武 勝美の 月別学校講話集
子どもに、保護者に、教師に話した話材を文にし、月別に掲載しました




「こころを育てる小・中学校講話集」・学事出版(2010年3月3日発行)に収められています



入学式の式辞
 
 断じて行わず

 新入生の皆さん、ご入学おめでとう。皆さんの入学を心待ちにしていました。2月28日の学校見学会のとき、私は皆さんに「中学生になることが楽しみだ、と思っている人?」と尋ねました。それに応えて手を挙げた人は4、5人しかいませんでした。期待もあるが不安のほうがはるかに大きかったのでしょう。ところが、今の皆さんの顔には、これからの中学校生活をがんばるぞ、という気持ちがみなぎつています。姿勢も、あのときと比べれば、なんと立派なことでしょぅ。そんな皆さんに、私が一番望むことは、「自分で考え、判断し、行動する中学生」になつてほしいということです。
 中学生の高田君の話をします。ある日、高田君の教室で英語のテストがありました。そのテストの途中、先生は急用でしばらく教室を空けました。先生の姿が見えなくなると、だれからともなく、辞書や教科書などを取り出し、みんながりっぱな答案を完成させたのです。テストが終わり、採点を始めた先生は、自分が教室を離れたとき何があったのかを知りました。ところが、高田君の得点だけが
他の生徒と比べて低いことに気づきました。高田君の、ふだんの実力どおりの得点でした。先生は高田君を職員室に呼び「君は立派だ。みんなが不正をして良い点を取ったのにそれをしなかった」とほめました。すると高田君は、先生が私をそういう人間だとわかってくれただけで十分、と言ったのです。このエピソードは、30年ほど前に亡くなった随筆家の高田保さんが中学だったときのものです。今もその中学校に学ぶ生徒の心として語り伝えられているのです。周りの人が同じ行動をとったとき「私はそれはいやだ。やりません」と言うと「あいつは付き合いが悪い」とか、変わり者と言われてしまいます。だから、たとえ悪いこととわかっていても「みんなもやっているから」となってしまうのです。「赤信号みんなで渡れば怖くない」です。それに他の人と同じことをしていれば安心です。「でも、ぼくの判断では(私の考えでは)これは間違いだ。だから、ぼく(私)はあなたと同じことはしない」1そういう強い心と行動力を、私たちは持ちたいと思います。よく考え、正しく判断し、それに従って行動する。それをこれからの中学校生活の中で育て、身につけてください。高田君のように、悪いことは「断じて行わず」です。(武勝美)


3月

修了式で

 自然の移り変わりを楽しむ春休みに

 3年生が卒業していったのは1週間前なのに、もうずっと昔のことみたいに思えるかも知れません。時の流れの速さを感じます。
 先ほどの修了式で歌った校歌、みんな大きな声でしっかり歌っていました。今、こうしてあなたたちの制服姿をみると、入学式の日の姿と違って、体にピッタリとあって似合っています。少し窮屈な制服になっている人も何人かいますが。それだけ、この1年間に体の成長があったのです。それと同じように、あなたたちの知識は増え、知恵はつき、心は大きくなりました。
 明日から春休みはちょうど10日間あります。桜の花を中心に花の季節になります。桜の花だけでなく、山の色の移り変わり、日ごとに輝きを増していく川面、飛び交う野鳥の種類の変化など、自然の移り変わりを楽しむ春休みにしてください。そして豊かになった心で、また4月5日に会いましょう。



朝会で

 社会人になるA君へ 三つのはなむけの言葉

 一つ目 出勤したら自分からあいさつをしなさい。「おはようございます」は、相手も自分も心も温かくしてくれます。それに、君は職場では一番後輩なのだから。そうするととで君の職場での立場はよくなります。
 ニつ目 “ポカ休”はしないこと。休むときは自分で連絡しなさい。親に電話をしてもらうなどは中学生のすることです。会社は君が必要だから採用したのです。君には仕事上の責任があります。自分の声で電話をすることで、自分.の責任を果たしてください。               
 三つ目 会社の外に友達を持うことを勧めます0会社に勤めることで、君の世界が小さいものになってしまう恐れがあるからです。中学時代の友達でも、同じ趣味の人でもいいのです。会社の外の人とたくさん交わってください。それから本を読んでください。本から広がる心の世界が15歳の君には必要です。


2月

朝会で

 あなたの寮で一番大切な物は

 アメリカの写由兵家のピーター・メンツエルさんがr地球家族」という写真集をつくりました。世界三十か国を訪ね、統計上その国の平均的な一家族を選び、その家のすべての持ち物を家の前に並べて撮った写実集です。写真の真ん中には、その一家の一番大切な物を置いてもらいました。モンゴルの家族はテレビと仏壇とどちらにしようかと悩み、両方を並べています。グアテマラの一家は宗教画とラジカセ。ハイチでは「一番大事な物なんか持ってない」というのが答えでした。
 この写真集のことを知人のSさんに話しました。Sさんはしばらく考えて言いました。「わが家はたぷん一枚の写実を選ぶだろうな」。
 Sさんはある建設会社の作業所長でした。昨年の十一月のある朝、Sさんの単身赴任先の作業所に「会社は倒産した」と電話が入ったのです。Sさんは年齢五十歳、家には奥さんと大学生と高校生がいます。突然のことに四人は混乱しました。すべて一からのスタートになってしまったのです。でも、架けていた稀の仕事は続けられました。そして十二月に全長百メートルの構は完成しました。Sさんはその庸の写真を掘り、家族に見せて言いました。「お父さんの最後の仕事はこの構。しっかりできているだろう。この橋をみんなで渡って、新しい生活を始めよう」と。
 日本の小学三年生の作文を読みます。
「ぽくの家の中心は、食料、テレビ、こたつだと思う。ご飯前まではみんなばらばらだけど、ご飯になるとみんな寄ってくる。テレビの場合はご飯の後、テレビがついているとみんなそのままで、テレビをつけてないと自分の部屋に行ったり、またばらばらになってしまうからだ。だから、ぽくの家はまともなものではつながっていないのだとぽくはしみじみ思う」(ニッセイ基礎研究所)
 もしあなたの家をピーター・メンツェルさんが撮ったら、あなたの家の写真の其ん中には何が置かれるのでしょうか。



1月

3学期初めの職員会議で

「授業がわかるから学校が楽しい」でなければ

 教職員組合が掲げた『わかる授業楽しい学校』というスローガンは、教育に携わる者への意味深い問いかけである。
 中学生に「なぜ学校に来るの」と聞くと、「学校が楽しいから」という答えがたくさん返ってくる。そして「義務教育だから、来なきゃいけないんでしょ」「他に行くところ無いしネ」などという冷めた言葉も聞かれる。確かに学校は、子どもたちにとって楽しい場所の一つのように感じられる。実際、子どもたちの学校での生活ぶりから察すれば、毎日が楽しそうである。そういう子どもたちの姿を発見して、私たち教師はホッとしている。なぜ?何があるから学校が楽しいのかはあまり追及していない。
 休み時間や放課後の友達とのおしゃべりを楽しみにしている子は多い。部活動も中学生にとっては楽しいことの一つである。この二つは中学校生活の中では大事なものとも言える。しかし学校に釆て最も大きな楽しさ・喜びは授業の中にある″ことを、教師は子どもたちに感じ取らせなくてはいけないのではないだろうか。
 「授業があるから、授業がわかるから、学校が楽しい。だから毎日学校に来たい」と、子どもたちに言わせる、そういう学校でありたい。子どもたちに待たれる授業をしたい。子どもたちの誰もが「授業がわかるから、学校に来るのが楽しい」と言う学校・授業はどうしたらできるのだろうか。
 条件の一つは、教師がよい授業をすることである。そのためには、教材研究や授業研究に十分な時間をかけたい。しかし、どれはど研究された授業案を持って教室に行っても、よい授業が成り立たない場合がある。それは、その教室がよい授業ができる雰囲気になっていないときである。二つめの条件とは、その学級が学ぶことへの積極的な姿勢を見せる、ということである。「よい授業をすれば、授業に向かう子どもたちの目の輝きは増すはずだ」という論は正しい。しかし、一方ではその教室が学ぼうとする意志を見せるとき、初めて子どもたちも納得するよい授業ができる、という考え方も間違ってはいない。この二つ、表裏一体の条件『授業法の研究』と『よい授業のできる学級づくり』への情熱を、教師は持ち続けたい。
 よい授業がおこなわれるための条件『教室の環境』について、いくつかの視点で具体的に考えてみたい。よい授業ができる学級とは、
@一人ひとりを大切にする学級
 「一人ひとりの生き方の見とりは、学級経営の根源であり、授業の根源であり、すべての教育の根源である」と重松鷹康先生は話された。子どもたち一人ひとりの生き方を、そのまま・すべてを受け止めることから教えることが始まる。個性化教育が、選別・差別の教育になることのないよう心に銘記したい。教師が子どもたちを認め、支え続けるとき、子どもたちは勇気を持って自分の生き方を求め続けることができる。
A 仲間づくりのできている学級
 仲間づくりのできてる学級とは、その学級のだれもがその存在を認められていることである。自分の居場所がはっきりしていることは、自信や気力の充実につながる。それは、当然のこととして、あらゆることへの学習意欲の高まりになる。
B 生活にけじめのある学級
 授業の始まるときに授業を受ける準備のできていない学級、忘れ物の多い学級、授業中のはしゃぎ過ぎ、発言者への冷やかしや無視などがあるクラスは、学習の効果はあがらない。
C 環境の整った学級
 一輪の野の花が飾られているだけで、季節を感じる子どももいる。机や椅子の乱雑な教室、変色した掲示物がたれさがっているような教室、掲示物のまったく無い部屋。紙くずの散乱している中で、ほんとうに学習ができるのだろうか。「教室は勉強する部屋だ。気持ちの持ち方だ。目障りな掲示物などいらない」という教師がいる。私には手抜き≠しているとしか思えない。



12月

2学期終業式で

13000個のトマト

 「小さいころから思っていました。私のクラスで、一回先生を困らせたことがあったとき『お花をクラスに飾ったら、きっと心が落ち着いて、前よりは状能茹良くなると思うんですけど』と言って、花を置かせてもらったら、何となく…?わかんないけど、クラスがよくなつていったと思いました。お花を見て、その人が『きれいだ』とか『きれいに咲いてくれよー』きとお花に向かって言えば、お花はすごい生命力で生きようとします。しかし『なんだよこの花は』とか『とっちゃうぞ』とか言えば、その花は生きる元気を亨し、生命力が落ち枯れていきます。ぜったいそうです。私は、花って人間みたいだと思っています。ほめられれば『よーし、がんばるぞ』って思うでしょうし、ヶチをつけられたり、いじめられたりすれば『どうしよう…』と悩んでしまいます。とにかく人間、動物、植物き生きているものは大切にしよう、声をかけよう、ということです。では体力をつけて早く学校にきてください。みんなまってまーす。紺野ゆかり」
 入院中に三年生の紺野さんからもらった手紙です。読んでいるうち、私は三年ほど前に見た『ガイアシンフォニー・地球交響曲』という映画を思い出しました。それは龍村仁監督のドキュメンタリー映画で、『現代の常識を超えたことを成し遂げた六人』のオムニバスものでした。
 その中の一人・野沢重雄という植物学者は、たつた壷のごく普通のトマトの種からバイオテクノロジーも特殊肥料も使わず、云一二千個の実をならせた一本のトマト巨木を作ったのです。その野沢さんはこう言っています。「トマトは心を持っている。私はそのトマトの心にたずね、トマトに教わりながら、成長の手助けをしただけです」 映画が上映されるに先立って、龍村監督のあいさつがありました。そのあいさつの中で、映像にはならなかったエピソードの紹介がありました。その一つ、野沢さんは、ある夜突然トマトの実が落ち始めたと感じたのだそうです。温室に駆けつけると、ばたばたと後からあとからトマトが降るように落ち続いたのだそうです。このことから、野沢さんはトマトからの発信=Aトマトに↓があることを信じるようになったのだそうです。
 野沢さんは次のようなことも話されたそうです。「生物は自分の置かれた環境の中で生きる努力をする。それ以上のことを求めたら、その生物は必ず滅びる。二塁千のトマトを実らせたのは、それだけ実ってもいい環境が最初にあったからです。そして、そのことをトマトの苗は知らされていたからです」 科学の常識では理解しきれない、オカ〜トじみた話のように思えます。でも確かに、鈴なりの赤い実とその巨木は映し出されました。
 「生物は自分の置かれた環境の中で生きる努力をする。それ以上のことを求めたら、その生物は必ず滅びる。一万三千のトマトを実らせたのは、それだけ実ってもいい環境が最初にあったからです。そして、そのことをトマトの膚は知らされていたからです」
 作家・遠藤周作はこのトマトの話を聞いて、なぜそんなことが起こるのかを考えました。そしてこんな結論を導きだしました。
  「この宇宙には、愛の波動と憎しみの波動とがある。その愛の波動とは生命の波動であり、憎しみの波動とは死の波動である。そして命あるものは全て、この二つの波動だけ
は感じることができるのではないか。」(『変わるものと変わらぬもの』遠藤周作・文芸春秋)
 農業をしていた祖父は、次の言葉をよく口にしました。 「畑の作物にとって最もよい肥料は人の足音だ」この言葉を私はこう解釈してきました。畑をよく見回れば、肥料の足りなさとか、病害虫の発生なども早く発見できる。それでよい実りが得られる。だから、足音が最高の肥料なのだ、と。 でも、紺野さんの話や、野沢さんのトマトのこと、そして遠藤周作さんの宗教的な宇宙観を知った今「足音を聞かせること」足音そのものが、ほんとうによい肥料なのだと思うのです。畑を見回りながら作物に声を掛ける、作物への思いを持つこと、それが愛の波動・生命の波動として作物に伝わり、作物は安心して豊かに育つのです。
 人の心が植物や動物に伝わるとしたら、私たちの心の持ち方ひとつで地球、私たちの世界はもっと温かいものになります。人間が、命あるものに対して一生懸命になれば、地球の未来は自然に決まるのです。 「地球は一つの生命体」と言うのなら、人類はその生命体の心なのです。



