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2006年12月1日更新


142号の「第49回全国新聞教育研究大会 33年の歳月を経て秦野で」を読んで

 こんにちは、感想のFAXが無事に届いたみたいでよかったです。なんでか分からないんですが、無性に送りたくて。
 いつもの号より自分の食いつきが良かったのが自分でも不思議です。嬉しかったと思ってもらえた事も、なんていうか不思議。そういう、見えないつながり?みたいなものが不思議です。「感想」はひとつだけど書いた人(私)と読む人(武先生)がいる事が嬉しい。

 自分の中で「本当の言葉」と感じられる事を受け取ってもらえる事は、私にとってすごい事なのかもしれません。なにげなく自分が発した言葉が誰かの心に残る事もすごくいいと思いますが、届けたいものがちゃんと届く事が私の望みなので。

33年って、私の年齢(今22歳です)より長いじゃん、と思いますが、私にとっての毎日を過ごす事だったり、何かを続けている事と似た感覚なのでしょうかねぇ。飽きっぽい、浮気性の私には武先生の、「続けていく」という部分が羨ましいです。『エコー』を読みながら、生意気にもここはこうだったら、とか、たまにある漢字の間違い(打ち間違い?)を勝手に見つけたりします。って書くと、ほんっと性格悪いですが、小学生の頃に漢字が大好きで、テストでも国語の漢字のテストが一番好きだった名残からか、新聞の言葉の使い方の間違いとかニュース聞いていておかしい使い方とか、意識しなくてもひっかかるようになってしまって。
 話がそれちゃいました。これも私の欠点のひとつだと自覚しているんですけど、話がどんどんとんでいって困ります。頭の中では繋がっているんですけどね。

》大会の開会式のとき、あるいは『全国交流会』で挨拶をしたとき(今号の最初に書いた文)、そして大会が終り文化会館から参加者の姿がすべて消えたとき、そんなそれぞれのシーンを事前に想像し、「たぶん涙を流すだろうな」と思っていました。(私はとても涙もろいのです、まして年齢も年齢ですから)でも、不思議なことにどの場面でも涙はありませんでした。この大会も、私の新聞教育の流れの中の一つに過ぎなかったのです。昨日も、中井町でPTA広報の講座を持ちました。私にも、もう少し時間がありそうですので、周りが私を必要とする(新聞教育で)のなら、それに応えていきたいと思っています。《

 この文、なんか好きです。私は過大評価も過小評価もされる事がすごく嫌、というか違和感があるんですね。嬉しくても戸惑ったり、悲しくなったり。で、何が言いたいかと言うと・・・自分が信念を持って続けている事、その流れの中のひとつに過ぎないっていう感覚(この場合、たぶん「感覚」が一番しっくりくる気が、私はします。)が、いいなぁ、と。

 私自身は、好きな事ややりたい事があっても、「これが好きだ。」と胸を張って言える事を探し中で、もし見付かっても、胸を張ってさらけ出せるか分からないんです。逆に言えば、自分にとって大事なものを拒絶されるのがすごく怖いって事なんですけどね。

 「もう少し時間がありそう」って部分は、何か、どう返そう? と正直思いました。だけど、私にとって、自分が消えるまでの時間っていうのはすごく身近なものです。気付いた時には、よく考えていました。
老いていく事とか、命はいつか消える事、そういう事をいつも頭のどこかで考えていた、って書いたら言いすぎですが、よく考えていました。最近もよく考えます。ここ何年か人の生死が身近になったので。

 そうそう。私が武先生に感じる事は尊敬だけではないんです。恐怖っていう言葉が一番近いかな。何かに一生懸命になっている人は、魅力も感じるけど、怖い。心の中に大人不信っていうものがこびりついているからかもしれないですが。私ももう成人しているのに。
 武先生は私にとって「校長先生」だった期間が短かったし、その後の交流の方が長いので「武先生」なんですけどね。家にお邪魔させてもらった時の印象も、きつくなかったし。私が教師に恐怖心だったりきつい印象を持っている事が分かる文章ですね…。
 大人の前で、明るい私を演じているのが苦痛だったんですよ。大人が欲しがるのは、明るい子供、健全な子供だと思っていたし、今もそう思う事があります。のびのびと…と言っていても、許容出来る範囲は大人でもそれぞれ違う、と最近思います。
新聞ってのには昔から興味ありました。新聞っていう言葉で思い出す事が色々あるんですね。小学生の時、叔父の前で朗読したら、ほめられた事(その記事の内容まで覚えてるという程嬉しかった!!)

 武先生が、『エコー』に書いてみたら? とすすめてくれたけど、その時は力が無かった…。今でも悔しく思います。その時にしか出せない言葉ってあると思うので。ただ、今も私は自分の言葉をはじめとする文章、自分自身の感情や考え方に自信が無いので。誰にも知られなくても、自分だけでひとりじめしたいと思う事もあるし。本当に本当に、私だけの心の中から出てくる言葉なんて、ほんの少しなんじゃないかなぁとよく思います。人との関わりあいがある事もそうですが、私は人に影響されやすいので。良くも悪くも。

 風邪気味です、早くも。家からなかなか出られないという状態ではなくなったので、一時期より体調こわします。というか、家にこもってると肌は白すぎ、自分の中の体温調整の機能とか鈍ります。
 いつも冷めた自分がどこかにいて、その存在は消す事が出来ないし、消す気も今はあまりないけど、毎日色々考え、感じています。     悠          



2006年11月1日更新


 目を見開いて 子どもの置かれている現状を

 先生と初めてお会いしたのは、娘が小学校1年生のときのPTAの勉強会でした。それ以来『エコー』を通じてのお付き合いです。そのご縁に感謝しています。
 その娘も中学一年になり、部活に、来春に発表会があるバレーの練習にとエネルギーを燃やしています。親としてはそのエネルギーの1割でも勉強のほうに向けてくれたらと思うこともあります。でも、九州の中学生の痛ましい事件のことを思うと、時間を忘れ一つのことに没頭してくれている娘の今の姿に「救われた」という気持ちです。
 娘は小学生時代、不登校を経験しています。毎朝の微熱と腹痛。主治医の先生に相談したのですが、身体的なことではないとのこと。娘に聞いてみるのですが「先生も友達も好き。学校は楽しい」と言うだけでした。いったい何に心を痛めているのかと、家族は途方にくれました。
一週間ほど過ぎて、私の心に少し余裕ができたので、さりげなく娘に学校での休み時間の過ごし方を聞きました。するとクラスに元気のいい男の子がいて、当時はクラスで一番小さかった娘の腹を蹴ったり、背中を叩いたりすることが分かりました。一年生のことなので、悪気があるわけではないと思ったのですが「このままにしていたら」と思い、担任の先生に、休み時間の子どもたちの過ごし方にも目を向けて欲しい、という内容の手紙を書きました。すると、その日のおたより帳に「拝見しました。ご苦労様です」の一行が書かれていたのです。先生方が研究発表などでお忙しいことは十分承知していましたが、そのときの私の落胆ぶりは武先生なら想像できると思います。
 それで、私はまだ娘にはだ教えてこなかったのですが、「目には目を」で攻撃し返すことを勧めました。翌日、娘は明るく「ただいま!」と帰ってきました。私は「やったな」と感じました。聞くと、いつものいじめっ子が背中を叩いたので、その子の腕をつかみ「廊下にぶん投げたるでぇ」と言ったら「S、コエー」と言って逃げていったそうです。このことがあってから娘の朝の腹痛はなくなりました。「暴力と陰口はいけない」と教えてきた私が、反攻という行動をとらせたことは心にたいへん引っかかりました。でも、先生が何もしてくださらなかったのだから《最低限の防衛》だったと今は思っています。
 いじめによる子どもの自殺についての報道を見聞きし、ほんとうにそんな結果になるしかなかったのか、と憤りをおぼえます。文科省の発表ではいじめは減少傾向だそうです。でも娘は「減っていない」と申します。百歩譲って、減っていたとしても、自殺する子どもが出たという現実の重大さ、深刻さに、大人は目を見開かなければいけないと思います。いじめをしている子どもたちを含め、何が子どもたちをそこまで追い詰めてしまったのか。家族はもちろんですが、教育の専門家である先生方や行政の人たちは今の子どもたちの置かれている状況を理解し、改善しようとしているのでしょうか。マスコミもその使命感を間違えないで欲しいです。   律子





2006年10月1日更新


 ゼミの合宿で学級新聞の教育的効果について発表します

 21日から大学のゼミの合宿です。4年生は卒論の中間発表を、3年生は卒論に関係ありそうなレジュメを発表します。私は、学級新聞づくりが教育に及ぼす影響について詳しく調べたいと思い、新聞づくりの役割についてまとめてみました。これが卒論にどのように発展するかについては、まだしっかりとした展望は持てないのですが、新聞づくりの実例からその効果を調べていったらいいのではないかと思っています。関係するNIEについての論文も調べるつもりです。先生に又いろいろ教えていただきたいと思っています。よろしくお願いします。
 9月30日はH小の運動会です。一緒に実習をした3人で見学に行きます。6月に出会った子どもたちがどんなふうに成長しているのかとても楽しみです。11月には後期の実習に行きます。
 1日の『広報はだの』に出でいた家族新聞のS君は私が担当したクラスの子でした。新聞づくりについて話を聞いてみたいと思っています。
 先輩の教員採用試験の結果は10月に発表だそうです。後期と共に来年の教員採用の対策講座が始まります。先輩から参考書をもらいました。どんどん近づいてくる夢の実現に向けてがんばります。又遊びに行きます。  Mayu



2006年9月1日更新

第49回全国新聞教育研究大会・秦野大会
平成18年8月3・4日
 
秦野市文化会館

秦野大会は無事に終わりました。ご支援ありがとうございました。


大会のようす

受け付け始まる−北は北海道、南は福岡から    開会式の参加者は260名超
速報第1号を手に開会式の閉会の言葉ー川野全新研副会長 基調提案「言葉の力を育む新聞教育−秦野からの発信」
記念講演「『戦後60年の原点』シリーズ報道と毎日新聞」
          
毎日新聞編集局次長 玉木研二氏
 NIE講座 「読む」「つかむ」「表現する」の実習講座 
                   講師小野瀬容子先生
PTA広報講座 武勝美氏による紙面クリニック  会場を日立に移しパソコンを使っての新聞作りに挑戦
                     講師 石田崇男先生
5つの分科会で19の実践発表 どの部屋も熱い話し合いが 大会旗は秦野から来年の開催地東京・葛飾へ
午前9時 速報部の部屋は臨戦態勢に入る 会場を離れる参加者にインタビュ− 少しばかり勇気が必要
第4号は11時40分発行、あと2分を残して印刷に入った
この大会の速報活動の成果は小野君の力によること大
秦野大会を見守る鈴木伸男会長(左)と地崎利和実行委員長
  秦野に来てくださった全国のみなさんに歓迎とお礼の心を込めて 「With you ありがとう」 

撮影 相原明美・高橋由紀子速報部員・原田真智子



 大会速報{『湧水』の感想(大会参加者に取材)

・速報性に優れていてすばらしかった。特に基調講演は短時間の間にまとめられていてすごかった。
・PTAの方や生徒さんが作る速報、それけだけでもとてもすばらしいと思いました。事前取材もよく、A3で4号まで作っていること、題字の『湧水』も秦野大会にふさわしく感動しました。多めに持って帰って、たくさんの人に見てもらう配ろうと思っています。
・今日の進行がよく分かって読みやすい。講座を選ぶ参考になった。
・記事的なことで言うと、今日やる内容が分かって「あっ、これも見たいな」、また後から「あれも見たかった」と思える記事だった。

・とても早いという印象です。遠方から来ている人にもいろいろ分かってよかった。
・作る人の意欲が感じられた。大会を盛り上げていこうという頑張りが感じられた。どこでどんなこしているのかが分かり参考になった。
・その日のことをその日のうちに、生の声を伝えたい、という印象の紙面。
・短期間でここまで出来ってすごい。しかもPTAのお母さんたちが中心とは。
・臨場感あふれる記事でとてもいいと思う。
・どの学校もー生懸命で、負けてられないという気にさせられた。
・見やすく構成されていて、見出しもよく、読みたいと思う気になった。
・タイムリーで感動しました。こういう新聞が作りたいです。
・先生だけでは出来ないPTAの皆さんのバックアップを感じた。
・こんなに早く出せて驚いた。知らせることの大切さを感じた。
・秦野のPTA広報の実力を感じました。
・連帯感があってすばらしい活動で感動しました。
・すばらしい新聞ですね。今日の実践発表を楽しみたいです。
・技術的にもよくできています。速報という使命が果たされている。時間的にきつい中で、記事の内容についも紙面が活き活きしています。
・きれいで、読みやすい。お疲れ様です。
・レイアウトがきれい。よくできている。
・内容がわかりやすい。

・写真がよく撮れている。

・3色刷りがよい。
・とても頑張っていると思います。来年の50回大会を引き受けるので参考にしたいと思います。




2006年8月1日更新


第49回全国新聞教育研究大会 神奈川・秦野大会 大会速報部の活動


 大会速報の題字は『湧水』
  秦野のお母さん記者の実力が十分発揮された企画・紙面です。

1 題字『湧水』(「名水100選」の地秦野と学校教育の地下水・新聞づくりをイメージ)

2 二日間で4回の発行(大会当日の取材で発行)A3判 2ページ

3 編集者は市内PTAの有志会員(全員立候補)18名と教員2名
  パソコンの入力は渋沢中学校の生徒

4 編集組織と日程
  第1号担当 (開会式までに発行)
    A班 〇水越 佐藤 石田 那須井 中迫 佐々木 青柳 関野 千坂
  第2号担当(第1日終了までに発行)
     B班 〇笠井 相原 栗山 後藤 高橋 沼崎 丸山 山口
  第3号担当 (第2日研究分科会開会までに発行)
    A班
  第4号担当(閉会式終了までに発行)
    B班

5 編集のねらい(主な記事)
  ・参加できなかった他講座・全分科会のようすを知らせる
   @講座の講師に「ここがポイント」を事前に取材
   A分科会提案者に「ここがポイント」を事前取材
   B「大会に期待する」を事前取材
   C助言者に助言のポイントを事前取材
   D秦野大会に関わる『この人』を紹介(4回シリーズ)
   E「わがまち秦野」(4回シリーズ)  
   F記念講演のプロローグを取材

6 タイムスケジュール
  6/25 第1回全体会(企画会)               東公民館
  6/26 企画会(A、B班長・本部担当)          東公民館
  7/2   A班企画会(第1号)              東公民館
       (取材開始)
  7/7   B班企画会(第2号)              東公民館
       (取材開始)
  7/13 A・B班合同編集会議(レイアウト決定)       東公民館
  7/17 A班編集会議(記事完成)              堀川公民館
       B班編集会議(記事完成)              東公民館
  7/19〜20 レイアウト入稿               渋沢中学校
  7/21 A班編集会議(記事完成)              渋沢中学校
       B班編集会議(記事完成)              東公民館
  7/24 企画会(A、B班長・本部担当)           相談室
        1号 入稿入稿                 渋沢中学校
  7/28 第2回全体会(第1号初校と編集会議)       渋沢中学校
  7/31  1号 校了                   
  8/1   1号 印刷                   渋沢中学校
  8/2   2号 入稿                   
  8/3  集合11時30分 取材・編集・校正・発行作業   
        1号 発行 12時15分
        2号 発行 17時(入稿終了16時)         
         (全国交流会18時〜 出稿20時)   
        3号 入稿 21時               文化会館
  8/4  集合9時 取材・編集・校正・発行作業
        3号 発行  9時15分
        4号 入稿 10時30分
        4号 発行 11時30分
        終 了   13時10分            文化会館



2006年7月1日更新



 今年で6年目になった東公民館での『新聞っておもしろい 親子で新聞をつくろう』講座。今年は6月8日と24日の2回シリーズで行なった。延べ38人の参加だったが、小学生も来てくれた。その講座の感想を公民館がまとめてくれた。(下)


 新聞の見方が変わりました
 
 新聞の見方が変わりました。自分なりに記事を読んで見出しをつける実習、ちょっと楽しかったです。とてもためになる話が多く有意義な時間が過ごせました。子供と一緒に家族新聞を作ってみようと思いました。武先生のお話は、聞きやすくおもしろいです。名前のお話、もっと聞きたいです。ありがとうございました。


 PTAで新聞づくりにかかわってから、家族でも新聞を注意深く読むようになりました。新聞社ごとに主張や紙面構成が異なることが興味深く、半年ごとに購読新聞を換えています。私たちが七転八等の末、時間をかけて創り上げる新聞を毎日が発行されている新聞社の方の努力には頭が下がります。最近では隅々まで読もうと心がけています。今では関心事の記事や見出しが目にとびこんでくる感じです。

