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 〜 声が大きければ返るこだまも大きい 〜 



新聞教育と私
1960年、初めて教壇に立った厚木市立玉川中学校は全校で6クラスという小さな学校でした。与えられた仕事が生徒会担当だったことをいいことに、学校新聞を創刊し、その年度の終りには活版新聞まで発行してしまったのでした。費用はどうしたのか?(村の小さな商店を回り歩いて広告を取ったのです。) それから37年間、教職にある間「新聞教育」から離れることはありませんでした。そして今も、学校・学級新聞・PTA広報づくりにかかわっているのです。この10月1日には「中地区退職教職員の会(会員数1800)」の会報を創刊しました。


新聞教育にこだわる私
「学校には三つの声が響かなければいけない」と思っています。その三つの声とは?‘子どもの声’‘親の願い’そして‘教師の思い’です。この三者の声が校内に響き合うとき、学校は日々生まれ変わっていくのです。私は、その三つの声が響きあう場を新聞に求めてきました。子どもたちのつくる学校新聞・学級新聞,親がその願いを書くPTA広報、そして教師が思いを伝える学級通信や学校・学年だより,これら三つの新聞は学校に絶対存在しなければならない、と訴え続けています。


「エコー」と私
教育個人紙「エコー」は,上に述べた教師としての私の思いを伝える「たより」です。担任を持っているときは学級通信を,学年主任のときには学年だよりを、校長室からは学校だよりを発行し続けてきました。その傍ら、私の教師としての思いをより多くの人たちに聞いてもらい語り合いたいと,個人紙「エコー」を創刊しました。1985年のスタート、2000年10月で176号を数えています。「声か大きければ゜返るこだまも大きい」―これは私の新聞づくりの信念でもあります。こだま−エコーは、怒鳴り合いでない、響き合いなのですから。


「エコー」は私の教育の原点
1969年、全国学校新聞コンクールに応募したクラスの週刊学級新聞「エコー」が『特選』日本一になりました。新聞づくりを本格的に始めたクラスの快挙でした。この学級新聞「エコー」は、それからの私の教育活動の原点になったのでした。



訪問者  「なぜこのホームページはあちこちにねずみが登場するの?」
勝美   「私、ねずみ年生まれなのです、、、」  





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