11月

文化祭の開会式で

 心を耕し、種をまき、育てよう

 待っていた、そしてこの日のために努力してきた舞鶴祭の第一日目、文化の部が始まります。この「文化」という言葉は、何となくわかるようで、それでいてうまく説明できない言葉です。辞書は「文化」を次のように説明しています。
(1)進歩・向上をはかる人間の営み=私たちが進歩・向1をするために、すること考えること。
(2)私たちが、私たちの前の人から受け取り、そして私たちの後にくる人たちに 伝えようとするもの、あるいは生活の仕方。
 こう読み上げても十分に理解できないと思います。「文化」に当てはまる英語はcultureです。この言葉の語源は「栽培する」という意味のラテン語だそうです。それが「土を耕す」に転じ、「精神的なものを深める、養う、みがく」という意味に広がっているのです。
 「文化」とは、人の心を耕して柔らかくすること。その耕された心の中にまかれたものを育てるということです。これだと少しわかりやすいでしょう。
 昨日みなさんが下校したあと、私は全部の展示会場を見せてもらいました。どの教室も、テーマにしたがい立派な作品が飾られていました。でも、この体育館には意識して足を踏み入れませんでした。今、こうして初めて目にした印象をみなさんに、そのまま話そうと思ったからです。
 同じ昨日のことでした。職員室で広報委員が顧問の先生と相談していました。この舞鶴祭の速報の見出しをつくつていたのです。見込み記事ですから、″舞鶴祭は大成功″という見出しをつけていいかどうかと悩んでいたのでした。すると居合わせた二人の先生がおっしゃったのです。「これだけみんながんばってきたのだから大成功″って書いて大丈夫! 大切なのは前日まで″だから」と。
 私も、準備の中で皆さんが力を出し切ったかどうかに注目してきました。今、皆さんの左右に張り出されたクラスのイメージポスターに、あなたたちの意気込みを感じます。背面の三年生の空き缶によるメモリアル・アート「翔べかなたへ」は、鶴巻中学校が秘めている力強さの現れとして私を圧倒します。ですから、これからの発表・演示に、私の期待はますます大きくなっているのです。観客の、他の人の心をしっかりと耕し、何かの種をまき、芽吹きをさせてください。


10月

文化祭の開会式で

 鶴が舞う地球に 

 まもなく100号を迎える学校新聞・鶴中新聞のために、広報委員会は今『ようこそ鶴中へ全国の鶴たち』という特集に取り組んでいます。日本中の『鶴』という文字で始まる校名を持つ中学校を調べ出し、33校に手紙を出しました。ほかにも、田鶴浜(石川県)のように鶴という字をはさんだり、舞鶴(京都府)のように、鶴で終わる校名を持つ中学校は、全国にたくさんあります。
 校名に『鶴』を使っているということは、たいてい、そこに鶴にまつわる地名があることを表しています。それでは、なぜ『鶴』を地名や学校名にしているのでしょうか。
 昔から日本人は鶴が好きでした。すらりとした首と脚を持ったその美しい姿。「鶴は千年」と言われるように、平和と幸せのシンボルとして日本人は鶴を愛してきました。千二百年も前の万葉集に鶴は詠まれています。
 若の浦に潮満ちくれば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る  山部 赤人
 鶴はまた身近な鳥でもありました。江戸時代の浮世絵画家・葛飾北斎が『富嶽三十六景』というシリーズの版画の傑作を残しています。その中の一景に『相州梅澤左』という作品があります。梅津という場所は、私たちのお隣り・二宮町にあります。その絵には、富士山を背景に七羽の鶴が描かれています。ここ鶴巻も、昔は沼地だったので鶴がたくさん舞っていたのでしょう。そこから『鶴巻』という地名が生まれたとも言われています。このように、日本のいたるところで鶴は見られたのでした。
 鶴は、餌のたくさんある湿地帯で生活していました。その湿地帯にやがて人間が入って行くようになりました。そこは、人間にも豊かな水と食料を与えてくれるからでした。世界三大文明の発祥地は、川辺・湿地帯であることは知っているでしょう。湿地で生活を始めた人間は、身につけた文明の力を活用して、湿地帯を開拓し始めたのです。干拓によって生活の場を追われた鶴は、やがて私たちの前から姿を消していったのでした。秋田県の能代市にあった鶴形中学校は、その校名を能代東中学校に代えた、と広報委貞会に返事をくれました。私には、鶴が人間の前から消えていったことの象徴のように思えました。
 現在、鶴は南極と南米以外の五大陸に15種生息しているそうです。でも、そのうちの7種は絶滅寸前と心配されています。鶴と湿地を保護することは、湿地に住むたくさんの生命が滅びるということです。
 きょうから開かれる創立十周年記念舞鶴祭の名のとおり、平和と幸福のシンボルである鶴が舞う、そんな世界・地球を、私たちはつくりたいと願います。三年生のテーマは『私たちから世界の人々へのメッセージ』です。あなたの思いを『舞鶴』に託して、あなたの周りの人たちに届けましょう。

 ツルはいくつもの国にまたがって渡っていく。まさにツルに国境はない。ツルは湿地生態系の象徴であり、同時に、人間世界の幸福や平和の象徴でもある。ツルを保護するためには、国境を越えた人々の協力が不可欠である。ツルと湿地を研究し、保護することを通じて、人と人との交流が深まり、湿地にすむ数多くの生命が守られることを願いたい。 樋口広芳(日本野鳥の会)



6月

朝会で

 球根掘り大会

 新聞のコラム欄に書かれていたことについて話をします。
 K市の農業公園でチューリップの球根掘り大会がおこなわれました。咲き終えたチューリップの球根を、掘った人にプレゼントするという催しです。先着五百人までで、午前十時スタートでした。八時半にその会場に着いた市の係の人はびっくりしました。三百人近い人たちが、もう埋まっている七万個の球根を勝手に掘っていたのです。
 大阪で開かれた「花の万博」の最終日のことです。 大きなプランターに植えられた花の前で、二人の女性が「これ持って帰ってもええんやないか」「ええんとちゃうの」と話したのです。その会話を聞いた別の女性が「もって帰ってもええねん」と、花を一株抜きとりました。すると、たちまち周りの人も手を出し、そのプランターの花はすべて消えてしまいました。ほかの場所でも同じことが起こり、一万七千株もの花が持ち去られてしまいました。警備員が声をかけると、少しバツの悪そうな顔をした人もいました。でも「あまり罪の意識はないようだった」そうです。
 「取らなければ損をしたような気になる」という、みんなと同じになりたいという心。それが「赤信号 みんなで渡ればこわくない」で、悪いこと・ルール違反を感じなくさせてしまったのです。現代の人間の弱さが表れた事件でした。
 三年生が入学した日、私は随筆家・高田保さんの中学時代のエピソードを紹介しました。覚えているでしょうか。テスト中、監督の先生が急用で教室を空けたとき、みんなカンニングをしたけれど高田さんはしなかった。「カンニングは不正だ。だから私はしない」と決めたのです。そのことに気づいた先生が、高田さんを呼び、誉めたら、彼は「私という人間を分かっていただければ、それでいいです。誉められるようなことをしたとは思っていません」と言いました。
 みんながやっているとき、一人だけそれに加わらないーこれは、とてもむずかしいことです。自分の心に従って、「断じて行わず」の人になりたいと思います。



5月

朝会で

ツタンカーメンのエンドウ

 去年の11月に蒔いたエンドウが、寒い冬を耐え抜き、白い花をつけ始めました。エンドウの花の色は普通、白、赤ですが、ピンクのものを隣の家の菜園で見つけました。それは『ツタンカーメンのエンドウ』という名前でした。このピンクの花のエンドウには、珍しい赤紫のサヤの実がつくそうです。
 1922年、イギリスの考古学者がエジプトの『王家の谷』でツタンカーメン王の墓を調査したとき、埋葬品の一つとしてこのエンドウを見つけました。この墓は紀元前14世紀のものですから、今から約3300年前のエンドウです。このエンドウはイギリスで発芽に成功し、日本にも渡ってきました。
 3300年もの長い年月、一粒の種の中で燃やし続けてきた命の火。同じ命あるものとして、私たちも『生きる力』を内に秘めているということを忘れたくないものです。



4月

一学期始業式で

APRILは 『開く』

 NHKが調査したところによると、『美しい日本語、好きな言葉』の第一位は「ありがとう」で、次が「おはよう」です。
 正門を入ると「ありがとうと言う心言われる行動」という生活目標が掲げてあります。日本人が一番好きな言葉「ありがとう」をスローガンにしているこの学校が私は好きです。 この「ありがとうと言う心、言われる行動」を、本当に自分のものにするためには『自分の目でしっかり見る』『自分の耳でしっかり聞く』『心からの言葉で話す』ことです。そのとき「ありがとう」は本物になります。
 248名の一年生が加わり、生徒は全校で741名になりました。それに36名の先生が加わり、新しい集団で、新しい一年が始まるのです。
 四月・APRILという英語は「開く」という意味のラテン語が語源です。桜の花が開き、チューリップが咲く。そして私たちの希望の↓も開き始めるのです。これからの一年をつかって、いろいろな美しい花を咲かせましょう。



朝会で

開校記念日にちなんで

 学校が始まって二週間、新しい教室で新しい友達はできたでしょうか。班の人達の名前はフルネームで言えますか。少し疲れたと感じているかもしれません。明日、明後日
と学校は休みになります。ゆっくり休んで、二週間の疲れをとってください。
 ところで、明後日の四月十七日はなぜ休みなのか知っていますか。この日は鶴巻中学校の開校記念日なのです。
 九年前の四月十七日、開校式がおこなわれたのですが、その式に出席した生徒は897名と記録にあります。900人ピッタリではない、というところに、わたしはとても興味を引かれました。「900に1たりない」ということが、鶴巻中の進歩・発展を約束しているように思えたからです。
 当時の記録を読んでいくと、生徒会設立準備委貞長の細川さんの次のような言葉に出会います。「鶴巻中学校という名前ににふさわしい、新しい伝統を生み出したい。そのた
めに生徒会をつくる」。
 十年目に入った鶴巻中学校の伝統とは何でしょうか。今年の入学式に来校された地域の方々から、よくあいさつができるとほめられました。毎朝、校内に「おはよう」のあいさつがよく響きます。「あいさつができることが伝統」と言うと、「そんな単純なことが伝統なんて」と思うかも知れません。でも、あいさつをすること、あいさつを交わし合うことはとても大切なことです。「おはよう」と声を出すのにはけつこう勇気がいります。でも、あなたの「おはよう」の声は、相手の心を明るくします。そして、あなたの心も明るくなると感じているはずです。



1月

三学期始業式で

 二人のお年寄り
 
 新しい年の初め、ここから見える皆さんの顔はキリつとひきしまり、今朝の寒さのよぅにリンとしたものを感じさせます。良い冬休みが過ごせたしるしです。
 十二月三十日、用事があって厚木に出掛けました。途中、田畑の広がっているところがあり、おばあさんが大でゲートボールをしているのを目にしました。その姿が私にはとても寂しく見えました。あと二日でお正月を迎えるという日の午前九時過ぎです。ふつうなら、大掃除をしたり、お節料理を作ったりするときに、たつた一人でゲートボールの練習をしているのです。そして、その光景から、看ちょつと前に秋田に若したとき出会ったことが浮かんできました。
 八幡平国立公園の紅葉を見て、後生掛温泉というところで昼ご飯をとりました。食事の後、五〇〇円で入れる公衆浴場のよう盗泉に入りました。昼どきだつたので、私を含めて二、三人しかお湯に入っていませんでした。露天風呂もありました。今を盛りの紅葉が、湯船の脇から山誓でずっと広がって眺められるのです。あごまでつかっていい気持ちになつていると、おじいさんが入って来ました。どちらからともな句言葉を交わしました。その方は、大館から来て十日間ほど湯治をしていると話されました。食事は自炊で一泊一、二〇〇円だそうです。
 私との話の間、何度も「恵まれている、しあわせだ」というような内容のことを口にされました。その方の住んでいるところは、そのころはお米の収穫時期でした。「みんな
が働いている時に、こうして湯治に来ていられる。年四回もここに来ている」そんなことも話されました。東北地方では、農作業で疲れた体を休めに温泉にいくことを湯治≠ニいいます。そのことからすれば、恵まれているのかもしれません。聞けば一人住まい″で、子どもは全員都会で生活をしているとのことでした。
 露天風呂をあがって室内の泥湯に入ろうとすると、ついて来て一緒に入り、入り方、上がり方を教えてくださいました。打たせ湯、蒸し風呂など私が使う湯すべて、私が出るまでずっとついてきてくださいました。東北人の親切さを感じました。でも「私はしあわせだよ」という言葉そのままではない、人恋しさがあるようにも感じてしまいました。
 二人のお年寄りの話をしました。私の外観からの勝手な想像ですから、お二人の行動が寂しい″とかいうものと全く違うかも知れません。親子とは、おじいさん・おばあさんとは、そして家族とは何なのか、そんなことを考えて欲しいと思い、一年の初めの話にしました。



朝会で

 砂ネズミの寿命と人の一生

 わが家には、二年前から砂ネズミが生活しています。去年の暮れにカゴを新しくしてやりました。二膠建てから、今度は豪華な三階建てに移り住んだ彼は、三階から一階のエサ箱にたどり着くのに大変苦労しています。ネズミには、学習する・記憶するという能力があまりないようです。「偶然、一階に降りる階段が見つかった」としか思えない動き方をし
ています。でもエサをくわえて巣に戻るときは、ほとんど一直線です。これは本能なのでしょう。ときどき階段を踏み外し、転落することもありますが…。
 ところで、ネズミの平均寿命は二年くらいと聞きました。体の大きいゾウは、七〇年くらいは生きるそうです。わが家の砂ネズミ君は、武家に来てもう二年以上生きている、ということは…。
 ネズミとゾウの体の仕組みを調べてみると、心臓の鼓動・ドッキン、ドッキンは、両方とも十五億回で一生が終わるのだそうです。生涯の呼吸の回数も同じで三億回。そうなると、ネズミの二年の生き方と、ゾウの七十年の一生とは同じなのかもしれません。わが家の砂ネズミ君は、カゴの鉄線で伸びる歯を削りながら、与えられた寿命を一生懸命生きている、と思っています。
 わたしたち人類と同じくらいの体のほ乳類の寿命は、二十六年ぐらいだそうです。縄文時代の日本人の平均寿命は三十一年だったそうです。今、人類は八十歳まで生きるようになりました。それは、人間が生きていくのに必要なエネルギーの三十倍ものエネルギーを取っているからです。例えば魚がそうですが、他の生物をわたしたちの生きるエネルギーにしています。 石油というエネ〜ギーも使いたいだけ使っています。人類の努力によって使うことができるようになった、それはすごいことだと思いますが…。
 今わたしたちは、ほ乳類としての二十六年という寿命に、《人類が生み出した、勝ち取ったとも言える五十五年》という膨大な時間を加えて持っています。わたしたちは、その勝ち取った時間をどのように使っているのでしょうか。二十六年と八十年の中身が同じではいけないのです。