 現在新聞づくりをしている最中です。もう少し早く先生のお話が聞けていたらよかったと思います。今読んでいる本で、以前映画にもなったサリドマイドの方の本の中に苦戦する就職活動を地元の新聞記者の方が「紙面で応援する。」と言われ、実際に記事をのせてもらったら、多くの会社から連絡が入ったと言うような文章がありました。あらためて新聞の力の大きさを感じました。この部分に目がとまったのもこの講習会に参加したら新聞づくりを実際にやっているから目にとまった表現だと思います。これを機に家族新聞に挑戦してみたいと思います。ありがとうございました。

 この夏休み 我が家でも新聞をつくってみよう
 2回の講習会に参加させていただいて、この夏休みに我が家でも新聞をつくってみよう、という気持ちになりました。新聞づくり=大変。というイメージがなくなりました。力を入れずにできる文章、できる範囲のものを我が家の記録として作ってみようと思います。3号以上できる自信はありませんが、まず1号から始めてみます。同じ出来事に対しての各新聞での内容の違いも改めて感じ、面白くもあり、怖くもありといったかんじです。2日間ありがとうございました。

 武先生の新聞に対する情熱を強く感じました。夏休みの宿題として、子供に作るよう言ってみようと思います。ありがとうございました。

 いろいろな方の作った新聞を見て結構楽しいものだなあと思いました。夏休みに子供と挑戦してみようかと思います。

 今年度初めての広報委員で何もわからず頑張っているところですが、今回のお話を参考にもっと頑張りたいです。ありがとうございました。老眼が始まり遠ざかっていた新聞も、もう一度読んでみたくなりました。
 
 むずかしい新聞づくりのイメージから、やってみたいナと思えた家族新聞づくり講座でした。新聞記事の文字の裏側の光景が浮かぶようになった。一文字の重さが心に染みます。

 今、広報紙作りに従事しております。具体的なお話や、実例が多く、とても参考になりました。過去にこの講座に出られて、家族新聞を工夫して作成されている例は本当に刺激になりました。家族のきずなや温かい雰囲気が紙面から伝わってきました。家族それぞれ多忙な現状で新聞づくりが家族を一つにするということがよくわかりました。

 新聞の題名を決めるにも苦戦してしまう状態で、先生の講習を受けて少しずつ分かってきたような気がします。これからもがんばって広報紙を作っていきます。たくさん新聞を読みます。

 「書くこと」のおもしろさ、大切さは感じてはいるのですが、なかなか実行に移せないもどかしさも感じています。「やる気」になれば、パソコンも修得できないのだと実際に家族新聞を発行されている個人のお話を聞いて思いました。「言葉の力」を信じています。なにげない一言でも心に響く言葉かけをしていきたいと常々思っています。

 広報の活動以外にも家族で新聞を発行されている方々がいることを知り、とても驚きました。家族の輪を強めるのにとてもいい手段でもありますね。勉強になりました。ありがとうございました。

 今までまったく新聞広報に興味もなく、広報委員になってしかたなく的に参加しましたが、武先生のお話でとても興味をそそられました。今後、広報作りがんばっていきたいと思います。



2006年6月5日更新


 
 やっぱり学校の雰囲気って好きだな!

 緑がきれいな季節になりました。お元気ですか。
 小学校での教育実習も後一ヶ月と迫ってきました。4月27日に書類を提出しに東小学校を訪問しました。去年、ごあいさつした教頭先生と教務主任の先生がいらっしゃらなくて、新しい教頭先生と新しいO主任先生にお会いしました。
 担当のO先生は、とても熱心でめんどうみのよい先生だなと感じました。私か来るのをとても楽しみにしてくださっているようで「東小に赴任したいと思ってもらえるように、実習が終わるのがとても寂しいと感じてもらえるように、こちらも頑張りますから」とおっしゃってくださいました。すごく感激しました。ああ、やっぱり教採一本でがんばろう。絶対、先生になる、と実習も始まってもいないのに、そう思い込んでいます。6月と11月に、それぞれ2週間ずつの実習です。担当は3年生でクラスも決まっていました。どんなクラスなのだろう、と今からとても楽しみにしています。具体的な目標を定め、積極的に何でもやってみたいと思っています。
 小学校へのごあいさつの後、中学校も訪問し、来年度の実習のお願いをしてきました。知っている先生は、3年のときの担任のH先生しかいらっしゃいませんでした。とても寂しく思いましたが、それだけにH先生がいらっしゃったことは嬉しく、ほんとうにホッとしました。中学校での実習は6日間だけの参観実習となっているので、母校でも受け入れてくれないところがあると聞いていましたが、H先生のお陰で実習をさせていただくことになりました。H先生も、私が来るのをとても楽しみにしているとおっしゃってくださいました。私の教科が社会科ですから、H先生に指導してもらえたら最高だな、と期待しています。先生も「オレが担当したら授業をやらせるからな」とおっしゃってくださいました。来年度のことですが、中学での実習も充実したものになりそうです。
 久しぶりに母校である小・中学校を訪ね、やっぱり学校の雰囲気って好きだな! と強く思いました。子供たちがいるだけで生き生きしている校庭。ある種の緊張感を与える職員室。でも暖かさを感じる先生方の顔。今はまだ生徒である私が、この部屋に入ったらどんな私になるのだろうといろいろ想像を巡らせたのでした。
小・中学校とも忙しい中、大変気を使って対応してくださいました。こんなに恵まれた環境の中で実習させていただくのですから、たくさんのことを学び、成長して帰らなければいけないと、今から強く思っています。何かアイディアで困ったら武先生にお聞きしようと決めています。そのときはよろしくお願いします。
 実習が終わりましたら、またお手紙を書きます。     Mayumi



2006年5月1日更新



 池田 裕子さんのこと

 絵門ゆう子さんの死去が新聞で報じられました。その記事で、絵門ゆう子さんが元NHKのアナウンサーの池田裕子さんであることを知りました。
 池田裕子さんについては、とても印象に残っていることがあります。どこで、何年に開かれた大会であったのか記憶にないのですが、新聞の全国大会の記念講演で、(もしかしたら新聞大会ではなかったかもしれません。)池田さんが話したことが記憶に残っています。それは次のような内容でした。

 フリーになった池田さんに、あるテレビから仕事が来ました。その仕事とは、新生児のお母さんにインタビューをするというものです。フリーになって間もない時の仕事ですから、仕事が来ただけで嬉しかったのです。その番組の企画について十分に理解しないまま、撮影のスタッフと病院に出向きました。
 誕生して間もないわが子を胸にした母親に、カメラは向けられました。幸せに光り輝くその光景を目にし、池田さんも又、喜びを感じました。若い母親から、わが子をもった喜びを見聞きし、いっそう幸せになれたのです。
やがてその番組の試写。池田さんも立ち会いました。なんと完成したその番組は、若い女性の《中絶》をテーマにしたものでした。そして、池田さんがインタビューした母子が、そのタイトルバックに使われていたのです。ただ、母親と新生児の絵だけが欲しかった、母親の声などいらなかったのです。「インタビュアーとしての自分の存在も否定された」と、彼女は思いました。この世に生を受けたことを祝福されているこの子、そして一つの命を誕生させた母親の限りない感動と感激、それらすべてを冒涜するかのような番組構成を、池田さんは許すことはできませんでした。このことを契機に、池田さんは「報道する側としての倫理観」を、自分の中に確立させたのです。

 絵門 裕子さん 2006年4月3日 転移性乳がんのめ49歳で死去。




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2006年4月1日更新


エコー教育広報相談室の活動  2005年4月1日から2006年3月31日まで教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。

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新聞新聞づくりの相談      学校・学級新聞  23件   PTA広報 127件   その他の広報・新聞  8件 
                 「広報はだの」編集会議 26回
A教育相談「一人で抱え込まないで、一人で悩まないで」   進路変更・不登校・教師不適応・学級経営など 11件
Bその他の活動          新聞・広報づくり講座講師 32回   子育てなどの講演  回
                 「ふるさと」講座・案内 9回
C当相談室来訪者         171人・組 (242人)

 

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2006年3月1日更新


 まもなく卒業していく子どもたちが書いた授業の思い出。教えることの厳しさ、そして喜びを、どの教師も強烈に感じる季節。


 社会科は、自分で調べ学習をし、さまざまな知識を身につける教科

火曜日、中学校生活最後の社会科の授業「きょうが最後なのか」と少し寂しい気持ちになりました。そして3年間の最後になるこのレポート。「ホリエモン、トリノ・オリンピックなどさまざまなニュースの感想でも良い」「地球規模で深刻化している環境問題について調べても良い」。しかし私はこの最後のレポートで3年間の社会科の授業を振り返っての感想にしました。
 私は小学生の頃、ハッキリ言って社会科はきらいだった。理科の実験にあるようなおもしろさもなければ、数学の問題を解いたときのような達成感もないからだ。“社会=年表やグラフをただひたすら覚えるだけの教科”というイメージが私の中にあった。
 そのまま中学校に入学し、大津先生の社会科の初めての授業で「知っている国名を書き出す」という問いにたいして、私は12,3しか書けなかった。自分の力のなさをものすごく感じた。しかし、先生が授業のたびに世界地図を広げてくださったことで、私の中にどんどん《世界》が入ってきた。それで、私は日本と世界の国々との関係で物事を見るようになった。
 社会の授業で一番好きだったのは地理でも公民でも歴史でもなく、ニュースの話とそれに関する先生の考えが聞かれることだった。ニュースでは伝えられない部分を学ぶことができた。その後、新聞記事レポートを毎週提出するという課題を与えられたことで、今までよりも新聞に触れるようになった。最初は、この課題をクリアするためだったが、徐々に課題のためでなく、自ら進んでニュースを見たり読んだりするようになった。
 毎年の夏休みの課題であった自由研究。それでは「自分で目標(課題)を決め」、「解決(研究)する」という力が養われた。小学生の頃は、夏休みの家族旅行は涼しい高原などを楽しむことが主だったが、中学校に入ってからは《学ぶ》という目的を持ちながら、旅行を楽しむことができた。自ら進んで研究することは、しっかり記憶し、自分の物として身にけられるということに気づいた。この自由研究で私は成長できたと思う。
 大津先生に出会ったことで、社会科のイメージは確かに変わりました。社会科は、自分で調べ学習をし、さまざまな知識を身につける教科です。    Saine(平塚市)



 新聞を読むことは大切なこと
 先生の授業から、新聞を読むということがとても大切なことだと知りました。
 新聞やテレビのニュースから、起こった事件、今の政界のこと、世界や日本の現状を把握し、きちんと考えて行動する、そういう能力を身につけることが、これからを生きていく私たちには必要です。   Yuri(平塚市)



 新聞と私

 基本的には私は毎日、新聞を読みます。朝は時間がないのでテレビのニュース出できごとを把握します。新聞は帰宅してからすぐに読みます。
新聞を読むのは、なぜか小学生の頃から好きでした。「新しく」「聞く」のとおり、事件や状況、事情など、大きな問題から小さな話題まで、世界中のことが載っていて、それを読むのが楽しかったのです。
 新聞のもう一つの「新しい」は、漢字や言葉を覚えることが出来るということです。今でも読めない字があれば、すぐに辞書を引きます。私にとって新聞は情報を得られるということだけでなく、学問としても役立っているのです。最近は悲惨な事件が多く、新聞を読んでいると悲しくなります。でも、これからも新聞を読み、いろいろなことを「新しく」「聞き」ながら、学び、考え、生きていきたいと思います。   Risa(荒川区)




2006年2月4日更新


 平成18年2月3日に神奈川県教育研究所連盟研究協議会の教育資料・調査部会が秦野市本町公民館で開かれました。その会に招かれ講演をしました。    
 
 演題「新聞づくりは仲間づくり」 声が大きければこだまも大きい

1 新聞っておもしろい
・新聞を知ろう ・新聞を読もう

2 教育と新聞
  知らない、知らせられない、知ろうとしない怖さ
知りたい 知らせたい 知ってもらいたい

参考
 秦野市人権施策懇話会の講話・「子どもの人権と新聞教育」
 ・子どもの声、保護者の願い、教師の思いが学校内に響き合うとき、子どもの人権は保障される。
 ・太平洋戦争の反省にたった戦後の教育の特長の一つは、学校に自治活動(生徒会活動)を根付かせることだった。
 ・その自治活動は、生徒会・弁論・新聞活動が基盤となっていた。
 ・学校が受験戦争に巻き込まれると、これら三つの活動は教師にも親にも“鬼っ子”的存在と見られるようになった。
 ・子どもたちの自治活動の再興は今の学校に必要・欠かせないもの。
 ・秦野の教育の特長である新聞づくりによって人権への意識を高めたい。
 ・第一回の新聞週間(1948年)の標語「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」。この理念・言葉こそ今の学校に活かされなければならない。
  「私は政府があって新聞が無い国より政府が無くても新聞のある国に住みたい」                            トーマス・ジェファーソン

参考 昭和24年7月の文部省編「中学校・高等学校の生徒指導」の特別教育活動の中に、学校新聞が取り上げられており、次のような学校新聞のもつ意義が強調されている。 
  学校新聞は新制中学校、新制高等学校の生徒に多くの価値ある教育的経験を与え得る。これは、学校出版物の最も重要なものである。それは、次の目的に役立ち、または役 立ち得る。
 @ 全生徒が学校活動に遅れないようにし、それによって学校計画の統一を保つのに役立つ。
 A 生徒に思想、意見及び観察発表の機会を与える。これが地域社会の人々に流通し読まれたら、学校と地域社会との関係を密にする。
 B 学校は、これを利用して、方針の変化、変更を考慮している事柄、公衆の援助を受ける事柄を周知させることができる。
 C 学校の校紀、校風を改善し、生徒に学校の誇りを増させるようにする。
 D 建設的と思われる諸活動を称賛して、生徒の建設的な活動を進歩させる。
 E 論説的な善行を称賛し、生徒行動の標準(たとえばスポーツマンシップ)を改善発達させることを援ける。
 F 個人または学校の信用を高めるような立派な仕事を一般に認識させる。
 G 学校新聞には高い標準を設ける。正確な真実のみを書き、ひぼうを避け、公共の福祉(生徒の福祉)に奉仕し、建設的な編集方針を取ることによって、すべての生徒によい新聞は何を期待すべきかを教える。
 H 上述の新聞は社会科や、その他の授業に用いられ、正確に、そしてわかりやすい新聞の読み方を訓練されよう。
 I 生徒たちによって書かれた創作の発表する梯会を与える。
 
3 新聞教育の3分野
@新聞づくり
A新聞活用学習(NIE=Newspaper In Education)
B新聞機能学習
@ 新聞づくりの活動を通して
学校新聞・学級新聞・学習(教科)新聞・個人新聞・家族新聞など、子どもがつくるあらゆる形の新聞−これらの新聞をつくるために、子どもたちは教科・道徳・特別活動などで学んできたことを総合的に活用しなくてはならない。その全過程で、子どもたちは情報を集め、取捨選択し、新たに創造し、発信するという「情報活用能力」を培う。
A新聞活用学習(NIE)を通して
一般商業新聞を学習に利用する目的は、教科・道徳・特別活動など、それぞれに応じて多岐にわたる。新聞活用を通して、情報の収集・選択・判断・利用の仕方などが学べる。特に「社会に眼を向ける姿勢」「生きた社会の動きや現実の人の生き方から学ぶ態度」など、情報に対する最も基礎となる関心・意欲・態度を身につける。
B新聞機能学習を通して
情報化社会の中で「主体的に情報と向き合う力」をつける。メディアリテラシーは、子どもたちがこれからの情報化社会を生き抜いていく上で不可欠である。
 ・情報産業の典型としての新聞業の特色を理解(歴史、発行の仕組み、流通システム、そして新聞人の志や心情など)できる。
 ・新聞を通して、情報の重要性、その影響と責任などの理解できる。
 ・テレビ・ラジオ・出版・電話・インターネットなど各種メディアとの比較する。
 これら3分野の中で、@の新聞づくりの活動を重視したい。子どもたちが自主的・主体的に新聞をつくることは、情報を整理し、発信することである。発行された新聞(発信した情報)を通して読者との意見交換(交信・交流)が始まること、さらに作り手と読み手の交替が起こること、を最終目的としたい。これが「新聞づくりは仲間づくり」である。

4 新聞づくりは仲間づくり
@学校・学級新聞の役割
 ・書き残す→ 知らせる→ 高める⇒ 行動させる
A学校に三つの声を
 ・子どもの声、親の願い、教師の思いが響きあう学校

