学生の姿にしたいために『心の教育講演会』を聞いたり、『心の教育セミナー』に出席したりと、勉強をしています。わかったことは原因は私にあったということです。「三つ子の魂百までも」ということわざがあるように、一番大切な三歳までの時期を子どもに目を向けず、仕事を一番としてきました。夫婦仲もぎこちなかったことも思いあたります。

子どもの心の中はスースーと風が吹き、寒い寒いと震え、そして冷たい涙を流していたのです。それで、子どもは母からもらえない愛の替わりに、やってはいけないこと、目立つ行動によって他から注目されることで埋めようとしていたのです。でもこのような形で愛を埋めた心は、暖かくなくいっそう心が寒くなるのです。やはり母の愛が一番暖かいのです。

子育てとは、子どもの心の中にあふれるほどの愛を埋めることだと知りました。今、必死になんとか愛を埋めようとがんばっています。もし皆様のご好意をいただけるとしたら、勝手なお願いをさせてください。息子のような子どもたちを責める思いを、母の愛に変えて見守っていただきたいのです。どうかよろしくお願いいたします。

                                            中三の母



4月の教育相談から

みんなと同じことをするのは大変なこと

 幼稚園でお弁当を持ってこさせるのは、食事のマナーを教えることもある。そのマナーの一つに「早く食べること(時間内に)」がある。その子はゆっくり食べる子だった。ある日、先生が時計を持ち出し、「さあ、ヨーイ、ドン」て゜食べさせられた。次のお弁当の時間から、食べられなくなった。お弁当箱のフタを開けると、おなかが痛くなる。母親は子どもの大好きなオカズを入れた。次は量を減らした。でも、とうとうお弁当の日は登園できなくなった。みんなと同じことをするのは大変なことだとわかった。それで、いま早く食べる練習を家でしている。家族みんなが「早く!」「早く!」「おしゃべりしないで!」

 4月、1年生。また給食が始まる。幼稚園から小学校へ、わが子についてどのような話が伝わっているのかとても気になる。幼稚園の先生にはとうとう何も話せなかった。




2001年4月1日更新


武勝美のPTA広報づくり講座


新年度に備えて「PTA広報のつくり方講座」をこのページで開きます。全3回です。昨年、田無市でおこなった講座の内容を、小崎令子さん(上向台小PTA会長)がコンパクトにまとめてくださいました。それをそのまま“コピー”で載せます。ご意見,ご質問がございましたらお寄せください。




エコー教育広報相談室の活動  2000年4月1日から2001年3月31日まで

教育広報相談   学校新聞,学級新聞,PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画,編集などのアドバイスと

お手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策を一緒に考えています。

学校・学級新聞  36例    PTA広報 66例  その他の広報・新聞 3例

教育相談     一人で抱え込まないで、一人で悩まないで、

進路変更 不登校 教師不適応 学級経営など15 例

その他の活動  新聞・広報づくり講座講師27 回

子育ての講演  7回

当相談室来訪者  137個人・組 (285人)




2001年1月1日更新

PTA広報相談室

教育広報を読む 学校・学級・PTA新聞の記事を読み、教育や子育てをご一緒に考えませんか。


「授業をわかりやすく教えて欲しい」

2002年から始まる新しい教育課程、だが課題は山積。下のグラフに表れた子どもたちの声、親の願いを学校はどう受け止め、応えるのか。学校の努力、姿勢が問われる。


 皆さんの「エコー」をお待ちしております。ご意見,ご感想を掲示板にお寄せください。



各種新聞コンクールの結果



第33回秦野市中学校学級新聞コンクール   (2000.11.16実施)

主催 秦野市中学校教育研究会  後援 神奈川新聞社



☆ 優秀賞

東中学校3年3組   北中学校3年5組  渋沢中学校1年2組

大根中学校2年5組 本町中学校1年6組 本町中学校3組1組



☆ 優良賞



東中学校3年4組  西中学校1年8組  南中学校3年1組  北中学校2年3組

北中学校2年4組  南が丘中学校3年2組 南中学校1年1組  鶴巻中学校1年5組

渋沢中学校1年4組 東中学校3年1組   渋沢中学校2年3組 鶴巻中学校3年3組 

南が丘中学校1年3組  南が丘中学校3年4組本町中学校3年6組   本町中学校3年7組



( 参加 : 市内9中学校 119学級)



50回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール(2000.11.8実施)

主催 神奈川県学校新聞コンクールの会・神奈川新聞社



【高校の部】

最優秀賞   向上高等学校

優秀賞    県立大船高等学校

優良賞   県立生田東高等学校  県立磯子高等学校

佳作      横浜英和女学院   浅野高等学校  県立大和高等学校 :県立初声高等学校



【中学校・学校新聞の部】

最優秀賞    秦野市立東中学校

優秀賞     秦野市立大根中学校

優良賞     相模原市立大野北中学校

佳 作      相模原市立中央中学校

努力賞     平塚市立山城中学校  秦野市立鶴巻中学校  相模原市立相原中学校



【中学校・学級新聞の部】

最優秀賞・・・・・・川崎市立井田中3-4

優秀賞・・・・・・・・川崎市立臨港中1-2

優良賞・・・・・・・・横浜市立みたけ台中3-1

佳 作・・・・・・・・川崎市立御中3-5 川崎市立西高津中2-2 川崎市立南加瀬中1-5

川崎市立南加瀬中1-7

努力賞      川崎市立渡田中2-3   秦野市立東中3-3 川崎市立西高津中3-5

川崎市立向丘中2-3   川崎市立京町中3-D 秦野市立鶴巻中3-2

奨励賞      相模原市立谷口中2-3 伊勢原市立山王中3-6



(応募点数  高校33  中学・学校新聞22 中学・ 学級新聞65)





11月の教育相談から

幼稚園、小学校、中学校と11年間同じ仲間で生活してきた。もう今の自分でいることに疲れた。学区内の高校には行きたくない。だれも私のことを知らないところで、自分らしく生きたい。(中学3年生)



11月の新聞づくりの相談から

本部の人から、記事の並べ方の順番が違うと言われた。「古い記事から並べて、新しいもは最後に置く。時間の経過で紙面を作るのだ」と。私たちとしては、精一杯がんばって、いいものができたと喜んでいたのに…。そんな細かいことなど言わないで誉めてくださればいいのに。本部の方のこの指摘は正しいのでしょうか。 (PTA広報委員)

〈私の回答〉

記事の中身・重要さにもよりますが、一般的には記事は新しいものほど価値があるはずです。




10月の教育広報相談から

10月になってから、学校新聞・PTA広報づくりの相談が急増しました。特集の紙面のレイアウト、アンケート調査の項目、その結果の報告の載せ方、さらには分析の仕方などです。組まれている特集は、いずれも子どもたちの心に関するものでした。

見出しのいくつかを書き抜いてみると「増えている“自己中”」 「ノーと言えない友達気分の親子関係」 「まだ早いケータイ」 「あなたが断固叱るとき」など、かなり突っ込んだものもあります。その内容は次の更新時にこのページで紹介します。




10月の教育相談から

能力のない子ほどお金がかかる。能力のない子ほどイジメにあう。能力のない子ほど先生に軽くあつかわれる。能力のない子の親(家庭も)もまた先生(学校)に軽んぜられる。 ここでいう能力とは学校での成績・学力のこと。  (中学生の母の言葉)



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