10月

朝会で

 新聞をつくるときの悩み

 小学生新聞の記者と話す機会があったので、前から感じていたことについて尋ねました。

私「小学生新聞といいながら、小学生にはむずかし過ぎるテーマの記事がある。記事の書き方や使われている言葉もむずかしい」
記者「固いテーマの記事を載せると、そのテーマについて編集部に質問してくる子が何人もいる。事典や辞書を使って、そのむずかしい記事を何とか理解しょうと努力している小学生もいるようだ。予想以上に、小学生は今の世の中に関心がある。小学生新聞を読んで『僕はこんなむずかしいこと・例えば政治や経済のことを知っているんだ』と周りにアピールする子もいるらしい」
私「小学生新聞でも今の程度の固さ・むずかしさは保ちたいと思っていらっしやるようだが、それが読者が増えない、新聞を読まないということにつながっているのではないですか」
記者「おもしろい記事だけの新聞をつくれば売れるかもしれない。だが、小学生を対象とする新聞であっても、必要なときにはむずかしいテーマの記事も書きたい。それを読んで成長してほしい。新聞を発行する人として、そういう願いも強い」

 読んでもらうことは売れることです。売れなければ、新聞は発行できません。小学生新聞の記者たちは、@楽しい『売れる新聞』をつくらなければいけないのです。でも一方では、Aより高いもの・本物の新聞を子どもたちに読んでもらいたい、と強く思っています。ですから、とても悩んでいます。
 学校で発行する新聞でも、どんな新聞でも、この二つの相反することの間で編集者の心は揺れ動いています。

 2006年・第59回新聞週間の標語 「あの記事が わたしを変えた 未来を決めた」



9月

二学期の始業式

 「だから二学斯が好き」と言えるように
               ′
 今朝五時半ごろ、元気よく爆竹が鳴りました。朝早く起きて「さあ、今日から学校だぞ」と張り切って小る小学生の↓の表れだと思いました。その爆竹はまた、夏休みとの別れの意味もあったはずです。
 7月20日、私は皆さんに二つのことをお願いしました。吉事故に遭わないように、もう烹「00ができるから夏休みが好き」という生活をして欲しい、と。今、皆さんの元気な顔を見て、その二つが達成できたと思っています。
 2日の土曜日の夜、家族で「さよなら2006年の夏・〇〇家パーティー」を開いてください。そこで、この夏休みのいろいろな出来ごとを振り返ってください。そして残っている花火を打ち1げて、夏休みと「さよなら」してください。
 今日から始まる二学期は実りの秋です。芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋、果物の秋、二学期が終わる日に「○○があつたから、××ができたから、△△が食べられたから、だから秋が好き、二学期は好き」と言えるようにしましよう。



朝会で

 グラハムさんの三度のあいさつ

 この夏休みに、長男がお世話になつたイギリスのホームステイ先のご夫妻をお迎えしました。日本の滞在は二週間、その中の五日間を一緒に行動しました。箱根を案内し、秦野に泊まってもらいました。最後の日はディズニーランドで花火を楽しんでもらいました。そして成田まで私の車でお送りしました。
 午後5時が離陸時間でしたので、少し余裕を持とうと2時半過ぎに空港に着きました。ところが、離陸が4時間遅れの9時になつていました。正直なとこころ、これから5時間も話をするのは大変だと思いました。それで5時までがんばつてサヨナラ〃をしました。
 成田から5時間もかかって、ようやく家にたどり着いたら「8時ごろグラハムさんから電話があった」と母が言うのです。80歳を超えている母は英語などわかりません。
 グラハムさんには、留守番は母しかいないのが分かっているはずです。それでも、もしかしたら私たちが戻っているかもしれないと思ったのでしょう。母は「アリガトウと日本語で言っていた。それだけ分かった」と言うのです。グラハム夫妻は日本を離れるとき、あらためて私たちにお礼と出発のあいさつをされたのです。少し胸がジーンとしました。
 成田で別れてから30数時間たった翌朝7時、イギリスから電話が入りました。自宅にたどり着くとすぐに、秦野に電話をしてくださったのです。無事到着と楽しかった日本の旅へのお礼の電話です。「アリガトウ」という日本語が最後に大きく響きました。
 数日経って今度はハガキが届きました。日付や内容からすると、帰国途中の飛行機の中で善かれたもののようです。
 離陸前、飛んでいる最中、帰宅するとすぐ、とお礼の言葉を三度も伝えてきたグラハムさん。来てもらって本当によかったと思いました。グラハム夫妻は70歳近い年齢です。お国柄などということではありません。その行動力と人がらに私は心を揺すられました。
 グラハムさんに会えたわが家のことしの夏休みは、とてもいい夏休みでした。



7月

朝会で

 努力は人を裏切らない

 甲子園にやってくる選手の多くは、中学時代から硬式のボールを握っています。ところが、S君は学校の部活出身、もちろん軟式です。最後の『夏大』の成績は市内で三位という実力でした。その彼が卒業時に次のような手紙をくれました。
 「僕は、試合に出て活躍できれば楽しいくらいの『野球の楽しさ』しか知りません。Y高校に行って『野球を楽しむ』という本当のところまでたどり着きたいです。そのために三年間を努力します。野球のプレーでそのことを表現します。テレビで見てください」。
 彼は声がよくでるキャッチャーでした。生徒会の風紀委員長もしていました。
 昨春三月二十六日、彼は9番・ライト、スターティングメンバーで甲子園のグラウンドに立ちました。背番号は13でした。『努力は人を裏切らない』ことを私は信じます。



6月

朝会で

 逆立ちで道路を渡ってはいけない

 人間の行動を制限するものの一つに、法律や規則があります。アメリカのバーバラ・スーリングという人が、アメリカ各地の 「あまり知られていない法律」を調べました。
  ◇ゆううつな顔をしていてはならない(アイダホ州ポカテロ市) ◇ネコはイヌを電柱に追い上げてはいけない(ミネソタ州インターナショナル・フォールス市) ◇劇場にライオンを連れて入ることを禁ず(メリーランド州ボルチモア市) ◇逆立ちで道路を横断すべからず(コネチカット州ハートフォード市)
 「アメリカ人ってユーモアがある」と思う人もいるでしょう。わたしは、これらの法律、規則を読みながら、どんないきさつでこれらが制定されたのかと、想像力をかきたてられました。なぜなら、わたしたちの行動によって法律・規則がつくられたり、変わることが多いからです。「道路を逆立ちで横断する」人がいたのです。だから、それを禁止しなければならなくなったのです。
 こういう、珍しいというか、特種な法律がつくられるということは、《当たり前》と思うことが、《当たり前でなくなってきた》ということを意味しています。他の人には《当たり前ではないこと〉が、ある人たち―この《たち》という複数形に注意―とっては、ごく自然なこと、《当たり前なこと》になっているからです。こうしたことは、民族間の生活習慣の違いから生じてくることも多いようです。そのために社会生活が混乱する―その混乱を整理するために、先に挙げたような法律が必要になったのです。
 本校の生徒心得の中には、「遮断機が降りているとき、踏み切りを渡ってはいけない」とか、「花火を他人に向けて打ってはいけない」という項目はありません。それは、そういうことはしないのが、人として当たり前のことだからです。まして中学生なら、何が当たり前であるのか、は一致できるはずです。少なくても「自分の命、他の者の生命を大切にする」ということでは一致できます。
 「逆立ちで‥・」みたいな、おかしな校則をつくらなければいけないような、そんなオカシナ学校になりたくありません。「人間として当たり前でしょう」、「わたしたち鶴中生はそういうことはしないのです」という感覚、声を大切にしながら毎日を生活していきたいものです。
 

 
5月

朝会で

 ありがとうチャッピー
 
 若葉が美しいと思う人は、人の喜び、悲しみがわかる人です。他人の言葉や行動から何かを感じることができる人です。
 夕方のラッシュどき、車道をうろうろしている犬は、いまにも車にひかれそうでした。それで、下校途中のMさんはその犬を家に連れて帰りました。その犬は首輪をつけていて、かすれてはいましたが、『K』と下四けたの電話番号が読み取れました。
 翌日、犬を交番に連れていきました。お巡りさんは、電話で周辺の保健所に問い合わせてくれました。しかし飼い主は見つかりません。「見つからなければ十日で処分される」と知ったMさんは、犬を連れて戻りました。
 それから、四けたの電話番号を市内局番の電話帳で調べましたが、番号を載せていない家らしく見つかりません。それで、今度は周りの市や町の市外局番と局番に、その四けたの数字をつけて電話をかけまくりました。そして、あきらめかけていた三十六軒目、飼い主のKさんにつながつたのです。Mさんの家から五キロ離れた隣り町でした。
 「小学生の男の子がとても悲しんでいて、家族で慰めているところでした」と、少年のお母さんは大喜びでした。その犬はチャツピーという名前の雑種です。家族で相談して「どうせ犬を飼うのなら、可哀想な犬がいい」、と八年前に保健所から譲り受けた犬でした。Mさんは、そのやさしい心にジーンときたのでした。
 待ち合わせ場所に来たKさんの単に、チャツピーは何事もなかたかのようにさっさと乗り込んでいきました。それを眺めて、Mさん、Kさんそして男の子は目をうるませたのです。
 交番のお巡りさんも親切でした。Mさんの問い合わせの電話に、怒ってガチャンと切る人に一人も出会いませんでした。「世の中、まんざらでもない」とMさんは思ったのです。そしてチャツピーに出会えたことに感謝したのでした。



 ツタンカーメンのエンドウ

 去年の11月にまいたエンドウが、寒い冬を耐え抜き、白い花をつけ始めました。エンドウの花の色は普通、自、赤ですが、ピンクのものを隣の家の菜園で見つけました。それは『ツタンカーメンのエンドウ』という名前でした。このピンクの花のエンドウには、珍しい赤紫のサヤの実がつくそうです。
 1922年、イギリスの考古学者がエジプトの『王家の谷』でツタンカーメン王の墓を調査したとき、埋葬品の一つとしてこのエンドウを見つけました。この墓は紀元前14世紀のものですから、今から約3300年前のエンドウです。このエンドウはイギリスで発芽に成功し、日本にも渡ってきました。
 3300年もの長い年月、一粒の種の中で燃やし続けてきた命の火。同じ命あるものとして、私たちも『生きる力』を内に秘めているということを忘れたくないものです。


         

4月

学年朝会で

一年生へ  教室をビックリ箱にしよう

 いよいよあなたも中学生になったのです。中学校の第一印象はどうですか。
 ところで、あなたがこれから勉強する教室はどんな教室ですか。新入生のあなたですから、「何だかガラーンとしていて落ち着かないな」と思うことでしょう。「まるで大きな灰色の箱に押し込められたみたい」と感じるかもしれません。そして「やっぱり中学校って暗いな、いやだな」とつぶやく友達もいるかもしれません。でも、ちょっと待ってください。その灰色の箱をあなたの声と汗で“びっくり箱”に変えてみませんか。
 教室の後ろの壁には友達の絵や習字の作品、そう、きれいにデザインされた班のポスターもはられます。教卓に飾られた花がしおれそうになると、誰かがまた元気な花に替ぇてくれます。横の掲示板には、毎週発行される学級新聞が見えます。正面の黒板の1に目をやれば、学級目標の「ありがとうと言う心、言われる行動」が掲げられています。その学級目標をはさんで、体育祭、球技大会、合唱コンクール、新聞コンクールの賞状が輝いています。こんな教室に入ると、あなたは不思議と落ち着いた気持ちになるのです。先生方も「この教室に来ると、何となく元気になるんだ」と言われるでしょう。−「環境が人をつくる」のです。クラスのみんなとしてみませんか。何もなかった教室を、ぁなたの好きな部屋に変える、それを一年かけてやってみてください。勉強や部活動が楽しく、力いっぱいできる条件は、まず
学校生活の中心の場である教室が明るいことです。あなたの声を、あなたの教室に響かせてください。あなたの汗をあなたのグラスのために流しましょう。そうすれば、一年という時間があなたの教室をすてきな“びっくり箱”にしてくれます。



 二年生へ   『はたらく』ことで 良い後輩・先輩に

  「良い後輩、良い先輩になれるようにガンバル」−これは二年生になったKさんが決めた今年の生活目標です。
部活動や生徒会のいろいろな活動に、二年生であるあなたの力が求められるのがこの一年間です。運動部は、夏休みを過ぎれば新人大会を迎える練習に入ります。来年度の生徒会役員の選挙は十二月に行われます。いずれも二年生が主役になるはずです。二年生だからこそ、他から求められるから力を貸す、というのではなく「よし、やろう」という積極性を持ってください。
 「二年生は中だるみ″の学年」と、よく言われます。でもKさんが掲げた目標の「良い後輩、良い先輩になる」というこの言葉の中には”中だるみ“が感じられません。
 Kさんは今、二年生になった自分は何をしなければいけないのかを考えています。
昨年、Kさんはある先生から「『働く・はたらく』とは、はた=周りの人たち』が『らく=助かる』ということだ」というおもしろい説明を聞き、この言葉がとても気に入りました。「自分のために『はたらく』のに、他の人が助かる、周りのみんなが喜んでくれる」そう思うと、Kさんは「動くこと・活動すること」がとても楽にできるようになったのです。
 二年生の今年、清掃などの実際の労働は当然ですが、勉強も、学級の仕事ももちろん、生徒会の委員会活動、部活動など、どんなことでもKさんは去年よりいっそう『はたらく』つもりです。
 二年生になったあなたには、Kさんの目標のように、三年生と一年生の間に立って活動してほしいのです。あなたが動けば、あなたと一緒に活動してくれる先輩、後輩が大勢現れてきます。それに、『はたらく』とは、あなたが自分自身を見つめ直す絶好の機会になります。中二の一年間が心身ともに一番成長できるときです。『はたらく』ことで、あなたは高められ、一回り大きく成長します。