5 秦野の新聞教育 これからの新聞教育 
・新聞づくり(新聞教育)は集団を育てると共に、一人ひとりの子どもに「生きる力」を培う。
・教室で書く作文やレポートは、ときとして「誰に」対して発信しているかが分からないことがある。
・新聞は、そのことをよく知らない教室の仲間に対して書く。
・だから「正しく情報選択」をし、「正しい情報発信」をしなければならない。
・ そのために、話し合い・交流(交信)が起こる。
 「よい新聞、読まれる新聞は、よい活動の中から生まれる


資料 新聞週間の代表標語
第58回(2005年度) 「なぜ」「どうして」もっと知りたい新聞で
第57回(2004年度) 一面から読むようになった十五の夏
第56回(2003年度) 広げれば時代にアクセス暮らしにプラス
第55回 (2002年度)  知りたい本当のこと だから新聞
第54回(2001年度) 改革の時代を見つめるたしかな目
第53回(2000年度) 激動のネット社会に確かな活字
第52回(1999年度) 新世紀かわる社会に変わらぬ使命
第51回(1998年度) 混迷の世に新聞があり明日がある
第50回(1997年度) 新聞が高める社会の透明度
第49回(1996年度) 情報を選ぶ時代の確かな新聞
第48回(1995年度) 新聞は歴史の検証未来の指標
第47回(1994年度) 今日を読む世界が動く自分が変わる
第46回(1993年度) ふるさとを世界の視野で再発見
第45回(1992年度) 新聞が守る地球 人 未来
第44回(1991年度) 住む町も世界も見える今日の記事
第43回(1990年度) 変革の明日へ確かな今日の記事
第42回(1989年度) 明日を生む記事の確かさ温かさ
第41回(1988年度) 新聞はひるまずおごらずかたよらず
第40回(1987年度) 新聞がある信頼がある自由がある
第39回(1986年度) 報道に強さ確かさあたたかさ
第38回(1985年度) 新聞で確かな情報豊かな選択
第37回(1984年度) 新聞は情報社会の正しい目
第36回(1983年度) 書く勇気伝える真実待つ読者
第35回(1982年度) 新聞が大きく育てる小さな主張
第34回(1981年度) 知る権利守る新聞支える読者
第33回(1980年度) 新聞はきょうの目あすの目未来の目
第32回(1979年度) 新聞と読者でひらく八〇年代
第31回(1978年度) 新聞で世界と語る考える
第30回(1977年度) よい新聞育てる読者のきびしい目
第29回(1976年度) 新聞で育つ世論が政治を正す
第28回(1975年度) 新聞は記事に責任主張に誇り
第27回(1974年度) 新聞が守るなんでも言える国
第26回(1973年度) 新聞は地球を守るみんなの目
第25回(1972年度) 真実を伝える勇気が生む信頼
第24回(1971年度) 新聞は世界の対話を生む広場
第23回(1970年度) 新聞はきれいな地球の見張り役
第22回(1969年度) 新聞は宇宙も世界も見える窓
第21回(1968年度) 新聞が守る秩序のある社会
第20回(1967年度) 新聞が育てる未来の人と国
第19回(1966年度) 新聞で見る知る正しく批判する
第18回(1965年度) 新聞の勇気が守る世界の平和
第17回(1964年度) 新聞で育つ若い芽正しい目
第16回(1963年度) 新聞は「小さな善意」の大きな味方
第15回(1962年度) 新聞が日ごとにひらく新時代
第14回(1961年度) 新聞は動く世界の正しい目
第13回(1960年度) 新聞はゆれる社会のゆるがぬ指標
第12回(1959年度) 真実の記事に世論がこだまする
第11回(1958年度) 新聞が果たす世界の話し合い
第10回(1957年度) 報道には大胆人権には小心
第9回(1956年度)  新聞にきょうも生きてる民の声
第8回(1955年度)  新聞は世界平和の原子力
第7回(1954年度)  新聞は正しい政治の見張り役
第6回(1953年度)  報道の自由が守る・知る権利
第5回(1952年度)  揺らぐ世界に揺るがぬ報道
第4回(1951年度)  新聞が結ぶ人の和世界の和
第3回(1950年度)  新聞は民主社会の安全保障
第2回(1949年度)  自由な新聞と独裁者は共存しない
第1回(1948年度)  あなたは自由を守れ新聞はあなたを守る








2006年1月1日更新


学校は教えの種を蒔き 家庭はこれを助ける

  「同封の通告表、明治45年は、恐らく先生もご覧になられたことはないのではないかと思います。ご参考になればと思いお送りいたします。私ごとながら、この通告表は亡母の小学校六年生のときのものです」。このような添え書きとともに、江刺誠・元熱海市教育長(エコーの読者)から、貴重なコピーをいただいた。
 表紙は「明治四十五年度通告表 熱海尋常高等小学校」となっている。江刺先生が「参考にしなさい」と言われたのは、この通告表の裏面に書かれている次の文である。その全文をここに転載してみる。※( )内は武注

1、学校は教の種を蒔き家庭は之を扶け(助け)育つる務めあり。殊に学校の教と父母の言ひ附と違ふ様の事ありては児童の為にならぬ者なれば時々学校の授業を参観せられたし。
2、御参考として学校家庭に於ける躾(しっけ)の大要を左に記す。
 イ、欠席遅刻早引きは学業の進歩に妨げあるのみならず自己の務めを重んぜざる習慣を生する基なればこれなき様御注意ありたき事
 ロ、復習は毎日適宜一時間以内においてなさしめられ且学用品を丁寧に取扱はしめられたき事
 ハ、衣服は木綿の単袖履物蝙蝠傘帽子等は堅牢にして質素なる者たるへき事
 ニ、頭髪及顔を清潔にし髪は短く斬り女児は美しき飾りを避くへき事
 ホ、弁当は平素家庭に於いて食ふものを充分に持たしめられたき事
 へ、無益の玩具を求め又間食をさせぬ様されたき事
 ト、勝負事危険なる遊又はみたりかはしきはやり歌なとは凡て禁止せられたき事
 チ、常に起居振舞言葉遣を丁寧にし灑掃(「サイソウ・水をまき、ほうきではく」という意味)及ひ使等相応のしことをなさしむる様せられたし

 九十年ほどの「学校からのお願い」を読んで、私たちは何を感じるだろうか。ある人は校則の原点をこの中に見るかもしれない。「学校が願っていること、悩んでいることは今も変わりない」と、安心あるいは残念がる人もいるだろう。
 私は、学校と父母が意思の疎通を図ることができるようにと「時々学校の授業を参観せられたし」と書いている学校に、教育に対する確固たる信念、自信があることをうらやましく思った。
 2006年、新しい一年が始まった。子どもたちに「生きる力」を与えるため、学校や家庭は何をすべきか、地域はその支えをどのようにすべきか。この通告表に書かれている「お願い」は一つの指針とならないだろうか。





2005年12月1日更新



 二つの新聞研究会に参加しました

 11月8日、午後から市内の大和田小学校で「市川市学校新聞展」の審査会。昨年より印刷新聞は出品点数が少し減りましたが、壁新聞はかなり増えて子どもらしい作品を目にし、温かい雰囲気の審査会になりました。終わって有志で懇親会。暖かい夜でなので快適に自転車を走らせ家路に就きました。
 11月1日は東京都小学校新聞教育研究大会(葛飾区立宝木塚小)に参加。公開授業は全クラス(18学級)で取り組み、積極的で前向きな明るい教職員の方々に感心しました。
授業は全クラス見学させてもらいました。新聞に因んだ掲示物が綺麗に整い、授業への取組みに好感がもてました。1年生からレイアウト感覚が自然に育つような指導で、学年に応じてそれが伸びて行き、学校全体が新聞に興味と関心をもつのではないかと思われました。環境も綺麗に整い、子どもたちも落ち着いて居心地よかったです。トイレがたいへん綺麗なのにも驚きました。
 夜の懇親会も都小新研のメンバー、来賓、そして宝木塚小の職員の方々は全て参加され、一人ずつ今日までの取組みや裏話など語られ、楽しめ勉強になりました。あたたかい雰囲気でこちらも幸せなひとときでした。
 都小新研が発足して20年位でしょうが、「情報活用能力を育て、確かな学力を育む」というねらいがしっかりと豊かに息づいて感慨深いものでした。長田会長はじめ都小新研の会員の皆様の温かい結びつきと団結力は素晴らしいですね。吉成元会長を中心に、会員の皆さんがここまで育ててこられたかと思うと感無量でした。
                             菅原 澄子



 日本一の「3Cタイムス」は私たちの班が作ったのです

 前略 先日は、ECHOを送っていただきありがとうございました。素敵な切手が目に入り、「何だろう?」と思って開けてみると、なつかしECHOの文字!…私たちの中学の時は、カタカナのエコ−、そして、先生にお世話になった3年C組の学級新聞は『3Cタイムス』でしたが…。あれからずっと新聞作りに携わっておられ、この間のお話によると…なんと全国大会まで開催されるに至ったこと…本当におめでとうございます。…これからご準備で大変でしょうが!…「継続は力なり」すごい!です。
 昨年でしたでしょうか?!小澤先生達がまとめて教育研究所が発行した冊子の中に『3Cタイムス』が載っていましたね。あの『3Cタイムス』のタイトル? デザインは私のアイデアです。家で悩んで提出したのが採用されてうれしかったことを思い出しました。ちょうど私の班の作った新聞が「日本一」だったと思います。あの新聞、だれかが持っていてくれたのですね?! (ちょっと自慢しちゃいいました(^_^;) 
 中学を卒業して、35年!みんないろいろなことがあったと思うけれど、地域に生きて暮らして頑張っているなあと思います。学生時代、独身時代は、自分の事だけ考えて精一杯、それからは、仕事・家庭の事・子育てでてんてこ舞い! 中年の今になって、やっと地域の周りのことが少し見え始めてきた感じがします。私は、ここに生まれてここで生きているんだと…! 昔から控えめな私?!(^_^;)は、先生のように自分から何かを発信することは苦手なのですが、これからも、家族を思い、地元を愛して、もう少し仕事を頑張っていこうと思っています。
 先日の同窓会や先生の「ふるさと見て歩き」の影響でしょうか、ちょっと地元を振り返っている今日このごろです。時節柄ご自愛下さい。取り急ぎ御礼まで。
                             Yoko





秦野市立鶴巻中学校は20歳になりました。






2005年11月1日更新

 
 第九回全国紙芝居まつりの実行委員長・木口まり子さんから「秋ですね。あしがらは、このところの冷え込みで富士山はうっすらと雪化粧。」に始まる次のようなおたよりをしただきました。 



 第九回全国紙芝居まつりが終わって

 延べ二二三〇人余の参加  ありがとうございました!                 
 

 今夏、神奈川県の西端足柄上地区までようこそいらっしゃいました。
 日本図書館協会、神奈川県立図書館、足柄上地区一市五町の行政、教育委員会、紙芝居文化推進協議会、親子読書・地域連絡会、神奈川新聞社、中川温泉組合など関係団体からはご後援を、地元ライオンズクラブ、企業、商店からは記念誌の広告掲載と多くの皆様にご支援を頂きました。本紙でも掲載頂きました。前回の長岡大会実行委員会からも心強いご支援、まつり東京本部からは実行委員会二〇回の半分のご出席いただき、当日不参加の方々からは励ましのお便りをいただくなど、関係者の皆様には、大変お世話になりました。おかげさまで、無事に終了いたしました。心より感謝し御礼申し上げます。

 つどえば発見!和・輪・話 紙芝居
 「つどえば発見! 和・輪・話 紙芝居」本大会はこの言葉のもと活動してきた。最初の《和》は戦後六〇年を踏まえ、平和の和。平和であるから、つどうことができ、つどえば、《輪》が広がり、《話》し合うことができる。平和はすべての礎である。平和と共に紙芝居を未来へ贈りたい。

 紙芝居を未来への贈り物に
 紙芝居を未来へ贈るには、今、紙芝居にふれることだと考えた。そこで、二つの柱を設定。一つは地域に種まき「あっちこっちで紙芝居」を足柄上地区全七ヵ所の公民館、図書館を会場に開催。右手和子さん(東京)、とどすずきさん(大阪)、野間成幸さん(石川)など全国でも有名な演じ手を迎え、総計一一〇〇人余の参加となった。どの会場も満員で、入場制限をする会場もあった。
あと一つは全国の仲間との学び合いと交流「分科会」。四つの分科会で「少子高齢化社会」である未来を見据えて紙芝居の果たす役割を考え、紙芝居を未来への贈り物にする道を探った。未来へ紙芝居を手渡すには、子ども達が紙芝居に何らかの形で触れることが必要だ。また近年老健施設での公演依頼が増えていることから、大人の鑑賞にも堪えうる紙芝居の出現が待たれる。紙芝居のサイズも大きくする時期ではないか。

 未来へ―子どもと紙芝居を繋ぐ―
 この課題は、学校の理解と協力なくして実現しなかった。御礼申しあげます。
 開催地を活かし、何らかの形で子どもと「まつり」を繋ぎたい。まだ紙芝居が根付いていないこの地からも、紙芝居を未来へ贈り届けたいからだ。小中高の子どもたちには学校単位で、あるいは地域サークルで、できることをお願いした。
 小中校の紙芝居制作と実演、高校生に駅の出迎え、開会式会場受付、案内、実演をまでこぎつけたのは、大きな成果だ思う。小学校では「総合」の時間を使って、中学校では部活動で制作したという。それは地元サークルの努力が学校を動かしたといえる。感謝である。学校単位でなく地元サークルの一員として個人で紙芝居に取り組んでいる養護学校の高校生にも依頼した。すらすら読むには百回以上の練習があったと聞く。第四分科会で発表したが、「障害があっても人の役に立つことをしたい。その一つがみつかった」と語った母親の言葉が忘れられない。きっかけを作ってくれた中学校時代の担任の先生もかけつけてくれた。紙芝居とはまさにドラマだ。
* 南足柄・福沢小学校六年生(総合の時間)
  制作「酒匂川物語」
  実演 共学館(あっちこっち)第四分科会
*山北・共和小学校三,四年生(総合の時間)
  制作「共和の四季」
  実演 山北町中央公民館(あっちこっち)
*山北・山北中学校美術部
  制作「キツネの灯り」
  実演 開会式
*山北高校ダンス部 
  実演「御殿場線物語」(あっちこっち)
  会場受付、駅出迎え
* 立花学園高校インターアクト部

  学校という枠ではなく、卒業生の後押しをする教師の姿にも感動を覚えた。人生はまさに日常の積み重ねの上にあるのだ。
〈アンケートより〉
 子ども達の活動が清々しい。「動かなければ出会えない」出会いは人、人は宝です。

 行政区を越えたサークルの連帯 ―集まりつつ個を生かす―
 本大会の特徴は足柄上地区一市五町(南足柄市、中井町、大井町、松田町 山北町、開成町)の行政区を越えたサークルが連帯して、まつりを開催したことである。
 実行委員会は、十二サークル五十一名。十二サークルの活動内容は多岐の渡り、紙芝居純度の高い集団ではない。しかし、だから、紙芝居の裾野が拡大された。まつりへの取り組みが紙芝居を学ぶ活動へと繋がったからである。ここに連帯のよさが光る。集団に埋没しないで、「集まりつつ個を生かす」それには、「語らなければ広がらない」のです。自分の心が。

 「動かなければ出会えない・語らなければ広がらない・聴かなければ深まらない」(教育個人紙『エコー』より)
 寄り合い所帯をまとめていくのは、しんどかったけど、この言葉を支えに踏ん張った。実行委員会は波乱万丈、船は何度山に登ったことだろう。でも、「聴かなければ深まらない」のです。行政区を越えた集まりなのだから、地域によって異なることもある。各人各様の意見をまず聞かなければ、独善になってしまう。時間はかかり、「みんなの意見を聞いていたら前に進まない。木口さんの思うようやったらどうか」との意見も聞かれた。でも民主主義は時間がかかるもの。おかげで本番には気持ちが一つになった。それは語り合ってきたことの成果だと思う。参加者の皆様からも「大成功、来てよかった」との言葉を頂いた。主催者冥利につきる。

 全国紙芝居まつり それは文化運動です
 「まつり」が終わり実行委員会は解散。同窓会「あしがらの伝承と文化の会」が結成された。初仕事は長岡輝子さん講演のお手伝いをします。
 全国の皆さんがあしがらの地へ蒔いてくれた種が、芽を出したのです。ありがとうございました。「全国紙芝居まつり」。それは文化運動なのです。握手。

  参加延べ人数 2230人余(宿泊241人)
    「あっちこっちで紙芝居」会場 1100人以上
    「開会式」 400人余
    「分科会」 656人




2005年10月1日更新



 「学校」って、すごいところです
 
 「学校」って、すごいところです。怪獣みたいです。「学校」にそぐわなくなると、学校の正門は怪獣の口のようなものです。勇気ふりしぼって、その口の中に飛び込んでいけるかどうか。何とも思わず通っている人達には、単なる正門でしかないから、なかなかそこがわからないんじゃないだろうか。
 体育祭の練習に疲れたというのか、学校が怪獣の様相を示してきてまいってしまったというか、先週の土曜日あたりから調子は悪かったんです。体育祭の練習を重ねていくうちに心身共に疲れたので休みをもらいました。三日は休めないだろうと、まだ完全に調子がいいわけではないんですが、出かけることにしました。からだは休みたがっている、頑は出勤しなければならないと思っている。その葛藤は、車を正門に近づけるんですが、からだはゲートに入ろうとしない競争馬のように、正門に向かう私の車のハンドルを切らせてしまう。そんなことしながら、ようやく怪獣の口に飛び込み、一日を学校で過ごすことができました。入ってしまえば、何のことはない、ふつうに過ごせるのですが。
 Uさんは一つの峠を越え、自分なりの生き方、考え方を持てるようになったようですね。大人になるにつれ、精神的にも安定してきて、外の声に惑わされることなく、自分なりの行動をとることができるようになってきます。「トイレに一緒に行こうよ」と言われてヒョコヒョコついていってしまう中学生と、そんなの一人で行ってこいよ、と言い切ることのできる高校生みたいな成長はあります。 「十人十色、百人百色」ですから、一人ひとりしっかり見て対応しなければならない、と常日頃思っています。  San Man



 不登校に関する内容、興味深く読まさせていただきました。
 不登校の子どもたちといますと、どの学校のどの教室にもいるであろうと感じられる子どもたちのように思えます。この夏休みに二回ほど、不登校の子どもと不登校でない子どもたちと合同で2泊3日のキャンプをやりましたが、やはり人間関係を作っていく上で、スムーズにいかないことが多々あることがわかりました。でも、その原因をつきとめることよりも、あるがままを受け入れて、少しずつよいことと悪いことを教えてあげれば、子どもたち自身が自分づくりをしてくれるようです。誰だって学校に行きたい、誰だって友だちがほしい、と思っていると思います。私たちができることは、いろいろな場面を準備しておいて、いつでも受け入れられるようにすることかな、と思っています。今の仕事も3年目。次の行き場所も気になり始めるこの頃ですが、とりあえず今をがんばりたいと思います。    Whale






2005年9月1日更新



 学校のことが気になる…

 
学校に行きたい

 僕はここにいてもいいんだ       S
 僕は中学校生活はとてもひさんだった気が高く思う。人間関係なんかもうまくいかなかったし勉強もさんざんな成績だった。だから仲良しグループなんてないし、当然友達もいなくて孤独の毎日でつまんなくって、そんな気を和らげようと夕方から家を出て遅くまで散歩しながら今自分はどうすべきなのかというテーマにそって考えて、自分に勇気を作って学校に行くように脳裏にやきつくして少しでもそうしようと思うのだがその大半が脳乱をおかしている。そして最後に学校に入って校庭にすわって本当はこの学校で多く勉強したり、多くの人とふれ
あったり、多くのたのしみがこの学校でおぽえていくんだと思いますが、もうおそすぎたことだと思います。でも自分にとっての浮浪が思い出でしょう。毎日が孤独だ。自分に少しでも勇気があればきらいな部分を戦えたかもしれないがそれはそれでいいと思いたい。

 この作文(原文のまま)は、ある中学校の卒業記念の手書き文集に載せられたものである。「学校がすべてではない」と言われている。だが、子どもたちにとって、少なくともSさんにとって、学校は行きたいところだった。そこには友達がいるし、勉強ができるし、楽しいことだってある――そのことへの思いがこの文から、行間からにじみ出ている。

 次の手紙は、授業だけで出会ったKさんが私に書いてきたものだ。

 武先生、このごろあっていませんね。少しあいたい気がします。ひまだったら、電話かけてくれたり、きてください。体の調子はというと、ごはんはけっこう食べれるようになりました。夜は眠れるようになったけど、いつも夢をみるのです。それも、とてもこわい夢で、ときどき“かなしばり”みたいになって動けなくなってしまうこともあるのです。それから、このごろ《べんぴ》気味です。それに、尿も出たいのに出てくれないこと、尿の出たあとにすごい不快感があります。 今、家ではピアノの練習をしたり、マスコットを作ったりしています。あと、さんぽや買い物に行ったりして、少しずつ動くようになりました。勉強も少しずつやっています。英語が一番苦手だからやろうと思うけど、どうやって勉強していいのかわかりません。やっぱり授業を
聞いていないとやりにくいです。
 病院には毎週月曜日に行くことになりました。二回行ってきました。けっこういい先生です。先生に状態を話して、お薬をもらうという感じです。 学校のことがすごく気になります。いまごろ、みんな何をしているのかな? とか。
今すごくなやみがあります。
 一つ目は、“ガス″ がたまり体調が悪いこと。
 二つ目は、友達がいなくなっちゃったこと。休み時間とかしゃべる人がいないし、班で何かすることが多いからイヤです。
 三つ目は、授業にあんまり出れないし、勉強が遅れてしまうこと。
 四つ目は、部活にほとんど出ていないけど平気かなってこと。
 五つ目は、保健室で寝ているとき、休み時間にだれかがきて「だれが寝てんの」とか言ってのぞいたり、「またこいつだ」とか言われるのがすごくイヤなんです。
 六つ目は、あんまり休んでいるので卒業できないんじゃないかということ。すごく、今年度に卒業したいと思っているけど、学校、行けないのです。 
 最後は、先生や親に、「この子はもうだめだ」とあきらめられて、見捨てられてしまったら、ってこと。あんまり長い間こんなだったら、みんな疲れて、もう、めんどうみるのいやになるんじゃないかってこと。
 このごろ、ずっと学校に行っていないけど、みんなどう思っているのかなとかもときどき思います。はやくもとどおりの生活がしたいです。先生に、これからもいろいろとお世話になると思いますけど、よろしくお願いします。                  K

 私は、彼女の登校がまばらになりはじめたころから、母親の相談を受けて家庭訪問をしていた。送られてきたこの手紙を読み進めながら、彼女が書き上げた「七つの悩み」、そして彼女の今の心に、私はどれだけ心を寄せてきただろうか、そしてこれから寄り添わせることができるのだろうかと、深く考え込んでしまった。

不登校にはhad betterな対応しかない
 中学生が不登校になるきっかけは「友人関係をめぐる問題」や「学業不振」、「家庭環境の変化」などにあると言われるが「教師とのかかわり(象徴的な事例・教師の言葉によって登校できなくなった子どもたち)」が原因になっていることもある。「家庭環境の変化」を要因として抱えていたとしても、不登校になるきっかけは学校生活の中にある、と私は思っている。
「不登校の生徒に、どのように対応したらよいか」と聞かれても、「こうすればよい」などとはだれにも答えられないのではないか。いわゆる「マニュアル」などない。不登校の生徒のタイプや状況、また保護者の考え方や反応を見極め、苦しんでいる子どものために、have to ではなく had betterな対応をするしかない。作文、手紙に表された二人の心の中を思いながら、不登校生への基本的な対応の仕方のいくつかを考えてみたい。

不登校生への基本的な対応の仕方
1 学級づくり
 学級担任は元気のある学級づくりをしたい。「何となく休みたいな」と思った生徒が、「でも、今日の帰りの学級活動はクイズ大会があるから」と、期待して登校できるような学級活動をつくりあげたい。そのためにはまず教師が健康で、元気よくなければいけない。
2 家庭・保護者の信頼を得る
 Kさんの手紙にあるように、教師の来訪は「まだ見捨てられていない」という心の拠りどころになっている。不登校生の家庭を曜日と時間を決め、定期的に訪問することは、欠かせないことである。できるかぎりその日時は守りたい。 近所の手前「家庭訪問は結構です」と断る家庭があるが、その言葉をそのまま受けとめてよいかどうか検討してみたい。訪問のおりに学級だよりなど学校の情報を保護者に伝え、家族の不安の解消に役立てたい。
 Y先生は週一回の訪問の夜、不登校生のTさんとゲームを一時間ほどしながら、コンピュータの授業の話を聞かせ続けた。このゲームには母親の参加もあった。学校に行かない子どもにとって、家に一日こもっていることはとても苦しい。多くの事例から分かるが、教師も親も簡単に「勉強しなさい」と言ってはいけないようだ。
3 犯人探しをしない
「母親の子育てができていないから」「父親が無閑心だから」と教師が言えば、保護者は「担任が、学校が悪い」と非難が始まる。そして「地域が、社会が、教育制度が」などと責任の押しっけ合いをしたところで、何の解決にもならない。子どもはますます苦しむだけである。
4 他の機関との連携
 不登校についての指導でも、学校・教師には限界がある。相談室など専門磯開との協力や連携を、保護者の理解を得て積極的にとりたい。児童相談所の係官から言われた言葉がある。「先生は登校させようと努力を続けてほしい。彼が人生という学校の不登校生にならないことを考えて接していきます」
5クラスメートの訪問
 不登校生の家庭をクラスの生徒に訪問させるときには、
@担任と家庭との十分な理解ができ、しかも家庭から訪問を許されたときに、子どもたちの訪問も可能であるし、効果がある。
A訪問する生徒の家庭の理解も十分に得ておきたい。このことが十分なされていないと、不登校を超えた別の問題が生じる恐れがある。
6 登校への刺激
 生徒の中に登校への意欲が見えたら、保護者と共に働きかけを考える。体育祭や文化祭など学校の大きな行事をきっかけに登校できる生徒もいる。
 Kさんの場合は、リレーの選手として彼女の必要性を学級で認め、友達がそのことを伝えに訪問し、説得して登校に成功した。また、進路決定という二学期のスタートが、もう一つのきっかけとなった。
7 登校できたときの部屋の準備
 Kさんが保健室で休息しているときの苦しい状況を訴えている。自分の教室に入るまでにワンクッションが必要である。
8 登校したら学力の補充をはじめる
 前述のTさんの場合、二年目の夏にコンピュータ教室に入ることができ、九月から相談室に登校できるようになった。その部屋で、Y先生は空き時間のほとんどをK君の補習授業に充てた。学習の遅れに対する不安は、生徒にも保護者にも大きい。全職員の協力でその不安を取り除くことができるようにしたい。Tさんは二年の三学期、自分の教室に入れた。

 子どもの心に心を寄せよう
「悩みをただ受け止めてくれる人がそばにいた、というだけで、その人は自分白身のカで立ち直ったりするものです。ただ受け止めてくれる人との出会いが、大切なはたらきをするわけです。」(『こころの天気図』河合隼雄)
 私が付き合っているUさんから、最近こんなメールをもらった。彼女は自分との戦いをもうや5年続けている。

 お元気ですか? あたしは元気です。体調も精神面も、それなりです。スクーリングで、三月に沖縄に行った時にお土産買ったんで届けたいんですが、いつ空いてますか? なんだか最近は自分が変わっていってるのがよく分かります。割り切る事とかを覚えてきたっていうか…。前より自分を否定する回数がぐんと減った気がします。前は・存在自体認められなくて生きてる事がすごくツラカッタ。でも今はやっと、あたしはあたしでいいんだって思えます。今でも落ち込んだりはよくアルけど…でも想ってくれる人が何人も居てくれる。ツライ時は人に頼ってもいいんだと、最近思えます。頼れる人が居て幸せです、ホントに。では、返事待ってます。
 




2005年8月1日更新

 女子でたった一人 立たされた思い出
                                            伊澤せつ子


 子どもの頃の思い出といえば、とにかく元気で遊んだことです。学校の休み時間は先生も加わり、縄跳びドッジボール。帰り道は、クルマも頻繁に通る時代ではなかったので、男の子も一緒に追いかけっこをしたり、おしゃべりをしたり。このごろの子どもと違って、習い事も塾通いもなかったので、家に帰ってからは隣り近所の子たちと、学年など関係なく、ゴム段、石蹴り、缶けり、木登り、まり突きと、日暮れまで外遊びで夢中でした。
 そんな生活の中で、小学校一年の三学期のことが忘れられない思い出です。
 何かご用があったのでしょうか、担任の先生が職員室に行ったまましばらく戻ってこられませんでした。教室にはストーブなどなく、とても寒かったので、いつの間にか男女入り混じって「おしくらマンジュウ」、そして「騎馬戦」のような大騒ぎをしていました。先生が戻ってくる気配に全員すばやく席に着きました。でも、その騒がしさは廊下の遠くからもわかったようでした。
 「今、騒いでいた人は正直に立ちなさい」
 先生のこの言葉に私は立ち上がりました。ところが、男子はほぼ全員立ったのに、女子で立ったのは私一人。「えっ? 私だけじゃないのに」と思いながら、教室の後ろに立ちました。
 後ろに立たされた私たちは、先生の厳しいお説教を受けました。そして4つのグループに分けられ、授業をている他の1年生の教室に謝りに行かされました。恥ずかしさと悲しさで、男子の陰にかくれていたことを憶えています。
 何日か経ち、A君のお母さんがわが家にみえました。今度の事件について、先生の対応に憤慨されたお母さんたちの中で、先生に抗議に行こうという話が持ち上がっていたのでした。
 母は「叱られたのは当然のこと。だから、そのようなことには…」と断わったようでした。結局、その話はそれまででしたが、今思えはそれでよかったと思いました。もし、母か先生を訪ねていたならば、私は学校で一層気まずい思いをしたことでしょう。小学1年生の私に厳しく対応された先生と、母の配慮には教えられるものがありました。
 その後、先生のお宅に遊びに行ったり、毎年手紙を差し上げたりしていました。それもいつしか途絶えてしまいました。あのときの先生は、今はもう80歳を過ぎていらっしゃると思います。でも、きっとお元気のはず。こうして、あの頃のことを思い出してみて、久しぶりに先生にお便りを書いてみようかなと思ったのでした。







2005年7月1日更新


 「市民が作る『広報はだの』」の第2号のキイワードは「であい」「ふれあい」

  心が言葉を生み 言葉が心を育てる

 人間が他の動物と違うところは、火が使えること、道具を使うこと、着物をきること、笑うことなどであるが、「話すこと、聞〈こと(言葉を使うこと)」もその一つである。そしてこの二つは恐らく長い人類の歴史のなかで、人類が集団生活を営むようになると同時に始まったものと思われる。この「話す、聞く」ことを通して人類は存在することができている。ところが、このごろ私たちは「聞くこと、話すこと」の重要さをあまり意識していないせいか、使われる言葉が貧弱だし、粗野だと思う。
 10年ほど前、股関節の病気で入院生活をしたことがある。その折、言葉の大切さを私にしみじみと感じさせてくれた場面があった。
 ◇入院して8日目の朝の食事を知らせる放送。「お食事が届きました。食堂でおとりになる方、温かいうちにどうぞお召し上がりください」。声の主は看護婦のAさんだった。もう何度も聞いてきた食事の案内放送だが、「温かいうちに」という言葉は、私の心にしみ入った。ベッドど食事をとっている私は、同室の5人が食堂でテーブルを囲んでいる光景を思い描き、早くその中に自分を置きたいと思ったのだった。
 ◇体調が少しでも戻りはじめると、何か行動を起こしたくなる。ベッドの上でか七転八倒しながら着替えをしてみた。午前の検温に来たBさんが、私の姿を見て言った。「武さんステキ! ワイシャツが似合ぅ。学校に行きたくなったのね」。
 ◇朝の引き継ぎを終え、深夜勤務だつたCさん、Dさんが退出していく。エレベーターに乗り込むふたりは、ホールにいる私たちに「おやすみなさい」と笑顔で手を振る。精一杯仕事をしたという満足感、きつい仕事から解放されたという安堵の、心からの笑顔のあいさつだった。年齢に似合わぬコギャル・スタイルの手の振り方で、それに応えていた私。
 ◇教え子のEさんは六病棟の看護婦。退院の前日、病室に来て「先生、退院おめでとうございます。内科に来てもめんどうなんて見てあげません。ときどき私に面会に来るのはいいですけど」と笑って言った。
 ◇退院の朝、私の部屋に食事を運んできてくれたのは教え子のF君。彼はこの病院の調理師である。配膳名簿に私の名前を発見したとき「同姓同名の人もいるのか」と思ったそうだ。「先生だと分かったとき、すぐに来ようと思ったのですが、先生の療養に迷惑をかけるといけないから。私の食事はおいしかったでしよう。一生懸命作ったから。でもいつまでも私の食事を食べていてはいけないですよ。学校で生徒が待っているから」。中学時代無口だつた彼のほほは上気していた。