 三年生へ  卒業の日に完結 あなたの『連載小説』

 今年の二月、ある新聞に次のような投書が載っていました。
 「入試の季節、中学三年生の皆さんは、今最後の追い込み勉強に熱中していることでしょう。そういう皆さんに忘れてもらいたくないことが一つあります。勉強に忙しい今こそ、日ごろの行動や生活をじっくり反省してもらいたいのです。たとえば、先生や友達に朝のあいさつが気持ちよくできていますか。掃除は責任をもってやっていますか。廊下に紙くずが落ちていたら拾っていますか。両親や弟妹につらくあたっていませんか。『たいへんな時期だから』という周囲の人たちの言葉に甘えて、自分のあるべき姿を見失っていないでしょうか。今この時期こそ、いろいろな面で自分を鍛えてください」
 「三年生になった。さあ、勉強だ」という心構えは、大切にしたいと思います。でもその気持ちが、今までのあなたの生活を大きく変えてしまうとしたら、少し“おかしい”です。昨日が今日をつくるのです。過去二年間の中学生活の上に立って、中三としての生活ができるのですから。
 ところで、日刊の新聞に連載小説が書かれていることは知っていますね。一日分が1000字ちょっとくらいで物語は続くのですが、その一日分の中に必ず“ヤマ場”設けられています。ですから読者は「明日が待ち遠しい」ということになります。あなたにお願いします。あなたを主人公にした連載小説を 書くつもりでこの一年間を生活してください。二度とめぐってこない中学三年生の一年間を、一日という単位で、一日に一つ“ヤマ場”を作って欲しいのです。
さい。
 来年三月、卒業式の日にあなたの《連載小説》は終わるのですが、手にした卒業証書の中から、あなたの一年間の充実した一日一日のシーンが、次々に浮かび上がってくることを信じています。



3月

 卒業式式辞

 春の朝

 二三九名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。保護者の皆様、ご卒業おめでとうございます。今日までのご苦労を思い、心からお祝いとおよろこびを申しあげます。
 秦野市教育委員会教育長栗田日出之輔先生を始めとする来賓の方々をお迎えし、ここに本校・第十一回卒業式ができますことを、卒業生そして保護者はもちろん、私たち鶴巻中学校の教職員もたいへん嬉しく光栄に思っております。ありがとうございます。
 卒業生のみなさん、ただ今お渡しいたしました卒業証書を広げてください。そして私の言葉にしたがって黙読をしてください。証書の右上に数字が書いてあります。その数字はこの鶴巻中学校を卒業した人数を表しています。さきほど、最後に卒業証書を受けた和田奈津子さんは三〇七七番でした。卒業証書という文字の下に、あなたの氏名が書かれてています。続いてあなたの生年月日が記入されています。そして本文が『上記の者は中学校の課程を卒業したことを証する』とあり、今日の日・平成九年三月十日が記されています。 その平成九年三月十日からあなたの生年月日を引き算をすると、十五年何カ月何日という歳月が出てきます。その歳月をあなたたちは一生懸命生きて今日という日を迎えました。よく努力しました。がんばりました。
 けれどもそのがんばりは、あなた一人の力でできたのではありません。お父さん、お母さんや家族のあなたへの愛情、友達、地域の皆さん、幼稚園・小学校そして鶴巻中学校の先生方の支えがあったということにも思いがいかなくてはいけません。たくさんの人に支えられ、導かれ今日を迎えることができたのです。
 さきほど、担任の先生から呼びあげられたあなたの氏名について考えてみましょう。氏名の氏・名字は、あなたの家の歴史と誇りがこもっています。そしてあなたの名前には、ご両親や家族があなたの誕生を喜び、あなたへの願いがこめられていることを知ってください。あなたの名前に恥じない、あなたらしい、あなただけの生き方をしてください。そして地球上でたった一人のあなたを表す、あなたの名前を大切にしてください。名前に誇りをもって欲しいのです。
 ところで、三月三日の生徒会総会で、三年生の皆さんが中心になって、福井県三国町と兵庫県に災害義援金を送ることを決議してくれました。感激しました。
 二月九日、私は福井県三国町に行きました。私がそこを訪れたわけは二つあります。一つは、全国からたくさんの人がボランティアとして、タンカーから流失した重油を汲みに来ている、その仲間に加わりたいと思ったからです。でも、皆さんも知っているように、私は足を痛めていますので、その作業に参加することはできません。ですから地元の人達やボランティアの人達の頑張る姿をこの目で見たい、応援したいと思ったのです。心のボランティア、それが私にできることだと考えました。
 その日の日本海は、波も静かで真っ青な海でした。でも入り江の海岸近くには、まだあの重油の黒い帯が漂っていました。その入江のあちこちで二十名くらいのグループの人達が、海岸の石や岩にしがみつくようにして油を取り除いていました。遠くから見るとその光景は、空しいもののように見えました。でも、その作業を黙々と続けている人達の意志と行動が、今、青い海を取り戻しっつあると知ったとき、私は人間の心と行動力を信じることができました。
 三国町を訪れたもう一つの理由は、松葉杖を頼りにして生活をしている自分が、どれだけその杖で生活できるかを試したかったからです。本当なら、杖を捨てて生活をしなければいけないのに、杖に頼り切っている自分を変えたいと思ったからです。
 三国町に行くことについて、周りの人からは「むちゃだ」と止められました。本当に《むちゃ》だったのかもしれません。病気が再発したら、この軽はずみな行動は非難され、軽蔑されたことでしょう。でも、あえて自分への挑戦をしたのでした。今もこうして松葉杖を手元に置いた生活です。松葉杖を使って三国町を訪ねることができたことは、私のこれからの生活に自信につながると思っています。私の生活のモットーは「動かなければ出会えない」です。行動しなければ、動かなければ、何にも、誰にも出会えないのです。動いて、いろいろなことに出会ってください。そして心をふくらませてください。これが、私が皆さんにお願いすることです。
 お別れの時がきました。私は『一期一会』という言葉が好きです。みなさんと《出会い》、そしてた今《別れ》ることへの、私の思いを込めた詩を読みます。

 春の朝          武 勝美

 春の朝です 門出です 若い君らの巣立ちです 窓一杯に差し込んだ 光は君らの未来です
 明るい朝です 門出です 窓のかなたの富士の峰 きらきら輝くあしたです けさの君らを祝います
 若い空です 門出です ブルーの空を突き抜ける ポプラの幹のたくましさ 君らと同じ若さです
 ちょつぴり寂しい門出です 蛍の光が流れます 君らの瞳がうるみます みんなの顔がにじみます
 センチな君が泣いてます やんちゃ坊主が天井の 隅ををにらんで歌います 別れの歌を歌います
 君らの歌がその声が 君らを包みほくらまで 大きな大きな渦になり 喜びの歌に変わります
 卒業証書の遠眼鏡 かなたを見つめる君たちの 瞳にはっきり映るもの 小さいけれど見えるもの
 そうです、君らの未来です 君らの夢です、世界です ぼくらに見えない君たちの 若者だけの世界です
 歌え、手を取り肩組んで 進め、雄々しく堂々と つかめ、君らの目指すもの 築け、君らの理想の世界
 春の朝です 門出です 明るい朝です 門出です 若い朝です 門出です 若者たちの門出です
 弥生の朝です 門出です ポプラの梢がゆれてます 君らと別れを惜しむよに 細かくかすかにふるえます

 では、お元気で。

  一九九七年三月十日



2月

 朝会

 鬼の宿(豆まきの話)

 二月三日は節分、『豆まき』の日。この日、私たちは「福は内、鬼は外!」と鬼を追い出します。その追い出された鬼は、いったいどこに行くのでしょうか。ところが、その追い出された鬼に、宿を貸している家があることを知りました。なんだか嬉しくなりました。
 東京・小平市の青梅街道沿いにある小川町の小山家では、昔から節分の日に《鬼の宿》という行事がおこなわれています。 《鬼の宿》とは、節分の日に他家から追い出された鬼を泊めてやるしきたりのある家のこと。今から一三〇年ほど前の、安政年間から始められたようです。
 この家では、お正月のお飾りにオスイゼンサマ(竹を細かく割いてスダレのように編んだもの)を作り、かまどの横に飾ります。これが節分の日の《鬼の宿》です。その日、他家で豆まきが始まる前の夕方五時ごろ、小豆ご飯を炊きサンダワラ(俵の上下に付ける蓋のようなもの)に半紙を十文字に敷き、その小豆ご飯を盛り、オスイゼンサマに供えます。そして、お神酒とお明かりも上げ、鬼を迎える準備は終わります。お明かりは夜中まで絶やすことなく灯してあるのです。やがて方々で追い出された鬼たちがこの宿に逃げ込んできます。そしてオスイゼンサマで休息します。この家では豆まきはしません。
 その夜の丑三つどき(午前二時過ぎ)この宿の年男は、絶対だれにも見られないように用心しながら、鬼を四つ辻まで送って行きます。この時、サンダワラの小豆ご飯にお神酒をかけて持っていき、四つ辻に置いてくるのです。鬼たちのお土産です。帰りは決して振り返ってはいけないのだそうです。
  「寒い夜の真夜中、たった一人で真っ暗な夜道を帰ってくるのは不気味だ。もっとも、近ごろは真夜中でも車が通るので、鬼を送り出すのにはたいへん気を使う。警官に尋問されたり、犬にほえられたりするので、昔とは違う四つ辻に送り出すように変えた」と、小山家のご主人は話しています。「親からの言い伝えで『宿』をやっています。私で四代目です。他家で嫌われ追い出された鬼でも、助けてやらなければと思い、宿を続けている。お陰で、代々幸せに暮らさせてもらっています」とも話されるのです。
 「今晩は豆で打たれて、なんぼかひどかったべす」と、鬼を家に招き入れ暖かくもてなす家が山形市にもあるそうです。奈良・吉野山の釈迦堂では「福は内、鬼も内」と豆をまきます。日本人のやさしい心に、私の心は安らぎます。
 

朝会

 受けた情けは石に刻め

 毎月、月末になると私はソワソワします。甲府市に住んでいるガールフレンド・上野さんからの電話を待っているからです。もう十年以上のお付き合いになる上野さんは、今年九十四歳で、今は病院で生活をしていらっしやいます。
 一月は二十九日の夜かかってきました。「先生お元気ですか。奥様、お元気ですか。お母様もお変わりありませんか。お坊っちゃま、お元気ですね」。 いつも、上野さんのこの言葉で始まる私たちの会話。歯切れのよい言葉で、日頃の生活ぶりを語ってくださいます。私はひたすら上野さんの話に耳を傾けるのです。時間的な制約もあるのでしょう、いつも二分聞くらいで電話は切れます。
  「最近、視力が弱って自分では読めなくなった。他の人に読んでもらっている」と言われた。毎月届けている私の個人新聞へのお礼の電話なのだが、上野さんとの会話を通じて勇気づけられたり、教えられたりすることがたくさんあります。上野さんの今年の年賀状に、次のような言葉が書いてありました。

 かけた情けは水に流せ 受けた情けは石に刻め

 他の人に親切にしたことや、善意の行為に対しては、感謝の言葉を求めたり、期待したりしてはいけない。他の人のために何かをしてあげるということは、それだけで心が豊かになり、うれしい気持ちになるではないか。それができたこと・できることに感謝する心になろう。他から受けた親切や善意は、石に刻んででも記憶にとどめておこう。いつまでもその親切を忘れないようにしよう、そして今度は「情けをかける」側に回ろう。「受けた情けは石に刻め」である。
 その年賀状には、さらに次のようなことも書いてありました。「九十四歳でできる事を、今年もしたい」。更生婦人の会の活動が上野さんの“できる事”なのです。



1月

三学期始業式

三段階の目標をもとう
                         
 秦野の今年のお正月は、晴れ渡った穏やかな日に 恵まれました。北国は激しい雪に見舞われたようです。

 学校は今日から三学期、希望に満ちた一年にしたいものです。誰もが、それぞれの目標を心に秘め、目標に向けての努力を誓っています。あなたの目標は何ですか。目標を決めるきは、できるだけ具体的なものにしなくてはいけません。私は、目標を立てるとき次のような三段階・三種類の目標を決めます。
 一つ目・第一段階の目標は「必ずやり遂げなくてはならない目標」です。
例えば「あいさつをする」「朝ご飯は必ず食べる」「テスト1週間前から計画的に勉強する」など、最低限の目標です。
 第二段階の目標は「困難な目標だが(かなりの努力が必要です)、努力すれば到達できる目標」です。例えば「日記を書く」「風邪をひかない」「部活動と勉強の両立」などです。
 最後・第三段階の目標は「人としての生き方(自分の人生)を鼓舞する目標」になります。「ボランティア活動をする」「フル・マラソンを走る」などはどうでしょうか。
 決めた目標を公表することは、『約束すること』になります。できたら目標を公開してください。もちろん『心に秘めて』でもいいのです。着実に歩を進める一年にしましょう。私の今年の目標は、第一段階は「三十一冊目に入った日記を書き続けること」「私の個人新聞の発行を続けること」。第二段階の目標は「病気で寝ないこと」。第三段階の目標は「八十六歳になった母の言うことを開くこと」です。



朝会 

車窓から見えた光景
       
 一月十五日の夕方四時ごろ、わたしは家に帰るバスの中にいました。祝日なので、町の中は車がかなり混んでいました。駅前を出たバスはしばらく走ったのですが、秦野橋の上で止まってしまいました。わたしは、バスの窓から渋滞を眺めていました。
 水無川沿いを走る道の車道を、お年寄りの女性が一人で歩いているのが目に入りました。寝間着の上に綿入れの半テンを羽織って、男物のこうもり傘をツエにしています。川に沿って、歩道を作る工事用の鉄サクが結ってありました。それに伝わりながら歩いているのですが、とても危ない歩き方でした。
 道路をへだてた反対側からこの動きを見ている人が何人かいました。突然、三人の女子高生が、渋滞している車の間をぬってこのお年寄りに走り寄りました。彼女たちはしばらく話をしていましたが、やがてその女性の手を取り、車道を横切って歩道のある方に導いたのです。
 数人の大人がその女性と言葉を交わし始めたのを見届けて、三人はその人の輪から離 れました。動きだしたバスのわきを通って行った彼女たちは、けっこう “ヤンキー”ぽかったです。