 「市民が作る『広報はだの』」の第2号のキイワードは「であい」と「ふれあい」。「人をつなぐ言葉」で「であい」と「ふれあい」をつくりたい。心が言葉を生み、言葉が心を育てる。







2005年6月1日更新



 神奈川・湘南と福島・石川
 
  二つの地に住めたことの幸せ
                                      Yuki

 『エコー』のテーマの一つである《ふるさと》を読むたびに、「みなさん、自分のふるさとに誇りを持っていらっしゃるのだな」と感心しています。福島に来て10年以上も経ちますが、生まれ育った「湘南」が、未だに地元であり《ふるさと》なのです。
初めて福島・石川町に来たとき感じた、山と山で切り取られた狭い空、空がないという寂しさが今も心に引っかかっているのです。海と空、水平線の向こうに浮かぶ伊豆半島、そして富士の優美な姿が私のふるさとのイメージで、今も遠く離れた地で住む私の心の支えになっています。
 育休を終え、昨年4月に仕事に復帰した折、退職された伊藤先生にお会いする機会に恵まれました。伊藤先生は、私がサウジに赴任する前の三年間、指導を受けた教頭先生です。職員室でいつも怒ってばかりいたような印象の先生ですが、怒っている内容がいつも子どもに関わること(事務処理のような机上の仕事の内容ではない)なので、叱られてもなんだか納得できたのでした。人間味あふれる先生で、私の大好きな先生でした。そんな先生に久々にお会いして、私はクラスの子どもたちに先生を会わせたいと、突然思ったのです。と言うのも、私は道徳の「郷土愛」に関わる分野が指導が苦手でした。「地元にばかりにこだわっていると世界を見ない人間を育てしまう」という思いが「ふるさとを愛する心を育てる」という指導の妨げになってしまっていたのです。
 でも、久しぶりに先生とお話し、先生なら子どもたちに、石川という町の本当の良さを伝えてもらえると思ったのです。先生の、植物についての豊富な知識と表現力の素晴らしさが、きっと子どもたちにふるさと石川のイメージを膨らませてくださる、そう思ったのです。 
 12月中旬 3時間の設定で道徳の「郷土愛」と英語の学習という、いわゆるコラボ授業を行いました。
 ・1時限 英詩を書くということ
    石川のイメージを英単語で表す
 ・2時限 特別授業 
    講話「石川の自然について」伊藤先生
 ・3時限 英詩を書く 

 伊藤先生は、12月の山の落ち葉や枯枝で作った箱庭、石川の地が太古海底だったことを示す地層の写真、鉱山で有名だった石川を証明するさまざまな鉱石など、石川という地が豊かな自然に恵まれていたということを、実物を示しながら熱く語ってくださいました。
 宮崎駿映画でなじみのCountry RoadをBGMに、私のつたない英詩(ALTに助けてもらいました!)を子どもたちに読んでもらいました。五感・Listening Seeing Smelling Touching Tasting・を働かせ「ふるさとを感じる英単語」を並べて作った子どもたちの英詩は、どれもみずみずしい感性で、ふるさと石川を愛する心を表していました。
「詩をつくる」という教材は見かけたことがありましたが、そんな高度なことはできるはずがないと敬遠していました。一見“風変わり”な先生のお陰で、子どもたちの能力、感性、表現力は、多方面から刺激を与えることで間違いなくパワーアップされるということを学ぶことができました。
 最近は「学力アップ、数値で示せ!」ばかりが、声高に唱えられています。子どもと接することの楽しさ、大切さ。子どもの目が輝く授業の創り方を、伊藤先生との授業で教えられました。教師にとってもステキな師に出会うことは大切なことです。どうしても好きになれなかった石川。抵抗感があった「郷土愛」の授業が、伊藤先生と子どもたちから力をもらいできたのでした。
 今、石川は私にとって“ステキな第二のふるさと”に変わろうとしています。湘南の青い空、そして四季折々に変化する山々の石川、この二つの地に住めたことを、今はとても幸せに感じています。石川中学校1年5組29名の「ふるさとへの思い」を同封いたします。







2005年5月1日更新


心はひとつ 子どもを守る

 新学期が始まって一カ月。新しく先生になったNさんが「子どもたちは みな かわいらしく 抱きしめたくなるばかりです。授業を がんばろうと 張り切ってはいます」と便りしてきた。
 そんな、澄んだ瞳の子どもたちが学んでいる学校の門は「原則的には施錠」されていて、サスマタが備えられている教室もあるらしい。今年の小学1年生のランドセルの売れ筋は、カーナビに使われているGPSが付いているものだったそうだ。すでに、全校児童が「安全管理マニュアル」にしたがって緊急避難の訓練も行われた。新聞によれば、園児に『助けてー』と大声で発声練習をさせている幼稚園もあるらしい。
 昨年度発行されたPTA広報では、「こどもの安全」を特集したものがたくさんあった。子どもたちが危険に晒されていることは確かである。今までの普通の生活が、無防備のように思えてしまうようになってしまった。
 知人がこんなことを話してくれた。
 集団登校の子どもたちの中に隣の子がいたので「お早う」と声を掛けたら、「あなた あの人 知ってる人?」と、リーダーがくだんの子に問いただしたという。強い言葉にすれば「疑心暗鬼の世の中」になりつつある。無防備な子どもたちを守るために、社会は危険な人物から遠ざけることをしなければいけない、と思うようにさえなり始めている。
 四月十二日、その日は冬のような雨が降っていた。母の薬を取りに出かけた途中、信号待ちをしている私の車窓からバスを待っている二人の女子高生の姿を見た。一人は傘をさし、もう一人は雨に降られている。同じ制服で同じ方面に向かうバスを待っている二人だから、中学校は同窓のはず。傘の子は道路に向かって直立不動。雨に濡れている子は、うなだれて地面を見つめて動かず。《固まった》二人をはめ込んだこの光景に、私の心は重かった。
 あるPTA広報は「心はひとつ 子どもを守る」という見出しをつけ、子どもを守ることを喚起している。マュアルを活かし、子どもを守ることは必ずしなければいけないこと。だが、その即応的な対処と平行して、大人は「命の大切さ」や「暴力は絶対ダメ」ということを教えなければいけないと思う。「人間っていいな。生きてるって嬉しいな」と、心から子どもたちに言わせたい。(武 勝美)






新聞づくりで結ぶ豊かな人間関係(下)   
                                     竹泉 稔       

(2)競い合い認め合う学年での新聞づくり
 5年生から2クラス編成で学年を組んでいる。相棒は新規採用のやる気満々の若者である。抜群の吸収カとチャレンジ精神で学級新聞づくりに取り組んでいる。学年で新聞づくりに取り組むことで、単学級での新聞づくりにはない効果が生じる。良い意味でのライバル意識が芽生えるのである。
 発行した新聞は、お互いに交換し合い、教室に掲示している。6年生になってからは、廊下に設けた畳のスペースにそれぞれの新聞を掲示し、お互いの新聞を読み比べることができるようにした。「このごろ、レイアウト工夫しているよね」「どんどん上手になっているから、うちもがんばろう」「1週間に1回、ちゃんと発行しているから、負けられない」新聞を読んでいる子どもたちからはこんな会話が聞こえてくる。
 新聞づくりの上達のコツはまねること。学級の新聞で生かせることは盗み取り、次に発行する新聞で活用する。そのまま使うのではなく、ひと工夫してよりよいものにしていく。ライバル意識が、それぞれのクラスのまとまりをより強いものにした。同時に、新聞仲間として学年の絆も固く結ばれていった。
 軽井沢移動教室の「思い出新聞づくり」も歩調を合わせて制作した。どちらの学級も12ページの大作で、楽しい思い出がぎっしりと詰まっている。見出しや内容にはそれぞれのクラスの個性がよく表れている。そこが学級新聞の面白さだ。また移動教室中の自由時間を使って、はがき新聞づくりをした。あらかじめ宛名書き、レイアウトをしておき、見出しや本文、カットなどを現地で書き上げた。家庭に届いたはがきからは、子どもたちのにぎやかな歓声が聞こえてきたことだろう。
 どちらのクラスも家庭に素晴しい読者がいる。新聞が届けられるのを楽しみにしている。家庭での温かい言葉かけも、よりよい新聞づくりに大いに役立っているのだ。学級新聞は学校と家庭を結ぶ、かけがえのない情報伝達手段となっている。

(3)学級新聞配布で育む新聞づくりの土壌 
 それぞれのクラスで作成した新聞は、全学年と日ごろからお世話になっている教職員全員に配布している。子どもたちにとって、自分たちがつくった新聞が多くの読者に読まれていることが新聞づくりの大きな励みになっている。
 新聞を配達した時の、「今日の新聞はとっても読みやすいよ。次の新聞を楽しみにしているね」という言葉かけを楽しみに、いそいそと配達に出かけて行く。新聞を媒介に普段接する機会が少ない教職員との関係がぐっと身近になっていくのである。教職員の立場からも、新聞を通してクラスの様子が分かると、なかなか好評である。新聞を届けているクラスの子どもたちから、6年生のような新聞をつくりたいという声が聞かれるようになった。すでに新聞を発行し始めたクラスもある。新聞づくりが学校中に少しずつ浸透し始めているのが実感できる。全クラスが情報の発信者であり受信者になる日も近いかもしれない。

(4)地域へ発信で地域と学校の橋渡しを
 開かれた学校ということが盛んに言われるようになった。家庭や地域も子どもを育てる当事者である。本校でもそれぞれが互いに協力しながらさまざまな教育活動を行っている。
 総合的な学習で、「竹から学ぶ」という単元を設定し、年間を通してさまざまな活動を予定している。5月には導入として地域の方が所有する竹林でタケノコ掘りを行った。初めてのタケノコ掘りを体験し、子どもたちは大喜び。その時の感動を新聞に取り上げた。できた新聞は、早速ご自宅にお届けした。その時は大変喜んでいただいた。これをきっかけに新しい新聞がでるたびに届けている。
 過日、タケノコ掘りでお世話になった方から、子どもたちが配達する新聞について話を伺うことができた。毎回、子どもたちがうれしそうに届けていることや、新聞から学校の様子が生き生きと伝わってくるので配達を楽しみにしていることなど、大変好意的に話していただいた。新聞を通して地域の方との心のキャッチボールができたことを実感できた。現在、近くの郵便局やサッカー、野球、キャッチバレーの指導者などにも毎号配達している。今のところ発信中であるが、いずれ双方向での交流ができるような工夫をしていきたい。

新聞づくりで育む心豊かな地域と学校
 「新聞づくりは仲間づくり」と言われている。新聞をつくり、合評し、配達する活動を通して豊かな人間関係を醸成するからである。 学級新聞は小さな情報媒体ではある。しかし、クラスはもとより、学年・学校・家庭・地域までも巻き込んだ大きな仲間づくりのエネルギーと成り得る。このエネルギーを可能な限り活用して、子どもたちが心豊かに成長することのできる学校・家庭・地域にしていきたい。(練馬区立南が丘小学校教諭) 
 





2005年4月1日更新


新聞づくりで結ぶ豊かな人間関係(上)
                                     竹泉 稔

総合的な学習と新聞づくり

 「新聞づくりはいつ子どもたちにやらせているのですか。」新聞づくり指導者研修会で毎回のように出される質問である。この質問には、二つの悩みが込められているのではないだろうか。その一つは「新聞づくりを子どもたちに教えたいが、なんの時間に指導したらよいのだろうか」という教育課程における新聞指導の位置付けの問題。もう一つは「子どもたちが新聞をつくる時間と、教師が行う赤ペン入れやアドバイスの時間の確保」という、現実的な困難さヘの対応の課題。
 どちらも新聞づくりに携わってきた教師なら一度は悩まされる問題である。しかし、これらの課題は平成14年度から新教育課程が実施され、改善されてきた。今までの教育課程では位置付けが難しかった新聞づくりが、総合的な学習の実施により、計画的に指導することができるようになったのである。その結果、子どもたちと一緒に新聞づくりの目的や意義について十分に話し合う時間が取れるようになった。また、新聞づくりの技術的な指導も丁寧にできるようになった。そして、何より子どもたちが新聞をつくる時間を確保できるようになったのである。新聞づくりが、総合的な学習において大きな成果を生むことについても認知されつつある。情報の分野で新聞教育に取り組む学校が増えていることが何よりの証拠だろう。新聞づくりの一連の活動を通して、「生きる力」を育むことができるのである。

豊かな人間関係を育む学級新聞づくり
 学級新聞づくりで、もう一つ忘れてならないものがある。新聞づくりを通して豊かな人間関係が育まれることである。人間関係をより円滑に、より深めるためのエッセンスが新聞づくりには秘められている。子どもたちがつくった新聞自体が人間関係の潤滑油とも言えるだろう。
 今のクラスで学級新聞づくりを始めて1年。この活動を通して学級・学年・学校・家庭・地域の関係に少しずつではあるが、着実に変化が表れてきた。まだ発芽したばかりの小さな芽ではあるが、大きく生長し、いずれは可憐な花を咲かせることを信じ、その実践の一部を紹介してみる。

(1)学級新聞づくりの厳しさが人を育てる
 5年生から学級新聞づくりに取り組んできた。新聞名は「みのり」。6年生になった現在も六つの生活班が輪番で毎週1号ずつ発行している。毎回3面の新聞を制作している。1面は学級や学校のニュースが中心、2・3面は特集という紙面構成である。
 もともと文章を書くことへの抵抗感が少ない子どもたちであったが、6年生になってからは職人並みのこだわりで新聞をつくるようになってきた。記事の分担、取材、レイアウト、清書、合評会、新聞の配達までの一連の過程を楽しみながら、そして、自分らしさをしっかりと発揮しながら新聞づくりにいそしんでいる。納得できる新聞をつくりたいという気持ちがどの子からも伝わってくる。
 学級新聞づくりは、私の学級経営の大黒柱である。教師と子どもたち、子どもたち相互の人間関係を、より豊かにさせる力を持っている。新聞をつくり始めて1年ほどであるが、新聞づくりは、その機能を十分に果たしてきたと言えるだろう。
 最近、個性という言葉ですべてが許されてしまう風潮がある。わがままや自分勝手が個性という言葉に置き換えられてきたのである。新聞づくりは共同作業である。新聞づくりにおいては、一人ひとりが自分に与えられた責任を果たさなければならない。一人でも締め切りを守らないとすべての記事が無駄になってしまう。締め切りに遅れた子どもは、友達からの批判にさらされることになるだろう。みんなに迷惑をかけてしまった後ろめたさ、引け目、負い目を感じることにもなる。しかし、これらは子どもたちの社会性を育むためには、なくてはならない貴重な経験となる。失敗を糧に、子どもたちは大きく成長していくのである。
 新聞づくりをしても、すべてが順風満帆にいくわけではない。さまざまな葛藤を経験しながら、新聞づくりの技術が進歩し、子どもたちの絆も固く結ばれていくのである。クラスの子どもたちもこのような修羅場?を何度も積み重ねながら現在に至っている新聞づくりは、友達と支え合い、励まし合う多くの活動と、このような厳しさがあるからこそ魅力的なのだ。
                              (次号に続く・練馬区立南が丘小学校教諭) 


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エコーー教育広報相談室の活動  2004年4月1日から2005年3月31日まで

教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。

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新聞新聞づくりの相談      学校・学級新聞  17件   PTA広報 114件   その他の広報・新聞  21件 
                 「広報はだの」編集会議 16回
A教育相談「一人で抱え込まないで、一人で悩まないで」   進路変更・不登校・教師不適応・学級経営など 9件
Bその他の活動          新聞・広報づくり講座講師 26回   子育てなどの講演 3回
                 「ふるさと」講座・案内 11回
C当相談室来訪者         152人・組 (223人)

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2005年3月1日更新

PTA広報を読む  秦野市立南が丘小学校PTA『南の風』第75号 (2005/2/16発行)


 「広報委員は大変!?
 
うわさほど大変ではありません 楽な気持ちで広報委員を経験してみませんか

 本年度の広報委員会は、仕事をしている方が多かったため、負担がかからないように各自にあった時間帯・作業内容で活動してきました。担当する広報誌や記事を分担し、また、情報はメールで交換するなどできるだけ学校に集まってする作業を少なくしたつもりです。本年度は「南の風」3回、「号外」3回を発行いたしました。「広報委員は大変」といううわさが先行していて、委員決めが難航し、波乱のスタートを切りました。私達は、そのことをテーマにして1年間活動してきました。本年度の発行してきた広報を通じて、ひとりでも多くの方々がPTA活動を理解し、活動しやすい委員会をつくりあげていくことに関心を持っていただけたら幸いです。たくさんの方達と出会い、協力し、印刷の上がった広報を手にした時の喜びは格別です。広報委員はうわさほど大変ではありません。身構えず、気楽な気持ちで広報委員を経験してみませんか。



74号に書かれている記事

やったらハマる? 広報委員会
 とかく大変と思われがちな広報委員ですが、メールやFAXなどを使って参加することで各自にあった時間帯で活動できました。この紙面の作成は6月半ばから準備を始めました。この号は、各委員会活動の紹介や大規模なアンケートなどの盛りだくさんな内容でしたが、記事作成やアンケート集計などを分担することにより、広報委員の半数(11人)で、月に3回程度の集まりで発行することができました。各人のできる仕事を担当し、少ないミーティングの場
で確認していくことで、4月に思っていた以上に活動がスムーズに行きました。また印刷技術の進歩で、手作業の時間が短縮されたのも負担の軽減につなが
りました。

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  神奈川・寒川町立寒川南小学校PTA「みなみだより」第113号(2005/2発行)

 広報をやって 少し自分の世界が広がった

 南小の校歌「みなみのまど」の作詞者谷川俊太郎先生の本から掲載させていただました。(「おにいちやん、死んじゃった イラクの子どもたちとせんそう」より)

                
こころを平和にする
                         谷川 俊太郎

 理由もなく、戦争をすのはいいことだ、どんどん戦争をしようと考えている人はいないと思う。でも、正しい理由があれば戦争をしてもいいと考えている人は多い。相手をやっつけなければこちらがやっつけられてしまうから、したくないけど戦争をしているというわけだ。ぼくら人間はおおむかしからそうやって戦争をしてきた。戦争はいやだ、戦争はしたくないと思いながら。
 どうしてだろう? それは人のこころのなかに、平和がないからだとぼくは思う。平和をじぶんの外につくるものだと考えると、平和をめざして戦争をするということになる。じぶんのこころを平和にするのはむずかしい。でも、まず始めにこう考えてみてはどうだろう? 戦争はじぶんのこころのなかから始まると。戦争をひとのせいにしないで、じぶんのせいだと考えてみる。
 ひとをにくんだり、さべつしたり、むりに言うことをきかせようとしたり、じぶんのこころに戦争につながるそういう気もちがないかどうか。じぶんの気もちと戦争はかんけいないと考えるかも知れないが、それでは戦争はなくならない。
 まずじぶんのこころのなかで戦争をなくすこと、僕はそこから始めたいと思う。

編集後記
 2回目の担当、忙しかったですが、楽しく集まりながら新聞作りができました。よくわからなかったパソコンも今回、お互い教えあったりして、楽しいなと思うようなり、家でもパソコンを触る気になりました。。「窮すれは通ず」で市販のソフトを使い、案外簡単にできました。少し自分の世界が広がったような気がします。



 生命の誕生について

 中野先生の「“生命の誕生”の授業」を読みました。子どもたちの素直な感想、命の大切さ、そして親の大切さを実感した素晴らしい授業ですね。命とか心とかは、目に見えない、分かりにくいものですが、この授業は自分(命)の誕生というところから、自分の命→他の命→を大切にする心、といろいろなことを学んでいます。私たち親も、子どもを授かったときのこと、生まれたときのこと、病気をしたときのこと、初めて歩いたときのことなど、必要な時々に、子どもに話すことがとても大事なことだということが分かりました。    Michiko

 一緒に働いているお母さんから最近聞かされた話。高2の娘さんから「友だちから、中絶をしたいと相談された」と聞かされ、驚いて、その子の家族は知っているのかと尋ねたら「多分知らないと思う」。その子が相談したのは、その友達と学校の養護の先生。妊娠のことは友人に、それから後のことは学校の先生に。一緒に暮らしている家族は何も知らない。子どもを生んだ母親の一人として、切なくなりました。母親なら自分の子どもの変化にきっと気づくはず。子どもの変化を感じ取らなければ、と思うのですが。そのお母さんは「こういう話はいっぱいあるみたいで、聞いていて怖くなる。自分の体を大切にして欲しい」と言っていました。『エコー』の「命の誕生」の授業のことを読み、深く考えさせられました。    Hikaru







2005年2月1日更新

PTA広報を読む   (H中学校PTA・2004年11月発行)
 
中学生へのアンケート調査(抄) 
     中学生と携帯電話 

携帯電話を使っていますか
・全体の6剖近くの生徒が使用。(2年前は4割)
・女子の使用割合は7割。男子は5割弱。
・1年生(特に女子)の使用割合が増加(4割→6割)。

主な使いみちは(複数回答あり)
・親との連絡に通話、友達との連絡にはメールを使って
いる生徒が多いようです。
・1日にやりとりするメールの数を聞いたところ20〜
30通のメールは普通で、中には50通以上やりとり
をする生徒もいる。

良かったこと・悪かったことがありますか
・良い点だけを答えた生徒が多かったです。
良い点(主な答え)
・連絡がとりやすい。(緊急時・待ち合わせ)
・字校で話せないことが言える。
・持っていると安心。
・メールが使える。(言いにくいことが言える・時間を気にしなくてよい)
悪い点(主な答え)
・迷惑メール・電話(チェーンメール アダルトサイト いたずら電話 不当な料金請求)
・使いすぎる。
・持っていないと仲間に入れない。

まとめ
 携帯電話はますます生活必需品となってきていますが、使う時のマナーの大切さや危険性についてはあまり実感がないようです。親も低料金の普及等により、以前より気軽に携帯を与えてはいないでしょうか。
 文字のみの言葉のやりとりでは、相手の気持ちや感情を汲み取ることが難しく、誤解を招くと仲たがいや、いじめにまで発展する恐れもあります。またメールの気楽さに頼って、声を出しての会話が出来なくなるのではと心配です。持っていないと仲間に入れないと感じている生徒がいるのは問題です。親が子供の友人関係や行動を把握できずに困るという声も聞きます。危険なサイトを興味本位で開けてしまうかもしれません。
 「とりあえず持たせる」のはあまりに無責任で危険です。使う場所、状況を考え、最低限のマナーを守って使うこと、不必要な情報は防ぐ対処の方法を教える、自分の使用額がいくらで、それが妥当な額かを自覚させる等、親の指導力も問われるでしょう。親自身の使い方も含め、改めてよく考える必要があるのではないでしょうか。

 1月11日の朝日新聞に「携帯料金、10代は月6千円メール平均1日30通」という広告社の調査結果が出ていた。「南が丘」の調査結果ととても似ている。今の若者たちの「メール大好き」が、「言いにくいことが言える・時間を気にしなくてよい」からだとすれば心配だ。「メール全盛時代」の今だからこそ、声や表情を通して相手の思いや感情を知ることの重要さを子どもたちに学ばせたい。(た)


 肉声も筆の跡も、とても「大事な情報」です
 仕事がら、私の一日は朝、パソコンを開けての、メールチェックから始まります。急ぐものは返信し、大事なものは印刷し、一番必要なことはがっちり電話する。だから「メール大好き」かといえば、ちょっと複雑なのです。原始人のメンタリティーを色濃く残す私には、なんとなく不具合も多くて。
 まず、仕事の連絡なのに、季節や気候のことを、つい書きたくなる。いい天気ですねとか、風が冷たいですねとか、相手の顔が浮かぶ。用件のみのメールは何か相手悪いような気がしてしまうのです。結果としで、メールが長くなる。こんななことなら電話の方がよっぽど速いじゃない、と思うのです。
 時差や時間を気にしなくていいのは、とてもありがたいけど、本当に大事なことは「肉声」で確認しないとだめだと思い知らされることも多いのです。おかしな話ですが、特に新聞記者の間、それも同年配のあるタイプはその傾向が濃厚で、2、3分の電話の肉声で脳に刻み込んだ方がはるかに速く深いと感じている…。
 このメ−ル全盛時代に、山梨市の岡村愛子さんは「私信は手紙。夫はずっと自作のポストをプレゼント」だそうです。「手書きのメール」 つまり手紙でほっとする時間を持つとか、ちょっとうれしいお礼は必ずはがきで、という方もいる。筆跡や声など、質の違う情報を大事にしようとする人も少なくないのだと思いまず。
 携帯メールは、私は受信専門。母が昨春、脳出血で倒れた時、万が一の時にと娘に特訓され、その時は発信も返信もできました。が、やがて危機を脱し、長い入院生活になると、受信だけになって。人生のどんな季節にメールを覚えたか、そんなことも記憶に残る時代ですね。  佐田智子(朝日新聞)






2005年1月1日更新


  化粧願望
                                       小澤 みつ江

 小学校の高学年になると、女子の中にはおしゃれに興味関心を高める子がではじめます。その始まりは、ジーンズやルーズソックス、マニキュア、茶髪といったところでしょうか。
 小学校には『学校のきまり』という約束事があります。その内容は「学習に必要なもの以外は持ってこない」というようなゆるやかなルールで、ひとつ一つ細部にわたって指示してあるわけではありません。
 5年生の秋のことでした。ある日、女の子がきらきらと光るマニキュアを指につけてきました。また、別の日には、腕にピンクのハートマークを描いてきました。
 「学校は勉強するところだからおしゃれをしたいのなら家でやりなさい。」と言うと、
「何でしちゃあいけないの。先生だってやってるじゃんよ。」と納得しませんでした。
 「先生は、髪の毛を染めているけど、ほんとうは白髪なんだよ。それを隠すために仕方なく美容院で染めているの。顔もね、皺が増えてね、みんなのようなつやつや肌はいくらがんばっても取り戻せないんだ。みんなの若さは、自然が一番すてきなんだよ。」と、説明しました。しかし、そんな簡単な言葉で納得するわけではありません。何度か注意をした後、除光液を持ってきました。そんなことが2、3回続いていくうちに爪を塗ってこなくなりました。
 6年生の11月に北小博(子どものお祭り)がありました。6年生はどこのクラスも怖さを売り物にしたお化け屋敷を催すことになりました。計画中の話し合いの中で、
 「先生、お化粧はしてもいいでしょ。お化けなんだから、うんとこわくしなくちゃあ。」と、意欲満々です。日頃の願望がのりうつっているようでした。
 「その日、一日だけだよ。約束は守ってね。」
 さて、当日。教室のあちらこちらでメイキングが始まりました。どうやら化粧道具は自分たちのもののようです。真っ赤なマニキュアに指を染め、真っ赤な唇は頬まで到達していましたがそのきめの細かい肌はどの子も化粧映えしてなんとも言えず美しくまぶしいのです。若いっていいなあと年甲斐もなく羨ましくなりました。
 北小博の終わった教室で、山ほど持ち込まれた段ボールを片づけながら楽しかった一日を振り返って会話を弾ませている子どもたち。化粧を落としたその顔には大満足の笑顔が満ち溢れていました。






2004年12月1日更新



 授業にこだわりを持ちたい
                                         中野 敏治

 「生命の誕生」の授業と子どもたち
 先日、道徳の授業と学級活動との関連で授業を行いました。授業参観日ではないのですが、学級通信で保護者に呼びかけ、公開授業としました。「生命の誕生」というテーマで命の大切さを2カ月間考えてきました。
道徳の資料や書物「生きてます、十五歳」を使ったりしてきました。そしてこの授業では、妊婦体験ジャケットと沐浴人形を保健センターから借りて、生徒たちに妊婦さんの体験をさせました。また参観してくれた保護者から、赤ちゃんの抱き方を教わり、沐浴人形をだき抱え得ることもしました。その後、道徳の授業を行いました。事前に生徒から幼い頃の写真を借りて、それを当日液晶ビジョンで映し出しました。また、保護者に我が子が産まれた様子を手紙にしてもらい、子どもへ渡すこともしました。
 授業のあと、子ども達と保護者から感想を聞かせてもらいました。同封しましたのでお読みください。
 ここ数年、授業にこだわりを持ちたいといつも思っています。ひと工夫、もうひと工夫できないかと。今までの教員生活で一番忙しく感じています。でも、その中に充実感があるのは確かです。

生徒の感想

 母になったら 子どものためにがんばる
・授業が始まるまでは、自分のことなのにまったく興味を持たなかったのですが、今日のこの授業を終えてからは、産まれた時間、体重、お母さんや家族の気持ちを知って、「私はこんなに大切にされてきたんだな」と思いました。初めてのお母さんの気持ちを知る体験―ビックリしました。とってもお腹が重くて、なかなか自由に動けなかった。赤ちゃんを抱いてみた。これが本物だったら、と思うと怖くてなかなか抱けなかった。お母さんのいろいろな気持ちを知れてとっても良かったです。私もいつかお母さんになりますが、その子のために一生懸命にがんばろう!

 なんとミラクル 私がここにいることが
・人それぞれの産まれ方があるんだなと思った。小さい子や、大きい子がいて、親がたくさん苦労して育ててくれているんだなと改めて実感した。その人によって、親の苦労の大きさは違うけれど苦労してない親なんて、いないんだなと思った。一つの命のためにたくさんの人が一生懸命になって、その命が無事に産まれてくれるように願って、そして産まれてきたのが自分なんだなと思った。それに、もしお母さんとお父さんが結婚していなかったら自分がいないんだなと思ったら、今、自分がここにいるのも、このクラスにいるのもミラクルだなと思った。

 生んでくれて とても嬉しい
・きょうの授業で一番心に残ったものは、やはり母からの手紙でした。今までずうっと母と話をしてきたけど、手紙をもらうのは初めてだったし、兄弟のことを書いてくれてすごく嬉しかったです。女の子がほしかったと書いてあり、期待通りの女の子で、私は親孝行者だなと思いました。今日、体験してみて、母親の大切さがすごく分かりました。自分の生活だけでもすごく大変なのに、家事もやるので大変だなと思いました。そこまでして嫌になったりしないで、ちゃんと産んでくれてとても嬉しく思いました。

・生命 とっても大切。お母さんが一生懸命に産んでくれた。自分が生まれた時や小さい頃の「記憶」はないけれど、たぶんすごく大切に育てられたと思う。きょうはなんだかうれしい。

 生きていくことの大事さ
・今まで「生命の誕生」を勉強してきて、自分の生命がどれだけ大切で、生きていくことがどけだけ大事なことかということが分かった。親は僕を一生懸命に育て、僕は一生懸命に生きていて、お互いの一生懸命さがだんだんと分かるような気がした。一つの生命のために親がどれだけの愛情を込めて、どれだけかわいがってきたかが分かった。

・命をさずかった。だから命を大切にしないといけない。「死にたい」なんか思ったらいけないと思う。自分が産まれてくるまでお母さんはつらい思いもあったんだと思う。それを乗り越えて、自分を産んでくれた。

 出産が大変なことが分かった
・今まで生命の誕生について勉強をしてきたけれど、どれだけ子どもを産むのが大変で、生命がどれだけ大切なことかがよく分かった。

・妊婦の体験をするジャケットを着て、こんなに重かったんだな〜、お母さん大変だったろうな、と思つた。私が産まれるときの苦労は聞いたことがないけれど、きっと大変だったんだろうなと思いました。今は親には反抗してばかりだけど、産むまでの苦労、そのこことを思うと親に反抗したりしちゃいけないと思いました。

 命は大切にしなければ
・今まで学習してきたけど、これからも色々と考えようと思いました。私はこんなに大きくなったけど、その間にはたくさんの苦労があったんなだと思いました。私が産まれる前にも、家族にはたくさんの苦労があったんだなと思いました。小さい時のことほとんど覚えていないけれど、家族のみんなが私のために苦労したり、喜んだりしてきたんだなと思いました。だから、私は生まれてきたからには、時間も命も大切にしようと思いました。

・今までの授業を振り返り、考えてみると自分の親がどんなふうにがんばったか、自分がどんなふうに生まれてきたのか、周りの人がどれほど祝ってくれたかなどが分かってよかった。(嬉しかった。)

・親が一生懸命に産んでくれた命だから、自分の命を大切にしなければいけないと思った。そして、ほかの人の命も大切だということが分かった。自分の親を大切にしたい。






2004年11月1日更新


『エコー』の読者・水野家の家族新聞が朝日小学生新聞で紹介されました。









 