 K急行電鉄は東京と三浦半島を結ぶ鉄道です。その線路は、かなりの距離を国道十六号線に沿って走っています。その路線のK駅近くの線路わきにガソリンスタンドがあります。そこで働いている人はだれもが、国道のすぐそばを行き来する電車に向かって大きく手を振ります。仕事中なのに、上り・下りのすべての電車に、にです。
 スタンドで働いているだれかが、ある日偶然に、あるいは面白半分に、電車の窓の乗客に向かって手を振ったのがきっかけです。電車からも手を振り返す人がいたようです。彼は少し楽しくなって、通過する電車に、できるだけ手を振るようにしたのです。
 ある日、そのスタンドに手紙が届きました。小学一年生の母親からです。「塾に行くため、息子が初めて一人で電車に乗った日、手を振ってくれるスタンドの人を窓から発見して、とても勇気づけられたようです。『僕を応援してくれているように思えた。とてもうれしかった』と言っています」という内容の手紙でした。
 スタンドの人達は思いました。「遊びで手を振った。それだけのことなのに、それが電車の中の人を勇気づけた。それなら、全員でどの電車にも手を振ろう」と。やがて、「今日もがんばろう、と励ましてくれているようでとてもうれしかった」「学校に行くのがつらいな、と思ったけど勇気づけられました」などと、電話が入るようになりました。今日もスタンドの人達は、給油しながら、あるいは洗車の最中にでも、前を通り過ぎる電車に、笑顔で大きく手を振っています。



12月

朝会

 木守り

 私の家は農家だつたので、今も庭に三本の大きい柿の木があります。夏の暑さのせいかもしれないのですが、今年はその三本の内の一本にしか実がなりませんでした。しかも、たった三個だけです。私はその三個の柿の実の二個だけ取って、一個は残しておきました。
 日本の農村に伝わるおまじないに、“木守り(木まもり、木もり)”というものがあります。柿などの果実は、実っても全部はもがないで一個だけ木に残しておくのです。それは『来年も豊作であるように』と願うおまじないです。でも私は、一個だけ残すということは、ヒヨドリやメジロなどの野鳥の餌として残しておく、という日本人の優しい心の表れだと思っています。 周りの者のことを考えて生活する、相手を思う心、思いやる心を持つ私たち。それが日本人のよいところなのです。亡くなってから、今年で43年を迎えた詩人・三好達治に『木守り』という短い随筆があります。その中で、
 「木守りとはカキなどの収穫のあと、一つか二つ取り残しておくことだそうだ。合理的な理由があるのかどうか分からない」と書いています。でも「秋の夕日を浴びて輝いているたった一個の柿の実、その木の姿。そうする私たち日本人の心を本当に美しい戸思う」と三好さんは言っています。



二学期終業式

 この二週間がいちばん家族であることを感じるとき

 きょう十二月二十四日で二学期が終わります。まだ夏の暑さが残っている九月から、今朝のようにこんなに寒い冬まで、その気候と同じように学校生活も舞鶴祭をはじめとする変化に富んだ四カ月でした。
 ところで、学校はまだ三学期が残っているのですが、暦年で言えば一九九三年・平成五年は間もなく終わります。時の流れは速く、今年一年に起きた出来事の幾つかは、もう忘れてしまっている私たちです。
 北海道南西沖地震で、奥尻島は津波による犠牲者をたくさん出しました。冷夏でお米が不作、そして不況。カンボジアの和平。細川内閣の誕生。Jリーグの誕生も大きなニュースでした。これらのニュースを中心にした『今年の十大ニュース』が、まもなく新聞やテレビで発表されるでしょう。それにぜひ関心を寄せてください。そしてその事件・出来事が起こつたとき、自分は何をしていたのか思い出してみましょう。「自分にとって最大のニュースは自分自身のことである」と言われています。世界の、日本のニュースに合わせて、そのときの自分の生活を振り返って欲しいのです。
 さて明日から冬休みです。きのう、私はリサ先生 (AET) に「この冬休みはどうするのですか」と尋ねました。パサディナに帰らず、秦野でクリスマスとお正月を過ごすと言われました。「京都と広島を訪れる」とも話されました。一月になって、先生から日本のお正月や京都・広島の印象を聞かせてもらうのが楽しみです。
 お正月の門松のことをリサ先生に話しました。とても興味をもって聞いてくださいました。そして最後に日本のお正月はすばらしい、と言ってくださいました。今年の残りのこれからの一週間、家族の一員としてお正月を迎える準備をしてください。学校もワックスがけをして新年を迎えます。まず自分の机の上を、そして家中の掃除をしてください。そして新年を迎えましょう。
 お正月の一週間は、お餅を食べて、家族で楽しみ、新しい年への希望を語り合ってください。冬休みの二週間は、家族がいちばん家族らしく生活できるときです。「家族っていいなあ」と感じる時です。よい冬休みにしてください。



11月

創立十周年記念式式辞

 若い鶴よ大いなる渡りを

 一九八六年・昭和六十一年四月五日、八九九名の生徒、四十五名の教職員で開校した秦野市立鶴巻中学校は、本年十周年を迎えました。この三月までに送り出した卒業生は
二、六一二名、その一人ひとりがそれぞれの世界で元気に活躍しています。
 この活隠は、鶴巻中学校の生徒であったときの努力によることは言うまでもありませんQそして秦野市当局並びに教育委員会のご指導とご援助、地域のみなさんや保護者のみなさん、さらには歴代の校長先生をはじめとする先生方のお力添えもあったのでした。今ある鶴巻中学校もまた、このように多くの人達に支えられているのです。
 ところで、どうして十周年のお祝いをするのでしょうか。植物の竹を思い浮かべてください。降り積もる雪の重さや強い風に耐え、決して折れないあの竹の強さは、節があるからです。私たちの生活にも竹と同じように節が必要です。元日を祝い、誕生日がきたことを喜ぶ、期末テストで苦しむ。でも、そういうことがきっかけになり、生活に節ができるのです。生活にはりが生まれます。生きる喜びを知ることができます。学校にもこの節が必要です。これから、たくましい成長の歴史を刻むでを契機に、新しい心を持ち、新たな行動を起こしたいと思います。ですから、鶴巻中学校開校十年という、この大きな節を作る年に出会えた私たちは、そのことを幸せに思い、喜びたいと思います。
 十年目の今年、皆さんの胸から名札が消えたのも鶴巻中学校の新しい行動です。どのような世界に生きようとも、どんなに社会が変わろうとも、名札に象徴されるような外面に頼るのではなく、心と言葉と行動で本当の自分を表現できる、自分らしさを出すことができる人間であって欲しい、そして、たくましく生きていって欲しい、と私たち教師と保護者は願ったのです。それを、今の鶴中の生徒の皆さんには期待できると信じたからです。
  『創業は易く守成は難し』という言葉が中国の唐書という歴史の本の中にあります。新しい仕事を始めることより、その仕事を受け継ぎ、崩れないように長く続けることのほうがはるかに難しい、という意味です。
 この十年の鶴巻中学校の確実な歩み、そこから育ちつつある校風や伝統、その勢いを、これからも保ち続けることは大変なことです。今までの鶴巻中学枚の良い流れを守り、新しい鶴巻中学校を創造するため、今まで以上に努力をすることを全校で誓い合いたいと思います。
 今年の舞鶴祭のシンボルマークは、10というアラビア数字の0から、飛び出そうとする若い鶴がデザインされたものです。私はゼロを卵と見ました。10という卵の殻を破り、次の十年に向けてゼロからの新しいスタートの年、それが開校から十年目を迎えた鶴巻中学校の姿です。
 このステージの左脇に掲げてある言葉を読んでください。『若い鶴よ大いなる渡りを』、三年生の相原聡子さんが、昨夜書いてくれました。この言葉は、十周年記念誌の裏表紙と記念の下敷きにも記してあります。時には数千キロも渡りをする鶴のたくましさ、その意志の強さに学びたいと思い、この言葉を作りました。
 学校創立十周年の若い学校・鶴巻中学校、そこに学ぶ若さあふれる生徒の皆さん、まもなくやってくる二十一世紀に向かって、今日から大きな渡りを始めましょう。
 最後になりましたが、本日のこの式典にご出席いただきました、秦野市教育委員会教育長様をはじめ、県議会・市議会の議員の諸先生、土地を提供してくださった皆様、地域代表の皆様、その他本校に関係あるたくさんのご来賓の方々に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからも本校になお一層のご指導・ご支援をお願い申し上げます。



朝会

 十時間を超える謝罪の旅

  「Mさんの作ってくれたこの行程表では、九時発の『やまびこ』三十九号になっているよ」「いや、三十九号は十時発だよ。こりや大変だぞ、一時間ちがってる」
 十月六日、東京駅の東北新幹線の改札口での私たちはあわてました。研修視察に出かけた私たち九人は、出発から混乱してしまったのです。Mさんの作ってくれた行程表の
時間で、一関市の視察校に訪問時間を約束してあるのです。
  「切符で確認しなかったのがまずかったな。それにしても、彼はプロだろ? この間違いはひどいよ。これからはもう頼めないな」
  「昼食は列車の中でとるしかない。駅についた時点で、訪問校に連絡をしよう」
  スタートの一時間の遅れは、学校訪問の時間を押し詰め、その後の行動をあわただしくしてしまいました。それでも、その日の宿・新鉛温泉に着いた時には、既に日はとっぷりと暮れてしまっていました。 何となくすっきりしない気分で、宿の玄関に歩み入った私たちの目に入ったのは、見たことのある顔。
 「えっ、Mさんじゃないの。どうしてここにいるの」と私たち。
 「申し訳ございません。大変なミスをしてしまいました。先生方の学校訪問が、無事に終わったかどうかが心配で⊥と、Mさんは私たち一人ひとりに深々と頭を下げるのです。「とにかくこの宿に直行しました。どうしようもないことは分かっているのですが…」とMさん。
 困り果てた私たちは、旅行社に切符の再手配の電話を入れたのでした。会社はすぐにその日代休だったMさんに連絡をしたのです。この宿までは、東京駅から新幹線で三時間半、さらにバスで約五〇分。もしMさんの自宅が会社のある平塚市だったら、さらに一時間は必要なはず。Mさんは、私たちへのあいさつが終わるとすぐに引き返していったが、自宅に着くのは午前零時に近いだろう。
  「当然のこと」と言う人もいるかもしれません。でも、私たちはMさんの行動に心を洗われる思いがしました。厳粛な気持ちにさえなりました。『働く』ということは、こんなにも大変なことなのだと改めて知りました。教師の私には、想像もつかない行動力です。
  『働く』ということは、こういう心になることだと学びました。そして、精一杯働くことをすれば、心を動かされる者が必ずいる、と信じることができました。



芸術鑑賞会

 「エル・クンパンチェロ」はラテン音楽

 この季節になると、私は一年に一度の絵をかき始めます。年賀状に使う小さな絵ですが、その絵をかいているとき、気がつくと鼻歌を歌っているのです。人は長い時間野山に一人でいると、自然に歌を歌い出すそうです。私たち人間には、なぜか音楽が必要なようです。
 音楽の三要素はメロディー、ハーモニー、リズムで、その中でもっとも大切なものはリズムだと言われています。リズムが音楽の原点なのです。今日、これから演奏されるラテン音楽はリズムの音楽です。教室で勉強していると、ときどき小学校の校庭から鼓笛隊の練習の音楽が聞こえてきます。あのパレードの中心の曲は、『エル・クンパンチェロ』というラテン音楽の名曲です。
 ところで、Jリーグ、プロ野球、大相撲などテレビで放送されるのに、なぜその会場にたくさんの人が足を運ぶのでしょう。豆粒程度にしか見えない席で見るより、家のテレビで大きく映し出されるものを見たほうがよほどいいのに。でも、その会場に入ってみると、集まった人達の熱い雰囲気が伝わってきます。自分の目、耳、体全体で、その興奮や感動を味わうことができるのです。音楽にもそのことは当てはまります。あなたたちの体に、じかに染み込んでくるメロディー、ハーモニー、そしてリズム。全身でラテン音楽を味わってください。そしてステージと会場が一体になる音楽会にしましょう。



10月

朝会

 小さな命は大きく育てなければいけないのです

 秋分の日に千葉の伯父の家で法事がありました。そこで出会った漁師さんから聞いた釣の話をします。皆さんの中には釣りの好きな人もかなりいるでしょう。たくさんのルアーを使い分けてブラックバスと闘う、などとても楽しいようですね。バス釣りにも専用の魚群探知磯があるそうですが、このごろの漁業は衛星通信を使っておこなうのだそうです。衛星から送られてくる情報は、魚の種類、量、位置などです。その情報をパソコンで判断し、お金になるとわかると、高速艇でその漁場に乗り込み、巻網漁法でその魚の群れを壷残らず取つてしまうのだそうです。巻網漁法というのは、その文字のとおり魚群を大きな網で囲み、絞っていってそこにいる魚を根こそぎ取ってしまう漁の方法です。
 その漁師さんも大がかりな漁をしているそうです。延縄(ハエナワ)漁法といって、一本の縄にたくさんの釣り針をつけて釣り上げる方法です。けれどもこの漁師さんは、一本の縄にたとえば100本の釣り針がつけられるとすると、その半分の50本にします。「半分になれば、針についている餌の取り合いになり、小さい魚は針にかからなくなる」とこの漁師さんは言うのです。タコ漁の話も聞きました。今のタコ漁は、ネズミ捕りのカゴのようなものを使うのが主流だそうです。タコがカゴの中の餌に触れると入り口がガチャっとしまり、もう出られない―小さいタコも入ってしまうのでたくさん捕れる、採算のよい漁法のようです。「ウチは、そのネズミトリ式のやつは使ってない。昔ながらのタコツボだ。タコツボでは、どのツボにもタコが入っているとは限らない。でも入ってるタコは必ず大きい。小さいタコは、ツボに入っていてもあとから来た大きいタコに追い出されてしまうから。海の中の小さいものを大きく育てなければ、漁師の生活ができなくなる。おれは漁師という仕事が好きだし、海が好きだから…小さい魚やタコを大きく育てるのが人間の役目、だって人間はその膚をもらっているのだから」 そう話す漁師さんの目は優しかった。
 “小さな命を大きく育てるために針の数を減らす、タコツボを使う”というこの漁師さんの心。そして「小さな命は大きく育てなくてはいけない」という言葉。わたしが忘れかけていたものを思い出させてくれた漁師さんでした。



朝会

  あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る

 今朝も日本では、国民の二人に一部の割合で新聞が発行されました。世界でもっとも発行部数の多い新聞の上位三位までが日本の新聞です。第一位の新聞は毎朝1000万部も印刷しているのです。なぜ日本ではそんなに新聞が読まれるのでしょうか。その理由は、@識字率が高い−文字を読むことができる人が多いこと、A家庭に配達されるシステムがあること、B貿易で生きていe団だから外国を含めたくさんの情報が必要だから、などが挙げられます。
 皆さんの家でとっている日刊の新聞は、朝刊・夕刊合わせると一日に48ページになるそうです。その48ページに載せてある記事(広告は除いての量は、活字で約20万字、平均的な文摩本の一冊の分量になります。私たちはたくさんの情報や知識を、新聞から得ているのです。また、新聞を読むことを通して他の人のたくさんの意見と摸することができます。そのことによって、自分の考えを深めることもできます。新聞を読んでください。
 人間には『知りたい』『知らせたい』という欲望があるのだそうです。そうした欲望を満たすために、新聞がこの世に誕生したとも言えます。でも、新聞は『知りたい、知らせたい』を満たすだけでなく、『どうしても知って欲しい』ことを知らせるという使命感を持っていなければなりません。
 今年の新聞週間は第58回になります。1948年(昭和23年)、それまで新聞を発行してきた人たちは、太平洋戦争について「「読者に本当に“知って欲しいこと”を知らせなかった」と、自分たちの姿勢を反省し、この新聞週間を設けました。第1回新聞週間の標語は「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」でした。「政府があっても新聞のない固より、政府はなくても新聞のある国に住ゐたい」と、トマス・ジエファーソンは言いました。何でも言えることが民主主義社会の土台なのです。学校も一つの社会です。何でも言える学校・学級でなくてはなりません。そのためにも学校や学級に、みなさんの手で発行される新聞が欠かせません。



9月

二学期の始業式

 もっと楽しい学校にするために「6プラス1」の提案

 二学期が始まりました。学校生活をもっと楽しくするために、私から皆さんに6プラス1の提案をします。実施の検討をしてくれたらうれしいです。
@「無言の日」  この日、先生はそれぞれの担当の授業に教室には行きますが、授業はしません。生徒のみなさんも50分間無言で通します。眠るのは禁止です。その教科のレポートをまとめたりします。読書はかまいません。
A「質問の日」  1時限から6時限の間で、授業中に先生に最低一回は質問しなくてはいけない日です。
B「正装の日」  皆さんが約束している正しい服装、身だしなみを整える日です。こうゆう日が一と月に一回くらいあっても良いと思いませんか。
C「手紙の日」  この日はだれかに手紙を出します。相手は、家族、先生、友達、給食調理員さんなどどなたでもいいのです。携帯電話の便利さは十分しりました。手紙を書く時の自分の改まった心を再発見しましょう。
D「外食の日」  皆さん全員、そして先生もこの日は校庭に出て、あるいは近くの公園などに行って、お花見のときみたいにゴザを広げ、自分で作ったお弁当を食べるのです。
E「謝罪の日」  どんな人にも、一つくらいは他人に謝らなければいけないことがあるはずです。この日にすべて謝ってしまいましょう。「〇〇先生、この前の総合のレポートはインターネットの丸写しです。ごめんなさい。」「T君 ごめん。この間ついカッとして…、ひどいこと言ってしまいました。」など。
プラスワン「断食の日」  これは家に帰って行ってください。この日は夕食を食べたら、朝食まで飲食はいっさいしません。そして、食べる、飲むつもりだった物の料金分のお金を、飢えに苦しむ子どもたちに送ります。家族にも参加してもらいましょう。



8月

朝会

 知覧

 鹿児島県の知覧はお茶の名産地です。明るく広がる茶畑の先に、開聞岳が美しくそびえています。その知覧は、太平洋戦争の時、爆弾を積んで敵の軍艦に突っ込んでいった特攻横の基地としても知られています。その知覧を八月六日に訪ねました。
 知覧特攻平和会館には、1035柱の特攻隊員の写真、そして出陣直前に書かれた遺書などが展示されています。
 「肉に死して霊に生きよ。個人に死して国家に生きよ。現代に死して永久に生きよ」という、司令官の訓示もありました。たくさんの若者が、十五歳の少年もいました、他からの大きな力によって自ら命を断つ−そのことを自分に納得させるため、遺書を書いて知覧を飛び立っていったのです。「一度死んでみるべえ」「明日は敵艦なぐりこみ、ヤンキーを道連れ、三途の川を渡る」「現し身は八重の潮路にはつるとも永久に護らん御代の栄を」と自分を勇気づけ、死ぬ理由を探したのです。そして「親孝行らしいことを何ひとつせず先立つことをお許しください。はるかの地より家族の幸福を祈っています」「弟よ妹よ、父母に孝養を尽くしてくれ。兄は先にゆく。さようなら」「父恋しと思はば空を覗よ」と家族へ永遠の別れを告げました。
 でも、次の二通の遺書を読んだとき、私の涙は止まりませんでした。
 その一通は、楽しかった家族との生活を思いだし、そのことを次々に綴っている手紙でした。この遺書は、いじめにあって自ら命を断った愛知の中学生・O君が残した遺書に重なっていると思いました。もう一通は、遺書を書くことになったが、何を書いてよいのかわからない、という書き出しのものです。どちらの遺書も、書いた人の“心の乱れ”がガラスケースを突き抜け、私に伝わってくるのです。それは『生きることへの激しい思い』なのでした。 
 小説家の梅崎春生は、その作品『桜島』の中で、死を目前にして遺書を書こうとペンをとる兵士の心の動きを次のように描写しています。「書くことが思いうかばなかった。書こうと思うことが沢山あるような気がしたが、いざ書き出そうとすると、どれも下らなかった。遺書を書いてどうしようという気なのだろう。文字にすれば嘘になる。言葉以前の悲しみを、私は誰かに知って貰いたかったのだ」

  「ここを離陸した特攻機は、再び見ることのないあの開聞岳を越え、沖縄の海に向かって行った」―そう思いながら、私は南に広がる夏空を見上げました。


7月

朝会の資料

 なぜ勉強するのか

1 地域の青少年育成懇談会に招かれ話をしたおり、一人のお母さんから質問された。「なぜ勉強するの、と中二の娘に聞かれた。いろいろ話したけど納得してもらえなかった。昔なら『子どもの仕事は勉強でしょ』で済んだのだけど…」。私は次のような答えをした。「勉強はお金持ちになるためにするのではありません。他人から認められたい、尊敬されようとするために勉強するのでもないと思います。他の人(人間)のすばらしさを知り、その人(人間)を尊敬するために勉強をするのです」。

2 教える側も教わる側にも忍耐を伴うのが学習
 作家の竹西寛子さんは、そのエッセイ「太宰府の秋」に《学ぶ》ということを次のように書いている。「教える側も教わる側にも忍耐を伴うのが学習だと私は思っている。既に何かを得ている人が未だ得ていない者を見守り、異質の才能や性格とつき合っていくための忍耐。学びの浅い者が学びの深い者との距離を自覚し続けるための忍耐。努力や忍耐は、感情を大ざつぱに快・不快に分ければ、不快に入る例の方が多いかも知れない。よい成長のために必要な不快もある。どうしても我慢しなければならない、耐えなければならない不快もあることを年少のうちに教えるのは教育の大事なつとめである」        
 子どもたちが《勉強・学び)》をするということは「一定の知識や教科内容を習得すること」と今までは考えられてきた。だから、子ビもはひたすら受け入れなければならなかったし、そこに辛い経験がつきまとうことは仕方のないことと思われていた。

3 《勉強》の定義づけは〔そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる〕の意で、@知見を高め(知識を深め)たり、単位・資格を取得したりするために、今まで持っていなかった、学力・能力や技術を身につけること。 A現在ストレートにありがたいとは言えないが、将来の大成・飛躍のためにはプラスとなる経験。(『新明解国語辞典』、三省堂)となっている。《勉強》についてのこの考え方は、今も学校に欠かせないものの一つであることは言うまでもない。

4  「なぜ勉強するの」という問いに答える
 @ 五人の中学二年生の考え…
 「〇将来仕事をするときのため 〇自分の頭の力を試すため 〇未来に少しでも役立てるため 〇子どもに聞かれたとき教えられるように 〇過去のことを忘れないため」 (M男)
 「今勉強していることに果たして意味があるのだろうか。日常生活を送るうえで必要な漢字や計算、あるいは一般常識といわれていることは勉強しなければならないだろう。しかし連立方程式が解けても、日足しにもならない。では、なぜ勉強するのか。それはこういうことだと思う。生徒の進路は十人十色で全部違う。サラリーマンになる人もいれば歌や芸術の道に進む人もいるだろう。だからどんな道に進んでも大丈夫なように、ある程度の基礎知識を勉強するのではないだろうか。一人でも『昔勉強したことが役に立った』と言う人がいればそれでいいと思う」 (K男)
 「小学生のころは勉強が好きだった。なんでだろうとこの前思ったんだけど、それはやっぱりテストがなかったからだと思った。テストだと義務的にがんばっちゃつて、勉強嫌いになっちゃうけれど、小学生のときはマイペースでがんばつて、解けたりするとすごくうれしくて『やったぁ!』というような感じでよかった」(A子)
 「勉強は道具である。それを使いこなせるかどうかが問題である。人間は道具により進歩してきた動物である。勉強は人間の力を引き出すためにする」 (T男)
 「歴史の勉強をしたとき『私はこんなにすごい人達が作った一日一日の続きに立っているんだ』と思い、今自分が生きていることを誇りに感じています」 (S子)
 A 高校生は…
 「なぜ勉強するのかと開かれたら、そうですね……『知りたいことを知るため』。待てよ、全部そうっていうわけではない。自分を高めるため? どうも薄っペらいな。自分のやりたいことを探すため、そんな先のことでなく、う−ん、勉強といっても二通りあると思うんです。基本的な生活に関わる勉強と、大学などで学ぶ専門的な勉強と。前者を有り体に言えば『基礎知識があればどんな世界でも大丈夫、生きていける』。しかし後者は難しい。先に書いた三つは後者かな? 『学ぶ理由を知るために勉強する』ってとこかな、月並みだけど」 (高1男)
 B そして大人は…
 「勉強したもので、今まで役立っている科目は、政治・経済・倫理・英語・古文・書道・洋裁調理・体育・保健・四則演算・漢文・歴史・地理。こうして並べてみると、不必要と感じたものより、学んで良かったと感じるものの方がずっと多いのです。私は理科系ではないので、理数分野の中に、何の役にも立たなかったと思う科目が多いような気がします。でも、役には立っていないかもしれないけれど、学んだことによって『人生の彩り』が良くなるものもあります。美術や音楽がそうでしょうか。夫のように証明問題や方程式などをゲーム感覚で楽しんでいる人もいるでしょう。
 では、嫌いな科目をなぜがんばらねばならないのか?です。若きころ、夫が書いてきたラブレターはまるで『事業報告書』のようでありました。しかし、これは彼の“作戦”だったのではないかと、今思っています。理数の苦手な私は、理性で考えなくてはいけないことも、感情に流され本質を見失ってしまうときが多かったからです。バランスのとれた大人になるために、脳の全体を鍛える鍛練が、それなのではないかと思います。バランスのとれた勉強をすることは大切なことです。このバランスがうまい具合に崩れると、それは『個性的』であったり、『一芸に秀でる』ことになり、崩れ方が悪いと『偏屈』と思われたり、『ナントカ馬鹿』と言われてしまうのかもしれません」 (40代・女)
 「なぜ勉強するのか…。一つの答えなどあるわけありませんが、少なくとも学校から与えられたものを、ただついばむだけの勉強なら、空しいです。そういう勉強を食い破る《問い》を自己の内に紡いでこそ《学び》が生きます」 (60代・男)
 C  中・高と不登校で再出発した高校生の答えは…
  「『なぜ勉強するのか』は考えない方が楽なのに……。一度勉強することを止めてみると、やりたくなると思うよ、よくわからないけど。とりあえず、やっときや“何かがある”と信じて今勉強しています」(18歳・女)

5 京都大学のそばの喫茶店のカウンターに、フランス語で「学ぶことは己を越えること」と書いてあるそうだ。



一学期終業式

自転車屋を開いたお父さん

 1972(昭和47)年7月20日、終業式があった日の午後、私のクラスのT君は秦野の町に卓球のラケットとレコードを買いに出かけたのでした。ところが、途中の下り坂で自転車のハンドル操作を誤り、アスファルトの道に大きく投げ出されてしまいました。畑から帰る人に発見され、救急隊によって収容されたのですが、『運命のいたずら』というにはあまりにも悲惨過ぎました。その救急隊の運転士さんはT君のお父さんなのでした。丸五日間、懸命の治療と看護がされましたが、T君はついに帰らぬ人となってしまいました。
 T君は卓球の選手として夏の大会に出場するはずでした。勉強もトップ・クラスでした。1年生の夏休み、家族が先に行っている深夜の箱根のキャンプ場へ、部活動が終えて一人で駆けつける、というようなしっかりとした行動ができました。そんなT君からは想像もできないような、痛ましい事故が起きてしまいました。
 この事故があって間もなく、T君のお父さんは消防署を辞め、自転車屋さんを始めました。「子どもたちに安全な自転車に乗ってもらいたいから、うちの子どものような事故は二度と起こしてはいけないんです。家族がかわいそう過ぎます」と、自転車店開業の理由を話されました。
 夏休みになると、T君のお父さんは小学校の校庭で、無料自転車診療所を開かれたのでした。私には、お父さんの心の奥底にある『無念さ』が痛いほどわかります。だから、何としてもT君の死を無駄にしてはいけないと思いました。教師という仕事をしている限り、T君の事故とお父さんのことを7月20日という日に生徒に話そうと決めました。ですから、今年もまたこうして話しています。
 3年生の皆さんには三度日の話でした。でも三回この話が聞けたことは、皆さんが自分の命を大切に、この一年間を生きたということなのです。明日から始まる楽しい夏休みは『魔性の季節』です。心のわずかな隙間から、しのび込んでくるものもたくさんいる季節です。そのことを十分に心に留めて、元気で、楽しく充実した生活をしてください。