2004年10月1日更新



 私のふるさとは《宇宙人》
                   

 北陸・福井で育った私は、ずっと「こんな所は最低だ」と思っていました。楽しい思い出はほとんど無く、辛くて苦しいことばかりが思い出の私のふるさと。4歳になったころ、両親は離婚し、母子寮で暮らした母と姉と私。母はふたりの子どもを育てるために寮に隣接する保育園で保母の仕事につき、私もその保育園に通っていました。「園の中では『お母さん』と呼んではいけないよ」と、私に言い聞かせていた母。ほかの子どもたちに絵本を読んであげたり、紙芝居を見せたりしている母の姿を、片隅でうらやましそうに見ていた私がいました。 小学校に通うころから、友達にいじめられ、挙句の果ては「おまえは学区外の施設から通う子だから…」と、何かにつけて担任の先生から差別をされました。
 米びつにお米がいっぱい入っているのを見たことがない私は、いつもおなかが空いていました。母の財布からお金を盗み出し、お菓子を買って食べ、それがバレたことがありました。長い柄のほうきで何度も私を叩いた母。「ごめんなさい」と泣きながら謝っても母は止めませんでした。母の手が止まったとき、母の顔は、大粒の涙で私以上にぐちゃぐちゃだったことを、今も鮮明に思い出すことができます。
 あれから40年あまりが過ぎました。あのときの鬼のように見えた母の手は、今は細く血管が浮き出て、しみだらけ。あのとき、母が本気で叩いてくれたおかげで今のこの私があるのです。私のふるさとは『母』そのものかもしれません。今年で77歳になった母は、近頃耳が遠くなり、トンチンカンな受け答えをするものですから、小学生の息子は「おばあちゃんは宇宙人になっちゃった」と笑うのです。あのころ、私たち家族三人が片寄せあって生きていた母子寮も、今は大きな化粧品会社の工場に姿を変え、影も形もありません。あれだけ苦しかったことが、何もなかったかのように。 『私のふるさと・宇宙人』に、そろそろ恩返しをしないと間に合わなくなるかなと、気になり始めています。 (畠) 




PTA活動をご一緒に
                          
 人は一人では生きてはいけないし、子育ても自分の家庭だけではできません。子どもは、家庭だけでなく、学校で、地域で育っていきます。平たく言えば、「子どもを一緒に育てるために子どもが育つ環境を大人として整える」のがPTAです。何か施設をつくるということだけが「環境を整える」ことではありません。大人同士が親しくなって、ゆるやかな仲間づくりをし、子ども達を見守るのも、環境を整えるということの一つです。子ども達を見守るというのは、監視をするということではありません。子どもの成長を温かく受けとめ、子ども達に安心感を与えるようにすることです。
 子どもは子どもなりの人格をもち、一人の人として生きていくわけですから、決して、親や周りの大人の思い通りにはなりません。子育てに悩んだ時、広角レンズで子どもをみてみる、そのためには一人で悩まず、誰かに相談してみることも必要ではないでしょうか。PTA活動のなかでこんなこともできるはずです。
 PTA活動は、時には無駄に見えるかもしれません。面倒だなと感じることも、また、仕事を休んでまでやる意味があるのかなと思うこともあるでしょう。でも、長い目で見ると、子育てにも自分にも何らかのプラスになっていくのがPTA活動です。というより、プラスにしていくことができるのがPTA活動だと言えると思います。PTA活動で得た仲間、そして活動の経験はとても貴重な財産だと、私は思っています。一緒に、まずは楽しくPTA活動をやりませんか。    古賀 節子






2004年9月1日更新



 聴講者五名の講演会でしたが


 会場となった町の文化センターの展示ホールには机が40人分ほどセットされていた。土曜の午後2時スタートの講演会。だが開会間際になっても席は一向に埋まらない。担当が「何名参加があるのかつかんでありません。時間ですがもう少し待ちましょうか」と言う。この青少年健全育成講演会の講演を依頼されたのは5月だった。「情報紙から見えてくる頑張る青少年と先生」という演題をもらった。このテーマで話せるのは私しかいない、と思った。
 子どもたちのつくる「学校新聞・学級新聞」、そして先生たちの書く「学級だより」の中からから、子どもたちや先生方のがんばりを拾い上げ、大人たちに伝えたいと強く思った。結局、参加者は担当を含め5人。講師を受けたことを強く恥じた。「身の程知らず」、間違いだった。そして(失礼な言葉になるが)主催者もまた講師の選択を誤ったのだ。
 時間通り始めてもらった。話し始めて、なぜか「一期一会」という思いに強く駆られた私だった。このようなテーマで話すことはもう二度とないだろうと、思いの丈話した。
 「情報の『情』という文字は『心の動き・感情』が第一義的意味。子どもたちに寄せる大人の思いを、子どもたちに伝えよう。その伝える手立ては言葉、そして文章。今こそ、大人はその伝える手立てを鍛えなくてはいけない」と結んだ。
 終わってから、A高校の広報委員長のTさん(父親)から質問があった。子どもの人権の侵害、もっと言えば人格の否定につながる出来ごとへのPTA広報の対応の仕方についてだった。
 主催者が閉会の挨拶で、きょうを反省し「動かなけば出会えない」という私の言葉を、これからの仕事の中で活かしていきたいと述べた。
 後日、参加者の一人・Yさんから手紙をもらった。Yさんはこの3月まで小学校で教え、現在はB町の社会教育主事さんである。


 Yさんからの手紙
  学級通信は「自分を語る場

 3日の講演会で先生にお会いし、ご挨拶ができてうれしく思いました。私も24年間小学校教育に携わり、学級通信を書き続けてきました。先生の思いやお考えは、私のものと重なるところが多く、共感しながらお話を伺わせていただきました。学級通信は、教師である私が「自分を語る」場であると、ずっと思い、書き続けたのでした。通信には子どもたち全員の文章を載せてきましたが、そのそれぞれの文に、私なりの解釈を必ず添えました。それは、もしかしたら多分に教師に都合の良いものになっていたかもしれませんが、その子の作文を手かがりに、その子の思いや考えていることから、その子の良さを知り、できれば共感して欲しい、と願って添え書きしてきました。でも、子どもたちのことを「書く」ためには、しっかりと子どもを見なくてはなりません。子どもたちの作文から何かを感じなければなりません。そんな24年間の子どもたちが、私の子どもを見る目を鍛えてくれました。ささいなしぐさにも心を寄せてみると、そこに新しいその子が見えたのです。
 先生がECHOを発行された思いをずっと持ち続けられたことに感銘いたしました。「立場」でするるでなく、「そうしたい自分」がしているのだということがすごいと思いました。その根底にあるのは人間愛なのでしょうか。その温かさが文章を通して伝わってくるから、コダマのように先生のもとに子どもたちが寄って来るのでしょう。「大人がどれだけ子どもに思いを寄せられるかが、今問われている」と先生はおっしゃいました。もっと大勢の人に聞いてもらいたかった言葉です。その言葉を心に刻んで、私も今できることをしていきたいと思います。先生の人柄、生き方に触れることができ、参加してよかったと心から思いました。ありがとうございました。 







2004年8月5日更新



 広報は人を結ぶ

 私の息子は今、教育実習で3週間母校の中学にお世話になっています。子どもたちから「先生」とは呼ばれているようですが、果たしてどんな思いをしているのかと気になっていました。小学校の教師でもある母親とのやりとりを聞いていると、いつになくハイテンションで、そのエネルギーだけは伝わってくるのでした。
 2週間が過ぎた頃、帰宅するなり「これから飲み会だ」と出かけて行きました。翌日聞いてみると、若い先生が誘ってくれたとのこと。おそらく教育実習生を見るに見かね、激励会を開いてくれたのでしょう。ありがたいことだと思いました。誘ってくれたのは、息子より一歳年上で、今年新採用で母校に来たT先生でした。このT先生は、私がPTA役員をしていたとき、PTA広報紙で取り上げた生徒さんでした。当時生徒会副会長だったT君が、学校を良くしようと立ち上がったことに感激し、そのことを記事にしたのでした。一緒に役員をしていた彼のお母さんと、鶴巻中学校に武先生を訪ねたこともありました。早速お母さんにお礼の電話をしたところ、慣れない教員生活にくたくたで、風呂も入らずに寝てしまうこともあるとか。あの頃の変わっていないT君を知り、うれしくなりました。
 2年ほど前のこと、写真を整理していたら、平成8年度の神奈川県PTA広報紙コンクールの表彰式のスナップが出てきました。その写真には、表彰を受ける順番待ちをしている私のすぐ隣りにYさんが写っていたのです。武先生もご存じのように、Yさんとは高校のPTA役員を2年間一緒に務めたのですが、その2年前に1枚の写真に並んで写っていたとは。しかも、この写真に気づいたのはPTAもOBになって2年も経ってからでした。
 二つの不思議なつながりを書きましたが、考えてみると人間関係とはそういうものなのかもしれません。そのままではすれ違ってしまう人どうしを文章の力で結びつける、広報紙はそういう役目を果たしているのではないかと思っています。
 中学校、高校とPTAに関わり、今、思ってもいなかった大学の地区父母会の会長を仰せつかっています。それで、私らしく会報を創刊しました。第1号は短時間で、しかも一人で作ったため、今見直すと恥ずかしい限りです。第2号は6名の編集委員会で仕上げたため、少しは見栄えも良くなったと自画自賛しています。お目通しいただければ幸いです。あのころのN中学校PTA広報紙も同封いたします。    村井 清治
 





2004年7月5日更新
 
 

 南が丘中学校「総合的な学習」の授業の資料

  新聞っておもしろい (新聞の読み方)

1 新聞のことを知ろう
  新聞の種類 @一般紙 Aスポーツ紙 B専門紙・業界紙 C外国紙 Dその他の新聞
 一般紙は全国紙・ブロック紙・地方紙(県紙)に分けられる。
(1) 代表的な新聞の1日の発行部数      
  @全国紙    朝刊        夕刊
   読売新聞  1030(万)     411
   朝日新聞   832       405
   毎日新聞   395       165
   日本経済新聞 307       167
   産経新聞   203
  Aブロック紙
   北海道新聞  120        75
   東京新聞    64        33
   中部日本新聞 240        80
   西日本新聞   84        20
  B地方紙
   河北新報    50  神奈川新聞 24
   わが国の1日の新聞の発行部数は、一般紙7200万部(朝・夕刊)。 おおよそ1000人に580部の割合。ほかにスポーツ紙が580万部。
(2) 欄外を読むと創刊年が計算できる(最古は毎日新聞の前身の東京日日新聞で1872年創刊)
(3) 欄外に書かれている数字やマークの意味
  @朝刊の12、13、14  夕刊の2、3、4はニュースの鮮度を表す版の数字。
   ◇12版の締め切りは21:40(朝日新聞)、14版は1:00の締め切り。
   ◇夕刊は2版11:00、4版は13:00が記事の締め切り。
  A▲やNは夕刊の無い地域の(総合)版。◎や●は「追っかけ記事」の版(刷り直しをしている)を表す。 
(4) 広告のページ(1977,5,2・朝日新聞の夕刊)

2 新聞を読もう
(1) 記事の重要度は見出しの大きさに(新聞は三度読まれる)
(2) テレビ欄から読み始めよう
   新聞が登場し始めた明治時代、「大(オオ)新聞」「小(コ)新聞」という区別があった。大新聞とは「政治論」の新聞。小新聞は「世の中のニュ  ースや事件」を載せた新聞。現在の一般紙の一面が「オオ」、テレビ欄が「コ」といえる。テレビ欄に目を通し、1面を読もう。
(3) コラムを読もう
  @1面のコラム「天声人語」「編集手帳」「余録」「春秋」「産経抄」「筆洗」「照明灯」など
  A社会面のコラム「青鉛筆」「雑記帳」「チャイム」「窓」「熱気球」「話の港」「憂楽帳」など
  B「ひと」「人」「顔」「登場」など
  C社説 
(4) 記事の比較(高橋尚子選手の世界最高記録の扱い 2001・10・1のスポーツ紙)
(5) 新聞の特性 
  @NEWSとVIEWS
  A印刷メディアの特性 ・記録性・一覧性・可搬性

3 まとめ 新聞の使命
 ・朝日新聞(2004年4月13日)の紙面から 「産経・読売・朝日の社説の違い」
 ・第一回新聞週間の標語 「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」
 ・トーマス・ジェファーソンの言葉
  「新聞のない政府と、政府がない新聞のどちらかを選ぶかと問われたら、私はためらうことなく後者を選ぶ」とアメリカ第3代大統領のトーマス・ジ  ェファーソンは言った。しかし、一方で彼は「新聞を読まない人の方が、読んでいる人より正しく物事を認識できる。何も知らない人は、うそと偽りに心を奪われた人より真実に近い」とも述べた。

 生徒の感想
 今まであまり新聞に興味を持っていませんでした。全国紙、ブロック紙、地方紙などの耳慣れない言葉や、毎朝、新聞が780万枚も出ていることを知ることができよかったです。新聞の見方を教わっていくうちに、新聞にとても興味を持ちました。なので、これからはテレビ欄だけでなく、いろいろな記事に目を向け、社会に目を向けていこうと思いました。

 ふだん、あまり新聞を読まなかったけど、今回の講演で新聞のいろいろなことが分かつて良かったです。新聞は全国紙、ブロック紙、地方紙に分かれていて、滋賀県だけ地方紙がないことにびっくりしました。あと12、13、14版というものの意味が全く分からなかったので、良かったです。毎日7800万部くらいも発行されて、日本人はそれだけいろいろな情報を必要としているのだと思いました。これからは少しずつでも新聞を読もうと思いました。

 私たちが毎日読んでいる新聞にいろいろな違いがあることが分かりました。例えば地方紙、ブロック紙、全国紙など。武先生が持ってきた1977年5月4日の朝日新聞の広告がすべて「コニカ」だったこと。今では考えられないことで驚きました。今日の講演で新聞のいろいろなことが学べたので、これから新聞の見方が少し変わると思います。毎日できるだけ新聞を読もうと思います。m.m




新聞の読み方

 『選択社会』の授業に、儀式の中で行われる国歌斉唱を拒否した教師に対する処分についての朝日、読売、産経の社説を並べて読み比べることをしました。お互いに意見の交換が行われていて、おもしろい題材だなと思い、それを読んだ感想も書いてもらいました。
 おおよそは「教師にも強制的に歌を歌わせるのはよくない」という生徒の声です。中には「生徒を指導する立場の教師がそんなんでは困る、そんな先生がいたとしたら歌う気にはなれない」とか「そういったことをしっかりとやらないから今の世の中はおかしくなってしまっているんだ」と書いている生徒もいて、いいなあと思いました。要は、いろいろな意見が出ることがいいことなんで、どれかにみんなが傾くということが一番こわいことです。
 「中学生が新聞を読むポイント」は食指を動かされました。ちょっと借用させていただきたいなと思っています。『ワイドショー』の項目を読もう、というのは大胆な発言かもしれません。どうしても芸能ネタの多いところなんで、確かに世の中の大きな動きを扱っていることはわかりますが、ちょっと勇気をもって言わなければならないかもしれません。「見出しだけでもいいから読もうよ」とは私もよく言います。それでもなかなかできないんです。今の新聞は、1面にインデックスを置いているので、大きな出来事についてはそこに目をやるだけでわかります。コラムとか囲み記事、いい題材です。使えるものはないかと毎日おっかけています。スポーツ欄にも囲み記事があって、「ひと欄」と同じようにスポーツ選手の人となりを知る手掛かりになり興味をそそります。あと投書欄、最近、小・中学生から高校生ぐらいの若い人達のものがよく紹介されています。同じ年代の人達がどんなふうに考えているのか、自分だったらこう思う、みたいな考える機会にもなるかなと注目しています。 
                     M・M







2004年6月1日更新



 PTA広報作り講座(荒川区)参加者の声

  『広報づくりが楽しくなりそうです』  

 
 ◇関連記事「マンスリーエッセイ」のページ
  






20004年5月1日更新


                     

生きる力を育む新聞教育

 
 秦野市教育研究所は平成15.16年度の事業として「学校新聞等に関する調査研究」を進めています。その内容は「秦野の特色ある教育活動として、その一翼を担ってきた各種新聞(学校・学級新聞、PTA広報紙)等の紙面内容から、戦後の学校教育活動の移り変わりや新聞作りの効用について」6名の研究員(小学校教諭2、中学校教諭4)が取り組んでいます。この調査研究の内容は平成17年3月に刊行される予定です。
 3月、この研究員会議に招かれ「一人ひとりの子どもに『生きる力』を培う新聞教育」というテーマで話をさせてもらいました。                 
 
講演の中で力点を置いたこと
新聞教育は3分野で行われている
@新聞づくり
A新聞活用学習(狭義のNIE=Nespaper In Education)
B新聞機能学習
3つの分野のうち、@新聞づくりの活動を重視したい。(受信から発信 そして交信へ)
・子どもたちが自主的主体的に新聞をつくる活動こそ、新聞教育の中核であり、究極の目標となるものでもある。新聞教育にあって、この基本姿勢は、現在も、将来も変わらず堅持すべきである。
・「新聞づくりは仲間づくり」のキャッチフレーズは、秦野の新聞教育のよりよき伝統として、これからも大切にしていきたい理念である。
・学習者一人ひとりが、新聞教育の諸活動を通して具体的な能力=「生きる力」を身に付けていくことも重視していかなければならない。
「生きる力」を育む新聞教育というこの一点で、新聞教育の3分野=新聞づくりもNIEも新聞機能学習も、同一の地平に立つ。3分野の有機的な連携・結合が求められている。