6月

朝会

 言葉のシャワー

 ヨーロッパにはたくさんの民族が生きています。そして、悲しいことに今でもその民族間で戦争がおこなわれています。
 今から二百年ほど前、現在のドイツに当たるところにプロシヤという国がありました。その国の王・フリードリッヒ二世は、武力で国土を広げ、ドイツとオランダにまたがる大きな国をつくりました。
 このフリードリッヒ二世は、兵士に命じ戦場に置き去りにされている赤ちゃんを城に集めました。拾われてきた赤ちゃんは、彼の城の中で育てられることになりました。部屋は暖かく、快適でした。もちろん食べ物も十分に与えられました。衣服などの清潔さも保たれました。赤ちゃんが育つには最高の環境でした。
 しかし、この子たちを育てる中でしてはいけないことを一つだけ、王は命じていました。それは、この赤ちゃんたちにいっさい言葉掛けをしてはいけないということでした。王は一つの実験をしようとしていました。それは、言葉を教えなかったら、どんな言葉がこの赤ちゃんたちの口から出るのか、それを調べたかったのです。でもこの実験は、間もなく失敗に終わりました。大切に育てているはずの赤ちゃんが、一年も経たないうちに次々と死んでいってしまったのです。
 「赤ちゃんには、お母さんの言葉のシャワーが必要」と言われています。人間は、周りから言葉を掛けられないと生きていけない動物のようです。快適な環境より言葉のシャワーの方が、わたしたちの生命の保持には必要なのです。
 毎日の生活の中で、お互いに言葉のシャワーを浴びましょう。それには先ずあいさつ、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」を交わしましょう。



修学旅行事前指導

 奈良・京都を五感で

 私たちの体験や経験は、すべて五感をとおしてなされるものです。こんどの奈良、京都の旅を、あなたの五感の中で受けとめてください。
視覚 奈良・京都にはたくさんの文化財があります。建物、仏像、町並みの景観、そして食べ物(京の干菓子など)さえ、見るに値するものがあります。新幹線の車窓から眺める景色も見慣れた光景と異なつています。
聴覚 言葉、アクセントの違いや発声のやわらかさに気がつきます。大伽藍に入ったとき、そこに流れる経文を耳にしたあなたは何を感じるでしょうか。訪れているたくさんの外国の人の言葉に、耳を傾けてみるのも楽しいことです。
味覚 関西の料理の味付けは薄味といわれています。それは風土が作り出したものです。心から味わいましょう。奈良、京都らしい味を発見してください。それがお土産になったらすばらしいことです。
触覚 仏像などには手を触れることはできません。でもお寺の柱や石のきざはしなどで、千年の文化を感じることはできます。思い切って外国の人と言葉を交わすことも、この旅ならできます。友達と触れ合うことはこの旅の大きな喜びになります。
嗅覚 京都・奈良の今のまちの匂い、千年の歴史の香りを感じ取りましょう。そして 一緒に旅した仲間の人間味もぜひ感じ取りたいものです。
 私からの課題
 京都・奈良への修学旅行で(五感で)感じたことを俳句で表してください。
 締め切り日 四月三十日 作品は校長室に届けてください。

   「京の風」 ―生徒の作品―
 ひとひらの桜うかべて抹茶のむ   田辺 紋子
 花吹雪舞って川まで桜色       村石和歌子
 春風を肌で感じた古都の路地    鈴木 周平
 人多し春まっさかり金閣寺      小沢 希理
 だんご屋の緋もうせんにも花吹雪  渡辺 京子
 金閣寺春の光ととけあって      佐々香代子
 舞い落ちる桜の花びら京の風    水島 克之
 桜道通り行く先銀閣寺         加藤 拡子
 清水の舞台の向こう山笑う      大淵 譲
 春になりきらめきを増す金閣寺   藤堂 圭
 春風に吹かれて古都を見て回る  海本麻衣子
 金閣寺おぼろ月夜に見てみたい  迫田奈菓子
 青空に遅咲き桜枝のばす      大野 夏希

 楠若葉青蓮院に風渡る       武 勝美
 花冷えや地下街で買う京の菓子



学区の子どもを見守る会でのあいさつ

大根とブリの租煮

 きのうの夕方五時半ごろでしょうか、あるお祝いの会に出席するため、学校から会場に向かって歩いていました。急いでいたので近道をしました。温泉街の表通りから路地に入って数歩、歩を進めた時でした。右手の家の玄関から出てきた一人の女性とパックリ視線が合ったのでした。
 「あっ、校長先生。どちらへ」『どこかでお会いした人だが…・。たぶんPTAのお一人だろう。だが、大変申しわけないが、名前は分からない』こんなことを心にしながら、「B荘で宴会があって…。この道でも行けますね」。「少し遠回りですよ。この道を突き当たって、右に曲がって…」
 ていねいに教えてくださるお母さんに、あらためて目をやると、両手の中に小鉢がありました。礼儀をわきまえぬ私は「何ですか」と、のぞき込みました。「大根とブリの租煮です。裏のおばあさんに食べてもらおうと思って」。ラップで覆われている小鉢の中には、煮上がったばかりの、素朴な感じの料理がありました。
 緑の山懐に抱かれた住宅地、そしてしょうしゃな街並み、豪華なマンションも立ち並ぶこの街。その路地で温かい心の交流を発見しました。懐かしい言葉“人情”がこの街には健在です。この地域に親しみを覚えました。ここで、子どもたちを育てる仕事をすることに喜びを感じたのでした。
 今回から、この会に鶴巻小学校・つるまきだい幼稚園の先生がた、PTAの方にも参加していただきました。鶴巻中学校に、さまざまな形でかかわってくださっている皆さんのおカで、この学校の生徒を育てていただきたいのです。この学区の子どもたちを、温かく見守ってくださるようにお願いいたします。
 今年から三年間、福祉教育の指定校になりました。『障害を持った方や高齢の方の生活や気持ちを知り、今の自分の生き方を考える』ことを今年のテーマにして、実際に活動をしていきます。このことが、また地域を愛することにつながっていく、と思っています。ご指導・ご支援をお願いいたします。



5月

朝会

 あいさつは相手を嬉しくさせます

 知り合いや仲間にはあいさつができても、見知らぬ人、例えば学校にみえたお客様に、「こんにちは」とあいさつをするのはむずかしいようです。「恥ずかしいし、あいさつをしても相手が返してくれるかどうか分からない」などという気持ちから、あいさつをしそびれてしまうのです。「あいさつしたけビ無視された」という裏切られたような心から、「もう止めた」と決めた人も、皆さんの中にはいるかもしれません。でも、そんな気になることを乗り越えて、明るくあいさつできるとしたら、人としてそれは一生の宝です。生きていくうえで大きな力となります。
 毎朝、職員室に大きな声で「おはようございます」と入ってこられる先生がいらっしゃいます。「先生、元気ですね」と言いましたら「新学期ですから疲れています。それで、大きな声であいさつして自分を奮い立たせているのです」と、その先生は言われました。
 あいさつの言葉を発することは、ちょっぴり勇気が必要です。でも「おはようございます」「こんにちは」と声を出すことで、自分を明るくすることができます。相手を嬉しくさせます。あいさつを交わすことはお互いの心を豊かにします。



朝会

 中学時代

 新しい学年がスタートして三週間がたちました。皆さんの顔を見てようやく生活が落ち着いてきたように思います。それは、この一年間をどのように過ごすかが決まったからでしょう。中学時代は、おそらく一生のうちで最も多くの思い出が残る時代だと思います。
 私の中学生時代の思い出、三つを話します。
 一つは生徒会長選挙に二回落選したことです。一年生のとき先生に勧められて立候補しました。「一年生で会長になれるはずはない。落ちるのが当たり前」と思っていました。当然落ちました。でも、とても熱心に応援してくれた友達ができました。ですから二回目は、彼のためにも当選したいと思い、立候補しました。でも信用がなかったのです。また落選でした。 選挙が終えてまもなく、そんなことをした覚えは全くないのに、校長先生から「武は選挙に落ちてから生活態度が悪くなつた。学校の花壇を荒らした。」と注意されたときは、悔しくて泣きながら抗議しました。いろいろな面でショックが大きかったです。
 二つ目、先生から選ばれ、バレーボールの選手として一度だけ試合に使ってもらったこと。今でも、校庭で練習をしている自分の姿が目に浮かびます。そのころはビデオなどないのに・です。
 三つ目、国語の先生に勧められて島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」と「千曲川旅情のうた」を暗唱したこと。その二つの詩はふと口を突いて出ることがあります。とてもイイ気持ちで全部暗唱できます。「小諸なる古城のほとりJ雲白く遊子悲しむ(以下略)」
 四十年の歳月が過ぎてもこの三つのことははっきり私の中に残っています。これから始まるあなたたちのこの学校での一年間の生活は、私が今も大事にしている思い出と同じようなもの、それ以上の何かを心に深く刻むことができる鶴巻中での一年になると思います。中学時代とはそんな時代なのです。



生徒総会のあいさつ

 みんなで始めて、最後まで

 これから開かれる生徒会の総会は、授業の二時間分を使うことになっています。この総会は本校にとって、とても大切な会だからです。
 ところで、生徒会はみなさんの学校生活の中でどういう役割や働きをしているのでしょうか。一日の生活を通して考えてみましょう。
 朝登校してくると、正門のところで「おはようございます」という明るい声が響き合います。生徒会本部と生活委員会が行っているあいさつ運動です。
 昼の食事の時間、放送委員会が音楽とニュースを流してくれます。毎週木曜日の「この人」のインタビュー放送はとても楽しい企画です。昼休み図書館で本が読めるのは図書委員の人がいるからです。校庭では体育委員会の貸し出すボールで遊べます。毎日の活動ではないのですが、掃除用具の修理をしてくれるのは環境整備委員会です。トイレットペーパーの補充をいつも心掛けている保健委員会。新開委員会は毎週新聞を発行して、校内のニュースを知らせてくれます。福祉委員会は募金活動などを通して、私たちと社会を結びつけてくれています。そして、皆さんが何より楽しみにしている部活動も生徒会の活動の一つなのです。こうした活動にかかる費用は生徒会費、みなさん一人ひとりが払っている会費によってまかなわれているのです。(その生徒会費をいくら払っているか知っている人、手を挙げてください。) 
 こうしてみると、みなさんの学校生活の基本的な部分は、ほとんど生徒会活動に依っています。もし学校に生徒会がなかったら、とてもつまらない学校生活になることは想像できると思います。
 生徒会規約には 「よりよい学校生活をするために生徒会はある」と書いてあります。先ほど生徒会長のKさんが、今年の生徒会の活動スローガン 「みんなの思い ここに集めろ」を提案しました。この二時間、みなさんで学校生活を考え、話し合ってください。
 二、三年生の皆さんの記憶に残っているかもしれませんが、昨年度の三月の生徒総会で、私は「みんなで始めて、最後まで」という言葉が好きだと話しました。今日、この場所で、全員で今年一年の生徒会の進み方を決めます。それが「みんなで始めて」です。そして、最後までその活動が続くようによく話し合ってください。よい話し合いができることを期待します。



保護者会のあいさつ

あなたがわが子を断固叱るときは

 昨年の十月から十二月にかけて、文部省は小学五年生と中学二年生を対象に国際比較調査(韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本)を行いました。その調査では、子どもたちに自分の親の様子もたずねています。
 その問いの一つが「『うそをつかないように』とよく諭す親」についてでした。日本の子どもたちの回答は「よく諭す父親11パーセント、母親16パーセント」でした。他の四か国の数値は3〜5割で、大きな差がでています。
 「子どもは天使か悪魔か」表現が少しキッ過ぎますが…と問われると、欧米では「悪魔」と答える人が多いそうです。そして「だから子どものうちにきちんとシツケをしなければいけない」と考え、それを行っています。中国には「人間の本性は悪であるから、礼をもってそれを正しくしなければいけない」と説いた学者もいました。この考えを性悪説と言います。もちろん性善説もありますが…。
 私たちの国では、「天からの授かりもの」という言葉があるように、いつの時代も、子どもは大切に、大事に育てられてきました。まして、今のように少子社会になれば、ときとして甘やかされ過ぎの扱いを受けているのです。一点豪華主義ならぬ、「一児豪華主義」という言葉が、子ども関連マーケットでひんばんに使われる時代です。でも、少子社会だからこそ、わが子が一人で生きてゆけるように、たくましく育てることが親の務めです。そのために親・大人がしなければいけないことの一つが、正しく叱るということです。そのことを通して、子どもた
ちに物事の道理を教え、わからせ、判断力や自立心を育てたいと思います。
 このごろ、親や教師を含め、大人は権威でしか叱れなくなったと言われています。ある家庭では、わが子が次の三つの状況・状態になつたとき、断固として叱るのだそうです。
  1 そのままにしておいたら、自分や他人(動物なども)の生命を危険に陥れてしまうとき。
  2 他人に迷惑をかけたとき。とくに相手の心を傷つけたとき。
  3 自分からした約束を勝手に破ったとき。やるべきことをなまけたとき。
  あなたのご家庭では、どのようなときに”断固”叱っていらっしやいますか。



4月

入学式の式辞

 「中学生になる」 ということ

 228名の新入生の皆さん、入学おめでとう。鶴巻中学枚のだれもが、皆さんの入学を心から歓迎しています。今、あなたたちの心の中は、“希望″と“期待″と“喜び″が90%、残り10%が“不安″という割合でしょうか。でも、明日から鶴巻中学校で生活を始めれば、その″不安な心″は、あなたの心の中に居場所を見つけることができなくなるでしょう。頼りになる先生・先輩が、鶴巻中にはたくさんいるからです。
 ところで『中学生になる』ということは、どういうことなのでしょうか。家での生活から見つければ、男子は半ズボンをはかなくなり、女子は専用のシャンプーを持つようになります。あるいは「お母さんの作ったお弁当のおかずは、私の好みに合わない」と言って、自分でお弁当を作るようになる1こんな変化がでてくるのが中学生かもしれません。街に出れば、いろいろな入場料・入園料が『子ども』 ではなくなります。これも中学生の証拠です。でも、中学生であることの本当の証明は、自分の判断で、自分の考えで行動でき、しかもその行動には責任を持つ−それができてこそ中学生なのです。それを学ぶのが中学校の勉強です。小学生の頃は「そんなことをすると先生に言いつけちゃうから」などと言って、先生に色々な問題の解決を頼みました。中学校でも先生の指導や指示は受けます。でもできるだけ自分たちの力で、問題や困ったことを解決して欲しいのです。それができるのが中学生であり、大人の世界に入ることなのです。
  『自分で考え、判断し、行動することの難しさ』の例を挙げてみます。あなたたち一人ひとりに聞きます。小学校の教室や校庭で、「あいつはクライ」というような内容の言葉を聞いたり、もしかしてあなたも使ったりしませんでしたか。その『クライ』と言われた友達のことを、いま思い出してみてください。そこで開きます。その友達は、あなたが一緒に生活していて、本当に『クライ』人だったのでしょうか。だれかが、その友達のことを「あいつはクライ」と言ったのを、あなたはそのままにしていただけなのではないですか。周りの人が言っているから、あなたも「あいつはクライ」と言っていたのではなかったですか。
 「なんとなく」とか「みんなが言っているから」ということで、『クライ』とレッテルを貼られてしまった友達の心の内をあなたは想像したことがありましたか。もう一度あなたに聞きます。あなたの周りの人が、だれ一人言わなくなった時でも、あなたは「あいつはクライ」と言い続けることができますか。あなたは、『クライ』と言われる友達を、それほどキチンと見つめてきたのでしょうか。自分で判断し、それに従って行動するということは、こんなにも難しいことなのです。きびしい言い方をあなたたちにしてしまいました。入学式にふさわしくなかったかも知れません。でも鶴巻中の生徒になるということを、少しは分かってくれたと思っています。
 私は、この四月一日に鶴巻中学校に移ってきました。ですから、皆さんと一緒に鶴巻中学校に入学したことになります。皆さんと、保護者の皆さんも含め、きょうここで出会えたことを大切にして、この学校で生活をしていきたいと思います。私は『出会い』という言葉の持っている偶然性、そして必然性を大切にしています。
 保護者の皆様、お子様のご入学を心からお祝い申し上げます。今年の教職員の異動を報じた3月31日のある新聞は、その見出しに『手をつなぎ歩み出す春』という言葉を使っていました。228名の子どもたちのために、何よりわが子のために、私たち教職員と手をつなぎ、きょうから歩み始めましょう。地域の皆さんのご支援も得て、今から一緒に歩き出しましょう。



職員室での着任のあいさつ

 鶴巻には湘南ナンバーが似合う

 弘法山を越えたこの地区で、初めて教員生活をすることになりました。学校の環境、そして地域の雰囲気、文化圏・生活圏が今までの勤務校と大きく違うように感じています。校長室からの景色を眺めて、確かに『湘南ナンバー』は鶴巻地区に似合うと納得しました。そして、あらためてここは秦野盆地の中ではないと思いました。こんなイメージを抱いている私には、本校は「躍動期から充実期に」という表現がぴったりします。「新しい師来たりて鶴巻に新しい花を咲かせる」この歓迎の言葉を玄関で目にしたとき、心が引き締まりました。皆さんと一緒に仕事ができることを幸せに思います。



退任・離任式での言葉

 「さようなら」そしてGood-by

 「さようなら」という別れの言葉は「さようならばお別れいたそう」という武士の言葉からできたと言われています。「さようならば」とは、そういうわけがあるのなら仕方がない、という意味です。壇上の三名の先生方とは、お別れをしなければならないそれぞれの事情があります。「さようならば」、それぞれの先生について私の印象を述べ、お礼とお別れの言葉にしたいと思います。
 T教頭先生。先生としての長い経験から、いつも正しい道筋を先生方に説かれました。クールなようで人情家でした。K先生。まじめで少し頑固。でも童話を書いていらっしゃるように、あなたたちが大好きだった先生です。Y先生。生徒指導の先生として、私は信頼していました。メガネの奥の優しい目がいつもみなさんを見つめていました。
  「グッドバイ」は、英語で別れのあいさつ言葉です。God-by がこの言葉の語源です。Godは神様という意味の単語。byは「そばに」です。ここであなたとお別れするのだけれど「いつも神様があなたのそばにいて、あなたを守ってくださいますように」。その祈りがGod-byなのです。三人の先生、どうぞこれからも元気で活躍されますように。それでは「グッドバイ」でお別れします。



生徒会主催の対面式で

 引継ぎ、育てよう「校風・伝統」

 今年の鶴巻中は727名でスタートしました。その727名が、生徒会の企画で初めて動くのがこの対面式です。私は、「学校とは文化を引き継ぐところ」だと思っています。たとえば、鶴巻中学校の良いところを、二、三年生はきちんと一年生に教えること。一年生はそれをさらに大きく育て、来年来る後輩に伝える。これが、文化を引き継ぎ、育て、後に託す、ということです。鶴中の伝統や校風というものは、こうして守られ、育っていくのです。一年生のみなさん、わからないことがあったら、二、三年生に開いてください。ていねいに答えてくれます。そうしたら「ありがとうございました」と、しつかりお礼を言いましょう。私たちの生活目標「ありがとうと言う心、言われる行動」の第一歩はそこから始まります。



3月

卒業式式辞

 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える人に

 251名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。そして保護者の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。今日までのご苦労を思い、心からお祝い申しあげます。秦野市教育委員会をはじめとする来賓の方々をお迎えし、この卒業証書授与式ができますことを、卒業生そして保護者はもちろん、私たち鶴巻中学校の教職員は、たいへん嬉しく思っています。ありがとうございます。
 さて卒業生のみなさん、今お渡しした卒業証書を広げてみてください。そして私の言葉にしたがって黙読をしてください。卒業証書という文字の下に、あなたの氏名が書かれています。そして、その下にあなたの生年月日が記入されています。その後に本文があり、今日、平成6年3月10日の日付が書いてあります。その平成6年3月10日からあなたの生年月日を引き算してください。15年と何カ月何日かの歳月が答えとして出てくるでしょう。14歳と11カ月の人もいると思います。皆さんはその14年、あるいは15年余りの一日一日を、一生懸命に生きて今日といぅ日を迎えたのです。本当によく頑張りました。
 けれどもその頑張りは、あなた一人の力でできたのではありません。お父さん、お母さんをはじめとする家族の、あなたへの愛、友達や地域の皆さん、幼稚園・小学校そして鶴巻中学校の先生方の支えがあった、ということも思いつかなければなりません。それこそ、たくさんの人に励まされ、支えてもらい、導かれて今日を迎えることができたのです。あなたたちの努力が元になっていることは言うまでもありません。
 さきほど、担任の先生から呼び上げられたあなたの氏名についても考えてみましょう。氏名の氏・姓は、あなたの家の歴史を表しています。そしてあなたの名前には、あなたのお父さん・お母さんの願いがこめられていることを知ってください。氏名とはそういぅ意味をもったものです。ですから、姓名に恥じない生き方をして欲しいと思います。自分の名前を大切にしてください。

 北原宗積という詩人が『人間ビラミッド』という詩をうたっています。

 人間ビラミッド    北原宗積

気がつくと/父を 母を ふんでいた/父と母も それぞれ/祖父を 祖母を ふんでいた/祖父母も また/そのふた親をふみ/むかしのひとびとをふみ/いのちの過去から未来へと/時の流れにきずかれていく…/人間のビラミッド/そびえ立つ そのいただきに/ぼくはたち/まだいない 子に 孫に/未来のいのちに ふまれていた

 あなたたちは今、それぞれの人間ビラミッドの頂点に立ち、頂を連ねています。でも、あなたたちを下で支えている、たくさんの人が見えなくてはいけません。
 昨年4月5日、始業式の中で、私は『ありがとう』という言葉は、日本人が一番好きな言葉だ。感謝の心を表すときには素直に『ありがとう』と言おう、と話しました。今日、鶴巻中学校を巣立っていく皆さんに改めてお願いをします。これから始まる新しい生活の中でも、『ありがとうございます』という言葉を、心から口にできる人でいてください。そして、もう一つ『ごめんなさい』という言葉も、素直に使える若者になってください。『ありがとう』『ごめんなさい』、この二つの言葉は、相手の心にこころよく響く美しい日本語です。この二つの言葉が、あなたと周りの人との関係を暖かく包んでくれることでしょう。今日、家に帰ったら、家族の全部に『ありがとうございました。中学校を卒業できました』と、言ってください。
 3月5日の朝会で、明日からあなたたちの母校となる、鶴巻中学校の『鶴』という漢字の説明をしました。鶴は鳥の中の鳥です。どうぞ、鶴のように大きく羽ばたき、人生という大空をゆうゆうと渡っていってください。
では、お元気で。



卒業式式辞

 ブリキサブロウ

 私の祖父は、1907年に始まった日露戦争に陸軍として召集されました。その兵隊さんになつた最初の日の点呼で、祖父は名前を「ブリキサブロウ・武力三郎」と呼ばれました。祖父の名前は「タケリキサブロウ・武力三郎」です。ですから返事をしませんでした。自分が「ブリキサブロウ」と呼ばれていることが分からなかったのです。 返事をしない祖父を、上官は「貴様、上官をなめているのか」と殴ったのです。祖父は何発も殴られながら答えたのだそうです。「自分はタケリキサブロウであります」と。
 ずっと昔、祖父・武力三郎からこのエピソードを聞かされました。「がんこなジイチヤンだ」と思い、ただおもしろい話として心に留めておきました。でも今は「自分は武力三郎であります。ブリキサブロウではありません」と殴られながらも、自分の名前、自分の存在を明らかにした祖父を立派だと思います。
 これから始まる生活の中で、あなたはあなたの名前を大切にしてください。名前に誇りをもってください。あなたはこの地球上でたった一つの存在なのです。そのことを忘れないでください。別れに臨んで私の好きな詩をあなたたちに贈ります。


前へ    大木 実

少年の日読んだ「家なき子」の、
物語の結びはこういう言葉で終わっている。
 ――前へ。

ぼくはこの言葉が好きだ。
物語は終わっても、ぼくらの人生は終わらない。ぼくらの人生の不幸は終わりがない。希望を失わず、常に前に進んで行く物語の中の少年ルミよ。ぼくはあのけなげなルミが好きだ。
つらいこと、いやなこと、かなしいことに出会うたび、ぼくは弱い自分を励ます。
 ――前へ。

では、お元気で。



朝会の話

 生まれ育った地

 私の毎朝の起床は五時ごろです。そして五時十五分になるとテレビをつけます。チャンネルは4、『あさ天』が始まるからです。天気予報が中心の番組ですが、中にリクエス品が取り入れられています。月毎にテーマが決められていて、三月は「卒業・旅立ち」に関係する曲が放送されています。今朝放送された曲は、〃いるか”の『なごり雪』でした。わが家の窓の外には、小雨まじりでしたが本物の雪が舞っていました。歌のとおりの『なごり雪』でした。「卒業式まであと六日、三年生ともお別れだな」と思いました。
 私は『一期一会』という言葉が好きです。人間は、どんなことにも一生でたった一度しか出会えない。だからその一度の出会いを大切にしよう、という意味です。ですから、私はこの朝会も大切にしてきました。今朝のこの朝会は、この年度の最後の朝会です。このメンバーで、ここにこうして集まることができる最後の朝会です。今朝は、間もなく卒業していく三年生に、心のどこかに留め置いてもらいたい話をします。
  これから、ある新聞の投書欄の切り抜きを読んでみます。海老名市に住んでいる加藤奈美子さん(二十六歳)の投書です。もしかしたら皆さんの姉さんかもしれない、お隣に住んでいたお姉さんかも知れない、そう思える内容です。

  町の息づかいを紙面に           海老名市 加藤奈美子
 海老名市に住んでいる主婦です。結婚する前は秦野市の鶴巻に住んでいました。鶴巻温泉は小さくて、観光する場所もほとんどありませんが、東海大学があるせいか学生の数が多く、独特なにぎわいがあります。大山も近く、とても哀愁のある町です。この小さな町に、いったい何人の学生たちが青春の思い出をおいていったのでしょう。ず−つと時間が止まってしまったような、ジャズが流れているパブや定食屋さん、喫茶店もあります。小さいころから見て育った、古びていいお店がたくさんあります。そんな息づかいが感じられるお店を取材していただきたいと思います。(朝日新聞『ひとこと』欄)

 生まれ育った、住み慣れた鶴巻を離れ、あらためて故郷・鶴巻を遠くから眺めたら、なんと鶴巻はよい町だろう、と加藤さんはしみじみ思っているのです。
 三年生の皆さん、この鶴巻という地で、大根小、鶴巻小、そして鶴巻中と十五年間生活をしてきました。そして、いよいよ新しい地、学校で・職場で生活を始めるのですが、その新しい地で「私の故郷、鶴巻ってこんなにいいところだよ」「母校・鶴巻中はこんなにすばらしい学校なんだから」と、自慢してください。鶴巻に生まれ育ったこと、鶴巻で学んだことを誇りに思って欲しいのです。そして、これからもっと鶴巻のよさを発見してください。鶴巻をもっともっと好きになってください。これが私のお願いです。
 昨夜、鶴巻駅前のお寿司屋さんで食事をしました。お酒も頼みました。生酒のかわいらしいビンが出てました。そのビンのラベルを見たら『鶴巻』とありました。そのお酒の名前は『鶴巻』だったのです。驚きました。うれしくなりました。最近生まれたお酒のようでした。甘いお酒でした。私は、また一つ鶴巻でよいものを発見できたのでした。



朝会の話

 魚の正しい食べ方

 お祖父さんの祖国・韓国に一年間勉強に行っていたTさんが訪ねて来ました。そして留学中のひとつの出来事を話してくれました。
 彼女は、学校の食堂で友人たちとおしゃべりしながら昼飯をとっていました。食事を終え、午後の授業の教室に向かう廊下を歩いていると、「あなた、日本の方でしょう」と後ろから声をかけられました。その人は、Tさんのロが食事の前に「いただきます」と動くのを偶然目にして、それで日本人だと思ったのだそうです。
 毎日、校長室で三年生と会食していますが、そのときだれもが「いただきます」と言います。なぜ「いただきます」なのでしょうか。「いただきます」は辞書には「食事を始めるときのあいさつ」とあります。キンバリー先生に尋ねましたところ、先生の生活では、そういう習慣や言葉はないそうです。私たちは、だれかから、何かをいただいているのです。アイヌの人達は「あなたの命をいただきます」という意味の言葉で食事を始めるそうです。「いただく」とは、他の生物の命をいただくことなのです。魚や動物、野菜の命をいただいて、私たちの命は永らえているのです。そのことをしっかり心に留めておき、これから読む詩を聞いてください。 


 正しい魚の食べ方    五味太郎

何千、何方、何億の人々の中の、/あの人でもないこの人でもない、/たまたま、まったくのたまたま、/このぼんやりした子と、/何億、何十億、何百億の魚の中の、/あの魚でもなく、その魚でもない、/この魚とがなぜかここで出会ったのだ。
「な−んだ さかなか」/なんていっている場合ではない。/「あんまり うまくないね」なんていっている場合ではない。/「のこさず食べるのよ」なんていわれている場合でもない。/まして「あしたはハンバーグにしてね」/なんていっている場合ではぜったいにない。
いいたいことは魚の方にこそ、たくさんある。でも魚はだまっている。/「ああ、こいつに食われてオレは幸せだ」/と思うか思わないかが問題なのだ。
魚の食べ方が正しかったかどうか/そこで決まる。







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