 「新聞教育など余計なこと」と思われていることが多い昨今だが、昭和24年7月の文部省編「中学校・高等学校の生徒指導」の特別教育活動の中に、学校新聞が取り上げられており、次のような学校新聞のもつ意義が強調されている。

 学校新聞は新制中学校、新制高等学校の生徒に多くの価値ある教育的経験を与え得る。これは、学校出版物の最も重要なものである。それは、次の目的に役立ち、または役立ち得る。
@ 全生徒が学校活動に遅れないようにし、それによって学校計画の統一を保つのに役立つ。
A 生徒に思想、意見及び観察発表の機会を与える。これが地域社会の人々に流通し読まれたら、学校と地域社会との関係を密にする。
B 学校は、これを利用して、方針の変化、変更を考慮している事柄、公衆の援助を受ける事柄を周知させることができる。
C 学校の校紀、校風を改善し、生徒に学校の誇りを増させるようにする。
D 建設的と思われる諸活動を称賛して、生徒の建設的な活動を進歩させる。
E 論説的な善行を称賛し、生徒行動の標準(たとえばスポーツマンシップ)を改善発達させることを援ける。
F 個人または学校の信用を高めるような立派な仕事を一般に認識させる。
G 学校新聞には高い標準を設ける。正確な真実のみを書き、ひぼうを避け、公共の福祉(生徒の福祉)に奉仕し、建設的な編集方針を取ることによって、すべての生徒によい新聞は何を期待すべきかを教える。
H 上述の新開は社会科や、その他の授業に用いられ、正確に、そしてわかりやすい新聞の読み方を訓練されよう。
I 生徒たちによって書かれた創作の発表する梯会を与える。





e-mail from New Zealand 第5信 

 今ここで頑張らずにいつ頑張る

 ご無沙汰しています。もう秋を感じる季節になりました。そして8日で私がニュージーランドにきて無事1年が経ちました。長かったような短かったよう な、内容の濃い1年でした。
 今週新入生が入ってきました。「負けられないっ」という、なんとも不思議な力で今はやる気に満ちあふれています。去年の今頃の自分を思い出します。19日から学校が始まります。今学期は観光と環境そしてビジネスの勉強をする事にきめました。英語力をのばすためには自分と同じ力の子がいるクラスにいくべきだと思ったのですが、国際関係という大きくひとまとめにされた勉強に魅力を感じなかったので、レベルに関係なく自分に正直に、勉強したいものをえらびました。国際関係に興味がないわけではないんです。ただ専門的、実技的な勉強がしたいと思ったのです。
 今、日本はイラクのニュー スで騒いでいる事でしょう。3人の日本人が解放されたときき私も今日ホッといたしました。高遠菜穂子が痛いめにあったのにもかかわらず、『イラク人を嫌いにはなれない。だからこれからも活動を続けたい』といったことに、私は複雑なきもちになりました。私もボランティアをしていたので気持ちは分かります。彼女が彼等を助けたいのもわかります。でも今回の事件で多くの方に魅惑をかけたのも事実ですよね。彼女が悪いわけではないんですけどイタリア人の方のように不幸な結末もあるわけですから。これからもイラク問題は続きそうですね。世界平和の4文字をいつかかなえられることを望んでいます。
 話は変わりますが休み中に1冊の本に出会いました。ちょっと古いですが大平光代さんが書いた『だから、あなたも生きぬいて』という本です。ご存じですか? 人生どこからでも努力によって切り開けるのだとあらためて学びました。そのなかにこんな言葉がありました。

<今こそ出発点>
人生とは毎日が訓練である
わたくし自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
今この幸せを喜ぶこともなくいつどこで幸せになれるか
この喜びをもとに全力で進めよう

わたくし自身の将来は
今この瞬間 ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る
                京都大仙院  尾関宗園 より

 この言葉 大好きです。自分が何をしたいのか、再確認できました。この本にめぐり会い、このように感じたことが今日の幸せだと思いました。また月曜からがんばろうと思います。それでは今日はこのへんで。  朋子         
                          







2004年4月1日更新


 学級だよりに響きあう三つの声

 次は3月9日に「エコー」の読者Aさんから届いたたよりです。学級だより「大福だより」に響きあった親・子・教師。そのまとめの大きな響きが卒業の日でした。
 

 学級だよりへ最初で最後の返信をします        

 武先生へ 4月に転任して来られ、3年生の担任となった先生なのに子どもの心をつかむ「技あり」の先生でした。その先生が長女の担任で国語担当です。クラスのお便りを(メール風の)年間で50回近く発行してくださいました。クラスの様子や生徒の心の様子までわかるくらい、マメに発行してくださったので感謝しています。先生も保護者も忙しい…でもお互いに理解しあおう…という気持ちがあれば、距離は縮むものだなと感じた1年でした。何より、子ども自身が先生を慕っていることは、あり難く幸せなことでした。
 担任の先生が発行してくださったお便りへのお礼の気持ちをと思い、思い切って最初で最後の独りよがりな返信をします。卒業式を想像しただけで涙が出そうな親ばかですが、親子ともども、厳かな中にも感動的な式がやってきそうです。


 心をこめて「ありがとう」 先生の愛が嬉しかった

いつもの春より早い葉桜  ちょっぴり不安げ 先生の瞳 届いたたよりは大福だった
小さな日記の始まりだった にじむ涙のことなど知らず 子らはどんどん向かってきたね    
梅雨の晴れ間に合わせるように ホントの笑顔が戻っていたね 子らは先生の日記を読んだ
次は何かと待ってた 先生の気持ちを感じた私 そう…少しずつ先生が見えた
7月の夏の陽射しは弱く 部活を終えたら気が抜けた皆 
残暑厳しい9月のグランド 運動の部は悔しかった 歌の10月空は高く 「消えた八月」に心はひとつ
先生のたよりは母親代わりだった 親が言うのと似ている台詞 何だか不思議な気持ちになった
先生を信じていけると思った やってみようと素直になれた 大きな愛が先生にあった
マジで悩んだテストの結果 不安でたまらず荒れだす心 素敵笑顔で包んでくれた 
進路が決まれば別れの季節 「サクラ咲く」のは嬉しいけれど 
「そのままの君で」歌う僕らに 「この地球のどこかで」歌う先生 
ちょっぴり寂さ込み上げて もう少しこのままいてもいいな…
今まで ほんとにありがとう 今度いつ来る大福だより 心をゆらした大福だより 
いつか必ず笑顔で会おうね 「さよなら」は言わない また逢う日まで「お元気で」
 




 呼 名
                                         中野 敏治

 卒業式の朝も彼女は登校していなかった。2年生で私のクラスに転入してきた彼女。前の学校でいじめにより不登校になり、私の学校へ転入してきた。転入し、環境が変わったものの登校回数は増えなかった。
 卒業式当日の「朝の会」が終わったとき、クラスの生徒が「彼女を迎えに行こう」と言った。迎えに行くにはあまりにも時間がない。「いつ彼女が来てもいいように準備をしておく」とクラスの生徒に伝えた。「もし式にこなくても、必ずみんなと同じ日にここで彼女の式を行うから」と話した。私の頭の中には、彼女の登校がたとえ午後になったとしても、体育館で彼女の式を行うことを考えていた。彼女のことを思いながら、生徒は廊下に並び、式の入場準備をした。「卒業生入場」の言葉と共に卒業生は式場へ入場した。卒業生は胸に花をつけての入場だった。私は胸に彼女の花を付けて入場した。
 式は始まった。はじめの言葉、学校長の話、来賓の祝辞、そしてとうとう卒業証書授与。彼女はこなかった。そして式歌が始まった。その時だった。体育館に彼女の姿が。歌の最中だったが、私は自分の席を探している彼女に走り寄った。彼女を席まで誘導した。クラスの生徒も彼女の姿に気づいた。クラス全員がそろっての式になったことの嬉しさに感激し、みんなの歌声が涙声になっていた。

 修学旅行を欠席した彼女に、クラス全員が京都から手紙を書いたこと。クラスの仲間の誕生日には、いつも誕生日の歌を歌い合っていた。彼女の誕生日に彼女がいなくてもみんなが歌った。「彼女の家の方を向いて歌おう」という声まであった。毎日彼女の家を訪ねていたクラスメイト。自分の入試前日も彼女の家を訪ねていた。私の頭の中で、彼女を席に誘導するまでにたくさんのことが思い出された。

 彼女を席まで誘導し、私は胸の花はずし、彼女の胸にその花をつけた。式場の時間が止まったようだった。そして彼女の肩をたたいて、職員席の戻ろうとしたとき、彼女の「先生、ありがとう」という声が後ろにあった。学校長が「彼女に卒業証書授与するから、いいね」と職員席でささやいた。すぐに彼女に走り寄った。「今から、卒業証書授与するから、いいな」という私の言葉に「はい」としっかり、はっきりと返事をした彼女。
 司会者が「ここで、もう一度卒業証書授与を行います」と会場に伝えた。「平成××年度卒業生〇〇〇〇」という私の声は、涙声で言葉になったかどうかわからなかった。彼女の「はい」という声。クラスみんなが泣いた。来賓も保護者も職員も泣いた。

 式が終わり、グランドで在校生が列を作り卒業生を見送った。私はその列の最後に卒業生をまって立っていた。列の間を通りながら、在校生と別れをしてきた卒業生。卒業生は列の最後にいる私と握手をした。その列の中を彼女も通ってきた。そして私を見つけ走り寄ってきた。そして彼女は「先生…」と、いいながら抱きついてきた。クラスの生徒が送ってくれた私への色紙に彼女は「先生のクラスで幸せだった」と書いてあった。
 家庭訪問を繰り返してきた2年間。でも1度も彼女は玄関に顔を出さなかった。行く度に、あえて大きな声で親と話をした。姿がなければと電話もした。でも彼女は電話にはでなかった。手紙も書いたが返信はなかった。その彼女が仲間たちに、そして私にも「ありがとう」の言葉を告げてくれた。



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エコーー教育広報相談室の活動  2003年4月1日から2004年3月31日まで教育広報相談室は、学校新聞、学級新聞、PTA広報作りの『何でも相談室』です。企画、編集などのアドバイスとお手伝いをしています。編集上でのトラブルなどの解決策も一緒に考えています。

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新聞新聞づくりの相談      学校・学級新聞  31件   PTA広報 95件   その他の広報・新聞  14件
A教育相談「一人で抱え込まないで、一人で悩まないで」   進路変更・不登校・教師不適応・学級経営など  12件
Bその他の活動          新聞・広報づくり講座講師 28回   子育てなどの講演 5回    「ふるさと」案内 11回
C当相談室来訪者         111個人・組 (128人)


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2004年3月1日更新




教室の四季  NO5

 アレ オヤ ヒヤリの学習参観
                                     小澤 みつ江

 早いもので、もう一年の締めくくりの学期となってしまいました。今年最後の学習参観は『作って楽しもう小麦ワールド』の中間報告会です。
 総合的な学習で育ててきた小麦作りの経過報告や苦労話、ハプニングなどを盛り込んでグループ発表をすることにしました。グループごとに紙芝居にまとめたり、ニュース番組仕立てにしたり、劇にしたり、壁新聞にまとめて発表したりと、伝える方法を考えました。さて、方法は決まったものの仕事はなかなかはかどりません。ニュース番組グループはアナウンサーを誰がやるかでもめているし、劇グループは脚本や大道具、小道具が決まっていません。そこで、中間報告会のリハーサルを公開授業(総合的な学習の研究授業)として仕組みました。そして、子どもたちに伝えました。
 「ずっと原稿を見て、顔を上げないアナウンサーなんか使えないでしょ。セリフを棒読みする役者なんかおもしろくも何ともないでしょ。本物のアナウンサーや俳優になったつもりでやらなくちゃあお母さんたちの心を動かすことなんかできない」子どもたちは、後に引けない状況に追い込まれて、いかにしたら視聴者を楽しませることができるかを模索していました。
 ある日、ニコニコグループの一人が「俺たち、学校のテレビ放送を使いたいなあ」と、独り言を言っていました。その言葉が耳に残りました。スタジオを使っての実況放送・おもしろそうだ。彼は放送委員会だし。担当の教師の許可を得て、OKを伝えると小躍りして仲間に知らせていました。
 その後も、大道具作りやシナリオ作り、練習練習の日々でした。その中に、子どもたちの変容する姿が少しずつ見られるようになりました。視線を正面に向けて話し、時々原稿に視線を落とすようになった子。声が大きく聞き易くなった子。普段は恥ずかしがり屋なのに堂々と演技する子等々。リハーサルの日、公開授業でグループ発表する子どもたちは真剣でした。心配していた校内放送での実況もうまくいきました。
 満を持して迎えた本番。学習参観の中間報告会です。リハーサルを体験した子どもたちは、余裕の表情に見えました。発表もいよいよ残すところあと一グループです。
 前のグループがOHP(幻灯機のようなもの)をつかって発表していたため閉めていたカーテンをさーっと開けて、ニコニコグループがニュースを伝えます。アナウンサー役の子が「皆さんこんにちは」と言い出した時、急にテレビ放送が始まってしまいました。みんなびっくり。
 あわてて放送室に飛脚を走らせてやり直しです。カーテンが開いたのを開始のサインと勘違いしてしまったのです。もう一度気を取り直して「皆さんこんにちは。私はアナウンサーの○○です。それでは畑の△△さーん」「・・・」 今度は声が出ていません。またまた放送室へ走る、走る。
 「皆さん、生放送ですのでハプニングが起きました。しばらくお待ちください」担任はこんなセリフを言ってその場をしのぎました。視聴者の皆さんが保護者だったことが幸いし、暖かい眼差しで見守っていてくださいました。終わったあとの会場で保護者の方々から、すばらしかったという感想をたくさんいただいて満足の子どもたちでした。でも、背中がヒヤリの担任でした。






2004年2月1日更新

2004年1月1日更新


 中学校を地域文化の発信地に

 三年前だったと思う。学区の東中学校の田中教頭先生が、「学校が借りている畑を、トラクターで耕して下さる人を紹介してください」と尋ねてみえた。それで近所の農家の青年を紹介したのだった。そのとき、地域の情報の収集が学校には欠かせないことだ、と思った。
 昨年11月、東中学校から、総合学習の「地域めぐり」の案内を頼まれた。この1月10日に田原の「ふるさと伝承館」で道祖神祭りの催しがもたれる。ダンゴを作りダンゴ焼きをするのだが、その前に「道祖神祭り」の話をすることになってる。そして2月になって自治会主催の文化講演会で「寺山の地名」について話す。この三か所での行事は大雑把に捉えれば「地域文化の伝承」といえよう。その「地域文化の伝承」を、学校、市の施設、そして自治会がそれぞれ独自に計画をしている。「情報の収集」そして「情報の共有化」が必要だと思った。
 ある校長先生が「学校が地域の情報センターの役割をしたい」と発言された。かつて学校は地域の文化センターでもあった。私も又、学校が地域の文化センターになることを願っている。そして中学校にその任を受け持って欲しいと思っている。
 昨年の暮に文部科学省は指導要領の一部改訂を告示した。その中で総合的な学習の時間について「各校ごとに学習時間の目標や内容を定め、指導法などを示した全体計画をつくる必要がある」と言っている。校種の枠を超え、地域文化の伝承の全体計画がつくられたらうれしい。

 中学校が地域の文化情報センターの役割を果たすため整備することを具体的に挙げてみる。
1 人的情報の収集(人材バンクの充実 卒業生・保護者・地域の人のもつさまざまな能力・技能を集める)
2 地域の自然の情報の収集(地域を形作っている山川草木の情報)
3 地域の教育施設の情報の収集(幼稚園、小学校、中学校、高校、児童館、公民館、図書館、博物館、その他の公共の施設などが持つ行事などの情報。そして情報公開)
4 地域の諸団体の情報の収集(PTA、長寿会、子ども会、婦人会、青少年育成団体などの持つ行事などの情報)
5 地域の行事情報の収集(道祖神祭りなどの伝統行事や祭礼の情報)

 こうした情報の収集・整理には担当の教師を置き、地域に積極的に働きかけて情報を集める。そして、蓄積された情報の活用を自校で行うとともに、他の学校や団体との交流を図ることがのぞましい。
 

 地道祖神祭りは、かつては子どもと地域が一緒になっておこなうものだった。文化情報センターである学校が呼びかけて、昔のような道祖神祭りを行うことができれば、「地域の子どもたち」という意識は子どもにも地域民にも高まる。地域の人間関係を親密にし、学校がいっそう地域に信頼されるために、学校が地域文化の発信地になって欲しい。



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